昨日(5月30日)はブログを更新しなかったのだが、ブログへのアクセス数は、FC2カウンタの計数値で今月最多の4220件を記録した。読者の方々には厚くお礼を申し上げたい。
実は昨日は、裏ブログの「kojitakenの日記」が、本家である当ブログを上回る4876件のアクセスを記録した。一昨日のエントリからもリンクした、故松岡利勝農水相の自殺に関する読売新聞の異常な社説をコピペして、簡単なコメントをつけただけの記事が大量アクセスを記録したので驚いたのだが、朝日新聞や毎日新聞、それに産経新聞までもが、及び腰ながらも松岡大臣の自殺に関して、安倍晋三首相の責任を問う社説を掲載したのに対し、安倍の責任を全く問わず、しまいには朝鮮総連系の団体から献金を受けた民主党議員への非難に話をすり替えた読売新聞の異様な姿勢が、多くの読者に驚きを与えたのだろうと思う。
この「kojitakenの日記」の記事には、32件の「はてなブックマーク」をいただき、それが大量アクセスの原因になったのだが、その中でこんなコメントをつけてくださった方がいた。
ホントに、露骨さに呆れてしまう。
とにかく、この松岡大臣の自殺の件は、あまりに気が重くなる話題なので、昨日は新しい記事を書く気も起きず、ブログのアクセス解析をぼーっと見ていた。すると、某省庁から、昨年10月7日の記事 『安倍晋三の豹変にナベツネの影』 へアクセスがあったのを見つけた。これは、ナベツネが安倍晋三に靖国神社への参拝を諦めさせる代わり、安倍内閣の改憲路線に全面的な協力をすることで両者が手打ちをしたのではないか、と推測する内容の記事だ。そういえばそんな記事を書いたことがあったな、この記事で予想したとおりに推移したなと思ったが、こんな予想が当たったからといってうれしくもなんともない(笑)。
読売新聞社が他の新聞社と大きく異なるところは、ナベツネのワンマン新聞だということで、基本的に社内には言論の自由はない。だから時折、世論からかけ離れたとんでもない社説が掲載される。また、ナベツネのその時々の気分によって、社論が右へ左へと大きく振れる(実際には、「極右へ中道へと振れる」と表現した方が正確だが)。
当ブログに昨日いただいたコメントで思い出したのだが、2004年のプロ野球選手会がストを打った時、3日連続で選手会を攻撃する社説を掲載し、世間を呆れさせたことがあった。
当時、読売と同じくプロ野球球団を所有する中日(東京)新聞でさえ、選手会のストに一定の同情を示していたのに対し、読売は圧倒的な世論に逆らって、社説でヒステリックな選手会非難を続けた。
その結果、読売ジャイアンツ(通称「巨人」)の人気は急激に低下し、この年10月に行われた横浜?巨人戦では、観客がわずか150人ほどしかいない試合があったほどだ(公式発表では、観客数が大幅に水増しされていた)。かつては毎日テレビで放送されていた「巨人戦」も、今では地上波でのテレビ中継のない日も珍しくない。ナベツネの独裁が、巨人からのファン離れを招いたのだ。
今回の異常な社説も、ナベツネの強い意向を反映したものであることはまず間違いない。巨人からファンが離れていったように、安倍内閣から人心が離れ、内閣支持率がますます下がっていくことも確実だと思うが、いつも他紙より高い内閣支持率を弾き出す読売は、読者をミスリードしようと情報操作をし続けるだろう。
たちの悪いことに、ナベツネは朝日新聞以下の同業他社にも強い影響力を持っているから、もう今すでにそうであるのだが、日本の新聞全体が翼賛体質を今後ますます強めていく恐れがある。
それを許さず、暗黒時代の到来を阻止するためには、何が何でも参議院選挙で与党を惨敗に追い込むしかない。
閣僚が自殺しても国民からは何のオトガメもなし、なんてことになったら、もはや日本は民主主義国家とはいえなくなってしまう。
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実は昨日は、裏ブログの「kojitakenの日記」が、本家である当ブログを上回る4876件のアクセスを記録した。一昨日のエントリからもリンクした、故松岡利勝農水相の自殺に関する読売新聞の異常な社説をコピペして、簡単なコメントをつけただけの記事が大量アクセスを記録したので驚いたのだが、朝日新聞や毎日新聞、それに産経新聞までもが、及び腰ながらも松岡大臣の自殺に関して、安倍晋三首相の責任を問う社説を掲載したのに対し、安倍の責任を全く問わず、しまいには朝鮮総連系の団体から献金を受けた民主党議員への非難に話をすり替えた読売新聞の異様な姿勢が、多くの読者に驚きを与えたのだろうと思う。
この「kojitakenの日記」の記事には、32件の「はてなブックマーク」をいただき、それが大量アクセスの原因になったのだが、その中でこんなコメントをつけてくださった方がいた。
『読売は緑資源機構に触れたくないということがよく分かる社説。なんでこんな露骨なことするんだろうね。』
ホントに、露骨さに呆れてしまう。
とにかく、この松岡大臣の自殺の件は、あまりに気が重くなる話題なので、昨日は新しい記事を書く気も起きず、ブログのアクセス解析をぼーっと見ていた。すると、某省庁から、昨年10月7日の記事 『安倍晋三の豹変にナベツネの影』 へアクセスがあったのを見つけた。これは、ナベツネが安倍晋三に靖国神社への参拝を諦めさせる代わり、安倍内閣の改憲路線に全面的な協力をすることで両者が手打ちをしたのではないか、と推測する内容の記事だ。そういえばそんな記事を書いたことがあったな、この記事で予想したとおりに推移したなと思ったが、こんな予想が当たったからといってうれしくもなんともない(笑)。
読売新聞社が他の新聞社と大きく異なるところは、ナベツネのワンマン新聞だということで、基本的に社内には言論の自由はない。だから時折、世論からかけ離れたとんでもない社説が掲載される。また、ナベツネのその時々の気分によって、社論が右へ左へと大きく振れる(実際には、「極右へ中道へと振れる」と表現した方が正確だが)。
当ブログに昨日いただいたコメントで思い出したのだが、2004年のプロ野球選手会がストを打った時、3日連続で選手会を攻撃する社説を掲載し、世間を呆れさせたことがあった。
当時、読売と同じくプロ野球球団を所有する中日(東京)新聞でさえ、選手会のストに一定の同情を示していたのに対し、読売は圧倒的な世論に逆らって、社説でヒステリックな選手会非難を続けた。
その結果、読売ジャイアンツ(通称「巨人」)の人気は急激に低下し、この年10月に行われた横浜?巨人戦では、観客がわずか150人ほどしかいない試合があったほどだ(公式発表では、観客数が大幅に水増しされていた)。かつては毎日テレビで放送されていた「巨人戦」も、今では地上波でのテレビ中継のない日も珍しくない。ナベツネの独裁が、巨人からのファン離れを招いたのだ。
今回の異常な社説も、ナベツネの強い意向を反映したものであることはまず間違いない。巨人からファンが離れていったように、安倍内閣から人心が離れ、内閣支持率がますます下がっていくことも確実だと思うが、いつも他紙より高い内閣支持率を弾き出す読売は、読者をミスリードしようと情報操作をし続けるだろう。
たちの悪いことに、ナベツネは朝日新聞以下の同業他社にも強い影響力を持っているから、もう今すでにそうであるのだが、日本の新聞全体が翼賛体質を今後ますます強めていく恐れがある。
それを許さず、暗黒時代の到来を阻止するためには、何が何でも参議院選挙で与党を惨敗に追い込むしかない。
閣僚が自殺しても国民からは何のオトガメもなし、なんてことになったら、もはや日本は民主主義国家とはいえなくなってしまう。
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松岡利勝前農水相の自殺は、なんともやりきれない事件だ。自らの内閣を維持するための安倍晋三首相の思惑によって、本心では辞めたかったのに辞められなかった松岡大臣が心理的に追い詰められ、死を選んでしまったことは疑う余地がない。
この件に関して、鈴木宗男氏の談話がマスコミで報道されている。下記は毎日新聞の報道。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070530k0000m010053000c.html
以下引用する。
いかな大嫌いな政治家ではあっても、死など選んでほしくはなかった。生きて罪を償ってほしかった。だが、自民党が、政府が、安倍晋三がそれを許さなかったのだ。
松岡大臣の自殺をどのようにメディアは報じるかを、私は注目していた。特に安倍晋三の責任をどこまで追及するかに関心があった。昨日のエントリで明記したように、私は安倍内閣は総辞職すべきだと考えているが、そこまでは書かずとも、安倍の責任を厳しく追及するだろうと予想していた。
しかし、マスコミの報道は予想よりはるかに腰の引けたものだった。
特に呆れたのは読売新聞の社説であって、5月29日付の同紙社説 『松岡農相自殺 悲惨な死が促す政治の信頼回復』 は、安倍の責任に全く触れていないばかりか、「今国会は、事務所費ばかりが問題になっているが、民主党の角田義一前参院副議長が北朝鮮と密接な関係のある団体から献金を受けていた事実は、はるかに重大だ。こうした問題の究明が、きちんとなされていないのは解せない」などと、矛先を民主党に転じている。
朝鮮総連傘下の団体から角田議員への献金が、大した問題ではないなどというつもりは毛頭ないが、松岡大臣が絡んだ疑惑が持たれている緑資源機構の談合疑惑に関しては、自殺者が3人も出ているのだ。これを無視して、民主党議員を攻撃する読売の社説は、どう考えても異常だ。
同じ日の産経新聞の社説 『松岡農水相自殺 政治とカネに蓋をするな』 は、読売の社説よりよほどまともで、
「松岡氏を閣僚に起用し、疑惑を追及されても擁護してきた安倍晋三首相の責任も小さくない。参院選を控え政権にとって大きなダメージだ」、
「閣僚を更迭した場合のメリットとデメリットを計算し、批判を受けることも承知の上で、あえて政治的判断をしたのだろう。結果的には政権運営上の失策といわれても仕方ない」
などと、手厳しく安倍を批判している。
もちろん、これで当たり前というより、産経新聞でさえこの程度の社説を書くということだ。読売新聞の社説がいかに異常か、よくおわかりいただけるだろう。
おそらく、読売の社説には、ナベツネの強い意向が反映されているのだろうと想像するが、ナベツネも耄碌(もうろく)したものだというのが率直な感想だ。
他に呆れたのは、日刊スポーツに出ていた政治評論家・浅川博忠のコメントだ。
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070529-205737.html
「災い転じて」のあとにくる文句は、当然「福となす」だ。つまり浅川は、松岡大臣の自殺が自民党に「福」をもたらすだろうと言っているのだ。あまりに非常識なコメントに開いた口がふさがらなかった。浅川という男もまた、人の命の重さをこれっぽっちも感じることのできない人間なのだろう。こんな談話を掲載する日刊スポーツ編集者の良識も疑わざるを得ない。
安倍晋三といい読売新聞論説委員といい浅川博忠といい、これほどまでにも人の命を軽視する人たちが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していることに、戦慄を禁じ得ない。
[追記] (2007.5.30 1:10)
石原慎太郎が、松岡大臣の自殺を評して、
「何があったか知らないが、死をもって償ったという意味では、彼もサムライであった」
などとほざいたそうだ。
石原もまた、人の命を軽視する人間だということだ。こんな男を都知事に三選した東京都民の民度の低さを、改めて嘆かずにはいられない。
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この件に関して、鈴木宗男氏の談話がマスコミで報道されている。下記は毎日新聞の報道。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070530k0000m010053000c.html
以下引用する。
鈴木宗男氏:松岡氏は国対の指示で黙っていた、と明かす
新党大地代表の鈴木宗男衆院議員は29日までに、自らのホームページ上で故松岡利勝農相が自身の事務所費の問題などについて「今は黙っていた方がいいと国対(自民党国会対策委員会)からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と鈴木氏に語っていたことを明らかにした。
鈴木氏は自民党所属時代から松岡氏と懇意で、鈴木氏によると、今月24日夜にも東京都内で会食した席上、鈴木氏が「国民に心からのおわびをしたらどうか。国民に土下座し、説明責任が果たされていなかったと率直に謝った方がいい」と進言。これに対し、松岡氏は「自分も謝りたいが、今は黙っているしかない。政府方針も決まっているので、私が何か言うとおかしくなる」とも語ったという。
これに関して、自民党の中川秀直幹事長は29日の記者会見で「国対に確認したが、そういう事実は一切ない」と否定。また、塩崎恭久官房長官も同日の会見で、松岡氏の事務所費問題で、首相官邸側が答弁内容を指示したかどうかについては「ありません」と否定した。【小山由宇】
(毎日新聞 2007年5月29日 19時44分)
いかな大嫌いな政治家ではあっても、死など選んでほしくはなかった。生きて罪を償ってほしかった。だが、自民党が、政府が、安倍晋三がそれを許さなかったのだ。
松岡大臣の自殺をどのようにメディアは報じるかを、私は注目していた。特に安倍晋三の責任をどこまで追及するかに関心があった。昨日のエントリで明記したように、私は安倍内閣は総辞職すべきだと考えているが、そこまでは書かずとも、安倍の責任を厳しく追及するだろうと予想していた。
しかし、マスコミの報道は予想よりはるかに腰の引けたものだった。
特に呆れたのは読売新聞の社説であって、5月29日付の同紙社説 『松岡農相自殺 悲惨な死が促す政治の信頼回復』 は、安倍の責任に全く触れていないばかりか、「今国会は、事務所費ばかりが問題になっているが、民主党の角田義一前参院副議長が北朝鮮と密接な関係のある団体から献金を受けていた事実は、はるかに重大だ。こうした問題の究明が、きちんとなされていないのは解せない」などと、矛先を民主党に転じている。
朝鮮総連傘下の団体から角田議員への献金が、大した問題ではないなどというつもりは毛頭ないが、松岡大臣が絡んだ疑惑が持たれている緑資源機構の談合疑惑に関しては、自殺者が3人も出ているのだ。これを無視して、民主党議員を攻撃する読売の社説は、どう考えても異常だ。
同じ日の産経新聞の社説 『松岡農水相自殺 政治とカネに蓋をするな』 は、読売の社説よりよほどまともで、
「松岡氏を閣僚に起用し、疑惑を追及されても擁護してきた安倍晋三首相の責任も小さくない。参院選を控え政権にとって大きなダメージだ」、
「閣僚を更迭した場合のメリットとデメリットを計算し、批判を受けることも承知の上で、あえて政治的判断をしたのだろう。結果的には政権運営上の失策といわれても仕方ない」
などと、手厳しく安倍を批判している。
もちろん、これで当たり前というより、産経新聞でさえこの程度の社説を書くということだ。読売新聞の社説がいかに異常か、よくおわかりいただけるだろう。
おそらく、読売の社説には、ナベツネの強い意向が反映されているのだろうと想像するが、ナベツネも耄碌(もうろく)したものだというのが率直な感想だ。
他に呆れたのは、日刊スポーツに出ていた政治評論家・浅川博忠のコメントだ。
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070529-205737.html
政治評論家浅川博忠氏は「参院選の“お荷物”がなくなって、与党にとっては『災い転じて…』となるのではないか」と言い切る。「野党は苦し紛れに『なぜ辞めさせなかった』と追及するかもしれないが、インパクトは大きくない。死者にむち打つようなことはしにくく、野党は攻め道具を失った」と指摘した。
(日刊スポーツ 2007年5月29日7時50分)
「災い転じて」のあとにくる文句は、当然「福となす」だ。つまり浅川は、松岡大臣の自殺が自民党に「福」をもたらすだろうと言っているのだ。あまりに非常識なコメントに開いた口がふさがらなかった。浅川という男もまた、人の命の重さをこれっぽっちも感じることのできない人間なのだろう。こんな談話を掲載する日刊スポーツ編集者の良識も疑わざるを得ない。
安倍晋三といい読売新聞論説委員といい浅川博忠といい、これほどまでにも人の命を軽視する人たちが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していることに、戦慄を禁じ得ない。
[追記] (2007.5.30 1:10)
石原慎太郎が、松岡大臣の自殺を評して、
「何があったか知らないが、死をもって償ったという意味では、彼もサムライであった」
などとほざいたそうだ。
石原もまた、人の命を軽視する人間だということだ。こんな男を都知事に三選した東京都民の民度の低さを、改めて嘆かずにはいられない。
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「安倍晋三TBP」が1万件のTBを達成した翌日でもあり、今日はブログをお休みしようと思っていたのだが、そうもいかなくなった。
いうまでもなく、松岡利勝農水相が自殺したためだ。この重大事件にはどうしても触れないわけにはいかない。
松岡利勝は、「九州のムネオ」の異名をとる政治家だ。現在では引き合いに出された鈴木宗男氏の好感度があがっているが、かつて「利権政治家」として悪名をほしいままにした鈴木氏に匹敵する利権政治家として知られていたのが松岡氏だった。
当ブログでは、過去一度しか松岡氏について取り上げていないが、松岡氏の疑惑を報じた「AERA」(昨年11月発売)なども買い込んでおり、何かと疑惑の絶えない人物であることは、もちろん十分承知していた。あの「ナントカ還元水」発言で話題になった巨額の高熱水費問題など、数ある松岡氏の疑惑全体から見たら、ほんの氷山の一角だ。
緑資源機構の談合捜査に絡んで、東京地検特捜部の標的となっていたというのが、松岡氏の自殺の理由として、多くの方が想像するところだろう。「Yahoo! みんなの政治」が、この件に関して「月刊FACTA」が報じた記事を紹介している。
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070528-02-1101.html
疑惑の詳細は、上記リンク先をお読みいただくとして、松岡氏が自殺を図ったと聞いて直ちに思い浮かべたのが、二人の人間の「死」だった。
一人は伊藤一長・前長崎市長。現職の市長が選挙戦中に銃殺されたなんて前代未聞だった。現職の閣僚が自殺したというのも同じく前代未聞だ。1945年に戦犯容疑者となって自殺した近衛文麿元首相の例くらいしか思い浮かばなかったが、その近衛も現職閣僚ではなかった。
もう一人は、昨年1月にライブドア事件に絡んで沖縄で変死し、「自殺」とされたエイチ・エス証券副社長の野口英昭氏だ。「週刊ポスト」の昨年2月10日号は、野口さんが安倍晋三の非公式後援会である「安晋会」の理事だったと報じている。立花隆さんは、「彼(野口さん)が死んでしまったが故にこの事件の背後に横たわる巨大な闇の世界とのつながりを追求する手だてが永久に失われてしまった」と書いているが(「メディア ソシオ-ポリティクス」 第72回)、「安晋会」理事の野口さんが、立花さんの書くようにライブドアと闇の世界とのつながりを知るキーマンだったとしたら、野口さんが死んで得をしたのはいったい誰だったかと想像すると、背筋が凍るものがある。
とにかく、コイズミ政権以来、人の命がずいぶん軽くなってしまったと思えてならない。同じ岸信介の系列の政治家であっても、故福田赳夫首相は、「人命は地球より重い」と言って、ダッカのハイジャック犯の無法な要求を呑む苦汁の決断をした。しかし27年後、コイズミ内閣の官房長官だった息子の福田康夫は、イラクの人質事件の際、父・赳夫の言葉について聞かれて、「今は時代が違う」と切り捨てた。
だが、その福田康夫でさえ常識的な政治家に見えるほど、安倍晋三はエキセントリックな政治家だ。今回の松岡大臣の自殺が、安倍晋三の犠牲になったようなものだとは、多くの人が感じているところだろう。松岡大臣は、就任当時から「こんなスキャンダルまみれの政治家を大臣にして大丈夫か」と言われていた。当然安倍には任命責任がある。案の定スキャンダルに見舞われた松岡大臣の解任を求める声は、自民党内からも沸き上がったが、安倍は耳を貸さなかった。適当なタイミングで松岡氏を解任しておけば、今回のように自殺に追い込まれることはなかっただろうと思う。つまり、松岡氏を死に追いやったのは安倍晋三なのだ。
加藤紘一氏の実家に放火したテロへの批判を、コイズミともどもなかなか口にしなかった安倍晋三。伊藤一長氏が銃撃された時も、「言論の自由への挑戦であり、断じて許せない」という言葉が口をついて出なかった安倍晋三。理事がライブドア事件に絡んで沖縄で変死を遂げた非公式後援会を持つ安倍晋三。閣僚がスキャンダルを苦にして自殺した内閣の総理大臣である安倍晋三。安倍にとって人の命の重さとは、虫けらほどもないのではないかと思える。
こんな男が「教育改革」を唱え、「美しい国」を口にしたって、いったい誰がその言葉を信じることができようか。
「生命を大事にする」ことは教育の基本中の基本だろう。閣僚が仕事を放り出して自殺するような内閣の総理大臣に「教育改革」を口にする資格はないし、言論テロへの非難も口にできず、周囲の人間が次々と変死や自殺を遂げていく人間に、どうして「美しい国」を語ることができるというのだろうか。安倍のいう「美しい国」は血塗られた色の国だ。
こんな事態を招いてしまった以上、安倍晋三のとるべき道はただ一つしかない。
内閣総辞職である。
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いうまでもなく、松岡利勝農水相が自殺したためだ。この重大事件にはどうしても触れないわけにはいかない。
松岡利勝は、「九州のムネオ」の異名をとる政治家だ。現在では引き合いに出された鈴木宗男氏の好感度があがっているが、かつて「利権政治家」として悪名をほしいままにした鈴木氏に匹敵する利権政治家として知られていたのが松岡氏だった。
当ブログでは、過去一度しか松岡氏について取り上げていないが、松岡氏の疑惑を報じた「AERA」(昨年11月発売)なども買い込んでおり、何かと疑惑の絶えない人物であることは、もちろん十分承知していた。あの「ナントカ還元水」発言で話題になった巨額の高熱水費問題など、数ある松岡氏の疑惑全体から見たら、ほんの氷山の一角だ。
緑資源機構の談合捜査に絡んで、東京地検特捜部の標的となっていたというのが、松岡氏の自殺の理由として、多くの方が想像するところだろう。「Yahoo! みんなの政治」が、この件に関して「月刊FACTA」が報じた記事を紹介している。
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070528-02-1101.html
疑惑の詳細は、上記リンク先をお読みいただくとして、松岡氏が自殺を図ったと聞いて直ちに思い浮かべたのが、二人の人間の「死」だった。
一人は伊藤一長・前長崎市長。現職の市長が選挙戦中に銃殺されたなんて前代未聞だった。現職の閣僚が自殺したというのも同じく前代未聞だ。1945年に戦犯容疑者となって自殺した近衛文麿元首相の例くらいしか思い浮かばなかったが、その近衛も現職閣僚ではなかった。
もう一人は、昨年1月にライブドア事件に絡んで沖縄で変死し、「自殺」とされたエイチ・エス証券副社長の野口英昭氏だ。「週刊ポスト」の昨年2月10日号は、野口さんが安倍晋三の非公式後援会である「安晋会」の理事だったと報じている。立花隆さんは、「彼(野口さん)が死んでしまったが故にこの事件の背後に横たわる巨大な闇の世界とのつながりを追求する手だてが永久に失われてしまった」と書いているが(「メディア ソシオ-ポリティクス」 第72回)、「安晋会」理事の野口さんが、立花さんの書くようにライブドアと闇の世界とのつながりを知るキーマンだったとしたら、野口さんが死んで得をしたのはいったい誰だったかと想像すると、背筋が凍るものがある。
とにかく、コイズミ政権以来、人の命がずいぶん軽くなってしまったと思えてならない。同じ岸信介の系列の政治家であっても、故福田赳夫首相は、「人命は地球より重い」と言って、ダッカのハイジャック犯の無法な要求を呑む苦汁の決断をした。しかし27年後、コイズミ内閣の官房長官だった息子の福田康夫は、イラクの人質事件の際、父・赳夫の言葉について聞かれて、「今は時代が違う」と切り捨てた。
だが、その福田康夫でさえ常識的な政治家に見えるほど、安倍晋三はエキセントリックな政治家だ。今回の松岡大臣の自殺が、安倍晋三の犠牲になったようなものだとは、多くの人が感じているところだろう。松岡大臣は、就任当時から「こんなスキャンダルまみれの政治家を大臣にして大丈夫か」と言われていた。当然安倍には任命責任がある。案の定スキャンダルに見舞われた松岡大臣の解任を求める声は、自民党内からも沸き上がったが、安倍は耳を貸さなかった。適当なタイミングで松岡氏を解任しておけば、今回のように自殺に追い込まれることはなかっただろうと思う。つまり、松岡氏を死に追いやったのは安倍晋三なのだ。
加藤紘一氏の実家に放火したテロへの批判を、コイズミともどもなかなか口にしなかった安倍晋三。伊藤一長氏が銃撃された時も、「言論の自由への挑戦であり、断じて許せない」という言葉が口をついて出なかった安倍晋三。理事がライブドア事件に絡んで沖縄で変死を遂げた非公式後援会を持つ安倍晋三。閣僚がスキャンダルを苦にして自殺した内閣の総理大臣である安倍晋三。安倍にとって人の命の重さとは、虫けらほどもないのではないかと思える。
こんな男が「教育改革」を唱え、「美しい国」を口にしたって、いったい誰がその言葉を信じることができようか。
「生命を大事にする」ことは教育の基本中の基本だろう。閣僚が仕事を放り出して自殺するような内閣の総理大臣に「教育改革」を口にする資格はないし、言論テロへの非難も口にできず、周囲の人間が次々と変死や自殺を遂げていく人間に、どうして「美しい国」を語ることができるというのだろうか。安倍のいう「美しい国」は血塗られた色の国だ。
こんな事態を招いてしまった以上、安倍晋三のとるべき道はただ一つしかない。
内閣総辞職である。
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今日(5月27日)は大相撲夏場所の千秋楽だった。今場所は白鵬が全勝優勝を果たした。先場所に続く優勝であり、場所後横綱に昇進するそうだ。
ところで、夏場所の千秋楽というと、思い浮かぶのはどうしてもあの日、6年前の今日のことだ。
2001年(平成13年)5月27日、大相撲夏場所千秋楽で、前日土俵上で大怪我を負った横綱貴乃花は、同じ横綱の武蔵丸に本割で敗れ、同点決勝になったが、怪我を押す気迫の相撲で武蔵丸を破り、22度目の優勝をとげた。この時、貴乃花を表彰するために土俵に上がった時の首相・コイズミは「痛みに耐えてよく頑張った! 頑張った!!」と絶叫した。この時、優勝した貴乃花以上に、コイズミがクローズアップされ、コイズミ人気は頂点に達した。その余勢を駆ってコイズミ率いる自民党はこの年7月の参議院選挙で圧勝したのである。
あの時、大部分の日本人は貴乃花やコイズミに熱狂した。だが、私はそれを暗澹たる思いで見ていた。痛みに耐えて頑張ったことは立派なことかもしれない。だが、このあと貴乃花はどうなるのだろうか。そして、「改革」の痛みに耐える国民には何か良いことでもあるとでもいうのだろうか。そう私は思った。
昨年8月6日の記事 『小泉純一郎と安倍晋三と「女系」』 でも紹介したが、佐野眞一氏も同様の感想を持たれたようだ。
朝日新聞編集委員を務められた、故石川真澄氏(2004年没)の 『戦争体験は無力なのか』 (岩波書店、2005年)にも、以下のような記述がある。
3年前、「JanJan」のさとうしゅういち記者も下記のように書いている。
ここでさとう記者が書いている「夏の参院選」というのは、2004年の参院選を指す。この参院選で自民党の獲得議席は49議席にとどまり、50議席を獲得した民主党に1議席及ばなかったが、2001年の参院選で自民党が圧勝した議席が非改選だったので、コイズミの責任問題にまでは及ばず、安倍晋三・自民党幹事長が更迭されたにとどまった(のちに安倍は幹事長代理に復帰した)。
さて、貴乃花最後の優勝から6年が経過した今日、「安倍晋三 - トラックバック・ピープル」へのトラックバックが10000件に到達した。
1000件ごとのキリ番到達のたびにご紹介しているが、「安倍晋三TBP(トラックバック・ピープル)」へのTBは、昨年6月18日に「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんによって開設されて以来、下記のようなペースで推移してきた。
今回も、前回のキリ番からの到達日数の過去最短を更新した。そして、今回に関しては、もしかしたらキリを記録したブログに、何らかのヒョーショージョーならぬ賞品が当たるんじゃないかな、とも思うので、「カナダde日本語」 の記事を楽しみに待ちたい(笑)。
なお、おことわりしておくが、「AbEndキャンペーン」と「安倍晋三TBP」は別物であって、「安倍晋三TBP」は、右側からの安倍批判はもちろん、安倍晋三首相を擁護する記事にも門戸を開放しているトラックバック・テーマである。それにもかかわらずトラックバックされる記事の大半が厳しい安倍批判であることは、それだけブロガーの皆さまの間で安倍への怒りが強いことを示しているのだろう。
いよいよ、参院選選挙投票日と予想されている7月22日まで、あと2か月を切った。「AbEnd」 の勝負の時は、もう目の前だ。
自民党幹事長時代の二度の国政選挙(03年衆院選と前述の04年参院選)に連敗した安倍は、首相就任後、一度も国政選挙の洗礼を受けていない。それにもかかわらず安倍は、一昨年にコイズミが獲得した衆議院での圧倒的な議席数にモノをいわせて、やりたい放題の政治を推し進めているが、これに何としてでもストップをかけなければならない。
そのためにも、皆さまには、今後とも「AbEndキャンペーン」へのご賛同、ならびに「安倍晋三TBP」への活発なトラックバックをお願いしたいと思う。
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ところで、夏場所の千秋楽というと、思い浮かぶのはどうしてもあの日、6年前の今日のことだ。
2001年(平成13年)5月27日、大相撲夏場所千秋楽で、前日土俵上で大怪我を負った横綱貴乃花は、同じ横綱の武蔵丸に本割で敗れ、同点決勝になったが、怪我を押す気迫の相撲で武蔵丸を破り、22度目の優勝をとげた。この時、貴乃花を表彰するために土俵に上がった時の首相・コイズミは「痛みに耐えてよく頑張った! 頑張った!!」と絶叫した。この時、優勝した貴乃花以上に、コイズミがクローズアップされ、コイズミ人気は頂点に達した。その余勢を駆ってコイズミ率いる自民党はこの年7月の参議院選挙で圧勝したのである。
あの時、大部分の日本人は貴乃花やコイズミに熱狂した。だが、私はそれを暗澹たる思いで見ていた。痛みに耐えて頑張ったことは立派なことかもしれない。だが、このあと貴乃花はどうなるのだろうか。そして、「改革」の痛みに耐える国民には何か良いことでもあるとでもいうのだろうか。そう私は思った。
昨年8月6日の記事 『小泉純一郎と安倍晋三と「女系」』 でも紹介したが、佐野眞一氏も同様の感想を持たれたようだ。
土俵の上でひとり興奮してエキセントリックに叫ぶ姿をテレビで見たとき、私はマスコミが手ばなしで持ち上げる小泉人気に、少なからぬ疑念と違和感をもった。
小泉という男の頭のなかにあるのは、国民の人気取りへの執心だけではないのか、この男は、言葉というものをいったん自分の脳髄に濾過させ、それから言語として発するという政治家として最も重要な基礎訓練を一度も受けてこなかったのではないか。そんな印象を強く抱かされた。
(佐野眞一 『小泉純一郎?血脈の王朝』=文藝春秋、2004年=より)
朝日新聞編集委員を務められた、故石川真澄氏(2004年没)の 『戦争体験は無力なのか』 (岩波書店、2005年)にも、以下のような記述がある。
主婦たちは「普通の言葉でこんなに感動を表した首相がいただろうか」と言い、「(首相が)家族より身近な存在に思えた」という。
しかしそもそも、あれはそんなに感動的なできごとだったのだろうか。むろん私は相撲について批評できるほどの知識はない。しかし、テレビで見ていて優勝決定戦になったとき、まず頭に浮かんだのは、「これは武蔵丸がやりにくいな、かわいそうに」という感想だった。
(中略)
こうした私の一連の感想は、まったく素人大衆のものであると私は勝手に思っていた。もちろんすべての人々ではないにせよ、同様の感じ方をする人は少なくないのではないかと思ったのだ。しかし、首相は武蔵丸の心事など一顧だにしないで「感動した」と絶叫した。負けたほうの事情を思いやらない単純感激屋が大衆の支持を得られるのだろうかと、むしろ気になったほどである。
しかし、今や大衆感覚とは、「頑張って勝った」ことを讃えるだけの、その程度の単純一方のものになったらしい。相撲協会の時津風理事長(当時)のような人でさえ貴乃花の勝ちを「同じ世界に住んでいる者として誇りに思う」と、目を潤ませたそうである。それを報じた翌朝の新聞記事の行間も、私の読んだ限りでは潤んでいた。首相への支持は確固としたものになった。
(中略)
貴乃花はあれ以来四場所も続けて休場している。決定戦の無理がたたったのではないかと、それこそ大衆は心配だ。だが、首相の人気は今のところ一年近くも上々のままである。
大衆とは何か。日本の大衆感覚は近年変わったのか。それとも、もともとこうなのか。マスメディアや学界は世論調査などを駆使してその点を明らかにしてくれないだろうか。そこがよく分からないから、「小泉人気」の本質も分からず、「改革」の結果に対する人々の反応も予測できない。
政治指導者の人気は歌手やタレントのそれとは違う。民主主義社会での政策推進の最大資源である。いま、その人気の本質が分からないまま、「世論の支持」は大手を振って政治の世界を歩き回っている。その間に「不況」「失業」「靖国」「自衛艦出動」「有事立法」などが首相の上滑りな言葉を楯にしてするすると進んでいく。まことに危うい。
(石川真澄 『戦争体験は無力なのか』=岩波書店、2005年=より、初出は「世界」 2002年3月号)
3年前、「JanJan」のさとうしゅういち記者も下記のように書いている。
「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」
この場所の千秋楽、貴乃花は重傷だったのですが、それをおして出場。武蔵丸との横綱同士の本割りではあっさり敗れたものの、優勝決定戦では勝ち、結果としてみれば最後の優勝を飾ったのでした。そして、小泉総理は表彰式で上記のコメントを述べたのです。
だが、これで本当によかったのでしょうか?
