このところ、「富田メモ」によってにわかにクローズアップされている松岡洋右だが、当ブログでは7月6日に「連盟よさらば!我が代表堂々退場す」という記事を掲載している。但し、この記事では松岡洋右は前振りに用いただけで、主眼は現在のマスコミ批判だった。
私が小学生の頃、父の書棚に、「重要紙面に見る朝日新聞の九十年」(朝日新聞社、1969年)という本があった。これは、1879年(明治12年)に朝日新聞が大阪で発刊されてから1969年(昭和44年)に創刊90年を迎えるまでの間に起きた大事件の紙面を縮刷してまとめたものである。私は、明治以降の日本の歴史については、この本で学んだといっても過言ではない。
昭和に入って、日本が戦争への道を走った時代の記事は特に生々しくて、子供心に強烈な印象を受けた(岸信介が東条内閣に入閣していたことも、この本で知った。岸という男が佐藤元首相の兄で、やはり首相をやっていたことは知っていたので、その男が戦争内閣の閣僚だったことを知って、本当に驚いた)。
7月6日の記事にも書いたように、朝日新聞もまた、政権に迎合し、それまでの反政府的な論調を昭和初期に一転させ、軍国主義を煽りに煽っていたのである。松岡洋右の国際連盟脱退の演説を報道した「連盟よさらば!遂に協力の方途尽く。総会、勧告書を採択し、我が代表堂々退場す」という記事は、その代表的な例である。世界から孤立する無謀な選択を松岡がとった時、彼は内心、「日本の立場を理解させることが叶わなかったのだから自分は敗北者だ」と思ったそうだ(Wikipedia「松岡洋右」より)。しかし、朝日新聞をはじめとするマスコミは松岡を絶賛し、それに煽られて大衆は熱狂した。松岡の言葉といわれる「千万人といえども我往かん」は流行語になったそうだし、朝日新聞の「今日の問題」子を作詞者とする、その名も「連盟よさらば」というタイトルの軍歌が作られ、流行したという。ここにその歌詞を紹介する(いくつかのネット情報をもとに構成したが、細部に誤りがあるかもしれない)。なお、星影里沙さんのブログ「憧れの風」で、著作権権利期間の延長の話題が書かれている(「作曲家の憂い」)が、この軍歌は1933年に発表されたもので、著作権は正真正銘消滅している。
「連盟よさらば」
作詞 朝日新聞今日の問題の子・作曲 江口夜詩
一番
遂に来れり現実と 正義の前に眼を閉じて 彼等が無恥と非礼なる 四十二票を投げし時 我が代表は席を蹴る
二番
見ずや新たに満州の 五彩の国旗翻る 軍閥多年暴圧の 涙を拭けば血ぞ沸きて 三千万は甦る
三番
ああアルプスの峰高く レマンの水は清けれど 理想のかげは地に落ちて 深き理解はくみ難く ジュネーブの空春暗し
四番
さらば別れん連盟よ また逢う日こそ極東の 平和のひかり輝かに 盟主日本の雄々しさを 微笑のうちに迎えんか
夜郎自大も良いところのこの軍歌は、松岡洋右のアジテーションに国民が熱狂したことと同時に、朝日新聞がこれを大いに煽ったことの動かざる証拠となっている。今また、朝日新聞の主張は定まらず、従来の反政府的主張にとどまるか、翼賛側に転じるかで逡巡しているように見える。もちろんこれは朝日に限らず、毎日系その他についてもいえることだが、今なお最も影響力のある朝日の動向は、今後の日本を大きく左右することになる。このところ、朝日新聞が翼賛側に走ろうとするかのような報道がしばしば見られるが、そのつどそれを批判する声をあげる必要があろうかと思う。さしあたっては、A級戦犯・岸信介の孫であり、松岡洋右とも親戚関係にある安倍晋三に関する朝日新聞その他の無批判な報道ぶりを見過ごすわけにはいかない。
旭日旗を思わせる朝日新聞の社旗は、昔も今も変わっていない。朝日新聞が「君が代」の歌詞を変えろと主張しているかどうかは知らないが、少なくとも朝日新聞社旗は平和指向的なものに変えなければならないだろう。
