今後、おそらく10月3日に衆議院が解散され、総選挙は10月21日公示、11月2日投票になるのだろう。3連休の2日目に投票日を設定するのは前代未聞で、鳩山由紀夫が「報道2001」で「投票率を下げたい公明党の以降によるものだろう」と言っていたが、もう一つ、アメリカの大統領選のあとに総選挙をもってくるのを、自公両党が異様に恐れているかららしい。大統領選は、今後の1か月でどう転ぶかわからないが、「民主党」のバラク・オバマが優勢と見られている。
米共和党は、ブッシュ政権の公的資金にも抵抗するほどの手のつけられないネオコン・ネオリベぶりを発揮しているから、マケインではアメリカ経済を立て直すことは困難だ。アメリカという国は、日本と違って行き過ぎが生じると元に戻そうとする復元力が働く。だから、私は大統領選はオバマが勝つに違いないと確信している。オバマが勝った場合、その結果が日本の衆院選に強く影響することは間違いないから、自公両党は何が何でも11月4日以前に投票日を設定しなければならないと考えているのだろう。
さて、今日のエントリではしばらく前から書こうとしてタイミングを逸しつつあった「身体検査」の問題について書きたい。
9月25日に朝日新聞が、
と報じたが、小渕優子にはそれ以前から別件の「古傷」が報じられていた。小渕優子・少子化担当相が代表を務める自民党群馬県第5選挙区支部が、国土交通省などの指名停止処分を受けた5社から、その処分後から07年までに計約720万円の寄付を受けていたことが分かった。
それは、「サンデー毎日」8月10日号に掲載された、「本誌が身体検査! 「危ない大物議員」6人の「名前」」という記事に出ていたもので、福田改造内閣発足の直前に書かれている。「サンデー毎日」編集部の「身体検査」によって、改造内閣に入れてはいけないと列挙された議員の中に、小渕優子が細田博之・自民党幹事長とともに入っているのである。以下、「サンデー毎日」から引用する。
では、首相(注:福田前首相)が避けるべき閣僚候補を見ていこう。
まず、刑事事件にかかわる「関係者」は論外だろう。その点で「落選確実」なのが、官房長官候補として呼び声の高い細田博之元官房長官(64)と、同じ群馬県選出で首相が親近感を持つといわれる小渕優子衆院議員(34)だ。
国土交通省発注の公用車運転業務をめぐり、天下りした同省OBらが談合を繰り返していた疑いがあるとして公正取引委員会が7月15日、独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で業界を立ち入り検査したが、最大手の「日本道路興運」(東京都新宿区)から、二人とも「資金提供」を受けた過去があるためだ。
(中略)小渕氏の資金管理団体「未来産業研究会」の政治資金収支報告書によると、06年5月11日に東京・赤坂のホテルで開かれたパーティーの際、日本道路興運の前社長から100万円の個人寄付を受けていた。小渕事務所は本誌(「サンデー毎日」)の取材に「(前社長とは)先代(小渕恵三元首相)からのお付き合いです」と回答した。
(「サンデー毎日」 2008年8月10日号掲載 「本誌が身体検査! 「危ない大物議員」6人の「名前」」より)
要は、小渕優子は亡き父から引き継いだ利権にまみれた世襲政治家というわけで、よくこんな人物を閣僚に起用したものだと思うが、それもそのはず、上記「危ない大物議員」の中には、なんと首相になった麻生太郎自身の名前も出ているのだ。
「サンデー毎日」は、文部科学省関係者から得た情報として、麻生にはカネ絡みの疑惑が囁かれているとしている。再び同誌から引用する。
その(カネ絡みの疑惑の)一つが今年4月、文科省を舞台に警視庁が摘発した贈収賄事件だという。参院議員元私設秘書と同省キャリア技官が逮捕・起訴されたが、麻生氏は森喜朗元首相に次ぐ文教族。
「技官周辺で、麻生氏サイドと関係が深いとされる "教育施設ブローカー" が暗躍していた疑いがある。麻生氏が表舞台に出れば、この "ブローカー" の存在が注目されるでしょう」(文部科学省関係者)
(「サンデー毎日」 2008年8月10日号掲載 「本誌が身体検査! 「危ない大物議員」6人の「名前」」より)
この件とは別に、麻生が支部長を務める自民党福岡県第8選挙区支部が、国立病院発注の機器納入を巡る汚職事件の贈賄側企業から、1995年から2007年までに計400万円の献金を受けていたことが、28日に報じられている。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080928AT5C2801828092008.html
世襲政治家は、父や祖父から能力は必ずしも引き継がないが、利権は引き継ぐ。だから、世襲政治家には金に絡む疑惑がいろいろ出てくる。そして、世襲政治家たちで固められたのが麻生内閣である。
政権が民主党中心になったって、日本の政治がめざましく良くなることは期待できないのかもしれないが、少なくとも世襲政治家たちで固められた麻生内閣よりはまともな仕事をしてくれるのではないかと思う今日この頃なのである。
※ 「サンデー毎日」が挙げた「危ない大物議員6人」として挙げたのは、上記3人の他、中川秀直、矢野哲朗、武部勤の三氏です。
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中山は、もともとタカ派の文教族だった。60億円をかけて安倍晋三内閣当時に実施した全国学力テストは、イギリスのブレア内閣時代の教育に関する施策の中でももっとも評判の悪かったものをわざわざ真似たものだが、これも中山がコイズミ内閣の文部科学相時代に提唱したものだった。
今回の一連の発言で、「全国学力テストを提唱したのは日教組の強いところは学力が低いと思ったから」と中山は発言したが、そんなことのために60億円を無駄遣いしたと白状したわけである。確かに、削るべきムダはたくさんありそうだ。その最たるものは中山成彬自身だったが、さすがに早くもお払い箱になった。
dj19(やっしゃん)さんは、人気エントリとなった「中山成彬、飛ばしてるね。(追記あり)」の中で、中山成彬について、
と書いている。第2次小泉改造内閣(04年)に文部科学相を務めたときは「もっと教育にも競争原理を入れるべき。」と競争原理強化を主張していた(いる)新自由主義的教育改革論者であり、国家主義的な「日本会議国会議員懇談会」のメンバーでもある新保守主義者なんですよね。だからこういったイデオロギッシュで香ばしい発言を平気でできるんでしょうね。
教育に競争原理を取り入れるべきと最初に主張したのはマーガレット・サッチャーであって、そのサッチャーにたっぷり影響を受けたのが安倍晋三や平沼赳夫らである。当ブログはこのことを再三指摘してきた。2006年11月16日付の「安倍晋三につながる極右人脈」や2007年2月20日付の「安倍内閣 「教育カイカク」の行き着く先」などである。
だから、私は安倍晋三や平沼赳夫は新自由主義者であるとずっと主張している。世の中にあまたいる平沼赳夫一派のシンパにはなかなか受け入れてもらえないようだが(笑)。
中山成彬も、そうした「安倍晋三につながる極右人脈」の一人といえる。もちろん、新自由主義者である。
「kojitakenの日記」の「中山成彬の妄言は、争点そらしというより単なるKYだ」というエントリにも書いたが、一連の中山発言は、その前の集団的自衛権に関する麻生太郎の発言と合わせて、総選挙の争点を経済問題(特に格差や貧困、それに後期高齢者医療問題)から政治思想的な問題(改憲や日教組・自治労などへの批判)にすり替えようとする狙いからきているという指摘が一部にある。
そういう面は確かにあるだろう。昨日のフジテレビ「報道2001」の最後に、民主党の長妻昭へのインタビューがあったが、民主党が今回の選挙戦のエースと想定しているのは長妻昭である。参院選1ヶ月前の昨年6月、テレビ朝日「サンデープロジェクト」に、「安倍総理から直々に年金問題の説明役を命じられた」とか「この人がダメなら自民党はダメ」などと鳴り物入りで出てきた大村秀章を、長妻昭は完膚なきまでに論破し、参院選の流れを決定づけた。当時の番組は、Googleビデオなどで今も見ることができる。
この長妻昭に先陣に立って年金問題を追及されたりしたら、自民党は防戦一方になる。だから、争点を民主党のアキレス腱である憲法問題や安全保障問題、それに自治労や日教組への批判にすり替えたい、それが麻生太郎らの狙いであり、だからこそ中山成彬も、どうせ辞めるならとばかり、思いっきり日教組批判を連発したのだと思う。
だが、それは功を奏さない。そもそも、安倍晋三は、昨年の参院選で憲法改正を選挙の争点にするつもりだった。それが、5月に「消えた年金」の問題が浮上するや、改憲の争点などは吹っ飛んでしまったのだ。
しかも、今年4月には、コイズミ内閣最後の年に強行採決で可決された後期高齢者医療制度が始まり、この件だけで自民党の支持率が暴落し、山口2区補選における山本繁太郎の惨敗につながった。
年金問題も後期高齢者医療制度の問題も決着していない。しかも、後者については唐突に麻生太郎が見直しを指示したものの、機関紙などを通じてそれまで自民党が行ってきた説明と整合性がとれず、選挙の票欲しさがミエミエだと批判を受ける始末だ。
国民の多くは、長年のコイズミや安倍の新自由主義政策による格差拡大や、それが生み出した貧困問題に直面して苦しんでいるから、憲法や安全保障の問題を考えている余裕はないし、ましてや日教組をめぐるくだらない口喧嘩など、誰も聞きたいと思っていない。
中山成彬も麻生太郎もそれをわかっていない。安倍晋三に続く「KY」というほかないのである。
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昨日の「報道ステーション」ではボロボロに叩かれていたし、産経新聞でさえ中山大臣を庇い切れない。
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/080927/chb0809270254000-n1.htm
中山成彬国土交通相が成田空港建設への反対闘争を「(住民の)ごね得」などと発言した問題で、成田市の小泉一成市長は26日、「現在は反対する方との話し合いのほか、周辺の9市町は空港と共生、共栄するまちづくりも進めている。非常に残念」とするコメントを発表した。小泉市長はコメントで「(中山国交相は)重く長い、空港建設にかかわる歴史認識がなされていないのではという疑問がある。国も地域との対話を軽視した一方的な建設手法を真摯(しんし)に反省した経過がある」と指摘した。
(産経新聞 2008年9月27日)
ちなみに中山は、「日本は内向きな単一民族」とか「日教組の子どもなんて成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」などと発言し、それぞれ北海道ウタリ協会や日教組の代表から抗議を受けた。
http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092601000784.html
毎日新聞や朝日新聞は、社説で厳しく中山大臣を批判し(読売はスルー)、野党は大臣の辞任を求めた。当然の反応である。中山には、コイズミ内閣当時にも失言の実績がある。
ところで注目されるのは斉藤鉄夫環境相が中山国交相の発言を批判したことだ。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080926AT3S2601026092008.html
斉藤鉄夫環境相は26日の閣議後の記者会見で、中山成彬国土交通相が25日に「日本は単一民族」などと発言したことについて「まったく事実を認識しないとんでもない発言だ」と批判した。「日本は単一民族ではない。国家の意思として明確になっている」などと述べた。
成田空港の整備の遅れに関連し「ごね得」などとした発言に関しては「行政が一方的に物事を進めた結果、大きな事態になったわけで、そのことを反省することが国が事業を進めていく上での教訓。ごね得などではない」と語った。
(日本経済新聞 2008年9月26日 14:46)
斉藤大臣は公明党議員。その斉藤氏が中山の妄言を批判したのである。
総選挙後の政局でもし自民と民・社・国3党連合がそれぞれ過半数に達しなかった場合、公明党が自民党との連立を解消して、3党連合と組み、4党連立政権として引き続き与党に参加する可能性も徐々に高まってきている。
次回の総選挙では、自民党は「比例区は公明党」との呼びかけはもうやらないそうだ。おそらく、公明党に「やらないでくれ」と言われているのだろう。公明党は、自民党と民主党を相手に駆け引きをしている。民主党もまた、公明党と駆け引きをしている。例の東京12区への小沢一郎転出をちらつかせている件も一種のブラフだろうとは、誰もが思っていることだろう。
私がもっとも警戒するのは、民主党が社民党を弾き出して、公明党、国民新党と3党で連立を組むことであり、この場合、福祉国家指向の政策転換が遅れるとともに、憲法改正に向かって大きく踏み出す可能性が強い。これは避けなければならない。これまで、公明党が政権に参加してろくなことになったためしがない。
次の総選挙では、民主・社民・国民新党の3党であっさり過半数の議席を獲得して、政権交代を実現しなければならないのである。
共産党も、連立政権には参加しないだろうが、次回の総選挙では「たしかな野党」の看板を下ろす。小選挙区の候補者数も絞り込んだ。次期政権に対して、閣外から批判しながらも、協力すべき時には協力するというシグナルを出していると考えて良いだろう。
私は、政権に対して「左」から批判する野党の存在は必要だと考えているので、共産党は連立政権に参加する必要はないと思う。
民主党は、多くの問題を抱えてはいるが、社民党や国民新党がブレーキをかけて、いまや世界的に時代遅れになった新自由主義改革の方向に再び暴走させないとともに、ファシズム的性格を持つ公明党を政権から締め出す必要がある。
北朝鮮の金正日総書記の病状について憶測が飛び交っているが、創価学会や公明党も、今のままずっと続くはずはなかろう。徐々に政治の世界から去ってもらわなければならない。
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これは、コイズミが引退するとともに、次男の進次郎氏を後継者にすると報じられたためだ。「小泉進次郎」の検索語でネット検索しても、当ブログは引っかからないが、「宮本佳代子, 宮本佳長と小泉純一郎」というタイトルの記事が引っかかる。そして、「宮本佳代子」を検索語にしてGoogle検索すると、当ブログが2番目に引っかかるのだ。
前記の当ブログのエントリは、佐野眞一氏の著書『小泉純一郎―血脈の王朝』(文藝春秋、2004年)を紹介したものだ。コイズミが後継を次男に託そうとするから、コイズミの家系が改めて注目されることになり、こういう記事が再発掘されるのである。どこが「頑張った者が報われる社会」なのだろうか。同じ新自由主義者でも、前原誠司が言うならわかるが、自ら三世政治家にして、四世を国会に送り出そうとしているコイズミが、「頑張った者が報われる社会にする」とか「国民にも痛みを我慢してほしい」などと言った言葉を、どうして日本国民は信用してしまったのか。2001年から2006年、いやそれに続くコイズミ直系の安倍内閣の終わった2007年までの6年間は、日本社会を奈落の底に突き落とす過程だった。そこから立ち直るには、15年ないし20年の月日が必要なのではないかと私などは考えている。
朝日新聞は、「小泉改革 光と影残し」などという見出しをつけた記事で、あたかもコイズミ時代の企業業績の回復がコイズミの政策のおかげであるかのように書いているが、これはとんでもない誤りで、当ブログが繰り返し指摘しているように、企業業績の回復は、90年代後半の各企業の身を削るリストラによるものだ。その効果がコイズミ時代にようやく現れたに過ぎない。コイズミ自身は、当初緊縮財政路線によってむしろ景気を冷やした。
そして、すさまじいばかりの格差の拡大と貧困に面する人々の増大は、むろん「コイズミカイカク」のなせるわざである。コイズミ内閣の頃、自民党と民主党は「カイカク」の先鋭さを競っていたが、その結果、2005年の郵政総選挙で自民党が圧勝した。岡田克也では「カイカク」が不十分として、民主党は代表選の結果、コイズミよりさらに先鋭的な新自由主義路線をとる前原誠司を代表に選出したが、この頃が日本の新自由主義時代のピークだった。その後すぐに耐震強度偽装事件、ライブドア事件など、新自由主義のひずみが現れた事件が連続して起き、民主党の前原体制はライブドア事件での追及を誤り(「偽メール事件」)、わずか半年あまりで退陣を余儀なくされた。そして、後任の小沢一郎は民主党の政策を転換し、「反カイカク」路線をとって、2007年の参院選では民主党が圧勝、自民党は惨敗した。安倍内閣は倒れ、福田内閣、同改造内閣、麻生内閣と、「カイカク」色はどんどん後退していった。
それでも、コイズミ退任後からもずっと、コイズミ再登板待望論は「カイカク」派の間で根強くあった。「偽装CHANGE勢力の反攻」説はその代表的なもので、コイズミ、中川秀直、小池百合子らが党を割って出て、それに前原誠司率いる民主党一派が合流して「カイカク」勢力が自民党、民主党に対抗する第三の保守勢力として立ち上がるというものだ。
私はこれはナンセンスだ、こんなことは起こり得ないとずっと批判してきたのだが、どうやら正しかったようだ。次なる新自由主義の脅威は、むしろ次の政権への新自由主義の浸透にあると私は考えている。「偽装CHANGE勢力の脅威」の議論が蔓延した背景には、右派内の「経済右派」(新自由主義者。いわゆるネオリベ)と「政治思想右派」(新保守主義者。いわゆるネオコン)の確執があり、私からすればネオリベとネオコンは不可分の関係にあって、単にどちらの要素が強いかだけの話だと思うのだが、「政治思想右派」が「経済右派」を攻撃する狙いがあったのだろうと考えている。
しかし、麻生太郎内閣が発足し、この内閣は「経済右派」色を福田内閣よりも抑えるかわりに、「政治思想右派」色を強めた内閣だ。だから、もともと先に「改革クラブ」を立ち上げておいてあとから「平沼新党」を立ち上げ、総選挙後に両者を合流させようと考えていた平沼赳夫も、自民党復党へのバリアが下がったと判断して、改革クラブだけはとりあえず西村眞吾を加えて政党の形にしておき、平沼新党自体の結成は取り止めたものだろう。改革クラブは、首班指名では「麻生太郎」と書いた。そもそも平沼赳夫自身、郵政総選挙後の首班指名で「小泉純一郎」と書いた腰抜けだということを指摘しておこう。改革クラブも平沼赳夫も城内実も、すべて自民党側の政治勢力であると考えなければならない。