私は、この場所での無理が、貴乃花関の力士寿命を縮めたように思えてなりません。現に、これ以降、彼は休場がちで、優勝する事はなかったのです。
(中略)
さて、小泉さんの表題のようなコメントは、政治の場でも実践され、日本の経済や、庶民の暮らしを、大相撲同様、だめにしてしまっているのではないか。このことを強く危惧しています。
小泉内閣は、医療費負担増、酒税増税、高齢者課税の強化、消費税課税最低限引き下げなどの負担増を強いています。さらに「不良債権処理」加速化は、中小零細企業を中心に打撃を与えており、失業や倒産が急増する結果を招きました。
今度の国会では、年金の保険料アップ・給付カットを柱とする「改革」法案が成立する見込みです。
今、痛みに耐えて頑張れば、将来よくなる。これが、小泉さんのキャッチフレーズのはずでした。しかし、そうはならないことが明らかになりました。
(中略)
「痛みに耐えてよく頑張った!そのため、手遅れになった!」
こんなブラックジョークにならないようにしなければなりません。日本経済を「第2の貴乃花関」にしないためにも、夏の参院選では答えをきちんと出すべきではないでしょうか?
(「JanJan」 2004年5月10日付 『大相撲夏場所と参院選 「痛みに耐えてよく頑張った」結果は?』 より)
ここでさとう記者が書いている「夏の参院選」というのは、2004年の参院選を指す。この参院選で自民党の獲得議席は49議席にとどまり、50議席を獲得した民主党に1議席及ばなかったが、2001年の参院選で自民党が圧勝した議席が非改選だったので、コイズミの責任問題にまでは及ばず、安倍晋三・自民党幹事長が更迭されたにとどまった(のちに安倍は幹事長代理に復帰した)。
さて、貴乃花最後の優勝から6年が経過した今日、「安倍晋三 - トラックバック・ピープル」へのトラックバックが10000件に到達した。
1000件ごとのキリ番到達のたびにご紹介しているが、「安倍晋三TBP(トラックバック・ピープル)」へのTBは、昨年6月18日に「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんによって開設されて以来、下記のようなペースで推移してきた。
2006年6月18日:「安倍晋三?トラックバック・ピープル」開設
2006年9月12日:1000件(開設日から86日)
2006年10月27日:2000件(1000件到達から45日)
2006年11月27日:3000件(2000件到達から31日)
2006年12月24日:4000件(3000件到達から27日)
2007年1月26日:5000件 (4000件到達から33日)
2007年2月21日:6000件 (5000件到達から26日)
2007年3月18日:7000件 (6000件到達から25日)
2007年4月12日:8000件 (7000件到達から25日)
2007年5月5日:9000件 (8000件到達から23日)
2007年5月27日:10000件 (9000件到達から22日)
今回も、前回のキリ番からの到達日数の過去最短を更新した。そして、今回に関しては、もしかしたらキリを記録したブログに、何らかのヒョーショージョーならぬ賞品が当たるんじゃないかな、とも思うので、「カナダde日本語」 の記事を楽しみに待ちたい(笑)。
なお、おことわりしておくが、「AbEndキャンペーン」と「安倍晋三TBP」は別物であって、「安倍晋三TBP」は、右側からの安倍批判はもちろん、安倍晋三首相を擁護する記事にも門戸を開放しているトラックバック・テーマである。それにもかかわらずトラックバックされる記事の大半が厳しい安倍批判であることは、それだけブロガーの皆さまの間で安倍への怒りが強いことを示しているのだろう。
いよいよ、参院選選挙投票日と予想されている7月22日まで、あと2か月を切った。「AbEnd」 の勝負の時は、もう目の前だ。
自民党幹事長時代の二度の国政選挙(03年衆院選と前述の04年参院選)に連敗した安倍は、首相就任後、一度も国政選挙の洗礼を受けていない。それにもかかわらず安倍は、一昨年にコイズミが獲得した衆議院での圧倒的な議席数にモノをいわせて、やりたい放題の政治を推し進めているが、これに何としてでもストップをかけなければならない。
そのためにも、皆さまには、今後とも「AbEndキャンペーン」へのご賛同、ならびに「安倍晋三TBP」への活発なトラックバックをお願いしたいと思う。
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安倍晋三首相は、「改憲」を正面に掲げてきたる参院選を戦う覚悟だ。不得手な経済問題については、コイズミ?竹中流の新自由主義路線を継承したまま、これをほったらかしにして「格差」を拡大し放題にしておいた上で、改憲問題に論点を絞るつもりらしい。
これに対し、野党第一党の民主党は、小沢代表が生活問題・格差問題を争点の中心に据えようとしているが、党内には異論もあって、まとまっていないとはよく指摘されることだ。
当ブログは、明月さんのブログ「反戦な家づくり」提唱の「9条改憲の是非」を民主党及び自民党の参院選候補者に問うアンケート(下記URL参照)に賛同した。
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-362.html
改憲については、今日(5月26日)未明に、テレビ朝日「朝まで生テレビ」が取り上げた。私は見たいと思っていたが、眠気に抗することができず、いったん寝入ったあと3時過ぎに目が覚め、番組の終わりの方を見た。
だから、どのような議論がなされたかについてはよく知らず、ご覧になった方のブログ等を参照したいと思っているが、目を引いたのは番組の末尾で放送された視聴者の意見調査の結果だった。
これによると、憲法改定に「賛成」が45%、「反対」が52%だった。このところの各種世論調査では、「賛成」が「反対」を大幅に上回る結果だったので、ちょっと驚いたが、「朝生」でも、2004年には「賛成」56%・「反対」41%、05年には「賛成」58%・「反対」39%だったのことだ。
内訳を見ると、「賛成」の理由としてもっとも多かったのが「時代と合わなくなった」というあいまいなものであるのに対し、「反対」の理由の最多は「9条を守りたいから」というものだった。
つまり、世論は、安倍晋三の真の狙いが「憲法第九条の改変」にあることを見抜き始め、急速に「改憲反対」に傾きつつあるということだ。
この結果は出演していた改憲派論者にとってはショックだったらしく、いきなり発言の声が小さくなってしまった(笑)。
昨日、Zarathustraさんからいただいたコメントに、この番組についての言及があり、Zarathustraさんは、
『あの番組も議論が深まって片方が負けそうになると、田原が話を遮って話題を変えてしまうのがむかつきます。討論こそ自由主義的になされるべきなのに、「言論は司会者が規制かよ?」って感じがします。(苦笑)』
と仰っているが、「あの」田原総一朗が司会していたにもかかわらず、この調査結果が出たことは、改憲派は予想もしていなかったに違いない。田原自身も面食らったことだろう(笑)。
もしかしたら、これが参院選の流れを変えるきっかけになるかもしれない、変化を嫌う国民が、自民党がいつの間にか保守政党ではなくなり、「復古主義革命」を目指す革命政党に変貌したことにようやく気づき、意識を変化させ始めたのではないかと思った。
もちろん、番組でも出演者が指摘していたように、有権者の多くは憲法には無関心で、「憲法より飯の種をどうにかして欲しい」という意見が多いだろう。安倍晋三は、「格差」問題を占拠の中心に据えられると選挙戦に不利だということもあって、「改憲」を争点にして民主党を撹乱したいと考えているのだと思う。
しかし、その憲法問題でも、民意は安倍の狙いとは異なるところにあることがはっきりしてきたことは大きい。これから、各野党は安倍を袋小路に追い詰めなければならない。
むろん、『参院選の争点は、「美しい国」か?、「くいっぱぐれない国」か?』 であるべきだという「JanJan」・さとうしゅういち記者の指摘は正しいと思う。
コイズミ政権以来推進されてきた、地方切り捨て政策の弊害はひどく、それは昨日まで当ブログでも論じてきた教育問題で、地方大学の予算を削って東大・京大・北大などの有力校に予算を傾斜配分するなどの構想にも反映されているが(これもZarathustraさんにご紹介いただいた北海道新聞の記事=下記URL参照)、それより何より地方在住者の生活を圧迫するような施策を、コイズミ政権や安倍政権は次々と繰り出してきたのである。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/27525.php
その影響もあって、従来自民党を支持してきた地方の有権者の多くが、民主党支持へと移ってきているようだ。四国でも、従来なら参院選は自民党が圧倒的に強かったのだが、今回は四県とも接戦になっているとの観測もある。地方では、自民党への風当たりは強まる一方なのである。
とは言っても、一昨年の「郵政総選挙」でもあるまいし、国政選挙がシングル・イシューで争われようはずもない。各党は生活問題にも憲法問題にもきっちり答えられなければならないことはいうまでもない。
民主党は、生活問題、格差問題を論点の中心に据えるためにも、憲法問題にはきっちり答えてほしい。何も、社民党や共産党と同じ答えを出してほしいなどとは言わない。
ただ、安倍自民党との違いははっきりさせてほしい。民主党が票を奪うべきは、社民党や共産党からではなく、与党からなのだから。
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これに対し、野党第一党の民主党は、小沢代表が生活問題・格差問題を争点の中心に据えようとしているが、党内には異論もあって、まとまっていないとはよく指摘されることだ。
当ブログは、明月さんのブログ「反戦な家づくり」提唱の「9条改憲の是非」を民主党及び自民党の参院選候補者に問うアンケート(下記URL参照)に賛同した。
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-362.html
改憲については、今日(5月26日)未明に、テレビ朝日「朝まで生テレビ」が取り上げた。私は見たいと思っていたが、眠気に抗することができず、いったん寝入ったあと3時過ぎに目が覚め、番組の終わりの方を見た。
だから、どのような議論がなされたかについてはよく知らず、ご覧になった方のブログ等を参照したいと思っているが、目を引いたのは番組の末尾で放送された視聴者の意見調査の結果だった。
これによると、憲法改定に「賛成」が45%、「反対」が52%だった。このところの各種世論調査では、「賛成」が「反対」を大幅に上回る結果だったので、ちょっと驚いたが、「朝生」でも、2004年には「賛成」56%・「反対」41%、05年には「賛成」58%・「反対」39%だったのことだ。
内訳を見ると、「賛成」の理由としてもっとも多かったのが「時代と合わなくなった」というあいまいなものであるのに対し、「反対」の理由の最多は「9条を守りたいから」というものだった。
つまり、世論は、安倍晋三の真の狙いが「憲法第九条の改変」にあることを見抜き始め、急速に「改憲反対」に傾きつつあるということだ。
この結果は出演していた改憲派論者にとってはショックだったらしく、いきなり発言の声が小さくなってしまった(笑)。
昨日、Zarathustraさんからいただいたコメントに、この番組についての言及があり、Zarathustraさんは、
『あの番組も議論が深まって片方が負けそうになると、田原が話を遮って話題を変えてしまうのがむかつきます。討論こそ自由主義的になされるべきなのに、「言論は司会者が規制かよ?」って感じがします。(苦笑)』
と仰っているが、「あの」田原総一朗が司会していたにもかかわらず、この調査結果が出たことは、改憲派は予想もしていなかったに違いない。田原自身も面食らったことだろう(笑)。
もしかしたら、これが参院選の流れを変えるきっかけになるかもしれない、変化を嫌う国民が、自民党がいつの間にか保守政党ではなくなり、「復古主義革命」を目指す革命政党に変貌したことにようやく気づき、意識を変化させ始めたのではないかと思った。
もちろん、番組でも出演者が指摘していたように、有権者の多くは憲法には無関心で、「憲法より飯の種をどうにかして欲しい」という意見が多いだろう。安倍晋三は、「格差」問題を占拠の中心に据えられると選挙戦に不利だということもあって、「改憲」を争点にして民主党を撹乱したいと考えているのだと思う。
しかし、その憲法問題でも、民意は安倍の狙いとは異なるところにあることがはっきりしてきたことは大きい。これから、各野党は安倍を袋小路に追い詰めなければならない。
むろん、『参院選の争点は、「美しい国」か?、「くいっぱぐれない国」か?』 であるべきだという「JanJan」・さとうしゅういち記者の指摘は正しいと思う。
コイズミ政権以来推進されてきた、地方切り捨て政策の弊害はひどく、それは昨日まで当ブログでも論じてきた教育問題で、地方大学の予算を削って東大・京大・北大などの有力校に予算を傾斜配分するなどの構想にも反映されているが(これもZarathustraさんにご紹介いただいた北海道新聞の記事=下記URL参照)、それより何より地方在住者の生活を圧迫するような施策を、コイズミ政権や安倍政権は次々と繰り出してきたのである。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/27525.php
その影響もあって、従来自民党を支持してきた地方の有権者の多くが、民主党支持へと移ってきているようだ。四国でも、従来なら参院選は自民党が圧倒的に強かったのだが、今回は四県とも接戦になっているとの観測もある。地方では、自民党への風当たりは強まる一方なのである。
とは言っても、一昨年の「郵政総選挙」でもあるまいし、国政選挙がシングル・イシューで争われようはずもない。各党は生活問題にも憲法問題にもきっちり答えられなければならないことはいうまでもない。
民主党は、生活問題、格差問題を論点の中心に据えるためにも、憲法問題にはきっちり答えてほしい。何も、社民党や共産党と同じ答えを出してほしいなどとは言わない。
ただ、安倍自民党との違いははっきりさせてほしい。民主党が票を奪うべきは、社民党や共産党からではなく、与党からなのだから。
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昨日のエントリで指摘した、教育に新自由主義を導入することの弊害は、深刻な問題だと思うのだが、「AbEnd」でも議論されることはほとんどないという印象を持っている(政治思想面からの批判に偏りがちだと思う)。そんな中、昨日トラックバックしていただいた、Zarathustra(ツァラトゥストラ)さんのブログ 「アヴェスターにはこう書いている?」 の記事 『稲垣佳世子、波多野誼余夫 『無気力の心理学 やりがいの条件』(その2)』 は、書籍の紹介記事だが、教育心理学の実験結果を紹介し、『「自由な競争によって社会の活力が高まる、活性化する」という神話が信じられているが、実証研究はそれを否定している』と指摘している。今年1月に公開された記事だが、一読に値すると思うので、下記リンク先に飛んでご参照いただければ幸いである。
http://zarathustra.blog55.fc2.com/blog-entry-98.html
しかし時代の趨勢は「新自由主義」全盛であって、財務省は国立大学の運営交付金を、研究実績に応じて傾斜配分する「競争原理」の導入を財務省が検討している。
これには地方国立大や文部科学省が猛反発し、文科省は24日、地方の中堅国立大4校が地元経済に与える影響を初めて試算し、「年間400億?700億円近くの経済効果と最大9千人の雇用を生み出している」という試算結果をまとめたとのことだ。
5月25日付「四国新聞」の記事によると、文科省は、競争原理の導入を迫る財務省に対し、従来の「知の拠点」という大義名分だけでは対抗できないため、初めて地方大学が地元に与える経済効果を試算したもののようだ。文科省は「(地方大学は)既に経営の効率化には取り組んでいる。大学の役割は教育、研究、社会貢献の三つなのに、(財務省は)一面しか見ていない。大学運営が脅かされると、地方の基盤が失われる」と主張しているとのことだ。
最近、メディアなどでもてはやされている「大学発ベンチャー」だが、私はこれには非常に懐疑的であり、実用に結びつき社会に役立っている例は極めて少ないと考えている。中には、「トンデモ」と言わざるを得ない実例も散見され、「疑似科学」や「疑似技術」が跋扈(ばっこ)しており、大学はここまで劣化したのかと愕然とする。
だから、文科省の「地方大学の経済効果」なるものを読まずに批判するのも何だが、どうせ眉唾ものだろうと想像している。
こう書いたからといって、財務省の方針を支持しているわけではなく、その正反対であって、文科省は「知の拠点」の大義名分だけで財務省と対抗できるようであってほしいと思う。
昨日のエントリでも紹介したように、立花隆さんは大学での哲学教育の後退を嘆いておられるが、このまま哲学や数学などの、経済効果には結びつかない研究を圧迫するようだと、日本人の知的レベルはますます後退を続け、取り返しのつかない事態を招くと予想し、これを強く恐れるものである。
そもそも、東大を出てたって菊川怜や丸川珠代程度の知性しか身につかない例も多いワケだから、大学はいまや「痴の拠点」というべきかもしれない。
既に報道されているように、元テレビ朝日アナウンサーの丸川は、2003年には金子勝と共著で、「ダマされるな! 目からウロコの政治経済学」(ダイヤモンド社、2003年)で、「コイズミカイカク」をコテンパンに批判していた。
丸川の自民党からの出馬は、かつての自らの主張を否定するもので、記者会見ではそこをずいぶん突っ込まれたそうだし、テレビ朝日側は、どうやら丸川から出馬についてほとんど相談を受けていなかったらしく、社長が不快感をあらわにしていたとも伝えてられている。
しかし、丸川は、あの田原総一朗が司会をしている「サンデー・プロジェクト」なる御用番組を垂れ流しているテレビ朝日の社員だから、ああいう行動に走ったのではないかと私などは思ってしまう。丸川の「反コイズミ」がポーズに過ぎなかったことは、いかにもテレビ朝日の体質をそっくり反映しているのだ。
田原というのは、よく指摘されるように経済問題に関してはまったくの素人であり、竹中平蔵の主張を鵜呑みにしている人間だ。5月23日の「きっこの日記」(「アベ内閣の自作自演」)は、田原が沖縄の反基地運動について、「土地の値段を吊り上げるための利権絡みの運動だから、中央のマスコミは報道せずに静観している」と発言し、こんなのは大ウソだと怒っているが、田原のことだから、どうせ誰か御用学者が言ったことをそのまま鵜呑みにしただけだろう。
田原総一朗とはその程度の人間だ。前にも書いたかもしれないが、この男は、コイズミ内閣の支持率が低下傾向にあった2002年に「それでも、小泉純一郎を支持します」という究極の「バカ本」(バカボン?)を書いたほどのゴマスリ人間で、特にコイズミ、竹中平蔵、石原慎太郎の三人には極端に弱い。この三人の共通点は「ポピュリスト」ということであり、要は田原自身がポピュリストだから、本家本元には頭が上がらないのだろう。
田原のような、もともと無思想だった人間が新自由主義を称揚したことが、教育や研究の破壊につながったのではないかと思えてならない今日この頃である。
[追記] (2007年5月25日 22:47)
「下記リンク先に飛んでご参照いただければ幸いである」と書いておきながら、Zarathustraさんのブログへのリンクを張り忘れていました。Zarathustraさん、どうも申し訳ありませんでした。遅すぎるかもしれませんが、リンクを追加して、再度「安倍晋三TBP」にトラックバックしました。同じ記事を二度目にされる読者の方々にはお詫び申し上げます。
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しかし時代の趨勢は「新自由主義」全盛であって、財務省は国立大学の運営交付金を、研究実績に応じて傾斜配分する「競争原理」の導入を財務省が検討している。
これには地方国立大や文部科学省が猛反発し、文科省は24日、地方の中堅国立大4校が地元経済に与える影響を初めて試算し、「年間400億?700億円近くの経済効果と最大9千人の雇用を生み出している」という試算結果をまとめたとのことだ。
5月25日付「四国新聞」の記事によると、文科省は、競争原理の導入を迫る財務省に対し、従来の「知の拠点」という大義名分だけでは対抗できないため、初めて地方大学が地元に与える経済効果を試算したもののようだ。文科省は「(地方大学は)既に経営の効率化には取り組んでいる。大学の役割は教育、研究、社会貢献の三つなのに、(財務省は)一面しか見ていない。大学運営が脅かされると、地方の基盤が失われる」と主張しているとのことだ。
最近、メディアなどでもてはやされている「大学発ベンチャー」だが、私はこれには非常に懐疑的であり、実用に結びつき社会に役立っている例は極めて少ないと考えている。中には、「トンデモ」と言わざるを得ない実例も散見され、「疑似科学」や「疑似技術」が跋扈(ばっこ)しており、大学はここまで劣化したのかと愕然とする。
だから、文科省の「地方大学の経済効果」なるものを読まずに批判するのも何だが、どうせ眉唾ものだろうと想像している。
こう書いたからといって、財務省の方針を支持しているわけではなく、その正反対であって、文科省は「知の拠点」の大義名分だけで財務省と対抗できるようであってほしいと思う。
昨日のエントリでも紹介したように、立花隆さんは大学での哲学教育の後退を嘆いておられるが、このまま哲学や数学などの、経済効果には結びつかない研究を圧迫するようだと、日本人の知的レベルはますます後退を続け、取り返しのつかない事態を招くと予想し、これを強く恐れるものである。
そもそも、東大を出てたって菊川怜や丸川珠代程度の知性しか身につかない例も多いワケだから、大学はいまや「痴の拠点」というべきかもしれない。
既に報道されているように、元テレビ朝日アナウンサーの丸川は、2003年には金子勝と共著で、「ダマされるな! 目からウロコの政治経済学」(ダイヤモンド社、2003年)で、「コイズミカイカク」をコテンパンに批判していた。
丸川の自民党からの出馬は、かつての自らの主張を否定するもので、記者会見ではそこをずいぶん突っ込まれたそうだし、テレビ朝日側は、どうやら丸川から出馬についてほとんど相談を受けていなかったらしく、社長が不快感をあらわにしていたとも伝えてられている。
しかし、丸川は、あの田原総一朗が司会をしている「サンデー・プロジェクト」なる御用番組を垂れ流しているテレビ朝日の社員だから、ああいう行動に走ったのではないかと私などは思ってしまう。丸川の「反コイズミ」がポーズに過ぎなかったことは、いかにもテレビ朝日の体質をそっくり反映しているのだ。
田原というのは、よく指摘されるように経済問題に関してはまったくの素人であり、竹中平蔵の主張を鵜呑みにしている人間だ。5月23日の「きっこの日記」(「アベ内閣の自作自演」)は、田原が沖縄の反基地運動について、「土地の値段を吊り上げるための利権絡みの運動だから、中央のマスコミは報道せずに静観している」と発言し、こんなのは大ウソだと怒っているが、田原のことだから、どうせ誰か御用学者が言ったことをそのまま鵜呑みにしただけだろう。
田原総一朗とはその程度の人間だ。前にも書いたかもしれないが、この男は、コイズミ内閣の支持率が低下傾向にあった2002年に「それでも、小泉純一郎を支持します」という究極の「バカ本」(バカボン?)を書いたほどのゴマスリ人間で、特にコイズミ、竹中平蔵、石原慎太郎の三人には極端に弱い。この三人の共通点は「ポピュリスト」ということであり、要は田原自身がポピュリストだから、本家本元には頭が上がらないのだろう。
田原のような、もともと無思想だった人間が新自由主義を称揚したことが、教育や研究の破壊につながったのではないかと思えてならない今日この頃である。
[追記] (2007年5月25日 22:47)
「下記リンク先に飛んでご参照いただければ幸いである」と書いておきながら、Zarathustraさんのブログへのリンクを張り忘れていました。Zarathustraさん、どうも申し訳ありませんでした。遅すぎるかもしれませんが、リンクを追加して、再度「安倍晋三TBP」にトラックバックしました。同じ記事を二度目にされる読者の方々にはお詫び申し上げます。
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昨日(5月23日)はブログをお休みしてしまったが、今日も当ブログとしては簡潔な記事でいきたい。
安倍晋三内閣の「教育改革」におけるイデオロギーの押しつけの問題については、さんざん論じられてきていると思うが、安倍流「教育改革」には、復古調のくせに妙にモダンなものが入り込んでいる。
それは、「新自由主義」である。
