きまぐれな日々

前エントリで、「一区切りにしたい」と書いた「事業仕分け」の話だが、どうしても引っかかっていた点が一つあるので、それについて補足する。

まず、トラックバックいただいた『たまごどんが行く!』のエントリ「事業仕分けを考察する」から引用する。

事業仕分けが世間の喝采を浴びているようだ。批判する人も蓮舫議員がキツ過ぎるとか、時間が短いとかが多く、たまごどんの思う本質とは違う枝葉からの非難が多いように思える。

たまごどんの言う本質とは、この事業仕分けが小泉総理の構造改革とまるで同じに見えるというものだ。小泉改革では福祉・医療・教育分野で大鉈が振るわれたが、今度の事業仕分けでは基礎科学分野にまで予算削減の波が及んだということが相違点かな。今回は基礎科学分野の決定的な衰退を招く可能性もあるなあ。困るのは将来の国民、つまり子供たちである。

(『たまごどんが行く!』 2009年11月26日付エントリ「事業仕分けの違和感を考察する」より)


このエントリの後半で、当ブログがリンクを張られて紹介されており、だからお世辞を言うわけではないが、これは共感できるエントリだ。科学技術分野については、ノーベル賞受賞者たちが声をあげたスーパーコンピュータばかりが注目されたが、それ以前に基礎科学部門や大学などでの研究に市場原理を持ち込む思想自体に、私はずっと違和感を持ってきた。

たまたま宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書、2000年)を読み返していたら、下記のような記述があった。

他の実利的、実用的な目的からまったく独立して、知識の探求のみを行う場として、大学の本来の存在理由がある。このような大学の目的から、大学人の行動様式、習慣、基本的性向にかんしておのずからある共通のパターンが生み出されることになる。それは、学問研究が、自由な精神にもとづいて、しかも科学技術的に最新の知識を用いておこなわれるような環境のもとではじめて実現可能となるものだからである。そこには、大学以外の教育機関にみられるような規律、規則の類いは存在する余地はない。

 ところが、アメリカの諸大学では、法人企業において支配的な基準を大学に持ち込もうとしている。知識が金銭的利益をどれだけもたらすか、という市場的基準が導入され、大学における研究者は、有用な知識をどれだけ生産したか、学生を何人教育したかという外的な基準にしたがって評価される。大学自体も、利潤最大化という企業的制約条件のもとで経営されることになる。

(宇沢弘文 『社会的共通資本』(岩波新書、2000年) 151-152頁)


小泉政権発足の前年、2000年に出版された本だが、小泉構造改革を経た今、このような考え方は極論として片づける人が大半なのではなかろうかと思う。2001年に、当時経済産業大臣だった平沼赳夫が打ち出した「大学発ベンチャー1000社構想」(通称・平沼プラン)は、まさしく宇沢弘文の書くところのアメリカの諸大学に市場的基準が導入されたと同じことを、日本でもやろうとしたものだといえる。

宇沢弘文は、「サッチャー政権になって大学関係の予算を大幅に削減する暴挙に出てから」(前掲書161頁)イギリスの大学が退廃し、かつての自由で闊達な雰囲気が失われたと書く。さらに日本についても、「第二臨調を契機として、教育の効率化という奇妙な発想が提起され、臨教審によって、具体的な政策転換のプログラムとなっていった」(同163頁)ことが「いかに大きな社会的、文化的損失をもたらすか」(同164頁)はあまりにも明白だと主張している。鈴木善幸内閣時代の1981年に発足した第二臨調(土光臨調)は、翌年発足した中曽根康弘内閣の行政改革を方向づける役割を果たした。中曽根康弘こそ、日本における新自由主義政権の開祖である。

その後、大学の研究に市場原理を持ち込もうという動きは何度も起きた。特に橋本政権、小泉政権や現在の鳩山政権など、「改革」に意欲を燃やす政権が出てくるたびに同じような事態が生じるように思われる。

先に私は「効率的な(サービスの)大きな政府を目指すべき」と書いたが、効率的とは費用対効果(コストパフォーマンス)の良い、という意味だ。しかし、そういう経済効果だけ考えていれば良いというわけではないはずだ、というのが私が引っかかっていたところだった。「学問研究が自由な精神にもとづく」というところが特にポイントなのであって、これは素人のなし得るところではない。素人はどうしても思い込みにとらわれて、自由なものの考え方ができない。私がその最たる例だと考えているのが陰謀論者であって、ひとたび陰謀が存在するという仮説にとらわれると、その仮説抜きに物事を考えることができなくなる。そして、なお悪いことに、最初は仮説に過ぎなかったものがドグマ(教義)と化してしまう。

そうなってしまっては終わりで、落ちるところまで落ちるしかない。最近では、自民党の小池百合子議員が陰謀論に侵されていることがネットで話題になった。きっかけは、小池が発信したTwitterである(下記URL)。
http://twitter.com/ecoyuri/status/6083239039

以下引用する。

中共の「日本解放工作要綱」にならえば、事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。カタルシスを発散させながら、日本沈没を加速させる…。


