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きまぐれな日々

誰かがやらなければならない役割というのがある。今回、浅野史郎氏はそれをやったのだと思う。

民主党が吉永小百合さんの擁立を検討しているのではないかといわれた時期があった。

今やすっかり御用ジャーナリストと化した有田芳生(ヨシフ)は、それを警戒し、先回りして民主党批判の記事を、ブログ 『酔醒漫録』 (2月18日付) に書いていた。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/02/post_cffa.html

以下引用する。

ある知人から昨夜電話で意外な話を聞いていた。その確認をする。民主党が都知事候補に吉永小百合さんを擁立しようとしていたというのだ。何人かに聞けば、たしかにそのような動きはあったようだ。小沢一郎代表が2回会ったという情報もあれば、いや構想段階で終ったとの情報もある。いずれにしても政策で選考するよりも先に知名度で有権者を投票に導こうという発想そのものが間違っている。

(有田芳生の『酔醒漫録』 2007年2月18日 『幻の都知事候補?吉永小百合』より)

有田は、民主党が「政策で選考するよりも先に知名度で有権者を投票に導こうという発想」をしていると言うのだが、これって石原慎太郎のやり方そのものではないのか?

有田は、さらに以下のように続ける。

民主党に限らず、ほとんどの政党、政治家は言葉が貧困だ。ハンナ・アーレントは「理解と政治」(『アーレント政治思想集成』、みすず書房)という論文のなかで常套句(クリシエ)の問題点を指摘している。「世論の質を向上させる」ためには言葉に敏感でなければならない。認識と理解の相互関係だ。訳者の理解でいうならば「いま生じている出来事に対する驚きを旧い言葉で封じるのではなく、それにふさわしい言葉の探求へとつなげてゆくこと」である。何か悪政があればすぐに「ファシズム」という言葉を使うことは、知的怠慢であるだけでなく、画一主義(コンフォーミズ厶)へ陥ることだ。日本の政党は「マニフェスト」などを強調しながら、そこに政治哲学がない。いつまでも是正されない最大の欠陥だろう。アーレントはフランツ・カフカが述べたことを引用している。

真理を語ることは難しい。真理はなるほど一つしかない。だがそれは生きており、それゆえ生き生きと変化する表情を持っているからだ。

(有田芳生の『酔醒漫録』 2007年2月18日 『幻の都知事候補?吉永小百合』より)

なんともペダンティック(注)な文章だ。ナチを避けてフランスに逃れながら、パリで逮捕され、一時抑留キャンプに収容されたのち1941年にアメリカに亡命したユダヤ人のハンナ・アーレント (1906-1975) が、自らの言説が、有田によって間接的に石原慎太郎を擁護するために使われたと知ったら、間違いなく激怒したことだろう。

有田はこの文章で、実に卑怯な言論を展開していると思う。

しかし、それほどまでに有田が立候補を恐れた吉永小百合は、立候補どころか今回の都知事選に関して何の発言もしなかった。

前長野県知事の田中康夫にも、一時東京都知事選の立候補に色気があるといわれた時期がある。しかし、彼もまた立候補するどころか、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で、右翼である櫻井よしこと馴れ合いながら、石原慎太郎にも浅野史郎氏にも嫌味を言い、櫻井に「あなた、立候補なさいよ」などと言われていい気になっていた。

この放送を見て、「田中康夫の立候補もあり得る」と騒いだ向きもあったが、私はそれはあり得ないだろうと思っていた。

田中は、石原が立候補すると知って出馬しないことに決めたという噂が一部に流れていた。私はそこらへんが真実に近いと思っている。つまり、田中は石原に勝つ自信が全くなかったのではないか。だからこの男は立候補しないのだ、そう予想していたし、実際その通りだった。

吉永小百合や田中康夫に限らず、今回声を挙げなかった「リベラル系」の著名人たちには、市民的勇気が全く欠けていた。何も浅野氏だけではなく、吉田万三氏という選択肢もあったにもかかわらずである。今回口をつぐんだ人たちは、石原を支持したも同然だと私は考えている。

今回、浅野氏の応援団には、中山千夏、矢崎泰久、永六輔ら、1977年の参院選で「革新自由連合」を結成した時のメンバーが名を連ねていた。当時は、勇気を持った「文化人」たちが大勢いたのだ。30年前の人たちにできたことが、なぜ今の若手や中堅の「リベラル」な人たちにはできなかったのか。今の時代では、口をつぐむことが最大の罪だと私は思うのである。

今回、石原の対立候補として立つことは、どんなに格好悪い結果になろうとも、誰かがやらなければならなかったことだ。そして、浅野さんはそれをやった。「火中の栗を拾った」のだ。

これは、決して無駄にはならないと思う。


(注)ぺダンティック [pedantic] : 日本語では「衒学(げんがく)的」。「学者ぶった」「もの知り顔の」の意。


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