この間読んだ内田樹の「下流志向」(講談社、2007年)は、子どもたちが物心ついた最初の段階で、昔なら「労働主体」として立ち上がったのが(家の仕事の手伝いなどをさせられることなど)、今では「消費主体」として立ち上がる(小さい子供のころからお金を与えられて買い物をすることなど)、と指摘している。だから、小学校に入っていきなり「勉強して何の役に立つのですか」と質問して教師を絶句させ、学びを拒否する。長じてニートとなり、労働を拒否するようになる、などというのが内田氏の主張だが、得心が行く説明だった。この本で描かれている子どもたちには、骨の髄まで新自由主義がしみついているのではないか。今問題になっている子どもたちの学力低下の元凶は、日教組なんかじゃなくて、コイズミや竹中平蔵が信奉し、安倍がその路線を継承している「新自由主義」そのものなのではないか。この本を読んで、そのような感想を持った。
私は、かねがね市場原理を教育に持ち込むことほど、教育を破壊するものはないと考えている。安倍がお手本にしているイギリス・サッチャー元首相の教育改革が失敗したのも、一つにはそのせいだと信じている。
新自由主義はカルト思想であって哲学とは相容れないものだともずっと感じており、堀江貴文や村上世彰は、人間にとってもっとも大事なものを見失ってしまった哀れな人間にしか私には見えない。彼らの言動には、「思索」や「哲学」はまったく感じられず、本能の赴くままに生きているとしか思えないのである。
そんなふうに日々思っているものだから、日経BPのサイトに掲載されている、立花隆さんのコラム「メディア ソシオ-ポリティクス」第106回『安倍教育改革「負の遺産」 「哲学」の崩壊は憲法問題』 は、とても納得のいく記事だった。記事の内容についてここで贅言を費やすつもりはないので、下記リンク先に飛んでご確認いただきたいと思う。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070522_tetsugaku/
そういえば安倍晋三は、村上世彰ら新興のビジネスマンのパトロンだ。かの「安晋会」の会員には、ヒューザーだのアパだのエイチ・エス証券だのの新興ビジネスのトップが集まっていたとも聞く。
そして、安倍晋三ほど「哲学」の感じられない指導者も珍しい。
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安倍晋三内閣の「教育改革」におけるイデオロギーの押しつけの問題については、さんざん論じられてきていると思うが、安倍流「教育改革」には、復古調のくせに妙にモダンなものが入り込んでいる。
それは、「新自由主義」である。
この間読んだ内田樹の「下流志向」(講談社、2007年)は、子どもたちが物心ついた最初の段階で、昔なら「労働主体」として立ち上がったのが(家の仕事の手伝いなどをさせられることなど)、今では「消費主体」として立ち上がる(小さい子供のころからお金を与えられて買い物をすることなど)、と指摘している。だから、小学校に入っていきなり「勉強して何の役に立つのですか」と質問して教師を絶句させ、学びを拒否する。長じてニートとなり、労働を拒否するようになる、などというのが内田氏の主張だが、得心が行く説明だった。この本で描かれている子どもたちには、骨の髄まで新自由主義がしみついているのではないか。今問題になっている子どもたちの学力低下の元凶は、日教組なんかじゃなくて、コイズミや竹中平蔵が信奉し、安倍がその路線を継承している「新自由主義」そのものなのではないか。この本を読んで、そのような感想を持った。
私は、かねがね市場原理を教育に持ち込むことほど、教育を破壊するものはないと考えている。安倍がお手本にしているイギリス・サッチャー元首相の教育改革が失敗したのも、一つにはそのせいだと信じている。
新自由主義はカルト思想であって哲学とは相容れないものだともずっと感じており、堀江貴文や村上世彰は、人間にとってもっとも大事なものを見失ってしまった哀れな人間にしか私には見えない。彼らの言動には、「思索」や「哲学」はまったく感じられず、本能の赴くままに生きているとしか思えないのである。
そんなふうに日々思っているものだから、日経BPのサイトに掲載されている、立花隆さんのコラム「メディア ソシオ-ポリティクス」第106回『安倍教育改革「負の遺産」 「哲学」の崩壊は憲法問題』 は、とても納得のいく記事だった。記事の内容についてここで贅言を費やすつもりはないので、下記リンク先に飛んでご確認いただきたいと思う。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070522_tetsugaku/
そういえば安倍晋三は、村上世彰ら新興のビジネスマンのパトロンだ。かの「安晋会」の会員には、ヒューザーだのアパだのエイチ・エス証券だのの新興ビジネスのトップが集まっていたとも聞く。
そして、安倍晋三ほど「哲学」の感じられない指導者も珍しい。
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前のエントリで、「サンデー毎日」が教育改革関連三法案を批判した記事を紹介したが、幸いなことに、この記事に15件の「はてなブックマーク」をいただき、今日は23時台までブログを更新しなかったにもかかわらず、普段の日より多めのアクセスを記録した。もちろん、私の手柄などではなく、「サンデー毎日」の記者の手柄である。
こういう時、切れ味鋭い記事を公開して、安倍に追い討ちをかけることができれば良いのだが、あいにく今日はあまり時間がとれないので、不本意ながらいくつかの短信でお茶を濁すことにしたい。
まず、問題の教育改革関連三法案は、参院文教科学委員会で審議入りした。産経新聞の記事によると、安倍晋三首相は、自らが目指す教育の在り方に関し「損得を超える価値、道徳や公共の精神をしっかりと子どもに身につけてもらえる教育を行っていきたい。創造性のある人を育てたい」と述べたとのことだが、安倍は言っていることとやっていることが正反対で、成立するであろう法案によって、子どもたちの創造性の芽は詰まれ、権力に都合の良いロボットのような人間が、親衛隊員として選抜されるだろうことは、前のエントリで紹介した「サンデー毎日」の記事をお読みいただければよく理解されるだろう。
今日は、元テレビ朝日アナウンサー・丸川珠代が予想通り自民党からの出馬を正式表明したニュース(時事通信の記事などを参照)などもあったが、私の目を引いたのは、一度は引退を表明した自民党の沓掛哲男議員が、石川県選挙区からの無所属出馬を検討していることが分かったというニュースである(時事通信の記事を参照)。
「中川氏(秀直幹事長)は沓掛氏に出馬断念を求めるよう指示。出馬を強行した場合は除名などの処分を行う考えを示した」(前記時事通信の記事による)とのことだ。
勝手にしやがれ、ってとこだが、沓掛というと、昨年の国会で、ライブドア事件に絡んで変死を遂げた野口英昭さんの件について、民主党の細川律夫議員から質問を受けた際、「ブザーを押して犯人が届けていき」と答弁したことが忘れられない人物だ。下記動画ファイルの、細川氏の質問のビデオの8分27秒くらいのところに、問題のシーンが記録されている。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=29050
自民党の候補者が当選するくらいなら、沓掛が当選して、折にふれて野口さん怪死事件を思い出すきっかけになってもらう方がまだましかもしれないと思う今日この頃だ。
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こういう時、切れ味鋭い記事を公開して、安倍に追い討ちをかけることができれば良いのだが、あいにく今日はあまり時間がとれないので、不本意ながらいくつかの短信でお茶を濁すことにしたい。
まず、問題の教育改革関連三法案は、参院文教科学委員会で審議入りした。産経新聞の記事によると、安倍晋三首相は、自らが目指す教育の在り方に関し「損得を超える価値、道徳や公共の精神をしっかりと子どもに身につけてもらえる教育を行っていきたい。創造性のある人を育てたい」と述べたとのことだが、安倍は言っていることとやっていることが正反対で、成立するであろう法案によって、子どもたちの創造性の芽は詰まれ、権力に都合の良いロボットのような人間が、親衛隊員として選抜されるだろうことは、前のエントリで紹介した「サンデー毎日」の記事をお読みいただければよく理解されるだろう。
今日は、元テレビ朝日アナウンサー・丸川珠代が予想通り自民党からの出馬を正式表明したニュース(時事通信の記事などを参照)などもあったが、私の目を引いたのは、一度は引退を表明した自民党の沓掛哲男議員が、石川県選挙区からの無所属出馬を検討していることが分かったというニュースである(時事通信の記事を参照)。
「中川氏(秀直幹事長)は沓掛氏に出馬断念を求めるよう指示。出馬を強行した場合は除名などの処分を行う考えを示した」(前記時事通信の記事による)とのことだ。
勝手にしやがれ、ってとこだが、沓掛というと、昨年の国会で、ライブドア事件に絡んで変死を遂げた野口英昭さんの件について、民主党の細川律夫議員から質問を受けた際、「ブザーを押して犯人が届けていき」と答弁したことが忘れられない人物だ。下記動画ファイルの、細川氏の質問のビデオの8分27秒くらいのところに、問題のシーンが記録されている。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=29050
自民党の候補者が当選するくらいなら、沓掛が当選して、折にふれて野口さん怪死事件を思い出すきっかけになってもらう方がまだましかもしれないと思う今日この頃だ。
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5月17日の記事 「アベシンゾーと丸川珠代のヘラヘラツーショット(笑)」 の末尾でもちょっと触れたが、18日に衆院を通過した教育改革関連三法案について、「サンデー毎日」5月27日号にわかりやすい記事が出ているので、これを紹介したいと思う。
まず、この「教育三法案」の骨子を以下に示す。
一見してわかる通り、教育の国家統制を色濃くにじませた法案だ。
三法案は参院に送付され、会期内に成立することはほぼ間違いないが、法案成立のあかつきに生じる事態をわかりやすく書いたのが、今日の記事で紹介する「サンデー毎日」の記事だ。
記事の書き出しから紹介する。
記事は、教育三法案の骨子などを紹介したあと、安倍の真の狙いを暴く。
記事はさらに、学校教育法改正案の『義務教育』の項にある、「我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」とした「愛国心」の規定を、国際基督教大の藤田英典教授の意見を引用して批判する。
記事はさらに、「日の丸・君が代」強制の恐れが強まることや、教員の「免許更新制度」や、その際に最低30時間講習の受講が義務化されることの、教員に与えるストレスや現場にかかる負担を指摘している。
しかも、法案からは肝心の学習指導のテコ入れが抜け落ちており、成績がふるわない生徒が激増して、日本人の学力が低下している現状への対策が、国会審議や教育再生会議でさっぱり議論されないことを批判した上で、教育の現場の現状を下記のようにレポートしている。
要は、「権力の頂点」にいる「最高司令官」の安倍晋三にとって都合の良い、権力に従順で独裁者に忠誠を誓う「明るくて良い子」を選抜し、多様性を排除して上記の枠にはまらない子どもは切り捨てるのが安倍政権の「教育改革」というわけだ。
記事は、この教育三法が、民主党の有力な支持基盤である日教組を叩いて、民主党の弱体化を狙っているのではないかと指摘している。しかし、日教組は組織力が低下しており、組合員が民主党にどれだけ投票しているかも疑問で、自民党が意識しすぎなのではないかと、同党をからかっている。
最後に、「サンデー毎日」の記事末尾を引用して、本日の記事の結びとしたい。
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まず、この「教育三法案」の骨子を以下に示す。
学校教育法改正案
- 昨年12月成立した改正教育基本法を踏まえ、義務教育の目標として「我が国と郷土を愛する態度」「規範意識や公共の精神などに基づき社会に参画する態度」などを明記
- 組織運営強化のために小、中学校などに「副校長」「主幹教師」「指導教諭」を置くことができる
- 教育水準向上のために学校は、教育活動などについて学校評価を行い改善を図る
地方教育行政法改正案
- 教育委員会の法令違反や怠りにより、緊急に生徒らの生命を保護する必要が生じた場合、教委に対する文部科学省の是正指示権を新たに規定
- 生徒らの教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合に文科相が教委に地方自治法で定める是正要求を行う
- 都道府県知事は私立学校に関する事務について教委に助言、援助を求めることができる
教員免許法改正案
- 終身制の現在の教員免許を2009年4月1日から有効期間10年の更新制にする
- 更新前に30時間以上の講習が必要。講習を終了しないと免許が失効
一見してわかる通り、教育の国家統制を色濃くにじませた法案だ。
三法案は参院に送付され、会期内に成立することはほぼ間違いないが、法案成立のあかつきに生じる事態をわかりやすく書いたのが、今日の記事で紹介する「サンデー毎日」の記事だ。
記事の書き出しから紹介する。
安倍晋三首相がどうしてもやりたいこと??それが「憲法改正」と「教育改革」なのは言うまでもない。国民投票法案が参院憲法調査特別委で可決され、次の焦点は後者である。法成立の暁には現場教師の大量リストラが待ち受けるが、それだけでは済まない。可愛い子どもたちが「スローガン漬け」になってしまうのだ。まるで「少国民」のように……。
朝にもかかわらず、"免許の書き換え"のための講習で疲れた先生が言う。
「皆さん、昨日の夜ご飯は、お父さんお母さんと一緒に食事ができましたか」
塾で忙しい子どもは、申し訳なさそうに下を向いている。先生は続ける??
「脱いだ履物はそろえることができましたか」
「免許」が運転のそれでないのは言うまでもない。
全国の小学校低学年の教室で09年4月から、こんな光景が見られるかもしれない。そう、教育ではない。しつけ、すなわち首相のお好きな「立ち居振る舞い」である。
「家庭や個人のことに口を出すな」「余計なお世話」などと怒ったり笑ったりしてはいけない。大まじめに、しかも日本全体で実行しようとしているのが、ほかならぬ「教育改革」なのだ。
(「サンデー毎日」 2007年5月27日号掲載 『徹底シミュレーション 改正教育三法で教師は大量リストラ死する』 より)
記事は、教育三法案の骨子などを紹介したあと、安倍の真の狙いを暴く。
前回衆院選で圧勝した政府・与党にしてみれば、安倍首相肝いりの最重要法案。何としても成立させるのは間違いない。
では、首相がそんなにこだわるこの法案、建前はともかく、お国のホントの狙いはどこにあるのか。
今年3月、文部科学省の幹部を迎え、教育関係者による勉強会が都内で開かれた。いわばその道のプロばかりが集ったものだが、出席者の一人は「思わず耳を疑いました」と、次のように振り返るのだ。
「その官僚は議論をしているうちに、法案について『私たちの意図は(子どもを)まっとうな大人にすることだけではありません。実は、まっとうな日本人に育成することにあります』と説明したのです。極めて "右寄り" だと感じました」(出席者)
「まっとうな日本人」を育てる資格や権限が、文科省にあるかどうかという議論は別にしても、いくら内輪の席とはいえ、こんな発言をすること自体、とても「まっとう」とは思えない。逆に言えば、それだけ彼らが目指す真の狙いが理解できるというものであろう。
(中略)
この出席者が驚かされたのは、参加者全員に配布された一枚の紙片だった。そこには、故ジョン・F・ケネディ米国大統領の有名な演説が、和訳付きの英文で記されていた。下線を引いた部分??それがすなわち、
「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何かできるかを問おうではないか」(大統領就任演説、1961年1月20日)
だったという。出席者があきれ顔で言う。
「その意味するところが、『もっと国に尽くしなさい』という趣旨を含むのなら大問題でしょう。子どもに『戦争に行きなさい』とでも言うのでしょうか」
(前掲誌より)
記事はさらに、学校教育法改正案の『義務教育』の項にある、「我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」とした「愛国心」の規定を、国際基督教大の藤田英典教授の意見を引用して批判する。
「歴史に対して『正しい理解』と殊更書いたのはなぜでしょう。歴史の理解には多様性が求められますが、『唯一、正しい日本の歴史』を規定しようとし、特定の考え方を教えるべきだとのニュアンスを含んでいます。思想・良心の自由に抵触する恐れがあるし、ある種のイデオロギー性が透けて見えます」(藤田教授)
(前掲誌より)
記事はさらに、「日の丸・君が代」強制の恐れが強まることや、教員の「免許更新制度」や、その際に最低30時間講習の受講が義務化されることの、教員に与えるストレスや現場にかかる負担を指摘している。
しかも、法案からは肝心の学習指導のテコ入れが抜け落ちており、成績がふるわない生徒が激増して、日本人の学力が低下している現状への対策が、国会審議や教育再生会議でさっぱり議論されないことを批判した上で、教育の現場の現状を下記のようにレポートしている。
ある小学校のPTAが各家庭に配布した文書には「進んであいさつできる子を育てます」「会話のある家庭の中で思いやりのある子を育てます」などという、一見、だれも反対しないスローガンがズラリと並んでいる。
また、別の小学校では、冬休み用に「家庭教育たしかめカード」を作成した。「ありがとう。ごめんなさいが素直に言えましたか」「元気よくあいさつや返事ができましたか」などの項目のうち、「取り組めたもの」に父母らと一緒に「○」を記入して提出するよう、子どもたちに求めている。
「元気で明るい子」が「いい子」だというわけだ。それはそれで結構だが、これでは、「元気がなくて暗い子」は「わるい子」になってしまう。文部科学行政に詳しい井上哲士参院議員(共産)は、こう分析する。
「まず教育現場で、『いい子』という枠にはめる。そして『いい子』がどれだけ増えたか、数値に表す学校が増えていくでしょう。簡単に言えば息苦しい学校になり、一人一人の人格を育てる教育とは正反対の方向に進みます。安倍政権は自民党内に従来ある保守・復古主義に加え、エリートとそうではない層を、教師と子どもの両者で分けようとしています。新自由主義的な発想が盛り込まれているのが特徴です」
(前掲誌より。前の段落に言及する部分などを一部書き換えました)
要は、「権力の頂点」にいる「最高司令官」の安倍晋三にとって都合の良い、権力に従順で独裁者に忠誠を誓う「明るくて良い子」を選抜し、多様性を排除して上記の枠にはまらない子どもは切り捨てるのが安倍政権の「教育改革」というわけだ。
記事は、この教育三法が、民主党の有力な支持基盤である日教組を叩いて、民主党の弱体化を狙っているのではないかと指摘している。しかし、日教組は組織力が低下しており、組合員が民主党にどれだけ投票しているかも疑問で、自民党が意識しすぎなのではないかと、同党をからかっている。
最後に、「サンデー毎日」の記事末尾を引用して、本日の記事の結びとしたい。
いずれにしても、安倍政権にとっては、子どもを「まっとうな日本人」にすると同時に、現場教師の負担を重くすることで「政敵」を弱体化させる一石二鳥の策が、今回の教育関連三法案なのは確かだろう。
「子どもは母乳で育てろ」とのたまわったのは、かの山谷えり子首相補佐官(教育再生担当)だが、「母乳が出ない女性に配慮が足りない」と批判を受けて撤回したのはご承知の通り。
「美しい国」には要らないとらく印を押される「美しくない」教師、そして子どもたち??。私たちは、どうやら本気で怒る時が来たようである。
(「サンデー毎日」 2007年5月27日号掲載 『徹底シミュレーション 改正教育三法で教師は大量リストラ死する』 より)
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日曜日なので、このところ考えていることなどを気楽に書き散らしてみたい。
まず憲法の話だが、『kojitakenの日記』 の記事 『民主党は憲法問題から逃げるな』 にも書いたように、民主党は決して逃げてはならないと思う。格差社会や年金問題を争点の中心に据えるべきだという主張に、私は反対しないし、ほっといてもそうなるだろうと思うが、民主党が憲法問題から逃げ続けていると、かえってそこを自民党に突かれて敵の狙いにはまってしまうと思う。
各種世論調査で、憲法改定への賛成論は反対論と比較して多数を占めるが、憲法第九条の改定に関しては反対論の方が多く、しかも年々反対論の比率が高まっていることを、改めて強調したい。民意はそこにあると私は考えている。
きたる参院選での理想は、護憲を掲げる社民・共産両党が伸びる一方で、民主党と国民新党が保守の層から票を奪い取ることで党勢を増し、自公連立与党を惨敗に追い込むことだと思う。
しかし、そのためにネオコン度を安倍と競っても何の意味もない。A級戦犯の孫にして、「戦術核の使用も違憲ではない」などとトンデモ発言をし、沖縄の記事建設反対運動に自衛隊を送り込む一方で、経済政策でもコイズミの新自由主義路線を引き継いでいる基地外の安倍とイカレ具合を競っても、ネット右翼はともかく一般の保守層はついてこないだろう。それよりむしろ、2000年以来続く旧森派(町村派)支配をよく思わない、かつての保守本流支持層に食い込む努力を、民主・国民新党の両党はすべきだと思う。民主党内にもネオコン議員はたくさんいるが、将来的には自民・民主両党とも分裂し、ネオコンと穏健保守にきっちり別れてもらって、前者が幅を利かせすぎの現状を改めてもらいたい。
もっとも、アメリカなどでネオコンは確実に退潮しているから、ほっといてもいずれはそうなるとは思うのだが、アメリカが変わらなければ変われない、というのでは、いかにも属国らしくて情けない限りだ。
最後に、当ブログにいただいたコメントをいくつか紹介したい。
まず、5月16日の記事 『安倍晋三と「保守本流」は対立関係にある』 にいただいた、「岩・保守本流」さんのコメント。
安倍が「保守ですらない」ことは、「広島瀬戸内新聞ブログ版」 でおなじみの、さとうしゅういちさんが 「JanJan」 に書いた記事にも指摘されている。
続いては、最近立て続けに6件のコメントをいただいたソラさんのコメントのうち、最初のものを紹介する。
最近は、コメントに対する返事もなかなか書けないことが多くて申し訳ないのだが、こうしてたまにはいただいたコメントを紹介することで、せめてもの罪滅ぼしとしたい思う次第だ。
[追記] (2007年5月20日 18:40)
この記事を書いたあと、石川真澄「戦争体験は無力なのか」(岩波書店、2005年)を読み、ハッとする文章に行き当たったので、「kojitakenの日記」 に 『憲法論議も大事だが、もっと大事な問題から目をそらさせようという権力のたくらみに気をつけよう』 という記事を急遽アップした。
民主党は、憲法問題から逃げないことも大事だが、主要な争点である社会・経済問題で安倍政権を追いつめることを怠ってはならない。舵取りの難しい党運営であり、参院選だと思うが、小沢代表の手腕に期待したい。
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まず憲法の話だが、『kojitakenの日記』 の記事 『民主党は憲法問題から逃げるな』 にも書いたように、民主党は決して逃げてはならないと思う。格差社会や年金問題を争点の中心に据えるべきだという主張に、私は反対しないし、ほっといてもそうなるだろうと思うが、民主党が憲法問題から逃げ続けていると、かえってそこを自民党に突かれて敵の狙いにはまってしまうと思う。
各種世論調査で、憲法改定への賛成論は反対論と比較して多数を占めるが、憲法第九条の改定に関しては反対論の方が多く、しかも年々反対論の比率が高まっていることを、改めて強調したい。民意はそこにあると私は考えている。
きたる参院選での理想は、護憲を掲げる社民・共産両党が伸びる一方で、民主党と国民新党が保守の層から票を奪い取ることで党勢を増し、自公連立与党を惨敗に追い込むことだと思う。
しかし、そのためにネオコン度を安倍と競っても何の意味もない。A級戦犯の孫にして、「戦術核の使用も違憲ではない」などとトンデモ発言をし、沖縄の記事建設反対運動に自衛隊を送り込む一方で、経済政策でもコイズミの新自由主義路線を引き継いでいる基地外の安倍とイカレ具合を競っても、ネット右翼はともかく一般の保守層はついてこないだろう。それよりむしろ、2000年以来続く旧森派(町村派)支配をよく思わない、かつての保守本流支持層に食い込む努力を、民主・国民新党の両党はすべきだと思う。民主党内にもネオコン議員はたくさんいるが、将来的には自民・民主両党とも分裂し、ネオコンと穏健保守にきっちり別れてもらって、前者が幅を利かせすぎの現状を改めてもらいたい。
もっとも、アメリカなどでネオコンは確実に退潮しているから、ほっといてもいずれはそうなるとは思うのだが、アメリカが変わらなければ変われない、というのでは、いかにも属国らしくて情けない限りだ。
最後に、当ブログにいただいたコメントをいくつか紹介したい。
まず、5月16日の記事 『安倍晋三と「保守本流」は対立関係にある』 にいただいた、「岩・保守本流」さんのコメント。
しばらく別ハンドルで保守系サイトの方にいました。
>保守の立場に立つ人たちは、いったいどう考えているのだろうか?
