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きまぐれな日々

長野での聖火リレーが終わった。

朝日新聞は、「騒然長野聖火リレー 投げ込み・乱入など6人逮捕」と伝えている(下記URL)。
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200804260001.html

私はこの聖火リレーのニュースについて、映像を全然見ていないので、このリレーがどのように評価されているのかよくわからない。だが、今回の北京五輪をめぐる世論には、釈然としないものが残る。

思い出すのは、1980年のモスクワ五輪と1988年のソウル五輪だ。

モスクワ五輪は、前年の79年末に起きたソ連のアフガン侵攻をアメリカのカーター大統領が非難して五輪参加ボイコットを表明、これに日本の大平正芳首相も同調して日本も参加をボイコットした。

これに対して、朝日新聞を筆頭とするマスコミは、「五輪と政治とは別だ」として五輪ボイコットを批判した。毎日新聞は、朝日ほど立場を鮮明にはしなかったもののやはり五輪ボイコットには批判的だったが、その前年あたりから政府寄りの言論を展開するようになった読売新聞は、五輪ボイコットを支持した。

世論はというと、柔道の山下泰裕の涙の訴えに同情が集まり、五輪に参加すべきだという声が多かったように思う。個人的には、瀬古利彦のマラソンを見たかった。あの年の瀬古なら、きっと金メダルを獲得していたと思う。その後84年のロサンゼルス五輪と88年のソウル五輪で瀬古は惨敗し、五輪のメダルとは結局無縁だった。

28年前と今回を比較すると、今回はアメリカ政府も日本政府も北京五輪のボイコットなど露ほども考えていないのに、なぜか国際世論、さらにそれに引きずられて日本の国内世論も五輪に否定的な傾向が目立つようになった。

28年前のカーターと大平は、いずれもハト派の政治家だった。但し、カーター大統領も大平首相も、十分な成果を挙げた政治家とはいえなかった。一方、現在はアメリカがイラクやアフガンに理不尽な戦争を仕掛けたブッシュであり、日本は首相こそ比較的穏健な福田康夫だが、ちょっと前までのコイズミ?安倍と続いたエキセントリックな内閣の悪影響を受けた政権である。その日米両政府は北京五輪を無事終わらせたいのに、世論が五輪に否定的な雰囲気だということに、かなり強い違和感を覚える。

断っておくが当ブログは、3月18日付のエントリ "チベット騒乱の報道を受けて、中国について思うこと" で立場を明確にしたように、今回のチベット暴動の問題に関しては、中国政府に対して批判的だ。だが、その一方で、4月4日付エントリ "チベット問題に関する左右の浅薄な主張は国益を損ねる" では、「(左右の)イデオロギーより国益を優先せよ」と主張した。ブログ管理人は現実主義者なのである。

私の目から見ると、普段左派的主張を開陳している人まで、「そもそも中国で五輪が行われること自体が間違っていた」などと主張するのを見ていると、首を傾げてしまう。私の感覚からすれば、そんな論法が通用するなら、イラクやアフガンその他で悪逆非道の行ないをしてきた世界最大のテロ国家・アメリカで五輪を行うことを真っ先に否定しなければならないはずだと思うからだ。

まあこんな言い方だと話が紛糾するだけかもしれないから、ソウル五輪の例を持ち出すことにしよう。ソウル五輪の開催は、1981年に決まった。この時ソウルに敗れたのが名古屋である。この五輪選考の前年(1980年)には、「光州事件」があった。軍事クーデターで政権を握った全斗煥の政府が光州市民を大虐殺した事件だ。1989年6月4日に中国で起きた「天安門事件」に比すべき事件だったと思う。

「オーマイニュース」でも、韓国人記者が "ソウル五輪の亡霊が「チベット暴動」に蘇った"(3月20日)という記事で、20年前の韓国と今年の中国の類似性を指摘している(下記URL)。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080318/22249

当時、「光州事件」にもかかわらず韓国は五輪開催権を得たし、日本もボイコットしなかった。ソウル五輪では男子柔道などで韓国人選手と日本人選手の対戦となると地元韓国のすさまじい応援が湧き上がって日本の選手が次々と雰囲気に呑まれて敗れ、唯一95キロ超級の斎藤仁だけが意地を見せて金メダルを獲得したのを覚えている。この頃から日本の保守も韓国を批判するようになったのかもしれない。しかし、当時はソウル五輪批判の声が高まることはなかった。むしろ、当時印象に残っているのはソウル五輪の時期に昭和天皇が重体になったことで、100m背泳ぎの鈴木大地が金メダルを取った日には昭和天皇の大量下血が報じられ、Xデーになって五輪放送が休止したりしないかとヒヤヒヤしたものだ。世間一般でも、昭和天皇の病状のニュースよりソウル五輪をしっかり放送しろ、という声の方が強かった。

その韓国と中国はどう違うのか。北京は、1993年の五輪選考で、シドニーに惜敗したが、それは人権問題を問われた影響だったとされている。おそらく1989年の天安門事件も影響していただろう。そして、天安門から12年を経た2001年の選考で、ようやく五輪開催権を獲得した。

「平和の祭典」などというのはまやかしだろうと私も思う。五輪はすっかり商業主義に染まっているし、何より中国自体が世界でももっとも過激な新自由主義国家だ。だが、五輪なんてどうせその程度のものなのだから、中国で五輪が行われて何が悪いのだろうか。ついつい私などはそう思ってしまう。

むしろ、前記「オーマイニュース」の記事も指摘するように、五輪閉幕後に中国がどう動くかを十分監視しなければならない。だが、たとえば右翼などは、中国が国威発揚を賭けた北京五輪を妨害することばかり考えていて、人権問題などそのダシに使っているだけだ。

五輪は五輪でやらせておけば良いじゃないか。それが日本の国益にもかなうはずだ。昔ほど熱心に五輪を見る気がなくなった私だが、それでも4年に1度の夏季五輪はテレビ放送で楽しみたいと思う。


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