「カイカク」の終わりを論じるつもりが、ついいつものクセが出て極右政治家批判になってしまったが、いまや自民党は旧来自民党から右翼色を強めた政党になり、民主党は建前上は「国民の生活が第一」を標榜する政党になった。つい三年前、両政党とも新自由主義の先鋭性を競っていたのが嘘のようだが、もうこれ以上日本の社会をぶっ壊すことは許されない。「カイカク」の時代は終わった。新自由主義者たちには、しばらくおとなしくしてもらうしかない。
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これで3年連続の9月下旬の新内閣の発足だ。一昨年、安倍晋三内閣が発足した時、たまたま私は日本にいなかった。当時、海外で書いた何本かの記事を読み直すと、わざと安倍内閣発足と直接関係しない話題を取り上げていた。だが、内心は、この内閣だけは絶対に許さないと、怒りに燃えていた。
昨年の福田内閣発足の時には、新政権を批判するというより、最低最悪だった安倍政権が倒れてほっとしていた。そんな中、「渡辺治氏「新政権、本当の課題」(日経BP)より」と題したエントリで、「新自由主義」と「新保守主義」の狭間で、立ち尽くしてしまったことが安倍の失敗の本質だと指摘した渡辺治氏の論考を紹介した。
それから1年、渡辺氏は「新政権、求められる構造改革と“軍事大国化”」という論考を発表している。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080919/171080/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080922/171276/
アメリカは、従来同様日本に対して構造改革(新自由主義改革)と軍事大国化を求めてくるだろうが、それに対して、自民党や民主党はどう対応するだろうか、と論じている。本エントリではこの論考を紹介したい。
1995年に日経連の報告書「新時代の日本的経営」が出されて以来、1997年から2006年までの10年間に、なんと500万人の正規雇用が消えて、非正規雇用が増えた。渡辺氏は、「こんなことは世界恐慌や戦争時ならともかく、平時にはあり得ないことです。こうした大規模な手術を小泉政権はやったのです」と指摘している。実際には、橋本政権や小渕政権の頃から進んできた流れを一気に加速させたのがコイズミであって、これこそが「痛みを伴う改革」の正体だった。
国内の世論は、徐々に「カイカク」に対して懐疑的な意見が増え、安全保障政策でも安倍政権時代の急進的な改憲志向の政策は支持されず、憲法改正に対して「反対」の意見が「賛成」を上回るようになった。
民主党の小沢一郎は農家の戸別所得補償(これは「世界」掲載の論文で、渡辺氏も高く評価していた)を言い出したし、麻生太郎も地方重視を唱える。それに対して、小池百合子前防衛大臣らは基本的に総裁選に勝つ気はなかったから、財界や米国の圧力を念頭に置いて「コイズミカイカクの継承」などと言っていた。つまり、コイケは国民にではなく財界やアメリカに媚びを売っていたということだ。
渡辺氏は、総選挙のあとの政局を予想している。当然ながら、与党と民主党のどちらが勝つかで流れは異なる。
自公が勝った場合は、確実に参議院の改変が起きるという。衆院選で政権を確保したら、最初にテロ新法、次に構造改革の手当てのため公約した緊急経済対策を進めなければならず、そうなると財源の問題が出るので、税制改革の必要が生じる。だから、自公が勝った場合は、参議院を改革して民主党を割り、とにかく衆参両院で多数派を作って突破するだろうと渡辺氏は予想するのだ。これは、説得力のある見方で、間違いなく起きる事態だと思う。民主党の応援団ともいえる朝日新聞も、衆院選で民主党が負けたら、対決路線を続けるな、と以前社説で主張していた。
民主党が勝ち、なおかつ過半数を取れない場合は、公明党に手を突っ込むか、それか社民と共産を引っぱってくるかのいずれかになるが、公明に手を突っ込む方が簡単だと渡辺氏は指摘する。公明党自身が、自民と民主の勝ったほうにくっつこうと考えているのだから当然のことだ。
民主党は、経済政策についても、自衛隊の海外派遣の恒久法についても党内で議論していない。そもそも代表選をやらなかったのは、やってしまって議論になると衆院選を戦えないので蓋をするしかなかった、民主党政権になれば、福田康夫政権が抱えた以上の問題を抱える、なぜなら、民主党は去年の参院選で、反構造改革、反大国化の旗を掲げて支持された面があるからだと渡辺氏は言う。
アメリカと財界の要求に応じなければならなかった小沢一郎としては、いつかは旗印を変える必要があり、未遂に終わった昨年の大連立構想にはその狙いがあったのだが、民主党が言うことを聞かなかったので、衆院選まで旗印を変えることはできなかった。これも説得力のある論考だ。
さらに、民主党も麻生太郎も唱える、アメリカや財界が嫌うところの「バラマキ」の話に移り、古い自民党利益誘導政治のバラマキと、福祉国家型のバラマキの違いに注意を喚起する。麻生太郎のバラマキは前者だが、道路や箱物では傷んだ地方の農業や漁業は再生できない。渡辺氏は、福祉国家型の政治は可能だと考えている。
渡辺氏は、地域的な経済圏の必要性を主張している。EUが成功したのは、新自由主義改革を行う以前の福祉国家のセーフティーネットが残っているからだというが、これは多くの論者が指摘していることだ。渡辺氏は、東アジアでの経済圏を構築を提唱している。安全保障の問題や外交、民主主義の問題も地域的な統合の中で解決し、そのためには中国や北朝鮮も市場に組み込むしかないと主張する。
論考で渡辺氏が主張するような舵取りは、もちろん麻生太郎にはできない。過去の実績を見ると、小沢一郎にもどこまでできるかは疑わしいと私は思っているが、少なくとも自民党政権ではお話にならない。アメリカや財界の圧力に対抗するのは、日本国民の世論でなければならない。そして、総選挙で昨年の参院選同様、自民党を完膚なきまでに叩きのめして初めて、財界やアメリカの圧力に対抗することができるのではないかと思う。民主党を中心とした連立政権が成立したら、政権首脳たちには、財界やアメリカの圧力と国民の声の板挟みになって、夜も眠れない思いをしていただこうではないか。そもそも、日本に新自由主義改革を求めているアメリカ自体、金融機関への大がかりな公的資金投入などによって、新自由主義政策を急激に改めつつある。そんな時代に、「コイズミカイカクの継承」だとか「日本経済がよくならないのは、カイカクが進んでいないからだ」などと寝言をほざく政治家たちには、即刻退場していただきたいものである。
最後に、11月2日投票が最有力視される総選挙における投票行動についての私の意見だが、まずは自民党を負かすことが第一で、小選挙区では勝てそうな野党候補に投票する、比例区では好きな政党に投票するというパターンが好ましいと思う。但し、民主党の候補が自民党の候補よりネオコン・ネオリベの程度がひどい場合は、この限りではない。また、比例区では野党票をあまりに民主党に集中させない方が良いと思う。社民党か共産党かということになると、社民党は連立政権に加わる可能性がかなり高いが、共産党は野党として左から連立政権を批判する可能性が高いことが判断材料になる。ずるい書き方だが、私は社民・共産両党の党勢拡大を期待している。しかし、実際には共産党がかなり得票を増やし、社民党の党勢はほとんど変わらないのではないかと予想している。保守の方であれば国民新党を選択するという手もあるだろう。とにかく、自民党を政権から引きずりおろしたあとは、民主党のネオコン化・ネオリベ化を防がなければならず、そこまで念頭に置いた投票行動をしたいものだ。
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麻生太郎の勝利は最初からわかりきっていた。魚住昭が著書『野中広務 差別と権力』(講談社、2004年)に書いた麻生の部落差別発言は、当ブログでも2006年6月24日のエントリ「タカ派か極右かの選択」と今年8月5日のエントリ「麻生太郎・自民党新幹事長はどんな人物か」の二度紹介したが、最近も著名なブログ「カトラー:katolerのマーケティング言論」の9月12日のエントリ「麻生太郎の部落差別発言と自民党総裁選レースの行方」で取り上げられている。このブログは、記事のレベルが非常に高くてオススメだ。
当ブログも麻生の問題発言の三度目の紹介をする。2003年9月21日、野中広務は、引退前の最後の自民党総務会で、最後の発言として、次のように述べた。
「総務会長(筆者注:堀内光雄を指す)、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます。
総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
(魚住昭 『野中広務 差別と権力』=講談社、2004年より)
カトラーさんのブログの記事によると、
とのことだ。麻生のこの発言は、後に国会でも取り上げられたが、麻生は「そうした発言はしていない」と否定している。野中は、それに対して、証人をつかんでいることを明言しながら、政治家としての最後の場面に臨み、麻生太郎を目の前にして完膚無きまでに面罵したわけだが、魚住のルポによれば「麻生は、何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった」という。
一昨日早朝のTBSテレビ「時事放談」に出演していた野中広務は、二つばかりの新聞が麻生新総理・総裁誕生の筋書きを書いたと怒っていた。読売新聞と産経新聞を指すのだろう。日経なら、小池百合子をバックアップするはずだからだ。今回もまた、ナベツネが舞台裏で暗躍していたことは想像に難くない。だが、昨年ナベツネらの謀議に加わって福田康夫擁立に動いた加藤紘一は、麻生とは相容れないはずだ。加藤の動きも今後注目される。
再びカトラーさんのブログから引用すると、
とのことで、つまりは与謝野馨の出馬もデキレースの一環だった。逆転の目がないと見たコイケは、与謝野の出馬表明以降は、次の次を見据えた売名に徹していた。当初、小池百合子と麻生の一騎打ちになるとの話もあったが、小池百合子が反麻生の動きの受け皿になることを嫌って、麻生、森喜朗のラインが動き、与謝野馨を今回の総裁選に担ぎ出した。
ただ、ここで一つ確かなことは、自民党の主流は「コイズミ一派だけは党の中枢から外す」という方針を持っていることだ。コイズミ一派がもし国民に支持されているなら、これは不当な扱いといえるかもしれない。しかし、事実はどうかというと、コイケは5人の候補のうちただ一人、地方票をただの1票も獲得することができなかった。コイケに主張の近いカイカク派の石原伸晃も、1票しか獲得できなかった。
今や新自由主義の信者は、東京や大阪に残っているだけだが、東京人は石原慎太郎にはなびいても石原伸晃にはなびかない。いくら子供たちの前でポニョポニョ歌っても功を奏さない。また、大阪人も橋下徹にはなびいてもコイケにはなびかない。東京生まれ、巨人ファンの橋下が、関東アクセントの言葉で「教育委員会はクソだらけ」と言っても阪神ファンだらけの大阪人に支持されるが、コイケが大阪弁を駆使してタイガースの今岡誠の後援会長であるとアピールしても、聴衆の反応は冷淡そのものだった。
つまり、コイズミや石原慎太郎、橋下徹らにあるカリスマ性が、石原伸晃やコイケにはないのだ。逆に言うと、コイズミの再来のような政治家が現れたら、いつまた「郵政総選挙」の悪夢が繰り返されないとも限らない。ただ、石原慎太郎はもう年だし、橋下徹はいくらなんでも全国区では通用しないだろう。
ひとつ、新自由主義のリーダーには、強烈なカリスマ性が求められるという仮説が立てられるかもしれない。国民は新自由主義自体を信奉しているわけではない。カリスマ性を持たないコイケが地方票をただの1票も得られなかったことは、そのことをよく表している。コイケが得た46票は、コイズミの威光によるものに過ぎない。
コイケ自身にもそんなことはわかっているから、「コイズミ父さんが築いたカイカク路線に、コイケ姉さんが、ちょっと優しさを加えて、守っていきます」などと、コイズミを引き合いに出して媚びを売ったが、
http://d.hatena.ne.jp/cypres/20080921/p1
でも的確に指摘されているように、「自分が「優しい」と公言する女に、ほんとうに優しい人間はいない」のである。それは、今年前半の「左のほうの水伝騒動」で、恐るべき排他性を持った一派が、しきりに「愛」を訴えていたことを思い出させるものだ。恐るべきKY女というほかない。
もちろん、偽メール事件でミソをつけた前原誠司にもカリスマ性などはない。今後日本においては、新自由主義は急速にすたれていくことだろう。
昨日、テレビ朝日の政治バラエティ番組「TVタックル」を見ていたら、猿芝居の仕掛人・三宅久之が、「実際の獲得票数ではコイケが2位だった」と強がっていたほか(実際その通りだったが、2位のコイケ以下は麻生太郎にお話にならない大差をつけられていた)、民主党の安住淳が「コイケさんは、民主党の菅(直人)さんがいったことをパクっている」と言っていた。安住は菅直人がコイズミカイカクの継承者だとでも言いたいのかと呆れてしまったが、要は三宅にせよ安住にせよ新自由主義に迎合する発言をするからテレビに出してもらえる。長妻昭のような例外もいるが、それは年金問題に関する長妻の追及があまりにも鮮やかで、出演してもらえば視聴率を稼げるからだ。一方、ネオコンやネオリベの政治家だったら、その長妻昭に恥をかかされた大村秀章のように、無能であってもテレビに出演することができる。
そんなテレビ界なのだが、彼らはもはや時代から取り残されている。テレビを見ながら、地方都市在住の私はそう感じた。かつては東京や大阪が変化を先取りして、それが全国に波及していったが、今回の反新自由主義、反カイカクの波は、地方から都市部へと波及していっている。大新聞もテレビの東京キー局も、地方から押し寄せる反カイカクの大波に圧倒されて、徐々に「カイカク」の旗を下ろしていっているように見えるのである。
さすがに、こんな局面は今までの人生で経験がない。これからの日本も世界も、どんな変化が起きても不思議のない、激動の時代を迎えるのだろう。
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たとえば、ロッキード事件で田中角栄が逮捕された1976年、少年時代の私に、その15年後、1991年の日本を教えても、さほど驚かないと思う。湾岸戦争や、多国籍軍への日本の90億ドル負担、それに小沢一郎が大きく尽力したことなど、苦々しくは思っても、驚きはしないだろう。
しかし、1991年の私に、17年後の今の日本を教えたら、当時の私は腰を抜かすだろう。いや、小選挙区制のおかげで自民党が圧勝した2005年の郵政総選挙のことや、安倍晋太郎の息子にして極右政治家の安倍晋三が総理大臣になって教育基本法を改正した2006年のできごとを教えたら、気が狂うか、日本から逃げ出す計画を立て始めるかのどちらかだったに違いない。それらを知ったあとだったら、小沢一郎が自民党に対抗する民主党の代表に三選されたと教えられても、あきらめに似た感慨しか抱かないかもしれない。
昨日(21日)の民主党臨時党大会での小沢一郎3選は、朝日新聞(大阪本社発行統合版)の一面トップで報じられており、その下に「麻生新総裁 きょう選出」という見出しで、自民党総裁選の記事が出ている。自民党総裁選は、これまでの自民党の悪行が祟ったか、リーマン・ブラザーズ破綻や汚染米事件にかき消され、それに何よりも最初から麻生太郎の総裁選出が決まっているのに、くだらない演出で盛り上げただけだということが明らかになって、マスコミもそれを隠せなくなってきた。昨日のTBSテレビ「サンデーモーニング」では、ドイツ人女性記者が麻生太郎に「あなたがたは本気で総裁選を戦っているのか」と質問して、麻生が苦笑いしながら「Yes, we are」と答える場面を映したあと、金子勝が、「総裁選に立候補している5人は誰も、現在起きていること(アメリカ発の世界金融不安)の重大さがわかっていない」と批判していた。
その麻生太郎新総裁率いる自民党だが、最大の問題点は「コイズミカイカク」を総括できていないことだ。だから、いかに麻生が財政出動の政策を打ち出そうとも、行き先が大企業などになるので、全然効果が期待できないのだ。いくらハコモノや道路を作ったって、東京に本社のあるゼネコンにカネが流れるだけだ。地方はさして潤わない。それでも、財政再建論(=再分配を抑えることを明言)を唱える与謝野馨や、企業減税と社会保障削減を目玉とするコイズミカイカク路線の継承者たちよりはマシだろうと、地方票は圧倒的に麻生太郎に流れたし(昨日開票分では小池百合子は0票)、勝ち馬に乗りたい国会議員たちは、一昨年の安倍晋三、昨年の福田康夫に続いて、今回は麻生太郎支持へと雪崩を打つ。自民党の国会議員たちには政治的信念もへったくれもないことがよくわかるだろう。
で、小沢一郎の政策だが、実行手順を3段階で示すと言っている。(1)来年度予算で直ちに実施、(2)次期通常国会で関連法案を成立させ、2年以内に実行、(3)4年後までに段階的に実行、の3段階だ。
以前から福祉国家志向の政策として、左派からは評価の高い(自民党からは「バラマキ」と批判されている)農林漁業への所得保障制度は、やはりすぐには難しいようで、(3)の4年後までに実施のカテゴリに入る(1年後に実施を始め、4年後に制度を完成させるそうだ)。月2万6千円の子育て手当て支給や高速道路の無料化などは、初年度から実施の方針だ。
小沢一郎の演説で受けたのは、「自民党総裁は政権を投げ出すことができても、国民は生活を投げ出すことができない」というくだりだ。もっとも、ほかならぬ小沢一郎が参画していた細川護熙政権も、細川首相が政権を投げ出して、後継の羽田内閣はあっという間に潰れて、自社さ連立の村山内閣が発足するなど、混乱が生じたわけだから、二度と同じ失敗を繰り返さないでほしい。自民党は二度同じ失敗を繰り返したわけだからなおさらだ。2勝2敗の五分、などというわけのわからない事態になったら、国民は政治に絶望し、日本の社会は今以上に荒れ果てるだろう。