7:01 AM Nov 26th webで

ecoyuri
小池百合子


ここで小池百合子が言及している「中共の『日本解放工作要綱』」とは、日中国交回復のなった1972年に、『國民新聞』(昭和47年8月特別号)に掲載された「日本解放第二期工作要綱」と題された怪文書のことである。Wikipediaの記述によると、『國民新聞』の発刊歴は、上記1972年に「特別号」を出したあと、25年の休刊を経て再発刊され現在に至っているという。「休刊中の1990年に政治団体國民新聞社として登録されており、1997年の再発刊以降は政治団体機関紙として位置づけとなっている」とのことだから、要するに右翼のアジビラのようなもので、小池はこんなものにコロッと騙されたのである。

小池のTwittterがジョークではないか、との議論があったが、ジョークなどではあり得ないことは、ごく一部の人しか知らないであろう「日本解放工作要綱」なるものを持ち出したことから明らかである。私自身も小池のTwitterによってこの怪文書を初めて知った。そして、小池が本気である何よりの証拠は、自民党が下野した総選挙の直後に当たる今年9月に、自身のメールマガジンで「昭和47年に明らかになった中国共産党による秘密文書なるもの」としてこれを紹介していることだ。下記URLにリンクを張ったので、是非ご確認いただきたい。
http://www.yuriko.or.jp/mail_m/090921.shtml

恐ろしいのは、この小池百合子は環境大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)、防衛大臣を歴任しており、現在も自民党の広報本部長を務める人物だということである。

巧みな政界遊泳術で、権力のあるところを渡り歩いてきた小池百合子は、超えられそうにもない壁に当たると、簡単に陰謀論に騙されてしまう脆弱な人物だった。そして、そんな人物が「次期総理大臣候補」の呼び声が高かったほど、政界には人材が払底していた。小池は、大学で「自由な物事の考え方」を身につけることができなかったといえる。いわば、「こうあってはならない」という反面教師である。

二度とこの程度の人物を「総理大臣候補」に擬さないためにも、教育は重要だし、それに加えて、大学における研究にはそれ自身に価値があり、それを安易に市場原理にもとづいて「事業仕分け」などしてはならない。「仕分け」を行う側には、小池同様簡単に陰謀論に侵されてしまうような人物がウヨウヨいると推測されるだけになおさらである。


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早いもので、今年も残すところあと1か月。政権交代の起きたこの年が、果たして後世にどう評価されるだろうかと思いをめぐらせている。

ブログを開設してから今年の4月でまる3年が経過し、4年目に入っている。誰が言い出したのか、ウェブサイトの寿命は3年などと言われているそうだから、当ブログは平均寿命(?)を超えたことになる。

実は、かなり以前から私は、衆議院選挙の投開票日の翌日にどれくらいのアクセス数をいただけるブログになるか、ということを考えていた。8月30日に投開票が行われた第45回衆議院選挙の結果、政権交代が実現したのだが、その翌日の8月31日に、「衆議院選挙で民主党圧勝 ろくな議員が残らなかった自民党」と題したエントリを公開した。この日、当ブログへのアクセス数は、FC2カウンタの計数によるトータルアクセス数で過去最多の17,049件に達した。それまでの最多は、一昨年に『きっこの日記』からリンクを張って紹介していただいた時に記録したものだったが、それを2年ぶりに更新した。もちろん、この程度のアクセス数で世論に影響を与えることなどできないが、私の実力からすると、これくらいが精一杯だと思えた。前記の8月31日付エントリは、衆議院選挙の総括であるとともに、それまでの3年4か月運営を続けてきたブログの総決算でもあったのだ。現在では、アクセス数はピーク時の数分の一になった。

いざ政権が交代してみたら、いろいろと問題も出てくるだろうし、麻生前政権以上に新自由主義的な性格も現れてくるだろうとは予想していた。そして、その懸念は当然のごとく現実化している。その典型例が「事業仕分け」だろう。

あまり毎回毎回「事業仕分け」のことばかり書くのも何なので、今回でこの件は一区切りとしたいが、ひとことで言うと民主党政権の「事業仕分け」には、大きく分けて2つの問題点がある。民主党政権は「効率的な小さな政府」を目指しているように見えるが、軍事費のように本当に削るべき費用を削る姿勢が見えないこと、これが第一点。そして、さらに問題なのが、政権が政府支出自体を縮小しようとしていることだ。これは、既に深刻な不況下にあり、今後不況がさらに悪化することが懸念される現状にあっては、決定的に間違った方向性である。

