きまぐれな日々

「きっこの日記」がこのところ取り上げている高知県で起きた白バイとバスの衝突による交通事故の冤罪(と言って間違いないと思う)の裁判の件は、昨日(10月30日)、高松高裁で、一審で実刑判決を受けた被告のバス運転手の控訴を棄却する判決が出た。

この事件を追っている瀬戸内海放送(KSB)は、ブログ管理人の地元の放送局だ。今後、当ブログでも適宜取り上げていきたいと思う。この件に関しては、前記「きっこの日記」のほか、瀬戸内海放送のウェブページにニュースの動画へのリンクが張られているので、是非ご参照いただきたい。
http://www.ksb.co.jp/newsweb/indextable.asp?tid=4&sid=7

さて、今日は月末恒例のアクセスデータ紹介記事だが、正直言って今回は書くのが億劫だ。
なぜかというと、10月度のブログへのアクセス数は、9月度と比べて大幅に減少したからだ。
「AbEnd」キャンペーンに最初からかかわっていた当ブログは、これを発展的に解消してスタートした「自End」キャンペーンにも最初からかかわることになった。しかし、従来安倍晋三を倒すために書いた記事は、当然のごとく参照される機会が減り、読者の政治への関心も薄らいだことによって、アクセス数が減ったものと思われる。

まずいつものように月間アクセス数データをご紹介する。アクセス数は解析ツールによって異なり、弊ブログではFC2アクセスカウンタ、FC2アクセス解析(新旧2種類)およびはてなカウンタの4種類でデータをとっている。

FC2カウンタ
  トータルアクセス数 90,343件 (9月度比 28.7%減)
新FC2アクセス解析
  ユニークアクセス数 52,956件 (9月度比 27.3%減)
  トータルアクセス数 84,685件 (9月度比 28.9%減)
旧FC2アクセス解析
  ユニークアクセス数 61,723件 (9月度比 28.7%減)
  トータルアクセス数 81,261件 (9月度比 27.6%減)
はてなカウンタ
  ユニークアクセス数 67,774件 (9月度比 28.6%減)
  トータルアクセス数 82,024件 (9月度比 28.2%減)


なんといっても、検索エンジン経由のアクセスが激減した。新FC2アクセス解析によると、検索エンジン経由のアクセスは全部で12,865件、うちGoogle経由が7,532件、Yahoo! 検索経由が4,192件となっているが、それぞれ9月度比で50.0%, 49.7%, 52.1%減少した。つまり、検索エンジン経由のアクセスがおよそ半分に減ったのだ。これは、安倍政権打倒の機運が高まる前の、今年5月以来の少なさである。

これと強い相関があるのが、初回訪問客の激減だ。9月度に29,892件あった初回訪問アクセスが、10月度は16,850件と、ほぼ半減した。100回以上訪問アクセスも、16,340件で、前月比で初めての減少を記録したが、100回以上訪問アクセスの全アクセスに占める比率は26.5%と、過去最高を記録した。

ブログ経由のアクセスでは、「カナダde日本語」経由が1,280件で最多で、「らくちんランプ」「反戦な家づくり」経由も、いつも同様多かった。

検索語ランキングは、下記のようになっている(「はてな」アクセス解析より)。

1位 きまぐれな日々 733件
2位 勝谷誠彦 468件
3位 工藤会 241件
4位 田中森一 192件
5位 気まぐれな日々 163件
6位 八代尚宏 158件
7位 植島幹六 114件
8位 検索 102件
9位 福田内閣支持率 71件
10位 安倍洋子 56件

9月度に上位を占めていた安倍晋三およびその一族に関するキーワードが軒並み姿を消し、わずかに10位に「安倍洋子」が顔を出すのみ。これが検索エンジン経由のアクセス数が大きく減った理由であることは明らかだ。

次に、トップページ以外の個別のエントリへの訪問ランキングを示す(「はてな」アクセス解析より)。

1位 光明が見えてきた「新自由主義」との戦い (10月24日) 1,020件
2位 電波芸者・勝谷誠彦の生態 (2006年7月29日) 987件
3位 極右新党を立ち上げ、自民党との連立をたくらむ平沼赳夫 (10月27日) 801件
4位 福田内閣を揺るがす「山田洋行」疑惑 (10月23日) 721件
5位 ISAF参加よりもはるかに悪質な「給油継続」 (10月12日) 693件
6位 「復古的改憲」の危機は去っていない (10月5日) 677件
7位 すっかり下品になった自民党の物言い (10月16日) 636件
8位 福田内閣支持率50%超に見る日本人の知性の劣化 (9月27日) 604件
9位  新自由主義の時代の「終わり」を暗示する安倍内閣の崩壊 (10月14日) 592件
10位 佐藤栄作のノーベル平和賞を剥奪せよ (10月10日) 574件

10月度は、新自由主義批判、新テロ特措法問題、防衛利権の疑惑の三点を中心に記事を公開したが、これらを取り上げたエントリへのアクセスが比較的多かった。しかし、9月度に1,000件以上のアクセスを記録したエントリが9件あったのに対し、10月度は1位のエントリが滑り込みで1,000件に到達したにとどまっている。

10月は、参院選が終わり、安倍晋三が退陣した影響か、かなり以前のブログ間のトラブルがここにきて表面化するなどのできごともあった。この件に関しては、当ブログの不用意な文章がきっかけになってしまったので、それについては遺憾の意を表明したい。ただ、最終的に結果を分けるのは、何のためにブログをやっているのかということだろう。それと、人間変わっていこうとする姿勢が必要で、たとえばブログで取り上げる事柄に詳しくなければ、詳しくなろうと努力しなければならないと思う。当ブログだってど素人がやっていることは、その道の専門家から見たら明らかなはずだ。だが、素人は素人なりに努力しているのだ。「詳しくなくても良いじゃないか、人間なのだから」などと言わないでほしい。もちろん、当該ブログの管理人も努力しているのだとは思うが、それならなおさら言い訳はしないことだ。

ま、当ブログとしては今後もマイペースでやっていきたいと思う。忙しくなったら更新がまばらになるかもしれず、ブログに時間が割けるようになったら気合いが入りまくるだろうが、そこらへんのムラについてはご容赦いただきたいと思う。今後もよろしくお願いします。


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一昨日のエントリの書き出しで、「『AbEnd』系のリベラル・左派ブログにも分裂傾向が出てきた」と書いたら、さっそくまたプチトラブルがあった。これを見て、かつての社会党系と共産党系の間の平和運動のトラブルや、先人のブログ運動「STOP THE KOIZUMI」におけるトラブルを思い起こされる方も多いだろう。当ブログも、もし「AbEnd」キャンペーンに創始時からかかわっていなかったら、同じ感想を持ったかもしれないが、片側に近い当事者としてはそんなことは言っていられない。

だが、当ブログのなすべきことは、騒ぎを拡大することではない。これまでのことについて、言いたいことはいくらでもあるが、それらにはあえて言及せず、今後のブログの記事で答えを出して行きたいと思う。過ぎたことは、もうしかたがない話だ。

さて、守屋前防衛事務次官の証人喚問で、防衛商社「山田洋行」の元専務による接待攻勢のすさまじさが明らかになった。元防衛庁長官も宴席に同席していたという。だが、多くの方々同様、当ブログも接待攻勢自体には興味はない。その見返りに、元専務側に発注や契約などで便宜を図ったのかどうかが焦点なのだが、守屋氏は「一切ない」「記憶にない」と言い続けた。ロッキード事件の時、故小佐野賢治氏の証人喚問の際に小佐野氏が連発した「記憶にございません」が流行語になったことがあるが、今回もその伝統は守られたようだ。守屋氏は、海上自衛隊の給油量訂正に絡む隠蔽工作への関与も否定した。

とにかく、この証人喚問は疑惑追及のほんの入り口に過ぎない。福田康夫首相は、守屋氏を厳しく批判するコメントを発したが、政府・自民党には全責任を守屋氏に被せて幕引きをしようとしている意図がありありと感じられる。

証人喚問に関しては、書いていてバカバカしくなる。一部で報道されていた沖縄の米軍基地移転問題に絡む疑惑は、報道を流し読みする限り、ほんのわずかに民主党議員が質問で触れた程度だったようで、期待はずれもいいところだった。耐震強度偽装問題に関するヒューザーの小嶋進社長(当時)の証人喚問で、馬淵澄夫議員(民主党)の質問によって、小嶋氏が「安晋会」の会員だったことを明らかにしたようなクリーンヒットもなかった。防衛利権は、もとはというと自民党竹下派の利権であって、民主党の小沢一郎代表も、叩けば埃が出るから、自民・民主両党で手打ちをしたのではないかという見方もある。それならそれで、社民党や共産党にもっと頑張ってほしいところだが、証人喚問の報道を見ていると、それもあまり期待できないかもしれない。

さて、ブログ後半では、27日のエントリ 「極右新党を立ち上げ、自民党との連立をたくらむ平沼赳夫」 へのコメントから少し紹介したい。これは、批判や反論をある程度予想して書いたエントリであり、いつもより多くのコメントをいただいている。

この記事を、「復活!三輪のレッドアラート!」 にTBを送ったところ、三輪さんから2件のコメントをいただいた。そのうち、あとの方のコメントを紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-484.html#comment2198

知っておられる方はご存知でしょうけど、私は連合系の組合の役をしていた自分に、労働基準監督署と組んで、いろいろな人達の賃金問題を解決して来た男です。

その最中に思ったのは、「今の日本はどうにもならないほどに使用者も被雇用者も金に困っているんだ」と言う事でした。
その問題を真面目に考えたのが民主党だったと言う事です。

結局、日本では仁慈の政治以外受け入れられないのです。
我々の本当の敵は貴方がたの言う「極右」ではない。私はここで断言致します。

私はkojitaken様であれ、ぶいっちゃん様であれ、お玉おばさん様であれ、俗に言う「左翼」の人達に対して拒絶反応を示した事はありません。(テサロニケだけはどうにも嫌でしたが)

我々の本当の敵は、社会を不安定にする仕掛けを無理強いする勢力だと思います。
私は前にも申しましたが、固めた拳骨の右手です。
kojitaken様とその支持者の方々は柔らかい左手でしょう。
その様な両手を持つ者が正しい人間だと思います。私はだから右翼ではあっても強すぎる右手の小泉に反旗を翻したのです。

私、貴方がたが大好きです。心が綺麗で私の様に人の善意を心底信じられない男から見れば羨ましいです。
だからこそ、貴方がたに不寛容になって欲しくないとも思います。
人には排除の自由、他者の否定の自由は無いのだと。
そう言う事だけは弁えて頂きたいです。

そう言う方々は「お前達は外国を排除するじゃないか!」と言われるでしょうね。
でも、今のご時世の問題点と言うのはkojitaken様もご指摘のとおり、外国が日本の富を美味しく食べようと群がって来ている事が問題なのです。

まずは当事者であり、同胞でもある我々が結束し、外部の餓鬼道に落ちた国々の干渉を撥ね退ける事から始まると思います。

我々民族主義者の言う事も少しは耳にして頂きたいのです。
三輪は対話を望みます。このブログに集う方々もそうであればと願います。

2007.10.28 16:20 URL | 三輪耀山 #X.Av9vec [ 編集 ]

私が三輪さんのブログにTBを送ったのは、決して喧嘩を売る意図からではなく(エントリのタイトルを見たら、喧嘩を売っているようにしか見えないかもしれないが)、右派の人たちが期待しがちな平沼赳夫という人物の正体は新自由主義者であって、こんな人物に信を置くことはできないと主張したかったからだ。幸い、三輪さんの記事は平沼に批判的だったので、TBを送った次第だ。

このところ当ブログでは、ずっとネオリベ(新自由主義)とネオコン(新保守主義)の関係を考察しているのだが、私の得た結論は、「ネオリベは、それがもたらす苛烈な結果(格差問題)への不満をそらすために、共同体への同一化というネオコン思想を取り入れざるを得なくなる」というものだ。つまり「ネオリベであればネオコン」だということである。

だが逆に、三輪さんのような民族主義者が新自由主義者かというと、そんなことはなく、三輪さん自身が反例になっている。右派の方々にお願いしたいのは、平沼赳夫のような新自由主義者に肩入れしないでほしいということだ。いくら郵政民営化法案に反対したからといったって、サッチャーの「教育カイカク」なんかを信奉している政治家は、まぎれもない新自由主義者であり、当方は新自由主義者とは決して共闘はできない。

右派の政治家が新自由主義者かどうかは、彼らがサッチャーやレーガンに対してどういうスタンスをとっているかで測れると思う。当ブログは、反新自由主義の民族主義者の方々とは、民をいじめる新自由主義と対決するために、部分共闘が可能であると考えている。


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安倍晋三政権が倒れたあと、「AbEnd」系のリベラル・左派ブログにも分裂傾向が出てきた。

ちなみに、「左派」という言い方は、眠り猫さんはあまり好まないとのことだが、私も同様である。だが、少なくとも「右派」でないのは確かだから、相対的には「左派」なのだろうと割り切ることにしている。

よく考えていたのが、「AbEnd」系ブログがその「リベラル・左派」ブログ全体に占める比率がどのくらいだろうということだった。ネット右翼系では、「人気ブログランキング」で上位を占めるブログは日に5桁のアクセス数を記録しているが、「リベラル・左派系」全体である程度以上の影響力を持ったブログがどれくらいあるのか、その全体像は今に至るも全然つかめていない。

当ブログのような素人が運営しているブログではなく、プロの政治家やジャーナリストが解説しているブログは、あまりアクセスカウンタをブログに搭載していないのではないかと思う。私は、あまりプロの手になるブログに注目している部類の人間ではない。ただ、立花隆さんのブログが前首相・安倍晋三の「逃亡」寸前に公開した安倍の脱税疑惑に関する記事が、2日連続で日に130万件のページビューを記録したことは、週刊誌で知った。当ブログは先日トータルアクセス数が100万件を突破し、おそらく素人が運営している政治・経済関係のブログとしてはアクセス数が多いほうだと思うが、当ブログ1年半のアクセス数の総計は立花さんのブログの1日のアクセス数にも及ばなかったわけだ。これがプロとアマチュアの差なのだろう。

プロとアマの一番大きな違いは何か。それは、プロの方が柔軟かつ深い思考ができ、アマの方が型にはまった思考しかできないことだ。しがらみのないアマの方が好き勝手なことが言えるように思われがちだが、実際は逆だ。

たとえば、私はクラシック音楽を聴くのが好きだが、クラシック音楽の愛好家に対して、「権威に弱い」という偏見を持っている。クラシック音楽などというのはもともと権威にとらわれやすい世界なのだが、プロの音楽家は自由な発想ができる。そうでなければプロにはなれない。それと比較すると、評論家は権威に弱いが、それよりもっと権威に弱いのが一般の愛好家なのだ。

これは、政治・経済について意見を表明するブログについてもいえる。たとえば日本共産党は硬直的な体質を持っているとよく言われるのだが、以前ご紹介した 「編集者が見た日本と世界」 は、もと共産党の重鎮だった方のブログとお見受けするが、自由な考え方が感じられる。むしろ一般の共産党支持者のブログの方が、妙に共産党中央の指導者の言動とシンクロする主張が目立つように思う。

非共産党系のブログについても同様である。たとえば、アメリカ政府から日本政府に対して出される年次改革要望書のプログラムに沿って、アメリカに操られた日本政府が売国政策を行っている、という都市伝説もその一つだろう。前にも書いたが、これは関岡英之が最初に提起した仮説であって、仮説であるが故の単純化がなされている。仮説は常に検証されなければならないのであって、仮説がドグマ(教義)と化してはならない。そうなった状態こそが「原理主義」なのである。現在、一部のブログには「反『年次改革要望書』原理主義」のようなものがあり、一昨年の「郵政民営化法案」に反対した議員でさえあれば、昨日のエントリで批判した平沼赳夫のような、新自由主義者にして極右である議員の意見まで肯定的に引用しているブログさえある。これが、右派ブログの意見であればまだ首尾一貫しているのだが、一方で護憲を唱えておいて、他方で平沼に容認的な意見を表明できる神経が、私には信じられない。

原理主義に傾きがちなブログの悪弊として、批判を嫌う傾向を指摘することができる。たとえば、当ブログでは民主党・小沢一郎代表の国連重視に基づく「自衛隊のISAF参加」論を、自民党政府がやろうとしている、対米隷属の「自衛隊のインド洋給油継続」よりずっと筋の通った意見であると評価し、「給油の方がよっぽど安全」であるとする、マスコミでも田原総一朗あたりも平気で口にする考え方は、「安全な戦争ならやってもかまわない」と言っているに等しいと批判した。しかし、同時に小沢の主張に対し、平和憲法を持っている日本のなすべきことは、非軍事分野での国際協力であるとも主張している(さらに言うと、「テロとの戦い」なるもの自体欺瞞であると考えているが、これを論じ始めると長くなるので、ここではこれ以上述べない)。

つまり、どんな政治勢力や政治家の主張に対しても、是々非々で臨むというのが当ブログのスタンスだ。ところが、一部ブログでは「小沢一郎を守れ」という。これが、言論合戦にとどまればよいのだが、多くのブログが同じスローガンを唱え始めると、小沢への批判を許さない雰囲気ができあがってしまう。それが小沢の安全保障政策に対して批判的な方々の反発を招くのは当然のことだと思う。ついでに言うと、小沢一郎はブロガーに守られなければならないほどヤワな政治家ではない。

とにかく、批判を許さない姿勢は最低だ。人は、批判されることを喜ぶべきだ。本当にどうしようもないと見なされたら、批判されるのではなく無視されるだけだからだ。私は、「まあまあそんな硬いことを言わず」などと言われるより、むしろ批判されるほうがよほどましだといつも思う。意見の表明を封じられることほどイライラさせられることはない。

さて、またまた前振りが異様に長くなってしまった。ここからが本論である。

ここまでに書いたような思考の硬直したアマチュアとは、プロフェッショナルはやはりものが違うという例をご紹介したい。

それは、某所で教えていただいた、白川勝彦さんの論考である。白川さんは、いまや「絶滅危惧種」ともいえる保守本流というか、保守側のリベラル政治家だが、その白川さんのブログ 「永田町徒然草」 の10月26日付エントリ 「財務省職員の集団強姦事件!?」 の終わりのほうで、官僚は国民に対しては尊大だが、政治家に対しては卑屈だと批判しながら、こんなことを書いている。

尊大と卑屈の循環を改めるのが、本来の政治の仕事なのである。行政の“民主化”ということである。民主化とは、国民が主であるということである。わが国は戦後の民主化のなかで、行政の民主化をおろそかにしてきた。それはマッカーサー指令によって天皇制が存続することになった負の遺産なのである。秩序の中心であった天皇制が総括されることなくそのまま存続されたために、戦前の官僚制がそのまま残ったからである。これを“改革”することが新しい政権の任務である。

(白川勝彦 「永田町徒然草」 ? 「財務省職員の集団強姦事件!?」 より)


これには驚いた。白川さんの師匠格の加藤紘一代議士(自民党)は、「右翼は先の戦争の総括をしておらず、左翼は社会主義の総括をしていない」というのが持論で、私もそれに賛成なのだが、先の戦争を総括していくと、天皇制の総括にいきつくのは必然だ。そして、白川さんはそれに言及した。

前首相・安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を目指したが、本当に戦後レジームから脱却しようと思ったら、安倍の母方の祖父・岸信介が作り上げた「1940年体制」と呼ばれる統制経済の仕組みを変えなければならなかったはずだ。とはいえ、私は弱肉強食の新自由主義的「カイカク」をせよといっているのではない。高度成長には大きく寄与した「1940年体制」を、真に日本の国民の利益を考える新しい福祉国家を作るための体制に作り変えよと言っているのだ。そして、この改革を行うためには、先の戦争を総括しなければならないし、天皇制の総括も行わなければならないと思う。

白川さんのような意見が、保守の側から出てきたことを心強く思う。白川さんは1945年生まれで、まだ62歳。中央政界にカムバックして、日本の再生のために力を発揮してほしいと思う。


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一昨日昨日のエントリで、『サンデー毎日』11月4日号に掲載された「テロ新法 "逆ギレ解散" なら「12月16日」総選挙」という記事を引用しながら紹介したが、この号を買おうと思ったそもそもの動機は、「平沼赳夫が「新党構想」をブチ上げた!」という記事が掲載されていたからである。

これは、『サンデー毎日』が平沼赳夫のインタビューを元にまとめた記事だ。

平沼は、まず前首相・安倍晋三の退陣について、辞任のタイミングとしては最悪だと語りながら、
私が(安倍の)側近だったら、(中略)あと1時間我慢して、国会の壇上で「国にとって(テロ特措法は)重要な法案だから、命を懸けても延長を実現する」と言わせました。演説しながら倒れるくらいの「演出」をしても良かった。私がご意見番だったら、それくらいしましたよ。
などと言っている。

