それにしても、こっそり参拝しておいて、あとからバレるという形にするとは、コソコソと姑息なやり方だ。「靖国を争点にしない」という口実で、事実上反対派の意見を封殺していることいい、いかにも安倍らしい卑劣さというほかない。
しかも、「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳していながら、「参拝したとかいないとか申し上げるつもりはない」とは、なんという無責任な言い草だろう。そういえば、統一協会系総会に安倍が祝電を送ったときも(あ! 例の画像のリンクを張ろうとしたら削除されていた!)、「内閣官房長官」の肩書きつきだったが、私人として、しかも事務所が勝手にやったんだとか見苦しい言い訳をしていた。
さて、前の記事で、小泉純一郎もまた女系で祖父・又次郎につながっていると書いたが、たまたま読んでいた佐野眞一の『小泉純一郎 - 血脈の王朝』(文藝春秋、2004年)に、小泉の血脈のことが書かれているので、紹介することにする。
小泉純一郎の母・芳江は、「入れ墨大臣」として知られた政治家・小泉又次郎の妾腹の娘である。小泉純一郎の父・純也は、「デビューしたての北大路欣也によく似た色っぽい美男子」(松野頼三の言=前記佐野眞一「小泉純一郎 - 血脈の王朝」による)だったというが、純也に惚れ込んだ芳江が、駆け落ち同然で結婚したものだそうだ。小泉家の養子となった純也は、三女二男をもうけた。順に道子、隆子、信子、純一郎、正也である。
小泉純也は、義父・又次郎に続いて政界入りしたが、平和主義者だった安倍寛とは異なり、1942年の翼賛選挙で大政翼賛会推薦で当選したため、戦後は一時期公職追放になった。追放解除後に国政に返り咲き、自民党のタカ派代議士として活躍したが、防衛庁長官時代に、自衛隊が「三矢研究」と呼ばれる有事シミュレーションをしていたことを、1965年の国会で社会党議員に暴かれ、長官辞任に追い込まれたことがある。
功罪はともかく、著名な政治家であった純也だが、小泉家での扱いはにべもない。前掲の佐野の著書によると、小泉の元秘書は、こんなことを言っている。
「小泉家では、純也先生はあくまで養子です。いうなれば"鹿児島の種馬"なんです」(筆者注:小泉純也は鹿児島県出身)
「だから、小泉純一郎は"又次郎の孫"であって、"純也の息子"ではないんです」
(佐野眞一 『小泉純一郎 - 血縁の王朝』=文藝春秋、2004年=より)
こんなことを聞くと、どうしても、「安倍晋太郎の息子」というより「岸信介の孫」であると常々口にする、「われらがサワヤカな安倍晋三」を連想せずにはいられない。
それにしても、小泉の家族というのは謎に満ちている。たとえば、よく「陰で小泉を操っているのは、姉の信子だ」などといわれるが、佐野眞一の本では、純也の長女・道子のことが取りあげられている。
道子には離婚歴があり、それ以降再婚はせず、独身を貫いている(しかも、離婚はおろか、道子の結婚のいきさつを知る人さえほとんどいないという、謎に包まれた話だ)とのだが、この件は小泉家のタブーになっているらしく、佐野が取材をしようとしても、小泉家の人々も、関係者も、また小泉の地元の横須賀の人々も、なかなか口を開かないという。
中には、佐野に次のように言った小泉道子の同級生がいたという。
「なぜ、そのようなことをお聞きになるんですか。その程度のご不幸はどなた様のご家庭にもあることじゃないですか。日本のマスコミは、小泉さんを批判する材料ばかり探しているから、嫌いです。お国のために、あんなに頑張っていらっしゃるのに、失礼です。いまは何でも自由に言える時代だからいいですが、昔だったら、警察に通報されてお縄つきになりますよ」
(前掲書より=赤字ボールド体は筆者による)
これについて、佐野は次のような感想を述べている。
総理大臣という最高権力者を生み出した家について取材する人間を、あたかも「国賊」扱いせんばかりの発言を聞きながら、小泉を熱狂的に支持する人びとの意識の中心が、どのあたりにあるかがよくわかったと思った。
論議を尽くすことを無視し、世俗受けするパフォーマンス政治のみにこだわる小泉の「わかりやすい」言動は、衆議の上に煩雑な手続きを要する民主主義のルールと、憲法で保障された表現の自由を生命線とする「戦後」体制を清算し、明らかに戦前への回帰を指向する大衆層の掘り起こしに成功している。
(前掲書より=赤字ボールド体は筆者による)
佐野がこの本を書いたのは2004年である。この流れは、翌年の総選挙でさらに一気に加速され、安倍晋三に引き継がれようとしている。まさに民主主義の危機というほかないだろう。
