fc2ブログ

きまぐれな日々

4月に開設した弊ブログには、当初、コメントやトラックバックなどほとんどつかず、というよりこちらから他のブログにコメントやトラックバックをつけるやり方もよくわからないありさまだった。そのくせに、あつかましくも村上世彰を批判する記事などを書いていたところ、思いもかけず村上が逮捕寸前と報じられるや、ブログのヒット数だけ一時的に急増し、びっくりした私が思い切ってメールを差し上げたのが、「らんきーブログ」のぶいっちゃんだった。たしか6月3日のことだった。ぶいっちゃんから丁寧な返事をいただき、背中を押される形で、弊ブログは大海へと航海を始めた。

「きっこの日記」が、安倍晋三が統一協会に祝電を送ったとの記事を書いたのは、その3日後の6月6日である。直ちにネット検索したが、その日は記事の真偽を確認できなかった。しかし、翌日の7日に再度ネット検索をしたら、ハムニダ薫さんの記事が引っかかった。そこで、ハムニダ薫さんの記事を引用して、この件でブログに記事を書いたところ、ハムニダさんからコメントをいただき、そこから、ブログでの安倍晋三批判へとのめり込んでいくことになったのである。安倍晋三は、ずっと以前から私の嫌ってやまない政治家であって、ブログ開設直後から安倍の批判記事を書き続けていた。だから、祝電事件に直ちに飛びついたのだ。
その後、6月17日に美爾依さんから初めてコメントをいただいたのでブログに伺ったら、なんと安倍にストップをかける運動の呼びかけがあり、直ちに賛同したのが、AbEnd(安倍ND)にかかわった始まりである。AbEndは6月18日にスタートした。

それに至る過程で、もっとも早い段階からコメントとトラックバックのやりとりがあったブロガーが、ピリカラさんだった。
ハムニダさんからのコメントは、実は弊ブログの開設以来、二番目にいただいたコメントだったのだが、そのあと早くもネットウヨのコメントが一件ついたあと、四番目にいただいたのがピリカラさんのコメントだった。6月10日のことである。ピリカラさんのブログを拝見すると、昨年の総選挙をきっかけに始められたとのことで、行動の早い遅いはあっても、動機は私と類似していた(もちろん早かったのがピリカラさんで、私は7か月も遅れた)。そう、私がブログを開設した遠因も、昨年の総選挙にあった。あの結果で危機感を強め、これは自分で意見を発信するしかないと思った。ただ、その後7か月も掲示板止まりだった怠惰な私とは対照的に、ピリカラさんは総選挙後直ちにブログを開設されていた。

ピリカラさんのブログは、温和で良識あふれるものだった。初めてコメントをいただいた直後くらいに、ちょっとした宗教談義をかわしたように記憶している。美爾依さん提唱のAbEnd開設後、AbEndへのTBをお願いしたことがあり、当初は尻込みされていたが、いつしか活発なアベンダー(今思いついた造語)になって下さった。

そのピリカラさんのブログ閉鎖を知ったのは、31日早朝のことだ。弊ブログへのTBで知った。あまりのことに言葉を失った。そんな気配なんて全然なかったのに。最新の記事から順にたどっていこうとして、8月27日の老子の記事を見た時、涙が出そうになった。良識あるブログから閉鎖していくなんて、本当にやりきれない思いだ。

世の中にはさまざまな人がいて、さまざまな人生がある。今活性なブログだって、仕事とか家庭の都合や病気その他で、いつ不活性になるかはわからない。それは、筋金入りのアベンダーを自認している私のブログとて例外ではない。もちろん、ブログを止めるつもりなど毛頭ないが、人生いつ何があるかなどわからない。

記事を書いているうちに日付が変わってしまい、もう9月1日だ。今見に行ったら、もう「ピリカラ納豆・甘納豆」は閉鎖されていた。だが、これで終わりだなんて絶対に思わない。そして、安倍晋三の祝電追及運動も、AbEnd運動も、まだまだ続いていく。ピリカラさんとも、またお会いできるだろうと信じている。
スポンサーサイト