怒っています。
新自由主義者たちをボコボコにして、太平洋の孤島に捨ててきたい。
新自由主義者はかつての極左と同様に、売国奴だ。実際に権力を握っている分、かつての極左より悪い。
左翼は夢の中の活動であり、反体制ではあったが権力は握れなかった。だから彼らは結果的に大きな実害はなかった。
しかし、新自由主義者は権力の中枢におり、実際に国を滅ぼしつつある。
地方都市の商店街を見て、新自由主義の政治で良いと思うなら、よほどの馬鹿か、確信犯の反日主義者だと思う。
ところが、保守を称しているサイトはそう言う立場をとらない。彼らの多くは政権と自分を一体視し、鼻息を粗くするだけの人でなしだ。
実際に、自分が住んでいる町と町の人々を守れなければ保守でも何でもない。
ああ言う連中が保守を僭称できているうちは、この国は良くならない。
はっきり言って、この国には保守はない。
少なくともメディアの保守主義として取り上げられているもの実は保守ではない。
(岩・保守本流さんのコメント)
安倍が「保守ですらない」ことは、「広島瀬戸内新聞ブログ版」 でおなじみの、さとうしゅういちさんが 「JanJan」 に書いた記事にも指摘されている。
『保守ですらない首相 党首討論を見て』
(「JanJan」 2007年5月19日)
http://www.janjan.jp/government/0705/0705185685/1.php
続いては、最近立て続けに6件のコメントをいただいたソラさんのコメントのうち、最初のものを紹介する。
ドレミファソラシドのソは太陽、ラが宇宙を意味するらしいのにちなんでソラと名乗りますが
古寺多見さんはご存知かもしれませんが畑田重夫さんという平和運動家のかたの活動とその先見性は今年2007年のこととその先を見抜いておられるようです。
実は2004年の9月に和歌山で次のような講演があったのです
畑田重夫氏講演
http://www.eonet.ne.jp/~waheiwa/katsudo/sokai040924/hatadashikoen.html
朝鮮戦争と日本
http://www.oct.zaq.ne.jp/afalv507/heiwa1.htm
結局、アメリカの背後の裏権力が狙っているのが戦争による世界覇権ということの実行部隊にこれからの日本の青年たちの尊い命が失われる可能性が日増しに高まっているのが現状のようです。
「こころのノート」なるものを小さいうちから配布して国民投票で憲法改正とマインドコントロールさながらの所業だけにとどまらずですかね?
本日発売の週刊ポスト5月25日号のP30?33に書いてあるもしかしての6・23解散&衆参同日選の可能性なども含めてキナ臭い動きがいよいよ本格化してきてるようです。
畑田氏もご高齢にもかかわらず必死の覚悟で平和のための啓蒙活動に邁進されているようです。
草の根でも微少でも継続していくことが重要だと再認識されました。
余談ですが自公政権が崩壊しても新たな保守合同政権の可能性も潜んでいると感じるんですが、いろんな情報を調べてまたなにか分かれば投稿させてくださいね。
(ソラさんのコメント)
最近は、コメントに対する返事もなかなか書けないことが多くて申し訳ないのだが、こうしてたまにはいただいたコメントを紹介することで、せめてもの罪滅ぼしとしたい思う次第だ。
[追記] (2007年5月20日 18:40)
この記事を書いたあと、石川真澄「戦争体験は無力なのか」(岩波書店、2005年)を読み、ハッとする文章に行き当たったので、「kojitakenの日記」 に 『憲法論議も大事だが、もっと大事な問題から目をそらさせようという権力のたくらみに気をつけよう』 という記事を急遽アップした。
民主党は、憲法問題から逃げないことも大事だが、主要な争点である社会・経済問題で安倍政権を追いつめることを怠ってはならない。舵取りの難しい党運営であり、参院選だと思うが、小沢代表の手腕に期待したい。
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「週刊文春」といえば、代表的な右派メディアで、安倍晋三内閣に対する批判もあまりしないし、先の東京都知事選では浅野史郎氏の出馬表明直後に、浅野氏のスキャンダルを書き立て、石原三選に協力した。
しかし、その「週刊文春」でさえ、安倍政権を熱烈に支持しているわけではなく、かなり冷めている。
昨日、「週刊文春」の最新号(5月24日号)を立ち読みしたら、『週刊朝日VS安倍晋三 どっちもどっち 「落ちた犬」を訴えた首相の「品格」』 という記事が掲載されていた。
先日安倍晋三の秘書が、「安倍首相と暴力団につながりがあるかのような記事を掲載した」として「週刊朝日」編集長と朝日新聞社を提訴したのだが、この件についての記事だ。
記事は、問題の週刊朝日の記事が「週刊ポスト」、「読売新聞」や「週刊新潮」の記事をもとに、これらを組み合わせて書いた「他人のフンドシで相撲をとった」程度の記事で、「言論によるテロ」や「政治運動」などといえるしろものではない、とまず週刊朝日を小馬鹿にした。
そして、この程度の記事は他誌にもしょっちゅう掲載されているのにわざわざ週刊朝日をターゲットにしたのは安倍の「朝日嫌い」のなせるわざで、安倍は北朝鮮と朝日新聞社を常に「仮想敵」にしている、安倍の秘書の提訴ということだが、秘書が自分の意思で提訴するはずなどないから、これは安倍自身による提訴と見るべきだと指摘。
しかし、朝日新聞社は「週刊朝日」誌面だけではなく朝日新聞本紙でも二度も安倍に謝罪しており、普通は謝罪している相手を提訴することなどしない、「水に落ちた犬」を叩くような行為だ、として安倍を批判している。
そして、田中角栄の系列の政治家は、角栄や竹下登の例を引きながら、決してメディアを訴えたりはしなかったが、清和会系(旧森派、現町村派)の首相は森喜朗、コイズミ、安倍晋三と揃って提訴をやりたがる、権力者に課せられる掟を守らないあたりが「保守本流」とはいえないところだ、として旧森派全体をも批判した。
記事には、安倍の「品位」を疑う見出しをつけているが、記事の終わりの方でも、こんな(くだらない)記事に怒るより、もっと首相が怒るべきことはいくらでもあるだろう、こんなことをしてたら、安倍は己と周囲しか見えない狭量な政治家とみなされるだろう、と安倍批判でしめくくっている。
あまりももっともであり過ぎて、拍子抜けするくらいの記事だったが、安倍が味方のはずの右派系メディアである「週刊文春」にまでバカにされていることと並んで、昔から文春の宿敵だった朝日が「落ちた犬」とコケにされていることに注目したい。
危険なばかりでまったく無能な首相と、それを批判するのに、自前の取材さえろくにせず、他のメディアの記事を組み合わせた記事を自社が発行している週刊誌で揶揄するだけの、腰抜けの「大」朝日新聞。
そしてその記事を能なし首相に非難されるとペコペコと何度も頭を下げ、それを能なし首相ともども右派メディアに小馬鹿にされる醜態をさらした。
こんな安倍と朝日新聞社を見ていると、つくづくこの国の国民であることに嫌気がさす今日この頃だ。
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しかし、その「週刊文春」でさえ、安倍政権を熱烈に支持しているわけではなく、かなり冷めている。
昨日、「週刊文春」の最新号(5月24日号)を立ち読みしたら、『週刊朝日VS安倍晋三 どっちもどっち 「落ちた犬」を訴えた首相の「品格」』 という記事が掲載されていた。
先日安倍晋三の秘書が、「安倍首相と暴力団につながりがあるかのような記事を掲載した」として「週刊朝日」編集長と朝日新聞社を提訴したのだが、この件についての記事だ。
記事は、問題の週刊朝日の記事が「週刊ポスト」、「読売新聞」や「週刊新潮」の記事をもとに、これらを組み合わせて書いた「他人のフンドシで相撲をとった」程度の記事で、「言論によるテロ」や「政治運動」などといえるしろものではない、とまず週刊朝日を小馬鹿にした。
そして、この程度の記事は他誌にもしょっちゅう掲載されているのにわざわざ週刊朝日をターゲットにしたのは安倍の「朝日嫌い」のなせるわざで、安倍は北朝鮮と朝日新聞社を常に「仮想敵」にしている、安倍の秘書の提訴ということだが、秘書が自分の意思で提訴するはずなどないから、これは安倍自身による提訴と見るべきだと指摘。
しかし、朝日新聞社は「週刊朝日」誌面だけではなく朝日新聞本紙でも二度も安倍に謝罪しており、普通は謝罪している相手を提訴することなどしない、「水に落ちた犬」を叩くような行為だ、として安倍を批判している。
そして、田中角栄の系列の政治家は、角栄や竹下登の例を引きながら、決してメディアを訴えたりはしなかったが、清和会系(旧森派、現町村派)の首相は森喜朗、コイズミ、安倍晋三と揃って提訴をやりたがる、権力者に課せられる掟を守らないあたりが「保守本流」とはいえないところだ、として旧森派全体をも批判した。
記事には、安倍の「品位」を疑う見出しをつけているが、記事の終わりの方でも、こんな(くだらない)記事に怒るより、もっと首相が怒るべきことはいくらでもあるだろう、こんなことをしてたら、安倍は己と周囲しか見えない狭量な政治家とみなされるだろう、と安倍批判でしめくくっている。
あまりももっともであり過ぎて、拍子抜けするくらいの記事だったが、安倍が味方のはずの右派系メディアである「週刊文春」にまでバカにされていることと並んで、昔から文春の宿敵だった朝日が「落ちた犬」とコケにされていることに注目したい。
危険なばかりでまったく無能な首相と、それを批判するのに、自前の取材さえろくにせず、他のメディアの記事を組み合わせた記事を自社が発行している週刊誌で揶揄するだけの、腰抜けの「大」朝日新聞。
そしてその記事を能なし首相に非難されるとペコペコと何度も頭を下げ、それを能なし首相ともども右派メディアに小馬鹿にされる醜態をさらした。
こんな安倍と朝日新聞社を見ていると、つくづくこの国の国民であることに嫌気がさす今日この頃だ。
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今日もほとんど時間がとれそうにないので、取り急ぎ。
当ブログは、明月さんのブログ 「反戦な家づくり」 の 「民主党候補者に改憲の賛否を問うアンケート」 に賛同します。
安倍晋三が公約として掲げる「憲法改正」の真の狙いは、憲法九条の改変にあります。そのことをあいまいにしながら、なし崩し的に九条改変へ突き進んでいる安倍政権の欺瞞に、強い憤りを感じるとともに、ヌエ的な態度をとって安倍を利することの多い民主党への疑念は、日々高まるばかりです。安倍政権の支持率が低下した局面においても、民主党の支持率がいっこうに上がらなかった理由として、同党の新自由主義に対するスタンスのあいまいさとともに、九条改変を含む改憲へのスタンスのあいまいさを指摘しないわけにはいきません。
よって、このアンケートの意義は非常に高いと考え、全面的に支持・賛同を表明します。特に、質問を九条改変の賛否に絞っているところは、とても秀逸だと思います。
「反戦な家づくり」?『【緊急】賛成ブロガー募集! 「民主党候補者に改憲の賛否を問うアンケート』
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-352.html
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よって、このアンケートの意義は非常に高いと考え、全面的に支持・賛同を表明します。特に、質問を九条改変の賛否に絞っているところは、とても秀逸だと思います。
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今日はあまり時間がとれなかったので、馬鹿馬鹿しい記事でお茶を濁す。
16日、元テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代が、参議院選挙の東京選挙区に自民党公認で出馬する見通しと報じられた。また、同じ日、プロサッカー選手の三浦知良選手(カズ)が、参院選出馬のオファーを自民党から受け、これを断ったことを明らかにした。
丸川は、同日付でテレビ朝日を依願退職したから、自民党からの出馬はほぼ間違いないだろう。
以上は、裏ブログ 『kojitakenの日記』 でも簡単な記事にしたので、こちらで取り上げるつもりはなかったのだが、今日、「サンデー毎日」の最新号(5月27日号)に 『自民・民主の女子アナ争奪戦 安倍首相の一押しはテレ朝・丸川珠代?』という記事が出ているのを見つけ、これがなかなか面白い記事だったので、ストレス解消がてらにこちらでも取り上げることにした。雑誌は5月15日発売で、その翌日に丸川がテレ朝を依願退職し、参院選出馬か、と報じられた。図星の週刊誌記事だった、ということだろう。
記事によると、自民党は当初、テレビ東京でキャスターを務めている小谷真生子さんに声をかけたが、色よい返事が得られなかった、小谷さんは民主党の誘いも断り、先日会社社長との再婚を明らかにして、政界入りの噂は立ち消えになったとのことだ。自民党は、宮崎緑にも声をかけたが断られ、現在本命視されているのが丸川だ、と書かれている。
宮崎緑といえば、1986年に朝日新聞文化面のコラムに、当時首相だった中曽根に気に入られていることを誇示するような文章を掲載し、こいつ何者だ、と思ったものだが、その宮崎にさえ断られた自民党が、しかたなく丸川に声をかけたところ、丸川がホイホイと乗っていったというのが真相だろう。
雑誌記事に紹介されている「政治ジャーナリスト」によると、「(丸川は)4月初め、ワンセグ1周年の紹介で官邸を訪問しました。丸川さんは安倍首相の隣に席を占め、司会役として地デジ大使の役割やワンセグの普及状況を解説しました。その間、首相の顔は緩みっぱなしでしたね」とのことだ。
実際、雑誌には安倍晋三と丸川珠代が、ともにヘラヘラとだらしない表情をしている写真が掲載されており、これを見てあまりの馬鹿馬鹿しさに言葉を失った(笑)。
雑誌によると、強力なライバルが出馬すれば丸川も危ういとのことだから、ここは丸川の落選を強く期待しておこう。
なお、「サンデー毎日」の同じ号には、「改正教育三法で教師は大量リストラ死する」というタイトルの、前記丸川出馬の観測記事などよりよほど充実した記事も掲載されていることを付言しておく。
また、同じ日に発売された「週刊朝日」は、先日安倍に脅されてびびったのか、政権批判の記事が影を潜め、死んだような誌面になっていたことも指摘しておかねばなるまい。
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16日、元テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代が、参議院選挙の東京選挙区に自民党公認で出馬する見通しと報じられた。また、同じ日、プロサッカー選手の三浦知良選手(カズ)が、参院選出馬のオファーを自民党から受け、これを断ったことを明らかにした。
丸川は、同日付でテレビ朝日を依願退職したから、自民党からの出馬はほぼ間違いないだろう。
以上は、裏ブログ 『kojitakenの日記』 でも簡単な記事にしたので、こちらで取り上げるつもりはなかったのだが、今日、「サンデー毎日」の最新号(5月27日号)に 『自民・民主の女子アナ争奪戦 安倍首相の一押しはテレ朝・丸川珠代?』という記事が出ているのを見つけ、これがなかなか面白い記事だったので、ストレス解消がてらにこちらでも取り上げることにした。雑誌は5月15日発売で、その翌日に丸川がテレ朝を依願退職し、参院選出馬か、と報じられた。図星の週刊誌記事だった、ということだろう。
記事によると、自民党は当初、テレビ東京でキャスターを務めている小谷真生子さんに声をかけたが、色よい返事が得られなかった、小谷さんは民主党の誘いも断り、先日会社社長との再婚を明らかにして、政界入りの噂は立ち消えになったとのことだ。自民党は、宮崎緑にも声をかけたが断られ、現在本命視されているのが丸川だ、と書かれている。
宮崎緑といえば、1986年に朝日新聞文化面のコラムに、当時首相だった中曽根に気に入られていることを誇示するような文章を掲載し、こいつ何者だ、と思ったものだが、その宮崎にさえ断られた自民党が、しかたなく丸川に声をかけたところ、丸川がホイホイと乗っていったというのが真相だろう。
雑誌記事に紹介されている「政治ジャーナリスト」によると、「(丸川は)4月初め、ワンセグ1周年の紹介で官邸を訪問しました。丸川さんは安倍首相の隣に席を占め、司会役として地デジ大使の役割やワンセグの普及状況を解説しました。その間、首相の顔は緩みっぱなしでしたね」とのことだ。
実際、雑誌には安倍晋三と丸川珠代が、ともにヘラヘラとだらしない表情をしている写真が掲載されており、これを見てあまりの馬鹿馬鹿しさに言葉を失った(笑)。
雑誌によると、強力なライバルが出馬すれば丸川も危ういとのことだから、ここは丸川の落選を強く期待しておこう。
なお、「サンデー毎日」の同じ号には、「改正教育三法で教師は大量リストラ死する」というタイトルの、前記丸川出馬の観測記事などよりよほど充実した記事も掲載されていることを付言しておく。
また、同じ日に発売された「週刊朝日」は、先日安倍に脅されてびびったのか、政権批判の記事が影を潜め、死んだような誌面になっていたことも指摘しておかねばなるまい。
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ゴールデンウィーク明けのこの時期は、とても疲れやすい季節だ。私は今の時期と相性が悪く、毎年憂鬱な気分になり、体調も崩しがちになるのが常だ。今年は特に、安倍晋三などという輩が分不相応の総理大臣になどなって好き勝手をやっているので、余計に気分が悪い。
そんな中、過去のこの時期のできごとを思い出すことが多い。
たとえば、一昨日の5月14日は、小渕恵三元首相の命日(2000年没)だった。また、今日、5月16日は、大平正芳内閣の不信任案が可決された日だ(1980年)。大平氏は、これを受けて3日後の5月19日に衆議院を解散、史上初の衆参同日選挙となったが、参院選公示日の遊説後に倒れ、選挙戦さなかの1980年6月12日にこの世を去った。
つまり、大平正芳と小渕恵三という、「保守本流」の首相が実質上在職中に他界した、あるいはそのきっかけとなるできごとが起きたのがこの季節だった。
ともに激務に倒れたといえる。最近、元朝日新聞記者・国正武重氏が著した「権力の病室―大平総理最期の14日間」(文藝春秋、2007年)という本を読んだが、大平氏は1980年3月22日(土)を休養日としたあと、5月30日に倒れるまで、70日間休みなしで働き続けた。4月30日から5月5日まで、アメリカ、メキシコ、カナダの3か国を訪問したが、途中の4日にユーゴスラビアのチトー大統領の訃報に接するや、急遽ベオグラード訪問を決め、その途中に西独を訪問してシュミット首相と会談するなど、世界を一周する超過酷な外遊から帰国したのが5月11日。そしてその5日後、社会党が衆議院本会議に提出した不信任案が、大平氏の政敵だった福田(赳夫)派・三木(武夫)派の「欠席」という造反によって、誰もが予想だにしなかった衆参同日選挙へと突入していったのだった。
これを、似たような時期に外遊した安倍晋三首相と比較した時、そのあまりの落差に愕然とするだろう。安倍は、外遊直前のロシア・エリツィン前大統領死去の知らせを聞いても何もせず、特使の派遣さえしなかった。大平氏だったら急遽モスクワに飛んだのではないかと思えてならない。
そして、70日続けて働いた大平氏とは対照的に、安倍は週刊朝日(5月4・11日合併号)に 『アベちゃんの「平凡なる総理ライフ」』と皮肉られる、仕事時間が短くて休日の多い、優雅な日々を過ごしている(当ブログ4月27日付記事を参照)。
ちなみに「週刊朝日」の該記事によると、故橋本龍太郎元首相も、「首相になってから3カ月間、一日も休めなかった」と述懐していたそうだから、安倍のたるんだ仕事ぶりがいかに特異か、想像がつくだろう。そのくせ、コイズミの獲得した議席の力でやりたい放題なのだから、安倍ほど腹立たしい首相はいまだかつて見たこともない。
ところで、大平氏らと安倍が対照的なのは、何も仕事ぶりだけではない。
いささか古い記事だが、安倍に代表される「新保守」の問題点を、前尾繁三郎氏や大平氏と対比させながら論じた記事を、「YamaguchiJiro.com」に見つけたので紹介する。
ここで山口二郎氏が指摘するように、安倍の政治は、大平正芳氏に代表される「保守本流」の政治と真っ向から対立するものだ。安倍が「戦後レジームからの脱却」を唱える時、安倍は自民党政治への反逆を宣言しているに等しいのだ。
中曽根康弘は安倍を評して「保守本流に回帰する政治家」だというが、馬鹿も休み休み言えといいたい。コイズミは主に経済政策面で「自民党をぶっ壊した」が、安倍は「戦後レジーム」という名の、ほとんどの期間において自民党が政権を握っていた時代の政治思想に反逆しようとしているのだ。これを、保守の立場に立つ人たちは、いったいどう考えているのだろうか?
反逆者は、直ちに討伐しなければならないのではなかろうか?
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そんな中、過去のこの時期のできごとを思い出すことが多い。
たとえば、一昨日の5月14日は、小渕恵三元首相の命日(2000年没)だった。また、今日、5月16日は、大平正芳内閣の不信任案が可決された日だ(1980年)。大平氏は、これを受けて3日後の5月19日に衆議院を解散、史上初の衆参同日選挙となったが、参院選公示日の遊説後に倒れ、選挙戦さなかの1980年6月12日にこの世を去った。
つまり、大平正芳と小渕恵三という、「保守本流」の首相が実質上在職中に他界した、あるいはそのきっかけとなるできごとが起きたのがこの季節だった。
ともに激務に倒れたといえる。最近、元朝日新聞記者・国正武重氏が著した「権力の病室―大平総理最期の14日間」(文藝春秋、2007年)という本を読んだが、大平氏は1980年3月22日(土)を休養日としたあと、5月30日に倒れるまで、70日間休みなしで働き続けた。4月30日から5月5日まで、アメリカ、メキシコ、カナダの3か国を訪問したが、途中の4日にユーゴスラビアのチトー大統領の訃報に接するや、急遽ベオグラード訪問を決め、その途中に西独を訪問してシュミット首相と会談するなど、世界を一周する超過酷な外遊から帰国したのが5月11日。そしてその5日後、社会党が衆議院本会議に提出した不信任案が、大平氏の政敵だった福田(赳夫)派・三木(武夫)派の「欠席」という造反によって、誰もが予想だにしなかった衆参同日選挙へと突入していったのだった。
これを、似たような時期に外遊した安倍晋三首相と比較した時、そのあまりの落差に愕然とするだろう。安倍は、外遊直前のロシア・エリツィン前大統領死去の知らせを聞いても何もせず、特使の派遣さえしなかった。大平氏だったら急遽モスクワに飛んだのではないかと思えてならない。
そして、70日続けて働いた大平氏とは対照的に、安倍は週刊朝日(5月4・11日合併号)に 『アベちゃんの「平凡なる総理ライフ」』と皮肉られる、仕事時間が短くて休日の多い、優雅な日々を過ごしている(当ブログ4月27日付記事を参照)。
ちなみに「週刊朝日」の該記事によると、故橋本龍太郎元首相も、「首相になってから3カ月間、一日も休めなかった」と述懐していたそうだから、安倍のたるんだ仕事ぶりがいかに特異か、想像がつくだろう。そのくせ、コイズミの獲得した議席の力でやりたい放題なのだから、安倍ほど腹立たしい首相はいまだかつて見たこともない。
ところで、大平氏らと安倍が対照的なのは、何も仕事ぶりだけではない。
いささか古い記事だが、安倍に代表される「新保守」の問題点を、前尾繁三郎氏や大平氏と対比させながら論じた記事を、「YamaguchiJiro.com」に見つけたので紹介する。
『日本における保守政治の隘路』
(「YamaguchiJiro.com」 2006年10月7日)
http://www.yamaguchijiro.com/?day=20061007
ここで山口二郎氏が指摘するように、安倍の政治は、大平正芳氏に代表される「保守本流」の政治と真っ向から対立するものだ。安倍が「戦後レジームからの脱却」を唱える時、安倍は自民党政治への反逆を宣言しているに等しいのだ。
中曽根康弘は安倍を評して「保守本流に回帰する政治家」だというが、馬鹿も休み休み言えといいたい。コイズミは主に経済政策面で「自民党をぶっ壊した」が、安倍は「戦後レジーム」という名の、ほとんどの期間において自民党が政権を握っていた時代の政治思想に反逆しようとしているのだ。これを、保守の立場に立つ人たちは、いったいどう考えているのだろうか?
