昨日の記事を書いたあと、イラクのサダム・フセイン元大統領の処刑を知った。
私が反射的に思い出したのは、17年前、1989年のクリスマスの日に処刑されたルーマニアのチャウシェスク大統領のことだ。
(チャウシェスクが自国民に殺されたのに対し、サダムは実質的にアメリカに殺されたのであって、その違いは重要だが、ひとまずここでは措いておく)
1989年というと、年始の1月7日に昭和天皇が亡くなり、世界的には東欧の社会主義体制が崩壊した年だ。ベルリンの壁が破壊された時、旧東独と旧西独の人が肩を組み、顔を赤くして騒いでいる報道写真は、強烈な印象を残した。周りの社会主義国が連鎖的に倒れていく中、最後まで粘っていたのが、強烈な個人崇拝を強いていたルーマニアだったが、押さえつける力が強かった分、解放されたエネルギーも大きく、銃殺されたチャウシェスク大統領の遺体の写真は、とてもショッキングなものだった。
だが、ヨーロッパで崩壊した社会主義体制も、アジアではなかなか崩壊せず、アジアの人民は欧米の人たちに比べて権力に従順で我慢強すぎるのではないかと、かねがね私は思っている。
日本は、社会主義体制でこそないが、このところ権力が急速に戦前の国家主義的体制へ回帰しようとしたり、露骨に大企業の経営者を偏重し、働く者をいじめる政策を打ち出したりしているのに、安倍晋三内閣の支持率は「徐々に下がる」にとどまっている。
私は、コイズミや安倍らに押さえつけられた国民の怒りのエネルギーは、実は相当にたまっていて、安倍にはあんまり力ずくでめちゃくちゃをやっていたら、今にチャウシェスクみたいになるぞと警告したい気持ちなのだが(笑)、私は平和主義者なので、選挙などを通じて、平和裏に安倍にお引き取り願いたいものだと思っている。
今年は、安倍政権が成立したり、年末になって「改正教育基本法案」が国会で可決、成立するなど、国民にとってはとてもミゼラブルな年だったと思う。年初に大騒ぎになった耐震偽装事件やライブドア事件なども、権力の必死の工作によって、疑惑の追及は抑え込まれてしまった。当ブログでも、12月22日に耐震偽装事件に触れた記事『藤田東吾さんが語るマスメディアの無恥』を公開したが、その翌日から、不定期的にある時間帯に突然、リモホ不明、リンク元不明のアクセスが多数くるようになった。この謎のアクセスは、ある時は深夜2時台に始まり、早朝5時台に収まったこともあった。それらには大新聞社からのアクセスも混ざっており、朝日、毎日、読売、日経の主要紙4社からは、すべてアクセスを受けた。
これが何を意味するのか私にはわからないが、私は「きまぐれな日々」の記事の内容には十分な自信を持っており、今後も今まで同様の記事を書いていくつもりだ。これまでは、あまり耐震偽装問題を扱わなかったが、来年はこの問題にも力を入れていきたいと思っている。
それに何よりも、来年は本当に安倍や石原慎太郎らを「the End!」させなければならない大事な年だ。
最後に年末のごあいさつを。
今年4月に開設した「きまぐれな日々」ですが、最近は徐々に読者も増えてきました。読者の方々にお礼を申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いします。
それでは、皆さま、良いお年を。
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私が反射的に思い出したのは、17年前、1989年のクリスマスの日に処刑されたルーマニアのチャウシェスク大統領のことだ。
(チャウシェスクが自国民に殺されたのに対し、サダムは実質的にアメリカに殺されたのであって、その違いは重要だが、ひとまずここでは措いておく)
1989年というと、年始の1月7日に昭和天皇が亡くなり、世界的には東欧の社会主義体制が崩壊した年だ。ベルリンの壁が破壊された時、旧東独と旧西独の人が肩を組み、顔を赤くして騒いでいる報道写真は、強烈な印象を残した。周りの社会主義国が連鎖的に倒れていく中、最後まで粘っていたのが、強烈な個人崇拝を強いていたルーマニアだったが、押さえつける力が強かった分、解放されたエネルギーも大きく、銃殺されたチャウシェスク大統領の遺体の写真は、とてもショッキングなものだった。
だが、ヨーロッパで崩壊した社会主義体制も、アジアではなかなか崩壊せず、アジアの人民は欧米の人たちに比べて権力に従順で我慢強すぎるのではないかと、かねがね私は思っている。
日本は、社会主義体制でこそないが、このところ権力が急速に戦前の国家主義的体制へ回帰しようとしたり、露骨に大企業の経営者を偏重し、働く者をいじめる政策を打ち出したりしているのに、安倍晋三内閣の支持率は「徐々に下がる」にとどまっている。
私は、コイズミや安倍らに押さえつけられた国民の怒りのエネルギーは、実は相当にたまっていて、安倍にはあんまり力ずくでめちゃくちゃをやっていたら、今にチャウシェスクみたいになるぞと警告したい気持ちなのだが(笑)、私は平和主義者なので、選挙などを通じて、平和裏に安倍にお引き取り願いたいものだと思っている。
今年は、安倍政権が成立したり、年末になって「改正教育基本法案」が国会で可決、成立するなど、国民にとってはとてもミゼラブルな年だったと思う。年初に大騒ぎになった耐震偽装事件やライブドア事件なども、権力の必死の工作によって、疑惑の追及は抑え込まれてしまった。当ブログでも、12月22日に耐震偽装事件に触れた記事『藤田東吾さんが語るマスメディアの無恥』を公開したが、その翌日から、不定期的にある時間帯に突然、リモホ不明、リンク元不明のアクセスが多数くるようになった。この謎のアクセスは、ある時は深夜2時台に始まり、早朝5時台に収まったこともあった。それらには大新聞社からのアクセスも混ざっており、朝日、毎日、読売、日経の主要紙4社からは、すべてアクセスを受けた。
これが何を意味するのか私にはわからないが、私は「きまぐれな日々」の記事の内容には十分な自信を持っており、今後も今まで同様の記事を書いていくつもりだ。これまでは、あまり耐震偽装問題を扱わなかったが、来年はこの問題にも力を入れていきたいと思っている。
それに何よりも、来年は本当に安倍や石原慎太郎らを「the End!」させなければならない大事な年だ。
最後に年末のごあいさつを。
今年4月に開設した「きまぐれな日々」ですが、最近は徐々に読者も増えてきました。読者の方々にお礼を申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いします。
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安倍晋三が総理大臣になり、「改正教育基本法案」を可決、成立させてしまった悪夢のような出来事があった2006年も、残すところ今日と明日の2日間だけとなった。
個人的には、今年は「AbEnd」の年だった。従来、掲示板で政治に関する発言を行ってきたが、影響力が全くといってないのにしびれを切らし、ブログに参入したが、参入当時の今年4月は、権力によって耐震偽装事件やライブドア事件の追及が下火にされていた頃で、細々と声をあげているに過ぎなかった。それが、村上世彰逮捕、安倍晋三の統一協会への祝電事件などでようやくテーマが設定でき、発言を活発化させていたところに美爾依さんの「カナダde日本語」が呼びかけた「AbEndキャンペーン」に応じ、反安倍晋三のブログ運動に深く関わった。
もともと私は、もう4年ほど前から安倍晋三なる政治家が大嫌いで、それも、生まれてこのかたもっとも嫌いな政治家といえるほど徹底的に安倍を嫌い抜いてきた人間だ。だから、「カナダde日本語」の呼びかけにコメント欄で応じた時は、キーボードを打つ指が勝手に動いた。内心からの衝動に突き動かされたキャンペーンへの参加だった。戦後民主主義の全てを覆してしまう安倍晋三だけは、何が何でも早期に政治生命を断ち切らなければならない。当時も今も、その強い思いに変わりはない。そして打倒安倍の宿題は、来年に持ち越しになった。統一地方選と参院選のある来年の意味は、きわめて重い。
今日は、魚住昭さんの近刊を紹介することにする。ちくま文庫に収められた「国家とメディア」である。
この本は、一度「kojitakenの日記」でも紹介したことがあるが、私がメモ代わりにしているあちらのブログは読者数が少ないので、こちらに再掲する。
今日の記事では、この本の中でもっとも強く印象に残った文章を紹介する。本の第三章「メディア時評」に収録された「戦争の記憶が、この国を特別なものにしてきた」である。これは、もともと「ダ・カーポ」の2002年9月18日号に掲載された記事である。魚住さんは、NYのテロの映像を見て、戦火の中を逃げまどう自分や家族の姿が脳裏に浮かび、生まれて初めて戦争の恐怖を感じたという。そして、かつて魚住さんが取材した満州の悲劇を思い出されたそうだ。以下引用する。
この満州の悲劇に関する記事の初出は、1996年に出版された「沈黙のファイル」(共同通信社、現在は新潮文庫に収録)だそうだが、この記事を何も感じずに読める人は、人間とはいえないだろう。だが、安倍晋三を支持するとは、そういうことなのだ。
魚住さんは、「戦後日本に誇るべきものがあるとすれば、それは戦争世代の痛切な体験に基づく絶対平和の理念しかない」と書かれている。私も同感である。
だが、安倍晋三をはじめ、ポスト安倍を狙う麻生太郎にせよ、復帰するかもしれない小泉純一郎にせよ、現在の自民党の有力な政治家は、揃いも揃って「絶対平和の理念」をぶち壊そうとするやつらばかりだ。
来年は、本当に安倍を「the End!」にしなければならないし、自民党政権崩壊への足がかりの年にしなければならないと思う。
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個人的には、今年は「AbEnd」の年だった。従来、掲示板で政治に関する発言を行ってきたが、影響力が全くといってないのにしびれを切らし、ブログに参入したが、参入当時の今年4月は、権力によって耐震偽装事件やライブドア事件の追及が下火にされていた頃で、細々と声をあげているに過ぎなかった。それが、村上世彰逮捕、安倍晋三の統一協会への祝電事件などでようやくテーマが設定でき、発言を活発化させていたところに美爾依さんの「カナダde日本語」が呼びかけた「AbEndキャンペーン」に応じ、反安倍晋三のブログ運動に深く関わった。
もともと私は、もう4年ほど前から安倍晋三なる政治家が大嫌いで、それも、生まれてこのかたもっとも嫌いな政治家といえるほど徹底的に安倍を嫌い抜いてきた人間だ。だから、「カナダde日本語」の呼びかけにコメント欄で応じた時は、キーボードを打つ指が勝手に動いた。内心からの衝動に突き動かされたキャンペーンへの参加だった。戦後民主主義の全てを覆してしまう安倍晋三だけは、何が何でも早期に政治生命を断ち切らなければならない。当時も今も、その強い思いに変わりはない。そして打倒安倍の宿題は、来年に持ち越しになった。統一地方選と参院選のある来年の意味は、きわめて重い。
今日は、魚住昭さんの近刊を紹介することにする。ちくま文庫に収められた「国家とメディア」である。
この本は、一度「kojitakenの日記」でも紹介したことがあるが、私がメモ代わりにしているあちらのブログは読者数が少ないので、こちらに再掲する。
昨日、魚住昭著「国家とメディア」(ちくま文庫、2006年12月)を買った。
本は三部からなり、第一部に「日刊ゲンダイ」に昨年6月から12月まで掲載されていた「魚眼複眼」、第二部に月刊「現代」の昨年3月号と9月号に掲載された「NHK番組改編問題」のレポート、第三部に「ダカーポ」に2001年2月から2003年3月にかけて掲載されていた「メディア時評」が、それぞれ収録されている。
中川昭一と安倍晋三がNHKに番組を改編する圧力をかけた「NHK番組改編問題」に関するレポートが、文庫本に収録されたのはまことにありがたいし、コラム「魚眼複眼」でもしばしばこの件が取り上げられている。また、「メディア時評」では、小泉政権成立の年、国民の多くが「コイズミ魔術」に熱狂していた頃から、粘り強く反小泉の言論を展開していた魚住さんの熱のこもった文章が読める。
是非一読をおすすめしたい本である。
(「kojitakenの日記」 2006年12月24日より)
今日の記事では、この本の中でもっとも強く印象に残った文章を紹介する。本の第三章「メディア時評」に収録された「戦争の記憶が、この国を特別なものにしてきた」である。これは、もともと「ダ・カーポ」の2002年9月18日号に掲載された記事である。魚住さんは、NYのテロの映像を見て、戦火の中を逃げまどう自分や家族の姿が脳裏に浮かび、生まれて初めて戦争の恐怖を感じたという。そして、かつて魚住さんが取材した満州の悲劇を思い出されたそうだ。以下引用する。
その時、半世紀前に満州(現中国東北部)の原野で起きた悲劇を思い出した。満州開拓団の一員だった大畑とめさんらが私たちの取材に語ってくれた出来事である。
??とめさんは1945年8月9日、旧ソ連国境近くの町でソ連侵攻の知らせを聞いた。開拓団の女性と子供ばかり200人ぐらいが集まり、国境警察隊員の先導で約80キロ南にある日本の関東軍陣地を目指して逃避行を始めた。
とめさんは三女の幸子ちゃん(1つ)を背負い、長女の脇子ちゃん(5つ)と二女の裕子ちゃん(4つ)の手を引いて徹夜で歩いた。雨で全身はぐしょぬれ。ちょっとでも休むと置いていかれるから、小便は垂れ流した。ズック靴の爪先が破れ、足の爪が全部はがれた。
だが、陣地にたどりつくと関東車はいなかった。頼みの軍に見放されたのである。原野をさまよううち、三女の幸子ちゃんがとめさんの背で冷たくなった。衰弱死だった。
「空き家の上間に腰を下ろして亀さん(亀の甲型の背負い布)をほどいたら息をしてなかった。翌朝、幸子の体に亀さんを掛け、そのまま置いてきた。昼には裕子もぐったりして動かなくなった。『ごめんね』って草むらに残していったの」
8月13日夕、ソ連の戦車隊が峠を越えて近づいてきた。とめさんは長女の脇子ちゃんと道端の茂みに駆け込んだ。
その時、警察隊員が「子供が泣くと見つかってしまう」と、とめさんの手から脇子ちゃんをもぎとった。脇子ちゃんは暗がりに連れて行かれた。隊員の刀が光るのが見えた。
「脇子を連れて行かれても、何も言えなかっただよ。その前から『私たちを殺して、殺して』って何度も頼んでたから」
とめさんは仲間の沖田まさみさんらと一緒にアシの茂みをはった。所々に紫のキキョウや黄色のオミナエシが咲いていた。そのうちまさみさんの背中の子が泣き出した。途中ではぐれた知人の娘、和子ちゃん(2つ)だった。
「タオルで首を絞めろ」と警察隊員が押し殺した声でまさみさんに言った。彼女は崩れるように座り込んだ。2歳の息子を背負った女友達もその場にへたり込んだ。
やがてソ連の戦車が遠ざかり、まさみさんは女友達と2人で取り残された。とめさんらは先に進んで見えなくなった。
「もう駄目だ」。まさみさんらは先に子供を死なせようと、それぞれの背から子供を下ろし、首に手を掛けた。
「おばちゃんもすぐ行くから待っててね」
「ごめんね。ごめんね」
子供たちは声も立てなかった。それからどれぐらい時間がたっただろうか。はっと気づいたら、子供たちは息絶えていた。呆然と空を見上げると、満天の星空だった。
まさみさんらはナイフで自分たちの首を切ろうとした。
「だけどやっぱりできないの。どうしても死ななきゃって焦るけど、できなかった。しーんと静まりかえった真っ暗闇の原野で涙も出なかった」
2人は数日間、子供たちの遺体のそばを離れなかった。その後、近くの無人になった開拓村に行った。井戸を探していると、背後から「おばちゃん」と、かぼそい声がした。
死んだはずのとめさんの長女・脇子ちゃんだった。脇子ちゃんの喉には警察隊員がつけた5センチほどの刀傷があったが、血は止まっていた。水を飲ませると、ゴッゴッと音がして傷口から水が流れ出た。空き家にあった布団に寝かせると、脇子ちゃんは安心したのかすぐに寝入った。
「いい人に拾われて」。まさみさんらはそうお祈りして、脇子ちゃんを残して家を出た。すぐに死ぬつもりだった。
それから38年の歳月が過ぎ、まさみさんは再び脇子ちゃんと会うことになる。中国残留孤児の肉親探しの記事がきっかけだった。まさみさんはとめさんと連絡を取り、二人で脇子さんの潜在先に駆けつけた。
脇子さんは母親のとめさんの顔を見るなり、胸にすがって「マーマ(お母さん)」と泣きじゃくった??。
(魚住昭 「国家とメディア」?「戦争の記憶が、この国を特別なものにしてきた」より)
この満州の悲劇に関する記事の初出は、1996年に出版された「沈黙のファイル」(共同通信社、現在は新潮文庫に収録)だそうだが、この記事を何も感じずに読める人は、人間とはいえないだろう。だが、安倍晋三を支持するとは、そういうことなのだ。
魚住さんは、「戦後日本に誇るべきものがあるとすれば、それは戦争世代の痛切な体験に基づく絶対平和の理念しかない」と書かれている。私も同感である。
だが、安倍晋三をはじめ、ポスト安倍を狙う麻生太郎にせよ、復帰するかもしれない小泉純一郎にせよ、現在の自民党の有力な政治家は、揃いも揃って「絶対平和の理念」をぶち壊そうとするやつらばかりだ。
来年は、本当に安倍を「the End!」にしなければならないし、自民党政権崩壊への足がかりの年にしなければならないと思う。
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この間から頭に引っかかって離れなかった言葉がある。
「市民的勇気」である。
音楽評論家の吉田秀和が、朝日新聞のスター記者だった本多勝一が1990年頃に同紙に連載した旧東独に関するルポルタージュ(のちに「ドイツ民主共和国」として単行本化)を朝日新聞の「音楽展望」で称賛した時、この通りの表現だったかどうかは忘れたが、これを意味する言葉を用いた。そのことに、この間「きまぐれな日々」で軽く触れて以来気になっていたのだ。
そこで、昨日、「市民的勇気」をサーチワードとしてネット検索をかけたら、ある記事を見つけた。
ブログ「憲文録?別冊」の2006年3月21日付の「教育と市民の勇気」である。URLは下記。
http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/3074913.html
これは、大変印象的な記事だった。詳しくはリンク先を参照いただくとして、そこでも触れられている、ジークムント・バウマンによる「市民的なるもの」を特徴づけした記述を、孫引きになるが以下に紹介する。
さらに、20世紀前半に、アメリカ連邦最高裁判所のブランダイス裁判官が、ホイットニー事件の裁判の時に述べた少数意見も、同じリンク先の記事から孫引きで紹介する。
これを受けての、ブログの管理人さんのコメントも紹介する。
大変素晴らしい記事だ。
教育基本法の「改正」は、決して足早に通り過ぎて良い問題などではなかった。
このブログを運営しておられるのは、北海道にある北星学園大学の岩本一郎教授だが、同じブログの記事「朝日と人間の証明」によると、岩本先生の家では「北海道新聞」と「朝日新聞」の二紙をとっていたが、教育基本法改正に関する、朝日のあまりに腰が引けた姿勢に頭にきて、ついに朝日の購読を止めてしまったそうだ。
朝日新聞は、ジャーナリズムの誇りも勇気も失った三流紙になり下がったというしかないだろう。
そもそも、「ジャーナリズム宣言」などというCMを流すこと自体、朝日新聞がジャーナリズム魂を失った証拠だと、私は思っている。
「美しい国へ」を掲げる総理大臣が、日本を、戦争のできる「醜い国」にしようとしているように。
#この記事は、「kojitakenの日記」に公開した記事とほぼ同一内容です。同ブログのコメント欄にいただいた非戦さんのリクエストにより、「きまぐれな日々」に掲載することにしました。
以下に「kojitakenの日記」への非戦さんのコメントを紹介します。
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「市民的勇気」である。
音楽評論家の吉田秀和が、朝日新聞のスター記者だった本多勝一が1990年頃に同紙に連載した旧東独に関するルポルタージュ(のちに「ドイツ民主共和国」として単行本化)を朝日新聞の「音楽展望」で称賛した時、この通りの表現だったかどうかは忘れたが、これを意味する言葉を用いた。そのことに、この間「きまぐれな日々」で軽く触れて以来気になっていたのだ。
そこで、昨日、「市民的勇気」をサーチワードとしてネット検索をかけたら、ある記事を見つけた。
ブログ「憲文録?別冊」の2006年3月21日付の「教育と市民の勇気」である。URLは下記。
http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/3074913.html
これは、大変印象的な記事だった。詳しくはリンク先を参照いただくとして、そこでも触れられている、ジークムント・バウマンによる「市民的なるもの」を特徴づけした記述を、孫引きになるが以下に紹介する。
「市民的であるということの要点は、見知らぬ者と関係をもつにあたって、変わった点をかれらの欠陥と考えないこと、変わった点をなくすよう、あるいは、見知らぬ者を見知らぬ者たらしめている特徴を強制するよう、圧力をかけないことにある」
(ジークムント・バウマン 「リキッド・モダニティ 液状化する社会」より)
さらに、20世紀前半に、アメリカ連邦最高裁判所のブランダイス裁判官が、ホイットニー事件の裁判の時に述べた少数意見も、同じリンク先の記事から孫引きで紹介する。
「私たちの独立を勝ち取った人びとはこう信じていた。すなわち、国の最終的な目標は、人びとが自由に自分たちの能力を発展できるようにすることにある。そして、政府においては、討議の力は恣意を退けるはずである。彼らにとって、自由は、目的としてだけでなく、手段としても価値あるものだった。彼らの考えでは、自由は幸福の秘訣であり、勇気は自由の秘訣である。思うままに考える自由、考えるままに話す自由は、政治的な真理を発見し広めていくのに不可欠な手段である。自由な言論と集会がなければ、議論は不毛である。このような自由が保障されてこそ、議論は、有害な考えの広まりに対する日常十分な程度の防波堤となりうるのである。自由に対する最大の害悪は、怠惰な人間である。公共の議論は、政治的な責務である。そして、このことは、アメリカの統治の基本原理たるべきである。」
「彼らは、あらゆる人間の制度に潜んでいる危険を承知していた。しかし、彼らの理解では、秩序は、その侵害に対する処罰の脅威だけでは保つことはできない。思考と希望と想像力を弱める危険がある。恐怖は抑圧を生む。抑圧は憎しみを生む。憎しみは安定した政府を損なう。安全への道は、抱いた不満と提案された救済について自由に議論する機会を保障することにある。害ある助言に対する適切な救済は、良い助言である。公共の議論を通じて発揮される理性の力を信じ、彼らは、法のよって強いられた沈黙??最悪のかたちの力の議論??を避ける。支配的なマジョリティによる一時的な専制〔の危険〕を認識し、彼らは、憲法を修正して、自由な言論と集会を保障しようとしたのである。」
(Whitney v.California,274 U.S. 357(1927))
これを受けての、ブログの管理人さんのコメントも紹介する。
この私の大好きな一節に引きつけて、2つの点を書いておきたいと思います。第1は、前回の投稿の繰り返しになりますが、日本国籍を持たないというだけで外国人をおしなべて「リスク」要因として管理しようとする発想は、上で引用したブランダイスの精神からもっとも遠いところにあるということです。自分たちとは違うという理由から、何をしでかすかわからない存在として、そこに「抽象的な危険」を見いだす態度は、けっして「市民的」ではありません。そのような抽象的な危険に怯えて、見知らぬ他者を排除しあるいは囲い込むのではなく、ぎりぎりまで他者と向き合いねばり強く議論する、それが市民にとってふさわしい態度だからです。ぎりぎりまで我慢すること。具体的な危険が差し迫った状況にいたるまで、他者に対して討議のチャンネルを開いておくこと。このような考え方が、「明白かつ現在の危険の法理」の核心にあります。
第2は、市民的勇気を涵養し、市民的能力を鍛錬するには、子どもたちに対する政治教育が重要だということです。冒頭掲げた『教育』の著者広田先生は、『「愛国心」のゆくえ―教育基本法改正という問題』(世織書房・2005年)においてその点を強調しています。教育基本法8条1項は次のように規定しています。「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」。これを受けて、学校教育法は、高校の教育の目標つとして次の点を掲げています。「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」(42条)。とりわけ、バウマンがいう市民性の涵養こそが、大切です。
(「憲文録?別冊: 教育と市民の勇気」より)
大変素晴らしい記事だ。
教育基本法の「改正」は、決して足早に通り過ぎて良い問題などではなかった。
このブログを運営しておられるのは、北海道にある北星学園大学の岩本一郎教授だが、同じブログの記事「朝日と人間の証明」によると、岩本先生の家では「北海道新聞」と「朝日新聞」の二紙をとっていたが、教育基本法改正に関する、朝日のあまりに腰が引けた姿勢に頭にきて、ついに朝日の購読を止めてしまったそうだ。
朝日新聞は、ジャーナリズムの誇りも勇気も失った三流紙になり下がったというしかないだろう。
そもそも、「ジャーナリズム宣言」などというCMを流すこと自体、朝日新聞がジャーナリズム魂を失った証拠だと、私は思っている。
「美しい国へ」を掲げる総理大臣が、日本を、戦争のできる「醜い国」にしようとしているように。
#この記事は、「kojitakenの日記」に公開した記事とほぼ同一内容です。同ブログのコメント欄にいただいた非戦さんのリクエストにより、「きまぐれな日々」に掲載することにしました。
以下に「kojitakenの日記」への非戦さんのコメントを紹介します。
# 非戦 『この日記、とってもいいから,「きまぐれな日々」に取り上げてくださいね。北海道の大学の先生のブログの最新のところに、改正の翌日の苅谷剛彦先生の論説を批判するところは,同感!です。どうして改正反対の先生がこんなことしか書けないのか、内容を朝日が捏造したのか,と思ったくらいびっくりしました。反対の声をこの程度にしか見ていないのか,国民がチェックだって!そんなこと無駄とは言わないけれど,どんな法律でもそれ自体ひどいものなのにさらに政府が暴走するから、法律が成立しないように、市民は必死だったのに。と悔しい思いで読んだ論調だったので,同じことをこの夫婦は考えていらっしゃたんだなと心強く思いました。』 (2006/12/28 09:07)
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安倍晋三内閣に次々とスキャンダルが噴出している。今度は、佐田玄一郎行革相の政治資金疑惑が飛び出した。来年から日記が有料化されるため、私を含む大部分の読者にとって今後は読む機会がなくなる勝谷誠彦が、この件を日記に取り上げているので、惜別の意味を込めて以下に紹介する。
発足からわずか3か月。条件付きとはいえ、安倍内閣は、ウヨの勝谷にまで「もうもつまい」と言われてしまった。結局、佐田は辞任を表明した。
先ほど「安倍晋三TBP」にTBされた「カナダde日本語」の最新記事「安倍晋三ピンチ!のニュースいろいろ」が、「どこかで安倍内閣を崩壊させようという得体の知れない大きな圧力がかかっているのではないだろうか」と指摘しているが、私も同意見だ。
前に、『毎日新聞の報道?「改正教育基本法」は改憲へのステップ』と題した記事で、毎日新聞が、安倍政権内で、小泉シンパの経済右派が、安倍の政治思想的な右派政策偏重を快く思わず、巻き返しに出ていることを暗示する記事を掲載したことを紹介したが、それに加えて、新自由主義的経済政策を好まない、従来保守の経済政策を支持する勢力の巻き返しも強烈であるようだ。
国家主義的な政治思想的右派と、新自由主義の経済右派の「幸せな結婚」(反安倍のわれわれにとっては「不幸な結婚」)をもくろんでいたはずの安倍内閣は、こうして巨大与党内部や官僚たちから、強烈な揺さぶりをかけられているように思える。
