きまぐれな日々

渡辺秀央らがぶち上げた新党「改革クラブ」は、姫井由美子の離脱によって、政治資金規正法上の政党要件である「国会議員5人以上」を満たすことができなくなり、立ち上げ早々宙に浮く形となった。

「J-CASTニュース」は、テレビ朝日のワイドショーで同局の解説委員が、姫井氏が誘いを受けた背景として、 「自分の後ろ盾として、同じ出身の平沼(赳夫衆議院議員)さんに近寄り、『平沼新党』に合流したい、という思惑がある」と解説したと伝えている。平沼赳夫の関与は、テレビでも取り沙汰されていたようだ。

「改革クラブ」という、新自由主義者(ネオリベ)がつけそうな名前がついている新党だが、参加を表明した4人は、新自由主義者というより国家主義的な新保守主義者(ネオコン)である。自民党からの働きかけがあったと言われているが、現在の自民党執行部の中心を占める「旧保守」ではなく、保守の中でも特に右寄りの、私の用語でいえば「極右」にあたる人たちである。

一人一人見ていくと、渡辺秀央は拓殖大学を卒業して中曽根康弘の秘書を務めた経歴がある。大江康弘は、関西では超金持ちで低学力の学生が行くことで有名な芦屋大学を卒業して、同郷(和歌山県)の民族派右翼議員として知られていた故玉置和郎の秘書を務めた。日本会議国会議員懇談会にも加盟している。荒井広幸は、自民党を離党(のち除名)され、田中康夫を代表に立てて新党日本を結成したが、一昨年の首班指名で安倍晋三に投票する愚挙を犯したため、国民新党から統一会派を解除されたうえ、のちには田中康夫とも対立して無所属になった。松下新平には、派手な活躍はないが、「しんぶん赤旗」が報じるところによると、靖国神社の戦争博物館・遊就館で8月中の企画として上映されている映画「南京の真実」(「南京大虐殺」はなかったと主張する戦争美化映画)の「製作委員会賛同者」リストに、平沼赳夫、稲田朋美、松原仁、西村眞吾、それに前述の大江康弘らとともに名を連ねている。また、大江康弘同様、日本会議国会議員懇談会に加盟している。いずれもそうそうたる極右議員だ。

ここで注目されるのは、荒井広幸が自民党を除名された人物であることだ。マスコミは、4人全員が自民党とのかかわりが深い、だから自民党の手引きで行動したのだろうと推測するのだが、私は極右の巨魁・平沼赳夫が彼らに手を回して新党を結成させ、平沼が次期衆院選候補者を集めて結成をもくろんでいる新党に対応する参院側の政党として位置づける狙いがあったのではないかと想像している。

姫井由美子だけはこの4人と異質だが、姫井は岡山県選出の参議院議員である。これで平沼との結びつきが頭に浮かばないほうがどうかしていると私などは思うのだが、それは私が岡山から瀬戸内海をはさんで対岸に位置する香川県に住んでいて、両県は民放テレビの放送エリアを共有しているために岡山のニュースに接する機会が多いせいに過ぎないのだろうか?

前記「J-CASTニュース」によると、姫井が同郷の大政治家である平沼に接近しようとしたというのだが、私の見方は違う。総理大臣の座を狙う政治的野心からいっても、政治家としての残り時間からいっても、平沼の方から姫井に誘いをかけたと見る方がずっと自然だろう。

しかし、土壇場の姫井の変心で、新党は宙に浮いてしまった。渡辺秀央と大江康弘は、もともと「反小沢一郎」の急先鋒のような人たちだったから、彼らは赤っ恥をかかされたことになる。それとともに、「改革クラブ」が平沼新党の参院側パーティーになった場合、「改革クラブ」は小沢一郎に刃向かう勢力という位置づけになるから、平沼新党と国民新党がブリッジとなって自民党(コイズミ一派を除く)と民主党(社民主義勢力を除く)で連立した「大連立」ならぬ「中連立」政権を樹立して、自らが総理大臣に就任しようという平沼赳夫の野望(私はそんなところではないかと想像している)は、実現が極めて難しくなった。

少し前からうすうすと感じていたのだが、小沢一郎は平沼赳夫と組もうとは思っていない。平沼と組みたいのは、むしろ国民新党の方だろうが、これには社民党の強い反対が予想される。それでも、社民党を連立から除くのは、かつての細川?羽田内閣時代の小沢一郎の所業を思い出せば大いにありうる話だが、当時と今で違うのは、民主党内で小沢は旧社会党の人たちと親密だということだ。だから、民主党、国民新党、平沼新党の三党連立も考えにくい情勢だ。

今回のドタバタ劇で、平沼新党の結成自体が遠のいたように思う。

自民党は、福田改造内閣発足に伴う人事で、「カイカク離れ」色を強めた。森喜朗は、郵政民営化を含むコイズミカイカクの見直し・再評価を明言した。

それなら、いつまでも平沼赳夫一派を放逐しておく必要もないはずだ。改造内閣人事は、コイズミチルドレンに冷たく、極右に優しいものだった。自民党は、民主党との提携が難しくなった平沼赳夫たちに復党してもらってはどうだろうか。

城内実には、静岡7区で自民党の公認候補になってもらって、民主党の斉木武志と戦う。この対戦なら、当ブログとしてはまことに残念ながら、城内が圧倒的に有利だろう。静岡7区にいては当選の見込みが全くないコイズミチルドレンの片山さつきには、佐藤ゆかり同様首都圏に回ってもらってチャンスを与える。

当然、岡山3区は平沼赳夫を自民党公認で立て、民主党は対立候補を立てる。現状では自民党候補と極右の一騎打ちになってしまい、これでは有権者に示される選択肢が右に偏り過ぎる。

各政治家の政治思想および経済政策の立ち位置からいっても、これがいちばんすっきりした形だと思うのだが、いかがだろうか。


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岡田克也、前原誠司、野田佳彦、枝野幸男らが次々と民主党代表選レースから降り、小沢一郎代表の無投票での3選がほぼ決まり、と思われた時、波乱が起きた。

昨日(8月28日)昼に、民主党の渡辺秀央氏ら3人の民主党参院議員が民主党を離党し、無所属の荒井広幸、松下新平両氏とともに新党「改革クラブ」を結成すると発表した。

民主党を離党する3人は、渡辺氏のほか、大江康弘氏と姫井由美子氏である。このうち、昨年の参院選で自民党の大物議員・片山虎之助氏を破って、「姫の虎退治」として民主党躍進の象徴ともされた姫井由美子の離党には驚かされた。

「改革クラブ」に参加予定の5人のうち、姫井由美子を除く4人には、「右翼政治家」という共通点がある。

民主党の政治家は、大雑把に言って、(1)旧保守、(2)新自由主義者(ネオリベ)、(3)新保守主義者(ネオコン)、(4)社会民主主義者・修正資本主義者に分かれる。自民党の政治家には、(4)はほとんどおらず、大きく(1)から(3)に分けられる。つまり、自民党と民主党の議員は、その政治思想および経済政策のスタンスは、民主党にのみ存在する社民主義者を除いてオーバーラップしている。これらのうち、経済政策的には(1)の旧保守と(4)の社民主義(または修正資本主義)が比較的相性が良く、1994年からの自民・社会・さきがけの三党連立は、前年の93年に成立した、非自民・非共産の7党連合による細川護熙内閣の新自由主義に対抗して、修正資本主義・社会民主主義を打ち出した政権であったとの見方もできる(実際には、政権奪取のためには自民党が手段を選ばなかっただけという色合いが濃いけれども)。

一方、政治思想的には見かけ上(2)と(4)が近く、コイズミ政権が朝日新聞や毎日新聞などにも歓迎されたのは、「カイカク」というフレーズが「革新的」なイメージを振りまいたためだ。だが、新自由主義が馬脚を現した現在は、まず民主党、そして最近では自民党も「カイカク離れ」を、少なくとも表面上は見せるようになった。いわゆる「偽装CHANGE勢力」は(2)の新自由主義者であって、彼らが「反攻」を目指しているのは確かなのだろうが、90年代半ば頃から政府が進めてきた新自由主義政策によって格差の拡大や貧困に直面する人たちの増加によって、新自由主義自体が国民の支持を得られなくなっている。また、「旧保守」も、現状に不満を持つ国民にだいぶ前に愛想を尽かされており、だからこそ、新自由主義の正体が明らかになる前の今世紀初頭に「コイズミカイカク」がもてはやされたのである。

私は、これらの流れを受けて、(4)の社会民主主義・修正資本主義に政策を転換すべきだと考えているのだが、なかなかそうは問屋が卸さず、自民党は(2)の新自由主義者を冷遇し、旧保守が中心となって、ネオコンの取り込みによって政権を維持しようとしている。厄介なことに、民主党にもネオコンは結構いるから、彼らは、国民の支持を失いつつあると知りながら、自民党側からのアプローチについ傾くのである。さらに厄介なことに、(3)のネオコンは、実は「隠れネオリベ」的体質を持っている。ここでは便宜上ネオコンとネオリベを分けて考えているが、両者の間には強い相関があるのだ。

しばらく前に郵政造反組の平沼赳夫氏によって構想がぶち上げられた「平沼新党」は、(3)のネオコンの典型である。彼らは、市場原理主義への反対を声高に叫ぶことによって、本来(4)に流れるべき人たちを(3)に吸引することを狙っているが、イデオローグの櫻井よしこがかつて郵政造反議員を批判したり前原誠司を称揚していたことなどから明らかなように、彼らは多分にネオリベ的要素を有している。首領の平沼赳夫自身、サッチャーの教育カイカクを熱心に支持しており、本質的に新自由主義者だ。私には、彼らの方こそ「偽装CHANGE」の名に似つかわしいと思える。

今回、4人の右翼政治家のメンバーと、平沼赳夫と同じ岡山県選出議員である姫井由美子という組み合わせを見て、私はすぐ、この造反劇は平沼赳夫の差し金ではないかと疑った。もちろんこれは仮説に過ぎず、その真偽はまだわからない。考えをめぐらせて見ると、もう一つ可能性があって、それはネオコンを取り込もうとする自民党の差し金ということで、この場合、平沼新党も自民党に取り込まれる対象となり、一度立ち上がって選挙で一定の議席数を得たのち、自民党に合流することになるだろう。最悪の場合は、平沼新党と国民新党をブリッジにして自民党と民主党をくっつけた「大連立」政権の樹立ということになる。この場合、結果的には「偽装CHANGE勢力の反攻」と同じ効果をもたらすわけで、単にプロセスが違うだけで、行き着く先は同じ民意無視の権力亡者と強欲な金持ちによる地獄の政治になる。悪政のもと、日本は焦土と化してしまう。

今回の渡辺新党が平沼赳夫の直接の差し金による場合、渡辺新党は今後立ち上げられる平沼新党の参院側の対応政党となり、いずれ両者は合同することになるだろう。自民党からの差し金である場合、渡辺新党と平沼新党は表向き別々に行動するが、この場合は両方ともいずれ自民党に吸収されることになるだろう。民主党の一部も、それに吸い込まれる。

最終的には、民主党から(4)の社会民主主義・修正資本主義の勢力は弾き出され、社民党や共産党を合わせたところで、勢力は議会の3分の1を占めることができず、新自由主義は復活し、日本国憲法は改定されてしまうのではないか。こんな暗い予感を抱かずにはいられない今回の3議員の造反劇だった。

それにしても、渡辺秀央や大江康弘は許せても、姫井由美子だけは許せない。前二者が極右議員であることは、最初から経歴などから明らかだったが、姫井由美子は実は姫の皮をかぶった狼だったからだ。「姫の虎退治」どころか、狼が赤頭巾ちゃんならぬ虎を騙し討ちにしたようなものだ。私でさえ無念でならないのだから、姫井に投票した岡山県の人たちの心中はいかばかりだろうか。姫井が実質的な与党議員となった今となっては、姫井が当選するくらいなら、NHKカイカクをめぐって竹中平蔵と厳しく対立した旧保守の政治家である片山虎之助が当選していた方がまだマシだったと思うのは、私だけだろうか。

民意を無視した裏切り行為を働いた姫井由美子には、議員辞職を求めたいが、厚顔無恥な姫井由美子が辞職するはずもなかろう。とてもいやな気分の週末を迎えてしまった。


[追記] (2008.8.29 19:00)
なんと姫井由美子が民主党離党を撤回し、渡辺秀央らの極右新党結成の構想は宙に浮いた。
http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008082901000497.html

なんて人騒がせな議員だろう。「姫の皮をかぶった狼」というより、「姫の皮をかぶった鵺(ぬえ)」とでも呼ぶべきだろうか?

もっとも、当ブログは既に姫井由美子を見限っており、姫井を許したりなどはしないことを明言しておく。


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ペシャワール会は、ソ連のアフガニスタン侵攻4年後の1983年から活動を続け、人道的援助で名高く、現地でも信頼されていた。だから、まさか伊藤和也さんが殺害されるとは思わなかった。

それだけに、昨日、伊藤さんの死を知った時の衝撃は大きかった。またネット右翼が「自己責任論」を撒き散らしているかと思って掲示板などを見てみたが、「自己責任論」の声は思ったほど多くなく、「イラクの人質と同じにしてはいけない」という意見も結構あった。私は、4年前のイラク人質事件での「自己責任論」も否定しており、あの時に世論を煽った勝谷誠彦や、内閣官房長官として冷たいコメントを残した福田康夫を今でも許していないが、当時と今では風がずいぶん変わり、新自由主義のエッセンスともいうべき「自己責任論」なる、実は無責任きわまりないことを言う人間が激減したことを好ましく思う。

もっとも、産経新聞のブログ「iZA!」界隈には、今でもいわゆる「自己責任厨」がいて、くだらないエントリを上げてきたが、それに多数のネガティブコメントを伴った「はてなブックマーク」がついて晒し者になっている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://ponko.iza.ne.jp/blog/entry/694828/

これを見てもわかる通り、もう新自由主義の時代ではない。どうやら解散総選挙は年末年始になりそうだが、コイズミチルドレンには「座して死を待つ」以外の選択肢はない。昨年の参院選でも、自民党は何の手も打てなかった。仮にコイズミ一派が新党を立ち上げたところで、自民党、民主党との三つ巴を制することはできない。仮に、前原誠司がコイズミ一派と合流しても、前原にくっついて民主党を出ていく者など誰もいない。だから、前原はこれまで同様、民主党内で異端の声をあげ続けるだけだろう。つい一昨年には、この男が民主党の代表だったなどとは、今となっては信じられない。コイズミは、「政治家は使い捨て」だといって、余生をオペラ三昧で過ごすだろう。キングメーカーにはなり損ねたが、コイズミにはさほどの執着もあるまい。

前原が、「アフガンへの空自派遣も検討せよ」と主張しているようだが、これもちょっと考えられないくらいのKY発言で、国民の多くは、武力でアフガニスタンに平和をもたらそうという試み自体が不毛であることに気づき始めているのではなかろうか。

いや、不毛だけならまだしも、このところ政府がアフガンへの陸上自衛隊派遣を検討していると報じられたことが、もともとは親日的だったアフガンの人たちの対日感情を悪化させ、それが今回の伊藤さんの痛ましい死につながったのではないか。そのうえに空自派遣まで主張する前原は、単なるミリヲタの右翼野郎としか思えない。

一方で、コイズミチルドレンの中にも、自己責任論を批判する山内康一のような人もいる。もっとも、こんな主張を持っているのにもかかわらず、イラク人質事件で自己責任論を煽りまくったコイズミ自民党の公募にどうして応じたのか、そこは理解できない。

朝日新聞の報道によると、ペシャワール会現地代表の中村哲医師は、「治安の悪化に対する認識が甘かった」と話した。同会は、約20人にいたジャララバードの日本人スタッフの半数を4月に帰国させ、残りも年内に出国させることになっていた。「以前は日本人なら大丈夫だったが、4月ごろから対日感情も急速に悪化していた。伊藤くんをとどめた私が悪い」と中村氏は悔やんだとのことだ。

毎日新聞は、下記のように伝える。

 事件が報じられた26日午後から繰り返された記者会見。それまで冷静さを失うことのなかった福元さんの声が一段と大きくなったのは、政情不安が高まるアフガンで、活動を続ける是非を問われた時だった。「ここで挫折しては絶対にだめだ。非難の声は甘んじて受けますが、これでやめると日本人はだめになる」。ほおには悔し涙がこぼれていた。

 伊藤さんの訃報(ふほう)を伝えてきた中村医師は電話口で「良くない方の推測になった」とつぶやいたという。誤報であってほしい願う半面、遺体を確認したのが現地の村人だったと聞き、希望は絶たれた。5年間、共に畑で汗を流した伊藤さんの顔を、村人が間違えるはずはない。その後、ペシャワール会のスタッフも身元確認をしたという情報も入り、望みは打ち砕かれた。

 現地スタッフは、拉致された伊藤さんを捜索するため、1000人もの村人が総出で山を登ったことを伝えてきた。その話を紹介した福元さんは「伊藤君、つらかったなと。でも君はやったなと、そう言ってやりたい」と語り、一瞬救われた表情を見せた。

(毎日新聞 2008年8月28日 0時01分(最終更新 8月28日 0時48分))


大部分の住民から信頼されていても、一握りの悪意を持った人たちがいるとこういう事態になってしまう。そして、それを誘発したのは新テロ特措法であり、町村信孝による陸自のアフガン自衛隊検討発言だ。

中村医師は、「9・11」テロから1か月後の2001年10月に、日経BPのインタビューに答えている。
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/150/150174.html

このインタビューの最後に、中村医師は次のように述べている。

 嘘みたいな話ですが、1億円もあればカブールの人が全部助けられる。我々が今回やる緊急の食料援助プロジェクトで試算すると、1家族10人が3カ月の冬を越すのにたったの6000円で済む。これで急場をしのいでいるうちに、国連などが動き出すはずです。

 こんなふうに死にかけた小さな国を相手に、世界中の強国がよってたかって何を守ろうとしているのでしょうか。テロ対策という議論は、一見、説得力を持ちます。でも我々が守ろうとしているのは本当は何なのか。生命だけなら、仲良くしていれば守れます。

