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きまぐれな日々

 昨日(9/30)投開票された沖縄県知事選は、予想外の大差で玉城デニー候補が佐喜真淳候補に圧勝した。玉城候補の得票が396,632票(得票率55.1%)に対して佐喜真候補の得票が316,458票(得票率43.9%)であり、得票率で10ポイント以上の差がついた。

 55%対45%というと、たまたま20日の自民党総裁選での安倍晋三と石破茂の党員票の数字と同じだが、まああれは得票率でもないし裏返しの数字でもあるから偶然だ。

 しかし、自民党総裁選で安倍晋三が党員票で石破茂に追い上げられたことと、沖縄県知事選で佐喜真淳が思わぬ大差をつけられたこととの間には密接な関係があるとはいえるだろう。

 つまり、安倍晋三に対する忌避感が、全国の自民党員の間に続いて沖縄県民の間にも広がってきたことを意味する。

 その他にも、常識的に誰もが思う「弔い合戦」の効果(私など首長の死を受けた選挙の時にはいつも選挙戦中に時の首相だった大平正芳が急死した1980年の衆参同日選挙を思い出す)もあろうし、『広島瀬戸内新聞ニュース』が指摘した、小池百合子や松井一郎といった本土の大都市における新自由主義者の首長が佐喜真候補を応援したことで同候補への票が逃げたこと(「『公務員に天誅!』は大都会以外では通用しない」と表現されている)もあろう。特に後者には無視できない効果があると私も考えており、たとえば6月の新潟県知事選で小泉純一郎が新潟県入りして「野党共闘」の候補者を応援したこと及び共産党の志位和夫や立憲民主党の枝野幸男が小泉の新潟入りを歓迎するコメントを発したことは、新潟県知事選で「野党共闘」候補の票を逃がす原因の一つになったのではないか。こうした意見には賛同者は少ないのだが、ずっとそんな仮説を持っている。

 しかし、それよりも今回は「安倍晋三が滅茶苦茶な力の入れようをしている佐喜真淳候補には入れたくない」心理が強く働いたのではないかと思えてならない。こんなことを書くと「沖縄のことを何も知らない本土の人間がいい加減なことを言うな」とお叱りを受けるかもしれないが、一つの仮説として、全国的に大規模な「安倍離れ」が起き始める前兆が、自民党総裁選に続いて沖縄県知事選でも観測されたのではないかと考えている。

 独裁で締めつけを強めれば強めるほど、また誰にでもわかる嘘の上にさらに嘘を重ねることを続けるほど、地震が起きる前の状態にも似て、歪みのエネルギーが蓄積していく。そしてそのエネルギーはいつか解放される。そのエネルギーの解放が、他国に戦争に負けることによってしか実現しなかったのが前回の「崩壊の時代」が終わった1945年であって、日本の国民や日本に住んでいた人々の甚大な犠牲をもたらした。

 現在の「崩壊の時代」は、あの時の反省を踏まえて徐々にエネルギーを解放していくものでなければならない。今回の沖縄県知事選は、その絶好のきっかけになり得る可能性がある。

 もちろん、今回の知事選における玉城デニー陣営にも問題はいくつもあった。その最たるものは、存在するかどうか未だに疑いの晴れない「翁長知事の音声データ」であって、候補者が密室で選定された過程は、2000年に小渕恵三が倒れたあと自民党長老の談合で森喜朗が自民党総裁・日本国総理大臣になった経緯を思い出させるものだった。「新9条論」の推進者として一部で悪評を買っている東京新聞の記者が、今回の候補者選びを「どこの独裁国家の話か」と評した一幕があったが、「新9条」では彼に与しない私も、この候補者選びに対する彼の批判には同意する。

 それでなくても「野党共闘」には不透明な点が多く、特に政党としては泡沫政党としかいいようのない自由党の党首(代表)に過ぎない小沢一郎が異様な影響力を駆使し、自らやその配下の者が接着剤になる形で立憲民主党と共産党とをくっつける形を作り上げてしまっていることは不健全極まりない。

 小沢は先週、自らの改憲論を『AERA dot.』のインタビューに答える形で発表した(下記URL)。
https://dot.asahi.com/dot/2018092700037.html

 これは、私の見るところ、『世界』2007年11月号に小沢が発表したアフガニスタンに展開するISAF(国際治安支援部隊)への自衛隊派兵論を思い出させるものだ。『世界』の「小沢論文」は当時大きな話題になり、左派から強い批判を受けたものだが、現在では打って変わって小沢の改憲構想はそもそも話題にもならない。それが、小沢の影響力が低下したことの反映であればまだしも、現実の野党間の政治においては、小沢が今も強い影響力を持っていることは明らかだ。先日も立憲民主党との間で国会議員の移籍があり、私はあれは今後行われる衆院選沖縄3区(沖縄県知事選の前までは自由党の玉城デニーが議席を持っていた)に立憲民主党から候補を出すことを容認する見返りなのではないかと推測している。つまり小沢一郎と枝野幸男とは「握っている」と想像するのだ。

 表面には出てこないが、立憲民主党以上に小沢が強い影響力を行使していると推測されるのは共産党に対してであって、ネットでも野党支持者たちの間で小沢の改憲構想に触れることが一種のタブーになっているのではないか。そう私は思っている。

 この現状は、安倍晋三の独裁政治の弊害によって日本社会に溜まっている歪みエネルギーを、大きな被害をもたらさない形で解放するためには、むしろ逆効果になっているとしか私には思われない。

 ちょうど安倍晋三が自らに「まつろわない」者は、たとえ自らと同じ極右である石破茂であっても容赦なく弾圧するのと同じように、今の「市民連合」と共産党とが表に立ち、背後(せいごではない)に影の最高指導者として小沢一郎が控える「野党共闘」は異論を許さずタブー化してしまっている。そのことは、反安倍・反自民の勢力の間に別の歪みエネルギーを溜め込むことになると同時に、「野党共闘」の勢力を拡大する上での障害にもなり、安倍独裁政治によって溜まった歪みエネルギーを徐々に解放するための阻害要因になってしまっているのだ。

 心ある反安倍・反自民の者にとっては、安倍晋三の独裁政治を打倒することももちろん必要だが、「市民連合」や「野党共闘」の同調圧力をはね返すことも求められると信じる。後者は、前者を実現するための必要条件だと思うからである。
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 昨日(7/31)投開票の東京都知事選は、「有力3候補の激戦」どころか、極右・新自由主義者である小池百合子の圧勝に終わった。小池は300万票近い票を得て、得票率でも44.5%のぶっちぎりだった。自公の推薦を受けた増田寛也は小池の6割強の180万票弱と大きく引き離され、民進・共産・社民・生活の野党4党の推薦を受けた鳥越俊太郎に至っては、小池の半分にも満たない130万台半ばの票しか得られず惨敗した。

 東京都知事選は、大阪府知事選や大阪市長選、名古屋市長選などともに、毎回ろくでもない結果に終わる「鬼門」ともいうべき選挙だが、今回は特に反自公の野党陣営に大きな課題を残した。

 その課題は、第一に野党共闘」の候補である鳥越俊太郎が政策と「絶対に勝つ」という執念の両面で物足りない候補だったこと。第二に鳥越氏を連合が推さず、民進党右派も応援に消極的だったこと。第三に、当初立候補を予定していた宇都宮健児を下りてもらって鳥越俊太郎を「野党共闘」の統一候補として一本化する際に大きなしこりを残したこと。

 第一の点に関して、鳥越氏は安保法案反対のアピールなどは別として、毎日新聞やサンデー毎日の記者・サンデー毎日編集長時代を通じて、あまり印象に残る仕事が思い浮かばないことが当初からずっと気になっていた。「文春砲」とやらがブチ上げたスキャンダルよりも、それをもっとも懸念した。印象の乏しい鳥越氏の仕事の中でまず思い浮かぶのが、サンデー毎日編集長時代の1989年に同誌が取り上げた宇野宗佑首相(当時)の女性問題のスキャンダルだったことは何とも皮肉だ。

 1989年当時、消費税導入をもくろんだ自民党は参院選を控えてたいへんな逆風を受けていたが、宇野首相のスキャンダルは自民の劣勢に追い討ちをかけたものだった。逆に、安倍晋三という極右政治家を総理総裁に戴く今の自民党は強い順風を背に受けていて、「野党共闘」がやっと統一候補を出してきても、今回のように文春砲で簡単に蹴散らせることができる。

 正直言って、私は鳥越氏が宇野宗佑のスキャンダルを大々的に書き立てた1989年当時から、ああいうことを問題にし過ぎるのはどうかと思っていた。今だったら、最近再評価が進んでいる(私はその再評価はやや過剰だと思う)田中角栄なんか総理大臣になれはしないだろう。金脈人脈の問題以前に女性スキャンダルで潰されるに決まっている。

 今回、私が鳥越氏のスキャンダルに関心が至って薄かったことは上記の理由による。週刊文春は立ち読みもしなかったものだから、前回の記事では鳥越氏のスキャンダルが「半世紀前」のものだという一部ネットの風評を鵜呑みにしてしまい、誤りを書いてしまった。これについては、鍵コメを含めてお二方から指摘があったが、感謝したい。お礼を申し上げる。

 「野党共闘」の側からすれば、参院選で1人区11勝21敗という、大手マスメディアの世論調査に即していえば「上限」の議席数を獲得し、得票も民進と共産がそれぞれ単独候補を立てた直近の選挙における両党の得票合計を上回る票を統一候補が得たから、そのことによってやっとこさ都知事選でも統一候補を立てる目処が立ったが、そこから都知事選の告示まではほとんど日がなかった。そんな状況で、民進党と共産党がともに推せる候補としてなんとか選んだのが鳥越俊太郎だったというのが実情だろう。

 鳥越俊太郎の側からすると、「火中の栗を拾う」意識でもあったのかもしれない。いずれにせよ、今回は統一候補を立てるだけで精いっぱいだったという印象だ。もちろん、今回の候補者の選定には問題があるし、今回のようなやり方では勝ち目がないことは選挙結果に示された通りだ。次からは入念な準備が必要であることは間違いない。だが、「入念な準備」も何も、民進党右派にして民進党東京都連会長の松原仁が、参院選の選挙戦中に都知事選で増田寛也を推す可能性を言及するなどのありさまだった。参院選の一人区が11勝21敗ではなく例えば7勝25敗だったなら、民進党代表の岡田克也や幹事長の枝野幸男は、自公と相乗りして増田寛也を推したい松原仁ら右派の声を抑えることができなかった可能性が高い。

 事実、松原は都知事選の結果を受けて直ちに岡田克也を批判するコメントを出している。産経が報じる松原のコメントを見ると、「4党の結集が実現されれば、当初から勝利することができるだろうと思っていた。十分結集できなかったことが大変残念だ」などと、自らは自公に相乗りしようとしたことを棚に上げて白々しいことを言うその舌の根も乾かぬうちに

