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きまぐれな日々

前回の記事を公開したあと、東京都知事選に細川護煕が出馬するという話が持ち上がった。その噂は昨年末からあったのだが、私は真に受けていなかった。夕刊紙や週刊誌が書くことが現実になったためしがなかったからである。しかし、9日に朝日新聞が1面で報じて以来、一気に可能性が現実味を帯びてきた。なんでも、今日(14日)予定されている細川護煕と小泉純一郎の会談によって細川氏が決断をするらしい。

細川氏は政党からの推薦を受けず、無所属で出馬する意向とのことだが、民主、生活や維新の会の一部議員(旧日本新党など)が細川氏を応援するのではないかと言われる。実際、民主党主流派の松原仁、先頃まで民主党員資格停止処分を受けていた菅直人、民主党を離れて生活の党の代表を務める小沢一郎という、三つ巴の対立関係にある三者がいずれも細川氏支持を明言している。

もちろん細川護煕の最大の後ろ盾は小泉純一郎である。これだけ揃えばもう「お腹いっぱい」としか言いようがない。誰が何と言おうが、私は細川護煕には投票しないし、舛添要一にも投票しない。もちろん田母神俊雄なんかには間違っても投票しない。投票する可能性があるとすれば宇都宮健児であるが、昨年末先週の記事に書いた理由によって、積極的に宇都宮氏に投票したいという気持ちには全くなっていない。宇都宮氏に投票するか白票を投じるかはまだ決めていない。

皮肉だなと思うのは、細川氏を推す人たちから、宇都宮氏は出馬は辞退せよという声が上がっていることだ。そういうことを主張する人たちの論拠は「脱原発派は団結せねばならず、当選が全く期待できない宇都宮氏は辞退すべきだ」とか「宇都宮氏を推す共産党は自公の『補完勢力』だ」などと言うものである。むろん後者を公言しているのは「小沢信者」であり、一昨年の衆院選と昨年の参院選の結果は、「日本未来の党」やら「生活の党」やらこそ「自公の補完勢力」以外も何物でもないことを示していることを思えば噴飯ものである。

こうした意見は強力な「同調圧力」をかける「全体主義」的思想そのものであり、宇都宮氏を応援する人たちが反発するのは当然である。しかし、細川護煕応援団に反発する人たちが支持する宇都宮氏の前回都知事選における選対は、澤藤統一郎弁護士親子その他の人たちに対して、細川応援団が宇都宮陣営に対して現在行っているのと全く同質の「同調圧力」をかける「全体主義」的暴挙を行っていた。そのことが実に皮肉だと私は思うのである。

候補者との距離感の差異はあるとはいえ、今回の都知事選にどの候補者も応援しない私から見ると、一番当選に近いのは舛添要一、次いで細川護煕であり、宇都宮健児と田母神俊雄は舛添・細川両候補予定者から大きく水を開けられる結果になると思われる。既に前回宇都宮氏を応援していた人たちのうち、少なくない人たちが細川護煕に寝返っているので、宇都宮氏は前回都知事選と比べて大きく得票を減らすだろう。また、ネットでは最強の田母神俊雄は選挙では最弱と思われ、細川護煕に票を奪われる宇都宮健児との3位争いはどちらに分があるか、私には想像がつかない。

細川護煕が小泉純一郎の応援を得て都知事選に出馬したら、「脱原発」か「原発維持・推進」かが都知事選の大きな争点になり、それは都政とはなじまないのではないかという声もある。しかしその意見は間違いだ。東電原発事故は福島で起きたが、東電福島原発で起こされた電力をもっとも多く使用しているのは東京である。正力松太郎や中曽根康弘の時代に始められ、惰性で続いてきた原発推進は、東電原発事故があってもなお止まっていないが、その一方で、東電原発事故によって新たに「脱原発」の慣性力が生じた。現在はその両者がせめぎ合っている状態であり、「脱原発」か「原発維持・推進」かが都知事選の争点になるのは歴史的必然であると私は考える。ただ、原発に関していえば、細川護煕を応援すると言われている小泉純一郎は、今世紀初頭の日本のエネルギー政策を「原発偏重」へと大きく舵を切った人間である。そして小泉はその責任を取ろうともしていない。小沢一郎も民主党で同じような政策転換をやっているが、小泉は内閣総理大臣だったのであるから小沢とは比較にならないほど責任が重いのである。その小泉が推す候補に投票するつもりなど、私には全くない。

もちろん、原発問題だけが都知事選の争点ではない。その他の政策において、舛添要一は全く支持できないが、細川護煕にも期待できないし、もちろん田母神俊雄なんかは論外だ。この点でも宇都宮健児が一番マシだが、同氏の前回都知事選選対の非民主的性質はどうにも我慢ならないし、どうせ同じような人たちが今回も選挙を切り回すのだろうから、それには強い拒絶反応を持つ。

かくして、記事を書いている時点では気持ちは「白票」へと大きく傾いている。もっとも気持ちには波があり、数日前には宇都宮氏へとかなり傾いていた。だがまた気が変わり、氏の取り巻きの非民主性だけは許せないという気が改めて強まってきた今日この頃なのである。
元旦の挨拶を除けば今年最初の記事になるが、新春早々とげとげしい内容であることを最初にお断りしておく。