来年4月に行われる統一地方選の結果によっては、参院選を待たず安倍首相の退陣ということも考えられるのだ。とりわけ、安倍と負けず劣らず危険な体質を持つ石原慎太郎が三選を狙っている東京都知事選は、重要な選挙だ。「安倍晋三トラックバック・ピープル(TBP)」の管理人でもある「カナダde日本語」の美爾依さんが、石原慎太郎打倒の記事の「安倍晋三TBP」へのTBも受けつけると表明されたが、都知事選の結果が安倍政権の帰趨に大きく影響を与えることを考えると、妥当な判断だと思う。
さて、今日の記事の後半では、前にもご紹介したkechackさんのブログ「Munchener Brucke」の優れた記事『「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性』を紹介する。「はてな」で大活躍されているkechackさんの記事は、簡潔で、かつ要点を押さえられているので、いつも感心している。政治ブログを運営するからには、このくらいレベルの高い記事を書きたいものだといつも念じているが、残念ながら私の力では到底及ばない。
以下にkechackさんの記事の全文を紹介する。
これは、現在安倍内閣の支持率が下がり、政権内部にも軋みが生じ始めていることを説明する、実に良い記事だと思う。記事の後半に、無産右派の台頭や国家社会主義につながる恐れが指摘されているが、これは無論、ヒトラーのナチス・ドイツのような政権が生まれる可能性を警告しているものである。
「安倍晋三TBP」にTBされる記事についても、単に安倍をやみくもに批判するばかりではなく、このように歴史に学び、他国にも目を向けながら日本の今後を警告する、立体感を持った記事が、もっともっと書かれなければならないと思う。見習いたいものだ。
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ただの政治資金報告書の記載の問題ではなくこの話は相当スジが悪い。報道されることがわかった時点で官邸はパニックになったという。復党問題や道路特定財源それに本間税調会長の進退などでいずれも時間をかけすぎて求心力をなくしている官邸は今回はとにもかくにもトカゲの尻尾切りに動いたようだ。安倍さんべったりの産経新聞だけが今朝の朝刊一面で<佐田行革相、辞任へ>
http//www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/061227/skk061227000.htm
と新聞辞令をぶち上げていることで明らかである(笑)。もっとも記者会見を見る限り本人は異様なほど危機感が薄い。「地元に調べさせている」と言っておきながら秘書は「指示がない」と困惑しているようだし。
http://www.chunichi.co.jp/00/gnm/20061227/lcl_____gnm_____000.shtml
それにしても国家老の秘書が「聞いた覚えがない」という政治団体を使って動かした7000万円という巨額な金は何なのか。官邸が狼狽したのはこの金が明らかな「裏金」だと把握したからのようだ。だとすれば何に使われたのか。考えられるのは闇社会に何かの「処理」を頼むなどした謝礼金だ。言うまでもなく佐田行革相は佐田建設の会長だった佐田武夫氏の御曹司である。土建屋が「地元対策費」の名目で配る金を通じて闇社会と接触があるのはご存じの通り。ましてや今回明らかになった政治団体は佐田建設の関係者が東京での支援活動のために作ったとも言われている。どういう筋への「挨拶料」だったのか資金の行き先がきわめて興味深い。ここは民主党の攻め所だろうしもし反社会的な団体や人物に流れていることが判明すれば安倍内閣はもうもつまい。佐田議員は比例区だが本来は群馬一区。尾身幸次財務相とコスタリカ方式で棲み分けている。ひとつの小選挙区から大臣が二人出ているというのも異様でいかに論功行賞を優先させたかがわかる。尾身財務相も沖縄科技大を巡って疑惑あり。
http://www.janjan.jp/government/0612/0612065956/1.php
素晴らしい内閣だ。
(「勝谷誠彦の××な日々。」 2006年12月27日より)
発足からわずか3か月。条件付きとはいえ、安倍内閣は、ウヨの勝谷にまで「もうもつまい」と言われてしまった。結局、佐田は辞任を表明した。
先ほど「安倍晋三TBP」にTBされた「カナダde日本語」の最新記事「安倍晋三ピンチ!のニュースいろいろ」が、「どこかで安倍内閣を崩壊させようという得体の知れない大きな圧力がかかっているのではないだろうか」と指摘しているが、私も同意見だ。
前に、『毎日新聞の報道?「改正教育基本法」は改憲へのステップ』と題した記事で、毎日新聞が、安倍政権内で、小泉シンパの経済右派が、安倍の政治思想的な右派政策偏重を快く思わず、巻き返しに出ていることを暗示する記事を掲載したことを紹介したが、それに加えて、新自由主義的経済政策を好まない、従来保守の経済政策を支持する勢力の巻き返しも強烈であるようだ。
国家主義的な政治思想的右派と、新自由主義の経済右派の「幸せな結婚」(反安倍のわれわれにとっては「不幸な結婚」)をもくろんでいたはずの安倍内閣は、こうして巨大与党内部や官僚たちから、強烈な揺さぶりをかけられているように思える。
来年4月に行われる統一地方選の結果によっては、参院選を待たず安倍首相の退陣ということも考えられるのだ。とりわけ、安倍と負けず劣らず危険な体質を持つ石原慎太郎が三選を狙っている東京都知事選は、重要な選挙だ。「安倍晋三トラックバック・ピープル(TBP)」の管理人でもある「カナダde日本語」の美爾依さんが、石原慎太郎打倒の記事の「安倍晋三TBP」へのTBも受けつけると表明されたが、都知事選の結果が安倍政権の帰趨に大きく影響を与えることを考えると、妥当な判断だと思う。
さて、今日の記事の後半では、前にもご紹介したkechackさんのブログ「Munchener Brucke」の優れた記事『「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性』を紹介する。「はてな」で大活躍されているkechackさんの記事は、簡潔で、かつ要点を押さえられているので、いつも感心している。政治ブログを運営するからには、このくらいレベルの高い記事を書きたいものだといつも念じているが、残念ながら私の力では到底及ばない。
以下にkechackさんの記事の全文を紹介する。
「おててつないで仲良くゴール」の話をご存知であろうか、実にくだらない話ではあるのだが、実に象徴的な話である。小学校の運動会の徒競走で順位をつけるのを止め、最後は仲良く手をつないでゴールするという話だ。実は今になってどこの小学校で行われていたのか全く情報もなく、「自分の小学校はそうだった」という体験談も聞かない一種の都市伝説であったとも言われているのだが、90年代は保守派の日教組攻撃、サヨク批判のネタとして頻繁に聞かれたネタだ。未だにこのネタを使っているブロガーもいるぐらいだ。このネタを知りたい人は↓のエントリーを読んで欲しい。
http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20060928/1159407413
http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060929/1159524762
90年代前半はネオリベが新鮮な輝きを持っていた時代で、「悪平等」「自己責任」等の言葉が飛び交い、保守派と呼ばれる人たちがこぞってネオリベに傾斜し、保守論壇はネオリベ一色になった。ソ連の崩壊から間もなかったことから「平等」という価値観を攻撃するのは好都合な時期でもあった。
そもそも政府は小さい方がいいということ自体が伝統であるアメリカで保守派がネオリベラリズムを標榜するのは自然なことであったのだが、日本の民族派の人々にも日本の伝統的価値観と共通価値観がどこにあるのかよく解らないネオリベをなぜかすんなり受け入れられていった。保守という立場を標榜する以上は、高額所得者や企業優位の政治を是認するのが当然で、低額所得者や弱者に優しい態度はサヨク的だと保守の間では蔑まれた。
どうもおかしいぞという空気が生まれてきたのが小泉政権末期であろうか。ネオリベ的政治の中で生まれた成功者、ホリエモンや村上世彰が余りにも下品で、むしろ日本の伝統を破壊する存在であると、特に古い保守派の人が思うようになってきた。それでも若い右派の間ではネオリベ支持が続いていた。
最近は更に風向きが変わった感じがする。安倍政権の企業優位、高額所得者優位の政策に対し、普段タカ派的発言や特ア批判をしているブロガーの多くが反発している(注1)のである。さすがに自ら不利になる政策を賛美する義理はないのであろう。「若い保守は依然としてネオリベ支持」という構造ではどうもなさそうだ。
10年経って、ようやく反平等が保守のセオリーであるような変な呪縛から開放されてきたようだが、日本にもそろそろ無産右派(注2)が勢力を持つ可能性が出てきた。欧州では移民労働者受入問題から、労働者の方が排他的。国粋的になり、むしろ高額所得者の方がリベラルという傾向を見せている。北欧などでは高福祉と移民排斥という政策が同居した北欧型右翼政党というのが勢力を増しつつある。日本でも低所得者重視と民族主義が同居したイデオロギーが右傾化した若者や急激な負担増に苦しむ高齢者を中心に受け入れられる余地がある。ただこのイデオロギーは国家社会主義に通じる危険思想に転じる可能性があり、要注意である。
無産右派の危険性については、また次の機会に。
(注1) 対中外交問題でネットウヨの間で反財界感受が高まっていたという土壌もある。
(注2) 日本には戦前は存在した。その一部は戦後民社党右派として生き残り、西村眞悟などはその系譜である。
(「Munchener Brucke」 2006年12月21日『「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性』)
これは、現在安倍内閣の支持率が下がり、政権内部にも軋みが生じ始めていることを説明する、実に良い記事だと思う。記事の後半に、無産右派の台頭や国家社会主義につながる恐れが指摘されているが、これは無論、ヒトラーのナチス・ドイツのような政権が生まれる可能性を警告しているものである。
「安倍晋三TBP」にTBされる記事についても、単に安倍をやみくもに批判するばかりではなく、このように歴史に学び、他国にも目を向けながら日本の今後を警告する、立体感を持った記事が、もっともっと書かれなければならないと思う。見習いたいものだ。
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安倍晋三内閣の支持率が下がっているという。大いに結構なことだ。時事通信社の12月の調査では41.9%にまで下がったそうだ。
私などは、国富を全てアメリカに差し出し、日本国民皆殺し政策をとっている安倍内閣への支持率が今なお4割を超えているということが信じられないが、それでも、発足当初の60%台半ばから70%という数字よりは相当に下がった。
ただ、その原因を、安倍内閣の性格が小泉内閣とは異なり、かつての自民党内閣に近いからと解説する向き(たとえば12月23日付の毎日新聞など)には、私は強い違和感を覚える。それは、あまりに皮相的な見方だ。
私の感覚に近い意見を発表されているのは、森田実さんだ。ひところ、AbEndに記事をTBするブロガーの間で、森田さんの文章を紹介するのが流行ったことがあるが、最近はあまり見かけない。しかし、依然として活発な意見を「森田実の時代を斬る」に発表し続けている。その12月23日付の記事を、以下に引用する。
あらかじめおことわりしておくが、私は、ここに書かれた森田さんの分析自体は極端に過ぎ、多少はアベシンゾーに失望し、コイズミを懐かしんでいる人たちもいるとは思う。
真実は、安倍政権の政策のうち、コイズミ流の新自由主義政策がさらに押し進められたことが安倍政権の支持率を下げた最大の要因だと思う。そして、一部の人はそれを「安倍政権のせい」だと錯覚している。もちろん、安倍政権もその一翼を担っているのだが、実は、90年代の小淵内閣時代からアメリカの介入によって押し進められてきた新自由主義化の流れに、安倍政権の経済政策も位置づけられるに過ぎない。前にも書いたように、安倍自身は軍国主義化には熱心だが経済政策には興味がないので、周囲への丸投げが野放図な新自由主義政策推進につながり、それが弱者いじめの「国民皆殺し」政策であることが多くの国民の目にも明らかになってきた。だから安倍政権の支持率が下がったのだ。
この新自由主義化政策をもっとも強力に推し進めたのは、いうまでもなく「コイズミカイカク」をスローガンにしていたコイズミ政権である。だから、真に安倍政権の支持率を下げているのはコイズミであり、その点では森田さんの分析は正しいと思う。森田さんの分析で抜けているのは、「本当はコイズミが一番悪いのに、それを安倍のせいにしている人たちが多い」という一点だろう。
私は何も安倍を庇おうというのではない。国家主義的な政治思想に基づく極右的な政策に関しては、安倍はコイズミよりずっと悪質だ。だが、弱肉強食の経済政策の真犯人はコイズミだと言いたいだけである。
タウンミーティングのやらせについても、コイズミ政権下で官房副長官、幹事長、副幹事長(降格人事w)、官房長官と、政権の中枢にずっといた安倍晋三の責任がきわめて重いことはいうまでもない。しかし、この件に関してもっとも罪が重いのは、森田さんも指摘されているように、当時内閣総理大臣だったコイズミなのである。
どういうわけか、人気の高いコイズミへの批判は、最近解禁された観のある安倍批判と違って、今でもマスコミの間でタブーになっているように思えてならない。しかし、コイズミ批判抜きで安倍だけ批判していたのでは、新自由主義政策批判が安倍晋三批判に矮小化されてしまう。そんなことで国民の生活が良くなるはずがない。
とにかく、「コイズミへの回帰」は絶対にしてはならない。反安倍の言論を展開するにあたっても、コイズミも安倍晋三もともに否定するという姿勢が求められると思う。同じ「反安倍」だからといって、コイズミを懐かしむような輩と手を組むようなことがあってはならないと思う。
「古い自民党への回帰指向があるから安倍政権はダメだ」などというマスコミのデマには騙されないことだ。
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私などは、国富を全てアメリカに差し出し、日本国民皆殺し政策をとっている安倍内閣への支持率が今なお4割を超えているということが信じられないが、それでも、発足当初の60%台半ばから70%という数字よりは相当に下がった。
ただ、その原因を、安倍内閣の性格が小泉内閣とは異なり、かつての自民党内閣に近いからと解説する向き(たとえば12月23日付の毎日新聞など)には、私は強い違和感を覚える。それは、あまりに皮相的な見方だ。
私の感覚に近い意見を発表されているのは、森田実さんだ。ひところ、AbEndに記事をTBするブロガーの間で、森田さんの文章を紹介するのが流行ったことがあるが、最近はあまり見かけない。しかし、依然として活発な意見を「森田実の時代を斬る」に発表し続けている。その12月23日付の記事を、以下に引用する。
マスコミの世論調査の読み方はワンパターンであり、ピントが外れている。安倍の小泉離れが不支持の真の原因ではなく小泉離れが不徹底だから支持率が急落しているのだ。
新聞社・通信社・放送局が行う世論調査のなかで、私は、時事通信社の調査が最も信頼できる調査だと思っている。調査方式が個別直接面接方式であり、電話調査よりも数段すぐれている。有効回答数が、他の報道機関よりも高いのも時事通信調査の長所である。
12月の時事通信世論調査では安倍内閣支持率は、41.9%まで急落した。12月15日の東京新聞朝刊の記事で、調査内容を紹介しよう。
《時事通信社が14日まとめた12月の世論調査結果によると、安倍内閣の支持率は41.9%で、前月に比べ 9.5ポイントも下落した。10、11の両月は5割台だったが、政権発足3カ月で大きく割り込んだ。郵政造反組の自民党復党は「支持しない」が53.2%に上った。この問題や政府のタウンミーティングでの「やらせ質問」などが支持率の急落につながったとみられる。
調査は7日から10日にかけて、全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回答率は67.3%だった。
安倍内閣の不支持率は27.0%で、前月比7.2ポイントアップ。政権発足以降、上昇が続いている。不支持の理由は「期待が持てない」が13.5%(前月比3.2ポイント増)とトップ。》
最近の世論調査における「安倍内閣支持率急落の原因」に関する各新聞社の分析は、「構造改革のトーンダウン」と「古い自民党への回帰」の2つに偏っている。まったくワンパターンである。情けないほど貧しい発想だ。ピントが外れている。新聞記者が思考停止に陥っている結果である。
内閣支持率急落の最大の原因は、国民が小泉「やらせ」(前)政権の情報操作で、騙されていたことに気づき始めたことにあると私は思う。
「やらせ」の政治は、嘘の政治である。小泉政治は嘘で固めた政治だった。国民は、嘘をついた政治家は絶対に許してはならない。とくに、それが首相であれば、その責任は徹底的に追及しなければならぬ。
小泉政治とは「やらせ政治」だった。国民を騙す政治だった。小泉前首相は逃げようとしてしている。絶対に逃がしてはならぬ。国会は小泉前首相を証人喚問すべきである。
(「森田実の時代を斬る」 2006年12月23日付より)
あらかじめおことわりしておくが、私は、ここに書かれた森田さんの分析自体は極端に過ぎ、多少はアベシンゾーに失望し、コイズミを懐かしんでいる人たちもいるとは思う。
真実は、安倍政権の政策のうち、コイズミ流の新自由主義政策がさらに押し進められたことが安倍政権の支持率を下げた最大の要因だと思う。そして、一部の人はそれを「安倍政権のせい」だと錯覚している。もちろん、安倍政権もその一翼を担っているのだが、実は、90年代の小淵内閣時代からアメリカの介入によって押し進められてきた新自由主義化の流れに、安倍政権の経済政策も位置づけられるに過ぎない。前にも書いたように、安倍自身は軍国主義化には熱心だが経済政策には興味がないので、周囲への丸投げが野放図な新自由主義政策推進につながり、それが弱者いじめの「国民皆殺し」政策であることが多くの国民の目にも明らかになってきた。だから安倍政権の支持率が下がったのだ。
この新自由主義化政策をもっとも強力に推し進めたのは、いうまでもなく「コイズミカイカク」をスローガンにしていたコイズミ政権である。だから、真に安倍政権の支持率を下げているのはコイズミであり、その点では森田さんの分析は正しいと思う。森田さんの分析で抜けているのは、「本当はコイズミが一番悪いのに、それを安倍のせいにしている人たちが多い」という一点だろう。
私は何も安倍を庇おうというのではない。国家主義的な政治思想に基づく極右的な政策に関しては、安倍はコイズミよりずっと悪質だ。だが、弱肉強食の経済政策の真犯人はコイズミだと言いたいだけである。
タウンミーティングのやらせについても、コイズミ政権下で官房副長官、幹事長、副幹事長(降格人事w)、官房長官と、政権の中枢にずっといた安倍晋三の責任がきわめて重いことはいうまでもない。しかし、この件に関してもっとも罪が重いのは、森田さんも指摘されているように、当時内閣総理大臣だったコイズミなのである。
どういうわけか、人気の高いコイズミへの批判は、最近解禁された観のある安倍批判と違って、今でもマスコミの間でタブーになっているように思えてならない。しかし、コイズミ批判抜きで安倍だけ批判していたのでは、新自由主義政策批判が安倍晋三批判に矮小化されてしまう。そんなことで国民の生活が良くなるはずがない。
とにかく、「コイズミへの回帰」は絶対にしてはならない。反安倍の言論を展開するにあたっても、コイズミも安倍晋三もともに否定するという姿勢が求められると思う。同じ「反安倍」だからといって、コイズミを懐かしむような輩と手を組むようなことがあってはならないと思う。
「古い自民党への回帰指向があるから安倍政権はダメだ」などというマスコミのデマには騙されないことだ。
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今夜はクリスマス・イブだ。
10年以上前にスペインを旅行した時、12月26日か27日だったと思うが、ホテルの食堂に行ったら、数人で飲み食いしていた宿泊客に「メリー・クリスマス」と言われた。ヨーロッパでは、12月24日の「クリスマス・イブ」から新年の1月1日までがクリスマス休暇になる。
「Wikipedia - クリスマス」の記述が詳しくてなかなか面白い。但し、『このページ「クリスマス」は、荒らしや編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されているか、あるいは保護依頼中です。現在の記述内容が正しいとは限りません。』という注釈がついている。宗教に関するテーマなので、論争が絶えないのだろう。
ともあれ、「Wikipedia」に書かれているように、カトリックの影響の強いイタリアやフランス、スペインなどでは、クリスマスは12月25日に始まり、1月6日に終わる。いや、カトリックだけではない。ルター派のプロテスタント信者だったバッハが作曲した「クリスマス・オラトリオ」は6曲から成るのだが、その第1曲は12月25日に演奏され、2曲目以降は12月26日、12月27日、1月1日、新年の第1日曜日、1月6日にそれぞれ演奏されるために作られた。
なお、ヨーロッパほどキリスト教の精神が深く生活に根を下ろしていないアメリカでは、祝日は12月25日だけだそうだ(韓国でも12月25日が祝日)。
以上の説明からおわかりのように、前夜祭だけ大騒ぎをする風習は、日本独特のものだと思うが、話はクルリンパと飛んで(笑)、クリスマス・イブの今日、「安倍晋三 - トラックバック・ピープル」へのトラックバックが4000件に到達した。
3000件到達の時にもご紹介したが、「安倍晋三TBP(トラックバック・ピープル)」へのTBは、6月18日に「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんによって開設されて以来、下記のようなペースで推移してきた。
その間、いろいろなことがあった。しばしばあまり愉快でないもめごとも持ち上がったが、「AbEndキャンペーン」の目標が日本の最高権力者である安倍晋三を打倒することにある以上、少々の障害が生じたことは止むを得なかったともいえる。
なお、おことわりしておくが、「AbEndキャンペーン」と「安倍晋三TBP」は別物であって、「安倍晋三TBP」は、右側からの安倍批判はもちろん、安倍晋三首相を擁護する記事にも門戸を開放しているトラックバック・テーマだ。だが、それにもかかわらずトラックバックされる記事の大半が厳しい安倍批判であることは、それだけブロガーの皆さまの間で安倍への怒りが強いことを示しているのだろうと思う。
このあと、年末年始休暇に入られる方も多いだろうから、「安倍晋三TBP」へのトラックバックのペースもいったん落ちるだろう。
だが、春の統一地方選に続いて、夏には参議院選挙が控えている来年こそ、「AbEnd」の勝負の年だ。
実は私は、安倍打倒の成否は、安倍政権発足直後の早い時期にどれだけ安倍内閣の支持率を落とせるかにかかっていると考えていた。その意味では、政権発足直後に70%もあった支持率が、わずか3か月で40%台に急落したことは、百点満点とはとてもいえないけれど、安倍打倒のためには70点から80点くらいの点がつけられる状況ではないかと思う。
この安倍人気の凋落に、「AbEndキャンペーン」がどれほどの寄与をしたかについては、本当のところよくわからない。だが、当ブログのアクセス解析でたまに訪問元の情報などを見ると、「AbEnd」は、いつかSOBAさんが「雑談日記」に書いておられたように、世論を動かすところまでには至らないが、決して無視できない存在になり始めているといえると思う。特筆すべきは、検索エンジンに対するブログの強さで、最近は調べものをしようとして「Google」や「Yahoo!」などで検索をかけると、私自身のブログ記事が引っかかることがやたら多くなった。
当然、権力側もその対策を講じようとするだろうが、それを許さないためにも、退潮にある安倍政権の支持をさらに下げるため、安倍政権の政策の危険性を訴え、安倍晋三の正体を暴き続けていくしかない。
皆さまには、今後とも「AbEndキャンペーン」へのご賛同、ならびに「安倍晋三TBP」への活発なトラックバックをお願いしたいと思う。
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10年以上前にスペインを旅行した時、12月26日か27日だったと思うが、ホテルの食堂に行ったら、数人で飲み食いしていた宿泊客に「メリー・クリスマス」と言われた。ヨーロッパでは、12月24日の「クリスマス・イブ」から新年の1月1日までがクリスマス休暇になる。
「Wikipedia - クリスマス」の記述が詳しくてなかなか面白い。但し、『このページ「クリスマス」は、荒らしや編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されているか、あるいは保護依頼中です。現在の記述内容が正しいとは限りません。』という注釈がついている。宗教に関するテーマなので、論争が絶えないのだろう。
ともあれ、「Wikipedia」に書かれているように、カトリックの影響の強いイタリアやフランス、スペインなどでは、クリスマスは12月25日に始まり、1月6日に終わる。いや、カトリックだけではない。ルター派のプロテスタント信者だったバッハが作曲した「クリスマス・オラトリオ」は6曲から成るのだが、その第1曲は12月25日に演奏され、2曲目以降は12月26日、12月27日、1月1日、新年の第1日曜日、1月6日にそれぞれ演奏されるために作られた。
なお、ヨーロッパほどキリスト教の精神が深く生活に根を下ろしていないアメリカでは、祝日は12月25日だけだそうだ(韓国でも12月25日が祝日)。
以上の説明からおわかりのように、前夜祭だけ大騒ぎをする風習は、日本独特のものだと思うが、話はクルリンパと飛んで(笑)、クリスマス・イブの今日、「安倍晋三 - トラックバック・ピープル」へのトラックバックが4000件に到達した。
3000件到達の時にもご紹介したが、「安倍晋三TBP(トラックバック・ピープル)」へのTBは、6月18日に「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんによって開設されて以来、下記のようなペースで推移してきた。
2006年6月18日:「安倍晋三?トラックバック・ピープル」開設
2006年9月12日:1000件(開設日から86日)
2006年10月27日:2000件(1000件到達から45日)
2006年11月27日:3000件(2000件到達から31日)
2006年12月24日:4000件(3000件到達から27日)
その間、いろいろなことがあった。しばしばあまり愉快でないもめごとも持ち上がったが、「AbEndキャンペーン」の目標が日本の最高権力者である安倍晋三を打倒することにある以上、少々の障害が生じたことは止むを得なかったともいえる。
なお、おことわりしておくが、「AbEndキャンペーン」と「安倍晋三TBP」は別物であって、「安倍晋三TBP」は、右側からの安倍批判はもちろん、安倍晋三首相を擁護する記事にも門戸を開放しているトラックバック・テーマだ。だが、それにもかかわらずトラックバックされる記事の大半が厳しい安倍批判であることは、それだけブロガーの皆さまの間で安倍への怒りが強いことを示しているのだろうと思う。
このあと、年末年始休暇に入られる方も多いだろうから、「安倍晋三TBP」へのトラックバックのペースもいったん落ちるだろう。
だが、春の統一地方選に続いて、夏には参議院選挙が控えている来年こそ、「AbEnd」の勝負の年だ。
実は私は、安倍打倒の成否は、安倍政権発足直後の早い時期にどれだけ安倍内閣の支持率を落とせるかにかかっていると考えていた。その意味では、政権発足直後に70%もあった支持率が、わずか3か月で40%台に急落したことは、百点満点とはとてもいえないけれど、安倍打倒のためには70点から80点くらいの点がつけられる状況ではないかと思う。