敗北の責任は(略)「岡田氏にあるとは明快には申し上げないが、少なくとも都連とは違う流れで(野党統一候補が)決まった」と述べ、岡田氏に責任の一端があることを示唆した。

などという恥ずべきコメントを発した。

 この松原のコメントを見ると、ああ、だから岡田克也は都知事選投開票日の前日に、9月の代表選に出馬しないと言明したのだな、と納得できる。民進党中間派の岡田克也は、松原仁・長島昭久・細野豪志・馬淵澄夫ら右派の推す候補を代表にしたくないのだ。だからフライングして都知事選の投開票日前日に先手を打った。鳥越俊太郎はそれ以前に決定的なダメージを受けていたので、岡田克也の辞意表明が選挙結果に与えた影響は無視できるほど小さいだろう。それよりも、連合が自主投票するなど、「野党共闘」の「右側」が機能しなかった影響が大きかった。

 以上、いつの間にか「第二の問題点」に話が移っていたが、以上を「野党共闘」の「右側」の問題とすると、宇都宮健児支持層の投票行動の問題は「野党共闘」の「左側」の問題ということになる。より深刻だと私が思うのはこちらだ。

 今秋大統領選挙を迎えるアメリカで、民主党のバーニー・サンダースの支持者の中に「ヒラリー・クリントンなんかには投票しない。ヒラリーとトランプとの二者択一ならトランプを選ぶ」と公言する人たちが少なくないことが話題になっている。おかげで少し前まではクリントンの楽勝とみられていた大統領選挙の行方は全くわからなくなっており、トランプが大統領に選ばれる可能性は無視できないほど大きくなってきた。日本でもこの件に関して、クリントンよりもトランプを待望する声が一部「リベラル」の間からも上がっている。

 「鳥越に投票するくらいなら小池に投票する」とネットで公言していた者については、私も鳥越俊太郎の野党統一候補擁立決定及び宇都宮健児の立候補取り下げの直後から、実例をいくつも目にしてきた。

 一口で「宇都宮支持層」といっても内訳は実に多様で、2012年と14年の都知事選で熱心に宇都宮市を支援してきた人たちもいるけれども、14年の都知事選では細川護煕を応援していた「小沢信者」もおり(その代表格が天木直人)、かと思えばTwitterで反小沢一郎に血道を上げる人たちの存在も確認している。

 小沢一郎が実権を握る「生活の党と山本太郎となかまたち」が鳥越俊太郎を推しているのに宇都宮氏の支持層に小池百合子への投票を焚きつけた天木直人らの行動は、「大嫌いな共産党と小沢氏を追い落とした岡田・枝野の民進党が『野合』した野党統一候補の鳥越なんか我慢ならない」というルサンチマンにもとづく醜悪この上ないものだったし、一部の「反小沢」が宇都宮氏に肩入れしたのは、単純に小沢一郎や山本太郎らが鳥越陣営にいたからだろう。

 そして、「鳥越ではなく小池」に投票した宇都宮支持層の多くは、テレビのワイドショーの煽動に乗る人たちだったと思う。それでなくても日本には、都市部・地方を問わず「バスに取り残されるな」式の思考様式、昔本多勝一が「メダカ民族」と評した行動様式をとる人たちが実に多い。田舎では地縁が強いからそれは有力者の意見に付き従う行動様式として表れる。参院選の1人区で、特に東北で自民党が苦戦した理由は、安倍政権の政策、特に農業関係の政策が、地域の有力者たちの心を離反させたことに原因があると見るべきだろう。

 一方、地縁の弱い都市部では、マスメディア、とりわけテレビの影響力が圧倒的に大きい。舛添要一が都知事の座を追われたのも、ワイドショーにこれでもかこれでもかと叩かれたせいだし、鳥越俊太郎が惨敗したのも同じ理由による。今回の小池百合子の得票が、得票数だけを見れば2003年の東京都知事選で石原慎太郎が得た300万強の票に迫るものだった(但し、投票率が全然違うので得票率では2003年の石原の方がずっと多かった)ことは、テレビのワイドショーがもたらすバンドワゴン効果がいかに強烈かを示すものだろう。

 しかしそんなのはわかり切ったことだ。私が本当に問題だと思うのは、自陣の支持者にそのような行動に走らせてしまった宇都宮選対の責任だ。この宇都宮選対は、2014年の都知事選で澤藤統一郎弁護士の告発と強い批判を受けた。それに理があると考えた私は、前回の都知事選では白票を投じたのだった。政策面等からいえば前回は候補者の名前を書くなら宇都宮健児しかなかったが、その選対の体質(及びそれに易々と乗っかってしまう宇都宮氏自身の問題)を忌避して白票を投じた。

 今回、宇都宮氏支持層の一部を小池支持に走らせた原因に、宇都宮陣営内に民主主義が欠落していたからではないかと思われる。だから陣営や支持者たちの間でろくろく議論が行われることもなく、支持層の一部が天木直人のような悪質な煽動者の煽動に易々と乗ってしまった。そして、陣営の指導者たちもそのような動きの危険性を察知するのが著しく遅れた。その動きは、告示前からすでに見られたというのに。つまり、宇都宮選対の指導者たちの資質こそ、今回の都知事選においてもっとも厳しく批判される必要がある、というのが私の結論だ。

 こうして問題ずくめの東京都知事選は、最悪の結果を迎えてしまったのだった。
 予想通り、東京都知事選は「野党共闘」の鳥越俊太郎が勢いを落とす一方で、自公が推す増田寛也も先行する小池百合子を射程圏内に捉えるには至らず、小池優勢のまま終盤を迎えることになった。

 週末に行われた朝日新聞と共同通信(ともし独自調査であれば毎日新聞)の世論結果は、先刻公開した『kojitakenの日記』の記事「東京都知事選、小池優勢、増田追う。鳥越は苦戦(朝日、毎日、共同)」に記録しておいた。

 今回、鳥越俊太郎の半世紀十数年前のスキャンダルを暴いた「文春砲」が話題になっているが、同じ週刊文春が少し前に小池百合子の疑惑を書き立てていたことを忘れてはならないだろう。
http://news.livedoor.com/article/detail/11730452/

都知事候補、小池百合子氏に新たな政治資金疑惑
2016年7月6日 16時3分 週刊文春WEB

 7月31日投開票の東京都知事選への出馬を表明している小池百合子元防衛相(63)に「政治とカネ」をめぐる疑惑が浮上した。自民党関係者が声を潜める。

「舛添要一前都知事の辞任が囁かれ出した頃、自民党では出馬の予想される小池さんの“身体検査”を行った。結果は『真っ黒』。舛添さんどころじゃない

 そこで小誌が取材したところ、小池氏の政治資金パーティの一部が政治資金収支報告書に記載されていないことがわかった。問題となったのは、2012年3月12日と6月25日に小池氏の選挙区内にある都内のホテルで開かれた「Y'sフォーラム」と称される政治資金パーティだ。

「政治資金パーティを開催した場合は、収入額と会場代などの支出額を、それぞれ政治資金収支報告書に記載しなければなりません」(総務省政治資金課)

 だが、同年の小池氏の収支報告書の収入欄に、2つのパーティの記載はなく、なぜか支出欄に「会議費」として、パーティの会場代にほぼ合致する金額が記載されていた。

 政治資金に詳しい上脇博之・神戸学院大学教授はこう指摘する。

「政治資金パーティであれば、政治資金規正法違反の不記載となります。支出だけ計上していれば、収支が合わないことに気付くはず。収入分は裏金と見られても仕方なく、小池氏は説明すべきです。一方、出席者から会費を取らずにパーティを開いたとしても問題です。選挙区内の人が出席していれば、選挙区民への寄付を禁じた公職選挙法違反となります」

 小池氏の事務所は「当然のことながら選挙区民への供応をすることはありえません」と回答した。だが政治資金収支報告書に2つのパーティの記載がない理由については、期限までに回答しなかった。

(週刊文春WEBより)


 舛添要一が「公私混同」(「政治と金」)の問題で東京都知事辞任に追い込まれたのであれば、本来なら政治と金の問題にクリーンな人物が後任であるべきだろう。たとえば1974年に田中角栄が「金脈問題」(これを追及したのはやはり文春だった。週刊文春ではなく月刊誌の方だったが)で辞任したあと、「椎名裁定」によって三木武夫が後任の総理大臣になったように。

 ところが、舛添の後任は「舛添どころではなく真っ黒」な人間になりそうだというのだ。対抗馬の増田とて金銭疑惑が書き立てられている。これなら、東京都知事選挙などやる必要がなかった、舛添より金に汚い人間が都知事になるくらいなら舛添のままで良かったということになりかねない。

 私は今年5月14日付の『kojitakenの日記』に、「もう東京都知事選なんてうんざりだよ。やってくれるなそんなもの。舛添は好きではないが、都知事選やってももっとひどいのが出てくるだけだ」という長ったらしいタイトルの記事を書いた。この記事で私は「踏ん張れ舛添」などと書いて批判を浴びたが、「舛添どころではなく真っ黒」で、しかも極右で新自由主義者でもある、明らかに舛添よりも「もっとひどいの」が出てくることが確実な情勢だというのだから、「ほれ見ろ、言わんこっちゃない」と言いたくもなる。

 こう書くと、「鳥越にはたいした政策がなく、老齢で健康不安もある」というお決まりの反応が返ってくる。だが、ネットで観察していてつくづく思ったのだが、そんな人間に限って具体的な政策については何も書いていない。「たいした政策がなく、老齢で健康不安もある」というのは、さんざん舛添の「公私混同」を言い立てたと同じ、テレビのワイドショーが形成した紋切り型(ステロタイプ)に過ぎないのである。実際には、たいした政策がないことに関しては小池も増田も鳥越と大差ない。

 かくいう私自身も都知事選に関して政策に触れた記事など一本も書いていない。2006年にブログを始めて以降、もっとも力を入れた東京都知事選は、私自身が東京都民でなかった頃の2007年の知事選だが、この時には各テレビ局が候補者を呼んでの討論会を欠かさず見た。政策論議はそれなりに活発で、特に選挙戦の後半に行われたフジテレビの討論会では、吉田万三氏と黒川紀章氏に加え、最初あまりエンジンのかからなかった対抗馬の浅野史郎氏も調子を上げてきて、この三氏が政策論議において石原慎太郎を圧倒した。石原は他の主要3候補の猛攻を受けて撃沈したというのが論戦を見た私の感想だった。しかし、選挙の結果は選政策論争とは裏腹に、石原の圧勝だった。