平沼は、当然のごとく安倍政権下での国民投票法成立、教育基本法改正、防衛庁の省昇格などを高く評価している。平沼の政治的立場からすれば当然だが、平沼支持を明言される方は、国民投票法や改正教育基本法についてはどう考えておられるのだろうか。特に「護憲派」を自認しながら平沼に容認的な方にお聞きしたい。

国会の首班指名では、平沼は福田康夫に投票したそうだが、このインタビューでは自民党総裁選における麻生太郎の健闘を称え、福田康夫については、
 やっぱり、左にウイングがある。その思想・信条は野中さん(広務元自民党幹事長)や後藤田さん(正晴元官房長官)に近いんじゃないかな。
と評している。平沼は福田康夫とは相容れないようだ。

このあと平沼は、復党問題について語っているが、興味がないので飛ばす。興味のおありの方は、『サンデー毎日』を直接参照されたい。

平沼は、参院選後に政局になるかな、と期待していたという。しかし、自民党が予想外の大敗(37議席)を喫し、民主党が大勝したことによって、多少の数合わせでは与党が参議院での多数を確保することのできない状態になったため、平沼のあては外れた(ざまあみろ)。

平沼は次のように語っている。
 参院の与野党逆転は今後6年間変わりませんから、言ってみれば「保守再編」、つまり、自民、民主の双方で構成する「第三極」を作るくらいの動きがないと、いつまでたっても変わらない。民主党(の内情)は旧社会党左派と自民党出身者だし、自民党にしてもリベラルと保守。
「健全な保守」による第三の枠組み作りが必要ではないでしょうか。私はこれまで民主党の若手とも交流してきたし、優秀な人がずいぶんいる。そういう人たちと行動を取り、この国の政治を立て直さなきゃいけないと思っていますよ。

ここで平沼が言う「健全な保守」とは、日本会議の思想を信奉する極右ということで、安倍晋三から新自由主義を取り去ったような考え方くらいのつもりなのだろう。しかし、当ブログが繰り返し指摘しているように、新自由主義(ネオリベ)と新保守主義(ネオコン)は不可分のものであり、まさにその両者が合体したサッチャーの教育カイカクを平沼は信奉している。平沼には、自身が新自由主義者であることの自覚がないようだ。

この平沼という男は、当ブログでも何度か紹介した「アインシュタインの予言」なるトンデモを信じている。平沼が2005年11月に開かれた「皇室典範を考える集い─『有識者会議』の見識を問う」(皇室典範を考える会主催)で述べた妄論を修正・加筆した記事が右翼論壇誌『正論』の2006年2月号に掲載されているが、長くなるので、More ... 以降に付録として収録した。平沼が信じている「アインシュタインの予言」なるものが存在しないことを、2006年6月7日の朝日新聞が報じた(付録参照)。この件に関しては 「たんぽぽのなみだ」 中にある 「アインシュタインの予言」 がよくまとまっている。また最近、「たんぽぽのなみだ?運営日誌」 にも 「アインシュタインの予言(3)」 というエントリが公開されたが、その中にも平沼の話題が出てくる。当ブログ管理人も、コメント欄で平沼を批判した(笑)。

ところで、平沼は「健全な保守」を結集した新党結成の構想を『サンデー毎日』の記者に明かしながら、そのタイミングについては「次の衆院選のあとでしょう」と語るのみだった。これについて、かつて平沼の同志だった村上正邦(元自民党参院議員会長)は、「選挙後を待っていては現存する政界の離合集散を繰り返すだけだ」と、手厳しい見方をしている。村上は、第三極を作るなら、新人を募って新しい政治勢力を作り、そのうえで、理念(極右イデオロギー=筆者註)だけでなく、高齢者福祉・医療や国会議員特権の削減など国民生活に密着した政策も掲げた新党を選挙前に立ち上げてほしい、と注文する。

しかし、新自由主義的施策がたっぷり盛り込まれていたサッチャーの「教育カイカク」を支持していた平沼に、そういう新自由主義的行き方とは180度向きの異なる福祉国家志向の政策が打ち出せるのだろうか。はなはだ疑問である。

結局、平沼は衆院選で自民党が過半数を割るものの、民主党も過半数に至らない状況となった時、自民党と民主党の極右勢力を集めてイデオロギー的な新党を立ち上げ、自民党と連立を組むという程度の、稚拙な構想しか持っていないのではないかと思う。実際、『サンデー毎日』の記者に対し、平沼は衆院選での自民・公明の連立与党は過半数241議席にわずかに足りない240議席くらいに減らすのではないかと予想している。

きわめて甘い読みである。小選挙区制においては、獲得議席数は政党の得票率に比例せず、極端な結果になることが多い。一昨年の郵政総選挙と今年の参院選が良い例だ。

選挙の結果は、一番ありそうなのが民主党の大勝だが、民主党にスキャンダルが続出したり国会で下手に与党と妥協したりすると、結果は一転して与党の勝利になる可能性もある。平沼が望む「連立与党が過半数にわずかに足りない」という結果になる可能性ももちろん少しはあるが、それは、よほど平沼にとって運の良い場合に限られるだろう。

そんなかすかな可能性をあてにして、結局自民党政権の延命に寄与するだけの新党を立ち上げようとしているのが平沼赳夫なのだ。仮にそうした新党ができて自民党と連立した場合、最終的にその新党は自民党に吸収されることになるだろう。そうすれば、めでたく平沼は自民党に復党し、念願が実現する。平沼とは、どこまでも自民党へのこだわりから脱せない男なのである。

だから、「自End」を望む者は、平沼赳夫なんかに期待しちゃいけないと思う今日この頃である。
昨日のエントリの続き。

防衛問題に関しては、給油のイラク戦争転用問題もあり、03年5月に防衛庁が海自給油艦「ときわ」のキティホーク向け給油量を「20万ガロン」と発表していたが、NPO法人「ピースデポ」が入手した米補給艦の航海日誌から、給油量が実は80万ガロンだったことが明らかになった。政府も、誤りを認めざるを得なくなった。

その「ときわ」の航海日誌は、民主党が公開を要求したが、いったん「破棄した」とされたあと、一部が黒塗りで提出されるというとんでもない「ハチャメチャぶり」(サンデー毎日の表現)である。同誌は、下記のような「防衛省の内部事情に詳しい関係者」のコメントを紹介している。
「航海日誌は現存していますよ。シュレッダーで裁断できるような代物じゃないし、これまでに何度も "消えたはずの書類" が出てきた前例があります」

また、民主党の原口一博議員は、これまでに直接・間接に洋上給油された約330億円にのぼる燃料油購入先の隠蔽疑惑を追及した。防衛省が民主党に提出した「雑油購入費」の契約書は「契約業者」と「履行場所」がすべて黒塗りにされていたというのだが、原口氏は現地調達された経由が、米国防省傘下の軍事物資調達機関「ディフェンスエナジーサポートセンター」(DESC)が供給する「F76」という品種で、各国政府や軍が顧客であることを確認した。「F76は民間から民間へ供給できる油ではない」という原口氏の指摘を、石破茂防衛相も大筋で認めた。「サンデー毎日」に掲載された石油業界関係者のコメントを紹介する。
「ならば、遠く離れた中東での現地調達で日本の商社が間に入る意味はほとんどない。帳簿上、油を転がしているだけでマージンを取っているなら、これが利権化している可能性も否めない。もし、守屋氏に関係の深い業者が関与していたら‥‥」

防衛省の疑惑は、底なしの様相を呈しているのである。昨日も書いたが、自民党政治を終わらせるきっかけにするのに絶好の材料であるにもかかわらず、守屋氏を国策捜査から守れとか、守屋氏喚問は福田内閣に時間稼ぎをさせるだけなどという一部の声は、まったく理解不能である。

さて、ようやく福田康夫が「逆ギレ解散」するのではないかという件にたどりついた。自民党閣僚経験者の予測を、「サンデー毎日」が載せている。
「自民党議員にも火の粉が及ぶ防衛利権の疑惑がハジけたら、もうテロ新法の再可決どころではない。キレやすい福田首相だけに、そもそも選挙管理内閣なんだから国民に信を問う、と開き直りますよ。年金記録問題などが再び噴出する来年4月より、300選挙区の民主党候補者が埋まらないうちに総選挙をしたほうが有利、との声も党内にある」

この場合、11月中に解散し、「12月16日」が投開票日になるという。

昨日トラックバックいただいた 「カナダde日本語」 の記事 「日本もカナダも年内に解散総選挙の可能性あり」 によると、「オフイス・マツナガ」も「11月解散、12月16日投票」を予想しているようだ。「オフイス・マツナガ」の方は「サンデー毎日」より自民党に好意的(?)な見方で、民主党の撹乱に成功した福田内閣が、一気に攻勢に出ての解散と読んでいるようだが、福田内閣の支持率は早くも低下を始めており、現在解散総選挙をやっても自民党が勝利する可能性はかなり低いだろうと私は考えている。

ただ、解散を先送りしても、自民党への支持が回復する展望は、おそらく自民党議員の誰も持っていないと思う。だから、どうせならまだ自民党への幻想を持っている国民が残っている今のうちに解散総選挙をやっておいて、議席減は避けられないにしても、完全に「自・End」にはならないようにしようと福田康夫が考えたとしても、それは必ずしも「逆ギレ」とばかりもいえず、彼らにとっては理にかなった選択なのかもしれない。それに、総選挙をやれば「コイズミチルドレン」の大量落選が予想されるから、福田にとってはかえって好都合なのかもしれないのだ。

その、いつきてもおかしくない「解散・総選挙」で自民党にダメージを与えるためにも、底なし沼の防衛利権を追及する機運を、ブログも盛り上げていかなければならないと思う。


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守屋武昌・前防衛事務次官の証人喚問は29日に決まったようだ。

国会での証人喚問は、昨年1月17日のヒューザー・小嶋進社長(当時)以来となる。ライブドア強制捜査の翌日行われたこの証人喚問で、民主党の馬渕澄夫議員の質問と小嶋氏の証言によって、小嶋氏がマンション住民への説明会で、氏が安倍晋三内閣官房長官(当時)の非公然後援会「安晋会」の会員であり、安晋会会長から(安倍の政策秘書の)飯塚氏を紹介してもらい、将来の(国交省の)事務次官になる人に連絡してもらっている」「その人に電話してもらったから、安倍長官が閣議後に『遺漏なきよう対応させる』と発言したのもそのため」などと証言したことは記憶に新しい。

いや、安倍晋三がらみのことになるとついつい脱線してしまう。守屋前次官の話に戻ろう。
守屋前次官の喚問は、もともと民主党が海上自衛隊のインド洋での給油がイラク戦争に転用された疑惑に絡んで要求していたものだ。現在は、守屋氏が防衛・航空分野の専門商社・山田洋行から一昨年までの5年間に計約140回、1000万円超のゴルフ・飲食接待を受けた疑惑、さらには次期輸送機(CX)のエンジン調達を巡る疑惑が取り沙汰されており、喚問ではこれらの究明が焦点になる。

この件とテロ新法は、福田内閣を揺るがせかねない問題である。「サンデー毎日」11月4日号に、「テロ新法 "逆ギレ解散" なら「12月16日」総選挙」と題された記事が掲載されている。

マスコミの記事では、守屋氏を接待した側の山田洋行元専務の実名は書かれていないが、すでに「FACTA」などが報じているように、元専務の名前は宮崎元伸氏という。首都圏などでは今日(10月25日)発売の「週刊新潮」の最新号には、宮崎氏が実名を出しての「特別手記」が載っているらしく、"「新聞記者」も業者の「ゴルフ接待」を受けていた" と銘打たれているが、当地ではまだその記事は読めない。

ところで、政治ブログの中でも、「守屋前次官を国策捜査から守れ」だの、「守屋前次官の証人喚問なんて自民党が喜ぶだけの時間稼ぎだ」などのトンチンカンなことを書いているところがあるが、これは、これまでメスが入らなかった防衛利権の闇をどこまで明るみに出せるかがかかる、きわめて重要な問題なのである。「サンデー毎日」の記事にもあるが、宮崎元専務は昨年、山田洋行の経営権をめぐってオーナーサイドと対立して退社、部下約20人を引き連れて「日本ミライズ」を設立した。つまり、現在は山田洋行と対立関係にある。

「サンデー毎日」に掲載された捜査関係者の言によると、
「山田洋行が元専務を特別背任などで告発すれば、防衛省の巨額受注業務にからんで守屋氏には収賄容疑がかかる。東京地検特捜部は、贈収賄事件としての立憲を視野に入れています」
とのことだ。同じ記事に、次のような司法ジャーナリストの言葉が紹介されている。
「山田洋行は、空自の次期輸送機(CX)搭載エンジンの販売代理店契約を米GE社と結んでおり、約1000億円の受注が控えている。ところが、日本ミライズに山田洋行の米GE担当者も移籍したため、日本ミライズ側に賠償を求める提訴をするなど、ドロドロの内紛劇を繰り広げています。

 また、防衛省では米軍基地が集中する沖縄などで巨大な発注業務を抱えるだけに、守屋氏のかかわる防衛利権疑惑が丸裸になれば、自民党防衛族の有力政治家などに飛び火する可能性も否定できません」

実際、10月28日の「しんぶん赤旗・日曜版」が、久間防衛庁長官(当時)も山田洋行元専務から接待を受けていたことを報じている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/week/index.html

久間防衛庁長官(当時)も接待受けた

100回を超えるゴルフ接待。マージャン・飲食も―。巨額の軍事費をねらう軍需商社と防衛省の守屋武昌前事務次官との癒着が大きな問題になっています。この商社側の接待は次官だけでなく、時の防衛庁長官にまで及んでいました。昨年12月上旬、東京・赤坂の料亭で宴席がもたれました。顔を出したのは久間章生防衛庁長官(当時)。宴席を計画したのは、守屋前次官をゴルフ接待していた軍需商社、山田洋行の元専務――。

(「しんぶん赤旗」日曜版 2007年10月28日付より)


だから今、自民党は守屋氏に全責任を押しつけて、問題を矮小化しようと必死なのだ。守屋氏を守れとか、証人喚問など福田内閣を助けるだけなどと主張するブログは、自民党が逃げ切るのに手を貸しているも同然だろう。そもそも、守屋氏と小池百合子が喧嘩している時、守屋氏がシビリアン・コントロールの原則を危うくする言動を取っていたことに対してまるで無批判な姿勢が、私には信じられない。

この問題を追っている 「thethe」 からまたトラックバックをいただいたが(「大ちゃんス大作戦」)、その中に気になる記述があった。

裏で山田洋行のスキャンダルを右旋回させ、民主党と手打ちにすべく力が働いているように思う。福田内閣誕生の経緯から言って野中-古賀ラインが完全復活し、悪魔とまで呼んだ宿敵・小沢一郎氏に本格的に対決しはじめた、ということだろう。小沢氏は、「(選挙に備えて)地方行脚を始める」と早速身を引き始めた。「ISAFに参加」発言で、インド洋給油問題で自民党を深みにはめ、大義を見いだす議論を封じ、「国際貢献」とは数段レベルが低い「給油継続」という(アメリカへの)アリバイのみで法案を通そうとしている、という印象を与えることに成功した小沢氏だが、スキャンダルを好む劇場型政治になれきったマスコミ・世論が、守屋たたきを一斉に始めたため、その効果が幾分薄れたように感じる。また自民党も失敗の全てを民主党に転嫁するのは無理と見て、守屋氏に全ておっかぶせる方針に舵を切ったのだろう。かくして議論は本質から逸れていく。

(「thethe」?「大ちゃんス大作戦」より)

記事中に、野中広務?古賀誠ラインが防衛利権疑惑をうやむやにしようとしているとの指摘があるが、昨日、三介さんからも野中広務についてコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-481.html#comment2185

「単純に『新自由主義』とか、ネオコン批判だけじゃあ済まされない、超?複雑な縺れがある」とのご指摘だったが、たまたま昨日、野中広務と野村克也が共著者となっている 「憎まれ役」 という本を立ち読みしたところだった。これは単に野中がコイズミを、野村が長嶋茂雄をそれぞれ罵倒しているだけの本で、立ち読みで済ます程度で十分な、最近よくあるジャンク・フードみたいな書物だと思うが、これまでコイズミ対小沢の図式で単純に捉えがちだったが、そういえば野中も考えに入れなければならないなあと思い出したところだった。

明後日、新党構想を持っているといわれる平沼赳夫を批判する記事を公開しようと思っているが、その平沼によると、福田康夫首相は、父・福田赳夫元首相とは異なる自民党内左派で、野中広務や後藤田正晴と思想的に近いとのことだ。つまり、「コイズミ・安倍一派」、「野中・福田一派」、それに「小沢一派」の保守三勢力の三つ巴の対立構造として捉えることが、確かに必要だろうと思う。

いずれにしても、小沢一郎にしてもそれこそ保守本流にいて、どっぷりその利権構造に使っていた人間だから、叩けば埃が出るのは当然だろう。おそらく防衛利権にからんでは、あきれ返るばかりの大癒着構造があるに違いないが、東京地検特捜部には頑張って膿を出してほしいものだ。

国策捜査大いに結構。国策捜査にも「良い国策捜査」と「悪い国策捜査」があり、ライブドア事件に手をつけたのは「良い国策捜査」だと評したのは大谷昭宏であり、当時私も同じ感想を持った。結局ライブドア事件の捜査は政界まで行き着かなかったが、自民党が退潮にある今は、検察にとってもチャンスの時期なのではなかろうかと思う今日この頃だ。

(結局タイトルの「福田 "逆ギレ解散"」の話題まで行き着きませんでしたが、続きはこちらをご覧ください)


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これまで何度か書いたように、私はサッチャーもレーガンも中曽根も、政権発足当時から嫌いだった。だが、当時はまだインターネットもなかったし、私自身も親のスネをかじる年代だった。

その後社会に出て、何のメリットも実感できなかったバブル時代を経て、バブル崩壊期に新自由主義が恐ろしい牙を剥き始めた頃になって、それにうすうすと疑問を感じながらも、日本経済新聞をとり、主流になってきた思潮を取り入れようとしたが、どうしても強い抵抗感なしには記事を読めなかった。

1998年頃になると、グローバリズムの弊害を説く書物が出版されるようになり、岩波新書まで反米ナショナリズムの影響が見られるようになって少々驚いたが、それまで半ば諦め気味に受け入れようとしていた、当時主流の経済学者たちの物言いに反対する論理を少しずつ知るようになり、それまで漠然としか頭になかった「反新自由主義」の考え方を体系立てようと思うようになった。

そこからが新自由主義との戦いの本番だった。私は実生活を通じて、新自由主義と戦おうとしたが、なかなか思うようにはいかなかった。そうこうしているうちに、コイズミ政権が発足し、日本人の多くが新自由主義に感化された。この頃にはずいぶん孤立感を感じたものだ。

とりわけ、2005年はひどかった。国民が「コイズミカイカク」を手放しで礼賛し、民主党にはコイズミ以上に過激な新自由主義路線を志向する前原体制が発足した。前原民主党は当初「対案路線」をとり、コイズミ自民党と「カイカク」の速度を競うはずだった。

ところが、歴史はそこから急激に転回する。同年11月に明るみに出た耐震強度偽装問題と翌年初めのライブドア事件。私は、これらはいずれも新自由主義の抱える問題点が噴出した事件だと考えているが、この問題によって民主党は「対案路線」から自民党との「対決路線」に方向転換せざるを得なくなり、本心と異なる方向性で動いていた前原体制は、「偽メール事件」で崩壊してしまう。

あとを受けた小沢一郎は、かつてもっとも過激な新自由主義のプレーヤーだと思われていたのだが、小沢率いる自由党が民主党と合流した当初から、社民主義寄りに転向していた。そして、小沢が代表になると、民主党の経済政策を方向転換させ、これが今年の参院選での民主党圧勝につながった。

ほぼ毎日ブログを更新し、リアルでつらい仕事をこなしていると、なかなか世の中の流れが実感できないのだが、ネット検索で経済問題が論じられた過去の記事に行き当たって、新自由主義がもっとも国民の支持を集めていた頃と現在を比較すると、ずいぶん「反新自由主義」が国民の間で広がってきたことを感じる。

たとえば、2005年12月8日に「JanJan」に掲載された、「アメリカ化する日本と野党の課題」は、オナジミのさとうしゅういちさんによる記事だが、下記のような提言がある。

 野党については、第1党の民主党にきちんと庶民の側に立ってもらうようにしなければなりませんが、そのためにも、まず、反構造改革の経済左派である、共産、社民、国民新党が、一定の勢力を持つ必要があります。そのための選挙協力を07年参院選に向けて進めるべきでしょう。

 それにより、民主党をも野党協力に引き込む。ひいては、なるべく民主党が庶民の側に立つように仕向けるのです。今は民主党は単独政権狙いで、自民党に政策をどんどん近づけています。これでは、いつまでたっても民主党は政権を取れないでしょうし、庶民の苦しみも続くことでしょう。

