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きまぐれな日々

広島に原爆が投下された8月6日に、テレビ朝日系で「ザ・スクープスペシャル」という、戦争を特集した番組が放送されたので、これを見た。
私は、大津留公彦さんのブログの記事「東野氏の世界初証言」でこの番組を知ったのだが、番組の前半で、日本で行われていた原子爆弾の開発研究が紹介され、後半では、遠藤周作の小説「海と毒薬」のモデルになったことで現在でもよく知られている、戦争末期に九州大学で行われた米国人捕虜の生体解剖事件が取り上げられ、これに立ち会った東野利夫氏と番組キャスターの鳥越俊太郎氏が対談を行った。

番組や東野さんについては、私の稚拙な筆力では十分表現できないので、大津留さんの記事「戦争は人間をおかしくする」や、大津留さんのブログからリンクを張られている「九州大学同窓生九条の会のブログ」等を参照していただくとして、私は、昔読んだ遠藤周作の「海と毒薬」のあらすじをあまりよく覚えていなかったため、読み直してみた。

なお、大津留さんご指摘のように、『「海と毒薬」は彼(遠藤周作)のキリスト教の考え方に基づく全くのフィクションである』ことには十分留意する必要がある。小説に出てくる人肉嗜食も事実ではないそうだ。

遠藤周作自身も、作品発表から4年後の1962年に、以下のように書いている。
『生体解剖が行われたという現実の行為以外は登場人物もそこに至る過程もぼくは自分で勝手に考え、自分で勝手に創っていかねばならぬ。‥‥もちろんこんな医師(勝呂と戸田)は現実のあの事件の中にはいない。
しかしあの小説を書いてから、ぼくは実際に事件に参加した人たちから手紙をもらった。そのなかのある人たちは、ぼくがあの小説によって彼等を裁断し非難したのだと考えたようである。だが、とんでもない、小説家には人間を裁く権利などはないのである。ぼくはその人たちに返事を書いたが、この誤解はぼくにとってたいへんつらい経験だった』
(1962年に遠藤氏が書いた文章として、新潮文庫「海と毒薬」の佐伯彰一氏の解説文に紹介されている)

もちろん、これは小説家側の言い分だ。大津留さんのブログで知った、東野利夫さんの著書「汚名」(文春文庫、1985年)は、是非読んでみたいと思っている。

ずいぶん長い前振りになってしまった。今日取り上げたいのは、「海と毒薬」にも書かれている、加害者としての日本兵に関する言及である。
小説の冒頭、東京に引っ越してきたばかりの「私」は、風呂屋でガソリンスタンドの主人とこんな会話を交わす。最初がガソリンスタンドの主人のセリフである。

『「中支に行った頃は面白かったなあ。女でもやり放題だからな。抵抗する奴がいれば樹にくくりつけて突撃の練習さ」
「女を?」
「いや、男さ」
彼は頭にシャボンをつけて、こちらに顔をむけた。はじめて私の白い痩せた胸や細い腕をみたように、ふしぎそうな眼つきをした。
「痩せているな、あんたは。その腕じゃ人間を突き刺せないね。兵隊では落第だ。俺なぞ」と言いかけて彼は口を噤んだ。「‥‥‥もっとも俺だけじゃないがなあ。シナに行った連中は大てい一人や二人は殺(や)ってるよ。俺んとこの近くの洋服屋----知っているだろう、----あそこも南京で大分、あばれたらしいぜ。奴は憲兵だったからな』
遠藤周作海と毒薬」より)

「海と毒薬」が書かれたのは1958年、終戦から13年後である。近所に人を殺した経験がある人がいることは珍しくない。そんな時代だった。そして、南京における日本兵の残虐行為についても触れられている。

これはもちろんフィクションであるが、遠藤周作氏は決して「左翼」ではない。遠藤氏のエッセイは何冊か読んだが、政治的な立場を明確にした文章はほとんどないものの、比較的保守的な人だったことが推察される。そして、遠藤氏と親交のあった人たちの中には、阿川弘之、三浦朱門・曽野綾子夫妻、故村松剛など、右寄りあるいははっきりと右翼的な人も多い。

その遠藤氏が、当たり前のように南京の残虐行為について触れている。つまり、この件はかつて日本人の共通認識として「恥ずべき残虐行為」だったということだ。
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