あと、小沢一郎は所信表明演説で、格差拡大を止めたいとして、囲碁用語を引きながら、「今の日本の状況は大場より急場、当面の急場を救うことを優先すべきだ」と言った。その主張は正しい。今の日本の政治が保守二大政党制であるにせよ、岸信介や福田赳夫の流れを汲む今の自民党よりは、田中角栄直系の小沢一郎が率いる民主党の方がマシには決まっている。ただ、かつての自民党では田中派のすぐ左に大平派があり、そのさらに左には、現在なら自民党に入れてもらえそうにもない三木派がいた。田中派は、かつての自民党では中道的な、つまりもっとも自民党的な派閥だった(福田赳夫や中曽根康弘は右翼とみなされていた)。
何が言いたいかというと、そんな小沢一郎に、法人税減税や所得税の累進性緩和を元に戻すことができるかどうかである。かつての姿に戻すだけだから、理屈の上ではできるはずなのだが、日本では経団連の政治への圧力が異様に強い。それに、保守政治家である小沢一郎がどこまで対抗できるかということだ。これらができない限り、財源はどうしても不足し、消費税率引き上げの議論が必ず浮上するのだ。
私自身は、最終的には高負担高福祉社会を目指すべきだと考えているから、たとえば2020年などの段階で消費税率を引き上げる(但し生活必需品については税率を据え置く)などの必要が生じると思うが、そのためには前段階として格差や貧困の問題を解決しなければならない。現在が「急場」であるという小沢一郎の認識は正しく、現時点あるいは2,3年後に消費税率を引き上げたりしたら、国民生活、ひいては日本経済は壊滅的な打撃を受け、日本は後進国に逆戻りしてしまう。小沢一郎の言を借りれば、日本は既に主要国で下から4番目の「格差大国」なのだ。この問題を解決するためには、民主党は勇気を奮って財界と対峙しなければならないのである。
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だが、上記の「はてブ」についたコメントをご覧いただけばわかるように、記事に対して批判的な反応が多数を占めた。「ゆとり教育」を批判した当ブログ昨年9月27日付エントリ「福田内閣支持率50%超に見る日本人の知性の劣化」や「kojitakenの日記」に書いた「[予告]夏休み明けには「毎日新聞叩き」に反対するキャンペーンを開始します」にも、多数の批判コメントをいただいた経験があるが、これらはいずれも意図的に読者を挑発したエントリだった。しかし、昨日のエントリは、ブログにいただいたコメントおよびその方のブログの紹介をしたもので、週末でもあり、普段よりアクセス数は少なくなるだろうと予想して書いた。だから、まさかこれに多数の批判的コメントを伴った「はてブ」をいただくとは思わなかった。批判コメントを寄せられた方の多くは大阪府民だと思うが、大阪ではまだまだ新自由主義が全盛で、多くの橋下信者がいることを思い知った。石原慎太郎を知事に戴く東京帝国と双頭の鷲ならぬタカともいうべき大阪帝国の臣民を結束させるエントリだったかもしれない。ハイル・ハシモト!(笑)
そこで、今日はここ最近ブログ定休日にしている日曜日なのだが、ネオリベ帝国・大阪にちなんだエントリを上げることにした。といっても、現代の大阪ではなく、江戸時代の「堂島米会所」の話である。
堂島というと、昔、毎日新聞大阪本社があったところで、その跡地に建つビルに「ジュンク堂書店」という神戸発祥の本屋さんがある。私が大阪に用がある時には決まってこの本屋に立ち寄る。
その堂島に、「堂島米会所」が開設されたのは、享保15年(1730年)のこと。当時の大坂(大阪の旧表記)は経済で栄えた町だった。この堂島米会所では、
とされている。敷銀という証拠金を積むだけで、差金決済による先物取引が可能であり、現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、世界初の整備された先物取引市場であった。(Wikipediaより)
本山美彦著『金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス』(岩波新書、2008年)からの孫引きだが、ノーベル経済学賞受賞者の故マートン・ミラー (1923?2000)は、NHKテレビで放送された「マネー革命」という番組(1999年)の取材に答えて、
などと言っていた。「先物市場は日本で発明されたのです。米の先物市場が大坂の真ん中の島で始まりました。それは現代的な取引制度をもった最初の先物市場でした。それはあまりにも成功しすぎてしまったので、(明治)政府につぶされてしまって、今日では存在していません。そして、同じようなものは生まれませんでした」
「世界最初の先物市場が政府につぶされてしまいました。最終的にはさすがの大蔵省も先物やオプションの取引を許可しましたが、それは私たちがうるさく文句をいったから、仕方なく引っ張られたのです」
「(日本の先物市場は)残念ながら不毛の土地に落ちた種に似て、まったく発展しなかったのです。規制さえなければ、日本はこの分野の先駆者になれたかもしれません」
(以上、NHKテレビ「マネー革命」(1999年)より?本山美彦『金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス』(岩波新書、2008年) 101-102頁による)
ノーベル賞学者のお墨付きをいただいたせいか、この堂島米会所をもって、「大坂には先見の明があったのに、明治政府につぶされた」という言い方をする人は多い。特に新自由主義者がそう言いたがる。
しかし、本山氏によると、事実は全く異なる。酒井良清・鹿野嘉昭著『金融システム(改訂版)』(有斐閣アルマ、2000年)を参照しながら、こう批判している。
堂島米会所の歴史を正しく認識していれば、民間の力の拡大を恐れた明治政府が会所を廃止したという馬鹿げた議論などはとてもできなかったであろう。
堂島米会所が明治政府によって廃止されたのは、マートン・ミラーの言うように、市場の力を新政府が恐れたからではなかった。堂島米会所は自壊したのである。この会所は、極端な投機に走り、民衆の最重要の生活物資である米の価格が暴騰し過ぎ、経済社会混乱の元凶となっていた。没落過程にあった旧幕府権力がこの会所を利用して投機に走っていたのである。
幕末の幕府、諸藩の財政窮乏化が、会所崩壊の原因であった。この会所を利用して、担保となる米がないにもかかわらず、諸藩は過米切手、空米切手と呼ばれる融通手形を過剰に発行していた。これが全国に出回り、経済は大混乱に陥ってしまったのである。米価格は大暴騰し、会所はもはや先物市場も価格付け機能も喪失していた。幕末の金融システムを破壊したものこそ、先物取引の堂島会所だったのである。(酒井・鹿野[2000])
明治政府は、堂島周辺に集まっていた諸藩の大名蔵屋敷を没収した。当時の堂島は大名を最大の顧客にしていた。大名の没落が会所を没落させたのである。それは、歴史の当然の成り行きであった。けっして繁栄する民衆の力を弾圧するために、明治政府が会所を廃止したのではなかった。
(本山美彦『金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス』(岩波新書、2008年) 102-103頁)
大坂には、確かに世界に先駆けて先物取引市場があった。あるいは大阪人は新自由主義のDNAを持っているのかもしれない(笑)。しかし、「庶民の町」という大坂(大阪)のイメージとは裏腹に、堂島米会所は幕府や大名と癒着していたのである。そういえば、阪神タイガースのシニア・ディレクター星野仙一も、ライバル球団の親会社・読売新聞のボスにして保守政治のフィクサー・ナベツネと癒着している(笑)。
冗談はともかく、「金融工学」なんてものが存在しなかった江戸時代にも、現在と同じようなことが行われていたわけで、人類の進歩なんてたかが知れているんだなと思わせる。それとともに、明治維新というのはやはり革命だったんだなあ、とも思う。
そして、今の日本は幕末に似ているとつくづく感じる今日この頃なのである。
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ブログの運営者のjinさんから、当ブログが昨年末に橋下徹を批判した記事 「大阪府民は「極右ポピュリスト」橋下徹を打倒せよ」 に、下記のコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-525.html#comment4032
(前略)私は大阪の府立学校で働く非正規職員です。賃金は月9万円程度。もちろんダブルワークやトリプルワークも多く、全員で346名が働いています。中には母子家庭で病気の両親を看病しながら、この9万円が命綱になっている家庭もあります。
この5月の大阪維新プログラム案で私たちを来年度より制度廃止し、4月度より解雇となります。それも一方的に財政困難を理由に・・・。たった年間5億円を削るために・・・。マスコミはほとんどこのことを取り上げてくれません。
政治とは弱いものに味方するものではなく、弱いものをつぶして行くのが橋下知事の政治でしょうか?明日府議会がスタートします。府庁にて私たちは記者会見をします。でも取り上げてはくれないでしょう。
みんなもう、あきらめるのでしょうか?
命と暮らしを切り裂くこのような行為は許せません。いま非正規職員の待遇改善が世間でも問題になって話題になっています。雇用を促進しなければならない行政が、一度に346名もクビを切るのです。
2008.09.18 22:14 URL | jin
私は、大阪において橋下徹が持ち上げられ、それが個人崇拝の域にまで達していることに対して、非常に強い怒りを持っている。
石原慎太郎の東京と並んで、いまや大阪は日本における新自由主義の二大牙城となっている。
特に許せないのは、教育への介入で、同じように教育にくちばしを挟むのが好きな石原慎太郎をさらに過激にしたような妄言を日々振りまいている。
大阪在住の「反戦な家づくり」の明月さんもいたくお怒りだし、大阪府の教育委員を退任するシンクロナイズド・スイミング指導者の井村雅代氏(58)と元毎日新聞大阪本社代表の木戸湊(あつむ)氏(69)も、「感覚がマヒしている」、「独裁者」などと、橋下を強く批判した(下記URLの読売新聞記事を参照)。
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/h_osaka/ho80919b.htm
読売の記事にある、元毎日新聞の木戸氏が、
のは当を得ているどころではなく、教育予算削減のしわ寄せが、当エントリ冒頭でご紹介したjinさんたち、府立高校で働く非正規職員の皆さんを直撃しているのである。「予算を日本一にしないと、アドバルーンを揚げても絵に描いたモチになる」と、教育予算を削ったことを皮肉った。 (前記読売新聞の記事より)
jinさんのコメントの末尾をもう一度繰り返すと、
のだ。とんでもない話である。そして、橋下のような人間を嬉々として支持しているのが、新自由主義に身も心も捧げている大阪府民たちなのだ。東京についてもいえるが、同じ日本とは思えないくらいである。雇用を促進しなければならない行政が、一度に346名もクビを切る
jinさんのブログによると、今日20日にも、非正規職員有志の会の集会が開催されるそうだ。
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大津留さんによると、当ブログ9月13日付エントリ「猿芝居・自民党総裁選のコマーシャルを垂れ流したNHK」を読んで、内野光子さんのブログのエントリ「やっぱりおかしい、NHK7時のニュース」を知った大津留さんが、「自民党のCMを流すことに抗議しNHK受信料の支払拒否を!」と題したエントリを上げ、それを読まれたNHKテレビ元ディレクターの志村建世さんが、ご自身のブログのエントリ「NHKニュースの公正を疑う」で明らかにされたように、NHK経営委員会に抗議をされた。また、大津留さんも「NHKに以下の内容のメールを2通送りました。」で明らかにされたように、NHKに抗議のメールを送られた。その結果、NHKが内野さんに謝罪する運びになったとのことだ。
以上は、大津留さんのブログに書かれた流れだが、私が前述の9月13日付エントリを上げるまでにも情報の流れがあった。NHKの夕方7時のニュースを見る習慣を持たない私は、この日のNHKニュースの放送内容について、多数のブログ記事によって知った。それで、9月12日のエントリ「新自由主義は安全をも犠牲にして利潤追求を奨励する」でNHKニュースの偏向について取り上げたところ、はぐれ雲さんから、下記のコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-733.html#comment3987
10日のNHKニュースについては、
http://www.a-ok.ne.jp/~haguregumo/article/nhk_news.htm
の記事に書いた通り、転載元の内野光子さんのブログのエントリーを、できるだけ多くの人と共有したいと思います。
2008.09.12 09:58 URL | はぐれ雲
このコメントで知ったはぐれ雲さんのブログ記事「080910 NHK-News を忘れない」を読み、この記事からリンクを張られた「内野光子のブログ」の記事(前述)を知った次第だ。
つまり、NHKが内野光子さんに謝罪するに至った経緯には、いくつものブログによる情報の連鎖があり、志村建世さんや大津留公彦さんがNHKに直接の働きかけをされたということだ。個々のブログのアクセス数は数百件か、せいぜい数千件でも、それらがつながっていくと組織を動かすことも可能だという見本だろう。ものぐさな私は、ブログに記事を書いただけで、NHKに働きかけたりはしなかったが、こういう腰の重さは改めなければならないかもしれない。
ニュース番組は、リーマン・ショックや汚染米問題、それに自民党がもっとも嫌う年金問題がまたも浮上してこれらのニュースに埋め尽くされ、さしものNHKも朝のニュースでは自民党総裁選を全く報じていない。リンクを張った日経の記事にもあるように、参院厚生労働委員会は年金改ざん問題について閉会中審査を開いているが、自民党はなりふり構わず臨時国会冒頭解散をもくろんでいて、衆議院選挙は10月14日公示、26日投票の見通しのようだ。
当ブログに最近、傲慢な自民党支持者からご指導の非公開コメントをよくいただく。たいていはリモホ 61-208-140-173.ica.george24.com からの投稿で、時々は間違ってなのか意図的なのか、コメントを公開されることもある。HNは毎回変えてこられるのだが、同一人物が書いていることはあまりにも明らかだ。たぶん学生さんではないかとも思うが、確かなことはわからない。9月17日付エントリには、公開でありがたいコメントをいただいたので、以下にさらしておく。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-737.html#comment4024
>総選挙なんかは、麻生内閣の化けの
>皮が剥がれてから、来年初めかそれ以降に
>やれば良い。
>総選挙なんかは、麻生内閣の化けの
>皮が剥がれてから、来年初めかそれ以降に
>やれば良い。
解散権というものを根本的に理解してない(笑)。麻生にあなた程度の知能があれば、「化けの皮」が剥がれる前に解散ですよ。まあでも制度論としては、4年間まったく自由に解散が打てるというのは結構問題もありますよね。ドイツの例もあるし。
問題は野党が再議決をけん制して、昨年来常に解散を求め続けたことであって、これはほとんど自殺行為です(応じて再議決を封印した与党もだが)。で、今になって先延ばししたいというのが本音のようですが、残念。冒頭解散の流れは変わりません。
もう少し本音を隠して書く練習が必要。
さんざん政府与党を批判して、突如与野党一致して対応、もないでしょう(笑)。金融危機への対応って何をすべきなんですか?具体的に書きましょう。あんまり政局ネタは書かない方がいいのではないでしょうか。
本質はやっぱり国会のねじれをどうするかです。総選挙の議席次第でますますそれが表面化するでしょ?そういうことを議論しない政治家マスコミも酷いが、ブログでは率先して論じなさいよ。「真の変革」とか「日本が持つか」とかバカな言葉遊びしてる場合じゃないんです。文字通り憲政の基本なんですから。総選挙後ににわか勉強しても馬脚出すだけです。
2008.09.18 05:24 URL | 蒲田 #mQop/nM
「解散権」については、ブログ内検索をしていただければ4件(当エントリが公開されたら5件)が引っかかるから、それらを参照いただきたいし、中には昨年(2007年)9月30日の時点で、
と、自民党のもくろみをすばり予見したエントリもある。但し、福田首相の辞任までは予見できていないが(笑)。私が福田康夫だったら、できるだけ引き延ばしながらも、解散権という伝家の宝刀の威力が落ちない頃合いを見はからって、自民党の都合の良い時期に解散しようとすると思う。その時期は、ずばり来年秋頃だろう。もちろん、民主党など野党にしても、反自民党の言論にしても、福田首相に早期解散を求めることになるが、そうは問屋が卸さないと思っておいたほうが良い。
「もう少し本音を隠して書く練習が必要」とはありがたいご指導だが、おあいにくさま、わざと本音が透けて見えるような意地の悪い書き方をするのが、当ブログ管理人の表現方法なのだ(笑)。だから本音を読者にご理解いただくヒントを、文章のあちこちに散りばめており、そんな私の意図を推測してニヤニヤ笑いながら読むのが当ブログの正しい読み方なのである。その皮肉が、自民党支持者の神経に障るのは十分理解しているが、こちらはわざとやっている。そもそも、「本質はやっぱり国会のねじれをどうするかです」という主張は、蒲田氏(今回限りのHN。前回の鍵コメでは確か「かんべ」だったし、そもそも毎回違う)が自民党支持者である本音を露呈しているものであって、「ねじれ国会」は自民党にとって都合が悪いだけなのである。国民にとっては、むしろ利益の方が多い。強引な国会運営で、新自由主義法案や軍事大国化法案が次々と議会を通っていく横暴が阻止されるからだ。
その他、「真の変革」(というか「真正CHANGE」)なる表現については、当ブログをずっとお読みいただければわかるが、むしろ批判的な態度をとっている。当ブログは、最終的には高負担高福祉の社民主義の福祉国家を目指すべし、というスタンスだが、「真正CHANGE」の主張には、無駄を省くことしか述べられておらず、それ以降の国家のあり方のビジョンが示されていないからである。