 だから、日本がテロ対策特別措置法を作ったのは非常に心配です。アフガンの人々はとても親日的なのに、新たな敵を作り、何十年か後に禍根を残します。以前は対立を超えてものを見ようとする人もいましたが、グローバリズムの中で粉砕されていく。危険なものを感じます。

(「アフガンで活動18年、中村医師が語るタリバンの真実」=日経BPネット、2001年10月24日=より)


この発言から7年、中村医師の懸念は現実のものとなった。それも、ほかならぬペシャワール会の職員が犠牲になった。

伊藤和也さんのご冥福を、心よりお祈りしたい。それとともに、今回の悲劇が、新テロ特措法の延長などという愚挙のために悪用されないことを、心から念じる。


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アフガニスタンで、日本のNGO「ペシャワール会」の日本人職員・伊藤和也さん(31)が拉致される事件が起きた。

産経新聞などは、早々とタリバンの犯行だと報じたが、朝日新聞は、「日本政府はアフガン内務省、外務省と連携して情報収集を続けている」とのみ報じている。

たまたま、民主党代表選が無投票となる見込みであるために議論されなくなりそうな、昨年小沢代表が唱えたISAFへの自衛隊の参加の是非をめぐって、小沢氏支持派の『カナダde日本語』の管理人・美爾依さんと小沢氏批判派の私の間で議論をしていたところで(下記URL)、その際に、ペシャワール会代表の中村哲医師に双方ともしばしば言及していたので、このニュースに驚いた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080824/1219552566
(注:議論はコメント欄で行っており、「cocomilk」は美爾依さんの「はてな」でのHN)

昨夜一時、伊藤さんの無事解放が伝えられながら、誤報と判明するなど、情報が錯綜しているが、一刻も早い伊藤さんの無事解放を祈りたい。

それとともに、この事件が、右派による軍拡論議の口実に利用されないよう、十分警戒しなければならない。


PS
残念ながら、伊藤さんが遺体で発見されたと報じられた。事実ならまことに残念なことだ。
何がこのような事態を招いてしまったか、それを精査し、責任の所在を明らかにすることが、今回の悲劇を無駄にしないために求められると思う。安易な対米従属路線や、理念だけはあっても実態を無視した国連至上主義は不毛だ。


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民主党の代表選は、小沢一郎代表が無投票で3選となりそうだが、このことそのものより、これをめぐる言論の状況が、どうにも腑に落ちない。

昨日、「はてブニュース」で興味深いエントリを見つけた。それは、ブログ『かみぽこぽこ。』の、「民主党はどうなっているのか」と題された4回シリーズのエントリだ。外からはなかなかわかりにくい民主党内のグループについて、民主党の成り立ちについて、そして、民主党が少数野党である衆議院より多数を占める与党である参議院において生き生きと活動していることなどについて、鮮やかな分析がなされていて、実に興味深い。そんな民主党の姿を国民に知らしめるためにも、代表選で百家争鳴の論戦があってもよかったのではないかと思う。

上記『かみぽこぽこ』のエントリには多くの「はてなブックマーク」がついているが、その中のコメントにもあるように、参院民主党についての分析が特に秀逸だ(シリーズ第3回のエントリ=下記URL=を参照)。
http://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/diary/200808230002/

参院では前原誠司・仙石由人氏らのグループは10人ほどしかおらず、仮に彼らが与党側に転じても、参院における野党の過半数割れにはならないから、小沢代表にとってさしたる脅威にならないこと。さらに、参院の前原グループの中には、教育行政に一生懸命取り組む鈴木寛氏や、日銀総裁人事など金融問題に取り組む大塚耕平氏などがいて、彼らは政局に巻き込まれるより自らの政策の実現に熱心で、民主党を離れようとするとは思われないこと。そもそも、参院で第一党となった民主党の議員は、輿石東参院会長の下で国会運営をやりがいを持ってやっていること。さらに、マスコミではガソリン税問題に関する民主党の審議拒否ばかりが報じられたが、他の法案については、野党がガソリン税の審議に応じないことを理由に自民党が審議拒否していたこと。

これらがわかりやすく指摘されている。こういう記事を読むと、陳腐なマスコミ報道に代わり得るネットの言論に接することができた、と思える。もっともこれは稀有な例で、現実には著名人たちが書いているブログでも、陳腐な記事や、一部の読者たちを扇動するだけの記事しか読めないことが多い。中には、擬似科学や陰謀論を助長する記事を書く著名人さえ何人かおり、そういう人たちの記事を読んでいると、「日本人の知性の劣化」というフレーズが脳裏に浮かんで絶望的な気分になる。

しかし、『かみぽこぽこ。』のエントリを読んでいると、救われた気持ちになる。これを読んでいると、「自民党から偽装CHANGE勢力が決起し、それに民主党から前原誠司氏のグループが呼応する」などという俗説がナンセンスであることがよくわかる。凡百のブログは、前原誠司、仙石由人、野田佳彦、枝野幸男、岡田克也氏ら、小沢一郎氏と距離のある政治家たちを十把一絡げに、そう、まるで郵政解散・総選挙の頃にコイズミに反対する人たちを「抵抗勢力」と呼んだコイズミ信者と同じような扱いをするが、それがいかにバカバカしいことであるかを痛感する。「結束を乱す」とか「反乱分子」っていったい何のことだ。それって、ナチス・ドイツやスターリンのソ連、毛沢東の中国、そしてコイズミの自民党などとどこが違うのか。

呆れてものも言えないとはこのことで、しかも「反乱分子」を糾弾する人が、民主党にすり寄ってくる極右勢力(平沼赳夫一派)には極めて甘いのはいったいどういうことなのか。私はブログで何度も何度も疑問を投げかけているのだが、まともに答えてくれる人は誰もいない。それならはっきり書かせてもらうが、私は、「偽装CHANGE批判」をしている人たちの一部は、平沼一派と癒着しているのではないかと疑っている。これは、仮説であって陰謀論ではない。この仮説が誤りであることを明確に示していただけさえすれば、私はこの仮説を取り下げる。

民主党には、ポピュリズムに走りやすい欠点がある。また、従来からの反中・反韓に加えて、反米色を強めてきた平沼一派にも、強烈なポピュリズムがある。彼らが「国士」に見えるとすると、それは彼らのポピュリズムに幻惑されて、見る目を失っているのだ。そして、民主党と平沼一派のポピュリズムが結合した時、自公政権より日本を戦争に導くリスクがはるかに高い、危険な政権が生まれかねないと私は考えている。

外交及び安全保障問題に関しては、社民党が政権内から、共産党が政権外からそれぞれ民主党に歯止めをかける必要がある。平沼一派は、民主党に歯止めをかけるどころか、歯止めを外して戦争への道へと暴走させる勢力だ。今はまだ彼らのグループは大きくなく、新党さえ結成できていない状態だが、危険の芽は早めに摘み取っておきたいものだ。


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北京五輪が閉幕した。日本チームの選手たちは、2大会連続2冠の競泳男子平泳ぎ・北島康介を筆頭に、よく健闘したと思う。男女のマラソンで、故障のため出場を取り止めたり完走できなかった選手、あるいは完走はしたものの最下位に沈んだ選手もいたが、それも過酷なトレーニングあればこそで、栄光と紙一重の故障だったのではないかと思う。私はあまり強く責める気にはなれない。

でも、どうにもいただけなかったのが男子サッカーと野球の惨敗である。プロの選手たちを集めたチームが、なぜか「反町ジャパン」「星野ジャパン」といった監督の名前で呼ばれ、過去の五輪でも例を見ない惨敗を喫した。

もはや五輪にアマチュアリズムを持ち出すのはナンセンスであることは承知しているが、このサッカーと野球のていたらくは、見る者をしらけさせた。

特にいただけなかったのは両方の監督である。サッカーの反町康治は、ナイジェリア戦の前に、「座して死ぬくらいなら、飛び込んで死のう」と、まるで特攻隊のようなことを言ったり、既に予選敗退の決まったあとのオランダ戦の前には、「オランダはうまいから前からボールを取りに行かなくていい」と言って選手たちから批判を浴びるありさまだった。

プロ野球の監督時代から、鉄拳制裁で知られてきた星野仙一の場合、球界から干されるのが怖い選手たちは星野を表立って批判はしていない。しかし、五輪の試合における星野の采配ミスのひどさといったらなかった。一人で3敗を喫した岩瀬仁紀や、考えられないような失策を連発したG・G・佐藤など、明らかに調子の悪い選手にこだわって何度も起用し、そのたびに岩瀬は打たれ、佐藤は失策を演じた。そもそも星野は、中日や阪神の監督を務めていた頃から短期決戦に弱く、調子の悪い選手の起用にこだわるクセもあった。当然、星野が日本シリーズを制したことは一度もない。最初に日本シリーズの采配を揮った1988年の西武対中日のシリーズでは、第1戦に先発して打たれた小野投手を、1勝3敗と追い込まれた第5戦で再び先発させて打たれ、最後に日本シリーズの采配を揮った2003年のダイエー対阪神の日本シリーズでも、第2戦に先発して乱打された伊良部投手(先日暴行事件で逮捕された)を、3勝2敗と王手をかけた第6戦に再び先発させて打たれた。特に後者は、監督自らがシリーズの流れを変えた大チョンボで、当時阪神ファンは星野の采配に怒り狂っていたものだが、中日や阪神の監督時代の日本シリーズでやったと同じ采配ミスを、五輪でもやらかすのだから、どこまでも懲りない男だ。

星野は、主力選手と仲が悪いことでも知られる。中日時代の同僚の四番打者・谷沢健一を使いたくなかったので、監督就任時に引退させたという話もあったし、その時にロッテとの大トレードで獲得した落合博満とは、最初から最後まで合わなかった。落合が星野と同じ中日を率いて、星野をはるかに上回る成績を残していることはいうまでもない。

たまたまネット検索していたら、谷沢健一がブログで五輪の野球日本チームを論評している記事を見つけたのでご紹介する。これが、ワサビが効いていて実に面白いのである。

『谷沢健一のニューアマチュアリズム』 より
「遠い五輪野球の金メダル(その1)」
(2008年8月24日)
http://blog.goo.ne.jp/yazawa_2005/e/6f57b1119492305b85a6b57d53c63472

「遠い五輪野球の金メダル(その2)」
(2008年8月24日)
http://blog.goo.ne.jp/yazawa_2005/e/a40761db5f8a6a31f972f4796c3677ae


これらのエントリから何箇所か引用、紹介する。

 韓国、キューバ、米国にしても同じ強い緊張現象が起きていた。兵役免除のかかっている(軍役の知らない私たちにはピンと来ない)韓国、帰国後の経済的処遇に天地の差が生じる(貧富差を知らない私たちにはピンと来ない)キューバ、メジャー昇格やドラフトのかかっている(私たちにも少しはわかる)米国は、緊張の質が異なる。一人一人が明日から人生が変わるのである。結果として、かかっているものの重さの順がメダルの順位になった。

 一方、日本にかかっているのは初の金メダルという名誉である。その名誉は、自分が金メダルチームの一員になるというワン・オブ・ゼムの名誉にすぎない。人生が変わるとしたら、星野監督であり、金メダル獲得によって、WBC代表監督就任が確実になり、長嶋ジャパン(五輪)と王ジャパン(WBC)両方の後継者としての地位が確立する。この温度差は大きい。

(「遠い五輪野球の金メダル(その1)」より)


 アマチュアの五輪経験者たちが口を揃えて言うのは、「アマの試合はもちろんだが、とくに国際試合では、審判にクレームをつけるのは下の下だ。プロの感覚で審判に文句を言ったら、試合後の審判たちのミーティングで槍玉に挙げられるだろう」ということだ。韓国もそれを知っていたろうが、最終試合で堪忍袋の緒を切ってしまった。

 日本は、監督自らがずいぶん早く緒を切ってしまい、危うく退場になりかけた。審判に不信感を与えたことも敗因の一つだろう。

(「遠い五輪野球の金メダル(その2)」より)


 それにしても、監督にすべてを負わせすぎではないか。○○ジャパンなどと表現される事態がおかしいのである。最高の権限をもつ組織のトップと、現場で総指揮を執るチームのトップとの間に、それなりの緊張感がなければ、必ず偏向と堕落が生じる。当人にそのつもりがまったくなくても生じるのは、歴史が教えている。

(同上)


2000年のシドニー五輪までは、野球の五輪代表チームが監督の名前を冠して呼ばれることはなかった。プロの選手は参加していたが、全球団が五輪に協力的だったわけではなく、シドニー五輪の時には巨人と阪神は選手を出さなかった。巨人は、1997年から1999年まで3年連続でリーグ優勝を逸していて、五輪なんかに協力してやれるか、という姿勢が露骨だった。シドニー五輪では日本は4位に終わったが、長嶋巨人は優勝し、そのニュースは女子マラソンの高橋尚子選手の優勝と同日だったので影が薄かったが、巨人と癒着している東京のスポーツ紙は強引に巨人優勝を一面トップに持ってきたことは以前に当ブログで書いた通りである。

ところが、長嶋茂雄が巨人の監督を辞めると、長嶋が五輪の監督に就任することになり、「長嶋ジャパン」なる名称が生まれた。巨人(や阪神)も、一転して五輪に協力するようになったが、なんて勝手なんだとあきれ返ったのを覚えている。

結局長嶋は、五輪直前の2004年に病に倒れ、代わりに中畑清が采配をとったが、銅メダルに終わった。この時も、背番号「3」のユニフォームをベンチに飾るなどして長嶋を偶像視していたから、こいつらいったい誰のためにプレーしているんだ、としらけてしまい、オーストラリア代表として出場した阪神のジェフ・ウィリアムスが二度にわたって日本打線を抑えて日本を破った時には、思わず拍手喝采してしまった(笑)。

そんな私だから、「星野ジャパン」なる呼称にはまたかと思ったし、短期決戦における星野の弱さも知っていたから、どうせ負けるだろうとは思っていたが、あまりに星野らしい負け方にあっけにとられてしまった。世間では岩瀬やG・G・佐藤ばかり責められているが、誰にだって調子の悪い時はある。そんな時は監督が起用を避けるべきだ。星野は、やはり不調だったダルビッシュ有は、最初打たれた後はあまり重用しなくなったが、岩瀬を使い続けたのは、かつて采配をとっていた中日の選手だからではないか、と勘繰りたくなるほどの偏重ぶりだった。

でもまあ、これで来年のWBCにおける星野監督の目はなくなっただろうし、球界における星野の地位もガタ落ちだろう。もっとも、星野の場合、自民党が目をつける可能性が高い。星野はもともと右翼的な人間で、読売新聞のナベツネとも親しいから、政界入りして自民党の集票マシーンと化すことは警戒しなければならないかもしれない。

それにしても、長嶋だの星野だのと、選手のプレーそっちのけで監督ばかりが脚光を浴びる風潮は本当にどうにかしてほしい。この点では、プロ野球界はかつてと比べて現在はひどく劣化している。かつては、阪急ブレーブスの西本幸雄、上田利治両監督のように、選手としての実績は乏しくとも、指導者としての才能を見出されて若くして監督として登用されて成功した例が多かった。ところが、いつの頃からか現役時代の名プレーヤーでなければ監督になれないようになった。私は、これも1975年の長嶋監督以来ではないかと考えているのだが(上田利治が阪急の監督として指揮をとったのは1973年からだった)、プロ野球界は指導者を育てるシステムさえ放棄して、現役時代のスタープレーヤーばかりを監督に据えるようになった。これは、その方が、その監督の現役時代からのファンが球場に足を運び、観客動員数が増えるからだ。チーム作りより目先の利益にこだわったのだ。

最後に、谷沢健一のブログの結びの部分を引用、紹介する。このブログを読んで、谷沢という男は、卓越した批評眼を持った人物だと感心した次第だ。

 8月15日の朝日新聞で、作家の重松清氏が書いている。「星野ジャパンには、もちろんメダルを期待したい。でも、それ以上に「野球の魅力を世界の子どもたちに伝える」という大きな使命があるんじゃないか。(中略)グラウンドを見てごらん。野球っていうスポーツ、面白いだろう?」

 日本の子どもたち、世界の子どもたちに野球の面白さ・楽しさを伝えることを怠っている限りは、再び五輪で野球を見ることはないだろう。そして、ついに野球は世界スポーツにはならないだろう。21世紀の野球人(責任ある立場の野球人)を名乗る資格のあるのは、それを知っている者ではないだろうか。

(「遠い五輪野球の金メダル(その2)」より)


今のままだったら、もう五輪で野球なんか見られなくたってかまわない、そう思わせる五輪の日本野球チームの敗退だった。


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当ブログの大きな問題点の一つとして、地域に密着していないことが挙げられる。アクセス解析を見ても、地元・香川県の読者は、人口比くらいしかいない。

これは、ブログ管理人が本州から四国に流入した人間であることと、ブログでもっとも訴えたい事柄である「反新自由主義」の意見を持つようになったいきさつが、地域とは直接関係を持たなかったためだ。だから、これまで地域の話題はほとんど扱ってこなかった。

しかし、この姿勢は改めなければならない。そこで、その手始めに、タイトルのバックに用いていた画像を、愛媛県の瓶が森(石鎚山系の山)から香川県の讃岐富士(正式名称・飯野山)に改めるとともに、本エントリを「地方版」として、「反貧困★全国2008キャラバン 高松集会」のお知らせをしたい。当ブログの県内の読者はほんのわずかだから、ほとんどPRにはならないけれども。

反貧困キャラバンが香川県にやってくるのが今月末だということは知っていたので、ネットで調べてみたら、高松市議会議員・植田真紀さんのブログ『(ほぼ)日刊まっきー。』に案内の記事が掲載されているのを見つけた。

『(ほぼ)日刊まっきー。』 より
「反貧困★全国2008キャラバン」
(2008年8月6日付記事)
http://blog.livedoor.jp/makkie_u/archives/51386700.html


以下、植田さんのブログから転載する。
--------
【反貧困★全国2008キャラバン 高松集会】

とき:2008年8月31日(日) 13:00?16:30
ところ:高松市文化センター 3F講堂
    (760-0068 高松市松島町1-15-1 TEL 087-833-7722)
資料代:一般 500円/弁護士・司法書士 1000円
内容:基調講演 『反貧困 ?これは「彼ら」の問題ではない?』
    湯浅 誠さん(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長)

