きまぐれな日々

 自衛隊の活動範囲の拡大について、公明党が全く歯止めにならないことを露呈したり、三原順子が誰かの教唆があったか自発的かは知らないが「八紘一宇」をポジティブな言葉に転換させようと画策して、それに馬淵澄夫のような右翼的な野党政治家が相乗りしたりと、先週もまたろくでもないニュースばかりだった。

 最近は街のチェーン店の本屋ばかりか、三省堂や紀伊国屋といった大きな書店でも、排外的な右翼本が目立って陳列されていることが多く嫌になるのだが、経営統合された丸善とジュンク堂のグループは比較的その弊害が小さいようだ。しかしそれらの本屋でも売り上げを無視するわけにはいかないから、右翼本はそれなりに置いてある。

 そんな論外の右翼本はさることながら、「リベラル」層に取り入ったとみられる本にもろくなものがない。少し前には孫崎享の本が目立ったが、最近は、というよりそれ以前から、内田樹と佐藤優が、出している本の数も多く、「リベラル」への影響力も強いように思われる。

 彼らのうち、内田樹には「誰とでもつるむお手軽文化人」、佐藤優は「右から左までのさまざまなうんちくを繰り出して人々を煙に巻くトリックスター」だと私はみている。2人とも、日本の右傾化を止めるのに全く貢献していないとしか言いようがない。もっとも、内田樹は保守、佐藤優は自ら認める通りの民族主義者だから、そんな人たちに期待したり彼らの言説に感心したりする方が間違っていると私は思う。

 最近も、内田樹は右翼の鈴木邦男と対談本を出したかと思うと、「非主流派の左翼」と思われる白井聡とも対談本を出したりしている。鈴木邦男は同じ右翼の高木尋士との「対談『北一輝とは何者なのか』」で「八紘一宇」を無批判に受け入れているし、「リテラ」によると「内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を『人格乖離』『インポ・マッチョ』と徹底批判」しているとのことだが、後者にしたところで「リベラル」にガス抜きさせるだけの駄本としか思えない。安倍晋三をこき下ろした本を読んでいっとき溜飲を下げたところで、人々が内田や白井が言うような「安倍晋三の正体」を知って内閣支持率が低下するようなことにはつながりようがないのである。仲間内のマスターベーション以外のなにものでもない。

 そもそも内田樹と白井聡の対談本の題名は『日本戦後史論』である。またぞろ孫崎享式の議論が展開されているのではないかと勝手に想像しているが、私は内田と白井の対談本も、内田と鈴木邦男の対談本も、ともに立ち読みもしていない。得意の「読まずに批判」をやらかしている(笑)。

 佐藤優もひどい。最近は公明党を持ち上げるのが趣味らしいが、公明党が安倍晋三の歯止めになど全くならないことは、先週の自衛隊の活動範囲拡大の議論でも改めて証明された。最近ひどいと思ったのは、『AERA』か何かに載っていたピケティとの対談で、そこでは佐藤の得意技の一つである、「宇野経済学」(宇野弘蔵流のマルクス経済学)的な立場からピケティに突っかかっていっていた。佐藤は、「チュチェ思想」信奉者としても知られる「宇野経済学」の老経済学者・鎌倉孝夫との共著も出しているが、かと思うと先般の「自称イスラム国」による日本人人質事件では安倍政権の対応を評価するなど、「言論サーカス」で読者を幻惑しながら、公明党擁護論といい、最終的には安倍晋三を助ける方向にしか人々を導かない「ハーメルンの笛吹き」のようにしか私には見えない。

 先週は「kojitakenの日記」で、「八紘一宇(田中智学)−北一輝−岸信介−安倍晋三」を肯定的な評価でつなげようという動きに対抗しようとあがいた。不人気なテーマと見えてアクセス数が激減した(笑)。しかし、「リベラル」であるらしい田中良紹が「北一輝は坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者である」などと書いて、それが「リベラル」から批判されない状況を打破しなければならないと私は考えている。

 北一輝の研究で有名な松本健一が書いた全5巻の『評伝 北一輝』を、第4巻の6割あたりくらいのところまで読んだ。北一輝は確かにその出発点においては「坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者であ」ったといえるが、中国の辛亥革命への関与を経て帰国して『日本改造法案大綱』を書いた以降の北一輝は、とてもではないけれども「民主主義者」といえるような人間ではない。テロを支援し、政党政治をぶち壊そうとした極右以外の何者でもなかった。