まあ何よりも、たぶん学生さんなんだろうから時間はあり余っているはずで、たかだか2000人か、多い日でも3000人くらいしか訪れないブログの運営者に鍵コメで文句垂れるんじゃなくて、自らブログを開設して堂々と自説を開陳されてはどうかと思うのだが、いかがだろうか。当エントリの前半で書いたようなブログ間の情報の流れも可能にすることができるし、自民党の再建や、すっかり斜陽になった新自由主義言論の復活にも貢献できるかもしれないよ。是非オススメする(笑)。
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1990年代の前半には、「政治改革」の議論があった。その頃、日本経済はバブルが崩壊して変調をきたし始めていた。バブルが弾けたのが明確になったのが、1992年だった。政局的に見れば、92?93年の政治改革は、旧田中派内部の抗争という側面があったと思うが、政治思想的には新自由主義が台頭していった。
日本の社会が新自由主義の洗礼を受ける経緯は、3年毎に象徴的なイベントがあって、そのたびに深みへとはまっていった。バブル崩壊が顕在化した1992年の3年後、1995年には日経連(現在は経団連に統合)が「新時代の『日本的経営』?挑戦すべき方向とその具体策」という悪名高い報告書を出した。原報告書はインターネット上では参照できないようだが、財界は、労働者を、「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」という3つのグループに分け、労働力の「弾力化」「流動化」を進め、総人件費を節約し、「低コスト」化しようとした。実際、その2年後には企業に派遣社員が急増するようになった。
経済の収縮期に財政再建政策をとったのが橋本龍太郎内閣(1996?98年)であり、1997年4月からの消費税率引き上げは、同年7月に始まったアジア通貨危機と相俟って日本の景気を急に悪化させたが、業績の悪化に苦しむ企業は、過酷なリストラを開始した。もともと再構築を意味するrestructuringという言葉が「首切り」の意味に使われるようになったのはこの頃だ。首切りのほか、成果主義の賃金制度を導入する大企業が増えたが、これも人件費の抑制を真の狙いとしていたから、弊害の方が目立った。社員が成果主義で悪い査定を食うのを恐れて、リスクをとらなくなっていった。こうして企業社会に新自由主義の嵐が吹き荒れるようになった1998年は、自殺者が急増した年、民間給与所得の9年連続減少が始まった年として記憶される。失政を招いた橋本内閣は、自民党有利と予想されたこの年の参院選で惨敗して退陣したが、攻勢に出るべき野党が攻めを誤った。菅直人の民主党は自民党を攻め切れず、一方、小渕恵三首相は98年11月に小沢一郎の自由党と連立政権樹立で合意した。小渕内閣は、99年に数々の悪法を成立させ、日本の右傾化に大きく舵を切った。経済政策では、アメリカの意を受けて大型の財政出動を行った。その間、ITバブルが生じて日経平均株価は一時2万円を超えたが、森内閣時代の2000年春頃にバブルは弾け、以後株価は2003年まで下降局面となった。
次の転機は2001年のコイズミ内閣成立であり、さらなる転機は、今度は3年後ではなく4年後、2005年の郵政解散・総選挙だった。コイズミ以降については本エントリには詳しくは書かない。ただ、90年代後半に新自由主義の嵐が吹き荒れた頃の企業社会を覚えている者にとっては、小渕は財政出動で借金を膨れ上がらせたけれども効果がなかった、コイズミ時代に竹中平蔵が小さな政府と金融政策を組み合わせる新自由主義の政策をとって景気は回復したのだという、よく言われる宣伝が大嘘であることは自明である。あの頃の企業業績の回復は、90年代末頃からの企業の、それこそ激しい「痛みを伴う」再構築(リストラ)によってなされたものだ。しかも、その成果は従業員には還元されなかったことは、前記の9年連続の民間給与所得減少から明らかである。「実感なき景気拡大」と言われるのも当然で、日本の中産階級は没落し、格差は拡大して貧困に直面する人が急増した。
今回のアメリカ発金融危機は、97年のアジア通貨危機や98年のロシア財政危機を受けたヘッジファンド・LTCM(ロングタームキャピタルマネジメント)の破綻を思い出させるもので、実体経済の裏づけのない投機資金が一国の経済を破壊し、回りまわってマネーゲームを仕掛けた側まで破滅させるという馬鹿げた金融資本主義の時代がいつまで続くのだろうかと思う。今回、ついにアメリカ経済を本格的に痛めつけることによって、ついにこの悪魔の時代が終わるのかもしれないが、この嵐が過ぎ去るまでに、いったいいかなる混乱が待ち構えているか、もちろん私自身もそれにいつ巻き込まれてブログなどを更新していられなくなるかも分からないのだが、全く先が見えず気が滅入る今日この頃なのである。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080916AT2M1603Z16092008.html
この指標は、確か一時7000を超えていたのではなかったか。日本でも、1964年の東京五輪が終わったあと不況に見舞われたが、中国経済もこの後どうなるかわからない。欧州も、このところの急激なユーロ安に見られるように、おかしくなってきた。
今後、世界経済が迷走し、その行方を正確に予想できる者など誰もいないのではないかと思えるほどだが、それでも、政治は情勢の変化に果断に対応していかなければならないのは当然だ。人気取りだけのために、自民党総裁選なる猿芝居を繰り広げるノーテンキな人たちには、もはや政権担当能力などないのではないかと思えてならない。
さすがに、テレビニュースで自民党総裁選の話題はほとんど出なくなった。マスコミがいかに恥知らずだと言っても、リーマンの破綻や汚染米問題をさしおいて自民党の宣伝に努めるほどにはいかないようだ。そんな中、コイズミは「これは一つの戦争だ」などと小池百合子を激励したと報じられているが、完全に世の中の流れから浮き上がっている。
一方で、国民不在の人気取りが不発に終わり、批判を招いている自民党には、早期解散戦略を見直す可能性が出てきたと朝日新聞は報じている。
http://www.asahi.com/politics/update/0917/TKY200809160313.html
上記asahi.comの記事末尾には、
などと書かれているが、自民党には早期解散・総選挙の戦略を見直したいという意見が増えてきたようだ。与謝野馨は地方遊説も欠席するというが、政治家として当然の態度だろう。「増税派」の与謝野の政策には賛成できないが、5人の候補者のうち辛うじて政治家らしさを感じさせるのはこの与謝野だけだ。組織票をフル稼働させる公明党・創価学会はすでに「11月9日投開票」を軸に準備を進め、投開票日が11月後半以降にずれ込む大幅な日程変更は難しい状況だ。
コイケおよび石原は、民主党との大連立に前向きとも一部で報じられているが、いまどき過激な新自由主義勢力と、一昨年から「国民の生活が第一」を看板に掲げて、少なくとも表向きは新自由主義と対決姿勢をとってきた民主党との連立などあり得ないだろう。昨年の大連立構想は、「脱カイカク」指向の福田康夫が相手だったから小沢一郎がぐらついたのだ。お花畑のコイケや石原には、いっそ政界を退いてほしいとさえ思う。
一方の民主党も、目には目を、なのかもしれないが、国民新党との合併話とか、小沢一郎代表自身が「刺客」となる構想など、政局の話題を次々と提供してくる。前者は、自民党が広島6区に候補者を立てない方針だとか、先日には「改革クラブ」が立ち上がる(政党の要件は満たさなかったが)などの自民党や平沼一派からの工作に対抗して、逆に自民党や平沼一派に対して攻勢をかける狙いだろうし、後者はいわずとしれた公明党への揺さぶりだろう。こういったやり方は、良くも悪くも小沢一郎らしいところで、鳩山由紀夫や菅直人ではこんな駆け引きはなかなかできないのではないかと思わせる。
当ブログとしては、どうせ総選挙は来年の9月までにはやらなければならないのだから、慌てて11月9日なんかにやる必要は全然ないと思う。少なくとも現時点では、政治空白を最小限にとどめることが必要なのではないか。総選挙なんかは、麻生内閣の化けの皮が剥がれてから、来年初めかそれ以降にやれば良い。もちろん、麻生太郎がこれまでの一生を反省して、国民の生活を第一に考える政治家に変身して善政を敷くなら、自民党が勝つかもしれないが、そんな可能性は万に一つもないだろう。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20080915-OYT1T00336.htm?from=main1
第4位の証券会社の破綻と聞いて、われわれ日本人が直ちに思い出すのは、山一證券の破綻(1997年)だろう。ただ、今回のアメリカでは業界第3位のメリルリンチも米銀行2位のバンク・オブ・アメリカ(バンカメ)に合併された。リーマンの買収を検討していたバンカメが、メリルリンチの買収に方向転換するなどしたため、リーマンには買い手がつかず、法的整理に追い込まれたわけで、その点でも山一を連想させるが、事態は今回のアメリカの方がより深刻かもしれない。業界5位のベア・スターンズもすでに買収された。サブプライム問題の影響は、やはり生半可なものではなかった。
そもそも、金融業が栄えて製造業が没落するのが新自由主義の特徴だった。リーマン・ブラザーズは、日本でも、ホリエモン(堀江貴文)のニッポン放送株買収騒動に絡んで暗躍したことで「ハゲタカ」の代名詞の一つとなっていた。そのリーマンの経営破綻は、全世界的に新自由主義の時代の終わりを予告する弔鐘の音のように、私には聞こえる。
そして、自民党政権(自公政権)がこれまで、アメリカべったりの政策を行ってきたつけを今後日本は払わされるだろう。日本政府の外貨準備高の大半が米国債であり、アメリカ経済の混迷は日本経済を直撃する。あまりにアメリカにのみ隷従するのがハイリスクの行動であることはだいぶ前から指摘されていたが、日本政府は姿勢を改めなかった。
今後の日本経済や世界経済がどうなるかなど私には見当もつかないが、昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日があるとは期待してはならない時代に突入していることだけは間違いない。ホリエモンのニッポン放送株取得騒ぎの頃、好き勝手に振る舞っていたように見えたリーマンが、もう破綻している。リーマンの破綻など自業自得といえばそれまでだが、ここに至るまでに、金融権力の嵐は、数え切れないくらいの多くの生活を破壊してきたはずだ。新自由主義の時代が終わるまでには、さらに無数の人たちが嵐の犠牲になる予感がする。
それにしても、国内では汚染米問題、海外では金正日の重病説やリーマン・ブラザーズの破綻など、日本で政治空白が続いているうちに大きな事件が次々と起こる。こうなっては、テレビニュースの報道のトップで自民党総裁選がトップで扱われることは、投開票が行われる22日までないのだから、自民党は日程を繰り上げて、過半数を確保したとされている麻生太郎を早いところ総裁に選んでしまうべきではないか。
そもそも、福田康夫が何を考えたか勝手に突如政権を投げ出したこと自体が問題で、それを受けた総裁選など、自民党の都合で勝手にやっているものだ。しかも、13日のエントリで示したように、その見え透いたシナリオは、三宅久之が冗談半分で解説していた通りのものである。国民無視もはなはだしい。
総裁選のバカ騒ぎを直ちに止めて、山積する内外の難題に取り組む姿勢を少しでも見せれば、自民党の株も多少は上がろうというものだろう(笑)。猿芝居は、直ちに止めるべきだ。
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http://www.asahi.com/national/update/0914/OSK200809140075.html
やはり業者と農水省の癒着か。さもありなん、と思わされるところが長年にわたる政官業癒着のニュースに慣れ切った悲しさだ。
昨日朝のTBSテレビ「サンデーモーニング」は、冒頭の約15分こそ自民党の猿芝居を扱っていたが、そのすぐあとに汚染米事件を取り上げ、「コイズミカイカク」がこの事件の遠因となったのではないかとの見方を示した。カイカクの目玉の一つだった2004年の食糧法改正によって規制緩和が行われ、(悪徳)業者は参入しやすくなり、検査は手抜きされるようになった。その結果、汚染米事件が起きた。これぞコイズミカイカクの成果だろう。
2005年に起きた耐震強度偽装事件も、今では「姉歯秀次個人の犯罪」などという妄言がまかり通っているが、事件の本質は1998年の建築基準法改正による規制緩和と、国交省の官僚による耐震偽装隠しだった。藤田東吾が『月に響く笛 耐震偽装』(imairu, 2006年、「完全版」として講談社, 2007年)で指摘している通りである。藤田氏に「耐震偽装事件隠蔽」にかかわったとして指弾された、当時の国交省住宅局長の山本繁太郎は、今年4月の衆議院山口2区補選に立候補し、後期高齢者医療制度の開始の余波を受けて落選した。開票開始と同時にマスコミが平岡秀夫氏(民主)の当選を伝えるという、山本の惨敗ぶりだった。
今回の汚染米事件も、その構造は耐震強度偽装事件と同じだ。しかも、耐震偽装事件の場合は遠因となった建築基準法改正は1998年で、コイズミ以前だったが、食糧法改正は2004年、コイズミ政権時代に行われたことなのだ。やはり、きたる総選挙は、耐震偽装や汚染米横流しなどが横行する原因となった新自由主義政策への審判をその争点にしなければならない。
「コイズミカイカク」の後継者を自認する小池百合子の場合は、主張は明確だ。耐震強度偽装事件を受けて2006年に改正された建築基準法を批判し、汚染米事件を受けて、前述のTBS「サンデーモーニング」などに見られる規制緩和批判を逆批判していた(昨日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」)。「コイズミカイカク」と「規制緩和」しか口にしない新自由主義者のコイケを、毎日新聞特別編集委員の岸井成格は持ち上げていたが、田原総一朗ともども、腐り切ったコイズミ応援団の代表格・岸井も相変わらずだなあと呆れた。恐らく、田原や岸井にとってもっとも望ましい総選挙の結果は、自民党と民主党がともに過半数に届かず、選挙結果を受けて政界再編成が起こり、新自由主義勢力を軸にした政変によってコイケあたりが総理大臣になることだろう。昨日本屋で立ち読みした「リベラルタイム」という雑誌にも、そのようなシミュレーション記事が出ていて、うんざりさせられた。コイズミが、麻生太郎圧勝と見られる自民党総裁選において、あえてコイケ支持を表明したのも、選挙後の政変をにらんでのことと思われる。だから、次の総選挙は「伯仲」ではダメで、自民党を惨敗させる必要があるのだ。田原や岸井は、この小選挙区制において、なんとか与野党伯仲の選挙結果に導こうと画策しているようにさえ見えて、実に不愉快だ。
唯一の救いは、今回は「自民党総裁選報道批判」がマスコミ報道にも見られることで、朝日新聞2面の「時時刻刻」でも、「総裁選 メディア自戒」との見出しで、大きく特集記事が出ている。いまさら何を、という気もしなくはないが、郵政解散・総選挙の悪夢の再来だけは避けられそうだ。
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コメント欄で教えていただいたはぐれ雲さんは、ご自身のブログにこう書いておられる。
メディアの最大の関心事が視聴率や販売部数であるとしても、利潤追求の為の組織ではない NHK ならば、事情はいささか違って抑制的ではあるまいか。と思って見た昨日のニュースは、みのもんたも古舘も田原も真っ青になる位、最悪だったとしかいいようがない。いや最悪なのはこの報道の不公正さについて抗議の電話をかけた視聴者への、全く顧客を舐め切ったとしか考えられない「対応の責任者」の態度である。事情は次行から。一部を引用しておく。
dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2008/09/post-664e.html
以下、「内野光子のブログ」からの引用が続くが、ここに記されているブログ主の内野光子さんとNHKコールセンターとのやりとりは驚くべきものだ。以下引用する(質問者の内野さんと回答者のNHK職員を示す表記を変更した)。
― 総裁選のニュースをあれほどまでに、長く丁寧に流す目的は何ですか。
NHK 「はいはいはい、そんなことはっきりしてますよ、そんなことも分からないですか。わははは・・・。自民党のコマーシャルですよ」
(ここで、これって、NHKのひと?耳を疑ったのだが、)
― はいはいはい、は止めてください。なぜNHKがコマーシャルをするのか。
NHK 「必要だからですよ。必要だから」
― なぜ必要なのか。
NHK 「国民の関心が高いから。これはNHKの世論調査でもはっきりしてます。それに」
― 世論調査の人気や関心だけで、番組が決まるのか。NHKの公共放送としての見識はないのか。
NHK 「人気でなく、関心ですよ。お客さん間違っては困る。わははは・・・」
― 笑いごとではない。
NHK 「世の中明るくいきましょう」
― ふざけないでください。ほかに理由はあるのか。
NHK 「総裁は、国会で首相に決まります。だれが首相になるか、国際的関心も高いですよ」
― 国民にとって重大な別のニュースを犠牲にまでして、時間をとってやらなければならないことではない。
NHK 「お客さんの意見でしょ。それは。意見は全部ドキュメントとして、上は会長から担当者まで読めるようになってますから」
― 視聴者の意見はどう反映されるのか。
NHK 「放送で応えてますからね。番組を見てください」
― 24時間見ているわけにはいかないでしょう。どういう意見があって、どう応えるのかを伝える番組があってもいいではないか。
NHK 「そりゃそうだ、24時間見てたら死んでしまいますな。ほかに質問あるの?」
(「内野光子のブログ」より転載)
視聴者を馬鹿にしたNHK職員の対応も大問題だが、何より問題なのは、NHKの職員自らが、10日夜7時のNHKニュースが「自民党のコマーシャルだ」と認めたことだろう。もはやNHKはジャーナリズムであるとは言えまい。
9月10日に発売された右派月刊誌「Voice」の10月号に、テレビの右派電波芸者の一人である三宅久之と、やはり右翼文化人の上坂冬子の対談「解散・総選挙は秋にある?」が掲載されているが、その中にこんなやりとりがある。
三宅 私はね、自民党が生き残る唯一の方法があると思っているんですよ。
上坂 ホゥ、耳よりな話!