    第2部 生活保護・ワーキングプアに関するシンポジウム
         ?生活保護行政・ワーキングプアの現状について、
                  各専門家、実務家が話し合います?
--------
都合がつけば、当ブログ管理人も参加したい、というより、湯浅誠さんが高松に来られると知って、これは是非行かなければならないと考えている。

[追記]
こちらにも、集会の案内記事が出ています。

『反貧困でつながろう』 より
「8/31 反貧困キャラバン in 高松」
(2008年8月17日付記事)
http://d.hatena.ne.jp/hanhinkon/20080817


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臨時国会の召集時期をめぐって、自民党は8月下旬、公明党は9月下旬を主張し、福田首相がその間をとって(?) 9月中旬と言ったら、民主党の代表選とバッティングするとかで民主党が文句を言い出した。

その民主党の代表選だが、小沢一郎代表に対抗馬を出す動きが出ると、それに対する激しい批判が出るのは理解に苦しむ。以前、出馬を検討するとしていた枝野幸男氏は、前原誠司氏らが属する「凌雲会」に属しているため「前原・枝野派」などと称されることもあるが、枝野氏は菅直人氏が主宰する「国のかたち研究会」にも属しているし、社民党の辻元清美氏ともパイプを持っている。枝野氏出馬の話はいつの間にか聞かれなくなってしまったが、仮に出馬して敗れたところで、それが民主党の分裂につながるなどということはあり得なかった。

出馬するかどうか揺れ動いたのは野田佳彦氏だが、産経新聞の報道(下記URL)などを見ていると、どうやら野田氏も出馬を見送らざるを得ない情勢のようだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080822/stt0808220200000-n1.htm

産経の記事によると、野田氏自身のほか、野田グループの馬淵澄夫、武正公一、近藤洋介各衆院議員らが野田氏の出馬に意欲を見せたのに対し、有力幹部の松本剛明前政調会長らが慎重論を唱え、結局グループだけでは立候補に必要な推薦人を集めきれない見通しになり、積極派は前原グループから推薦人に加わってもらうことを検討したものの、積極派の中からさえ、「小沢氏とかなりの距離を置く前原グループから多くの推薦人を出してもらうと、小沢執行部と決定的に対決すると党内でみられてしまう」とのためらいが生じて、出馬を見送ることになるのだという。

外野では、朝日・毎日を含む各紙が、民主党に代表選の実施を求める一方で、小沢一郎代表への対抗馬として出馬の動きが出るだけで、「党内の結束を乱す」、「自公政権を助ける」、果ては「自公政権が非自公票の受け皿として偽装CHANGE勢力を用意する」などと言い出す人たちがいて、心からうんざりする。

そういう人たちは、結局小沢一郎氏に全権を委任せよ、と言っているのだろうが、昨年の「大連立騒動」を思えば、小沢氏への全権委任は、大きなリスクを伴うと私は思うのだが、そのリスクへの評価はなぜかまともになされることはない。

確かに、現在の政局はもはや「大連立」に向かう方向性は消えているように見えるが、小沢一郎氏には『世界』の昨年11月号で主張したISAF派兵論などに見られる、日本を「普通の国」にしようとする、90年代以来の思想も残っている。私はやはり民主党の代表選には、誰か対抗馬が立って議論が行われるほうがよかったのではないかと思うのである。

もちろん、民主党の議員たちからしてみれば、政権奪取が目前に迫って、ここで敗北必至の立候補をしたり、その推薦人に名を連ねたりすると、新政権ができても大臣になれなかったりグループが冷遇されるのを恐れる、そんな気持ちが強いのだろうけれど。それでも、もっと小沢一郎路線に対する議論があっても良いように思う。

私がいうのは、田原総一朗が主張するような、新自由主義側からの対抗言論ではなくて、左派側からの対抗言論なのだが、左派は早々と小沢一郎支持を打ち出した。正直言って、その時点で私は民主党の代表選への関心が薄れてしまっている。だが、議論はないよりあったほうが良いに決まっている。

論点はいくつもあって、景気対策、貧困問題、外交・安全保障問題、地域の活性化、環境・エネルギー問題などだ。それらのうち、環境・エネルギー問題について、敵側(笑)の雑誌である『潮』の北欧特集を読んで興味を持ち、再生可能エネルギーの開発推進について論陣を張ろうとし始めたところに、「地球温暖化陰謀論」なる障害物にぶち当たってしまって、それへの批判にいくつかのエントリを費やす羽目に陥った。

当ブログは、温室効果ガスによって地球温暖化が進んでいる可能性が高く、それらが地球環境に不可逆的な変化さえもたらす可能性さえあると指摘されている現状に対して、「地球温暖化仮説」を前提とした対策を講じることは当然であると考える。また、再生可能エネルギーの開発を推進する政策を打ち出すためには、多額の税金を投入する必要があるが、産業を興し、雇用を生み出すことができるので、確実な見返りが期待できる税金の使い道だと思う。そしてこういう政策は、「小さな政府」を主張する自民党の新自由主義勢力にも、原子力発電業界とどっぷり癒着した旧保守勢力にも打ち出せない。つまり、「非自公政権」の目玉にできる政策なのではないかと思うのだが、「リベラル・左派系」ブログが大々的に「地球温暖化陰謀論」を宣伝しているようでは、味方の足を引っ張るようなものだ。そんな陰謀論を撒き散らすブログを読むくらいなら、環境・エネルギー問題に力を入れると宣言して、定期的にこの問題に関する社説を掲載している朝日新聞を読む方がよほどましだと思うのだが、こんなことを書くと、大新聞に媚びを売る体制側の言論だ、などと言い出す人がいる。そういう人たちがやっているブログなど、しょせん「反体制運動ごっこ」のお遊びに過ぎないと私は思うのだが、いかがだろうか。

最終的には、国民生活をよくする方向にもっていくために、1日の訪問者数が2000人そこそこのブログであっても声をあげることは決して無駄ではないと考えている。訪問者数2000人のブログが、別の訪問者数2000人のブログに影響を与えて、賛意を表するエントリが掲載されれば、両方のブログを読む人が500人いると仮定しても、3500人の読者に記事が読まれることになる。もし、説得力のある意見であれば、ネットを介して広められていき、ある時多数派になる可能性だってあるだろう。

もちろん、私が書いているのは、新聞、雑誌、書籍などの引用・紹介が主であって、オリジナルの意見などでは全くないのだが、その道の専門家たちが練り上げてきたものに対抗して、ど素人のブロガーがそうそう簡単に新機軸を打ち出せるはずもない。

できるのは、世の中にある言説から、良いと思われるものを取捨選択し、それを広めていくことだ。革命家を夢想してブログで荒唐無稽な記事を書いたところで、そんなものはそのうち自然淘汰されていくだけだろう。


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現在、「毎日新聞叩き」に反対するキャンペーン第3弾の記事と、地球温暖化に関する記事をそれぞれ準備中だが、ようやく涼しくなり始めたことでかえって夏バテが出てきたのか、なかなかまとまらない。

そこで、苦しまぎれというわけでもないが、たまたまこのエントリが当ブログ開設以来700本目に当たるので、2年4か月ブログをやってきて、特に最近思うところについて書いてみたい。

「日経サイエンス」の9月号に、「ブログは健康によい?」という記事が掲載されていて、ブログなどの自己表現的な文章を書くことは、ストレス解消になり、心身の健康維持に有効であることは昔から知られていると書かれている。

このメカニズムについて、神経学的な研究もなされていることが紹介されている。但し、その神経生物学的な理解は「推論の域を出ない」とも指摘されているし、本エントリでその内容を詳しく紹介するつもりもない。

ただ、記事中にある「ブログ執筆者の多くは半ば強迫的に執筆しており、ブログにも意欲が関係している」という、ハーバード大学・マサチューセッツ総合病院の神経科学者・フラハティーの指摘には大いに思い当たるところがある。

ブログを開設しても最初は読者が誰もいなくて、自分自身のアクセスだけしか記録されず、ブログにアクセスしなかった日のアクセス数は0件だった。それでも、更新を続けていくうちに少しずつ人さまにアクセスしていただくようになり、ある日、ブログに書いた内容と関連する事件が起きた時、ブログへのアクセス数が日に3桁に達し、その頃から他のブロガーとの交流が始まるようになる。最初のうちは、そのネットワークは劇的に広がり、思いもかけないできごとにも遭遇する。安倍晋三が統一協会に祝電を送ったことがネットで暴かれた件は、私のブロガー人生にとって運命的なできごとだった。それからしばらくは、ブログに夢中になり、のめり込んでいった。この頃は、一日一日が新鮮な驚きの連続で、1か月が1年にも思えたものだ。私にとって、2006年6月は生涯忘れられない月になった。

そうして、ある程度の固定読者が得られた頃から、「半ば強迫的に記事を書く」日々が始まる。ブログ記事の執筆は、ある程度ルーチン化してしまうのはどうしても避けられないが、その中でも最低一箇所は新機軸を盛り込もうと考えながら記事を書いた。この段階で、書くべきものが枯渇しているのに、「毎日ブログを更新しなければならない」などという制約を自らに課してしまうと、いつ見ても同じような記事しか載っていない、金太郎飴のようなブログになってしまう。忙しかったり疲れていたり、何も書きたくない時、あるいは書くべきものがない時などには書かないと割り切ることが必要だ。そうでないと、一度更新が途切れた時に緊張の糸が切れてガタガタになってしまう。完全を求めすぎないことが、ブログを長く続けるためには必要だ。

私としては、それぞれの記事に、他の記事とは違った性格を持った一個の作品としての性格を持たせたい、そういう意図をもって記事を書いている。そうはいっても、同じ著者が書くブログだから似通った記事がいくつもできてしまうし、一度や二度書いただけではダメで、口を酸っぱく繰り返して書かなければならない事柄もあると思うので、その兼ね合いが難しい。

アクセス数は、励みにはなるが、あまり気にし過ぎると、書きたいことを書くのではなくアクセス数が稼げそうな記事を書くという本末転倒になる。政治ブログをやっていると、読者が減ることは合目的的でないので、読者のニーズはかなりの程度意識するが、読者に迎合することはしない。個人的には、累積アクセス数を励みにしており、現在だったら、トータルアクセス数累計が200万件に到達するまでは頑張るぞ、などと考えている。200万件には、このままなら来月に到達の見込みだ。

「日経サイエンス」の記事に戻ると、ブログを書くことによる治療効果について、推論の域を脱した成果は得られていないようだが、がんなどの深刻な病気と診断された人々がブログに慰めを見出す例が増えているという。それらが病院のウェブサイトなどに掲載されて、似たような境遇の読者が理解してくれて、個人が互いにつながり、相手の表現に注目し、コミュニティが形成されていくと指摘されている。

政治ブログなどをやっていると、コミュニティの形成もあるが、コミュニティ間の対立が生じたり、ある議題をめぐってコミュニティが分裂したりもする。また、似た主張を持つ人が集まった時、互いのブログしか読まないようになってしまうと、視野が狭くなってトンデモに走るなどしてしまいがちだ。

新聞の場合だと、総合面、社説、政治面、国際面、経済面、生活面、芸能面、文化面、スポーツ面、地方面(地域面)、社会面、投書欄、ラジオ・テレビ欄などがあって、同じ事柄でもいろんな視野から見る記事が読めるし、記者によって主張が違うのでいろんな意見に接することができるというメリットがある。

ブログではなかなかそうはいかないので、今後、有機的に構成された共同運営サイトの構築などが望まれると思う。今でも、インターネット新聞と題するサイトはあるが(以前記事にされた経験からいうと、記事にする対象に何の取材もないなど、問題も感じられた)、市民ブログ発では成功したとはいえない試みがあるくらいだ。つまり、まだまだ大きな流れにはなっていない。また、共同運営サイトを構築する場合でも、トンデモに走らないように、文化人・知識人の助けを借りる必要が生じてくると思う。

もっとも、最近は知識人が率先してトンデモに走る、それこそとんでもないご時世のようだが...


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一昨日のエントリで、「毎日新聞叩きに反対するキャンペーンを開始する」と書いたところ、TBいただいたimanakasaikouさんのブログ「変なこと」
および、当ブログにコメントいただいた「水なす」さんのご賛同をいただいた。
お礼を申し上げる。

私がこの件について声をあげたのは、これは今回のエロ記事騒動で、毎日新聞社内がかなり揺れており、同社が「毎日jp」の閉鎖まで考えているという情報(下記URL)に接したことが遠因になっている。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200808121618

このネット時代にウェブサイトを閉鎖することは、遠からず社自体の存続が危ぶまれる状態に陥るのではないかと思った。もっとも、毎日新聞社は上記の報道を否定し、報道元に厳重抗議をしている(下記URL)。
http://www.technobahn.com/news/2008/200808131841.html

いずれにしても、毎日新聞社内のみならず新聞業界全体が大揺れしているのは間違いないようである。毎日新聞OBのジャーナリスト・佐々木俊尚氏が書いた下記記事には、1000件を超える「はてなブックマーク」がついている。

「CNET Japan」 ? 「佐々木俊尚 ジャーナリストの視点」より
「毎日新聞社内で何が起きているのか(上)」
(2008年8月5日)
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/08/05/entry_27012752/

「毎日新聞社内で何が起きているのか(下)」
(2008年8月11日)
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/08/11/entry_27012908/


佐々木氏の記事をご参照いただければ、この件がそんなに生易しい問題ではないことをご理解いただけるかと思う。

さて、「kojitakenの日記」でキャンペーン開始を予告しただけで、70件を超える「はてなブックマーク」がついて、17日の「kojitakenの日記」へのアクセス数は6千件を超えた。つい1週間前、同じ「kojitakenの日記」に、櫻井よしこを批判するエントリを上げた時にも、やはり70件以上の「はてなブックマーク」がついてブログへのアクセス数が5千件近くに達したが、櫻井批判の時は記事に好意的な「はてブコメント」が大半だったのに対し、今回は、公開直後はなじみの方からの好意的なコメントが多かったものの、エントリが注目されるにつれて批判的なコメントが増え、最後にはそれらでほぼ埋め尽くされることになった。実際に「毎日新聞叩き」に参加されている方からのコメントもあったものと推測している。

この騒動は最初ネット右翼が騒いでいたが(例の「維新政党・新風」も参加しているようだ)、それが2ちゃんねるの「既婚女性板」(通称「鬼女板」)に飛び火して、そちらで大騒ぎになっているのだという。但し、「kojitakenの日記」および当ブログへの2ちゃんねる経由のアクセスはほとんどなく、「はてな」のホットエントリや、累積アクセス数が1億件を超える某サイト経由のアクセスが多かった。騒動は、もはやネット右翼や「鬼女板」を超える広がりを持つに至っているようだ。

「鬼女板」のスレッドを覗いてみたが、意外に冷静で、「毎日新聞を潰せ」という声はほとんど見られなかった。しかし、「はてブ」にいただいた否定的なコメントを見ると、そこには、「毎日新聞を擁護しようとするなんて」というものが多い。ネット右翼も「鬼女板」も離れて、毎日新聞叩きに純化した人たちの集団が生じていて、それらの人たちが群集心理に突き動かされて行動しているように見受けられる。

ここで行動というのは、「毎日jp」に広告を出していた企業に「電凸」攻撃をかけたり、毎日新聞を相手取って訴訟を起こしたりしたことを指す。特に、佐々木俊尚氏が書くように、前者のパワーはすさまじいものだったようだ。

「鬼女板」の読者の方からは、「鬼女板は、ネット右翼の共闘の申し入れを毅然として拒否した」という指摘をいただいている。当ブログは、そんな人たちまで批判しようとは思わない。だが、ネット右翼や、「毎日新聞叩き」自体に凝り固まって群集心理で動いている人たちに対しては、強い批判を加えていきたいと思う。実際に破壊力のある、「テロ」ともいえる行動を起こしている人たちが問題なのだ。

厄介なのは、エロ記事や、批判を受けた時の最初の対応の誤りに関しては、毎日新聞に全面的に非があることだ。リテラシーの低い人たちの中には、この騒動に右翼政治家(城内実)が便乗しているという当ブログの指摘を取り上げて、「陰謀論」だとか騒いでいるが、当ブログが「右翼政治家たちが毎日新聞を潰すためにこの行動を起こさせた」などといつ書いたのか示してほしい。私は、右翼政治家がこの騒動を政治利用していると書いただけだ。まず毎日新聞の失態ありきだったと、コメント欄でではあるが、はっきり書いている。

その他にも、「これが読売新聞や産経新聞が起こした騒動だったら、ブログで取り上げなかっただろう」などというコメントを寄せてきた常連コメンターもいるが、馬鹿も休み休み言えと言いたい。この件は、そんな問題ではない。

論じるに値するには、パプパフさんの下記コメントだ。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-712.html#comment3827

(前略)
 時代が進むにつれて大衆のニーズが、新聞・ラジオ・テレビ等のマスメディアからネット情報への移行頻度が高まりつつある今日の問題であるが故に、今回のこの事件がネットからの情報供給という事態を象徴し大きな問題化となっていることに、毎日新聞自体が気付いていない事が更にネットから批判されているのだと思う。

 ニュースの隠蔽や捏造、または情報操作等が過去に幾度と無く行なわれてきましたが、その都度マスメディアは「遺憾に思い、残念です。今後二度と無いように鋭意努力し…云々」という御託を並べ、「表現の自由」という伝家の宝刀をかざしつつ居直ってきた事実に対して、大衆は一方通行の垂流し情報には飽きてきたということにはなりませんか?