 つまり、東京都知事選の結果を左右するのは政策などではない。それは大阪府や大阪市の首長選でも同じことだろう。

 東京都(や大阪府市)の首長選は、事実上テレビのワイドショーが勝者を決めるようなものだ。そのワイドショーは、つい先日まで政治と金の問題で前知事を追及して辞任に追い込みながら、今回知事選の元対抗馬(現穴馬)にも一役買ったと思われる「なんとか砲」が「自民党の身体検査の結果は『真っ黒』。舛添さんどころじゃない」と認定した人物を、「しがらみのない何とやら」として天にも届かんばかりに持ち上げる。何たるダブルスタンダード。そしてワイドショーの言うことをを鵜呑みにしているだけの人間が、ネットで「□□さんは政策ガー」などとしたり顔が目に浮かぶような文章を書く。こんな不愉快なことはそうそうあるものではない。

 安倍晋三としては万々歳の結果に終わりそうだ。ここで指摘すべきポイントは、仮に今後小池百合子が「政治と金」の問題で「文春砲」などの攻撃を受けることがあっても、自民党は小池百合子を推薦しなかったという言い訳が成り立つことだ。仮に小池が辞任に追い込まれれば、その時は改めて増田寛也でも擁立すれば良い。その時は、今回そうなるであろう惨敗によって民進党代表の座を追われそうな岡田克也に代わる民進党右派の代表が自民党に相乗りしてくれるだろう。小池が攻撃を受けないなら受けないで、極右にして新自由主義者という小池百合子の立ち位置は、もともと安倍晋三とは相性抜群なのである。どちらに転んでも安倍晋三にとって利益こそあれ不利益など全くない。今頃安倍晋三は笑いが止まらないのではないか。

 東京都知事選は、今回もまたろくでもない経緯をたどったあげくに最悪の結果を迎えることになりそうだ。
 このところずっとそうなのだが、月の半ば、特に5日から15日頃にかけてあまりネットに時間をとれない。今月は特にひどくて、ここ数年では最悪の状態だった。今ではこのブログよりもずっとアクセス数が多くなった(というよりこのブログのアクセス数が減っていったという方が正しいが)「kojitakenの日記」さえろくに更新できない日々が続いた。と言いながら、実は日曜日(12日)に千葉のQVCマリンフィールドにプロ野球を見に行っていたのだが(ひいきのヤクルトはロッテに大敗した)、そのプロ野球観戦と、それに出かける直前に「kojitakenの日記」に駄文を2つ書いたこと以外は、私としてはまことに珍しいことだが、ほぼ仕事オンリーの日々が続いた。プロ野球の試合はデーゲームだったが、それが終わると日曜日でも夜遅くまで開館している東京都内某区の図書館に行って閉館間際まで仕事の準備をして、月曜日から昨日までは昼食もコンビニ弁当をつまみながら仕事をやる始末で、週明けからの3日間はネットはおろか本も読めなかった。ただ夜に遅い夕食をとりながら報ステの後半とNEWS23を見る時間くらいはあったが。その仕事漬けの日々に、昨日ようやく一段落つけて、久々にブログに記事を書いた次第だ。

 前振りが長くなったが、NEWS23では、異様なほど東京都知事・舛添要一の問題に長く時間を割いていた。この番組は、先週末には市川海老蔵夫人の小林麻央氏の不運な進行性乳癌罹患にやはり異様に長い時間を割くなど、単にキャスターが岸井成格から星浩に代わっただけにとどまらない番組の劣化が目を覆うばかりであるように思われるが、TBSだけではなく朝日新聞も連日一面トップは舛添要一で、一昨日(14日)の朝刊一面トップの見出しが黒字白抜きで最上段横書きの「舛添知事 辞職不可避」とあっては、これがいわゆる「新聞辞令」というやつか、舛添はもう持たないなと思った。結局舛添は昨日辞意を表明した。

 報じられた舛添の公私混同ぶりは確かにひどいといえばひどいもので、それが問題視されれば退陣不可避となったのは止むを得ないとは思う。ただ、いくつか気になることがある。

 先月のことだが、例によって仕事の山がピークを越えた下旬の週末から月曜日にかけて、2泊3日で本物の山に歩き(登り)に行っていた。その山から下りて、麓で地元のおじちゃんおばちゃんたちが雑談していたのを小耳に挟んだ時、おばちゃんが出し抜けに「舛添さんみたいなもんだよねえ」と口にしたのだった。おお、舛添批判はそこまで浸透しているのかと思った。それが5月23日。この時期にはテレビのワイドショーで連日舛添が叩かれていたと推測される。

 ワイドショーが連日舛添を叩き続けると、舛添やめろの声が高まり、最後には自民党も庇い切れずに舛添退陣と相成った。もしかしたら2013年末の猪瀬直樹の時も似たような経緯だったのかもしれないが、今回は自民党の極右の連中が「舛添おろし」をやろうとしたことが発端だったという指摘がある。以前にも「kojitakenの日記」に取り上げたが、政治ブログ「日本がアブナイ!」の5月14日付記事「舛添おろしがスタートか。舛添に問題あるも、石原との扱い方の差に怒」が、リテラの5月9日付記事「舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由」(著者・宮島みつや氏)を引用しながら、自民党極右勢力の動きを批判している。

 ただ、そのリテラの記事中の下記のくだりには違和感がある。以下引用する。

 ご存知のとおり、石原氏は芥川賞選考委員まで務めた大作家であり、国会議員引退後、都知事になるまでは、保守論客として活躍していたため、マスコミ各社との関係が非常に深い。読売、産経、日本テレビ、フジテレビは幹部が石原べったり、「週刊文春」「週刊新潮」「週刊ポスト」「週刊現代」も作家タブーで批判はご法度。テレビ朝日も石原プロモーションとの関係が深いため手が出せない。

 批判できるのは、せいぜい、朝日新聞、毎日新聞、共同通信、TBSくらいなのだが、こうしたメディアも橋下徹前大阪市長をめぐって起きた構図と同じで、少しでも批判しようものなら、会見で吊るし上げられ、取材から排除されるため、どんどん沈黙するようになっていった。

 その結果、石原都知事はどんな贅沢三昧、公私混同をしても、ほとんど追及を受けることなく、むしろそれが前例となって、豪華な外遊が舛添都知事に引き継がれてしまったのである。

(「リテラ」5月9日付記事「舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由」(著者・宮島みつや)より)


 この指摘は、2007年の東京都知事選当時の状況には当てはまらない部分が多い。当時、右寄りの週刊誌として悪評の高い「週刊文春」や「週刊新潮」は確かに石原を批判する記事はほとんど載せなかった。文芸出版社の大手である文藝春秋や新潮社には、確かに「作家タブー」があったといえるかもしれない。

 しかし、2007年当時には、「週刊現代」(講談社)や「週刊ポスト」(小学館)は「サンデー毎日」(毎日新聞社=当時。現在は毎日新聞出版)に負けず劣らず活発な石原批判を展開していた。ブログで政治について書くようになって日の浅かった当時の私は、それらの週刊誌を買ってはブログ記事で紹介することをかなりやったし、当時の週刊誌の石原批判記事は今でも持っている。一部はスキャナーで読み込んでpdf化したのち廃棄したが、現物かpdfかのいずれかは今も手元にあるのだ。そもそも石原など大家に数え入れられるような作家ではなく、私が文庫本を買うようになった1974年には既に多くの文庫本が絶版になっていたありさまだった。その後は弟・石原裕次郎について書いた本や盛田昭夫との共著『「NO」と言える日本』、最近では再評価の進む田中角栄ブームに当て込んだつまらない小説などの際物が時に話題になる程度の四流作家に過ぎない。だから「作家タブー」も文藝春秋や新潮社止まりで、講談社や小学館にまでは及ばないのである。

 むしろ、リテラが「批判できるのは、せいぜい」と書いた朝日新聞や毎日新聞や共同通信やTBSが石原批判をほとんどしなかった。たとえば毎日新聞などは石原批判は「サンデー毎日」に任せていると言わんばかりだったし、朝日新聞に至っては新聞本体でも「週刊朝日」でも石原批判の記事を読んだ記憶はほとんどない。

 それよりも何よりも、東京都民が石原批判に反応しなかった。当時私は四国(香川県)に住んでいたが、東京都民の知り合いが「浅野さん(浅野史郎元宮城県知事)は東京向きじゃないよねえ」と言っていたのを聞いたことがある。おそらく石原に投票したのだろう。都民の感覚とはそんなものかと呆れたものだ。それどころか都民は「佐々淳之が編み出した「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」などというふざけたキャッチフレーズになびいた。「だけどやっぱり慎太郎」キャンペーンの協力者には、その少し前に「9条護憲派」として「リベラル・左派」の熱い応援を受けていた藤原紀香も一役買った。

 私は、あれだけ週刊誌で悪行三昧が書き立てられている石原は負けるのではないか」と期待していたのだが、それは無惨にも裏切られた。これ以降、東京都民のほか、橋下徹を支持し続けた大阪府民及び大阪市民の選択には毎回裏切られ、そのたびに彼らに悪態をつく繰り返しが(既に東京都民になって久しい)今に至るまで続いている。

 石原に限らず橋下徹もそうだが、彼らマッチョ的な指導者を日本人の多数が排除したことは一度もなく、それどころか民主党政権時代に、朝日・毎日・TBSなどを含めて「決められる政治」を求める声が起きた始末だ(朝日新聞社内でその論陣を張った中心的な人物が、現在TBSでNEWS23のアンカーをやっている星浩である。この4月以降のNEWS23の激しい劣化もむべなるかな)。石原に関しては、わずかに1975年の東京都知事選で美濃部亮吉に敗れたことがあるだけだった。石原は、その敗北をトラウマとして長年抱えていたが、1999年に東京都知事選に当選して宿願を成し遂げると、公私混同をやりたい放題だった。この記事で批判した「リテラ」の記事だが、

石原都知事はどんな贅沢三昧、公私混同をしても、ほとんど追及を受けることなく、むしろそれが前例となって、豪華な外遊が舛添都知事に引き継がれてしまったのである。

という指摘だけは文句なく正しい。なにしろ、人間社会に働く最大の力は惰性力(イナーシア)である。東京都知事の公私混同をイナーシアにする力を最初に与えたのはほかならぬ石原慎太郎だった。単に都民のみならず、マスメディア、特に石原の公私混同を、猪瀬直樹や舛添要一に対して行ったような「ワイドショー攻撃」を行わなかったテレビという媒体に、私は深い病根を見る。

 なにしろテレビが「ワイドショー攻撃」で力を与えると、それはイナーシアどころか2005年の郵政総選挙や2009年の政権交代総選挙で見られた「バンドワゴン効果」を思わせる加速がついて、最大会派の自民党をもってしても歯止めがきかなくなる。前回の猪瀬直樹辞任劇に続く今回の舛添要一辞任劇はそのことを示しているように思われる。