三宅 それは福田さんが辞めることです。そして、きちんとした総裁選挙をやる。麻生太郎さんが出る。谷垣禎一さんも出馬する。与謝野馨さんも出たいなら出ればいい。ただ年寄りばかりでは絵になりませんから、小池百合子さんも出ればいいし、野田聖子さんでもいい。あるいは若手でたとえば後藤田正純さんでもいい。誰でもいいから、多少彩りも入れて、そして全国で選挙遊説を行うのです。
いまは大衆情報化社会、平たくいえばテレビのワイドショーの時代です。これが取り上げるか、取り上げないかによって、すべてが決まる。民主党が代表選挙をやらないなら、それは自民党にとっても好都合です。対抗馬なく小沢さんの三選が決まれば、それは一日限りの一過性のニュースで終わってしまう。一方、自民党は総裁選挙をやって、北海道から沖縄まで二十日間くらいずっと街頭演説をやれば、テレビのワイドショーは毎日追いかけます。そして選挙が終わった直後に解散・総選挙をする。それでも勝てるかどうかはわかりませんが。
上坂 そんな低俗な方法しかないんですか。もう正論は通らない時代なんでしょうか。政治上の駆け引きではなく、本当に国家のことを心配している人が一人でも名乗りを上げるやり方は通用しないんですかねえ。
(「Voice」 2008年10月号掲載 「解散・総選挙は秋にある?」より)
この対談は、おそらく先月行われたものだろう。三宅久之が冗談半分で言っていた見え透いた猿芝居のシナリオを、本当に自民党が実行したことにも呆れるが、それに対する上坂のリアクションには爆笑した。そりゃきょうび、「正論」なんて誰も読みませんよ、って意味が違うか(笑)。それはともかく、右翼文化人・上坂冬子が言うところの「低俗な方法」を現に今自民党はやっているのだし、NHKはそれを報じる「ニュース番組」の時間枠を拡大した上、その大部分を「自民党のコマーシャル」に割いたのである。ここまで政権政党と公共放送のモラルが低下したことは、戦後に限って言えばいまだかつてなかっただろう。
上坂冬子は、対談の上記引用部分のあとで、「視聴者もバカではないし、最近はテレビを見る目も肥えてきて、「あれは本物」「これは偽者」ぐらいの見分けはつきますよ」と言っている。この見立てが正しいことを信じたいが、3年前の郵政解散・総選挙のことを思い出せば、楽観ばかりもできない。
今度、マスコミの情報シャワーに騙されて、それまでの意見を変えて総選挙で麻生太郎の自民党に投票する人間がいたら、その人はもはや「B層」の名にすら値しない。上坂冬子言うところの「低俗なバカ」以外の何者でもないだろう。
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自民党総裁選が告示された10日夜は、両番組とも自民党の候補者たちが出張っていて不愉快だったのだが、もっとひどかったのがNHKの夜7時のニュースだったらしく、番組冒頭から30分間、自民党総裁選候補者たちの討論、というより宣伝で埋め尽くされていたようだ。
やはり、安倍晋三に近いことで知られる古森重隆が暗躍したNHK会長人事の悪影響だろうか。NHKはすっかり自民党の宣伝機関と化してしまった。
この自民党の宣伝によって目をそらされたのが、三笠フーズの汚染米問題である。工業用に限定された有害米を食用に転用していたというとんでもないこの事件が報道された時、私が直ちに思い出したのは2005年の耐震偽装事件だった。あの事件は、黒幕が内河健らの総合経営研究所だったという仮説は今では否定されつつあり、姉歯秀次個人の責任に帰されることが多いが、真の原因は規制緩和を進めた新自由主義の政策にある。「官から民へ」の新自由主義の論理に従って、1998年の建築基準法改正の際に検査業務を民間に委託することにしてしまったから、姉歯のお粗末な耐震偽装が見逃されずに「インチキマンション」ができあがってしまったのだ。だから、事件の真犯人は国交省の役人であるという藤田東吾の指摘は正しい。
官の無責任体質が強まれば、民もまた無責任さを増す。市場原理主義によって、利潤の追求が美徳とされるようになると、企業はコスト削減のためなら何でもやるようになる。工業製品においては、かつて高品質を誇った日本の電気製品の品質のピークは、実は1993年頃までだったと私は考えている。その後のバブル崩壊に伴う新自由主義的風潮が強まるに従って、日本企業は品質を犠牲にしても利潤を追求するようになった。つまり、企業のモラルは大きく低下していったのである。品質のうち、安全にかかわる部分までをおろそかにしてまでもコスト削減に励んできたから、製品を使っているうちに火を噴いた、などという事故が相次ぐ現状を招いてしまった。
食の安全にかかわる不祥事が相次ぐようになったのも、新自由主義が蔓延し始めてからだ。三笠フーズはカビ米を10年前から転売していたというが、10年前、1998年というと、企業社会には既に苛烈な新自由主義の嵐が吹き荒れていた頃だ。自殺者が急増したのがこの年である。新自由主義は、何もアメリカの意を受けた小泉純一郎が始めたものでも何でもなく、コイズミという男は、そもそも何の思想も持っておらず、ただ単にその鋭い動物的勘によって、今の時代は新自由主義がトレンドだと察知して、過激な新自由主義者として振る舞ったに過ぎない。コイズミ政権より前の橋本龍太郎内閣や小渕恵三内閣も、実はひどい政権だった。本当は、日本における新自由主義の開祖である中曽根康弘の罪が特に重く、「広島瀬戸内新聞ニュース」が主張するように、中曽根康弘への徹底的批判が必要であると私も思う。
今も、中川秀直を頭領とし、バックに竹中平蔵が控える自民党の「上げ潮派」は、麻生太郎や民主党の主張するような財政出動ではなく、「小さな政府」と金融政策の組み合わせによる景気回復を目指すとしている。これは、中曽根時代から政府や大蔵省がさんざん繰り返してきた誤りだ。中曽根の政策がバブルを引き起こした。つまり、日本社会をこのような姿にしてしまった最大の戦犯が中曽根康弘なのである。
中曽根率いる自民党が衆参同日選挙に圧勝したのは1986年で、この頃が自民党の党勢のピークだった、以降、コイズミ時代を除いて、自民党の党勢は下降の一途をたどっているが、それは自民党が新自由主義に基づく誤った政策を行ってきた結果であって、だからこそ政権が風前の灯となった今、メディアジャックまでして政権の延命に必死になっているのだろう。
麻生太郎が「上げ潮」を否定して財政出動に重きをおくのは結構なことだが、それ以前に、麻生自身が「カイカク」を進めたコイズミ政権の中枢にいて、新自由主義政策を推進した責任を総括しなければならないし、自民党の行ってきた新自由主義政策自体を批判する時には、その開祖である中曽根康弘への批判は欠かせない。もっとも、その前段階として、「コイズミカイカク」を総括する必要があると当ブログは考えるけれども。
とにかく、新自由主義は安全をも犠牲にして利潤追求を奨励する。その真の狙いは被支配階級から支配階級へ逆再分配を行ない、階級を安定化させることにあるのだが、その方向に進んできたのが、ここ四半世紀の自民党の政治だった。だから、自民党は二世や三世の政治家たちで占められているのだ。きたる総選挙では、自民党による支配を終わらせなければならない。これこそが次代に生きる人々のための、日本の有権者の責務である。
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新自由主義に反対する者にとっては、厄日である。世界最初の新自由主義国家といわれるチリのピノチェト政権は、1973年9月11日に、アメリカの差し金によって、アジェンデ大統領を暗殺しての軍事クーデターで成立した。2001年9月11日のニューヨークでのテロは、アメリカに「テロとの戦い」の口実としたアフガン(やイラク)における暴虐のチャンスを与えてしまった。そして、2005年9月11日には、新自由主義の権化ともいえるコイズミ自民党が、歴史的な大勝をおさめ、以後日本国民は次々と打ち出される負担増や社会保障削減などの圧政に苦しむことになった。
当ブログは、昨日(9月10日)に累積アクセス数が200万件に達した。一昨日までのペースだと、200万件到達は「9・11」になりそうだったが、昨日は検索語「加藤千洋」(報道ステーションのコメンテーターを勇退することが報じられた)によるブログ訪問が殺到してアクセス数が増えたために、予想より1日早く200万件に到達した。ブログの記念日が「9・11」と重ならずに済んでほっとした次第だ。加藤千洋氏には、これまでの労をねぎらうとともに、当ブログの昨日のアクセス数を押し上げていただいたことに感謝したい。
そんな個人的な話は読者にはどうでも良いことだろうが、ブログにはプライベートな性格も強いので、ご容赦をお願いしたい。「9・11」についていうと、アメリカの「テロとの戦い」に安易に同調しすぎ、それに何の異論も差し挟まなかった日本政府の政策は間違っていた。だが、自民党総裁選ではそのことは一切議論されないし、昨日の朝日新聞社説にも、アメリカへの批判や注文はあっても、それに追随した日本政府や朝日新聞自身を含めたマスコミ言論への批判や反省はない。
前首相・安倍晋三が辞任を表明する前日の、昨年の「9・11」に当ブログが何を書いていたかと思って当日のエントリを読み返してみると、「コイズミ一派とアベシンゾー一派の内紛が始まった」と題されたその記事には、
とか、安倍改造内閣で官房長官に与謝野馨を起用した時、与謝野が財務省を代弁する緊縮財政論者で、竹中平蔵や中川秀直の「上げ潮政策」と対立する人物であることから、あれっと思った人は多いはずだ(私はいずれの政策も正しくないと思っているが)。
などと書かれている。田原(総一朗)は、安倍内閣に期待したのは、コイズミカイカクを引き継いで公務員改革をやってくれるものと期待したからだ、しかるに安倍は意に反して内閣改造で「カイカク」メンバーが軒並み閣外に去った、内閣の実権は麻生太郎と与謝野馨が握った、などとして今回の内閣改造を批判した。
今回の自民党総裁選は、いちおうコイズミ?竹中の「新自由主義過激派」からは少し距離を置く人たちの争いになっていることは間違いない。次期総理・総裁は麻生太郎で決まったようなもので、この流れはもはや変えられない。麻生の積極財政政策は、コイズミ?安倍の頃の過激な新自由主義政策よりはいくぶんマシだろうが、田原総一朗らの新自由主義者は、「自民党も民主党もどっちもバラマキなんだ!」と批判するだろう。番組に出てくる、中川秀直や前原誠司ら自民・民主の政治家たちは、それぞれ総選挙後の政界再編の政局をにらんで、微妙な言い回しの発言をするだろう。そんなことは今からわかっているから、政治番組で繰り広げられる茶番が今から頭に浮かんで、うんざりする。これからは、週末の政治番組を見る頻度を減らした方が良いかもしれない。精神衛生上よろしくないし、特に田原の番組など、たまにやる「言論は大丈夫か」のシリーズなどを除いて、見て得られるところは少ない。
ところで、麻生太郎について忘れてはならないのは、麻生がコイズミの新自由主義政権を支えてきた中心人物の一人だったことだ。亀井静香は、その麻生を強烈に批判している(下記URLの「夕刊フジ」記事)。
http://www.zakzak.co.jp/top/200809/t2008090836_all.html
最近、麻生氏は小泉改革路線を否定しているが、重要閣僚や党幹部として小泉改革に手を貸してきた張本人。国民生活をここまで破壊した責任者の1人だ。ほおかむりしてきれい事を並べるのはおかしい。自らを総括し国民におわびするべきだ。
(2008年9月8日 夕刊フジ)
全く亀井静香の言う通りで、麻生は昔からコイズミカイカクに反対していたかのような口ぶりで演説しているが、実は「カイカク」の張本人なのだ。
いってみれば麻生は、東条内閣の大臣でありながら、戦後総理大臣になった岸信介のような男だといえる。麻生の祖父、吉田茂は戦時中から親米英で、和平工作などをしてにらまれていた人物だった。政治思想的には吉田茂はゴリゴリの右派だったが、戦争には反対だったので、戦後首相になっても不思議のない人物だった。しかし岸は、日本人が戦争責任を総括しなかったことに乗じて総理大臣になった人物だ。自民党がコイズミカイカクを総括していないことに乗じて総理大臣になろうとしている麻生太郎は、自民党の無責任体質の象徴だといえる。そして麻生は、祖父の吉田茂より、祖父の政敵だった岸信介によほどよく似ている。
自民党と同じように民主党も、前原前代表時代までの新自由主義路線を総括していない。ここは、民主党が「カイカク」の総括を行ない、過去の誤りを認めて謝罪した上で、改めて「カイカク」の後継者たる麻生自民党との対決姿勢を打ち出すべきではないか。
前の参議院選挙が、「アベシンゾー審判選挙」であったとしたなら、きたる総選挙は、「コイズミカイカク審判選挙」であるべきだ。争点は、「カイカクの是非」である。「消えた年金」や後期高齢者医療制度の問題も、最終的には「カイカク」に絡めて論じられるべきだと思う。
自民・民主両党は、ともに「カイカク」を総括せよ。その上で、「脱カイカク」競争をしてほしい。特に、コイズミ内閣の中枢にいた麻生太郎は、コイズミ時代の失政の責任をどうとるのか、明らかにすべきである。
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毎日新聞の報道(9月9日)によると、
とのことだ。この報道が事実であれば、3年前の総選挙でホリエモン(堀江貴文)が「刺客」として出馬し、全国でもっとも注目された広島6区は、一転して無風区になる。この選挙区には、民主党も候補者を立てるはずがないからだ。自民党の広島県連幹部は4日、党本部で古賀誠選挙対策委員長に会い、衆院広島6区には、同党の候補を擁立しないことを確認した。自民党関係者によると「擁立見送りは、衆院選後の政界再編に備えて、6区選出の亀井静香国民新党代表代行とのパイプを維持しておくため」という。
前回の総選挙では、亀井静香への刺客として送り込まれたホリエモンのほか、民主党前職(03年総選挙で比例で復活当選)の佐藤公治(現参議院議員)も立候補して、三つ巴の激戦だった。それが今回は、民主党も自民党も候補を立てないという。あまりの変わりように、呆然となってしまう。それでも民主党はもうだいぶ前から国民新党と共同歩調を取っているが、3年前、コイズミ率いる自民党は「カイカクを止めるな」と叫んで衆議院選挙に圧勝したはずだ。その公約はどこに行ってしまったんだろうか。
森喜朗は、郵政造反組の野田聖子に自民党総裁選への出馬を要請し、断られていた。野田聖子自身がこれを認めている。
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-080909X681.html?fr=rk
野田聖子消費者行政担当相は9日午前の記者会見で、自民党の森喜朗元首相から総裁選に出馬するよう要請されたものの、経験不足を理由に断ったことを明らかにした。
それによると、福田康夫首相が退陣を表明した翌日の2日、森氏から電話で出馬を促された。野田氏は会見で「国を背負う、命を懸けてやるという重みと対峙(たいじ)したとき、修行不足と判断し、断った」と述べた。
(時事通信 2008年9月9日)
亀井静香も野田聖子も「郵政民営化法案」に反対票を投じた議員である。「郵政民営化は「官から民へ」の改革を一気に加速するまさに本丸」ではなかったのか? 自民党は、国民に何の説明もせず、公約を反故にしてしまうのだろうか?