さて小泉家の話に戻す。道子の夫・竹本公輔は結局道子と離婚した末、破滅していくのだが、道子は自分と竹本の娘・純子は、なぜか道子の籍ではなく、父・純也の籍に入れ、父の幼女とした。従って、小泉純一郎の姪である純子は、戸籍上は小泉の「妹」になったのである。
佐野は、小泉のすぐ上の姉・信子は、道子の結婚の失敗に衝撃を受け、それが原因で結婚生活にも男にも幻滅し、「政治と結婚」しようとしたのだろうと推測している。
小泉家について、佐野は書く。
複雑に入り組んだ小泉家の女系の歴史は、インナーサークルへの旺盛で執拗な男系の取り込みを感じさせて圧倒される。それをもし通俗小説にするなら、タイトルはうんと下品に「タネ取り物語」とでも名づけたくなるほどである。その軌跡は、必要なものさえ取り入れたらあとの遺物は容赦なく吐き出す原生動物のアメーバじみた種の保存本能を想起させて、不気味ですらある。
こうした流れのなかでは、芳江の夫の純也にしろ、道子と結婚して別れた竹本にしろ、小泉家の血を保持するDNAがはじめから埋め込まれた女王蜂の言うがままに仕える働き蜂の役割しか与えられていなかったようにも見える。
小泉家の「種馬」でしかなかった純也は、晩年、世捨て人が凝るような石の趣味に走った。純也は石をなでながら、側近によく言った。
「石をなでていると、癒されるんだ。どうしてこんな形になったのかと考えていると、心が落ち着くんだ」
(前掲書より)
晩年、癌に侵されながら妻の洋子や息子の晋三に冷たくされたといわれる安倍晋太郎も、同じような悲哀を感じたのではないかと想像したくなる。安倍晋太郎もまた、岸-安倍家の「種馬」でしかなかったのではあるまいか。
さて、周知のように小泉純一郎には離婚歴がある。この離婚劇を巡って、小泉の二人の姉(道子と信子)と小泉の元妻・宮本佳代子の陰湿な人間関係も本には書かれているが、ここでは割愛し、離婚後の親権をめぐる対立のことだけ紹介する。
小泉家の血への強いこだわりは、純一郎の離婚後、親権をめぐって妻側と激しく対立したわが子の争奪戦にも現れている。元妻の宮本佳代子とごく親しい関係者によれば、小泉家は長男の孝太郎、二男の進次郎の親権をとっただけではまだ満足できなかったという。
「妊娠六ヵ月で離婚された佳代子さんが一人で三男の佳永くんを産むと、小泉側は親権を主張し、家裁での調停に持ち込まれました。その結果、ようやく佳代子さんが佳長くんを引き取ることができたんです」
(中略)
この関係者によれば、三男の佳長が、「父親と二人きりで会いたい」と涙ながらに小泉事務所に電話で訴えてきたことがあったが、その話を秘書官の飯島から伝え聞いた信子は、「血はつながっているけど、親子関係はない」と冷たく言い放ったという。
(前掲書より)
おそるべき小泉家の冷血である。
最後に、私が小泉を決定的に見限ったタイミングは、佐野眞一と全く同じであることを知った。それは、2001年の大相撲夏場所で、横綱貴乃花が、彼の土俵生命を断つことになる大怪我を負いながら、千秋楽で横綱武蔵丸を破って優勝した時、優勝賜杯を貴乃花に渡しながら、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」と小泉が絶叫した時である。
これを見て、私は小泉の底の浅いパフォーマンスに対して本能的な嫌悪感を感じ、以後徹底した反小泉になったのだった(それまでは、故安倍晋太郎は大嫌いだったが、小泉は好きでも嫌いでもなかった)。
佐野は書く。
土俵の上でひとり興奮してエキセントリックに叫ぶ姿をテレビで見たとき、私はマスコミが手ばなしで持ち上げる小泉人気に、少なからぬ疑念と違和感をもった。
小泉という男の頭のなかにあるのは、国民の人気取りへの執心だけではないのか、この男は、言葉というものをいったん自分の脳髄に濾過させ、それから言語として発するという政治家として最も重要な基礎訓練を一度も受けてこなかったのではないか。そんな印象を強く抱かされた。
(前掲書より)
事実、「痛みに耐えて頑張った」貴乃花は、その後一度も優勝することなく土俵を去った。そればかりか醜い兄弟喧嘩を繰り広げたり、「慧光塾」にかぶれたり(笑)など、悪い話しか聞こえてこない人間になってしまっている。
「小泉カイカク」の痛みに耐えてきた国民に待ち構えていたのは、ワーキングプアの「格差社会」だった。
そして、小泉がめちゃくちゃにした日本にトドメを刺そうとしているのが安倍晋三なのである。