反逆者は、直ちに討伐しなければならないのではなかろうか?
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35年前の今日、1972年5月15日に沖縄がアメリカから日本に返還された。
当時私は小学生で、日本中が「沖縄ブーム」に沸き立ったことを覚えている。沖縄が返還された72年5月15日に天然記念物に指定されたイリオモテヤマネコが特に印象深いが、「復帰により今後発行されなくなるから値上がりする」と本土の一部切手商業者が投機を煽ったあげく、返還翌年の73年に価格が暴落して社会問題になった沖縄切手騒動などもあった。
しかし、Wikipediaの下記記述にもあるように、返還当時の佐藤栄作内閣がアメリカに多大な配慮をしたため、その後の長年にわたる禍根を残した。
また、当時私の家で購読していた毎日新聞は、沖縄返還をめぐる日本政府とアメリカとの密約を暴いたが、スクープをした西山記者が国家公務員法違反の容疑で逮捕され(「西山事件」)、これに抗議して「知る権利」の大キャンペーンを張っていた。西山記者は裁判で有罪が確定したが、現在再審を請求中である(一審で棄却されたが、現在控訴中)。当ブログでも、3月29日付記事でこの件を取り上げた。
さて、沖縄返還から35年が経過したわけだが、長い月日が経って、中央のメディアはすっかり沖縄に関心を失ってしまった。
私がそれを痛感したのは、安倍政権発足を目前に控えた昨年の9月25日に、辺野古の米軍新基地建設の準備作業のひとつである文化財調査に対して、キャンプ・シュワブ前で阻止行動をしていた平良夏芽牧師が逮捕された記事をブログに書いたときだ(『安倍政権成立目前の日、辺野古で牧師さん逮捕!』=2006年9月25日付記事)。
これは、読者からの情報に基づき、ネット検索で裏を取りながら公開した記事だが、私は初め朝日新聞、毎日新聞、共同通信などのサイトに当たったが、全然情報が得られず、はたと気づいて沖縄のメディアのサイトにアクセスして、ようやく事件の情報を得たのだった(詳細は、『沖縄の逮捕劇を報じない中央のマスメディア』=当ブログ2006年9月27日付記事=を参照)。
その後、この逮捕劇が権力に狙い撃ちされたものであることが、ほかならぬ米軍の準機関紙 "Stars and Stripes" によって明らかにされた(『やはり平良牧師は「狙い撃ち」されていた』=当ブログ2006年9月30日付記事=を参照)。
5月12日の「きっこの日記」で紹介されている、「辺野古 HENOKO 2007」 にも、この時不当逮捕された平良牧師のメッセージが収録されている。
「カナダde日本語」 でも指摘されているように、平良牧師の言葉は、穏やかで淡々としたものだが、その言葉はとても訴えかける力が強い。
私は、特に下記の2箇所に強い感銘を受けた。
まずは、学ぶだけでは平和はやってこないという訴え。以下、動画の字幕からの引用。
そして何よりも、非暴力抵抗運動の訴え。
これは、敬虔なクリスチャンによる、非常に感動的な言葉だ。
宗教は、時に原理主義を生み出し、悲惨な戦争を招くこともあるが、平良牧師のように平和への大きな力を生み出し得るものだと痛感したしだいだ。
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当時私は小学生で、日本中が「沖縄ブーム」に沸き立ったことを覚えている。沖縄が返還された72年5月15日に天然記念物に指定されたイリオモテヤマネコが特に印象深いが、「復帰により今後発行されなくなるから値上がりする」と本土の一部切手商業者が投機を煽ったあげく、返還翌年の73年に価格が暴落して社会問題になった沖縄切手騒動などもあった。
しかし、Wikipediaの下記記述にもあるように、返還当時の佐藤栄作内閣がアメリカに多大な配慮をしたため、その後の長年にわたる禍根を残した。
1969年(昭和44年)の日米首脳会談で、アメリカ大統領リチャード・ニクソンが安保延長と引き換えに沖縄返還を約束したが、屋良(朝苗知事=筆者注)や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還が決定し、1972年(昭和47年)5月15日に日本へ復帰した。佐藤はニクソンとの取り決めで、非核三原則の拡大解釈や核兵器持ち込みに関する秘密協定など、アメリカの利益を最大限尊重した。
また、日本政府は返還協定第7条にもとづき、特別支出金として総額3億2000万ドルをアメリカに支払った。特別支出金の内訳は、米軍政下で設置された琉球水道公社・琉球電力公社・琉球開発金融公社のほか、那覇空港施設・琉球政府庁舎、あるいは航空保安施設、航路標識などの民生用資産の引き継ぎの代金1億7500万ドルが含まれていた。県民の間からは、「これらの施設・資産は無償譲渡されるべきものであって、アメリカ政府に対価を支払うのはおかしい」といった批判が噴出したが、日本政府は取り決めに従いこの巨額の対価を支払った。このため、沖縄県民は「沖縄は日本政府によって金で買い取られた」という認識を強く持つようになったという意見もあるが、それが沖縄県民以外の日本国民の税金であることも注意しなければならない。
これらの過程は、ベトナム戦争に伴うアメリカの財政問題や貿易収支とも関係しており、アメリカ政府の支出削減のためのベトナム戦争終結(中華人民共和国との国交樹立と中華民国との国交断絶)、収入増のための沖縄返還(上述のバーター)、貿易収支改善のためのニクソン・ショックへと繋がる。しかし、二度のオイルショックで合衆国の財政が悪化すると、日本政府は思いやり予算の支出に迫られ、足元を見られ続けることになる。
(Wikipedia: 『沖縄返還』 より)
また、当時私の家で購読していた毎日新聞は、沖縄返還をめぐる日本政府とアメリカとの密約を暴いたが、スクープをした西山記者が国家公務員法違反の容疑で逮捕され(「西山事件」)、これに抗議して「知る権利」の大キャンペーンを張っていた。西山記者は裁判で有罪が確定したが、現在再審を請求中である(一審で棄却されたが、現在控訴中)。当ブログでも、3月29日付記事でこの件を取り上げた。
さて、沖縄返還から35年が経過したわけだが、長い月日が経って、中央のメディアはすっかり沖縄に関心を失ってしまった。
私がそれを痛感したのは、安倍政権発足を目前に控えた昨年の9月25日に、辺野古の米軍新基地建設の準備作業のひとつである文化財調査に対して、キャンプ・シュワブ前で阻止行動をしていた平良夏芽牧師が逮捕された記事をブログに書いたときだ(『安倍政権成立目前の日、辺野古で牧師さん逮捕!』=2006年9月25日付記事)。
これは、読者からの情報に基づき、ネット検索で裏を取りながら公開した記事だが、私は初め朝日新聞、毎日新聞、共同通信などのサイトに当たったが、全然情報が得られず、はたと気づいて沖縄のメディアのサイトにアクセスして、ようやく事件の情報を得たのだった(詳細は、『沖縄の逮捕劇を報じない中央のマスメディア』=当ブログ2006年9月27日付記事=を参照)。
その後、この逮捕劇が権力に狙い撃ちされたものであることが、ほかならぬ米軍の準機関紙 "Stars and Stripes" によって明らかにされた(『やはり平良牧師は「狙い撃ち」されていた』=当ブログ2006年9月30日付記事=を参照)。
5月12日の「きっこの日記」で紹介されている、「辺野古 HENOKO 2007」 にも、この時不当逮捕された平良牧師のメッセージが収録されている。
「カナダde日本語」 でも指摘されているように、平良牧師の言葉は、穏やかで淡々としたものだが、その言葉はとても訴えかける力が強い。
私は、特に下記の2箇所に強い感銘を受けた。
まずは、学ぶだけでは平和はやってこないという訴え。以下、動画の字幕からの引用。
今でも多くの平和学習団が辺野古を訪れますし、沖縄を訪れます。平和のために、さまざまなことを学ぶということはすごく大事なことですけれども、平和は、学ぶだけではやってきません。しかし、学ぶということを目的にしてしまった人達が、辺野古で学び、「いい学びをした」と言って、満足して帰っていってしまう。このことに対して、辺野古の年寄り達も、私達も、非常に複雑な思いで多くの人達を出迎え、また見送ってきました。
(「辺野古 HENOKO 2007」 収録の平良夏芽牧師のメッセージより)
そして何よりも、非暴力抵抗運動の訴え。
私達は、基地建設を止める、その決意で様々な行動をしましたけれども、その根底に大きな約束がありました。それは、完全非暴力でこのことをやり遂げるという約束です。私達は平和を作るという、大きな素晴らしい理念を持っていますが、この目的のために、暴力をふるってしまって、そしてそれを認めてしまったら、私達は軍隊と同じになってしまう。平和を作る者達は、どんな理由があっても暴力を使ってはならない、暴力で自分達の目的を達成してはならない。そのことを誓い合って、言葉も、態度も。物理的な暴力も使わないで、この基地建設を止めるというふうに決意して、戦ってきました。
(中略)
しかし、向こうはプロですから、ものすごい勢いで襲いかかって来ました。何人もの仲間達が傷つきましたし、病院に運ばれていきました。気を失って、血を流して倒れていった仲間達もいました。でも、そんな時も、私達はお互いに声をかけ合って、「今一番闘わなくてはならないのは相手ではなく自分の心の中の暴力性なのだ」と、「怒りなのだ」ということを確認しました。病院に運ばれた仲間が、無事だったと言う連絡を受けたら、彼を殴った人のところに行って、「あなたのことを憎んでいない。あなたのことを敵だと思っていない。あなたにも家族がいて、仕事をしなくてはならない事情を私達は理解している。明日もまた、ここで会うことになると思いますけれども、お互い気をつけましょうね」というふうに声をかけました。私達の阻止行動の中で、一番勇気が試されたのは、船の前に飛び込む瞬間でもなく、殴られる瞬間でもなく、殴った相手に声をかけに行く瞬間でした。でも、辺野古の仲間達は、このことをやり通すことができました。暴力に対して暴力でやり返すのではなくて、本当に紳士的な態度で、向き合い続ける。そのことによって相手がこちらを殴れなくなってくる。そういう関係を作っていくという戦いをし続けて、基地建設をまず止めて、その第一案、海上の辺野古沖に基地を作るという案は、白紙撤回にまで追い込むことができました。
(「辺野古 HENOKO 2007」 収録の平良夏芽牧師のメッセージより)
これは、敬虔なクリスチャンによる、非常に感動的な言葉だ。
宗教は、時に原理主義を生み出し、悲惨な戦争を招くこともあるが、平良牧師のように平和への大きな力を生み出し得るものだと痛感したしだいだ。
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今朝(5月14日)の「四国新聞」の一面トップは、集団的自衛権の憲法解釈に関する、「見直し必要なし62%」という見出しの記事だった。
これは、共同通信が5月12、13の両日に行った世論調査結果に基づく記事で、同時に安倍内閣の支持率が4月調査より3.4ポイント上昇して47.6%になったと報じている。
上記のように、集団的自衛権行使を禁じる憲法解釈について、「今のままでよい」とする意見は、4月14, 15日調査の54.6%から7.4ポイント増えて62.0%になっている。対して、「憲法改正し、(集団的自衛権を)行使できるようにすべきだ」は、4月調査の18.7%から5月は19.1%と、0.4ポイントだけ微増している一方、「憲法解釈を変更し、行使できるようにすべきだ」は、4月調査の18.3%から5月は13.3%と、5ポイントも減少している。
これは、明らかに安倍晋三首相が指示した集団的自衛権の憲法解釈変更の検討を、世論は支持していないことを示している。それなのに、なぜ内閣支持率が上昇したのか。
その理由を、四国新聞の紙面に公表されているデータから推測してみた(共同通信のウェブページには出ていないと思う)。
まず、安倍内閣を「支持する」とした理由のうち、増えているのが、いつもの「他に適当な人がいない」の40.6%で、これは前月比4.1ポイント増。次いで、「行政改革に期待できる」の1.7ポイント増(2.6%→4.3%)、「税制改革に期待できる」の0.6ポイント増(0.9%→1.5%)となっている。
一方、「首相を信頼する」は前月から2.3ポイント減って23.1%、「経済政策に期待できる」に至っては、前月4.8%あったのが、3.9ポイント減の0.9%に激減している。
また、不支持の理由としては、「首相に指導力がない」が、前月の28.1%から8.9ポイントも減って19.2%になり、「自公連立内閣だから」も3.5ポイント減少した(10.1%→6.6%)一方、「首相の人柄が好きになれない」が5.6ポイント増(4.0%→9.6%)、「首相が信頼できない」が4.7ポイント増(7.1%→11.8%)、「経済政策に期待が持てない」が4,2ポイント増(14.1%→18.3%)となった。
つまり、安倍の積極的支持者は減り、消極的支持者が増えた一方で、「指導力不足」とか「どっちつかずだ」という類の、安倍の消極的不支持者は減り、「顔を見るのもイヤ」「生理的に不快」などに近い、積極的不支持者というか、(私のような)「安倍大嫌い人間」が激増しているという調査結果だと見るべきだろう。
内閣支持率が上昇したからといって(不支持率はほぼ横ばい)、決して安倍にとって安心できる材料ではないどころか、「反安倍」のエネルギーの総和は逆にかなりの勢いで増加していると見るべき調査結果なのだ。
安倍は、4月の靖国神社例大祭で供え物を奉納したが、外交問題や政治問題となっていることを理由に、この事実を明確に認めていない。これについても「適切だと思う」は32.2%で、「適切だと思わない」 62.1%の約半分の数字だ。
さらに、集団的自衛権の解釈見直しについて、有権者会議で話し合うことについては、「望ましい」が58.9%で「望ましくない」の31.4%を大きく上回っているとはいえ、「望ましくない」と答えた人のうち、その理由として「首相の考えに近い人が集まっているから」と答えた人の割合が51.4%を占め、これは自民党支持層で51.0%、公明党支持層では64.5%、安倍内閣支持層でも43.3%を占め、それぞれ理由としては最多だった。
つまり、「まず結論ありき」という安倍の政治手法に、多くの国民が警戒感を持つようになってきたということだ。
以上見たように、量的にはともかく、質的には安倍内閣への支持は決して強まっているとはいえない。安倍の弱腰を右から非難していた右翼たちが安倍支持に立ち戻っただけである。
「AbEnd」を標榜する側の私たちが世論調査の結果に落胆することは何もない。勝負はこれからだ。
特に、安倍のいう「憲法改正」は「憲法第九条の改変」にほかならないことと、「戦後レジームからの脱却」は「戦前レジームへの回帰」にほかならないことの二点については、口を酸っぱくして指摘し続けなければならない。
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これは、共同通信が5月12、13の両日に行った世論調査結果に基づく記事で、同時に安倍内閣の支持率が4月調査より3.4ポイント上昇して47.6%になったと報じている。
見直し必要なしが62% 集団的自衛権の憲法解釈
http://www.47news.jp/CN/200705/CN2007051301000421.html
共同通信社が12、13両日に実施した全国電話世論調査で、集団的自衛権行使は憲法で禁じられているとの政府解釈に関し「今のままでよい」が62・0%と、4月の前回調査より7・4ポイント上回った。解釈見直しを検討する政府の有識者会議の初会合が18日に開かれるが、変更の必要はないとの声が強まる結果となった。
安倍内閣の支持率は47・6%と3・4ポイントの増。初めて40%を割り込んだ3月を底に4月に反転し、今回、回復基調に乗っていることが確認された形。安倍晋三首相が4月下旬の靖国神社の春季例大祭で供物を奉納したことに関し、事実を明確に認めていないことについては「適切だと思わない」(62・1%)が「適切だと思う」(32・2%)に大きく差をつけた。
集団的自衛権行使禁止の解釈で「今のままでよい」が増える一方、「憲法解釈を変更し、行使できるようにすべきだ」との回答は5・0ポイント減の13・3%。「憲法改正し、行使できるようにすべきだ」はほぼ横ばいの19・1%だった。
(共同通信 2007年5月13日 20:34)
上記のように、集団的自衛権行使を禁じる憲法解釈について、「今のままでよい」とする意見は、4月14, 15日調査の54.6%から7.4ポイント増えて62.0%になっている。対して、「憲法改正し、(集団的自衛権を)行使できるようにすべきだ」は、4月調査の18.7%から5月は19.1%と、0.4ポイントだけ微増している一方、「憲法解釈を変更し、行使できるようにすべきだ」は、4月調査の18.3%から5月は13.3%と、5ポイントも減少している。
これは、明らかに安倍晋三首相が指示した集団的自衛権の憲法解釈変更の検討を、世論は支持していないことを示している。それなのに、なぜ内閣支持率が上昇したのか。
その理由を、四国新聞の紙面に公表されているデータから推測してみた(共同通信のウェブページには出ていないと思う)。
まず、安倍内閣を「支持する」とした理由のうち、増えているのが、いつもの「他に適当な人がいない」の40.6%で、これは前月比4.1ポイント増。次いで、「行政改革に期待できる」の1.7ポイント増(2.6%→4.3%)、「税制改革に期待できる」の0.6ポイント増(0.9%→1.5%)となっている。
一方、「首相を信頼する」は前月から2.3ポイント減って23.1%、「経済政策に期待できる」に至っては、前月4.8%あったのが、3.9ポイント減の0.9%に激減している。
また、不支持の理由としては、「首相に指導力がない」が、前月の28.1%から8.9ポイントも減って19.2%になり、「自公連立内閣だから」も3.5ポイント減少した(10.1%→6.6%)一方、「首相の人柄が好きになれない」が5.6ポイント増(4.0%→9.6%)、「首相が信頼できない」が4.7ポイント増(7.1%→11.8%)、「経済政策に期待が持てない」が4,2ポイント増(14.1%→18.3%)となった。
つまり、安倍の積極的支持者は減り、消極的支持者が増えた一方で、「指導力不足」とか「どっちつかずだ」という類の、安倍の消極的不支持者は減り、「顔を見るのもイヤ」「生理的に不快」などに近い、積極的不支持者というか、(私のような)「安倍大嫌い人間」が激増しているという調査結果だと見るべきだろう。
内閣支持率が上昇したからといって(不支持率はほぼ横ばい)、決して安倍にとって安心できる材料ではないどころか、「反安倍」のエネルギーの総和は逆にかなりの勢いで増加していると見るべき調査結果なのだ。
安倍は、4月の靖国神社例大祭で供え物を奉納したが、外交問題や政治問題となっていることを理由に、この事実を明確に認めていない。これについても「適切だと思う」は32.2%で、「適切だと思わない」 62.1%の約半分の数字だ。
さらに、集団的自衛権の解釈見直しについて、有権者会議で話し合うことについては、「望ましい」が58.9%で「望ましくない」の31.4%を大きく上回っているとはいえ、「望ましくない」と答えた人のうち、その理由として「首相の考えに近い人が集まっているから」と答えた人の割合が51.4%を占め、これは自民党支持層で51.0%、公明党支持層では64.5%、安倍内閣支持層でも43.3%を占め、それぞれ理由としては最多だった。
つまり、「まず結論ありき」という安倍の政治手法に、多くの国民が警戒感を持つようになってきたということだ。
以上見たように、量的にはともかく、質的には安倍内閣への支持は決して強まっているとはいえない。安倍の弱腰を右から非難していた右翼たちが安倍支持に立ち戻っただけである。
「AbEnd」を標榜する側の私たちが世論調査の結果に落胆することは何もない。勝負はこれからだ。
特に、安倍のいう「憲法改正」は「憲法第九条の改変」にほかならないことと、「戦後レジームからの脱却」は「戦前レジームへの回帰」にほかならないことの二点については、口を酸っぱくして指摘し続けなければならない。
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今日、5月13日は、「AbEnd」にとってとても重要な日だ。
5年前の2002年5月13日、当時内閣官房副長官だった安倍晋三は、早稲田大学で行われた講演会で、「戦術核の保有や使用は憲法違反ではない」という、驚くべき発言をした。
これは、「サンデー毎日」の2002年6月2日号で、「政界激震 安倍晋三官房副長官が語ったものすごい中身?核兵器の使用は違憲ではない」 というタイトルの記事でスクープされ、世に知られるところとなった。
当ブログでもこの件については何度も取り上げている。1月17日の記事でも取り上げた、宮崎学さんの著書 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』 (同時代社、2006年) から再度引用する。
この早稲田大学の講演会から4年後の2006年5月13日、安倍晋三官房長官は、統一協会系の「天宙平和連合」(UPF)に祝電を送った。これは、昨年5月14日の韓国版「世界日報」の電子版によって報道された。
日本ではしばらく知られていなかったが、6月3日に「2ちゃんねる」にこのことを知らせる書き込みがなされ、それを6月5日に 『カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記』 が取り上げ、さらに「在韓広島人」・ハムニダ薫さんのブログ 『薫のハムニダ日記』 が「世界日報」の記事を日本語訳した。さらに、翌6月6日に「きっこの日記」が取り上げた(ソースは示していない)ところからネットで広く知られることになった。
当ブログも、昨年6月6日の記事(この時点ではソースを突き止めていなかった)および同6月7日の記事で取り上げ、これが6月18日にスタートした 「AbEndキャンペーン」 に参加するきっかけになった。
しかし、腰の引けたマスコミがなかなかこの件を取り上げようとしなかったことは、昨年6月23日の記事で指摘した通りである。
その後、安倍は念願の総理大臣になり、やりたい放題の独裁政治を推し進めているが、統一協会との癒着の疑惑や、耐震強度偽装事件やライブドア事件でも名前の出た、非公然後援会の「安晋会」をめぐる疑惑が消えたわけでもなんでもない。
そこで、1年前の「祝電事件」を読者の方々に思い出していただきたいと思う次第である。
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5年前の2002年5月13日、当時内閣官房副長官だった安倍晋三は、早稲田大学で行われた講演会で、「戦術核の保有や使用は憲法違反ではない」という、驚くべき発言をした。
これは、「サンデー毎日」の2002年6月2日号で、「政界激震 安倍晋三官房副長官が語ったものすごい中身?核兵器の使用は違憲ではない」 というタイトルの記事でスクープされ、世に知られるところとなった。
当ブログでもこの件については何度も取り上げている。1月17日の記事でも取り上げた、宮崎学さんの著書 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』 (同時代社、2006年) から再度引用する。
(サンデー毎日の)特集記事は、安倍がこの年の5月、早稲田大学で行った講演内容を報道したものである。そこで安倍は「ものすごい」ことを語っていた。田原総一朗が「有事法制ができても北朝鮮のミサイル基地は攻撃できないでしょう? 先制攻撃だから」というのに対して、こう答えた。
「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのですけれども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』とみなすんです。……この基地をたたくことはできるんです」
つづけてこんなことも言っている。
「大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。(しかし)日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは非核三原則があるからやりませんけれども、戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がなされています」
要するにここで安倍晋三は、ミサイル燃料注入段階で攻撃しても専守防衛であり、攻撃は兵士が行くと派兵になるが、ミサイルを撃ち込むのは問題ない、日本はそのためにICBMを持てるし、憲法上問題はない、小型核兵器なら核保有はもちろん核使用も憲法上認められている、とぶち上げたのだった。「ICBMは攻撃兵器だから持てない」という政府見解にも反する意見だった。
(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)
この早稲田大学の講演会から4年後の2006年5月13日、安倍晋三官房長官は、統一協会系の「天宙平和連合」(UPF)に祝電を送った。これは、昨年5月14日の韓国版「世界日報」の電子版によって報道された。
日本ではしばらく知られていなかったが、6月3日に「2ちゃんねる」にこのことを知らせる書き込みがなされ、それを6月5日に 『カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記』 が取り上げ、さらに「在韓広島人」・ハムニダ薫さんのブログ 『薫のハムニダ日記』 が「世界日報」の記事を日本語訳した。さらに、翌6月6日に「きっこの日記」が取り上げた(ソースは示していない)ところからネットで広く知られることになった。
「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」より
『安倍晋三内閣官房長官、統一協会主催合同結婚式に祝電』
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060605#1149446431
「薫のハムニダ日記」より
『今も最低だけどポストも最悪』
http://hamnidak.exblog.jp/d2006-06-05
「きっこの日記」より
『80分の爆笑独演会』
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060606
当ブログも、昨年6月6日の記事(この時点ではソースを突き止めていなかった)および同6月7日の記事で取り上げ、これが6月18日にスタートした 「AbEndキャンペーン」 に参加するきっかけになった。
しかし、腰の引けたマスコミがなかなかこの件を取り上げようとしなかったことは、昨年6月23日の記事で指摘した通りである。
その後、安倍は念願の総理大臣になり、やりたい放題の独裁政治を推し進めているが、統一協会との癒着の疑惑や、耐震強度偽装事件やライブドア事件でも名前の出た、非公然後援会の「安晋会」をめぐる疑惑が消えたわけでもなんでもない。
そこで、1年前の「祝電事件」を読者の方々に思い出していただきたいと思う次第である。
「この壺がいいね」と君が言ったから
5月13日は祝電記念日♪
詠み人知らず
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連休明け早々、いきなり忙しくなってしまって、一昨日、コメントやトラックバックの取扱いに関するお知らせの記事で済ませてしまったあと、昨日はついにブログをお休みしてしまった。
その間、「お前の最近の記事はネット右翼やタイコモチ記者への批判ばかりで面白くない」とか、「お前は安倍晋三と統一協会の関係ばかり書くが、民主党にだって統一協会べったりの人間がいるではないか」などの批判もいただいているが、そんなことをコメントに書いたって誰も読んでくれないのだから、自分のブログで(未開設なら開設して)思う存分書けば良いことだろう。民主党の議員が統一協会とつながっていれば安倍が免罪されるかのような後者の意見など、誰にも相手にされないだろうとは思うが、もっと世間に広く訴える手段があるだろうに、いちいち人のブログに文句をつけてくる神経が理解できない今日この頃だ(笑)。