 野党は、次の総選挙では小泉政権を打倒し、日本の国民の利益を考えた新しい福祉国家を興せるよう目指すべきです。

(JanJan 2005年12月8日 「アメリカ化する日本と野党の課題」より)

現実には、社民党も共産党も生活問題より「9条護憲」のイデオロギーを重視して、参院選で敗北してしまった。両党には、「9条護憲」とともに「25条護憲」にも力を入れてほしいと思う。しかし、とにもかくにも民主党が方向転換して参院選で勝利し、さとう記者の言う「日本の国民の利益を考えた新しい福祉国家」への道は開かれたと思う。コイズミ政権の打倒は、勝手にコイズミが総理大臣を辞めたので実現できなかったが、国民はコイズミの経済政策を継承した安倍晋三内閣を打倒したのである。

もう一つ、感慨を禁じえなかった記事が、「Munchener Brucke」「ネオリベからの開放未だ途上」 で、「ただ新自由主義支持は根強い。企業経営者がや都市部のエリートビジネスマン層は新自由主義を信奉するのは止むを得ないと考えてしまっては負けだ」として、今後まだまだ困難な戦いが続くと展望する記事だが、無論それはその通りだが、あのコイズミ自民党圧勝、民主党前原体制発足という絶望的な状況から、よくぞここまで盛り返してきたなあというのが正直な感想だ。

光の見えない戦いほど人心を暗くするものはないが、いまや光明ははっきり見えてきたと思う。


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月曜日の朝、毎日新聞の世論調査で、福田康夫内閣の支持率が前回調査比で11ポイントも下がって46%になったと知って、私は5か月前のことを思い出した。

統一地方選の中でももっとも注目された東京都知事選で石原慎太郎が圧勝し、これで右翼が勢いづいたか、安倍晋三内閣(当時)の支持率が一時上昇した。御用評論家たちは愁眉(しゅうび)を開き、安倍は図に乗ってイデオロギー的(極右的)な政策を重点的に推進しようとした。

ところが、民主党の長妻昭議員が追及していた「消えた年金」問題がクローズアップされるや、安倍内閣の支持率は急落し、5月28日(月)、毎日新聞は安倍内閣の支持率が前回調査比11ポイント減の32%に急落したと報じたのである。

その衝撃も覚めやらぬ同じ日の午前、松岡利勝農林水産大臣(当時)が自殺し、安倍内閣は取り返しのつかないダメージを蒙ったのだった。前日まで、支持率回復ムードに浮かれていた自民党は、冷水を浴びてあわてふためいた。しかし、参院選に至るまで、結局自民党の失地は回復できなかった。

今回の福田内閣の支持率低下にも、同じ匂いがする。内閣支持率急落の原因は、このところ政府・自民党の要人が示唆する消費税率の引き上げだろうと思う。

そして、今回は、松岡氏の自殺のような劇的な大事件こそないものの、新聞で連日報じられる、防衛・航空部門の専門商社「山田洋行」をめぐる疑惑が、大きな疑獄事件に発展しそうな予感を秘めている。

この件は、月刊 「FACTA」 が5か月前に報じていて、関係者の注目を集めており、記事はインターネットでも流れていた。当ブログは残念ながらノーマークだったが、必読の記事である。

防衛省震撼「山田洋行」の闇(上)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071019-00000000-fac-soci

防衛省震撼「山田洋行」の闇(中)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071019-00000001-fac-soci

防衛省震撼「山田洋行」の闇(下)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071019-00000002-fac-soci


次期CX機のエンジンの納入に関して、山田洋行と同社から分かれた「日本ミライズ」が訴訟状態に陥っているというだけでも興味をひかれるが、「山田洋行」を検索語にしてGoogle検索をかけてみると、安倍晋三や「安晋会」の疑惑を追っていたことで知られる山岡俊介氏の 「アクセス・ジャーナル」 が、今年4月に山田洋行と三井住友銀行前頭取・西川善文氏との「ただならぬ関係」を追及していた。
http://accessjournal.jp/modules/weblog/index.php?cat_id=85&user_id=0

当ブログ管理人は「アクセス・ジャーナル」の有料購読はしていないので、記事の詳細は紹介できないが、「FACTA」でも山田洋行と西川氏の関係について触れている。周知のように、西川氏は竹中平蔵と親しく、2006年に郵政民営化で発足した「日本郵政」の初代社長に就任した人物である。

この山田洋行をめぐる疑惑がどこまで追及されるかどうかはわからない。新聞は、守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問が行われる運びだと報じているが、山田洋行の元専務(前記「FACTA」によると防衛庁OBの宮崎元伸氏=現日本ミライズ)と守屋前事務次官の贈収賄だけに終わるか、名前が取りざたされる久間章生元防衛相にも累が及ぶか、はたまたその先まで行って大疑獄事件に発展するか、大いに注目される。

この件では、昨夜トラックバックいただいた 「thethe」 の記事も必読だ。たまたま、この件に関してネット検索していたら、同ブログの今年7月の記事に行き当たっていたので、それと合わせて紹介する。是非リンク先をご参照いただきたい。

「thethe」?「キューマ危機一髪」 (2007年7月9日)
http://mrta1975.cocolog-nifty.com/thethe/2007/07/post_0c90.html

「thethe」?「ゲッコー守屋の未来図」 (2007年10月23日)
http://mrta1975.cocolog-nifty.com/thethe/2007/10/post_9100.html


この件を知ると、今年7月に防衛相に就任した小池百合子が守屋武昌とチャンバラをやろうとした理由がよく分かる。小池は、守屋がスネに傷を持っていることを知っていて、守屋を相手に戦うことで人気取りをしようとしていたのだ。小池が早々と防衛相の座を去ったのは、国民にとって幸いだった。こんなやつに、将来の総理大臣への道を開かせてはならない。

いずれにせよ、消費税率引き上げ問題と、この山田洋行をめぐる疑惑は、今後福田内閣を揺るがし、支持率を下げる要因になるだろう。内閣が「死に体」になる前に、政府自民党が解散総選挙を模索する動きも出てくる可能性がある。



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昨日に続いての休日版で、今日は次の週末から行われる日本シリーズの出場チームが決まったプロ野球について取り上げる。

去年と同じ、北海道日本ハムファイターズと中日ドラゴンズの組み合わせに決まった日本シリーズだが、私は日本プロ野球で強いチームといえるのは、パ・リーグでは日本ハムとロッテ、セ・リーグでは中日と阪神だと思っているので、この4チームの中から日本シリーズに進出するチームが出たことは、まあ妥当な結果だったと思う。セ・リーグ優勝の巨人は、優勝自体が「棚からぼたもち」みたいな印象だったし、「クライマックス・シリーズ」と銘打たれた中日とのプレーオフで、第1戦で中日の先発投手を読み間違えるというベンチワークのミスで始まり、決着のついた第3戦でのランナーの走塁ミスで万事休すという醜態をさらし、果たしてこれで優勝チームの名に値するかどうか、はなはだ疑問に感じた。

ところで、プロ野球というと、どうしても3年前の球界再編騒動に触れないわけにはいかないのだが、本エントリでは、それよりはるかさかのぼる戦前から語り起こしたい。

日本に野球が輸入されたのは明治期で、いうまでもなくアメリカからの輸入である。野球は、北米および中米、それに日本、韓国、台湾など東アジアで盛んだが、ヨーロッパやアフリカでは全くの不人気である。

当初は学生野球が人気を博し、第1回の早慶戦は1903年、第1回の中等学校野球大会は1915年に始まった。後者は、のちの「夏の甲子園」の高校野球だが、1915年当時はまだ甲子園球場はなく、大会は豊中球場で行われた。甲子園球場は、甲子(きのえね)の年だった1924年8月1日に開設したため、この名がある。春の選抜中等学校野球大会は、同じ1924年が第1回だが、春にはまだ甲子園球場が完成しておらず、名古屋の八事(やごと)球場で開催された。1924年の夏の大会以後、高校野球は甲子園球場で行われることになる。但し、夏の記念大会で、同じ兵庫県西宮市にあった西宮球場を併用したことがあった。

大正末頃には早慶戦が大人気を博し、昭和に入ると「夏の甲子園」で明石中学と中京商業が延長25回の死闘を演じて話題になるなど、学生野球の人気は高まっていった。職業野球は1936年に発足したが、読売新聞の正力松太郎がそれに先立つ1934年にアメリカ大リーグチームを招聘し、巨人軍を設立した。これには面白い逸話があって、実は阪急グループの創業者・小林一三が職業野球発足を大阪毎日新聞に打診しており、それを知った正力が阪急・毎日新聞連合を出し抜くべく、阪急のライバルだった阪神電鉄に声をかけ、急いで職業野球を発足させたといわれている。だが職業野球は、発足当初は人気がなく、日陰者的な存在だった。

戦後、2リーグに分裂したいきさつにも、「新聞戦争」がからんでいる。戦犯容疑者として公職を追放された正力は、読売新聞から離れていたが、プロ野球界では依然として実権を握っており、プロ野球人気を拡大するため、かつて出し抜いた毎日新聞に声をかけ、球団数を増やすとともに、宣伝力を増そうとしたのである。ところが、正力の影響力が残るのを嫌った「反正力派」が実権を握っていた読売新聞が、ライバル・毎日新聞の加盟に反対し、同業者の中日新聞も読売に同調した。これに対し、大阪を発祥の地として、関西の私鉄に影響力を持つ毎日新聞は、阪急や南海、阪神などを味方につけた。こうして、毎日の加盟に対する賛成派と反対派の対立が激化し、結局賛成派がパ・リーグに、反対派がセ・リーグに分かれて、「2リーグ分裂」劇が起きた。この際、当初毎日の加入に賛成していた阪神が、読売に「毎日側につくと、『伝統の一戦』(巨人?阪神戦のこと)ができなくなるぞ」と言い含められて、毎日加入反対派に寝返り、これに怒った毎日が、新球団を発足させた際、阪神から選手を大量に引き抜いた。1リーグ時代には巨人と互角に張り合っていた阪神が、2リーグに分裂したあと、さっぱり優勝できなくなってしまったのは、この時の弱体化が一因になっている。

大阪のファンも、弱い阪神より、パ・リーグで西鉄ライオンズと常に優勝を争っていた南海ホークスを応援した。難波にある大阪球場が、南海?西鉄戦で盛り上がっていた時に、甲子園では閑古鳥が鳴いていたという時代もあった。

プロ野球が国民的人気を博するようになるのは、東京六大学野球のスター・長嶋茂雄が巨人に入団し、1959年の天覧試合で阪神の村山実から放ったホームランが国民に印象を与えた頃からである。この頃から、プロ野球は政治に絡めて論じられることが多くなった。岸信介が、安保反対のデモについて聞かれたとき、「これが国民のすべてではない。国民の『声なき声』に私は耳を傾ける。今日も後楽園球場は満員だったそうじゃないか」と語ったのは、あまりにも有名である。

当時から、巨人ファンは大勢順応的で、自民党支持層と重なるとよく言われた。しかし、実際には巨人が9年連続日本一になり、プロ野球ファンの大半が巨人ファンだった60年代後半から70年代前半は、日本の戦後政治史においてもっとも革新勢力への支持が高かった時期だった。1974年に中日ドラゴンズが巨人の10連覇を阻んで以来、プロ野球人気は他球団に分散し、70年代後半から90年代初頭にかけて、プロ野球人気はピークの時期を迎えたが、この間はどんどん自民党への支持が増えていった時期で、1980年と86年の二度の衆参同日選挙で、自民党はいずれも歴史的大勝を記録したのだった。

ついでに言うと、ひところ、「巨人が優勝すると景気がよくなる」という俗説がまかり通り、日本経済新聞にまでそう書かれたことがあったが、実際には1973年に巨人が9連覇を達成すると日本経済は石油ショックとスタグフレーション(不況下の物価高)に見舞われ、1990年に巨人が2連覇するとバブル経済が崩壊し、2000年に巨人が「ONシリーズ」を制すると、ITバブルが崩壊した。現在では、「巨人が優勝すると景気が悪化する」と言われるようになっている(笑)。

ところで、2リーグ分裂後も、プロ野球の歴史にはいくつかの転換点があった。1つは1965年のドラフト制度導入であり、これは自由競争時代の契約金の高騰に歯止めをかけるともに、各球団の戦力の均衡化を狙った、国の経済政策にたとえるなら「福祉国家」的施策だった。皮肉にも巨人の9連覇はこの年から始まったのであるが、これは、自由競争時代に獲得した王や長嶋らの活躍によるものである。制度改革の効果が現れたのは、長嶋が現役を引退した1974年に中日が巨人の10連覇を阻んだ頃からであり、75年に広島カープ、78年にヤクルトスワローズ、79年にパの近鉄バファローズと、次々と初優勝を記録するチームが現れ、プロ野球はひとり巨人にとどまらない広がりを持つようになって、人気が大きく拡大した。日本シリーズのテレビ中継の歴史で、もっとも視聴率が高かったのは、1978年のヤクルト対阪急の第7戦、ヤクルト・大杉の放った左翼線への大飛球が、ホームランかファウルかをめぐって、判定に納得しない阪急・上田監督の抗議によって1時間以上も中断した試合だった。

こうした事態を快く思わなかったのが、巨人の親会社・読売新聞だった。1992年、巨人のオーナーに渡邉恒雄・読売新聞社長(ナベツネ)が就任すると、ナベツネは巨人の監督に長嶋茂雄を復帰させるとともに、直ちに制度改革に着手し、プロ野球機構は、ドラフトの逆指名制度とフリーエージェント(FA)制度を同時に導入した。これが「新自由主義」に対応する制度改変だったことはいうまでもない。

このカイカクも、効果が現れるまでには時間がかかった。FA宣言の第1号は、巨人に在籍していた駒田徳広(横浜に移籍)だったし、巨人は、94年の中日との最終戦決戦を制し、96年には「メークドラマ」を達成したものの、ぱっとしないシーズンの方が多く、91年から99年までの間で優勝したのは、前記の2回だけだった。しかし2000年、巨人がFAや逆指名でかき集めた戦力が威力を発揮し、ぶっちぎりでペナントレースと日本シリーズを制した。ついに、ナベツネと長嶋が理想とした、新自由主義的な野球が開花した。

しかし、これはプロ野球のあり方を大きく歪めるものだった。パ・リーグには、本物の新自由主義者であるオリックスの宮内義彦がいて、ナベツネとは最初は敵対関係にあったのだが、一転してナベツネと手を握り、西武の堤義明ともつるんで、プロ野球の1リーグ化再編をたくらみ、その際、「負け組」の球団を切り捨てようとした。オリックスや西武自身も不人気球団だったが、巨人と同一リーグに入ることで生き延びようとしたのだ。これが、2004年のプロ野球再編劇である。堀江貴文(元ライブドア)や三木谷浩史(楽天)ら新自由主義のプレーヤーが登場し、ニュースをにぎわせたが、再編劇自体は、古田敦也率いるプロ野球労組の奮闘もあって、ナベツネや宮内らのもくろんだ1リーグ化は阻止された。

だからといって、プロ野球の新自由主義化の弊害まで一掃されたわけではない。この弊害は、特にセ・リーグで顕著で、巨人・阪神・中日の金持ち3球団と、横浜・ヤクルト・広島の貧乏3球団にはっきり分かれてしまった。阪神の金本、シーツはもとは広島の選手だったし、中日のウッズ、谷繁はもと横浜の選手だった。今年の巨人の5年ぶりのリーグ優勝は、日本ハムからFAで移籍した小笠原の活躍なしにはあり得なかった。

セ・リーグと比較すると、パ・リーグは様相がずいぶん違う。ナベツネと球界再編を共謀したオリックスと西武はいずれも人気・実力とも凋落した。北海道と福岡のチームがリーグを牽引し、FAや逆指名になど頼らずにチームを強化した千葉ロッテがこれに絡む。楽天も、名伯楽・野村克也がチーム作りの手腕を発揮して、球団創設3年目にして最下位を脱出、4位に浮上した。現在、パ・リーグの魅力は、明らかにセ・リーグをしのいでいる。

新自由主義的再編成を狙った首謀者がいるパ・リーグがまともな発展を遂げようとしているのに対し、再編成に強く反対した古田が頑張っていたヤクルトが属するセ・リーグに新自由主義的制度改変の弊害がより強く現れているのは、なんとも皮肉な話である。そして、プロ野球全体を見た時、その人気が急速に減退しているのは、テレビの地上波からプロ野球中継の番組が急速に姿を消していることからも明らかだろう。新自由主義社会の未来像を見る思いがする。

以上で、極私的プロ野球史の概観はおしまい。あとは、日本ハム対中日の日本シリーズに注目したい。



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週末なので趣向を変えて、最近見たDVDをご紹介したい。

昨日のエントリで、ベートーベンの「第9」に言及したが、私が子供だった1970年代前半は、まだまだ社会主義や共産主義の神話が生きていた頃だった。家でとっていた新聞は朝日新聞、のち毎日新聞だったが、文革下の中国で、ベートーベンの第9交響曲の「歓喜の歌」が、ブルジョワ芸術として否定されているという記事が、毎日新聞に無批判に出ていて、子供心に疑問を感じたものだ。

その頃から、人間の内心の自由に平気で踏み込んでくる共産主義というものに対し、同様の傾向を持つファシズムに対すると同様、不信感を持ち始めていた。私は子供の頃から極右と極左が嫌いだった。ついでに言うなら、もう日本共産党はマルクス主義政党ではないのだから、党名を変更すべきだと思う。

中学にあがった年、私はクラシック音楽に興味を持つようになったが、買い与えられた学習百科事典を読むと、ソ連で行われていた「社会主義リアリズム」の音楽を褒め称える記述があった。

「社会主義リアリズム」とういうのは、歴史に残る共産主義ソ連の愚行である。芸術は、大衆にわかりやすいものでなければならないという屁理屈を振りかざして、実験的かつ難解な現代音楽や現代美術を否定したのである。ナチス・ドイツは抽象画や前衛音楽、ユダヤ人作曲家の作品などを「退廃芸術」などとして禁じ、戦時の日本でも戦意高揚の美術や音楽が奨励されたが、これと瓜二つである。しかし、まだ左翼の言論が力を持っていた当時は、そんな「社会主義リアリズム」が学習百科事典に肯定的に記述されていた。NHK-FMのクラシック音楽番組に出演していた音楽学者や評論家も、どういうわけかずいぶん東欧びいきの人が多かった。ついでに言うと、「わかりやすさ」を価値あるものとする考え方は、私には受け入れられない。それは、わかりにくい部分や差異の切り捨てにつながり、全体主義への道に通じると考えるからである。

さて、今年(2007年)、生誕75年と没後25年を同時に迎えたカナダのピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)が、今から50年前の1957年、25歳の時にソ連を訪問して演奏会や講演会を開いて、当時ソ連で事実上禁止されていたバッハや「新ウィーン楽派」と呼ばれる20世紀の前衛的な音楽を紹介して、一大センセーションを巻き起こした。当時、バッハは宗教音楽と関係があるとされて、宗教は唯物史観と相容れないため、難解な20世紀の音楽ともどもソ連ではご法度だったのだ(新ウィーン楽派の開祖・シェーンベルクはユダヤ人だったので、当然ナチス・ドイツでも禁止されていた)。

グールドは、そうした「反ソビエト的」な音楽をソ連に紹介し、聴衆に大きな衝撃を与えた。当時を知る音楽家らの証言や当時のフィルムをもとに、数年前、「グレン・グールド/ロシアの旅」というドキュメンタリー映画が作られた。私は最近、DVDでこれを見たのだが、映像に引き込まれ、映像作品ではまれなことだが、繰り返して三度も見てしまった。

グレン・グールド/ロシアの旅 グレン・グールド/ロシアの旅
ウォルター・ホンバーガー、ヴラディーミル・アシュケナージ 他 (2005/10/26)
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オール・バッハのプログラムで、退屈に違いないという先入観から、演奏会の前半は客席はガラガラだったのに、グールドの生き生きとした素晴らしい演奏に驚いた聴衆は、休憩時間に友人、知人を呼び集め、演奏会が終わったときには客席には立錐の余地もなく、聴衆の拍手が鳴り止まなかった。演奏会には大ピアニストのウラディーミル・アシュケナージや、先日惜しくも亡くなった大チェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチらもいて、映画には彼らの証言も収録されている。アシュケナージは、「グールドは私のアイドルだ。彼と張り合おうとは思わない」と述べている。

印象的だったのは、その場に居合わせた音楽家の一人が「グールドは、音楽界のベルリンの壁を早くも崩したのだ」と述べていたことだ。ベルリンの壁が崩れたのは1989年だから、それに先立つこと実に32年。芸術は、常に現実を先取りする。ロシアの文豪・ドストエフスキーの文学は、今なお現代社会に対して鋭い問題提起となる内容を含んでいると思う。