 マスメディア報道で異色を放っていたのは、昨夕職場で読んだ日経夕刊の一面記事だった。日経の記事はネットではかなり厳しい[登録制のために冒頭部分しか読めないので引用できないが、都の非正規職員の正規化、障害者雇用の促進、介護保育人材の確保などの実績が指摘されていたかと思う。ネット検索をかけると、民進党の鈴木けんぽうという渋谷区議会議員のサイトの「活動日記」に6月15日付で「今更ながら、舛添都政の2年間は都政関係者からどう評価されているのか、ご紹介」という記事が公開されている。この記事に、日本経済新聞社編集委員兼論説委員・谷隆徳氏が「都政研究」誌2016年3月号に書いた「『安定軌道』に乗り始めた舛添都政」と題する記事の要約が、箇条書きの形で掲載されている。この記事の多くは、舛添要一の主張の受け売りなのかもしれないが、「障害者を正規社員として雇い入れる事業者を支援する制度などは石原・猪瀬都政では考えられない」などと書かれている。但し、民進党渋谷区議の鈴木けんぽう氏自身は、「舛添さんの弁護をする気はさらさらない」とは書いている。私も、多少都政が石原慎太郎や猪瀬直樹よりましだったとしても、今回の舛添の辞任自体は致し方なかったとは思う。

 しかし、これだけは自信を持って言える。今、マスコミで次期都知事候補として名前が取り沙汰されている具体的な人名に即していえば、橋下徹はむろん論外だが、小池百合子が都知事になったとしても、都政は舛添時代より確実に悪くなる。丸川珠代でも同様だ。

 それどころか、民進党右派で、かつて「事業仕分け」に辣腕をふるった蓮舫でも、舛添都政よりましになるかどうかは大いに疑わしい。報棄てで(腹立たしいことに)後藤謙次が好意を持って名前を挙げているように聞こえた長島昭久では舛添より悪くなる可能性が極めて高い。宇都宮健児が都知事になるのであれば、(2014年の都知事選で指摘された問題は棚に上げるとして)舛添都政と比較しても確実に良くなるだろうが、そもそも当選を期待しづらい。

 東京都知事選はどうやら7月31日の投開票になりそうだが、石原慎太郎の4選を易々と許した2011年の都知事選から6年目で早くも4度目になる都知事選に、もういい加減にしてくれないか、うんざりだと思うばかりの今日この頃なのである。
 昨日(1/24)投開票の行われた宜野湾市長選は、実に残念な結果だった。

 日本会議のメンバーであるとも言われる極右政治家の現職・佐喜真淳が再選されたのだ。しかも世論調査から予想された僅差ではなく大差がついた。実は、選挙戦中の沖縄地元紙の報道等を読む限り志村恵一郎氏陣営に勢いが感じられず、悪い予感がしていたが、それが的中してしまった。昨年8月以降の安倍内閣の支持率復調が米軍基地の飛行場を抱える宜野湾市長選にも表れてしまったのは痛恨事だ。以下、「客観報道」のスタイルで書かれた朝日新聞デジタルの記事を引用する。

宜野湾市長選、現職の佐喜真淳氏が再選
2016年1月24日21時09分

 米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の市長選が24日、投開票された。安倍政権が支援する現職の佐喜真淳(さきまあつし)氏(51)=自民、公明推薦=が、翁長雄志(おながたけし)知事が支援する新顔の志村恵一郎氏(63)を破って再選された。普天間の同県名護市辺野古への移設計画をめぐる国と県の対立構図が持ち込まれた激戦となったが、辺野古移設の是非に言及せず地元向けの施策の訴えに徹した現職が逃げ切った。

 確定得票数は、佐喜真氏が2万7668票、志村氏が2万1811票だった。

 沖縄の主要選挙では一昨年の名護市長選以降、知事選、衆院選と、辺野古移設反対派が勝ち続けてきた。普天間飛行場の地元の首長選でこの流れが止まり、翁長氏の求心力低下につながる可能性もある。

 佐喜真氏は選挙戦で、普天間飛行場について「一日も早い閉鎖、撤去」を訴えつつ、辺野古移設の是非には言及しない姿勢に徹した。自民党の元閣僚ら多くの国会議員が応援に入ったが、安倍政権と佐喜真氏が一体視されるのを避けるため、水面下での支持集め中心で街頭に立たなかった。

 一方、志村氏は翁長氏との二人三脚で地域を回り、「普天間の無条件返還」「辺野古移設反対」を前面に訴えた。しかし、投票する際に辺野古移設問題を最重要視はしない有権者が一定数いるという地域事情も重なって、辺野古移設の是非を明確な争点にすることができなかった。

 翁長氏は選挙期間中、「(志村氏が)敗れれば、辺野古反対の民意は消えたと宣伝される」と危機感をあらわにしてきたが、「辺野古反対」に重心を置きすぎた戦略が裏目に出た面がある。「選挙で示された民意」を最大の後ろ盾として安倍政権と対立してきたが、今回の結果は6月の県議選、夏の参院選に影響する可能性もある。

 投票率は68・72%で、前回(63・90%)を上回った。

(朝日新聞デジタルより)


 ところで朝日といえば1月21日付オピニオン面に辺見庸のインタビューが出ていて、朝日新聞デジタル未登録者には冒頭部分しか読めないが、私は朝日を宅配で購読しているので読んだ。SEALDsを批判していることから、例によって木下ちがやに代表される旧「しばき隊」筋やらSEALDsシンパやら共産党シンパやらからやれ老害だのやれ暴走老人だのやれ新左翼だのやれ過激派だのやれ極左だのやれこれがあの辺見庸かだのといった悪罵を投げつけられているようだ。しかしその内容は辺見庸のブログ記事での痛烈なSEALDs批判を読んだ者からすると拍子抜けするくらいであり、今回のインタビューを機に、昨年来「積ん読」してあったのを読み始めている辺見の12年前(2004年)の著作『抵抗論―国家からの自由へ』(毎日新聞社)で展開されている小泉政権時代のイラク派兵反対デモに対する批判と、内容はほとんど変わらないと言って良い。しかし、イラク戦争に反対した頃の辺見庸は左翼から信奉されていたのに対し、今では悪罵が投げつけられている。私から見れば辺見庸は変わっておらず、変質したのは「左翼」の方だ。共産党も先般の天皇臨席通常国会開会式に出席するなど、このところ急に大きく変わった。

 辺見の『抵抗論』には、ちょっと驚くくらいオーソドックスな近代立憲主義肯定論が語られているくだりがあり、これを旧しばき隊・SEALDs・共産党シンパなどが宣伝するおどろおどろしい「過激派」云々の宣伝を真に受けている人が読むと意外に思うかもしれない。「過激派」云々の宣伝しか知らない人は、先入観を持たずに辺見庸の文章を読んでみてはどうかと思う。なお、『抵抗論』の読書メモは、近いうちに『kojitakenの日記』に公開する予定だ。

 予定で思い出したが、共産党の通常国会開会式を取り上げた前回の記事に、「スレ違い」ではあるが経済問題に関する多くのコメントが寄せられたが、読者数の少ないこのブログのコメント欄ではせっかくの議論も数十人オーダーにしか読まれずもったいないと思う。そこで、5年前に立ち上げたものの運営に行き詰まって更新が止まっているブログ『Nabe Party ~ 再分配を重視する市民の会』の後身となる共用ブログを立ち上げることを予定している。従来のブログは投稿のバリアが高かったので、新ブログではそのバリアを下げ、投稿者に記事を自由に書いてもらって、編集者(私)はこのブログのコメント欄と同じように記事の承認だけを行うというシンプルな形にするつもりだ。今週具体的な内容をアナウンスする予定だったが、こちらはちょっと作業が遅れていて、今週の金曜日までにはアナウンスできないかもしれない。

 気の滅入ることの多い今日この頃だが、どうにかして前を向いていきたいと思う今日この頃だ。
 佐賀県知事選には一定の関心は持っていたが、昨年12月25日の告示のすぐあとに行われたマスコミの情勢調査で、自公が推す前武雄市長・樋渡啓祐がリードしているとのことだった。年末に時事通信が「樋渡氏リード」と伝え、地元紙・佐賀新聞も、元旦付で「樋渡が先行 山口急追」と報じた。

 選挙の情勢調査記事で、片方が「リード」あるいは「先行」、相手方が「急追」という場合、両候補には5〜10ポイント差がついている。告示後にこの言葉がついた情勢調査記事をマスメディアが報じた場合、そこから逆転するケースはほとんどない。だから佐賀県知事選は妄決まりだなと思い、投票のあった11日の日曜日は、選挙結果を確かめることなく寝た。

 それが、11日の朝刊を見ると、樋渡氏が敗れて、保守分裂選挙の相手方候補である山口祥義氏が、樋渡氏に4万票以上の大差をつけて当選したと報じられていたので驚いた。樋渡氏が得ると見られた大量の票が、山口氏へと流れたようなのだ。これほど劇的な逆転劇は珍しい。

 樋渡氏が「新保守」というべき新自由主義的な候補者であるのに対し、山口氏が「旧保守」を代表する候補であることは知っていた。「新保守」から「旧保守」への大量の票の流れは、2009年の「政権交代選挙」で見られた新自由主義的政策への批判票が今でも存在することを示すものだ。佐賀では、農業政策の規制緩和への批判が劇的な票の移動につながったとみられる。

 前武雄市長の樋渡氏が、市立図書館の運営にTSUTAYAに委託した話は知っていた。たとえば昨年7月の「東洋経済オンライン」に、「『沸騰!図書館』に描かれた自治体の闘い」と題された記事が出ている。その記事で樋渡氏は、こんなことを言っている。

 僕自身本好きで1日1冊読んでます。ところが市長になった頃の武雄市図書館は平日午後6時閉館、急いで駆け込んでも「閉館です」の門前払い。しかも休館日は年95日。疑問や提案をぶつけても「昔からの決まり」の一点張りでした。市民の税金で成り立つサービスなのに休館日は多い、スタッフも傲慢。市民はそれが普通と思ってたようだけど、僕は違うと思った。利用者のことを考えようと懇々と話し続けました。6年間交渉を続け、2013年4月のリニューアルオープン後は年中無休、閉館も夜9時までに延長しました。


 しかし私は違うと思う。最近は多くの自治体で図書館の運営を外部委託しており、私が住む自治体も例外ではないが、それでも毎週の休館日はあり、月に1度はもう1日余分に休館日がある。日曜日と祝日は閉館時刻も早い。しかし、やはり図書館の運営を外部委託している近隣の自治体では休館日は月1日しかなく、日曜日でも午後9時まで開けている。一度、その自治体の図書館に日曜日の夜8時頃に行ったことがあるが、館内に利用者は数えるほどしかいなかった。こんな時にまで図書館で仕事をしなければならないスタッフに、私は大いに同情したものだ。