この安倍人気の凋落に、「AbEndキャンペーン」がどれほどの寄与をしたかについては、本当のところよくわからない。だが、当ブログのアクセス解析でたまに訪問元の情報などを見ると、「AbEnd」は、いつかSOBAさんが「雑談日記」に書いておられたように、世論を動かすところまでには至らないが、決して無視できない存在になり始めているといえると思う。特筆すべきは、検索エンジンに対するブログの強さで、最近は調べものをしようとして「Google」や「Yahoo!」などで検索をかけると、私自身のブログ記事が引っかかることがやたら多くなった。
当然、権力側もその対策を講じようとするだろうが、それを許さないためにも、退潮にある安倍政権の支持をさらに下げるため、安倍政権の政策の危険性を訴え、安倍晋三の正体を暴き続けていくしかない。
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一昨日のエントリ「戦争反対の小さな声を集めよう」に、多くのコメントをいただきました。
今回は、いただいたコメントをそのまま紹介します。但し、明らかな誤変換や誤記は、当方で勝手に訂正させていただきました。
まず、朝空さんのコメント。
続いては、朝空さんからの2件目のコメント。
次は、朝空さんのコメントを受けての非戦さんのコメント。
続いては、「あんち・アンチエイジング・メロディ」の管理人・メロディさんのコメント。
非戦さんのコメントをさらに受けて、朝空さんから3件目のコメントをいただいた。
どさくさに紛れて、私自身もコメントしました。メロディさんのコメントに触発されたものです。
「とむ丸の夢」の管理人・とむ丸さんからは、「なおも続くコメント特集?中国における日本軍」にコメントをいただいた。
続いては、「いわいわブレーク」の管理人・建つ三介さんのコメント。
各所ですぐれたコメントをされるヤマボウシさんからも、コメントをいただいた。
朝空さんから、4件目のコメントをいただいた。
建つ三介さんからも2件目のコメントをいただいた。
最後に、以前の記事「天皇家と戦争と安倍晋三と」にいただいていながら、これまで取り上げずにきてしまってずっと気になっていた、「晴天とら日和」の管理人・とらちゃんのコメントをこれを機に取り上げて、今回のコメント特集の締めくくりとしたい。
多くのコメントをお寄せいただき、皆さまどうもありがとうございました。
今後も、コメントを適宜記事の本文に取り上げていきたいと思いますので、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。
今回は、いただいたコメントをそのまま紹介します。但し、明らかな誤変換や誤記は、当方で勝手に訂正させていただきました。
まず、朝空さんのコメント。
06.12.18『信濃毎日新聞』より(抜粋)
改憲が視野に入り、日本の枠組みが大きく変ろうとする中で、個人はどう状況に向き合うことができるのか。作家の辺見庸さんが東京都内で「個体と状況について」と題して講演し、変化する時代の奥底に潜むものは何かを論じた。
「病気に倒れ、明日へつながる今日とは違う、『永遠の今』を自覚するようになった。内心の声に耳を澄まし、結晶体のような真の言葉を紡ぎ出したい。だが現実には、例えば『美しい国』といった“にせ金”のような言葉がはびこっている」
「自衛隊の海外派兵も、教育基本法も憲法も、少し前は考えられなかったことが平気で行われて行く。ダメージを被ったのは言葉であり、言葉と分かち難く結び付いている記憶だ。テレビや新聞言語にしてもそうで、内奥の力を失い単なる手段と化した、雑草のような、クソのような言葉がまん延するのに、恐怖と戦慄(せんりつ)を感じる」
…
そこで忘れられていったのは、何だったのか。…
「大元帥閣下(昭和天皇)がかかわった戦争を、私達はもっと想起すべきではないか。一部の軍国主義者に責任を押しつけ、天皇を無罪放免して自らの責任を無化したのが、戦後の日本人だった。主体的責任をあいまいにし、戦後六十年の節目で戦後にグッドバイと言えてしまう感覚が、この国の言説の根っこにある」
(ナチス親衛隊に所属していたギュンター・グラスがそれを告白し、『恥辱』と表現していたことに触れ)
「戦争責任を恥辱とする発想を、この国は結局作り得なかった。恥辱は社会の奥底に埋め込まれ、人が日常のルーティン(決まりきった仕事)を生きるうち、言葉はにせ金のようになった」
ならば、この状況を個人がどう乗り越えていけるのか。辺見さんは人が「単独者」であり続けることだと語る。
「(それは)自分の言葉に身体をかけて責任を持つ者だ。にせ金の言葉と対極にある自分の言葉を、へどもどしながらでも話す存在。その人が放つ光は、かすかな微光のようなものかもしれないが、それが単独者の崇高さだ。私も固い結晶体のような本物の言葉を、残りの生で命の限り紡いでいきたい」
2006.12.21 08:23 (朝空さんのコメント)
続いては、朝空さんからの2件目のコメント。
戦時下、南京で医者をしていた故人の息子に、次の話を聞いたことがある。「小学生の時、揚子江の河岸に日本の兵隊が立っていて、川を覗かせなかった。あとでこっそり見たら人の骸骨がゴロゴロしていた。虐殺みたいのは、やっぱりあったんだろうねえ…」
彼の生まれは1935年なので、南京虐殺のものではないと思われるが。
どこの旧制中学にも職業学校にも、戦時下に勤労動員や、教師の肩たたきで予科練などに入った次男、三男らの手記があるはずだ。同窓会のガリ版などの形で。
私の地方でも「動員先の木曽川に、強制労働の朝鮮人だか中国人だかの死体が浮いていた」「逃げた中国人捕虜の山狩りがあった」などの記述が、同窓会の回顧録などの中に多々ある。
彼らは、敗戦間近の勤労動員先の反乱についても記している。こき使う工場長や配属将校を、「万歳、万歳」と言って胴上げしながら、雪穴に投げ落とすのだ。「万歳」の行為だから厳罰にはできない。だが進学のための内申点は下げられた。下げられれば旧制高への進学は、事実上断たれたという。
別の中学だが、反乱を起こし退学になった生徒が、その後も執拗に付きまとう当局によって赤紙となり、激戦の死地へ送られたという話を聞いたことがある。どこへ送れば死ぬだろう位、軍人や役人にはよく知れたことだったはずだ。彼らは、思惑通り戦死したという。
敗戦間近に生徒達が動員先で反乱したという話は、たいてい今もタブーだが、全国の多くの学校であったようだ。敗戦間もない頃も、予科練などから帰った生徒が「この野郎」と教師をつるし上げた話は、どこにもある話と思う。この種の話は表の校史には現れず、仲間内の座談や手記の中に散見される。
当時の彼らの、数十人の同窓生の手記を端からあたったことがあるが、戦争を懐かしむ者は皆無だった。
この種の本能的な反乱の情念が、1970年頃まで続く学生運動の下地になったことは確かだ。私の知る旧制中学・新生高校の初期の自治会は、彼らの流れを汲む者達で構成されていた。彼らが発行した「生徒手帳」の巻頭には、消されつつある教育基本法が記されている。
2006.12.21 09:51 (朝空さんのコメント)
次は、朝空さんのコメントを受けての非戦さんのコメント。
朝空さんの大変貴重なコメントをいつも読ませていただいています。今回の、信濃毎日新聞からの辺見さんの講演の記事の引用も、朝空さんが聞かれた戦争中の話も、大変重みのある重要なことが含まれるコメントで、じっくり読ませていただきました。戦争に反対したものはただではおかない、という権力側の卑怯なやり方はやっぱり本当でしたね。刑務所に入れる、拷問する、激戦地、最前線に送るなど、権力側の意のまま。これからの生徒手帳には、偽造の新教育基本法の文面が載るのでしょうか。
2006.12.21 10:11 (非戦さんのコメント)
続いては、「あんち・アンチエイジング・メロディ」の管理人・メロディさんのコメント。
私の父は、戦争で直接間接に妻とこどもを亡くしていますし、自分もシベリアに抑留されています。外地で暮らしていて、たまたま東京大空襲の直後に東京に戻り、焼け野原を見て敗戦を確信したと言っていました。戦争で犠牲になるのはいつも庶民です.安倍政権を支持する若者はそのことをどう思っているのかいつも疑問です。
2006.12.21 10:24 (メロディさんのコメント)
非戦さんのコメントをさらに受けて、朝空さんから3件目のコメントをいただいた。
ありがとうございます。頼まれ仕事と勇み足で掘り起こした田舎の歴史については、場違いでない限り、記してみたいと思います。
田舎の学校や団体の通史を、幕末・明治の頃から何度か掘り起こして、気づいたことがある。それは誇張ではない、あの「タリバン」なみの精神主義・国家主義教育が席巻した、日露戦争期の中学教育だ。
私の知る、当時できた中学の校地は、神社と同じ配置だった。正面玄関からは真っ直ぐに、拝殿ならぬ講堂に。その最奥には、宝物殿ならぬ御神影奉安殿が設置された。それを背に校長が、「国家の中堅たれ」の修身科の洗脳教育を、毎回授業として垂れた。全校生徒が相手だったはずだ。他の教師達も出席し「拝聴」したという。
それは1903年?1911年のことだ。その頃学んだ生徒達が、日中・太平洋戦争期には文字通り社会の「中堅」になった。1896年生まれの「秀才」岸信介も、この時代に中学生だったはずだ。
当時の救いは、やはり生徒の反乱が起きていることだ。隠されていても、当時の文書や手記をあたれば、原因も含めておおよそ見当はつく。間違いないのは、この校長の精神主義のスパルタ教育だ。生徒達の授業放棄などによって、この校長は丁重にお引取り戴くことになった。教師達も内心彼(と当時の教育)を嫌悪してしていたのは、当時の書類の端々からうかがうことができる。
二代目は、大正期そのもののリベラルな校長だった。そしてこの時期に学校は伸びた。例えば、その後全国一となるほどのあるスポーツの基礎を作ったのは、間違いなく彼だった。
注意すべきは、明治から昭和への「戦前」も、軍国的精神主義一本やりではなかったことだ。そして大抵、生徒の主体性を知る校長・教師が力を振るえる時代に、学校も生徒も伸びている。
だが同窓生らのほとんどは今も、そこまで仔細に見ようとせず、たいがいは「教育勅語」を軸とする戦前教育の善さと思い込んでいる。史実をもって突きつければ、その時は分かる。だが、そのことを伝えられるのはほんの一握りで、それもいっときに過ぎない。
2006.12.21 11:30 (朝空さんのコメント)
どさくさに紛れて、私自身もコメントしました。メロディさんのコメントに触発されたものです。
私の母は大阪大空襲の頃まだ5歳。大阪のど真ん中に住んでいましたが、疎開先の豊中から、自宅のある大阪中心部の夜空が赤く燃えているのを見た記憶があるそうです。
東京大空襲(昭和20年3月10日)や大阪大空襲(同3月13日)に遭った人たちは、負けいくさを実感したことでしょう。
私が子供の頃、「毎日小学生新聞」をとってもらってましたが、3月になるとよく東京や大阪の大空襲の記事が載っていました。昔は、新聞社も平和の尊さを子どもたちに教えようとしていたのです。今の御用新聞と化してしまった姿とは大違いでした。
2006.12.21 19:42 (kojitakenのコメント)
「とむ丸の夢」の管理人・とむ丸さんからは、「なおも続くコメント特集?中国における日本軍」にコメントをいただいた。
何度も記事にしていますが、私の父が入営した連隊は2.26事件に参加し、その後満州に送られ、チチハルに駐屯して、いわゆる「討伐」に明け暮れています。「討伐」という言葉が使われても、これは紛れもなく「侵略戦争」でした。父から直接当時の戦争の話しを聞くことは皆無でしたが。
当時2.26事件参加兵達は、「死ね! 死ね!」といわれて最前線をかけずり回らなければならなかったという証言はたくさんあります。当然明日をも知れぬ命ともなると部隊の空気はすさみ、いざこざも絶えなかったとか。そうしたところに、たった1人、新兵が配属され、それは大変な経験をしたようです。そんな兵隊達も、考えてみれば、二十歳そこそこの若者ばかりです。
「国を守る」とかいう言葉が、いかにも崇高そうな衣を着てしゃしゃり出てきてます。が、目を転じて生の人間の姿を間近に見ていけば、そんなイデオロギーなんて何の価値もないことが分かります。
2006.12.21 20:09 (とむ丸さんのコメント)
続いては、「いわいわブレーク」の管理人・建つ三介さんのコメント。
>ギュンター・グラスがそれを告白し、『恥辱』と表現
今晩は、皆さん。
「ブリキの太鼓」は凄く好きです。どっしり迫ってくるし、笑いもある。凄い作家は自己批判も徹底してますね。
>長崎元市長の本島等さんの「天皇発言」
で思い出しましたが、被曝者の声を集めたCDが
ネットで聴けるんですよ。
僕、相互リンクしました。そのサイトと。
皆さんも、やられたら。
まだ聴いてないんですけど・・。
大事な証言を世界に・次代に繋げる事の
一助にと思いまして・・。
>天皇を無罪放免して自らの責任を無化したのが、戦後の日本人だった。主体的責任をあいまいにし、戦後六十年の節目で戦後にグッドバイと言えてしまう感覚が、この国の言説の根っこにある
野田正彰さんらの『鼎談』↓も同じ問題意識で貫かれていましたね。
http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/archives/2698180.html
日本人は侵略したという意識どころか、『殺した』ことさえ『受け止める』心を持っていないので『ココロが壊れていない』=戦争心身症に陥っていない、と野田氏は驚かれたそうです。で、研究を始めた、と。
ではまた。
2006.12.21 23:34 (建つ三介さんのコメント)
各所ですぐれたコメントをされるヤマボウシさんからも、コメントをいただいた。
わたしが中学生だった頃、中年以上の教師の中には軍隊経験のある人がまだいくらかはいました。そのうちの1人、体育教師(指導助手?)は雨の日の授業時間などに軍隊時代の話をしてくれました。体育教師にしては腹が出過ぎで精悍さに欠けたので、軍隊では少尉だったと言われてもにわかには信じ難かったのですが、いたって気の好い人物でした。
そんな彼が語った話で唯一記憶に残るのが、中国人を処刑する方法です。捕虜と言ったかスパイと言ったか思い出せませんが、とにかく「チャンコロ」をまず直径3メートルだったか5メートルだったかの地面を掘った大穴の縁にひざまずかせるのだそうです。次に、首を下にうつむかせ、そこへ軍刀を振り下ろす……というのを、体育教師は教壇傍にあった1メートルの物差しを手に取って上段から振り下ろしながら語ったのです。
当時のわたしは未だ南京大虐殺も知らず、「そういうものか」という程度の受け止め方しかしていませんでした。しかし後から考えると、それほどの「大穴」を掘ったということは、処刑されたのは1人や2人ではなかったことが想像できます。また、物差しを振り下ろすという動作で甦る記憶は彼にとって決して不快ではなかったのではないか(不快ならやるはずがない)ということが考えられます。今更ながら慄然とする思いです。
風の便りでは、この体育教師は定年前に破廉恥事件を起こして退職し、まもなく死亡したとのことですが、今では確かめるすべもありません。
2006.12.22 02:05 (ヤマボウシさんのコメント)
朝空さんから、4件目のコメントをいただいた。
私の父親は確か1944年春に33歳で「応召」となり、当時の北支(華北)に行った。その頃は内地勤務が一番よかったようで、北支はそれに次ぐ位のところだったはずだ。「死んで来い」は大抵南方(太平洋の島々や当時のビルマなど)だったろう。
父から聞かされたのは、八路軍(中国共産党軍)との戦闘の様子だ。「我々の機関銃は重くておんぼろで、すぐ故障した。八路軍のは『チェッコ』と呼ばれるやつで、『タン、タン、タン』と軽い音を立てて、いつも突然撃ってきた」
捕虜の扱いについては、次の話を聞いたことがある。
「捕虜の首を刀ではねるのは、新兵の役目だった。中々うまく斬れなくてなあ。ある時下手な斬り方をした奴は、返り血で顔が真っ赤になった」
ジュネーブ条約もクソも無かったのだろう。
私「父ちゃんはどうだった?」
父「わしはもう歳だったから…」
やらされない訳はないなと、その時は感じた。
八路軍の捕虜の扱いについては、次のように言っていた。
「彼らは日本兵を捕虜にしても、また放してよこすのだ。そういうとこは寛大だったなあ。『戦陣訓』知ってたからかどうか、分からんが…」
2006.12.22 13:04 (朝空さんのコメント)
建つ三介さんからも2件目のコメントをいただいた。
今晩は。皆様。
>八路軍の捕虜の扱いについて・・「彼らは日本兵を捕虜にしても、・・寛大だったなあ
かなり前でうろ覚えですが、スメドレー「偉大な道」を読みました。朱・毛の軍隊を描いたルポを。
やはり規律は厳格に守られていたのですね。
90年代までは戦争体験者の方が多く残られていたので、「嘘」が制限されていたような気がしますが。でも、多くの証言が多くの若者に伝えられないまま、時だけ過ぎて、しかもバブル後のデフレの波が、苛立つ心ばかりを増幅させて、「神の国」発言まで出る始末。
あ、そうそう、小熊さんの分厚い本の書評をタマタマ見つけましたので、紹介させてくださいね。吉川勇一さんという方のHPからです。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/DokushoFun-Oguma-MinshutoAikoku.htm
「愛国」という言葉一つとっても意味が色々に使われているようで、頭がパンク気味です。この本ちょっと高くて買えませんが、読んでみたい気はします。
ではでは。
2006.12.22 22:29 (建つ三介さんのコメント)
最後に、以前の記事「天皇家と戦争と安倍晋三と」にいただいていながら、これまで取り上げずにきてしまってずっと気になっていた、「晴天とら日和」の管理人・とらちゃんのコメントをこれを機に取り上げて、今回のコメント特集の締めくくりとしたい。
こんばんわ!
2?3日前からパソコンの調子が悪くって1度で3回も送ってしまってるようです。すみませんが2回分削除お願いします。
すみませんでした。
父が遺した戦争のハナシは、終戦記念日に私のブログに書きました。
そりゃぁ?悲惨極まりないものであったと思う。戦友達が発した今際の際の言葉は、○○バンザイでもなく、○○で会おうでもなく、
「お母ちゃんに、」「お母ちゃんに遺言」と戦死したみなさんが、そう言ったそうです。
瀕死の重症を負った戦友を背負っていて。
「おい○○←父の名前、俺もう駄目だ。お母ちゃんに遺言」と言ってこと切れたという。
お酒を飲んでは戦友を偲んで泣いておりました。
父の口癖
母親の愛情に勝るものなし!
戦後のワシの人生はオマケや!
でした。
私に、
戦争は二度とするな!と言っておりました。
大空襲の時のハナシもおジイさん・おバァさんから聞いています。
勿論、そのハナシだけが総てではありません。
戦争になったら何でもアリです。
だから、戦争反対です。
長くなりました。ごめんなさい!
では、また、・・・・・
2006.12.05 17:39 (とらちゃんのコメント)
多くのコメントをお寄せいただき、皆さまどうもありがとうございました。
今後も、コメントを適宜記事の本文に取り上げていきたいと思いますので、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。
本屋でふと見かけた「サイゾー」の2007年1月号の表紙に、『イーホームズ社長告発! <耐震偽装の真犯人>』と赤文字で書かれていたので、この雑誌を買った。「サイゾー」を買ったのは、西山太吉・元毎日新聞記者と岡留安則さんの対談が載った2006年7月号以来である(この対談は、同誌2006年10月号別冊「噂の闘論外伝 岡留安則 vs 12人の論客」に収録されており、それも買った)。
記事は、「サイゾー」編集部の七瀬恭一郎記者から藤田社長へのインタビューの形式をとっている。
ネットでは非常に有名なことだが、耐震偽装強度偽装事件に絡んで国から確認検査機関の指定を取り消された「イーホームズ」の藤田東吾社長は、有罪判決を受けた10月18日に司法記者クラブで会見し、あくまでも責任は改竄が容易にできる国土交通省認定の「構造計算プログラム」の不備にあると主張するとともに、「アパ」グループの耐震偽装問題を告発した。
「アパ」グループの疑惑については、当ブログの記事『週刊ポストが取り上げていた「アパ壷三」の疑惑』でも指摘したように、今年9月29日号の「週刊ポスト」も取り上げていた既報の疑惑であったにもかかわらず、マスメディアは藤田さんの告発を無視した。私は「アパ」グループが金沢から興ったと知った瞬間、マスコミがスルーした理由は想像がついたのだが、確証がないからブログには書かなかった。しかし、さすがに「きっこの日記」は、12月3日付の記事『ツチノコ軍団VSガマガエル軍団』で、はっきり以下のように指摘している。
そう、金沢は森喜朗の地元なのだ。私が昨年3月に金沢を訪れた時、金沢駅前再開発の記念式典が行われていたが、乗り合わせたタクシーの運転手と会話していたら、話題が森喜朗に及んだ。地元の運転手だから森を崇拝していると思いきや、皮肉たっぷりに利権政治家・森喜朗をこき下ろしていたので痛快だった記憶がある。
しかし、森喜朗政権時代、マスメディアは森をさんざんにこき下ろしていたはずだが、それからわずか6年で、マスコミが「森喜朗を頂点とした売国奴ガマガエル軍団」に頭が上がらなくなるとは、「物言えば唇寒し」のとんでもない時代になってしまったものだ。
前振りはこれくらいにして、藤田社長のインタビューから、特に興味深い部分を抜粋、紹介する。
まず、気になる藤田社長の身の危険について。
「サイゾー」の記事では「Sさん」となっているが、これはいうまでもなく朝日新聞の斎賀孝治デスクのことである。以前、私が「kojitakenの日記」に、『朝日新聞・斎賀デスクはなぜ死んだか』という記事を公開したところ、記事にアクセスが殺到したことがあった。
「斎賀孝治」でGoogle検索をかけると、斎賀さんへのインタビューの形式をとったasahi.comの記事が筆頭で引っかかるので、これも紹介しておく。是非リンク先を参照いただきたい。
さて、マスメディア批判大好きの当ブログとしては、藤田さんがマスメディアを批判した箇所をスルーするわけにはいかない。以下紹介する。
これを読んで、TBSやテレビ朝日の厚顔無恥に私が激怒したことはいうまでもない(笑)。「NEWS23」や「報道ステーション」がブラックジャーナリズム以外のなにものでもないことは、よーく理解できた。藤田社長が名前を挙げていないNHKやフジ、日本テレビは最初から御用ジャーナリズムだと誰もが知っているが、TBSやテレビ朝日もNHK以下と何ら変わりないのだ。
「サイゾー」のインタビューの最後で、藤田社長は、近いうちに「イーホームズ」の確認検査機関の指定取り消しは憲法違反であり無効であるとして、国を訴える準備を進めていると明言している。
当ブログでも、藤田社長を応援していきたいと思う。
記事は、「サイゾー」編集部の七瀬恭一郎記者から藤田社長へのインタビューの形式をとっている。
ネットでは非常に有名なことだが、耐震偽装強度偽装事件に絡んで国から確認検査機関の指定を取り消された「イーホームズ」の藤田東吾社長は、有罪判決を受けた10月18日に司法記者クラブで会見し、あくまでも責任は改竄が容易にできる国土交通省認定の「構造計算プログラム」の不備にあると主張するとともに、「アパ」グループの耐震偽装問題を告発した。
「アパ」グループの疑惑については、当ブログの記事『週刊ポストが取り上げていた「アパ壷三」の疑惑』でも指摘したように、今年9月29日号の「週刊ポスト」も取り上げていた既報の疑惑であったにもかかわらず、マスメディアは藤田さんの告発を無視した。私は「アパ」グループが金沢から興ったと知った瞬間、マスコミがスルーした理由は想像がついたのだが、確証がないからブログには書かなかった。しかし、さすがに「きっこの日記」は、12月3日付の記事『ツチノコ軍団VSガマガエル軍団』で、はっきり以下のように指摘している。
‥‥そんなワケで、アパグループやタムラ設計や田村水落設計について、藤田社長が1ヶ月半も告発を続けてるのに、マスコミがいっさいスルーしてんのは、こいつらのバックに控えてる森喜朗を頂点とした売国奴ガマガエル軍団に頭が上がんないからだ。そして、その売国奴ガマガエル軍団のイチの子分のアベシンゾーなんかに直訴したって、どうせ門前払いを食らうのは、藤田社長は最初から分かってたワケだ。だけど、藤田社長は、この国がどれほど腐りきってるかってことを全国民に見せるために、あえて自分がピエロになって、総理官邸まで出向いたってワケだ。
(「きっこの日記」 2006年12月3日『ツチノコ軍団VSガマガエル軍団』より)
そう、金沢は森喜朗の地元なのだ。私が昨年3月に金沢を訪れた時、金沢駅前再開発の記念式典が行われていたが、乗り合わせたタクシーの運転手と会話していたら、話題が森喜朗に及んだ。地元の運転手だから森を崇拝していると思いきや、皮肉たっぷりに利権政治家・森喜朗をこき下ろしていたので痛快だった記憶がある。
しかし、森喜朗政権時代、マスメディアは森をさんざんにこき下ろしていたはずだが、それからわずか6年で、マスコミが「森喜朗を頂点とした売国奴ガマガエル軍団」に頭が上がらなくなるとは、「物言えば唇寒し」のとんでもない時代になってしまったものだ。
前振りはこれくらいにして、藤田社長のインタビューから、特に興味深い部分を抜粋、紹介する。
まず、気になる藤田社長の身の危険について。
?身の危険というと、今も誰かに命を狙われているとか!?
藤田 この号が書店に並ぶ頃には、だいぶ落ち着いていると思いますが、ずっと用心してきたのは事実です。
昨年の11月に、事件にからんだ森田設計事務所代表の森田(信秀)さんが謎の自殺を遂げてからというもの、今年2月には、朝日新聞で僕と組んでいたデスクのSさんが急死。しかも、その死因が自転車に乗っているときに倒れて頭を打って死んだというんですよ。普通、大の大人が自転車で転んで死にますか? 何か外部からの圧力があるのではと、僕も怖くなりました。その直後に自殺した姉歯さんの奥さんも含め、僕の周りには、事件にかかわったために命を落としたとしか考えられない人が大勢いるんです。
(「サイゾー」 2007年1月号『マスコミによるさらなる偽装事件』より)
「サイゾー」の記事では「Sさん」となっているが、これはいうまでもなく朝日新聞の斎賀孝治デスクのことである。以前、私が「kojitakenの日記」に、『朝日新聞・斎賀デスクはなぜ死んだか』という記事を公開したところ、記事にアクセスが殺到したことがあった。
「斎賀孝治」でGoogle検索をかけると、斎賀さんへのインタビューの形式をとったasahi.comの記事が筆頭で引っかかるので、これも紹介しておく。是非リンク先を参照いただきたい。
地震に弱いビル 次々見つかる 建物の書類にうそ 耐震基準を下回る
(asahi.com 2005年12月21日更新)
さて、マスメディア批判大好きの当ブログとしては、藤田さんがマスメディアを批判した箇所をスルーするわけにはいかない。以下紹介する。
?しかし、藤田社長のせっかくの告発も、マスコミからはほとんど無視されているようですが……。
藤田 日本のマスメディアは、しょせんヒモつきですからね。広告をバンバン出しているマンション業界や不動産会社には、どこも頭が上がらないのです。インターネットでこれだけ騒がれ、海外でも外国特派員協会での会見の様子を報じたメディアがあるというのに、僕に対する取材禁止命令が出ている社もあるというのですから、腰抜けとしか言いようがありません。05年、事件が発生して間もない頃、『NEWS23』(TBS)のディレクターから、僕がきっこさんと連携して耐震偽装問題を告発していることについて「なんてことをしたんだ。せっかくうちでは藤田さんをいいイメージで取り上げてきたのに、あんな裏も取らないブラックジャーナリズムとつながったことで、これからはみんなが藤田さんをブラック(な存在)と見なしますよ」と言われたことがあります。でも僕から言わせれば、彼らマスメディアがブラックであって、自由にもの申すネット系メディアこそが21世紀のホワイトジャーナリズムだと思いますね。
?TBSに、そんな失礼なことを言われたんですか!?
