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きまぐれな日々

石破茂というのは、自民党の世襲政治家の一人で、コイズミに引き立てられて出世した男だ。
コイズミは、自身も世襲議員であるせいか、世襲議員ばかり周りに集めたがる性癖があった。安倍晋三はその代表格だったし、初代の官房長官は福田康夫(のちにコイズミと対立して官房長官を辞任)、それに麻生太郎なども引き立てた。石破もその一人であり、嫌味なこの政治家が、私は大嫌いだった。

だが、石破は津島派の政治家であり、もともと旧森派(清和会)、特に安倍晋三とはあまり肌が合わない。安倍内閣末期には思い切った安倍批判も行った。昨年8月1日のエントリ 「とらわれない心で」 でも触れたように、社民党の辻元清美議員は、民主党の枝野幸男らとともに、石破を巻き込んで「立憲同盟」を作ろうとしていたのだという(「SIGHT」第32号に掲載された枝野幸男インタビューより)。そんなこともあったし、何より私は他のどの政治家より安倍晋三が大嫌いな人間なので、「敵の敵は味方」的な心情も働いて、かつてよりは石破を見直しつつあった。

だが、それが幻想だったことをいやというほど思い知らせてくれたのが、今回のイージス艦「ひき逃げ」事件をめぐる石破の対応だった。

二転三転する防衛省の説明は、同省が事件の真相を隠蔽しようとしたとしか論評しようのないものだが、石破はそれを糺(ただ)すどころか、自ら中心となって隠蔽工作を行っていた。そう言われても仕方のない事実が、次々と明るみに出ている。

石破が海上保安庁から事前了解を得ずに航海長の聴取をしていた問題について、石破は、28日の参院外交防衛委員会で、大臣室での再聴取は自身の意向だったことを明らかにした。石破は、「乗員に接触していない」としていた前言を撤回し、「話を聞いていたと言うべきだった」と述べた。捜査権のある海上保安庁の頭越しに行った聴取を自ら行っていたことを認めたのである(下記URLは毎日新聞記事)。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080229k0000m040128000c.html

石破の答弁は二転三転しており、防衛大臣失格であることは誰の目にも明らかだ。危機への対応に、その人間の真価が問われるものだが、すっかりメッキがはがれたのが今回の石破茂だ。

ことここに至ると、こんな人物を防衛大臣に任命した福田康夫首相の任命責任も問われる。今朝(2月29日)の朝日新聞社説も、福田首相の対応に注文をつけている。
 もはや福田首相が乗り出して、今後の対応の筋道を示すべき段階だ。日本の安全保障を託している組織が、自ら起こした事故に対応できずに機能不全に陥っているのは恐るべきことである。
 なのに、首相の記者団に対する発言を聞くと、まるでひとごとのようだ。「もっとよく気を回して海上保安庁と連絡をとるとか、いうようなことができていれば良かったんですけどね」と、防衛省に対応をまかせたままだ。事態を直視すれば、「気を回す」かどうかのレベルではないだろう。首相には深刻さへの認識が明らかに欠けている。

まことにまっとうな主張だ。同社説はさらに、
 政府がまずやるべきことは、事故だけでなく事故後の防衛省、自衛隊の対応も含めて情報を洗いざらい明らかにすることだ。その上で、速やかに防衛相を更迭し、関係者にも早急に責任をとらせなくてはならない。それをいつまでにやるのか、国民に説明することだ。
と書いているが、これまたもっともで、クライン孝子のような非常識人は別として、自民党の支持者だって石破茂や福田康夫の無責任さにはあきれ返っていることだろう。

危機管理能力が皆無なのは、ひとり石破茂にとどまらず、福田首相を筆頭とした福田内閣全体、さらには森、コイズミ、安倍、福田と無責任首相を輩出し続けた自民党全体についていえる。

野党は全力をあげてイージス艦事件の真相究明を迫り、石破の辞任にとどまらず、福田内閣を解散総選挙に追い込んでもらいたい。特に、すぐに自民党と妥協しがちな民主党には、真剣さを求めたい。


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このところ、判決に疑義のある裁判に関する報道が多く、考えさせられる。

サイパンで逮捕された「ロス疑惑」の三浦和義氏のように、有罪を疑われながら、(日本では)無罪が確定した例もあるが、これは稀なケースで、無罪相当ではないかと思われるのに有罪判決が出るケースが目立つ。

昨年、当ブログ管理人の地元の放送局である瀬戸内海放送(本社・高松市)が報道し、「きっこの日記」が取り上げて話題になった、高知のスクールバスと白バイの衝突事件はその代表例だが、その他にも、沖縄返還をめぐる日米密約を暴いた新聞記者が国家公務員法違反(秘密漏えいの教唆)の罪に問われて有罪が確定した「西山事件」の再審請求が二審でも棄却された件や、佐藤優が「国策捜査」だとして批判した鈴木宗男氏の裁判で、やはり二審でも実刑判決が下された件など、納得しがたい判決が多い。

2000年に仙台の北陵クリニックにおいて、筋弛緩剤を点滴に混入して患者1人を殺害、4人を殺害しようとしたとして、殺人と殺人未遂の罪に問われた准看護師、守(もり)大助被告(36)の上告審で、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は、守被告の上告を棄却する決定をしたが、私にとってはこれも納得できない事例である(下記URLは朝日新聞記事)。
http://www.asahi.com/national/update/0227/TKY200802270281.html

この事件で、守被告が逮捕されたのは、21世紀の幕が開けた直後の2001年1月6日だった。当時マスコミはセンセーショナルに取り上げ、守被告は、「急変の守」(朝日新聞が命名したといわれる)と呼ばれ、極悪人として報じられた。

しかし、守被告が逮捕された2か月後から、「週刊朝日」、「週刊ポスト」、月刊「現代」に相次いで「冤罪」説を唱える報道が相次いだ。一方、「週刊文春」は守被告犯人説からこれらの報道を批判、報道合戦の様相を呈した。私は当時各誌の記事を読み比べ、「冤罪」説の方に圧倒的な説得力を感じたものだ。「週刊ポスト」の2001年4月27日号及び同5月4・11日合併号の記事は、ネットで読むことができる(下記URL)。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/sendai1.html
(「週刊ポスト」 2001.4.27号)

http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/sendai2.html
(「週刊ポスト」 2001.5.4・11号)

上記の朝日新聞記事でも、
裁判では「医療行為を装った殺人・殺人未遂」という極めて特異な事件の動機は十分解明できなかった。鑑定に使った試料を捜査段階で使い切り、弁護側に再鑑定の機会が与えられなかったことから、捜査上の問題点も指摘された。
と書かれている。疑念の多い裁判であり、今回の決定には納得できるものではない。

そもそも、日本の裁判では被告人無罪の判決が出るケースが極めて少ない。「ロス疑惑」の銃撃事件裁判は、例外中の例外であり、1974年に起きた「甲山事件」のように、一度も有罪判決が出なかった裁判でも、最終的に被告の無罪が確定したのは1999年であり、実に25年にわたって、検察側は被告を有罪にしようとし続けた。

高知のスクールバス・白バイ衝突事件のように、事件報道によって被告人の無罪が99.9%間違いないと思われるケースでさえ、高松高裁は控訴を事実上門前払いにした。「筋弛緩剤事件」は、高知スクールバスほど無罪が自明なケースではないかもしれないが、「守大助」を検索語にしたネット検索で引っかかるのは、守被告の無実を訴えるサイトばかりである。

私はこういう状態は改められなければならないと思うが、導入が図られている裁判員制度などにその効果を期待することはできないと思う。

[参考サイト]
「無実の守大助さんを支援する首都圏の会」
http://homepage2.nifty.com/daisuke_support/


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イージス艦が漁船を真っ二つにした忌まわしい事件に関して、防衛省の釈明が二転三転している。

2月26日の毎日新聞は、「背広組と制服組で釈明内容が二転三転」という記事を掲載した(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080226k0000e040055000c.html
 情報を隠す意図はなかったのか??。記者団から要求され26日未明から始まった、防衛省内局(背広組)と海上自衛隊(制服組)の幹部がそろった異例の説明では、内容が二転三転。海上保安庁の聴取前に航海長をヘリコプターで移送し海上幕僚監部が事情を聴いていたことも発覚。双方の説明が一致しないシーンもあり、防衛省の迷走ぶりが極まった。不祥事のたびにささやかれた制服組と背広組の一体感のなさを露呈した。【本多健、加藤隆寛、田所柳子】

(以下略。リンク先をご参照ください)

さらに、19日には石破茂防衛相も航海長から事情を聞いていたことが明らかになった。
朝日新聞"「海保「事前連絡ない」 海自説明と食い違い 航海長聴取"
http://www.asahi.com/national/update/0227/TKY200802260500.html

毎日新聞
"防衛相、航海長を当日聴取 説明で触れず"
http://mainichi.jp/select/today/news/20080227k0000m040156000c.html

朝日新聞の記事に、「(防衛省には)組織としてつじつまを合わせ、隠蔽(いんぺい)や改ざんをした歴史がある。だから、よけいな心配を抱かせ、予断を許すという点では、きちんと報告してくれた方が良かった」という第3管区海上保安本部幹部の言葉が紹介されているが、事故発生当初から、「イージス艦は救助すらしなかったのではないか」という疑惑の声は強まるばかりだ。

今週はじめに発売された「週刊現代」 3月8日号の、"耳を疑う 「イージス艦は救助すらしなかった" というタイトルの記事に、地元漁師たちの怒りの声が掲載されている。以下に記事から抜粋する。

「国民の命を守るために作られたイージス艦が、『清徳丸』に衝突したのもむろん許せませんが、親子が海に投げ出された時、すぐに救助に出ていれば二人は助かったはずなんです。イージス艦はあろうことか、知らぬ顔をしていた。それが絶対にゆるせないのです」
 怒りを爆発させるのは、(吉清)治夫さんの叔母の板橋よし子さん(76歳)だ。

(中略)

「真冬の未明の海では、投げ出されて5分で死ぬということは、海上自衛隊員だろうが漁師だろうが、船乗りたちの常識です。それを1時間41分も経って "救助" が始まるなんて、信じられません」 (板橋さん)

(「週刊現代」 2008年3月8日号 "耳を疑う 「イージス艦は救助すらしなかった"より)

「週刊現代」の記事には、漁船と衝突したこと自体を『あたご』がしばらく気づかなかったのではないか、との軍事評論家・鍛冶俊樹氏の推測を紹介したあと、漁師たちの声をさらに掲載している。

「小船に乗っている自分さえ、衝突の30分前から『あたご』を確認していた。『あたご』側が『2分前』とか『12分前』と言い訳しているのは絶対にあり得ない」 (『幸運丸』 堀川宣明船長)