 樋渡氏は同じ「東洋経済オンライン」の記事で、「モバゲーのDeNAと組んで小学生向けにプログラミング教育も始める」などとも言っているが、これら一連の発言や現にやってきたことを見ると、樋渡氏が「佐賀の橋下徹」との異名をとる理由もわかる。

 その樋渡氏の失速は、2008年のやはり1月に行われた大阪府知事選とは好対照だ。その府知事選に橋下徹が出馬を表明したのは前年、2007年暮のことだった。この時橋下を推したのも自公であり、それに対して当時小沢一郎が代表を務めていた民主党は大阪大学教授(当時。府知事選前に辞職)の熊谷貞俊を推したが惨敗した。余談だが、当時はまだ「小沢信者」がその後のように尖鋭化しておらず、「熊谷氏は『上から目線』だったから、『庶民の目線』でものを言う橋下に負けた」などと、小沢民主が推した熊谷氏を批判して自公が推した橋下を持ち上げた「リベラル・左派」の御仁が大勢いたものだ。2008年1月29日付記事「『ポピュリズム』や『上から目線』などなど - 大阪府知事選雑感」でこうした風潮を批判したことを思い出す。

 あの選挙で橋下は、選挙戦が進むにつれてリードを広げ、最後には圧勝した。選挙戦における橋下の口八丁手八丁は脅威であり、2011年の統一地方選でも昨年の衆院選でも、情勢報道で予想された不利をひっくり返した。それに対して、樋渡啓祐はその逆の結果になった。それは、樋渡氏が橋下ほどのアジテーションの能力を持たないせいかもしれないが、それよりも安倍政権の狙う農業改革が、佐賀県民の生活を直撃する脅威が樋渡氏の票を減らしたのではないか。東京や大阪など都市部の選挙と地方の選挙は違うのであり、仮に橋下が佐賀県知事選に出馬して農業改革を力説したとしても、やはり負けていたのではないかと私には思われる。

 今回の佐賀県知事選では、選挙戦の途中で樋渡氏が差を詰められて焦ったのか、正月明けの時期から樋渡陣営が安倍晋三の肉声録音電話を相次いで有権者の自宅に掛けまくっていたことが暴かれている。下記togetter経由で知った。
http://togetter.com/li/768843

 この事実を報じたのは私の大嫌いな日刊ゲンダイで、同紙はこれを選挙戦最終盤に報じたが、ゲンダイとしては異例中の異例の、裏をとった記事だった。ネットでもその証拠の音声が流布している。
https://www.youtube.com/watch?v=XUapkKL_wSM&feature=youtu.be

 今回の選挙結果は、安倍政権の新自由主義的経済政策に対して、佐賀県の有権者が「ノー」を突きつけた結果といえる。佐賀県知事選自体は、新保守の旧保守に対する敗北に過ぎず、当選した山口氏は敗れた樋渡氏ともども玄海原発再稼働に賛成する原発推進派だったりする。ただ、「コイズミカイカク」ならぬ「アベシンゾーカイカク」(って語感が古いかも)は必ずしも地方に支持されていないことがはっきり示された。脱原発派の中にも、樋渡氏を倒すためなら、と山口氏に流れた票が結構あったらしい。

 ただ、今回の佐賀県知事選は中央の政局には影響を与えそうにもない。民主党代表選は、新自由主義政党・維新の党との合流を目指していた細野豪志か、トマ・ピケティに「最悪の選択肢」と批判される緊縮財政による財政再建を志向する岡田克也のいずれかが勝つとみられる。唯一「リベラル」的な主張をする長妻昭にしても、政権交代前に「ムダの削減」を謳って厚労相に就任したものの何の結果も出せなかった過去をどう総括したのか全く不明だ。

 そんな民主党代表選で私が注目しているのは、党員・サポーター票の出方だ。民主党という鵺のような政党の一般党員やサポーターが3人のうち誰を選ぶかで、彼らの思想信条の傾向が読み取れると思われるからだ。一般党員やサポーターがもっとも強く支持するのは細野豪志ではないかと私は(悲観的に)想像している。もっとも、この3人では誰も選びたくないという人が多くても不思議はないが。

 来週には民主党代表選の結果が出ているから、気が向いたら来週の記事で取り上げるかもしれないし、それ以上に書きたいことが起きたら民主党代表選には触れないかもしれない。まあ誰が勝とうが、民主党が佐賀県知事選の結果が示したような安倍政権の政策に対する地方の不満をくみ上げるような政党には変わりようがないことだけは間違いなさそうだ。
 昨日(13日)投開票が行われた滋賀県知事選は、選挙期間中のマスコミの予想通り大接戦の結果、三日月大造候補が初当選を決めた。開票結果は下記の通り。

 三日月大造 無新 43歳 253,728 票(得票率 46.3%)
  小鑓 隆史 無新 47歳 240,652 票(得票率 43.9%)
  坪田五久男 無新 55歳 53,280 票(得票率 9.7%)

 当選した三日月大造候補は、民主党衆院議員を3期務め、民主党が惨敗した2012年の衆院選では選挙区(滋賀3区)では自民党候補に敗れたものの比例で復活当選し、4期目に入っていた。しかし、今回の滋賀県知事選立候補を目指して議員辞職する意向を表明し、2期目の現職・嘉田由紀子知事と協議の結果、嘉田知事の不出馬と三日月氏の出馬が決まった。三日月氏は民主党を離党し、無所属で民主党を含む政党の推薦を受けずに立候補した。

 三日月氏と激しく競り合った小鑓隆史候補は、元経産省、すなわち原発推進の総本山の官僚出身である。小鑓氏は、自民、公明、それに日本維新の会滋賀県連から推薦を受けた。

 三日月氏の滋賀県知事選出馬が決まった頃、私は正直言って、こりゃ自公候補の圧勝だろうなと思った。三日月氏と嘉田知事が候補一本化の協議をしていた頃、毎日新聞と読売新聞が嘉田知事の不出馬説を報じたが、これは現時点の目から振り返ると、両者の動きをよくつかんだ報道だった。しかし、ネットの脱原発派の間には、「出馬すれば三選され得る嘉田知事を降ろし、勝ち目のない三日月氏を出馬させようとするマスコミの謀略報道だ」と叫んで、嘉田知事に出馬を要請する向きもあった。

 私はそれを見ながら、嘉田由紀子知事も本心では三選に自信がなく、降りても良いと思っているから、出たくてたまらない三日月氏に押し切られるのも無理ないのではないかと思った。なんといっても、嘉田知事には一昨年の衆院選で小沢一郎や飯田哲也らと「日本未来の党」を立ち上げたものの惨敗したあげく、小沢一派に党を乗っ取られ、嘉田・飯田側には元社民党の阿部知子氏しか残らなかったという汚点がある。嘉田・三日月両氏が協議していた4月末から5月初めの時点では、嘉田知事と三日月氏のどちらが出馬しようが自公候補に勝てないのではないかと思われた。ただ、嘉田知事には地元で根強い人気がある可能性もあるかなとは思った。地元での人気ばかりはよそ者には容易に窺い知れないもので、あの小沢一郎ですら岩手4区では未だに人気があるらしい。だが、三日月氏にはそのメリットも少なく、やはり苦しいのではないかと思った。

 しかし、いざ選挙戦が始まると、マスコミは大接戦を伝えた。共同通信は「三日月氏と小鑓氏が接戦」、朝日新聞は「三日月氏やや先行、小鑓氏猛追」、読売新聞は「小鑓・三日月氏が横一線」との見出しをつけた。未確認情報によると、朝日調査では三日月氏が小鑓氏に8ポイント差で、読売調査では小鑓氏が三日月氏をわずか1ポイント差で、それぞれリードしていたとのこと。見出しからも明らかなように、共同通信は朝日と読売の中間で、三日月氏の票がわずかに多いという、今回の結果にもっとも近い情勢調査だった。

 私は、朝日と読売の報道は、互いの社論を反映して色がついているのではないかと思った。といっても何も両紙が数字を捏造したと言いたいわけではなく、質問の仕方によって社にとって望ましい調査結果に誘導したということだ。だから、現実の情勢に一番近いのは共同通信の予想だろうと思っていたが、その通り共同通信の情勢調査報道がドンピシャで的中する結果となった。

 50.15%の投票率は、参院選と同日で行われた前回(2010年)より低かったが、嘉田知事が初当選した前々回(2006年)よりはかなり高く、有権者の関心は決して低くなかったといえる。

 結果を左右したのは、原発再稼働の問題だったと考える。一般的には原発は票に結びつきにくいとされるが、滋賀県は多数の原発を抱える福井県と隣接しており、原発への関心は他の都道府県の平均水準よりかなり高いと思われるからだ。そこにもってきて、自民党が原発推進の総本山である経産省の官僚上がりの候補を持ってくるとは、あまりにも「再稼働へのお墨付き」狙いが露骨だった。小鑓隆史という人も、官僚臭が強く「上から目線」でものを言う人だったとも伝え聞く。これではいくら自民党(安倍晋三)が飛ぶ鳥を落とす勢いだといっても、驕りが過ぎるというものだ。滋賀県民は、そんな安倍晋三に鉄槌を下したと私はみなしている。

 朝日新聞(7/13)によると、告示1か月前の自民党の調査では、小鑓氏が三日月氏に10ポイント差をつけていたという。それがわずか1か月で逆転したことに、安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議決定したことを挙げている。ネット検索をかけてみると、国内他紙に加えて、アメリカのウォールストリート・ジャーナルも同様の見方をしているようだ。これについては、そうであってくれれば幸いだけれど半信半疑というのが正直な感想だ。集団的自衛権行使容認が安倍政権崩壊のきっかけとなるかどうかについては、私はかなり悲観的である。昨日も、乗った地下鉄の車内で、「9月解散で自民党350議席の圧勝」なる某週刊誌の宣伝を見て鬱になった。確かに、9月と言わずとも年内に衆議院選挙をやられたら、週刊誌が書く通りの結果になりかねないし、そうでなくても衆議院選は2016年までには必ず行われるのである。

 自民党と連立を組む公明党が、来年(2015年)の統一地方選への影響を懸念して、集団的自衛権行使容認に伴う関連法案の今秋の臨時国会を先送りさせたくらいだから、現実に年内解散の可能性は低いとは思うが、あの悪夢の小泉郵政選挙(2005年)を引き合いに出すまでもなく、解散権は総理大臣の切り札である。安倍晋三の腹一つで決まってしまう。