それにしてもいただけないのは、人間の内心の自由に介入する政治体制である。映画では、グールドが製作した、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチらソ連の音楽を紹介しながら、フルシチョフ体制下のソ連政治を批判するテレビ番組(1960年代前半)の映像も紹介されているが、「社会主義リアリズム」なる珍妙な芸術運動は、その後衰えたものの、結局ゴルバチョフ時代にソ連がその歴史を閉じた1991年まで続いた。

なにしろソ連では、スターリン時代にはメンデルの遺伝学が「ブルジョワ的」と批判され、「環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝する」などというルイセンコの学説が正統とされた時代もあった。現在ではルイセンコ説を支持する人など誰もいないが、自然科学さえイデオロギーでねじ曲げるトンデモが、共産党独裁下のソ連では平気で行われていたのである。

だが、これを笑ってばかりもいられない。先般崩壊した、安倍晋三内閣の目指したイデオロギー政治も、ソ連共産党と似たり寄ったりだったと私は考えている。安倍の目指した「戦後レジームからの脱却」も、戦後民主主義の時代になって認められた内心の自由を、政府が制限しようとする方向性を持つものだった。

安倍を代表格とする極右政治家やその支持者には、カルト的な性格があった。たとえば、ありもしない「アインシュタインの予言」なるトンデモが喧伝(けんでん)され、「きち@石根」や先日スキャンダラスな話題を提供した「毒吐き@てっく」などの右翼ブログがこれを宣伝し、極右政治家である平沼赳夫(サッチャーの教育改革に心酔している安倍晋三の盟友)までもがこれを信じた。「アインシュタインの予言」の真相に関しては、「萬晩報」に掲載された中澤英雄・東京大学教授(ドイツ文学)による下記記事が詳しい。

アルベルト・アインシュタインと日本
http://www.yorozubp.com/0502/050228.htm

アインシュタインと日本 Part 2
http://www.yorozubp.com/0506/050626.htm

(アイン)シュタインと日本 Part 3
http://www.yorozubp.com/0511/051109.htm


こんなのにコロっとダマされる政治家が、日本の政治に国家主義を持ち込み、国民の内心の自由に介入しようとしていたのである。平沼は、コイズミ政権下の「郵政解散・総選挙」で郵政民営化法案に反対して刺客を送られ、現在は自民党を離れているが、安倍晋三は平沼の復権に熱心だった。安倍がヘタを打って自滅しなければ、平沼は復権し、安倍とともに教育カイカクを推進して、日本をナチスドイツかスターリンのソ連のような国にしてしまったに違いない。

せっかくグレン・グールドの芸術の話でいつになく高級に始めたのに、最後はよくやるパターンの極右政治家への罵倒になってしまったが、人間の内心の自由は最大限に保障されねばならず、それを侵す者は、ナチスだろうが共産党の独裁だろうが安倍晋三だろうが、断じて許すわけにはいかないのである。


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安倍晋三内閣が倒れてから、不活性になったブログが多い。危険極まりない「ネオコン・ネオリベ」の安倍内閣が倒れて安堵した方、目標を見失った方、忙しくなってブログを更新する暇がなくなった方など、理由は千差万別だろう。

安倍内閣が倒れた今、ブログの方向性をどうするかということを日々考えているのであるが、当ブログとしては新自由主義の打倒を最大の目標としたい。ブログ管理人は護憲派であるが、硬直した教条的左翼のような、護憲が自己目的化しているようにしか見えない言論には、どうしてもなじめない。私は単に現在の改憲派が目指している改憲の方向性より、日本国憲法が目指している方向性のほうがずっとすぐれているから、当面現在の日本国憲法を守るべきだ、と考えているに過ぎない。そして、近い将来、憲法改悪が行われる危険は遠のいたと思う。

もちろん、民主党は護憲を掲げた政党ではなく、党内には改憲派と護憲派がいて、参院選前のアンケートでは護憲派の方が多かったが、いつ寝返るかわからないというのは、十分承知している。だが、私がやりたいのは、イデオロギー的な「護憲」を叫ぶことではない。それは、安倍晋三がイデオロギー的な「改憲」路線をまっしぐらに突き進んでいった姿の鏡像に過ぎないように思える。

そうではない。私がやりたいのは、サッチャー、レーガン、中曽根康弘らが始めた新自由主義・新保守主義が人間を不幸にするものであることを示し、そうではない方向性を指し示すことだ。だから、最近、来し方行く末というのを毎日ずっと考え続けている。考えすぎて憂鬱な気分にとらわれてしまうこともしばしばである。

とにかく、ネオコンとネオリベは一体である。コイズミ内閣時代、その「構造カイカク」路線は社会を荒廃させた。内閣に対するカウンターの言論としては、イラクに自衛隊を派遣するなど憲法9条を踏みにじったことへの批判ももちろんだが、何より「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と謳う憲法25条を踏みにじるコイズミの政策が批判された。安倍内閣では、もっぱら9条改憲を目指し、生活問題をほったらかしにした政治姿勢が叩かれ、そのイデオロギー政治が民意とかけ離れてしまって崩壊した。だから現在の福田内閣に対しては、再びその経済政策への批判をカウンター言論の中心的なテーマに据えるべきだと考える。

実際問題、実生活で90年代以来ずっと新自由主義的な方向性と、それが生身の人間に与える影響をずっと見てきた私としては、それを無視して「憲法9条」のことしか語らない人たちは、極楽トンボにしか見えない。ベートーベンの交響曲第9番(「第9」)の最終楽章、「歓喜の歌」が始まる前の部分で、ベートーベンがそれに先立つ3つの楽章に対し、バリトン独唱が「おお友よ、この調べではない」と否定する箇所があるが、私が護憲原理主義の言論に対して、まさしく同じことを感じる。違う。「9条護憲原理主義」では「歓喜の歌」は歌えない。

ベートーベンは自らの3つの楽章を否定したわけだが、私が否定したい言論の方向性は他にもいくつかあって、その一つは「旧来自民党の政策への回帰」だ。私の子供時代、1970年代の日本は高度成長期で、今のように「格差問題」が叫ばれることはなかったが、重化学工業の発展に伴って、ひどい公害問題が生じていた。いくらなんでも、いまさら田中角栄の政策に戻るわけにはいかない。

田中角栄で思い出したのだが、ロッキード事件での田中角栄逮捕がアメリカの陰謀であるという説が、まことしやかに「AbEnd」や「自End」にトラックバックされるブログなどを通じて流されているが、私はこれも眉唾ものだと思う。ロッキード事件に関しては、かつてそのような「陰謀論」を右派論客である渡部昇一や小室直樹が唱えて田原総一朗もその尻馬に乗り、それに対して立花隆が渡部昇一を徹底的に批判したことがあった。かつては田中角栄は右翼論客に擁護される存在であったのが、今は左翼系の陰謀論者に擁護される存在になっているようだが、それはともかく、ブログ言論に陰謀論を取り込んではダメだ。今はやりの、「年次改革要望書のプログラムに沿って日本政府がアメリカの意図通りに政策を進めている」、という論も、最初に関岡英之が提示した仮説としては議論の対象になるものだったが、いまやそれが原理主義化しているように思える。これに対してもまた、「この調べではない」と言いたい。

ところで、新自由主義ととことん相性が悪いのが製造業だと思う。イギリスでもアメリカでも、80年代以降の新自由主義政策の推進によって、製造業は没落した。イギリスでは、労働生産性は向上したが、苛烈なリストラによって生産高は「サッチャーカイカク」以前と比較して、伸びが大きく落ち込んだ。

同じことが、90年代以降の日本でも生じたと思う。バブル経済の崩壊機に、多くのメーカーで新自由主義的な施策が実施された。「成果主義」が導入され、すさまじいリストラが行われ、新卒の学生には就職口がなく、せっかく大学院の修士課程まで修了したのに、希望に沿う会社に就職できなかったために、人材派遣会社に登録して、希望の職が見つかるまでの間、派遣先で働くという若者が増えた。その一方で、「成果主義」を導入した大手メーカーが、2年連続で赤字を計上した時、社長が責任を取るどころか、責任を社員に転嫁する発言をしたこともあった。その社長は、現在も代表権を有する会長職にある。

これが、90年代半ばごろから今世紀初めにかけての日本の製造業の姿であり、新自由主義のしわ寄せはまず製造業にきたといっても良いかと思う。企業の拝金主義は、製品の品質を落とすことにもつながる。かつてと比較して、電気製品の寿命が短くなったと感じておられる方も多いだろう。

さらに、中曽根内閣時代に特に強められた「ゆとり教育」の弊害もある。「非才は勉強しなくて十分、エリートが非才を引っ張っていけばよい」という、三浦朱門らの愚かな思想に毒された政策が施行され、生徒や学生の学力は落ち、理系の進学者が激減した。今後、国際的な競争の中で、日本の製造業が生き残っていくためには、製品の高付加価値化が求められる、などというのは当たり前のことだが、それを担う若者を育てるどころか、その逆の政策を新自由主義者たちは行ってきたのだ。日本は、衰えたとはいえ今なお「技術立国」であると私は考えているが、新自由主義政策が続く限り、早晩その看板を下ろさなければならなくなるだろう。

こんなバカバカしい政策は、一刻も早く是正され、新自由主義の呪縛から脱した社会を作らなければならない。そのためには、「コイズミカイカク」の呪縛から絶対に脱することのできない自民党政権を打倒することだ。「自End」を達成することだ。いつしか「歓喜の歌」を歌える日を迎えるために。



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ブログにいただいたコメントやトラックバックを紹介する。
現在、当ブログのコメントおよびトラックバックは承認制にしているが、かつて承認なしにしていた頃は、面白いコメントツリーがしばしば生じた。現在は、スパムや荒らしに時々遭遇するので、止むを得ず承認制にしている。

まず、植草裁判について。判決が出る前と出たあとのそれぞれ、三介さんからコメントをいただいた。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-473.html#comment2164

kojitakenさん、お久しぶりです。
神州の泉さんところで気付いたんですけど、
植草さんの事件「明日16日は裁判官の公正性を厳格に注視する!」
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2007/10/16_b33a.html#comment-15930178ですね。

従米の生贄とされ続けるか? 注目です。

耐震偽装も新たな物件が出てきたようで、

埼玉の建築士が構造計算書偽装=横浜市のマンション?50件調査へ・国交省
10月15日17時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071015-00000074-jij-soci
「藤建事務所」「横浜市の聞き取り調査に偽装を認め」「少なくとも全国約50件の建物に関与」

国会周辺では、守屋前次官のみならず、小泉氏の喚問なんて話もちらほら。
新[旧も多かったけど]自由主義というなの対米過剰重視[タダの妄信]路線、
本間に、ポテチンできるのか?
亀田一家の話より、興味深いはずなんですけどね・・。

ではでは。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-476.html#comment2169

こんばんは。昨日『政治判決』があったので、
あらためて読んでみました。植草氏の主張↓。

2006.07.21
第11回「失われた5年?小泉政権・負の総決算(5)」
http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/07/11_4e5b_1.html
『リソナの3年繰り延べ』を巡る話。
「『粉飾』の元祖がここにあったと言っても過言ではない」
「外交は「対米隷属」に終始・・世界一の強国米国に隷属しておけば安心との、自国の尊厳も独立も重視しない姿勢」批判。
「出演していたテレビ局にさまざまな圧力」
の末に、今回の冤罪事件と不当判決がある?

残念ながら、対米隷従路線を守る力は強力だと思われる。私は、前首相安倍晋三の退陣が、安倍が新自由主義路線から離れようとしたことに対してアメリカが不快感を持ったから、アメリカの工作によってスキャンダルが暴かれ、支持率が低下したのだ、などという笑止千万の陰謀論には全く与しないが(従軍慰安婦についての発言などに見られる安倍の国粋主義的発言がアメリカに不快感を与えたのは確かだと思うが)、テレビ局は、自発的に従米路線をとっているのだと考えている。今回の植草裁判についてのテレビニュースは、見る気にもならなかったので一切見ていないが、想像通りの報道がなされたようだ。

議論を呼んでいる小沢一郎の自衛隊のISAF参加論だが、トラックバックいただいた下記記事の問題意識に共感した。

AmlethMachina'sHeadoverheels より
「道具に思想も自由意志も認めちゃいけない」
http://amleth.blog119.fc2.com/blog-entry-44.html

コメント欄も含めて必読なので、是非リンク先をご参照いただきたいと思う。

なお、この件に関しては、なんといっても「編集者が見た日本と世界」の評論が秀逸だと思う。
http://matutake-n.blogspot.com/2007/10/1.html
(以下全部で9つのエントリがあります)

ブログの管理人・松竹伸幸氏は、もと共産党に籍を置いていた方のようだが、ブログの文章を見る限り、現在でも共産党とは良好な関係を保っておられるように見受けられる。しかし、その主張は凡百の左翼の群を抜いた興味深いもので、非常に高い知性が感じられる。何より、あるいは著者は関係を否定されるかもしれないが、今後の日本共産党の動向に大いに注目したくなる。これは、この問題に関心を持つ方なら必ず目を通しておくべき論考だと思う。


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昨日の「四国新聞」に田勢康弘のコラム「愛しき日本」が掲載されていた。"衆参ねじれ 民主党も「寸前暗黒」" というタイトルで、四国新聞のサイトで読める。
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tase_column/20071016.htm

この田勢は、早稲田大学大学院教授、日本経済新聞客員コラムニストで、テレビの報道番組の売れっ子コメンテーターでもあるが、なぜか「四国新聞」という香川県の地方紙にコラムを月1回ないし2回掲載している。「四国新聞」は、正直言って情報量が豊富な地方紙とはいえないが(失礼)、田勢のコラムは売り物の一つだと思う。

しかし困ったことに、この田勢という男は新自由主義者である。私は、小渕政権時代からコイズミ政権初期の頃にかけて、日本経済新聞を購読していたことがあるが、その頃日経の記者だった田勢のコラムを読んで共感したことはほとんどなかった。田勢が新自由主義政策を支持していたからだ。

しかし、そんな新自由主義者である田勢にとっても、前首相安倍晋三のイデオロギー政治は、おそらく経済の効率化の妨げになるからだろう、大いに批判的だった。当ブログでも「四国新聞」に載った田勢のコラムを何度か紹介したことがある。詳細については、当ブログの過去ログより、四国新聞のサイトを直接当たられた方が良いと思うので、当ブログの該当記事へのリンクは張らない。

さて、リンクを張った記事で、田勢は、
 「自民党とどこが違うのか」と問われると、民主党の議員は下を向いたり、もごもごと言い訳する人が多かった。野党ゆえに自民党とはっきりと政策や路線が違わなければならない、と有権者ばかりか、民主党の人たちでさえ、そう思っているようだ。私は民主党の人たちに機会あるごとにこういっている。「優先順位が違うが、大筋ではかなり同じ部分が多い」と堂々と言い放ったらどうか、と。

 金魚鉢の水はときどき取り替えないと水が腐って金魚は死んでしまう。政治もときどき政権を替えないと必ず腐敗する。われわれは基本政策では自民党とそれほど違わないので、政権を担っても混乱はおきません。だから、どうぞ、一度政権を与えてみて下さい、そういうべきだと考えている。
と書いている。

しかし、私の意見は違う。民主党は、明らかに小沢一郎が代表に就任して以来、それまでの新自由主義路線から社会民主主義寄り路線に転換した。それが、参院選での民主党の大勝につながった。参院選当時は、山口二郎が言うように、「安倍の進める新自由主義」対「小沢の掲げる社会民主主義」(「論座」11月号より)という対立軸で戦われたと思う。そして、「安倍の進める新自由主義」が敗れたのだ。

現在起きているのは、福田康夫政権が新自由主義路線に修正をかけ、民主党の政策にすり寄ってきていることだ。新自由主義路線が特に「格差」問題による社会・経済の不活性化によって行き詰まっている以上、当然だろう。こうして、再び自民党と民主党の政策が近づいてきているのではないかと思う。しかし、自民党は党を選挙で圧勝させたコイズミの呪縛から逃れることはできない。コイズミは、もともとは政治史思想面でも経済思想面でもまったくの無思想で、究極のポピュリストだと私は考えているが、背後霊のようにコイズミに取り付いている竹中平蔵(こいつこそ諸悪の根源である)の思想を無批判に受け入れているため、究極の新自由主義者になっている。だから、自民党が新自由主義政策に修正をかけたって、そこにはおのずと限界があるのだ。

一方、民主党内にも、よく言われる松下政経塾出身者を中心に、自民党以上に過激な新自由主義者たちがいて、現在は小沢一郎が、やはり参院選における実績をバックに、力ずくで彼らを押さえ込んでいる状態だ。不思議なことに、民主党内の新自由主義者は揃って親米で、インド洋上の自衛隊の給油活動にも理解を示す人たちである。自民党に行けばよいと思うのだが、腐った自民党では、安倍晋三、福田康夫や麻生太郎のような世襲議員しか出世できないらしいから民主党にとどまっているのだ、という説がある。それなら、「真に実力で勝負する新自由主義政党」でも立ち上げればよさそうなものだ。そして、「非世襲」と「世襲」を対立軸に自民党と競い合えば、恰好の見ものになるだろう。

無駄口の度が過ぎたかもしれない。いずれにしても、自民党の「脱新自由主義」に限界がある以上、野党はそこを最大の争点にして攻めるべきだと思う。その際、田原総一朗ら新自由主義の走狗が「バラマキ」攻撃を強めてくるだろうが、その時にはアメリカに協力するためのバラマキをやめろ、と反論すればよい。基地建設だってそうだし、現在争点になっている「給油活動」はその象徴的な例だ。「給油活動よりISAFを」という小沢一郎の主張を、憲法問題だけを論じて非難するのではなく、対米隷属か国連重視かの観点を常に忘れず、アメリカに媚びを売るために無駄な金を使う自民党政府の「バラマキ」をやめさせなければならない。

新自由主義者の田勢は、おそらく以上に指摘したような対立軸を意識的にぼかして、民主党に再び新自由主義色を強めさせたいのだろうと、意地の悪い読み方をした次第である。


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最初に、もと「AbEnd」仲間だったブログ間で持ち上がっているトラブルの件だが、当ブログ管理人の名前も出ているのでちょっとだけ書いておくと、片側の当事者の書いている、「事情を知っていて、間に入った」人間というのは、当ブログ管理人のことである。当時は調停をしようとしながら、今回は一方的な立場をとったのは、昨年のことを思い出していやな気持ちになったからだ。1年近くも前のトラブルが今になって表面化してしまったのは、当ブログの不用意な表現が導火線になったせいだが、個人的な希望からいうと、昨年のトラブルを思い出させるようなTBPのテーマは立ち上がってほしくなかった。もちろんこれは個人的な思いに過ぎず、誰にも強制できるものではない。テーマを絞って論議が深まるようなひと工夫があればよかったと思うのだが、現状を支持する意見が多数であれば、もちろんそれはそれでかまわない。ただ、自民党なり自公政権を相手にするには、対「安倍晋三」と同じやり方は通用しない。相手は狡猾であり、スローガンを連呼しているだけではダメで、知恵を絞らなければ勝てないと思う。

さて、本題に移る。まずはみのもんたの話から入る。

みのもんたというと、安倍晋三や石原慎太郎をひたすら持ち上げたことで有名な電波芸者、いやテレビ司会者で、リベラルや左派系ブロガーの標的だった。当ブログでも、「くたばれ! みのもんた!!」 という記事を公開し、公開当時はかなりのアクセスを集めた記事だった。

そのみのが、最近、沖縄戦教科書記述問題で、沖縄県民の心情に理解を示し、検定を批判してネットウヨの標的になっているという。「Munchener Brucke」がこの件をとりあげている。

「みのもんたがネットウヨの攻撃に晒されている」
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20071014

安倍晋三に心酔しているみのもんたが、一方で毎年8月15日を沖縄で過ごし、沖縄戦の集団自決に軍の関与はなかったとする「つくる会」の歴史修正主義に激怒するのは、確かに奇異な感じがするが、私も、みのがそのような主張をするのを見たことがある。この件だけ切り取ってみると、みのの主張は妥当だと思うが、これは、さんざんみのが持ち上げていた安倍晋三やその取り巻きの主張とは相容れないはずだ。

私は、安倍政権から福田政権に変わって、同時に世論の風向きも変わったので、風見鶏のみのがまた転向したのだろう、くらいに考えているが、保守が煽情的なものの言い方をするようになったという「Munchener Brucke」の指摘は当たっていると思う。

以前、当ブログは "反ポピュリズム宣言" (1月29日)という記事で、「小泉内閣の登場によって、従来はどちらかというと反政権側の属性であった「ポピュリズム」は、権力者が大衆の懐柔に用いる手段となった」と指摘した。自民党政権が顕著に大衆に迎合するようになったのは、コイズミ政権の時からだろう。

コイズミ政権のごく初期に、ハンセン病の国家賠償請求訴訟で国が敗訴した時、控訴を断念したことがあった。この時から私はコイズミの本質がポピュリストであると考えていたから、「コイズミならきっと控訴を断念する」と予想していたら、その通りになった。

