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きまぐれな日々

月末恒例のアクセスデータご紹介だが、8月度は、予想通りとはいえ7月度よりかなりアクセス数が減ったので、あまり気が乗らない(笑)。

「AbEndキャンペーン」 は、安倍晋三が権力の座にしがみついて離れようとしないので、なかなか終わらせてもらえないのだが、8月はマスコミが内閣改造の予想にかまけていたこともあって、マスコミ各社調査による安倍内閣の支持率が上がった。これを当ブログでは「マスコミの自作自演だ」と批判したが、こんなザマだと、権力にしがみついた者の勝ちということになってしまう。93年から94年にかけての下野でそれを思い知っている自民党の政治家ならでの醜態だと思うが、それを助長するマスコミともども、遠くない将来に控える総選挙で、今度こそ総決算しなければならないと思う。

さて、月間アクセス数データをご紹介する。アクセス数は解析ツールによって異なり、弊ブログではFC2アクセスカウンタ、FC2アクセス解析(新旧2種類)およびはてなカウンタの4種類でデータをとっている。

FC2カウンタ
  トータルアクセス数 99,195件 (7月度比 26.8%減)
新FC2アクセス解析
  ユニークアクセス数 58,096件 (7月度比 21.0%減)
  トータルアクセス数 93,368件 (7月度比 26.0%減)
旧FC2アクセス解析
  ユニークアクセス数 67,906件 (7月度比 23.7%減)
  トータルアクセス数 88,276件 (7月度比 26.7%減)
はてなカウンタ
  ユニークアクセス数 75,788件 (7月度比 24.0%減)
  トータルアクセス数 90,173件 (7月度比 26.2%減)


いずれも前月比大幅減になっている。公開した記事の数も、8月度は19本で、皆勤だった7月度の31本から4割ほど減っているが、それより、参院選が終わって政治への関心が薄れた人が多くなった影響の方が大きいと思う。アクセス数は、参院選直後の8月2日が今月度の最多で(FC2カウンタで 4,167件)、最少は日曜日の8月26日(同 2,390件)だった。内閣改造があった今週は、少し回復している。

8月度で目立つのは、検索エンジン経由のアクセスが減っていることと、それに伴って初回訪問客が大幅に減ったことだ。Google検索経由のアクセスは 8,719件で7月度比32.2%減、Yahoo!検索経由のアクセスは 5,675件で同19.9%減(以上FC2新アクセス解析)、初回訪問アクセスは 18,691件で7月度比31.9%減(FC2旧アクセス解析)となっている。その一方で、100回以上訪問のアクセスは 14,472件で、7月度比5.1%増を記録した。8月度は固定客訪問の比率が高かったといえる。

ブログ別では、いつものように「カナダde日本語」「らくちんランプ」 および 「反戦な家づくり」 経由が多いが、いずれも7月度よりはかなり減った。

検索語ランキングは下記の通りである(FC2新アクセス解析)。


1位 きまぐれな日々  839件
2位 工藤会  544件
3位 勝谷誠彦  388件
4位 気まぐれな日々  176件
5位 安倍寛信  172件
6位 安倍洋子  165件
7位 宮本佳代子  128件
8位 大村秀章  101件
9位 みのもんた  81件
10位 稲田朋美  73件
11位 石井四郎  69件
12位 八代尚宏  68件
13位 有田芳生  67件
14位 教育改革関連三法案  62件
15位 田勢康弘  60件
16位 731部隊  58件
17位 アベシンゾー  54件
18位 江田三郎  51件
19位 安倍晋三  50件
20位 宮崎緑  49件
21位 死んだ男の残したものは  47件
22位 安倍晋太郎  45件
23位 俵孝太郎  42件
24位 ベルサイユ化  39件
24位 安倍寛  39件
26位 高村正彦  38件
27位 江島潔  37件
27位 小泉純一郎 離婚  37件
27位 長妻昭  37件
27位 里見甫  37件


8月度は、参院選関係の検索語による検索が激減し、安倍一族の検索語による検索の順位が上がった。トップ30の検索語のうちいくつかは、Google検索で1ページ目に表示されるものだ。

人気記事ランキングからは下記の通り(「はてな」アクセス解析より。「トップページ」と「不明」を除く)。


1位 「ベルサイユのバカ」と化したアベシンゾー (8月18日) 1,150件
2位 言論が一方向に振れる時 ? 山口県光市母子殺人事件をめぐって (8月22日) 1,055件
3位 自民・公明・民主党政治家の「安倍続投」批判 (週刊朝日より) (8月10日) 1,014件
4位 田勢康弘氏の安倍内閣批判(四国新聞より) (8月20日) 865件
5位 電波芸者・勝谷誠彦の生態 (2006年7月29日) 821件
6位 責任をとらない安倍晋三とそれを支持する読売新聞の醜態 (8月4日) 809件
7位 とらわれない心で (8月1日) 798件
8位 ポピュリズムを打破するには (8月5日) 780件
9位 「急がば回れ」 を実行できなかった安倍晋三の愚かさ (8月3日) 771件
10位 「加藤の乱」で既にネット言論はリアルの政治に影響力があった (8月11日) 757件


1位は、堺屋太一氏が安倍政権の「ベルサイユ化」を批判して話題を呼んだ読売新聞の記事を紹介したもので、この記事をはじめとして、トップ10は、1件を除いてすべて8月に公開した記事だ。5位の昨年書いた勝谷誠彦批判の記事は、毎月コンスタントにアクセスを集めており、累計では当ブログで一番の人気記事かもしれない。

実は、11位以下にはかなり前に公開した記事で、今もアクセスをいただいているものが結構ある。以下、順位が上のものから示す。


11位 自民党の「年金問題の切り札」・大村秀章の醜態 (6月17日) 681件
11位 指定暴力団工藤会の「おねがい」 (2006年7月14日) 681件
18位 小泉純一郎と安倍晋三と「女系」 (2006年8月6日) 360件
19位 日航機123便墜落事故から21年 (2006年8月29日) 356件
20位 安倍晋三につながる極右人脈 (2006年11月26日) 349件
25位 安倍晋三の正体 (2006年11月5日) 277件
26位 安倍晋三は「安倍家の面汚し」 (2006年9月8日) 272件


これらのうち、18位、19位、25位の3本は、私が読んだ本を紹介したものである。他の4本とあわせて、思い出深いエントリばかりだ。

9月度以降も、なかなか7月度のような「皆勤」に戻ることはないと思うが、今後も、時間がたってもネット検索などを経由してアクセスされるような、風雪に耐え得る記事をもっと多く書いていきたい。


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金を払ってまで産経新聞を読んだことはないが、外食する時、店においてある産経新聞を読むことはある。御用新聞だけのことはあって、体制内の情報は結構詳しい。

昨日(29日)もたまたま産経を読んでいたら、アレっと思う記事があった。
「【内閣改造 土俵際の再出発】(下)本気だった『倒閣』」と題されたその記事は、1面に出ていたが、記事がスペースに収まりきれず、はみ出した続きが4面に掲載されていた(大阪本社版)。

この産経の記事については、明月さんのブログ 「反戦な家づくり」 が取り上げているが、元ナベツネ・ウォッチャーの私には、絶対に見過ごせない記事だ。何しろ、ナベツネ(渡邉恒雄・読売新聞会長・主筆)が山崎拓、加藤紘一、古賀誠、津島雄二の4人と密会し、安倍内閣打倒の策を練っていたというのだ。以下産経の記事を抜粋、紹介する。


 2日後の7月31日。東京・汐留の高層ビルの一室で、参院選で瀕死(ひんし)の痛手を受けた安倍政権を揺るがす密談が繰り広げられていた。

 「メディア界のドン」といわれる人物が主催する秘密会合に顔をそろえたのは派閥領袖級の4人。元副総裁の山崎拓、元幹事長の加藤紘一、元幹事長の古賀誠の「新YKK」、そして元厚相、津島雄二だった。

 誰とはなく「安倍はもうダメだ。世論が分かっていない。一気に福田擁立でまとめよう」と声を上げると、新YKKとは一線を画していた津島も「あの人(安倍)には人の暖かみを分かる心がない。『正しいことさえ言っていれば人は分かってくれる』と思いこんでいる」と応じた。

 くしくも同じ夜、森は別の会合で「次の内閣改造のキーワードは『安心』と『安全』だ。失敗すると安倍は厳しい」と語り、福田、谷垣の入閣が政局のカギを握るとの見通しを示し、こう言った。

 「どんなに追い込まれても、安倍に解散はさせない」

 森のこの言葉は一気に広まった。加藤らは「福田擁立で各派がまとまれば森は乗ってくる」と手応えを感じた。この後新YKKが不気味なほどに沈黙したのは、それだけ「倒閣」が本気だったことを示していた。

 汐留での会合で慎重姿勢を崩さなかった古賀も3日朝、都内のホテルで開かれた財界とのセミナーでは多弁だった。

 「参院選は歴史的な大敗だが、首相の続投も歴史的な決断だ。内閣改造の結果をみて私たちもどう行動するか考えなければならない」。古賀は最後にこう結んだ。

 「衆院解散はびっくりするほど早くなる」

(Sankei Web 2007年8月29日より)


この記事に書かれた「メディア界のドン」がナベツネを指すことは疑う余地がない。このフィクサー気取りの巨大マスメディア独裁者を扱った魚住昭氏の名著 『渡邉恒雄 メディアと権力』 (講談社、2000年)については、当ブログでも何度か紹介したことがあるが、ナベツネは「国家と一体化する新聞」を目指すとうそぶき、かつても自自公連立の際にも、自民・自由・公明の3党首脳と密会しては写真週刊誌に報じられていたものだ。

[当ブログの関連記事]
 「ナベツネと靖国と安倍晋三と(その1)」 (2006年7月12日)
 「ナベツネと靖国と安倍晋三と(その2)」 (2006年7月19日)
 「ナベツネと靖国と安倍晋三と(その5)」 (2006年7月27日)

そのナベツネが反安倍の4氏と密会したというのだが、明月さんも指摘しているように、読売新聞は安倍内閣の支持率調査で、マスコミ各社の中でも断トツの「44%」という数字を出している。

これを明月さんはナベツネと自民党政治家の間で、「なんでも良いから、形だけ挙党一致体制を作って、その上で麻生に禅譲せよ」ということで話がついたのではないか、と推測している。

あるいはそうかもしれないが、腑に落ちないところもある。

というのは、ナベツネと密会した反安倍の4氏と麻生太郎では距離が大きすぎるからだ。同じ吉田茂の系列でも、麻生と加藤・谷垣の距離はとてつもなく大きいと私は考えているし、伝え聞くところでは、仮に政権の座を追われたとしても次は麻生、と考えている安倍に対し、森喜朗は安倍の次は福田と考えており、安倍と森の対立は激しさを増しているという。そして、安倍と麻生の背後には小泉純一郎がいることは間違いなく、コイズミの新自由主義にはナベツネは真っ向から反対しており、コイズミ政権末期には読売新聞は政権とずいぶん距離を置いていた。例の読売が朝日などと組んで仕掛けた「反靖国キャンペーン」もその一環であり、私は昨年7月26日のエントリ 「メディア横断キャンペーンの仕掛け人は、やはりあの人?」 にも書いたように、日経新聞の「富田メモ」スクープもナベツネの仕掛けだと推測している。ナベツネは、必ずしも「反安倍」ではないが、「反コイズミ」であるのは間違いないだろう。

そのナベツネが、コイズミ系列につながる麻生太郎への禅譲路線をあっさり受け入れるだろうか、というのが私の疑問である。

以前、森田実氏が、安倍晋三の後ろ盾になっている、岸信介を崇拝する秘密結社のような組織が、
マスコミはほぼ完全に握った。大マスコミの実力スタッフをメンバーにしているようだ。「某マスコミ機関の実力者が反政府的言動を強めているが、そのマスコミを自由に動かすことができないのは、その報道機関のなかに親衛隊が存在しているからだ」。
と指摘したことがあった(「森田実の時代を斬る」 2006年1月27日)。

岸信介がCIAから金をもらってアメリカの意のままに動くロボットであったことは、次々と公開されている資料から明らかになりつつある歴史的事実だと思うが、森田さんのいう「日本の情報をコントロールし、日本の政治を動かす政治権力の一種の親衛隊」もまた、アメリカの意を受けて動いていることは想像に難くない。

ナベツネはむしろそれとは対峙するスタンスにありながら、読売新聞社内では「親衛隊」の勢力がかなり強まっており、ナベツネはもはや読売新聞の全権を掌握しているとはいえない状況なのではないか。そう私は推測するのである。


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呆れたことに、マスコミ各社は安倍改造内閣発足当日にさっそく世論調査を実施し、内閣支持率が上がり、内閣改造が評価されたとして政権を持ち上げている。

しかし、新聞もテレビも、改造数日前から新しい閣僚の顔ぶれなどを予想しては紙面や番組でぶち上げて、あたかも政治について語ることはそれくらいしかないかのような報道姿勢であった。これでは、新聞の見出しとテレビ番組からしか物事を判断しない人たち(いわゆる「B層」)が内閣支持に回って当然だろう。そしてメディア各社は、自らが作り上げた通りのトレンドになっていると、嬉しそうに「世論調査」の結果を発表するのである。

これはとんだ茶番劇であって、この時期に繰り広げられた内閣改造人事の観測報道に対する「AbEnd」ブロガーの反応はいたって冷淡で、盆休みの時期よりさらに「安倍晋三TBP」へのトラックバックの件数や各ブログへのアクセス数は、いずれも減少傾向にあった。そして、内閣改造が行われると、これを批判するために一時的にTB件数やアクセス数が増加したということだと思う。来月に臨時国会が召集されたら、再び戦いの時がくる。一時的な内閣支持率の上昇などには動揺しない冷静さが求められる。