「『あたご』側は『清徳丸の(右舷の)緑灯を見た』と言っているが、緑灯を見ていたら事故が起こるはずがない」 (『康栄丸』 中ノ谷義隆船長)

「『あたご』は舵を切らず、真っ直ぐ直進してきた。漁船の確認を怠っていたのではないか」 (『金平丸』 市原義次船長)

 つまり今回の事故は、いわばイージス艦による "ひき逃げ" だったということだ。

(「週刊現代」 2008年3月8日号 "耳を疑う 「イージス艦は救助すらしなかった"より)

なんともひどい話だが、防衛省が口裏合わせに狂奔し、石破防衛相まで、事故当日に航海長から直接事情を聴いておきながら、これまで黙っていた。国民の不信を招く最悪の対応だ。

これでは、「イージス艦は2人をわざと見殺しにしたのだろう」などと疑われても仕方あるまい。防衛省や石破大臣は、今回最悪の対応をした。石破は、平時には口だけは達者な論客だが、危機管理能力が欠如しており、防衛大臣としての適性が全くないことがはっきりした。

こういう事態を招いたからには、事故の真相をきっちり明らかにした上で、石破は引責辞任すべきだろう。

また、何度も書くが、自衛艦の責任を全く問わず、漁船の「自己責任」だとしている恥知らずなネット右翼たちには本当に呆れる。彼らは実は「右翼」でも何でもなく、権力に媚びたがるだけのウジ虫たちなのだろう。


[参考記事]
「カナダde日本語」 より
"イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で犠牲になった親子は、なぜいまだに行方不明なのか。" (2月26日)
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-795.html


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福田内閣の支持率低下に歯止めがかからず、いくつかの世論調査で30%を切ったが、安倍前内閣の支持率が落ち続けていた頃と違って、反福田ムード、反自公政権ムードが全く盛り上がらない。

私は、この沈滞ムードは、野党第一党の民主党が道路問題なんかにかまけているせいではないかと考えている。

そもそも、道路問題はいつもうさんくさい。2003年にも、道路問題がクローズアップされたことがある。当時コイズミ内閣の国土交通大臣だった石原伸晃が、道路公団総裁だった藤井治芳(はるほ)氏を更迭しようとしたのに対し、藤井氏が強烈に反発し、石原のほか、当時自民党幹事長だった安倍晋三を名指しで厳しく批判し、大バトルに発展したことがあった。

実を言うと、当時私は内心、藤井氏を応援していた。というのは、コイズミ政権側の石原や安倍が仕掛けたこのバトルは、自民党内の「抵抗勢力」に向けたものであると同時に、自由党との合流が決まっていた民主党党大会の話題をかすませ、この年11月に行われた総選挙において自民党を有利に導くための策略であることがミエミエだったからだ。もちろん、当時から私は石原伸晃だの安倍晋三だのが大嫌いだったせいもある。

この03年総選挙で、コイズミは、自民党内の「抵抗勢力」と野党民主党の「両取り」をもくろんでいた。この狙いは空振りし、選挙で自民党は議席を減らし、民主党は議席を増やしたのだが、民主党が狙ったほどの大勝ちにはならず、玉虫色の選挙結果となった。コイズミが悲願とした「郵政民営化」でこの時の雪辱を果たしたのが2年後の総選挙だったが、それを許してしまったのも、03年の総選挙で民主党が勝ち切れなかったことが響いたと私は考えている。

それよりも何よりも、道路問題の議論の仕方が、地方に住む人間にとっては納得できない部分が大きい。地方に住む私の実感で言うと、地方には確かに無駄な道路も多いが、その反面、本当に必要な道路はむしろ不足している。不要な公共事業は切り捨てられるべきだが、乗数効果の大きい公共事業は行われるべきだ。問題なのは、その判断が利権構造によってねじ曲げられていることであって、国土の均衡発展までを否定する今の議論はおかしくはないか。その意味で、私は国民新党の亀井静香氏の主張に共感するものだ。

そもそも、新自由主義者は首都が発展して地方が衰退するのは、自由経済では当然だと言う。確か、オリックスの宮内義彦が、北海道の人口はもっと少なくても構わないと言っていたと記憶している。しかし事実として、1980年以降、主要先進国で首都だけが発展して地方が衰退しているのは日本くらいのものなのだ。このカラクリには、中央へ、中央へと流れる利権構造があるからに決まっている。竹中平蔵を筆頭とするデマゴーグたちは、厚顔無恥にも国民を騙すデマを流し続けているのである。

このように、地方在住の人間が鬱憤をため込んでいる時に、民主党が道路問題に焦点を絞っているのはまったく理解できないし、社民党や共産党までもがそれに流されているのを見ると、ブルータスよ、お前もか、と言いたくなる。

いま第一に論じるべきことは、道路問題なんかじゃない、そう思わずにはいられない今日この頃である。


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昨日(日本時間2月23日)、突如としてサイパンで三浦和義氏がロサンジェルス市警察に逮捕された。「なんで今頃」というのが日本人の普通の感覚だろう。あるいは、若い方は三浦和義氏のことをよくご存じないかもしれない。

三浦和義氏の犯行との疑いが持たれたロス銃撃事件については、「週刊文春」が、1984年1月に、「疑惑の銃弾」と銘打った大キャンペーンを展開し、他誌、特に女性週刊誌やテレビのワイドショーが大騒ぎしたが、翌1985年9月11日に逮捕される直前まで、朝日・毎日・読売新聞などの新聞紙面を飾ることはほとんどなかった。唯一、産経新聞(当時の名称は「サンケイ新聞」)だけは、積極的な報道を行っていたようだ。

当時から、こんな事件どうでもいいよなあ、と思っていたのだが、唯一23年前に三浦氏が逮捕された日のことはよく覚えている。当時私は学生で、夕食をとりながら毎日新聞の夕刊を開いて、女優の夏目雅子さん死去の知らせに衝撃を受けた。夜、横浜スタジアムで行われたプロ野球・大洋?阪神戦に阪神タイガースが勝ち、21年ぶりのリーグ優勝に向けてのマジックナンバーが点灯した。それらのニュースが報じられるはずの夜のニュースの時間帯に、突如臨時ニュースが入って、どの民放テレビ局も特別体制で大々的に報じたのが「三浦和義逮捕」のニュースだった。夏目雅子さん死去も、阪神のマジック点灯も、どこかに行ってしまった。

なんなんだ、これは、と思いながらテレビを見ていたが、この日以降は三浦和義氏の殺人疑惑のニュースが、一般紙にも載るようになった。それでもそんなにこの事件に関心は沸かなかった。だから、三浦氏の疑惑の深さがどの程度のものなのか、私には判断はつかない。事実として、81年8月の殴打事件では有罪、同年11月の、三浦氏の妻・一美さんの死を招いた銃撃事件では無罪の判決を受けたということを認識しているだけだ。

それより、三浦氏の逮捕が9月11日だったことが、今にして思うと興味深い。この9月11日はテロやクーデターの「特異日」ともいえる日で、1973年のチリの軍事クーデターでアジェンデ大統領が銃弾に倒れた日であり、「9.11」の代名詞ともなっている2001年のニューヨークのテロの日であり、日本国首相だった小泉純一郎による「上からのクーデター」ともいうべき2005年の衆議院選挙が行われた日だ。特に73年のチリの軍事クーデターによって成立したピノチェト政権が、世界で初めてといわれる新自由主義政策をとったことは、広く記憶されるべきだろう。

その日に逮捕された三浦氏が、今になってロス市警に逮捕された。折しも、沖縄米軍による女子中学生暴行事件や、海上自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船に衝突してこれを沈め、乗組員2人を行方不明にしてしまった事件が日本の世論を騒がせている時期だ。ついついそこに、これらの事件から日本国民の目をそらさせたいであろうアメリカによる「陰謀」を疑いたくなってしまう。もちろん、これは「陰謀論」には違いないのだが、陰謀があったのではないか、という仮説を立てることまでは非難されるべきではないだろう。それが「ドグマ」と化してしまって、仮設を疑うことが許されなくなった時、陰謀論の弊害が出始めるのだ。

だが、この仮説の検証は例によってきわめて困難だ。そういう時にどういう態度をとるべきかというと、三浦氏の事件などに振り回されず、女子中学生事件やイージス艦事件について声を発し続けることだろう。

沖縄米軍については、「なごなぐ雑記」「9条を改正せよ!(追記あり)」 を紹介したい(下記URL)。
http://miyagi.no-blog.jp/nago/2008/02/post_ea17.html

特に、この記事の追記として、
在日米軍が20日に出した「無期限外出禁止令」は、25日にも解除されることが20日未明にわかったらしい。在日米軍の無期限≒5日間である
と書かれているのには驚いた。上に、三浦和義氏の逮捕が、阪神タイガースの優勝マジック点灯と同日だったと書いたが、無期限イコール5日間という外出禁止令解除のニュースは、1982年にやはり横浜スタジアムで行われた大洋?阪神戦で、ジャッジに怒って、審判に殴る蹴るの暴行を加えてコミッショナーから「永久追放」の処分を受けた阪神の2人のコーチが、翌年早々と球界復帰を果たした件を思い出した(そのうちの1人である島野育夫・元阪神コーチは昨年暮に死去した)。だが、在日米軍の場合は、翌年はおろか翌月でさえなくて、たったの5日後に解除されてしまうのである。

イージス艦事件衝突事件については、あの田原総一郎までもが怒って、「サンプロ」で責任を追及していた。ここでは、最初の社説で腰が引けているとして当ブログが批判した朝日新聞が、一昨日(2月22日)にこの件に関して2度目の社説を掲載しているので、これを紹介しておく。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080222.html#syasetu1

朝日新聞は、最初の社説を掲載したあとの積極的な報道ぶりによって、名誉挽回を果たした格好だが、情報を小出しにして結局信用を失っていく自衛隊および防衛省の責任逃れの体質には、呆れて言葉もない。

ネット右翼は、自衛艦を免罪して、漁船の自己責任を問うているらしいが、彼らは、「右翼」でありながら、危機管理能力の欠如の甚だしい自衛隊や防衛省をなぜ批判しないのだろうか。不思議でならない。


[その他の参考記事]
「カナダde日本語」 より
"三浦和義は、なぜ今頃サイパンで再逮捕されたのか" (2月24日)
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-792.html

「晴天とら日和」 より
"何故?今頃三浦元被告の「疑惑の銃弾」なのか?⇔イージス艦(あたご)事件・毒餃子事件・沖縄米兵事件は忘れナイゾ!!!" (2月24日)
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51167472.html


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年末から年始にかけてブログで話題となった擬似科学と陰謀論の議論には、当ブログも参戦したが、現在では一段落している。しかし、この話題について書いたエントリには、現在もコメントがつけられ続けている。

具体的に書くと、下記エントリだ。
"ネットに横行する「トンデモ」や「陰謀論」を批判する" (2007年12月23日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-532.html

