きまぐれな日々

中国四川省で大地震が起きた時、「フリー・チベット」と絶叫していた一部ネット右翼は「天罰が下った」などと騒いだらしい。

この地震の震源地はアバ・チベット族チャン族自治州ブン川(ブンはサンズイに文)県であり、震源地は壊滅的な打撃を受けていて、同県南部の映秀地区だけで死者が7700人に達する可能性があると報じられている。
http://www.asahi.com/special/08004/TKY200805140108.html

この地震を「天罰だ」などとほざく連中に、「フリー・チベット」を叫ぶ資格などないのは当然のことだ。

一方、「左」の方でも、ベンジャミン・フルフォードが「中国で起きた地震はアメリカの攻撃の可能性が高い」などと言っている。
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/05/post-9.html

これをうれしそうに取り上げるブログも存在し、お決まりの「ユダヤ陰謀論」に結びつけて自己満足に浸っている。こういう態度を「反知性的」と言わずしてなんというのだろうか? 同じ政権に反対する者同士が分裂してはならない、などというたわごとを言う人たちがいまだに後を絶たないが、「筋の通らない味方は筋の通った敵より性質が悪い」という当ブログの主張を繰り返しておきたい。

もっとも、「人気ブログランキング」上位を占めるネット右翼のブログは、「筋の通らない敵」である。たとえば、瀬戸弘幸なる人物は、もともとは街宣右翼で、会社整理にまつわる恐喝で1986年10月に逮捕歴もあり、現在では暴力路線は捨てているそうだが、やはり徹底した反ユダヤ主義者らしい。こんなのが参院選に立候補しても得票がほとんどなくて惨敗するのは当然であり、ネット論壇での人気者は世間一般では全く相手にされていないのだ。

いわゆる「左」側にも同じことがいえ、擬似科学を簡単に信じてしまったり、天変地異を何でもかんでもアメリカや「ユダヤ」の陰謀に結びつけるネット言論が世間から相手にされないのは当然だが、そういう言論に対する批判を許さず、「政権に反対する勢力が分裂してはいけない」と言い出す馬鹿者があとを絶たないのには本当に困ったものである。

彼らの一部は、感情的になって「寄ってたかって一般人に対して傷つけるような悪口を書くことが許されるのか」と、おそらく顔を真っ赤にして怒り狂っている人もいる。そういう人の文章を読んでいると、驚くほど情緒過剰だ。

そういう言説を見ていると、なんともいやな気分になる。昨年1月14日付のエントリ "年末年始に読んだ本(4)〜「ナショナリズムという迷宮」(下)" で、立花隆さんが安倍晋三を批判しながら、「センチメンタリズムが国を危うくする」と指摘していることを紹介した。以下再掲する。

センチメンタリズムが国を危うくする

実はそんなこと以上に、私がかねがね安倍首相の政治家としての資質で疑問に思っているのは、彼が好んで自分が目指す国の方向性を示すコンセプトとして使いつづけている「美しい国」なるスローガンである。情緒過多のコンセプトを政治目標として掲げるのは、誤りである。

だいたい政治をセンチメンタリズムで語る人間は、危ないと私は思っている。

政治で何より大切なのは、レアリズムである。政治家が政治目標を語るとき、あくまでも「これ」をする、「あれ」をすると、いつもはっきりした意味内容をもって語るべきである。同じ意味を聞いても、人によってその意味内容のとらえ方がちがう曖昧で情緒的な言葉をもって政治目標を語るべきではない。

人間Aにとって「美しい」ものは、人間Bにとっては、「醜い」ものかもしれない。政治は人間Aに対しても、人間Bに対しても平等に行われなければならないのだから、その目標はあくまでも明確に具体性をもって語ることができる内容をともなって語られなければならない。

歴史的にいっても、政治にロマンティシズムを導入した人間にろくな政治家がいない。一人よがりのイデオロギーに酔って、国全体を危うくした政治家たちは、みんなロマンティストだった。

政治をセンチメンタリズムで語りがちの安倍首相は、すでにイデオロギー過多の危ない世界に入りつつあると思う。

(「メディア ソシオ-ポリティクス」第93回「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」より)

政治ブログについても同じことがいえると思う。正月からの「水からの伝言」をめぐる騒動は、一部で三たび燃え上がっていて、それは先の二回の議論での落ち着き先に感情的に納得のいかない人たちが、たびたび議論で否定された事柄(実際には存在しない「謝罪要求」を、さもあったかのように論じること)を、何度否定されても蒸し返してきて、しまいには情緒過剰の世界に行ってしまうというパターンを繰り返している。当ブログ管理人は、過去の二回については、ほぼ議論を追っていたが、三回目の今回はさすがにつき合い切れないので、そのごく一部しか把握していない。それでも、対立する両派には「共感派」対「批判派」というネーミングがついていることは知っている。この分類だと、当ブログは「批判派」に含まれる。そして、「批判派」から、「共感派」を「全体主義」だとする批判が出たのだが、私はこの批判は的を射ていると思う。上記の昨年1月14日付エントリでは、佐藤優の著書を引用して蓑田胸喜(みのだ・むねき)という戦前の国家主義思想家を紹介しているが、佐藤によると、
蓑田は、論理の問題と心情の問題という、本来、分けて考えるべき問題をいっしょにこね回すことができる天才だったんです。そうして生み出された言説は、当時の日本人が抱いていたいらだちや集合的無意識を見事に掬うことができたんです。そんな天才的なアジテーション能力が彼の強みであり武器でした。01年の自民党総裁選で小泉さんが勝ったのは田中眞紀子さんによるところが大きいですよね。彼女の応援演説を思い出してください。聴衆は爆笑、拍手喝采でした。蓑田については、外国語や和歌に通暁した田中眞紀子さんが、戦前の10年間、論壇を席捲(せっけん)した。こんなふうにイメージしたらいいと思います。

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第14章より)
とのことだ。

当ブログは、蓑田胸喜に煽られた戦前と同じ危うさが、コイズミに煽られた21世紀初頭の日本にもあるだけではなく、そのコイズミの流れをくむ政権を批判しているはずのブログの言説にも危うさが充満していると考える。

これを克服しない限りは、政治ブログの言説が普遍性を獲得することはできない。


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