藤田 まあ、テレビはどこもいい加減だとよくわかりました。昨年12月に、好きなことを話させてくれるというので『報道ステーション』(テレ朝)に出演することになったんですが、放送直前になってディレクターから、「こういう形でやることになりましたから」と紙を渡されたんです。それは小嶋さんとの対立をあおるような構成で、僕にこういうことをしゃべってほしいという台本のようなものまで書かれていました。もちろん、その場で出演はキャンセル、あんなショーのような番組なら、こちらから願い下げです。
(「サイゾー」 2007年1月号『マスコミによるさらなる偽装事件』より)
これを読んで、TBSやテレビ朝日の厚顔無恥に私が激怒したことはいうまでもない(笑)。「NEWS23」や「報道ステーション」がブラックジャーナリズム以外のなにものでもないことは、よーく理解できた。藤田社長が名前を挙げていないNHKやフジ、日本テレビは最初から御用ジャーナリズムだと誰もが知っているが、TBSやテレビ朝日もNHK以下と何ら変わりないのだ。
「サイゾー」のインタビューの最後で、藤田社長は、近いうちに「イーホームズ」の確認検査機関の指定取り消しは憲法違反であり無効であるとして、国を訴える準備を進めていると明言している。
当ブログでも、藤田社長を応援していきたいと思う。
今年8月6日、9日、15日と、広島・長崎の「原爆記念日」と「終戦記念日」の「きっこの日記」は、戦争特集だった。
8月6日の日記で、俳人・松尾あつゆきの連作俳句に肺腑(はいふ)を抉られ、8月9日の日記に「カナダde日本語」の記事が紹介されてわがことのように喜んだことも忘れられないが、8月15日の日記は読者からのメール特集で、これもとても印象深いものだった。
1日あたりのアクセス数が「きっこの日記」の100分の1程度しかない弊ブログを「きっこの日記」と比較するのはおこがましい話だが、先日、長崎元市長の本島等さんの「天皇発言」を取り上げて以来、弊ブログにも、主に読者の方の親御様やお祖父様、お祖母様の世代の方から聞いた、戦争に関するコメントをいただくようになった。
このところ、何度もコメント特集を組んでいるが、紹介したいコメントはまだまだたくさんある。
12月19日の記事「なおも続くコメント特集?中国における日本軍」には、さらに奈央さんからのコメントの追加と、新たに眠り猫さんからコメントをいただいたので、記事を増補・改訂した。あとからいただいたコメントは、なかなか読者の目に届きにくいので、下記のリンク先を示す。是非ご参照いただきたいと思う。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-204.html
(上記をクリックすると、『なおも続くコメント特集?中国における日本軍』に飛びます)
それにしても思うのだが、ブログの特質はやはり「フロー」であって、読者からのアクセスはその日公開された新しい記事に集中し、古い記事のコメントツリーが活発になることがあって、それはそれで楽しいものだが、戦争に関するコメント記事のような貴重な記録はストックしておいて、独立したウェブページを設定するなど、参照しやすくする工夫をしたいものだと考えている。
よく、「南京大虐殺は幻だ」「三光作戦は中国のでっち上げだ」という批判が、右側から聞かれる。確かに、南京虐殺の犠牲者は30万人もいなかっただろう。しかし、残虐行為は確かに行われていた。仮に犠牲者が数千人、数百人であろうが、虐殺は虐殺なのだ。
また、「三光作戦」というのは、確かに中国側が日本軍の行為を批判して名づけたものだが、だからといって日本軍が何もしなかったわけではない。
読者の方々からいただくコメントは、これら、われわれの主張の傍証にもなるものだ。「戦争反対の小さな声」を集積して、安倍晋三の戦争推進政策に反対し続けていきたいと思う。
#本記事のタイトルは、眠り猫さんのブログ「平和のために小さな声を集めよう」のもじりです。眠り猫さん、どうもありがとうございます。
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8月6日の日記で、俳人・松尾あつゆきの連作俳句に肺腑(はいふ)を抉られ、8月9日の日記に「カナダde日本語」の記事が紹介されてわがことのように喜んだことも忘れられないが、8月15日の日記は読者からのメール特集で、これもとても印象深いものだった。
1日あたりのアクセス数が「きっこの日記」の100分の1程度しかない弊ブログを「きっこの日記」と比較するのはおこがましい話だが、先日、長崎元市長の本島等さんの「天皇発言」を取り上げて以来、弊ブログにも、主に読者の方の親御様やお祖父様、お祖母様の世代の方から聞いた、戦争に関するコメントをいただくようになった。
このところ、何度もコメント特集を組んでいるが、紹介したいコメントはまだまだたくさんある。
12月19日の記事「なおも続くコメント特集?中国における日本軍」には、さらに奈央さんからのコメントの追加と、新たに眠り猫さんからコメントをいただいたので、記事を増補・改訂した。あとからいただいたコメントは、なかなか読者の目に届きにくいので、下記のリンク先を示す。是非ご参照いただきたいと思う。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-204.html
(上記をクリックすると、『なおも続くコメント特集?中国における日本軍』に飛びます)
それにしても思うのだが、ブログの特質はやはり「フロー」であって、読者からのアクセスはその日公開された新しい記事に集中し、古い記事のコメントツリーが活発になることがあって、それはそれで楽しいものだが、戦争に関するコメント記事のような貴重な記録はストックしておいて、独立したウェブページを設定するなど、参照しやすくする工夫をしたいものだと考えている。
よく、「南京大虐殺は幻だ」「三光作戦は中国のでっち上げだ」という批判が、右側から聞かれる。確かに、南京虐殺の犠牲者は30万人もいなかっただろう。しかし、残虐行為は確かに行われていた。仮に犠牲者が数千人、数百人であろうが、虐殺は虐殺なのだ。
また、「三光作戦」というのは、確かに中国側が日本軍の行為を批判して名づけたものだが、だからといって日本軍が何もしなかったわけではない。
読者の方々からいただくコメントは、これら、われわれの主張の傍証にもなるものだ。「戦争反対の小さな声」を集積して、安倍晋三の戦争推進政策に反対し続けていきたいと思う。
#本記事のタイトルは、眠り猫さんのブログ「平和のために小さな声を集めよう」のもじりです。眠り猫さん、どうもありがとうございます。
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昨日トラックバックいただいた、kechackさんのブログ「Munchener Brucke」の「いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ」は、とても良い記事だ。既に13件の「はてなブックマーク」がついている。
だらだらと長い文章を書くことが特徴になっている私のブログと違って、簡潔にまとめられているので、ここに記事の全文を紹介する。
以前、小泉純一郎の支持層には新自由主義の経済右派が多く、安倍晋三の支持層には政治思想的右派が多いと指摘したが(『安倍晋三につながる極右人脈』)、安倍はそもそも経済政策に関心がなく、そこにつけこまれて「ホワイトカラー・エグゼンプション」に代表される、大企業経営者にとってだけ都合の良い政策を発表させられている。「エグゼンプション」(exemption)などという言葉を、どれほどの日本人が知っているだろうかと疑問に思うのだが、ひとことで言えば、これは企業の経営者が従業員をいかようにも使い倒せる殺人政策にほかならない。キヤノンの御手洗らは、安倍政権の無知につけ込んでやりたい放題ができそうだと、舌なめずりしていることだろう。
八代尚宏(国際基督教大学教授・経済学)は、典型的な「御用学者」だが、彼の発言を読んでいると、御用学者の質も落ちるところまで落ちたと言うしかない。
それにしても、大新聞やテレビは、安倍内閣の支持率低下を「郵政造反組」の復党問題のせいにしているが、バカじゃなかろうか?
国民が真に怒っているのは、この「ホワイトカラー・エグゼンプション」などに代表される「国民皆殺し政策」なのだ。少なくとも、私の周りの人間から、郵政造反組への扱いが甘いから安倍さんに失望した、などという声は聞いたことがない一方、「ホワイトカラー・エグゼンプション」が許せないという声はしょっちゅう聞く。
このピントのずれたマスメディアの報道は、大新聞や在京キー局の社員の給料が高すぎて、一般国民の心情が理解できないせいだろうと思っている。これについては、以前「kojitakenの日記」の記事に書いた(『大新聞社や在京キー局社員の給料が高すぎるせいだろう』)。
最後に、前記「いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ」から、非常に印象的な記事の結びの言葉を再び引用して、記事を締めくくりたい。
↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。

だらだらと長い文章を書くことが特徴になっている私のブログと違って、簡潔にまとめられているので、ここに記事の全文を紹介する。
■いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ
最近の経団連の御手洗会長の発言といい安倍内閣の経済財政諮問会議の八代尚宏氏の発言といい、かなりおかしな発言が目立つ。これらは既にネオリベラリズムとは言えない、単に「企業に甘い」だけのまともな発言ではない。
ネオリベラリズムの処方箋は確かに公的所得配分機能を低下させるものだ。最高税率を下げ、法人税を下げるのがセオリーである。私は対処療法的特効薬としてのネオリベラリズムは否定しないが、持続的な国の繁栄はネオリベラリズムではできないことは多くの事例で証明されている。
今の日本はネオリベラリズムを常備薬として金科玉条とするどころか、ネオリベラリズムを曲解し、企業に都合のいい国家運営に導く道具にしようとしている。ネオリベラリズムにおいて自由と責任は表裏一体もののであるが、個人に対しやたらと自己責任を唱えるネオリベラリストも、企業に対する社会的責任には至って無関心であるペテン師が多い。社会的責任感の欠如した経営者が相変わらず散漫な経営を行っているが、いんちきネオリベラリストがダメな経営者をはびこらせて日本をダメにしているのである。
個人に対して愛国心を強要し国土に縛り付けようとするが、法人税を下げないと企業が海外に流出するとか、最高税率を下げないと高額所得者が海外に移住する(注1)とかいう煽りを平気でする。企業に対しては本社所在国や創業国への貢献を求めない。低所得者のみに愛国心を強要し高額所得者には愛国心を求めないというダブルスタンダードを平気で行う(注2)のがペテンネオリベラリストである。
80年代以前を知る中年以上の保守系の方には、未だに庶民寄り弱者救済的な政策を左翼的だと躊躇する人が多い(注3)が、そろそろ目を覚ました方がいいのではないか。あなたが高額所得者で、現政権にもっと高額所得者に有利な税制を行ってもらいたいならそれで構わないが、自分が保守だからやせ我慢して企業優位、高額所得者優位の政治を支持する必要などないのである。
八代尚宏の発言
* 12/18 毎日新聞「労働市場改革:正社員待遇を非正規社員水準へ」
* 痛いニュース(ノ∀`):「格差是正のため正社員の待遇をパート並に」…
注1:実際に移住する日本人なんてごくわずかで本当に煽りに過ぎない
注2:具体的に言うと高市早苗大臣がこのダブルスタンダードを良く使う。真の愛国者であれば税金逃れで海外に移住する人間を徹底糾弾すべきであろう。
注3:若い保守の人は、既に社会主義を知らないので庶民寄り、弱者救済=左翼というバイアスは余りない
(「いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ」より転載)
以前、小泉純一郎の支持層には新自由主義の経済右派が多く、安倍晋三の支持層には政治思想的右派が多いと指摘したが(『安倍晋三につながる極右人脈』)、安倍はそもそも経済政策に関心がなく、そこにつけこまれて「ホワイトカラー・エグゼンプション」に代表される、大企業経営者にとってだけ都合の良い政策を発表させられている。「エグゼンプション」(exemption)などという言葉を、どれほどの日本人が知っているだろうかと疑問に思うのだが、ひとことで言えば、これは企業の経営者が従業員をいかようにも使い倒せる殺人政策にほかならない。キヤノンの御手洗らは、安倍政権の無知につけ込んでやりたい放題ができそうだと、舌なめずりしていることだろう。
八代尚宏(国際基督教大学教授・経済学)は、典型的な「御用学者」だが、彼の発言を読んでいると、御用学者の質も落ちるところまで落ちたと言うしかない。
それにしても、大新聞やテレビは、安倍内閣の支持率低下を「郵政造反組」の復党問題のせいにしているが、バカじゃなかろうか?
国民が真に怒っているのは、この「ホワイトカラー・エグゼンプション」などに代表される「国民皆殺し政策」なのだ。少なくとも、私の周りの人間から、郵政造反組への扱いが甘いから安倍さんに失望した、などという声は聞いたことがない一方、「ホワイトカラー・エグゼンプション」が許せないという声はしょっちゅう聞く。
このピントのずれたマスメディアの報道は、大新聞や在京キー局の社員の給料が高すぎて、一般国民の心情が理解できないせいだろうと思っている。これについては、以前「kojitakenの日記」の記事に書いた(『大新聞社や在京キー局社員の給料が高すぎるせいだろう』)。
最後に、前記「いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ」から、非常に印象的な記事の結びの言葉を再び引用して、記事を締めくくりたい。
あなたが高額所得者で、現政権にもっと高額所得者に有利な税制を行ってもらいたいならそれで構わないが、自分が保守だからやせ我慢して企業優位、高額所得者優位の政治を支持する必要などないのである。
(「いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ」より)
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このところ、弊ブログにいただくコメントを取り上げる記事が続いているが、私の書く文章などよりよほど読んでもらいたいと思うコメントを多くいただくようになったからだ。
ここ数日は、古いエントリへのコメントもいくつかいただいている。その中で、8月8日の記事『国民が戦争を知っていた頃』にいただいたコメントを紹介したい。
元記事は、中国における日本軍の残虐行為をテーマにしている。遠藤周作の小説「海と毒薬」が、南京における日本軍の残虐行為に触れているのだが、実際に残虐行為があったかどうかについて、自民党の加藤紘一代議士が「文藝春秋」誌上における上坂冬子との対談で語っている。まずこれを再掲する。
これを受けて、奈央さんから下記のコメントをいただいた。
奈央さんからは、『毎日新聞の報道?改正教育基本法は「改憲へのステップ」』へも、下記のコメントをいただいている。
奈央さんは、「カナダde日本語」(管理人・美爾依さん)のコメント欄でもよくお名前を拝見するが、そのコメントにはいつも心がこもっている。ただ、私のHNは「kojikita」ではなくて「kojitaken」です。やっぱり覚えやすい「だっくくろっく」に改名した方が良いかなあ(笑)。
最後に、私がコメントする代わりに、やはりいつも弊ブログにコメントをいただいている非戦さんから、奈央さんのコメントに対してさらなるコメントをいただいているので、それを紹介して今回のコメント特集の結びとしたい。
奈央さん、非戦さん、コメントどうもありがとうございました。心から感謝します。
(追記)
奈央さんから早速コメントをいただいたので、紹介します。奈央さんには重ねてお礼を申し上げます。
(追記の追記)
奈央さんから、さらにコメントの補足をいただいたので、掲載します。
さらに、眠り猫さんからもコメントをいただいたので紹介する。眠り猫さん、どうもありがとうございました。
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ここ数日は、古いエントリへのコメントもいくつかいただいている。その中で、8月8日の記事『国民が戦争を知っていた頃』にいただいたコメントを紹介したい。
元記事は、中国における日本軍の残虐行為をテーマにしている。遠藤周作の小説「海と毒薬」が、南京における日本軍の残虐行為に触れているのだが、実際に残虐行為があったかどうかについて、自民党の加藤紘一代議士が「文藝春秋」誌上における上坂冬子との対談で語っている。まずこれを再掲する。
『加藤 私は山形県の鶴岡出身です。終戦時には六歳でした。父が市長をしていましいたから、家には復員した近所の農家の人など、いろんな人が毎晩のようにやってきて、お茶や安焼酎を飲みながら戦争の話をしていました。
そのときの話で私が今でも一番覚えているのは、戦場での体験談、自慢話などです。多くは「機関銃をこうやって運んで、敵にこうぶっ放したもんだ」といった話でしたが、中には中国人に対して行った残酷な仕打ちについて、実にあっけらかんと話す人もいました。当時の私は、それが本当にあったことなのか、誇大にしゃべっているんじゃないか、と正直疑っていたところもありました。ただこの三十年間、選挙の関係などもあって、八十過ぎの古老の方に昔話を聞く機会もよくありました。そこで改めて「日本軍は中国人にひどい仕打ちをしたのですか」と聞くと、大抵「本当だよ」とお答えになるんです』
(「文藝春秋」 2006年8月号 上坂冬子vs加藤紘一 「中国と靖国 どっちがおかしい」より)
これを受けて、奈央さんから下記のコメントをいただいた。
こんにちは、kojikitaさん。
昔、中国で血なまぐさいことがおきたのは本当におきたことだと思います。
日本ではなかったとか小規模だったとか様々な意見があるみたいだけれどあったのは間違いのない事実です。
私の母方の大叔父は戦前、中国で中国人の虐殺を上官の命令で行いました。
書くことが何より、亡き大叔父と中国で彼の手にかかり亡くなった人たちの供養だと思いましたので彼らの最期の時を書かせてください。
彼らは、手を合わせ大叔父に助命の懇願をしました。
武器も何も持っていない民間の人たちでした。
大叔父は、生前、彼らに申し訳ないことをしたと思って生きてました。
そして戦争をしてはいけないことを身内に説き伏せ戦争を憎んでいました。
安倍たちは、私たちに何をしたいのでしょうか?
大叔父の遺志を私は伝えたいです。
この遺志は名もなく無残に殺された人の思いでもあるから。
(奈央さんのコメント)
奈央さんからは、『毎日新聞の報道?改正教育基本法は「改憲へのステップ」』へも、下記のコメントをいただいている。
kojikitaさん、私はこの法案が通ってしまったことがとても怖くて仕方ないです。
16日の朝、でかでかと新聞の見出しに載った愛国心と防衛省に昇格の文字。
見ていて気分が悪くなりました。
教育勅語を親に無断で園児に暗唱させた幼稚園の話がありましたが、こんな幼稚園とレベルが同じになるだけでなく放置する国になるのかと思うと複雑で暗澹たる気持ちになりました。
この日を忘れたくないです。
それと安倍の言う愛国心って何なのでしょうか?
中身が伴っているとはどうしても思えないです。
身内に冷たい安倍の母親の姿を見れば、安倍が私たちにしようとすることは一目瞭然のような気がします。
親鸞の言葉に、子供は親の姿を見て育つ、そしてそのとおりのことをするという言葉があります。
そうならないことを願っています。
(奈央さんのコメント)
奈央さんは、「カナダde日本語」(管理人・美爾依さん)のコメント欄でもよくお名前を拝見するが、そのコメントにはいつも心がこもっている。ただ、私のHNは「kojikita」ではなくて「kojitaken」です。やっぱり覚えやすい「だっくくろっく」に改名した方が良いかなあ(笑)。
最後に、私がコメントする代わりに、やはりいつも弊ブログにコメントをいただいている非戦さんから、奈央さんのコメントに対してさらなるコメントをいただいているので、それを紹介して今回のコメント特集の結びとしたい。
ある有名なジャーナリストが言いました。「自分は戦争が恐ろしい。なぜなら、自分は、イラクにいるアメリカ兵のように、罪もない人を殺しそうだから。戦場では疑心暗鬼になって、周りの人が全部自分を殺しにきているように感じるだろう。その結果、臆病な自分は、怖くて殺される前に人を殺してしまいそうだ。そんな自分が怖い。」
私も、自分が戦場という異常な空間にほうりだされたらどうなるだろう、と考えたらこわくなります。白旗揚げて、うずくまるしかないと思いますが、どこまで戦争が人を狂わすものか、また狂わなければ戦争を続行できないということをイラク戦争などで見せつけられて、ますます現実として戦争をとらえるとき、ひどい恐怖にかられます。教育基本法改正をして、どういう日本と日本人を作りたいのか?戦争や核の容認を危険視しなくなった社会は、本当におぞましいものです。
奈央さんの大叔父さまの遺志を知れば、よけいそう思います。
(非戦さんのコメント)
奈央さん、非戦さん、コメントどうもありがとうございました。心から感謝します。
(追記)
奈央さんから早速コメントをいただいたので、紹介します。奈央さんには重ねてお礼を申し上げます。
こんにちは、kojikitakenさん。
コメント取り上げてくださってありがとうございました。
私の母は、戦後生まれということもあり大叔父の事情もあまり知らなかったこともあり、「なんで助けてと言ってる人を殺してしまったの?」と大叔父に聞いたそうです。
その時、大叔父は「上官が自分たちの行動を遠くから眺めていたんだよ。」そして「見ていなかったら見逃したかった」と言ったそうです。
また、母方の祖父は、士官学校を卒業した後、飛行機の整備士をしていました。
整備士でしたから、特攻隊になった人たちの飛行機も整備することもあります。
上の命令で燃料は半分しか入れることはできませんでした。
その他に、操縦士が特攻する前夜、大酒を飲み、どんちゃん騒ぎをしていたことも祖父は目にしていたことを母に話していました。
「あの人たちは天皇陛下万歳を叫んで死んだんじゃない、家族や恋人や子供の名前を叫んで死んでいったんだ」とよく生前、特攻隊の人たちを語るとき口癖にしていたそうです。
母方の祖父は私が3歳の時、残念ながら亡くなってしまったので、色々なことは聞けませんでしたが母に語り継いでくれたことにとても感謝しています。
安倍がしたいことは、私の大叔父や祖父の言わなかった思いや願いに反することだと思っています。
(奈央さんのコメント)
(追記の追記)
奈央さんから、さらにコメントの補足をいただいたので、掲載します。
特攻隊の人たちは、特攻の前日まで、大酒を飲まなければいられない状況だったのでは?と見ていた祖父は語っていたそうです。
人が人として自由に生きられない国になるのは、あの時代で充分です。
そうでなくとも沢山の人が戦争の傷で今も苦しんでいます。
悲しい思いをしています。
もっとそのことに目をむけられたらと思っています。
(奈央さんによるコメントの補足)
さらに、眠り猫さんからもコメントをいただいたので紹介する。眠り猫さん、どうもありがとうございました。
こんばんは、kojitakenさん。
私の父方の伯父は中国戦線で、双方の機関銃の銃火を受けて、どちらに撃たれたかもわからない状態で戦死したそうです。母方では、敗戦後の混乱の中、大陸からの引き揚げの過程で、9歳の母と1つ下の弟をかばいながら、両親と3人の兄姉が病死していきました。
戦争そのもので死んだ人だけでなく、大陸に「棄民」された人々の数もすごいものがあると思います。
また、私個人が戦後見たことがある(最近ではめっきり見かけなくなったが)本や映像などで、日本軍による虐殺はあったと考えるのが妥当です。たとえば、昔は「カッパノベルス」の光文社から出ていた、「三光作戦」では、軍の命令として、「殺しつくせ、奪いつくせ、焼き尽くせ」と言うことが命令されていた事実が載っていました。まだ幼児の時代に、親の本棚からその本を見つけ、掲載されている、屍累々たる写真のあまりの恐ろしさに、留守番で1人でいた私は泣き叫びながら家中を何かから逃げ回りました。
また、年を重ねてから見た深夜のテレビでは、南京とおぼしき都市で、後手に縛られた中国人らしき人間を次々に路上につれてきては、後頭部に直接銃口を当てて片端から銃殺していくと言う映像が流されていました。
今は、そのような書籍も映像もいつの間にか封印され、上坂冬子のような、知識も学問もなく、政府の言うことをおうむがえしに言うだけの御用評論家の言が、ネット右翼の理論の根拠になっているのは、恐るべき言論統制です。
あれらの、書籍や映像はどこに消えてしまったのでしょう?いや、消えたのではなく、政府によって封印されてしまったのでしょう。関接にであれ、このような事実を知る私は、声を発し続けていくつもりです。
(眠り猫さんのコメント)
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cynthiaさんに、下記の古い当ブログの記事を発掘され、コメントをいただきました。
『「カラマーゾフの兄弟」=一番面白かった小説』
cynthiaさん、はじめまして。コメントどうもありがとうございました。建つ三介さんもコメントありがとうございました。
上記のエントリは、私がブログを開設したてで、読者がほとんどいなかった頃のものですが、確かFC2のトラックバック特集(テーマを決めてブロガーにトラックバックしてもらう企画)に応募した記事だったと記憶しています。
「カラマーゾフの兄弟」を私が読んだのは1989年です。もう17年にもなりますから、ストーリーの細部どころかあらすじも忘れかかっています。ただ、圧倒的に面白かったという記憶だけは残っているので、乏しい記憶を元にブログの記事を書きました。
最近、光文社の「古典新訳文庫」から「カラマーゾフの兄弟」の新訳が出ているようです(全4巻のうち、2巻しか発売されていないようですけど)。ちょっと前、第1巻が書店に並んでいるのを見て、買って読み返そうかと思ったのですが、「AbEnd」のために読もうと思って買い込みながら読めずにいる本がたくさんあったので、買うのを見送りました。
でも、cynthiaさんや建つ三介さんからコメントをいただき、年末年始休みから来年にかけて、「カラマーゾフの兄弟」を少しずつでも読み直そうかと思い直した次第です。
「きまぐれな日々」にも、たまには安倍晋三に無関係な記事を載せた方が良いかもしれませんしね。
ついでに書くと、「罪と罰」は1988年に新潮文庫の工藤精一郎訳、2002年に岩波文庫の江川卓訳で、二度読んでいます。五大長編の中でも、緊張感の高さでは「罪と罰」が一番だと思います。
最近はドストエフスキーから離れてしまっているので、すぐには記事を書けませんが、そのうち記事を書いて公開したいと思います。いつになるかはわかりませんけど(笑)。
『「カラマーゾフの兄弟」=一番面白かった小説』
cynthiaさん、はじめまして。コメントどうもありがとうございました。建つ三介さんもコメントありがとうございました。
上記のエントリは、私がブログを開設したてで、読者がほとんどいなかった頃のものですが、確かFC2のトラックバック特集(テーマを決めてブロガーにトラックバックしてもらう企画)に応募した記事だったと記憶しています。
「カラマーゾフの兄弟」を私が読んだのは1989年です。もう17年にもなりますから、ストーリーの細部どころかあらすじも忘れかかっています。ただ、圧倒的に面白かったという記憶だけは残っているので、乏しい記憶を元にブログの記事を書きました。