このエントリには、sumita-mさんのブログ 「Living, Loving, Thinking」 に好意的に取り上げられたこともある。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080112

一方、「ネオリベラリズムへの反発や批判を名目にしたナショナリズムやレイシズムとの野合」(上記sumita-mさんの記事からの引用)をもくろんでいる人たちからは目の敵にされているエントリでもある。

そして、上記sumita-mさんの記事に、「上に挙げたような批判が共感をもって迎えられれば喜ばしいのだが、コメント欄を見る限り、そうともいえないようだ」と指摘されている通り、コメント欄は現在も混乱している。

陰謀論を声高に主張するコメント、管理人に議論を挑むコメント、管理人の意見と異なるコメントに対してトンチンカンな方向から諌めるワケのわからないコメントなどであふれ返っているのである。HNを明記しない、「名無し」の人がコメントを連続的に投稿していたりもする。

いずれも、ネットのエチケット(いわゆるネチケット)に大いに反している。

まず第一に、古いエントリへのコメントはみだりに行うべきではない。どうしてもコメントしたい場合は、「古いエントリへのコメントですみませんが」等の断り書きを入れるべきだ。

さらに、ブログのコメント欄は管理人との議論の場ではないと当ブログ管理人は考えている。従って、管理人に議論を挑まれても返答をしかねることをお断りしておく。

また、コメントをつける際、ハンドルネームを記載することは当然のエチケットだ。当ブログはこれまでは黙認してきたが、ハンドルネームの記載のないコメント、あるいは「通りがかり」や「名無し」などという実質的に無記名同然のハンドルネームによるコメントは、今後原則として承認せず削除することにする。

さらに、コメンテーター同士の議論をしたい時にも、その旨断っていただきたいし、当ブログ管理人と立場が異なる者同士の議論は、できるだけ避けてほしい。

なお、特に名を秘すが、「ねこ」なるコメンテーターの傍若無人なコメントに対しては、ブログ管理人は大いに頭にきていることを明記しておく。このコメンテーターは、「2ちゃんねる」でも好き勝手なブログ評論をしていることを、「kojitakenの日記」 で指摘しておいた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080222/1203612105

当ブログにコメントされる方々には、十分なご配慮をお願いしたい。


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イージス艦と漁船との衝突事件は、イージス艦が衝突12分前に漁船を視認していながら、衝突直前まで自動操舵を続けていたことがあとから判明するなど、呆れてものも言えない。アメリカにつき従うことが使命と化している自衛隊が国民の命を守ってくれるとは、はなから思っていなかったが、ここまでひどいとは思わなかった。

あまりの無力感に、このところちょっと政局ネタに興味を失って、週刊誌を買うどころかあまり立ち読みもしなくなっていたのだが、今週発売の「週刊ポスト」、「週刊現代」それに「週刊朝日」の3誌に、細川護熙と小泉純一郎の両元首相が密談した、という記事が出ている。3誌が、すわ、新党結成かと大騒ぎしていることはいうまでもない。密談を当事者は認めていないそうだが、1誌だけなら、「週刊誌にはガセネタが多いから...」で済ませられても、3誌の報道となると俄然信憑性が高まる。昨年の今ごろにも似たようなことがあって、「週刊ポスト」、「週刊現代」、それに「サンデー毎日」の3誌が、当時首相だった安倍晋三の健康問題を報じた。果たして、安倍はその半年後、健康問題を理由に総理大臣の職を辞した。今回も、細川とコイズミの密談はおそらく事実だろう。

3誌とも、この2人の動きは「反福田・反小沢」(というより「反大連立」)勢力の結集を目指すものだ、と指摘している。特に、細川が政界を引退してから10年になるが、「10年経てば禊(みそぎ)が終わる」と言って、政治的発言を再開することを細川自らがほのめかしていることを、「ポスト」と「週刊朝日」の両誌が書いている。「ポスト」の記事は、両元首相と北川正恭・東国原英夫らが結成した「せんたく」とのつながりを指摘しているが、これも記事のタイトルを見ただけでピンとくるくらいミエミエの関係だ。要するに、新自由主義カイカク勢力を再結集して、渡邉恒雄が媒介して福田康夫と小沢一郎らがやろうとした「大連立」、すなわち旧保守の結集に対抗しようというのだ。

もちろん、細川もコイズミも悠々自適の生活に入っていて、彼らが新党の党首になることは考えられないが、自民党では小池百合子、民主党では前原誠司や枝野幸男を筆頭に、新党のリーダーの座、そしてそう遠くない将来の総理大臣の座をつけ狙う人たちはいくらでもいる。宙に浮いた格好の「コイズミチルドレン」たちにとっては、この動きは「天の助け」だろう。

一方、枝野幸男らに対しては、加藤紘一や山崎拓も接近していて、超党派の訪韓団を結成した。加藤や山崎は、旧保守と近いかと思っていたのだが、民主党の反小沢グループと接近しているようだ。但し、前原誠司とは距離を置いているように思われる。さらには、中川昭一、平沼赳夫ら極右政治家が結集した「真・保守政策研究会」の存在もある。これの裏には安倍晋三もいて、加藤・山崎らの動きはこの極右グループに対抗するものと考えるべきだろう。総選挙が遠のいた今、自民、民主両党内では福田康夫、小沢一郎の両党首の求心力が低下し、合従連衡の動きが水面下で活発化しているようなのだ。

非常に錯綜したこれらの動きは、例の政治思想軸・経済軸の2次元解析で考えると多少分かりやすくなる。細川、コイズミおよび「せんたく」は、新自由主義に基づく「経済右派」の勢力で、「小さな政府」と自由競争を標榜する、アメリカでいえば共和党に相当する勢力の結集を目指すものだ。ひとことでいうと「ネオリベ」になる。細川・コイズミを後見人として、表看板には小池百合子あたりを立てる可能性が高い。

一方、安倍・中川昭・麻生・平沼の、ひところ「AHA?Nの会」などといわれた勢力は、強烈な国家主義を信奉する「政治思想右派」であり、「ネオコン」あるいは「極右」と言い換えられる。

この両者に対抗するのが「旧保守」あるいは「保守リベラル」にあたる勢力で、これはちょっとわかりにくいのだが、福田康夫と小沢一郎を中心とした旧保守と、加藤紘一を中心とした保守リベラルにさらに分かれる。これは、旧田中派と旧大平派(宏池会)の違いととらえればわかりやすい。宏池会は「加藤の乱」でさらに分裂し、谷垣禎一の系列と古賀誠の系列に分かれたが、いずれも21世紀に入ってからの自民党の右傾化に伴って、個々の政治家も右傾しており、加藤を中心としたリベラルの勢力にあっさり合流するかは不明だ。「経済右派」に対するカウンター勢力になっているのが、旧田中派的性格を持つ、福田・小沢の「旧保守」であり、「政治思想右派」に対するカウンターになっているのが、旧大平派の代名詞のような加藤を中心とするグループだと私は考えている。だから、前者は政治思想に関しては右翼から左翼までを抱え、後者は経済思想に関しては新自由主義者から社民主義に近い人たちまでを容認する。だから、加藤が枝野幸男らと接近したりする。

また、国民新党は典型的な「旧保守」の勢力だが、亀井静香には「政治思想右派」の側面もあるので、「AHA?N」の極右グループと提携する恐れもある。

以上のほかに、リベラルあるいは左派の勢力が存在し、民主党左派、社民党、共産党がこれに相当する。今後は、民主党左派と社民党の連携が強まり、共産党は相変わらず独自路線を歩むと思われる。

当ブログとしては、最初に挙げた2つのグループ、すなわち細川・コイズミを後見人とする「ネオリベ」グループと、「AHA?N」率いる「ネオコン」グループを排除した、残りのグループによる政権樹立に向けて再編を進めていくのが、日本にとってもっともマシな選択肢だと思うが、現状は日本人になお「カイカク」への幻想が強いと思うので、「ネオリベ」グループには特に警戒してかからなければならないと考えている。最近、竹中平蔵のメディアへの露出が増えており、前述の「週刊朝日」にも竹中のインタビュー記事が出ているが、彼が再びイニシアチブをとるようでは、新自由主義政策によってこれまでに進んだ「格差」はさらに拡大し、日本経済は疲弊し、国力はどんどん落ちていってしまうだろう。それだけは避けなければならない。


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19日未明に起きた、イージス艦と漁船の衝突事件は、いやな事件ばかりが続くこのところにあっても、特に気分を暗く沈ませるニュースだった。

私はこの事件に関するテレビ報道を全く見ておらず、新聞社のサイトを通じて事件の把握につとめたが、知れば知るほど、暗い気分をさらに暗くさせる情報ばかりだった。

見張りを怠っていたのか、イージス艦が漁船の存在になかなか気づかなかったこともさることながら、産経新聞が 「イージス艦側に回避義務か 右舷前方に傷確認」 と報じ、自衛艦の過失であったことを指摘した衝撃は大きかった。さすがの産経新聞も、この事件では「漁船の自己責任」などという無責任な報道はしない。

しかし、20日の朝日新聞社説は、奥歯にものが挟まったような書き方だ。
自衛艦は漁船の側面に直角に近い角度で衝突したようだ。衝突までの経緯によって、どちらにより大きな回避義務があったかが決まるが、自衛艦側に責任がなかったとは言えまい。
などと書いている。

朝日の「あらたにす」仲間である読売新聞の社説は、
「あたご」の艦首右側には、衝突によるものと見られる傷跡が確認されている。海上衝突予防法は、船がすれ違う場合、相手を右側方向に見る船が航路を変更するよう定めており、「あたご」側に回避義務があった可能性が高い。
と書いているし、日経新聞の社説は、
法的責任の所在は別にして、常識で考えれば、軍用艦の方が脆弱(ぜいじゃく)な民間の船に注意をはらって航行するのが当然ではないか。「なだしお」事故以来の再発防止策が、そうした常識的発想に基づいていなかったなら問題だ。
と書いている。産経、読売、日経の保守系3紙と比較しても、朝日の論調はもっとも腰が引けているのだ。

自衛艦に回避義務があった可能性が高いことを、もっともはっきり主張しているのが毎日新聞の社説である。
衝突当時の詳細な状況は判明していない。ただ、2隻の予定航路から推定すると、太平洋を北上して東京湾に入ろうとしていた「あたご」が、南西方向に進路を取っていた清徳丸の左舷にぶつかった可能性が高いようだ。
 この場合、「あたご」から見て清徳丸は、右舷方向から接近してきたことになる。海上衝突予防法は、2隻の船が交差する場合、相手の船を右舷側に確認した船に衝突回避の義務があると定めているため、衝突直前の位置関係が過失責任を認定するうえで重要なポイントになる。

このくらいはっきり主張してもらわなければ、新聞の存在価値はないだろう。ガリバー連合である「あらたにす」を向こうに回して頑張る毎日新聞を、つい判官びいきで応援してしまうブログ管理人のひいき目もあるのかもしれないが。