亀井、野田両氏らが次々と自民党から許され、手厚く遇されているのを見て、きっと平沼赳夫あたりもwktkだろう。次は平沼一派が許される番に違いない(笑)。
郵政総選挙でコイズミ自民党が圧勝した翌年、偽メール事件を起こした民主党の前原誠司前代表が退き、2006年4月に小沢一郎が代表に就任して、民主党はそれまでの新自由主義路線を転換した。これについても十分な説明がなされたとはいえないが、前年(2005年)暮から06年初めの耐震偽装事件やライブドア事件で新自由主義の問題点が顕在化していた時期だったから、民主党は新自由主義に懐疑的または反対の国民の支持を得ることになった。
ネットでも、新自由主義反対を掲げる人たちは多く、中には、新自由主義反対であれば「右」でも「左」でも構わない、つまり政治思想的スタンスは問わない人たちもいる。彼らは、「憲法改正」という言葉さえ用いずに「自主憲法制定」にこだわる元自民党の極右勢力への連帯や支持も表明した。
そういう政治家の一人である平沼赳夫は、たまたま3年前に郵政民営化に反対しただけで、もともとは「自主憲法制定」のことしか言わず、経済には何の関心もない政治家だった。平沼は、サッチャーの教育カイカクの信奉者でもあるのだが、それはサッチャーカイカクが伝統回帰の方向性を持つからであって、サッチャーが教育に市場原理を持ち込もうとしたことなどどうでもよかったのだ。私は、サッチャーカイカクを支持していたことをもって、平沼赳夫を「新自由主義者」と認定していたのだが、それは正確ではなく、「憲法改正にしか興味のない単なる狂信的な極右」とみなすべきだった。
それはともかく、新自由主義に反対でさえあれば、右でも左でもかまわない人たちからすると、民主党も自民党も「脱カイカク」の方向性を明らかにした今、振り上げたこぶしの下ろしどころに困っているのではないか。自民党総裁選は、最初の投票で麻生太郎が当選を決めるか、麻生太郎と与謝野馨の決選投票になるかのいずれかだ。三分裂した「カイカク」勢力のつけ入る隙はない。麻生太郎率いる自民党新執行部は、郵政造反組を拒む理由は何一つない。国民新党や平沼一派をうまく取り込めば、連立政権の延命だって可能だ。その際、「コイズミカイカク」なんてなかったことになる。
一方で、日曜日のテレビ番組では、「カイカク」派たちが好き勝手にしゃべっていた。結局推薦人を集められもしなかった売名政治家たち(山本一太、棚橋泰文)が、郵政造反組の復党を批判していた。総裁選に立候補する小池百合子、石原伸晃、石破茂の三氏も、「カイカク」の継続を主張している。
よく自民党の政治家や支持者は、民主党なんてばらばらな主張を持った人たちの寄り合い所帯ではないかと言うのだが、自民党だって同じではないか。しかも、自民党は「コイズミカイカク」の総括をしておらず、いまだにコイズミカイカクに沿った政策は「善」だというのがタテマエになっている。それでいながら、実際の政策では脱カイカクに向かおうとするから、政策が国民に理解しづらいのだ。コイズミとは毛沢東みたいなものかもしれない。中国は、今でもタテマエ上は毛沢東の作った共産主義国家だが、その実態は世界一過激な新自由主義国家である。
最後に、3年前の総選挙に用いられた自民党の政策パンフレットから引用しておこう。
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2005_seisaku/pamphlet/
改革を止めるな。
自民党 郵政民営化に再挑戦
前進か、後退か。改革か、停滞か。
いま、改革のための最後の戦いが、始まろうとしています。
(中略)
わが党は小泉総裁を先頭に、断々固として改革を推し進めます。
小泉の改革に力を。
改革は、国民との約束です。だから、改革を止めない。
自民党は、古い鎖を断ち切ります。
自由民主党は国民とともに改革のかがり火を未来に
向けて、明々と燃焼させる決意です。
小泉改革のめざすもの
■小さな政府をつくります。(詳細略)
■官の役割を、許認可からチェックへ。(同上)
■地域住民と向き合い、自立し、責任をもつ、真の地方自治を確立します。(同上)
(中略)
改革がいま必要でないという人に問いたい。
いま改革をやらずに、一体日本をどこに持っていく気なのか。
改革なくして、明日はありません。
改革は、国民との約束。だから、改革を止めない。
私たちは真の改革政党、自由民主党です。
自民党は、「コイズミカイカク」の総括から逃げてはならない。もし、新政権が「脱カイカク」へと踏み切るのなら、「コイズミカイカク」の誤りを徹底的に自己批判して、失政の責任を取れ。
それが、責任政党の務めだ。
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だが、私は3年前と今年は違うと思う。3年前は、コイズミが誰も想像し得ない大博打を打って、それがまんまと当たった。しかし、今年は自民党の狙いがあまりに見え透いていて、意外感が全くないのである。
私も、今の状況に既視感を覚えるが、3年前ではなく5年前の2003年を思い出している。この年は、森内閣当時の2000年6月の総選挙から3年を経過し、解散ムードが徐々に高まってきて、夏頃には「11月9日総選挙」が囁かれるようになっていた。面白いことに、5年前は今年と暦が同じなのだ(3月1日以降。今年はうるう年なので、1月と2月は暦が1日ずれている)。
この年は、総選挙に向けた民主党と自由党の合流があり、このタイミングに自民党は総裁選に続くコイズミ再改造内閣の発足をぶつけた。この時の自民党の切り札は、コクミンテキニンキが高いとされていた安倍晋三の幹事長抜擢であり、自民党は「安倍幹事長効果」で支持率の浮揚と総選挙の勝利を狙った。
この内閣改造は、コイズミ内閣の支持率を急上昇させた。朝日新聞調査では49%から59%に、毎日新聞調査では54%から65%に、日経新聞調査では45%から実に65%に、それぞれ大幅な支持率の伸びを見せた(下記URLを参照した)。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sijiriotu.htm
この年は、自民党総裁選が9月8日告示、20日投開票。コイズミに対し、積極財政派が三分裂したこともあって、選挙はコイズミの圧勝(今年は、山本一太と棚橋泰文が撤退してもなおカイカク派が三分裂しており、ちょうど逆のケース)。コイズミ再改造内閣は9月22日発足だった。ここで安倍晋三を自民党幹事長に起用し、内閣支持率も大幅にアップさせた。コイズミ内閣発足後、大きく値を下げていた株価も、この年4月を底に、上昇に転じていた。森内閣よりはるかに人気の高いコイズミ内閣で、自民党は議席を大幅に増やすはずだった。
しかし、自民党はこの年11月9日の総選挙で、議席を減らしてしまったのである。獲得議席数は自民党237議席、民主党177議席。出口調査では、民主党が自民党に迫る議席を獲得する見込みと報じられ、緊張が走ったが、いざ開票してみると、自民党が意外と粘り、議席減を小幅にとどめたのだった。
この年、これだけ自民党がメディア対策を行いながら総選挙に敗れたことは、実はこの頃既に、「カイカク」という名の新自由主義政策に国民が疑問を抱くようになったことを意味すると私は考えている。翌2004年の参院選でも、獲得議席数は民主党50議席、自民党49議席で、前年の衆院選に続いて自民党は敗北し、役立たずであることが明らかになった安倍晋三は、幹事長の職を解かれたのである。
コイズミがこの状況を打開するには、切り札を切るしかなかった。それが2005年の郵政解散・総選挙であり、この時の指導者の狂気が国民を惑わせてしまい、とんでもない国難を招いてしまったと私は考えている。
実際の時代の流れは、03年衆院選と04年参院選の延長線上、すなわち自民党の党勢の漸減にある。昨年の参院選は、国民生活の困窮を無視してひたすら改憲指向のイデオロギー政治を行った安倍内閣の非常識な政策のせいで、その延長線上よりさらに自民党の議席が下回る劇的な結果になった。あれは極端な例としても、自民党は、公明票の上積みがあってももはや政権を維持するに十分な議席は獲得できないほど支持を失っていると考えるべきである。
なぜそうなってしまったかというと、コイズミ?安倍が推進した新自由主義政策が、中産階級を破壊してしまい、自民党は従来のような国民政党から、富裕層のために政策を行う階級政党に変質してしまったからだ。そのため、日本の社会では貧富の差が著しく拡大した。今年の自民党総裁選では経済政策が争点になっているが、経済政策で一番マシなのは積極財政派の麻生太郎であり、他は再分配を否定する人たちなので論外である。しかし、麻生の政策も結局大企業に傾斜した再分配なので全然財政出動の効果が上がらない。「バラマキ」がダメなのではなくて「バラマキ方」に問題があるのだ。財政出動自体に「バラマキ」とレッテルを張る昨今の風潮はおかしい。新自由主義の思想に毒されすぎている。
さて、そんな自民党に対抗すべき野党・民主党の政策だが、昨日小沢一郎が発表した「新しい政権の基本政策案」は、無難に項目を列挙しただけという印象だ。これでも、自民党は「バラマキ」と批判するのだろうが、私は逆に「国民の生活が第一」という割には物足りない印象を受けた。
最後の「国連の平和活動に積極的に参加する」というのは、昨年秋に言い出した「ISAFへの自衛隊参加」の含みを残しているのではないかとか、選挙制度のことは何も書いていないけれど、衆議院の比例代表の部分を削減して小選挙区の比率を増やすという小沢一郎の持論は取り下げていないのではないかとか、再生可能エネルギーの利用推進は、そっけない書き方だが本当にやる気があるのか、などと疑念は尽きないが、当ブログとしてはまた総選挙になったら「戦略的投票行動」を主張せざるを得ないのがじれったいところだ。当ブログは、せめて比例代表部分を大事にしたいと考えている。総選挙では、自公だけは勝たせてはならないが、民主党が変な方向に暴走しないためにブレーキをかける勢力(左なら社民・共産、右なら国民新党)を伸ばすことも必要だ。ただし、極右は論外である(ガス抜きに2議席程度を確保するくらいは諦めざるを得なさそうだが)。
これから約2か月後に予想される衆議院選挙まで、また疲れる政治の季節が延々と続くが、まずは富裕層のためだけの政治と化してしまった状態から原状を回復するための選挙だと私は考えている。いわば、日本社会が再びスタートラインに立つための選挙だ。
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古賀誠の発言は、私もテレビで見ていたが、自民党総裁選の「議論」が総選挙に向けての自民党のPRであることを堂々と認めたも同然だったから、あきれてしまった。
しかし、それ以上にあきれたのが、昨日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」に出演した、自民党総裁選に名乗りを上げているネオリベ政治家たちで、石破茂、棚橋泰文、山本一太の3人がスタジオ出演、小池百合子と石原伸晃が外出先からの中継で出演し、麻生太郎と与謝野馨は出演しなかった。
田原総一朗は、わざわざネオリベ候補5人だけを集めて、新自由主義の宣伝でもするつもりか、そこまで露骨にやるかと思ったのだが、その討論はお粗末極まりないものだった。麻生太郎の積極財政に対する説得力ある反対論などは聞かれず、唯一エキサイトしたのは、郵政造反議員の復党をめぐって、復党を認めるべきだった、いやそうではない、あなたには復党を認めた責任がある、などとやり合ったところだった。これを言い出したのは棚橋泰文で、この男がテレビで自説を述べるのを意識して見たのは今回が初めてだったが、きわめて印象が悪く、「討論」の後半における棚橋と山本一太の暴走は、番組を見ている人をしらけさせるに十分なものだった。
痛快だったのは、討論の最後に、朝日新聞編集委員の星浩が山本一太に向かって、「推薦人を集められなかったら責任とってくださいよ」と言い放ったことで、これに対して山本は「頑張りますけど」などと口ごもっていたが、星は「政治は結果責任だから」と追い討ちをかけた。これは、視聴者に「山本一太は売名行為をしているんだな」と思わせる効果を与えるものだった。
自民党が総裁選をやることになって、民主党など野党からの間には、これが自民党の宣伝になり、野党が埋没してしまうと懸念する向きもあった。特に、代表選を無投票にしてしまった民主党には焦りも生じた。
しかし、自民党の勝手気ままなネオリベたちの馬鹿騒ぎを見ていて、「過ぎたるは及ばざるが如し」ということわざが頭に浮かんだ。せっかくの自党を宣伝するチャンスを自ら潰した民主党にも、なにやってるんだと思ったものだが、われもわれもと手を挙げて、苦しい国民生活のことなど全く顧慮しないで、大昔の郵政造反議員復党問題でいまだに程度の低いケンカをやっている自民党議員たちを見ていると、これなら無投票で麻生太郎を総裁に決めたほうが自民党にとってまだマシだったんじゃないかと思えてくる。
テレビの報道でも、昨日のTBS「サンデーモーニング」などは冷静そのものだった。今回の自民党総裁選は、経済問題が争点になっているが、国際関係には全く触れず、7候補全員が「日米同盟重視」(実際には対米隷従)の立場を取っているのでは、議論として偏っているのではないかと指摘されていた。寺島実郎が指摘していたのは、ここ数年でドルは対ユーロで7割ドル安になっているが、円も対ユーロ6割の円安になっていることで、日本経済はアメリカ経済に連動しているが、サブプライム問題などでそのリスクが大きくなっている、これまでの対米重視一辺倒から、日米関係を基軸としながらも、対中国、対ロシアなとどのつながりを深めていくように改めるべきだ、だがそうした議論は自民党総裁選ではなされない、いまやパラダイム変換が必要な時なのに、といったことだった。金子勝は、ちらっと再生エネルギー技術開発の必要性に触れたが、環境・エネルギー問題にも、テレビの「討論」で自民党総裁選のネオリベ候補者たちはほとんど言及しなかった。ただひたすら郵政造反議員復党問題でクダラナイ喧嘩をしていただけだったのだ。
自民党にはもはや政権担当能力はない。視聴者に与えたこの印象を、今後麻生太郎と与謝野馨が覆すことができるかが自民党の課題になるのだろうし、野党は、麻生vs与謝野の論戦(既に見たように、過激な新自由主義者たちは論外で、総裁選の圏外に去ったと見るべきだろう)に埋没しないように、政策をアピールしなければならない。内政の経済問題もさることながら、国際関係、環境エネルギー問題、教育問題などで自民党を圧倒する政策を提示すれば、総選挙は野党が有利になるだろう。