 実際には、次の衆院選をにらんだ野党の離合集散が今後始まるのだろうが、今回の結果に打撃を受けたのは、何も自民党だけではない。ある意味で、自民党以上に打撃を受けたのは、日本維新の会、結いの党、それに民主党の前原誠司や細野豪志らが立ち上げを目指している「新党」構想だろう。

 今回の選挙結果に私が快哉を叫んだのは、日本維新の会の橋下徹が、明確に小鑓候補を支持し、応援演説を行ったにもかかわらず、小鑓候補が敗れたことだった。

 橋下が小鑓候補を応援したのは、選挙の情勢報道で小鑓氏の苦戦が予想されたことに焦った菅義偉官房長官のじきじきの要請を受け入れたためだが、ここで絶対に記憶しておかなければならないことがある。それは、自民党、特にその中の極右勢力(現在は安倍晋三が中心)がピンチに陥った時には必ず橋下が助っ人として立ち現れるということだ。先の集団的自衛権行使容認の時もそうだった。橋下は、集団的自衛権行使容認への支持を言明し、このことが安倍晋三が公明党に圧力をかけるための大きな助けになった。公明党と組まなくとも、みんなの党や石原新党(「次世代の党」という、実体と正反対の名前がついている)や維新と連立を組んでやっていけるよ、という脅しである。もちろんあっさりとそれに屈した公明党が批判されるべきは当然だけれど。

 橋下に話を戻すと、今回もその通り、安倍晋三の助っ人として橋下が立ち現れたわけだ。そもそも、安倍晋三が総理大臣に返り咲くきっかけをつかんだのも、2012年の終戦記念日に、橋下と松井一郎が安倍晋三を維新のリーダーとしてスカウトしようとしていることを朝日新聞にスッパ抜かれて1面トップ記事にされたことだ。これによって、安倍晋三を維新に行かせまいとする動きが自民党内に起き、それがあろうことが安倍の総裁復帰というあってはならない結果につながってしまった。

 こんな橋下を、「超保守と対決するために活用したい」とか、「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」などと言って持ち上げるのは愚の骨頂なのである。「リベラル」や「左翼」の諸賢は、事実を直視しなければならない。橋下は今後も、いざという場面になったら必ず安倍晋三を助ける選択肢を選ぶ。そのことは100%間違いない。だから、橋下はただひたすら打倒の対象でなければならない。

 痛快だったのは、日本維新の会の支持者たちが橋下の動きに応えなかったことだ。朝日新聞の出口調査の結果によると、維新支持者の59%が三日月候補、6%が共産党推薦の坪田五久男候補に投票し、小鑓候補に投票したのは36%にとどまった。橋下はもはや維新支持者にも見放されたというわけだ。これは、今後の新党構想にも影響を与えるだろう。今や橋下とくっつくメリットが他党にとってほとんどないという事実を、今回の滋賀県知事選はまざまざと示したといえるからだ。橋下が応援した候補は落選したし、橋下はお膝元の票を固めることすらできなかったのである。

 なお、同じ朝日の出口調査で、公明党支持者の92%が小鑓候補に投票し、自民支持者の79%を上回っているが、記事も指摘する通り、公明党支持者の棄権が目立った。彼らは、党の支持する候補の対立候補に投票する勇気までは持たないが、棄権することで党に抗議することは現実に行っているといえようか。この場合、棄権の最大の理由が集団的自衛権行使容認であったとは私も思う。

 論点を変えて、安倍晋三の名前をとったネーミングでもてはやされた安倍政権の経済政策がうまく行かなくなり始めていることも、小鑓候補敗戦の一因だろうと思う。私見では、同経済政策は、金融緩和とインフレターゲットには効果が認められるものの、政権の財政出動が旧来型の公共事業に偏重しており、より積極的な再分配政策には全く不熱心である(公共事業もそれなりの再分配効果は持つが、東京に本社を持つ企業が潤う効果が大きく、一般国民への再分配の効果は大きくない)こと、それどころか労働の規制緩和や安価な労働力としての外国人労働者のとしての受け入れなど、私が「逆再分配」とみなす政策にばかり熱心である。これでは、緩和マネーは投機及びそれがもたらすバブルの形成(とそれに続く崩壊)にしかつながらず、金融緩和の副作用が今後顕著に表れる結果にしかならないと思う。政権の政策が効果をあげるためには、金融緩和と同じくらい大胆な再分配政策が必要だと思うが、安倍政権の性格上、そんな政策をとる可能性は万に一つもない。だから、こんな政権は一刻も早く打倒しなければならない。

 もちろん、その道ははるか遠い。しかし、安倍政権打倒のためには、最低でも滋賀県知事選で自公の候補に土をつける必要があった。そしてそれはなんとか達成された。そのほか、くどいほど書くが、橋下徹の正体と限界が誰の目にも明らかになった。

 この記事で、当選した三日月候補への論評はほとんどしなかった。正直言って、あまりピンとこない政治家である。だが、この選挙は、三日月候補が勝ったことよりも、自公が敗れたことと、橋下の正体が明らかになったことによって収穫があったと思わせるものであった。
東京都知事選は予想通り舛添要一の圧勝に終わった。ただ、猪瀬直樹が宇都宮健児をクアドラプルスコアで破った一昨年12月の都知事選と比較すると、差はかなり少なくなり、舛添が宇都宮健児につけた差はダブルスコアを少し超える程度だった。告示前からモタモタしていた細川護煕は、宇都宮健児の後塵を拝する3位で、田母神俊雄は細川から大きく離れて、それでも12.6%の得票率で4位だった。上位4候補の得票は下記の通り。

 舛添 要一 無新 2,112,979
  宇都宮健児 無新  982,594
  細川 護熙 無新  956,063
  田母神俊雄 無新  610,865

今回の都知事選の投票率は46.14%だった。過去3番目の低さだったとのこと。前日の大雪による積雪の影響も言われているが、投票日の天気は晴だった。都民の関心が必ずしも高くなかったと言えると思う。

私も都知事選の有権者だったので投票したが、以前から当ブログに書いた通り、上記の主要候補4人には投票しなかった。公約や思想信条からいえば宇都宮健児なのだが、昨年末に澤藤統一郎弁護士が発した前回(2012年)都知事選における公選法違反の告発に対し、「人にやさしい東京をつくる会」が今年1月5日に「法的見解」を出したものの、それに対しても澤藤統一郎氏の他、醍醐聰氏からも疑義が呈された。しかし宇都宮陣営はこれを事実上黙殺した。この一件に見られる「ムラ体質」を忌避して、前回宇都宮氏に投票した私は今回は彼に投票しなかった。しかし宇都宮氏は前回より得票数を僅かながら伸ばしている。これは選挙の投票率低下を考慮すると、まずまずの健闘だったと認めざるを得ない。

理由として考えられるのは、前回は衆院選とのダブル選挙であったために、宇都宮氏を推薦する政党の選挙運動が衆院選に重きを置かれたこと、有権者の関心も主に衆院選に集まったこと、それに対して今回は都知事選が注目され、選挙運動に力が入ったことに加え、数少ないテレビ討論などで宇都宮氏の主張に説得力を感じた有権者がかなりいたためだと考えている。

そりゃそうで、もともと宇都宮氏が主張していること自体は立派なものなのだ。ただ、言っていることと選対の組織の体質の乖離がはなはだしいことが問題なのだ。これはしばしば「共産党の体質」に帰される傾向があるが、私はもっと根の深い問題だと思う。というのは、前回都知事選における公選法違反の告発を行った澤藤統一郎氏は共産党支持の弁護士の大物である一方、告発された主要な人間は、元国立市長の上原公子氏であり、上原氏は生活者ネット、つまりほぼ絶滅した民主党左派(菅直人など)に近い人だったのである。さらに岩波書店の熊谷伸一郎なる人物の深い関わりが指摘されている。

また宇都宮氏は、昨年の参院選前にも澤藤弁護士から批判されている。宇都宮氏は前述の上原公子氏らとともに、「脱原発」候補を推薦すると称した「緑茶会」なるもののメンバーとなっていたが、この会が推薦したのは緑の党の全候補者をはじめ、民主党、生活の党、みんなの党などの候補を推薦する一方、共産党の吉良佳子氏には推薦を出していなかった。このことからもわかるように、宇都宮氏はもともと共産党系の人士ではなく、社民党、民主党左派、生活の党などに近い人だったと推測されるのである。

要するに、政党以前に、ごく一部の人物が2012年都知事選における宇都宮選対を壟断していたのであって、その問題への十分な検証が行われないまま選挙に突っ走り、自浄作用が働かなかった。今回は共産党が組織内候補と同格に扱ったように外部からは見える。共産党員や支持者も澤藤統一郎氏が提示した疑義に取り合おうとしなかった。

そんなことで良いのだろうかと私は思うのである。前回の都知事選と比較すると「善戦」したとはいえ、宇都宮氏は舛添にダブルスコアで負けているのである。宇都宮氏陣営は、このことの意味をよく考えるべきだろう。

それから細川護煕であるが、予想通りテレビ討論会は悲惨なものだった。私は細川というとどうしても忘れられないのが20年前にこの男が発した「腰だめの数字」という妄言である。

1994年2月3日 細川内閣で消費税を廃止し、税率を7%とする“国民福祉税”構想を、突如、未明に公表して世論の批判を浴び、8日に撤回した。この時、国民福祉税の税率を7%とする根拠を聞かれた細川は、「正確にはじいていないが、腰だめの数字としてこの程度は必要である」と答えた。

「腰だめ」とは、「goo辞書」を参照すると、

1. 銃床を腰に当て、大まかなねらいで発砲すること。
2. 大ざっぱな見込みで事を行うこと。「―で予算を立てる」

とある。これに頭を抱えたのは、当時細川を操っていた小沢一郎だった。小沢はこう語っている。

小沢 そりゃあ「腰だめ」がまずかった。あのとき、「税率を7%に引き上げる根拠はこうだ。その場合、財政はこうなる」などときちんと説明しておけば、なんのことはなかったんです。要するに「腰だめ」という発言で、「首相の対応はいい加減だ」「腰だめの数字とは何ごとだ」という話になっちゃった。しかも、国民は夜、眠いのに起こされたわけだから、余計に批判を浴びた(笑)。

−− 細川さんは内容をよく把握してなかったんですか。

小沢 たぶんそうでしょうね。もちろん、首相が細かな数字をいちいち説明する必要はない。しかし、理屈はきちんと言わなければならない。そうすれば騒ぎにならないですんだんです。心の中ではみんな消費税を上げなきゃいけないなと思っているわけですから。とにかく日本人というのはインチ・バイ・インチだから、スカッといかないんです。
(五百旗頭真・伊藤元重・薬師寺克行編『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞社,2006)134頁)