ところで、安倍晋三内閣に対峙しようとする際、安倍が何をやりたいのかをはっきりおさえておく必要がある。

とにかく安倍がやりたいのは「戦後レジームからの脱却」(戦前レジームへの回帰)、これに尽きる。安倍は憲法を改定し、一部の世襲的権力者が下々を統治していく、アンシャン・レジーム(旧秩序)とかアリストクラシー(貴族制)などと表現される統治形態を理想としていることは疑う余地がないと思う。アベ=シェイエスは聖職者(第一身分)や貴族(第二身分)に対する平民(第三身分)の権利を主張したが、アベシンゾーは平民に対する世襲権力者の優越性を主張するというワケだ。

そして、「日本会議」の思想を理論的バックボーンとする安倍は、コイズミの「構造改革」には何の興味もないどころか、内心では「反コイズミ」だろうと考えているが、コイズミと安倍で気が合うのは、世襲議員たちでつるみたがるところではないだろうか。世襲議員が跳梁跋扈する自民党の政治家たちが、市場原理主義(新自由主義)を標榜するほどひどい矛盾はないと思うが、世間一般の常識が通用しないのが永田町なのだろう。

以上を考えた時、「日本会議」の思想を信奉するような「政治思想的右派」と、コイズミ?竹中の新自由主義を信奉する「経済思想的右派」(一部の人たちの用語でいう「カイカクファシズム」の勢力)の両方を、いずれにも偏らないように撃たなければならないと私は考えている。たとえば平沼赳夫や城内実は「日本会議」の思想を信奉する勢力として、片山さつきに代表される「コイズミチルドレン」は新自由主義勢力としてそれぞれ批判すべきであって、きたるべき総選挙では、野党は静岡7区において、片山さつきと城内実を共倒れさせるべく強力な候補者を立てなければならない。

とにかく、コイズミ的なるものとアベシンゾー的なるものは両方退治しなければ日本に国民のための政治を実現させることはできないだろう。「カイカクファシズム」に対抗するためには「政治右派」とも手を組め、という主張に与することは、私にはできない。


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27日、安倍改造内閣が発足した。

多くの方々同様、一番代わらなければならない人間が留任することが前提となっている内閣改造なんてどうでも良い、と思っているので、この件でエントリを起こすこと自体いまいましいほどだが、顔ぶれを見たら、突っ込んでくれ、といわんばかりの改造になっているので、ちょっとだけ触れてみたい。

誰が見ても内閣総辞職が相当、という状況で、民意を無視して退陣を拒否した安倍晋三首相だが、どのような方針に基づく内閣改造になるかについて、あらかじめ下記の4通りを想定していた。

1. 引き続き「安倍カラー」にこだわる、政治右派色の強い内閣改造
2. コイズミ流の「構造改革」に力点をおいた、経済右派色の強い内閣改造
3. 「反安倍」の人たちを取り込んだ、挙党体制的な内閣改造
4. 上記のどれにも当てはまらない、無定見な内閣改造

これらのうち、私がもっとも警戒していたのは3. の挙党体制的内閣だったが、そうはならず、安倍カラーにこだわるでもコイズミの「カイカク」路線を強調するでもない、4. の無定見な内閣改造になるのではないかと楽観的な予想をしていたところ、実際にそうなった。

仮に、福田康夫や谷垣禎一が入閣したり、石破茂が防衛大臣に就任したりするようなことがあったら、「安倍改造内閣侮れず」との印象を与え得たと思うが、そうはならなかった。「産経新聞」は、自民党9派閥のうち町村、高村、伊吹、麻生、二階の派閥の会長5氏が閣僚や党役員に就任または留任したことから「重厚な布陣」などと評価しているが、現在の派閥の領袖はかつてと比べてずいぶん小粒になったな、というのが私の偽らざる感想だ。たとえば、「森派」はもうだいぶ前に「町村派」に衣替えしたにもかかわらず、未だに「森派」と呼ばれることが多い。

いくら派閥の領袖が加わったといっても、昨年の総裁選で安倍と争った福田康夫や谷垣禎一が外れていては、「挙党内閣」からはほど遠いと思う。

次に政策面だが、防衛大臣の高村正彦の率いる派閥は三木派・河本派の後身である。硬骨漢だった三木や河本とは異なり、高村は統一協会との関係も指摘され、政策的にも「タカ派」的とされているが、それでも筋金入りの極右である安倍晋三の思想信条とはかなり開きがあるのではないか。ここは、手強い石破茂あたりを持ってこられなくて助かったという印象だ。

あと、目を引くのが財務相に額賀福志郎をもってきたことだ。昨年7月13日のエントリでも書いたように、1998年に防衛庁長官、2001年にはKSD事件に絡んで経済財政担当大臣をそれぞれ更迭された男だ。昨年には「敵基地攻撃論」を唱えて批判された。額賀は津島派に属しており、自民党の政策としてスケジュールに上がっている消費税引き上げで、泥をかぶってもらうためにわざわざ対立派閥から攻撃にさらされやすい議員を選んだのではないかと思えるほど、摩訶不思議な人事だ。ただ、額賀氏の起用によって、安倍が「コイズミカイカク」路線の強調には消極的であることだけはわかる。

あと、伊吹文明、冬柴鉄三ら5人が留任しているのが、新味がないとの印象を強めている。評判の悪かった首相補佐官は5人から2人に減らし、コイズミ直系といわれる小池百合子は防衛大臣留任どころか結局首相補佐官からも外れて無役になったが、拉致問題担当の中山恭子と教育再生担当の山谷えり子を留任させたあたりに、安倍のこだわりが伺われる。「テレビ三面記事・ウイークエンダー」のレポーターを務めていた「元テレビキャスター」の山谷は、教育再生会議を迷走させた元凶とされており、これまでの10か月でさんざん無能さを露呈してきて、今回の内閣改造では誰もが山谷の更迭を予想していた。安倍は、他の誰を切っても山谷だけは守りたかったのではないかと思われる(笑)。

安倍がなんとか面目を保ったのは、年金問題で舵取りの難しい厚生労働大臣に、参院選前後に厳しく安倍を批判していた舛添要一を起用したことくらいだろうか。これは、今回の改造で唯一のマシな人事だったと思うが、内閣改造全体としては、非常識といえる「続投」に見せた安倍の人並み外れた権力への固執とは裏腹に、信念も執念も何も感じられない内閣改造だというほかないだろう。

いずれにしても、「空気が読めない」、「機能が弱い」、「解散控えてヨタヨタ」の安倍「KY」改造内閣になった。突っ込みどころ満載のこの内閣を、今後も批判していきたい。


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防衛大臣がくだらないパフォーマンスを見せているようだが、この品性下劣な女の批判は、多くのブログが書き尽くしてくれているので、当ブログとして付け加えることは何もない。

面白いのは、検索語「小池防衛相」でGoogle検索をかけると、大手マスコミの記事ばかりが検索にかかるが、検索語を「マダム寿司」にすると、「きっこのブログ」が筆頭に引っかかり、「晴天とら日記」が3位、「kimera25」が7位で検索されるなど、「AbEnd」ブログの健闘が目立つことだ。

私は、小池が「『マダム寿司』と呼んでくれ」などと言っているから、逆に意地でも「マダム寿司」となんか呼んでやるものか、と思っており、当エントリを例外として、「マダム寿司」という呼称は用いないつもりだ。単に「小池」と呼び捨てにしようと思っている。小池が防衛大臣を辞めるだのとほざいているのは、落ち目になった元人気歌手が紅白歌合戦の選に漏れる前に「今年の紅白を辞退します」などと宣言することを連想させる。自意識過剰のバカ女の下劣なパフォーマンスはたいがいにしてくれ。言いたいのはそれだけだ。

さて、「Google検索」というと、「カナダde日本語」ではGoogle検索経由のアクセスが半減しているそうだが、当ブログでもざっと4割近く減っている。先月と今月の検索語別のアクセスを調べてみると、先月多かった「参院選」関係の検索語によるアクセスがごっそり減っていて、その影響が大きいようだ。

当ブログでは、昨年9月と比較すると、現在のGoogle検索経由のアクセスは5倍以上に増えているのに対し、Yahoo!検索経由は1.2?1.3倍でしかなく、Google経由のアクセス数がブログへのアクセス数全体の増減と相関が高いのに対し、Yahoo!経由の方は月によって不自然なアクセス数の乱高下が見られる。アクセス数の多かった先月度でさえ、昨年11月の1.3倍に過ぎなかった。その間、全アクセス数は3倍になったにもかかわらずである。「Google八分」とはよく指摘されることだが、Yahoo!検索に関しても、変な操作がなされていると疑った方が良いように思う。

ちなみに、Google検索で当ブログが上位にくる検索語は、「勝谷誠彦」が5位、「大村秀章」が4位、「江島潔」が6位、「アベシンゾー」が7位、「教育三法案」が6位(「教育改革関連三法案」だと1位)などとなっている。但し、教育三法案に関しては、当ブログではなく「サンデー毎日」の功績に帰せられるべきもので、当ブログは同誌の良い記事を紹介したに過ぎない。また、「アベシンゾー」はいうまでもなく「きっこ用語」だが、検索語を「アベシンゾウ」にすると、「kojitakenの日記」が5位にひっかかる。リンク先をご参照いただければわかるが、元ネタは朝日新聞に載った、早野透編集委員の「参院選の争点がカタカナの『アベシンゾウ』になっちゃったな」という言葉である。おそらく、早野氏は「きっこの日記」の愛読者なのだろうと想像する。

Yahoo!検索では、「工藤会」が3位であり、数日前、福岡で暴力団の組長が射殺された事件があった頃、この検索語によるブログ来訪が一時急増した。

なんだかとりとめのない記事になってしまったが、言いたいのは、ブログは検索エンジンに強く、特に政治ブログは層が厚いとはとてもいえないので、ブログを開設してちょっとキャッチーな記事を書けば、すぐにでも検索エンジンでトップページに表示されることが可能だということだ。

参院選で自民党が大敗した現在、より高度なブログ言論が求められる状況になってきたと思う。これまでは、何が何でも政治思想・経済思想双方の右派(前者の代表がアベシンゾーで、後者の代表がコイズミや竹中平蔵)の暴走をがむしゃらに食い止める必要があったが、これからは戦略的思考が求められる。たとえば、ただ単に「護憲」をスローガン的に唱えていれば戦争を食い止め、平和がもたらされるわけではない。軍事力に頼らずして、外交や経済政策によって国力を高めるとともに国際平和に貢献するのは、本来とても高い知力の要ることだ(アメリカに追従するだけなら、コイズミや安倍みたいなバカでもできる)。前にも書いたが、その意味で、改憲派や「タカ派」にまで働きかけようとしている社民党の辻元清美議員などに私は注目している。今後求められるのは、従来的な硬直した「護憲派」ではなく、行動力と戦略を持った「したたかな平和主義者」なのだと思う。そして、その人たちを力づける意味でも、政治思想や経済学に詳しい人たちに、どんどんブログに参入していただいて、いずれについても門外漢である私が運営している当ブログなどあっさり弾き飛ばして、活発な言論を展開してほしいと強く願うものなのである。


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参院選が終わって負けた安倍晋三は、醜く権力の座にしがみつき、インドなどを訪問している。今回は大量の財界人がついていっており、「KY」とは安倍のみならずこうした恥知らずの財界人にも当てはまるのではないだろうか。

当ブログの更新間隔は、このところ1日おきくらいになってしまっているが、これは参院選前からの予定の行動であり、自民党が参院選で大敗した今、あんな安倍ごときの悪口を書くのなど2日に1度で十分、それよりもっとやりたいことに時間を割きたいと思っているからだ。

その一つが読書であり、買い込んでいながら読めていない本がたくさんあることでもあり、これからじっくり読んでいきたいと思っている。

一昨日のエントリ「言論が一方向に振れる時 ? 山口県光市母子殺人事件をめぐって」も、かつて読んで印象に残った本があればこそ書けた記事だった。

その本とは、魚住昭著「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)だった。

この本で著者の魚住は、田中森一、安田好弘という「悪徳」弁護士として知られる、ともに逮捕された二人の弁護士を題材にして、特捜検察の「国策捜査」を描いた。そして、安田好弘こそは「山口県光市母子殺害事件」の弁護団の中心人物なのである。この本を読んでいたからこそ、私は「安田=悪徳弁護士」という図式を、はなから全く信用せずに斥けることができた。「特捜検察の闇」によると、安田弁護士は、中坊公平率いる住宅金融債権管理機構(住管)が「国策」の名のもとに行っていた捜査や債権回収の実態と対峙していた。しかし、裁判官、弁護士、検事の法曹三者が一体となった「国策捜査」が行われ、安田は、債権回収を妨害するために不動産会社に「資産隠し」をしていたとして警視庁に逮捕されたのだった。

「国策捜査」については、佐藤優の「国家の罠」(新潮社、2005年)が名高いし、優れた本だ。佐藤優の逮捕も鈴木宗男の逮捕も国策だったし、鈴木宗男を追い落とすのに利用された辻元清美は、その役割を終えると自らも「国策捜査」の罠にはまって逮捕された。佐藤は、旧来自民党のケインズ型経済政策からコイズミ・竹中らのハイエク型経済政策に転換する「時代のけじめ」として、前者を代表する政治家である鈴木宗男が逮捕されたのだろうと考えている。

その鈴木宗男と佐藤優の対談本である「反省」(アスコム、2007年)がよく売れているようだ。私も読み、面白いとは思ったが、「必読の書」とまではいえないと思う。佐藤の対談本なら、これよりは以前にもご紹介した魚住昭との対談本「ナショナリズムという迷宮」(朝日新聞社、2006年)の方がずっと面白い。