個人的な話で恐縮だが、私が小学生時代に、ジャーナリズムに関心を持ち始めたきっかけが、当時私の家で購読していた毎日新聞の西山太吉元記者が「沖縄密約」をスクープしたところから起きた「西山事件」(1972年)だった。

その西山元記者が、違法な起訴や密約を否定する政府高官の発言で名誉を傷付けられたとして、国に3300万円の賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が20日、東京高裁であったが、同高裁は、請求を棄却した一審・東京地裁判決を支持し、西山元記者の控訴を棄却した。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080221k0000m040071000c.html

予想された判決ではあったが、日本では上級審でこの種の裁判の判決がひっくり返る可能性はほとんどない。月刊「現代」の3月号には、冤罪の可能性がきわめて高い、高知県で起きたスクールバスと白バイの衝突事故の裁判に関する亀井洋志氏の記事が掲載されているが、疑う余地のない誤審によって一審、二審で有罪判決を受けたスクールバスの運転手・片岡晴彦さんの冤罪が晴らされる可能性はほとんどないだろう。

暗く沈んだ私の気分が晴れることは、当分なさそうだ。


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17日に投開票が行われた京都市長選は、自民・公明・民社・社民の相乗り候補対共産党推薦候補の一騎打ちとなったが、わずか951票差で相乗り候補が勝った。

この際だから、はっきり私のスタンスを明らかにしておくが、もし私が京都市民だったら、共産党候補に投票していたところだ。

ところで、この選挙で民主党支持者はわずか3割しか支持政党の推す相乗り候補に投票しなかったそうだ。このことを朝日新聞が報じている。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200802180028.html

この記事中に、「ある民主市議は「民主の票は簡単にどっかいってしまう票なんだと心しないといけない」と話した」とあるが、そんなことを今ごろ改めて言われても困る、なんたる「KY」ぶりか、というのが私の偽らざる気持ちだ。

1998年の参院選で、橋本龍太郎総裁の率いる自民党が大敗を喫してから、今年で10年になる。98年といえば、新自由主義が本格的に猛威を振るうようになったころだ。その頃から今に至るまで、いい思いをするのは経団連などの財界首脳や自民党の世襲議員だけ、という時代が続いた。「頑張った人が報われる社会を」などと言われ、99?00年のITバブル時代には「光通信」、のちにはライブドアや村上ファンドなどがもてはやされたが、彼らはいずれも奈落の底に突き落とされた。今の経済体制が「カジノ資本主義」である以上、それは当然の帰結だった。中産階級が没落したのみならず、手段を選ばない強引なやり口で上流階級を目指した人たちも失墜していった時代だといえる。格差、否、階級の固定を目指すのが、新自由主義イデオロギーの本当の狙いだ。だが、そんな新自由主義の正体がひとたび知れ渡るや、選挙で不信任を突きつけられる。98年以降、自民党が基本的に退潮傾向にあるのは、自民党ごときの低能集団の能力では新自由主義の正体を糊塗することができず、その腐った意図が明らかになりつつあるからだと思う。

当時から今に至るまで、国民はずっと変革を求め、自民党政治に「ノー」を突きつけるというのが基本的な有権者の投票行動だった。国政選挙では、2000年および03年の衆院選、2004年と07年の参院選では、いずれも自民党が党勢を落とし、民主党が党勢を伸ばした。そして、変革を求める理由は、弱肉強食の新自由主義への反発だったと思う。

その間の民主党の政策が支持されたわけではない。03年や04年の選挙における民主党の政策は、どちらかというと新自由主義的だったのに対し、コイズミ政権末期に民主党代表が前原誠司から小沢一郎に交代したあとは、福祉国家指向へと政策を転換した。これらの選挙にいずれも民主党が勝利を収めたのは、単に民主党が自民党に対抗する勢力だったからに過ぎない。

そんな脆弱な支持だから、自民党内部から「自民党をぶっ潰す」とか、党内の「抵抗勢力」に対して「刺客」を送ったりする小泉純一郎のような人物が現れると、従来民主党を支持していた人たちが、簡単にコイズミに寝返ったりする。01年の参院選と05年の衆議院の「郵政総選挙」で自民党が圧勝したのはそのせいだ。特に、05年総選挙では、民主党が得意としていたはずの東京・神奈川などの選挙区で、自民党が地滑り的圧勝を収めたことは忘れられない。あの選挙では、今をときめく民主党の「ミスター年金」こと長妻昭も、選挙区では自民党の小物の候補に敗れ、比例でなんとか復活当選したくらいだ。

昨年の東京都知事選で石原慎太郎、今年の大阪府知事選で橋下徹をそれぞれ有権者が圧倒的に支持したのも、05年の総選挙でコイズミを圧倒的に支持したのと同じ心理に基づくものだと思う。有権者は、パワフルな石原や橋下に既成の政治を変えてもらいたいのだ。

今回の京都市長選でも、民意はやはり既成の政治の否定にあった。だから、共産党推薦の中村和雄があそこまで相乗り候補に肉薄したのである。

民主党の人気は、単に「自民党に反対している政党だから」というだけの理由からきているに過ぎないから、自民党とくっつく民主党など何の存在価値もなく、だから民主党支持者の3割しか相乗り候補に投票しなかったのだ。そのことに気づかない民主党関係者は「愚か」の一語に尽きる。昨年晩秋に、もし小沢一郎が渡邉恒雄(ナベツネ)らの口車に乗って「大連立」政権に参加していたら、民主党の未来も日本の将来もお先真っ暗だっただろう。

そして、民主党の最大の弱みは、民主党より強力に「変革」をアピールする者の前では全く歯が立たないことだ。曲がりなりにも民主党が転換しようとしている「福祉国家」の未来像は、必ずしも派手なイメージを持たない。また民主党内にはこの路線になじまない新自由主義者が多いこともあって、党としての方向性をなかなかはっきりと示せない。一方、小泉純一郎や石原慎太郎、東国原英夫、橋下徹といった人たちの強引なキャラには、この人たちに身を任せたいと思う人たちが続出する。もう一つ、彼らとは違った、辺見庸の言うところの「鵺のような全体主義」に対しても民主党は弱い、というより親和性を持っていると私は考えるが、そこまで考慮に入れるとエントリがまとまらないので、これへの考察は今回は措いておく。

同じ現状への不満でも、昨年の参院選で民主党が公約した「生活が第一」と、コイズミや石原、橋下らの方向性は180度ベクトルの向きが異なる。前者は、少なくとも理念上は国民生活を良くしようとするものだが、後者は、ひと握りのリーダーが愚民どもを引っ張っていって、おこぼれに預からせるという思想に基づく。人々が後者に惹かれていくことを食い止めなければ、日本は再びクラッシュへの道を歩んでしまうと思う。私自身がどうすればよいのかと考える時、普段から正しいと信じるところの、外交・安全保障政策では平和国家、経済政策では福祉国家への道を説き続けること以外の答えは出てこない。選挙前の付け焼刃では通用しない。権力を持っている側は相当したたかだ。安倍晋三政権の頃はおごり高ぶって大コケしたけれど、いつもいつもそんな敵失は期待できない。


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日経ネットを見ると、10年ぶりに改訂される小中学校の指導要領案に、授業時間増、特に理数系の科目については最大3割増が盛り込まれているという記事があった。結構なことだと思う。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080216AT1G1403115022008.html

この記事を読んで驚いたのは、現在の中学校では二次方程式の解の公式さえ教えていないということだ。理系の大卒者の平均学力レベルは、近年目立って落ちていることに驚かされるのだが、「ゆとり教育」に重大な原因があることは言うまでもない。現状では「技術立国」日本のお先は真っ暗だ。

その「ゆとり教育」を見直そうという動きがようやく起きた。私は、これまでの「ゆとり教育」なるものは全くのまやかしであると考えている。これについては、ブーイングを浴びた昨年9月27日付のエントリ 「福田内閣支持率50%超に見る日本人の知性の劣化」 に書いた通りだ。

新自由主義が現実の政治に導入されたのは、1973年にチリで起きたクーデターでアジェンデ政権を倒したピノチェト政権だとされているが、「ゆとり教育」はその頃始まっている。「ゆとり教育」と新自由主義の関係を指摘したのは斎藤貴男だが、その慧眼に敬意を表する今日この頃である。

これは、前述のエントリを公開したあと、新自由主義に反対しているはずのリベラル・左派系に蔓延する疑似科学や陰謀論への傾斜について多くのエントリを公開するようになって、さらに痛感するところとなった。この考察をさらに進めると、新自由主義と反知性、ひいては疑似科学や陰謀論との関係に思いを致さざるを得ない。

「アインシュタインの予言」や「水からの伝言」の議論で出てきた、「いい話だからいいんじゃない?」という開き直りは、思考停止、反知性主義の典型のような反応だと思うが、そもそも新自由主義とは反知性的なものではないかと私は考えている。つまり、疑似科学(や陰謀論)と新自由主義には強い親和性があるのではないかと考えるようになったのである。

新自由主義は市場原理主義ともいわれるイデオロギーであって、市場が万能だ。この思想においては、動物的、獣的な闘争が称揚される。人間の知性より闘争本能に重きを置くのである。そして、価値は市場によって決定される。たとえば、物理学の専門書は、UFOや超常現象や「相対性理論は誤りだ」と主張するコンノケンイチの本ほど売れないから、新自由主義イデオロギーにとっては価値がないのである。

疑似科学や陰謀論を主張して開き直る態度には、新自由主義の悪影響を感じる。散見される「私は直感的に9.11は怪しいと思った」と堂々と語る姿勢から感じられるのは、専門性の否定である。新自由主義は、市場がすべてというカルト思想だから、その教義によって専門性は否定される。前述のように、「庶民的」なものは、「専門的」なものより市場価値が高いからだ。「庶民的」という言葉を、不勉強を正当化するために用いている人たちは、知らず知らず新自由主義に骨の髄まで侵されているのだ。

陰謀論者から見ると、反疑似科学・反陰謀論の主張は「権威主義」に見えるようだ。当ブログにもよくコメントをいただく「ねこ」氏は、その典型例である。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080211/1202690227

おめでたいのは、そういう主張をする人たち自身が、新自由主義にどっぷり浸かっている自覚が全くないことだ。もはや、日本社会は新自由主義の毒が全身に回った状態だと思う。一刻も早い解毒が必要だ。


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マスコミではあまり大きく扱われなかった岩国市長選だが、わずか1800票弱の差で決まったこの選挙は、投票締め切り直後に沖縄で米兵による女子中学生暴行事件が起きたせいで、よけいにその重みを増すことになった。

