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きまぐれな日々

17日に投開票が行われた京都市長選は、自民・公明・民社・社民の相乗り候補対共産党推薦候補の一騎打ちとなったが、わずか951票差で相乗り候補が勝った。

この際だから、はっきり私のスタンスを明らかにしておくが、もし私が京都市民だったら、共産党候補に投票していたところだ。

ところで、この選挙で民主党支持者はわずか3割しか支持政党の推す相乗り候補に投票しなかったそうだ。このことを朝日新聞が報じている。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200802180028.html

この記事中に、「ある民主市議は「民主の票は簡単にどっかいってしまう票なんだと心しないといけない」と話した」とあるが、そんなことを今ごろ改めて言われても困る、なんたる「KY」ぶりか、というのが私の偽らざる気持ちだ。

1998年の参院選で、橋本龍太郎総裁の率いる自民党が大敗を喫してから、今年で10年になる。98年といえば、新自由主義が本格的に猛威を振るうようになったころだ。その頃から今に至るまで、いい思いをするのは経団連などの財界首脳や自民党の世襲議員だけ、という時代が続いた。「頑張った人が報われる社会を」などと言われ、99?00年のITバブル時代には「光通信」、のちにはライブドアや村上ファンドなどがもてはやされたが、彼らはいずれも奈落の底に突き落とされた。今の経済体制が「カジノ資本主義」である以上、それは当然の帰結だった。中産階級が没落したのみならず、手段を選ばない強引なやり口で上流階級を目指した人たちも失墜していった時代だといえる。格差、否、階級の固定を目指すのが、新自由主義イデオロギーの本当の狙いだ。だが、そんな新自由主義の正体がひとたび知れ渡るや、選挙で不信任を突きつけられる。98年以降、自民党が基本的に退潮傾向にあるのは、自民党ごときの低能集団の能力では新自由主義の正体を糊塗することができず、その腐った意図が明らかになりつつあるからだと思う。

当時から今に至るまで、国民はずっと変革を求め、自民党政治に「ノー」を突きつけるというのが基本的な有権者の投票行動だった。国政選挙では、2000年および03年の衆院選、2004年と07年の参院選では、いずれも自民党が党勢を落とし、民主党が党勢を伸ばした。そして、変革を求める理由は、弱肉強食の新自由主義への反発だったと思う。

その間の民主党の政策が支持されたわけではない。03年や04年の選挙における民主党の政策は、どちらかというと新自由主義的だったのに対し、コイズミ政権末期に民主党代表が前原誠司から小沢一郎に交代したあとは、福祉国家指向へと政策を転換した。これらの選挙にいずれも民主党が勝利を収めたのは、単に民主党が自民党に対抗する勢力だったからに過ぎない。

そんな脆弱な支持だから、自民党内部から「自民党をぶっ潰す」とか、党内の「抵抗勢力」に対して「刺客」を送ったりする小泉純一郎のような人物が現れると、従来民主党を支持していた人たちが、簡単にコイズミに寝返ったりする。01年の参院選と05年の衆議院の「郵政総選挙」で自民党が圧勝したのはそのせいだ。特に、05年総選挙では、民主党が得意としていたはずの東京・神奈川などの選挙区で、自民党が地滑り的圧勝を収めたことは忘れられない。あの選挙では、今をときめく民主党の「ミスター年金」こと長妻昭も、選挙区では自民党の小物の候補に敗れ、比例でなんとか復活当選したくらいだ。

昨年の東京都知事選で石原慎太郎、今年の大阪府知事選で橋下徹をそれぞれ有権者が圧倒的に支持したのも、05年の総選挙でコイズミを圧倒的に支持したのと同じ心理に基づくものだと思う。有権者は、パワフルな石原や橋下に既成の政治を変えてもらいたいのだ。

今回の京都市長選でも、民意はやはり既成の政治の否定にあった。だから、共産党推薦の中村和雄があそこまで相乗り候補に肉薄したのである。

民主党の人気は、単に「自民党に反対している政党だから」というだけの理由からきているに過ぎないから、自民党とくっつく民主党など何の存在価値もなく、だから民主党支持者の3割しか相乗り候補に投票しなかったのだ。そのことに気づかない民主党関係者は「愚か」の一語に尽きる。昨年晩秋に、もし小沢一郎が渡邉恒雄(ナベツネ)らの口車に乗って「大連立」政権に参加していたら、民主党の未来も日本の将来もお先真っ暗だっただろう。

そして、民主党の最大の弱みは、民主党より強力に「変革」をアピールする者の前では全く歯が立たないことだ。曲がりなりにも民主党が転換しようとしている「福祉国家」の未来像は、必ずしも派手なイメージを持たない。また民主党内にはこの路線になじまない新自由主義者が多いこともあって、党としての方向性をなかなかはっきりと示せない。一方、小泉純一郎や石原慎太郎、東国原英夫、橋下徹といった人たちの強引なキャラには、この人たちに身を任せたいと思う人たちが続出する。もう一つ、彼らとは違った、辺見庸の言うところの「鵺のような全体主義」に対しても民主党は弱い、というより親和性を持っていると私は考えるが、そこまで考慮に入れるとエントリがまとまらないので、これへの考察は今回は措いておく。

同じ現状への不満でも、昨年の参院選で民主党が公約した「生活が第一」と、コイズミや石原、橋下らの方向性は180度ベクトルの向きが異なる。前者は、少なくとも理念上は国民生活を良くしようとするものだが、後者は、ひと握りのリーダーが愚民どもを引っ張っていって、おこぼれに預からせるという思想に基づく。人々が後者に惹かれていくことを食い止めなければ、日本は再びクラッシュへの道を歩んでしまうと思う。私自身がどうすればよいのかと考える時、普段から正しいと信じるところの、外交・安全保障政策では平和国家、経済政策では福祉国家への道を説き続けること以外の答えは出てこない。選挙前の付け焼刃では通用しない。権力を持っている側は相当したたかだ。安倍晋三政権の頃はおごり高ぶって大コケしたけれど、いつもいつもそんな敵失は期待できない。


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