私が今読んでみたいと思っている本の一つが、魚住が「特捜検察の闇」で扱っているもう一人の「悪徳弁護士」である田中森一が書いた「反転?闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎、2007年)である。410ページもあるハードカバー本で、読みでがありそうだ。

あと、最近読んで面白かったのが岩波文庫の「石橋湛山評論集」(1984年)である。

私が石橋湛山に興味を持ったのは昨年夏のことだ。「きっこの日記」の昨年8月6日付「原爆の日」は、非常に印象的な一編だが、日記の末尾に、「戦争を語り継ぐ60年目の証言」というサイトにリンクが張られている。そして、その中に「石橋湛山(第55代内閣総理大臣)の反戦論」というページがあるのだ。これは、半藤一利著『戦う石橋湛山』(東洋経済新報社、2001年)を紹介したものだ。その後、高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書、2005年)で湛山が敗戦直後に靖国神社廃止論を唱えていたことを知り、ますます興味は高まった。

岩波文庫の「石橋湛山評論集」には、その靖国廃止論は収録されていないが、100年近く前の二十代にして、早くも日本人に哲学が欠如していることを嘆き、1920年代に朝鮮・台湾・樺太・満州などの放棄や軍備不要論を説き、税源の地方移譲を主張した。湛山は個人主義と社会主義を融合させた「新自由主義」を唱えたというが、これはいうまでもなく「市場原理主義」の蔑称である現在の「新自由主義」とはベクトルが180度異なるものだ。

この石橋湛山が首相就任2か月で病気のために退陣し、代わって岸信介が首相になったのは、日本にとって痛恨事だった。

「石橋湛山評論集」は、昔の人が書いた本とは思えないくらい読みやすく、その内容は現在でも全く色あせていない。イッキ読みできるし、是非オススメの一冊だ。

最後に、政治関係から離れて読んでみたいと思っている本として、亀山郁夫氏によるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の新訳(光文社古典新訳文庫、2006-07年、全5巻)をあげておく。私は新潮文庫の原卓也訳(1978年)で18年前に読んだが、読みやすいとの評判の高い亀山の新訳は、買い込んではあるものの未読である。参院選も終わったことだし、ここらでじっくり読んでみたいと思っている。


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マスメディアが発達した現在、「言論が一方向に振れる時」というのがしばしば現れる。本来、対立した意見が争われるべき状況において、マスメディアによる宣伝を媒介して、極端に一方の側に支持が偏った状態が生じてしまうことだ。

一昨年の「郵政総選挙」はその悪例の一つだった。人々は、「郵政民営化」の内容もよく理解せず、「抵抗勢力」を相手に戦うコイズミに熱狂した。その「カイカク」が幻想であったことを悟るのに、コイズミが首相になった頃から数えて実に6年を要した。安倍晋三は90年代前半以降コイズミ政権成立までの10年を「失われた10年」と称しているが、これは誤りである。経済危機を新自由主義的手法で乗り切ろうとした1997年以降、小渕、森、コイズミ、安倍と政権が変わるたびに政治家の質がどうしようもなく劣化していった現在までの10年間こそが「失われた10年」であったことを国民は共通認識とすべきである。

時の為政者が宣伝を仕掛け、民衆の心をくすぐる甘言によって国民をダマした最悪の例が、ヒトラーのナチス・ドイツであって、コイズミのやり方はそのミニ版に過ぎず、最悪の事態に至る前に国民がその迷妄から醒めそうなのは、まだ油断はできないとはいえ喜ばしいことだと思う。

ところで、このように言論の状況が一方向に偏る状況は、何も政治的な言論の場にのみ現れることではない。社会的に話題になる事件や、サッカーや野球などのスポーツにおけるファン心理の過熱などにも見られることだ。後者はともかくとして、前者には結構な危うさを感じることが多い。

私が、前々からその例の一つであると考えているのが、1999年に起きた山口県光市母子殺人事件をめぐる言論状況である。

この事件に絡んで、事件当時18歳になったばかりだった被告を何が何でも死刑にしようという風潮を、かねがね私はとてもうさんくさく思っていたのだが、最近、「週刊ポスト」がこの風潮に疑問の一石を投げかける記事を掲載した(8月17・24日合併号)。これは、8月9日に、もそもそさんのブログ「そもそも、どーなの」に紹介されたことによって知り、私の運営する裏ブログである「kojitakenの日記」に、「光市母子殺人事件に関する週刊ポストの勇気ある記事」というタイトルの記事にして紹介したところ、45件の「はてなブックマーク」がつき、盆休みに入る週末だったというのに、8月10日、11日の2日間で計5000件近いアクセスをいただいた。

「はてブ」のコメントを見ると、賛否両論があるが、少なくともマスコミ報道やそれに影響された世論に見られるような「被告を何が何でも死刑にせよ」という主張への極端な偏りは見られなかった。こういうカウンター的言論を広めるのに、ブログという媒体は捨てたものではないと感じた次第だ。

さらにその後、雑誌「創」の2007年9・10月号に、やはりこの事件に関する一方的な言論へのカウンターとなる記事が掲載されていることを知った。本エントリではこれを紹介したいと思う。

ジャーナリスト・綿井健陽氏による「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」という記事がそれである。この記事は、下記のように書き出されている。


「光市母子殺害事件」弁護団への激しいバッシングが続いている。カッターナイフの刃が送られたり、殺害予告が届いたり‥‥。この「私刑」の雰囲気は、一体誰が作り上げたものなのか。


「広がる弁護団への非難・中傷・嫌がらせ」と題された最初の章の最後から、次の章「限度を超えたメディアの『暴走』」の最初の部分にかけてを以下に引用する。


 この裁判をめぐって、それは社会といっていいのか、それとも単に世間や大衆と言うべきなのか、いやそれともマスメディアだけなのか、その注目される部分がほかとは相当異なっている。それは「被告の元少年が何を法廷で話すか、どんな顔つきや態度なのか」という一般的な興味とは別に、「どんな弁護士たちなのか、その弁護団が何を主張するのか」という部分にゆがんだ形で向けられている。そして、そこから派生する弁護士たちへの非難・誹謗・中傷・嫌がらせ、そして相次ぐ脅迫まで、いわゆるネット空間だけの限定現象ではなく、メディアと市民が一体となった形で、この国に少しずつ広がり始めている。

限度を超えたメディアの「暴走」

 これらの現象に関して永六輔氏は、本誌(注:「創」)編集長も出演しているCS放送「朝日ニュースター」(7月21日放送)の番組の中で、「僕がテレビの実験放送から始めたとき、アメリカからジャーナリストが来て『スタジオは裁判所じゃないですす。スタジオを裁判所にしないように』と繰り返し言われた。いまは裁判所になってるでしょ。『ニュースキャスターは裁判官ではありません』と言われたが、最近は裁判官に近いでしょ」 「昔は『村八分』というこれも差別がありましたよね。今はテレビのおかげで『国八分』になっている。日本中でという形になっているのが怖い」と指摘していた。

 テレビのスタジオはもちろん、雑誌・ネット上からご近所の世間話の類まで、この事件のことに対してはみんな何かしらの意見を述べる。いわゆる「感想」を話したり、判決を「予想」したり、あたかも誰かの「代弁者」のように怒ったり、それらは「世論」の上に乗っかることが参加条件だ。繰り返されるメディア情報だけを材料に、裁判長や検事になったかのように話す。決して被告の側やそれを弁護する側ではない。この裁判の法廷は広島高裁にある302号法廷一つしかないはずなのに、その法廷以外のあちこちで別の「裁判」が進行しているといった方がいいだろうか。いや、それらは決して「裁判」ではなくて「私刑(リンチ)」に近い。

 昨年6月の最高裁判決の前日、安田好弘弁護士は都内で講演した。前回の最高裁での弁論を「欠席」した際(それまでは認められるはずの延期申請ができないという理由の「欠席」だった)、一日100件以上の電話が弁護士事務所に来たそうだが、その内容のほとんどは「弁護は不要だ」 「死刑にすべきだ」という内容だったという。これに対して彼は「電話の向こう側から『殺せ、殺せ』という大合唱が聞こえてくるようだ。『許せない』ではなくて、『殺せ』という精神的な共謀感なのか。世の中が殺せ、殺せという動きの中で、司法がちゃんと機能するのかが問われている。明日は裁判という名の『リンチ』が起こる」(筆者=綿井健陽氏=のメモより)と話していた。

(「創」 2007年9・10月号掲載 綿井健陽「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」より)


記事の筆者・綿井氏は、差し戻し控訴審が行われている広島高裁を通りかかる市民から何度も「もう判決は出たんですか?」と聞かれ、みんな「死刑か、それとも無期か」という部分にしか関心がないようだ、と感じたという。綿井氏は、2002年の北朝鮮による拉致被害が明らかになった頃のメディア状況を連想したと書く。確かにこの時のメディア放送も冷静を欠いたものだった。その状況で、国民の反北朝鮮感情を煽って人気を高めたのが安倍晋三官房副長官(当時)だったことはいうまでもない。

綿井氏は、この裁判の弁護士・安田好弘氏がことあるごとにテレビのテロップで「死刑反対運動のリーダー的存在」と紹介されており、テレビ報道が「裁判や被告人が死刑廃止運動に利用されている」という流れに誘導しようとしていると指摘している。そして、もし安田弁護士に対して「死刑廃止運動のリーダー的存在」という肩書きを裁判報道で用いるなら、被害者遺族の男性にも「犯罪被害者の権利を求めてきた運動の象徴的存在」という肩書きを使わなければ公平ではないだろう、と主張している。まことにもっともな論旨だ(但し、それは被害者遺族の男性の思いとは相当異なるだろうとも指摘している)。

さて、綿井氏は、この裁判に関する新聞メディアの報道は、テレビとは異なって節度を保っていることを指摘している。5月の差し戻し控訴審初公判翌日(5月25日)の紙面は、地元の中国新聞は被害者側に沿った記事を書いていたが、毎日新聞は一面トップで司法制度のあり方に言及して、「拙速は許されない」と逆の意見を述べ、読売新聞の広島版では「遺族、早期結審願う 弁護側は慎重な審理求める」と両論併記の形をとっていたそうだ。新聞によってスタンスは異なるものの、決して一方的な報道ではなかった。

それに対してテレビ報道は前述のように一方的なものだし、雑誌に関しても、差し戻し審開始の頃から、「週刊新潮」、「週刊ポスト」、「フライデー」などが一方的に被害者遺族男性(本村洋氏)側に立った報道を行い、その攻撃対象は被告の元少年から弁護団の方に移ってきていると綿井氏は書いている。ここで指摘されているように、「週刊ポスト」も、最初はそういう報道だったのが、先日になって自らの報道のカウンターになるような記事を掲載したというわけだ。このあたりに同誌の雑誌ジャーナリズムの良心を見る思いだ。

ネット言論はどうだったかというと、コイズミの「改革ファシズム」に反対の声をあげて一躍注目されたリベラル系の某有名ブログが、この件で被害者親族の男性に入れあげて、センセーショナルに厳罰を求めるネット言論を煽りに煽っていたことがが思い出される。保守系のブログはもちろん厳罰主義を支持していたから、ネット言論では、保守系・リベラル系を問わず、かなり一方的に被害者親族の男性側に入れ込み、被告の元少年や弁護団を激しく非難する論調に偏っていたといえると思う。

綿井氏の記事に戻ると、記事は、弁護団が3日間の集中審理を終えて6月28日に会見した際の記者との質疑応答に触れ、安田弁護士が「被告は殺害行為をやっていない。最高裁が認定した殺害行為は誤りだ。これは死刑の回避の問題ではない。司法権の適正な行使の問題だ」と主張したことを紹介している。

以下、記事の結びの部分を引用、紹介する。


 被告の供述を裏付ける重要な客観的証拠は確かに存在する。その一部は『光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか』(インパクト出版会)に鑑定書が掲載されているが、「被害者の女性を両手で首を絞めた」 「赤ちゃんを床に叩きつけた」という部分の「両手」 「叩きつけた」という検察の主張を裏付ける証拠はない。これらの遺体の痕跡についての判断は今後の裁判で明らかにされるだろう。そして、新たな客観的証拠も今後の公判で弁護団から提示される予定だ。

「弁護団は死刑廃止運動にこの裁判を利用している」という批判ばかりが世間を覆っているが、この弁護団は上記のようなことを含め、事件現場での事実をこれまでできる限り一つ一つ丁寧に解明してきた。むしろ検察側(あえて強調しておくが遺族側ではない)の方が、この裁判を今後のこの国の死刑や量刑の基準として示そうとしている、もっと言えば司法全体がこの裁判を日本の社会へ向けて、ある種の「見せしめ」として政治利用しているとさえ私には思えてくる。

 広島地方の梅雨が明けた直後の7月24日、また3日間の集中審理が始まった。広島高裁の法廷の中では今後も審理が着々と進められる。だが、法廷の外で展開するこの裁判をめぐる「報道」と「反応」は、このままではさらにエスカレートする可能性が高い。NHKニュースはこの裁判を伝える際、「18歳の元少年に死刑が適用されるかどうかが争点です」とナレーションで説明する。しかし、この裁判は「死刑」を争う裁判ではなく、ひょっとするとメディアによってあおられる「私刑(リンチ)」が、我々が住んでいる社会にどんな結果をもたらすことになるかを世に示す裁判になるのかもしれない。本当にそれでいいのだろうか。
(7月25日広島にて)

(「創」 2007年9・10月号掲載 綿井健陽「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」より)


ネット言論は、このようなテレビによる極端な意見への誘導を煽るものであるより、多様な視点を提供して、一方向への暴走に歯止めをかけるものでありたい。そのような実践を伴ってこその「反(カイカク)ファシズム」ではなかろうか。