昨年最後の記事のあと、安倍晋三が靖国神社を参拝した。年末と年始の時事問題を扱うテレビ番組では、この件がもっぱらの話題になった。

かつての第1次安倍内閣時代における安倍晋三へのすり寄りが嘘のように安倍晋三に厳しい論評の言葉を発する毎日新聞元主筆・岸井成格は、昨日(5日)もTBSの番組(『サンデーモーニング』)で、総理大臣の靖国参拝は中国や韓国が怒るから問題なのではない、憲法違反なのだと正論を吐いていた。その通りであるが、国際関係もやはり気になるところだ。

中国や韓国はもちろん、アメリカが安倍晋三の靖国参拝を厳しく批判しているのが目立つ。EUやロシアも同様である。

面白いのは、安倍政権が特定秘密保護法を成立させたことを高く評価する池田信夫(ノビー)が安倍晋三の靖国参拝というか、靖国そのものに徹底的に批判的なことで、ノビーは昨年12月26日のブログ記事に

安倍首相が靖国神社を参拝したことで騒ぎが起きているが、これはもともと招魂社という天皇家の私的な神社であり、国家の戦死者をまつる神社ではなかった。国家神道という国定宗教をでっち上げ、靖国神社をその中心にしたのは明治政府である。

と書き、翌12月27日にはこんなことを書いている。

靖国神社は、このような西洋の政教分離の伝統とは無関係な、天皇制のイデオロギー装置である。それが戦争に大きな役割を果たしたのは、もともと政治の一部だったのだから当たり前だ。したがって靖国に政教分離なんてありえない。そこには「政」と分離して存在する「教」がないからだ。

「どこの国でも戦争のために命を落とした英霊を慰霊するのは当然だ」という話もよくあるが、ちっとも当然ではない。戦争では非戦闘員も大量に殺されるのに、なぜ兵士だけが慰霊施設にまつられ、遺族は年金をもらうのか。それは戦争という個人的には不合理な(しかし国家的には必要な)行動を奨励する装置なのだ。

靖国神社から「A級戦犯を分祀する」なんてナンセンスだ。それは国家神道の中で名簿を書き換えるだけで、靖国そのものが政治的装置なのだから意味がない。A級戦犯だけが戦争を起こしたわけではない。戦争をあおったマスコミも、それに熱狂して旗を振って兵士を戦場に送った国民も含めた無責任体制が、あの戦争の原因である。

その伝統は今も残っている。責任の所在を明確にしないで、みんなで相談して何となく「空気」で決める意思決定が、日本の政治や経済の行き詰まる原因だ。リーダーにはそれを突破する合理的な指導力が必要だが、安倍氏は支持層に忠誠を誓う非合理主義を世界に表明してしまった。これでいちばん喜ぶのは、外交的に行き詰まっていた中国や韓国だろう。

(池田信夫blog 2013年12月27日付記事「靖国神社に『政教分離』はありえない」より)


なぜ、新春早々、私の天敵ともいえるノビーの記事を延々と引用したかというと、何も「ノビーでさえ安倍晋三の靖国参拝を批判している」などという月並みなことが言いたいからではない。そんな論法でたとえば小林よしのりなどを肯定的に引用するのは有害である。

ただ、ナベツネ(渡邉恒雄)などと同様、若い頃マルキストだった池田信夫の指摘する日本的意思決定のプロセスに対する批判が、現在の「リベラル・左派」にも見事に当てはまっていると感じたから、酔狂にもノビーの文章を長々と引用したのである。

ノビーの言う「責任の所在を明確にしないで、みんなで相談して何となく『空気』で決める意思決定」の問題とは、「同調圧力」の問題でもあろう。それが端的に見られる例の一つが、東京都知事選への出馬を表明した宇都宮健児氏の、2012年の東京都知事選における選挙対策本部の問題だと思う。

昨年最後の記事のタイトルは、「東京都知事選、宇都宮健児氏は支持できない」である。その意見は今も変わらない。

昨年暮の記事にも書いたが、私がこの立場に立った最大の理由は、2012年の東京都知事選における宇都宮氏陣営の選対が澤藤統一郎氏父子に対して取ったとされる「排除」のやり方に、私自身がかつて「政権交代ブログ村」で経験したことと同じ匂いを感じたからである。その他に宇都宮氏が昨年「緑茶会」とやらの発起人に名を連ねた一件もあるが、そんなものは宇都宮氏選対の体質の問題と比較すれば、取るに足らない軽微な問題に過ぎない。

また、私が宇都宮健児氏を支持できないと思うのは、政治的な思想信条とも関係ない。澤藤弁護士は共産党支持だそうだが、共産党は既に宇都宮氏の推薦を決めたと報じられている。澤藤氏は19日、「活憲左派の共同行動をめざす会」の発足記念集会で「特別発言」を行うそうだが、この集会で「日本経済はどうなるか?」と題した記念講演を行うという伊藤誠氏を私は買わない。昨年、伊藤氏の著書『日本経済はなぜ衰退したのか 再生への道を探る』(平凡社新書, 2013年)を読んだが、正直言って感心しなかった。伊藤氏は宇野弘蔵系のマルクス経済学者だそうだが、小泉純一郎の「構造改革」を引っ提げて登場した時、少々小泉に期待した点もあったようだ。それに限らず、全般的に小泉構造改革への批判が弱く、全く食い足りなかった。

私は、上記のような思想信条にかかわる点とは関係なく、澤藤氏父子の告発を黙殺し続ける宇都宮氏選対の体質には強い不信感を持つものである。これは、何も私だけではないようだ。ネットを見渡してみると、旧社会党を支持していた方や、生活の党に近い人など、思想信条がさまざまな「リベラル・左派」の人たちが宇都宮氏選対の体質や宇都宮健児氏本人の資質を疑う声を上げている。それに対し、宇都宮氏陣営はただ沈黙を守り続けるだけだ。