この判断自体は妥当であり、批判されるべきものではないが、これは、いかにもコイズミが「国民の側に立つ政治家」であるかのような錯覚を与えるのに非常に効果的だった。そんなコイズミが実際に行ったのは、弱肉強食の冷酷な新自由主義経済政策だった。「痛みに耐えて」土俵に上がって優勝し、コイズミに「感動」してもらった代償に、貴乃花が土俵生命を失っても、コイズミ政権が何の補償もしないのは当然のことだ。国民が痛みに耐えた結果、でき上がったのはとんでもない「格差社会」だった。コイズミは、一つの善行と引きかえに、際限のないほど多くの悪行を行ったのだ。

おっと、また話がそれそうになった。今日のテーマは「新自由主義批判」ではなく「ポピュリズム批判」だ。自民党の政治家たちがポピュリズムに走るようになってから、彼らの言動がずいぶん下品になった。その最たるものが、「郵政選挙」における「刺客作戦」であり、あれは大衆の劣情を刺激するもの以外のなにものでもなかったと思う。

最近、テレビの政治番組で自民党の中谷元・元防衛庁長官が「給油に反対するのはテロリストくらいのもの」と発言したが、これは「郵政民営化法案に反対する者は抵抗勢力」というのと同じ、決めつけの論法だ。前首相・安倍晋三は、週刊誌に「媚朝外交」を批判されると、「くれぐれも 北の走狗などと揶揄されぬように」などと反論した(2006年11月7日付エントリ "安倍晋三が講談社に「取材拒否」")。塩崎前内閣官房長官は、参院選の選挙戦終盤に、「自民党が敗北すると改革が止まり、それで一番喜ぶのは民主党、二番目は北朝鮮だ」と発言した。

すべてがこの調子である。国民を馬鹿にし切っている。彼らの論法の特徴は、下記の三つだ。

まず、ありもしない幻想を振りまく。「郵政民営化さえ実現すれば、カイカクがどんどん進んで、いい世の中になる」といわんばかりのコイズミのスローガン「カイカクを止めるな」がその例だ。

次に、仮想敵を作る。それは、北朝鮮だったり朝日新聞だったり民主党・社民党だったり「抵抗勢力」だったりする。そして、被害者を装う。安倍晋三は、NHKや朝日新聞の捏造報道の被害者であるかのように訴えたが、実際には安倍の方が嘘をついていたことを魚住昭さんが示した(昨年11月12日付エントリ "安倍晋三は「平気で嘘をつくウルウルタイプ" 参照)。

最後にやるのが反対勢力に対する「排除の論理」だ。ただ、これはコイズミが「抵抗勢力」を攻撃した頃には効果があったが、民主党を北朝鮮やテロリストの味方呼ばわりしても、自民党の下品さだけがクローズアップされて逆効果なのではないかと思う。国民はそこまで馬鹿ではないはずだ。

ただ、給油継続の問題については、右派メディアを味方につけての自民党の世論操作が功を奏したかに見え、いまや世論も給油賛成派の方が反対派を上回っている。

こういう時こそ、自民党のよこしまな意図や、その論理のイカサマ性を突くブログの主張が求められるのだ。この状況にあって、どうして、「小沢主義」支持をかつて明言したブログが、スローガンの連呼や過去のブログ間トラブルを今ごろ公表する記事ばかりを書いていられるのだろうか。「広島瀬戸内新聞ニュース」などには、ともに憲法違反の疑いがあるとして一緒くたにされがちな、自民党の主張する「給油継続」と小沢一郎の主張する「自衛隊のISAF参加」の質的な違いを指摘した当ブログの記事を何度も紹介していただいているが、残念ながらブログ界においてはそれは少数派だ。なぜ小沢の意見に必ずしも賛成でない当ブログが小沢の立場を説明しなければならないのかと思ってしまう。

実は、よく見られる教条的な左翼の言論とは違って、日本共産党はもっと現実的な戦略を持っているように思われるのだが、それについては明日か明後日以降の記事で述べたいと思う。現時点では、まだ当ブログは準備不足である。


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10月3日のエントリ "コメント特集 ? 新自由主義批判" で、「空き瓶」さんからいただいたコメントをご紹介したが、その中に、
kojitakenさんの言うとおり、新自由主義の責任は中曽根に遡らなければなりません。
そこへの言及を行わないものは、小泉クラスの八百長詐欺師といえる。
という言葉があったことがずっと気になっていた。

というのは、上記エントリでも書いたが、私は、日本において新自由主義政策を最初にとった首相が中曽根康弘であることなど、多くの方にとっては常識だと思っていたのだが、どうやらそうでもなさそうだからだ。

そもそも、新自由主義の開祖は1979年にイギリスの首相になったマーガレット・サッチャーである。そして、1980年の米大統領選挙で勝利したロナルド・レーガンがそれに続いた。それからさらに遅れること2年、1982年に日本の首相に就任した中曽根康弘がサッチャリズム(サッチャー主義)やレーガノミクス(レーガン経済学)に追随した政策を始めた。

私はサッチャーの首相就任時、政治経済に旺盛な興味を持つ高校生だったが、当時からサッチャーの政治が「英国病」といわれて斜陽をかこっていたイギリス経済を立て直したとされる一方、弱者に苛烈な政策によって英国社会の貧富の差を拡大したことは十分認識していた。だから、中曽根が首相になった時、いやなやつが総理大臣になったなあ、これからの日本はどうなるのだろうと心配したものだ。現在、コイズミが極限にまで格差を拡大する政策をとったせいで、コイズミやその後継者だった安倍晋三ばかりが叩かれているが、確かに日本における新自由主義政策を語るには、中曽根康弘にまで遡らなければならない。

また、サッチャーは本当に英国経済を立て直したのだろうか、などという疑問を持っていろいろネットで調べていくうち、神野直彦著 『人間回復の経済学』 (岩波新書、2002年)という本に行き当たったので、これを買い求めた。なお、「神野直彦」を検索語にしてGoogle検索をかけたら、25番目に当ブログの記事が引っかかったので、これには驚いた。どこかで聞いたことがある名前だなあと思いつつも、神野氏の名前を失念していたからだ。

検索で引っかかった記事は下記である。

"首相就任前から「ポスト」を取り沙汰されていた安倍晋三" (2月12日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-252.html

当ブログの悪い癖で、だらだらと長い取りとめのない記事だが、最後の方で、神野教授(東京大大学院)が毎日新聞と協力して、コイズミ政権下の2002年以降、格差の度合いを示す「ジニ係数」が急上昇していったことを示し、それが同紙に掲載されたことを紹介している。

神野直彦氏は、金子勝氏との共著の多いリベラル系の経済学者なのである。

『人間回復の経済学』は、ケインズ的福祉国家が、社会の成熟化や経済のグローバル化にあって行き詰まった状況を説明しながら、これを打開するために新自由主義政策をとったことは誤りであると批判している。神野教授は、あるべき姿をスウェーデン型の社会民主主義に求め、知識を重視した「知識社会」を作るべきだと主張している。人間は利己心に基づいて行動する「経済人(ホモ・エコノミクス)」である、というのは経済学における理論的仮説に過ぎず、人間は「ホモ・サピエンス(知性人、叡智人)」にほかならない、というのが本を貫く神野教授の主張で、とてもよく納得できるものである。

この中に、新自由主義草創期について触れているので、それを抜粋してご紹介する。

 日本の構造改革を支えている経済政策思想は「新自由主義」と呼ばれる。そうした新自由主義の旗幟を鮮明にした最初の政権こそ、1979年のサッチャー政権である。その後、新自由主義をかかげる政権が、1981年にアメリカでレーガン政権として、1982年に日本で中曽根政権として誕生していくことになる。

(中略)

 第二次大戦後は程度の差こそあれ、労働党も保守党も「ケインズ的福祉国家」をめざしていた。つまり、第二次大戦後のイギリスでは、ケインズ的福祉国家をめざすという点で、国民的合意が成立していた。

 というよりも、第二次大戦後にはアメリカと日本を除く世界の先進諸国が、福祉国家をめざすバツケリズム(政敵同士が同様の政策を支持する=筆者注)の状態にあったということができる。日本も遅れて1973年には、この年を「福祉元年」として福祉国家へのハンドルを切っていこうとする。しかし、皮肉にも同年に生じた石油ショックで、福祉国家を目指す決意も、すぐ動揺していくことになる。

 こうしたバツケリズムとしてのケインズ的福祉国家に対して、サッチャー政権はまっこうから対決していく。サッチャリズムとは、完全雇用、福祉充実、国営化、労働組合との強調を基軸として第二次大戦後のイギリスに浸透していた「イギリスの戦後体制」への挑戦だったのである。

 サッチャリズムは、スタグフレーション(不況下の物価上昇=筆者注)という現象を前に、なすすべもなく立ちすくんでいたケインズ的福祉国家を根底から批判し、民営化、規制緩和、行政改革による「最小限国家 (the minimal State)」を主張する。ケインズ的福祉国家こそインフレーションや生産性の低下を招き、完全雇用さえ維持することすら不可能となっていると批判したのである。

 しかし、サッチャリズムはケインズ経済学に対抗するマネタリストの思想にいろどられ、新しい化粧をほどこしているとはいえ、18世紀後半から19世紀前半にイギリスで一世を風靡した古典派経済学の復活にすぎないといえる。アダム・スミスを始祖とする古典派経済学が、黄泉(よみ)の国からよみがえったのだ。

(神野直彦著 『人間回復の経済学』(岩波新書、2002年)より)


この本では、実際にサッチャーが景気を回復させたのは、新自由主義政策でとられるはずの減税ではなく、その逆の増税によったこと、その際に弱者に苛烈な税制に変えたため、イギリス社会で「格差」が広がったこと、そしてイギリスの労働生産性は向上したものの産出高はサッチャー政権前よりきわだって低下しており(1960?73年には年平均3.1%だったのに、サッチャー政権成立後の1979?95年には年平均0.3%にまで落ちた)、生産性向上は技術革新よりもむしろ経営側の苛烈なリストラのもたらしたものだったことなどを指摘している。

そして、イギリスをとんでもない「格差社会」にしてしまったサッチャーは、政権末期には人頭税(納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課す税金)まで導入し(1990年)、英国民から総スカンを食った(サッチャー退任後の1993年に廃止)。神野教授は「アダム・スミスは、人頭税を最悪の租税として言下に退けている」と指摘しているが、呆れたことに、悪評紛々の末サッチャーが退場してから10年以上も経った2001年に、竹中平蔵は櫻井よしことの対談で、「人頭税ほど公平な税制はない」、「人頭税の理念を盛り込んだ改憲をせよ」などと主張した(下記URL参照)。頭がくらくらしそうな妄言だ。
http://www.yoshiko-sakurai.jp/works/works_voice_0105.html

つまり、竹中平蔵もサッチャー同様、アダム・スミスの教えに背く背教者というワケである。犬にでも食われてしまえ、と私などは思うのだが、そんな竹中が日本の「構造カイカク」の旗を振ったのであり、田原総一朗から朝日・毎日・日経などの翼賛紙に至るまで、マスコミはこぞって竹中をマンセーし、挙句の果てに竹中を参謀とするコイズミに踊らされた国民が、2005年の総選挙で自民党に空前の圧勝をプレゼントしてしまったのである。まったく、これ以上誤った選択はなかった。日本国民は、自分から「格差拡大」への道を選んでしまったのだから。

神野教授の著書には、バブル経済の生成や崩壊が中曽根内閣の新自由主義政策のせいであり、「失われた10年」の原因が「構造改革」にあることや、もともと「小さい政府」だった日本が、「大きい政府」を小さくしたイギリスの政策を真似した結果、大幅な財政赤字を招いてしまい、その理由を「改革が不十分なこと」に求めて、ひたすら財政を縮小させて事態を悪化させてしまったことなども指摘されている。

また、中曽根内閣の新自由主義政策が、「新国家主義」として広がっていたことを指摘し、次のように書いている。


新自由主義が新国家主義と表現されることには違和感があるかもしれない。しかし、市場主義とは国家主義との親和なしには成立しないのである。

 それはサッチャーにしろ、レーガンにしろ、自他ともに許す国家主義者であったことを想起してもらえば、容易に理解できるはずである。市場は国家の暴力による強制力なしには機能しない。国家が暴力によって強制することなしには、神が等しく与えたもうた土地という自然に所有権を設定することはできない。もちろん、所有権が設定されなければ、市場で取引することはできない。

 市場主義は、国家が暴力を行使する組織として純化していることを主張しているにすぎない。つまり、市場主義は暴力的には強い国家を要求する。「経済人」は、暴力的な「政治人」との幸福な結婚なしには、社会を築くことはできないのである。

(神野直彦著 『人間回復の経済学』(岩波新書、2002年)より)


ところが、新保守主義と新自由主義の「幸福な結婚」を目指したはずの安倍晋三政権で起きたことは、ネオコン内部の「経済重視派」と「国家主義重視派」の対立だった。安倍内閣はその矛盾の前に立ちすくみ、崩壊していった。

安倍内閣の悲惨な末路は、新保守主義(ネオコン)と新自由主義(ネオリベ)の両方の「終わり」を暗示するものだ。この両者が同時に倒れたのは、両者がもともと切っても切れない関係にあったからにほかならない。


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安倍晋三が辞任を表明して1か月以上が過ぎ、その間安倍の発したメッセージは総辞職の前日の記者会見くらいのものだったと思う。現在、安倍は自宅に引きこもっている。

攻撃目標が突然消えてしまったのは、立花隆さんばかりではなく当ブログも同じで、「安倍的なるもの」を生み出し、育んできた自民党自体に攻撃目標を切り替えたのも立花さんと同じだが、なにぶん「アベシンゾー」というピンポイントと違って攻撃対象に広がりがあるので、多角的な攻撃を考えなければならないところに難しさがある。先月、当ブログには検索エンジン経由だけで2万5千件以上のアクセスがあったが、当然ながらその多くが安倍にかかわりのある検索語によるものだったから、今月は検索エンジン経由のアクセスは激減している。国民の政治への関心も低下するこの時期(選挙後しばらく経つと、自民党の支持率が上がるのは毎度のことである)は、地道にいろんな方面に網を掛けていくしかない。

そんなわけで、土日の記事はいつもにも増して書きたいことを書き散らすことにしようと思う。

今日はまず、思想右翼、思想左翼と経済右翼(新自由主義の信奉者)をまとめてからかってみたい。

この三者の共通点は、思考が一次元的であるということだ。思想右翼の場合、左に「売国」、右に「愛国」をとった軸に沿って人物や業績が評価される。どういうわけか、私から見たら最悪の売国奴としか思えない安倍晋三が、彼らにとっては「愛国者」ということになっているらしい(笑)。

これが、思想左翼だと、右に「改憲、軍拡」、左に「9条護憲」をとった軸にとって評価が行われる。左翼だから、左の方が価値が高い。また、経済右翼の場合、左に「抵抗勢力」、右に「カイカク」をとった軸に沿って測られ、「カイカクを止めるな」というシングル・メッセージを発し続けることになる。

こういう単眼的な思考はよろしくない。たとえば、憲法といっても9条だけではなく25条も重要なわけで、生活問題への言及が少なくて、9条護憲ばかり叫んでいても、国民の支持は得られない。私は特に社民党に言いたいのだが、民主党が「9条改憲」に走るのを阻止する意味からも、「9条護憲」ばかりを叫ぶのではなく、逆に従来よりも生活問題を重視する路線をとることによって、民主党から支持者を奪い、民主党への牽制力を強めるべきだと思う。なぜなら、自民党政治に不満を持つ有権者の多くは、生活問題を重視してくれそうなイメージを振りまいている民主党を支持しているのだが、その中には民主党の政治思想が右寄りなのではないかとか、民主党内の新自由主義者が、政権をとったら本性をむき出しにしてくるのではないか、などと危惧している人たちも大勢いるはずだからだ。彼らは、社民党が生活問題そっちのけで9条護憲のことばかり言うので、仕方なく民主党に投票しているのだ。この意見に対して、「9条をないがしろにしても良いのか」という人間は馬鹿である。私は、憲法9条も25条も大事にしろと言っている。社民勢力が弱すぎるのは、日本の政治の大きな欠陥である。

とにかく、物事を考える時は、常に複数の視点を同時に持つことが大事だ。当ブログでよく紹介する「ポリティカルコンパス」(「政治軸」を縦軸、「経済軸」を横軸とする2次元チャート)や、この間のエントリでご紹介した、縦軸に「日米同盟重視?自主独立」、横軸に「軽軍備?重軍備」をとる2次元チャートなどがその例だ。昔の自民党の政治家では、鳩山一郎と岸信介はいずれも重軍備、憲法改定志向だったが、鳩山が自主独立路線をとったのに対し、岸はCIAから金をもらっていたこともあって対米隷従の売国路線をとった。この差はきわめて大きい。

現在、ともに「憲法違反」として同列に論じられがちな民主党・小沢一郎の「ISAFへの自衛隊参加」と自民党の「給油新法」にも同じことがいえる。「世界」11月号に掲載された小沢の論文を読めば一目瞭然であるように、小沢は対米隷従路線を厳しく批判しており、アメリカに言わせれば「オザワはゴーリスト(ド・ゴール主義者)」ということになるらしい。これに対し、自民党の「給油新法」は、飼い主・アメリカに恭順の意を示す、「スネ夫」の思想に基づくものだ。

ところで、ゴーリズムに関していろいろネット検索をしていたら、面白いサイトを見つけた。それは、「All About」というサイト中のカテゴリ「よくわかる政治」の中にある、辻雅之氏のフランス政治に関する解説記事である。

「悩める大国・フランス政治と国民」
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20060327A/

「フランス政治の基礎知識2007」
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20070111A/

記事の内容もさることながら、面白いと思ったのは横軸に「左派?右派」をとり、縦軸に「議会制重視?大衆迎合型」をとった2次元チャートである。チャートは転載しないので、下記リンク先をご参照いただきたい。
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20070111A/index2.htm

これによると、シラク前大統領らが属したゴーリズム政党・共和国連合は「右派・大衆迎合型」、故ミッテラン元大統領らが属した社会党は「左派・議会制重視」に位置づけられるが、前者が左に、後者が右に寄って政策の違いが小さくなってきたところに、ともに極端な大衆迎合型勢力である極右(ルペン党首のFN)と極左(ラギエ党首のトロツキスト政党)が台頭してきたという図式になっている。なお、この記事が書かれたあと、ネオリベ・ネオコン系の親米派とされるサルコジがフランス大統領に就任したが、サルコジ当選後は、フランス政治についての記事はまだリリースされていないようだ。

他のソースにも当たっていろいろ調べてみると、ゴーリズムは、ド・ゴール大統領のカリスマによって自主独立を志向した面が強いので、ボナパルティズムやポピュリズムと関連づけて語られることが多いようだ。ボナパルティズム、ポピュリズムというとコイズミを思い出すのだが、そういえばコイズミと小沢には手法的な共通点がかなりあるかもしれない。自自公連立政権から離脱するかどうかをめぐって、小沢の率いる自由党が分裂した時の2000年総選挙で、自由党は苦戦を伝えられながら小沢個人の人気がものをいって議席増を果たしたのに対し、小沢と対立して自民・公明との連立政権に残った保守党は同じ総選挙で惨敗し、その後自民党に吸収された。2007年の参院選での民主党の大勝も、安倍自民党の自滅もあったが、民主党の代表が小沢だったからという側面が大きかったかもしれない。一方、2005年の総選挙で自民党が歴史的大勝を果たしたのは、コイズミの「カイカクを止めるな」というスローガンが、遺憾ながら有権者の心をつかんだためだった。2人の一番大きな違いは、アメリカかぶれのコイズミが日米同盟重視、というか対米隷従路線をとるのに対し、小沢はド・ゴール流の自主独立路線を目指しているように見えることだろう。

私は、小沢の強権的な政治手法や、軍縮どころか軍備増強に向かいかねない方向性には危惧を持っているが、同じ強権的政治手法をとるだけではなく、むき出しの軍拡志向をとり、その上に「対米隷従」までもプラスされたコイズミや安倍よりはよほどマシだと思っている。

それに何より、ゴーリズムは経済政策では「大きな政府」志向であるのに対し、コイズミや安倍は「小さな政府」志向の新自由主義者である。小沢は、かつて「小さな政府」を志向していたのだが、自由党が民主党に合流すると同時に、政策を社会民主主義志向へと転換した。私は当時、民主党の政策がどう変化するか注目していたのだが、小沢は最初から民主党内の旧社会党の勢力と連携を密にしながら社会民主主義的政策志向のスタンスをとったので、あれっと思ったものだ。おそらく小沢は、そのうちに時代の潮流が、当時全盛だった新自由主義志向から再び社民主義志向に回帰するだろうと、その独特の嗅覚でかぎとって、転向したのではないかと想像している。経済政策を軸にとった時、小沢とコイズミ・安倍の開きは、現在非常に大きい。

