『文芸春秋』 8月号に掲載された、湯浅誠が書いた「貧困大国ニッポン ?ホワイトカラーも没落する」を読んだ。読んで、反新自由主義の論壇の中心テーマが、「年次改革要望書」あたりであった時期はとうに過ぎ、格差と貧困の拡大を一刻も早く止めなければならない段階に達したことを痛感した。
幸運なことに、私自身は読みたい雑誌や書籍を買うことも、ほぼ毎日ブログを更新することもできる恵まれた立場にいる。しかしそれでも一昨年より昨年、昨年より今年と、年々生きづらさを感じるようになっているし、雨宮処凛が『生きさせろ!』 (太田出版、2007年)で描いたワーキング・プアの悲劇の一つとそっくり同じ事件が、私の身近なところで起きたりもした。
すさまじい勢いで格差が拡大し、貧困に面する人たちが急増しているというのは、それこそ皮膚感覚で知るところだ。
新自由主義者は、今の日本社会で格差が拡大しているデータがあるのか、それを示せとか、加藤智大が起こした「秋葉原事件」を新自由主義(コイズミカイカク)と結びつけるのは良くない、などと言うのだが、そんなことを言う人たちは、自分がいかに恵まれた立場にいるかを自覚していないのだ。
例の「水伝騒動」も、ブログ言論に蔓延するポピュリズムや陰謀論、疑似科学などの対決という意味では、絶対になされなければならなかったバトルだったと思うが、格差や貧困の問題を盾にとって、互いに争うべきではない人間同士が争うことになってしまうと、百害あって一利なしだ。「水伝騒動」第一幕においては何の意味も持たなかったどころか欺瞞でさえあった「真の敵を見失うな」という言説が、ここにきてリアリティを持つようになった。
また、「水伝騒動」第四幕(現在の段階)で展開されそうになったあるバトルの構図は、一昨日のエントリで取り上げた、かもがわ出版の新雑誌『ロスジェネ』における赤木智弘と浅尾大輔の討論の構図とも重なり合う。
当ブログは、「ひっぱたく相手が違うんじゃないか」という浅尾大輔の立場を支持するが、「リベラル・左派」の人たちの中には、安易に赤木智弘の言説にコミットする人間も少なからず存在する。私には、赤木の主張は安易なエピゴーネンを受けつけない厳しさを持っていて、下手に接近したら大怪我をするとしか思えない。へらへら笑って揉み手をせんばかりに赤木智弘に接近して共感を表明する一部のブロガー(=ブログを書く余裕を持っている人間)の神経が、私には理解できない。
湯浅誠は、「勝ち組などどこにもいない」と書く(『文藝春秋』 2008年8月号96?98頁)。大企業などで働く収穫的正規労働者は勝ち組か、というとそうではない。東京都の調査では、正社員の平均年収は530万円で、契約社員と比べて200万円近くも高いが、湯浅は「正社員=勝ち組」という構図は大嘘だと考えていると書く。
と湯浅は書くが、その通りだと私も思う。普通に働いていてはこなせないほどのノルマを課せられ、長時間のサービス残業を余儀なくされる。そこに、処遇に不満を持つ非正規社員とともに働くというストレスも加わるのだ。
その結果として、ホワイトカラーのうつ病や過労死、自殺などによる労災認定は、過去最高数を記録している。しかも非正規労働者の低賃金に引っ張られて、正社員の給与も抑えられている。これでも彼らが勝ち組だといえるだろうか。
(『文藝春秋』 2008年8月号掲載 湯浅誠「貧困大国ニッポン」より)
湯浅は、小泉改革と安倍晋三の「再チャレンジ」を厳しく批判している。当ブログでも再三書いていることだが、日本がかつて「福祉国家」であったことは一度もない。国の貧弱な社会保障を補ってきたのが企業、家族や地域社会だったが、「コイズミカイカク」はそれらを破壊してしまったのだ。
小泉政権による構造改革は、もともと薄い社会保障費をさらに薄く削ぎ落とすものだった。これでは貧困が蔓延しないはずがない。2002年度に3千億円が削減され、その後も毎年2千百億円ずつが抑制されていった。そして2006年の「骨太の方針」で「5年で1兆1千億円削減」が決定された。今なお「セーフティネット撤去工事」は進行中である。
(『文藝春秋』 2008年8月号掲載 湯浅誠「貧困大国ニッポン」より)
今なお「セーフティネット撤去工事」は進行中である、というのは本当にその通りで、自民党の政治家たちはそれを公言している。嘘だと思うなら、NHKの『日曜討論』などが社会保障問題を取り上げる時に、自民党の政治家が何を言っているかを注意して聞くが良い。福田首相が多少「カイカク」色を薄めようとしたところでその影響はほとんどなく、現政権もその前の安倍政権も、まぎれもなく「コイズミカイカク」路線をひた走ってきた。
湯浅誠は、どういった福祉予算が具体的に削られたかについて書いているので、『文藝春秋』を直接ご参照いただきたい。
コイズミのあとを受けた安倍内閣は「再チャレンジ支援総合プログラム」を打ち出したが、この冒頭には、「達成すべきもの自体を直接付与するような施策も考えられるが、再チャレンジ支援策としては位置づけないこととする」と書かれており、要は金銭付与による直接的な支援は何もしませんよ、と最初から宣言している。
だから安倍晋三にはコイズミカイカクへの歯止めなど全くかけられなかった。というより、無邪気な安倍は、新保守主義と新自由主義の幸福な結婚を夢見ていたフシさえある。
安倍自民党の参院選惨敗を受けて成立した福田康夫内閣は、外交・安全保障政策、経済政策でともにマイルドな方向に舵を切りたいと思っているのは感じられるのだが、ネオリベに染め上げられた自民党がそれを許さない。
これ以上の貧困の進行を一刻も早く止めることは、今の日本における最大の課題だと私は考えるのだが、残念ながら現在の自公政権にはそれはできない。「コイズミカイカク」に縛られすぎているからだ。
最後に、湯浅の論文の結びの章「「気づけない貧困」が足元に」から一部を抜粋、引用して本エントリを締めくくりたい。
まだ私たちの生活相談には姿をあらわしていないが、いま確実に存在し、将来浮上していくだろう新しい貧困層がある。それは、「気付けない貧困」者たちだ。その層は、上場企業をも含む企業の正規社員やホワイトカラー層にも及んでいると推測される。
(中略)
これまで政府や経済界は、目先の利益のために、長期に渡って日本社会からセーフティネットを削減し続けてきた。それはもはや限界に達し、貧困ラインはいよいよホワイトカラー、中流層に迫りつつある。繰り返すが、「貧困」は単なる経済問題ではない。日本社会そのものが崩壊の危機に瀕しているのである。
(『文藝春秋』 2008年8月号掲載 湯浅誠「貧困大国ニッポン」より)
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