一方で、「リベラル(・左派)は団結すべきだ」「割れてはならない」と主張する人たちも多い。だが、こうした意見ほど私を反発させるものはない。この手の意見は有害な「同調圧力」を助長するだけのものだと私は声を大にして主張する。私は何も「東京都知事選には勝てる候補を出せ」などとは言わない。たとえ誰が出たって、東京都民はろくな選択はしない。私はただ嫌なものは嫌なだけである。宇都宮氏が嫌なら代案を出せと言う人もいるが、宇都宮健児氏で負けるのも白票を投じて負けるのも同じである。私は、「同調圧力」を行使する人間にさんざん悪態をつきながらも、いざ投票日になったら宇都宮健児氏に投票するという行動を取る可能性もあるが、それでも百害あって一利なしと信じる「同調圧力」に対する全的な "NO" を、ここにはっきり表明しておく。

ところで、本エントリのテーマである「同調圧力」といえば、昨年12月25日付朝日新聞オピニオン面に掲載された作家・星野智幸氏の論考「『宗教国家』日本」が記憶に新しい。私は新聞紙面で読んだが、下記Togetterで全文が読める。
http://togetter.com/li/607261

一読して強い印象を受けたので、『kojitakenの日記』に要旨と感想を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131225/1387930380

上記記事中、2箇所で星野氏の論考を直接引用している。それを下記に再掲する。

 今や同調圧力は、職場や学校の小さな集団で「同じであれ」と要求するだけではなく、もっと巨大な単位で、「日本人であれ」と要求してくる。「愛国心」という名の同調圧力である。「日本人」を信仰するためには、個人であることを捨てなければならない。我を張って個人であることにこだわり続けた結果、はみ出し孤立し攻撃のターゲットになり自我を破壊されるぐらいなら、自分であることをやめて「日本人」に加わり、その中に溶け込んで安心を得た方が、どれほど楽なことか。
(朝日新聞 2013年12月25日付オピニオン面掲載「『宗教国家』日本」(星野智幸)より)


 「日本人」信仰は、そんな瀬戸際の人たちに、安らぎをもたらしてくれるのである。安倍政権を支えているのも、安定を切望するこのメンタリティーだろう。

 もちろん、このように有権者が自ら主体を放棄した社会では、民主主義を維持するのは難しい。民主主義は、自分のことは自分で決定するという権利と責任を、原則とした制度だから。だが、進んで「日本人」信仰を求め、緩やかに洗脳されているこの社会は、その権利と責任の孤独に耐えられなくなりつつある。自由を失うという代償を払ってでも、信仰と洗脳がもたらす安心に浸っていたいのだ。それがたんなる依存症の中毒状態であることは、言うまでもない。みんなでいっせいに依存状態に陥っているために、自覚できないだけである。

 この状態を変えようとするなら、強権的な政権を批判するだけでは不十分だ。それをどこかで求め受け入れてしまう、この社会一人ひとりのメンタリティーを転換する必要がある。難しくはない。まず、自分の中にある依存性を各々が見つめればよいだけだから。

(朝日新聞 2013年12月25日付オピニオン面掲載「『宗教国家』日本」(星野智幸)より)


引用文から明らかなように、「同調圧力」の問題とは「全体主義」の問題である。現在の日本においてもっとも広く蔓延している「同調圧力」は、星野智幸氏が書いた「『日本人』信仰」であり、安倍晋三政権を支えるものでもある。それに対抗する陣営が擁立する候補の選対が、同じような「全体主義」的体質を持っていてどうする。そう私は言いたいのである。澤藤統一郎氏父子の告発に沈黙を持って応じる。そんな体質だから、前回の都知事選で宇都宮健児氏は猪瀬直樹の4.48分の1しか得票できなかったのではないかと私は思うし、同様の意見を持つ人は少なくなかろう。

前回の宇都宮氏陣営は、その他にも選挙違反の疑いが澤藤弁護士に告発されているが、そうした具体的な疑惑以前に、宇都宮氏陣営のあり方自体が論外であると私は思う。そもそも民主的に運営されていないのである。それは「全体主義的」であるとさえいえるものだ。

宇都宮氏選対の体質に象徴される「個」なき群れたがりの度し難い集団が、安倍晋三や石原慎太郎ら国家主義者たちが立ててくる都知事候補に勝てるとは、私には全く思えない。現在いくら批判者の声を無視する全体主義的な態度を取ったところで、選挙にはあっけなく惨敗しておしまいになるだけである。

なお、2007年の都知事選における石原慎太郎圧勝のあと2か月間支持率が高止まりした安倍内閣が、その後支持率急落に見舞われて安倍の政権投げ出しに至った。都知事選に惨敗すれば安倍晋三は止められないという事態には必ずしもならない。それが唯一の救いだろうか。
今年最後の記事である。

1月1日付の新春のご挨拶を含めて今年44件目の記事。2006年のブログ開設以来最少の件数であり、年間アクセス数もその2006年に次ぐ少なさとなった。昨日(12月23日)、ユニークアクセス数の累計が700万件に達した『kojitakenの日記』は、3年連続150万アクセス、3年間累計で500万アクセスをいただいており、現在はもっぱらそちらへの投稿が多くなる一方、当ブログは年々さびれてきている。