昨日、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』に長妻昭厚生労働大臣が出演していた。長妻氏は、一昨年に同じ番組に出演した時、年金問題で自民党の大村秀章を完膚なきまでに論破した論客だ(当ブログ2007年6月17日付エントリ「自民党の「年金問題の切り札」・大村秀章の醜態」参照)。しかし、政権交代前、私は実は長妻氏に対して、新自由主義志向ではないかとの懸念を持っていたし、その懸念をブログで表明したこともある。だが、昨日のテレビ出演で、長妻厚労相は「日本の医療費、医師の数は先進7カ国で最低」と指摘し、「今回の政権交代の大前提は、コンクリートから人。医療崩壊を立て直すためには、一定の金額が必要だ」と診療報酬全体の底上げを改めて求め、財務省が診療報酬全体を引き下げて配分の見直しを求めていることに反論した(朝日新聞記事より)。また長妻厚労相は、小泉政権の「骨太2006」で示された年間2200億円の社会保障費削減も批判していた。私の感覚では、政権交代前と比較して株が上がったのがこの長妻厚労相であり、逆にストップ安まで値を下げたのが、藤井裕久財務相、平野博文官房長官、及びこの2人を任命した鳩山由紀夫首相である。鳩山首相については、「政治と金」の問題もあり、4年などといわず早期に退陣してもらいたいものだと考えているほどだ。概して新政権にはスピード感が不足していて、だから小沢一郎や菅直人も、私の評価としてはじりじり値を下げている。

話が脇道にそれたが、小泉構造改革が国民生活を破壊したあとに政権交代によって発足した民主党政権の目指す方向性は、「効率的な(サービスの)大きな政府」以外にはあり得ない。職務上当然とはいえ、財務省の狙う医療費や社会保障費の削減に長妻厚労相が反対するのは評価できる。

ところが、昨日の『きっこの日記』(2009年11月29日付)を読むと、「事業仕分けで漢方薬の保険適用除外を検討しようとしていることに対して、医師や患者が反対運動をしている」というマスコミ報道は虚偽であるとの批判に続いて、長妻厚労相を「厚労省の操り人形」と表現し、漢方薬の保険適用除外検討に反対する長妻氏を、「トンチンカンなことを言い出す」とか「『ミスター検討中』の次は『ミスターマリオネット』なんてアダ名をつけられちゃう」などとこき下ろしていた。これには大きな違和感を持った。

さらに引っかかったのは、これに続いて、漢方薬の保険適用除外批判の件を、「国民の8割から支持されてる『事業仕分け』にケチをつけたい一部の勢力」が起こしたバカ騒ぎだと断定していることだ。きっこさんは、「コイズミ」の構造改革が国民の8割どころか9割から支持されていたことをお忘れなのだろうか。私は、きっこさんがコイズミの登場時に騙されて期待していたものの、医療費の国民負担が高くなる一方であることからコイズミに疑問を持つとともに政治に関心を持つようになり、コイズミ批判のブログとしてもっとも有名になるに至ったと了解している。それなのに、今また「国民の8割から支持されてる」事業仕分けは正義であって、それに逆らう者は「悪徳ペンタゴン」じゃなかった、一部の勢力の陰謀だと言うのだろうか。長妻昭と枝野幸男を比較して、後者に軍配を上げているきっこさんの文章に、私は到底ついていけなかった。

「漢方が保険適用外になる」というのは本当にデマか、ということについては、『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「【漢方薬問題】「きっこの日記無謬主義」は「官僚無謬主義」と同じ過ちだ」が検証している。このエントリからリンクされている、同じ筆者が書いた『JanJan』の記事「漢方医療が危ない!?事業仕分けに疑問続出」と併せて、是非参照されたい。「一般用医薬品は安価である」という勘違いがきっこさんの議論を誤らせているように思う。

過去には「民主党なんて所詮は自民党の一派閥に過ぎない」と書いていたはずの『きっこの日記』が、小沢一郎や鳩山由紀夫を過剰に持ち上げたり、「事業仕分け」は国民の8割が賛成しているのだから、それに反対するのは抵抗勢力(という表現ではないけれど)だ、と言わんばかりの文章を書くに至ったのか、その動機は私にはよくわからないのだが、政権与党入りしてからいまひとつ存在感を打ち出せていない社民党と対応しているかのようだ。その社民党を叱咤激励しているのが、政治思想右派の亀井静香なのだから、リベラル勢力の不甲斐なさには目も当てられない。

それにしても、耐震偽装事件で『きっこの日記』が注目されたのが4年前。私がブログを始めたきっかけの一つが『きっこの日記』の活躍に刺激を受けたことだった。それを思い出して、時の流れを感じる今日この頃である。


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前回のエントリ「共産党と国民新党の経済政策の類似性と「城内実」の問題」に、ぽむさんから下記のコメントをいただいた。

マイカーからバスへの利用転換を図る「バス利用等総合対策事業」(国交省、13億円)も廃止、路線バスの維持に取り組む自治体を支援する「地域公共交通活性化・再生総合事業」(国交省、41億円)は「自治体や民間などに移管」と判断だそうです。
どう考えても小泉改革の延長にしか見えないのですが。

2009.11.24 23:09  ぽむ


公共交通機関の衰退は、地方に住む人の多くが痛感していることだろう。私は、旅行先で路線バスを利用することが多いが、徳島県で、時刻表に記載されていたバスが路線廃止になって他の会社に変わってしまったために、バスのダイヤが変更になってあてが外れたことがあった。それでも、この時はバス路線が廃止になっていなくて幸運だった。