一昨年に行われた住民投票や市長選挙の結果を持ち出すまでもなく、自民党王国の山口県にあって、岩国は必ずしも自民党磐石の町ではない。それもそのはず、広島県と接し、広島市との距離の近い岩国市は、広島広域都市圏に属するとされる。広島県東部の福山市が、広島市よりずっと岡山市や倉敷市と近く、倉敷に郊外型大規模ショッピングセンターができた時福山の消費者がずいぶん倉敷に吸引されたことを思うと、広島県に属する福山より山口県に属する岩国の方がずっと広島との親近性が強いようにも思われる。

しかし、「広島瀬戸内新聞ニュース」 の記事 "大げさではない「身を挺して」" などを読むと、山口県民の方には申し訳ないが、「やはり山口県の選挙だったんだなあ」と思わずにはいられない。井原勝介前市長が「当選したら暗殺される危険がある」と警戒していたというのは、なまなかな状態ではない。

山口県を選挙区にする前首相・安倍晋三と暴力団とのかかわりがしばしば指摘されるが、1月30日には福岡高裁で下記のような判決が出た。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_08013057.htm (リンク切れ)

安倍前首相宅の車庫に火炎瓶を投げ込んだ暴力団組長の控訴を棄却…福岡高裁

 山口県下関市の安倍前首相宅の車庫に火炎瓶を投げ込み、乗用車を焼いたなどとして、非現住建造物等放火未遂罪などに問われた指定暴力団工藤会系組長高野基被告(57)の控訴審判決公判が30日、福岡高裁で開かれた。陶山博生裁判長は「陰湿かつ悪質極まりない暴力団特有の反社会性の高い犯行」として、懲役20年とした1審・福岡地裁小倉支部判決を支持し、高野被告の控訴を棄却した。

 弁護側は「被害弁償に努めており、刑は過酷に失する」と主張したが、陶山裁判長は「1審判決の量刑に不当なところはない」とした。

 判決によると、高野被告は、1999年の下関市長選で安倍前首相が支持する候補に選挙協力した見返りに金を要求したが断られた元会社社長小山佐市被告(70)(福岡地裁小倉支部で懲役13年の判決を受け、控訴中)から依頼を受け、2000年6?8月、小山被告らと共謀し、前首相宅の車庫や講演会事務所に火炎瓶を投げ、乗用車3台を全半焼させるなどした。

(読売新聞九州版 2008年1月30日)

元首相・岸信介は右翼や暴力団に悩まされたが、これを手なずけたと言われている。山口県における地方選に暴力団の影がちらつくのが、そのことと関係があるかどうかはわからない。ましてや、今回の岩国市長選で民主党の腰が妙に引けていたことと関係があるかどうかは、もっとわからない。

ただ一ついえるのは、民主党は安倍晋三にトドメを刺すチャンスをみすみす逃してしまったことだ。そういえば、この時期になると思い出されるのが「偽メール事件」だ。ライブドア事件にかかわって変死を遂げた野口英昭・元エイチエス証券副社長が「安晋会」の理事だったり、投資事業組合とのかかわりを民主党の鳩山幹事長にほのめかされるなど、大ピンチにたっていた安倍官房長官(当時)が「偽メール事件」に救われたのが、2年前のこの時期だった。

「なごなぐ雑記」
に、「赤米壁論序説」 という、考えさせられるエントリが出ているが、当ブログは、日本の政界には 「アベの壁」 もあるように思える。それは、「アメリカの壁」と一体になっているのかもしれないが、なぜか安倍晋三という政治家はアンタッチャブルになっており、巨大な力に守られているような印象を以前から持っている。それは、参院選に惨敗したあと最悪のタイミングで総理大臣を辞任し、政治生命を断たれたかに思われてからも生きているのか。この男は復活を諦めてはいない。早い段階でトドメを刺しておかねばならない。

アンタッチャブルを感じさせるもう一つの現象は、今回の米兵暴行事件に関して、産経新聞などの右派勢力が、またぞろ「自己責任論」を持ち出して火消しに懸命なことだが、これは産経新聞ウォッチャーや、それに触発された方々が多くの記事を書いているので、当ブログがそれにつけ加えることは何もない。ただ思うのは、誇りも何もあったものではないということで、「自己責任」論者たちは、何のためにあそこまで卑屈な姿勢で言論活動をやっているのだろうかと思う。せっかく人間に生まれてきたのに、なんてもったいないと思う今日この頃だ。


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岩国市長選の投票が締め切られた直後に起きた沖縄での米兵による女子中学生暴行事件には、選挙結果と合わせて、どうにもやり切れなさを感じる。ここまでされて、なおアメリカに隷属して生きなければならない日本とはいったい何なんだろうか。

さて、2月2日付エントリで、朝日・日経・読売の大手新聞三社が始めた共同運営サイト「新s あらたにす」を批判したが、私が気になるのは、これら以外のジャーナリズムだ。朝日・日経・読売及びその系列放送局を除くと、毎日新聞、TBS系の放送局、共同通信及び地方紙、NHK、それに右派のフジサンケイグループなどが思い浮かぶ。

朝日・日経・読売の三社連合は、「言論の戦い」を標榜しているが、いずれも新自由主義に傾斜していると私は考えている。これに対し、NHKは昨年末に放送された「ワーキングプアIII」などの優れた番組で、新自由主義に警鐘を鳴らした。手前味噌だが、「ワーキングプアIII」を検索語にしてGoogle検索をかけると、当ブログが5番目に検索された。但し、「I」を3つ並べた「III」の代わりに、機種依存文字であるローマ数字を検索語に用いると引っかからない。かつては、ローマ数字の全角文字は、Macなどでは読めないから使うなと言われたものだが、現在ではどうなのだろうか。

しかし、頑張っていたNHKも、安倍晋三の息のかかった新会長の就任によって、今後もこれまでのような報道ができるかは大いに疑問だ。私はこのことが非常に気になる。

もう一つ気になるのが毎日新聞だ。「あらたにす」発足前後から、リベラル色を失いつつある朝日新聞に対し、このところ毎日新聞の思い切った主張が目立つように思う。

この新聞社は、社内に右翼から左翼まで幅広い意見が存在するのだが、ことに大阪府知事選関係では、大阪社会部などによる思い切った橋下知事批判の記事がよく載る。

2月9日付の大阪本社版に載った記事「発信箱:テレビと新知事=松井宏員」(下記URL)には、4件の「はてなブックマーク」がついている。最初のブックマークをつけたのは私だが。
http://mainichi.jp/kansai/osakaprefelection/news/20080209ddn002070007000c.html

発信箱:テレビと新知事=松井宏員

 最近、テレビ局のプロデューサーの話を聞く機会があった。やっぱりそういうことか、とうなずいたのは、ワイドショーなどのコメンテーターについてだ。

 「政府擁護の人が多いのは、政府・与党からの批判を恐れているから。東京では番組がチェックされている。バランスを取ったように見せかけるため、政府に批判的な人も入れるが、論戦に負けそうな人を選んでいる」

 6日、大阪府知事に就任した橋下徹氏が、タレント弁護士として数多くの番組に引っ張りだこだったわけが、ここにある。番組でのかつての発言を問われて、「話芸だった」と釈明した橋下氏の言葉は、コメンテーターが言論人ではなく、「電波芸人」であることを図らずも示した。

 就任前から物議をかもす発言を連発した新知事もさりながら、気になるのはテレビ局のスタンスだ。当選が決まった夜、収録済みで未放映だったレギュラー番組を早速流した局や、選挙戦の模様などを交えて、手腕が未知数の新知事をヒーロー扱いする特集を組んだ局もあった。

 3日のテレビ欄(関西地区)には、「橋下知事」の名前が躍る番組が五つもあった。いずれもバラエティー系。旬の人だから視聴率が取れるのだろうが、テレビが応援団と化したかのようだ。

 新知事に対する身内意識が潜んではいまいか。今後もテレビ出演は続けるという新知事だが、失政をおかした時、テレビはあくまで応援団でいるのか、それとも昨年のボクシングの亀田一家のように、手のひらを返してバッシングに走るのだろうか。(社会部)

毎日新聞 2008年2月9日 大阪朝刊

いたって常識的な橋下批判だが、大阪発行のスポーツ紙にはこの常識は通用しない。毎日新聞の系列スポーツ紙である「スポーツニッポン」を含む大阪の全スポーツ紙は、府知事選の最中、強力な橋下徹の宣伝媒体と化していた(当地でもそれらは読めるので、私はよく知っている)。そんな大阪のマスコミ状況を念頭に置くと、この毎日新聞の記事は言うべきことをガツンと言ってくれた痛快なものなのだ。橋下徹が東京局制作の番組を含むテレビの売れっ子なのは、橋下の主張が政府寄りだからだ、とはっきり指摘している。

それにしてもひどかったのは大阪のスポーツ紙で、その橋下への肩入れぶりは異常の一語に尽きた。彼らは、普段は阪神タイガースの提灯持ち記事を書くのを生業としているが、最近、憎たらしいネット右翼に、妙に阪神ファンが多いことが気になる。

毎日新聞の大阪府知事選報道の話題に戻ると、2月6日付の「記者の目」で、やはり大阪社会部の犬飼直幸記者による橋下批判記事が掲載されていると聞いた。それで、ネット検索してみたら、既にリンク切れだったが、「まいまいクラブ」で読むことができる。
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/weblog_eye103/index.php?date=20080206

「ワイドショー型で知事選圧勝」と題されたこの記事で、犬飼記者は橋下が政策や政党色を隠して、イメージ戦略だけで選挙に勝ったことを批判している。

これに34件のコメントがついているが、見たところ過半数が犬飼記者の記事を右から批判したものであって、これが府知事選で橋下を圧勝させた大阪人の感覚なのかと思ってしまう。

ともあれ、毎日新聞には、「あらたにす何するものぞ」との気概で頑張ってほしいものだ。


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岩国市長選は残念ながら福田良彦氏が当選した。
http://www.asahi.com/politics/update/0210/SEB200802100009.html

この朝日新聞の記事にあるように、「在日米軍の再編に伴う厚木基地(神奈川県)から岩国基地(山口県)への空母艦載機部隊移転の是非が争点となった」選挙であったとともに、安倍晋三の復権を賭けた選挙でもあった。福田氏有利と見られていた選挙だったが、井原前市長は選挙戦終盤で福田氏を急追し、大接戦に持ち込んだ。しかし一歩及ばなかった。

こういう地方選挙について、直前にブログで周りに合わせて騒いでも徒労に終わることが多い。人口の多い東京や大阪の知事選でもそうだった。ましてや、岩国市は人口15万人だ。ブログの読者にどれくらいの岩国市民の方がおられるかというと、当ブログの訪問者数は平日で2千人くらいだから、そのうち岩国市の有権者の方は、比例計算すると2人か3人ということになる。これでは、直接岩国市長選に影響を与えるのはほぼ不可能だ。