最近、光文社の「古典新訳文庫」から「カラマーゾフの兄弟」の新訳が出ているようです(全4巻のうち、2巻しか発売されていないようですけど)。ちょっと前、第1巻が書店に並んでいるのを見て、買って読み返そうかと思ったのですが、「AbEnd」のために読もうと思って買い込みながら読めずにいる本がたくさんあったので、買うのを見送りました。
でも、cynthiaさんや建つ三介さんからコメントをいただき、年末年始休みから来年にかけて、「カラマーゾフの兄弟」を少しずつでも読み直そうかと思い直した次第です。
「きまぐれな日々」にも、たまには安倍晋三に無関係な記事を載せた方が良いかもしれませんしね。
ついでに書くと、「罪と罰」は1988年に新潮文庫の工藤精一郎訳、2002年に岩波文庫の江川卓訳で、二度読んでいます。五大長編の中でも、緊張感の高さでは「罪と罰」が一番だと思います。
最近はドストエフスキーから離れてしまっているので、すぐには記事を書けませんが、そのうち記事を書いて公開したいと思います。いつになるかはわかりませんけど(笑)。
『だっくくろっくではありません。kojitakenです。』で紹介した、『御用学者にだまされないために』のコメントツリーは、まだまだ続いている。
議論は、私などの参加の余地のない高いレベルに達しており、議論の当事者でもある建つ三介さんのブログ「いわいわブレーク」のエントリ『論争!「諭吉&丸山」と現代!』に、『御用学者にだまされないために』のすべてのコメントが、ブログ本文に掲載されている。引き続いての議論は「いわいわブレーク」で行いたい、とのことで、私もそれに異存はないが、その後なんと、私のブログの方に、以前にもお世話になったことのあるsonicさんからコメントをいただいた。
以下にsonicさんのコメントを紹介する。
なんと、安倍貞任(あべのさだとう)にまでご登場願うことになってしまった。
安倍晋三の父、晋太郎が、安倍貞任の弟、宗任(むねとう)の末裔だと言っていたことについて、「AERA」(2006年3月20日号)に吉田司氏が記事を書かれている。当ブログのエントリ『安倍のもう一人の祖父は「平和主義者」だった』で、吉田さんの記事を紹介したところ、sonicさんから、故安倍晋太郎氏と安倍一族及び奥州とのかかわりについての、とても印象的なコメントをいただいたので、sonicさんのコメントを中心に据えた『安倍晋三は「安倍家の面汚し」』という記事を書いたことがある。
そのsonicさんから再びコメントをいただき、御用学者論に端を発した福沢諭吉論までもが安倍一族につながり、かつて当ブログの「売り」の一つだった安倍晋三の血脈に関する記事とも接点を持つことになろうとは想像しなかった。
こういうコメントをいただいた時が、ブログをやっていてもっともうれしい瞬間だ。
sonicさんには厚く御礼を申し上げたい。
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議論は、私などの参加の余地のない高いレベルに達しており、議論の当事者でもある建つ三介さんのブログ「いわいわブレーク」のエントリ『論争!「諭吉&丸山」と現代!』に、『御用学者にだまされないために』のすべてのコメントが、ブログ本文に掲載されている。引き続いての議論は「いわいわブレーク」で行いたい、とのことで、私もそれに異存はないが、その後なんと、私のブログの方に、以前にもお世話になったことのあるsonicさんからコメントをいただいた。
以下にsonicさんのコメントを紹介する。
福沢諭吉の「学問ノススメ」の巻頭言「天は人の上に人をつくらず、人の下に人を作らずと言へり」についてですが、東北史学の諸氏から、この台詞を福沢に伝えた秋田男爵家が安倍貞任の子孫であり、福沢の巻頭言は秋田家の伝承にある貞任の台詞「人の上に人を作るも、人の下に人をつくるも、これ人なり」を不確実に伝えたものだろうと指摘されています。(ただし、秋田男爵家が貞任の末裔だと言うのは意識の系譜であり、事実そうであるかどうかの証拠はありません。)
学問のススメの巻頭言ですが、福沢はこの言葉の本来の意味を考察しないまま、実学を重視する自身の立場を正当化するのに利用してしまったのだろうと思われます。
このことは、我が国における「実学の浅はかさ」をよく象徴していると私には思えます。
実学であること、役にたつものであることは、実はそれが真の知識ではないかもしれないことでもあります。有用さで学問を判断するのではなく、「有用さ」そのものを批判してこそ学問です。ところが実学は実学であるが故にそれを初めから放棄しています。
「有用さ」の判定はまさに権力に他なりません。有用さと言う観念自体がその時々の権威と権力を志向しているのです。
ですから、実学の雄たる慶応大学が御用学者を輩出しがちなのは少しも不思議なことではありません。要するに「慶応は建学に遡って、その程度のところなのだ」と言うことです。
ただ、慶応大学にも高く評価できるところがあります。慶応大学は、大学入試で蝦夷史を積極的にとりあげ、受験生に対して日本観・日本人観の脱構築を迫っていることがしばしばあるのです。
学長の鳥居氏が歴史や文化についてはクルクルパーも同然であることを考えれば、慶応にも気骨の学者は大勢いるのだと言ってよいと思います。
(sonicさんのコメント)
なんと、安倍貞任(あべのさだとう)にまでご登場願うことになってしまった。
安倍晋三の父、晋太郎が、安倍貞任の弟、宗任(むねとう)の末裔だと言っていたことについて、「AERA」(2006年3月20日号)に吉田司氏が記事を書かれている。当ブログのエントリ『安倍のもう一人の祖父は「平和主義者」だった』で、吉田さんの記事を紹介したところ、sonicさんから、故安倍晋太郎氏と安倍一族及び奥州とのかかわりについての、とても印象的なコメントをいただいたので、sonicさんのコメントを中心に据えた『安倍晋三は「安倍家の面汚し」』という記事を書いたことがある。
そのsonicさんから再びコメントをいただき、御用学者論に端を発した福沢諭吉論までもが安倍一族につながり、かつて当ブログの「売り」の一つだった安倍晋三の血脈に関する記事とも接点を持つことになろうとは想像しなかった。
こういうコメントをいただいた時が、ブログをやっていてもっともうれしい瞬間だ。
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12月15日、ついに「改正」教育基本法が安倍内閣のゴリ押しによって成立した。
翌16日の「朝日新聞」は、一面で『改正教育基本法成立 「個」から「公」重視へ 制定後59年 初見直し』という見出しでこれを報じた。記事は、批判的なニュアンスを込めてはいるが、腰の引けた記事だ。そして、このところ社会面に移っていた「いじめられている君へ」という連載記事がなぜか一面に舞い戻り、漫画家・松本零士氏の文章が掲載されている。あたかも法案の成立を祝するかのように。
二面以下をじっくり読むと、今回の「改正」基本法案に批判的な記事が書かれているのだが、一面に松本零士氏の「夢は大きいほどいい 人生を支えてくれる」などという見出しの文章が載っていると、まるで今回「改正」された教育基本法が、子供たちの人生を支えるかのような錯覚に襲われる。悪質な印象操作というしかない紙面になっている。
一方、「毎日新聞」は、二面以下の記事はたいしたことがなく、社説も朝日よりさらに腰が引けているほどだったが、なんといっても一面の記事が出色だった。

(画像をクリックすると拡大して表示されます)
ご覧のように、『改正教育基本法が成立 目標に「愛国心」』という見出しで、法案が可決されたことを淡々と報じる記事を載せ、その左横に「改憲へのステップ」という見出しで、「変わる教育の憲法」という特集記事の「上」編を掲載した。
以下引用する。
この記事は、安倍の真の狙いが憲法改定であることをはっきりと指摘し、安倍や山谷えり子首相補佐官(元「ウィークエンダー」レポーター)と「つくる会」や「日本会議」とのかかわりまで書いている。
この記事で面白いのは、最後の方に、官邸に設置された教育再生会議での議論が難航し、代わって政府の規制改革・民間開放推進会議が教育改革の推進エンジンになっている、という指摘だ。
11月16日のエントリ「安倍晋三につながる極右人脈」で、小泉純一郎の支持者には「経済右派」が多く、安倍晋三の支持者には「政治思想上の右派」が多いと指摘したが、この毎日新聞の記事は、小泉シンパの経済右派が、安倍の政治思想的な右派政策偏重を快く思わず、巻き返しに出ていることがうかがわれる。
私自身は、前にも書いたように、「経済右派」の新自由主義政策にも、「政治右派」の国家主義的政策にも、ともに反対である。
あと、皮肉たっぷりで笑えるのは、「総裁選のころから急に教育改革を語り出した」という、自民党町村派幹部の証言だ。安倍の「教育改革」は信念に基づくものなどではなく、祖父・岸信介に対する安倍の無批判な崇拝をネオコンに利用され、彼らに操られて口走っているに過ぎないことを、この証言は暗示している。おそらく、この言葉を発した議員は、安倍をひそかに馬鹿にしているだろうと想像される。
ところで、これを機に毎日新聞におすすめしたいのは、思い切った言論を展開する新聞に変わってほしいということだ。
それでなくても、インターネットの普及が、既存メディアの脅威になっているとも言われる。今のように、各紙がお上の提供する情報を垂れ流すようでは、新聞の影響力はますます低下することだろう。それでなくても経営が安定していないと言われている毎日新聞社は、そのうち存亡の危機に立たされるのではないかという気がする。
かつて毎日新聞は、沖縄返還をめぐる密約事件(通称「西山事件」、1972年)で「知る権利」のキャンペーンを張って政府を追及したことがある。この時、権力側によって、記者と取材源の外務省の女性事務官との下半身スキャンダルに問題をすり替えられてしまい、社のイメージを落とした毎日新聞は部数を大きく落とした。
この時の首相は故佐藤栄作で、岸信介の弟、安倍晋三の大叔父にあたる。安倍といい岸信介といいこの佐藤栄作といい、この一族はこういう卑劣な真似ばかりしてきたのだ。
ここは一つ、毎日新聞には34年前のリベンジの意味も兼ねて、安倍政権の改憲政策に対し、はっきりと「反対」の旗幟を鮮明にした報道をしてもらえないものかと思う。
そうすれば、権力を本気で批判する気があるのかきわめて疑わしい朝日新聞から読者を奪い、元来大衆的な新聞のはずなのに弱者イジメの安倍政権を大々的に応援している読売新聞からも読者を奪って、昔のように「三大紙」に返り咲くことができるのではないかと思うのだ。
座して死を待つより、行動すべき時ではないだろうか。これは、毎日新聞だけではなく、われわれブロガーをはじめ、国民全体についてもいえることだと思う。
(注)この記事中で参照した「毎日新聞」は大阪本社発行「13A版」、「朝日新聞」は大阪本社発行「14版▲」です。
翌16日の「朝日新聞」は、一面で『改正教育基本法成立 「個」から「公」重視へ 制定後59年 初見直し』という見出しでこれを報じた。記事は、批判的なニュアンスを込めてはいるが、腰の引けた記事だ。そして、このところ社会面に移っていた「いじめられている君へ」という連載記事がなぜか一面に舞い戻り、漫画家・松本零士氏の文章が掲載されている。あたかも法案の成立を祝するかのように。
二面以下をじっくり読むと、今回の「改正」基本法案に批判的な記事が書かれているのだが、一面に松本零士氏の「夢は大きいほどいい 人生を支えてくれる」などという見出しの文章が載っていると、まるで今回「改正」された教育基本法が、子供たちの人生を支えるかのような錯覚に襲われる。悪質な印象操作というしかない紙面になっている。
一方、「毎日新聞」は、二面以下の記事はたいしたことがなく、社説も朝日よりさらに腰が引けているほどだったが、なんといっても一面の記事が出色だった。

(画像をクリックすると拡大して表示されます)
ご覧のように、『改正教育基本法が成立 目標に「愛国心」』という見出しで、法案が可決されたことを淡々と報じる記事を載せ、その左横に「改憲へのステップ」という見出しで、「変わる教育の憲法」という特集記事の「上」編を掲載した。
以下引用する。
変わる教育の憲法・上
「私の目指す『美しい国づくり』において、教育がすべての基本だ」
安倍晋三首相は13日の衆院特別委員会で、教育基本法改正への意気込みを語った。審議では「規範意識や道徳の重要性も、『美しい人間』として生きるために必要だ」と繰り返し、「美しい国」という政権のスローガンと基本法改正が「密接不可分」と強調した。
戦後生まれ初の首相は、「戦後レジーム(体制)からの船出」を掲げる。自民党総裁任期は最長で2期6年。この期間内の憲法改正が目標だ。自主憲法制定を唱えた岸信介元首相が祖父。「岸のDNAを受け継ぐ」(塩川正十郎氏の評)首相にとって、GHQ(連合国軍総司令部)主導でつくられた憲法の改正は悲願だ。憲法と一体関係の基本法改正は改憲へのステップにほかならない。
「総裁選のころから急に教育改革を語り出した」。自民党町村派幹部は、そう証言する。首相の教育論は、愛国心や規範意識など、戦前に重視された日本の価値観の復活が中心だ。英国のサッチャー元首相が行った教育分野の規制緩和と管理強化にも関心を向けている。英国は88年の教育改革法を契機に、「教育困難校」の廃校を勧告する教育水準局を設置。帝国主義時代を否定的に描いた歴史教科書を見直した。
首相と下村博文官房副長官、山谷えり子首相補佐官の3人は、かつて保守系の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーで、従軍慰安婦などの記述を「自虐的」と批判する「新しい歴史教科書をつくる会」と連携。「つくる会」は保守系の運動団体「日本会議」ともつながる。
サッチャー改革に着目した「日本会議」幹部の橋渡しで、下村、山谷両氏は04年9月、国会議員6人による「英国教育調査団」に参加した。両氏は「サッチャーは教育の英国病を立て直した」と高く評価するが、識者の間では「所得によって受けられる教育の格差が拡大した」(藤田英典国際基督教大教授)との批判も根強い。
10月、官邸に設置された教育再生会議は保守路線一本やりとはいかず、議論は難航。代わって教育改革の推進エンジンになっているのが、政府の規制改革・民間開放推進会議だ。教員評価の厳格化や学校の管理職の増員など民間企業並みの改革メニューには、経済界の意向がにじむ。
戦前の価値観と経済効率化の調和。安倍政権は法律改正の歯車を回したが、議論は生煮えで、改革の実感は薄い。
(「毎日新聞」2006年12月16日付1面より)
この記事は、安倍の真の狙いが憲法改定であることをはっきりと指摘し、安倍や山谷えり子首相補佐官(元「ウィークエンダー」レポーター)と「つくる会」や「日本会議」とのかかわりまで書いている。
この記事で面白いのは、最後の方に、官邸に設置された教育再生会議での議論が難航し、代わって政府の規制改革・民間開放推進会議が教育改革の推進エンジンになっている、という指摘だ。
11月16日のエントリ「安倍晋三につながる極右人脈」で、小泉純一郎の支持者には「経済右派」が多く、安倍晋三の支持者には「政治思想上の右派」が多いと指摘したが、この毎日新聞の記事は、小泉シンパの経済右派が、安倍の政治思想的な右派政策偏重を快く思わず、巻き返しに出ていることがうかがわれる。
私自身は、前にも書いたように、「経済右派」の新自由主義政策にも、「政治右派」の国家主義的政策にも、ともに反対である。
あと、皮肉たっぷりで笑えるのは、「総裁選のころから急に教育改革を語り出した」という、自民党町村派幹部の証言だ。安倍の「教育改革」は信念に基づくものなどではなく、祖父・岸信介に対する安倍の無批判な崇拝をネオコンに利用され、彼らに操られて口走っているに過ぎないことを、この証言は暗示している。おそらく、この言葉を発した議員は、安倍をひそかに馬鹿にしているだろうと想像される。
ところで、これを機に毎日新聞におすすめしたいのは、思い切った言論を展開する新聞に変わってほしいということだ。
それでなくても、インターネットの普及が、既存メディアの脅威になっているとも言われる。今のように、各紙がお上の提供する情報を垂れ流すようでは、新聞の影響力はますます低下することだろう。それでなくても経営が安定していないと言われている毎日新聞社は、そのうち存亡の危機に立たされるのではないかという気がする。
かつて毎日新聞は、沖縄返還をめぐる密約事件(通称「西山事件」、1972年)で「知る権利」のキャンペーンを張って政府を追及したことがある。この時、権力側によって、記者と取材源の外務省の女性事務官との下半身スキャンダルに問題をすり替えられてしまい、社のイメージを落とした毎日新聞は部数を大きく落とした。
この時の首相は故佐藤栄作で、岸信介の弟、安倍晋三の大叔父にあたる。安倍といい岸信介といいこの佐藤栄作といい、この一族はこういう卑劣な真似ばかりしてきたのだ。
ここは一つ、毎日新聞には34年前のリベンジの意味も兼ねて、安倍政権の改憲政策に対し、はっきりと「反対」の旗幟を鮮明にした報道をしてもらえないものかと思う。
そうすれば、権力を本気で批判する気があるのかきわめて疑わしい朝日新聞から読者を奪い、元来大衆的な新聞のはずなのに弱者イジメの安倍政権を大々的に応援している読売新聞からも読者を奪って、昔のように「三大紙」に返り咲くことができるのではないかと思うのだ。
座して死を待つより、行動すべき時ではないだろうか。これは、毎日新聞だけではなく、われわれブロガーをはじめ、国民全体についてもいえることだと思う。
(注)この記事中で参照した「毎日新聞」は大阪本社発行「13A版」、「朝日新聞」は大阪本社発行「14版▲」です。
今日はブログの更新をお休みしようと思っていたのだが、「御用学者にだまされるな」のコメント特集として企画した「御用学者にだまされないために」のコメント欄が、さらに面白いコメントツリーになっているのに今頃気づいて驚いたので、急遽記事を書くことにした。
その前に、このコメント欄で、ブログ「billabong」の管理人・あずーるさんに私が「だっくくろっくさん」と呼ばれているのにビックリしたことをお伝えしたい。
「だっくくろっく」というのは、ブログの右上にある時計の愛称であって、私のHNは「kojitaken」である。時計の名前をHNと間違われるとはと、自分のことながら笑ってしまった。
ブログのデザインで、「AbEnd」その他のバナーや、「安倍晋三リンクリスト」を目立たせるために、プロフィール欄を下の方に置いた私が悪いのだが、「だっくくろっくさん」には、当ブログだけではなく、「カナダde日本語」のコメント欄でも、同ブログ管理人の美爾依さんにウケていたようだ。思わず「だっくくろっく」に改名しようかとも思ったが、著作権侵害のおそれがあるから、やめておくことにする(笑)。
ところで、そのコメント欄で展開されているのは、「慶応大学に御用学者が多い」という話から派生した福沢諭吉や丸山真男に関する議論で、論争になりかかっているが、私にはこの件に関する知識が不足しているので、ただ興味深くコメントの記事を読むばかりだ。
とりあえず、とむ丸さん、朝空さん、建つ三介さんをはじめ、コメントを寄せていただいた方々にはお礼を申し上げたい。
さて、コメントの議論とは直接関係ないのだが、もともと私が最初の記事で取り上げた辺見庸さんについて少し述べたい。
辺見庸は、みんなが声をあげるのに唱和することを潔しとしない人だ。一人で考え、一人で行動する。それが辺見庸だ。
教育基本法の「改正」が成立した12月15日の今になって、従来風見鶏的態度をとってきた古舘伊知郎までもが、安倍政権が強行した教育基本法「改正」案の成立を批判するようになって初めて、毒々しい表現で「改正」を推進した議員たちをなじるようになったブログを一部に見かけるが、こういう付和雷同的な態度は、およそ辺見庸の態度とはかけ離れたものだろう。
私は、辺見さんの著書「自分自身への審問」を通して読み、辺見さんが内面から突き動かされる衝動によって行動し、発言していることを痛感した。こと教育基本法の問題に関しては、付和雷同的なブログには私は全く共感しない。安倍政権の人気は低下しており、今だったら誰でも安倍を批判できるからだ。
真に自分の力でものを考えたり行動したりするのは難しいものだ。辺見さんは、自著にサインする時、よく「独考独航」と書かれるそうだ。人間にとって一番大事なのは、自由なものの考え方を身につけることだ。大学というのは、本来そういう場であるべきだと私は思っている。
「独考独航」なんて簡単にできるものではないが、少なくともそれを目指す者が増えた時、「安倍晋三的なるもの」を克服することができるのではないだろうか。周りを見渡して、みんなが安倍を批判しているから私も批判しよう、というような態度では、「安倍晋三的なるもの」を真に克服することなどできないと思う。
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「だっくくろっく」というのは、ブログの右上にある時計の愛称であって、私のHNは「kojitaken」である。時計の名前をHNと間違われるとはと、自分のことながら笑ってしまった。
ブログのデザインで、「AbEnd」その他のバナーや、「安倍晋三リンクリスト」を目立たせるために、プロフィール欄を下の方に置いた私が悪いのだが、「だっくくろっくさん」には、当ブログだけではなく、「カナダde日本語」のコメント欄でも、同ブログ管理人の美爾依さんにウケていたようだ。思わず「だっくくろっく」に改名しようかとも思ったが、著作権侵害のおそれがあるから、やめておくことにする(笑)。
ところで、そのコメント欄で展開されているのは、「慶応大学に御用学者が多い」という話から派生した福沢諭吉や丸山真男に関する議論で、論争になりかかっているが、私にはこの件に関する知識が不足しているので、ただ興味深くコメントの記事を読むばかりだ。
とりあえず、とむ丸さん、朝空さん、建つ三介さんをはじめ、コメントを寄せていただいた方々にはお礼を申し上げたい。
さて、コメントの議論とは直接関係ないのだが、もともと私が最初の記事で取り上げた辺見庸さんについて少し述べたい。
辺見庸は、みんなが声をあげるのに唱和することを潔しとしない人だ。一人で考え、一人で行動する。それが辺見庸だ。
教育基本法の「改正」が成立した12月15日の今になって、従来風見鶏的態度をとってきた古舘伊知郎までもが、安倍政権が強行した教育基本法「改正」案の成立を批判するようになって初めて、毒々しい表現で「改正」を推進した議員たちをなじるようになったブログを一部に見かけるが、こういう付和雷同的な態度は、およそ辺見庸の態度とはかけ離れたものだろう。
私は、辺見さんの著書「自分自身への審問」を通して読み、辺見さんが内面から突き動かされる衝動によって行動し、発言していることを痛感した。こと教育基本法の問題に関しては、付和雷同的なブログには私は全く共感しない。安倍政権の人気は低下しており、今だったら誰でも安倍を批判できるからだ。
真に自分の力でものを考えたり行動したりするのは難しいものだ。辺見さんは、自著にサインする時、よく「独考独航」と書かれるそうだ。人間にとって一番大事なのは、自由なものの考え方を身につけることだ。大学というのは、本来そういう場であるべきだと私は思っている。
「独考独航」なんて簡単にできるものではないが、少なくともそれを目指す者が増えた時、「安倍晋三的なるもの」を克服することができるのではないだろうか。周りを見渡して、みんなが安倍を批判しているから私も批判しよう、というような態度では、「安倍晋三的なるもの」を真に克服することなどできないと思う。
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公開されたばかりの「きっこの日記」12月13日の記事『「美しい国」は「美味しい国」?』は、痛快な内容だ。
ここに書かれている、2002年5月13日の早稲田大学で行われた講演会において安倍晋三が「憲法上核保有は憲法上問題ない」という発言した件は、「サンデー毎日」2002年6月2日号と同6月9日号でスクープされたもののはずだ。「はずだ」というのは、私は月刊「現代」2006年9月号に吉田司氏が書いた記事『「岸信介」を受け継ぐ安倍晋三の危うい知性』を通じて、間接的に知っているに過ぎないからだ。「サンデー毎日」のスクープ記事に、いずれ当たろうと思いながら実行できずに今まできてしまったので、近いうちに記事に当たってみたい。
おそらくきっこさんが書いている「学生の1人が小型レコーダーで録音」したテープを、サンデー毎日の記者が入手して、記事にしたものだと思う。
しかしこの講演会の司会者が田原総一朗だったとは知らなかった。田原は、安倍のこうした超タカ派的言動を熟知しながら、テレビでは全然そういう安倍の体質を批判しないわけだ。とんでもない偏向司会者だというほかないだろう。
ところで、「きっこの日記」のこの記事にも、下関市の江島潔市長の名前や「公共事業私物化問題」のことがちらっと出てくるが、「週刊ポスト」の12月22日号では、この「官製談合疑惑」を告発している側のはずの原弘産をめぐる仰天情報が報じられている。
この「官製談合疑惑」は、かつて「長周新聞」や書籍「安倍晋三の本性」、それに「きっこの日記」、「週刊現代」などに載り、当ブログでも何度かとりあげさせてもらった、おなじみの件なのだが、私が知らなかった事実が指摘されていた。
以下引用する。
ナント、官製談合を告発した側の「原弘産」も安倍晋三一派の企業で、しかもヒューザーの物件を買い漁っていたとは、このところ毎週のように暴かれるアベスキャンダルの数々に免疫ができ始めていた私でさえ、さすがに驚いた。
「週刊ポスト」によると、問題の土地は神奈川県相模原市の2606平方メートルと埼玉県和光市の3313平方メートルの土地で、原弘産は昨年12月16日(まさに耐震偽装問題のさなか)にヒューザーから買い取り、和光市の物件に関してはこれを2か月後に転売して、「1億円程度」(記事による)の利益をあげている。また、相模原では現在、原弘産と不動産ファンドが共同でマンション建設を進めているという。
ヒューザーの小嶋社長は、今年1月17日の証人喚問で民主党の馬淵代議士が暴いた通り、「安晋会」の会員である。馬淵議員は、「グランドステージ川崎大師」の住民説明会(昨年11月20日)で、小嶋氏が「安晋会」の会員であること、同会の幹部から、安倍の政策秘書を紹介され、「国土交通省の次の次官になる方」に電話を入れてもらったことを得々と語っていたことを暴露した。
以下、再び「週刊ポスト」より引用する。
確かに、それ以外の説明は考えられまい。ここに、下関市のスキャンダルと耐震偽装事件が結びついたのだ。
「週刊ポスト」の取材に答えた原弘産の社長室には、安倍と原社長とツーショット写真が飾られていたそうだ。
原弘産は、ヒューザー破産後の今年8月にも、管財人を通じて千葉県市川市の土地(約3480平方メートル)を購入するなど、ヒューザー物件を買い漁っていたという。
また、「週刊ポスト」や、そのライバル誌「週刊現代」も報じているように、『下関市の社会教育複合施設の入札でも、ライバルの三菱商事はグループ企業・日本管財の社員が別の談合事件で逮捕されていたことから失格となり、最終的に原弘産が逆転受注を果たした』のである(括弧内は「週刊ポスト」12月22日の記事より引用)。
ありとあらゆる悪徳企業が安倍と結びついていて、デタラメをやりたい放題という実態には、呆れ返るばかりである。
最後に、「週刊ポスト」の記事の末尾を引用する。
「週刊ポスト」のこの記事は出色だった。こと「安晋会」絡みの記事に関する限り、「週刊ポスト」はライバル「週刊現代」を凌駕していると思う。
今後も「週刊ポスト」「週刊現代」両誌による、「安倍晋三の地下金脈の闇」の暴露報道の競争に、大いに期待したいものだ。