バス停は存在するものの、路線が廃止になってもはやバスが走っていない例も何度も目にした。1999年に全通したしまなみ海道(広島県尾道と愛媛県今治を結ぶ本四架橋のルート)では、同海道の開通を当て込んで新設された愛媛?広島県間の島をつなぐ路線バスは、あっという間に不採算で運行が休止された。それを目にしたのは1999年12月初めのことだから、もう10年にもなる。訪れるたびにバスの路線が減っている中国地方の都市もある。四国のある市でコミュニティ・バスに乗ってみて、運賃100円のこのバスが、地元のお年寄りに重宝されていることを理解したが、そこでは民営の路線バスが壊滅状態になり、コミュニティ・バスに「発展的解消」をとげたのだった。だが、コミュニティ・バスが運行されている町は、まだ恵まれている部類だ。地方における公共交通網の衰退は、本当に深刻である。

誰だったか忘れたが、民主党の政治家が、車を使わずに鉄道を使おうという主旨の本を書いていたのを本屋で立ち読みしたおぼろげな記憶もある(鉄道オタクで有名な前原誠司ではなかったと思う)。しかし、そのような意見は民主党では決して主流ではなさそうだ。マイカーからバスへの利用転換を図る動きは凍結され、不採算の路線バスは休止なり廃止してしまえ、というのが民主党政権の「事業仕分け」なのだから。この件を論じるのに、宇沢弘文の『社会的共通資本』でも持ち出してみようかとも思ったが、そんな気持ちも萎えてしまった。

そこで趣向を変えて、オーケストラの話でも書こうかと考えた。「事業仕分け」に日本オーケストラ連盟から批判が出ているが、ずっと前からオーケストラは貧乏で団員は悲鳴を上げていたはずだ。書いていたのは故岩城宏之あたりだったか、それは忘れたけれど。オーケストラへの予算配分の削減というと思い出されるのが大阪府知事の橋下徹であり、ちょっとネット検索をかけてみると、2008年の府知事就任早々、橋下府政が大阪の4つのオーケストラの予算をいずれも大幅に削減していたことを報じる産経新聞記事(リンク切れ)を引用したブログ記事が見つかった。ここに引用されている昨年4月9日の産経新聞記事に、「在阪4楽団をめぐっては一昨年、財界トップが「4つを1つにしては」と発言して物議を醸した」と書かれていたようだが、いまや民主党支持のブログが橋下を支持する関西の財界人と同じ発想に基づくブログを書いているらしいことが、『生きてるしるし』の記事からわかる。

だが、これについて熱く語る気持ちも盛り上がらなかった。毎日新聞調査で74%、産経新聞調査では実に9割にものぼる「事業仕分け」を支持する世論の前では、何を言っても無駄という気になってしまうからだ。

私は何も「事業仕分け」のすべてを否定するものではない。しかし、もっとも気になるのは、事業仕分けでスケープゴートを仕立て上げ、国民がそれに拍手喝采している間も、本当に削減すべき対象からは全然削減が進んでいないのに、「小さな政府」を目指す志向性が感じられることだ。「効率的な政府」が、何も「(サービスの)大きな政府」であってならないはずがないし、現実は「サービスの大きな政府」でなければやっていけないはずの状況なのに、庶民性を標榜するブログが「良い小さな政府」を目指すと公言する植草一秀を信奉し、新自由主義志向のブログはもちろん池田信夫を信奉している現状では、ブログで何を書いても空しいなあと思うばかりなのである。

何も、植草、池田両氏がともに経済学のアカデミーにおいては本流から外れているから軽視するわけではない。しかし、たとえば地球温暖化に関して、植草氏池田氏は、ともに専門外であるこの分野に首を突っ込んで、地球温暖化懐疑論を唱えるだけならともかく、そこから陰謀論的に議論を進めようとする。ともに東京大学経済学部を卒業しているこの2人は、他にもいろいろ共通点があるのだが、ネットでもてはやされるエコノミストというのはこの手の人たちである。池田氏はまだ旗幟鮮明な新自由主義者だから立ち位置が明らかだが、植草氏は自著に明記している通りマネタリズムと「規制改革=小さな政府論」を経済学研究の起点にしており、昨年にも「良い小さな政府」論を唱えている。そして、政治思想的にも、故中川昭一の「もうろう会見」や急死に関して陰謀説を示唆したり、小泉純一郎は厳しく批判しても、安倍晋三をほとんど批判しないばかりか、安倍が森内閣及び小泉内閣の官房副長官を務めていた頃に、「安倍晋三氏を囲む5人の会」のメンバーだったのではないかと推測される人物である(植草氏の著書の記述より推測した。『kojitakenの日記』参照)。一時、鳩山政権の緊縮財政思考批判に回る兆しが見られて注目していたが、記事が信奉者に支持されなかったためか、再び民主党政権マンセーの論調に戻った。

ブログで尊大な姿勢を崩さない池田信夫とは対照的に、植草一秀には読者に取り入ろうとする傾向があり、それが陰謀論やトンデモへの志向につながる。そしてそれは、当ブログが2007年12月23日付エントリ「ネットに横行する「トンデモ」や「陰謀論」を批判する」で批判した対象との親和性が強いのである。