そんなかつての小沢一郎の傀儡・細川護煕が、今度は小泉純一郎の傀儡になった。こんな候補を「脱原発派」が支持するなど正気の沙汰とは思えないのだが、驚くべきことに、鎌田慧、澤地久枝、瀬戸内寂聴、それに今年100歳になる老ジャーナリストのむのたけじ各氏までもが細川護煕を推薦した。その結果、昨日のNHKの出口調査によると、「脱原発」派の6割が細川に投票したそうである。しかし、細川や細川を応援した小泉が、他の政策は誰が都知事をやっても同じと言わんばかりの妄言を発したことも影響したのか、「脱原発派」以外には支持が広がらなかった。ネットの「小沢信者」も宇都宮支持派と細川支持派に分裂した。教祖様(小沢一郎)はもちろん細川を推したのだが、岩上安身や「きっこ」をはじめとして、小沢になびかなかった(元?)信者が続出したのであった。

私は宇都宮氏陣営の非民主主義的な体質にも失望したが、それ以上に、これまで信頼していた人たちが細川護煕支持へと雪崩を打ったことにはさらに深く失望した。細川を当選させなければ安倍晋三が戦争に突き進むのを止められないと言っていた人たちもいたが、細川を当選させたらどうやって安倍晋三を止めることができるのか、それを説明できた人間は誰もいなかった。

ただ、「脱原発派」の変質の前兆は昨年には見られていたようである。私は「脱原発」デモには、一昨年9月を最後にしてそれ以降は一度も参加していないが、昨年3月11日に行われた集会で、大江健三郎は反原発運動について「戦後ここまで日本人が統一したことはない」と、澤地久枝は会場で打ち振られる日の丸について、「日の丸を見たら身構える世代ですが、今日はそれを掲げる人もいることをうれしく思う」と、それぞれ発言したという。

大江健三郎について言わせてもらうと、現在話題になっている「偽ベートーヴェン」佐村河内守の「ビジネス」の前段には、20年ほど前に売り出された大江健三郎の障害を持つ長男・大江光の「ビジネス」があったと私は考えている。大江光のCDと「佐村河内守」のCDは、同じレコード会社から発売されているはずである。私は「佐村河内守」のCDを聴いたことはないが、大江光のCDなら聴いたことがある。こんなものをありがたがる人間はどうかしていると思った。大江健三郎の「脱原発」仲間である坂本龍一も、大江光の音楽を酷評した1人であった。

今回の舛添要一の対立候補が宇都宮健児や細川護煕なんかではなく、坂本龍一であれば、もう少しまともな戦いになったかも知れないと思う(私は坂本龍一の言動にも全面的に賛同できない部分はあるけれども)。ただ、その場合自公側が担いでくる候補は舛添要一ではなかったかも知れない。自公が舛添要一を担いだ理由として、宇都宮健児の出馬表明を受けて、それなら舛添要一でも勝てると判断したのではないかと私は考えている。事実、舛添の得票数は前回都知事選の猪瀬直樹の半分にも満たなかった。舛添は決して「強い候補」ではなかったのである。

田母神俊雄については、若年層の支持が多いという朝日新聞の出口調査結果が話題になっているけれども、田母神と舛添の得票の合計は、年齢層によらず同じくらいの比率である。かつて「若いときに左翼でないのは馬鹿だ。年をとっても左翼であるのはもっと馬鹿だ」と言った人間がいたらしいが、「ネトウヨ」はかつての「左翼」に代わって若者のトレンドになったかのようだ。ただ、上記の言葉は、「若い時にネトウヨであるのは馬鹿だが、年をとってもネトウヨであるのはもっと馬鹿だ」と書き換えられねばなるまい。

ネトウヨが総理大臣になってしまったと言うべき安倍晋三は、もちろん日本を危うくするリスクの最たるものであるが、それを都知事選で止めようというのは無理筋だった。2007年の第1次安倍内閣は、都知事選の石原慎太郎圧勝が内閣支持率上昇の追い風になったが、5か月後には安倍晋三は政権を自ら投げ出した。
東京都知事選は告示の時点でもはや「勝負あった」情勢だ。この都知事選について、宇都宮健児の前回都知事選選対の問題と細川護煕及びその背後にいる小泉純一郎に対する批判は先週までの記事に書いた。今回は、保守・右翼の側で対照的な世論調査結果となっている舛添要一と田母神俊雄について書く。

舛添要一については多くを書く必要はあるまい。かつて第1次安倍内閣が法制化しようとした「ホワイトカラー・エグゼンプション」を、「家庭団らん法」と言い換えようとした男。それでいて2008年に新自由主義批判が強まると、「日本人には高福祉高負担が合っている」と言うなどの変わり身の早さも見せたが、舛添は現在では「日本の現状は、明らかに『低負担高福祉』国だ」などと言っているそうだ。『AERA』の1月13日号に出ているとのこと。

舛添の議論から抜け落ちている観点は、もちろん舛添は意識的に語っていないのだろうが、「再分配」であろう。私はまず富裕層減税をやり過ぎた過去の失政を認め、行き過ぎた浮遊増減税を元に戻した応能負担の税制をベースにして、それに「広く薄い」間接税を上乗せするというのが福祉国家の税制のあり方だと信じているのだが、日本では「行き過ぎた浮遊増減税を元に戻す」議論がどうしても前に進まない。それはリベラル・左派側が「増税反対」ばかりを言っているせいもあるのだが、そんな流れに乗って舛添は「サービスを受けたければ増税を甘受せよ」と脅し文句を言っているのである。

こんな舛添の都知事選当選がほぼ間違いないのは嘆かわしいことこの上ないが、対立候補が弱すぎるのだからどうしようもない。前回都知事選における選対に「政治と金」の問題や「村八分」体質が指摘されながら立候補を強行した宇都宮健児と、宇都宮陣営よりもさらに大きな「政治と金」の疑惑を抱える上、小泉純一郎に応援されるばかりか、自身も21年前の連立政権で新自由主義経済政策をとろうとした細川護煕では、舛添に勝てる見込みは万に一つもない。これでは、共同通信の世論調査で、自民と公明のそれぞれの支持層の約半分しか押さえることのできていない、必ずしも強くない候補・舛添といえども左うちわの選挙戦が戦えるというものだ。

今回の都知事選には、もう一人「有力」とされる舛添の対立候補がいる。田母神俊雄である。

この田母神俊雄の応援団の顔ぶれがすごい。石原慎太郎、平沼赳夫、渡部昇一、西部邁、西尾幹二といった「老極右」の巨頭連中に始まり、中西輝政、中山成彬、西村眞悟、三橋貴明、すぎやまこういち、アパグループ代表の元谷外志雄、大阪の百田尚樹、果てはデヴィ・スカルノ夫人に至るまで、まさしく「右翼オールスターズ」の豪華メンバーである。

しかし、それにもかかわらずマスコミの世論調査によると、田母神は舛添はおろか細川護煕にも宇都宮健児にも及ばない4位が予想されている。

ここで考えてみたいのは、現在総理大臣である安倍晋三に主義主張の上でもっとも近い候補者は誰かということである。いうまでもなく田母神俊雄である。しかし、その田母神は都知事選で数パーセントの支持しか受けない「泡沫候補」も同然である。つまり、安倍晋三は日本の有権者の平均的な考え方とは相当かけ離れた思想信条の持ち主であるとはっきり言える。

その安倍晋三が、国内外での暴走をさらに強めている。

安倍晋三は先日のダボス会議で「現在の日中関係は第1次世界大戦前のイギリスとドイツの関係に似ている」と発言し、世界各国の代表を呆然とさせた。今年は第1次大戦の開戦100年にあたるが、安倍晋三が日本を当時のイギリスに、中国を当時のドイツになぞらえていることは明らかだ。第1次大戦でイギリスは戦勝国、ドイツは敗戦国だったが、日本は途中でドイツに宣戦布告し、「戦捷」の戦果に至っている。この安倍晋三の妄言に対して中国が怒ったことは当然だが、第1次大戦でドイツに勝ったイギリスからも、安倍晋三に対する痛烈な批判が飛び出した。フィナンシャル・タイムズなどが安倍晋三を批判したのである。

単純に考えても、100年前のヨーロッパにおけるドイツと現在のアジアにおける中国では重みが違う。第1次大戦から第2次大戦の間の期間において、中国と戦争を起こすかたわらで、日本に沸き上がってきたのは「日米開戦論」だった。当時の日本において、「日米もし戦わば」という議論が盛んになされていたが、それは、現在夕刊紙や週刊誌などが特集を組んで多くの読者を得ているらしい「日中もし戦わば」と通底する。その頃も日本とアメリカとの経済的な結びつきは決して希薄ではなかったが、1924年に「排日移民法」が制定されたことに対して日本のアメリカに対する反発が高まり、1931年以降の日本と中国との戦争においてアメリカが中国寄りの姿勢をとったことによって日本人の反米感情は強まっていった。

「現在の日中関係と似ている」というなら、1920年代から1941年の太平洋戦争開戦に至る日米関係こそ、まず第一に挙げられるべきであろう。第1次大戦前のイギリスとドイツとの関係などよりもずっと似ている。それに何よりも、第三者が言うのではなく、世界から緊張関係を指摘されているその当事者、しかも昨年末に靖国神社を参拝してその緊張をさらに強めた張本人である安倍晋三が、あたかも他人事のように日中関係を100年前の英独関係にたとえたのである。「安倍晋三は何を馬鹿なことを言っているのか」と世界中から呆れられたのも当然だ。

しかし、そんな「日本の常識は世界の非常識」を隠蔽し、このところ安倍政権に翼賛する放送ばかりを行っているのがNHKである。その報道姿勢が北朝鮮にたとえられるのも当然であろう。

たとえば、NHK新会長の籾井勝人は、就任早々こんな暴言を吐いた。
http://mainichi.jp/select/news/20140126k0000m040043000c.html

NHK:籾井会長、従軍慰安婦「どこの国にもあった」

 NHK新会長の籾井勝人(もみい・かつと)氏(70)は25日の就任記者会見で、従軍慰安婦問題について「戦争地域にはどこの国にもあった。ドイツにもフランスにもヨーロッパはどこでもあった」と述べた。過去にも経営委員長が国際放送の編集方針について「国益を主張すべきだ」と発言して問題になった。政治的中立を疑われかねない不用意な発言を繰り返し、トップとしての資質も問われそうだ。

 さらに個人的意見として「今のモラルでは悪い」としつつも「韓国が『日本だけが強制連行した』と言っているからややこしい。補償問題は全部解決した。なぜ蒸し返すのか、おかしい」と韓国の姿勢を批判した。特定秘密保護法の報道が少なく、姿勢が政府寄りとの指摘があることについて、「(法案は国会で)通ったこと。あまりカッカする必要はない」と、問題点の追及に消極的な姿勢を示した。