だから、暴走しようとしがちな小沢に、民主党内の穏健派や社民党・共産党など他の野党が歯止めをかける必要はあると思うが、真の敵はコイズミによって体質が硬直化した自民党の「ネオコン・ネオリベ」政治であることを忘れてはならないと思う。

それから、話を「よくわかる政治」の分析に戻すと、フランスの政党政治が中道の方に収斂してきていることに対し、極右と極左が台頭していることについて、極右と極左をともに超大衆迎合型とした分析が面白く思えた。そういえばネット右翼も超大衆迎合型だな、と思い出したからだ。極右というとナチスや戦時中の日本の全体主義、極左というとスターリン・毛沢東・ポルポト・金日成などの独裁政権を連想するが、大衆迎合(ポピュリズム)は、大衆というマスの内部にもともとあったはずの個人の差異の切り捨てへと進んで、極右や極左の全体主義へと変化していくのだろう。

なお、「All About」の「よくわかる政治」には、他にもたくさんの記事が収録されている。この記事を書きながら、「よくわかる政治」のいくつかの記事にざっと目を通したが、私が知らないことがたくさん書かれているし、知っていることでも頭の整理にはなるので、それなりに勉強になる。但し、筆者・辻雅之氏の政治的立場は、良く言えば中立的、悪く言えば現状追認的で、特に国内政治に関する解説記事のスタンスには不満を感じるところが多いことを付け加えておく。


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当ブログの「裏ブログ」にあたる 「kojitakenの日記」 に、"「安全な戦争」ならやってもかまわないのか" という記事を公開したところ、31件の「はてなブックマーク」がついて、この記事だけで1,700件以上のアクセスをいただいた。

これは、フジテレビの番組「報道2001」で、司会の黒岩祐治アナウンサーが、民主党の菅直人代表代行に対して、現在自衛隊が行っている給油活動と比較して、民主党・小沢代表が政権を取ったら自衛隊を参加させたいとしているISAFの活動がはるかに危険を伴う活動であることを再三菅氏にたずねていたのだが、その聞き方が、あたかも「安全」な活動であれば戦争行為をやっても構わないかのように聞こえ、非常に強い違和感を覚えたことを記事にしたものである。

そう、テロ特措法が認めているインド洋での給油活動は、疑いもなく戦争行為であり、明確な憲法違反だ。

現在、民主党の小沢一郎代表の自衛隊ISAF参加発言が話題になっているが、「安倍晋三TBP」「自民党TBP」 にTBされたさまざまなブログの記事をご存知の方にとっては、「そんな前から言われている話が、なんで今ごろ問題になるのだろう」という感覚ではあるまいか。

何度も書くように、私は小沢代表の意見に必ずしも賛成ではないが、10月5日のエントリ "「復古的改憲」の危機は去っていない" でも指摘したように、日本国の主権から離れて、「国際警察」の観念につながる警察を前提として兵力を持つことは、憲法改定をしないでも可能なのではないかという考え方は古くからある。私の知る限り南原繁がそうで、南原の主張は、立花隆編 「南原繁の言葉?8月15日・憲法・学問の自由」 (東京大学出版会、2007年)に収録された「第九条の問題」(1962年)で読める。また、松尾尊兌編 「石橋湛山評論集」 (岩波文庫、1984年)に収録された石橋湛山の「日本防衛論」(1968年)も、憲法と矛盾しないとは明記されていないものの、南原と同様の主張であるように読める。

今回の論文では、小沢は横田喜三郎の学説に基づいた主張であると述べている。横田は、満州事変が起きた時、「中国側が仕掛けたものであり、自衛権の行使に当たる」とした政府の見解にいち早く疑義を呈し、関東軍の謀略ではないかと指摘したリベラル派の学者のようだ。残念ながら、私は横田の論文を読んだことはない。

私が小沢の論文で問題だと思うのは、大国の強い影響下にある現在の国連にどこまで信を置いて良いかということ、民主党の枝野幸男議員も指摘しているように、ISAFは国連軍ではなく、自衛隊の軍事参加は国権の発動にあたる疑いが強いのではないかと思うこと、それに、何よりもまず軍事面以外での国際貢献を第一に考えるべきなのではないかということだ。

また、小沢の論文には、南原繁や石橋湛山のような軍縮の思想があまり感じられず、もちろん軍縮には言及していない。それが読後感を南原や石橋の論文とずいぶん違ったものにさせている。小沢は、論文の終わりの方で、「貧困を一つ一つ克服し、人々の生活を安定させることが、何よりも大事」、「貧困を克服し、生活を安定させることこそが、テロとの戦いのもっとも有効な方法である」と主張しているが、とってつけた感は否めない。論文全体の、文章の流れがスムーズでなく、そのために読み終えた時、どうにも頭がスッキリしなかったのである。

しかし、とにもかくにも、小沢の主張がそれなりに筋の通ったものであることだけは認めたいと思う。少なくとも、ISAFへの参加は、完全な憲法違反である給油継続と比較すると、はるかに論じるに値する主張である。何度も書くように、上記に挙げたような理由により、私は小沢の主張には賛成できない。賛成はできないが、議論を行うに値すると述べているのだ。

これに対し、給油活動は言語道断の憲法違反行為であり、議論の余地は全くない。世界のどこに、兵站(ロジスティクス)が戦争行為でないという学説があるのだろうか。

報道を聞くところでは、自民党は小沢一郎の主張を「憲法違反」だとして攻撃し、衆議院選挙の争点にするのだと息巻いているというが、噴飯ものである。明確な憲法違反の戦争行為である給油活動を認める新法の制定を主張している一方で、憲法と矛盾しないという学説も存在する小沢の主張を「憲法違反」だと攻撃するのは、国民を馬鹿にしている。自民党の政治家は、国民の多くが 「B層」 だと思っているから、そんな主張ができるのだ。国民を馬鹿にするのもいいかげんにしろ、と言いたい。

そもそも、給油はアメリカの戦争行為への加担に過ぎず、しかもその大部分がイラク戦争のために行われていた疑いがきわめて濃厚だ。さらに、給油の実態は、アメリカから高値で買った燃料をアメリカの船に給油するという、実質的にアメリカに金をくれてやっているものだという指摘もある。つまり、自民党のいう「国際貢献」の実体は、アメリカへの利益供与だということだ。

書いているうちにどんどんヒートアップしてきたので、そろそろ結びにしたいが、この記事の初め方で触れた「kojitakenの日記」にも書いたように、フジテレビ・黒岩祐治アナウンサーの菅直人氏への聞き方が、あたかも「安全」な活動であれば戦争行為をやっても構わないかのように聞こえたことには、非常に強い違和感を覚えた。この時テレビで大写しになった黒岩の顔を見て、この男が真正の馬鹿であることを私は確信した。だが、伝え聞くところでは、マスコミに出てくるキャスターたちは、みな黒岩と同じような論法で、小沢一郎や民主党を論難しているらしい。これには、この件で民主党の主張に賛成できない私から見てさえ、きわめてアンフェアであるというしかない。

テレビは、最強の自民党政権の延命装置である。テレビを見ていては、「B層」から脱却できない。できるだけテレビを見ないようにしたいものだと思う今日この頃である。


[追記] (2007.10.13)
小沢一郎の主張は、横田喜三郎著 『自衛権』 (有斐閣、1951年)に基づくもののようです。


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福田内閣が発足して国会でも論戦が始まった今日この頃だが、昨日(10月10日)、読売新聞を見て唖然とした。福田康夫内閣の支持率が実に59%に達していたのである。自民党の支持率も大幅に回復し、民主党に大差をつけていた。

だが、ここしばらくのマスコミ報道を見ていると、その理由もわかるような気がする。もちろん、マスメディアが自民党総裁選に大騒ぎをしたせいもあるのだが、福田首相は確かにコイズミ、安倍晋三と続いた異常な総理大臣ではなく、少なくとも常識の通じる政治家である。国民に安定感を感じさせるという読売新聞の指摘は、必ずしも的外れではないと思った。私は、コイズミ内閣で官房長官を務めていた頃の福田康夫が大嫌いで、福田が憎まれ口を叩くたびに頭に血が昇っていた人間なのだが、そんな私が見てさえ、福田康夫は、安倍晋三というこの世のものとも思えない狂った宰相と比較したら、少なくとも議論のできるマトモな政治家に見える。

こんなことを書くと、気を悪くされるブロガーの方も多いと思うが、私はこのところのブログ言論の方がよほど異常に思える。たとえば、安倍内閣がマスコミに指弾されたのは、安倍がネオリベ路線を放棄しつつあったことに対するネオリベ勢力及び米資の報復だ、などとする「陰謀論」は笑止千万というほかない。安倍内閣の支持率は、内閣発足以来、4月から5月前半にかけての時期を除いてほぼ一本調子で下がって行った。その過程には、安倍が「ホワイトカラー・エグゼンプション」を推進しようとしていた時期もあり、こうした時期には支持率はきわだって下がったものだ。もし、本当にマスコミが新自由主義者や米資に完全に乗っ取られているなら、こういう時にこそマスコミが大々的に安倍内閣を応援して、内閣支持率も高めの数字を弾き出させるはずだ。しかし、実際にはそうはならなかった。安倍内閣は、ネオリベ路線に走ろうとした時に、特に支持率を下げたことは覚えておいた方が良い。そして、参議院選挙で劣勢と見た自民党執行部は、突如として「安倍改革」を唱え、野党第一党の民主党を「抵抗勢力」に見立てて選挙戦を戦おうとした。つまり、コイズミのネオリベ路線への回帰を強めた。これを見た時、私は自民党の自滅を確信し、内心ほくそ笑んだものだった。最後までネオリベ路線を突っ走ろうとした安倍自民党は、選挙に惨敗した。

要するに、安倍政権はそのネオコン路線とネオリベ路線の両方を強く批判されたのである。そもそも、ネオコン(新保守主義)とネオリベ(新自由主義)は、互いに独立した思想ではない。ネオリベが生み出す「格差」からく政府や政治秩序への民衆の反感から目をそらさせるため、権力側は外国を敵視して(安倍政権の場合は特に北朝鮮)民族主義や国家主義を煽ったり、「教育カイカク」と称して共同体主義政策、言いかえればネオコン政策をとるものなのだ。ネオリベとネオコンは、互いに緊張関係にあるのも確かだが、切っても切れない相互依存関係にあることもまた一面の真実である。サッチャーもレーガンも、ネオコンであると同時にネオリベだった。

ところが、コイズミの場合はネオコン政策をとらずに強烈なネオリベ政策だけをとった。従来の自民党の政策が、農村から働き手を都会に送り出して高度成長を遂げたあと、企業が共同体を形成してきたのだが、コイズミの構造カイカクがそれをもぶっ壊してしまったので、ネオコン政策の基盤となる、人々が拠って立つところの共同体がなくなってしまい、そのせいでコイズミのあとを継いだ安倍晋三のネオコン政策がうまくいかなかった。これは、9月26日のエントリ「渡辺治氏「新政権、本当の課題」(日経BP)より」でご紹介した渡辺治氏の指摘だが、実にうまく安倍政権の失敗を説明しているなあと感心したものだ。

私がどうにも居心地悪く感じるのは、ネオリベに「だけ」反対する一部民族主義者たちが、「反ネオリベ」を共通項としてリベラルや左派に連携を呼びかけていることだ。だが、彼らの支持する極右、といって悪ければ温和なmewさん(「日本がアブナイ!」)あたりの表現だと「超保守派」ということになるのだろうが、そういう政治家やそれを支持する人たちの意見が内包する自己矛盾を、私はどうしても見過ごすことができない。例を挙げると、一昨日のエントリでも指摘したように、平沼赳夫はサッチャーの教育改革の礼賛者であるが、サッチャリズムはネオコンとネオリベの融合体であり、サッチャーの教育改革にはネオリベ的要素が相当に強いのである。つまり、「反ネオリベ」のはずの超保守派が「ネオリベ」を肯定しているという自己矛盾が生じている。安倍晋三が「ネオコン」と「ネオリベ」を両立させようとして矛盾が生じた、とは当ブログは再三指摘しているが、「ネオコン」と「反ネオリベ」を両立させようとした場合にも自己矛盾は生じるのだ。このことは、私にとってきわめて興味深く感じられる。

ところで、以前「広島瀬戸内新聞ニュース」が「ブログ版」の頃に指摘していたように、「戦後の日本の右派と左派は、実は近似的な共同体主義であり、新自由主義の隆盛で右翼も左翼も流動化したのち、現在昔の右派と左派は更に近似性を強めている」(注:元記事にたどり着けなくてキャッシュから拾いました。さとうしゅういちさんすみません)ので、超保守派の主張が左翼に受け入れられやすい傾向にあるように思う。私は中道に位置するつもりの人間なので、この傾向にはきわめて強い違和感を持つ。誤解を恐れずに言うと、私は右翼とも左翼とも「共闘」などしたくはない。「共闘」はどうにも私の性には合わず、好き勝手な意見を主張し続けたいと思う人間なのである。

最後に、本エントリを読んで、当ブログが福田内閣に対して融和的だと思われるとしたら、それは大変な誤解であると申し上げておく。自民党は歴史的役割を終えた政党であり、福田内閣には「最後の自民党内閣」になってもらわなければ困ると思っている。特に、福田首相が「構造カイカク」の継続を明言したことは重要であって、これへの徹底的な批判が必要であると考えている。

[参考記事]

「日本がアブナイ!」より
"福田自民の小泉・安倍カラー消しに、麻生&保守系が立ち上がるか?+奨学金制度充実が急務"
http://mewrun7.exblog.jp/6602644

「広島瀬戸内新聞ニュース」より
"構造「改革」継続こそ重大な罪"
http://hiroseto.exblog.jp/6597024


PS
「世界」11月号を買い、民主党・小沢代表の論文を読みました。なんか頭がスッキリしなかったのですが、いずれ当ブログでも取り上げてみたいと思います。


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7日付の読売新聞が、1969年11月に佐藤栄作首相(当時)とニクソン米大統領(同)が交わした、沖縄に核兵器を持ち込むことについて定めた密約を示す公文書(キッシンジャー元米国務長官の覚書)の存在が明らかになったと報じた。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071007it01.htm

この密約は、記事にもあるように、京都産業大学の故若泉敬教授が、著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文藝春秋、1994年)の中で指摘したために知られていたことだが、これまでも政府はその存在を否定していた。

呆れたことに、動かぬ証拠の存在が報じられたというのに、町村信孝官房長官も福田康夫首相も、この密約を認めないつもりだ。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071010k0000m010077000c.html

この毎日新聞の記事によると、9日、町村官房長官は「従来、日本政府はそうした密約はないと言っている」、福田首相は「今まで何度も言われてきたことだが、わが国としてそれ(密約)を認めているということではない」といそれぞれ発言した。

これは、誰が読んでも「本当はそういう密約があったんだけど、政府はそれを認めないことにしてるんだよ、わかってるでしょ、皆さん」というニュアンスの発言だ。要は、見え透いた嘘をついているということである。

実際には核兵器持ち込みの密約があったばかりか、核兵器が持ち込まれていて、「非核三原則」(「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」)はそもそもの最初から守られていなかったことは火を見るより明らかだ。

そこで思い出されるのが、1974年に佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したことだ。アメリカのベトナムへの「北爆」を支持していたこの男がノーベル平和賞を受けたことに対し、当時から批判が強かったが、受賞理由に確か「非核三原則」が挙げられていたと思う。

それが有名無実であったことが明らかになった以上、ノーベル賞委員会は佐藤のノーベル平和賞を剥奪すべきだと思う。

なお今回は、キッシンジャー元米国務長官の覚書が明るみに出たものだが、このキッシンジャーも佐藤の前年、1973年にノーベル平和賞を受賞している。佐藤が「北爆」の支持者なら、キッシンジャーは「北爆」を行った責任者であり、ともにノーベル平和賞どころか国際戦争犯罪人として裁かれる方が適当な人物というべきだろう。このようにバイアスのかかったノーベル平和賞なるイカサマの賞自体を廃止するのがもっとも良いと当ブログでは考えている。

蛇足ながら、佐藤栄作は岸信介の実弟であり、岸の孫・安倍晋三ともども、とんでもない腐敗一族だというほかない。


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安倍晋三政権とは何だったか。これを考える時、基本としておさえておかなければならないのは、安倍晋三は新保守主義者であると同時に新自由主義者であるということだ。

私はこれまでずっと、コイズミが「経済右派(経済極右)」であるのに対し、安倍晋三は「政治思想右派(政治思想極右)」であると論じてきたが、これはあくまで安倍をコイズミと比較した場合という意味であり、基本的に安倍はネオコンかつネオリベなのだ。

前にもご紹介したが、「ポリティカルコンパス」というのがあって、これは、政治経済のスタンスを2次元ダイアグラムで表し、縦軸を「政治軸」として上に保守(伝統、秩序、家族重視)、下にリベラル(自由、権利、個人重視)、横軸を「経済軸」として右に右派(市場原理主義、自由主義)、左に左派(社会主義、福祉国家)を位置づけたものだ。

リンク先の設問に答えると、各人の政治・経済問題に対するスタンスが診断されるようになっていて、前にも書いたが、私は政治的な右・左度(保守・リベラル度)が -4、経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派)が -4.81で、「リベラル左派」と判定された。新自由主義者は政治思想の「保守・リベラル」を問わず「右派」と判定される一方、旧来自民党の「保守本流」の人たちは、「保守左派」と判定されるのだと思う。また、共産党支持者は政治的な右・左度と経済的な右・左度がともに -10に近い値をとるようだ。なかなか面白い指標だと思う。

これでいくと、安倍晋三は政治的な右・左度が +10に近いと思われる。一方、経済的な右・左度は、そこまで極端ではないかもしれないが、やはり大きくプラスに振れた値をとるはずだ。なお、コイズミは経済的な右・左度では安倍よりさらに「右」の、+10に近い値をとるだろうが、政治的な右・左度はほとんどゼロに近いのではないだろうか。コイズミは靖国神社参拝を強行したため、「思想右派」と見られがちだが、これは単に数年前に多かった「思想右派」に媚びたコイズミの人気取りのパフォーマンスに過ぎず、実際には政治思想面では無思想に近いと私は考えている。

安倍の話に戻るが、安倍の「教育カイカク」はイギリスのサッチャー政権の教育政策にきわめて強い影響を受けたものであることは、当ブログでも何度か指摘した。たとえば下記の記事などである。

"安倍内閣 「教育カイカク」の行き着く先" (2月20日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-259.html

"「新自由主義」の存在と「哲学」の不在が教育の荒廃を招く" (5月24日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-350.html


これらの記事で指摘したように、サッチャーの「教育改革」はネオコン的要素とネオリベ的要素が入り混じった醜悪極まりない代物で、こういうのに心酔していた安倍晋三も、当然ながらネオコン兼ネオリベだというほかない。ついでにいうと、このイギリス式教育改革に入れ込んでいた大物議員として、平沼赳夫の名前が挙げられる。平沼もまたネオコン兼ネオリベというわけで、たかが郵政民営化に反対したくらいで、この平沼を「愛国者」と称賛する人たちの気が知れない。また、サッチャー亜流の「教育カイカク」の新自由主義的側面を城内実やその支持者がどう思っているのかも知りたいところだ。新自由主義政策は、何も郵政民営化に限られるものではない。

教育問題というと、絶対に忘れてはならない安倍政権の悪行は、昨年12月の「改正教育基本法」と今年5月の「教育改革関連三法案」の成立だ。後者については、Googleで検索をかけると、「サンデー毎日」の記事を紹介した当ブログのエントリが筆頭で引っかかるので、興味のある方はご参照いただきたい。

"安倍政治の目玉「教育改革関連三法案」の真の狙い" (5月21日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-348.html


なんといっても痛恨なのは、一度成立した法案を廃止することは容易ではないことだ。おそらく来年に行われるであろう総選挙で野党が勝ったとしても、民主党にも結構「思想右派」や「経済右派」の議員は多いから、ことは簡単には運ぶまい。安倍晋三の爪痕を消し去るのは、容易なことではない。

安倍政権が内包した矛盾が、首相在任中に露呈したことは、昨日のエントリで、「論座」11月号に掲載された山口二郎氏の記事を引用しながら指摘した。安倍内閣が抱えていた問題点については、専門家たちの記事がいくらでも読めるから、ここでは、なぜ私がかくも安倍晋三を嫌うのか、その理由を書き記したい。

私はそもそも岸信介、福田赳夫、安倍晋太郎ら岸派のタカ派政治家たちが大嫌いだった。憲法をないがしろにし、政治改革を叫びながら、その実官僚と癒着しているというイメージをずっと持っていて、とりわけ福田赳夫と田中角栄の対比からそうした印象を強めていたのだろうと思う。私の世代だと、現役政治家としての岸信介は全く知らず、物心ついたときには佐藤栄作が首相で、佐藤は新聞に叩かれていた。幼心に、総理大臣というのは新聞に悪く書かれるものだと薄々感じていたところに、マスコミが絶賛する田中首相が現れた印象は鮮烈だった。しかしその田中も2年で没落し、今度は田中金脈と闘う三木武夫が首相になったが、この三木内閣もマスコミ受けは決して悪くなかった。特に、田中角栄前首相(当時)の逮捕までに至る過程で、マスコミは三木をずいぶん応援した。