なお、本エントリで紹介したのは、記事のほんの一部だ。読者の皆さまには、雑誌で記事全文に当たられることを是非おすすめする。


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もと日本経済新聞の記者だった田勢康弘氏が、四国新聞に月1度くらいのペースで「愛しき日本」というコラムを執筆している。

田勢氏は、8月3日付の「政治家の言葉 あまりに軽い安倍内閣」でも厳しい安倍批判を展開していたが、8月20日付の「安倍内閣 改造の後に来るもの」も痛烈だ。

以下に一部を引用、紹介する。


安倍内閣 改造のあとに来るもの

 安倍首相は27日に党役員・内閣改造を断行し、参院選の歴史的大敗から立ち直るきっかけをつかもうとしている。?指導者としての自分に過ちはなかった。年金問題や閣僚の失言という自分以外の要素で選挙に負けた。本来なら、負けるはずがないのだ。もう一度チャンスがあれば、必ず勝てる。?きっと首相はそう思っているだろう。第二次大戦の敗因を検証することなく、いまにいたるまでどうも負けたような気がしない、と考えがちな日本人の国民性だろうか。

(中略)

 国家運営の指導者がもっともしてはならないことは、国民にうろたえる姿を見せてしまうことだ。政権が衰弱し、起死回生の策を模索したくなるときに、決まって新たな問題が発生する。「防衛省次官人事」をめぐる迷走が、この政権の衰弱ぶりと、指導者の資質の欠如を教えている。安倍首相が確固たる信念に基づいて決断すれば済む話である。小池百合子防衛相、塩崎恭久官房長官、守屋武昌防衛次官ら当事者が入れ替わり立ち代わり安倍首相のもとを訪れ直談判。小池防衛相は「西川徹矢官房長(警察庁出身)の昇格」構想について首相も了承しているとさかんに "お墨付き" を強調していた。防衛次官が人事に不満で大臣に反逆、首相に直訴する姿には、シビリアンコントロール(文民統制)の形骸化を懸念したくなる。
 沖縄問題での対立が背景にあるが、小池防衛相にも「守屋天皇」と呼ばれるほどの実力次官を排除することによって、改造人事での留任を確実なものにしようとしたのではないか、とのやや不純な動機も見え隠れする。永田町、霞ヶ関が前代未聞の醜態と大騒ぎしているときに、安倍首相は記者団の質問に「まだ、私のところには上がってきておりません」と答えている。無表情にそう答える首相にこそ、この迷走事件の原因があることを国民は見抜いてしまうのである。
 指導力欠如の批判が広がり始めたところで、官邸は重い腰をあげ、新次官に増田好平人事教育局長の昇格を決めた。守屋次官の退任と小池構想の撤回で喧嘩両成敗の結果となった。これだけの騒動のあと、安倍首相がなお小池防衛相を留任させるのかどうかが注目される。この政権の特徴は、ほとんどの閣僚が首相に忠誠心を持っているが、だれが側近かを争うばかりで、チームワークにならないことである。(後略)

(四国新聞 2007年8月20日付紙面掲載 田勢康弘「愛しき日本」より)


田勢氏はこのあと、当ブログでも一昨日付のエントリで紹介した堺屋太一氏の安倍内閣「ベルサイユ化」批判を引用しながら、さらに安倍内閣批判を続けているが、それは割愛した。いずれ四国新聞のサイトに掲載されるものと思う。

田勢氏の主張は、もっともで筋が通っていると思うが、正直言って、安倍批判にはもうすっかり手垢がついてしまい、ブログで安倍批判の記事を紹介するのにかなり飽きてきた。批判するのが当たり前になってしまうと、記事を書いていても張り合いがないと感じるのは、私が天邪鬼だからだろうか。

今となっては、一刻も早く安倍に辞めてほしい。


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昨日(8月17日)の読売新聞一面に、「なるか再生」と題して、なぜか題字の左下に安倍晋三首相の顔写真が付された特集記事の第一回として、堺屋太一氏のインタビューが掲載されている。おそらく、安倍内閣の再起のための提言を行いたいという意図をもった記事なのだろうと思うが、堺屋氏の指摘があまりに的確かつ痛快なので、ここに紹介したい。


「ベルサイユ化」抜け出せ

 基本的に言えば、安倍内閣は能力不足であり、同時に時代感覚が乏しい。安倍内閣の一番の体質的な欠点は「ベルサイユ化」なんです。
 ベルサイユ化とは、フランスのルイ14世がパリを離れてベルサイユ宮殿を建てた。それから100年くらいたったルイ16世のころになるとベルサイユ宮殿には王様と取り巻きの貴族や官僚が集まり、全国で暮らす庶民のことは全く知らなくなった。自分たちの贅(ぜい)を極めた生活がすべてだと思い込んでしまった。
 安倍内閣は2世、3世議員ばかりで、そのほとんどが地方に住んだ経験のない東京生まれ、東京育ち。今世界で最も変わっていない時代遅れの場所は東京です。東京にいる限り、規格大量生産時代からずっと変わっていないビルはどんどん建つし、土地の値段もそこそこ高いし、消費は盛んだし、若い人は集まっている。だから地方都市のシャッター通りや高齢化なんかの話の実感がないんですね。
 安倍内閣が再生するにはまずベルサイユから出ることです。今度の内閣改造でベルサイユ型から抜け出せなければ国民はがっかりするでしょう。
 地方はものすごく変わりました。衰退するという意味でも、高齢化するという意味でも、国際化という意味でも、変化をひしひしと感じる。ニューヨークやパリ、フランクフルトなら先端的な変化を感じる。人種が混合し、(知恵を生かして価値を生み出す)知価産業が起こり、大企業がファンドに買収されている。だが東京は官僚規制に守られて移民も企業買収も少ない。そこだけで暮らす安倍内閣は世界の文明の変化からも地方の衰退からも孤立している。そのことをご本人も取り巻きも霞が関の官僚も分からない。
 東京しか知らないから地域格差は自然に生じていると思っている。でも世界の中で1980年以降、首都圏の経済、文化の国全体に占める割合が高まっているのは日本だけなんです。自然に任せていたら地方分散になる。逆に言うと、日本は大変なお金と権力で東京に集中させている。これをやめなければいけない。それが東京にいる人たちには分からないんですよ。自分たちが地方分散を出来なくしているという意識がないから、役所の権限を強化してお金をばらまいてやろうという発想になる。こういう矛盾した事態になっていることが実感として首相に入っていない。
 小渕内閣、森内閣まではそんなことはなかった。地方に根を生やした政治家、その周辺には地方の実業家も政治家も農協さんも建設業者もお医者さんもいて、国会へ持ち寄って「うちのところはこういうことになっている」と言い合って、悪い言葉で言えば「族議員」がそれぞれの官庁を監視していた。だから官僚の自由にならなかった。ところが小泉前首相の時代になって、各省の状況に詳しい族議員を辞めさせてしまった。
 安倍さんは首相官邸主導といって有識者会議をたくさん作っているが、会議の意見はまとまらず官僚主導の答申になる。大勢の委員に思いつきを言わせておいて、結局は事務担当の官僚がまとめる。有識者会議は官僚主導のための隠れ蓑(みの)になりやすいんです。それを安倍さんがわからないのは、官僚が自分の味方だと思っているからでしょう。官僚は敵ではないが味方でもない。官僚機構のための官僚であって首相のための官僚機構ではない。
 まず官僚依存をやめないといけない。そのためにはこの人が医療に詳しいとか、この人は財政に詳しい、この人は税制に詳しいという有能な政治家を育てていかなければいけません。

(読売新聞 2007年8月17日付 堺屋太一氏インタビュー)


これは非常によく書けた読みやすいインタビュー記事で、割愛できる箇所がなかった。聞き手は、読売新聞政治部の高木雅信記者である。

堺屋氏は、同様の主張を7月22日のTBSテレビ「時事放談」で述べており、それを同日付エントリ 「地方は年金問題に怒っているのではない、地方切り捨て政策に怒っているのだ」 で紹介したことがある。今回の読売新聞のインタビュー記事によって、堺屋氏の主張を詳しく知ることができるので、たいへんありがたい。

私は地方在住だが、しばしば上京することがあり、そのたび東京人の感覚の鈍さにあきれることが多い。だから、堺屋氏の主張は実感にとても合致しており、うなずきながら一気に記事を読んだ。溜飲が下がる思いだった。

堺屋氏の主張に私などが付け加えることは何もないのだが、都知事選で石原慎太郎に圧倒的な得票をもたらし、全面的に石原を信任した東京都民、参院選で、他の道府県だったら間違っても当選などあり得なかったであろう丸川珠代を当選させた東京都民のことを思うにつけ、東京というのは本当に別世界なんだなあ、と感じる。東京という街は、一度堕ちるところまで堕ちるしかないのだろうか。

そして、その東京で終焉寸前の栄華に浸っているのが、安倍晋三や麻生太郎などの世襲議員たちなのだろう。「ベルサイユ化」とは言い得て妙で、「岸信介の孫」を売りものにしている安倍晋三は、確かにルイ14世が残した最後の栄華をむさぼっていたルイ16世を思わせるキャラクターだ(但し、ルイ16世はルイ14世の二代あとの国王ではあるが、ルイ14世の孫ではない)。

この安倍を形容するのに、「ベルサイユのばら」をもじった「ベルサイユのバカ」というフレーズを思いついたのだが、誰か使っていないかと思ってGoogle検索をかけてみたら、「きっこのブログ」が昨年10月6日に使っていた。これは、パチンコの「ベルサイユのばら」に引っ掛けたものなのだが、きっこさんが「アベシンゾー」というカタカナ表記を初めて用いたのは、この日の日記だった。

ともあれ、ルイ16世が処刑されてブルボン王朝が終焉したように、安倍晋三内閣が退陣して長年の自民党政治に幕が引かれることになりそうだ。安倍にとって幸運なのは、現代日本にあっては、失政の咎によって死刑に処せられる心配はないことだろうか。
今年の夏は、さほどの猛暑にはなりそうもないと思っていたら、一転して急に全国的に記録的な高温に見舞われ、皆さまも暑さでぐったりされているのではないかと思う。

さて、当ブログでは、参院選までは目の前の動きを追うのに精一杯だったが、参院選で安倍自民党の「惨敗」という結果が出た今、歴史的な観点から日本の政治の現在を見つめられないものかと考えている。

そこで、夏休みでもあったので、しばらく前に買い込んでいながら読めていなかった本をいくつか読むなどしている。

その中から今回は、石川真澄の「戦後政治史・新版」(岩波新書、2004年)を紹介したい。

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著者の石川真澄氏は、3年前(2004年)に亡くなられた元朝日新聞記者だが、データを緻密に解釈した選挙結果の解析が面白くて、70年代の昔から好きな新聞記者だった。この本は、1995年1月に出版された旧版に手を加えたものだが、著者の病状悪化のため、政治学者の山口二郎氏による補筆の手が入っている。そして、本には2004年参院選の結果までが記述されているが、参院選の行われた5日後の2004年7月16日、石川氏はこの世を去ったのだった。

生前から「政治改革」の欺瞞を喝破し、新自由主義的思潮を嫌って、社会党の現実化や自社さ連立政権に期待していた石川氏は、当時は世の中の流れから取り残された人のように思われていたが、氏の先見の明は、コイズミの「構造改革」のひずみが明らかになった今、はっきり証明されていると思う。石川さんが長生きしてくれたら、と何度思ったかしれない。

今年、没後3年の石川さんがずいぶん注目された。それは、「亥年現象」という仮説を石川さんが立てていたためだ。12年に1度の亥年、統一地方選と参院選が重なる年には、参院選の投票率が下がり、自民党が苦戦を強いられるというのがその説だ。

「亥年現象」は、統一地方選の運動に疲れた地方議員が、参院選に注ぐ力を奪われてしまうために起きるというのが石川さんの説明だった。しかし、今年の参院選は3年前より投票率が上がり、「亥年現象」のジンクスは破られた形になった。

ところで、「戦後政治史・新版」は、石川さんが主観を排して、できるだけ客観的な立場に立ってまとめているので、貴重な史料になっている。通して読めば、戦後政治の最初から、保守勢力は憲法を変えようとしていたし、保守勢力の約半分の規模を持つ革新勢力は改憲を阻止しようとしていたことがよくわかる。

「55年体制」の確立までは、保守は合従連衡を繰り返していたし、社会党も右派社会党と左派社会党に分裂したが、1955年の「保守合同」と社会党の統一によって、二大政党制、否、1と1/2政党制が成立した。その過程は、90年代から今世紀はじめにかけての政党の分立と、自民・民主の二大政党への再編成と二重写しになる。

欧州の社会主義勢力が社会民主主義に傾斜していったのに対し、日本の社会党は左傾・教条主義化して、政権担当能力を失っていった。私は1977年の社会主義協会(マルクス主義を信奉する社会党左派)と江田三郎派の抗争を今でも覚えているが、あの時「数の力」で江田派を圧倒し、江田を憤死させた社会党左派の非人間性には、今でも忘れられないものがある。江田は社会党を離党して社会市民連合を設立し、自らも77年参院選に立候補するつもりだったが、参院選を2か月後に控えた同年5月に、志半ばにして急逝したのだった。その江田三郎の息子・江田五月が参議院議長に選出されたことは、まことに感慨深いものがある。

社会党は、自民党・さきがけと連立政権を組んだことが有権者の支持を失って、議席を大幅に減らしたあげく、民主党に合流した人たちと、残って社民党を結成した人たちに分かれた。必ずしも右派が民主党に行き、左派が社民党に残ったわけではない。民主党には旧社会党の最左派の人たちもおり、一方でコイズミ以上に過激な新自由主義者もいるというおそるべき幅の広さを持った寄り合い政党だ。