私が小学生の頃、父の書棚に、「重要紙面に見る朝日新聞の九十年」(朝日新聞社、1969年)という本があった。これは、1879年(明治12年)に朝日新聞が大阪で発刊されてから1969年(昭和44年)に創刊90年を迎えるまでの間に起きた大事件の紙面を縮刷してまとめたものである。私は、明治以降の日本の歴史については、この本で学んだといっても過言ではない。
昭和に入って、日本が戦争への道を走った時代の記事は特に生々しくて、子供心に強烈な印象を受けた(岸信介が東条内閣に入閣していたことも、この本で知った。岸という男が佐藤元首相の兄で、やはり首相をやっていたことは知っていたので、その男が戦争内閣の閣僚だったことを知って、本当に驚いた)。
7月6日の記事にも書いたように、朝日新聞もまた、政権に迎合し、それまでの反政府的な論調を昭和初期に一転させ、軍国主義を煽りに煽っていたのである。松岡洋右の国際連盟脱退の演説を報道した「連盟よさらば!遂に協力の方途尽く。総会、勧告書を採択し、我が代表堂々退場す」という記事は、その代表的な例である。世界から孤立する無謀な選択を松岡がとった時、彼は内心、「日本の立場を理解させることが叶わなかったのだから自分は敗北者だ」と思ったそうだ(Wikipedia「松岡洋右」より)。しかし、朝日新聞をはじめとするマスコミは松岡を絶賛し、それに煽られて大衆は熱狂した。松岡の言葉といわれる「千万人といえども我往かん」は流行語になったそうだし、朝日新聞の「今日の問題」子を作詞者とする、その名も「連盟よさらば」というタイトルの軍歌が作られ、流行したという。ここにその歌詞を紹介する(いくつかのネット情報をもとに構成したが、細部に誤りがあるかもしれない)。なお、星影里沙さんのブログ「憧れの風」で、著作権権利期間の延長の話題が書かれている(「作曲家の憂い」)が、この軍歌は1933年に発表されたもので、著作権は正真正銘消滅している。
「連盟よさらば」
作詞 朝日新聞今日の問題の子・作曲 江口夜詩
一番
遂に来れり現実と 正義の前に眼を閉じて 彼等が無恥と非礼なる 四十二票を投げし時 我が代表は席を蹴る
二番
見ずや新たに満州の 五彩の国旗翻る 軍閥多年暴圧の 涙を拭けば血ぞ沸きて 三千万は甦る
三番
ああアルプスの峰高く レマンの水は清けれど 理想のかげは地に落ちて 深き理解はくみ難く ジュネーブの空春暗し
四番
さらば別れん連盟よ また逢う日こそ極東の 平和のひかり輝かに 盟主日本の雄々しさを 微笑のうちに迎えんか
夜郎自大も良いところのこの軍歌は、松岡洋右のアジテーションに国民が熱狂したことと同時に、朝日新聞がこれを大いに煽ったことの動かざる証拠となっている。今また、朝日新聞の主張は定まらず、従来の反政府的主張にとどまるか、翼賛側に転じるかで逡巡しているように見える。もちろんこれは朝日に限らず、毎日系その他についてもいえることだが、今なお最も影響力のある朝日の動向は、今後の日本を大きく左右することになる。このところ、朝日新聞が翼賛側に走ろうとするかのような報道がしばしば見られるが、そのつどそれを批判する声をあげる必要があろうかと思う。さしあたっては、A級戦犯・岸信介の孫であり、松岡洋右とも親戚関係にある安倍晋三に関する朝日新聞その他の無批判な報道ぶりを見過ごすわけにはいかない。
旭日旗を思わせる朝日新聞の社旗は、昔も今も変わっていない。朝日新聞が「君が代」の歌詞を変えろと主張しているかどうかは知らないが、少なくとも朝日新聞社旗は平和指向的なものに変えなければならないだろう。
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