 『評伝 北一輝』の第4巻を読むと、北一輝は政友会の田中義一内閣打倒工作をしたかと思うと、民政党の浜口雄幸内閣打倒工作も行ったことが書いてある。後者は有名な「統帥権干犯」論である。「統帥権干犯」という言葉自体は北が編み出したものではなく、海軍軍令部長の加藤寛治の発案らしいが、その「統帥権干犯」を「魔語」として政党政治をぶち壊そうとした首謀者はまぎれもなく北一輝その人だった。

 その北の謀略に引っかかった愚かな政治家がいた。鳩山一郎である。鳩山が国会で「統帥権干犯」を持ち出して浜口内閣を攻撃したことはよく知られているが、松本健一はその鳩山を下記のようにこき下ろしている。

 鳩山の発言は、政党政治とその責任内閣制を否定し、そこから独立した聖域に軍部=統帥権を置こうとするもので、政党人としては慎まなければならないものであった。その論理は、政党政治を破壊したのが軍部ではなく、政党(人)そのものにあったことを物語っている。

(松本健一『評伝 北一輝 IV - 二・二六事件へ』(中公文庫,2014)207-208頁)


 戦前の政党政治をぶっ壊す自滅を演じたのが鳩山一郎なら、政権交代への人々の期待を裏切って戦後の政党政治をぶっ壊したのが鳩山由紀夫といえるかもしれない。「岸信介−安倍晋三」と「鳩山一郎−鳩山由紀夫」の世襲政治家は、4人が4人ともろくでもない人間ばかりである。ついでに書いておくと、鳩山由紀夫は先日クリミアを訪問した。誰がどこに行こうが勝手であって、鳩山由紀夫のクリミア行き自体を批判するつもりは私にはない。だが、一部の「リベラル」のように鳩山由紀夫を擁護するつもりには間違ってもならない。鳩山由紀夫のクリミア行きの動機には、安倍晋三と同じようなつまらない「祖父愛」しか感じられないからである。

 話を鳩山一郎と北一輝に戻すと、北に引っかかった鳩山一郎もバカだが、北一輝は「巨悪」としかいいようがない。『評伝 北一輝』を読んでいると、初期の北一輝と後期の北一輝は別人かと思えるほどだ。中国から帰国後極右化した北は、テロを肯定するばかりか賛美してテロを煽るかたわら、政財界人を恐喝して金をむしり取るとんでもない極悪人だった。『評伝 北一輝』の著者で、民主党の仙谷由人と親友であったことでも知られた松本健一が、そんな北一輝に入れ込む心理は私には理解できないが、北のシンパだった松本が描いても、後期の北一輝からはどす黒い凶悪な姿しか浮かび上がってこないのである。

 三原順子の「八紘一宇」の妄言を発した直後、さる「小沢信者」系リベラルの人間が、「八紘一宇」の造語者・田中智学の弟子筋にあたる北一輝を描いた手塚治虫の漫画『一輝まんだら』を一気読みした、などと嬉しそうにTwitterに書いていた。私は『一輝まんだら』を読んだことはないが、編集者にこの路線では売れないと判断されたために未完に終わった作品だということはネットで調べたことがあって知っている。ということは、初期の北一輝しか描かれていないと思われる。手塚治虫がどす黒い極右思想家となったあとの北一輝を描かなかったことは痛恨事と思えるのである。

 蛇足ながら書き添えておくと、北一輝の主要な著作として『国体論及び純正社会主義』、『支那革命外史』、『日本改造法案大綱』の3作が挙げられるが、「革新官僚」だった若き日の岸信介が心酔したのは『日本改造法案大綱』であって、北一輝が「どす黒い極右」としての本領を発揮した時代の著作であった。

 さらに蛇足の蛇足だが、『日本改造法案大綱』は小沢一郎の主著とされる本(実は官僚や竹中平蔵ら御用学者の作文だが)をのタイトルを連想させる。もちろん、小沢のブレーンの官僚だか竹中平蔵だかが北一輝と田中角栄を掛け合わせて書名をでっち上げたものであろう。
スポンサーサイト
民主党・小沢一郎代表の公設第一秘書・大久保隆規氏が逮捕された3月3日以来、当ブログのアクセス数はプチバブル状態になり、普段より3?4割多いアクセス数の日が続いた。当ブログは、捜査は無理筋であり、そこには権力の意思が反映されている可能性が高いとしながらも、総選挙が迫っていることを考慮すれば、小沢一郎の代表辞任も視野に入れるべきだと主張した。これに対して、自民党寄りの人たちからは「小沢支持の陰謀論者」、共産党寄りの人からは「政治とカネの問題に鈍感」、そして小沢一郎の熱烈な支持者からは「自公政権の回し者」などなど、ありとあらゆる批判を受けた。だからと言って自分の立場が「中道」だと主張するつもりなどさらさらなく、要は自分は自分、他の誰でもない、というだけの話だ。私には固有の立場がある。