しかし、『kojitakenの日記』は、あくまで思いついたことや新聞・テレビの報道の感想、それに読んだ本の感想文など、比較的気楽に記事を公開する場と位置づけている。こちらは、自分の文章を中心に組み立てた記事を公開する場のつもりなのだが、残念ながら年々パワーが落ちていることを認めざるを得ない。

今年最後の記事も、書く前から気勢の上がらないものになることは、題材の性質からも必然である。

今回は、来年1月告示、2月投開票が予想されている東京都知事選について書く。

さる19日の都知事・猪瀬直樹の辞意表明により、都知事選の実施が決定した。臨時都議会での申し出翌日から50日以内に知事選を行わなければならないとする規定及び都知事選が日曜日に行われてきた慣例から、都知事選の投開票日は遅くとも2月9日には行われる。1月26日や2月2日も候補に挙げられている。

現在、マスコミでは自公側の候補者が誰になるかでかまびすしいが、これに独自候補擁立を模索する党執行部と自公との相乗りをしたい右派が駆け引きをする民主党、自公の「補完勢力」ではないかと言われる日本維新の会、みんなの党、結いの党の保守系野党、それに昨年の都知事選で29年ぶりの「革新統一候補」宇都宮健児を擁立しながら猪瀬直樹の4.48分の1しか得票できなかった共産、社民両党、さらには泡沫政党である生活の党などの動向もからんで大いに注目されている。

しかし、正直言ってこれほど気勢の上がらない選挙はない。

東京と大阪の地方選は、それでなくても「リベラル・左派」にとっての「躓きの石」である。第1次安倍内閣時代の2007年、東京都知事選を前にして都知事の石原慎太郎に対する批判が強まっていた。『週刊ポスト』、『週刊現代』、『サンデー毎日』などの週刊誌も一斉に石原慎太郎批判の大キャンペーンを張り、石原の苦戦も予想されたが、蓋を開けてみれば石原の圧勝だった。東京の石原慎太郎は、大阪の橋下徹ともども、選挙には無類の強さを見せる。東京都民も、1975年の都知事選では石原を落として美濃部亮吉を当選させたこともあるが、当時と今では都民のものの考え方が全く変わってしまったのだろう。東京と同じく1979年まで黒田了一の革新府政を選んできた大阪府民も、東京都民以上に激しく右傾化しているようであるが。

ところで前回(2012年)の都知事選で、私は宇都宮健児氏を支持すると表明し、宇都宮氏を応援する記事を書いていたが、今回は全く気乗りがしない。それは、昨年宇都宮氏が上原公子氏らとともに「緑茶会」を立ち上げたことに端を発する。

アメリカの「ティーパーティー」をもじったかのようなネーミングの「緑茶会」は、「脱原発を求める市民グループ」なのだそうだが、なぜアメリカの過激な経済右派である「ティーパーティー(茶会)」をもじるという最悪のネーミングをしたのか、このことにまず不信感を持った。さらに、「緑茶会」の発起人の一人に、ユダヤ陰謀論者として悪名高い安部芳裕なる人間がいることも指摘されて知り、不信感を強めた。当時(昨年4月)に『kojitakenの日記』に書いた2件の記事を、下記にリンクしておく。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130425/1366900958
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130426/1366908087

一昨年の都知事選で宇都宮氏を支持した弁護士の澤藤統一郎氏が、選挙後の総括として書いた文章が宇都宮氏陣営の不興を買ったらしく、宇都宮氏陣営から締め出しを食うという事件が起きていた。その澤藤氏が「宇都宮健児君、立候補をお辞めなさい」と題したブログ記事を書いている。下記にURLを示すが、リンクした記事のあとにも続編が書かれている。
http://article9.jp/wordpress/?p=1742

私はこれを読んで、来年の都知事選で宇都宮健児氏を支持する気を完全に失った。

もめごとの詳細は澤藤氏のブログをご参照いただきたいが、何よりも私がうんざりしたのは、宇都宮陣営の「村八分」式のやり方だった。澤藤氏は

さすがに、「お・も・て・な・し」を期待はしていませんでしたが、まさか「だ・ま・し・う・ち」に遭うとは思ってもいませんでした。

と書いているが、このことから私自身に関するある出来事を思い出したのである。

それは、2009年における「政権交代ブログ村」での出来事であり、私は当時民主党を中心とした連立政権による「政権交代」を待望する論調に立つ「村民」だったのだが、平沼赳夫や城内実といった無所属の極右政治家を支持するかどうかをめぐって、他の「村民」との間で論争をやっていた。

そんなある日、「村内政治」を得意とする、さる熱烈な城内実支持者の差し金がついに功を奏した。私は、彼らのリーダーの1人から、「もう『トラックバック・ピープル "自民党"』にTBしないでもらえないか」と言われたのである。いつかはそんな日がくるだろうと予期していた私は、渡りに舟とばかりにこちらから絶縁状を叩きつけて「村」を出た。2009年6月のことである。彼らは村内政治戦には勝ったが、彼らの平沼赳夫や城内実への支持が誤りであったことは、特定秘密保護法をめぐる平沼や城内の行いから明らかであろう。かつてあれほど熱心に城内実を応援したあの男も、ついに城内実を「亡国奴」呼ばわりせざるを得なくなった。ざまあみろ。

私自身にとっては、7年間のブログ生活で何が良かったかと言って、あの「政権交代ブログ村」から出て行ったことほど良かったことはない。自由に書きたいことが書けるようになったからである。「ブログ村」にいた頃には、「同調圧力」に屈した恥ずかしい記事をしばしば書いたものだ。一例を挙げると、さる「元痴漢」に謝罪したことがあった。当該記事は削除せず残してある。確か2008年のことだった。