岩国市長選について熱っぽく語るブログなら、それが他のブログに影響を与えて声が増幅されることもあるだろう。そう考えて当ブログは 「なごなぐ雑記」 の岩国市長選シリーズを推薦、紹介した。当ブログとしては直前に皆と一緒に騒ぐより、長期的にこのような結果を招かないための種まきを行うことを重視したいと思う。地方選での敗北の虚脱感をいつまでも繰り返したくない。

たとえば、今回の選挙に関しては、民主党の腰が引けていたことが大きな敗因の一つだと思うが、大連立騒動のあとの小沢一郎留任は果たして正解だったか、菅直人が党代表になっていても同じ結果だったか、などと考えてしまう。

安全保障政策面でも経済政策でも対米追随一本槍はむしろリスクを負う時代になってきている。クリントンとオバマの米大統領選民主党候補選びも、今日の3州でのオバマ氏圧勝でますます混沌としてきたが、どちらが大統領になっても共和党ブッシュ政権に隷従してきた日本政府は、政策を改めなければならない。そのためにもこの岩国市長選は重要だったのだが、残念ながら日本の民主党からは真剣さがあまり感じられなかった。

本屋で雑誌を立ち読みしていたら、「AERA」に「オバマ恐慌がやってくる」などという記事が出ていた。書いたのは大鹿靖明という記者で、ライブドア事件の堀江貴文逮捕を「国策捜査」だとして批判し、話題になった人だ。記事のタイトルを見て、これは大鹿記者の書いた記事ではないかとピンときたのだが、果たしてそうだった。魚住昭はライブドア事件に関する大鹿記者の仕事を高く評価するのだが、この「AERA」の記事は、私には単なる新自由主義者の駄文にしか見えなかった。雑誌は立ち読みしただけだが、大鹿記者は、「ウォールストリート・ジャーナル」より「ニューヨーク・タイムズ」の社説に意見が近いと自認するオバマが大統領になったら、大恐慌になるぞと日本の読者を脅しているのである。こんな記事に何の意味があるのかと呆れて「AERA」を書棚に戻し、月刊「現代」を立ち読みすると、今度は橋本大二郎と江田憲司が対談で自民・民主両党が掲げる「バラマキ」政策を批判し、東国原英夫を持ち上げていた。彼らは、「せんたく」に合流するつもりなのだろうか。

何だか憂鬱になる材料ばかりだ。年末から年始にかけて、テレビや経済雑誌の報道によって、ようやく新自由主義が退潮し、福祉国家への道が開けるかと思われたが、安全保障面でも経済政策面でも敵が猛反撃してきた。厳しい戦いはまだまだ続く。


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現在政治ブログで話題になっている事柄というと、米国大統領選の指名争い、岩国市長選、揮発油税の暫定税率問題、中国産餃子の問題などがある。

これらのうち、当ブログでは米国大統領選をしばしばとりあげているが、他の3つの話題はほとんど取り上げてこなかった。岩国市長選の意義を認めるのにはやぶさかではないが、地方選挙が行われるたび、自治体の人口が日本全体の人口に占める割合とブログのアクセス数のことがいつも脳裏によぎる。当ブログを読んでくださる岩国市民の数の期待値は、せいぜい3人にも満たないのだ。それに、岩国市長選について書きたいという内発的な強い意思をお持ちの方々を凌ぐ記事は私には書けない。ここでは、前にも推薦した 「なごなぐ雑記」 の岩国市長選関係の記事に、もう一度リンクを張っておく。
http://miyagi.no-blog.jp/nago/cat6689367/index.html

揮発油の税率問題と中国産餃子の問題は、意識的に扱わずにきた。前者について、当ブログが「『税金の無駄遣いを止めろ』という主張まで『新自由主義的』と批判しているのではないか」とのご指摘をいただくこともあるが、当ブログの立場は2007年10月28日付エントリで下記のように書いた通りだ。

前首相・安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を目指したが、本当に戦後レジームから脱却しようと思ったら、安倍の母方の祖父・岸信介が作り上げた「1940年体制」と呼ばれる統制経済の仕組みを変えなければならなかったはずだ。とはいえ、私は弱肉強食の新自由主義的「カイカク」をせよといっているのではない。高度成長には大きく寄与した「1940年体制」を、真に日本の国民の利益を考える新しい福祉国家を作るための体制に作り変えよと言っているのだ。

「真に日本の国民の利益を考える新しい福祉国家を作る」ために、暫定税率の問題が第一優先課題であるとは私には思えなかった。

中国産餃子の問題に関しては、そもそも毒物の混入経路がはっきりしていなかったのと、中国産食品の安全性の問題は今に始まったことではないのは誰もが知っていることなので、今まで取り上げてこなかった。ネット右翼諸氏が鬼の首でも取ったように大騒ぎするのはもはや年中行事だが、この問題に関して本当に思い出さなければならないことは、格差が拡大すると、安全な食品を口にすることができるのは富裕層に限られてしまうことだ。つまり、この件もまた新自由主義の問題なのだ。昨年12月11日のエントリ 「日本は世界有数の過激な新自由主義国家ではないのか?」 でも指摘したように、中国はいまや世界一過激な新自由主義国になり、すさまじい貧富の差が現出している。その中国産の食品に安全性問題が起きたことは、新自由主義の問題としてとらえなければならない。

ところで、なぜか政治ブログの大部分がスルーしているが、8日未明、読売新聞のサイトに気になる記事が載った。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080208-OYT1T00026.htm

"「せんたく」と連携の超党派議連…50?60人で月内発足" と題されたこの記事の内容紹介と寸評は、「kojitakenの日記」 に書いたのでご参照いただきたいが、要は新自由主義勢力の結集を目指す動きだと私はとらえている。民主党側の発起人のうち、枝野幸男は前原・枝野グループ、野田佳彦と玄葉光一郎は野田グループ、浅尾慶一郎は旧民社党の流れをくむグループの人物である。自民党からの参加者では、コイズミの側近だった杉浦正健や安倍晋三がしきりに頼った菅義偉が目を引く。河村建夫は伊吹派、園田博之は谷垣派の議員である。園田は、「ソノチョク」と呼ばれた園田直(すなお、1913-1984)の息子であり、父の園田直は、福田赳夫の側近として内閣官房長官を務めながら、福田内閣改造人事で安倍晋太郎を官房長官にする必要があったために外務大臣に異動となり、それを機に福田赳夫から心が離れて、福田のあと首相となった大平正芳と福田赳夫・三木武夫らが激しい抗争を演じた1979年の「40日抗争」時の首班指名で、福田ではなく大平に投票して福田派を除名された人物だ。おそらくその経緯から、園田博之は谷垣派に所属しているに過ぎないのであろう。だから政治的信念など何もなく、新自由主義勢力の旗揚げにヒョイヒョイと軽く参加してしまう。二世、三世になると政治家はどうしても劣化する。その巣窟が今の自民党だ。

話がそれてしまったが、「せんたく」は「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」という耳ざわりの良い名前がついているのだが、それに呼応する民主党議員がネオコン・ネオリベ系議員ばかりという時点で早くも正体を現した。そもそも、「せんたく」は「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」が母体になっているのだが、ホームページを見ればその性格は明らかだろう。
http://www.secj.jp/

何よりもいやな気分になるのは、「せんたく」に東国原英夫が名を連ねていることだ。東国原の極右発言についてはご記憶の方も多いだろうが、典型的なポピュリストである。「カイカク」の名のもと、またしても新自由主義と新保守主義が猛威を振るうのか。「生活が第一」を合言葉にした民主党から、新自由主義系の議員が参加するようだが、小沢一郎や菅直人はどう対応するのか。「せんたく」の言う「生活者起点」と小沢らの「生活が第一」は、同じような用語を用いているが、目指そうとする方向性は全く異なるはずだ。小沢民主党は、社民党や国民新党などと提携して、福祉国家を目指す方向性をはっきり打ち出せるのか。このあたりをよく見きわめ、必要に応じて声をあげていきたいと考えている。


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注目の米大統領選候補者指名レースのヤマ場、「スーパーチューズデー」は、共和党が負け因子、もといマケイン氏が大きく前進する一方、民主党はヒラリー・クリントン氏が8州、バラク・オバマ氏が13州を制した。勝利を収めた州の数ではオバマ氏が勝るが、クリントン氏はニューヨークおよびカリフォルニアの大票田を制し、数の上ではなお優位に立っている。しかし両者の決着はつかず今後に持ち越しとなった。

これは、共和党にとってはいやな展開だろう。クリントン・オバマ両氏の争いが熾烈になればなるほど、共和党候補の存在感が薄れていくからだ。

当ブログはオバマ氏支持を表明しているが、今日はその立場を離れて、15年前の思い出話から始めたい。

15年前、私はアメリカ・カリフォルニア州に滞在していた。アメリカのTVニュースは、英語がよく聞きとれないので、半分も理解できなかったが、当時話題になっていたニュースを思い出してみた。

2000年の五輪開催が、北京とシドニーの熾烈な争いの末、シドニーに決定したこと。ロシアで保守派とエリツィンが衝突し、「ホワイトハウス」(ロシア語では「ベールイ・ドーム」)に立てこもった保守派を、エリツィンの指令を受けた政府軍が攻撃したこと。カリフォルニアで大規模な山火事があり、飛んできた灰が車に付着していたことなどを覚えている。当時のことを思い出そうと、「カリフォルニア 山火事 1993」という検索語でGoogle検索をかけたところ、なんと「カナダde日本語」 の下記記事が筆頭で引っかかった。
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-642.html

これは、昨年のカリフォルニアの山火事の記事だが、例年秋になるとカリフォルニアではよく山火事が起きるようだ。カナダで思い出したが、1993年のメジャーリーグベースボールのワールドシリーズで、トロント・ブルージェイズが2連覇を達成したのだった。この年、カリフォルニアではサンフランシスコ・ジャイアンツが頑張っていて、昨年薬物疑惑で悪名を轟かせてしまったバリー・ボンズが売り出し中だったが(私はこのアメリカ滞在時にボンズの名前を覚えた)、ジャイアンツは同じカリフォルニアのロサンジェルス・ドジャースにシーズン最終戦で敗れて、地区優勝をアトランタ・ブレーブス(東部のチームなのに、なぜか当時西地区に所属していた)に譲ったのだった。

それから、アメリカではおなじみの、銃の乱射事件などもニュースになっていた。しかし、私がアメリカ滞在中、もっともTVニュースに登場する頻度が高かったのが、ビル・クリントン大統領が初年度に掲げた「医療保険改革」だった。クリントンが「医療保険改革問題特別専門委員会」の委員長に任命したのが、妻のヒラリー・クリントンだった。アメリカの電波メディアは連日、このクリントン医療改革構想を大々的に報じていた。