ところで、先日60回目の憲法記念日を迎えた。どうやら、国民投票法は参議院でも強行採決されてしまいそうな勢いだが、安倍がどんなに力み返ったところで、安倍の真の狙いである「九条改変」に対する賛成意見の比率は、NHKの調査でも読売新聞の調査でも、確実に下がっている。だから、安倍に反対する側は、安倍の頭には「九条改変」しかないことを大いにアピールすべきだと思う。
しかし、「九条改変」賛成意見が減っている一方で、これまでずっと護憲を唱え続けてきた社民党や共産党の支持率も長期低迷がさらに進んでいることは、先日の統一地方選の結果からも読み取れる。
つまり、民意は「九条改変を伴う改憲」と「原理主義的な護憲」のいずれにも懐疑的だということだ。
私自身、今日本国憲法を変える必要は全くないと思うし、九条の改変には大反対なのだが、口を開いたら憲法のことしか言わない「護憲派」にも、率直に言って違和感を感じている。いわゆる「護憲派」に、明らかな犯罪国家である北朝鮮への批判を躊躇(ちゅうちょ)する人たちが少なからずいることも、うさんくささを感じる一因になっている。
こういう感覚を持っているのは私だけではないだろう。だから、内田樹・神戸女学院教授のブログの記事 『憲法の話』 が大きな反響を呼んだのだろう。この記事には、76件の「はてなブックマーク」がついている。
この記事で特に鋭いと思うのは、
『改憲で日本が手に入れるのは「アメリカ以外の国と、アメリカの許可があれば、戦争をする権利」であり、それだけである』 という指摘だ。
しかし、その一方で内田氏は、次のようにも述べている。
なんとも刺激に満ちた現実主義者の言葉だ。
私は、内田樹の「下流志向」(講談社) は、しばらく前に買い込んだものの忙しさに紛れてまだ読んでいないし(今回の内田のブログ記事を知って読もうという気になり、ようやく読み始めた)、「9条どうでしょう」(毎日新聞社) は、今回初めて本の存在を知ったくらいだ。内田がブログで書いているように、加藤典洋による内田への言及のある記事が掲載された「論座」の6月号は、たまたま買ってあるが、加藤の長文の記事は、まだ全部読めていない。
こんな調子では、なかなか記事にもできないなともどかしく思っていたところ、メロディさんのブログ 「あんち・アンチエイジング・メロディ」 が、「論座」の加藤典洋の記事と「9条どうでしょう」を取り上げていた。
これは、簡潔にまとめられたすぐれた論考だと思うので、是非上記リンク先をクリックしてお読みいただくことをおすすめする。当エントリは、メロディさんのこの記事を読んで、なんとかその尻馬に乗って公開にこぎつけたものだ。
別の記事でメロディさんが書かれるように、安倍政権は戦後最大の国難だと私も思う。なにしろ安倍は、「戦後レジームからの脱却」などと称しつつ、アンシャン・レジームたる「戦前レジームへの回帰」を図っている人間だからである。
しかし、それを批判するのに、「護憲勢力は議会の3%しかいない」などと言われても、それは「極少数派であるわれわれだけが正しくて、国民の大部分は間違っている」という自己満足の言説にしか聞こえない。
いま求められているのは、憲法九条が掲げる平和主義を守り、安倍の野望を挫くための現実的な道をさぐり、進んでいくことだと思う。
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その間、「お前の最近の記事はネット右翼やタイコモチ記者への批判ばかりで面白くない」とか、「お前は安倍晋三と統一協会の関係ばかり書くが、民主党にだって統一協会べったりの人間がいるではないか」などの批判もいただいているが、そんなことをコメントに書いたって誰も読んでくれないのだから、自分のブログで(未開設なら開設して)思う存分書けば良いことだろう。民主党の議員が統一協会とつながっていれば安倍が免罪されるかのような後者の意見など、誰にも相手にされないだろうとは思うが、もっと世間に広く訴える手段があるだろうに、いちいち人のブログに文句をつけてくる神経が理解できない今日この頃だ(笑)。
ところで、先日60回目の憲法記念日を迎えた。どうやら、国民投票法は参議院でも強行採決されてしまいそうな勢いだが、安倍がどんなに力み返ったところで、安倍の真の狙いである「九条改変」に対する賛成意見の比率は、NHKの調査でも読売新聞の調査でも、確実に下がっている。だから、安倍に反対する側は、安倍の頭には「九条改変」しかないことを大いにアピールすべきだと思う。
しかし、「九条改変」賛成意見が減っている一方で、これまでずっと護憲を唱え続けてきた社民党や共産党の支持率も長期低迷がさらに進んでいることは、先日の統一地方選の結果からも読み取れる。
つまり、民意は「九条改変を伴う改憲」と「原理主義的な護憲」のいずれにも懐疑的だということだ。
私自身、今日本国憲法を変える必要は全くないと思うし、九条の改変には大反対なのだが、口を開いたら憲法のことしか言わない「護憲派」にも、率直に言って違和感を感じている。いわゆる「護憲派」に、明らかな犯罪国家である北朝鮮への批判を躊躇(ちゅうちょ)する人たちが少なからずいることも、うさんくささを感じる一因になっている。
こういう感覚を持っているのは私だけではないだろう。だから、内田樹・神戸女学院教授のブログの記事 『憲法の話』 が大きな反響を呼んだのだろう。この記事には、76件の「はてなブックマーク」がついている。
この記事で特に鋭いと思うのは、
『改憲で日本が手に入れるのは「アメリカ以外の国と、アメリカの許可があれば、戦争をする権利」であり、それだけである』 という指摘だ。
しかし、その一方で内田氏は、次のようにも述べている。
『九条どうでしょう』以来、私が憲法について言っていることはずっと同じである。
それは交戦権を否定した九条二項と軍隊としての自衛隊は拮抗関係にあり、拮抗関係にあるがゆえに日本は「巨大な自衛力」と「例外的な平和と繁栄」を同時に所有している世界で唯一の国となった、ということである。
先日も書いたから、みなさんはもう聞き飽きたであろうが、二つの対立する能力や資質を葛藤を通じて同時的に向上させることを武道では「術」と言う。
「平和の継続」と「自衛力の向上」を同時に達成しようと思ったら、その二つを「葛藤させる」のがベストの選択なのである。
(内田樹 『憲法の話』 より)
なんとも刺激に満ちた現実主義者の言葉だ。
私は、内田樹の「下流志向」(講談社) は、しばらく前に買い込んだものの忙しさに紛れてまだ読んでいないし(今回の内田のブログ記事を知って読もうという気になり、ようやく読み始めた)、「9条どうでしょう」(毎日新聞社) は、今回初めて本の存在を知ったくらいだ。内田がブログで書いているように、加藤典洋による内田への言及のある記事が掲載された「論座」の6月号は、たまたま買ってあるが、加藤の長文の記事は、まだ全部読めていない。
こんな調子では、なかなか記事にもできないなともどかしく思っていたところ、メロディさんのブログ 「あんち・アンチエイジング・メロディ」 が、「論座」の加藤典洋の記事と「9条どうでしょう」を取り上げていた。
「あんち・アンチエイジング・メロディ」より
『9条、第三のオプション』
http://blog.goo.ne.jp/ibis083/e/a86103ee289b4efd79d9d3537108e4e2
これは、簡潔にまとめられたすぐれた論考だと思うので、是非上記リンク先をクリックしてお読みいただくことをおすすめする。当エントリは、メロディさんのこの記事を読んで、なんとかその尻馬に乗って公開にこぎつけたものだ。
別の記事でメロディさんが書かれるように、安倍政権は戦後最大の国難だと私も思う。なにしろ安倍は、「戦後レジームからの脱却」などと称しつつ、アンシャン・レジームたる「戦前レジームへの回帰」を図っている人間だからである。
しかし、それを批判するのに、「護憲勢力は議会の3%しかいない」などと言われても、それは「極少数派であるわれわれだけが正しくて、国民の大部分は間違っている」という自己満足の言説にしか聞こえない。
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昨年8月27日の記事 『コメントとTBの取扱いについて』 で、当ブログへ寄せられるコメントとトラックバックの取扱いについて述べました。
基本的に、当ブログの姿勢は当時と変わっていませんが、アクセス数が当時の3?4倍に増え、ブログをめぐる状況も若干変わりましたので、改めて立場を表明することにします。
現在、当ブログでは、コメントおよびトラックバックは管理人の承認制です。従って、コメントやトラックバックをお寄せいただいても、すぐにブログに反映されない場合があります。
また、ブログの方向性に反する、あるいは明らかな荒らしと認められると管理人が判断したコメントやトラックバックは承認しないので、ブログには掲載されません。管理人と反対の意見でも、建設的な議論に寄与しうると判断したものは掲載しますが、そうではないと判断した場合は掲載しません。
なお、コメントやトラックバックについては、投稿元のホスト情報が記録されており、管理人がこれを保管しています。管理人が荒らしと判断した場合、コメントおよびトラックバックの投稿禁止措置をとらせていただく場合があります。
これは、言論の自由の制限に当たるなどとは全く考えません。誰にでもブログを開設する自由はあるし、そのブログで弊ブログなりを思い切り批判し、その言論が多数派になれば、言論戦で勝利を収めることができるからです。これは、右派の諸氏がお好きであろう新自由主義的メカニズムに基づく行き方です。
当ブログは、言論戦をブログ内のコメント欄で行う必要は全く認めません。言論戦は、ブログ内ではなく、ブログ同士で行うべきものだと思います。
なお、いただいたコメントやトラックバックにはすべて目を通しておりますが、管理人がPCを介してブログにアクセスできる時間帯は限られていますし、管理人は、いただいたコメントやトラックバックに反応するよりも新しい記事を書いて公開する方を優先しがちな、わがままな人間ですので、必ずしもコメントやトラックバックに反応できない場合があります。どうかご了承のほどよろしくお願いします。
基本的に、当ブログの姿勢は当時と変わっていませんが、アクセス数が当時の3?4倍に増え、ブログをめぐる状況も若干変わりましたので、改めて立場を表明することにします。
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また、ブログの方向性に反する、あるいは明らかな荒らしと認められると管理人が判断したコメントやトラックバックは承認しないので、ブログには掲載されません。管理人と反対の意見でも、建設的な議論に寄与しうると判断したものは掲載しますが、そうではないと判断した場合は掲載しません。
なお、コメントやトラックバックについては、投稿元のホスト情報が記録されており、管理人がこれを保管しています。管理人が荒らしと判断した場合、コメントおよびトラックバックの投稿禁止措置をとらせていただく場合があります。
これは、言論の自由の制限に当たるなどとは全く考えません。誰にでもブログを開設する自由はあるし、そのブログで弊ブログなりを思い切り批判し、その言論が多数派になれば、言論戦で勝利を収めることができるからです。これは、右派の諸氏がお好きであろう新自由主義的メカニズムに基づく行き方です。
当ブログは、言論戦をブログ内のコメント欄で行う必要は全く認めません。言論戦は、ブログ内ではなく、ブログ同士で行うべきものだと思います。
なお、いただいたコメントやトラックバックにはすべて目を通しておりますが、管理人がPCを介してブログにアクセスできる時間帯は限られていますし、管理人は、いただいたコメントやトラックバックに反応するよりも新しい記事を書いて公開する方を優先しがちな、わがままな人間ですので、必ずしもコメントやトラックバックに反応できない場合があります。どうかご了承のほどよろしくお願いします。
「論座」の6月号に、加藤紘一のインタビューが出ている。「ネット社会はどこへ向かう」がテーマである。
加藤は、次のように主張している。すなわち、現在の「右翼」と呼ばれる層には2種類あり、国学から発生した従来の右翼と、「諸君!」「正論」「SAPIO」「WiLL」に代表される「オピニオン雑誌右翼」に分けられる。後者の「北朝鮮に先制攻撃をかけろ」「なぜ核を持ってはいけないのか」などの過激な主張を前にして、従来右翼はだんだん自分たちの居所がなくなってきている。だから、そういう人たちにどんどん意見を言ってもらいたい、などなど。
実は同様の主張を、民族派右翼である鈴木邦男も行っている。加藤の言う「オピニオン雑誌右翼」(鈴木は産経新聞もそれに含めている)の過激さに比べれば、既存の右翼の方が穏やかだ、だから「右翼は何をやっているんだ」という声が聞こえるようになり、「このままでは自分たちの存在意義がなくなってしまう」とか「何かしなくちゃいけない」と義憤にかられて過激なテロに走るものが出てくる。それを防ぐためにも、(既存の)右翼にも言葉で闘える場を作ってやらなければならないと、鈴木は主張している(「創」2006年11月号での佐高信との対談記事より)。
加藤や鈴木の言う、既存の右翼とは区別される「オピニオン雑誌右翼」の言論の一つの例が、産経新聞・阿比留瑠比記者のブログ 「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」 だろう。
実は、別段このブログのことを取り上げるつもりはなかったのだが、Wikipediaの「阿比留瑠比」の項 を読んで気になったのと、「カナダde日本語」の記事でも、当ブログへのリンク及び某所での私のコメント(笑)とともに阿比留氏のブログのことが取り上げられたので、当ブログでも急遽取り上げることにした。
まず、Wikipediaの記述を、書き換えられないうちに引用しておく。
この記述の最後にある「週刊ポスト」の記事は、下関市長選をめぐる「火炎瓶事件」に関するもので、この件に関しては月刊「現代」の昨年12月号に、魚住昭と青木理による優れた記事があることは、昨年11月3日付の記事を皮切りに、何度か紹介した。
それはともかくとして、私がもっとも気になったのは、
『Blogでは河野洋平を「紅の傭兵」(こうのようへいに引っ掛けた意地の悪い当て字)と非難するなど、インターネットの保守派によるスラングも多用する』
という記述だ。これにはさすがの私も目を疑い、阿比留氏のブログを調べてみたところ、本当だった。
私は、2ちゃんねらーなどのネット右翼が、河野洋平氏を「紅の傭兵」と呼んでいることは、以前から知っていた。
しかし、まさか新聞記者、それも安倍晋三首相の外遊に同行するほどの記者が、こんな非常識なことをしているとは、想像だにしなかった。
この記者のブログは、ひたすら安倍にべったりで、あまりの退屈さに読む気も起きないものだが、注目すべきはこの記者が「イザ!」のブログのあちこちにコメントをつけていることで、それらを見ていると、「多少節度のあるネット右翼」の域を出るものではないことがよくわかる。
日本の言論人の劣化もここまできたか、と出るのはため息ばかりである。
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加藤は、次のように主張している。すなわち、現在の「右翼」と呼ばれる層には2種類あり、国学から発生した従来の右翼と、「諸君!」「正論」「SAPIO」「WiLL」に代表される「オピニオン雑誌右翼」に分けられる。後者の「北朝鮮に先制攻撃をかけろ」「なぜ核を持ってはいけないのか」などの過激な主張を前にして、従来右翼はだんだん自分たちの居所がなくなってきている。だから、そういう人たちにどんどん意見を言ってもらいたい、などなど。
実は同様の主張を、民族派右翼である鈴木邦男も行っている。加藤の言う「オピニオン雑誌右翼」(鈴木は産経新聞もそれに含めている)の過激さに比べれば、既存の右翼の方が穏やかだ、だから「右翼は何をやっているんだ」という声が聞こえるようになり、「このままでは自分たちの存在意義がなくなってしまう」とか「何かしなくちゃいけない」と義憤にかられて過激なテロに走るものが出てくる。それを防ぐためにも、(既存の)右翼にも言葉で闘える場を作ってやらなければならないと、鈴木は主張している(「創」2006年11月号での佐高信との対談記事より)。
加藤や鈴木の言う、既存の右翼とは区別される「オピニオン雑誌右翼」の言論の一つの例が、産経新聞・阿比留瑠比記者のブログ 「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」 だろう。
実は、別段このブログのことを取り上げるつもりはなかったのだが、Wikipediaの「阿比留瑠比」の項 を読んで気になったのと、「カナダde日本語」の記事でも、当ブログへのリンク及び某所での私のコメント(笑)とともに阿比留氏のブログのことが取り上げられたので、当ブログでも急遽取り上げることにした。
まず、Wikipediaの記述を、書き換えられないうちに引用しておく。
阿比留瑠比
経歴
保守寄りな論調で知られ、近年同傾向にある若年層やもともと保守的な世代からは絶大な支持を受けている。Blogでは河野洋平を「紅の傭兵」(こうのようへいに引っ掛けた意地の悪い当て字)と非難するなど、インターネットの保守派によるスラングも多用する。日本教職員組合などの組合や、連合の支援を受ける民主党に対する批判記事も多い。
逆に、自民党には好意的な記事が目立ち、自らが取材を担当している首相・安倍晋三には明らかに好意的である。Blogでも安倍政権に好意を隠さないが、Blogの書き方については試行錯誤であることを明かしている(「政治記者と政治家との距離の置き方について 2007/04/24 10:18」)。
2007年の統一地方選挙で起こった、伊藤一長長崎市長殺害事件では、『週刊朝日』5月4・11日合併号の記事「山口組系水心会と安倍首相の『関係』を警察庁幹部が激白」と、犯人の所属していた暴力団と安倍の秘書に接点があるように受け取れる表題の記事を載せた(記事本文では、直接の接点は無いとしている)。阿比留は安倍への記者会見でこの件について質問し、安倍は「一切関係がありませんし、これは全くのでっち上げで、ねつ造」と反論した(安倍首相の怒りのコメントと懲りない朝日新聞 2007/04/25 12:36)。これについて、『日刊ゲンダイ』や山岡俊介は、この会見は普段は若手記者が行うものであるのに、そうではない阿比留が行っていること、安倍が『週刊朝日』の記事を詳しく知っていたことなどを理由に、両者が事前に打ち合わせしていたのではないかと推測した(ゲンダイ「安倍「週刊朝日」批判の余波」、山岡「2007.04.26 『週刊朝日』問題、安倍首相“圧力”は側近記者とのデキレースの模様」。山岡の記事は、全文閲覧は有料)。また、この件についてベンジャミン・フルフォードが『週刊ポスト』5月18日号「安倍首相は「暴力団グループに300万円」検察論告にどう答えるのか」で安倍に再反論を買って出たが、この記事については安倍も阿比留も反応していない。
(『Wikipedia 「阿比留瑠比」』より)
この記述の最後にある「週刊ポスト」の記事は、下関市長選をめぐる「火炎瓶事件」に関するもので、この件に関しては月刊「現代」の昨年12月号に、魚住昭と青木理による優れた記事があることは、昨年11月3日付の記事を皮切りに、何度か紹介した。
それはともかくとして、私がもっとも気になったのは、
『Blogでは河野洋平を「紅の傭兵」(こうのようへいに引っ掛けた意地の悪い当て字)と非難するなど、インターネットの保守派によるスラングも多用する』
という記述だ。これにはさすがの私も目を疑い、阿比留氏のブログを調べてみたところ、本当だった。
『突っ込みどころ満載の朝日夕刊と紅の傭兵』
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/141017/
私は、2ちゃんねらーなどのネット右翼が、河野洋平氏を「紅の傭兵」と呼んでいることは、以前から知っていた。
しかし、まさか新聞記者、それも安倍晋三首相の外遊に同行するほどの記者が、こんな非常識なことをしているとは、想像だにしなかった。
この記者のブログは、ひたすら安倍にべったりで、あまりの退屈さに読む気も起きないものだが、注目すべきはこの記者が「イザ!」のブログのあちこちにコメントをつけていることで、それらを見ていると、「多少節度のあるネット右翼」の域を出るものではないことがよくわかる。
日本の言論人の劣化もここまできたか、と出るのはため息ばかりである。
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最近、中曽根康弘がよくテレビに出演する。今月89歳を迎えるご老体が張り切っているのは、安倍晋三が憲法改正に意欲を燃やしているためで、半世紀以上前から改憲に執念を燃やす中曽根は、安倍を応援したい気持ちでいっぱいなのだろう。
しかし、昨日(5月6日)朝のフジテレビ「報道2001」で、中曽根が安倍を評して「保守本流に立ち返る政治家だ」と言ったことはいただけない。
中曽根は、安倍晋三を「保守本流」、コイズミを「傍流」と評した。
しかし、コイズミはもちろんのこと、中曽根も安倍も「保守本流」などではない。
Wikipediaの「保守本流」の項を見てみよう。
以前紹介したポリティカル・コンパス(日本版)で判定すると、「保守左派」に位置するのが本来の保守本流である。
もっとも、社会全体が大きく右傾した現在では、政治思想的にも保守というよりはかなりリベラル寄りな人も多いと思われる。それは、たとえば加藤紘一や白川勝彦の言論に接していただければすぐわかるだろう。
まだ政権奪取の野望を持っている加藤は、時として政敵との妥協に走るきらいがあるが、ネット右翼的言論を「保守」と錯覚されておられる方は、「保守本流」を自認する白川氏の 「永田町徒然草」 を是非ご覧いただきたいと思う。
たとえば、4月30日の 『右翼反動政治家の特質』 で、白川氏は安倍晋三を「右翼反動政治家」と断定している。以下引用する。
これは実に鋭い指摘だ。なるほど、「長いものに巻かれろ」というのが安倍を筆頭とする「右翼反動政治家」や岡崎久彦・櫻井よしこらを筆頭とする「産経文化人」たちの本質だろう。
白川氏は、5月2日付 『報道の核心は事実 (FACT)』 でも、
『二世・三世政治家たちのいちばんの問題点は、彼らが生身の人間と真剣に付き合い、そしてその人たちを組織するという政治家にとっていちばん困難なしかし意味あることをしなくても“政治家になれた”ところにあると私はいった。要するに生身の人間が好きでないと政治家はつとまらないし、大成もしないことをいいたかったのだ。』
と指摘している。
また、5月3日付 『憲法記念日に誓う』 では、「護憲」とは明記していないものの、
『私は現在の憲法がなければ、今日の繁栄はないと常々思っている』
『自民党の右翼反動政治家の悲願は、憲法改正である。自民党右翼反動の系譜に育ち、そのような考えをもっている安倍首相は、憲法改正を内閣の課題として打ち出してきた』
『いま日本国民にとっていちばん大きな課題は、自民党の右翼反動が目論む憲法改正をどうやって阻止するかだと思っている。彼らが考える憲法改正を許せば、基本的人権の尊重と民主主義は危殆に瀕することは確実である。そうなったら“まさにアウト”だ。“アウト”にならないように私たちは頑張らなければならない。私がこのサイトでいろいろな意見を述べるのも畢竟そのためである』
などと、実質的に護憲を主張している。
白川氏は、「保守本流」の中でも、左派に属する人なのだろうが、本来「保守本流」とは、こうした白川氏のような人を含む一方で、中曽根や安倍晋三なんかは、間違っても含まなかったということはおさえておく必要がある。
また、同じ憲法記念日の記事で、白川氏が公明党について、故藤原弘達氏の 『創価学会を斬る』 (1969年) から、以下の引用をしていることも注目に値する。
実は当ブログも、約1年前の昨年5月9日の記事 『「菱和」の「菱」というのは』 の中で、藤原氏の同じ著書から引用している。
なお、当ブログのこの記事で、「菱和ライフクリエイト」について触れているが、当時の社長が暴力団の組長と一緒に逮捕されたこの会社についても「安晋会」の絡んだ話がある。但し、菱和ライフの西岡進社長は、起訴されたものの裁判で無罪が確定したので、それ以上は突っ込まないでおく。興味をお持ちの方はネット検索をしていただきたい。
ともかく、保守本流でない「傍流」の勢力にとっては、右翼や暴力団といった勢力抜きにはやっていけなかったのかもしれない。そして、アメリカだろうが細川政権だろうが、そのときどきの「強者」におもねって、ホニャララ団やカルト宗教とも結びつきながら勢力を強めてきたということなのだろう。
中曽根は、コイズミや安倍晋三とは違って岸の系列ではなく、自主独立を目指した鳩山一郎に従って、「反吉田」を唱えていた人物だ。だから、岸派(福田派などを経て現在の町村派)の政治家たちのような売国政治家とまではいえず、総理大臣就任後、特に後期には柔軟さも見せた。しかし、基本的には政治思想的にも経済政策でも右派で、ポリティカル・コンパスでいうところの「保守右派」であって、保守本流ではない。
そんなことを百も承知であろう中曽根が安倍晋三のことを「保守本流」と言ったのは、たぶん、晩年にさしかかって、自らの示した思想の流れを「保守本流」と言ってみたかったのだろうと想像する。
だが、さすがの中曽根も僭称に気が引けたのか、遅い時間帯の「サンデープロジェクト」に出演した時には、「保守本流」と言わず、「自民党本流」と言っていたのだった。
繰り返して言うが、中曽根康弘や安倍晋三は、間違っても「保守本流」などではない。
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しかし、昨日(5月6日)朝のフジテレビ「報道2001」で、中曽根が安倍を評して「保守本流に立ち返る政治家だ」と言ったことはいただけない。
中曽根は、安倍晋三を「保守本流」、コイズミを「傍流」と評した。
しかし、コイズミはもちろんのこと、中曽根も安倍も「保守本流」などではない。
Wikipediaの「保守本流」の項を見てみよう。
保守本流
保守本流(ほしゅほんりゅう)は、自由民主党の派閥系統のひとつを指す。
政治的位置は保守であるが、バラマキ事業や箱物行政、労使協調(コーポラティズム)を重視し積極的に地方への富の再配分を行い、一億総中流を掲げるなど経済的には左派である。対外的には、アメリカとの同盟関係を重視しつつもハト派外交を行い、積極的なODAを行うのが特徴である。
弱肉強食的な米国型新自由主義経済路線を進める現在主流の自民党新保守主義派とは対立し、90年代以降は政界再編で多数が野党へ移籍したり、郵政民営化問題で離党した。
概要
* 主に吉田茂率いる旧自由党・吉田学校系の流れを汲み、かつての自民党で大きな勢力を誇った田中角栄から連なる平成研究会及び池田勇人から連なる宏池会の系統の派閥議員を指して用いる。
* 言外に他の派閥は保守傍流であるというニュアンスを含む。
* 現在は平成研究会(津島派)・宏池会(古賀派、谷垣派)・麻生派が保守本流派閥と言われる。
* 佐藤栄作・池田勇人・田中角栄・大平正芳・鈴木善幸・竹下登・宮沢喜一など、かつては保守本流派閥の領袖=首相・党総裁の出世コースと言われていた。
* 民主党の保守系グループも自民党経世会(竹下派)の出身であり、保守本流の流れを汲んでいる。
* 現在は保守傍流の流れを汲む清和政策研究会(森派:現在の町村派)が党内第1派閥・党総裁派閥であり、保守本流各派は政権中枢から外れている。森派出身である小泉純一郎首相の長期政権もあって、現在では自民党内においても本流・傍流の色分けはほとんど無意味であり、もはや保守本流は実体を伴わない死語と化している。平成研究会の復権や、宏池会系三派の統合(大宏池会構想)に向けて気勢を上げる合言葉として思い出したように持ち出される程度である。