バーチャルとリアルを一緒にするなと言われるかもしれないが、そんな個人的な出来事を思い出さされたこともあって、宇都宮健児氏に期待する気持ちなどこれっぽっちも残らず失ってしまった次第である。

それに、人脈的に見ても、宇都宮氏はむしろ絶滅危惧種となっている民主党左派や同じく絶滅危惧種の生活の党から支援されるならまだわかるとして(それさえも党内中道や右派が主導権を握る民主党は支援しそうにないが)、昔で言う「革新統一候補」にふさわしい人物かどうか非常に疑問である。あるいは「反自公」「反秘密保護法」の幅広い民意を結集する「リベラル・左派プラス中道右派」の候補としても適任であるとはおよそ思えない。昨年の都知事選で猪瀬直樹の4.48分の1しか得票できなかったという結果からも明らかである。もちろん、孫崎享など「小沢信者」が擁立を待望しているらしい、極右へのすり寄りを十八番にしている田中康夫などは論外であるが。

それなら対案を示せ、と言われそうだが、対案は持っていない。「対案主義」を強要するのは小泉純一郎ら新自由主義のドグマでしかない。

「良いお年を」とも「メリークリスマス」とも言い難い結びになったが、今年の記事はこれで締めくくる。
都議選だが、1989年以降前回まではずっと他人事(非有権者)だったので関心は高くなかった。今回は28年ぶりに有権者になったこともあって、事前に1965年以降の各党の投票率と議席数のデータを分析するなどした。

近年の都議選との対比で私が注目したのは1997年の都議選だった。その4年前、1993年の都議選は7党連立の細川護煕政権が成立する前の選挙で、都議選初挑戦の日本新党が20議席を獲得し、政権交代につなげた。投票率は当時としては史上最低の51.43%であり、マスメディアが煽りに煽った「政治改革」が有権者の支持を必ずしも得られていないことを物語っていたが、それでもその後の都議選の投票率と比較すれば高い部類だった。

その7党連立政権が翌年瓦解したのち、二大政党制による政権交代を目指した小沢一郎の新進党が衆院選で敗れて自民党単独政権が復活したのが1996年だった。翌1997年に行われた都議選の投票率は、40.80%という空前の低さになったが、この選挙で伸びたのが共産党だった。共産党は1993年都議選の13議席から26議席へと議席を倍増させ、同党史上都議会での最多の議席数を記録したのである。

共産党躍進の最大の要因は、与党入りした社会党が支持者を裏切り、それまで社会党に投票していた票の多くが共産党に流れたためだった。投票率は10ポイント以上も下がったのに、共産党の絶対得票率は1.8ポイントも増えた。

その後民主党が発足し、反自民の票の最大の受け皿になり、2009年には政権交代も果たしたが、民主党はその直前の都議選でも議席を大きく増やした。しかし、鳩山、菅、野田と続いた民主党政権が有権者の期待を裏切ると、昨年の総選挙で民主党は惨敗。自民党が政権を奪回するとともに、日本維新の会が躍進した。

しかし、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった維新の会も、自民党にすり寄って「自民党の補完勢力」である正体をあらわにして支持率を落とした。4月の兵庫県宝塚、伊丹両市長選での惨敗が維新の党勢の凋落を象徴していた。焦った橋下徹は、右翼的な有権者に媚びようとしたのか、従軍慰安婦に関する妄言を連発し、それが中韓のみならず欧米からの批判も招いた。橋下があてにした極右票も安倍晋三へとなびき、維新の会の党勢はさらに下落した。

政界の現状は1997年と似ている。となると、都議選の投票率は大きく下がるに違いない。私はそう予想した。そして、政権交代に裏切られた有権者の票の一部が共産党に流れることもある程度は予想した。

大きく分けて、前回の都議選で民主党が得た票から流出する分は、自民、共産、みんな、維新、棄権などに回り、そのうち少し前なら維新に流れるはずだった票を維新が取りこぼすだろうと予想したのである。

だから、今回の選挙結果(自民59、公明23、共産17、民主15、みんな7、生活者ネット3、維新2、社民・みどりの風・生活各0、無所属1)には大きな驚きはなかった。ただ共産が民主を上回ろうとまでは予想しなかったけれども。

共産の伸長は予想を超えていたが、民主の壊滅は想定内だった。民主は共産に負けて第4党になったが、昨年の衆院選で民主は比例区で維新に負けて第3党になっている。それくらい有権者の民主への絶望は深い。

これに関して、昨年までの民主の主流・反主流のどちらにも大きな責任がある。ネットでは今でもいわゆる「小沢信者」が民主党憎しの叫びを上げ続けているが、有権者の大半にとってみれば、小沢も反小沢も同じ「民主党」の括りで切り捨てられる存在に過ぎない。自公に大きくすり寄った菅直人や野田佳彦もひどかったが、東日本大震災・東電原発事故の直後に小沢一郎と鳩山由紀夫が菅直人に対して繰り広げた権力抗争も醜かった。

今回の都議選では、生活の党はわずか3選挙区で候補者を立てるにとどまった。いわば「アリバイ作り」のために候補者を立てただけであって、候補者を当選させようなどという戦意は最初から皆無だった。生活の党は、もはや政党の体をなしていないと言っても過言ではない。もちろん、それぞれ1選挙区で1人の候補を立てるにとどまった社民党及びみどりの風も、生活の党と同じく政党の体をなしていない。