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ここに書かれている、2002年5月13日の早稲田大学で行われた講演会において安倍晋三が「憲法上核保有は憲法上問題ない」という発言した件は、「サンデー毎日」2002年6月2日号と同6月9日号でスクープされたもののはずだ。「はずだ」というのは、私は月刊「現代」2006年9月号に吉田司氏が書いた記事『「岸信介」を受け継ぐ安倍晋三の危うい知性』を通じて、間接的に知っているに過ぎないからだ。「サンデー毎日」のスクープ記事に、いずれ当たろうと思いながら実行できずに今まできてしまったので、近いうちに記事に当たってみたい。
おそらくきっこさんが書いている「学生の1人が小型レコーダーで録音」したテープを、サンデー毎日の記者が入手して、記事にしたものだと思う。
しかしこの講演会の司会者が田原総一朗だったとは知らなかった。田原は、安倍のこうした超タカ派的言動を熟知しながら、テレビでは全然そういう安倍の体質を批判しないわけだ。とんでもない偏向司会者だというほかないだろう。
ところで、「きっこの日記」のこの記事にも、下関市の江島潔市長の名前や「公共事業私物化問題」のことがちらっと出てくるが、「週刊ポスト」の12月22日号では、この「官製談合疑惑」を告発している側のはずの原弘産をめぐる仰天情報が報じられている。
この「官製談合疑惑」は、かつて「長周新聞」や書籍「安倍晋三の本性」、それに「きっこの日記」、「週刊現代」などに載り、当ブログでも何度かとりあげさせてもらった、おなじみの件なのだが、私が知らなかった事実が指摘されていた。
以下引用する。
下関市発注の『社会教育複合施設』の入札をめぐって、地元の最大手不動産開発会社『原弘産』(大証2部上場)のグループと、三菱商事グループが争い、なぜか9億円も高い価格(約83億円)で応札した三菱がいったん受注。これに異を唱えた原弘産が「汚い官製談合」(訴状)と告発したからだ。
三菱商事では安倍首相の実兄、寛信氏が下関エリアを統括する中国支社長を務めているため、"政治力で受注に成功したのではないか"と報じられているが、そう単純な構図ではない。
政治資金収支報告書によると、原弘産は03年に30万円、04年と05年には60万ずつ安倍氏(自民党山口県第4選挙区支部)に献金している。れっきとした安倍氏の有力後援企業だ。
どんなに割り引いて見ても、この訴訟は"安倍王国のお家騒動"にすぎない。
この原弘産が、昨年来の耐震偽装事件のさなか、ヒューザーの所有地2か所を買収していたことを本誌(註:週刊ポスト)はつかんだ。
(「週刊ポスト」 2006年12月22日号『安倍首相の「腹心企業」が「ヒューザー物件」を買い漁り!』より)
ナント、官製談合を告発した側の「原弘産」も安倍晋三一派の企業で、しかもヒューザーの物件を買い漁っていたとは、このところ毎週のように暴かれるアベスキャンダルの数々に免疫ができ始めていた私でさえ、さすがに驚いた。
「週刊ポスト」によると、問題の土地は神奈川県相模原市の2606平方メートルと埼玉県和光市の3313平方メートルの土地で、原弘産は昨年12月16日(まさに耐震偽装問題のさなか)にヒューザーから買い取り、和光市の物件に関してはこれを2か月後に転売して、「1億円程度」(記事による)の利益をあげている。また、相模原では現在、原弘産と不動産ファンドが共同でマンション建設を進めているという。
ヒューザーの小嶋社長は、今年1月17日の証人喚問で民主党の馬淵代議士が暴いた通り、「安晋会」の会員である。馬淵議員は、「グランドステージ川崎大師」の住民説明会(昨年11月20日)で、小嶋氏が「安晋会」の会員であること、同会の幹部から、安倍の政策秘書を紹介され、「国土交通省の次の次官になる方」に電話を入れてもらったことを得々と語っていたことを暴露した。
以下、再び「週刊ポスト」より引用する。
マンション会社が地盤以外の地域に進出する場合、施行するゼネコン、設備会社や管理業務の体制を新たに作らなければならないため、準備期間がかかる。関西までしか進出していなかった原弘産が一足飛びに関東の土地を手に入れるのはリスクも大きく、業界の常識では考えにくいという。
なぜ、原弘産はヒューザーの土地を手に入れることができたのだろうか。
(中略)
安倍氏と小嶋被告の関係は、今年1月17日の証人喚問で小嶋被告がまだ広くは知られていなかった安倍事務所とのコネクションによる事態解決に期待していた時期と一致するのである。
(中略)
安晋会企業であるヒューザーの急場を安倍氏の地元後援会企業が救い、原弘産は土地転売やマンション開発で儲ける。どちらにとっても損のない取引というわけだが、東京のヒューザーと下関の原弘産という一見、接点のなさそうな会社を結びつけたのは、安倍氏の人脈と見るのが普通だろう。
(「週刊ポスト」 2006年12月22日号『安倍首相の「腹心企業」が「ヒューザー物件」を買い漁り!』より)
確かに、それ以外の説明は考えられまい。ここに、下関市のスキャンダルと耐震偽装事件が結びついたのだ。
「週刊ポスト」の取材に答えた原弘産の社長室には、安倍と原社長とツーショット写真が飾られていたそうだ。
原弘産は、ヒューザー破産後の今年8月にも、管財人を通じて千葉県市川市の土地(約3480平方メートル)を購入するなど、ヒューザー物件を買い漁っていたという。
また、「週刊ポスト」や、そのライバル誌「週刊現代」も報じているように、『下関市の社会教育複合施設の入札でも、ライバルの三菱商事はグループ企業・日本管財の社員が別の談合事件で逮捕されていたことから失格となり、最終的に原弘産が逆転受注を果たした』のである(括弧内は「週刊ポスト」12月22日の記事より引用)。
ありとあらゆる悪徳企業が安倍と結びついていて、デタラメをやりたい放題という実態には、呆れ返るばかりである。
最後に、「週刊ポスト」の記事の末尾を引用する。
下関市の建設業界は、「安倍支持者でなければ人ではない」とさえいわれる安倍首相の金城湯池だが、その陰ではハコモノ公共事業をめぐる不祥事が相次いでいる。安倍氏の地元金脈を掘り下げると、まだまだ闇が潜んでいるのである。
(「週刊ポスト」 2006年12月22日号『安倍首相の「腹心企業」が「ヒューザー物件」を買い漁り!』より)
「週刊ポスト」のこの記事は出色だった。こと「安晋会」絡みの記事に関する限り、「週刊ポスト」はライバル「週刊現代」を凌駕していると思う。
今後も「週刊ポスト」「週刊現代」両誌による、「安倍晋三の地下金脈の闇」の暴露報道の競争に、大いに期待したいものだ。
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最近、読者の方々からのコメントで構成する記事を二件公開したが、私自身が書く記事よりよほどためになるコメントが多く寄せられていて、どうやって紹介していこうかと頭を悩ませる今日この頃だ。
今回は、辺見庸さんについて書いた『「言論の自由」その3?「鵺のような全体主義」を超えるには』に寄せられたコメントから記事を構成したい。
まず、たびたび紹介させていただく朝空さんのコメントから。朝空さんの文章は、私の文章などよりよほど優れているので、できるだけ多くの方々に読んでいただきたいと、いつも強く念じている。
たまたま、前の週末に辺見庸さんの「自分自身への審問」(毎日新聞社、2006年)を通して読んだが、朝空さんが紹介されたこの文章が収録されていた。恥を忍んで告白するが、ブログで辺見さんの文章を紹介していながら、標題の「自分自身への審問」が収録されている最終章しかそれまで読んでいなかったのである。
この本によると、サリン事件について書かれた記事は、確かに2005年3月19日、共同通信の配信となっている。
「鵺のような全体主義」は、辺見さんが描いたような、生真面目な大衆の沈黙が形成するのだろう。
意外な組み合わせだが、かつて、音楽評論家の吉田秀和が、朝日新聞の「音楽展望」で、当時朝日の名物記者だった本多勝一の、旧東独に関するルポルタージュを称賛した文章を書いたことがある。この時、吉田は確か本多の「市民的」な勇気を高く買っていたのではなかったかと思う(うろ覚えなので、あとでよく調べてみたい)。
私自身は、本多に見られる独裁志向の部分はまったく評価しないが、本多が「一人でも声をあげていこう」とする勇気のあるジャーナリストでもあったことについては高く買っている。
それはともかく、声をあげない従順な人たちが多いのが、日本の社会の特徴ではないかと思う。声をあげることを抑制して、黙っていた方が身のためだよ、などと言う人さえ珍しくないのだ。
一人一人が好き勝手に発言しているかに見えるフランスを報道記事で見ていて、いつもうらやましく思っている。
続いて、これも以前に取り上げさせていただいた奈央さんが、朝空さんのコメントを受けて、次のようにコメントされている。
奈央さんが書かれるように、自分の心に正直になることは、とても大事なことだと、私も思う。
最後に、いつもコメントをいただいている非戦さんのコメントを紹介する。
確かに、皆が沈黙している社会には、私も慄然とするものを感じるが、辺見さんも「自分自身への審問」で書かれているように、違和感を感じている人間にさえ、知らず「鵺のような全体主義」に荷担している部分があることに、私などはよりいっそう慄然としてしまう。
それにしても、辺見さんの文章には、読者の心を深く抉るものがある。とても「共感した」などという生易しい言葉で表現できるものではない。そもそも、脳出血の後遺症と癌を同時に抱え、それでもなお発言を続けていくなどということが私に可能であるとはとても思えない。
これから、もっともっと多くの辺見さんの文章を読んでいかなければならないと強く思った。辺見庸に気づくのが遅すぎた、おのれの不明を恥じる次第である。
今回は、辺見庸さんについて書いた『「言論の自由」その3?「鵺のような全体主義」を超えるには』に寄せられたコメントから記事を構成したい。
まず、たびたび紹介させていただく朝空さんのコメントから。朝空さんの文章は、私の文章などよりよほど優れているので、できるだけ多くの方々に読んでいただきたいと、いつも強く念じている。
たまたま切り抜いてあった『信濃毎日新聞』という地方紙の05年3月17日付けの切り抜きがあるので、抜粋する。共同配信の記事かも知れないが。執筆者は「辺見庸、作家」。
「鬼畜」対「良民」なのか
―地下鉄サリンから10年―
やけに風の強かった月曜のあの朝、私はいったい何にたまげたのだろう。十年後の今でも時折反芻(はんすう)するのは、糸の切れたマリオネットのように、ゆっくりと通路に崩れ落ちるサリン被害者たちのむごい姿では必ずしもない。倒れた人々を助けるでなく、まるで線路の枕木でも跨ぐようにしながら、一分でも職場に遅れまいと無表情で改札口を目指す圧倒的多数の通勤者たち。目蓋に焼きついているのは、彼ら彼女たちの異様なまでの「生真面目さ」なのである。
あれは、しかし、真に人間的な真面目さだったのであろうか。口から泡を吐き苦しみ悶える被害者を眼の端に入れながら、なおも改札口に殺到する群れが、この国の民衆の原像であるとしたら、十年でそれはどう変貌したのか。サリンを撒いた加害者達と脇目も振らず職場に急いだ人々は、「鬼畜」対「良民」といった、後の裁判で語られたような単純な構図であったのか― 十年間、私は折りに触れて考えた。
……その朝、私はたまたま地下鉄日比谷線の神谷町駅構内にいた。……
……当初の現場にはマスコミが報じたような「パニック」などなかったのだ。不可思議な「秩序」のみが存在したのである。通勤者も、駅員も、遅れて駆け付けた記者らも、実に生真面目だった。ただし、それぞれの職分のみに。
…… あの朝の生真面目さの隊列には、通勤者や記者らとともに、実のところサリン製造者や撒布者らも象徴的に連なるのではないか。加害者が決して尋常ならざる「反逆者」だったのではなく、大方の通勤者、記者、警察官同様に、心優しき「服従者」にすぎなかったのではないか。……そこには言葉の優れた意味で自由な「私」は一人としていなかったのである。……
法廷でふと想い出した一節がある。「暗く陰惨な人間の歴史をふり返ってみると、反逆の名において犯されたよりもさらに多くの恐ろしい犯罪が服従の名において犯されていることがわかるであろう」。スタンレー・ミルグラムが『服従の心理 アイヒマン実験』
(岸田秀訳)で引用したC・スノーの言葉である。……
……ファシズムはかっての装いを一変して、あくまでも優しく道理にかなっているかのごとくに日々を振る舞っているのである。
(朝空さんのコメント)
たまたま、前の週末に辺見庸さんの「自分自身への審問」(毎日新聞社、2006年)を通して読んだが、朝空さんが紹介されたこの文章が収録されていた。恥を忍んで告白するが、ブログで辺見さんの文章を紹介していながら、標題の「自分自身への審問」が収録されている最終章しかそれまで読んでいなかったのである。
この本によると、サリン事件について書かれた記事は、確かに2005年3月19日、共同通信の配信となっている。
「鵺のような全体主義」は、辺見さんが描いたような、生真面目な大衆の沈黙が形成するのだろう。
意外な組み合わせだが、かつて、音楽評論家の吉田秀和が、朝日新聞の「音楽展望」で、当時朝日の名物記者だった本多勝一の、旧東独に関するルポルタージュを称賛した文章を書いたことがある。この時、吉田は確か本多の「市民的」な勇気を高く買っていたのではなかったかと思う(うろ覚えなので、あとでよく調べてみたい)。
私自身は、本多に見られる独裁志向の部分はまったく評価しないが、本多が「一人でも声をあげていこう」とする勇気のあるジャーナリストでもあったことについては高く買っている。
それはともかく、声をあげない従順な人たちが多いのが、日本の社会の特徴ではないかと思う。声をあげることを抑制して、黙っていた方が身のためだよ、などと言う人さえ珍しくないのだ。
一人一人が好き勝手に発言しているかに見えるフランスを報道記事で見ていて、いつもうらやましく思っている。
続いて、これも以前に取り上げさせていただいた奈央さんが、朝空さんのコメントを受けて、次のようにコメントされている。
私の従姉も地下鉄サリン事件に巻き込まれました。
あの被害者の方たちの痛々しい姿を今でも忘れることができません。
サリンに触れたため重態になり病院に搬送された駅員さん、消防隊員におんぶされ泣きながら地下鉄の駅の出口へ出た方、嘔吐していた人たち、横になって救助を待っていたさまざまな人たちを思い出します。
それと、辺見庸さんの観察眼やヌエという表現に対して唸らざるをえませんでした。
なぜ、サリンによるけが人を見ながら何もせず会社へ行くのだろう、これって昨年の福知山脱線衝突事故当時のJR職員たちといっしょじゃない?という印象を受けました。
また、ユダヤ人のホロコーストの教訓から学んだことを思わずにいられませんでした。
彼らは、権力者が間違っている行動をしている場合、従順であることより自分の考えを優先して権力者の意見や命令を無視してもよいと教えられています。
たぶん、日本では、考えられないことでしょう。
疑いはしても相手の顔色を気にして違う意見を述べること実行に移すことが難しいと思います。
そうならないようにせめて自分の心に正直でいたいと思います。
(奈央さんのコメント)
奈央さんが書かれるように、自分の心に正直になることは、とても大事なことだと、私も思う。
最後に、いつもコメントをいただいている非戦さんのコメントを紹介する。
辺見さんが目撃したサリン事件での平常の行動を保つ市民の姿には衝撃を受けました。
どうして、そんなに平静でいられるのかと。
それこそ鵺のような社会と市民の中に暮らしていかなければならないことが、辺見さんと同じく私も苦痛に感じます。
そういう人がいる中で、教育基本法改正反対!と言って国会の前で座り込みをしている人たちの前を、何の感情も持たず、または冷笑しとおりすぎていく人たちには、反対する人たちが単に邪魔な存在なのでしょうか?
権力にすがりつく人たちは、ファシズム国家になったとき(もうなっている)、国のために何でもするのでしょうか。やっぱり、国民のレベルにあった政権しかもてないのです。でも、そうならなにように、今、みんなが必死で抵抗して闘っているんだと思います。
(非戦さんのコメント)
確かに、皆が沈黙している社会には、私も慄然とするものを感じるが、辺見さんも「自分自身への審問」で書かれているように、違和感を感じている人間にさえ、知らず「鵺のような全体主義」に荷担している部分があることに、私などはよりいっそう慄然としてしまう。
それにしても、辺見さんの文章には、読者の心を深く抉るものがある。とても「共感した」などという生易しい言葉で表現できるものではない。そもそも、脳出血の後遺症と癌を同時に抱え、それでもなお発言を続けていくなどということが私に可能であるとはとても思えない。
これから、もっともっと多くの辺見さんの文章を読んでいかなければならないと強く思った。辺見庸に気づくのが遅すぎた、おのれの不明を恥じる次第である。
12月7日付の記事「御用学者にだまされるな」は、「きまぐれな日々」としても珍しく、私が思っていることをストレートに表現した会心の記事で、多くのトラックバックとコメントをいただいた。また、美爾依さんの「カナダde日本語」からリンクを張っていただいた(美爾依さんからは、うれしいおほめのコメントもいただいている)。ここに皆さまにお礼を申し上げる。
今回は、この記事に寄せられたコメントからいくつか紹介したいと思う。
まず、ブログ「とむ丸の夢」の管理人・とむ丸さんのコメントから。
中央と地方のエリートが形作る階層構造についての興味深いコメントだと思う。
とむ丸さんのコメントを受けて、朝空さんがさらに詳しく論じておられるので、以下に紹介する。
続いては、ブログ「平和のために小さな声を集めよう」の管理人・眠り猫さんのコメントを紹介する。
コメントの文末にある「曲学阿世」(きょくがくあせい、「学を曲げ世に阿る(おもねる)」の意)という四文字熟語は、私が記事に書いた時に頭にあった言葉だ。慶応大学に御用学者が多いという指摘は、どーもさんからもいただいた。
次は、ブログ「Dendrodium」の管理人・Dendrodiumさんからのコメントを紹介する。
たいへんありがたいコメントだが、「アメリカ人の代わりに死ぬ日本人募集中の表示」とは、「雑談日記」の管理人・SOBAさんと「とりあえずガスパーチョ」の管理人・ガスパーチョさんの合作によるバナーのことなので、お二人にも感謝の意を表明したい。
続いては、ブログ「billabong」の管理人・あずーるさんのコメントを紹介する。
確かに、植草一秀さんははめられた疑いが濃厚だと私も思う。植草さんに限らず、政府に批判的な学者たちがマスメディアから干されていることは、私も常々感じていることだ。
最後に、この記事を書いている最中にいただいた、ブログ「津久井進の弁護士ノート」の管理人・つくいさん(弁護士・津久井進さん)のコメントを紹介する。
これはまことにありがたいアドバイスだ。
確かに、マスメディアに登場して害毒を垂れ流している御用学者たちがはびこっている一方で、良心的な仕事をされている学者たちが大勢おられることも忘れてはならないだろう。こういう真面目な学者たちは、マスメディアには等閑視されるという言論状況なので、気がついたら当ブログでも積極的に取り上げていきたいと思う。
なお、ここに取り上げ切れなかったコメントも、いずれ劣らぬ内容のあるものばかりで、本当は全部紹介したかったのだが、内容の重複や当記事における流れ等を考慮して、上記の6件を選ばせていただいたことをお断りしておきたい。
今回は、この記事に寄せられたコメントからいくつか紹介したいと思う。
まず、ブログ「とむ丸の夢」の管理人・とむ丸さんのコメントから。
権力エリートの仲間意識は、地方は地方でそれなりにあるんです。私たちがそれをうかがい知るのは、これ見よがしに仲間内でしか分からない話題と言葉で目配せしながら話をしているとき。ただし、御用学者はいないか、いても大したことありません。
で、上には上がいて、彼等は中央の権力エリートの末端として機能するのを自ら望んで、そのように動きます。
この地方の権力指向者に対して中央のエリートは、またそれなりに見返りを与えています。
なんだか封建制の「後恩と奉公」で成り立つヒエラルキーが存在しているんですよね。
(とむ丸さんのコメント)
中央と地方のエリートが形作る階層構造についての興味深いコメントだと思う。
とむ丸さんのコメントを受けて、朝空さんがさらに詳しく論じておられるので、以下に紹介する。
歴史的にこの国の「社会・人文科学」の系統は、師匠を戴き引き上げてもらう構造にあったように思う。戦後、その種の意識構造に反逆した無頼派という小説家の一団があったが、彼ら自身そう名乗ったかはともかく、確かに「頼らず」という意味の無頼の要素を持ち合わせていたと感じている。「戦後の一時期に、大衆に支持されて表舞台に現れた最も民主的な文学」。そう彼らを呼んだ評者がいたが、無頼の意味と合わせて適切な批評だったように思う。
敗戦2年後、彼らは対談の中で「日本の文学は村長を必要としてきた」という意味のことを言っている。また「誰かがなりたがるというより、周りが祀り上げてそうなる」とも言っている。構造的にもそうなのだが、一人ひとりの心性に、その種の意識が染み付いていると言っているのだ。
「とむ丸」さんが「中央」「地方」の意識構造に触れているように、「中央」にも「地方」にも、この種の意識が互いを相似形として、変わらず存在している。そしてそれぞれの間や各々の内側には、指摘された通りの頑ななヒエラルキーが存在する。それは言わば、一人ひとりの思い込み(後天的な刷り込み)が生み出すヒエラルキーと言っていいように思う。私も一地方の人間だが、私が関わってきた多くの者達は、「持ち上げとけ。こっちは元が取れればいいさ」―。その種の“庶民のプラグマティズム”ではなく、どこか本気で思い込み持ち上げる、そしてひれ伏す自分自身を不当に持ち下げると感じてしまうことが多い。「あんたもやりゃあできるぜ」。そう言われてもキョトンとするのみならず、なぜか憎悪をこちらに向けることすらあるのだ。
私の地方では数ヶ月前、役人も議会も地元マスコミも敵に回したあげく、とうとう落選した「自律派」知事がいた。「お前ら自分の足で立て」。それは中央―地方の関係だけでなく、地方内部の「秩序」をも破壊するものだった。持ち上げられなければ居たたまれない田舎名士の議員達。「上」の指示がなければ「個人」としても混乱する役人。そして悪質なのはマスコミだ。口では民主を唱導する。だが記者クラブなんか要らない、君達を持ち上げる必要はない―。このような実践者が現れれば、感情(体質)のレベルで反感を抱き、追い落としに加担する。
そして悲しいのは、支持した者達の多くも、自分の自力を信じられず、「中央からの落下傘」にしかすがれなかったという点だ。この知事の周りからは「地方のインテリ」が次々と離れていったことがあるが、「自律」への意識のずれが大きく働いていたのだろうと思っている。知事なる人物のやり方も、拙劣だったのだろうが。
意識を、心性を変えるというのは、世代単位の事業のように思う。それは絶望としての意味ではなく、その位腹を据えてかからないと、という意味においてなのだ。
(朝空さんのコメント)
続いては、ブログ「平和のために小さな声を集めよう」の管理人・眠り猫さんのコメントを紹介する。
経済学と国際政治学には、基本的な拠り所となる「定理」や「真理」と言う物が元々存在しません。また、同じ社会科学とされる法学のように、人間が定めたものとはいえ、よって立つ原則も存在しません。
結果的に、この2つの学問では、「どうとでもいえる」と言うのが実情です。経済学も国策による経済刺激、企業優遇による経済指標の上昇、それとは逆に消費者の立場に立った経済政策など、どのようにでも立場が取れるのです。
ですから、御用学者には、経済学者が多いです。次いで死んだ高坂正堯(民主党前原の師匠)や、舛添のような国際政治学者です。
今安倍政権では、「有識者会議」と言う名の、御用学者、評論家を集めての政策提言をするという会議が乱造されています。
これは中曽根政権当時にも「首相の私的諮問機関」といわれて、悪用されたのと同じで、国会の委員会などでの議論を経ずに、「◎◎会議の答申だから」と言って権威付けに利用した上で、国会を通してしまうという、議会性民主主義を無視した、ファッショ的手法です。
皆さんご指摘の通り、これらには重複した名前がいくつも並び、御用学者たちのクラブになっています。
残念ながら私の大学時代の恩師の一人もその仲間入りしています。名誉欲というのには勝てない人もいるようです。
あと、慶應は御用学者多いですね。と言うか、御用学者を教授に迎えるといったほうが近いかもです。
「曲学阿世」とはこのことです。
(眠り猫さんのコメント)
コメントの文末にある「曲学阿世」(きょくがくあせい、「学を曲げ世に阿る(おもねる)」の意)という四文字熟語は、私が記事に書いた時に頭にあった言葉だ。慶応大学に御用学者が多いという指摘は、どーもさんからもいただいた。
次は、ブログ「Dendrodium」の管理人・Dendrodiumさんからのコメントを紹介する。
ご意見いちいち同感でした
又アメリカ人の代わりに死ぬ日本人募集中の表示に特に同感しました。
それとも知らず憲法9条を変えて独立国にと言っている青年たちが哀れでなりません。
古来悪事は常に正義の仮面をかぶってやってきています。そして気がついた時にはもう手遅れになっていると言う寸法なのです。
(Dendrodiumさんのコメント)
たいへんありがたいコメントだが、「アメリカ人の代わりに死ぬ日本人募集中の表示」とは、「雑談日記」の管理人・SOBAさんと「とりあえずガスパーチョ」の管理人・ガスパーチョさんの合作によるバナーのことなので、お二人にも感謝の意を表明したい。
続いては、ブログ「billabong」の管理人・あずーるさんのコメントを紹介する。
はじめまして♪AbEndフォーラムに参加し、安倍晋三TBに参加しています。
御用学者の件、日本経済新聞でも以前かかれていました。小泉政権で有識者会議がひらかれるようになったけれど、政府よりばかりの人で官僚は改革をやる気がないから、有識者会議をしましたというお墨付きがほしいだけだと。最近のタウンミーティングといっしょですね。
また「日本マスコミ『臆病』の構造」で (単行本) ベンジャミン フルフォードが知りながら報道しないという政府と大手マスメディアの仲良しクラブの罪が書かれています。
だから正当なことでも、政府に批判的なことを言う学者は影響力の強いメディアによばれないんでしょうね。植草さんがはめられたような気がしてなりません。紺屋さんも出てこないし・・・
参考:植草氏の応援ブログ
http://yuutama.exblog.jp/
(あずーるさんのコメント)
確かに、植草一秀さんははめられた疑いが濃厚だと私も思う。植草さんに限らず、政府に批判的な学者たちがマスメディアから干されていることは、私も常々感じていることだ。
最後に、この記事を書いている最中にいただいた、ブログ「津久井進の弁護士ノート」の管理人・つくいさん(弁護士・津久井進さん)のコメントを紹介する。
一方で,良心的な学者もたくさんいるので,勇気付けられます。
こういう良心的学者へのエールも大切にしたいですね。
(つくいさんのコメント)
これはまことにありがたいアドバイスだ。
確かに、マスメディアに登場して害毒を垂れ流している御用学者たちがはびこっている一方で、良心的な仕事をされている学者たちが大勢おられることも忘れてはならないだろう。こういう真面目な学者たちは、マスメディアには等閑視されるという言論状況なので、気がついたら当ブログでも積極的に取り上げていきたいと思う。
なお、ここに取り上げ切れなかったコメントも、いずれ劣らぬ内容のあるものばかりで、本当は全部紹介したかったのだが、内容の重複や当記事における流れ等を考慮して、上記の6件を選ばせていただいたことをお断りしておきたい。