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その田中の野望は、20年後に小沢一郎によって実現されたわけで、現在の自民党と民主党の対立構造は、三十余年前の福田赳夫と田中角栄の対立をそっくり引き継いでいるといえる。田中角栄は、積極財政路線をとり、全国にカネをばら撒いて道路網を作ったが、これは都会と地方の格差を縮小する効果があった。田中の地元・新潟県や、竹下登の地元・島根県など、自民党の有力政治家のお膝元では特に道路が立派であるとはよく言われることで、行き過ぎが問題になっているが、田中内閣当時には意味のある事業だった。
また田中は、総理大臣就任の翌年である1973年(昭和48年)を「福祉元年」と名づけて福祉に予算を振り向けていった。たとえば、現在では当たり前になった点字ブロックは、私のごく小さな頃にはなかった。これが急激に増えていったのは田中角栄のおかげであり、現在では日本は点字ブロック大国といわれるまでになった。
ただ、田中がスタートさせた福祉国家への道は、早々に挫折することになる。「福祉元年」の1973年は、第一次石油ショックの年でもあった。すさまじいインフレが起き、田中内閣の支持率は大幅に下がった。「大きな政府」指向の田中内閣の政策は、財政赤字を招いたが、これを厳しく批判して緊縮財政を唱えたのが福田赳夫だった。田中内閣内部から造反を起こしたのは福田赳夫と三木武夫であり、田中内閣が立花隆らの「金権批判」によって倒れたあと、三木武夫が後継総理大臣になったから、田中はロッキード事件で逮捕されたようなものだった。ロッキード事件では、中曽根康弘にも黒い噂が流れたが、三木は田中派・大平派連合軍と福田派の両方を敵に回しながら中曽根派との協力関係で辛うじて政権運営をしていたせいか、中曽根は「灰色高官」にさえならずに済んだ(もちろん、本当に潔白だったのかもしれない)。
結局三木は「解散カード」を反主流派連合に封じ込められて任期満了選挙に追い込まれ、これに大敗して政権を退いた。あとを受けた福田赳夫は、緊縮財政路線をとって物価の上昇を抑えたが、不況を招いてしまい、故石川真澄の『戦後政治史 新版』(岩波新書、2004年)を参照してみても、「福田内閣の業績としては、得意の経済より、日中平和友好条約の締結をあげるのが普通である」と書かれている。日中平和友好条約締結(1978年)は、いうまでもなく田中角栄が1972年に日中国交回復を成し遂げたからこそできた業績であった。1978年のトウ()小平来日直後に自民党の総裁選予備選が行われ、これに大平正芳が圧勝して総理大臣が交代したが、そのせいもあって、いつの間にか私はトウ小平の来日は大平内閣当時の出来事かと勘違いしてしまっていたくらいだ。福田赳夫内閣時代の印象というと、1978年夏に相次いだ「有事立法」の議論だとか福田首相の靖国神社公式参拝などの「タカ派」的な悪印象ばかりが強い。福田康夫は、コイズミがこじらせた中国との関係を改善したり、靖国神社不参拝を早々と公言して、例年夏に話題になる靖国問題を下火にさせたが、父親との共通点と相違点がそれぞれあって面白い。ただ、福田康夫内閣の政策と福田赳夫内閣の政策を比較すると、前者の方がずっと右寄り(新自由主義寄り)であって、それは福田康夫がコイズミの政策を継承せざるを得なかったところからきている。
何が言いたいかわからないだらだらした文章になってしまっているが、ここで言いたいことは、田中角栄が始めようとした福祉国家への道は、石油ショックと新自由主義の台頭、それに福田赳夫らによって阻まれてしまったということだ。余談だが、世界最初の新自由主義政権とされるチリのピノチェト政権は、1973年9月11日に、アメリカが後押ししてアジェンダ政権をクーデターで転覆させたことによって発足した。2001年のテロといい、2005年の日本の郵政総選挙といい、9・11とはやたらと不吉な日である。
日本のセーフティーネットを支えていたのは、民間企業や農協など公共団体による福利厚生だったが、コイズミが、というより徐々に自民党政権が進めていってコイズミが一気に加速させた新自由主義政策がそれを破壊してしまったために、福祉国家への道が早々と阻まれたために低福祉国家にとどまっていた日本において、ヨーロッパの比ではない急激な格差・貧困問題が生じたのである。
9月1日付エントリで、8月31日に行われた「反?貧困全国2008キャラバン 高松集会」に、民主・社民・共産の野党3党の政治家は、2人の民主党国会議員(小川淳也衆院議員と植松恵美子参院議員)を含めて出席したが、自民党の政治家は3人の国会議員が祝電を送ってきただけだったと書いた。実は、自民党議員からの祝電が司会者に読み上げられると、会場がざわめいたのである。それは、いかなる意味を持つざわめきだったのだろうか。集会は、決して左派にだけ開かれたものではなく、講演会の演者・湯浅誠氏の著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)では、政府の社会保障削減政策を批判した自民党の尾辻秀久衆院議員が好意的に取り上げられたりしている(その一方で、舛添要一は皮肉を込めて描かれている)。しかし、香川県選出の自民党の世襲議員たち(衆議院の香川県の選挙区は3つあるが、すべて自民党の世襲政治家が選出されている)は会場に姿を現さなかった。私は、それでなくとも自民党には批判的だが、この3候補はすべて当選するに値しない人たちだと改めて思った。
それにしても、自民党総裁選に出馬の意思を表明している政治家たち、あれはいったい何だ。小池百合子、石原伸晃、与謝野馨。みな東京選挙区選出議員ではないか。麻生太郎、山本一太、石破茂、棚橋泰文。みな世襲政治家ではないか。石原伸晃にいたっては、東京選挙区選出にして世襲議員、しかも父親はあの石原慎太郎と、およそマイナスの要素ばかりを寄せ集めたような政治家だ。
こんな総裁選に、地方はすっかりしらけきっている(「kojitakenの日記」に、福島日日新聞と北海道新聞のコラムを紹介したので、興味があればご参照いただきたい)。読売新聞の報道によると、自民党は臨時国会序盤の各党代表質問が終わったタイミングでの解散を狙っているようで(いわゆる「臨時国会冒頭の解散」)、投票日は、朝日新聞の星浩が最短と言っていた10月26日よりは2週間遅い11月9日となりそうだという。そうなれば、5年前、コイズミが安倍晋三を幹事長に据えて必勝を期しながら敗れた総選挙と同日になるが、あの時の選挙では自民党が都市部で意外としぶとく粘ったために議席数減を政権にダメージを受けない程度に食い止め(翌2004年の参院選も同様の結果)、それが2005年の「郵政総選挙」における自民党の大勝につながった。
今度の総選挙は、昨年の参院選に続いて、地方から自民党に逆襲する番だ。参議院と違って、衆議院では自民党の各政治家の地盤が強いので、東北や中国・四国・九州などの地方では自民党有利と見る向きもある。特に四国はほとんどの選挙区を自民党が制するという予想もどこかで見たことがある。だが、本当にそうなるだろうか。
またも政局のことばかり延々と書き連ねたエントリになってしまったが、とにかく次の選挙で、世襲議員や新自由主義者の相当数に落選してもらわなければ、日本の再生は実現できない。
三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の「三角大福中」は功罪相半ばする政治家たちだったが、いずれも地方で育ち、大志を抱いて政治の世界に飛び込んだ人たちだった。せめてそういう人たちが政治を担わない限り、1年で政権を放り出すような総理大臣が二代も続く醜態はなくならない。
民主党にしても、いずれは小沢一郎の呪縛を脱して、世襲政治家ではない次代の政治家が党を担うようにならなければならないと思うが、まずは自民党の世襲政治家や新自由主義者を一掃するところから始めなければならない。
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だが、今回は麻生太郎の圧勝が見えており、過激な新自由主義勢力から2人も出る意味はあまりわからないが、あえて解釈すると、特定の一人に「惨敗」のイメージを持たせないためだろうか。2人で負ければ怖くないというやつかもしれない。
それでなくても、竹中平蔵が「総裁選を盛り上げよ」と叫んでいる。竹中は過激な新自由主義者の元締めだ。新自由主義者が何を考えているかというと、最終的には麻生太郎の政策が「脱カイカク」に行かないように歯止めをかけることだろう。総裁選は麻生太郎の圧勝に決まっているが、それをせいぜいショーアップして盛り上がるだけ盛り上げ、総選挙での自民党の議席減を最小限に食い止めて、自公で過半数を確保し、選挙後に民主党に手を突っ込んで、同党の分裂を誘い、自公に民主党内の新自由主義勢力を含めた連立政権を新たに発足させる。そうなれば、麻生政権の政策も、現在唱えているよりも相当新自由主義寄りに修正がかかる。ざっとこういったあたりをたくらんでいるのではないか。
しょせんは出来レース。そんな白けた雰囲気が漂い始めたのを察知したのか、「報道ステーション」で古舘伊知郎が、自民党総裁選の報道が自民党の宣伝に利用されないように自戒しなければならないなどと、およそ古舘らしからぬことを言っていた(これを書きながら音声だけ聞いている「朝ズバッ!」でもみのもんたが同じようなことを言っていた)。
古舘というと、3年前の「郵政解散・総選挙」において、一方的にコイズミに肩入れし、国会議員を集めた討論会では、共産党議員による郵政民営化批判を司会者である古舘が遮るという暴挙に出たことがある。「報ステ」では、朝日新聞編集委員の加藤千洋までもが、雰囲気につられて、「コイズミさんの夢(郵政民営化)をかなえてあげたいですね」と発言したほどで、完全にコイズミ政権の宣伝機関と化していた。
だが、機を見るに敏な古舘は、今回は「自民党の宣伝にならないように」などと言う。過去の自らの悪行を棚に上げて何を言ってるんだ、と言いたいが、おそらくテレビ朝日のスタッフが取材していても市民の反応が悪くて、ここで自民党総裁選を大々的に騒いでも、視聴者のニーズと合わず、視聴率稼ぎにつながらないと感じているのではないだろうか。テレビ局が新自由主義の宣伝機関であるのはその通りなのだろうが、役者の質が悪くては、宣伝は功を奏さず、視聴率が下がってはテレビ局にとっては元も子もない。3年前の郵政解散・総選挙は、役者がコイズミだったから、新自由主義勢力は大勝利を手にした。今回は、コイズミは動かない。総裁選は麻生太郎の圧勝だ。麻生太郎の旧保守的主張(麻生自身は「旧保守」の代表者とは必ずしも言えないが)と他の3人の新自由主義的もしくは新保守主義的主張という狭い選択肢での「論戦」をブログでまともに取り上げて、宣伝に手を貸すことなど止めておきたいと思う。
そこで、当エントリの後半では、平沼赳夫を宣伝しておきたい。動機は、単に管理人のストレス解消のための趣味の「極右叩き」であり、それ以上でもそれ以下でもない。
ネット検索をしていたら、平沼の著書『政治武士道』が読めるサイトを見つけた。
http://books.google.co.jp/books?id=Es6U1BlJpzIC&printsec=frontcover&dq=%E5%B9%B3%E6%B2%BC%E8%B5%B3%E5%A4%AB+%E6%94%BF%E6%B2%BB%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93&as_brr=3&sig=ACfU3U3sxzVvh42YQh_oEax7LXtJDYPjdQ#PPP1,M1
平沼は、最初に衆院選に出馬した1976年には、9人の候補者中最下位の得票で供託金を没収される惨敗を喫したそうだが、中川一郎に認められて、3度目の選挙である1980年総選挙(衆参同日選挙で自民党が圧勝した選挙)で初当選を果たし、現在では選挙にめっぽう強い議員として知られるようになった。
そんな平沼だが、演説では「自主憲法制定」のことしか語らないほどのゴリゴリの右翼政治家だ。『政治武士道』ではこんなことを書いている。
まだ落選時代に、中川(一郎)先生が応援のためわざわざ岡山まで来てくれました。私が演説していると、壇上にいる中川先生がたまりかねて、私を舞台のそでに引っ張ったのです。聴衆は何が起きたのかとキョトンとしています。するとあの剛腹な中川先生が「おまえは憲法のことしか言わないじゃないか。道路や橋のことももっと言いなさい。オレが来ているんだから」と言った出来事もありました。
(平沼赳夫著 『政治武士道』より)
よく、左翼言論が「憲法9条のことばかり言って社会保障のことは何も言わない」と批判されることがあるが、同様のことが右翼にも言えて、「憲法改正のことばかり言って公共事業のことは何も言わない」、平沼赳夫とはもともとそんな政治家だった。
日本国憲法は、アメリカの占領政策によって制定された「押しつけ憲法」だから、自主憲法を制定しなければならない(平沼は、「憲法改正」とは呼ばず、「自主憲法制定」と呼ぶことにしていると、著書でも力説している)。そんな主張の平沼には、もともと反米に傾く素地があった。
だからコイズミとは肌が合わない。小渕が勝った自民党総裁選では、平沼はコイズミと同じ三塚派(現町村派)に属していたが、平沼は総裁選に立ったコイズミを裏切り、小渕政権成立に大いに協力したことがある。
平沼は郵政民営化に反対して、3年前、コイズミによって自民党を叩き出されたのだが、当時反米右翼の言論人として頭角を現してきた関岡英之と結託することによって、一転して一部から「反新自由主義の雄」として担ぎ上げられることになった。だが、平沼自身は、既に見たように経済問題には何の興味もなく、憲法改正のことしか頭にない政治家なのである。
こんな平沼を、新自由主義反対を叫ぶ一部の人たちが祭り上げているのだが(実際には、平沼の子分である城内実を担ぎ上げているのだが、実質的に平沼を担ぎ上げているのと同じことだ)、私などは真に「偽装CHANGE勢力」といえるのは平沼一派ではなかろうかと思っている。
いや、おそらく平沼自身は「担ぎ上げてくれ」と頼んだことはなく、周りが勝手に担ぎ上げただけの話なのだろう。それにしても、「九条の会」に参加する「護憲」の人たちが、「反貧困」を叫んで「9条護憲と25条護憲の共闘」を主張しながら、憲法改正しか頭にない人たちが集まろうとしている政治勢力に肩入れするとは、なんという喜劇だろうか?
