きまぐれな日々

昨年10月25日に大阪で行われた講演会における辺見庸の言葉が忘れられない。辺見は、「今後これまでの新自由主義に代わって、国家による統制をよしとする言論が支持されるようになり、それに伴って国家社会主義の変種ともいうべき者が、「革新づらをして」現れるだろう」という意味のことを語った。これについては、昨年10月27日付エントリ「新自由主義のあとにくるもの ? 国家社会主義を阻止せよ」に書いたが、その後のNHKの番組やそれに基づいて出版された辺見の単行本では、ここまで生々しい形ではこの警告は発せられていない。しかし、事態はますますこの方向に進んでいるように見える。

この辺見庸講演会の少しあと、国籍法改正騒ぎが起きた。自民党の政治家はおろか、産経新聞でさえ当初問題にしなかったこの改正について、排外主義を唱えるネット右翼が騒ぎ出し、それに呼応して平沼赳夫や城内実が法改正反対論をぶち始め、国民新党や新党日本など、民主党と右から提携している政党もなびいた。結局国籍法は改正されたが、ネット言論ばかりではなく一部の政治家、それも平沼赳夫や城内実のようなファシストばかりではなく、田中康夫らまで排外主義にいつでも加担する動きを見せたことには危機感を持った。

昨日のエントリで、1930年代とのアナロジーが気になると書いたが、連休前に発売された週刊朝日の増刊号「朝日ジャーナル 創刊50年・怒りの復活」に掲載された柄谷行人の「国家と資本?反復的構造は世界的な規模で存在する」は、1930年代よりも大英帝国が衰退して帝国主義列強がヘゲモニー国家を目指して争い始めた1880年代とはるかによく似ていると主張している。そして、ついこの前まで新自由主義を唱和していた日本で、急激に福祉政策・社会主義への関心が広まりつつあるが、それがまた急激に保護主義・排外主義に転化しない恐れは何もないと指摘している。

柄谷行人は、1890年代以降に勢力を拡大した社会民主主義者やアナーキストが第1次大戦において国民の利益のために開戦に踏み切ったとしているが、昨日のエントリにコメントいただいたぽむさんによると、現在の日本は、1930年代の日本よりも、同時期、ワイマール末期のナチス独裁へ向かったドイツにより近いとのことだ。第1次対戦の敗戦によって世界でもっとも進んだワイマール憲法を持つに至ったドイツが、ヴェルサイユ条約により過酷な賠償金返済の義務を課せられ、それが1929年の世界恐慌に先立つすさまじいインフレの一因となってドイツ国民の暮らしを苦しめるとともに、ドイツの再軍備にも厳しい制約を加えた事が「愛国者」たちの不満を鬱積させることとなり、1929年の大恐慌で壊滅的な打撃を受けて自暴自棄となった国民が全権をナチスにゆだねてしまった、とぽむさんは指摘する。

何年代により似ているかということは、さして重要ではなく、問題は、保護主義と排外主義を強く求める自称「愛国者」たちが過去に世界のあちこちの国で道を誤らせた歴史を人類が持っていることだろう。「右も左もない」というスローガンは、排外主義者にとって好都合だと私は考える。それは、このスローガンを掲げるブログが城内実を応援し、昨年ネットで集中砲火を浴びた城内の国籍法改正をめぐる言説さえ支持・擁護したことからも明らかだ。

今後、日本の政治・社会にとって最大の脅威は、排外主義者の台頭であると考える今日この頃である。


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