この壁を突き崩さない限り、ブログで何を書いても先に進めない。そんな思いにとらわれて、『きまぐれな日々』はなかなか更新できないし、更新しても書き手として満足のいく記事にならないことが増えている。


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このところの政治でもっとも話題になっているのは、「事業仕分け」だろう。

私には小泉構造改革の再来としか思えないのだが、なぜか世評は高い。一昨日(22日)のテレビ朝日『サンデープロジェクト』で、司会の田原総一朗が、「民主党政権の『事業仕分け』は国民に支持されている」と言っていた。事実、産経新聞の世論調査では、内閣支持率はわずかながら上昇し、事業仕分けを「評価する」意見が9割近くに達している。一方、毎日新聞調査では、内閣支持率は、産経と全く同じ10月17, 18日調査との比較であるにもかかわらず、支持率を8ポイントも下げている。しかし、「事業仕分け」については、「評価する」意見が74%に達している。

現在の野党第一党は自民党だが、国会では自民党はくだらない質問しかできない体たらくで恥をさらすばかりであり、国会で与党をたじたじとさせているのは共産党である。同党の機関紙『しんぶん赤旗』は、政府の「事業仕分け」を、下記リンク先の記事で厳しく批判している。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-11-21/2009112102_01_1.html

 診療報酬の議論で財務省は借入金の返済など経営経費を考慮に入れない年収だけを比較し、開業医の「高収入」を問題にしました。財務省は「勤務時間は病院のほうが長い」とも指摘しました。しかし日本医師会の調査では40歳代以上では開業医の勤務時間の方が長くなっています。事実に反する議論まで持ち出して財務省が求めたのは開業医の診療報酬引き下げです。結論も「開業医・勤務医の(診療報酬の)平準化」となりました。これは、民主党が掲げた「診療報酬を増額する」というマニフェストにさえ反します。

 薬価見直しについては漢方薬、湿布など「市販品類似薬」を保険外にすることも検討対象に含めました。そんなことをすれば医療現場で欠かせない薬を使えなくなるとともに、低所得者はますます医薬品を利用しにくくなります。

 入院時の食費を患者負担増の方向で見直し、パートの均衡待遇助成金も見直し、子どもの読書推進の事業は廃止など、生活関連の予算を無造作にカットしています。科学・スポーツなど採算や効率では評価できない事業も、「赤字だ」「民業圧迫だ」と切り捨てる議論は、あまりにも乱暴です。

(『しんぶん赤旗』 2009年11月21日付記事「主張/「事業仕分け」 これはあまりに乱暴すぎる」より)


さらに『しんぶん赤旗』は、「仕分け人」に経済財政諮問会議や規制改革会議の関係者ら、小泉構造改革の推進者が名を連ねていることを指摘し、これを批判している。

 もともと「事業仕分け」を推進したのは小泉内閣です。事業ごとに採算・効率を取り上げ、公的な事業を減らして民営化を進めるテコにする狙いがありました。

 それを引き継いだ鳩山内閣の「事業仕分け」にも、「仕分け人」として、経済財政諮問会議や規制改革会議の関係者ら小泉「改革」の推進者が名を連ねています。

 「構造改革」路線に対する国民の厳しい審判を押し戻そうとする抵抗の動きが起きています。国民の世論と運動で打ち破っていこうではありませんか。

(『しんぶん赤旗』 2009年11月21日付記事「主張/「事業仕分け」 これはあまりに乱暴すぎる」より)



最近は、ちょっと共産党の意見に同調しただけで一部から過剰な反発を受けるが、総選挙で民主党が圧勝したのは、小泉構造改革を否定し、「国民の生活が第一」を掲げたためだと言って良いだろう。しかし、現実に鳩山政権が行っている政策は、財務省主導の緊縮財政路線に乗ったものである。

閣内で、共産党に近い主張をしているのが国民新党の亀井静香だと思う。日本会議に所属している亀井は、政治思想でいうと明らかな右翼で、つい先日も新党日本に加えて平沼グループ(当ブログでの呼称は「平沼一派」)を取り込もうとしたが、経済政策では一貫して積極財政政策を訴えている。現在のような厳しい不況下においては、財務相の藤井裕久の方向性よりも亀井の方向性の方が望ましいと思うのだが、こういう考えを持つ人間は残念ながら少数派だ。そして、その少数派として共産党のほかに右翼勢力があるというのが現実なのだ。

一つどうしても気になるのが、当ブログの天敵ともいえる城内実の存在だ。彼が昨年11月11日にブログで書いた「国籍法改正」に反対するブログ記事は実に醜悪であり、『日本がアブナイ!』経由でこれを知った私は、「はてなブックマーク」に、

kojitaken 城内実, これはひどい, 国籍法, 右翼, 極右, レイシスト, 差別 こんなひどい文章を書く政治家は見たこともない。二度と当選しないで欲しい。いや、視界から消えて欲しい。 2008/11/19