それはともかく、自さとの連立政権当時、社会党が支持を失ったことについて、私は社会党が「左翼バネ」による安易な運動方針に安住し、肝心の政権をとった時の政権担当能力を失っていたからではないかと思う。自民党との政策協議において、従来の社会党の党是に背くような妥協を次々と行い、過去の左傾路線は単に同党が「易きに流れていた」結果に過ぎなかったことを露呈した。

民主党は、当時の社会党の轍を踏んではならない。当時の社会党とは対照的に、今の民主党で警戒しなければならないのは、前原誠司に代表される「右バネ」をもった勢力だ。30年前の社会党は、「左」の教条主義者に蹂躙されたが、今の民主党が絶対に陥ってはいけないのは、前原ら「右」の理想主義者に蹂躙されることではなかろうか。

よく思うのだが、「中道」とは、「性悪説」というか、苦い人間不信を底流に持つ、意地の悪い思想だ。理想論が好きな日本人は、社会主義協会みたいな教条主義や、コイズミ流の「カイカクファシズム」を好む傾向がある。これらは、いずれも「性善説」に基づく思想だ。「性善説」は受け入れられやすいけれど、現実からは隔絶している。

ところで、十年一日のごとく変わらないかのように思える政治の流れだが、実際には少しずつ動いていっているものだ。社会党が実質的に崩壊・消滅したのもその一つだが、自民党の終焉も、いよいよカウントダウンを迎えた。

自民党が敗北した04年参院選のあとにまとめられた「戦後政治史・新版」の末尾近くには、こう書かれている(おそらく、山口二郎氏の補筆であろうと想像する)。


 ポスト小泉のリーダー候補が存在しない自民党では、(2004年参院選の)敗北の責任を問う声は起こらず、自公連立の継続と小泉政権の続投が決まった。衆参両院議員の任期を考えれば、2007年までは国政選挙をする必要がない。したがって、自公連立で国会の安定多数を維持できる以上、小泉政権は安泰である。しかしそれは自民党にとってつかの間の、そして最後の安定でしかあるまい。

(石川真澄著『戦後政治史・新版』=岩波書店、2004年=より)


この後の、誰も予想しなかった2005年の「郵政総選挙」によって、自民党は安定を強化するかに見えたが、それは一過的なフィーバーに過ぎなかった。今年の参院選の方が、長期トレンドに沿った結果だった。一足お先に党勢を衰退させた社会党に続いて、自民党も歴史的役割を終えたと私は考えている。自民党はもはや、政権の座を維持することだけを唯一の運動原理とする政党であって、政権を持っていない自民党に存在意義はない。今後はますます民主党が強くなり、次の総選挙では政権交代が起きるだろうが、政権奪取のための寄り合い政党である民主党は、いずれ大きく分裂する。その時こそ、日本の政党政治が新しい段階を迎えるのではないかと私は考えている。


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ブログ管理人は夏休み中だが、それにもかかわらず当ブログを訪問いただいている読者の皆様にはお礼を申し上げる。おかげさまで、明日8月15日の終戦記念日に、当ブログの累積アクセス数(FC2カウンタ計数)は80万件に到達する見通しだ。

「安倍晋三TBP」 にも、普段よりは少ないとはいえ活発なTBがあり、今日(8月14日)、累計トラックバック件数が1万5千件に到達した。

例によって、1000件ごとのキリ番達成日の一覧表を示す。

2006年6月18日:「安倍晋三?トラックバック・ピープル」 開設
2006年9月12日:1000件 (開設日から86日)
2006年10月27日:2000件 (1000件到達から45日)
2006年11月27日:3000件 (2000件到達から31日)
2006年12月24日:4000件 (3000件到達から27日)
2007年1月26日:5000件 (4000件到達から33日)
2007年2月21日:6000件 (5000件到達から26日)
2007年3月18日:7000件 (6000件到達から25日)
2007年4月12日:8000件 (7000件到達から25日)
2007年5月5日:9000件 (8000件到達から23日)
2007年5月27日:10000件 (9000件到達から22日)
2007年6月15日:11000件 (10000件到達から19日)
2007年7月2日:12000件 (11000件到達から17日)
2007年7月17日:13000件 (12000件到達から15日)
2007年7月30日:14000件 (13000件到達から13日)
2007年8月14日:15000件 (14000件到達から16日)


参院選が与党大惨敗に終わって、夏休みに入った方が多いせいか、年末年始の時期以来、7か月ぶりにTBのペースが落ちた。

無論、本当の勝負は次の総選挙だ。安倍晋三がその時まで総理大臣の座にとどまっていられるかどうかはともかく、参院選の与党敗北くらいでは浮かれてはいられない。参院選だけなら、1989年や1998年にも自民党が大敗したことがあったが、それ以降の展開で野党はそれを活かせなかった。

だが、全国的に猛暑と伝えられるこの時期くらいは、ゆっくり休んで鋭気を養うのも良いだろう。夏休み明けも、しばらくは書きたいことを書くことを優先させながら、なおかつ気を緩めずブログを更新していきたいと考えているので、皆さまには今後もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げる。

なお、「安倍晋三TBP」と「AbEndキャンペーン」については、下記の記事を参照していただきたい。


『カナダde日本語』 より
『AbEndなんていいタイトルだね!』
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-168.html

『AbEndのリンクリストを自分のブログに表示する方法』
http://minnie111.blog40.fc2.com//blog-entry-170.html


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朝日新聞社の月刊論壇誌「論座」に民主党・菅直人代表代行へのインタビューが連載されている。これはなかなか興味深くて、これが載っているばかりに、これまで購読習慣のなかった「論座」をこのところ毎月購入している。

1993年に自民党が分裂し、非自民・非共産連立政権である細川護熙内閣が発足して以来の政党の離合集散については、もはやいつどのような政党の組み合わせがあったか記憶がさだかではない。だが、この過程でもっとも驚かされたのが1994年の自民・社会・さきがけ三党による連立政権(村山内閣)の樹立だった。

それに先立つ93年の細川内閣で与党の一員だった社会党は、小沢一郎らの新生党とそりが合わず、連立を離脱した。なんとしても政権に返り咲きたい自民党は、河野洋平総裁が社会党・さきがけに連立を打診した。細川内閣を引き継いでいた羽田内閣は総辞職したが、6月29日の内閣総理大臣指名選挙で、なんと小沢が自民党の海部俊樹を引き抜いて、自社さの候補・村山富市に対抗。結局決選投票の結果村山が勝って、自社さ連立政権が発足した。菅直人はこの政権を成立させた中心人物の一人であり、自民党の加藤紘一とは「KKライン」と呼ばれた。村山内閣総辞職の後を受けて発足した橋本龍太郎内閣で厚生大臣を務めていたがために、先般行われた参院選前に、自民党から「公式怪文書」(笑)をばら撒かれたことは記憶に新しい。

菅は96年に野に下り、鳩山由紀夫と組んで民主党を結成した。さらに、2003年には小沢一郎の自由党と合併し、民主党は数の上で自民党に対抗し得る大政党になった。民主党の国政選挙は、03年の総選挙、04年の参院選に連勝して党勢を拡大したが、05年の「郵政総選挙」で思わぬ大敗を喫した。これで大きく後退するかに見えたが、07年の参院選で大勝し、政権奪取に王手をかけた形である。

こうして見ていくと、菅はここ十数年の政界において、継続して大きな影響を及ぼしてきた人物であることがわかる。他に同様の人物を探してみても、小沢一郎くらいしか思いつかない。コイズミは01年の首相就任以前には泡沫に過ぎなかったし、安倍晋三など首相になったこと自体が間違っている人物である。安倍は、首相退任後速やかに政界から消え去る運命であろう。経世会はコイズミに駆逐されて勢いを失った。いまや自民党で政治家らしい政治家というと、加藤紘一くらいしか思い浮かばない。安倍と主張のかけ離れた加藤が自民党の総裁になろうはずはないから、自民党が安倍の後継者がいなくて頭を悩ませているのも理解できようというものだ。

加藤というとなんといっても忘れられないのは、2000年の「加藤の乱」だ。このエントリの冒頭で触れた「論座」の菅直人インタビューで、菅はこの加藤の乱は「インターネット政局だった」と語っている。

当時の政界の状況は今とよく似ていて、どうしようもない無能な宰相とみなされていた森喜朗は、失言や失態を連発してはマスコミにたたかれ、内閣支持率も20%を切って低迷していた。国民の森内閣への不満は高まっていったが、特に過激に森を攻撃したのはネット言論だった。

加藤が森に反旗を翻そうとした時、ネットは加藤を煽り、加藤はこれを国民の平均的な声に近いと考えて倒閣を企てたものの、結局失敗に終わったのだった。

当時、菅は加藤を首班にしてもいいと考えていた。加藤は読売新聞の渡邉恒雄に、携帯電話に菅の短縮番号を登録していることを見せ、「菅さんとは5秒で連絡が取れる」と言ったとのことだ。民主党が出す森内閣不信任案に加藤が乗って、不信任案が可決された場合、加藤が自民党を離党して新党を作るなら、民主党と連立政権を組む構想があったようだ。だが、自民党の必死の切り崩しによって、加藤の乱は不発に終わってしまった。

菅直人は語る。


 あの時はインターネット政局だった。加藤さんが自民党内の古い勢力に負けたとなると、それに対する国民の不満のマグマがたまる。特にインターネット勢力の間で、あの日は何百万人という人が早めに帰って国会中継を見たそうだ。飲み屋が空になったと言われたんですよ。
 加藤さんが悲劇のヒーローになるなら徹底的になればよかったと、私は今でも思っているんです。はっきりとは予想できないけど、何かが起きています。「ギリギリまで来ちゃったんだから、やっちまえ!」と私なんかは思うわけですよ。自民党内では、森さんのあとは黙っていても加藤さんが首相になる可能性が高かった。加藤さんはあえてそれを受け入れなかったんだから、ここまで来たら「やっちまえ!」と思うわけですよ。行動を起こした判断は、結果としては甘かったけど、起こした以上はやりきらなきゃだめでしょう。電話(注)の後、どうなるかなと思ったら、谷垣禎一さんが「あんたが大将なんだから、行っちゃいけない」というわけでしょう。もしあそこで何か動いていれば、インターネット的世論という意味で、日本の政治がもしかしたらガラッと変わったかもしれない。インターネット的世論に加藤さんは押されてというか、それを過大に評価して動いて、しかしそこまで行き切ったときは、本当のパワーになった可能性もあるわけですよね。

??しかし、加藤さんは動かなかった。加藤さんという政治家がよくわかったでしょう。

 よくわかったというか、加藤さんの最後のそういうところの弱さが、客観的にはわかりますよね。つまりは、優等生なんですね。

(「論座」 2007年9月号より)

(注) 菅直人は、加藤紘一に電話で「国会に来てくださいよ。不信任案に賛成しましょうよ。そのあとのことはそれからじゃないですか」と言ったが、結局加藤は説得されて本会議場に姿を現さなかった。


この時、加藤が動かなかったことが、翌年4月のコイズミ政権誕生につながった。そして、「コイズミカイカク」によって日本はめちゃくちゃな国になってしまった。これを思うと、「加藤の乱」の失敗は、加藤や菅直人にとってだけでなく、この国にとって一大痛恨事だったと思う。

ただ、指摘しておきたいのは、今よりずっとインターネット人口の少なかった2000年当時でさえ、インターネットは有力政治家の判断を狂わせてしまうほどの影響力を持っていたということだ。ましてや、今年の参院選の結果にインターネット言論が無力だったということはあり得ない。

7月4日のエントリで、辻元清美が「参院選の争点は 『アベシンゾー』 だ」と雑誌に書いたことを紹介した。また、朝日新聞の早野透編集委員は、「選挙の争点はカタカナの 『アベシンゾウ』 になってしまったな」 と語った(7月29日付「kojitakenの日記」 参照)。

「アベシンゾー」というカタカナ表記がはやったのは、「きっこの日記」 抜きには考えられないだろう。このこと一つをとっても、インターネット言論のリアルの政治への影響が無視できないことは明らかだと思う。そして、インターネット言論の影響力は、何も固有名詞の表記に限らないことは言うを待たないだろう。


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参院選で負けた安倍晋三首相が、開票がほとんど進まないうちから早々と「続投」を宣言し、大多数の国民を呆れさせてから、10日あまりが経った。

「週刊朝日」 8月17日号は、「いつまで続く、ピンずれ内閣」と題した特集を組み、細川護熙元首相へのインタビューで細川氏に「安倍さん、お辞めなさい」と語らせているのをはじめ、自民党、公明党および民主党の政治家たちに、安倍の「続投」について聞いた記事を掲載している。そのうちからいくつかを抜粋する。


谷垣禎一 「『理解された』は正しくない」
 大敗北。安倍さんは「基本路線については理解していただいている」と言ったけれど、それはあまり正しくない。続投するならば、まず、安倍政権としてなぜ負けたかをしっかり分析し、今後のことをしっかり打ち出していかないといけないと思う。

菅直人 「民主主義とかけ離れている」
 少なくともこの10カ月の安倍総理の政権運営に対して国民がノーであることは、今回の選挙ではっきりした。その国民の判断を平気で無視できるところに、安倍さんの本質が表れているのではないか。
 自民党そのものも相当に劣化している。「お友達内閣」ではお友達にならないと重要なポストに就けないから、国民の声はわかっていても、総理・総裁の権力におびえて声を上げられない。一種の恐怖政治になっている。