だが、それでも東京都議選は多くの選挙区が中選挙区だからまだ救いがあった。民主にも維新にも入れたくなくても共産党に入れれば、定数4の選挙区の4番目の得票であっても当選できるから、東京都議選はかなりの程度民意を反映した議席配分になるのである。共倒れの多かった民主党が得票率では2番目でも獲得議席数では第4党になるといったこともあるが、それは第1党から転落する政党の宿命であって、次回の都議選では自民党が同じリスクを抱えることになる。

しかし、小選挙区制ではそうはいかない。第一党に対する批判的な意見がある程度存在しても、小選挙区における議席にはつながらないからである。「自民党から政権を奪う」ためだけに野合していた「二大政党」の一方である民主党が小選挙区制主体の衆院選で惨敗すると、現在のような「政権批判の言論が力を失い、実質的に政権に対するチェック機能が失われる」状態になってしまう。

この惨状を招いた1990年代の「政治改革」の罪はあまりにも重い。小沢一郎や鳩山由紀夫は(おそらくは菅直人も)未だに小選挙区制のドグマに固執しているようだが、今回の都議選についていろいろ考えをめぐらせるにつけ、「政治改革」は本当は小選挙区制ではなく、比例代表制を中心とした選挙制度を目指すべきだったと改めて思う。

8年前に小選挙区制の泣き所を突いたのが小泉純一郎だった。その「B層にフォーカスした徹底的なラーニングプロモーション」はあまりにも悪名高いが、2005年に小泉自民党に投票した「B層」は、2009年には鳩山民主党に投票し、2012年には日本維新の会に投票したが、今回の都議選では行き場を失って寝てしまった。今回の都議選はそんな選挙でもあった。

だが、「B層」が寝てしまった一方、今や極右政党と化してしまった自民党に毎回毎回変わらずに投票する人たちが根強くいることを改めて痛感させた今回の都議選の結果を見ると、自称「哲学者」のトンデモ極右・適菜収に罵られている「B層」たちと、自民党の内実の劇的な変化に全く無頓着で、惰性で自民党に投票し続ける人たちのどちらがより強く責められるべきなのだろうかと思ってしまう。適菜収が後者を批判することは決してないが、後者は前者に負けず劣らずたちが悪いと私は思う。

それでも、維新の会の惨敗は大いに歓迎できる結果だった。維新の会の候補には、たとえばもともと小沢一派の自由党代議士(当時)の秘書からスタートして、民由合併に伴って民主党に所属したものの、消費税増税に反対して離党しながら、民主党よりも税率の上げ幅の大きい消費税増税を主張する維新の会に移ったなどという呆れた経歴の人間がいた。つまりその時その時でもっとも勢いのありそうな政党を渡り歩こうという魂胆の人間である。

そんな奴らは、今回片っ端から落選した。前記の候補者ももちろん落選したし、昨年の衆院選前に同様のパターンで民主から維新に移籍して当選した小沢鋭仁のドラ息子も維新の会から都議選に挑んで落選した。「泥舟から乗り移った先もまた泥舟だった」わけである。

今回の選挙では、上記のようなあさましい輩を寄せ集めた日本維新の会が惨敗した。小泉純一郎と小沢一郎と橋下徹に三たび騙された人たちも、彼らのエピゴーネンたちには騙されなかった。

政権批判票の一部は共産党に流れて同党が勢力を伸長させたものの、それでも1997年都議選の26議席には及ばない17議席だった。国政選挙では小選挙区制ないし参院選の一人区に阻まれて、共産党は比例区の票が頼りということになるだろうから、都議選のような大幅な議席増は望み薄だ。参院選の東京選挙区に関していえば、「脱原発」の無党派票をかっさらおうとする山本太郎のごとき輩が出馬を決めている。この山本の出馬を「実質的な脱原発候補つぶし」として論難する声があるけれども、その通りだと思う。そして、無所属で出馬する山本太郎を、もはや政党の体をなしていない生活の党が支援する。開いた口がふさがらない。

その生活の党の党首・小沢一郎が旗を振って進めた「政治改革」のなれの果てが現状である。この記事の最初の方で、1993〜94年の「政治改革」が有権者に必ずしも支持されず、都議選の投票率を大きく下げたと書いた。しかし、このように最初から問題含みだった「政治改革」を剛腕氏はどんどん推進し、最初は半信半疑だった有権者も、4年前にはそれを信じてみようかという気になった。そして期待は裏切られ、民主党のバブルは崩壊した。

あげくの果てに安倍晋三が政権をトリモロしたが、国民が安倍晋三(自民党)から政治を取り戻すのは並大抵のことではない。
東日本大震災で深刻な被害を受けた宮城、岩手、福島の三県では、統一地方選として予定されていた首長選や議会議員選の延期が決まったが、東京都知事選など他の地方の選挙は予定通り行われることになった。

私は、全国すべてで統一地方選を繰り延べにすべきだと考えていたが、そうはならなかった。みんなの党、共産党、国民新党、たちあがれ日本などが全国的延期を求めたが、民主、自民、公明、社民の各党は被災自治体のみの延期として、統一地方選の予定期日での実施を強行した。自公には民主党政権が批判を浴びている今のうちに地方選を強行したいという党利党略があったと見られるが、民主党や社民党は何を考えているのかさっぱりわからない。