と書くとともに、『kojitakenの日記』で城内を非難するエントリを上げた。もちろん、当ブログでも繰り返し城内を叩いた。その結果、城内から煽りの反撃を受け、現在でも彼から「上から目線で重箱のすみをつつくことに自己満足を感じている絶滅危惧種の左翼全体主義ブロガー」という尊称をいただいている(名指しはしていないが、私を指しているとしか読み取れない)。同じ記事で城内は、別のブロガーを「一部のとんちんかんなネット右翼」と言って非難しているが、笑えるのは「全体主義」といい「ネット右翼」といい、城内実自身にこそぴったり当てはまる言葉であることだ。

とにかく、城内のレイシズムむき出しのエントリについた「はてなブックマーク」は、今なお増え続けて200件に迫っているし(もちろん、その大部分に城内実を非難するコメントがついている)、当ブログの昨年11月20日付エントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」は、今年の7月末に城内実が「眞鍋かをりさん無断使用ポスター事件」を起こした時に、衆院選直前だったこともあって再び注目され、短期間に1万数千件のアクセスをいただいた。上記エントリでは、国籍法改正の是非には触れず、城内ブログに見られたレイシズム的言辞のみを徹底的に叩いたが、これが城内に言わせれば、「過去の私のブログの記事をろくに読みもしないで」ということになるのだろう。その後私は、過去に城内実がずいぶんご立派なことを書いているエントリも読んだが(これが『STOP THE KOIZUMI』への売り込みに功を奏したようだ)、衣の下から鎧を現したのが、「国籍法改正反対」のエントリであって、こちらにこそ城内の本音が表れていると思う。

例によって延々と城内実批判が続いたが、この城内実は、師匠の平沼赳夫と比較しても経済問題への関心が比較的高く、その小泉純一郎批判は、一部の共産党系論者からも肯定的な評価を受けていることを最近知った。その一方で、民主党などの国会議員らに、城内実の国籍法改正反対記事のURLを張って、城内への警戒を呼びかけるメールを送った人もいる。共産党系でも評価する人がいるくらいだから、政治思想も近い亀井静香が平沼一派を取り込もうとしたのは不思議ではない。私は、亀井静香の悪いところが出たと思ったが、亀井静香は彼なりに一貫している。国民新党を結成した頃、同党が提示する政策に「この指とまれ」をやって、自民党でも民主党でも、われわれの政策に賛同する人たちと組む、と亀井は言っていた。その結果が民主党、社民党と国民新党の連立政権になったのであり、社民党と国民新党は互いに大幅な譲歩をしながら、民主党が「小さな政府」路線に暴走しないよう歯止めをかけている「はず」である。現実には、社民党の歯止めの力があまり効いていないように見えるし、産経新聞などは社民党の連立離脱を期待しているようだが、事態は決して産経新聞が期待するようには進展しないだろう。最大の理由は、この三党連合が小沢一郎にとって利用価値があるからだと私はにらんでいるのだが、今回はそこには深入りしない。

で、当ブログのスタンスを改めて明確にしておかなければならないが、新自由主義に反対するためなら平沼赳夫や城内実とも組むというスタンスは、当ブログは決してとらない。国家社会主義はやはり誤りであり、それは歴史の教えるところであると考えている。城内実がむき出しにしたようなレイシズムや排外主義抜きの国家社会主義などあり得るだろうか? 自己矛盾に陥ってしまってそんなものは存在できないというのが、現在の私の意見である。

もう一つ頭が痛いのは、リベラル勢力に根強い、不況期の財政再建政策を容認というか支持する意見が根強いことであって、これは「サンデープロジェクト」(来年3月いっぱいで終了するらしい)で星浩がしばしば力説することから想像がつくように、朝日新聞などが強力にこの主張を繰り返している影響もあるだろう。なにしろ朝日は消費税増税まで強硬に唱えているが、財政のあり方からいって、金持ち増税をやったあと、それでも足りない分を消費税増税で補うという手順を踏まなければ成らない。ただでさえ借金の返済のために財政の本来あるべき機能である再分配ができなくなっているのに、財政再建のためと称して逆進性の強い消費税増税に走ると、ますます格差が拡大する。ところが、リベラル派の人たちがなかなかそれを認識できないから、城内実のような輩に付け入る隙を与えるのである。朝日新聞の記者たちは、みな高給取りであって、むしろ格差の拡大を歓迎しかねない人たちだということを頭に入れておく必要がある。


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前々回のエントリで、

その道の第一人者こそが、約束ごとにとらわれない自由な発想ができる。だからこそ第一人者なのであり、型にはまった考え方しかできないのは素人の方なのである。

どんな政党でも、党のそれまでの方針に固執するのは、執行部ではなく支持者である。そして、どんな社会でも、古い差別意識がもっとも遅くまで残っているのが一般市民というか、庶民のレベルなのである。だから、庶民が読み、書き、考えると称するブログには、旧弊の色が濃い。

と書いた。

これは、実は読者を挑発した表現であって、しばしば「上から目線」のブログと言われる当ブログが、思い切った「庶民批判」をしたものであるが、特にこれに対する批判のコメントはなく、逆にぽむさんから、