フランスの高級紙「ル・モンド」でさえ、ネット時代への対応を誤って、発行部数が半分以下に減少し、記者の3分の1を解雇するなどして、経営危機に見舞われていると聞く。前述の佐々木俊尚氏の記事によると、毎日新聞には、ネットに対するスタンスをめぐって、社内で大きな対立が起きているという。同社の姿勢に大きな問題があることは、私も同感だ。

しかし、私がなぜ「毎日新聞叩き」に反対するキャンペーンを始めたかというと、ネットの言論はまだまだ新聞を置き換えるだけの内実を備えていないからだ。特に「政治ブログ」の界隈の実態はひどいもので、昨年後半来ずっと批判を続けているように、左右を問わず、陰謀論や擬似科学に平気で汚染されるし、簡単にポピュリズムに走ってしまう。

よく「マスゴミに騙されるな」という合言葉を目にするが、そんなことを書いている人たち自身が陰謀論や擬似科学に騙されているのだから世話はない。

従来のマスメディアには問題も多く、特にテレビが垂れ流している害毒は大いに批判されなければならないと思うが、新聞を読むことには、ネットから情報を入手するだけでは得られないメリットがある。次回のキャンペーン記事(明日のエントリとは限らない)では、それについて述べたいと思う。


[注意]
「名無し」およびそれに類するHNのコメントは受け付けませんので、ご了承ください。


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※本記事に書いた「毎日新聞叩きに反対するキャンペーン」は、2010年7月5日をもって終了しました。詳しくは下記リンク先をご覧下さい。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1089.html
(以上、2010.10.11追記)


当ブログは、現在ネット上で盛んな「毎日新聞叩き」に反対するキャンペーンを開始する。本エントリは、そのイントロダクションだ。

本エントリに先立って、「kojitakenの日記」に、「[予告]夏休み明けには「毎日新聞叩き」に反対するキャンペーンを開始します」と題したエントリを公開したところ、これに多数のコメントと「はてなブックマーク」がついて、またもこの「裏ブログ」へのアクセス数が急増した。

当該記事URL:
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080816/1218830696

「はてなブックマーク」URL:
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080816/1218830696


これは、最近ネットを騒がせている、毎日新聞の英語版サイトが長年にわたってエロ記事を掲載していた件に関して、ネットで「毎日新聞を潰してしまえ」という声が猛烈に沸きあがっていることに対して、この騒ぎの行き過ぎを批判しようとするものだ。最初から当ブログのスタンスを明らかにしておくと、毎日新聞を「潰せ、潰せ」と大合唱しているネット言論を批判するとともに、この騒ぎを利用しようとしている右翼のもくろみを叩く意図がある。

もちろん、今回の毎日新聞の失態は強く批判されるべきだ。特に、最初の対応を誤ったことは責められなければならない。毎日新聞は、批判に対して謝罪と反省の記事を掲載しながら、その末尾に、一部批判者の行き過ぎに対しては対抗措置をとると言明し、これが「無反省」「開き直り」だとして再度批判されることになり、騒ぎを拡大させた。狭いブログの世界でも、批判に対する初動を誤ったばかりに騒動が延々と続いた例を見てきたばかりだが、それと酷似した誤りを毎日新聞が犯してしまったわけだ。

しかし、これが大失態であることは言を俟(ま)たないにしても、そこから「毎日新聞を潰してしまえ」とばかり異様に盛り上がるネット言論には、看過できないものを感じる。しかも、これに乗じて、毎日新聞社が発行した雑誌に批判的なことを書かれた右翼政治家が、自らのブログで毎日新聞を激しく攻撃する記事を公開したりもしているのだ(具体的に誰が書いたどういう記事を指すのかについては、上記「kojitakenの日記」をご参照いただきたい)。

昨日、当ブログの昨年9月22日付エントリ「世論を一色にするのがマスメディアの特質だ」に2件のコメントをしてきたネット右翼がいた。

それらのコメントを、私は承認せず削除したが、その2件目はこんなものだった。

日付:08/08/16
投稿者:オプーナ

追記。

そういえば変態(毎日)新聞の捏造記事については言及しないんですね(笑)
つまり、日本を貶めるのはおkってことですね?

あなた何人ですか?
嘘吐き野郎はとっとと消えろ


なんどもひどいコメントだが、こんなやつらが大騒ぎして、それに右翼政治家が火に油を注いでいるのが、今の「毎日新聞叩き」の実態なのだ。

いま、世界的に見ても新聞というメディアは岐路に立っており、フランスの有名な高級紙「ル・モンド」も経営危機に瀕しているという。

毎日新聞は、朝日新聞や読売新聞などについてもいえることだが、「ル・モンド」のような高級紙ではないが、イギリスなどで盛んな「大衆紙」とも違う、両者の中間的な性格を持った新聞だ。歴史的には、毎日新聞は「西山事件」(1972年)をきっかけに大きく経営が傾き、1977年に一度経営破綻したあと再建した経緯がある。現在でも部数は伸び悩んでおり、経営は相変わらず安定しているとはいえない。毎日新聞が潰れる日はいつ来てもおかしくないのである。

毎日新聞の特徴は、社内の言論の自由度が大きく、右翼的な記者から極左の記者までを抱えていることだ。この傾向は他紙には見られない。特に、主筆のナベツネには絶対に逆らえない読売新聞とは強い対照をなす。裏を返すと、毎日新聞の社風は結構無政府主義的だということで、締めつけの緩さが今回のエロ記事事件のような失態を招いてしまったのではないかと思う。

この新聞が潰れることは、日本の言論にとって大きなマイナスであると当ブログは考えるので、今後、「毎日新聞叩き」に反対するキャンペーンを継続的に行っていく予定だ。

最後にもう一度おことわりしておくが、当ブログは毎日新聞のエロ記事事件を不問に付すわけではない。あの件への毎日新聞の対応はまずかったし、今でもそれが十分改善されているかというと、疑問符がつく。

しかし、それはそれとして、岐路に立つジャーナリズム全体の問題として、「毎日新聞叩き」について考えていきたいと思うのだ。


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今日は63回目の「終戦記念日」。例年なら、新聞の一面に終戦記念日の関連記事が載るはずの日だ。

ところが、今年の朝日新聞(大阪本社発行統合版=14版▲)の一面は、五輪の記事で埋め尽くされていて、終戦記念日の記事は「天声人語」にあるだけだ。競泳の北島康介の二大会連続二冠は、もちろん一面トップで称えられるべき快挙だし、1984年の具志堅幸司以来、24年ぶりに体操個人のメダルを獲得した内村航平の記事を一面に載せることにも異議はないが、「星野J 台湾破り初勝利」などという見出しを載せるくらいなら、終戦記念日の記事にスペースを割くべきだろう。

朝日新聞は、三面には社説と村山元首相のインタビューで、まるまる終戦記念日の記事に充てているとはいえ、「きょう 63回目終戦記念日」という記事は、なんと社会面に三段で小さく出ているだけだ。もちろん、他の記事を戦争に関連づけるなど、それなりに終戦記念日を意識した紙面づくりはしているが、少なくとも昔の朝日新聞とはまるで違う。

コイズミは首相在任中最後の2006年の終戦記念日に靖国神社に参拝したが、今年もコイズミは参拝した。福田首相は以前からの言明通り、参拝していない。しかし、農水相の太田誠一が靖国に参拝したほか、法相・保岡興治と消費者行政推進担当相・野田聖子も参拝予定だそうだ。前首相・安倍晋三も予想通り参拝した。

今年は、李纓(リ・イン)監督が撮った映画『靖国 YASUKUNI』が、稲田朋美らの妨害工作はあったものの公開されたが、これを機に靖国に関心を持って、靖国神社の正体が、戦没者を悼む施設などではなく、「英霊」を「顕彰」する戦争推進の施設であることを知った人も多いだろう。しかし、右翼政治家による靖国参拝は相変わらず後を絶たない。唯一の救いは、北京五輪開催中の現在、右翼系のコイズミ?安倍から福田政権に代わったことだろう。しかし、閣僚の靖国参拝は安倍内閣時代の昨年が1人(高市早苗)だけだったのに、今年は3人と増えているありさまだ。これでは、不戦の誓いどころではあるまい。

テレビなどでも、右翼言論人の物言いはだんだん過激さを増してきている。先日来当ブログでは、櫻井よしこの「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」という発言を批判するキャンペーンを張っているが、櫻井発言など右翼の跳ねっ返りの典型例だろう。櫻井は、『正論』9月号にも安倍晋三との対談で登場し、福田政権の拉致問題への対応を批判し、安倍をしきりに持ち上げている。

しかし、不思議でならないのは、いわゆる「リベラル・左派系」で櫻井や安倍晋三を批判する声が意外なほど小さいことだ。なぜか、「反貧困」のためには左右が手を組め、という声が主流で、「憲法9条派」と「憲法25条派」が連携すべきだという主張が聞かれる。当ブログは、憲法9条と憲法25条は、それぞれ独立にではなく、関連づけて論じるべきだと主張し、改憲に執念を燃やす右翼を批判しているのだが、それに対して、「右とか左とかうるさいことをギャーギャー言うな」と批判を受けることが多い。それも、当ブログが批判している対象である右翼からではなく、ネット上の左翼からその種の批判を受けるのだ。いったいどうなっているのか、頭が混乱してしまいそうだ。

一つだけ言えるのは、ブログを開設しているネット上の左派の人たちの多くは、自らの主張よりもブロガー同士の人間関係を優先して、その中で声の大きい(というか、アクセス数が多いというべきか?)「左右共闘」論者の言うことに従ってしまっているように見えることだ。

最近つくづく思うのだが、右翼、左翼を問わず、ネットの言論は極端に偏っていて、すぐに変な方向に集団で動いて行ってしまう。カルト的とさえいえるくらいだ。そして、ブログのコメント欄への書き込みを専門にしている、いわゆる「コメンター」は特に陰謀論や擬似科学を好む傾向が強く、ブロガーをそういう方向に誘導したがる。私はブログを始めるまで、きくちゆみの存在さえ知らなかったし、その存在を知ったあとも、彼女が「9・11陰謀論」の大家であることを知るまでには、かなりの時間を要した。リチャード・コシミズなる人物の名前を知ったのは、ほんの去年の秋だ。

しかし、今にして思い出すと、「AbEnd」キャンペーン(安倍を「the End!」させよう、を合言葉にした反安倍晋三のブログ運動)を始めて間もない頃、きくちゆみのブログにTBしてみろと私をけしかけたコメンターがいた。「水からの伝言」騒動にかかわってからは、コメンターの多くが陰謀論や擬似科学に汚染されていることを知った。その中の一人は、昨年末だったかにブログを開設して、「水からの伝言」の批判派に対して「解同」(部落解放同盟)というレッテルを張ったし、別のコメンターは同じ批判派を「ソーカルト」(創価学会とカルトを掛け合わせた造語らしい)呼ばわりした。そして、何も知らずに、素朴な気持ちから政権に批判的なブログを立ち上げた人の多くが、陰謀論者や擬似科学愛好者に騙され、引っかかっていく。あげくの果てには、安倍晋三とつるんでいる櫻井よしこがテレビで日本国憲法を全否定する暴言を吐いても、それを批判できなくなってしまう。というのは、「櫻井さんは、○○さんが入れ込んでいる△△一派の×××さんを応援している」からなのだ。櫻井は、かつてコイズミを厳しく批判していたことがあり、自民党政治を終わらせるためには手を組むべき相手だということなのだろう。噴飯ものである。

しかし、ブロガー連中がこのていたらくでは、平和国家・日本の未来は暗澹たるものかというと、決してそうではない。憲法改定に賛成する意見は年々減っているし、一般庶民は、維新政党・新風も9条ネットも応援しないけれども、自民党の政治がダメだと思ったら昨年夏の参院選のように自民党を惨敗させ、共産党が反貧困に力を入れるようになったと思ったら、2ちゃんねらーでさえ「志位GJ」と共産党にエールを送る。右も左もひたすらカルトに走りたがるブログに比べて、ブログほどネットにかかわらない掲示板投稿者の方がまだしも健全だし、それよりももっと健全なのが、「マスゴミに騙されている」はずの一般庶民なのだ。「庶民的」を売り物にしながら、コメンター連中にいいように操られて、陰謀論と擬似科学の広告塔と化してしまったブログとは大違いである。

ま、裏を返せばブログの影響力なんてたかが知れているということで、ブログに騙されるほど国民はバカじゃないことを思い知ったのが、安倍政権が倒れて以来のこの1年で私がいちばん痛感したことだ。

ところで、これまでの自公政権は、政治思想的には右翼的な国家主義、経済政策的には新自由主義をとってきて、これは国民をとことん不幸にする政治路線だったため、ブログで記事を書いていても批判が容易だった。

しかし、今後は麻生太郎が公明党とタッグを組んで、少なくともコイズミ?安倍時代のような露骨な新自由主義はとらなくなるだろう。それによって、このままだと「昭和20年」ならぬ「平成20年」に自公政権がジ・エンドを迎える流れに何とか歯止めをかけようとするはずだ。しかし、彼らの真の狙いは政官業癒着構造の温存にほかならない。

これに対し、政権を批判する側が用心しなければならないことが2つあって、一つは新自由主義のポジションから政権側が距離を置いたとしても、「カイカクが後退した」などと新自由主義的な立場からの批判を行ってはならないということだ。あくまで国民生活を良くする福祉国家的な立場に立って物事を考えたい。

もう一つは、排外主義に走らないことだ。現在のように国が傾いている時には、ポピュリズムを得意とする右派民族主義勢力は、従来からの「反中」「反韓」「反北朝鮮」に「反米」を加えて、日本人の自尊心をくすぐってくる可能性がある。そして、このような時代においては、国民はそれに引っかかりやすい。櫻井よしこや、今後反米に転じる可能性の高い安倍晋三、それに彼らとの親和性の高い、いずれ結成されるであろう平沼新党は、そういう危険性を持った勢力だ。

彼らに騙されて変な方向に走り出すと、せっかくの終戦記念日の不戦への誓いもどっかに飛んでいってしまう。国力が傾いている時期にこそ、我慢強く、漸進的な方法論によって日本の社会を良い方向に変えていく努力が必要だと考える次第だ。


[後記]
1か月近く無休(毎日更新)で走り続けてきましたが、今後は休日はできるだけ休むようにするなど、ブログを公開しない日をはさみながら、じっくりとブログで意見の発信を続けたいと思います。とりあえず明日は公開をお休みします。


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明日は終戦記念日だが、ふと今年が平成20年であることを思い出した。私はふだん元号をほとんど使わないのだが、昭和20年8月15日が終戦の日であることを思い出し、今年、平成20年もまたある種の終戦が近いのではないかと思わずにはいられない。

それは、開発独裁から新自由主義へと進んだ、戦後日本を良くも悪くも支配してきた自民党政治の終わりである。

来年9月までに行われる次の衆議院選挙では、昨年の参議院選挙同様、民主党の圧勝と自民党の惨敗が予想されている。自民党は、民主党が代表選で党内に亀裂が入り、そこにつけ込んだ政界再編を狙っていたことと思う。しかし、その可能性はほとんどなくなった。

『文藝春秋』9月号に、民主党の岡田克也が「小沢さんは私と違う 政権奪取宣言」という論文を寄稿している。先だって、『政権交代―この国を変える』(講談社)という本を出した岡田克也が、この時期にこういう論文を日本を代表する月刊誌に載せるということは、普通なら民主党代表選に出馬することを意味する。しかし、先日岡田克也は不出馬を表明した。

これはどういうことかというと、当初岡田克也は不退転の決意で代表選に出馬するつもりだったのに、それを止めてしまったということだろう。陰謀論的に想像をめぐらせる人もいるかもしれないが、出馬しても惨敗に終わって大きなダメージを受けるからだと考えるのがもっとも自然だ。

民主党内の代表的な新自由主義者である前原誠司も、代表選への出馬見送りを表明した。党内左派は、早々と小沢一郎支持を決めている。出馬を検討していると伝えられていたのは枝野幸男だが、その後どうなったか。仮に枝野が出馬しても党内に亀裂が入ったりはしないことは、8月1日付エントリで指摘した。つまり、自民党が期待するような民主党の党内抗争が起きる可能性はきわめて低いということだ。それどころか、自民党と公明党の間がギクシャクしてきたことは周知の通りである。

サンデー毎日_080817号表紙『サンデー毎日』がこのところ次の衆議院選挙を予想する記事を掲載している。8月17日号では、政治評論家の小林吉弥氏の予想として、自民党は205議席で政権から転落する、としているが、これでもかなり自民党に甘い読みで、共同通信配信と思われる「四国新聞」の記事に、自民党内では160議席くらいしか獲得できないという内部調査が得られたとあった(当ブログ8月4日付エントリ参照)。

同誌はさらに8月24日号で、電話世論調査に実績を持つ「(株)ジー・エフ」社の協力のもと、全国の注目26選挙区の情勢調査を行った結果を報じた。

サンデー毎日_080824号表紙この結果はなかなか衝撃的だ。「町村」「古賀」落選危機の驚がくデータ、と表紙に謳っているが、自民党の大物では他にも武部勤、津島雄二、山崎拓、鳩山邦夫らが軒並み落選の危機で、山崎拓などは民主党候補に倍以上の差をつけられている。また、町村信孝や津島雄二もかなりの大差をつけられているといった具合だ。大臣になったばかりの野田聖子も、民主党候補と互角となっている。

さらに悲惨なのはコイズミチルドレンで、佐藤ゆかりが民主党の元職にリードされているほか、川条志嘉は民主党候補ばかりか無所属の左藤章にも差をつけられて3位だ。もっとも悲惨なのが自民党の公認を得られそうにもない杉村太蔵で、数パーセントの支持しかなく、泡沫候補も同然だ。

だが、私がもっとも驚いたのは静岡7区の情勢だ。ここは、現職の片山さつき、民主の新人・斉木武志、それに前回郵政民営化法案に反対して刺客(片山さつき)を送られて敗れた無所属の城内実の争いなのだが、なんと城内の支持率が過半数で、片山及び斉木にそれぞれ3?4倍の差をつけて圧勝の勢いだ。少なくとも雑誌に掲載されたグラフからはそう読み取れる。

総じてコイズミチルドレンにはすさまじい逆風なのだが、私はもっと民主党が公認を決めた斉木武志への支持が多いとばかり思っていた。だが、現実は城内圧勝の情勢のようだ。『サンデー毎日』は、政治評論家・有馬晴海氏による、