これに伴い、東京都知事選も予定通り行われることになった。告示日はもう明後日の24日(木)であって、看板も既に立てられている。

東日本大震災の影響で東京都知事選はさっぱり話題にならなくなったが、震災の日の朝に公開した11日付エントリ「どこまでも卑劣な石原慎太郎がまたも『後出しじゃんけん』」で、東国原英夫と松沢成文は都知事選への立候補を取りやめるだろうと予想した。その後松沢は立候補取りやめを発表したが、出馬を取りやめると見られていた東国原は、昨日(21日)になって出馬の意向を表明した。石原以上の「後出しじゃんけん」には呆れるばかりだが、東国原は石原に歯が立つまい。

都知事選には、石原と東国原のほか、渡辺美樹と小池晃が立候補する見込みだ。このうち、「都政を経営する」という渡辺美樹がいまさら有権者の心をつかむ可能性は全くない。一方、小池晃については、いやでも今回の都知事選の争点になる「防災」を争点して徹底的に石原を叩けば、大逆転の可能性があるのではないかと私は希望を託している。

共産党の元参議院議員である小池晃は、今回無所属で立候補するが、共産党が以前から福島第一原発の危険性を訴え続けてきたことはよく知られている。同党には、京大工学部原子核工学科卒の吉井英勝衆院議員がいて、小泉政権から安倍政権の時代にかけて、国会で政府を厳しく追及した。ブログ「天漢日乗」に掲載されている下記エントリをご参照いただきたい。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2011/03/2005-073-4f4d.html

15日付記事でも少し触れたように、共産党(吉井議員)がもっとも強く警告していたのは、地震の際の津波の引き波によって海水の取水ができなくなるケースであり、今回、津波の侵入によって制御不能になった場合とは少し異なる。このため、病的な反共主義者の中には、「共産党は福島原発事故を予見していたとは言えない」など強弁する者もいるが、吉井議員は国会の質問で次のようにも言っている(上記リンク先の「天漢日乗」より引用)。

あわせて、大規模地震が起こった直後の話ですと、大規模地震によってバックアップ電源の送電系統が破壊されるということがありますから、今おっしゃっておられる、循環させるポンプ機能そのものが失われるということも考えなきゃいけない。その場合には、炉心溶融という心配も出てくるということをきちんと頭に置いた対策をどう組み立てるのかということを考えなきゃいけない


原発がとまっても機器冷却系が働かなきゃいけませんが、外部電源からとれればそれからも行けるんですが、それも大規模地震のときはとれない


外部電源が得られない中で内部電源も、海外で見られるように、事故に遭遇した場合、ディーゼル発電機もバッテリーも働かなくなったときに機器冷却系などが働かなくなるという問題が出てきます


これらはまさしく今回起きたことである。つまり、東京電力が言う「想定外」などとんでもない。吉井議員が国会で質問しているということは、これらの想定が公知だったことを意味する。つまり、東京電力は当然想定しなければならない事態を想定してこなかったということだ。私は、東電がコスト等を考慮して意図的に想定しなかったものと断定している。

東京都知事選に話を戻すと、今回、小池晃氏は無所属で出馬予定とはいえ、「共産党の小池議員」として認知されている人である。だから、かつて共産党が国会で福島原発の危険性を訴えてきたことは、選挙戦で大々的に前面に打ち出すべきだろう。

同時に何より必要なのは、巨大な敵である石原慎太郎に対するネガティブキャンペーンである。ネガキャンというと、日本ではアンフェアというイメージを持たれることが多いが、アメリカなど海外では遠慮なくネガキャンをやっている。石原に対するネガキャンなど、何ら躊躇することはない。情け容赦なく石原陣営に向かってネガキャンの雨あられを降らせるべきだ。

下記リンク先のTwitterをご覧いただきたい。
http://twitter.com/ishihara_said/status/49072075826143232

「東京湾に造ったっていいくらい日本の原発は安全だ」 2001年5月28日、プルサーマル計画反対が過半数の住民投票の結果を受け→「故障と事故は違う」2011年3月14日福島原発事故のあと会見で


上記はいずれも石原の発言だが、これらに加えて、石原が今回の震災を「天罰」と言った、きわめつきの失言もある。3月14日付の朝日新聞記事から引用する。

「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事

 石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて答えた。

 発言の中で石原知事は「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。

 石原知事は最近、日本人の「我欲」が横行しているとの批判を繰り返している。

(asahi.com 2011年3月14日19時34分)


小池晃陣営は、これらの石原発言を積極的に広め、都民の間に反石原の気運を高めるべきだ。他にもいろいろ石原都政には問題点があるが、今回は防災と原発の問題に集中して石原を叩くしかない。

というのは、もう時間がないのである。4年前の都知事選の時には、浅野史郎、吉田万三、黒川紀章各氏と石原によるテレビ討論が何度も何度も行われたが、今回はそんな機会は全然期待できない。人々が選挙に関する報道にろくに接する機会がないうちに選挙戦に突入する。何もしなければ、石原の圧勝は避けられない。だから、小池晃陣営としては石原を倒すために手段を選ぶ余裕などないはずだ。何が何でも、どんな手段をとっても石原を倒しにかからなければならない。

なお、今回のエントリは、当ブログにgreenstoneさんからいただいたコメントに触発されて書いた。greenstoneさんのコメントを最後に紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1166.html#comment11736

吉井議員は福島原発の津波による冷却装置損傷のリスクまで警告していたそうですね。
今度の都知事選は、間違いなく防災が最大の争点になると思う。
共産党は、吉井質問を最大限利用して、たまには下品な選挙戦をやって欲しい。
選挙は勝つことも大事なのだから。
そして石原を退治してくれ!