この部分には、特に強く共感しました。「上から目線」なんてことを言い出す人が出てきそうですが、「暴君の臣民は暴君よりたちが悪い」と言われるように時代を超えた普遍的な現象だと思います。実際、仕事などでリアルに接する人たちの会話を聞いていると、時にいかなる反動的なテレビのコメンテーターなどより弱者・少数者への酷薄な見方や差別意識にぞっとさせられることがしばしばあります。
賢い「リベラル・左派を自認するブロガー及びその支持者」はそんな「どうしようもないB層」とは違うはずが、結局大した変わりがないようですね。

という賛同のコメントをいただき、さらにぽむさんのコメントに対して、フリスキーさんから、

まったく同感です。
たとえば、
市民新聞JANJANのコメント欄などを拝見していると、
ステレオタイプな偏見、あからさまな差別意識、情けないほどの付和雷同ぶりに辟易とさせられることが多々あります。
そしてそららの言説は、ほとんどがネット上で言い古されたものばかりなのですね。
おそらく、ある論点についてあらたに本を読んで自分の頭で物事を考えるという習慣も希薄でしょうし、ネット検索という手法で安易に権力者に都合の良い論調に擦り寄って、自分を同調させることで脆弱な自己のかりそめの安寧を求めているのですかね。
私もいくつかのコメント欄で議論に参加したことがありますが、上記の観念に凝り固まっている様は絶望的なほどでした。

という賛同のコメントをいただいた。

私は最近、権力批判、政府批判も必要だけれど、国民や「庶民」を批判することも欠かせないと思うようになってきている。小泉純一郎の「劇場政治」を支持したのも国民だったし、先の戦争だって、国民の支持なしには遂行できなかった。そして、戦争に反対する人たちを弾圧し、「村八分」にしたのも庶民たちだったのである。

ネットの政治的言論で何がいけないといって、「庶民」の立場に立つポーズさえ見せれば、すべてが免罪されるような風潮がまかり通ることだろう。「嫌中嫌韓」を臆面もなく掲げて、「在日」に対する悪態をつくのは、何もネット右翼だけではない。左翼の側にもいくらでもひどいレイシストはいる。たとえば、ヘンリー・オーツと称する、アメリカかぶれ丸出しの名前を名乗っているブロガーは、

「平和の政党、庶民の味方」いつの時代かに掲げていた標語である。それが自公の連立となってからはアメリカのイラク攻撃に真っ先に賛意を示した小泉自民党に追随し、派遣法を成立させることで今日の格差社会を生み出すことに貢献して来たのがソン・テジャクこと大作大先生率いる朝鮮カルト「創価学会」と見事に政教一致している国賊公明党なのだ。

などという真っ赤な嘘を書いている。私は『kojitakenの日記』に、「池田大作の本名は池田大作」という記事を書き、その中で、ヘンリー・オーツを指して「ネオナチ同然」と書いたが、裏ブログより読者数の多いこちらのブログでも、改めてヘンリー・オーツの虚言を指摘し、この男が「ネオナチ同然」であることを強調したいと思う。同様の指摘は、今年7月26日付の『vanacoralの日記』によってもなされているが、こういうことは、大多数の人たちが納得するに至るまで、何回でも繰り返して書かなければならない。私とて公明党や創価学会に対する批判は持っているが、批判はあくまでも事実に基づいてなされねばならない。捏造に基づく批判は誹謗中傷にほかならず、ヘンリー・オーツが行っているのはまさにそれだ。この私の主張に反論するのであれば、「池田大作の本名がソン・テジャクである」ことを証明しなければならないが、そんなことが大嘘つきのヘンリー・オーツになどできようはずもない。そして、それができない限り、ヘンリー・オーツはネオナチ同然の人間として弾劾されなければならないのである。

ところで、このヘンリー・オーツは、地球温暖化についても、「地球温暖化詐欺キャンペーン」で得をする人VS損をする人は!?」と題する、呆れるほかない記事を書いている(昨年7月28日付)。以下引用する。

今、手元に図書館から借りた「地球温暖化論のウソとワナ」と「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」があり、飛ばし読みした。私は科学者でもないので細かく検証しようとは思わない。温暖化の原因がCO2によるものかどうかにはあまり興味がない。そんな時間があればもっと別の勉強をしたいと思う。そもそも本を読むきっかけは「反戦な家づくり」さんや「らくちんランプ」さんなどの記事を読んで(全部はとても読んではいません)急に政府が温暖化のことを取り上げるようになったことには裏があると確信したのだ。全然、論理的ではありません。

(『BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」』 2008年7月28日付エントリより)


「興味がない」という人間が、「地球温暖化詐欺」などと書く厚顔無恥さにも呆れるが、ここでオーツが言及している『地球温暖化論のウソとワナ』(ベストセラーズ、2008年)は、興味深いことにノビーこと池田信夫も絶賛している(『池田信夫blog(旧館)』 2008年5月12日付エントリ「地球温暖化論のウソとワナ」)。もちろん、ノビーはヘンリー・オーツのように「急に政府が温暖化のことを取り上げるようになったことには裏があると確信した」とか「全然、論理的ではありません」などとは言わないが、やっていることはヘンリー・オーツと何も変わらない。面白いのは、虚偽に基づいて誹謗中傷を行う札付きの陰謀論ブロガーと、酷薄な新自由主義的主張を振りかざしてネットで大人気の経済評論家のベクトルがぴったり合っていることだ。