自民党から追い出されたイメージで同情を誘う造反組の城内実前衆院議員の戦略が奏功しているのでしょう。片山氏には目下の自民への逆風もマイナスに働いたようです。

というコメントを紹介している。

つまり、前回の総選挙でムードに流されて片山さつきに投票した同じ有権者が、今回はやはりイメージ戦略に乗せられて城内実に投票しようとしていると見ているわけだ。実際には平沼赳夫や櫻井よしこ(笑)らが熱心に城内を応援している影響も大きいとは思うが。

とにかく、現状は自民党が嫌われているのであって、決して民主党が支持されているわけではない。もし民主党が本当に支持されているなら、斉木武志にもっと支持が集まるはずだ。だがそうはなっていない。高知1区でも、無所属の橋本大二郎が圧勝の勢いで、自民・民主の候補は、ともに橋本に遠く及ばない。

これらの調査結果から読み取れるのは、とにかく自民党は徹底的に忌避され、特にコイズミチルドレンは飽きられていることだ。政策的には、新自由主義は不人気で、テレビによる「カイカクが足りないのに、福田政権はカイカクを後退させようとしている」というプロパガンダは、ほとんど功を奏していない。コイズミは今でも国民の間に高い人気があると思うが、それは「コイズミカイカク」が支持されたからではなく、単にコイズミのキャラクターに人気があるだけだ。「小泉さんなら何をやっても許してしまう」人は大勢いるが、コイズミチルドレンの「カイカク」の訴えには誰も耳を貸さない。

こんな状況では、コイズミがチルドレンを引き連れて新党を結成し、前原誠司ら民主党の新自由主義者がそれに呼応する、などといういわゆる「偽装change勢力の反攻」など起こり得るはずがない。むしろ、民主党を中心とした新政権がどういう連立の構成になり、どういう政策を打ち出すかについて考えていかなければならないと思う。当ブログは、あくまで民主・社民・国民新党の三党を中心とした政権が望ましく、公明党や平沼新党などは絶対に連立に加えてはならないと思う今日この頃なのである。


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2日続けて不愉快な櫻井よしこの暴言を取り上げ、ブログへのアクセス数は増えたが、何しろ櫻井の暴言が暴言だけに、精神衛生上は全くよろしくない。そこで、今日は北京オリンピックの話題を取り上げたい。

今回の北京五輪は、日本チームにとってハードラックが続く。福田内閣になってかなり改善されたとはいえ、コイズミ時代の冷え切った日中関係の後遺症はまだまだある。先日、中国側による「なでしこジャパンに中国の観衆から声援が送られた」という報道をご紹介したが、それには多分に外交辞令が含まれていたかもしれない。実際には、日本チームの選手たちはかなりのアウェーの雰囲気で競技をしているようだ。

そのプレッシャーからか、男子サッカーは開幕から連敗し、早々と予選落ち。日本チームが獲得した金メダル3個は、いずれもアテネ五輪で優勝した選手の連覇だ。そして、その連覇がもっとも期待されていた選手の一人である女子マラソンの野口みずき選手が、左太もも裏の怪我で欠場することになってしまった。

1992年のバルセロナ五輪における有森裕子選手の銀メダル以来、日本選手はこの種目をお家芸にしていて、96年のアトランタでは同じ有森が銅、2000年のシドニーでは高橋尚子が金、そして前回、2004年のアテネでは野口みずきが金と、4大会連続のメダル獲得、2大会連続の優勝をなしとげている。今回も、野口選手は金メダル候補の最右翼といわれていただけに、欠場はとても残念だ。酷暑の北京でのマラソンに出場すれば、選手生命を失いかねないとのことで、欠場の結論に至ったとのことだが、野口選手の心中を察するに余りあるものがある。

過去4大会の女子マラソンは、いずれもドラマチックなレースで、有森、高橋、野口3選手の個性がとてもよく出ていて、いずれ劣らぬ素晴らしいものだった。有森の場合は、本人が「初めて自分で自分をほめたいと思います」と語ったアトランタより、果敢にエゴロワを追ったバルセロナの方が印象深い。あのレースでは、エゴロワが抜け出し、2位集団が互いに牽制し合うジリジリするような展開だった。その中から有森が果敢に抜け出してエゴロワを追い、はるか引き離されていたエゴロワをとらえた。最後の最後に再度エゴロワに突き放されたが、有森の勇気は実に素晴らしかった。あれは確か有森と同じ岡山県人の人見絹江以来、64年ぶりの女子陸上選手のメダルだったはずだ。有森はアトランタでも同じパターンでファツマ・ロバを追ったが、今度ははるか及ばなかった。しかし、2大会連続のメダルはお見事だった。

シドニーでの高橋尚子の金メダルについては、いまさら贅言を費やす必要はないだろう。あの頃の高橋は、世界最強の女子マラソン走者だった。彼女がひとたびスパートをかけると、誰もついていけなかった。見ている方にとっては痛快だが、あれをやられたライバル選手にとっては大きなショックになるそうだ。そんなショックをはね返したのが、今回2大会連続で出場する土佐礼子で、彼女は2000年のシドニー五輪選考会となった名古屋マラソンで高橋のスパートについていけずに完敗したが、2004年の同じ名古屋で、選考する選手をとらえて逆転優勝し、アテネ五輪代表の座をつかんだ。この大会で土佐が勝てなければ高橋が代表に選出されると見られていたが、土佐の優勝によって高橋は選から漏れた。そして、今年の名古屋マラソンに高橋は出場したが惨敗し、野口、土佐に続く3人目の北京五輪代表になることはできなかった(優勝した中村友梨香が代表に選出)。時代の流れである。

4年前のアテネは酷暑のレースで、野口みずきのスパートに、世界記録保持者のポーラ・ラドクリフらがついていけず、ラドクリフは悔し涙を流しながら途中棄権した。これは、イギリスのファンに大きなショックを与えたそうで、掲示板には野口みずきを誹謗中傷する書き込みが現れたと聞いた。日本でも、高橋尚子の熱狂的なファンが2ちゃんねるなどで野口を誹謗中傷していたから、そういう意味でも野口は不運な選手だ。かつて所属していた企業があこぎな商売で悪名高かった影響もあるようだ。

しかし、アテネ五輪の過酷なレースを制した野口みずきは素晴らしかったし、今回も同様に過酷な条件といわれており、野口にはうってつけだなと私は思っていて、当然ながら金メダルを期待していた。それだけに、欠場は本当に残念だ。女子マラソンに出場する日本選手は、土佐礼子と中村友梨香の2選手になったが、2人の活躍に期待したい。また、野口みずき選手には、焦らずじっくり怪我を治して、2012年のロンドン五輪を目指して頑張ってほしい。

北京五輪の女子マラソンは、17日日曜日の午前7時半(日本時間で同8時半)から行われる。当初15日金曜日に予定されていたが、日本のテレビ局の圧力によって、日程が変更されたといういきさつがあるそうだ。地上波では日本テレビが中継する。ふだんなら「サンデーモーニング」(TBS)、「日曜討論」(NHK)、「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)などを見る時間帯だが、私はおそらくチャンネルを切り替えながら両方見ることになるだろう。

ところで、個人的には、前回のアテネ五輪でもっとも印象に残ったのは、卓球の福原愛とミャオミャオ(オーストラリア)の試合だった。ミャオミャオは漢字で苗苗と書き、中国出身の選手だが、オーストラリア代表で出場した。福原は1回戦はシードで、これが2回戦、福原の方が格上だったが、試合はミャオミャオが2ゲームを連取して第3ゲームもリード。ところがそこから福原が逆転で第3ゲームを取ると、第5ゲームまで3ゲームを連取。一気に勝つかと思われたが、第6ゲームはミャオミャオが奪い返してタイ。そして、最終の第7ゲームも大接戦となった末、福原が辛うじて勝った。私が見ていたのはNHK-BSだったかの録画で、手に汗を握りながら見ていた。実はその時にはとっくに結果が出ていたのだが、幸い結果を知らなかったので試合を存分に楽しめた。テレビ東京が行った生中継は、福原が2ゲーム取られてピンチの状態から始まり、30分程度放映し、試合が終わらないまま番組は終了したそうだ。

この試合で負けたミャオミャオだが、容姿やプレースタイルが日本人ファンの心をつかんで、2ちゃんねるにミャオミャオのスレッドが立つなど、大人気となった。あげくの果てには、ミャオミャオが飛行機の中で酔っ払って暴行に及んで逮捕されたというデマが飛び交い、ネット上でバカバカしい騒ぎが展開された。あの頃は、まだ「政治の季節」になる前で、そんなバカ騒ぎに興じることができた。

勝った福原は、次に格上とされていた米国のガオジュンと対戦した。ガオジュンも漢字で高軍と書く中国出身の選手で、2ちゃんねるでは「ガオガオ」と呼ばれていた(笑)。強敵とされていたこの選手との対戦では、一転して福原は4-0のストレート勝ちを収めた。しかし福原はベスト8をかけた4回戦で韓国の金暻娥に敗れ、入賞はならなかった。

今回の北京五輪にもミャオミャオとガオジュンは出場するそうだ。ミャオミャオやガオジュンにとっては、他国の代表として母国に帰ってきた今回の大会は、特別に感慨深いものだろう。そして福原愛は、コイズミ政権下での日中関係が冷え込んだ時代に中国に渡り、中国での人気も高いと聞く。だからこそ、北京五輪でも旗手に選ばれた。その福原は、世界ランキング12位だそうだが、抽選の結果、3回戦からの出場となり、これに勝てば4回戦で世界ランキング1位のでアテネ五輪単複の覇者・張怡寧(中国)と対戦する組み合わせとなったそうだ(下記URLの毎日新聞記事による)。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20080812k0000m050095000c.html

なんともハードラックだが、健闘を期待したい。卓球は今日13日から団体戦、18日からシングルスが始まる。女子シングルスの3回戦は20日、4回戦は21日に行われる予定だそうだ。時間帯が悪くて生中継は見られそうにないのが残念ではある。


[追記] (2008.8.14)

福原愛とミャオミャオは、北京五輪でも日本対オーストラリアの団体戦で対戦した。団体戦のシングルスは5セットマッチだが、またしても両者相譲らぬ熱戦の末、11-9, 9-11, 11-9, 6-11, 11-4のゲームカウント3-2で、福原がミャオミャオを破った。しかし、オーストラリアも日本も予選で韓国に敗れ、オーストラリアは予選落ち、日本は3位決定トーナメントに回ることになった。福原はオーストラリア戦でミャオミャオに辛勝したものの、シングルスではスペイン戦で1勝1敗、韓国戦で1敗の計2勝2敗で、調子が上がらないようである。一方のミャオミャオは団体戦のシングルスでは1勝もできず3連敗に終わった。


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昨日は当ブログに3709件、「kojitakenの日記」には4838件のアクセスがあり、当ブログでは6月以降の最多、「kojitakenの日記」では今年に入って最多をそれぞれ記録した。

これは、櫻井よしこのトンデモ発言を 「kojitakenの日記」で取り上げたためだ(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080810/1218343896

櫻井の発言は、加藤智大が起こした「秋葉原連続通り魔事件」について論じた8月10日のテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」で飛び出した。

ところで、昨日のエントリについた「はてなブックマーク」の最初のコメントで、p_wizさんという方から、

文章構成から見て、特定の発言のみをクローズアップして印象を操ろうとする、情報操作の臭いがプンプンする。どこかに番組全体の記事起こしか動画をアップロードしている所はないかな?

という批判を受けた。

だが、この批判は妥当ではない。そもそも、コメントをつけた人が番組を見てさえいなかったことは明白だ。私は、関心のあるテーマを扱った討論だったので見ていた。櫻井の当該発言に呆れ返って、それ以降注意が散漫になったのは確かだが、討論自体は最後まで聞いていた。そして、櫻井の当該発言は、ある部分だけを切り取ったものではなく、櫻井の主張の核心部分だったのである。番組のテロップにも映し出されていたほどで、放送前の打ち合わせの時から、秋葉原事件の原因を日本国憲法に求める櫻井の主張を、番組がクローズアップしようとしていたことは明らかだ。もちろんそれは櫻井との合意のもとになされたことだったはずである。

p_wizさんも求めていた、番組に出たコメンテーターたちの発言を要約したブログ記事が公開されているので紹介する。

『JEIの退職日記』より 「日本の劣化現象」
(2008年8月11日)
http://pub.ne.jp/newjei/?entry_id=1583344


上記ブログによる櫻井の発言の要約は下記の通り。

「昔は自分は殺しても(=自殺)人は殺さないという自律心が働いていた。それが,高度経済成長期(田中角栄期)ごろから日本の劣化が始まった。そして元をたどると憲法の問題に行きつく」という。「憲法の第3章 国民の権利及び義務で,強調されているのは『家族ではなく個人』なんです。そして個人にはこういう権利があります,こういう自由がありますということがものすごく強調されています」「そしてあなたにはこういう責任があります,こういう義務がありますということがほとんど書かれていない」「責任と義務は3個ずつ,権利が16回,自由が9回です」「義務は周知の労働と納税と教育であるが,納税は果たしている人も果たしていない人もいるし,労働なんていっても別に働かなくても罰せられるわけでもありません」「権利と自由というのが極端に強調されている」「そういうところに社会の病根があるのではないか」と提言している。
(『JEIの退職日記』による要約より)


私はまず、櫻井が田中角栄を引き合いに出した時点で、「また始まったか」と思った。田中角栄を引き合いに出すのは、要は「経世会支配」への攻撃であり、安倍晋三や平沼赳夫の思想であるとともに、この部分だけを切り取れば、櫻井の仇敵だったはずのコイズミとも相通じるものだ。ちなみに、安倍晋三は「金権政治を始めたのは田中角栄だ」と主張しているが、金権政治の始祖が安倍の祖父・岸信介であることは、ちょっとでも戦後政治史に興味を持って調べたことのある人にとっては常識の範疇に属する事柄だ。安倍らはここでも歴史をねじ曲げようとしている。

話を櫻井発言に戻す。これまでに述べた理由によって、「kojitakenの日記」の方についた「はてなブックマーク」のうち、これを書いている時点ではもっとも新しいコメントであるtomocoolerさんの

まじめに見なかった番組をブログにしてあおる人。主張するなら、その人の発言まじめに見ようよ。それって当たり前の礼儀でしょ。どんな主義主張でも。その礼儀がない人は信じられない。

というコメントも、「言いがかり」の範疇に属するものであると当ブログは主張する。

櫻井のように、なんでもかんでも「日本国憲法のせいだ」と言われてしまうと、以後建設的な議論などできなくなってしまう。番組では、田原総一朗が東浩紀に対して、この櫻井発言に対する反論を求めたが、東もこれには面食らって、

「自由はインターネット・消費社会の進展・グローバリゼーションと関係してくる問題で,憲法を変えたからどうにかなるという問題でもないであろう」(『JEIの退職日記』による要約より)

と答えるしかなかった。櫻井と同じ右派言論人に分類される森本敏も、この櫻井発言には呆れ果ててしまって、

個人が自分の目標を定めて自分なりの生き方をするという生命力が低くなっているんだと思う。制度とか憲法の問題じゃない。教育ですよ。(『JEIの退職日記』による要約より)

と言っていた。その教育については、「kojitakenの日記」の方の「はてブ」に、

ちょっと前だったら「教育基本法のせいである」ってなっていただろーな。(kmiuraさん)

や、それを受けた

なるほど、愛国教育法に改正してしまったので、もう、「教育が悪い」といえなくなったわけですね。(umetanさん)

などのコメントがついていて、吹き出してしまった。

ともかく、「改憲命」の櫻井の信念は、もはや宗教的なものとさえいえる。こんなものは議論の対象にさえならないことは明らかだろう。

櫻井は、「沖縄戦集団自決の強制はなかった、補償金欲しさのでっちあげだった」という立場からNHKなどの報道姿勢を批判している。当ブログにTBいただいた下記ブログ記事などから、櫻井の主張やそれに対する批判的言説などをたどっていただきたい。

『地下生活者の手遊び』より 「洗脳カルト櫻井よしこ」
(2008年8月11日)
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080811/1218442718


そして、この櫻井よしこが平沼赳夫や城内実のイデオローグであることは、何度強調しても強調しすぎることはない。

これでもまだ、「右も左もない」などと言えるのだろうか?