前の記事で、「コイズミカイカク」の理論的拠り所である新自由主義を、「カルト」と切り捨てた。基本的に、私はコイズミ流の「改革」には大反対である。
とはいえ、無駄な公共事業は削らなければならないのは当然のことだ。公共事業は、乗数効果の期待できる事業に絞って、効果的に行われるべきものだと思う。
われらが安倍晋三は、その点からいっても失格である。これまでも何回か紹介したことのある金曜日刊「安倍晋三の本性」から以下に引用する。
呆れ返るばかりの安倍晋三の実態である。
朝日新聞は12月8日付の社説「道路延びて、国滅ぶ」で、また毎日新聞は12月9日付の社説「道路財源見直し 安倍政権は族議員に屈した」でそれぞれ安倍首相が「族議員」に屈したとして批判しているが、屈したも何も、安倍晋三自身が族議員なのだ。自らの地元での支持基盤を危うくするような政策は、安倍にはできっこない。
とにかく、日本を良くするには、一刻も早くこの政権を葬り去ってしまうしかあるまい。
とはいえ、無駄な公共事業は削らなければならないのは当然のことだ。公共事業は、乗数効果の期待できる事業に絞って、効果的に行われるべきものだと思う。
われらが安倍晋三は、その点からいっても失格である。これまでも何回か紹介したことのある金曜日刊「安倍晋三の本性」から以下に引用する。
「自民党を壊す」「派閥を壊す」と宣言し、過去の「永田町政治」との決別を公約にした小泉純一郎前首相。その小泉氏の後押しで首相に登り詰めた安倍晋三氏もまた、「官邸主導」を打ち出すなど、「斬新な政治」をアピールする。だが一皮むけば、エリート三世議員は旧来の利益誘導型政治家にすぎないことが浮かび上がってくる。
地元への利益誘導を宣言
自民党総裁選を前にした8月13日、安倍氏は父親の故晋太郎氏の生まれ故郷である長門市を訪問、墓の前で実質的な出馬宣言をした。その前日、長門市内で開かれた支援集会では、地元への利益誘導をはっきりと口にした。
「山陰自動県道(起点・終点/山口県矢作市・鳥取市)は必要でしょうし、インフラ整備、基礎的な基盤をつくっていくのも政治家の大きな使命だ」
「山陰自動車道」は、山口県美祢市から長門市や島根県("青木幹雄王国")を経て鳥取県鳥取市に至る380キロの路線。山口県内にはすでに「山陽自動車道」と「中国縦貫自動車道」道」が東西に走っており、日本海沿いの「山陰自動車道」を作れば、三本目の道路建設となる。
田辺よし子・下関市議(無所属)は呆れた。
「北海道の高速道路が『熊しか通らない』と揶揄されたことがありましたが、その二の舞になるのは確実です 中国山地を走る『中国縦貫自動車道』は『シカやタヌキしか通らない』『夜は星がきれい』と,言われるほど交通量が少ない,これと並行して、さらに『山陰自動車道』を作ろうとしているのです、下関市でも推進論は皆無です」
安倍氏は「小泉後継」を名乗っているが、小泉首相は、「不必要な道路は作らない」と宣言、道路交通民営化を「一丁目一番地の改革」と位置づけ、民営化推進委員会を発足させた。そこで議論の焦点になったのは「9342キロ(整備計画路線)」を全て建設するのか否かだった。ところが「山陰自動車道」には、この整備計画にも該当しない「予定路線(1万1520キロ)」に含まれているのだ。
山口県道路建設課は喜んだ。
「確かに山陰自動車道は、9342キロよりも低いレベルです(建設の優先度が下)。毎年二回陳情し、安倍先生の部屋にも行っています。推進発言に感謝しています」
「安倍晋三の本性」(俵義文/魚住昭+佐高信/横田一+週刊金曜日取材班=金曜日刊、2006年)より
呆れ返るばかりの安倍晋三の実態である。
朝日新聞は12月8日付の社説「道路延びて、国滅ぶ」で、また毎日新聞は12月9日付の社説「道路財源見直し 安倍政権は族議員に屈した」でそれぞれ安倍首相が「族議員」に屈したとして批判しているが、屈したも何も、安倍晋三自身が族議員なのだ。自らの地元での支持基盤を危うくするような政策は、安倍にはできっこない。
とにかく、日本を良くするには、一刻も早くこの政権を葬り去ってしまうしかあるまい。
唐突な物言いだが、私はもともと理系の人間であって、人文科学や社会科学の分野に対して、抜きがたい偏見を持っている。
つまり、これらの分野が「科学」と名乗るのは僭称ではないかということだ。客観的に検証することなどできっこないこれらの分野が果たして「科学」であり得るのか、はなはだ疑問だと、私は考えている。
特に経済学に対して、この偏見を強く持っている。昔、「進歩的文化人」とやらが、「科学的社会主義」などと称していたものが、実は「カルト」と同義語だったというのは、もはや定説といっても差し支えないだろう。その反動か、現在、いわゆる「新自由主義」なるものが猖獗(しょうけつ)をきわめているが、これも「科学的社会主義」同様、カルト以外のなにものでもないと、私は考えている。
「コイズミ改革」なるものが拠って立つところのものが、この「新自由主義」なるカルトである。
たとえば、山本一太や佐藤ゆかりなどに代表される馬鹿者どもが「改革」を連呼している映像がテレビに映ると同時に、私はチャンネルを切り替えることにしている。あのような低劣な人間どもの映像を見ることは、人生の貴重な時間の無駄づかい以外のなにものでもない。
さて、だいぶ前のことになるが、弊ブログのコメント欄で、田島正樹さんのブログ「ララビアータ 田島正樹の哲学的断想」を紹介していただいたことがある。その中に、実に印象的な記事があったので、ここに紹介する。
実に痛快な指摘だ。これを読んで、胸のつかえが取れた気がした。もっとも、恥ずかしながら「レイマン」と「ジャーゴン」という言葉を、私は知らなかった。調べてみたところ、「レイマン」(layman)は「素人、門外漢」の意で、「ジャーゴン」(jargon)は「普通の人にはわからない専門用語」の意らしい。技術系の人間が言う「テクニカル・ターム」(technical term)などとは違って、「ジャーゴン」という語には否定的なニュアンスが込められているようだ。
安倍晋三は、この文章に描かれている連中に担がれている御輿にすぎない。なぜ安倍晋三なのか。それは、かつて小沢一郎が海部俊樹を指していみじくも言った通り、「担ぐ御輿は軽くてパーが良い」からだ。御輿に乗る人間は、馬鹿である方が好ましいのだ。
ここで、安倍晋三と対極に位置する男の話題に切り替える。
森永卓郎という男がいる。経済アナリストを自称しているが、結構いい加減なことを言ったり書いたりしているので、テレビで「識者」たちの集中砲火を浴びることも少なくない。実際、森永の主張にはデタラメが多い。しかし、不思議と肝心かなめのところは押さえている男だ。
私は、2000年に出版された森永の著書「リストラと能力主義」(講談社現代新書)をきわめて高く買うものである。これは、現代の大企業ではびこる「成果主義」の問題点を、早い時期に鋭く突いた本だ。入口(職種種や勤務地についての従業員の希望)を制限しておきながら、出口(成果)を問うという、日本の多くの企業における人事システムの理不尽さを、鋭く告発した書である。
斎藤貴男によるこの本の書評が、上記アマゾンのサイトに張ったリンクから参照できるので、興味のおありの方はご参照いただきたいが、斎藤も指摘しているように、『まるでスターリン体制下の旧ソ連のように、思想統制も含めた恐怖政治が企業社会に罷り通る。「ただ目立たず、はしゃがず、決してボロを出さない、そしてひたすら会社にしがみついていくだけのサラリーマンが急増している」』(斎藤貴男による森永卓郎「リストラと能力主義」書評、「日経ビジネス」2000年4月17日号初出)と、私も思う。そして、それは何も企業に限らず、わが国における言論状況全体にも同じことが言えると思うのだ。
「物言えば唇寒しだねえ」と、自民党の島村宜伸がテレビで無責任に放言していたが、いとも簡単に信念を曲げて自民党にしがみついたこの男なども、典型的な悪例の一人だと私は思う。
話を森永卓郎に戻そう。「森永卓郎 - Wikipedia」には、次のような記述がある。
この記述を読むと、田原は森永を馬鹿にし続けていたが、2005年11月に、自らの誤りを認めたことがわかる。つまり、小泉自民党が総選挙で大勝したあとに、間違ったことを言って森永さんを批判してゴメンナサイ、と言ったワケだ。なんとも見下げ果てたデマゴーグと評するほかはない。
もっともらしい理屈で人々を煙に巻く経済学者たちのやっていることも、本質的に田原総一朗と変わるところはないと、私は考えている。彼らが用いているのは、人々を騙すための詭弁に過ぎず、到底学問という名になど値しない。
もちろん、中にはまっとうなアプローチで経済学を研究している学者もいるだろう。だが、竹中平蔵に代表されるような、政治と深く結びついた「学者」たちがやっていることは、断じて「学問」や「科学」などの名を冠するにふさわしいものではないと、私は確信している。
彼らは、単なる詐欺師である。御用学者にだまされてはいけない。
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つまり、これらの分野が「科学」と名乗るのは僭称ではないかということだ。客観的に検証することなどできっこないこれらの分野が果たして「科学」であり得るのか、はなはだ疑問だと、私は考えている。
特に経済学に対して、この偏見を強く持っている。昔、「進歩的文化人」とやらが、「科学的社会主義」などと称していたものが、実は「カルト」と同義語だったというのは、もはや定説といっても差し支えないだろう。その反動か、現在、いわゆる「新自由主義」なるものが猖獗(しょうけつ)をきわめているが、これも「科学的社会主義」同様、カルト以外のなにものでもないと、私は考えている。
「コイズミ改革」なるものが拠って立つところのものが、この「新自由主義」なるカルトである。
たとえば、山本一太や佐藤ゆかりなどに代表される馬鹿者どもが「改革」を連呼している映像がテレビに映ると同時に、私はチャンネルを切り替えることにしている。あのような低劣な人間どもの映像を見ることは、人生の貴重な時間の無駄づかい以外のなにものでもない。
さて、だいぶ前のことになるが、弊ブログのコメント欄で、田島正樹さんのブログ「ララビアータ 田島正樹の哲学的断想」を紹介していただいたことがある。その中に、実に印象的な記事があったので、ここに紹介する。
権力エリートたちが、一般にアクセスできない情報に、合法・非合法ぎりぎりの所で、たやすくアクセスでき(たとえば、ヒルズの私的パーティとか、軽井沢のお隣づきあいとか、東大の同窓会とか…)、それによって巨額の利益を得る事が出来るという事実が、それを小難しい議論で擁護しようとする論客の議論と密かに持つリンクを、暴きださねばならない。つまり、これらの論客が「日本型エリート秘密クラブ」へ喜んで招き入れられる見返りとして、この秘密クラブのメンバーを擁護するために、いざとなればその専門的知識を駆使するという黙契を結んでいることこそが、彼らの小ざかしい議論の背景にあることを、暴露せねばならないのである。
我が国のエリートたちは、政界も財界も学会もプレスも、八ヶ岳のように並び立ち互いに競争する仕組みにはなっておらず、中心的エリートになればなるほど仲間意識で強く結ばれ、互いにかばいあう、多重の入子型の秘密クラブ的構造になっているのである。つまり、そこではメンバー全員がインサイダーなのであり、彼ら同志の日常生活そのものに、合法性を装ったインサイダー取引が組み込まれているのである。したがって、その中でより中心部にいる人間同士は、特に取引したりすることなく互いに情報をやり取りしたり、便宜供与し合う事が出来るのに、外部の人間からは、彼らが交し合う目配せがわからないように出来ている。
そんなところで、あたかも理論的に厳密さを装った「論客」の屁理屈に付き合って反論しているだけでは、常に後れを取ることになるだろう。彼らは、法律家とか経済学者といった麗々しい肩書きで、レイマンを威圧するだけが取り得の小難しい議論を展開するが、結論はそんな議論によって与えられるのではなく、それ以前に彼らの「エリート秘密クラブ」からの暗黙の要請で、初めから決まっているからである。
そんな時、ぐるになったこうした連中の実存形式から、彼らの言説の卑しい動機を暴露する事が出来れば、衒学的な議論の細部に幻惑されることなく、人々は己れ自身の不正感覚に基づいて「敵」を討つ事が出来るだろう。インサイダーに対しては、その靴でも舐めかねないほど卑屈なのに、外部のレイマンに対してはジャーゴンを居丈高に振りかざすこれらの立身出世主義者たちが、秘密クラブの「名誉」会員権を求めて、ヒルのように擦り寄る様を描き出すことによって、我々は、彼らに恥をかかせてやらねばならないのだ。
「左翼の言語戦略(1)」?「ララビアータ 田島正樹の哲学的断想」より
実に痛快な指摘だ。これを読んで、胸のつかえが取れた気がした。もっとも、恥ずかしながら「レイマン」と「ジャーゴン」という言葉を、私は知らなかった。調べてみたところ、「レイマン」(layman)は「素人、門外漢」の意で、「ジャーゴン」(jargon)は「普通の人にはわからない専門用語」の意らしい。技術系の人間が言う「テクニカル・ターム」(technical term)などとは違って、「ジャーゴン」という語には否定的なニュアンスが込められているようだ。
安倍晋三は、この文章に描かれている連中に担がれている御輿にすぎない。なぜ安倍晋三なのか。それは、かつて小沢一郎が海部俊樹を指していみじくも言った通り、「担ぐ御輿は軽くてパーが良い」からだ。御輿に乗る人間は、馬鹿である方が好ましいのだ。
ここで、安倍晋三と対極に位置する男の話題に切り替える。
森永卓郎という男がいる。経済アナリストを自称しているが、結構いい加減なことを言ったり書いたりしているので、テレビで「識者」たちの集中砲火を浴びることも少なくない。実際、森永の主張にはデタラメが多い。しかし、不思議と肝心かなめのところは押さえている男だ。
私は、2000年に出版された森永の著書「リストラと能力主義」(講談社現代新書)をきわめて高く買うものである。これは、現代の大企業ではびこる「成果主義」の問題点を、早い時期に鋭く突いた本だ。入口(職種種や勤務地についての従業員の希望)を制限しておきながら、出口(成果)を問うという、日本の多くの企業における人事システムの理不尽さを、鋭く告発した書である。
斎藤貴男によるこの本の書評が、上記アマゾンのサイトに張ったリンクから参照できるので、興味のおありの方はご参照いただきたいが、斎藤も指摘しているように、『まるでスターリン体制下の旧ソ連のように、思想統制も含めた恐怖政治が企業社会に罷り通る。「ただ目立たず、はしゃがず、決してボロを出さない、そしてひたすら会社にしがみついていくだけのサラリーマンが急増している」』(斎藤貴男による森永卓郎「リストラと能力主義」書評、「日経ビジネス」2000年4月17日号初出)と、私も思う。そして、それは何も企業に限らず、わが国における言論状況全体にも同じことが言えると思うのだ。
「物言えば唇寒しだねえ」と、自民党の島村宜伸がテレビで無責任に放言していたが、いとも簡単に信念を曲げて自民党にしがみついたこの男なども、典型的な悪例の一人だと私は思う。
話を森永卓郎に戻そう。「森永卓郎 - Wikipedia」には、次のような記述がある。
2004年から、2005年にかけて、テレビ朝日で放映されている朝まで生テレビや、サンデープロジェクトで、「日本の課税最低限は先進国中最悪レベル」と発言した。この発言に対して、司会の田原総一朗はじめ、ほぼ全員の出演者から「日本は課税最低限が高い」といった非難を浴びた。田原は番組の度に森永を批判していたが、2005年11月放送の朝まで生テレビにおいて、「(財務省のホームページや、各種資料を見たところ)森永さんの発言は正確です」と説明している。
この記述を読むと、田原は森永を馬鹿にし続けていたが、2005年11月に、自らの誤りを認めたことがわかる。つまり、小泉自民党が総選挙で大勝したあとに、間違ったことを言って森永さんを批判してゴメンナサイ、と言ったワケだ。なんとも見下げ果てたデマゴーグと評するほかはない。
もっともらしい理屈で人々を煙に巻く経済学者たちのやっていることも、本質的に田原総一朗と変わるところはないと、私は考えている。彼らが用いているのは、人々を騙すための詭弁に過ぎず、到底学問という名になど値しない。
もちろん、中にはまっとうなアプローチで経済学を研究している学者もいるだろう。だが、竹中平蔵に代表されるような、政治と深く結びついた「学者」たちがやっていることは、断じて「学問」や「科学」などの名を冠するにふさわしいものではないと、私は確信している。
彼らは、単なる詐欺師である。御用学者にだまされてはいけない。
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今週号の「週刊現代」(12月16日号)に、安倍晋三の手下として知られている、江島潔・下関市長のスキャンダル記事が掲載されている。
江島市長のスキャンダル自体は、地元の左翼紙「長周新聞」、月刊「現代」12月号、それに書籍「安倍晋三の本性」などで既に報じられていたものだ。
当ブログでも、下記に示すように、何度も取り上げている。
『共同通信が安倍晋三事務所のスキャンダルをもみ消した』(11月3日)
『下関市は治外法権なのか?』(11月4日)
『安倍晋三の正体』(11月5日)
『安倍も安倍なら手下も手下‥‥江島下関市長の呆れた行状』(11月9日)
『類は友を呼ぶ?山谷えり子と江島潔(安倍晋三の子分たち)』(11月18日)
とはいえ、今週号の「週刊現代」の記事には、私の知らなかった情報が若干含まれていた。それがまた呆れ返る内容だったので、ここに紹介したいと思う。
まず、江島潔の経歴から。同誌によれば下記の通りだ。
この'95年の市長選で、江島は、当初「反自民」の市民派を装った選挙運動をしながら、当選と同時に態度を豹変させ、安倍事務所に直行、市民派の支援団体に絶縁状を叩きつけたことは、以前のブログの記事で紹介した。
それにしても、江島は、衆議院議員になれずに落ちこぼれかかって、卑劣な手段を使ってようやく下関市長になれた、「穀潰し政治家」と評するべきだろう。
江島の選挙運動には、安倍とのつながりが噂される、工藤会系の暴力団までもが関与したとされる。'99年の市長選では、暴力団が安倍側からの謝礼が少ないことに腹を立てて、安倍事務所に火焔瓶を投げ込んだ事件については、月刊「現代」12月号の魚住昭さんと青木理さんの記事が取り上げているし、弊ブログでもその記事を紹介したことがある。
工藤会系の暴力団が絡んだとされる'99年の市長選では、対立候補の古賀敬章氏(53歳)に対し、誹謗中傷のビラが撒かれたという。「週刊現代」によると、当時の関係者は次のように語っているという。
なんとも呆れ返った話だ。それにしても、「○○は在日朝鮮人」「北朝鮮の金正日の手先」というのは、今のネットウヨが好む誹謗中傷の定番だが、1999年に撒かれたビラは、それを先取りしていたともいえる(笑)。
「週刊現代」の記事には、その他にも、「官製談合」疑惑の件などが書かれているが、ほとんどは「長周新聞」などで既報の内容のようである。
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江島市長のスキャンダル自体は、地元の左翼紙「長周新聞」、月刊「現代」12月号、それに書籍「安倍晋三の本性」などで既に報じられていたものだ。
当ブログでも、下記に示すように、何度も取り上げている。
『共同通信が安倍晋三事務所のスキャンダルをもみ消した』(11月3日)
『下関市は治外法権なのか?』(11月4日)
『安倍晋三の正体』(11月5日)
『安倍も安倍なら手下も手下‥‥江島下関市長の呆れた行状』(11月9日)
『類は友を呼ぶ?山谷えり子と江島潔(安倍晋三の子分たち)』(11月18日)
とはいえ、今週号の「週刊現代」の記事には、私の知らなかった情報が若干含まれていた。それがまた呆れ返る内容だったので、ここに紹介したいと思う。
まず、江島潔の経歴から。同誌によれば下記の通りだ。
江島潔は'82年、東京大学大学院を修了後、プラント建設の大手の『千代田化工建設』に入社。その後、'83年2月、現夫人の智子(47歳)と結婚した。この結婚式の媒酌人が安倍晋三の父で、自民党元幹事長で元外相の安倍晋太郎(享年67)と妻・洋子(78歳=注:岸信介の娘)だった。
江島の父、江島淳(享年59)は下関市出身の参議院議員で、安倍晋太郎と同じ自民党の派閥、清和会(現・町村派)に所属した。江島淳は東京大学卒業後、国鉄に入り、'80年に参議院議員に転身。'87年に死去した際の葬儀委員長は当時、自民党総務会長の安倍晋太郎だった。
つまり、江島潔のバックボーンには父の代から、安倍ファミリーが存在したといっても過言ではない。
江島は'91年、下関市長選に立候補し落選。'93年には衆院選に挑むものの、これも次点で落選。'95年、ようやく下関市長に初当選を果たした。なお、安倍晋三が衆院選に出馬し、初当選したのはこの2年前のことだ。
(「週刊現代」 2006年12月16日号 『官製談合告発された 下関市長と安倍晋三「疑惑の関係」』より)
この'95年の市長選で、江島は、当初「反自民」の市民派を装った選挙運動をしながら、当選と同時に態度を豹変させ、安倍事務所に直行、市民派の支援団体に絶縁状を叩きつけたことは、以前のブログの記事で紹介した。
それにしても、江島は、衆議院議員になれずに落ちこぼれかかって、卑劣な手段を使ってようやく下関市長になれた、「穀潰し政治家」と評するべきだろう。
江島の選挙運動には、安倍とのつながりが噂される、工藤会系の暴力団までもが関与したとされる。'99年の市長選では、暴力団が安倍側からの謝礼が少ないことに腹を立てて、安倍事務所に火焔瓶を投げ込んだ事件については、月刊「現代」12月号の魚住昭さんと青木理さんの記事が取り上げているし、弊ブログでもその記事を紹介したことがある。
工藤会系の暴力団が絡んだとされる'99年の市長選では、対立候補の古賀敬章氏(53歳)に対し、誹謗中傷のビラが撒かれたという。「週刊現代」によると、当時の関係者は次のように語っているという。
小山(注:事件に絡んで逮捕された、元建設土木会社役員・小山佐市被告)は当時のことを親しい知人にこう語っているという。
「安倍事務所とは長い付き合いだった。安倍晋三とも何度か会っている。安倍側と"古賀敬章潰し"について話をした」
古賀陣営の元幹部によると、市長選の期間中に中傷ビラが幾度となく、有権者に撒かれたという。
<古賀敬章は在日朝鮮人>
<北朝鮮の金正日の手先>
といった過激なタイトルの怪文書は、断続的に郵送などの手段で大量に撒かれ、古賀のイメージ・ダウンに少なからぬ影響を及ぼした。古賀は今もって憤りを隠せない様子で、こう語る。
「まさに、民主主義を否定する誹謗中傷に満ちた悪質な選挙妨害だった。怪文書は作者不明のまま警察に訴えたが、今日まで何の返答もない。権力を意のままに操るためなら手段を選ばない者の意図を感じてならない、異常な選挙だった」
江島の選挙に安倍事務所が協力し、それに暴力団まで関与していたのは事実だ。が、事の委細は依然、明らかになっていない。
(「週刊現代」 2006年12月16日号 『官製談合告発された 下関市長と安倍晋三「疑惑の関係」』より)
なんとも呆れ返った話だ。それにしても、「○○は在日朝鮮人」「北朝鮮の金正日の手先」というのは、今のネットウヨが好む誹謗中傷の定番だが、1999年に撒かれたビラは、それを先取りしていたともいえる(笑)。
「週刊現代」の記事には、その他にも、「官製談合」疑惑の件などが書かれているが、ほとんどは「長周新聞」などで既報の内容のようである。
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12月2日の記事「天皇をも恐れない? 安倍晋三の取り巻きたち」に、印象的なコメントをいくつもいただいた。
ブログの記事本文を読んでいただく方でも、コメント欄まで目を通していただく方はそう多くないし、ましてや記事の公開後、かなり経ってからいただいたコメントは、なおのことほとんど読まれずに終わってしまうだろう。
それではあまりにもったいないと思うので、特に印象的なコメントをここに紹介することにする。
まず、おなじみの「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんからのコメントを紹介する。
赤尾敏氏の言葉は、ふだん勇敢にネットウヨと闘っている美爾依さんの心をもとらえたようだ。私も、古い雑誌を読み返した時、これまで偏見を持っていた赤尾敏氏の言葉に、立場の違いを超えて胸を打たれてしまった。
続いては、このところよく当ブログに鋭いコメントをいただく朝空さんからのコメントを紹介する。
このコメントに対し、私ごときが贅言を費やす必要はないだろう。
元道さんには、この記事に3件のコメントをいただいており、いずれも印象深いものだが、非戦さんからこの記事にいただいたコメントの、「今、また戦前、戦中を懐かしむような政治家がゾンビのようにぞろぞろ出てきて、大手を振っているのでしょう」という一節に対して、下記のようにコメントされている。
コメント欄にいただいたコメントではないが、記事にいただいた「はてなブックマーク」の中に、北一輝が昭和天皇を「クラゲの研究者」と呼んで軽蔑していたことを指摘されていた方がいた。いたずらに昔を美化し過ぎたり、逆に昔を貶め過ぎたりする先入観を持たないよう自戒しなければならないかもしれない。
最後に、ブログ「ゆうやけnote」を運営されている、y.-Danuraさんのコメントを紹介する。
この文章を読んで、私は言葉を失った。
戦争だけは、絶対に再び起こしてはいけない。日本を戦争のできる「美しい国」にしようとしている安倍晋三を政権の座から引きずり下ろさなければならない。
そして、安倍を批判する声をあげることを決して躊躇してはならないという意を、改めて強くする今日この頃である。
ブログの記事本文を読んでいただく方でも、コメント欄まで目を通していただく方はそう多くないし、ましてや記事の公開後、かなり経ってからいただいたコメントは、なおのことほとんど読まれずに終わってしまうだろう。
それではあまりにもったいないと思うので、特に印象的なコメントをここに紹介することにする。
まず、おなじみの「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんからのコメントを紹介する。
Kojitakenさん、
赤尾敏氏のことばに、思いやりのあふれる人間的温かさを感じました。今の右翼には、こういった人情を重んじる人はいなくなってしまったかもしれませんね。
それにしても、kojitakenさんの『きまぐれな日々』には、貴重な昔の記事からの引用が次から次へと出てくるのには、感心します。ドラえもんの「なんでもポケット」でも持っているのでしょうか(笑)。
(美爾依さんからのコメント)
赤尾敏氏の言葉は、ふだん勇敢にネットウヨと闘っている美爾依さんの心をもとらえたようだ。私も、古い雑誌を読み返した時、これまで偏見を持っていた赤尾敏氏の言葉に、立場の違いを超えて胸を打たれてしまった。
続いては、このところよく当ブログに鋭いコメントをいただく朝空さんからのコメントを紹介する。
この頃、「うちの雅子が…」と言って窮状を訴えた皇太子には共感するものがあった。妃の「病気」は確か「適応障害」だったが、本当は何が、どちらが適応障害なのだろうか。ちなみに弟夫婦は、皇太子とは対極なのだろう。
天皇家を崇め、天皇家を讃えるが、歴史的に世の権力者ほど生身の彼らをないがしろにした者達はいなかったー。敗戦間もなく、そう言った者がいたが、それは今も変わっていない。欲しいのは精神的要素を含めた構造なのであって、人ではない。真っ当な感性ならば、能面のような者達に囲まれ叫び出したくなるのは、当然なのだ。