高木陽介 「自民にモノ言う公明になる」
 安倍さんが「基本政策は否定されていない」と言ったの強弁だ。今回の選挙の争点は「安倍晋三」で、結果的に国民からレッドカードを突きつけられた。「美しい国」や「戦後レジーム」(からの脱却)は有権者に受け入れられなかった。
 安倍さんは「私の内閣」とよく言うが、そうではなくて、大切なのは国民。今の自民党には、耳の痛いことを言ってくれる人がいない。だから公明党が、太田昭宏代表がご意見番にならなくてはいけない。

後藤田正純 「美しい責任の取り方を」
 安倍さんは、もちろん退陣すべきだ。人に推されて続投するならともかく、自分でまだ結果も出ていないうちに、続投表明した。これは、「専制君主」以外の何ものでもない。「美しい国」というなら、「美しい」責任のとり方があってしかるべきだ。自分の言葉と自己矛盾している。
 今回の選挙では、小泉・安倍政権の構造改革路線も否定されたと思う。彼らは改革(リフォーム)と言いながら、家の柱まで壊してしまった。早急に、規制緩和の再検証や、地方再生への取り組みなど政策の転換をすべきだ。

石破茂 「首相は王権神授説ではない」
 総理は、自分から辞めると言わない限り辞めさせられない。まして圧倒的多数が総裁選で安倍さんを支持した。「辞めろ」の声があがるはずがない。だからこそ、自分で辞めると言うしかなかった。なのに辞めないと言うのは信じられない。
 私の内閣。私の使命。安倍さんは常に「私」だ。これは私物化か。そして、まさしく安倍さん自身が言うように、今回はその「私」が問われた。民意は、安倍さんにはっきりノーと出たのに、なお総理を続けると言う。
 不祥事を起こした会社や業績不振の会社の社長が、「行政を立て直すことが私の使命です」と言って辞めないのと一緒だ。そんな会社は社会で受け入れられない。内閣は国民から与えられるもの。王権神授説ではない。

山本一太 「一回野に下って奪い返せばいい」
 今回、確かに国民は安倍さんを選ばなかったのかもしれない。しかし、参院選は政権選択の選挙ではないから、安倍さんに突きつけられたのはレッドカードではなくイエローカードだ。
 安倍さんが続投を選んだ以上、私は支持するし、ほかに選択肢はない。
 ただ私は天邪鬼(あまのじゃく)なので、安倍さんにどうしても続けてもらいたい一方で、この砂上の楼閣が一回崩れたらいいなとも思う。長老議員や生意気な衆院議員が、自民党は「万年与党」だという幻想をもとに行動しているのがムカムカする。一回野に下って、奪い返せばいいじゃないか。

長妻昭 「一秒でも早く衆院解散を」

 もし自民党が選挙に勝っていたら、私は責任追及の検証委員会に呼ばれて、5千万件の問題を暴露しいた責任を問われたかもしれない。そう思うと、半分怖い感じがする。
 選挙後半の街頭演説で、消えた年金問題は安倍内閣への「自爆テロ」だという言葉が自民党から盛んに出た。社保庁改革を阻止したい組合や職員が、情報を民主党にリークしているという。ならば、私もテロリストということになる。全くの事実誤認だ。
 5千万件の問題は国会での予備的調査でわかったもので、そこには柳沢(伯夫)大臣もハンコを押してあるから、その論理でいくと、自爆テロの主犯は柳沢大臣になってしまう。
 「私をとるか、小沢さんをとるか」と迫った安倍さんは辞めるべきだ。われわれは一秒でも早く衆院の解散に持ち込みたい。ただ今回の年金問題も、政局にしようという発想ではなく、被害者の弁償を進めようとやってきた結果、期せずして争点になった。自民党は国民への対策に目が向かず、民主党対策、民主党攻撃に走った。そこに国民は違和感を感じたんだと思う。

舛添要一 「王様、裸ですよ」
私なら安倍さんのような決断はしない。内閣総辞職するのが当然だろう。しかしフライングして走り始めてしまった以上、権力闘争や足の引っ張り合いをしている余裕はない。とにかく自民党は数が少ないんだから。
 「王様は裸だよ」と言ってくれる子供の役割をする人物が必要だ。そうすれば、裸の王様が着物を着ることになる。今の内閣は、みんな王様の着物は素晴らしいと言う人ばかりだ。
 それにしても体制が判明する前に負けるのを前提に続投を表明したのはけしからんことだ。これほど大事な総理の決断を、ぶら下がりの記者に言ってしまうというのはいけない。こちらはまだ試合が終わってなかったんだから。

城内実 「改革のカラクリばれた」
 私の地盤の静岡はもともと自民党が強いところだが、今回はお灸を据えないといかんという声が強かった。改革で生活が良くなると思っていたら、格差は広がり、中小企業や個人商店はつぶれる。地方の自民党支持者の中には、「期待を裏切られた」という気持ちが強かったのではないか。
 ただ安倍さん個人に対するノーかと言うと、必ずしもそうではないだろう。「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍さんが、教育基本法改正などの業績をあげていたことは評価すべきだ。
 本当にやらなきゃいけないのは「小泉・竹中構造改革路線からの脱却」だ。選挙結果は、小泉政権の負の遺産がどどっときた形。「改革」のカラクリがバレてしまったわけだ。
 「美しい国」には賛成だけど、弱肉強食の競争路線だけだと「醜い国」になってしまう。安倍さんは小泉さんと異なる価値観を持っているけど、後継者として指名された事実があるから、まだ脱却できていない。

(週刊朝日 2007年8月17日号より)


なお、「週刊朝日」による各政治家へのインタビュー記事は、ここに抜粋したものよりはるかに長いこと、鳩山邦夫、平沢勝栄、深谷隆司、それに経済アナリストの森永卓郎の各氏へのインタビューも掲載されていること、および雑誌に掲載されている「ですます調」を「である調」に書き改めたことをおことわしておく。また、最近の朝日新聞社の傾向であるが、社民党や共産党の政治家の意見は雑誌には掲載されていない。

これを読んで、意外な人が意外なコメントをしているのに驚かれる方もおられるだろう。私は、特に山本一太の本音が、彼の日頃の言動とはかけ離れていることに驚いた。

最後に掲載した城内実については、以前のエントリでも「安倍に立場の近い政治右派」として厳しく批判したことがあるが(昨年11月16日付 「安倍晋三につながる極右人脈」)、案の定、週刊朝日のインタビューに応じた与野党の政治家の中ではもっとも安倍寄りの意見を述べていた。

今後ますます反安倍・反小泉の議論は活発化するだろうが、「城内実は 『AbEnd』 の敵である」 と、改めて強く主張しておきたいと思う。この男は政治思想上の「極右」であり、ある意味コイズミ・竹中ら「経済右派」よりはるかに危険である。


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参院選における自民党惨敗の余韻がさめやらぬまま8月に入ったが、数日前から、妙な胸のうずきを覚えるようになった。

いったいなぜだろうと考えているうちに、あ、そうか、「郵政解散」がこの時期だったからだと思い当たった。

一昨年の今日、8月8日に、郵政民営化法案が参議院で否決されるや、小泉純一郎首相(当時)は衆議院を解散した。この時、私は「これは 『自爆テロ解散』 だな」と思った。その直前、もし衆議院で法案が否決されたらコイズミは即座に解散するつもりだった、可決されたのでコイズミは残念そうにしていた、という報道を週刊誌で読み、まさかそんな敗北必至のことをやるかなあ、などと思っていた。しかし、参議院での法案否決で衆議院を解散するという意味不明の行動をコイズミはとった。

この時、亀井静香、野田聖子ら自民党内の法案反対派(コイズミに言わせれば「抵抗勢力」)は沸き立ち、民主党の岡田代表はガッツポーズをとった。彼らも勝利を確信したのだろう。

しかし、コイズミはこの解散・総選挙に命を懸けていた。特に秘策中の秘策が「刺客作戦」だった。まさか自民党を追われるとまで思わなかった亀井、野田や平沼赳夫はあわてふためいた。今でも覚えているが、政治番組に出演した亀井や平沼は、自民党に未練たっぷりの態度で、コイズミとの全面対決に腰が引けていた。野田聖子の選挙区である岐阜一区への刺客候補の決定は、他の「抵抗勢力」たちの選挙区より遅れ、野田は愚かにも「私にだけは刺客を送り込まないのではないか」と期待していたようだ。だが結果は、佐藤ゆかりという、もっとも話題性の大きな刺客を送り込まれ、野田は狂態を演じた。一連の経緯は、野田の政治家としてのイメージを大きく落とし、これはいまだに回復できていない。

これらは逐一テレビで報じられ、視聴者に強烈な印象を与えた。それはまるで桃太郎の鬼退治を思わせるもので、「コイズミ=善玉、抵抗勢力=悪玉」という図式ができあがった。自民党内の争いに衆目が集まった結果、民主党などの野党は関心の埒外となった。こうして、解散後わずかの間に選挙の帰趨は決まってしまった。インターネットの掲示板でもコイズミ支持は圧倒的で、いかにこちらが「B層」の資料(雑誌記事広告代理店作成の証拠文書)を示して、コイズミ?竹中一派が大衆を蔑視していると主張しても、「私たちコイズミ支持者は馬鹿だというのか」式の感情的な反発を食うだけに終わったことは、5日のエントリ 「ポピュリズムを打破するには」 でも触れた。コイズミの作戦は、みごと図に当たった。

この「郵政総選挙」でコイズミを支持したのは、「コイズミカイカク」によってもっとも不利益を蒙る層だったことは、当時から指摘されていた。これをわかりやすく解説した例として、佐藤優が魚住昭を相手に語った『ナショナリズムという迷宮』(朝日新聞社、2006年)が挙げられる。

ナショナリズムという迷宮―ラスプーチンかく語りき ナショナリズムという迷宮―ラスプーチンかく語りき
佐藤 優、魚住 昭 他 (2006/12)
朝日新聞社

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この本については、当ブログの1月13日付エントリで紹介しているが、郵政総選挙に関連する部分を以下に再録する。


『ブリュメール十八日』でマルクスはこう指摘しています。要約すると、ナポレオンはかつて自分たち農民に利益をもたらしてくれた。そこにルイ・ボナパルトというナポレオンの甥と称する男が現れた。彼も叔父と同じように、再び自分たち農民に何か"おいしいもの"をもたらしてくれるのではないかという「伝説」が生まれた。その結果、選挙でルイ・ボナパルトに投票し、権力を与えてしまったと。今回の選挙におけるニートやフリーターの投票行動にも、それと同じような回路が働いたのではないでしょうか。「改革を止めるな」というシングルメッセージを発し続けた小泉首相に何かを見てしまったんでしょうね。

(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第5章より)


ここで指摘されている独裁権力による統治の手法を「ボナパルティズム」と呼ぶのだそうだ。

この件を考察する時どうしても避けられないと私が考えているのが、例の 「B層」 論である。私は、「B層」についての議論はもっと真面目になされなければならないと思っている。しかし、「B層」を検索語にしてGoogle検索をかけた時に出てくるのは、オナジミのブログばかりで(弊ブログも2ページ目=11?20番目=に出てきます)、「B層」に関する議論が一種忌避されたような様相を呈していることがうかがわれる。

その中でもっとも最近、「B層」をとりあげたのが、「たんぽぽのなみだ?運営日誌」の記事だが、ここのコメント欄でたんぽぽさんが以下のように書いている。


ついでながら、このエントリ、いつになくアクセス多かったですよ。
みなさん、とっても興味がおありなのねと、あらためて思ったけれど。

「B層」についての議論を、あまり見かけないのは、
良心的な人には、愚民思想的なので使いにくく、
批判の手が鈍るというのも、あるのかもしれないです。
(「2ちゃんねる」のような、遠慮のないところで
さかんに使われるのも、やはり差別的ニュアンスだからでしょう...)

コイズミ改革の信者でしたら、コイズミ批判になることですから、
やはり言わないでしょうし...