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今年も8月15日が近づいてきたが、福田康夫首相は早々と靖国神社に参拝しないことを表明した。

これに噛みついているのが、フリージャーナリストの櫻井よしこだ。昨日、本屋で『SAPIO』を立ち読みしていたら、冒頭に櫻井の文章があって、靖国不参拝を表明した福田首相を批判するとともに、終戦記念日に靖国神社に参拝するその人こそ、「本当の政治家」だとか書いていた。

櫻井は、前首相・安倍晋三が昨年の終戦記念日に靖国に参拝しなかったのはマスコミが安倍に圧力をかけたためだとして、朝日新聞は言うに及ばず、主筆・ナベツネが「首相の靖国参拝は発行部数千数百万部の力で阻止する」と言い放った読売新聞や、一昨年夏に「富田メモ」をスクープした日経新聞などを批判していた。ナベツネに対しては、若い頃の共産主義に立ち返ったのだろうとか、日経の「富田メモ」スクープには疑義があるなどと書いているが、そういえば「富田メモ」のスクープが話題になった頃、ネット右翼がこの報道の審議を検証するとか言って大騒ぎして、「ついにメモが捏造であることを証明した」などと興奮していたことがあった。むろんこれは学界では歯牙にもかけられなかったのだが、櫻井よしこは、当時からネット右翼並みの主張をテレビで堂々と展開していた。これには呆れ返ったものだ。

櫻井が書く「今年の終戦記念日に靖国神社に参拝するその人」というのは、記事の内容からして安倍晋三を指すことはほぼ間違いない。安倍は今年の終戦記念日に靖国を参拝するはずだ。その安倍を、櫻井は「本当の政治家」だとして評価する。

櫻井というと、かつて故城山三郎氏とともに、個人情報保護法などの「メディア規制三法」に対する反対の論陣を張るなど、右翼ながら筋の通ったところのある人だと思っていた。特に「反コイズミ」の傾向が強かった。しかし、櫻井は典型的な「政治思想右派」であり、同志である安倍晋三の総理大臣就任を控えた頃から、熱烈な右派イデオロギーを振り回すだけの人になってきた。

その櫻井よしこが、昨日(8月10日)のテレビ朝日『サンデープロジェクト』に出演し、秋葉原で加藤智大が起こした連続通り魔殺人事件について意見を述べたのだが、なんと櫻井は、「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」と発言したのだ。

憲法の中でもっとも長い第三章(第10条?第40条)に、「国民の権利及び義務」が定められているが、ほとんどが権利についての規定で、義務という言葉は3回しか出てこない(教育=第26条、勤労=第27条、納税=第30条)、こんな現憲法が権利ばかり主張して義務をおろそかにする風潮を生み出し、それが秋葉原事件を引き起こした、そう櫻井は主張した。

番組には東浩紀や姜尚中も出ており、私も見ていたが、この櫻井発言を聞いてあほらしくなってまともに番組を視聴する気持ちが失せ、あとは他のことをしながらBGMみたいに音声だけ聴いていたのだが、立場の近いはずの森本敏までもが櫻井を批判していた。もっとも、同じ産経文化人でも森本は安倍晋三より福田康夫を買う人らしいから、それなりに立場は首尾一貫している。

当ブログ管理人は、番組を集中して見ることはできなかったが、櫻井の暴言は看過できなかったので、「kojitakenの日記」に、「櫻井よしこが「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」だって(笑)」と題したエントリを上げた(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080810/1218343896

すると、昨夜からこのエントリに40件もの「はてなブックマーク」(下記URL)がつき、「kojitakenの日記」へのアクセス数が急増した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080810/1218343896

ブクマコメントの大半は、櫻井よしこに呆れ返った、とするもので、私同様、櫻井の言論の劣化を感じた人も多いようだ。

ところで、その櫻井は、昨年秋に浜松市で開かれたシンポジウムに、関岡英之、平沼赳夫、城内実らとともに参加している。浜松というと現在片山さつきが議席を占めている、前回の総選挙で城内実が落選した選挙区(静岡7区)だから、これは城内をPRするための催し物だ。事実、城内の公式サイトのほか、支援者のブログでも、シンポジウムが宣伝されていた。シンポジウムの様子は、動画でも見ることができる(リンクは張らないので、興味のある方は探してみてほしい)。

しかし、シンポジウムに出ている櫻井よしこは、よりにもよって「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」などと主張する、狂信的な極右なのだ。そんな人と親密な政治家を、かなりの数の「リベラル・左派」ブログやその読者が評価しているようだが、私はこれに対して非常に強い疑問を感じる。

湯浅誠は、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)に、

日本には貧困があり、そしてそれは「あってはならない」こと。ここまでを認めるのに、右も左もないはずだ。

と書いている(同書219頁)。

しかし同時に湯浅は、戦争と貧困を関連づけて論じるべきだと主張している。以下、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』から引用する。

 日本は、類稀(たぐいまれ)な被曝(戦争)体験をしたことによって平和の意識が高まった。しかし同時に、類稀な高度経済成長を体験したことによって貧困問題を忘れた。そのためこの数十年間、両者を結びつけて考えることが少なかった。平和と戦争の問題は、平和に対する意識の問題、戦争体験の有無の問題として語られる傾向が強かった。しかし貧困が広がる中、それだけでは足りないことが徐々に明らかになってきている。

 他の多くの国において「貧困と戦争」はセットで考えられているテーマである。日本も遅ればせながら、憲法九条(戦争放棄)と二五条(生存権保障)をセットで考えるべき時期に来ている。衣食足るという人間としての基本的な体力・免疫力がすべての人に備わった社会は、戦争に対する免疫力も強い社会である。

(湯浅誠 『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年) 212-213頁)


縦軸を政治軸、横軸を経済軸として各人の政治的・経済的立ち位置を測る「ポリティカルコンパス」が知られているが、貧困について考える時も、同様の二次元ダイアグラムで論じる必要があると思う。

ついこの間まで、日本の左翼は憲法9条のことばかり口にして、貧困問題に着目しなかったが、現在はその反動からか、「反貧困」で一致すれば極右とさえ組むという人たちが続出している。それなのに、それに対して異議を唱える声は、驚くほど小さい。なぜそこまで極端から極端に振れるのか。両方とも論じなければならないと、なぜ言えないのか。

「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」などと発言する人と「共闘」なんかしていて良いのだろうか?
昨日、8月9日は長崎原爆忌と前日の北京五輪開幕というニュースが重なった。

予想通り、長崎原爆忌についての新聞の扱いは小さく、『広島瀬戸内新聞ニュース』は朝日新聞の「しょぼすぎる長崎報道」を批判している。この件は、『フンニャロメ日記』も取り上げているが、

旧長崎市外の区域に住んでいたために被爆者には認定されなかった「被爆体験者」の被爆者認定を求め訴訟が提起されている。

くらいの記述は設けよ、との指摘は、昨日のエントリでこの件をスルーした当ブログにとっても、耳の痛い指摘だ。『フンニャロメ日記』からもリンクの張られている、この件を報じる共同通信の記事に、当ブログからもリンクを張っておく。
http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111501000145.html

長崎原爆に関しては、地元紙・長崎新聞のサイトがさすがに充実している。同紙の「Nagasaki Peace Site」(下記URL)を是非ご参照いただきたいと思う。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/index.html

それにしても、かつての朝日新聞だったら、いくら北京五輪の開会式と重なったからといって、長崎原爆忌をここまで小さくは扱わなかったのではないか。このところ、朝日新聞の日経化を感じることが多い。

大きなニュースが重なった時、それらをどう扱うかによって、メディアの真価がわかる。

たとえば、スポーツ報道に限って言っても、その種目で日本人が初めて金メダルを獲得する快挙を達成したのと同じ日に、プロ野球の人気球団が優勝したとしたら、どちらを優先するか。

私は、2000年のシドニー五輪女子マラソンで優勝した高橋尚子選手のことを思い出しているのである。高橋選手が優勝した日、それを伝える中継を見届けて、私は岡山経由で大阪に出かけた。大阪では、高橋選手の優勝を伝えるスポーツ紙の号外が出ていた。神戸新聞や山陽新聞(岡山)は、兵庫県出身で岡山の天満屋に勤める山口衛里選手の入賞も大きく扱っていた。翌日は、朝日・毎日・読売の三大紙が、高橋選手の快挙を一面トップで称えた。

しかし、東京発行のスポーツ新聞の一面を飾っていたのは、プロ野球読売ジャイアンツのリーグ優勝だった。私はこのことをテレビで知り、呆れ返った。ジャイアンツの親会社・読売新聞でさえ、高橋選手の優勝を優先的に報じているというのに、なんたるていたらく、と憤った。

つまりこれは、当時のスポーツ紙がジャイアンツに頭が上がらなかったということだ。権力に弱いのが商業マスコミの泣きどころといえる。たとえば、大新聞は地方紙と比較して思い切った政府批判ができない。右翼はよく朝日新聞を「左翼紙」だとして批判の的にするが、あれは左寄りの論陣を張っていた方が売れた時代の話であって、その頃でさえ、ここ一番という局面になると朝日は突如として政府に都合の良い記事を書いたものだ。これは、普段から政府寄りの記事を書く読売や産経が政府の提灯記事を書くよりもはるかに効く。さらに、今では普段の記事に関しても朝日新聞が政府に批判的だとはあまりいえなくなっている。たとえば、湯浅誠は、著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)の中で、生活保護基準の切り下げについて、2007年12月に西日本新聞(福岡)・中国新聞(広島)・神奈川新聞(神奈川)・信濃毎日新聞(長野)などが社説で相次いで反対の意思表示をしたが、全国紙で反対の社説を載せたところは一紙もなかったと指摘している(同書198頁)。

ところが、ブロック紙や地方紙は地元財界に弱いのだ。たとえば、中日新聞がトヨタの批判をほとんど載せないことは有名だ。2000年のスポーツ紙が、日本スポーツ史上に燦然と輝く高橋尚子の快挙をそっちのけにジャイアンツに恭順の意を表したのも、同じメカニズムによる。

当時から私は、「プロ野球は間もなく傾き、数年後には地上波で放送されなくなる」と予言していた。当時はブログを開設していなかったので証拠を示せないのが残念だ(笑)。2004年の球界再編騒動は、右派コメンテーターだった竹村健一にまで批判され、これを機にプロ野球、特にジャイアンツの人気は大きく傾いた。その一方で、地元に密着した球団は、現在も人気を保っており、パ・リーグの地方球団の本拠地近辺では人気はむしろ高まっている。

このジャイアンツとパ・リーグ地方球団の消長は、今後の日本の中央及び地方の政治を考える際にもヒントになるのではなかろうか。コイズミの新自由主義カイカクは、むしろ中央集権を強めようとするものだった。「メイク・ドラマ」(1996年)や「ONシリーズ」(2000年)は、長嶋茂雄をジャイアンツの監督に復帰させて、プロ野球の人気をいま一度盛り返そうとしたプロジェクトの一時的な成果だったが、その後ジャイアンツの人気は急激に衰えていった。

そして、かつて高橋尚子の快挙よりジャイアンツのリーグ優勝を大きく報じたスポーツ紙の歴史には、恥辱だけが残り、こうやって後世から批判される羽目になったのである。コイズミ?竹中の「構造カイカク」を持ち上げたマスコミや著名ジャーナリストたちにも、同じ運命が待ち構えている。


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今日は63回目の長崎原爆忌。広島原爆忌の8月6日同様、静かに祈りを捧げる日だ。

原爆でお亡くなりになった方々を悼み、後遺症に苦しまれている方々に心からお見舞い申し上げる。

長崎というと、1988年12月の本島等市長(当時)による「天皇に戦争責任はあると思う」という発言も忘れがたい。タブーを破る勇気ある発言だったが、その本島市長は1年あまり後の1990年1月18日、テロの凶弾によって重傷を負った。

不幸中の幸いで、本島氏は一命を取り留めたが、2007年4月17日、伊藤一長市長を再び凶弾が襲い、伊藤氏は命を奪われてしまった。伊藤氏は、天皇発言後「左傾」した本島市政を倒すために自民党に擁立された人だったが、市長に就任すると、それまでの姿勢を転換し、核兵器の撤廃運動を積極的に行なった。長崎市長というのは、保守の人をもそうさせる職責なのかもしれない。
改めて、伊藤一長さんのご冥福をお祈りしたい。

広島の「原爆の日」同様、一昨年のこの日の「きっこの日記」は印象深かった。

「きっこの日記」 より 「小学生を見習え!」 (2006年8月9日)
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060809


これは、一昨年の広島での平和記念式典における「こども代表・平和への誓い」を取り上げたものだ。末尾に、きっこさんに先立ってこれを取り上げた「カナダde日本語」へのリンクが張られているが、ブログのトップページへのリンクになっているので、当該エントリへのリンクを下記に張っておく。

「カナダde日本語」より 「日本の平和のために」 (2006年8月6日)
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-226.html


広島の原爆記念式典では、子供たちによる「平和への誓い」は毎年行われる。下記に、昨年と今年の「平和への誓い」へのリンクを示す。

平成19年度 「平和への誓い」
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1186138158188/index.html

平成20年度 「平和への誓い」
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1217841536040/index.html


最後に、昨年の長崎での平和祈念式典における被爆者代表・正林克記さんの「平和への誓い」へのリンクを示す。

「Nagasaki Peace Site」より 「平和への誓い」
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kikaku/sengen/chikai.html


それぞれの人たちの、平和を希求する言葉に接し、その思いをかみしめながら、私も私なりに、「平和への誓い」を新たにしたい。
2008年8月8日と「8」の3つ並んだ日。日本でも「八」は末広がりというが、中国でも縁起の良い数字だそうで、それで現地時間の今日午後8時8分に開会式が行われる。

コイズミ内閣の頃は中国の対日感情は最悪だった。しかし、本来強烈な「反中」論者である安倍晋三は、サプライズ効果を狙ったか就任早々中国を訪問した。さらに、福田康夫政権になって、対中関係に配慮した外交をするようになった。これは、右翼からは「媚中」として強く批判されているが、中国の対日感情はコイズミの頃と比較するとずいぶん改善された。私が話したことのある在日の中国人も、福田首相に好感を持っている一方、コイズミを蛇蝎のごとく嫌っていた。

すでに競技の始まっている北京五輪の女子サッカーでも、「なでしこジャパン」に中国の観客から声援が送られたそうだ。歓迎すべきことだ。
http://www.excite.co.jp/News/china/20080806/Searchina_20080806094.html

しかし、日本では未だに「反中」コイズミの人気は非常に高く、「親中」福田康夫の人気は低い。そして、毒入り餃子事件やチベット騒乱の影響もあって、日本人の対中感情は相変わらず悪いままだ。

「リベラル・左派」の人たちの間でも、中国の印象はあまり良くなく、中には「中国で五輪を開催すること自体間違っている」という人もいるし、そういう意見を表明するブログもある。

しかし、そんなことを言い出したら、イラクやアフガンで悪逆非道の限りを尽くしたアメリカや、そのアメリカの「犬」として積極的に協力した日本での五輪開催も認められるべきではないことになる。

さて、昨日のエントリで、『広島瀬戸内新聞ニュース』平和記念式の記事にリンクを張って紹介し、エントリの後半でポピュリズムについて論じたら、同ブログから「ポピュリズムの系譜と今後への教訓」と題した記事をTBしていただいた。

同記事は、ポピュリズムの開祖は中曽根康弘ではないかという。なるほどと思った。厳密には、政権側でのポピュリズムの開祖というべきではないかと思う。

中曽根の親友である渡邉恒雄(ナベツネ)に『ポピュリズム批判』(博文館新社、1999年)という著書があることからもわかるように、コイズミ政権発足以前は、「ポピュリズム」批判は主に右派の論者が政権批判側を逆批判するのに用いられた。ナベツネは、旧社会党や現在の民主党、それに朝日新聞などを批判する時に、よく「ポピュリズム」の言葉を持ち出したが、一度石原慎太郎に対しても「ポピュリズム」批判をしたこともあった(2000年の外形標準課税の際)。

ともあれ、従来政権擁護側から用いられてきた「ポピュリズム」という言葉が、政権を批判するために用いられるようになったのは、コイズミ政権からだ。しかし、政権側のポピュリズムの始祖は中曽根康弘だ、というさとうさんの指摘は実に面白いし、的を射ていると思う。

彼(中曽根康弘)は国鉄を民営化さえすればすべてが解決するような雰囲気をかもし出しました。国鉄職員をバッシングの対象にした。

という実例を挙げた指摘は鋭い。

中曽根康弘は、日本における新自由主義の開祖でもある。ここから、新自由主義はポピュリズムと分かちがたく結びついているという仮説を思いつく。本当は、階級を固定化し、格差を広げるためのプロジェクトである新自由主義が、国民を騙してそのような方向に社会を持っていくための人気取りをすると考えるのだ。

個々の政策を捨象して、一律にレッテル張りし、「**さえすればよくなる」「**さえやっつければよくなる」というのは乱暴な話です。

とさとうさんは書くが、そういえば今日8月8日はあの忌まわしい「郵政解散」の日でもある。あの「郵政総選挙」ほどポピュリズムの本質をむき出しにした選挙はなかった。「郵政民営化さえすればよくなる」「抵抗勢力さえやっつければ良くなる」とコイズミは絶叫し、それを国民は熱狂的に支持した。今思い出しても悪夢のようだ。そして、そのあげくに現実のものとなったのが、戦後最悪の格差社会と貧困なのである。

もっとも、「自公政権さえ倒せば日本は良くなる」、「たんぽぽさえいなくなれば平和になる」、「諸悪の根源はユダヤだ」などというのも、コイズミと同質のポピュリズムなので注意が必要だ。昨年の参院選前までのように、敵が巨大で、安倍晋三というネオリベとネオコンの象徴のような男がその頂点にいた頃は、コイズミや安倍の問題点を指摘して批判する、あるいは単に「安倍打倒」「野党共闘」などのスローガンを連呼することにも意味があったが、現在はもはや、民主党を中心とした野党連合が政権を握ることを前提とした議論をしなければならない段階だ。民主党にも経団連はかなり深く食い込んでいるので、市民の側からも民主党に対して、経団連とは逆方向の圧力をかける必要があると思う。

五輪の話からずいぶん脱線してしまった。当ブログ管理人も、かつてほどではないが、4年に一度の五輪中継を見るのを楽しみにしている。来週後半からは当ブログも夏休みをとる予定だ。皆さまも、「北京五輪なんて」などと言わず、たまには五輪中継を観て気分転換をされてはいかがだろうか。


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一昨日のエントリで、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、受賞記念演説に盛り込もうとした「5つの核弊保有国が会議を開き、核兵器の使用について論議し、第一使用を放棄する協定を話し合ってはどうか」という提案を、キッシンジャー米国務長官(当時)が拒否したことをご紹介した。

月刊『現代』9月号に掲載された春名幹男・名古屋大学大学院教授の「「偽りの平和主義者」 佐藤栄作」によると、キッシンジャーは佐藤の提案に、下記の理由で反対した。

  • ソ連の兵力は欧州諸国より大幅に優位で、中国も近隣諸国より優位に立つ。核兵器がなければ、ソ連は通常兵力で欧州を圧倒し、中国も同様の結果を得る。
  • われわれが核兵器の第一使用を放棄すれば、日本に多くの危険をもたらす。
  • 均衡のとれた戦略軍事力の削減を交渉しながら、安定を維持するのが米国の政策だ。

典型的な「核抑止論」である。

ところが、そのキッシンジャーが近年、主張を大きく転換した。以下朝日新聞の8月6日付社説から引用する。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080806.html

 ■核抑止論者の転向

 今年6月末。英国のハード元外相、ロバートソン前北大西洋条約機構(NATO)事務総長ら4人が「思い切った核軍縮は可能であり、最終目標は核のない世界であるべきだ」との主張を英タイムズ紙に寄せた。「冷戦時代は核が世界の安定に資したが、もはやそうではない」とも指摘した。