だが国民の多くもマスコミも、内心気付いていながら沈黙したと感じている。気付いていればこそ、沈黙するのだろう。そして「男系」の神輿には、無批判に集まる。
形を作ればおずおず付いてくる。百余年前の「教育勅語」の製作者らの胸の内も、基本法なるものの「改正」をめざす者達の腹の中も一緒だろう。
ヒトよりもカタチ。仏造って魂入れず。この価値転倒から解放されるのは、仕組みの内側だろうが外側―強要される側だろうが変わらないはずだ。
(朝空さんからのコメント)
このコメントに対し、私ごときが贅言を費やす必要はないだろう。
元道さんには、この記事に3件のコメントをいただいており、いずれも印象深いものだが、非戦さんからこの記事にいただいたコメントの、「今、また戦前、戦中を懐かしむような政治家がゾンビのようにぞろぞろ出てきて、大手を振っているのでしょう」という一節に対して、下記のようにコメントされている。
彼ら(注:「戦前、戦中を懐かしむような政治家」)の日本のイメージって昭和恐慌以後の「おかしくなってしまった日本」なんですよねぇ。
マッカーサーが日本を占領している時、彼が念頭に置いていたのは「昭和恐慌以前の日本」「大正デモクラシー」の日本であって、決して「新しい日本」をつくろうとしたわけじゃない。
原敬の出現によって、日本は自力で言論による政治を自力で実現していたし、それ以前から言うべきことをガツンと言う人はガツンと言っていた。
憲法上は天皇の輔弼機関とされていても、そんなことお構い無しにガンガンやってましたね。
庶民だって、ストやら暴動やらしょっちゅうやってました。大相撲の力士すらストで怒りをぶちまけたことがある。
大日本帝国が実は今よりもずっと言いたいことを言えた社会だったことがあるってことは、右翼も左翼もごまかしていますね。
アベシンゾーとその取り巻きたちの日本観・日本人観はあらぬ思い込みを前提にしていると感じています。そしてこの国を更にあらぬ方向にもっていこうとしている。
そうとしか思えない。
(元道さんからのコメント)
コメント欄にいただいたコメントではないが、記事にいただいた「はてなブックマーク」の中に、北一輝が昭和天皇を「クラゲの研究者」と呼んで軽蔑していたことを指摘されていた方がいた。いたずらに昔を美化し過ぎたり、逆に昔を貶め過ぎたりする先入観を持たないよう自戒しなければならないかもしれない。
最後に、ブログ「ゆうやけnote」を運営されている、y.-Danuraさんのコメントを紹介する。
こんにちは。kojitakenさん、お久しぶりです。今回の記事を拝読して、そうか、あれから18年も経ったのか、と思わず呟いてしまいました。あの朝、つまりは昭和天皇が亡くなった朝、私は父に電話したことを覚えております。そのことを思い出し、コメントさせていただきました。
その朝、戦争に行った経験のある父に、天皇についてのそれなりの感慨があるのではないかと思ったからです。たまたま父は、その日はまだテレビをつけていないということだったので、私が天皇の死を伝えたのです。父は電話口でだまって聞いていましたが、ただ一言こういいました。「それはお気の毒じゃな。じゃけんど、わしにはあまり関係ないことじゃけえ。もう仕事に行くで。電話、切るで。ほな」。
その父が存命中に上京したことがあります。私が「靖国神社に行ってみますか(父の弟が戦死しています)」と訊くと、「いんや、あんなところに次郎(弟の名))や戦友はおりゃあせんで。みんな、自分の家の仏壇や墓で静かに眠とるがのう。わしゃ、ああいうところには行きとうないけえ。東京のざるそばでもごちそうしてくくれればええで」と、広島弁できっぱりと断りました。きっと赤紙一枚でかり出され、無惨な死を遂げた弟や戦友のことを思んばかってのことでしょう。
その父も二年前に死にました。享年84歳でしたが、父は戦時中、中国の戦線で所属部隊が全滅という悲劇に遭遇しています。部隊に攻撃命令が発令されたとき、部隊長命の用事で同僚と二人、部隊に残されました。ところが、馬賊討伐に出陣した部隊(およそ50名)は全滅、残っていた二人だけが助かったのです。まさか、といった悲劇でした。以来、父は酒を断ち、宴席などでの乾杯時にただ口をつけるだけに徹しました。なぜ飲まないといわれても、酒に弱いからというだけで、戦争の話は絶対に持ち出さなかったそうです。祖母に訊いたところ、戦地に向かう前はかなりの酒豪で、その父が酒を断つということは祖母をして驚かされたということでした。
父が死ぬ前に、何とか戦争の話を聞こうとしたのですが、父はとうとう、多くを語らず逝ってってしまいました。父の死後、軍隊で撮ったと思われる写真が数枚あることを知りました。機関銃部隊にいたということですが、機関銃の前で腹這いになっているもの、何人かの戦友と写ったもの(いずれも戦地中国でのものと思われる)だけでしたが、写真の父はいずれもにこやかに笑っていました。父のような戦争体験者もまた、多くいらっしゃることでしょう。
(y.-Danuraさんからのコメント)
この文章を読んで、私は言葉を失った。
戦争だけは、絶対に再び起こしてはいけない。日本を戦争のできる「美しい国」にしようとしている安倍晋三を政権の座から引きずり下ろさなければならない。
そして、安倍を批判する声をあげることを決して躊躇してはならないという意を、改めて強くする今日この頃である。
当ブログは、安倍晋三と断固として闘う姿勢を鮮明にしている講談社を応援すると宣言している。
管理人の財布の都合もあるので(笑)、講談社発行の一般誌をすべて買い揃えるわけにはいかないが、月刊「現代」は、当面毎月買おうと思っている。
その「現代」の2007年1月号が発売されたので、買い求めた。
ここ数ヶ月連続で組まれていた安倍晋三批判の特集が掲載されていないのは残念だったが、魚住昭、鈴木邦男、溝口敦の三氏による「徹底討論・メディアは国家と戦っているか」(副題・「右傾化と言論の役割を問う」)と、自民党の加藤紘一代議士による「反言論テロのシンボルとしての覚悟」の2本は、期待にたがわず良い記事だった。
この中で、魚住さんと加藤代議士が、図らずも同じ指摘をしていたので、今日はこれを取り上げたい。
まず、魚住さんは座談会で以下のように発言されている。
同じ号の「現代」に載った別記事で、加藤紘一代議士は次のように述べている。
ジャーナリストの魚住さんや、ましてや政治家の加藤さんが雑誌の誌面では言いづらいだろうことをはっきりと書くと、「小泉純一郎や安倍晋三は、実質的に言論テロを容認しており、マスコミはそれを追認している」ということだ。
それに対して、小泉や安倍の政策に普段反対しながら、反テロの声を大きくあげないブロガーや国民もまた、テロを追認しているも同然だと私は考える。
それにしても、テロと戦うというのは、文章で書けばひとことだが、実際に行うのは大変なことだ。自らや肉親の生命を危険にさらさねばならないからだ。
以前にもブログで記事にしたことがあるが、「現代」1月号の座談会にも出席している溝口敦氏は、かつて「週刊現代」の取材に、次のように答えたことがある。
溝口氏は、自身が1990年に暴力団に襲われたことがあるばかりか、20今年1月には、「週刊現代」に連載していた記事が原因で、長男が山口組系の暴力団に路上で刺されている。それでも、言論テロには屈服しないという不屈の意志を貫いておられる。
加藤紘一代議士も、「現代」1月号で次のように述べている。
あっぱれな覚悟だと思う。
溝口氏や加藤氏は、命をかけて言論活動をしていると思う。彼らに比較すれば、匿名のブログで安倍の言論封殺に反対する声をあげることのリスクなど微々たるものだろう。
何回も何回も書くように、多くの国民、多くのブログがしつこくしつこく声をあげ続ける方が、下手に弾圧を恐れて沈黙するより、よっぽど権力にとってダメージとなるのだ。
安倍政権の言論封殺に対抗する声をあげ続けることをためらってはならないと思う。
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管理人の財布の都合もあるので(笑)、講談社発行の一般誌をすべて買い揃えるわけにはいかないが、月刊「現代」は、当面毎月買おうと思っている。
その「現代」の2007年1月号が発売されたので、買い求めた。
ここ数ヶ月連続で組まれていた安倍晋三批判の特集が掲載されていないのは残念だったが、魚住昭、鈴木邦男、溝口敦の三氏による「徹底討論・メディアは国家と戦っているか」(副題・「右傾化と言論の役割を問う」)と、自民党の加藤紘一代議士による「反言論テロのシンボルとしての覚悟」の2本は、期待にたがわず良い記事だった。
この中で、魚住さんと加藤代議士が、図らずも同じ指摘をしていたので、今日はこれを取り上げたい。
まず、魚住さんは座談会で以下のように発言されている。
小泉首相の靖国神社参拝に疑問を呈していた加藤紘一衆議院議員の自宅兼事務所が放火された右翼による言論テロに対して、メディアの反応はたいへん鈍いものでした。また、この事件に対してなかなかメッセージを出さなかった政府に厳しく詰め寄ろうともしなかった。五輪誘致問題では、石原慎太郎東京都知事が、都のライバルだった福岡市の応援演説をおこなった姜尚中東大教授に向かって、「あやしげな外国人」と言い放ったけど、この発言を徹底批判しようともしなかった。
いまメディアは権力を激しく追及しようという気概を失っているのではないか。
(中略)私がさらに危惧しているのは、政治の右傾化にともなって、メディア全体、あるいは記者たち自身の右傾化が進んでいるのではないかという点です。
たとえば、加藤さん(注:加藤紘一代議士)への言論テロに対するメディアの反応の鈍さには、報じている記者たち自身に、どこかで右翼的な考え方を許容する素地ができているのではないかとすら感じた。政府がメッセージを出さないことに対して追及しないのは、逆に彼らがある種のメッセージを発していたのと同じことのように受け止められたんです。
(月刊「現代」 2007年1月号掲載「徹底討論・メディアは国家と戦っているか」における魚住昭氏の発言)
同じ号の「現代」に載った別記事で、加藤紘一代議士は次のように述べている。
放火事件当時の小泉首相、安倍官房長官のテロ行為に対する反応が遅かったのではないかとよく問われることがあります。実際、私にもなぜだったのかはわからない。けれどテロに対して、政府が一定の「沈黙」を置いたことである種の負のメッセージが広がったようにも思います。
あの事件以降、テレビや新聞などの言論の場で積極的な発言をする人が少なくなったような気がします。実は、いま政治家だけではなく、評論家やジャーナリストのもとに脅迫の手紙が届くようになっているそうです。
(月刊「現代」 2007年1月号掲載 加藤紘一「反言論テロのシンボルとしての覚悟」より)
ジャーナリストの魚住さんや、ましてや政治家の加藤さんが雑誌の誌面では言いづらいだろうことをはっきりと書くと、「小泉純一郎や安倍晋三は、実質的に言論テロを容認しており、マスコミはそれを追認している」ということだ。
それに対して、小泉や安倍の政策に普段反対しながら、反テロの声を大きくあげないブロガーや国民もまた、テロを追認しているも同然だと私は考える。
それにしても、テロと戦うというのは、文章で書けばひとことだが、実際に行うのは大変なことだ。自らや肉親の生命を危険にさらさねばならないからだ。
以前にもブログで記事にしたことがあるが、「現代」1月号の座談会にも出席している溝口敦氏は、かつて「週刊現代」の取材に、次のように答えたことがある。
私のような職業には(暴力テロに対する)『被害者の責任』というものがあると考えていて、たとえ自分や肉親が暴力にあっても、降参してはならないんです。降参すれば、相手に対して暴力の効果を認めたことになります。
(中略)
加藤氏が今回の暴挙に対して降参しなかったのも『被害者の責任』を果たしてのことだと思いますが、残念なのは加藤氏をバックアップする言論が少ないことです。
靖国参拝をめぐって意見の相違があろうと、このような暴力には政治家はもっと怒りの声を挙げるべきです。
それがないのは、政治家が自己保身に走っているといわれても仕方がない。このままでは、日本はとんでもない暴力社会になるかもしれません。
(「週刊現代」 2006年9月9日号『「言論封殺テロ」を徹底追及しないメディアの大罪』より)
溝口氏は、自身が1990年に暴力団に襲われたことがあるばかりか、20今年1月には、「週刊現代」に連載していた記事が原因で、長男が山口組系の暴力団に路上で刺されている。それでも、言論テロには屈服しないという不屈の意志を貫いておられる。
加藤紘一代議士も、「現代」1月号で次のように述べている。
あの事件があって、私は図らずも、反言論テロのシンボルのようになりました。世の中で3本指に入るぐらいの言論を守る責任が与えられた。ここで私が口をつぐんでしまったら、日本中が静かにならざるを得なくなる。だから、これからも、発言はいままでと同じトーンで同じことを話し続けます。ここで姿勢を変えたりすれば、最後の砦がなくなってしまう。重大な任務を負ったと感じています。
(月刊「現代」 2007年1月号掲載 加藤紘一「反言論テロのシンボルとしての覚悟」より)
あっぱれな覚悟だと思う。
溝口氏や加藤氏は、命をかけて言論活動をしていると思う。彼らに比較すれば、匿名のブログで安倍の言論封殺に反対する声をあげることのリスクなど微々たるものだろう。
何回も何回も書くように、多くの国民、多くのブログがしつこくしつこく声をあげ続ける方が、下手に弾圧を恐れて沈黙するより、よっぽど権力にとってダメージとなるのだ。
安倍政権の言論封殺に対抗する声をあげ続けることをためらってはならないと思う。
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1988年(昭和63年)12月7日に、本島等・元長崎市長が「天皇に戦争責任はあると思う」と発言した件を取り上げた記事『「言論の自由」その1?本島等さんの勇気』に、奈央さんからとても印象的なコメントをいただいた。
このコメントを読んで、1988年(昭和63年)から1989年(昭和64年・平成元年)にかけてのことを思い出した。昭和天皇が亡くなった直後に発行された「週刊朝日」緊急増刊・1989年1月25日号「昭和逝く」と「朝日ジャーナル」緊急増刊・1989年1月25日号「天皇と日本人」を引っ張り出して、記事を読み直してみた。ともに、昭和天皇の生前に大部分が編集されていたことがよくわかる誌面になっている。両方とも、18年の歳月を経て、紙が黄ばんでおり、コメントを寄せている識者のうち、かなりの人たちがこの世を去っている。
この当時の「自粛」の異様さをよく伝えているのが、上記「週刊朝日」増刊号に転載された芸能評論家の桑原稲敏さんのコメント(初出は「創」 1988年12月号)である。これを下記に示す。
当時、長崎市長だった本島等さんは、こんな空気の中で勇気ある発言をされたのである。
本島等さん自身の当時のコメントは、今とほとんど変わらない。下記は、前述の「週刊朝日」増刊号からの転載だが、初出は「朝日ジャーナル」 1989年1月13日号である。
本島さんの言葉は、今なお新鮮さを失っていない。
私自身はもちろん、昭和天皇には重大な戦争責任があったと思っている。ただ、よく思うことは、もし自分が昭和天皇だったら同じような行動をとってしまっただろう、ということだ。
その意味で、奈央さんが書かれた、「天皇さんは神様なんかではありません。神様の目から見れば私たちと変わらない人間であり、私たちと同じ弱い人間なのです」という言葉に、私は強く共感する。
現在の天皇は、よく知られているように平和を愛好される方である。その天皇の父である昭和天皇については、諸説はあるが、おそらく内心は戦争には反対であったのだと思う。今年7月20日に日本経済新聞がスクープした「富田メモ」に書かれている、A級戦犯の合祀以来、靖国神社への参拝をやめたことについて、「それが私の心だ」と発言したというのは、おそらく昭和天皇の本心から出たものであろう。
しかし、そのことと戦争責任の有無は全く別の話だ。本島元長崎市長が指摘されるように、昭和天皇に重大な戦争責任があったことは、疑う余地がない。自分が同じ立場だったら同じ行動をとってしまっただろうとは思うが、それは、私自身がいつでも戦争犯罪人になりうる人間だということを意味しているに過ぎない。
昭和天皇の戦争責任を不問に付してしまったところに、戦後日本の大きな問題の一つがあったと私は思う。
しかし、最近思うのだが、現在の右翼たちに、天皇を何とも思わない人たちが増えているのに驚かされる。
今年7月20日に、日経新聞が「富田メモ」をスクープした時、多くのネットウヨが昭和天皇を罵倒したことは記憶に新しいが、天皇を何とも思わないのは、何もネットウヨたちに限らない。
たとえば、米田建三という自民党の政治家がいるが、この男が酒に酔った勢いで、「昭和天皇は臆病者」と発言をしたと、10月26日号の「週刊新潮」が報じている。
以下、「米田建三 - Wikipedia」から引用する。
ところで、またまた山谷えり子・内閣総理大臣補佐官の話を持ち出すが、この山谷は米田をたいそう慕っているそうだ。
以下、「山谷えり子 - Wikipedia」より引用する。
また、安倍晋三首相も、官房長官時代の今年8月29日、自民党本部で開かれた「米田建三山梨後援会設立準備会」で米田を激励している。
こんな人たちが作ろうとしている「美しい国」って一体何だろうと思わずにはいられない。
ところで、ここで山谷えり子の傑作な略歴を紹介しておこう。これも、「山谷えり子 - Wikipedia」から引用する。
若い方は「ウィークエンダー」をご存知ないかもしれないが、上記リンク先の記述をよく読んでほしい(笑)。
山谷えり子は、「教育再生担当・教育再生会議担当室事務局長兼任」の内閣総理大臣補佐官なのである。
山谷の話題なんかで記事を締めくくったら気分が悪いので、最後に、「週刊朝日」の1989年1月25日増刊号「昭和逝く」に掲載されている赤尾敏のコメントを引用する。初出は「週刊ポスト」 1988年11月21日号である。
もちろん、私には当時、赤尾敏と同じような感情は持てなかった。
でも、同じ右翼でも、天皇をも恐れない安倍晋三の取り巻きたちとは、なんという違いだろう。
昔の右翼には風格があった。庶民の心情を慮る心があった。安倍晋三やその取り巻きたちには、そんなものはない。
「昭和は遠くなりにけり」である。
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(前略)
あの自粛というものがあった年、子供の目から見ても異様で奇妙な日常でした。
花火や屋台のない運動会、テレビでの昭和天皇の状態を示す脈拍や血圧テロップ、悪化すると突然に特別番組に差し変わる。
まるでどこでも何も差し障りがないようにしていたような奇妙さがあったように思います。
本島市長の率直で正直な発言に触れて、私はとても勇気のいることだったと思わずにいられません。
私たちの国には、天皇制や天皇の戦争責任についてもっと安全でオープンに話し合える、語れる場所が必要ですというかほしいと思います。
天皇さんは神様なんかではありません。
神様の目から見れば私たちと変わらない人間であり、私たちと同じ弱い人間なのです。
彼は、責任をとり天皇制を廃止し退位すべきだったと思います。
そうしていたら、日本も隣国との関係がもう少しスムーズにいっていたのではないだろうかと思います。
このコメントを読んで、1988年(昭和63年)から1989年(昭和64年・平成元年)にかけてのことを思い出した。昭和天皇が亡くなった直後に発行された「週刊朝日」緊急増刊・1989年1月25日号「昭和逝く」と「朝日ジャーナル」緊急増刊・1989年1月25日号「天皇と日本人」を引っ張り出して、記事を読み直してみた。ともに、昭和天皇の生前に大部分が編集されていたことがよくわかる誌面になっている。両方とも、18年の歳月を経て、紙が黄ばんでおり、コメントを寄せている識者のうち、かなりの人たちがこの世を去っている。
この当時の「自粛」の異様さをよく伝えているのが、上記「週刊朝日」増刊号に転載された芸能評論家の桑原稲敏さんのコメント(初出は「創」 1988年12月号)である。これを下記に示す。
●桑原稲敏(芸能評論家)
過度の自粛は、他愛もない歌謡曲のタイトルや歌詞、CMのコピーにまで及んでいる。たとえば、坂本冬美のヒット曲「祝い酒」は、その曲名が問題になった。地方公演のキャンセルが続発し、テレビでも歌うことを禁じられる。坂本は仕方なくデビュー曲の「あばれ太鼓」を歌っているが、これも一番を外している。一番の歌詞に「どうせ死ぬときゃ 裸じゃないか……」という言葉が入っているからである。また、瀬川瑛子の「憂き世川」と門脇睦男の「祝い船」も、タイトルが"問題"として自粛を求められている。そして一部のテレビ・ラジオ局は、村上幸子の「不如帰」を締め出した。歌詞の中に「泣いて血を吐くほととぎす……」という一節があるからといわれる。このような自粛は、いずれも局側の正式な通達ではない。現場の責任者なりスタッフが個々の判断で規制しているが、その判定基準は曖昧だ。
(「創」 1988年12月号より)
当時、長崎市長だった本島等さんは、こんな空気の中で勇気ある発言をされたのである。
本島等さん自身の当時のコメントは、今とほとんど変わらない。下記は、前述の「週刊朝日」増刊号からの転載だが、初出は「朝日ジャーナル」 1989年1月13日号である。
●本島等(長崎市長)
天皇に戦争責任があると思う。(1988年12月7日、定例市議会で)
私が言ったのは、わずか13文字ですよ。それが騒がれるのは、マスコミが私を予言者みたいに扱ったせいです。過剰報道、天皇美化をやっているマスコミは、(戦争責任という)タブーをなんとかしなければ自分たちが将来批判されると思っていた。そんな空気が充満しているところに、私が突っ込んだものだからとびついてきた。13文字発言は、私の周辺では多数の人々の常識です。
あの戦争全体が、結論的には侵略戦争だったといわざるをえないと、私は思っていますね。陸軍の、はね上がりっていうんですか、こちらから始めたんですもんね。天皇もいろいろな報告を受けて戦争の全体を一番詳しく知っていたわけですね。
いつの時代にも人を殺す、あるいは略奪するということを、「当時は仕方なかった」とわれわれが受け止めるわけにはいかないと思う。やっぱりそれは悪いことであったと言わなければ、われわれの現在持っている道徳が、生きないですもんね。神の前で答えができないものね。
(「朝日ジャーナル」 1989年1月13日号より=肩書きは当時)
本島さんの言葉は、今なお新鮮さを失っていない。
私自身はもちろん、昭和天皇には重大な戦争責任があったと思っている。ただ、よく思うことは、もし自分が昭和天皇だったら同じような行動をとってしまっただろう、ということだ。
その意味で、奈央さんが書かれた、「天皇さんは神様なんかではありません。神様の目から見れば私たちと変わらない人間であり、私たちと同じ弱い人間なのです」という言葉に、私は強く共感する。
現在の天皇は、よく知られているように平和を愛好される方である。その天皇の父である昭和天皇については、諸説はあるが、おそらく内心は戦争には反対であったのだと思う。今年7月20日に日本経済新聞がスクープした「富田メモ」に書かれている、A級戦犯の合祀以来、靖国神社への参拝をやめたことについて、「それが私の心だ」と発言したというのは、おそらく昭和天皇の本心から出たものであろう。
しかし、そのことと戦争責任の有無は全く別の話だ。本島元長崎市長が指摘されるように、昭和天皇に重大な戦争責任があったことは、疑う余地がない。自分が同じ立場だったら同じ行動をとってしまっただろうとは思うが、それは、私自身がいつでも戦争犯罪人になりうる人間だということを意味しているに過ぎない。
昭和天皇の戦争責任を不問に付してしまったところに、戦後日本の大きな問題の一つがあったと私は思う。
しかし、最近思うのだが、現在の右翼たちに、天皇を何とも思わない人たちが増えているのに驚かされる。
今年7月20日に、日経新聞が「富田メモ」をスクープした時、多くのネットウヨが昭和天皇を罵倒したことは記憶に新しいが、天皇を何とも思わないのは、何もネットウヨたちに限らない。
たとえば、米田建三という自民党の政治家がいるが、この男が酒に酔った勢いで、「昭和天皇は臆病者」と発言をしたと、10月26日号の「週刊新潮」が報じている。
以下、「米田建三 - Wikipedia」から引用する。
週刊新潮06年10月26日号に、「米田建三『昭和天皇は臆病者』」と言った見出しで、酒の席で寄った勢いで戦前であれば不敬罪に問われるような天皇ならびに皇室を侮辱し自らがそれに代わる資格あり、と簒奪を宣言したとの発言があったと國民新聞が報じたとの記事が掲載された。
(「米田建三 - Wikipedia」より)
ところで、またまた山谷えり子・内閣総理大臣補佐官の話を持ち出すが、この山谷は米田をたいそう慕っているそうだ。
以下、「山谷えり子 - Wikipedia」より引用する。
元衆議院議員の米田建三を「よねけん兄さん」と呼んで慕っており、2007年の参議院選挙に出馬予定の米田を全面的に支援すると表明している。
(「山谷えり子 - Wikipedia」より)
また、安倍晋三首相も、官房長官時代の今年8月29日、自民党本部で開かれた「米田建三山梨後援会設立準備会」で米田を激励している。
こんな人たちが作ろうとしている「美しい国」って一体何だろうと思わずにはいられない。
ところで、ここで山谷えり子の傑作な略歴を紹介しておこう。これも、「山谷えり子 - Wikipedia」から引用する。
都立駒場高校?聖心女子大学文学部心理学科を卒業、出版社に入社、のち渡米。帰国後は日本テレビ「テレビ3面記事 ウィークエンダー」のレポーター、 1985年3月サンケイリビング新聞の編集長(奥様編集長)、政府広報番組のキャスターなどを経験する。
(「山谷えり子 - Wikipedia」より)
若い方は「ウィークエンダー」をご存知ないかもしれないが、上記リンク先の記述をよく読んでほしい(笑)。
山谷えり子は、「教育再生担当・教育再生会議担当室事務局長兼任」の内閣総理大臣補佐官なのである。
山谷の話題なんかで記事を締めくくったら気分が悪いので、最後に、「週刊朝日」の1989年1月25日増刊号「昭和逝く」に掲載されている赤尾敏のコメントを引用する。初出は「週刊ポスト」 1988年11月21日号である。
●赤尾敏(大日本愛国党総裁)
同じように陛下のご健康を心配しているのに、竹下だとか自民党幹部だとか、財界人だとかが坂下門を車に乗って入って行くんだ。それで中で記帳して、一般庶民は覆いの外だ。どうして差別するのか。けしからん! あいつらだけが偉いのか。
庶民を中に入れんで、ろくでもないダラ幹ばかり中へ入れて。社会党の土井たか子も入って行ったんだ。なのに俺は入れんというんだろ。
こういう差別はしちゃいかん。これは天皇のご意思を損ねるものだ。むしろ中で受け付けたらいい。そしたら庶民も宮城の中へ入れる。二重橋の中へ。なお喜ぶ。人が増える。それが天皇の力なんだ。
俺、この間、皇居へ行った時、おじいちゃんやおばあちゃん、二重橋前の砂利の上に座って、手を合わせて拝んでいるんだよ。黙って見ていたら、泣いてるおじいちゃん、おばあちゃんが。
家では子供たちが親に楯ついている。天皇陛下が年取って病気であるのに「天ちゃん」なんていってるんだから、そんなことを思い出して泣いてるんだと思うんだ。僕も拝みながら、自分がそんな目にあってるもんだから何となく泣けてきたよ。
(「週刊ポスト」 1988年11月21日号より)
もちろん、私には当時、赤尾敏と同じような感情は持てなかった。
でも、同じ右翼でも、天皇をも恐れない安倍晋三の取り巻きたちとは、なんという違いだろう。
昔の右翼には風格があった。庶民の心情を慮る心があった。安倍晋三やその取り巻きたちには、そんなものはない。
「昭和は遠くなりにけり」である。
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