この「大衆操作」(と言えば、愚民思想的でない?)は、
本当なら、避けて通ってはならないことなんだと思いますが。
たとえば、ナチスがなにをしでかしたとか調べれば、
それなりの研究成果は、出てくるだろうとは思うけれど...
郵政選挙にからめて、議論する人がいないのは、
かなり困ったことで、異様なことでもあると思います。

(「たんぽぽのなみだ?運営日誌」?『「B層」とは?』 のコメント欄より)


私もたんぽぽさんの意見に賛成である。

さて、「郵政解散」から2年が経過し、両極端の結果になった二度の国政選挙を経て、自民党の両院総会では中谷元、小坂憲次、石破茂各議員が、安倍晋三首相の面前で、安倍の退陣を求めた。「桃太郎の鬼退治」は、攻守ところを変えて、「姫の虎退治」となって、桃太郎伝説の地・岡山で虎(片山虎之助)は姫(姫井由美子)に討ち取られた。

そして、国民新党、民主党、社民党の三党が「郵政民営化見直し法案」の共同提出を検討していると報じられている。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070807AT3S0602206082007.html


民主・社民・国民新、郵政民営化見直し法案の共同提出検討

 民主、社民、国民新の野党三党幹事長が6日、都内で会談し、秋の臨時国会で「郵政民営化見直し法案」と最低賃金引き上げに関する法案の3党での共同提出を検討することで一致した。近く3党の政策責任者による会議を開いて協議し、詳細を詰めることも確認した。

 郵政民営化見直し法案は郵政三事業の一体経営を堅持する内容で、国民新党が提出を検討していた。3党は最低賃金について参院選の政権公約で引き上げを主張していた。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は会談後、記者団に「3党で協力できる部分を法案として(提出し)、国民の期待に応える」と強調。社民党の又市征治幹事長も「互いによいものを出し合って、共同で法案を作ることがあってもよい」と述べた。

(NIKKEI NET 2007年8月7日 7時02分)


今朝(8月8日)のNHKニュースが報じるところによると、民主党内にはこの「見直し法案」への異論も強いという。民主党内にはコイズミ以上に過激な新自由主義者がいる、とはよく指摘されるところだから、驚くには当たるまい。参院選前に、民主党候補者の憲法問題に対するスタンスが問われたが、民主党議員の経済政策のスタンスも同様に問われるべきだろう。もちろん、自民党議員についても同じだ。

現在は、民主党も自民党も種々雑多な主張を持つ議員の寄せ集めになっている。これは、近い将来、政策の近い者同士が集まった政党に再編成されるべきだと思う。

これも佐藤優の指摘だが、政界は、新自由主義勢力、旧来保守勢力、社会民主主義勢力に三分されるべきだと佐藤は主張している。そして、佐藤は旧来保守と社民勢力の連立政権を期待いているのだが、私もそれに同感である。かつて新自由主義の旗手だった小沢一郎も、いまやそれを目指しているように見える。


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少年の頃の夏休みに、「少年ジャンプ」に掲載された中沢啓治の 「はだしのゲン」 を読み、主人公・ゲンの父や姉、弟が原爆の爆風で倒壊した家の下敷きになって死んでいく場面にショックを受けたことは未だに忘れられない。それから三十余年が経過し、昨日、広島は62回目の原爆記念日を迎えた。

今思い返しても、「はだしのゲン」が少年漫画誌に載った70年代というのは、戦後日本の歴史でももっとも反戦の思想が人々に共有された時代ではなかったかと思う。もう少し前の時代には、戦記漫画が結構あったし、80年代以降に入ると、ラブコメが全盛となって、戦争などという重いテーマを扱う漫画はすっかり下火になった。

手塚治虫(1928-1989)の数ある漫画のうちにも、戦争を扱った作品がある。先頃、それらを集めた祥伝社新書 『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 が出版された。

手塚治虫「戦争漫画」傑作選 (祥伝社新書 81) 手塚治虫「戦争漫画」傑作選 (祥伝社新書 81)
手塚 治虫 (2007/07)
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収録された作品は、下記の7編だ。

「紙の砦」 (「週刊少年キング」 1974年9月30日号初出)
「新:聊斎志異 女郎蜘蛛」 (「週刊少年キング」 1971年1月17日号初出)
「処刑は3時に終わった」 (「プレイコミック」 1968年6月創刊号初出)
「大将軍 森へ行く」 (「月刊少年マガジン」 1976年8月号初出)
「モンモン山が泣いているよ」 (「月刊少年ジャンプ」 1979年1月号初出)
「ZEPHYRUS(ゼフィルス)」 (「週刊少年サンデー」 1971年5月23日号初出)
「すきっ腹のブルース」 (「週刊少年キング」 1975年1月1日号初出)


手塚治虫は、1945年6月7日に「学徒勤労動員」によって働かされていた軍需工場で空襲を受け、地獄図を見た。大阪・淀川の堤には焼け焦げた死体がいくつも転がっていた。女の人が燃え上がるのを見たのは、特にショックだったそうだ。

手塚の戦争漫画には、この時の体験が色濃く反映されている。だから、時にグロテスクな表現もいとわない。上記の本には収録されていないが、手塚には「カノン」(「週刊漫画アクション」 1974年8月8日号初出)という印象的な作品があるが、この作品にもショッキングなシーンがある。

今回紹介した 『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 でもっとも印象的だったのは、巻頭に収録された「紙の砦」で、主人公の少年が傷ついた米兵に復讐の一撃を加えようとしたが、米兵の傷ついた無惨な姿にショックを受けて果たせなかったくだりだ。少年は「だ、だれのせいだよ、こんな戦争」とつぶやく。

手塚は、「大将軍 森へ行く」に登場する少年にも、「正義の軍隊なんてどこにもいない」と語らせている。本の解説(漫画評論家・中野晴行氏)も指摘しているように、これは手塚作品に一貫するメッセージだ。もし手塚が存命だったら、「テロとの戦い」という名で、現実には理不尽な殺戮を行っている米軍を正当化する言論がまかり通っている現状をどう思うだろうか。

それにしても、『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 に収録されているような漫画が少年誌に普通に掲載されていたのが70年代という時代だった。繰り返しになるが、学生運動が燃え盛った60年代と若者が政治に関心を失って急速に社会が右傾化していった80年代(自民党の全盛期)にはさまれた70年代は、戦争の悲惨さ、平和の大切さがもっとも普通に語られた時代だった。

その時代に少年期を過ごした人間として、日本が再び戦争への道を突き進んでいくことだけは、なんとしてでも阻止したいと日々考えている。


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参議院選挙後最初の週末は、さすがにゆったりした気分で過ごすことができる。ここ数か月は、参院選における自民党の得票を1票でも減らしたいという思いでブログの記事を書き続けていたが、正直言ってブログを楽しむ余裕は全くなく、一種使命感に駆られての記事が続いていた。必ずしも質の高いとはいえない記事もずいぶんあったと思うが、そこらはご容赦願いたい。

今回の参院選では、「新風」および「9条ネット」という、ネット右翼およびネットリベラル(?)を代表する党派の得票が伸びなかったことを指して、ネット言論の影響などしれている、という見方をする人もかなりいる。

しかし、ブログで国家主義的な主張をしているネット右翼だって多くは自民党に投票するか棄権しただろうし(私は、棄権したネット右翼が相当数いるとにらんでいる)、リベラル側にしたって、「9条ネット」ではなく既成政党の候補に投票した人が大多数だと思う。そして、従来自民党に投票していた人たちの2割以上が、今回の参院選で民主党などの野党に投票したといわれているが、このことへのネット言論の寄与は決して小さくないと考えている。

当ブログでいうと、7月度には21,534件の検索エンジン経由のアクセスがあった(新FC2アクセス解析による)。その多くは初回訪問者だと思う。政治ブログを運営する上でもっとも重要なことは、「一見(いちげん)さん」にどんな情報を提供できるかということだろう。以前にも何度か書いたが、掲示板やメーリングリストではこうはいかない。意見を発信する上で、ブログは依然として有力なツールであり、その影響力は現在も増し続けていると思う。一日のアクセスは数千件であっても、ブログに影響を受けた人が、引用元を示さずに自分の意見としてブログや掲示板で意見を発信することもあるし、しばしば「2ちゃんねる」などの掲示板で、当ブログの記事を無断でコピペした投稿を見かける。ブログの影響力は、決してアクセス数だけで量られるものではないのである。

よく「ブログの影響力を測る」と称するツールがあるが、これにも注意が必要で、リンクの数を評価の重要な要素にしているので、空トラックバックを多く打っているブログが高く評価される傾向がある。しかし、必ずしもそういうブログの影響力が大きいわけではない。たとえば、「きっこの日記」「きっこのブログ」 はコメントもトラックバックも受け付けていないので、ツールで測られる数値は必ずしも突出した数値ではないが、実際の影響力のすさまじさは皆さまよくご存知の通りである。

参院選の結果に話を戻すが、今回は特に、安倍晋三首相を支持する側のネット言論の力が非力だったことが大きかった。コイズミの郵政総選挙の頃、私はまだブログを開設していなかったが、掲示板におけるコイズミ支持派の勢いはものすごかった。郵政総選挙の最中から、私は 「B層」 を揶揄する記事をしばしば掲示板に投稿していたのだが、それに対して、「小泉首相の支持者は馬鹿だというのか、われわれは小泉さんの政策を真剣に支持してるんだ」などと、猛烈な反発を受けたものだ。その時、総選挙での自民党圧勝を私は覚悟したし、選挙結果はその通りになった。しかし今回は、安倍晋三を擁護する側に、人々を説得するに足る言論はなかった。安倍晋三や与党だけではなく、ネット右翼たちも民主党を誹謗中傷するしか能がなく、そんな言論で人心をつかむことなどできようはずもなかった。

ネットでは、「郵政総選挙の時もマスコミは野党有利と報じていた」などという言論が平気でまかり通っていたが、これは事実に反する。マスコミがそのような報道をしていたのは、解散直後だけであって、コイズミが「刺客作戦」を打ち出すや、朝日新聞が社説でこれを支持したのを皮切りに、マスコミはいっせいにコイズミ支持に雪崩を打った。これが事実である。いくら人心はうつろいやすいものだからといって、嘘の記事を書いてはならない。ブログ言論を展開しようとする者は、事実に立脚して記事を書かねばならないと思う。事実に立脚して真実を知らせること、これはポピュリズム(大衆迎合主義)に対抗するための基本中の基本だ。もちろん、今回民主党圧勝の風を吹かせたのもポピュリズムであったことは押さえておかねばならない。マスメディアの報道は、田原総一朗、岸井成格やみのもんた、あるいは産経新聞や読売新聞のような安倍自民党を勝利に導こうとする勢力と、その他大部分の自民党を敗北に追い込もうとする勢力による報道合戦の様相を呈していたが、後者の方が大衆に対して説得力があり、最後には雪崩現象が起きたと私は考えている。そして、「ポピュリズム」の汚名は、必ずしも御用マスコミの側にばかり着せられるべきものではない。

ところで、最近、当ブログに対していただくコメントになかなか反応できなくて申し訳ないのだが、先日、ある学生さんから、本当にありがたく、かつ共感できる非公開コメントをいただいたので、その一部を紹介したい。なお、ご本人には無断での公開になるが、個人情報の推測につながりかねない部分は削除してあるので、ご容赦いただきたいと思う。


(前略) 取り合えずは自民党の惨敗ということでホッとしております。
しかし、本当に安心はできません。私の思いは選挙当日のNEWS23で森達也さんが代弁してくださいましたが、今回の選挙は年金だけの問題ではないということです。私は大学の前期のゼミにおいて、憲法九条に関するレポートを書きました。それによって、九条について多くのことを学ぶことができ、また絶対に守らなければならないものであるという確信ができました。そのため今回の選挙において、護憲を訴え続けている政党が議席を減らしたことは本当に残念に思います。民主党は護憲を訴える方もいれば、自民党に近いネオコンの方もいますから。

(中略) また管理人さんが言うように日本人はポピュリズムに本当に弱いと思います。メディアでも連日年金問題ばっか取り上げ、小泉の「郵政選挙」のようになっていました。ですから、次の選挙では、また自民党が圧勝するのではないかと心配になります。その点、今回の最後にも書いてありましたが、民主党の監視もしっかり行っていかなければいけないし、民主党の方々にも浮かれないで欲しいと願っています。


このコメントには、私が今回の選挙で特に問題だと感じた点が指摘されている。まず、今回の選挙が「年金未記録」のシングル・イシュー選挙の様相を呈してしまい、憲法問題をはじめとする多様な争点についての議論がなされなかったこと、そして、選挙戦後半にはまるで「郵政総選挙」の裏返しのような民主党への風が吹いたことである。

民主党圧勝の報道を見ながら、私は「これでは郵政総選挙の問題は何も解決されていない。次の総選挙でまたコイズミのような人間が出てきたら、自民党が再び圧勝してしまうのではないか」などと漠然と考えていた。コメントを下さった学生さんも、まさに同じことを感じておられたようだ。こういうコメントをいただくと、無理にひねり出すような記事の連続ではあっても、ブログをやっていて本当に良かったと思える。

そして、個々のブログの力には限りがあっても、「反安倍」を共通点にしつつ、さまざまなブログ記事が読める 「安倍晋三TBP」 は、「AbEnd」キャンペーンを推進する側の手前味噌で申し訳ないが、実に有用な情報基地になっていると思う。何より、マスコミ報道のように画一的ではないので、ここにトラックバックされている記事を何本か読むだけで、多様な視点からの意見を知り、読み手の頭を活性化することができるのではないか。実は、ブログの先人たちにもよく似た発想があったようなのだが、それは必ずしも成功しなかった。「安倍晋三TBP」は、軌道に乗せるまで宣伝を重ね、ブロガーにTBを呼びかけるなどの活動を経て、現在に至ったと自負している。ある意味、小沢一郎の「一人区行脚」とも共通する発想だったかもしれないが、小さな力が結集して大きな力となる、これが、カリスマ的な中心ブログを持たない「AbEnd」の思想だと私は勝手に考えている。そして、一人一人の自由な発想を重んじる行き方こそが、ポピュリズムを打破するためにもっとも有効な方法ではないかと考えるのである。


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昨年7月20日付の日経新聞が、昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀に不快感を抱いていたことを示す富田朝彦元宮内庁長官のメモ(「富田メモ」)の存在をスクープしたが、今度は故徳川義寛元侍従長が歌人の岡野弘彦氏(83)に昭和天皇のA級戦犯合祀に対する懸念を伝えていたとの記事を、共同通信が配信した。
http://www.47news.jp/CN/200708/CN2007080301001047.html

A級合祀「禍根残す」 昭和天皇が懸念

 靖国神社のA級戦犯合祀に対する昭和天皇の考えとして「戦死者の霊を鎮めるという社の性格が変わる」「戦争に関係した国と将来、深い禍根を残すことになる」との懸念を、故徳川義寛元侍従長が歌人の岡野弘彦氏(83)に伝えていたことが3日、分かった。

 昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示していたことは、富田朝彦元宮内庁長官のメモなどで判明しているが、具体的な理由までは明らかになっていなかった。

 合祀への懸念は、昭和天皇の側近トップだった徳川元侍従長が1986年秋ごろ、昭和時代から皇室の和歌の指導に当たってきた岡野氏に明かした。

 岡野氏によると、徳川元侍従長が昭和天皇の和歌数十首について相談するため、当時岡野氏が教授を務めていた国学院大を訪れた。

 持ち込んだ和歌のうち86年の終戦記念日に合わせて詠んだ「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」という一首が話題になり、岡野氏が「うれひ」の内容を尋ねると、徳川元侍従長がA級戦犯合祀に言及。「お上(昭和天皇)はA級戦犯合祀に反対の考えを持っておられた。理由は2つある」と切り出した。