 ハード氏らが動いたきっかけは、元米国務長官のキッシンジャー、シュルツ氏ら4人が昨年1月に発表した、「核兵器のない世界を」との提言だ。

 核が拡散していけば、核の存在が米国や世界の安全を脅かす恐れがある。むしろ核を廃絶した方が国益にかなう。そうした計算から米ロの大幅な核軍縮、世界的な核実験禁止、兵器用核物質の生産禁止などを提案した。

 いずれの提案も、かつての核抑止論者が発したものだ。ここ60年余りの国際政治を支配してきた「核による安全」という発想を逆転したのである。

(朝日新聞 2008年8月6日付社説より)


朝日新聞社説はさらに、アメリカの政策転換を求め、次期大統領に期待している。そして「日本発の軍縮競争を」、と求めている。

「広島瀬戸内新聞ニュース」は、広島で行われた原爆死没者慰霊式・平和祈念式を伝えているが、記事中で秋葉忠利広島市長による平和宣言の一部を紹介している。

市長は平和宣言の中で、原爆体験の精神的影響などについて科学的調査を行う。

「核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶」ときっぱり。

そしてに核兵器廃絶をもとめる多数派に「耳を傾ける米国新大統領」が誕生することを期待する、と表明しました。

また、世界の都市に広がる平和への流れを紹介。
日本国憲法を「パラダイム転換の出発点」と指摘し、政府に憲法遵守をもとめました。

(「広島瀬戸内新聞ニュース」 ? 「8月6日ヒロシマ報告(2)」より)


最低最悪の戦争大統領であるジョージ・ブッシュが退任すれば、アメリカの政策は大きく転換されると思うが、特にバラク・オバマが当選すれば、その政策転換は劇的なものとなるだろう。

リベラル・左派も、ひたすらアメリカに反対していればよかったお気楽な時代は過去のものとなる。私が懸念するのは、そんな時に日本に「排外主義」が蔓延することだ。

例の「郵政民営化」の時にコイズミに切り捨てられた平沼赳夫一派や、総理大臣の任期中にアメリカから疎んじられた安倍晋三らは、もともと「反中」「反韓」「反北朝鮮」の性格を持っていたが、これに「反米」が加わって、完全な「排外主義」に転じつつある。当ブログにいただいたコメントによると、安倍晋三は今月初めに発売された右派論壇誌において、反米的主張を展開しているそうだ。

私は、彼らと民主党の野合を警戒している。反自民を標榜するブログの中にも、平沼一派と親和性の強いところが少なからず存在し、厄介なことに、それらのブログの多くは陰謀論や擬似科学に対する親和性も強い。それらは、アインシュタインの相対性理論は間違っていると主張するコンノケンイチを持ち上げるのと同質の議論である。そこに通底するのは、ポピュリズム(大衆迎合主義)だ。

ポピュリズムというと、ただちにコイズミを連想する。そういえばあの「郵政解散」もこの季節だった。そして、この季節にコイズミとともに思い出さなければならないのはナチス・ドイツである。ドイツの降伏自体は1945年5月だが、われわれ日本人にとっては8月こそ戦争を考える月だ。

ネット検索をしていたら、ポピュリズムに関する良いまとめ記事が見つかったので紹介する。
「碧の谷風」というサイトにある、「国民投票とポピュリズムの危険性」という記事だ(下記URL)。
http://www3.coara.or.jp/~ynoge/essayPolitics/populism.htm

以下引用する。

 ポピュリズムの危険性は、その破壊のエネルギーにある。

 たとえば、既存の体制の中に、あるいは富裕層の中に、はたまた、国の外に、明確な「敵のイメージ」を作り出し、人々の憎悪をかき立て、それを自己の拠り所にするのがポピュリズム政治の手法である。

 このような憎悪は、安定した経済、官僚システムの破壊し、激しい民族対立や戦争を生む。ポピュリストが言うように、「xxさえ無くなれば、社会が良くなる」という事は、長期的な目で見れば、ほとんどは真実でない事が多い。

 例えば、今は「水に落ちた犬」として、どれだけ批判しても構わない事になっているヒットラー(ナチスドイツ)について見てみよう。ご存知のように「ユダヤ人さえ居なくなれば社会は良くなる」と、「ユダヤ人」いう明確な敵を設定し、同時に「アーリア民族の優越性」という、自己愛をくすぐる論理で武装。一つのスローガンを、メディアを通して繰り返し浸透させる手法で憎悪を増幅し、その力を背景に一党独裁を確立した。

 その結果、ユダヤ民族、ドイツ自身が被った被害の大きさはご存知の通りである。

 (余談ではあるが、「サダム・フセインさえ居なくなれば」と言ったアメリカの例も、ポピュリズムの一種であると言えるのではないだろうか?)

(「碧の谷風」 ? 「国民投票とポピュリズムの危険性」より)


一部ブログの言説に見られる「ユダヤ陰謀論」や、「水伝騒動」においてさる有名ブロガーが書いた「たんぽぽさえいなくなれば平和になる」というのは、典型的なポピュリズムの言説だということを指摘しておきたい。

では、ポピュリズムにはどう対処すれば良いか。

  1. 分かりやすすぎる説明には警戒を。
    複雑なものを簡単に説明するためには、当然、情報を削っていく必要がある。その仮定で、情報を削る人の恣意が働く。つまり、自分に都合の良い情報は削らずに、都合が悪い情報から削られていくのだ。また、これはメディアについて特に言える事だが、「大衆ウケの良い情報」が残され(誇張され)、そうでない情報は削られていく。
    与えられた情報から、削られたモノがなんなのか、逆に、誇張されたものが何なのかを推測する能力が、今後、より必要になってくると思う。

  2. 穏健派は、発言が許されるうちに発言を。
    ポピュリズム政治が進行し、その末期になると、暴力が社会を支配し中道的な意見を言うものは、それだけで「日和見主義者」「修正主義者」の扱いを受ける。そうならないうちに意志を表明すべきだと思う。

  3. プロパガンダに対する免疫を。
    理性ではなく、感情に訴えかける大衆動員法は、洋の東西を問わず、広くポピュリズム型の社会に認められるものだ。疑おう。
(「碧の谷風」 ? 「国民投票とポピュリズムの危険性」より)


これを読んでいて、一昨年12月24日に「kojitakenの日記」に書いた、「「わかりやすさ」の落とし穴」という記事を思い出した(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20061224/1166950438

短い記事なので、以下に再掲する。

■ 「わかりやすさ」の落とし穴

昨年の総選挙で自民党が圧勝したあと、マスコミ、特にテレビの政治番組のキャスターは言ったものだ。

「小泉さんの主張はわかりやすかった。それに比べて、民主党の主張は何ですか」

コイズミの郵政民営化法案に関する主張がわかりやすかったとは私は全然思わないが、とにもかくにもキャスターたちはそう主張し続けた。

とにかく、何でもお手軽にわからせろという主張が横行している。そして、報道する側のメディアもそれに迎合する。「コイズミ劇場」を煽る。

「わかりやすさ」には落とし穴がある。要約が的を射ていないと、肝心な部分を切り落とすからだ。そして、よほど当該分野について熟知している人でもない限り、たいていの人は肝心な部分を切り落としてしまう。だから、真に主張をわかってもらおうとするなら、詳しく、熱を込めて語る必要があるのだ。

だが、そんなに顔を真っ赤にして主張してたら、読者が引いてしまうよ、などとしたり顔で言う人たちがいる。

はっきり言って、こういう物の言い方ほど、偽善的で冷笑的なものはない。私のもっとも嫌う態度である。

そんな主張をするのは、真実に迫ろうという努力を最初から放棄している人であって、そんな人の語る言葉から得られるところは何もない、と思う。ましてや、無知を自覚しながら人々を導こうなどとするのは、傲慢以外のなにものでもないだろう。

この偽りに満ちた時代において、一人一人の人間に必要なのは、愚直に真実に迫ろうとする真摯さなのだ。そこには、必ずしも「わかりやすさ」はない。

(「kojitakenの日記」 2006年12月24日)


これを読み返すと、ブログ開設からそんなに経たない頃からずっと同じ主張を繰り返してきたものだなあ、と自分でも呆れる。これを書いた1年後の昨年12月23日にも、当ブログに「ネットに横行する「トンデモ」や「陰謀論」を批判する」と題したエントリ(下記URL)を公開したが、これは現在でも持続的なアクセスをいただいているエントリの一つだ。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-532.html

ブログ言論には特にポピュリズムに流れやすい傾向が顕著なので、ポピュリズムとの闘いは延々と続く。この姿勢はずっと保ち続けなければならないと思う今日この頃である。


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今日は63回目の広島原爆忌。静かに祈りを捧げる日だ。

ブログを開設して間もなかった一昨年のこの日、「きっこの日記」を読んで深い感銘を受け、同じ日に公開した自らのエントリを恥じたことは忘れられない。

「きっこの日記」 より 「原爆の日」 (2006年8月6日)
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060806


原爆でお亡くなりになった方々を悼み、後遺症に苦しまれている方々に心からお見舞い申し上げるとともに、二度と馬鹿げた戦争を起こさないために努力することを誓いたい。
そして、戦争への芽を未然に摘み取るべく、微力ながらこれからもブログで意見を発信し続けていきたいと思う。
手前味噌だが、「佐藤栄作 ノーベル平和賞」を検索語にしてGoogle検索を行うと、当ブログの昨年10月10日付記事「佐藤栄作のノーベル平和賞を剥奪せよ」が上位で引っかかる。これは、1969年11月に佐藤栄作首相(当時)とニクソン米大統領(同)が交わした、沖縄に核兵器を持ち込むことについて定めた密約を示す公文書(キッシンジャー元米国務長官の覚書)の存在が明らかになったと報じる新聞記事を紹介し、佐藤がノーベル平和賞に値しない人物だったと論じたものだ。

佐藤栄作は、前首相・安倍晋三の大叔父であり、安倍は2002年に早稲田大学で行われた講演会で「戦術核の保有や使用は違憲ではない」とぶち上げ、それを『サンデー毎日』に報じられて批判を浴びたことは、当ブログでも何度か紹介した。

ところが、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作もまた、核武装論者だったのだ。しかし、広島と長崎に原爆を落とされ、大きな被害を受けた日本国民は、佐藤が首相をやっていた頃には核武装反対の世論が強かった。また、アメリカも日本の核武装を好まなかった。

月刊『現代』9月号に掲載された春名幹男・名古屋大学大学院教授の「「偽りの平和主義者」 佐藤栄作」は、最近公開された米政府機密文書を元に、佐藤栄作の実像に迫っている。今回のエントリでは、これを要約して紹介したい。

1964年の東京オリンピックのさなかだった10月18日、中国が核実験に成功し、首相就任を翌月に控えていた佐藤は、ますます日本も核武装する必要がある、と強く確信するようになった。そして、65年1月の首相としての初訪米を前にした64年12月29日のライシャワー駐日大使との下打ち合わせで、核武装論をまくし上げたそうだ。

米政府は佐藤の核武装論を好まなかった。佐藤は、リンドン・ジョンソン大統領との首脳会談で、核武装論を取り下げる代わり、日本が防衛のために米国の核抑止力を必要とする場合、米国はそれを提供するという約束をとりつけた。前記日米首脳会談後に発表された日米共同声明には、下記の文言がある。

大統領は、米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する。


この公約は、今も厳然と生きている。安倍晋三が総理大臣に就任した直後の2006年10月、北朝鮮が核実験を行った時に、中川昭一・自民党政調会長(当時)と麻生太郎外相(同)が、核武装を論議すべきだ、と言い出した時にも、ブッシュ米大統領とライス国務長官は、「米国は、日本に対する抑止と安保公約を全面的に満たす意思と能力があることを再確認する」と繰り返したのである。

春名教授は、

佐藤は意図的に、舞台裏で「核武装論」を展開して米側を驚かせ、「核の傘」という実を取る対米戦略で成功した、と言える。

と指摘している。

 一九六九年一月十四日付でアレクシス・ジョンソン駐日米大使が帰任直前に国務長官宛に送った公電によると、佐藤は「非核三原則はナンセンスだ」と発言したこともあった。
 だが公式の場では、佐藤は建前として、「非核三原則」を高く掲げた。

とのことだ。したたかといえなくもないかもしれないが、呆れた二枚舌である。

こんな佐藤だから、平気で「非核三原則」(「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」)を実質的に反故にする密約をアメリカと交わしている(昨年10月10日付エントリ参照)。

1972年の沖縄返還は、「非核三原則」に基づいて、「核抜き本土並み」でなければならなくなったのだが、本エントリ冒頭にも書いたように、佐藤は、沖縄への核兵器を持ち込みについて米ニクソン大統領と密約を交わし、それを記したキッシンジャー国務長官のメモの存在がマスコミでも報じられたのである。

佐藤のノーベル平和賞の受賞理由が、この「非核三原則」だから、受賞者自身がこれに背く密約をしていたことが明らかになった以上、佐藤栄作のノーベル平和賞は剥奪すべきだ、というのが当ブログの主張である。

春名教授は、

「核抜き本土並み」は名ばかりだった。密約によれば、嘉手納、那覇、辺野古などの「既存の核兵器貯蔵所」は「緊急事態に活用できるよう」維持して待機している、とされている。

と書いている。

佐藤栄作は、加瀬俊一らの行ったノーベル平和賞獲得工作の末に、首相退任2年後の1974年に同賞を受賞した。そういえば、池田大作が同種の工作をしているとは、よく言われるところだ。

その受賞記念演説として、佐藤は「5つの核弊保有国が会議を開き、核兵器の使用について論議し、第一使用を放棄する協定を話し合ってはどうか」という提案を盛り込もうとした。そして、キッシンジャー国務長官にお伺いを立て、了承を取り付けようとした。しかし、キッシンジャーは即座にこの提案を拒否した。結局佐藤は受賞記念演説で「原子力平和利用の三原則」を提案したにとどまり、それに対して国際的反響はなかった。

二枚舌を使った佐藤の外交は、したたかであったかもしれないが、春名教授が書くように、「ノーベル平和賞に値する外交だったと言えるだろうか」とは、誰しもが思うことだろう。2001年、ノーベル賞委員会が出版した『ノーベル平和賞 平和への百年』は、佐藤への授賞は「日本では歓迎されず不信、冷笑、怒りを招いた」と問題の多いものだったことを認めているそうだ。

春名教授は、

(ノーベル賞受賞から)半年後の一九七五年(昭和五十年)六月三日、佐藤は脳卒中で死去した。晩年に突然、反核の平和主義者に変身して、一人だけいい子になることを米国は許さなかったのである。

と記事を結んでいる。

それでも、核武装論でアメリカを脅して、「核の傘」を保障させるというのは、佐藤なりに日本の国益を考えた行動だったとは最低限いえるかもしれない。後年総理大臣になった安倍晋三は、アメリカに寄生して日本を軍事大国にしようとした。そして、従軍慰安婦発言でアメリカの怒りを買い、頼りにしていたアメリカにも捨てられてしまった。佐藤栄作もとんでもない政治家だったが、安倍は日本の国益のことさえ考えず、趣味の軍拡に走ろうとしたのだ。おそらく、最終的には北朝鮮に対して戦争を仕掛けたかったのだろう。

今また、吉田茂の孫である麻生太郎・自民党新幹事長が、民主党を「ナチス」にたとえる失言をして顰蹙を買っている。政治家は、二世、三世と世代を下るほど激しく劣化していくもののようだ。


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普段ならアクセス数の落ち込む土日に、平日を上回る多くのアクセスをいただいた。読者の皆さまにはお礼を申し上げるが、福田内閣の改造に、それなりの注目が集まったということだろう。

内閣改造のニュースは、当初、麻生太郎の幹事長就任が目を引いたが、町村官房長官の留任が発表されたこともあって、なんだ、何も変わらないじゃないかと軽く見られていた。しかし、中川秀直を領袖とし、バックに竹中平蔵が控える「構造カイカク派」外しが徐々に明らかになり、「郵政造反組」の野田聖子の入閣が報じられるに及んで、コイズミ信者は激怒し、盟友の麻生太郎を幹事長に取り込まれた安倍信者は当惑することになった。

コイズミや安倍の信者にとっては、「なんだ、この内閣改造は」とお怒りだろうが、こちらとしては実に楽しい見ものだった。コイズミ信者らネオリベ連中に、ざまあみろと言える上に、反新自由主義を口実にして民主党に接近しようとしてきたネオコン連中も、麻生や安倍一派の林芳正を取り込まれた上、内閣から構造カイカク派がほぼ一掃されたためにネオリベ批判もままならなくなって身動きが取りづらくなった。民主党の右傾化を懸念していた私のような者から見ると、痛快このうえない。今後は、一転して民主党がネオリベと接近するのを警戒しないといけなくなったのが頭痛の種だが(笑)。

ネオコンと結ぼうとしていた一部左派の人たちは、悔し紛れに(?)「偽装コイズミ外し」ではないかと言っている。新幹事長の麻生太郎は新自由主義者だから、福田改造内閣がネオリベを完全に一掃したとは言えないのは確かだが、右派の「三輪のレッドアラート!」は、「見事なくらいに「小泉信者」「安倍信者」が抜けている。自民党も腹を括ったのだろう。つまり、小泉や安倍は自民党の敗亡要因になると、そう判定されたのだろう」、「日本の国富を全て差し出してでもアメリカを救済しようと言う向きは居なくなった。例えば、小泉、安倍、竹中、マダム寿司などはそう言う方向性の手合いであるが、完全に排除された」、「いずれにせよ、時は過ぎて歯車は回った。また新しい動きが今後は見えて来る事だろう」などと指摘している。一方、右派民族主義で平沼一派の政治家を支援するブログの中には、「頑張れ麻生太郎」と書きながら、良識ある人が出て行った自民党に何ができるのか、などと麻生を応援しているのかけなしているのかわからないエントリを上げているところもあり、その困惑ぶりが伝わってくる(笑)。

当ブログは、一昨日のエントリでも書いたように、福田改造内閣は、「構造カイカク路線を転換し、極右を取り込んだ」性格を持つと考える。さらに書くと、「古い自民党への回帰」だ。自民党は、長く「保守本流」と呼ばれる経済政策優先の人たちが中心になり、それに岸信介?福田赳夫の従米右派と、中曽根康弘らの独立志向右派(但し中曽根は総理在任中は対米関係を重視した)が国家主義的主張をして、党を右に引っ張ろうとしてきた。いわば、そうした古い自民党政治に立ち返ろうとするものだ。