その、小沢一郎をめぐって、ああでもこうでもないと騒いでいたバブルが、突如弾けた。土曜日(4日)の昼前くらいから、アクセス数が突然がくっと落ちたのだ。土日はもともとアクセス数が平日よりかなり少ないが、それにしても減り幅が大きい。いうまでもなく、北朝鮮のミサイル騒ぎの影響だ。

しばらく前にメディアやネットを騒がせた前財務相・中川昭一の「もうろう会見」の話題をもう誰も口にしないように、今後西松事件のメディアへの露出は徐々に減っていくことだろう。しかしそれは、小沢一郎や民主党が難を逃れたことを意味しない。メディアの世論調査では、すさまじい勢いで麻生太郎内閣と自民党の支持率が上昇しており、小沢一郎と民主党の支持率が落ちていっている。これを、「メディアの捏造」と言ってしまったら、2月までの麻生内閣の支持率の急落をメディアのせいにしていたネット右翼と変わらないことになってしまう。麻生内閣支持率低下は真実で、小沢一郎の支持率低下はメディアのせいというのは、いくらなんでも説得力を欠く議論だろう。マスメディア、特にテレビの影響を著しく受けやすくなった「民意」とはちょっとのできごとで激しく振れるものなのだ。実は、投票行動への影響はそんなに大きくないのだが、具合の悪いことにちょっとの民意の振れを著しく拡大する「小選挙区制」を中心とする選挙制度になってしまっている。それを推進し、さらに小選挙区の比重を増そうとしているのが小沢一郎や鳩山由紀夫であることは、きっちり批判しておかなければならない。

ところで、自民党や民主党の支持率以前に、私が強く懸念するのは、改憲論が急激に勢いを盛り返してきていることだ。改憲を社論とする読売新聞は、4月4日付の社説「憲法世論調査 改正論議を再活性化すべきだ」で、

 読売新聞の世論調査で憲法を「改正する方がよい」と思う賛成派は51・6%へ増加し、3年ぶりに過半数となった。「改正しない方がよい」という反対派は36・1%に減った。

 「ねじれ国会」に象徴される政治の混迷の中、憲法論議は脇に追いやられてきた。だが、改正論議を求める国民の声は、今回の調査でも根強いものがある。

 与野党は、次の総選挙に向け、改憲論議の再活性化をはかるべきだろう。

と、うれしそうに書いている。

それにしても改憲派の反撃は急だ。つい1年前、映画『靖国 YASUKUNI』の上映中止問題をめぐって、圧力をかけたとされる稲田朋美が批判を浴び、ちょうど1年前の昨年4月6日放送のテレビ朝日『サンデープロジェクト』では、田原総一朗が稲田朋美を欠席裁判よろしくコテンパンに罵倒した。結局この映画は憲法記念日の5月3日に一般公開されたのだが、この日の読売新聞の社説は、上記で紹介した今年4月4日付のものとは全く異なり、元気のないものだった。例年なら社説を一本にまとめて改憲論を声高に叫ぶのだが、昨年は普段と同じ2本立ての1本で、弱々しく改憲を主張しただけだった。それもそのはず、2004年から翌年頃をピークに、改憲支持派は急激に減少し、安倍晋三が首相を辞任したあとの世論調査では、護憲派の数が改憲派を再逆転していたのだった。

それが、1年も経たないうちのこの様変わりである。「KY」と揶揄され、首相の座を石もて追われた改憲派の象徴・安倍晋三も元気を取り戻し、「『村山談話』に代わる『安倍談話』を発表すべきだった」などとほざいて、総理大臣への「再チャレンジ」をもくろんでいるらしい。どうしてこんなことになってしまったのか。

これを、北朝鮮のミサイル発射のせいになどできないだろう。たとえば田岡俊次(元朝日新聞の防衛担当記者)の著書を読んだ人間にとっては、北朝鮮のミサイルを、精度が怪しく命中するかどうか疑わしいPAC3なんかで迎撃するはずもないことなどわかり切っていたし、ましてや田岡の著書に推薦文を寄せた石破茂あたりは内心苦笑していたのではないかと思うが、テレビのニュースはミエミエの防衛省のデモンストレーションを仰々しく放送していた。あれって、「自民党のコマーシャル」ならぬ「防衛省および防衛産業のコマーシャル」だとしか私には思えないのだが、それに騙される国民は多い。しかし、それだけで改憲論がここまで盛り返すとは考えられない。

