すっかり忘れていたのだが、瀬戸大橋開通から今日で20周年なのだそうだ。地元の四国新聞などは別刷りで特集を組んでいる。
私は瀬戸大橋開通当時は本州の住人だった。初めて瀬戸大橋を利用したのは、開通4年後の1992年だ。橋ができる前に四国を訪れたことは一度だけある。フェリーで高知から入って四国を西に回り、高松から小豆島を経由して本州に戻る旅をした時だった。
本州から四国に渡ってきた人間だから、移住後瀬戸大橋を使ったことは数知れず、仕事にプライベートにと、数え切れないほど利用した。しかし、瀬戸大橋を利用する車の数は、1997年をピークにして2004年まで7年連続で減少したし、JR瀬戸大橋線の利用客も、1993年をピークに2004年まで長期低落した。これは、バブルが崩壊してから日本経済が長期低落した時期と符合する。
よく指摘されるストロー現象は、高松から岡山よりも、徳島から大阪・神戸への流れが特に顕著で、今朝の朝日新聞も、徳島から神戸の百貨店や商店街に消費者が流れていて、四国各県と京阪神を結ぶ高速バスの輸送人員が急増していることを伝えている。
支店経済の街・高松でもオフィスが岡山市などに統合される例が相次いで、オフィス仲介会社シービー・リチャードエリスによると、高松市のオフィス空室率は1998年の3%から2003年には19.5%にまではね上がったそうだ(4月10日付朝日新聞による)。1998年というと小渕内閣発足の年。この頃の新自由主義化の圧力は強烈だった。国民を新自由主義に教化しようとする宣伝が行われ、98年以前は私もそれを吸収しようとしていた。98年はようやく反新自由主義の言論が台頭し始めていた頃で、私はそれらに接して小躍りしたものだが、それは人口に膾炙(かいしゃ)するには至らず、2001年のコイズミ政権発足時には、こんな政権を国民が熱狂的に支持するなんて、日本は一体どうなってしまうだろうかと心配したものだ。そして、その不安は不幸にも的中してしまった。
瀬戸大橋をはじめとする3本の橋が、四国経済を振興させたとはあまりいえない現状だが、国土の均衡発展をもたらすのは政治の力だ。道路問題に関しては、確かに無駄な道路はやたらと作るべきではないが、真に必要な道路は整備していく必要がある。先日国民新党の亀井静香氏は、高知県の宿毛(すくも)市を「陸の孤島」と呼んだが、本当にその通りで、香川県民から見ると、宿毛は東京よりはるかに遠い。
そして、道路を論じる時見落とされがちなのが、公共の交通機関の衰退である。中国地方および四国に住んだ経験から、地方ではものすごい勢いで公共の交通機関が衰退してきており、いまや実質的に車なしで生活するのは困難な状態であることを知っているが、私はこれも新自由主義政策のなせるわざだと思う。ガソリン値下げで民主党が浮かれるのは結構な話だが、私のようなへそ曲がりは、ガソリンが値下げされるとさらにマイカーへの依存度が高まり、今よりもっと公共交通機関が衰退するのを恐れるのである。私はむしろガソリン税を値上げして、税の増収分は公共交通機関への補助や、環境対策に回すべきだと考えている。人間は長生きすると運動神経や反射神経が衰えて、車の運転には適さなくなる。そうなった時、公共交通機関が衰えた街は不便だし危険だ。今の地方はお年寄りが安心して住める環境とはいえなくなってきている。欧州などでは日本と同じくらいの規模の地方都市ではもっと公共交通機関が充実していると聞くのだが。
そういったことを考え合わせると、今の民主党の方向性を支持することは、私にはできない。
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私は瀬戸大橋開通当時は本州の住人だった。初めて瀬戸大橋を利用したのは、開通4年後の1992年だ。橋ができる前に四国を訪れたことは一度だけある。フェリーで高知から入って四国を西に回り、高松から小豆島を経由して本州に戻る旅をした時だった。
本州から四国に渡ってきた人間だから、移住後瀬戸大橋を使ったことは数知れず、仕事にプライベートにと、数え切れないほど利用した。しかし、瀬戸大橋を利用する車の数は、1997年をピークにして2004年まで7年連続で減少したし、JR瀬戸大橋線の利用客も、1993年をピークに2004年まで長期低落した。これは、バブルが崩壊してから日本経済が長期低落した時期と符合する。
よく指摘されるストロー現象は、高松から岡山よりも、徳島から大阪・神戸への流れが特に顕著で、今朝の朝日新聞も、徳島から神戸の百貨店や商店街に消費者が流れていて、四国各県と京阪神を結ぶ高速バスの輸送人員が急増していることを伝えている。
支店経済の街・高松でもオフィスが岡山市などに統合される例が相次いで、オフィス仲介会社シービー・リチャードエリスによると、高松市のオフィス空室率は1998年の3%から2003年には19.5%にまではね上がったそうだ(4月10日付朝日新聞による)。1998年というと小渕内閣発足の年。この頃の新自由主義化の圧力は強烈だった。国民を新自由主義に教化しようとする宣伝が行われ、98年以前は私もそれを吸収しようとしていた。98年はようやく反新自由主義の言論が台頭し始めていた頃で、私はそれらに接して小躍りしたものだが、それは人口に膾炙(かいしゃ)するには至らず、2001年のコイズミ政権発足時には、こんな政権を国民が熱狂的に支持するなんて、日本は一体どうなってしまうだろうかと心配したものだ。そして、その不安は不幸にも的中してしまった。
瀬戸大橋をはじめとする3本の橋が、四国経済を振興させたとはあまりいえない現状だが、国土の均衡発展をもたらすのは政治の力だ。道路問題に関しては、確かに無駄な道路はやたらと作るべきではないが、真に必要な道路は整備していく必要がある。先日国民新党の亀井静香氏は、高知県の宿毛(すくも)市を「陸の孤島」と呼んだが、本当にその通りで、香川県民から見ると、宿毛は東京よりはるかに遠い。
そして、道路を論じる時見落とされがちなのが、公共の交通機関の衰退である。中国地方および四国に住んだ経験から、地方ではものすごい勢いで公共の交通機関が衰退してきており、いまや実質的に車なしで生活するのは困難な状態であることを知っているが、私はこれも新自由主義政策のなせるわざだと思う。ガソリン値下げで民主党が浮かれるのは結構な話だが、私のようなへそ曲がりは、ガソリンが値下げされるとさらにマイカーへの依存度が高まり、今よりもっと公共交通機関が衰退するのを恐れるのである。私はむしろガソリン税を値上げして、税の増収分は公共交通機関への補助や、環境対策に回すべきだと考えている。人間は長生きすると運動神経や反射神経が衰えて、車の運転には適さなくなる。そうなった時、公共交通機関が衰えた街は不便だし危険だ。今の地方はお年寄りが安心して住める環境とはいえなくなってきている。欧州などでは日本と同じくらいの規模の地方都市ではもっと公共交通機関が充実していると聞くのだが。
そういったことを考え合わせると、今の民主党の方向性を支持することは、私にはできない。
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