私が思うのは、真面目に気候学を研究している研究者から見たら、マイナーなヘンリー・オーツはともかく、ノビーなんかがネットで大人気を博している現状をやり切れなく思うんじゃないかということだ。だが、この手の「反知性」の跋扈が、民主党政権にまで及んでいるのではないかと思わせるのが、昨今話題の民主党政権の「事業仕分け」による基礎研究の圧迫である。

基礎化学系のD1だという大学院生の方は、ブログに下記のように書いている。
http://www.chaoticshore.org/blog/2009/11/14-021318.html

「納税者がトップレベル研究者にお金を払った分、納税者個人にもリターンをもらえないと納得できません!」

これは仕分け人の蓮舫議員の言。自分としては趣旨そのものを否定するつもりはない。リターンを金銭的なものに限らないという条件付だけど。

研究、特に基礎研究は、すぐに目に見える形でのリターンは期待できない。10 年後、20 年後に何かのベースとして実用化されていれば儲けもの。
人類の知にひっそりと 1 ページを付け加えるだけ、というものが多いのも事実。だけど、これでもリターンとしては十二分だと思う。
もともとアカデミックでの基礎研究というのはそういうもので、応用を考えている人のためのライブラリの構築こそが本質と言えるだろう。

しかし、短期的なリターンだけ、採算性だけを求められると、こういう土台となるべき基礎研究はほぼ確実に崩壊してしまう。
今回対象とされた理研のスパコンや SPring-8、バイオリソースなどは多くの研究者にとって欠かせないツールであるし、科研費、競争資金、若手育成、理系教育は、現役の研究者および次代の研究者の卵にとっては必要不可欠である。

特に若手育成、理系教育は、世代の連続性を確保する上では欠かせないと考える。
いわゆる「理科離れ」の問題は理系領域への人の流入を弱めてしまうし、仮に高校での中等教育を無償化したとしても、その上にあるべき大学、大学院での教育、研究がボロボロになっていては、誰も科学技術の道へ進もうとはしないだろう。
資源のない日本にとっては、科学技術と人材こそが発展の鍵ではないだろうか。
今回の仕分けがそのまま通ってしまえば、その柱が崩れてしまう。

博士課程に進んだのは自分の意思だし、いまさらそれを否定するつもりもないが、現状では後輩に同じ道を勧めることは到底出来そうにない。相談されたら否定的な態度をとるつもりだ。勧めるとしても日本ではなく海外。かく言う自分が博士修了後に海外へ行くことを考え始めているのだから。
日本という国は嫌いではないが、日本という国で研究を続けることはできなくなってしまうのか。それがなんともやりきれない。

(『徒然なる記録 - Chaotic Shore』 2009年11月14日付エントリ 「事業仕分けと科学技術立国という幻想」より)


私はこの記事を読んで「またか」と思った。バブル崩壊後に日本経済が傾いた頃、あるいは新自由主義を高らかに謳い上げた小泉政権が発足した頃、自民党政府は同じように「役に立たない」基礎研究を圧迫し、それらにかける支出を、「金になる」研究に振り向けようとした。第1次小泉内閣で経済産業大臣を務めた平沼赳夫は、「大学発ベンチャー1000社構想」(別名・平沼プラン)を提唱したが、これは、「新市場・雇用創出に向けた重点プラン」の一環だった。もちろん、この政策が採られた時、同時に「金にならない研究」が圧迫されたことは言うまでもない。余談だが、平沼が経産相を務めていた時に、超党派の自然エネルギー促進議員連盟によって、ドイツのFIT(フィードインタリフ)法とほぼ同じ内容を持つ法案(「幻のFIT法案」と呼ばれる)が、議員立法として成立する一歩手前まで進んだことがあるが、経産省と電力業界の巻き返しによって潰された。つまり、平沼は経済産業省が自然エネルギー促進を後退させた時の最高責任者だった。その極右思想といい、百害あって一利なしの男である。

以上見たように、金にならない基礎研究なんかにかける支出を削って「効率化」してしまえという発想は、「真正保守」を標榜する平沼赳夫にも及んでいる。日本の学問、文化、芸術といったものを損なってしまうことを私は危惧するのである。

虚偽や思い込みに基づいてとんでもない誹謗中傷を行うヘンリー・オーツも、専門外の分野に首を突っ込んで妄言を撒き散らす池田信夫も、基礎研究にかける金を削って効率化一辺倒を志向した平沼赳夫も、同様のことをさらに過激に行おうとしている現政権や実質上現政権をコントロールしている財務省も、みんながみんな寄ってたかって、小泉純一郎がぶっ壊した日本に、さらにとどめを刺そうとしているようにしか見えない。

仙谷由人行政刷新担当相は、「事業仕分け」について「これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と発言したが、中国の文革が学問や文化、芸術をぶっ壊すものだったことは論を待たない。いま日本で進行している事態は、まさしく「文化大革命」である。これぞ「無血革命」の成果。小沢一郎、鳩山由紀夫、植草一秀の「三種の神器」万歳!


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