 その上で「1つは(靖国神社は)国のために戦に臨んで戦死した人々のみ霊を鎮める社であるのにそのご祭神の性格が変わるとお思いになっておられる」と説明。さらに「戦争に関係した国と将来、深い禍根を残すことになるとのお考え」と明言したという。

2007/08/04 02:02 【共同通信】


今朝の「四国新聞」一面トップはこの記事だった。おそらく多くの地方紙でも同じだったと思う。実際の紙面では記事はもう少し詳しくて、岡野氏が昨年末にまとめた昭和天皇の和歌の解説書「四季の歌」の中でこのことに触れているそうだ。また、元侍従長は「こうした『うれひ』をはっきりお歌になさっては差し障りがあるので少し婉曲にしていただいた」と歌の背景を話した、とも書かれている。新聞記事は、さらに中曽根元首相やコイズミの靖国参拝が中国・韓国を刺激し、昭和天皇の懸念が現実のものとなったと指摘している。

新聞記事にもあるように、岡野氏の著書が出版されたのは昨年末だ。それが、この時期に新聞記事になったというのは、昨年の「富田メモ」のスクープ同様、ある種の政治的意図があると考えて間違いないと思う。

実は、この種の報道には、私はちょっと違和感を持っている。それは、戦争責任というなら、もっとも重い責任があるのは昭和天皇その人ではなかったかと思うからだ。昭和天皇のA級戦犯の靖国神社合祀への不快感を示していたと聞くと、「自分のことを棚にあげて」と思ってしまうのが正直なところである。昭和天皇もそれを自覚していたからこそ、ごく内輪の人間にしか真意を漏らさなかったに違いあるまい。

昨年の「富田メモ」スクープの時より、今回の方が記事への違和感がずっと大きいのは、参院選挙で負けたのに責任を赤城大臣らに押しつけ、自らは全く責任をとろうとしない安倍晋三の姿が連想されるからである。戦後、昭和天皇が戦争の責任を取って退位しなかったのは、日本の権力者に無責任体質を蔓延させることを招いてしまったと思う。何度も書くが、「権力の頂点にいる最高司令官」を自称しながら、権力の座に固執する安倍晋三の姿は、醜悪の一語に尽きる。

これまであまり安倍を批判してこなかった右派週刊誌も、あまりの安倍のていたらくに怒りを爆発させ、たとえば「週刊文春」(8月9日号)は、「バカ社長」ではダメだ、安倍自民37議席は「天罰」だ、などと書いて、石破茂や舛添要一の発言を引きながら安倍を罵倒している。

文春は、例の安倍の恥書「美しい国へ」の出版元なのだが、出版後1年経って人気の暴落した安倍の恥書などもはや誰も買わない。「金の切れ目が縁の切れ目」というワケで、もともと清和会(町村派)より野中広務に近いとされていた「週刊文春」がようやく本音全開で記事を書き始めたのだろう。

その一方で、いまだに安倍を擁護し続けているのが産経新聞と読売新聞である。一部に、日経新聞と読売新聞が軸となって自民党を参院選での惨敗に追い込んだという評論があるが、読売新聞の論説を見る限り、私には信じがたい言説だ。現に読売新聞は、安倍の「続投」を評価する人が44%もいる、などという明らかに捏造された世論調査結果を発表している。

読売新聞のドン・渡邉恒雄(ナベツネ)は元首相・中曽根康弘の盟友であり、憲法改定を生涯の悲願とする中曽根は、安倍に改憲の夢を託している。中曽根との友情がある以上、いかにナベツネが総理大臣の靖国神社参拝に反対であろうが、読売新聞は安倍を支持し続けるのである。ナベツネは、内部に矛盾を抱えていても平気な人間なのだろうと私は考えている。独裁者とはそういうものだ。

だが、読売新聞にはプロ野球で失敗した前例がある。以前にも書いたように、3年前の球界再編騒動の際、読売新聞はプロ野球労組のストを批判する社説を3日連続で掲載して、世論と真っ向から対立したが、こうした言論の結果、読売ジャイアンツは急速に人気を失い、視聴率の取れない「巨人戦中継」はゴールデンタイムの地上波番組から姿を消しつつある。

読売に応援された安倍政権も、ジャイアンツと同じ末路をたどるだろう。


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参議院選挙で自民党が負けること自体はわかりきっていたが、私は、2004年の参院選同様に、自民党が最終盤に盛り返して、「思ったほど負けない」という結果になるのではないかと恐れていた。その程度の負け方では、安倍晋三内閣を退陣させることはできない。

だから、各局の出口調査で、自民党が30議席台の大敗をしそうだと知った時は、喜ぶというよりほっとした。しかし、それでも安倍が退陣する可能性は五分五分だろうと思った。そして、安倍は開票がろくすっぽ進まないうちから早々と「続投宣言」をしたのである。

私が見る限りにおいて、安倍晋三は、めったに見られないほど自己愛の強い人間であって、権力に固執することは目に見えていたが、ここまで恥知らずな言動をとるとは思わなかった。安倍はこれまで、一度も国政選挙の審判を経ずして、衆参両院でコイズミが獲得した圧倒的な議席数にものをいわせて、好き勝手な政治をやってきた。よく安倍のことを「優柔不断」と批判する向きがあるが、私はこれは当たっていないと思う。優柔不断な人間が、あそこまで強行採決を連発するはずはない。単に頭の悪いわがままなお坊ちゃん、というのが私の安倍晋三観である。

そもそも、自民党の総裁が代わった時、民意を問うのが筋というものだ。
自民党総裁選を直後に控えた昨年9月18日の朝日新聞に、前宮城県知事で、のちに東京都知事選の候補となった浅野史郎氏が、「新首相は即座に衆院解散を」という文章を寄稿している。
新聞の読者投稿欄に、「大事な自民党総厳選に、我々一般国民が全くかかわれないのは不満である」というのがあって驚いた
と浅野氏は書く。そして、
自民党員でもない国民が関与できるのは、自民党総裁も「候補者」の一人となる、国会での首相指名選挙に「先立つ」衆院選の場面である。だから、前出の読者の声として怒りが向けられるべきは、自民党総裁選にかかわれないことではなくて、「先立つ」衆院選が実施されないことに対してのものであるべきである」
と指摘している。

総選挙の洗礼を受けていない政権は、国民にその正統性がまだ認められていない状態だから、憲法改定や消費税率引き上げなどの(安倍がやりたいと思っている)政策については、議論さえ持ち出せないだろう、というのが浅野氏の見立てだった。

普通の感覚なら誰しもそう思うだろう。だが、安倍には常識は通用しない。一度も国政選挙の洗礼を受けていないにもかかわらず、安倍は、教育基本法の改定など、「戦後レジームからの脱却」にかかわる重要な法案を、数の力で次々と強行採決によって成立させていった。

自民党総裁選で選出されたら、新首相は直ちに衆議院を解散し、総選挙で民意を問え、というのが浅野氏の主張だった。仮に、昨年秋の時点で解散総選挙が行われていたら、「コイズミチルドレン」たちが相当数落選して、自民党は議席をある程度減らしただろうが、それでも民主党以下をはるかに引き離して、与党は安定多数を引き続き確保しただろう。そして、その上で安倍のやりたいことをやれば、今よりずっと安倍の思うがままの政権運営ができたに違いない。つまり、浅野氏の主張は正論であり、一見、当時の次期総理総裁候補(事実上安倍晋三を指す)に厳しい意見のようだが、その通りに安倍がやれば、安倍は政権の基盤を確固としたものにできたかもしれない。つまり、「急がば回れ」的な考え方だったといえる。

しかし、安倍は「郵政総選挙」の議席数を減らすのがいやで、解散など全く考えなかった。目先の欲に目がくらみ、コイズミが確保した圧倒的な議席数があるうちに、自らの野望に沿った軍国主義的な法律の整備を一刻も早く進めようとしたのである。

今回の参院選も、衆院を解散して衆参同日選挙にする手があり、もしそれをやっていれば、衆議院の議席数を大幅に減らす代償とひきかえに、参院選の与党敗北の程度を相当程度抑えることができただろう。おそらく、選挙後の数合わせで、参議院の与野党逆転を阻止できたのではないかと思う。だが当然ながら、安倍にそんなことをする度胸はなかった。安倍が暗愚の帝王であったことは、安倍の悪政に反対する側のわれらにとっては、本当に幸運だった。

現在、衆議院の解散・総選挙が近いという観測もあるが、これまでの安倍の行動パターンから考えて、安倍は解散・総選挙など全く考えていないのではないかと思う。法案が参議院で否決されても、衆議院で再議決して3分の2以上の賛成があれば、法案は成立する。実際には過去半世紀以上もこのようなケースは生じていないが、そんなことを意に介する安倍ではない。解散・総選挙なんかをしたら、自公与党は過半数割れはともかく、3分の2の議席を得ることはありえないから、この奥の手は使えなくなる。そんなことを安倍が選択するとは思えない。

だが、どうやら安倍の思惑通りにはなりそうにもない。多くの方が指摘するように、今回の参議院選挙では、自民党のうち旧経世会の津島派が特に激しく凋落した一方、町村派(旧森派)の議席減の程度はまだしも軽く、安倍が熱心に口説いて擁立した丸川珠代だの義家弘介だのはちゃっかり当選した。だから、反主流派の力が落ちてしまって、安倍に反旗を翻すこともままならない状態だ。

しかし、政権成立前および内閣発足直後に安倍が頼みとしていたカンジンの支持率が暴落している。昨日(8月2日)の報道によると、フジ産経グループの調査で、安倍内閣の支持率はついに22%にまで低下した。こんな状態で、参議院で否決された法案を、衆議院の再議決(おそらく強行採決になる)で通すというのは、現実には不可能である。弱体化した反主流派や公明党といえど、安倍から離反していくだろう。

今、一番起きそうな事態は、自民党の誰かが安倍の首に鈴をつけ、安倍内閣を退陣させることである。どんなことになっても政権にしがみつこうとする安倍を、むりやり引きずり下ろす。これは普通の内閣退陣ではない。安倍晋三内閣は、まもなく異常な終了、つまり文字通りの 「AbEnd」 (= Abnormal End) を迎えることになるだろう。


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参議院選挙で民主党が大勝した一方、共産党、社民党、9条ネット、新党日本などの「護憲勢力」は党勢を伸ばすことができなかった。

新党日本については、当ブログは自民党の補完勢力であるとして、参院選では投票しないよう呼びかけたが、自民党とくっつきたい人たちは選挙戦の最中に出て行ったし、かつてブログで安倍晋三や石原慎太郎を利する記事を何度も書いた有田芳生は落選した。選挙中盤には田中康夫も議席を得られないのではないかと見られていたが、選挙戦中でのテレビ討論で、田中の主張に、他の野党四党(民主、共産、社民、国民新)の出演者を上回る説得力があったことから印象度がアップし、それが議席の獲得につながったものと思う。

しかし、社民党、9条ネット、新党日本の3党が合流するくらいでないと、「護憲」の声を広めていくことはできないと思う。社民党が2議席しか確保できなかったのは、9条ネットや新党日本に票が流れた影響もあるだろう。

上記3党と共産党の違いは、共産党は他党と連立を組むつもりが最初からないことで、一方社民党は、「民主党に影響力を行使しうる」ことをウリにしていると、福島瑞穂党首が言っていた。しかし議席を減らしたのでは元も子もない。

現在はなかなか主張が浸透しない社民党だが、同党の辻元清美議員に私は注目している。辻元議員は、旧来保守や改憲派とも連携の道を探っているのだ。

以前、「週刊金曜日」で辻元氏が「良質な保守」を評価する文章を発表したことを紹介したが(『参院選の争点は 「アベシンゾー」 だ』)、民主党の枝野幸男議員から「知的に論戦できるハト派の論客」という評価を得ている辻元議員は、ナント自民党の世襲議員にして「軍事ヲタク」の石破茂あたりまで巻き込んで「立憲同盟」を作ろうとしているのだという(「SIGHT」第32号『リベラルに世界を読む』掲載の枝野幸男インタビューより)。枝野議員は改憲派で「ネオコン」と評されることもあるが、安倍晋三が立憲主義を解していないことを厳しく批判しているし、国会でキヤノンの偽装請負を舌鋒鋭く追及したことは記憶に新しい。枝野氏に「ネオコン」とレッテルを貼って安倍晋三らと同列に論じるのは間違っていると私は思う。その枝野氏によると、石破氏は「タカ派だけど、リアリスト」なのだそうだ。

石破氏というと、参院選の敗北にもかかわらず政権の座にしがみつこうとしている安倍晋三を厳しく批判していることが、ニュースをにぎわせている。その石破氏が、イデオロギーの違いを超えて枝野氏や辻元氏らと提携しようとしているというのは、どこかわくわくさせられる話だ。

このところよく思うのだが、いくら護憲の主張が正しくとも、現実に戦争を止める力がなければ何の意味もない。もし安倍ら愚かな為政者が戦争を招いてしまったとしても、知恵を絞れば戦争を止められたかもしれなかったのにそれを行わなかった人たちにも、重い戦争責任が生じると私は考えている。

その意味で、改憲派や軍事ヲタクの「タカ派」とまで、共闘できるところは共闘しようと模索している辻元氏の試みは注目に値する。辻元氏および社民党の今後に注視したい。

何より大切なことは、とらわれない心で、複眼的にものごとを考えることだ。どんな運動でも、型にはまってしまった時から衰退が始まる。


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