(Wikipedia:「保守本流」より)
以前紹介したポリティカル・コンパス(日本版)で判定すると、「保守左派」に位置するのが本来の保守本流である。
もっとも、社会全体が大きく右傾した現在では、政治思想的にも保守というよりはかなりリベラル寄りな人も多いと思われる。それは、たとえば加藤紘一や白川勝彦の言論に接していただければすぐわかるだろう。
まだ政権奪取の野望を持っている加藤は、時として政敵との妥協に走るきらいがあるが、ネット右翼的言論を「保守」と錯覚されておられる方は、「保守本流」を自認する白川氏の 「永田町徒然草」 を是非ご覧いただきたいと思う。
たとえば、4月30日の 『右翼反動政治家の特質』 で、白川氏は安倍晋三を「右翼反動政治家」と断定している。以下引用する。
安倍首相が訪米中に従軍慰安婦について謝罪したことにビックリした人が多いのではないか。度重なる憲法改正発言、靖国神社参拝の有無を明言せずとの発言、教育基本法改正と愛国心重視の発言、従軍慰安婦には狭義の強制はなかったとの発言、沖縄戦における集団自決を否定する発言、集団自衛権の見直しのための有識者懇談会の発足などどれを捉えても、安部首相の政治姿勢は明らかである。彼は村山談話などの戦争についての反省を自虐史観とあざ笑ってきたのだ。過去の戦争に対する国会決議の際には、自虐史観に基づき反対をして欠席したのである。安倍首相は確信的な右翼反動思想の持ち主なのだ。
その安倍首相がなぜアメリカにおいて従軍慰安婦問題で謝罪をしなければならないのか。またなぜアメリカに対して謝罪をしたのか。誰だっておかしいと思うだろう。小泉首相以上に反中国だった筈なのに、最初の外国訪問に中国・韓国を選んだ理由は何だったのだろうかということもこの際思い出してほしい。この二つは実は安倍首相および最近元気付いている日本の右翼言論人のもう一つの特質を表わしているからだ。それは“従属的思想”ということである。
従属的思想とはどのようなものであろうか。独立自尊の気概がないということである。彼らの発言を聞いていると一見独立自尊の精神が強いように錯覚させられる。しかし、彼らの本質は決して独立自尊ではなく、強いものに対してきわめて従属的であるところにその本性があるのである。日本においては権力者に対してである。長い間政権党である自民党に対してである。細川内閣のとき、私は細川首相の1億円疑惑を追及したがその際右翼的な集団からずいぶんと脅しをかけられた。なぜ自民党のためにやっているのにそういう人たちから脅しをかけられるのかと怪訝に思ったが、そのような特質からみればごく自然なのことなのである。
(白川勝彦 「永田町徒然草」:『右翼反動政治家の特質』 (2007年4月30日) より。太字は白川氏による)
これは実に鋭い指摘だ。なるほど、「長いものに巻かれろ」というのが安倍を筆頭とする「右翼反動政治家」や岡崎久彦・櫻井よしこらを筆頭とする「産経文化人」たちの本質だろう。
白川氏は、5月2日付 『報道の核心は事実 (FACT)』 でも、
『二世・三世政治家たちのいちばんの問題点は、彼らが生身の人間と真剣に付き合い、そしてその人たちを組織するという政治家にとっていちばん困難なしかし意味あることをしなくても“政治家になれた”ところにあると私はいった。要するに生身の人間が好きでないと政治家はつとまらないし、大成もしないことをいいたかったのだ。』
と指摘している。
また、5月3日付 『憲法記念日に誓う』 では、「護憲」とは明記していないものの、
『私は現在の憲法がなければ、今日の繁栄はないと常々思っている』
『自民党の右翼反動政治家の悲願は、憲法改正である。自民党右翼反動の系譜に育ち、そのような考えをもっている安倍首相は、憲法改正を内閣の課題として打ち出してきた』
『いま日本国民にとっていちばん大きな課題は、自民党の右翼反動が目論む憲法改正をどうやって阻止するかだと思っている。彼らが考える憲法改正を許せば、基本的人権の尊重と民主主義は危殆に瀕することは確実である。そうなったら“まさにアウト”だ。“アウト”にならないように私たちは頑張らなければならない。私がこのサイトでいろいろな意見を述べるのも畢竟そのためである』
などと、実質的に護憲を主張している。
白川氏は、「保守本流」の中でも、左派に属する人なのだろうが、本来「保守本流」とは、こうした白川氏のような人を含む一方で、中曽根や安倍晋三なんかは、間違っても含まなかったということはおさえておく必要がある。
また、同じ憲法記念日の記事で、白川氏が公明党について、故藤原弘達氏の 『創価学会を斬る』 (1969年) から、以下の引用をしていることも注目に値する。
(公明党が)自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形態と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁を安定化する機能を果たしながら、同時にこれをファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性を非常に多く持っている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。
(藤原弘達 『創価学会を斬る』 より=白川勝彦「永田町徒然草」経由)
実は当ブログも、約1年前の昨年5月9日の記事 『「菱和」の「菱」というのは』 の中で、藤原氏の同じ著書から引用している。
もし自由民主党が過半数の議席を失うことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う。
(藤原弘達 『創価学会を斬る』 より)
なお、当ブログのこの記事で、「菱和ライフクリエイト」について触れているが、当時の社長が暴力団の組長と一緒に逮捕されたこの会社についても「安晋会」の絡んだ話がある。但し、菱和ライフの西岡進社長は、起訴されたものの裁判で無罪が確定したので、それ以上は突っ込まないでおく。興味をお持ちの方はネット検索をしていただきたい。
ともかく、保守本流でない「傍流」の勢力にとっては、右翼や暴力団といった勢力抜きにはやっていけなかったのかもしれない。そして、アメリカだろうが細川政権だろうが、そのときどきの「強者」におもねって、ホニャララ団やカルト宗教とも結びつきながら勢力を強めてきたということなのだろう。
中曽根は、コイズミや安倍晋三とは違って岸の系列ではなく、自主独立を目指した鳩山一郎に従って、「反吉田」を唱えていた人物だ。だから、岸派(福田派などを経て現在の町村派)の政治家たちのような売国政治家とまではいえず、総理大臣就任後、特に後期には柔軟さも見せた。しかし、基本的には政治思想的にも経済政策でも右派で、ポリティカル・コンパスでいうところの「保守右派」であって、保守本流ではない。
そんなことを百も承知であろう中曽根が安倍晋三のことを「保守本流」と言ったのは、たぶん、晩年にさしかかって、自らの示した思想の流れを「保守本流」と言ってみたかったのだろうと想像する。
だが、さすがの中曽根も僭称に気が引けたのか、遅い時間帯の「サンデープロジェクト」に出演した時には、「保守本流」と言わず、「自民党本流」と言っていたのだった。
繰り返して言うが、中曽根康弘や安倍晋三は、間違っても「保守本流」などではない。
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昨日(5月4日)、当ブログは新しい記事を公開しなかった。2月13日以来80日ぶりだが、これは以前からの計画通りで、5月4日から6日までの3日間は、短信を除いて新規の記事を公開しないつもりだった。
人間誰しも充電の時間が必要であり、ゴールデンウィークのような大型連休はその絶好の時期だ。そんな時にまで、ブログへの新規記事公開の連続日数記録にだけこだわって無理やり記事を書く必要はないと思う。
そんなわけで、この記事は短信である。「こどもの日」の今日、「安倍晋三TBP」へのトラックバック累積件数が9000件に達した。
例によって、1000件ごとのキリ番達成日の一覧表を示す。
8000件から9000件までは、過去最短の23日で到達した。大型連休でペースが落ちるかと思ったが、連休中にも予想以上に多くのTBがあった。そして、「こどもの日」に9000件のキリ番を達成したのは縁起が良いことだ。次代を担うこどもたちのためにも、「AbEnd」を達成せよという意味なのだと思う。
それにしても、このペースだと、今月中に1万件のTBを達成しそうだ。2か月半後に迫った参議院選挙で与党を大敗させるための弾みとしたい。
なお、「安倍晋三TBP」と「AbEndキャンペーン」については、下記の記事を参照されたい。
『カナダde日本語』 より
『AbEndなんていいタイトルだね!』
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-168.html
『AbEndのリンクリストを自分のブログに表示する方法』
http://minnie111.blog40.fc2.com//blog-entry-170.html
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人間誰しも充電の時間が必要であり、ゴールデンウィークのような大型連休はその絶好の時期だ。そんな時にまで、ブログへの新規記事公開の連続日数記録にだけこだわって無理やり記事を書く必要はないと思う。
そんなわけで、この記事は短信である。「こどもの日」の今日、「安倍晋三TBP」へのトラックバック累積件数が9000件に達した。
例によって、1000件ごとのキリ番達成日の一覧表を示す。
2006年6月18日:「安倍晋三?トラックバック・ピープル」 開設
2006年9月12日:1000件 (開設日から86日)
2006年10月27日:2000件 (1000件到達から45日)
2006年11月27日:3000件 (2000件到達から31日)
2006年12月24日:4000件 (3000件到達から27日)
2007年1月26日:5000件 (4000件到達から33日)
2007年2月21日:6000件 (5000件到達から26日)
2007年3月18日:7000件 (6000件到達から25日)
2007年4月12日:8000件 (7000件到達から25日)
2007年5月5日:9000件 (8000件到達から23日)
8000件から9000件までは、過去最短の23日で到達した。大型連休でペースが落ちるかと思ったが、連休中にも予想以上に多くのTBがあった。そして、「こどもの日」に9000件のキリ番を達成したのは縁起が良いことだ。次代を担うこどもたちのためにも、「AbEnd」を達成せよという意味なのだと思う。
それにしても、このペースだと、今月中に1万件のTBを達成しそうだ。2か月半後に迫った参議院選挙で与党を大敗させるための弾みとしたい。
なお、「安倍晋三TBP」と「AbEndキャンペーン」については、下記の記事を参照されたい。
『カナダde日本語』 より
『AbEndなんていいタイトルだね!』
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-168.html
『AbEndのリンクリストを自分のブログに表示する方法』
http://minnie111.blog40.fc2.com//blog-entry-170.html
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4月に入って、それまでずっと低落する一方だった安倍晋三内閣の支持率が上昇に転じた。
4月14, 15日の共同通信調査では、支持率が前回の39.9%から44.2%、4月27?29日の日本経済新聞調査では前回の43%から53%へ、4月28, 29日の毎日新聞調査では前回の35%から43%へと、それぞれ上昇した。
マスコミによる調査の信頼性自体には、もちろん問題はあろうが、支持率の絶対値はともかくとして、安倍内閣の支持率が上昇したことだけはよく認識しておかなければならないと思う。
つまり、安倍に反対する側にとっては、内閣支持率上昇という事実を冷静に受け止める必要があるということだ。
私は、内閣支持率上昇に影響を与えた要因のうちもっとも大きかったのは、さる4月8日に投票の行われた東京都知事選の結果だと思う。
この選挙で、極右にしてレイシストである石原慎太郎が圧勝した。これには、反石原陣営が統一候補を立てられなかったなどの問題点もあったが、マスコミ、特にTBSやテレビ朝日を代表とする電波媒体が総力を挙げて石原を応援した影響が大きく、あれでは仮に反石原統一候補が立っても勝てなかっただろうと思わせるものがあった。田中康夫なども、石原に恐れをなして立とうとしなかったという説もあるくらいだ。
特にTBSのみのもんたとテレビ朝日の田原総一朗はひどかったし、田原の番組(サンプロ)に出演した田中康夫は、右翼論客の櫻井よしこと馴れ合いながら、石原も浅野史郎氏も批判するという立場に立って、間接的に石原を助けた。こうして、告示前の早い段階から、石原圧勝のムードが形成されていった。
TBSでは、「NEWS23」の筑紫哲也は冷静だったが、「朝ズバッ!」のみのもんたは一貫して石原を応援し続けた。
みのの石原及び安倍晋三にたいするお追従ぶりは実にひどいもので、先日も東京新聞に載ったインタビュー記事で安倍を礼賛していた。
(リンクが切れている場合はここをクリックして下さい)
私はこの新聞記事を、Rolling Beanさんのブログ 「Like a rolling bean (new) 出来事録」 の記事 『イシハラ氏の映画でGWに戦闘機が展示される!またアベ氏徹底崇拝?みのもんた発言』 で知り、「kojitakenの日記」 でも取り上げたところ、kechackさんから以下のようなコメントをいただいた。
みのは、石原に対しても安倍に対するのと同じような調子でひたすら礼賛した。テレビで7回行われた東京都知事選の有力4候補の討論会では、初回のテレビ朝日「報道ステーション」とTBSの「朝ズバッ!」がもっともひどい石原寄りの司会だった。敗れた浅野氏の側からいうと、特に初回の「報ステ」の討論でぱっとしなかったのが失敗だったと思う。なお、意外にも一番ましだったのがフジテレビの「報道2001」での討論で、この時には築地市場移転問題と、それ以上に石原が突かれたくなかった新銀行東京の問題が徹底的に議論され、石原はまともに反論することさえできず、ノックアウト寸前と思われるほど3候補に叩かれ続けたのだった。しかし、こうした討論会を、都民はほとんど参考にしなかったようだ。
それよりも都民は、マスコミが石原へ石原へとなびかせている空気を感じ取り、勝ち馬に乗ろうとした。
mewさんのブログ 「日本がアブナイ!」 の記事、『勝ち馬に乗ろうとする政治が、民主主義を壊して行く+天皇賞は地味コンビ?が優勝!』 に、29日放送のTBSテレビ「時事放談」で、筑紫哲也氏が、「今の若い人は判官びいきという言葉を知らない」「全体的に勝ち馬に乗るような風潮がある」と言っていて、本当にそうだなと思ったと書かれているが、この番組は私も見ており、同じ感想を持った。
また、「たんぽぽのなみだ?運営日誌」 が、『東京都知事選(4)』 で紹介している、サンデー毎日の日下部聡記者が毎日新聞本紙の「記者の目」に書いた記事 『東京都知事選「無党派層」に問う』 は、この問題を掘り下げた良い記事だと思う。
無党派層は、「オーラ」をもった、力強くて頼れる指導者を求めているとして、記事は下記のように指摘する。
確かに「サンデー毎日」は2004年に石原の公私混同問題を取り上げていた。同誌は、2002年に安倍晋三(当時官房副長官)が早稲田大学で行われた田原総一朗との対談形式での講演会で、「戦術核の保有や使用も、憲法上問題ない」と発言したことをスクープしたり、一昨年には、「B層」という言葉を一躍有名にした、スリード社の「ラーニングプロモーション」の資料をスクープする(もとは竹中平蔵の口利き疑惑の告発記事だった)など、発行部数が7万部しかないことがもったいないようなスクープを連発してきた。
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/tokusyuu/news/20050713-182250.html
腰がフラフラして落ち着かない毎日新聞本紙に見習ってほしいほどだ。今回、サンデー毎日の記者が毎日新聞本紙の目玉ともいえる「記者の目」で記事を書く機会に恵まれたのは、とても良いことだと思う。
日下部記者の記事が指摘するように、強者に迎合する有権者が多い。また、筑紫哲也氏が指摘するように、「判官びいき」の気風は、急速に廃れつつある。そして、客観的にはどうみても「負け組」に属する人々が、強者と自分を同一化することで、自我が強化されたような幻想を持ち、勝ち組へ、勝ち組へとなびくことになる。
そもそも、昨年の自民党総裁選レースで、自民党の議員たちがその悪い見本を見せていた。単にコイズミの意中の後継候補であるというだけで、極右政治化であるだけでなく、頭の回転が悪く政治手腕に問題のある安倍晋三へと皆なびいていったのだ。
東京都民が石原の公私混同、築地市場の移転や新銀行東京の巨額赤字を不問に付したというが、ヒューザー小嶋社長や、ライブドア事件に絡んで変死したエイチエス証券の野口英昭副社長が「安晋会」のメンバーであったことをはじめ、あらゆる局面でスキャンダルが報じられては尻すぼみになる安倍晋三も、どんな問題が起きて深く追及されることはない。
耐震偽装が問題になったアパの元谷会長も、「安晋会」の副会長なのだが、アパとべったりだとされる前述のみのもんたなどは、「朝ズバッ!」で懸命にアパの女社長(元谷会長の妻)をかばい、もちろん「安晋会」のことなんてテレビでは何も報道されない。
そして、タカ派的を通り越して極右的といえる石原が都知事選で三選され、「従軍慰安婦」や「沖縄戦の集団自決を記述した教科書の書き換え」をめぐる問題で日本が海外から非難されるようになると、ナショナリスティックなというかネット右翼的にして排外的な機運は逆に高まり、それらの影響が総合されて、安倍内閣の支持率上昇につながったのではないかと考える。
私が特に注目したのは、「kojitakenの日記」にも書いたことだが、毎日新聞の調査で20代の自民党支持が、前回調査で22%だったのが、いきなり43%にはね上がったことだ。
今回、安倍内閣不支持から支持に転じた層は、一昨年の郵政総選挙でコイズミを熱狂的に支持した層とほぼ重なり、これはネットウヨを構成する層でもあると思うが、それにしても、20代の支持率のはね上がり方は常軌を逸している。それだけ、彼らが強力な指導者を欲する度合いが強いということなのだろう。これは、たいへん危険な傾向だと思う。というのは、こういう人たちは、得てして「問答無用」的な行動を肯定しがちだからだ。そんな風潮の中で、長崎市長銃殺事件が起きたのだ。
安倍はこの事件が起きた時、言論の自由に対する挑戦への怒りをすぐさま口にすることができなかった。以前の日本だったら、これだけでも支持率ダウンの要因になり得ただろうが、世論調査の結果はそうなっていない。つまり、安倍だけでなく、国民全体が言論の自由が侵されることに対して鈍感になっているということなのだ。
そんな中で、今日60回目の憲法記念日を迎えた。この憲法に関する世論調査も、矛盾に満ちている。たとえば、前記共同通信の調査では、憲法改正に賛成が57.0%、反対が34.5%になっている。毎日新聞だと、賛成が51%、反対が19%だ。ところが、これを憲法9条に限ってみると、共同通信調査では賛成26%、反対44.5%になる。
4月10日の記事で紹介したNHKの世論調査でも、改憲賛成が47%、反対が20%であるのに対し、九条改正は賛成25%、反対44%になっていた。これと今回の共同通信の結果はほぼ同じであって、ほぼ民意を反映した調査結果だと考えざるを得ない。
しかし、これは変な世論だ。というのは、安倍が憲法改正という時、その本音は憲法第九条の改変にあるからだ。たまたま今手元にある4月29日付「四国新聞」の2面に、大塚英志・神戸芸術工科大教授の寄稿が載っていて、「改憲の本音は9条改変」という見出しがついている。大塚氏は、少し前には改憲論の根拠として「押し付け憲法説」「悪文説」が主流で、今は「制定から60年を経て、もはや実情にあった」などという説が言われているが、
『「改憲」とは、要は九条を変えたいというのが本音であり、この種の根拠は方便に過ぎない』と喝破している。
あまりにも当たり前の指摘ではあるのだが、その当たり前のことを理解していない国民が多いのではないかと思えてならない。
なお、世論調査で九条改正に賛成する人の比率は、以前より減っていることを指摘しておく。たとえば、某有名ブログが昨年書いていたことを信じれば、昨年は朝日新聞調査で九条改正賛成43%で反対が42%、毎日新聞調査では同賛成49%で反対が41%だったとのことだ。
しかし、たとえば江川紹子さんが昨年の安倍内閣発足時に言っていたように、もともと改憲も止むなしか、と何となく考えていた人たち(江川さん自身がそうだったとのこと)が、安倍らが目指す性急な改憲路線を見て、これは危険なのではないかと感じて、考えを改めるようになってきた、その表れが九条改正賛成派が減少した理由ではないかと思う。この流れを拡大して安倍らの真の狙いを暴き、「九条改変を伴わない改憲はあり得ない」ことを大いにアピールしなければならないと思う。
今ならまだ安倍らの暴走に歯止めをかけられる。そのためには、何が何でも7月の参議院選挙で与党を惨敗に追い込まなければならないと思う今日この頃だ。
[参考にしたブログ記事]
「Like a rolling bean (new) 出来事録」 より
『イシハラ氏の映画でGWに戦闘機が展示される!またアベ氏徹底崇拝?みのもんた発言』
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10032356980.html
「日本がアブナイ!」 より
『勝ち馬に乗ろうとする政治が、民主主義を壊して行く+天皇賞は地味コンビ?が優勝!』
http://mewrun7.exblog.jp/5592646
「たんぽぽのなみだ?運営日誌」 より
『東京都知事選(4)』
http://taraxacum.seesaa.net/article/40444072.html
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4月14, 15日の共同通信調査では、支持率が前回の39.9%から44.2%、4月27?29日の日本経済新聞調査では前回の43%から53%へ、4月28, 29日の毎日新聞調査では前回の35%から43%へと、それぞれ上昇した。
マスコミによる調査の信頼性自体には、もちろん問題はあろうが、支持率の絶対値はともかくとして、安倍内閣の支持率が上昇したことだけはよく認識しておかなければならないと思う。
つまり、安倍に反対する側にとっては、内閣支持率上昇という事実を冷静に受け止める必要があるということだ。
私は、内閣支持率上昇に影響を与えた要因のうちもっとも大きかったのは、さる4月8日に投票の行われた東京都知事選の結果だと思う。
この選挙で、極右にしてレイシストである石原慎太郎が圧勝した。これには、反石原陣営が統一候補を立てられなかったなどの問題点もあったが、マスコミ、特にTBSやテレビ朝日を代表とする電波媒体が総力を挙げて石原を応援した影響が大きく、あれでは仮に反石原統一候補が立っても勝てなかっただろうと思わせるものがあった。田中康夫なども、石原に恐れをなして立とうとしなかったという説もあるくらいだ。
特にTBSのみのもんたとテレビ朝日の田原総一朗はひどかったし、田原の番組(サンプロ)に出演した田中康夫は、右翼論客の櫻井よしこと馴れ合いながら、石原も浅野史郎氏も批判するという立場に立って、間接的に石原を助けた。こうして、告示前の早い段階から、石原圧勝のムードが形成されていった。
TBSでは、「NEWS23」の筑紫哲也は冷静だったが、「朝ズバッ!」のみのもんたは一貫して石原を応援し続けた。
みのの石原及び安倍晋三にたいするお追従ぶりは実にひどいもので、先日も東京新聞に載ったインタビュー記事で安倍を礼賛していた。
(リンクが切れている場合はここをクリックして下さい)
私はこの新聞記事を、Rolling Beanさんのブログ 「Like a rolling bean (new) 出来事録」 の記事 『イシハラ氏の映画でGWに戦闘機が展示される!またアベ氏徹底崇拝?みのもんた発言』 で知り、「kojitakenの日記」 でも取り上げたところ、kechackさんから以下のようなコメントをいただいた。
ブログへのコメント:
『安倍氏の保守性を支持している右派論客より厄介ですね。みのもんたは。
安倍=改革者=小泉路線の継承者のプロパガンダです。
保守論客の言っている安倍晋三像は間違っていませんが、みのもんたの言う安倍晋三像はかなり美化・誇示されたものであり、プロパガンダとしては悪質ですね。』(2007/05/02 09:55)
はてなブックマークのコメント:
『安倍=改革者のイメージプロパガンダの先鞭者みのもんた。本気で安倍氏を「古臭い保守政治家」であることを理解していないみたい。』
(「kojitakenの日記」の記事 『みのもんたにキャスターをやらせておいて良いのか?』 へのkechackさんのコメント)
みのは、石原に対しても安倍に対するのと同じような調子でひたすら礼賛した。テレビで7回行われた東京都知事選の有力4候補の討論会では、初回のテレビ朝日「報道ステーション」とTBSの「朝ズバッ!」がもっともひどい石原寄りの司会だった。敗れた浅野氏の側からいうと、特に初回の「報ステ」の討論でぱっとしなかったのが失敗だったと思う。なお、意外にも一番ましだったのがフジテレビの「報道2001」での討論で、この時には築地市場移転問題と、それ以上に石原が突かれたくなかった新銀行東京の問題が徹底的に議論され、石原はまともに反論することさえできず、ノックアウト寸前と思われるほど3候補に叩かれ続けたのだった。しかし、こうした討論会を、都民はほとんど参考にしなかったようだ。
それよりも都民は、マスコミが石原へ石原へとなびかせている空気を感じ取り、勝ち馬に乗ろうとした。
mewさんのブログ 「日本がアブナイ!」 の記事、『勝ち馬に乗ろうとする政治が、民主主義を壊して行く+天皇賞は地味コンビ?が優勝!』 に、29日放送のTBSテレビ「時事放談」で、筑紫哲也氏が、「今の若い人は判官びいきという言葉を知らない」「全体的に勝ち馬に乗るような風潮がある」と言っていて、本当にそうだなと思ったと書かれているが、この番組は私も見ており、同じ感想を持った。
また、「たんぽぽのなみだ?運営日誌」 が、『東京都知事選(4)』 で紹介している、サンデー毎日の日下部聡記者が毎日新聞本紙の「記者の目」に書いた記事 『東京都知事選「無党派層」に問う』 は、この問題を掘り下げた良い記事だと思う。
無党派層は、「オーラ」をもった、力強くて頼れる指導者を求めているとして、記事は下記のように指摘する。
(前略)石原氏の「集客力」は他候補とはケタ違いだった。石原氏の演説に足を止めた無党派を名乗る人たちに話を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「あれだけ大きいことできる人だもの。私らとは違うんだから。高い店で飲んだり、高級ホテルに泊まったりもするでしょう」=元会社員の男性(65)
「いろいろ批判はあるけど、迫力があって引っ張っていってくれそうな感じがする」=主婦(37)
石原氏のオーラは、最も強い逆風だった「都政私物化」批判さえ吹き飛ばしてしまったのだ。
こうした有権者の傾向を臨床心理士の矢幡洋氏は、「アイドル政治家症候群」(中公新書ラクレ)と名づけている。石原氏や田中康夫・前長野県知事、小泉純一郎前首相誕生時の圧倒的人気。そして今年1月、東国原英夫(そのまんま東)氏の宮崎県知事当選??一見、無党派層が強大な力を持ったかに見えて、実は逆に無力化しつつあると矢幡氏は指摘する。
「リビングでテレビを見る感覚で候補者を論評する。そこにあるのは、主体的に発言・行動する姿勢ではなく、『○○さんなら何かやってくれるだろう』という依存的な心理です」
