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きまぐれな日々

またぞろ、村上ファンドがニュースを賑わせている。

毎日新聞によると、

阪神電気鉄道の筆頭株主(保有比率約46%)で村上世彰氏率いる投資ファンド(通称・村上ファンド)は2日、阪神電鉄に対し、同ファンドが推薦する9人を取締役に選任するよう求める議案を提案したと公表した。

とのことだ。要は、少しでも高く阪急ホールディングスに阪神電鉄株を売りつけて儲けたい、ということなのだろう。

今年1月に、ホリエモンが逮捕された時、TBSテレビなどでは、コメンテーターが「検察はMHKを狙っている」などと言っていた。Mは村上世彰、Hは堀江貴文、Kは木村剛のことである。

ところが、検察の腰は簡単に砕け、ホリエモンはたいした罪に問われそうにないし、MやKに捜査の手が及ぶ気配は全くなかった。

バブル崩壊後、日本の株式市場は2000年に一時日経平均株価が2万円を超えたことがあったが(いわゆる「ITバブル」の頃)、この当時、「金融工学」なる言葉がもてはやされたことがあった。だが、専門家でも何でもない私の理解では、金融工学とは単なる確率論の応用問題でしかないのだ。理論的には、株価にはその時点までの情報がすべて反映されて決まっており、次の時点で株価がどういう動きをするかは、ランダム・ウォークの問題だ。つまり、ランダムな動きをするのであって、金融工学の理論からは、リスクを低減することはできても、大儲けすることなど決してできないという結論しか導かれない。

株で大儲けする方法はただ一つ、インサイダー取引を行うことだ。もちろん、違法行為だ。超人気サイト「きっこの日記」が、4月27日付の記事で、堀江貴文が自民党を利用してインサイダー取引をやっていた噂があると書いているが、それは事実に違いないと私は思う。堀江貴文にせよ村上世彰にせよ、自らは何の価値も生み出さず、他人から金を巻き上げることでのし上がった人間だといえるだろう。彼らを「成功者」と呼ぶのが、小泉純一郎であり、竹中平蔵であるが、このこと一つをとっても、私は小泉や竹中を信用することができない。

だから、村上ファンドがニュースに出てくるだけで、不快感を抱いてしまう。マスコミはすぐに「阪急タイガース」がどうとか「村上タイガース」がどうとかくだらないことを言って、本質から視聴者の目をそらさせてしまうが、その低俗な報道ぶりには呆れ返るばかりである。


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2006.05.02 22:39 | 村上世彰 | トラックバック(-) | コメント(-) | このエントリーを含むはてなブックマーク
長年にわたって多くの作品を読んできたというと、筒井康隆にとどめを刺します。

「家族八景」を読んで筒井作品にはまってから、もう20年以上が経ちますが、その最初の10年間には、筒井の作品世界にどっぷりはまりこんでいました。

私が筒井にはまる以前からのファンの多くは、70年代までのスラップスティック全盛期の筒井作品を愛する人たちが多いようですが、私は、筒井が実験的作品を多く書くようになってからの作品の方が好きです。早くは、71年の「脱走と追跡のサンバ」に萌芽が見られますが、「虚人たち」「虚航船団」「残像に口紅を」など、70年代末から80年代にかけて多くの傑作が生まれるようになります。

一方、精神分析にも造詣が深い筒井氏の心理小説も面白く、有名なのは「七瀬三部作」ですが、のちの「パプリカ」に至るまで、傑作が書き連ねられています。

60年代の昔からマスコミ、特にテレビの本質を見抜き、これを皮肉った「48億の妄想」(大変な慧眼だと思います)以下の「擬似イベントもの」も面白いです。一昔前のパソコン通信時代に書かれた「朝のガスパール」では、筒井は、執筆と並行して開かれていた、作品関係の掲示板でのフレーム(掲示板上での論争。多くは「論争」というより「喧嘩」と表現する方が適切)を作品に取り込み、それを吊し上げて嘲笑するという挙に出て、読者としても大いに溜飲を下げた記憶があります。

もちろん、70年代に筒井作品の中心であった抱腹絶倒のスラップスティックも面白いし、「旅のラゴス」みたいなカッコイイ作品もある。要するに、筒井作品であれば何でもはまってしまうという読者でした。

そんな私が、筒井作品の中でも最高傑作と考えているのが、1987年の「夢の木坂分岐点」です。主人公の固有名詞が少しずつ変化させるという奇抜な手法を用い、夢や虚構の世界に入り込みながら、人間心理の深層にどんどん沈潜していきます。そして、究極的には死と向き合う。故・遠藤周作氏が激賞した作品だそうです。

ところで、筒井が1993年に「断筆宣言」をした時、私は二ヶ月間の米国出張の真っ最中で、全然このことを知りませんでした。インターネット全盛の現在だったら、たとえアメリカにいたって、日本の情報なんてすぐ入手できるんでしょうけど、当時は出張先がIT関連企業(当時は「IT」なんて言葉はありませんでしたが)だったにもかかわらず、インターネットは使えない環境でした。今調べてみると、Webブラウザ「Mosaic」に画像が表示できるようになったのが1993年6月のことだそうですが、当時はインターネットといっても、扱われるのは主に文字情報で、私は日本では電子メール及びニュースシステム(ROMでしたが)を利用していました。しかし、出張先にはその環境がなかったのです。アメリカはサッカーなど全然盛んではありませんから、「ドーハの悲劇」も知らず、あとで知ってショックを受けたものです。

話はずいぶん脱線しましたが、1993年の「断筆宣言」を境に、筒井作品に接する機会が減り、今では新作も読まなくなってしまいました。こういう文章を書いたことをきっかけに、また筒井作品を読んでみようかなと思います。
2006.05.02 01:05 | 文学・小説 | トラックバック(-) | コメント(1) | このエントリーを含むはてなブックマーク