ゴールデンウィークを目前に控えたこの季節には、どういうわけか痛ましい事件が多く起きる。
記憶に新しい伊藤一長・長崎市長の銃撃事件は昨年の4月17日だった。1986年の4月26日にはチェルノブイリ原発の事故があった。ゴールデンウィーク真っ只中、1987年5月3日の「憲法記念日」には朝日新聞阪神支局の2人の記者が襲われた「赤報隊事件」が起きた。
今日4月25日は、JR西日本の福知山線脱線事故からまる3年にあたる。乗客106人が犠牲になった痛ましい事故だが、この事故を思い出す時常に私の脳裏をよぎるのは、脱線した電車を運転していた高見運転士のことだ。
この事故の真の原因は2つある。1つは、当時の報道で知られるようになったJR西日本の「日勤教育」 という名の「いじめ」体質であり、もう1つはJR西日本の採算性を重視するあまりに安全性よりダイヤの効率を重視した経営体質だ。古い体質の問題点と、現代日本の病理である新自由主義の問題点が重畳して、あのような悲惨な事故が起きてしまった。だから私には、高見運転士も亡くなった乗客106名と同様の犠牲者であると思えてならない。そして、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」という歌が思い浮かぶのだ。
福知山線脱線事故は、奇しくもコイズミ自民党が「郵政総選挙」で圧勝した2005年に起きた。新自由主義の問題点を噴出させた事故だったのに、その年の残暑の厳しい季節に行われたあの総選挙で、国民はあろうことか新自由主義を推進するコイズミを熱狂的に支持してしまった。現在国民の不評を買っている「後期高齢者医療制度」の施行も、あの時「民意」がコイズミ自民党を選択したからこその必然的帰結なのだ。
当ブログとしては初めて、YouTubeの動画を紹介しよう。ジャズ・サックス奏者の坂田明が演奏する「死んだ男の残したものは」は、この曲をパッサカリア風に演奏したものだ。まずベースが主旋律を演奏し、主旋律が高音域のピアノに移ると、坂田が歌詞を歌うのではなく朗読する、というより叫ぶ。そして、低音の定旋律に支えられた坂田のサックスの即興演奏へと移っていく。まるでバッハのパッサカリア。実に面白い演奏だ。
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記憶に新しい伊藤一長・長崎市長の銃撃事件は昨年の4月17日だった。1986年の4月26日にはチェルノブイリ原発の事故があった。ゴールデンウィーク真っ只中、1987年5月3日の「憲法記念日」には朝日新聞阪神支局の2人の記者が襲われた「赤報隊事件」が起きた。
今日4月25日は、JR西日本の福知山線脱線事故からまる3年にあたる。乗客106人が犠牲になった痛ましい事故だが、この事故を思い出す時常に私の脳裏をよぎるのは、脱線した電車を運転していた高見運転士のことだ。
この事故の真の原因は2つある。1つは、当時の報道で知られるようになったJR西日本の「日勤教育」 という名の「いじめ」体質であり、もう1つはJR西日本の採算性を重視するあまりに安全性よりダイヤの効率を重視した経営体質だ。古い体質の問題点と、現代日本の病理である新自由主義の問題点が重畳して、あのような悲惨な事故が起きてしまった。だから私には、高見運転士も亡くなった乗客106名と同様の犠牲者であると思えてならない。そして、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」という歌が思い浮かぶのだ。
♪死んだ男の残したものは
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない
(谷川俊太郎作詞・武満徹作曲)
福知山線脱線事故は、奇しくもコイズミ自民党が「郵政総選挙」で圧勝した2005年に起きた。新自由主義の問題点を噴出させた事故だったのに、その年の残暑の厳しい季節に行われたあの総選挙で、国民はあろうことか新自由主義を推進するコイズミを熱狂的に支持してしまった。現在国民の不評を買っている「後期高齢者医療制度」の施行も、あの時「民意」がコイズミ自民党を選択したからこその必然的帰結なのだ。
当ブログとしては初めて、YouTubeの動画を紹介しよう。ジャズ・サックス奏者の坂田明が演奏する「死んだ男の残したものは」は、この曲をパッサカリア風に演奏したものだ。まずベースが主旋律を演奏し、主旋律が高音域のピアノに移ると、坂田が歌詞を歌うのではなく朗読する、というより叫ぶ。そして、低音の定旋律に支えられた坂田のサックスの即興演奏へと移っていく。まるでバッハのパッサカリア。実に面白い演奏だ。
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