きまぐれな日々

昨日のエントリは、タブーとされる「大衆批判」を含むものだったので、予想通りネガティブな反響がかなりあった。

2005年の「郵政総選挙」ではコイズミ自民党が圧勝し、今年7月の参院選では安倍自民党が惨敗した。人間とは身勝手なもので、自民党に反対の人は、今回の選挙結果が「民意の反映だ」というのだが、この論は、一昨年の「郵政総選挙」の結果もまた「民意の反映」であったことを無視している。実際には、いつまた一昨年のような選挙結果が再現されるかわからない危うさが日本の社会にあることを忘れてはならない。

参院選の前に、「B層」を批判したら、「コイズミB層を批判するな、安倍を批判するB層を取り込め」との批判を受けたこともあった。選挙に勝つためだけなら、コイズミの向こうを張った「B層戦略」もよいだろうが、それこそポピュリズムというものだろう。

もうあちこちでいやになるくらい指摘されていると思うのだが、民意が右に左に大きく振れやすくなっているのは、社会に閉塞感があり、大衆が不満を溜め込んでいるからだ。

70年代までは、「有権者の絶妙なバランス感覚が働いた」と評される選挙結果が出ることが多かった。それが変わった最初は、1980年の衆参同日選挙だったと思う。その前から、自民党支持が漸増する傾向があったが、それが一気に出た。

田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳の4人が首相を生み出した70年代は、田中内閣の初期を除いて、自民党内閣の支持率はそんなに高くなかった。今回、福田康夫内閣が50%台後半をたたき出したことで、「父を超えた」と書いたスポーツ紙があった。福田赳夫内閣は、発足当初から20%台の低支持率だったのだ。でも、そんなことを言うのなら、安倍晋三内閣は祖父を超えていた。まあそれはともかく、有権者もジャーナリズムも、今よりずっと政権に対して批判的だった。一昨日のエントリで、渡辺治氏が、自民党の開発型政治が結果的に格差を是正していたと指摘したことを紹介したが、格差を是正してきたのは自民党政治だけではなく、有権者やジャーナリズムによる政権批判や、次々と生まれてきた「革新自治体」の影響もあったのだと思う。だから、自民党の政策は「修正資本主義」にならざるを得なかったのだ。

70年代半ばに「スタグフレーション」(不況下の物価高)という状況が生じ、ケインズ的な政策では対応しきれなくなった頃にハイエクの理論に基づく新自由主義が台頭した。サッチャーが首相になった1979年、日本でも意外なことに「保守本流」のはずの大平正芳が「小さな政府」指向を打ち出している。「大平正芳」を検索語にしてネット検索してみればわかるだろう。中曽根康弘が首相になり、実際に新自由主義を導入しようとし始めたのは1982年のことだが、格差拡大はこの頃から始まった。保守論壇は、90年代初頭のバブル崩壊から小泉純一郎政権が誕生するまでの10年を「失われた10年」と称する。バブル崩壊後の政策を誤った「旧来自民党政治」を批判し、「コイズミカイカク」を称揚する論法だが、これはおかしい。バブルは、後処理を誤った者たちより、それを作り出した者をより強く批判すべきであって、最大の戦犯は中曽根康弘の「民活路線」、すなわち新自由主義なのだ。新自由主義の誤った政策が生み出したバブルを、旧来自民党の政策で解決しようとして失敗したところにコイズミが現れて極端な新自由主義政策をとり、格差をさらに拡大していった。つまり、コイズミの政策は、病人の治療をやめるどころか病状をさらに悪化させるようなものだった。新自由主義が生み出した「負のスパイラル」である。

それなのに大衆は、コイズミが閉塞感を打破してくれるのではないかと期待し、01年の参院選で自民党に大量の議席を与えた。その幻想はいったんは徐々にさめ始め、03年の衆院選と04年の参院選では自民党は敗北したが、05年の「郵政総選挙」で再び「強い指導者」に対する国民の渇望を呼び起こし、郵政総選挙で自民党は空前の大勝利を収めたのである。

以上が70年代後半以後の、主に経済政策面に着目した政治史の私なりの概観だ。この間、政府の財政赤字は積み上がっていった。何度も書くように、私は必ずしも政治思想にも経済学の理論にも明るくないのだが、財政赤字については長年にわたって以下のような疑念を抱いている。すなわち、日本政府は日本国民から借りた金をアメリカに貸しているだけで、財政赤字がいっこうに改善されないのは、アメリカから金を返してもらえないからに過ぎないのではないかというものだ。アメリカに貸した金を返してもらえないから、国民に借金を返せない。言い換えれば、日本国民が本来手にすべき富を、アメリカに吸い上げられているのではないか、という疑問をずっと持っているのである。

ところで最近、親米保守の論客・手嶋龍一が、小沢一郎を「隠れゴーリスト(ド・ゴール主義者)」と呼んだ論評しているのを知り、注意を喚起された。
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070905-01-1101.html

私は、90年代の小沢一郎は、典型的な親米のタカ派だとずっと思っていて大嫌いだったのだが、私もまた「B層」の1人だから(笑)、読みが浅かった。手嶋は、
「小沢一郎という政治家は、国連の安全保障に日本の自衛隊を委ねて国際貢献の義務を果たし、同時に日本の安全保障を確かなものにしていこうと提唱しました。当時こうした議論はかなり新鮮なものだったのですが、アメリカの戦略家たちの眼には、オザワは日米同盟から静かに離脱し、国連の安全保障に軸足を移そうとしていると映ったのでした。
と指摘している。さらに手嶋は以下のように続ける。
アメリカの疑念は、小沢氏が日米同盟派ではなく、国連の集団安全保障機能に拠ってたつ対米自立派ではないかというものでした。東アジアの安全保障に通じた戦略のプロフェッショナルたちは、オザワのなかに故ドゴール仏大統領のように対米自立を密かに模索する「隠れゴーリスト」の影がちらつくのを見逃さなかったのです。その疑念は今にいたるまで消えていないといっていい。
 
その小沢氏は、参議院選挙の勝利で10年ぶりに脚光を浴び、「隠れゴーリスト」の鎧すらかなぐり捨てようとしている―ブッシュ共和党政権の戦略家たちはそう見ています。小泉改革によって既得権益を失った人々の胸底に沈殿する反米ナショナリズム。小沢民主党はそれを揺さぶって政権奪取のテコにしようとしているのでしょう。テロ対策特別措置法こそ、政局の秋の主戦場となりつつあります。

小沢一郎が何を考えているのか、正直言って私にはずっとよくわからなかったのだが、これを読んで少しは頭がすっきりしたように思う。「9条改憲」が是か非か、という視点からだけではこういうことは見えてこない。左派も、今後は現実の国際政治を見据えた広い視野が求められるのではないかと思う。なお、断っておくが、私は日本国憲法の改定には反対である。

とりとめのない記事になったのでこのあたりで止めたいが、私は基本的に「対米自立なくして閉塞状況の打破はない」と考えている。


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