(中略)
「何かやってくれそうな人」をヤンヤの喝采(かっさい)で迎え「あとはお任せ」では、無責任というものだ。政治を「お上の仕事」と見る発想から抜け切れていないともいえる。視点を変えれば「強者」への迎合の心理も見え隠れする。
(中略)
私は3年前に「サンデー毎日」誌上で、石原知事の「豪華海外出張」などの公私混同問題を最初に報じた。それが今知事選で争点になったことを正直うれしく思う。しかし多くの有権者はそれに許しを与えた。当の石原知事は「陰湿に根拠のないバッシングをされた」と早くも報道に責任転嫁するかのような発言を始めている。石原知事に「公僕」としての意識はあるのか、強く疑問に思う。
(毎日新聞 2007年4月11日付「記者の目」:『東京都知事選「無党派層」に問う』=日下部聡・サンデー毎日記者=より)
確かに「サンデー毎日」は2004年に石原の公私混同問題を取り上げていた。同誌は、2002年に安倍晋三(当時官房副長官)が早稲田大学で行われた田原総一朗との対談形式での講演会で、「戦術核の保有や使用も、憲法上問題ない」と発言したことをスクープしたり、一昨年には、「B層」という言葉を一躍有名にした、スリード社の「ラーニングプロモーション」の資料をスクープする(もとは竹中平蔵の口利き疑惑の告発記事だった)など、発行部数が7万部しかないことがもったいないようなスクープを連発してきた。
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/tokusyuu/news/20050713-182250.html
腰がフラフラして落ち着かない毎日新聞本紙に見習ってほしいほどだ。今回、サンデー毎日の記者が毎日新聞本紙の目玉ともいえる「記者の目」で記事を書く機会に恵まれたのは、とても良いことだと思う。
日下部記者の記事が指摘するように、強者に迎合する有権者が多い。また、筑紫哲也氏が指摘するように、「判官びいき」の気風は、急速に廃れつつある。そして、客観的にはどうみても「負け組」に属する人々が、強者と自分を同一化することで、自我が強化されたような幻想を持ち、勝ち組へ、勝ち組へとなびくことになる。
そもそも、昨年の自民党総裁選レースで、自民党の議員たちがその悪い見本を見せていた。単にコイズミの意中の後継候補であるというだけで、極右政治化であるだけでなく、頭の回転が悪く政治手腕に問題のある安倍晋三へと皆なびいていったのだ。
東京都民が石原の公私混同、築地市場の移転や新銀行東京の巨額赤字を不問に付したというが、ヒューザー小嶋社長や、ライブドア事件に絡んで変死したエイチエス証券の野口英昭副社長が「安晋会」のメンバーであったことをはじめ、あらゆる局面でスキャンダルが報じられては尻すぼみになる安倍晋三も、どんな問題が起きて深く追及されることはない。
耐震偽装が問題になったアパの元谷会長も、「安晋会」の副会長なのだが、アパとべったりだとされる前述のみのもんたなどは、「朝ズバッ!」で懸命にアパの女社長(元谷会長の妻)をかばい、もちろん「安晋会」のことなんてテレビでは何も報道されない。
そして、タカ派的を通り越して極右的といえる石原が都知事選で三選され、「従軍慰安婦」や「沖縄戦の集団自決を記述した教科書の書き換え」をめぐる問題で日本が海外から非難されるようになると、ナショナリスティックなというかネット右翼的にして排外的な機運は逆に高まり、それらの影響が総合されて、安倍内閣の支持率上昇につながったのではないかと考える。
私が特に注目したのは、「kojitakenの日記」にも書いたことだが、毎日新聞の調査で20代の自民党支持が、前回調査で22%だったのが、いきなり43%にはね上がったことだ。
今回、安倍内閣不支持から支持に転じた層は、一昨年の郵政総選挙でコイズミを熱狂的に支持した層とほぼ重なり、これはネットウヨを構成する層でもあると思うが、それにしても、20代の支持率のはね上がり方は常軌を逸している。それだけ、彼らが強力な指導者を欲する度合いが強いということなのだろう。これは、たいへん危険な傾向だと思う。というのは、こういう人たちは、得てして「問答無用」的な行動を肯定しがちだからだ。そんな風潮の中で、長崎市長銃殺事件が起きたのだ。
安倍はこの事件が起きた時、言論の自由に対する挑戦への怒りをすぐさま口にすることができなかった。以前の日本だったら、これだけでも支持率ダウンの要因になり得ただろうが、世論調査の結果はそうなっていない。つまり、安倍だけでなく、国民全体が言論の自由が侵されることに対して鈍感になっているということなのだ。
そんな中で、今日60回目の憲法記念日を迎えた。この憲法に関する世論調査も、矛盾に満ちている。たとえば、前記共同通信の調査では、憲法改正に賛成が57.0%、反対が34.5%になっている。毎日新聞だと、賛成が51%、反対が19%だ。ところが、これを憲法9条に限ってみると、共同通信調査では賛成26%、反対44.5%になる。
4月10日の記事で紹介したNHKの世論調査でも、改憲賛成が47%、反対が20%であるのに対し、九条改正は賛成25%、反対44%になっていた。これと今回の共同通信の結果はほぼ同じであって、ほぼ民意を反映した調査結果だと考えざるを得ない。
しかし、これは変な世論だ。というのは、安倍が憲法改正という時、その本音は憲法第九条の改変にあるからだ。たまたま今手元にある4月29日付「四国新聞」の2面に、大塚英志・神戸芸術工科大教授の寄稿が載っていて、「改憲の本音は9条改変」という見出しがついている。大塚氏は、少し前には改憲論の根拠として「押し付け憲法説」「悪文説」が主流で、今は「制定から60年を経て、もはや実情にあった」などという説が言われているが、
『「改憲」とは、要は九条を変えたいというのが本音であり、この種の根拠は方便に過ぎない』と喝破している。
あまりにも当たり前の指摘ではあるのだが、その当たり前のことを理解していない国民が多いのではないかと思えてならない。
なお、世論調査で九条改正に賛成する人の比率は、以前より減っていることを指摘しておく。たとえば、某有名ブログが昨年書いていたことを信じれば、昨年は朝日新聞調査で九条改正賛成43%で反対が42%、毎日新聞調査では同賛成49%で反対が41%だったとのことだ。
しかし、たとえば江川紹子さんが昨年の安倍内閣発足時に言っていたように、もともと改憲も止むなしか、と何となく考えていた人たち(江川さん自身がそうだったとのこと)が、安倍らが目指す性急な改憲路線を見て、これは危険なのではないかと感じて、考えを改めるようになってきた、その表れが九条改正賛成派が減少した理由ではないかと思う。この流れを拡大して安倍らの真の狙いを暴き、「九条改変を伴わない改憲はあり得ない」ことを大いにアピールしなければならないと思う。
今ならまだ安倍らの暴走に歯止めをかけられる。そのためには、何が何でも7月の参議院選挙で与党を惨敗に追い込まなければならないと思う今日この頃だ。
[参考にしたブログ記事]
「Like a rolling bean (new) 出来事録」 より
『イシハラ氏の映画でGWに戦闘機が展示される!またアベ氏徹底崇拝?みのもんた発言』
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10032356980.html
「日本がアブナイ!」 より
『勝ち馬に乗ろうとする政治が、民主主義を壊して行く+天皇賞は地味コンビ?が優勝!』
http://mewrun7.exblog.jp/5592646
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『東京都知事選(4)』
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昨日、当ブログ4月度アクセスデータの記事を公開したあと、「カナダde日本語」の4月度アクセス解析の記事が公開された。
それによると、4月度の当ブログ経由の 「カナダde日本語」 へのアクセス数は、1862件だったという。同ブログの3月度アクセス解析のデータによれば、3月度は595件だったから、1267件も増えている。
これは、当ブログが 「きっこの日記」 および 「きっこのブログ」 からリンクを張っていただいたことによる1万6千件強(「はてな」のアクセス解析の計数。FC2アクセス解析では1万5千件強)のアクセスのうち、リンク先のリンク先に当たる「カナダde日本語」にアクセスした人がそのくらいいたということだろう。
昨年8月9日に、「カナダde日本語」が「きっこの日記」にリンクを張られた時には、この逆のケースを経験しており、それを思い出させる興味深いデータだった。
昨日も書いたように、裏ブログ 「kojitakenの日記」 では、4月度は 「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」 経由のアクセスが多く、検索エンジンや「はてなブックマーク」および当ブログ経由を除くと、リンク元URL別で最多の1203件を記録している(2位は 「JanJan」 の1144件)。前にも書いたように、そのうち800件以上が4月26日に集中しており、これは、「きっこの日記」及び「きっこのブログ」からカマヤンのブログにリンクが張られた時、たまたまカマヤンのところから「kojitakenの日記」にリンクが張られていた影響だ。
何度も書くように、「きっこの日記」(「きっこのブログ」)は2次リンク(リンク先からのリンク)にまでアクセス増の効果を及ぼす力を持っている。
「博士の独り言」経由の「カナダde日本語」へのアクセス数が、当ブログとほぼ同じくらいというのも面白く、このことから、ブログに表示されていない「博士の独り言」の真のアクセス数が大体見当がつくと私は思っている。その数字は、むろん当ブログなんかよりははるかに多いが、ブログランキングの順位から想像される数字よりは、はるかに少ないに違いない。
さて、今回は、昨日書き切れなかった検索語別アクセスのデータを紹介しよう。これについても、FC2のアクセス解析よりも「はてな」のアクセス解析の方が親切なので、「はてな」のデータを用いる。「はてな」は、複数の検索語を用いた検索から、そのうちの1つの単語だけを抽出した検索後別頻度のデータを出してくれる。たとえば、「安倍 ホニャララ団」による検索が5件、「安倍 週刊朝日」による検索が3件あったとき、「安倍」による検索が8件、という数え方ができるのだ。これは、FC2のアクセス解析ではできない。
以下に、「はてな」のアクセス解析による4月度(1日から6日22時までは除く)の検索語(単語)別のアクセス数を示す。
以上見ていただければわかるが、東京都知事選、東京都国立市の市長選挙や長崎市長銃殺事件に関するキーワードが多い。これらはいずれも、当ブログが4月度に力を入れたテーマだ。
都知事選では、残念ながら石原慎太郎の圧勝を許してしまったが、国立市長選で関口博候補が嶋津隆文候補を破って当選し、上原公子前市長の市政を継承することができたのは、ご同慶の至りである。
また、長崎市長銃殺事件は、許しがたい言論の自由への挑戦であると私は思うが、この凶行への怒りの言葉がスムーズに口をついて出てこなかった安倍晋三には呆れるほかない。
検索語で2位に挙がっている江島潔は、安倍の子飼いとして知られる下関市長で、安倍に似て数限りないスキャンダルがあり、昨年の一時期、当ブログで何度か攻撃したことがある。それが、今になって江島潔を検索語にしたアクセスが急増したのは、「きっこの日記」が、4月18日、4月22日、4月25日、4月28日と、相次いで江島潔の名に言及したからである。
29位の杉山敏隆(びんりゅう)は、安晋会の代表だが、これに至っては、4月25日の「きっこのブログ」 が、杉山の名詞の画像を載せただけで杉山を検索語にしたアクセスが殺到したのだった。この検索語で引っかかる当ブログの記事は、2月6日付の 『「安晋会」代表・杉山敏隆と竹中平蔵の関係』 である。
このように、直接リンクを張られた記事ばかりではなく、検索語を用いた検索に至るまで、きっこさんにお世話になりっ放しの4月度だった。きっこさんは大怪我をされたそうだが、一日も早い回復を祈りたい。
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それによると、4月度の当ブログ経由の 「カナダde日本語」 へのアクセス数は、1862件だったという。同ブログの3月度アクセス解析のデータによれば、3月度は595件だったから、1267件も増えている。
これは、当ブログが 「きっこの日記」 および 「きっこのブログ」 からリンクを張っていただいたことによる1万6千件強(「はてな」のアクセス解析の計数。FC2アクセス解析では1万5千件強)のアクセスのうち、リンク先のリンク先に当たる「カナダde日本語」にアクセスした人がそのくらいいたということだろう。
昨年8月9日に、「カナダde日本語」が「きっこの日記」にリンクを張られた時には、この逆のケースを経験しており、それを思い出させる興味深いデータだった。
昨日も書いたように、裏ブログ 「kojitakenの日記」 では、4月度は 「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」 経由のアクセスが多く、検索エンジンや「はてなブックマーク」および当ブログ経由を除くと、リンク元URL別で最多の1203件を記録している(2位は 「JanJan」 の1144件)。前にも書いたように、そのうち800件以上が4月26日に集中しており、これは、「きっこの日記」及び「きっこのブログ」からカマヤンのブログにリンクが張られた時、たまたまカマヤンのところから「kojitakenの日記」にリンクが張られていた影響だ。
何度も書くように、「きっこの日記」(「きっこのブログ」)は2次リンク(リンク先からのリンク)にまでアクセス増の効果を及ぼす力を持っている。
「博士の独り言」経由の「カナダde日本語」へのアクセス数が、当ブログとほぼ同じくらいというのも面白く、このことから、ブログに表示されていない「博士の独り言」の真のアクセス数が大体見当がつくと私は思っている。その数字は、むろん当ブログなんかよりははるかに多いが、ブログランキングの順位から想像される数字よりは、はるかに少ないに違いない。
さて、今回は、昨日書き切れなかった検索語別アクセスのデータを紹介しよう。これについても、FC2のアクセス解析よりも「はてな」のアクセス解析の方が親切なので、「はてな」のデータを用いる。「はてな」は、複数の検索語を用いた検索から、そのうちの1つの単語だけを抽出した検索後別頻度のデータを出してくれる。たとえば、「安倍 ホニャララ団」による検索が5件、「安倍 週刊朝日」による検索が3件あったとき、「安倍」による検索が8件、という数え方ができるのだ。これは、FC2のアクセス解析ではできない。
以下に、「はてな」のアクセス解析による4月度(1日から6日22時までは除く)の検索語(単語)別のアクセス数を示す。
1. 国立市長選 469件
2. 江島潔 349件
3. きまぐれな日々 343件
4. 国立市 306件
5. 勝谷誠彦 262件
6.石原慎太郎 236件
7. 国立市長選挙 233件
8. 国立市長 212件
9. 国立 207件
9. 週刊朝日 207件
11. 安倍 188件
12. 長崎市長 184件
13. 石原 171件
13. 都知事選 171件
15. 選挙 154件
16. 市長選 150件
17. 安倍晋三 147件
18. みのもんた 137件
19. 浅野史郎 112件
20. 市長 110件
21. くびちょう 105件
22. 大川福松 101件
23. 嶋津隆文 89件
24.情勢 87件
25. 批判 83件
26. 本島等 79件
27. 長崎 78件
28. 市長選挙 68件
29. 杉山敏隆 55件
30. 関口ひろし 54件
以上見ていただければわかるが、東京都知事選、東京都国立市の市長選挙や長崎市長銃殺事件に関するキーワードが多い。これらはいずれも、当ブログが4月度に力を入れたテーマだ。
都知事選では、残念ながら石原慎太郎の圧勝を許してしまったが、国立市長選で関口博候補が嶋津隆文候補を破って当選し、上原公子前市長の市政を継承することができたのは、ご同慶の至りである。
また、長崎市長銃殺事件は、許しがたい言論の自由への挑戦であると私は思うが、この凶行への怒りの言葉がスムーズに口をついて出てこなかった安倍晋三には呆れるほかない。
検索語で2位に挙がっている江島潔は、安倍の子飼いとして知られる下関市長で、安倍に似て数限りないスキャンダルがあり、昨年の一時期、当ブログで何度か攻撃したことがある。それが、今になって江島潔を検索語にしたアクセスが急増したのは、「きっこの日記」が、4月18日、4月22日、4月25日、4月28日と、相次いで江島潔の名に言及したからである。
29位の杉山敏隆(びんりゅう)は、安晋会の代表だが、これに至っては、4月25日の「きっこのブログ」 が、杉山の名詞の画像を載せただけで杉山を検索語にしたアクセスが殺到したのだった。この検索語で引っかかる当ブログの記事は、2月6日付の 『「安晋会」代表・杉山敏隆と竹中平蔵の関係』 である。
このように、直接リンクを張られた記事ばかりではなく、検索語を用いた検索に至るまで、きっこさんにお世話になりっ放しの4月度だった。きっこさんは大怪我をされたそうだが、一日も早い回復を祈りたい。
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ブログにはアクセスカウンターやアクセス解析の機能をつけることができる。
当ブログでは毎月最後の日にアクセスデータを公開しているのだが、3月あたりからFC2のアクセスカウンターとアクセス解析で計測するアクセス数に異変が起きている。
従来は、アクセスカウンターで計数するアクセス数は、アクセス解析で計測されるトータルアクセス数より少なめに出ていた。それが、3月からカウンターの数字の方が大きく出るようになったのだ。
たとえば、4月度の「きまぐれな日々」の、FC2カウンターで数えたアクセス数は94,955件だったが、これが同じFC2提供のアクセス解析では、83,500件(同一サイトからの重複をカウントしないユニークアクセスでは、59,987件)にとどまる。アクセス解析をすり抜けるアクセスがあるのか、FC2カウンタが誤動作して数えすぎるのかはわからない。
そこで、私はアクセス解析は1種類では心もとないと考え、4月6日の22時頃から「はてなカウンタ」も導入した。最初の6日分は欠落しているが、4月6日22時以降、4月30日までののアクセス数は、74,114件(ユニークアクセス数は 58,881件)を記録した。欠落の分を考慮すると、トータルアクセス数は「はてな」の方が少なめ、ユニークアクセス数は「はてな」の方が多めに出る。以上から、当ブログのアクセス数表示は、トータルアクセスがFC2カウンタの数字、ユニークアクセス数ははてなカウンタの数字(4月6日22時までの分はFC2アクセス解析の累計を加算)と、それぞれ一番大きな値を示すカウンタを用いている(笑)。
それはそうと、FC2カウンタで9万件以上を記録したアクセス数は、もちろん当ブログとして月間最多であるが、何度も書くように、これは 「きっこの日記」 および 「きっこのブログ」 からリンクを張っていただいたおかげだ。
アクセス元のURL別集計は、FC2のアクセス解析よりはてなの解析を用いた方がまだ集計しやすいので、それでもかなり面倒だったが「はてな」カウンタのアクセス解析機能を利用して集計してみた。その結果を、アクセス数の多い順に20位までを下記に示す。なお、「ブックマーク他」(22,151件)および当ブログ内からのアクセスは除いた。
「きっこの日記」および「きっこのブログ」経由のアクセス数が、昨日の記事と大きく異なるのは、昨日の記事はFC2アクセス解析に基づく値を用いているからだ。前述のように、ユニークアクセス数は、「はてな」の解析の方がFC2より多くカウントされる。
また、ブログランキング上位の右系のブログが混ざっているが、トップテンには入っていない。また、「kojitakenの日記」の方は、全く異なった順位になっており、「JanJan」 と 「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」 経由のアクセスが特に多かったが、こちらはまだ集計していない。
4月度に 「kojitakenの日記」 経由のアクセスが多かったのは、JanJanで取り上げられてリンクを張られたのが「kojitakenの日記」の方なのだが、この私の裏ブログには、当ブログで新しいエントリを公開するたびに、こちらへのリンクを張っているので、「kojitakenの日記」の方を初めて訪問された方が、そこから当ブログに来訪されたものだと思う。
また、「はてな」ユーザーの方に、当ブログのいくつかの記事に5件以上の「はてなブックマーク」をつけていただいたおかげで、4月度は「はてなブックマーク」経由のアクセスが多かった。
FC2ブログランキング経由のアクセスも、いつになく多かったが、これもきっこさん効果の一つで、きっこさんにリンクを張っていただいたあとの一時期、当ブログがFC2ブログの政治ランキング部門の第1位に立っていたのである(現在は4位に転落しているw)。
ことほどさように、きっこさんのパワーはすさまじい。一方、FC2ランキングの政治部門のようなマイナーなランキングではなくて、メジャーな 「人気blogランキング」の政治部門 で上位を占める右派ブログからリンクを張られても、大してアクセス数が増えないのは、実にフシギというほかない(笑)。今回、集計してみて初めてリンクが張られていることを知ったブログもあったほどだ。
ま、あんまり「ブログランキング」なんてのは気にしないことだろう。FC2のブログランキングの政治部門にも、変なブログがいて、そいつのせいで当ブログがベスト3に入れずにいるのだが、そのブログの主は悪口でもなんでも書かれたら喜ぶやつらしいから、今回は特別にその存在をほのめかすけれど、以後当ブログではその存在を無視することにする。
5月度は、間違いなく4月度よりアクセス数はかなり減ると思うが、いたずらにアクセス数を狙った記事を書くのではなく、内容で勝負したいと考えている。
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当ブログでは毎月最後の日にアクセスデータを公開しているのだが、3月あたりからFC2のアクセスカウンターとアクセス解析で計測するアクセス数に異変が起きている。
従来は、アクセスカウンターで計数するアクセス数は、アクセス解析で計測されるトータルアクセス数より少なめに出ていた。それが、3月からカウンターの数字の方が大きく出るようになったのだ。
たとえば、4月度の「きまぐれな日々」の、FC2カウンターで数えたアクセス数は94,955件だったが、これが同じFC2提供のアクセス解析では、83,500件(同一サイトからの重複をカウントしないユニークアクセスでは、59,987件)にとどまる。アクセス解析をすり抜けるアクセスがあるのか、FC2カウンタが誤動作して数えすぎるのかはわからない。
そこで、私はアクセス解析は1種類では心もとないと考え、4月6日の22時頃から「はてなカウンタ」も導入した。最初の6日分は欠落しているが、4月6日22時以降、4月30日までののアクセス数は、74,114件(ユニークアクセス数は 58,881件)を記録した。欠落の分を考慮すると、トータルアクセス数は「はてな」の方が少なめ、ユニークアクセス数は「はてな」の方が多めに出る。以上から、当ブログのアクセス数表示は、トータルアクセスがFC2カウンタの数字、ユニークアクセス数ははてなカウンタの数字(4月6日22時までの分はFC2アクセス解析の累計を加算)と、それぞれ一番大きな値を示すカウンタを用いている(笑)。
それはそうと、FC2カウンタで9万件以上を記録したアクセス数は、もちろん当ブログとして月間最多であるが、何度も書くように、これは 「きっこの日記」 および 「きっこのブログ」 からリンクを張っていただいたおかげだ。
アクセス元のURL別集計は、FC2のアクセス解析よりはてなの解析を用いた方がまだ集計しやすいので、それでもかなり面倒だったが「はてな」カウンタのアクセス解析機能を利用して集計してみた。その結果を、アクセス数の多い順に20位までを下記に示す。なお、「ブックマーク他」(22,151件)および当ブログ内からのアクセスは除いた。
きっこの日記 8,640件
きっこのブログ 7,669件
Google検索 5,576件
kojitakenの日記 3,212件
Yahoo! 検索 2,488件
反戦な家づくり 1,407件
はてなブックマーク 1,081件
カナダde日本語 1,053件
FC2ブログランキング 1,035件
らくちんランプ 656件
博士の独り言 508件
トラックバック・ピープル 416件
らんきーブログ 363件
カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記 322件
たんぽぽのなみだ?運営日誌 308件
Goo検索 276件
極右評論 213件
はてぶニュース 210件
晴天とら日和 175件
とむ丸の夢 172件
(注) 調査期間:2007年4月6日22時?4月30日24時。
なお、リンクを張るのはトップテンのサイトに限らせていただきました。
「きっこの日記」および「きっこのブログ」経由のアクセス数が、昨日の記事と大きく異なるのは、昨日の記事はFC2アクセス解析に基づく値を用いているからだ。前述のように、ユニークアクセス数は、「はてな」の解析の方がFC2より多くカウントされる。
また、ブログランキング上位の右系のブログが混ざっているが、トップテンには入っていない。また、「kojitakenの日記」の方は、全く異なった順位になっており、「JanJan」 と 「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」 経由のアクセスが特に多かったが、こちらはまだ集計していない。
4月度に 「kojitakenの日記」 経由のアクセスが多かったのは、JanJanで取り上げられてリンクを張られたのが「kojitakenの日記」の方なのだが、この私の裏ブログには、当ブログで新しいエントリを公開するたびに、こちらへのリンクを張っているので、「kojitakenの日記」の方を初めて訪問された方が、そこから当ブログに来訪されたものだと思う。
また、「はてな」ユーザーの方に、当ブログのいくつかの記事に5件以上の「はてなブックマーク」をつけていただいたおかげで、4月度は「はてなブックマーク」経由のアクセスが多かった。
FC2ブログランキング経由のアクセスも、いつになく多かったが、これもきっこさん効果の一つで、きっこさんにリンクを張っていただいたあとの一時期、当ブログがFC2ブログの政治ランキング部門の第1位に立っていたのである(現在は4位に転落しているw)。
ことほどさように、きっこさんのパワーはすさまじい。一方、FC2ランキングの政治部門のようなマイナーなランキングではなくて、メジャーな 「人気blogランキング」の政治部門 で上位を占める右派ブログからリンクを張られても、大してアクセス数が増えないのは、実にフシギというほかない(笑)。今回、集計してみて初めてリンクが張られていることを知ったブログもあったほどだ。
ま、あんまり「ブログランキング」なんてのは気にしないことだろう。FC2のブログランキングの政治部門にも、変なブログがいて、そいつのせいで当ブログがベスト3に入れずにいるのだが、そのブログの主は悪口でもなんでも書かれたら喜ぶやつらしいから、今回は特別にその存在をほのめかすけれど、以後当ブログではその存在を無視することにする。
5月度は、間違いなく4月度よりアクセス数はかなり減ると思うが、いたずらにアクセス数を狙った記事を書くのではなく、内容で勝負したいと考えている。
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