現実的には、麻生太郎政権が成立してしまえば、「HANAの会」つながりの平沼赳夫が新党を結成する可能性は相当低くなるし、kechackさんがしばしば指摘するように、平沼云々の議論は、ネット限定のローカルなものだが、当ブログもまたプライベートな性格を強く持つものであり(なんたって「私闘論理派」だからね)、時々平沼赳夫をぶっ叩いておかないとストレスが解消できないのである。読者の方々のご容赦をお願いしたい(笑)。
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一方、信じられないまでに新自由主義(ネオリベ)の機関紙と化しているのが朝日新聞だ。
今朝の紙面(大阪本社発行統合版)を見ると、1面トップが「小池氏 出馬へ意欲」であり、第2社会面には「「急浮上 小池氏どう見る」と題された記事が掲載されている。2面の「時時刻刻 麻生氏の対抗 探せ」では、「改革派から誰か立てなきゃ」、「中川秀氏 候補選び奔走」、「小池氏 チルドレンに足場」などと、ネオリベ陣営から見た見出しのオンパレードだ。「上げ潮派」という俗称ではなく、「改革派」という呼称を用いるのは、暗にカイカクを唱えないものは「守旧派」(あるいは「抵抗勢力」)とみなすという、コイズミの論理の復活のようにも見える。実に気分の悪い紙面である。
ところが、共同通信の報じるところによると、その小池百合子は推薦人集めが難航しているようだ。
http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090301000555.html
「総裁選、小池氏の推薦人集め難航 石原氏らも模索」と題されたこの記事は、石原伸晃の擁立の可能性にも言及しているが、
と指摘しており、ネオリベ陣営が推薦人の確保さえもままならず、戦いの土俵にも上がれず惨敗する可能性も出てきた。待望論のある小池百合子元防衛相、石原伸晃元政調会長とも現時点で立候補に必要な20人の推薦人を確保できていないもようだ。
昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」は、石原伸晃擁立の可能性について報じていて、古賀誠、山崎拓、加藤紘一の三氏の会談では、石原擁立について話し合われたのではないか、と推測し、一部自民党関係者の声として、古賀が石原支持に踏み切れば、麻生に勝てるという見方を紹介した。
朝日本紙は小池百合子、テレビ朝日は石原伸晃というわけか、朝日はどこまでもネオリベが大好きなのだなあと呆れ返ってしまったが、古賀や山崎(石原伸晃は山崎派所属)はどうかわからないが、加藤紘一が石原伸晃を支持するとはとても思えない。
加藤は、昨年8月末の安倍改造内閣発足に伴って、石原伸晃が自民党政調会長に就任した際、石原を厳しく批判するコメントをした。
http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070827/skk070827008.htm
上記URLの産経新聞記事は、リンクが切れているが、下記のような内容だった。
自民党の加藤紘一元幹事長は27日午前、石原伸晃氏の政調会長起用に対し
「的確な人事だったか疑問が残るし、石原氏にも酷な仕事になっていく気がする」
との見方を示した。党本部で記者団に語った。
加藤氏は石原氏について「極めて都会的、市場原理(至上主義)的に見られている。そこをどう克服するかということだ」と、地方や弱者に配慮した政策実行が課題になるとの認識を強調。その上で「ほかのポジションで働いてもらった方が、伸び伸びできたと思う」と述べた。
新三役人事などに関しては「まだまだ(安倍晋三首相に)非常に近い人たちでやっているというイメージはぬぐい去られていない」と指摘した。
(産経新聞 2007年8月27日)
リベラルに近い旧保守の加藤と、小泉内閣や安倍内閣で重用された新自由主義者の石原が合うはずもない。毎日新聞は、
と報じている。これを読むと、古賀誠も、石原支持を打ち出す可能性は低いように思われる。いま放送中のNHKテレビのニュースも、石原を推しているが、石原は旧保守の壁に阻まれるのではないかと当ブログでは予想している。石原氏は「高いハードルがある。私はグループのリーダーではなく、推薦人を集めて政策を作るまでにはきていない」と、属する山崎派の壁を口にする。
同派会長の山崎拓前副総裁は、古賀誠選対委員長、加藤紘一元幹事長と会談した。「新YKK」と呼ばれる3人で、昨年の総裁選では福田総裁誕生に一役買った。麻生嫌いといわれた3人だが、今回は思惑が複雑に交差する。古賀派は総裁選に立候補経験のある谷垣禎一国土交通相も抱えており、3人で容易に方向性を出すことはできない。
小池百合子も石原伸晃もダメだとなると、新自由主義陣営は土俵に上がることもできない惨敗ということになる。ネオリベ陣営を束ねるリーダーである中川秀直が立つという見方をする人もいるが、中川が麻生に惨敗すれば(出馬すればそうなるだろう)、ネオリベ陣営は再起不能の大ダメージを受ける。そうでなくても、次の総選挙ではコイズミチルドレンは枕を並べて討ち死にだ。そんな人たちに担がれて、万一自民党の総裁になったところで、総選挙を終えると、担いだ人たちがきれいさっぱり消え失せるという喜劇が起きる。森喜朗が、中川秀直の動きに「苦言」を呈して、動きを抑えようとするのも当然だろう。
結局、ネオリベ陣営は打つ手なしの惨敗に追い込まれ、「偽装CHANGE」勢力の脅威などどこにもなかったことが証明されるのではなかろうか。
一部から出馬を待望する声もあった野田聖子は不出馬を表明し、どうやら麻生太郎を支持するつもりらしい。与謝野馨の出馬も取り沙汰されているが、仮に出馬しても、「増税派」から一定の支持を得るものの麻生太郎に惨敗することは避けられない。これは、与謝野馨ではなく谷垣禎一が出馬した場合も同じだ。
民主党など野党から見ても、本当に手強いのは麻生太郎ら積極財政派だ。うっかり、「バラマキ」なるキーワードを用いて、新自由主義的スタンスから麻生を攻めようものなら、コイズミ?安倍の頃とは自民党と民主党の立場が入れ替わることになり、「結局自民党も民主党も同じじゃないか」と有権者に思われ、自公政権が存続する可能性が浮上する。
そうではなくて、同じ財政出動をするにしても、麻生のように大企業が潤う方向ではなく、多くの国民の生活に資するような方向性を打ち出すとか、社会保障を充実させるとか、「地球温暖化陰謀論」を論拠とするCO2排出削減の努力放棄でも、原子力発電推進でもない、再生可能エネルギー技術の開発推進を強く打ち出すなどの、自公政権にはできない政策をアピールする必要がある。
当ブログとしては、特に最後の「再生可能エネルギー技術の開発推進」を強く訴えたい。政局ニュースさえ続いていなければ、「毎日新聞叩きに反対する」キャンペーンとともに、ブログの目玉にしたいとさえ思っているのだが、なかなかそれがままらない状態であるのが残念だ。
願わくば、新総裁に就任するであろう麻生太郎が、臨時国会冒頭での解散などという挙に出ず、早くとも解散を年末くらいまで遅らせてくれればよいのだが、果たしてどうなることやら。
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今回の総裁選は、経済政策が論点となるとマスコミは報じている。大雑把に言って、自民党内の経済政策は、麻生太郎ら積極財政論者、谷垣禎一ら増税論者(別名緊縮財政派、財政再建派など)、中川秀直ら過激な新自由主義者(俗称「上げ潮派」)の三派に分かれる。経済政策ではいちばんマシなのが麻生らで、後二者は強弱の違う新自由主義の流れだ。
「バラマキ」との蔑称を持つ財政出動だが、実はそれ自体再分配政策だ。だが、麻生や公明党の政策では、『広島瀬戸内新聞ニュース』の言い回しを借りれば、「大手企業が儲かる景気対策」+「公明党支持者をなだめる程度の飴」の組み合わせ程度の景気対策ということになる。つまり、せっかくの再分配政策なのに、それが大手企業などに還元されてしまうから全然効果が出ないのだ。
増税派や過激な新自由主義者は、そもそも再分配などしないと宣言しているわけだから論外である。彼らは、格差を拡大し、貧困層を増やす国賊どもだと言っても過言ではない。
懸念されるのは、朝日新聞が「バラマキ」批判キャンペーンをやって、コイズミカイカクの再来を露骨に待望していることだ。今朝の紙面を見ても、5面で「漂う政策」と題した連載を開始し、「財政規律 がけっぷち」、「バラマキの要求噴出」などの見出しが躍っている。これでは朝日新聞は、最悪の新自由主義新聞だと断じざるを得ない。政局のニュースが続いているので、このところ「毎日新聞叩きに反対するキャンペーン」が滞ってしまっているが、朝日の読者は、広告が少なくて薄いとはいえ、毎日新聞に切り替えた方がまだましなのではないかと思う。とにかく、このところの朝日新聞の論調はひど過ぎる。
その新自由主義勢力の最大の希望の星はというと、小池百合子なのだろうが、現在国民の間では新自由主義的な考え方はひどく不人気だ。それに何より、麻生ら旧保守に近い勢力(実際には麻生は新自由主義的側面と新保守的主義側面を持っているため旧保守とは言い難いが)と中川秀、小池ら新自由主義勢力がぶつかり合うと、自民党分裂の可能性が高まる。自民党は、もともと政権の維持だけを目的に寄り合っている集団だから、分裂につながる策動は抑え込まれるのではないか。ニュースでは石原伸晃の名前も挙がっていたが、ネオリベはせいぜいこの石原程度の小物を立てて、増税論者の谷垣禎一あたりも加えて、もちろん本命は麻生太郎で、マスコミ受けする「白熱した議論」をショーアップして見せる。総裁選が麻生太郎の圧勝に終わったあとは、「挙党内閣」を成立させ、それが国民に好感をもって迎え入れられたところで、間を置かずに解散総選挙を行う。それが自民党主流派の描くシナリオではないかと思う。
ところで、本エントリの後半ではひとつグラフをお見せしよう。実は、70年代以降の総選挙で自民党が勝ったといえる総選挙は1980年、1986年、それに記憶に新しい2005年の3回だけなのだが、それらはいずれもその前の総選挙からの経過年数が短かった。昨日のエントリの記事を書いていてそれに気づいた私は、70年代以降に行われた衆議院選挙について、前回総選挙からの経過日数と自民党獲得議席の増減をグラフにしてみた(議席数の増減は、石川真澄著 『戦後政治史 新版』(岩波新書、2004年)に拠った)。その結果、予想通り、前回総選挙からの経過日数が長ければ長いほど、自民党の獲得議席が減る傾向にあることがわかった。

前回総選挙から3年以上経つのに自民党が議席を目立って増やした唯一のケースが1996年総選挙だが、この時はその前までの中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に選挙制度が変わった恩恵を自民党が受けたものだ。小選挙区制の恩恵を自民党が最大限に受けたのは、いうまでもなく前回、2005年の「郵政総選挙」だった。小沢一郎が深くかかわった90年代前半の「政治改革」の最大の誤りがこの選挙制度改悪である。朝日新聞の故石川真澄記者(前述『戦後政治史』の著者)は、このカイカクに強く反対したが、それを機に石川記者は朝日新聞の主流から外れていった印象を、私は持っている。
その石川記者は、選挙のデータを解析して、「亥年現象」(参院選と統一地方選が重なる12年に1度の亥年には、参院選の投票率が下がって自民党が敗れる)などの興味深い仮説を立てることで知られた人だった(但し、「亥年現象」の仮説は、昨年の参院選の投票率が高かったことで破られた)。
その石川氏に倣って、というにはあまりにお粗末ではあるが、当ブログも「前回総選挙からの経過年数が長くなるほど、自民党の獲得議席は減る」という仮説を立てたい。時間が経過して、任期満了に近づけば近づくほど、「解散カード」の威力が薄まるからという単純な理由だ。
現在は前回総選挙から約3年。選挙が1年先送りされると、自民党の議席はざっと20議席減るものと思われる。自民党が、臨時国会冒頭での解散をたくらんでいる理由もわかろうというものだ。
昨日、「報道ステーション」で星浩・朝日新聞編集委員が語っていたところによると、総選挙はもっとも早くて10月26日になるそうだ。
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思えば、イラク人質事件の1か月後の2004年5月7日、コイズミ内閣の福田康夫官房長官(当時)は突然辞意を表明し、あっさり辞めていったのだった。また、昨年8月下旬に内閣改造を断行した安倍晋三は、それから1か月も経たない9月12日、臨時国会で所信表明した翌日に辞意を表明したのだった。
昨今の福田首相を見ながら、この2つの辞任劇を思い出してはいたのだが、まさか本当に辞めるとは思わなかった。自民党は、汚れ役をすべて福田康夫に押し付け、総選挙に敗れていったん下野したのち、細川政権時の時のように裏工作を重ねて、政権に復帰するつもりなのだろうと想像していた。
しかし、そうはならなかった。党内や公明党から、「福田では勝てない、総理の首をすげ替えよ」という圧力が高まり、もともと総理大臣に就任して洞爺湖サミットでも議長になることによって人生の目的を達した福田にとっては、安倍晋三の任期はわずかに超えられなかったものの、ま、いいかといったところで、権力の座に強い執着もなく、あっさり辞任を決めてしまったものだろう。
今回の辞任表明で、誰しも安倍晋三を思い出すだろう。福田康夫は、安倍よりはましかもしれないが、五十歩百歩の無責任な「政権投げ出し」と評されても仕方ないと思う。
自民党は総裁選を行うことになり、麻生太郎が出馬表明をした。民主党が無投票で小沢一郎を三選するのに対し、自民党は大々的に総裁選を盛り上げるだろう。麻生太郎に対して誰が対抗馬として名乗りを上げるかはわからないが、誰が出てきても、総裁選で候補者同士が論戦を戦わせることが党の分裂につながるという説が、とんだ謬論であったことが証明されることになるだろう。すなわち、自民党が総裁選を行うことによって分裂することなどあり得ない。
それどころか、新しく発足する麻生新内閣は、高い支持率を得るだろう。それぞれ1年しか持たなかった安倍内閣と福田内閣の発足直後の支持率を思い出せばよい。安倍内閣は60%以上、福田内閣でさえ50%以上の支持率を獲得した。
もちろん、両内閣とも支持率はみるみる下がっていったわけで、麻生内閣も、そのままだと同じ運命をたどるわけだから、麻生太郎のとる行動は一つだけだ。
すなわち、早期の解散総選挙。今までいわれていた年末年始どころか、秋にも解散総選挙が行われる可能性が高まった。選挙で自公与党が過半数を確保すれば、新テロ特措法だって堂々と延長できる。消費税率だって堂々と引き上げられる。
安倍晋三に対しては、新自由主義を嫌う一部の右派からも批判的な言論があり、私は彼らとの共闘を是としていた。しかし、福田康夫に対して新保守主義の立場から批判する右派とは、断じて共闘すべきでないと主張した。
積極財政を主張する麻生太郎は、政治思想的には新保守主義であり、今まで安倍晋三や福田康夫を批判していた右翼たちも、麻生太郎支持に回るだろう。「HANAの会」仲間の麻生太郎が総理大臣になることによって、平沼赳夫も今回の政局における新党結成は見送り、もし自公与党が選挙で勝利すれば、選挙で間違いなく当選すると思われる平沼赳夫や城内実は、自民党に復党するだろう。
麻生太郎内閣のまま解散総選挙を先送りにする可能性は、限りなく低い。先送りにしたところで、来年9月までには衆院選を行わなければならないが、失言癖のある麻生は政権運営を続けていくうちに次々とボロを出す。安倍晋三や福田康夫と同じように、麻生太郎の支持率がみるみる下がっていくことは確実だ。だから、解散先送りが自民党にもたらすメリットは何もない。
そもそも、「解散カード」は、いつ切られるかわからないから強力なのである。過去、自民党が歴史的大勝を収めた選挙を思い出してみよう。大平内閣時の1980年の衆参同日選挙は、前年10月の総選挙で自民党が大敗してから、1年も経たずに行われた。中曽根内閣時の1986年衆参同日選挙(「死んだふり解散」)も、83年12月の総選挙で自民党が敗れてから2年半後だ。そして、3年前の郵政総選挙も、03年11月の総選挙で自民党が敗れてから2年を経過せず行われた。このように、早期の解散総選挙は、いずれも自民党に大勝をもたらした。一方、1976年の任期満了選挙では、自民党は敗れた。
幸い、今回は前回の総選挙から既に3年になるから、既に「解散カード」の威力はかなり落ちている。しかし、自民党側から見ると、このままズルズルと政権運営を続けても、麻生太郎内閣発足直後に盛り上がるであろうピークを超えることはできず、任期満了に近い選挙になってしまっては、結局元の木阿弥だ。来年夏の都議選と重なる日程をなんとしても避けたい公明党としても、これは好ましくない選択肢である。
だから、結論は一つしかない。麻生太郎が国民の歓呼に迎えられて新政権を発足させてから間を置かず、国民の信を問うと称して解散総選挙を行うのだ。
風雲急を告げる展開になった。
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8月23日付エントリで書いたように、高松での集会は、前半(第1部)が湯浅誠さんの基調講演『反貧困 ?これは「彼ら」の問題ではない?』、後半(第2部)が生活保護・ワーキングプアに関するシンポジウムだったが、湯浅さんの講演に先立って、主宰者や来賓の挨拶があった。来賓として壇上に立ったのは、民主党、社民党および共産党の政治家だったが(民主党は国会議員、社民党は県会議員、共産党は昨夏の参院選候補者)、自民党からは香川県選出の国会議員3人から祝電が来ただけだった。こういうのを見ていると、自民党というのはやはり貧困対策には不熱心な政党だと思えてしまうのだが、いかがだろうか。
湯浅誠さんの講演は、著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』と同様のトーンで、約1時間、過激にアジることなど一切なく、クールに、しかし的確に貧困問題を語っていた。
貧困問題は、中間層が非常に厚くて上流層と下流層の人が少ない「提灯型」といわれた日本社会が、富裕層と貧困層に二極化する社会構造の変化によって生じており、これがさらに進むと、中間層がやせ細った「砂時計型」の社会になってしまう。そして、今の日本の政治は、そのように社会の構造を変えなければ日本はやっていけないと考えている人たちがイニシアチブを握っている。しかし、それはおかしいと思う、そう湯浅さんは言う。
たとえばフランスでは大がかりなストライキやデモが行われて、反貧困運動が盛り上がったが、それはフランスが曲がりなりにも福祉国家であって、労働市場から疎外されても最低限の生活を営むことができるからだ。しかし、社会保障給付費の対国民所得費比率が、欧州と比較して際立って低く、しかもその大半が医療と年金につぎ込まれて福祉が薄くなっている日本の社会では、我慢できない仕事でも大部分の人はそれを受け入れざるを得ない(韓国も日本と似たような状況になっている)。ひところ蔓延した「自己責任論」も、この傾向に拍車をかけている。このような社会の構造を変えていかなければならないと湯浅さんは言う。「新自由主義」などの用語を湯浅さんは用いず、自公政権反対とも言わないが、その方向性はおのずと自公政権、特にコイズミや安倍晋三の頃の政策の方向性とは真逆にあたることはいうまでもない。今の福田政権とも、真逆、つまり180度違うとはいわないまでも、鈍角(90度より大きく180度より小さい角度)をなすくらいの方向性の違いがあるだろう。
貧困問題を解決するためには、社会の底上げが必要だ。それには、我慢できない時には「NO」という必要がある。それが市民の責任だ。緊張感を社会に走らせなければならない。そう湯浅さんは訴えた。
『反貧困』を読まれた方なら、湯浅さんが "溜め" という用語で、目に見えない生活困窮者の境遇や条件を語っているのをご存知だと思う。生活相談・支援やトラブル対応、生活保護申請付添などの社会資源を充実させ、利用しやすくするとともに、当事者のエンパワーメントが求められると湯浅さんは言う。居場所を確保して自信を持ち、いやなときには「もうガマンできない」とはっきり言い、広くつながる。そうやって "溜め" を拡大していく。それが貧困問題の解決につながっていく。
集会ではこのあと、この4月まで4年間四国でホームレスをやっていた九州出身の山口洋さんの体験談が語られた。以下、9月1日付朝日新聞香川版から引用する。
山口さんは、農家などで季節労働者をし、お堂で寝泊まりしたことがあり、高松市役所で生活保護制度のことを知り、民間団体に助けてもらったという。山口さんは、「貧困から脱出のチャンスを」と訴えた。
(2008年9月1日付朝日新聞香川版記事より)
集会は、さらに生活保護行政及びワーキングプアの現状について、各専門家、実務家によるシンポジウムが行われたが、紙幅の関係、もとい書く時間がなくなったので、記事はこれまでとする。
「反?貧困全国2008キャラバン」は、このあと今日(9月1日)と明日(2日)に香川県の自治体キャラバンが行われたあと、9月4日からは岡山、8日からは広島へと進んでいく。
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