しかし、Wikipediaの 「ヒラリー・クリントン」 の記述を借りると、「アメリカ医療保険制度の抜本的改革となりかねないこの計画は、保険会社や製薬会社、中小企業などによる大規模な反対活動にあい、民主党多数議会をもってしても支持を得ることができず、結局翌1994年に廃案となってしまった」。

Wikipediaには、上記の記述に続いて、「これに勢いを得た共和党は、クリントン政権の政策を「急進的なリベラル改革」と位置づけて攻撃、同年の中間選挙では大幅に議席を伸ばして両院で多数となり、行政府と立法府のねじれ現象が生じることになった」とある。当時は新自由主義が勢いを増していた時期だった。もともとリベラルだったビル・クリントンだが、保守化を強める世論に迎合して、徐々にリベラル色を薄めていくことになる。クリントン政権は、経済政策では新自由主義をとった。

今回の大統領選でも、ヒラリー・クリントンは保守層の票を獲得しようと、中道のスタンスをとろうとしたところ、バラク・オバマが「チェンジ(変革)」を合言葉に、よりリベラル色の強い主張を打ち出して国民の支持を獲得し始めた。ヒラリーも、負けじと「本当にチェンジが可能なのは私の方だ」と主張し、現在はオバマとクリントンが「変革」を競う形になっている。7年前の日本で、コイズミ自民党と鳩山民主党が「カイカク」を競う主張をしていたのを思い出すが、当時の日本の二大政党が新自由主義化を競っていたのに対し、今回の米大統領選の民主党有力候補2人は、社会保障を強化し、中産階級を再建する方向性で「変革」を競っている。ヒラリー・クリントンは昨年9月に「国民皆保険を目指す」とした医療制度改革案を発表している。
http://www.asahi.com/international/update/0918/TKY200709180187.html?ref=rss

もちろん日本ではとっくの昔から国民皆保険で、アメリカなんかよりずっと先進的なのだが、コイズミらが進めてきた新自由主義カイカクによって、このすぐれた制度は危機に瀕している。アメリカは、金持ちでなければ十分な医療を受けることができず、関岡英之の言い回しを借りれば、病気にかかることは「人生の破局」を意味する。そんな新自由主義の国を変えようとしているのがバラク・オバマであり、クリントンもオバマと「変革」を競おうとしている。少し古いが、ネット検索で見つかった毎日新聞の1月15日付社説を紹介しておく。

"米大統領選 「チェンジ」の叫びが聞こえる" (毎日新聞 2008年1月15日付社説)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/2008/01/20080115ddm005070030000c.html

よく、アメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引く、などと言われるが、日本でも昨年7月の参院選の結果は、「生活重視」を掲げた民主党が支持され、改憲イデオロギーにばかり固執して経済政策ではコイズミの新自由主義を無批判に踏襲した安倍晋三率いる自民党が惨敗した。つまり、アメリカ人も日本人も「変革」を求めている。これに対し、似た言葉だが実は全く正反対の方向性を持つのが、コイズミや竹中平蔵らの「カイカク」である。「変革」は英語ではチェンジだが、「カイカク」はリフォームであり、両者は似て非なるものであることに注意しなければならない。しかし、日本での現状は、「変革」を求める民意に危機感を強める「カイカク」派がこのところ猛反撃しており、よみうりテレビ(大阪、「ウェーク・アップ!」や「たかじんのそこまで言って委員会」の制作局)やテレビ朝日などのテレビ局がこれを大々的に応援している。マスコミ、特に社員の給料が極端に高い東京や大阪の民放局がこういうスタンスをとるのは、彼らにとって新自由主義は都合が良いからだ。

当ブログは、こういう日本のマスコミの欺瞞を断固として批判し、アメリカ大統領選指名争いにおけるバラク・オバマとヒラリー・クリントン両氏が「変革」を競っている現状を歓迎するものである。
立春。春は名のみだが、冬が厳しいほど春の喜びは大きい。もう1か月半もすると本格的な春だ。昨年は冬とはいえないような冬だったから、今年の方が冬らしいのだが、ブログばかりやっていて身体を鍛えていないので、ちょっとした気温の変動が体にこたえるようになった。それに、本業も政治状況も見通しが悪く、鬱々として気分は全く晴れない。私は過去に過労と因果関係のありそうな大病を得たこともあるが、その時と比較しても今の方が気分が暗い。年末だったか年始だったか、TBSテレビの「NEWS23」に五木寛之が出演していて、「欝の時代」などと笑いながら言っていたが、その軽さに腹が立った。気力を振り絞ろうにも内心が折れてしまっていて、体が思うように動かない。笑いごとではないのである。それでもブログは、毎日とはいかないがなんとか更新できる。この時代の閉塞状況を記録できるだけ、まだ私などは恵まれているのだろう。中学生の25%がうつ状態になる(厚生労働省2006年報告)なんて、私が子供の頃には考えられなかったことだ。そんな時代を招いてしまった責任は、私の世代やさらに上の世代にある。その責任を考えると、この閉塞状況を破る挑戦も、私たちの世代が率先してやらなければならないとつくづく思う。

岩国市長選が告示されたが、次期大阪府知事の橋下徹が、一昨年岩国市で行われた米空母艦載機移転をめぐる住民投票について、井原前市長に対して「憲法を勉強しろ」と批判し、前市長がそれに反論したそうだ。核武装論者に憲法を勉強しろと言われるとは思わなかった。バカバカしくて何も言う気にならない。岩国市長選に関しては、「なごなぐ雑記」 が熱心に追っているので、ご参照いただきたいと思う。

今週は米大統領選に向けての二大政党の候補者争いの山場といえる「スーパーチューズデー」もある。それも気になるところだ。

しかし、なんといっても気がかりなのは国政だ。昨日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」には竹中平蔵と木村剛が出演しており、形だけ司会者席にいるテレ朝の小川彩佳という女性アナウンサーに「カイカクの必要性を痛感しました」と言わせて悦に入っていた。その露骨な新自由主義のプロパガンダは、正視に耐えなかった。

半ば朦朧とした意識で、PCに向かいながら断片的に番組の音声を聴いていただけなので、誤りならご指摘いただきたいが、木村剛が唐突に耐震偽装事件に関してヒューザーの小嶋元社長がスケープゴートだと主張したり、ライブドア事件で逮捕・起訴された同社の堀江元社長を再評価したりするのを聞いて、今頃何を言ってるのかと思った。

耐震偽装事件とライブドア事件の2件は、新自由主義改革に対する揺り戻し、というか旧保守の復権を賭けた挑戦だったと私は考えているが、結局、おそらくは国交省の意向に沿って、姉歯元建築士、ヒューザー、イーホームズの三者にすべての責任を押しかぶせる形で終息した。しかし、自ら耐震偽装を行った姉歯はともかく、ヒューザーとイーホームズに関してはスケープゴートに過ぎなかったことは以前から指摘されていたし、真に責任をとるべきは国交省であったことについては、イーホームズ社長の藤田東吾氏が告発している通りだ。そして、木村剛が番組で言っていたように、同じことをやってもヒューザーは「耐震偽装」とされて摘発され、大手メーカーは「鉄骨強度不足」で放免されたのだが、それを招いた原因の一つは、1998年の建築基準法改正による基準の緩和であり、これは「規制緩和」という新自由主義の思想に基づいて導入されたものだ。それを、代表的な新自由主義者である竹中平蔵や木村剛がなぜ批判できるのだろう。頭からいくつものクエスチョンマークが出てきた。しかし、「サンプロ」は彼らの批判が正当であるかのような印象を視聴者に与えようとしていた。堀江貴文について、木村剛が「私は彼をあまり好きではないけれど」と言いながら再評価するに至っては、言うべき言葉が出てこない。以前からわかっていたことではあるが、テレビ朝日が新自由主義を宣伝する支持のテレビ局であることをはっきり示した、そんな番組作りだった。田原総一朗が新人女性アナの小川彩佳に、「テレビ朝日に入って良かったでしょ」と言うに至っては、激しい吐き気がした。田原の娘は、テレビ朝日でプロデューサーをやっているのだ。

思えば2年前、ライブドアが強制された直後の「サンデープロジェクト」で、田原は変わり身早く、新自由主義批判に転じようとしたことがあった。しかし、野口英昭氏変死事件に番組で言及した田原は、どこかから脅されたのか、すぐに追及の矛を収めた。そして、偽メール事件で野党の追及が鈍ると、田原は元の新自由主義支持へと戻ったのだ。

そんな「サンプロ」だったが、今回ここまで露骨に一方的な新自由主義の宣伝をやるとまでは想像がつかなかった。竹中と木村を呼ぶなら、彼らに批判的な論者を1人でも呼ぶのが普通のジャーナリズムの感覚だろう。しかしテレビ朝日はそれさえもせず、ひたすら新自由主義改革を宣伝し続けた。これは、自民党の福田康夫と民主党の小沢一郎が、「改革離れ」を競ったり、「大連立」をもくろんだりしていることに対する、新自由主義側の本格的な反撃だと思う。彼らは、テレビ朝日を完全に制圧した。

では、解散総選挙はいつになるのか。これについては、「サンプロ」に出ていた朝日新聞の星浩編集委員が、福田首相は果たせなかった父・福田赳夫元首相の宿願であるサミット出席と解散はなんとしてでもやろうとするはずだから、秋口になるだろうと予想していた。なるほどと思わせられる、説得力のある予想だった。思えば安倍晋三は、祖父の果たせなかった憲法改定に執念を燃やした。福田康夫は、大平正芳に思わぬ敗戦を喫した父が果たせなかったサミット出席と解散に執念を燃やす。おそらく、それ以上の政治的野望は持っていないに違いない。現実の政治は、理念によって進められるのではなく、権力者の感情に大きく左右されるのである。

「政治の季節」はまだまだ続きそうだ。


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坂口安吾が、1932年に発表した「FARCEに就て」という文章の中で、以下のように書いている。

 文学のように、如何に大衆を相手とする仕事でも、その「専門性(スペシアリテ)」というものは如何(いかん)とも仕方のないところである。どのように大衆化し、分り易いものとするにも、文学そのものの本質に附随するスペシアリテ以下にまで大衆化することは出来ない。その最低のスペシアリテまでは、読者の方で上って来なければならぬものだ。来なければ致し方のないことで、さればと言って、スペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く法はない。少なくとも文学を守る限りは。

(坂口安吾 「FARCEに就て」 より?新潮文庫 『堕落論』 所収)


この文章の「文学」を「(自然)科学」に置き換えれば、たんぽぽさんの「疑似科学批判」になるし、「政治」に置き換えれば、ポピュリズム指向ブログに対する当ブログの批判になる。

たまたま批判の対象となったブログが同一だったことから、「陰謀説」がささやかれたが、対象のブログには、自然科学に対しても政治に対しても同じような接し方をする欠点(私から見て)があったに過ぎず、くどいようだが、たんぽぽさんと私では批判の動機が異なっていた。