その三木が「三木おろし」に遭って退陣したあと、福田赳夫内閣が発足したが、これが佐藤内閣以来の新聞に不人気な内閣だった。その頃になると、学校で政治経済の授業を受けるようになったが、靖国神社に公式参拝をしたり、週刊誌のインタビューに答えて有事法制の早期整備を促す「超法規発言」をするなど、そのタカ派の姿勢は政経の教師の不興を買っていたし、私も福田赳夫を強く嫌っていた。1978年の自民党総裁選で、大平正芳が福田赳夫を破った時、大平は「田中角栄の盟友」としてマスコミ受けは必ずしも良くなかったが、私は大平の勝利を喜び、福田の敗北を「ざまあみろ」と思ったものだ。

今にして思うと、福田赳夫は岸派の流れを汲む政治家の中では、もっともマシな部類だったのだが、岸信介がA級戦犯容疑者でありながら戦後わずか十数年で首相になった経緯などを知るにつけ、その嫌悪感は増すばかりだった。1979年に発覚したダグラス・グラマン事件で、岸の名前が「疑惑の政治家」として取りざたされると、嫌悪感はさらに増した。

その当時の高校生の頃が、私の人生の中でももっとも「左傾」した時期だったが、その頃に岸信介や福田赳夫と統一協会のただならぬ関係も知った。私は雑誌「噂の真相」を、その前身である「マスコミ評論」の時代から毎月立ち読みする習慣があったから、自民党右派の政治家と統一協会の関係に関する記事はしょっちゅう読んでいた。

このように私は岸の流れを汲む政治家全体が嫌いだったので、福田赳夫の後継者として登場した安倍晋太郎ももちろん嫌いだった。晋太郎がリクルート事件に絡んでいることが発覚し、総理大臣になるチャンスを逃した時は、これを喜んだものだ。だから、晋太郎の死後、安倍晋三が出てきた時、「いやなやつが出てきたなあ」と思ったものだ。

しかも、安倍晋三のタカ派ぶりは、福田赳夫や父・安倍晋太郎をもはるかに超えていた。例の「サンデー毎日」にスッパ抜かれた「戦術核の保有・使用は合憲」発言など、その最たるものだった。安倍晋三の名を高からしめた2002年の拉致被害者の帰国問題の頃、安倍が民主党の菅直人や社民党の土井たか子を指して「間抜け」と言い放った時には、頭に血が昇って、「間抜けは安倍晋三、お前自身だろうが」と思ったものだ。その頃、同じようなことを感じた2ちゃんねらーが「安倍の方が間抜けだと思った人の数→」というスレを立てていて、私はこれを愛読していた。
http://money.2ch.net/seiji/kako/1035/10350/1035050848.html
http://money.2ch.net/seiji/kako/1044/10449/1044929388.html

安倍が統一協会と癒着している疑惑は、これらのスレでたっぷり指摘されている。「安倍晋三ウォッチャー」にとっては、常識の範疇に属する事柄だったのだ。だから、昨年6月に安倍が統一協会に祝電を送っていたことが発覚した時も、「やっぱりな」としか思わなかった。

しかしそんな安倍をコイズミが引き立てた。そして、コイズミが人気取りを狙って安倍を引き立てれば引き立てるほど、私のイライラは嵩(こう)じていった。03年の総選挙を前に、安倍が自民党幹事長になった時も腹が立ったが、幸いにも同年の世総選挙と翌04年の参院選で自民党は連敗し、「実は安倍にはさほど人気がないのではないか」と思うようになった。

実は、このことは多くの自民党議員たちも感じていたのではなかろうか。しかし、安倍が幹事長代理に降格されていた05年秋にコイズミが仕掛けた「郵政解散・総選挙」はその狙いがズバリ当たり、自民党は大勝した。そして、その立役者のコイズミが事実上安倍を後継者に指名したものだから、誰も異議を申し出る者がなかった。狡猾な福田康夫は、対立候補として立つ愚を避け、安倍とは距離を置く作戦に出たが、大部分の自民党議員は、勝ち馬に乗れとばかりに安倍になびいた。私は当時、「安倍へ安倍へとなびく自民党の馬鹿議員どもは、もう論外。集団自殺でもしたいのか?(笑)」とからかったものだ。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20060910/1157843650

おめでたいと思うのは、この頃、「保守の星・安倍晋三さんがついに総理大臣になった」といわんばかりに、中西輝政や櫻井よしこを筆頭とする極右論壇が浮かれていたことである。彼らは、どうやら本気で安倍晋三に国民的人気があると思い込んでいたらしい(笑)。安倍人気が捏造されたものであることは、私には自明だった。

坂道を転げ落ちるがごとき、そこからの安倍については、改めてここでは書かない。私が安倍を激しく嫌う理由を続けるが、以上に書いたことのほかに、絶対に落とせない一点があって、私は既に90年代後半から「市場原理主義」(当時は「新自由主義」とはあまり言わなかった)とか「グローバリズム」が大嫌いだった。私は「グローバル・スタンダード」(実はアメリカン・スタンダード。「グローバル・スタンダード」は事実上和製英語)が声高に叫ばれる環境にいて、その非人間性を熟知していたからだ。毎度指摘するように、日本の経済政策の新自由主義化は、中曽根政権が始めた。バブルを生成させた責任も崩壊させた責任も、もっとも重いのは中曽根康弘だ。「失われた10年」の責任を宮沢喜一、細川護煕、村山富市、橋本龍太郎の4人に帰そうとするのは、新自由主義者のペテンである。そんなことは私には明らかだったから、コイズミが90%の支持率を誇った頃から「構造カイカク」には反対だった。だから、そのコイズミの経済政策をそっくり引き継いだ安倍は絶対に許せなかった。これと、高校生の頃からの右派嫌い、それに先輩議員たちを「間抜け」と言い放つ安倍の無礼さへの反発などが重なって、安倍晋三は私にとって古今東西の政治家の中でも岸信介と並んでもっとも嫌いな政治家になったのである。

その安倍が、考えられる限りもっとも惨めな辞任をして、実質的に政治生命を絶たれたのだから、これ以上の痛快事はなかった。ただ、忘れてはならないのは安倍の旧悪の追及であり、たとえば「週刊現代」が指摘した相続税脱税疑惑などは、時効にはなっているが、今後徹底的に追及されなければならないと思う。

以上が「極私的・安倍晋三論」である。安倍の退陣で、2001年4月26日の小泉内閣発足に始まった日本政治の異常などん底の時期は、6年と5か月(77か月)で終わった。後世の歴史家は、この時期を「失われた77か月」と呼ぶのではないかと思う今日この頃である。


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昨日(10月6日)トラックバックいただいた「あんち・アンチエイジング・メロディ」の記事「食を守ることはバラマキではない」にも書かれているが、参院選で安倍晋三率いる自民党が惨敗し、さらに9月25日をもって安倍内閣が総辞職したことによって、リベラル系ブロガーの間にも安堵感が広がり、更新間隔が開いてきたブログも多いようだ。とはいえ、メロディさんも書かれるように、「改憲、しかも実に品のない新憲法草案を掲げる自民党が政権を握っている間は油断はならないので、『自エンド』を目指して厳しくチェックしなければならない」と私も思う。

このところの数か月、講談社の「現代」ともども私が購入している月刊誌が朝日新聞社の「論座」である。先月号(10月号)には、「安倍首相との "共生"」という特集が掲載されていたが、幸いにも突然の安倍の辞任によって、安倍と「共生」する必要はなくなった。今月号(11月号)には、「安倍政権自壊、福田政権誕生 崖っぷちの自民党」という特集が掲載されている。佐々木毅、山口二郎、塩川正十郎、今井舞、吉崎達彦、岡留安則、佐野眞一という、保守派からリベラルまでを含む7氏が寄稿している。急進的な左右両翼の論者を選んでいないあたりに現在の朝日新聞社のスタンスを見ることができるだろう。但し、「サンデープロジェクト」によく出てくる吉崎達彦氏(今日も出ていた)は、相当に度の強い「ネオコン・ネオリベ」の人である。

山口二郎氏は、安倍自民党が陥った2つの矛盾を指摘している。第一の矛盾は、安倍が「価値観外交」(自由と民主主義を共有するパートナーとして、アメリカやインドなどとの関係を重視する外交)を唱えていながら、同時に「粗野なナショナリズムを前面に打ち出し」(カギカッコ内は山口氏の記事からの引用=以下同様)、従軍慰安婦に狭義の強制はなかったなどと発言して国際的な非難を浴びたことで、第二の矛盾は、コイズミ政権から引き継いだ「構造改革」という名の新自由主義政策によって格差が拡大し、自民党を支持してきた人たちが自民党の政策を疑うようになったことである。このあたりは、ごく当たり前の指摘であり、山口氏の言うように、「安倍という、選んではならない人物を総裁・総理に選んだ自民党は、党全体として統治能力を失っている」と私も思う。山口氏は、「せっかく参議院選挙で、「安倍の進める新自由主義」対「小沢の掲げる社会民主主義」という対立を明確にできたのに、福田はクリンチばかりするボクサーのようなものである」としながらも、「自民党に正気が残っていれば、政策転換をするのが当然」、「二大政党の競争も、単なるスローガンの対比ではなく、より具体的な政策の競争に進化しなければならない」と指摘している。氏は、「イギリスでも、保守党はサッチャー主義を捨て去り、医療や教育の充実という同じような政策をめぐって労働党を対決している」との例を挙げているが、現在しばしば新自由主義者が口にする「カイカクを後戻りさせるな」というスローガンがいかに噴飯ものであるかがわかるだろう。既に、イギリスでもサッチャーが進めた新自由主義カイカクへの修正が行われているのである。

さて、今回そのタイトルが気に入ったのが、ノンフィクション作家・佐野眞一氏の "「厄災の宰相」を記憶せよ" という記事である。記事は、安倍と同じ山口県出身の民俗学者・宮本常一(1907-1981)を引き合いに出し、宮本の「読む力」を称賛しながら、対照的に若者にまで "KY" (空気が読めない)と馬鹿にされた安倍を批判するものだが、佐野氏の記事の末尾の部分を以下に引用する。

(前略)この雑誌が出る頃には、自民党の次期総裁が決まっている。だが重要なのは、誰が新総裁になったかではなく、総裁選に際し勝馬に乗れ式の無定見なふるまいを見せつけられ、新たな政治不信にかられてしまったことである。お祭り騒ぎの総裁選に目を眩(くら)まされ、安倍辞任の衝撃を忘れてはならない。宰相不適格としか思えない人物を総裁にしたのは、ほかならぬ自民党なのである。

 歴代総理中、安倍晋三の名は厄災(やくさい)の宰相として長く記憶にとどまるだろうし、またとどめなければならない。安倍総理が突然辞任を発表した2007年9月12日は、わが国の政治史に容易には消せない汚点と禍根を残すことになった。

(「論座」 2007年11月号掲載 佐野眞一 "「厄災の宰相」を記憶せよ" より)


佐野氏の意見に、私も全面的に賛成である。

さて、「論座」の記事の紹介が長くなってしまった。明日こそは、当ブログとして安倍晋三内閣を総括する記事を書きたいと思う。


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10月に入ってようやく涼しくなった。

西日本では、今年の残暑は考えられないほど厳しかった。本来なら、とっくに南下し、退場していなければならない太平洋高気圧が、まるで安倍晋三のようにいつまでも居座って、暑苦しく不快な空気をもたらしていたからだ。それが、9月25日の安倍内閣総辞職に合わせるかのように、ようやく勢力が衰え、西日本も秋の空気に包まれるようになった。

ところで、ある時期から当ブログでは「ブログ論」を書くのを止めていた。意味がないと感じるようになったからだ。

しかし、このところいくつかのブログでさまざまな記事を読んで、少し思うところがあったので書いてみたい。

まず、マスコミなど不要、情報はインターネットで十分という意見に対しては、テレビは必要ないが、文字媒体は必要不可欠だというのが私の意見だ。一次情報を持たないブロガーが、盲点になっている情報をハイライトすることで、新たな視点を提供することができれば、その記事は注目されてアクセス数が増え、読者に影響を与えることができる。その際、そのアクセス数が数百件や数千件だからといって、無力感を感じる必要は全然ない。同じようなことをやる人が10人、100人といれば影響力は高まる。むしろ、ブログで記事を書いたくらいで、1人でマスメディアに対抗する影響力を持つことができると考える方が傲慢だ。

また、マスメディアやネットで流れる情報(特にメジャーなサイトに載っている情報)をただ右から左に流すだけでは何の意味もない。読者をあれっと思わせるものが必要だ。新聞には、そのような情報が結構含まれている。時々経験するのは、昼休みに食事をとりながら新聞を読んでいて、意外な記事に遭遇することだ。それをあとからネットで確認しようとしても、新聞社のサイトの目立たないところに置かれていたり、ネット版では新聞本紙に載っていた表現が削られていたりする。新聞本紙でも、大阪本社や名古屋本社発行の紙面には出ていても、東京本社版には掲載されていないこともある。そして、それをブログで紹介すると、アクセスが殺到する。そのような経験が何度かあった。はなはだしい場合には、読売新聞がトンデモな社説を掲載していたのを批判的に紹介しただけで、ブログへのアクセス数がはね上がったことさえある。そうではなくて、現在のマスメディアが政府寄りに偏向しているために、せっかく新聞記者が良い仕事をしていても、良い記事が政府の政策のプロパガンダ記事に隠れてしまうこともあり、そういう記事を紹介した時にもブログへのアクセス数が増えた。

とにかく、情報に興味を持ったら、それについてよく調べてみたいものだ。その「調査」も、ネットサーフィンのレベルにとどまっていてはダメで、自分でブログ記事を書いてみればわかることだが、大した長さを持たない記事でも、書くのにはかなりの時間がかかる。つまり、ブログの記事の情報量など高が知れているのだ。テレビ番組の情報は、ブログよりは圧倒的に多いが、新聞よりは少ないし、偏向の度合いも新聞よりはるかに大きい。だから新聞を読む必要がある。そして、絶対に必要だと思うのは、特に興味を持った事柄については本を読むことだ。ネット情報を追うのに時間がかかり過ぎて、本を読むヒマもないというイイワケは通用しないと思う。そんな状態だったら、ブログの記事など書かない方が良い。私は、基本的にネット情報のみに頼っているブログはダメだと考えている。そして、アクセス数の多いブログが良いブログかというと、必ずしもそんなことはない。

当ブログはもうすぐ「FC2カウンタ」の累計で100万アクセスに達するが、「反安倍晋三」の時流に乗った影響が大きいと思う。昨日のエントリで、立花隆さんが安倍を早いうちに退治しなければならないと思って雑誌の連載を書いていたとご紹介したが、2002年から安倍晋三を嫌い続けていた私も、安倍だけは絶対に倒さなければならないと思って、はじめはネットの掲示板、のちにはブログで意見を発信してきた。掲示板では、森政権の頃から政府批判を繰り返しており、コイズミの頃には、最初の1か月だけ様子見だったが、コイズミが貴乃花の優勝に「感動」して絶叫した時にコイズミのポピュリストとしての正体を確信し、明確な「反コイズミ」となった。その頃は、世論の90%を敵に回しての意見の発信だった。

このように、私は少数派としての時期が長かったから、数が多いことが良いことだなどとは全然思っていない。現在当ブログは「FC2ブログランキング」の政治部門に参加しており、上位にいるが、これは「AbEnd」などと叫ぶ以上、アクセス数を増やす努力もしなければならないと思って、「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんのお勧めにも従って参加したものだ。FC2のブログランキングはごくマイナーなもので、今見ると「週間IN」が3790点、1回のクリックで10点だから、1週間に379件、1日あたりだと平均54件のクリックをいただいているに過ぎない。上位にいるに越したことはないという程度のものだ。1日のアクセス数が500件くらいしかないのに、一時1位にいた右翼系のブログもあった。ヒロシくんが1位をずっとキープしている某「人気ブログランキング」に登録すると、そこ経由のアクセスがかなり増えるそうで、当ブログも登録を勧められたことがあるが、インチキネット右翼が上位に軒並み名を連ねているランキングに登録する気にはどうしてもならなかったし、今後も登録するつもりはない。

ランキングの話を長々としてしまったが、要はランキングの順位やアクセス数を気にしながらブログを運営するのはバカバカしいと言いたいわけで、自分の書きたいことを書くのでなければブログを書く意味はない。私がブログをやっていて一番楽しかったのは、安倍晋三の統一協会への祝電問題を追及するようになってブログのつながりが増え、「AbEndキャンペーン」の参加に至った昨年6月以降のおよそ半年ほどだった。その後は、何が何でも安倍晋三を参議院選挙で倒さなければならないという使命感みたいなものが生じ、それがプレッシャーともなって、楽しみよりも苦しみの方が多くなった。これでは本末転倒だと思うのである。

明日か明後日あたり、なぜ私がかくも激しく安倍晋三を嫌うのかということを総まとめする記事を書いて、当ブログとしての「AbEnd」の締めくくりにするとともに、連休明けに、「AbEndリンクリスト」の表示をブログから外すつもりである。但し、以前にも書いたように、「AbEnd」のバナー及びそこから張り直す予定の「安倍晋三TBP」へのリンクは記念の意味も込めて残しておく。

読者の皆さまには、長い間の「AbEndキャンペーン」へのご愛顧にお礼を申し上げたい。


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昨日、本屋で今月1日発売の雑誌をいくつか立ち読みしたあと、このところ毎月買っている月刊「現代」(11月号)を買った。

腹の皮がよじれるほど心の中で笑ったのは、右翼系論壇誌「正論」および「諸君!」における極右論客たちの周章狼狽(しゅうしょうろうばい)、いや阿鼻叫喚(あびきょうかん)ぶりだった。前首相・安倍晋三の突如の辞任に、中西輝政や櫻井よしこらが荒れ狂っているさまは、本当にいい気味だ。しかもなお心地よかったのは、極右論客の多くが「安倍晋三の政治生命は終わった」と考えていることだ。「9・12」の安倍辞任表明が彼らに与えたダメージの大きさは計り知れない。

そして、「正論」と「諸君!」のもう一つの特徴は、福田康夫首相をさんざんにこき下ろしていることだ。安倍と同じ町村派(旧森派)に属しているのに、福田は安倍と「思想信条が正反対」の政治家なのだそうだ。私は福田は「中道寄りの右派」だと思うのだが、極右から見れば福田は「サヨク」ということになるのだろう。

特に評判が悪いのが、「拉致被害者の家族に冷たい対応をした」ことと、「拉致被害者を北朝鮮に帰そうとした」ことなのだそうだ。だが、前者はともかく、後者は日本政府がそのように北朝鮮政府と約束したことだとされている。いくら相手が国家ぐるみで犯罪行為を犯すやくざな「犯罪国家」であったとしても(実際、北朝鮮政府には犯罪的な性格が強いと私も考えているが)、国と国との約束は守らなければならないのではなかろうか。あの時、「一時帰国」していた拉致被害者を北朝鮮に帰すことに強硬に反対したのが安倍晋三であって、安倍はそれで高い人気を得た。拉致被害者に同情する国民感情はわかるが、それと筋を通す通さないは別の話だ。どうも安倍というのは、思考力が弱く、感情に突き動かされやすい政治家だったように思える。

さて、「正論」と「諸君!」を軽く立ち読みしたあと、月刊「現代」を買ったのだが、今月号の「現代」には気に入らない記事が結構多く掲載されていた。最悪だったのが元テレビ朝日政治部長・末延吉正の "わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」"という安倍擁護記事で、改革者・安倍を「抵抗勢力」が潰した、福田康夫擁立で時計の針は「逆回転」を始めたという末延の主張には呆れ返った。何より問題だと思うのは、こんな政治的に偏向した人物がテレビ朝日の「政治部長」を務めていたということだ。この人物は、今もそうなのかは知らないがテレビ朝日の「やじうまプラス」でもコメンテーターをやっていて、与党寄りのコメントばかり口にするので、こいつが出てくる日は「やじプラ」は見なかった(現在は、曜日にかかわらずこの番組自体を見なくなってしまった)。

さて、またまた前振りが異様に長くなってしまったが、私が「現代」を買うのは、立花隆や佐藤優の記事、それに辺見庸の巻頭言「沈思録」が掲載されているからだ。本エントリの冒頭で、「周章狼狽」という四字熟語を用いたが、これも今月号の「沈思録」から借用させていただいたものである。