 また、籾井氏は3年間の任期中に取り組む最重要課題の一つに国際放送の充実を挙げ、領土問題について「尖閣諸島(沖縄県)や竹島(島根県)について日本(政府)の立場を主張するのは当然」として早急に強化する姿勢を示した。「政治との距離」については「(政府と)相談しながら放送していく必要はないが、民主主義に対するわれわれのイメージで放送していけば、全く逆になることはない」との認識を示した。【土屋渓、有田浩子】

毎日新聞 2014年01月25日 21時26分(最終更新 01月26日 00時59分)


安倍晋三は、7年前の2007年に総理大臣の職を自ら投げ出した後も、自らの息のかかった人間をNHKに送り込むことに執念を燃やしていた。否、安倍晋三のNHKへの介入は、2001年の番組改変事件の頃には既に始まっていたのである。この不逞の極右政治家による公共放送私物化の野望は、残念ながらほぼ成就してしまった。

私は、一部の人間が言うように、今回の都知事選で舛添要一の当選を阻止できなければ安倍晋三が戦争へと突き進むのを阻止できないとは思わない。しかし、安倍晋三が現在行っているような妄動を止めなければ、日本が再び破滅的な戦争へと突き進んでしまうだろうとは確信している。安倍晋三は何が何でも止めなければならない。安倍を止めなければ、私たち日本に住む人間が破滅してしまう。ただ、安倍晋三は細川護煕を都知事選に当選させたくらいで止められるものではないし、仮に舛添要一を当選させてしまったからといって止められないわけでもないと思うだけである。細川だの舛添だのは所詮同類であって、どっちが勝とうが大勢に影響ない。急所はそこにはない、そう直感する。頭の中で想念がもやもやしていてうまく文章で表現できないが、何かもっと根源的な変革を引き起こさなければならないと思う。

何より、安倍晋三の思想上の「同志」である田母神俊雄の惨敗が確実であること、それにもかかわらず、少数の極右思想信奉者を代表しているに過ぎない安倍晋三がなぜ総理大臣の座に居座って、現在見られるような独裁政治を行うことが可能になっているのか。不条理もはなはだしいと私は思う。その権力構造のメカニズムを解明して安倍晋三を頂点とする敵の急所を突き、一日も早く安倍晋三を退陣に追い込む必要があるだろう。
昨日(19日)のニュースで特筆すべきは、やはり沖縄の名護市長選だろう。開票結果は下記の通り。

(当)稲嶺  進 無現 19,839票
   末松 文信 無新 15,684票


以下に毎日新聞の論評を紹介する(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/news/20140120k0000m010115000c.html

名護市長選:沖縄振興策より基地受け入れを拒否した市民

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設の是非を最大争点とした同県名護市長選が19日投開票され、日米両政府が進める名護市辺野古への移設に反対する現職の稲嶺進氏(68)が、移設推進を訴えた前自民党県議の末松文信氏(65)を破り再選を果たした。

 名護市民は、移設反対を訴える稲嶺氏に再び軍配を上げた。「アメとムチ」で民意を誘導しようとした手法が、沖縄では通用しなかったことを安倍晋三政権は自覚すべきだ。

 名護市の人口は約6万人。沖縄本島北部の拠点都市とはいえ、経済の衰退にあえぎ、抜本的な振興策を見いだせないでいる。多くの地方自治体が抱える悩みと同様だ。そんな窮状を狙うかのように、安倍首相は昨年末、仲井真弘多知事に膨大な予算を投じる沖縄振興策を約束。基地負担軽減も示した。

 今回の市長選で、政府の振興策に有権者が揺らいだのは確かだ。だが基地に経済を依存する本土の自治体がある中、沖縄戦の悲劇を経験し「銃剣とブルドーザー」で米軍に土地を奪われた沖縄では、カネと引き換えに軍事施設を受け入れることを特に嫌悪する。

 本土復帰から40年以上たった今も、県土面積が全国の0.6%の沖縄には、在日米軍専用施設の74%が集中している。事故の危険におびえ、騒音に苦しみ、米兵による犯罪も絶えない。負担は限界で、これ以上は受け入れられないという民意を示したといえる。

 一方、沖縄が強く発してきた普天間の「県外移設」を安倍政権は真剣に検討してきただろうか。代替施設が辺野古である理由も理解されていない。移設を拒否する名護に無理強いすれば溝は広がるばかりで、日米安保の土台もぐらつきかねない。「県外」が本当に無理なのか、一から議論すべき時に来ている。

 普天間の返還合意から18年、国策によって地域は分断され、苦しんできた。そもそも、普天間の危険性除去を大義名分に地域を壊すのは本末転倒だ。民意を「アメ」で誘導することで安全保障を構築しようとする政治手法に問題がある。国策優先のあまり、国民を軽視していないか。政権の姿勢が問われる。【井本義親】

毎日新聞 2014年01月19日 23時03分(最終更新 01月19日 23時23分)


この名護市長選は、もうずいぶん前から結果は見えていた。ただ、最終的には思ったほど差は開かなかった。それだけ自民党の陰湿な締め上げが強かったのだろうが、自民党も最後には勝負を諦めていたフシがあった。

それでも、この選挙結果は、安倍晋三が昨年後半に沖縄県知事の仲井真弘多に強い圧力をかけて承認させた辺野古埋め立てへの明確な拒絶の意思表示であって、安倍晋三にダメージを与えるものであることは確かだ。

それでは、昨年末の前東京都知事・猪瀬直樹の辞意表明を受けて実施が決まった東京都知事選の告示直前の状況をどう見るべきか。

まず自公が推す舛添要一だが、これは石破茂や石原伸晃らの意に沿った形の候補と言えるであろう。安倍晋三は昨年末に「若い女性が良い」などと発言して主導権を握ろうとして失敗した。ここで思うのだが、「若い女性」とは安倍晋三はいったい誰をイメージしていたのだろうか。私は(若いかどうかはわからないが)橋本聖子あたりだろうと思っていた。あるいは、丸川珠代だろうとか、いや滝川クリステルだろうという声があった。だが彼女らのいずれも出馬することはなく、安倍晋三に思想信条の近い人たちは、頭に来て玉砕覚悟で田母神俊雄を築いてきた。

しばしば言われる「ファシズム」とのからみでいえば、安倍晋三が(単なる思いつきの発言であったかどうかは別にして)本当に「若い女性」を担ぎ出していたなら、その時こそファシズムの危機だっただろう。先週の日曜日(12日)だったかと思うが、TBSの『サンデーモーニング』で、ハリス鈴木絵美という人だったか、「若い女性」に該当するといえるコメンテーターが、安倍晋三が「若い女性」発言をした時それに期待したが、蓋を開けてみればおじさまばっかりでがっかりしたと言っていた。このことから、安倍晋三が「若い女性」か、それに限らずソフトな雰囲気を持った掌中の人間を担ぎ出すことに成功していれば、その候補が圧勝する流れができていたに違いないと私は思うのだ。そしてその時こそ、日本がファシズムの未知を一直線に突き進む開始の合図になったといえるだろう。ファシズムとは、田母神俊雄のようなマッチョな人間が勇ましく叫ぶところから生まれるものではない。

幸運にも、と言って良いと思うが、安倍晋三の思惑通りにはならなかった。現在有力といわれている舛添要一と細川護煕は、ともに新自由主義系の候補だが、舛添は石破・石原(伸)、細川は既に政界を引退した小泉純一郎や中川秀直らをそれぞれ代弁する候補者であるといえ、どちらが勝っても似たり寄ったりであろうと私は考える。

いや、舛添が勝てば原発が再稼働され、推進されるが、細川ならそれに歯止めがかけられる、だから「よりまし」な細川に投票すべきだという人もいる。確かに原発政策に全くの影響はないとはいえないかもしれない。しかし、細川・小泉・中川(秀)らに対応する国政の勢力はどうなるだろうかと考えると、それは結いの党をブリッジとして民主党の多くと日本維新の会の橋下派を糾合して今秋にも発足が予定されているあの「新党」ではないかと私には思えるのである。橋下徹は現時点でこそ細川とは距離を置いているが、時が来れば「新党」の中心人物になるであろう。そんなろくでもない結果につながりかねない候補に投票するのが賢明であるとは、私にはどうしても思えない。

安倍晋三が戦争に突き進むのを止めるために細川護煕を支持するのだという人がいる。しかし私が思い出すのは、一昨年、橋下徹が人気絶頂だった頃、ある人と交わした会話である。彼は、「橋下が総理大臣になったら本気で中国と戦争を始めかねない」と言っていた。安倍晋三を止めたつもりが橋下徹というさらなるモンスターを呼び起こしてしまっては何にもならない。それどころか、安倍晋三と橋下徹のそれぞれの勢力が合体する可能性すらあると私は思っている。現に橋下徹は安倍晋三を担ごうとした過去を持っているのである。

近年の私の主義主張からいえば、本来私が投票すべきは宇都宮健児しかいない。しかし、昨年末からずっと書いている理由によって、今回は宇都宮氏には投票しない。昨年、前回都知事選における宇都宮選対のなした悪行が告発されるや、おそらくその旧宇都宮選対の中心となった人たちが既成事実を作って先手を打とうとした。それが宇都宮候補予定者が早々と出馬を表明した理由だと私は確信している。なお、旧宇都宮選対の中心にいた人たちは「非共産党系」の人たちだったことに注意が必要である。つまりこの問題を「共産党の体質」に求める一部の指摘は正しくなく、共産・非共産を問わない「リベラル・左派」全体の問題としてとらえられるべきである。これは、「同調圧力」や「全体主義」という言葉で論じられるべき問題であろう。

そのような体質を容認するのであれば、広く国民の支持を得られる勢力に拡大できる可能性は皆無であると信じる。これは何より、民主主義の価値観を重視すると自認する人自身が、昔からの「ムラ社会」の行動様式から全く脱却できていないことを示すものだ。そんなものを容認してはならない。私はそう考えるに至った。

これに対し、旧宇都宮選対を告発した人も元来同じ体質を持っていて、たまたま身内がその体質に巻き込まれたからそれを批判したものの、自らの過去のあり方には目をつぶっている。だからその人の言説には信を置くに値しないといって、私に宇都宮氏への投票を勧めた方もいた。しかし、仮にそうであってもその告発自体は正しく、むしろそうであればなおさらのこと、今回の出来事をきっかけに、そのような体質の一掃を図らない限り「リベラル・左派」の未来はないと私は考えるのである。

だから私は宇都宮健児氏には投票しない。もちろん細川護煕や舛添要一やましてや田母神俊雄にも投票しない。その他の候補者の中から選ぶか白票を投票するかのどちらかである。