一つだけいうと、当ブログは社会科学や政治について、十分な「専門性」を有していないことを自覚している。だから、ブログで取り上げる対象に関する自らの知識レベルを上げていかなければならず、そんな水準だから、読者に「わかりやすい」ブログ記事など書きようがないと考えている。だから、「最低のスペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く」どころか、「政治に詳しくない」と自認するブログが、「わかりやすいブログ」を標榜するという態度が、私には全く信じられないのである。自分がわかっていないのに、どうやって読者にとって「わかりやすい」記事などを書けるというのだろうか。

ところで、今回の大阪府知事選の論評をめぐって、また「B層」論議が起きているが、「B層」という言葉については、私がまだブログを開設する前に掲示板で論争していた、「郵政総選挙」当時は、コイズミ支持者たちに向かって、「あなた方が支持している小泉や竹中が、あなた方を馬鹿にしているぞ」という意味で用いた。この件が、共産党議員の国会での質問や、「サンデー毎日」の報道によって世に知られるようになった時、これが大問題となってコイズミ自民党が選挙で敗れるのは必至だと思ったものだが、その予想はもののみごとに外れた。この事実は、「B層」なるものが実在すると仮定しなければ説明がつかないものであった。だから、私はこの言葉が権力側が大衆を見下して用いたものであることを承知の上で、確信犯的に「B層」という言葉を用いてきた。ブログ開設後、私がこの言葉を多用したのは、東京都知事選と昨年夏の参議院選挙の時である。「ゆとり教育」に関しても、「B層」という言葉を用いて、新自由主義の思想に基づいた政府の愚民化政策が国民の知性を劣化させた、と批判した。当該エントリは強い反発と批判を受けたものである。

しかし、言葉は世につれ、人につれて変わる。今回の大阪府知事選、特に結果に対する論評で、私は「B層」という言葉を用いるのを意識的に避けた。参院選で民主党などの野党に投票した大阪の有権者の多くが、橋下徹に投票した事実を、深刻に受け止めなければならないと考えたからだ。

橋下徹は、昨日のエントリでも紹介した毎日新聞の1月28日付社説が、
 橋下氏は知名度抜群で、「子どもが笑う、大人も笑う大阪に」をキャッチフレーズに、駅前・駅中の保育施設整備、公立小学校校庭の芝生化といった身近なテーマを重点的に訴えた。
 だが、財政問題については「全事業をゼロから徹底的に見直す」と述べるにとどまった。正面からの政策論争ではなく、イメージ戦に終始した印象が強い。
と指摘しているように、郵政総選挙におけるコイズミばりの、イメージ戦略、ワンフレーズ・ポリティクス戦術を用い、これが奏功して選挙に圧勝した。

現在の野党第一党である民主党は、相手にこのような戦法をとられると脆い。それを克服するのに、「目線を下に落として、B層の視点からわかりやすく語らなければならない」とか、「見栄えの良い、大衆受けする候補者を立てたほうがよい」などという意見が続出したことに対して、私は非常に強い危機感を覚えた。それは違う。目標とする社会のあり方や政策において、自公与党、というより新自由主義からはっきり決別する方向性を打ち出し、それを選挙前だけではなく日常的に訴え続けなければならないと考える。

選挙の論評で、「B層」は用いなかったかもしれないが、意味の通底する「ポピュリズム」は多用したではないか、とのご批判があると思うが、光市母子殺害事件でテレビの視聴者を被告弁護団の懲戒請求へと駆り立てた橋下のやり口が、「大衆煽動」という意味での「ポピュリズム」でなくて何だというのだろうか。「ポピュリズム」という言葉で、私は「大衆」より橋下徹をターゲットにしたが、橋下徹に投票した大阪府の有権者に対してもポジティブであり得ないのは当然だ。だが、3年前と比較しても、現在の国民は追い込まれている。東京や名古屋と比較して経済が好調とはいえない大阪は特にそうだ。そういう状況にあって、確実に国を破滅へと追い込むと私が信じている新保守主義や新自由主義の勢力伸張をいかに食い止めるか、これを当ブログは課題としたいと考えている。そのためには、今までのように「B層」という言葉を安易に用いるわけにはいかない。しかし、「ポピュリズム」批判は今後も続けていくつもりだ。

なお、当エントリを公開するきっかけになったのは、ブログ 「世界の片隅でニュースを読む」 の下記のエントリである。
http://sekakata.exblog.jp/6746587/

上記リンク先のブログ管理人さんが受けた批判は、当ブログにも向けられていると思う。以前 「ゆとり教育」 批判をした時に、「B層を啓蒙するつもりが、B層製造装置になっている」との批判を受けたこともある。これを機に、当ブログも、「大衆を啓蒙しようなどというつもりでブログの記事を書いているつもりは全くない」と言明しておく。

ただ、管理人さんにお願いしたいのは、「今回でもう懲りたので、しばらくは「ポピュリズム」問題には触れるつもりはない」などと仰らないでほしいということだ。批判を恐れず、堂々と持論を展開していただくことを期待したい。


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1月31日、朝日新聞・日本経済新聞・読売新聞が共同で運営する日経・朝日・読売インターネット事業組合は、ニュースサイトの「新s あらたにす」を開設した。
http://allatanys.jp/

月間400万PVを目指しているそうだが、3新聞社が運営しているウェブサイトへのリンクが張ってあるだけのものだ。私はブックマークする気にさえならなかった。

私にとっては、全国の地方紙と共同通信によるサイト 「47news」
http://www.47news.jp/

や、毎日新聞のサイト
http://mainichi.jp/

のほうが、よほど有用だ。朝日新聞が日経や読売と共同運営のサイトを始めると発表したのは昨年だが、それ以来朝日は主張に新自由主義色を強め、政治思想的にも従来のリベラル色が薄まってきたように思う。

たとえば、大阪府知事選で橋下徹が当選したことを受けての社説で、毎日新聞は過去に橋下が行った極右的発言を指摘したが、朝日新聞はこれをスルーした。
毎日新聞 1月28日付社説 「大阪府知事選 タレント知事で終わるな」
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080128ddm005070150000c.html
(以下一部引用)

 橋下氏も官僚出身ではない点は共通しているが、知事になって、一体何をやりたいのか。選挙戦を通して一番肝心なそこが明確に伝わらなかった。
 タレント時代には、核武装を主張したり、山口県光市の母子殺害事件で被告弁護団の懲戒請求を呼び掛けるなどの過激な発言が批判を浴びた。それを指摘されて「あれは話芸」と弁明したことも記憶に新しい。
 テレビ番組受けする発言で耳目を引くやり方は、知事としては通用しない。タレントではなく、どんな知事を目指すのか、直ちにその行動が問われることを肝に銘じなければならない。

朝日新聞 1月29日付社説 「大阪府知事―言葉は重いぞ、橋下さん」
http://www.asahi.com/paper/editorial20080129.html#syasetu2
(以下一部引用)

 橋下氏の心配なところは、言葉の軽さだ。知事選への立候補が報道されたとき「2万%ない」と否定しておきながら、すぐに前言を翻した。
 当選後には、二重行政の解消などの公約実現を「かなりハードにやる」と述べた。今度は「あれは話芸だった」ではすまされない。知事の言葉の重みを肝に銘じ、新風を吹き込んでほしい。

両者を比較してみたらわかるように、朝日の社説は橋下の「言葉の軽さ」は批判しているが、その内容は批判していない。

もちろん、朝日にも良いところがあって、2月1日付の社説 「教育再生会議―安倍氏と共に去りぬ」 で、
 安倍氏が熱心だった徳育の教科化は、最終報告の提言にも盛り込まれている。だが、文科省も中央教育審議会も消極的で、見送られる公算が大きい。
 時の政権の影が色濃ければ、その行く末も政権とともにあるものだろう。福田政権になって、文科省や官邸はすっと距離を取り始めた。これに対し、委員からは不満や恨み言が聞かれた。
 しかし、どうだろう。提言そのものに力があれば、旗振り役の安倍氏が去っても、その提言は世論の支持を得たのではないか。結局、提言には見るべきものがなかったということだろう。
と、歯切れよく前首相・安倍晋三が主導した教育再生会議をネガティブに総括しているのは評価できる。ただ、本当は教育再生会議には、「見るべきものがなかった」どころか、きわめて危険な方向性を持っており、それを批判してほしかったのだが、今の朝日にはそこまで期待できない。しかし、この件を取り上げていない毎日新聞よりは評価できる。

本当は、朝日と日経・読売なんかの比較ではなく、リベラル寄りとされる朝日・毎日・中日(東京)の3紙の社説を比較して、いずれの主張にもっとも見るべきものがあるかと比較したいところだ。現状では、中日>>毎日>朝日の順番だと思う。昨年2月、朝日新聞はしきりに民主党の菅直人に東京都知事選出馬を促していたが、もしあの時菅氏が出馬していたら、民主党左派は壊滅的打撃を受け、参院選での民主党大勝もなかったのではなかろうか。

朝日新聞は、「あらたにす」を宣伝する1月31日付の社説 「あらたにす発足―言論の戦いを見てほしい」 で、
 現代の新聞の主張にも、驚くほど違っていることが少なくない。例えば、読売は自ら改憲案をつくって憲法改正の旗を振るが、朝日は現行憲法、特に9条を活用することを基本と考えている。イラク戦争、靖国問題などでも、多くの新聞がさまざまな論を張ってきた。
 比べて読めば、それぞれの主張が立体的に浮かび上がる。どちらに説得力があるかは読者が判断する。
と主張するが、こと経済政策に関しては、この3紙はいずれも新自由主義推進の立場に立つ。中でも、朝日は日経と主張の先鋭性を競い合っており、この点に関しては読売は比較的穏健だ。残念ながら毎日新聞も読売に近く、新自由主義推進の立場をとる。朝日・毎日は、「改革」のポジティブな語感に未だに引きずられているように、私には見える。読売・産経が政治思想面から、朝日・毎日・日経が経済思想面からコイズミを支持したのが、日本を「ぶっ壊した」コイズミ内閣を5年半も持たせてしまった原因だと私は考えている。

テレビや経済雑誌(「週刊東洋経済」 1月12日号の北欧特集=1月10日付エントリ参照)などでは、新自由主義を批判し、社会民主主義に光を当てる報道が現れ始めているのに、新聞が未だに「カイカク」マンセー一本槍というのは、健全な言論状況とはいえない。社内における言論の自由度が大きいといわれる毎日新聞あたりには、新自由主義支持の記事が混ざっていてもかまわないから、鋭く新自由主義を批判する記事も現れてほしいものだと思う。

とにかく、より多様な言論が戦いを繰り広げるようになってほしいものだ。その意味では、リベラル・平和系といわれるブログが馴れ合って、互いの批判を許さないような「空気」を作ったりしている状況は、言語道断だといえる。


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