現在の福田首相が、従米右派だった父親とは違って保守本流に近い政策を指向し、保守本流の始祖・吉田茂の孫である麻生幹事長が、祖父とは全く異なるタカ派の政策を指向しているのは面白い。彼らにも、偉大な父や祖父に対して、多少の差別化を図りたいという意図でもあるのだろうか。

それはともかく、吉田茂の流れとも岸信介や中曽根康弘の流れとも異なる異端がコイズミであり、その後継者である安倍晋三だった。安倍は、政治家の体質からいうと、岸の流れをくむ極右なのだが、出世の過程でコイズミに引き立てられたので、「コイズミ・安倍」として一括りに論じられることになるし、実際コイズミの付録くらいの重みしか持たない政治家だ。彼らが行ってきた新自由主義政策は、日本を焦土と化しつつある。もはや、この路線ではやっていけないと自民党は判断したのだろうし、公明党からの強い突き上げもあった。だから、コイズミ・安倍の一派をパージする一方、元来の思想的位置が安倍に近い麻生太郎を取り込んだのだ。

今朝の「四国新聞」には、共同通信配信と思われる「内閣改造の舞台裏」なる記事が出ている。それによると、自民党選対は、福田のまま次期衆院選に突入した場合、自民党の議席は160議席前後にとどまるという調査結果を得て愕然とし、公明党からは「福田政権を降ろせ」との突き上げを受けた。さらに、来年夏の都議選を重視する公明党(当ブログ7月28日付エントリ参照)は、解散総選挙の前倒しを主張するとともに、「このままだったら自民党との連立を解消して民主党と連立を組むぞ」と自民党を脅した。公明党には、雑誌「文藝春秋」に掲載された矢野絢也・元公明党委員長が書いた、創価学会及び公明党による矢野氏の言論活動妨害の件(当ブログ7月17日付エントリ参照)などが国会で民主党など野党に追及されるのを嫌っているという事情もある。早い話が、組織票の堅い公明党にとってはいつ解散総選挙をやろうが自党の獲得議席数はそんなに変わらないから、早いとこ選挙をやって勝ち馬に乗ってしまおうと考えているのだ。

「四国新聞」の記事は、麻生幹事長起用は公明党の要請によるものだと書いている。新自由主義からの脱却を目指す公明党が、なぜ新自由主義者で極右の麻生に期待するのかは、思想的に考えればわかりづらいが、早い話が公明党は麻生太郎の人気が欲しいだけなのだ。公明党もまた、政策ではなく権力欲で動く政党である。

記事は、福田首相が「上げ潮派」を閣内に取り込まず、当四役に保利耕輔、閣内に野田聖子の「郵政造反復党組」を起用したことで、「福田が意図したかどうかは不明だが、経済財政路線、政治路線ともに「小泉改革の否定」と映る」などと奥歯にものの挟まったような書き方をしているが、これが福田康夫の意図であることはあまりにも明らかだ。

記事は、「コイズミチルドレン」の衆議院議員・山内康一が2日付のブログで「がっかりした」「小さな政府へという流れが止まりそう」「脱・構造改革内閣と言えるかも」と反発したと伝えている。当該ブログのURLを下記に示す。
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_2633.html

この山内は、1日付のエントリでは、「民主党の良識派にエール」などと書いて、民主党の新自由主義勢力にすり寄っているが、民主党は断じてこんな甘言に乗ってはならない。山内のごとき、次の総選挙で落選確実のコイズミチルドレンの議員は立ち枯れさせておけば良いのである。

当ブログの8月2日付エントリで書いたように、民主党は社会民主主義(修正資本主義)の路線を選択すればよいのだ。これこそ「旧保守」とも「新自由主義カイカク勢力」とも違う行き方で、かつ国民の多くが強く求めているものだ。

旧保守は、高度成長政策によって、地方にも道路を整備するなどして結果的に再分配を行ない、大企業の終身雇用がセーフティーネットの役割を果たすなどしてきたわけだが、自民党政府として福祉国家を目指しはしなかった。正確には、70年代初めには福祉国家を目指そうとし始めたことがあるが、ちょうどその頃勃興し始めた新自由主義の波に飲み込まれてしまい、福祉国家の段階を経ないでいきなり新自由主義の政策を実行してしまったのだ。これは、資本主義が発達していない段階で共産主義を導入してしまったソ連の裏返しのケースといえるかもしれない。

だから、日本が福祉国家であったことは過去一度もない。一方、北欧諸国など、社会民主主義政策の成功例とされている国家はいくつもある。それなのに、それに対応する政治勢力は、日本ではほんの少数だ。ならば、民主党がそこに接近すれば、党勢拡大は間違いないと考える。実際、昨年の参院選で民主党が掲げた「国民の生活が第一」というのは、そのような方向性を持つスローガンだ。つまり、民主党の公約とも合致する。新自由主義勢力の呼びかけに応じることは、公約違反にあたるのである。

民主党はこのあたりをよく考え、選択を誤らないようにしてほしい。


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福田改造内閣が週末に発足したばかりなのに、早くも新聞社が改造内閣の支持率調査を行い、その結果が発表されている。

私は、そんなの見るまでもなく、支持率は数ポイントアップする程度だろうと思っていたし、事実その通りで、朝日新聞の調査に至っては、支持率は横ばいだった。

ところが、読売新聞の調査だけは、支持率が大幅にアップして40%を超えた。読売は、直前の調査は面談方式で、今回は電話調査だから単純な比較はできないと書いているが、電話口で露骨な誘導尋問でもやったのだろうか?

まあ、読売新聞の内閣支持率調査は、他紙より大幅に高めに出るのが普通だから、今回の調査結果も驚くにはあたらないのかもしれないが、読売だけが突出して高いようだから、読売新聞の世論調査はその精度を疑われても仕方ないだろう。

ところで見逃せないのは、朝日、読売とも麻生太郎・自民党新幹事長の起用が評価されているという結果を出していることだ。朝日調査では51%、読売調査ではなんと66%の人が、麻生の幹事長起用を評価している。

そこで、当ブログでは麻生太郎の人となりを知る格好のエピソードを紹介したい。麻生が、安倍晋三、福田康夫、谷垣禎一の3人と「ポストコイズミ」争いをしていた一昨年6月24日に、「タカ派か極右かの選択」と題したエントリで一度紹介したことがあるが、その再掲だ。当時4人は、名前から一文字ずつをとって「麻垣康三」(あさがきこうぞう)と称されていた。しかしこの4人は、すべて世襲政治家だ。

魚住昭の著書『野中広務 差別と権力』(講談社、2004年)の「エピローグ」に麻生の本性をえぐったエピソードが紹介されている。2003年9月21日、野中広務は、引退前の最後の自民党総務会で、最後の発言として、次のように述べた。以下魚住さんの本からの引用。

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが政党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

(魚住昭 『野中広務 差別と権力』=講談社、2004年より)


軽薄な差別発言、それに対して抗議された時、何の反論もできないぶざまさ。これが麻生太郎の本質だ。一昨年当時、「麻垣康三」の中で一番首相になってほしくないのが安倍晋三だったが、その次が麻生太郎だった。

その麻生が、解散前に政権を福田康夫から禅譲されて、次期首相に就任すると観測する向きもあるが、とんでもない話だ。

極右にして新自由主義者、その上平気で部落差別発言をする麻生太郎のような男が総理大臣になったら、日本はアブナイどころか本当に終わってしまうと思う今日この頃だ。


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麻生太郎を幹事長に起用し、挙党体制作りか、と思っていたところに驚いたのが野田聖子の入閣だった。これを知って、やっと福田首相や自民党首脳の意図がわかった。

これは、自民党の「コイズミカイカク路線」からの転換の意思表示なのだ。朝日新聞(大阪本社発行14版▲)の1面まん中あたりにも、「構造改革の転換 鮮明」という見出しがついている。

しかし、同じ朝日新聞の社説はそのことを指摘していない。朝日新聞は、日経新聞とともにもっとも強烈にコイズミカイカクを応援した新聞で、こと経済政策に関しては「最右派」だと私は考えているが、その朝日が構造改革からの転換を、社論としてはスルーしている。朝日だけではなく、毎日も読売も産経もスルーしている(これを書いている時間には、日経と東京の社説は、ネットではまだ2日付に更新されていない)。

おそらく、大新聞社は世論の風を見極めようとしているのだと思う。3年前、国民はコイズミカイカクを熱狂的に支持した。しかし現在は、各地で『資本論』の勉強会が立ち上がり、小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーになるご時世だ。なんとも極端から反対側の極端に振れるのが日本人の心性で、1977年に社会党を揺るがした路線闘争の報道に接して江田三郎のシンパになって以来、ずっと中道左派を貫いてきた当ブログ管理人としては苦々しい思いを禁じ得ないが、結局のところ過激な新自由主義を支持する主張とそれに反対する主張のどちらにより強力な支持があるのか大新聞各社は判断しきれず、下手にどちらかに肩入れして読者を失いたくないから、社論を明確にしないのではなかろうか。もっとも、産経が左寄りの論調になることだけはあり得ないと思うが。

しかし、ネットの掲示板はいち早く反応した。3年前の郵政総選挙でコイズミを熱狂的に支持した連中は、今回の内閣改造に怒り狂っていたのだ。特に、野田聖子の入閣に対するネオリベ連中の反発にはすさまじいものがあった。一方、ネオコン連中の間からは、こんな政権で幹事長をさせられるなんて、と麻生太郎に同情する声があがった。

そう、極右勢力を自民党にとどめておくことが、今回の内閣改造のもう一つの狙いだ。「HANAの会」と呼ばれる平沼赳夫、麻生太郎、中川昭一、安倍晋三連合のうち、麻生太郎が自民党幹事長に就任したことによって、平沼赳夫や安倍晋三は動きにくくなった。平沼一派と民主党の提携話は、これでなくなるのではないか。これは、今回の改造で個人的にはもっともポイントが高かったことであり、極右の麻生太郎が党幹事長として取り込まれたことで政権批判がやりやすくなった。これまでは、福田内閣が倒れたら次に麻生内閣が出てくるかと思うと、政権批判の矛先がどうしても鈍ってしまっていた。

もちろん、一部でささやかれている総選挙前の福田から麻生への禅譲の可能性もあるのだろうが、果たしてそこまで麻生に国民的人気があるだろうか。マスコミがあれだけ持ち上げた安倍晋三にしても、そのコクミンテキニンキは虚像に過ぎなかった。福田から麻生に代わって総選挙になっても、自民党が勝つ可能性などほとんどないだろう。それなら、一度下野を覚悟し、福田首相、麻生幹事長のまま解散総選挙を迎えよう、麻生はそう腹をくくったのではなかろうか。

構造カイカク路線からの転換に話を戻すと、自民党が公明党の要求する新自由主義路線の見直しを受け入れるには、この布陣しかなかったのだろうと思う。しかし、顔ぶれを見て思うのは、これでは旧保守の政官業癒着構造温存内閣だなということだ。一方、中川秀直やコイズミチルドレンは今回の政局で完全な敗北を喫した。テレビを見ていたら、竹中平蔵が「これはカイカクをやりたくない、そういう内閣だ」と言っていたが、今後新自由主義勢力による政権批判が一気に高まっていくことだろう。

野党第一党である民主党に求めたいのは、そういう竹中ら「経済右派」による政権批判に決して同調しないでほしいということだ。今回の内閣改造は、自民党内の「経済左派」の政治的勝利であり、閣僚には右翼掲示板投稿者のいうところの「リベラル」がずらりと並んだ(もちろん、当ブログは彼らが「リベラル」であるなどとは全く考えていない)。朝日新聞社説は、

今回の改造で、消費増税に積極的な「財政再建派」の与謝野馨氏が経済財政担当相に起用された。社会保障などの財源問題に正面から取り組むつもりなら歓迎したい。

と書き、普段から同紙が主張している消費税増税支持を改めて示した。

しかし、当ブログは現時点での消費税増税には反対だ。最終的には日本も高負担高福祉を目指すべきだと考えており、相当先の段階では消費税増税は避けられないと考えるが、それ以前に、中曽根からコイズミ・安倍・福田に至るまでの歴代内閣による新自由主義政策によって拡大した格差や貧困を是正してからでなければ、逆進性の強い消費税増税は国民生活を痛めつけるだけだ。財源は、民主党などが主張する無駄の削減もあるが、基本的にはこれまで軽減してきた法人税と所得税の累進性緩和を元に戻すことだろう。今回「増税派」に敗れた「上げ潮派」の主張の最大のポイントは法人税のさらなる減税であり、もっとも過激な新自由主義政策なのだ。民主党はそんな勢力とは断じて協調してはならない。

それより、今回の内閣改造ではっきりしたのは、自民党が「旧保守」と「新自由主義カイカク勢力」にはっきり二分され、3年前とは逆に前者が政権を握り、後者が「抵抗勢力」と攻守ところを変えたことだが、その一方で「社会民主主義あるいは修正資本主義による福祉国家指向の勢力」は自民党の中にはないことが示された。加藤紘一あたりの本音は、あるいはそこらへんにあるのかもしれないが、彼はやはり「加藤の乱」で終わった政治家なのだろう。今回彼は、あっさり「旧保守」の側にとどまった。

それならば、民主党が党勢を伸ばすためには、社会民主主義あるいは修正資本主義の路線をとるのが、損得勘定からいえばベストだろう。

実は私は、民主党の政治家の多くは、損得勘定によって新自由主義にも修正資本主義にも振れる人たちだと考えており、基本的にあまり信用していないのだが、政治は結果がすべてだ。彼らが損得勘定によってであれ、修正資本主義的な政策をとってくれるのであれば、大いに歓迎したいと思う。

評論家の森田実も、7月28日にこんなことを書いている。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04463.HTML

 戦後日本は、修正資本主義と社会民主主義によって、階級闘争主義の共産主義をいったんは克服した。だが、米国ブッシュ共和党政権の新古典派的弱肉強食主義の導入と展開によって階級社会化が進行し、マルクス思想の目を覚ましたようなものである。階級闘争を回避するには、修正資本主義、社会民主主義を復活させる以外に道はない。弱肉強食主義的自由競争主義と共産主義の対立を抑止するのは社会民主主義(修正資本主義)である。
 自公連立政権に代わるべき民主党を中心とする野党政権がとるべき道は、社会民主主義(修正資本主義)でなければならない。

(森田実の言わねばならぬ【509】 (2008年7月28日)より)


当ブログも森田さんの意見に賛成だ。民主党は、迷わず社会民主主義(修正資本主義)路線を選択し、これを貫いてほしい。


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今年の夏は例年にもまして暑い。別に地球温暖化のせいだと言うつもりはないが、朝晩にも気温がなかなか下がらないのは特にこたえる。しかし、たまに大阪などの大都市に行くと、地方都市と比較してもさらに不快な、大都市特有の暑さを感じる。そして、路上生活者の暮らしを思わずにはいられない。

8月早々の今日、内閣改造があるらしい。週明けの4日だとか、盆明けにずれ込むのではなどと言われていたが、だいぶ前から内閣改造は既定事項だったのだろう。テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で田原総一朗が朝日新聞編集委員の星浩に向かって「結局改造はやるんですよね」と言い、星は明言しなかったものの、明らかにこれを肯定して話を進めていた。

そのあと、閣僚人事の予想なんかをしていたが、興味がないので音声だけ聞きながらネットで他の調べものをしていた。だから、田原や星らが何をしゃべっていたかは全然覚えていない。どうせすぐにわかる話だ。

ただ、自民党と公明党の間がえらくぎくしゃくしていることだけは間違いない。創価学会系の雑誌『潮』に北欧特集が載ったことは、7月7日付エントリに書いたし、7月10日付エントリではその中からいくつかの記事を紹介した。個人的には、この特集記事によって環境・エネルギー問題に関心を持つきっかけになったが(それまでは、地球温暖化陰謀論者がうるさいこともあって敬遠気味だった)、それはともかく、やはり私の予想通り、これは公明党が新自由主義の政策を見直すよう自民党に要求していることと無縁ではなかったようだ。もともと、公明党の支持層は新自由主義の政治で不利益を蒙る人たちが多い。同党の支持者や創価学会の信者から、格差社会への悲鳴が上がって当然なのだ。

田原総一朗は、番組で「自民党の中はコイズミ・竹中のカイカクを見直せという大合唱が起きている」と言っていた。つまり、自民党内でも「カイカク」路線から離脱しようという動きが起きている。

このように、現在は民主党内部より先に自公間、あるいは自民党内の亀裂がひどくなってきている状態だ。民主党代表選はというと、菅直人が小沢一郎支持を明確にし、「リベラルの会」も候補を立てず、岡田克也も不出馬の意向を明らかにした。出馬を検討しているのは枝野幸男だが、以前から小沢一郎と合わない枝野が立っても、一定の票数を得るだけで小沢に大敗するのは明らかだ。

枝野幸男は、小沢とは合わないが社民党の辻元清美と仲が良い。枝野も辻元も、加藤紘一らの「ラーの会」のメンバーで(実は前原誠司もメンバーだが)、言ってみれば「自社さ」人脈の人だ。枝野の主張は、改憲論以外ではむしろリベラルであり、一部で誤解されているような「ネオコン」ではない。菅直人ともパイプを持っている。

何が言いたいかというと、対立候補として枝野が立っても、それが民主党の分裂を誘発して、凌雲会がコイズミらとくっついて「偽装CHANGE勢力」が政権を握る、というような、一部の人たちが想定する政変が起きる可能性は間違ってもないということだ。それより警戒すべきは、もう何度書いたかわからないが、民主党と極右との野合である。次期政権は、排外路線だけはとってはならない。平沼赳夫一派を政権に取り込むと、どうしても排外主義的な傾向が生じる。それは、国を大きく誤らせてしまう。

ま、今日は週末でもあるし、内閣改造人事が発表されたら、政治ブログの世界も話題はそれで持ち切りになるかもしれないので、長々と記事を書くのは止めて、改造人事に注目したいと思う。


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