立花隆が連載している「私の護憲論」は、今月号で第5回になる。立花隆もまた、突然の安倍の辞任にあっけにとられ、その無責任さに怒り狂っている。また、総理大臣が「何もかも放り出してしまって、自分は病気にかこつけて、慶応病院に入院してしま」い、その後人に会おうともしない状態なのに、与謝野官房長官(当時)が臨時首相代理を置こうともしなかったことを、「今回の事態は、この国が国家的危機管理体制がゼロの国であるということをよく示している」と強く批判している(カギカッコ内は立花隆の記事からの引用)。

そして、入院したが最後、沈黙を続けた安倍に対し「はっきりいって100%どころか、200%、300%の政治家落第生である。こういう人にはもう二度と、国家のレジームがどうあるべきかとか、国家の基本ルールである憲法をどう書き改めるべきかといったことを、したり顔で論じたりしてもらいたくない」と、最大級の非難の言葉を投げつけている。

ところで、立花さんのこの連載は、「改憲と戦後レジーム脱却を大々的に叫びはじめた安倍晋三という政治家に、なにか危険なにおいをかぎとり、こういう危険な政治家は、早いうちに退治しておかねばならないと思ってはじめた企画」だそうだ。

「AbEndキャンペーン」もまた、こんな危険な極右政治家を総理大臣にしてよいものかと危機感を持ったブロガーが結集して始めたものだった。それにしても、「退治」とは思い切った言葉を立花さんも使うものだ。

立花さんは、「退治しようと思っていた相手が消えてしまったのだから、ここで今連載をやめてしまうのも一つの選択かと思った」そうだが、「基本的に自民党は憲法改正を、党を作った最初の最初から、党是にかかげている政党である」、「考えてみれば、私が本来対決しようとしていたのも、安倍個人に対してというより、そのような安倍をもてはやし、かついできた政治状況・時代状況全体であったということにあらためて気がついた。その大状況が変らない以上、ここで引きさがるわけにはいかない」と思い直し、連載は今後も続くことになった。私も当分の間月刊「現代」の購入を続けることになるだろう。

ところで、立花隆の護憲論は、南原繁の護憲論がその原点になっていると思う。当ブログの7月9日付エントリ「小沢一郎の覚悟と一人区でのおすすめ投票パターン」でもご紹介したように、南原繁は、60年代に既に、「警察予備隊」や「保安隊」の規模の武力は保ち(つまり、自衛隊の規模は縮小する)、「今後国際警察のごときものが組織され、戦争と同質の国際的暴力行為を抑制する場合」、日本がこれに参加することを是としながらも、憲法九条を守るという立場を明言している。憲法自体は、日本人の手によって作り直されるべきだが、反動的な改憲には絶対反対で、現時点(1960年代の時点)では護憲、という立場だった。

安全保障に関して、南原と同様の主張をしていたのが石橋湛山である。石橋は、1968年に発表した「日本防衛論」の中で、「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす」とする一方で、「世界に対しては、国連を強化し、国際警察軍の創設によって世界の平和を守るという世界連邦の思想を大いに宣伝し、みんながそれに向かって足なみをそろえるよう努力する。これ以外に方法はない」と主張している。

民主党の小沢一郎の主張は、南原繁や石橋湛山の延長線上にあると捉えると理解しやすいと思う。私は、小沢の主張は国連至上主義につながりかねず、その国連に対して全幅の信頼は置きづらいと考える。また、武力行使自体にも私は賛成ではない。しかし、小沢の主張が必ずしも唐突に出てきたものではなく、穏健保守の思想に源流を持つ由緒あるものであることを指摘しておきたいと思う。

但し、南原は同時に自衛隊の縮小も主張していた。立花隆にしても小沢一郎にしても自衛隊の縮小という考えがあまりなさそうなのは残念である。自衛隊の戦力は、いまや世界でも有数の規模に達しており、このような国に安倍晋三内閣のような極右政権が現れたことは、世界にとってとても大きな脅威だったと思う。一説によると、安倍には対北朝鮮の戦争を起こそうという策略があったともいう。

こんな政権を1年で終わらせることができたのは良かったが、立花隆が言うように、これで改憲への動きがおさまるわけではない。「復古的改憲」の危機は去っていないのである。だからこそ、改憲を「党是」とする自民党による政治を終わらせるための「自Endキャンペーン」を今後も盛り上げていきたいと思う今日この頃である。


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昨日(10月3日)は仕事が忙しかったのでニュースを全く見ていないのだが、国会の代表質問で民主党の長妻昭議員が異例の詳細質問を行ったという報道を、朝日新聞のサイトで知った。
http://www.asahi.com/politics/update/1004/TKY200710030353.html

この記事によると、
党を代表して立つ代表質問は、党幹部が大きなテーマに絞って質疑を行い、各論は委員会審議に委ねることが多い。このため、自民党からは「大きな理念、政治手法をうかがうのが本会議質問の品位だ」(伊吹文明幹事長)、「いかにも委員会での質疑的な質問を本会議でやるとなれば、国会のルールを見直さないといけない」(大島理森国対委員長)といった異論が噴出した。
(asahi.com 2007年10月4日)
とのことだ。もちろん長妻議員は、自民党は痛いところを突かれるからそういうことを言うのだろう、と反論している。いずれにしても、国会の質疑に新しい風を吹き込む試みは評価されて良いと思う。

さて、長妻議員同様、ブログの政治記事にも新しい風が吹き込まれても良いと思う。トラックバック・ピープルで「郵政民営化凍結」のテーマが既に200件以上のトラックバックを集めているが、こういう個別の案件に絞ったテーマの議論を深めていくのは良いことだと思う。以前にも、大津留公彦さんの作成された「教育基本法」のテーマなどがあった。

反面、疑問を感じるのは、オーバーラップする部分の多いテーマであって、これが3つも乱立する状態はどうかと思う。ただでさえそんなに広がりのない政治ブログが、セクトに分かれても仕方のないことだ。私は、「AbEndキャンペーン」の頃には、できるだけセクト横断的な広がりを持たせようと努力したが(特にキャンペーン草創期にあちこちのブログにトラックバックを呼びかけた頃)、現在の状況には「なるようにしかならない」とあきらめている。当ブログとしては、いくつものTBPにTBするのは面倒くさいので、記事に合致したテーマのTBPが存在する時を除いて、通常は「自民党TBP」にのみTBしたい。

とにかく、参院選で与党が大敗したことによって、ようやくコイズミ?安倍政権時代にまかり通ってきた、数の力を頼んだ与党の横暴の時代が終わって、長妻議員の質問の例を引くまでもなく、国会でもまともな政策論議が行われる時が来たのである。そんな時に、ブログが政党の合従連衡についての床屋政談をしていても仕方がないと思う。

そもそも、安倍晋三と違って福田康夫は攻めにくい相手である。その理由を、一昨日のエントリで用いた外交・安全保障政策の2次元ダイアグラムを用いて説明したい。

一昨日のエントリにいただいた「広島瀬戸内新聞ニュース」からのトラックバック「外交・安全保障政策の二次元分析」で、いろんな政治家や政党の政策スタンスを2次元グラフ上に位置づけているが、ほぼ納得できるものだ。これに、一昨日のエントリで書いた吉田茂・鳩山一郎・岸信介らの位置づけを加えて、一部の政治家を追加及び割愛(スペースの都合上)したものを以下に示す。

071004_2d-diagram2


民主党など野党は、福田康夫首相のスタンスを「民主党にすり寄っている」と批判しているが、福田首相のスタンスは、森・コイズミ・安倍と続いた過去7年の首相と比較すると、実際に民主党のスタンスにかなり近いのは確かだと思う。上記のグラフで第3象限にいる勢力にとって、前首相・安倍晋三との距離は非常に大きいし、安倍はきわめてラジカルな極右政策をとろうとしたので、それが民意とかけ離れていることもあって攻撃が容易だった。ところが、福田は第1象限にあっても原点に近い立場である。だから攻めづらいのだが、警戒すべきは、福田を操ろうとしている森喜朗あたりの右寄り勢力からの圧力が派内でかなり強いことだろう。「教育再生会議」が廃止されずに継続し、山谷えり子が福田内閣でも首相補佐官に居残ったのも、森の圧力以外には考えられない。そして、どちらかというと政治的信念が弱いように見える福田は、やすやすと森らの言うことを聞く傾向があるように見受けられる。

以上が当ブログの現状分析である。なまじ、福田首相本人のスタンスが中道寄りであるばかりに、世論は福田首相を信用しやすい。そして、テロ特措法(給油新法)の議論では、自民党はその福田のキャラクターを利用しようとしていると思う。

「広島瀬戸内新聞ニュース」の別のエントリ「給油停止は、9条護憲につながる本丸!」は、この問題の重大さを指摘して、天木直人氏のブログを引用しながら、共産党・社民党にこの問題の議論に力を入れるよう呼びかけている。

この問題では、自民党は民主党にすり寄るように見せかけて、給油新法の議論では、給油に反対する民主党を「国際世論から外れた非常識な態度」などとして攻撃するのだろうと思う。既に世論は給油賛成に傾きつつあるが、給油がれっきとした憲法違反の戦争行為であること、給油の大部分は実際にはイラク戦争に使われてきたことなどを指摘して、自民党の政策を批判する必要がある。

また、上記の2次元ダイアグラムには入っていない経済政策こそ福田内閣のアキレス腱である。自民党にあっては、コイズミは神聖不可侵になっていて、「コイズミカイカク」を否定することは福田首相にはできない。今後はより徹底した「カイカク」(新自由主義政策)批判が求められると思う。


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このところ、全然コメントに返事ができなくてちょっと気になっていたので、今日は先月末に3日連続で公開した新自由主義批判のエントリに対するコメントをいくつかご紹介したい。

初めは、9月28日のエントリ「新自由主義が生み出した「負のスパイラル」」に2通いただいた、ぷーさんのコメント。2通を合わせて紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-459.html#comment2111
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-459.html#comment2112

アダム・スミスが市場原理を思いついたのは、大商人と政府が結託し、普通の人々の経済活動を疎外しているからでした。
また、アダム・スミスはすでに三面等価に気づいており、労働者の賃金は引き上げれば引き上げるほど良いと考えていました。
市場原理は、実は「原理」ではなく、中小零細市民を豊かにするための「手段」として構想されたものでした。

ところが、新古典派を名乗る連中は、市場原理を金科玉条に捕らえ、むしろ大資本の独占的な活動を奨励し、中小零細市民の衰退させる口実に使います。

スミスに帰れと喧伝する新古典派こそ、実はスミスの市場原理の対極にいる連中であり、自由主義経済への反逆者なのでした。

そんなものをありがたがっている日本の経済人はパァだし、政策として推し進めている政府はもっとパァです。

日本は自由主義経済をつづけていればよかったんです。
市場原理は、政府の介入によってその条件が整えられなければ機能しません。
民間に任せれば、競争は忌避され、情報は隠蔽され、消費者は愚民化します。
これでは市場原理など働かない。

”市場の失敗”のケースは高校教科書レベルの知識なのに、それが存在しないかのように振舞う経済人たちの厚顔に本当にうんざりする。

日本は自由主義経済に帰り、市場原理が働くよう、大企業の独占・寡占と戦うべきなのだ。
規制緩和は中小零細企業を後押しするためであり、規制は大企業を抑制するために行う。
賃金は高めに設定されなければならず、労働者の労働条件悪化には政府の権力が発動されなければならない。
自由貿易は拡大されなければならないが、ある国家に一定の不利益をもたらす場合には規制されて構わない。特に外国通貨での取引によって資本が流出する場合はそうだ。
こう言うことが「スミスに帰れ」と言うことなのだ。

新古典派にスミスの名を口にする資格はない。

(ぷーさんのコメント)

胸のすく新自由主義批判だ。そういえば、独占禁止法とは市場経済を守るための法律なのだが、これさえも新自由主義かぶれの馬鹿者に言わせれば「社会主義」ということになるのだろう(笑)。

空き瓶さんからは、「左派」ブログに対する批判のコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-459.html#comment2109

左派も劣化しているんですよ。
KYは実は左派のためにある言葉でしょ?

左派は、日本を良くしようとして、あるいは国民のためにと思って、声を嗄らしているが、国民の多くはそんな左派をバカにし笑っている。

参院選挙でも、自民党があまりにも頼りないから民主党が1人勝ちしただけで、共産党も、社民党も、9条ネットも惨憺たるありさま。
アベのボロ負けを笑っている自分たちのボロ負けに、きちんと向き合っているんですか?

都合の悪いコメントは削除ですか?それでは自民党のやっていることを肯定することになりますね。

小泉以降の自民党のみを批判しているブロガーの偽善性には反吐が出ます。
小泉以前の自民党は正常だったんですか?
そもそも、自民党は岸信介によって作られた政党と言っても過言じゃない。
これをドイツに当てはめれば、ヘスやゲーリングやレームやゲッベルスが厚顔無恥にも戦後、政党を結成しているようなものですよ。

このように、世界的常識とかけ離れたことを平気でやっているのが日本人ですよ。
こういう国民が、大政翼賛会に狂喜して加入し、喜んで戦争を行っていたんですよ。

つまり、国民そのものがオウムだったんですよ。

この国民の戦争責任が問われないことこそ、自民党なる本来ありうべからざる組織が存在している何よりの拠りしろでしょう?

小泉以降だけが悪い、などと言っているブロガーは自分の歴史認識を恥じるべきでしょう。

kojitakenさんの言うとおり、新自由主義の責任は中曽根に遡らなければなりません。
そこへの言及を行わないものは、小泉クラスの八百長詐欺師といえる。

(空き瓶さんのコメント)

日本における新自由主義政策は中曽根政権に遡らなければならないというのは、常識の範疇に属すると私は考えている。

コイズミ以前で、もっと厳しく批判されなければならない首相として、私は中曽根康弘と故小渕恵三の名をあげたいと思う。小渕氏は、アメリカの提示してくるグローバリゼーションを丸呑みしたばかりではなく、ネオコン的法律を次々と成立させた「A級戦犯」だ。前任の故橋本龍太郎内閣から小渕内閣にかけて急増した自殺者の数は、今も減らないが、それは小渕内閣以来続いた自民党内閣の経済政策のせいだ(小渕内閣成立前年の1997年に消費税率を上げた橋本内閣も重罪だと思うが)。

ただ、旧来自民党をよしとする意見の多くは、池田勇人や大平正芳ら「宏池会」系の、政治思想ではハト派、経済政策ではケインズ主義の「保守本流」を指しているのだと思う。また、「保守本流」をよしとする言論を「左派」というのは疑問だと思う(「保守左派」ではあると思う)。

9月29日のエントリ「「機会の平等」も「完全な市場」も存在しない」には、のとさんから、昨年出版された内橋克人氏の『悪夢のサイクル』を推薦するコメントをいただいた。

市場原理主義にについてより深く知りたい方は、
ぜひ内橋克人氏の”悪夢のサイクル”を読まれることをお薦めします。
市場原理主義批判のバイブルと言っていいぐらいです。
ネットで検索すれば書評がたくさん出てくるので詳しくは書かないけど、
これを読めば市場原理主義の愚かしさ、恐ろしさ、なぜ日本がこんな状態になってしまったのかがよくわかります。

ちなみに私がよく読ませていただいているブログでも紹介されています。
http://kihachin.net/klog/archives/2007/04/uchihashi.html
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/32e676821ebfe9974ae2edf995b1fe59

(のとさんのコメント)


内橋氏の著書は未読だが、同氏は信頼できる人だと思っているので、機会を見つけて是非読んでみたい。

他にも多くのコメントをお寄せいただいた。読者の皆さまには深く感謝を申し上げたい。

今後も、たまにはいただいたコメントでエントリを構成してみたいと思っている。


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9月28日のエントリ「新自由主義が生み出した「負のスパイラル」」で、手嶋龍一が小沢一郎を「隠れゴーリスト」と論評したことを紹介したが、これに関連して、たんぽぽさんから「外交と安全保障の争点は、2次元のチャートがわかりやすいと思います」とのコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-459.html#comment2108

これは、縦軸に上を日米同盟重視、下を自主独立とした外交政策、横軸に右を重武装、左を軽武装とした2次元ダイアグラムで外交政策と安全保障政策の立ち位置を表わすもので、永井陽之助が『現代と戦略』(文藝春秋、1985年)という本で示したという。

下記に、そのダイアグラムを示す。但し、象限を示す番号その他を勝手に書き換えた。
071001_2d-diagram5.jpg

このダイアグラムは、各象限に位置するカテゴリの命名に若干抵抗があるが(果たして「日米同盟重視」をリアリズムと言って良いのだろうか?)、このように分類すると、モノサシが一本だと見えにくいところが見えてくるのは確かだ。

調べてみると、永井氏は80年代まで活躍した保守系の政治学者とのことで、氏自身は上図の第2象限に位置する吉田茂の政策の支持者のようだ。

これで思い出したのが、吉田茂、鳩山一郎、岸信介それぞれの政策の違いで、かつて自民党の二大勢力だった吉田茂は、前述のように第2象限の「日米同盟重視、軽軍備」、鳩山一郎は第4象限の「自主独立、再軍備(憲法改定)」の立場だった(小沢一郎は、第1象限にいると見せかけて実は鳩山と同じ第4象限にいるというのが、手嶋龍一の指摘ということになる)。要は、戦争に敗れた日本が再起するに当たって、吉田茂は安全保障をアメリカに頼って、経済成長に力を入れようとしたのに対し、鳩山一郎は自主独立を目指し、そのために自前の軍事力を持とうとしたのである。実際、日ソ国交回復は鳩山政権時代に行われた。ところが、アメリカはそのどちらも気に入らなかった。アメリカは、当時台頭してきた共産主義と対抗するために、日本を反共の砦にしようとして、軍事力の強化を求めていた。だから軍備拡大に不熱心な吉田の政策も、日ソの国交を回復し、日中関係も改善しようといていた鳩山の政策も好まなかったのである。そこで、日米同盟重視かつ軍備拡大を政策としていた岸信介を応援し、日本を属国化しようとした。現に、近年アメリカで公開された情報により、CIAが幹事長時代の岸に資金を提供するなど、岸政権成立に大いに協力したことが明らかにされている。岸のスタンスが、上図でいうと第1象限に位置することはいうまでもない。

現在の政治情勢で、大きな問題だと思うのは、2000年以降、岸派の流れを汲む森派(現町村派)の政権が続いていることである。この派閥は、ずっと日米同盟重視、軍事力強化の自民党タカ派集団だった。それは、アジア外交重視の「ハト派」といわれる福田康夫首相でも変わらない。福田は、あくまで「派内ハト派」に過ぎないのである。上記ダイアグラムでいうと、原点に近いながらも第1象限(日米同盟重視、重武装)にいるというのが福田康夫の政治的スタンスであろうと思う。

だから、所信表明演説で憲法改定や集団的自衛権の問題に触れず、前首相安倍晋三のカラーを一掃したように見えても、インド洋における自衛隊の給油活動が「国益に資する」として新法を制定し、アメリカへの上納金献上を継続するつもりなのだ。そのために、防衛大臣を高村正彦から石破茂に変えるなど、態勢は万全だ。福田康夫は、安倍晋三のような馬鹿ではない。

給油活動が本当に日本の国益に「資する」のか、これはイデオロギーを抜きにして徹底的に議論されなければならない。アメリカの国力は、右派の多くの人が考えているよりずっと低下しており、あまりにアメリカ一辺倒の政策はリスクが大きく、国益を損ねると私は考えている。

それにしても、福田康夫の政策に関する報道を見ていてつくづく思うのは、福田という男もまた、母方の祖父・岸信介に徹底的にこだわった安倍晋三とよく似て、父・福田赳夫への思い入れがきわめて強いということだ。

福田はどうやら、緊縮財政路線を進もうとしていて、テロ特措法もさることながら、私はこれが大きな問題だと思う。で、思い出されるのが福田赳夫が大蔵官僚出身らしく、財政均衡・安定成長論者で、池田勇人の高度成長政策に反対していたことだ。しかし、現実には日本が赤字国債を初めて発行した時(1965年)の大蔵大臣は福田赳夫だったし、1976?78年の首相在任当時には積極財政政策をとり、福田政権の後半では景気が回復した。78年のサミットで福田赳夫が7%成長を公約し、実際には5%ほどの成長しか見込めなさそうな状況になった時、福田赳夫が新聞に叩かれていたのを覚えている。また、政府の財政赤字は、当時から議論の対象になっていた。福田康夫に、父・福田赳夫のような柔軟な対応能力があるかどうかは、今後を見てみなければわからない。「緊縮財政・消費税増税」の財務省路線に強くこだわるようなら、徹底的に批判していかなければならない。

なお、繰り返しになるが、福田政権に対しては、安倍政権に対すると同じ攻撃の仕方は通用しないと思う。スキャンダルをあげつらっていい気になっているうちに、マスコミの情報操作などによって、給油活動継続支持が世論の主流となり、対米隷従が延々と続き、カイカクの継続を明言した福田政権の新自由主義政策によって、格差はどんどん拡大し、日本がますます住みにくい国になる、そういう展開を私はもっとも恐れる。政局よりも政策を語れ。この一言に尽きると思う。


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