田母神俊雄である。アパ懸賞論文の最優秀賞受賞が問題視されて航空幕僚長の座を追われた田母神俊雄がメディアの寵児になったことが大きかった。田母神の論文自体は、右派の学者・秦郁彦にさえ、「歴史学では相手にされていない陰謀論」と一刀両断にされるほどお粗末なものだったが、電波媒体を通じて発信される田母神のトンデモ国防論が右寄りの視聴者の心を捉えた。

昨年11月29日に放送されたテレビ朝日『朝まで生テレビ』で行われた視聴者へのアンケートでは、「田母神論文を支持」する人が61%に達したそうだ。『朝生』のアンケートというと、つい先日、3月28日の放送で「小沢一郎続投支持」が66%に達したとして小沢支持者が熱心に宣伝しているが、田母神論文を論じた回のアンケート結果は、それの「右」バージョンといえる。

「田母神論文支持61%」を声高に叫ぶ人は「小沢続投支持66%」を無視するし、「小沢続投支持66%」を声高に叫ぶ人もまた「田母神論文支持61%」を無視する。しかし私は、両者は表裏一体の関係にあると思う。

昨年11月7日付エントリ「田母神俊雄、渡部昇一、元谷外志雄、佐藤優らに呆れる日々」で指摘したように、田母神論文を最優秀に選んだ懸賞論文の主催者・アパの元谷外志雄は、安倍晋三の非公式後援会「安晋会」の副会長でもあるが、その元谷がトンデモ陰謀史観に基づいて書いた歴史本『報道されない近現代史』を、佐藤優が絶賛している。つまり、佐藤優?元谷外志雄?田母神俊雄は一本の線で結びついている。もちろん、政治家では安倍晋三、評論家では懸賞論文の審査委員長も務めた渡部昇一と直接結びついている。まさしく、「安倍晋三につながる極右人脈」、佐藤優の人脈の「右巻」である。

一方、検察批判に関しても佐藤優は第一人者である。こちらでは佐藤は魚住昭や宮崎学らとつながっている。『週刊金曜日』や『世界』といった左派雑誌にも佐藤優は寄稿しており、いわばこちらは佐藤優の人脈の「左巻」といえる。ここでは、佐藤は「青年将校化する東京地検特捜部」という見立てをしており、西松事件についての左派論壇の論調をほぼこの線で押さえてしまっている。

田母神俊雄は決して国民一般に広く支持されているとはいえないし、小沢一郎は説明責任を十分果たしていると思う国民も、決して多数ではない。政治問題を討論するテレビの深夜番組を熱心に視聴したり、ネットで政治について読み書きする人たちと世論の間には、大きな乖離がある。もちろん、先に触れた「テポドンの脅威とそれに対するPAC3の迎撃」などのように、マスメディアが平然と「政府のコマーシャル」をやっていて国民がそれに騙されている場合も多いから、マスメディアの世論調査に示される「民意」がいつも正しいというつもりなど毛頭ない。しかし、田母神論文の問題にしても検察批判にしても、何らかのバイアスのかかった見方であって、その双方に強い影響を与えている佐藤優という人物の「影」を見過ごすことはできないのではないか、そう私は思う。

そして、佐藤優の本質は強烈な国家主義者、排外主義者である。すなわち極右である。小沢一郎の秘書に対する捜査を「国策捜査」だと叫ぶ人たちの中には、極右系の陰謀論者や排外主義者がかなり混ざっていることを私は憂慮する。確かに疑義の多い捜査ではあるが、ここでリベラル・左派が安易に極右と手を組んではならない。現に、リベラル・左派は小沢一郎擁護にばかり熱心で、改憲論への警戒がおろそかになっている。かつて「安倍が改憲を急ぐわけ」などと書いたブログが、いまや「自主憲法制定」を目指す平沼赳夫一派の広告塔になっていることなどはその一つの象徴だ。かつて「AbEnd」(安倍晋三を終わらせるためのブログキャンペーン)で盛り上がったかに見えた「市民派ブログシーン」は、単なる「反権力」のファッションを楽しんでいただけではなかったかと、いま苦い自省の念を込めて振り返る。ファッションとファシズムは語源が同じはずだ。

[追記]
「はてなブックマーク」でyellowbellさんに教えていただいたのですが、「fascismの語源→fasces(執政官の象徴たる束桿), fashionの語源→factio(行為)」で、語源が異なるそうです。
なので、記事の最後の文章は取り消します。


↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。
FC2ブログランキング