2011.03.20 11:37 greenstone


「共産党は、たまには下品な選挙戦をやって欲しい」。これは、都知事選を前にして私も思っていたことであり、greenstoneさんのコメントに強く共感した。

保守分裂も、当選の見込みからはほど遠い渡辺美樹と石原以上の「後出しじゃんけん」の東国原だけになりそうな現状は、ふだんだったらどうあがいても石原には歯が立たない。しかし現在なら、ありとあらゆる手を尽くして、原発の危険性を訴えてきた共産党及び小池晃氏と、無責任な「原発安全神話」を撒き散らしてきた上に「震災は天罰」とまで放言した石原との対比を有権者に訴えていけば、都知事選での勝機が生じるのではないか。

重ねて書くが、小池晃陣営は死にものぐるいで都知事選に勝ちに行くべきだ。石原を倒すことは、決して不可能ではない。
2011.03.22 06:30 | 東京都知事選 | トラックバック(-) | コメント(23) | このエントリーを含むはてなブックマーク
沖縄県知事選は、4年前に続いて大接戦となったが、結局現職の仲井真弘多氏が前宜野湾市長の伊波洋一氏を破って再選された。菅政権はもちろん、船橋洋一もナベツネも岸井成格も佐藤優も皆胸をなで下ろしていることだろう。もちろん小沢・反小沢とは何の関係もなく、それは今年1月の名護市長選で稲嶺進氏が当選したあと、鳩山内閣の官房長官を務めていた無能な平野博文が何を言ったかを思い出せば明らかだ。

朝日新聞は、投票日前日の夕刊に「基地問題に焦点が当てられがちだが、完全失業率が高い沖縄県にとって、雇用対策は大きな焦点だ」と書いた。別に仲井真弘多を応援するとは書いていなかったが、その方向の印象操作をしていた。だが、基地とひきかえに沖縄が受け取る補助金が、再分配のために正しく使われているかといえばそうではない。仲井真弘多は、普天間飛行場の県内移設容認から「県外移設」へと看板を掛け替えて再選を果たしたが、「国外移設」までは唱えていない。朝日新聞の後藤啓文那覇総局長にしても、「県内移設の道は残っていない」とはするものの、「日米安保の維持という原点に立ち返るのであれば、仲井真氏が掲げた本土移設に真剣に取り組むべき時だ」と主張するにとどまる。

選挙の開票速報は、NHKなどの速報と並行して、仲井真応援者が圧倒的に多い2ちゃんねるの速報板を見ていた。当初競り合っていたが、那覇市の票が開くとみるみる差が広がり、10時台にNHKが仲井真氏の当確を打った時点で、2ちゃんねるを見るのは止めた。那覇市で仲井真弘多が圧勝したところに、伊波洋一の敗因の一端がうかがわれる。那覇では、旧同盟(鳩山由紀夫との結びつきが強い旧民社の系列)が仲井真氏を、旧総評(旧社会党の系列)が伊波氏をそれぞれ推したのではないかと思うが、それに加えて、無党派層にも「経済なら仲井真」という幻想が浸透していて、それが仲井真票を押し上げたのではないか。伊波氏の主張は基地問題のほぼ一点張りだったというが、基地問題と再分配の問題をリンクさせて訴えていかなければ、今後の選挙でも、いわゆる「革新陣営」が失地を回復するのは難しいと思う。

もっとも、再分配の主張自体、なかなか浸透しづらいもので、それよりも一見わかりやすい「減税」の方が大衆の心をとらえる。それを十二分に利用しているのが、名古屋市長の河村たかしである。

先週の週末は、河村が名古屋市長を辞職して、来年2月の愛知県知事選とのダブル選挙にする狙いをむき出しにした。要するに、自民党を離党して愛知県知事選に立候補を予定している大村秀章への援護射撃をしようというわけだ。

その直前に、名古屋市選挙管理委員会が、河村が主導する名古屋市議会の解散請求署名の有効署名数が、必要な数に達していないとの判断を示した時には、選管を批判する声を多く取り上げたマスコミも、中日新聞が「辞任に大義なし」、毎日新聞が「愛知県知事選への援護射撃であることは明白」とするなど、辞任表明に関しては河村を厳しく批判し、河村は、記者会見で辞任の理由について問い詰められてしどろもどろになるという醜態を晒した。

しかし、それでもなおかつ名古屋市民の間では、河村の辞任を支持する意見が、不支持とする意見をわずかに上回っている。昨今の日本の政治におけるポピュリズムの蔓延を考える時、愛知県知事選では大村が勝ち、名古屋市長選では河村が圧勝することはほぼ間違いないのではないか。

それに目をつけて、河村や大阪の橋下徹に秋波を送るのが、小沢信者さんたちが大好きな原口一博である。以下、朝日新聞記事(下記URL)から引用する。
http://www.asahi.com/politics/update/1128/TKY201011280172.html

原口氏、連立組み替えの必要性語る 地域政党連携も視野

 民主党の原口一博前総務相は28日、菅内閣の支持率が急落していることについて「支持のない(連立の)枠組みは国民や国益にプラスにならない」と述べた。国民新党との連立の枠組みを見直し、自民党や公明党を視野に入れた連立組み替えが必要との考えを示したものだ。東京都内で記者団に語った。

 また、原口氏は「大阪府の橋下(徹知事)さんやいろいろな首長さんが地域政党を作っており、連携も視野に入れたい」とも語り、橋下知事が代表の地域政党「大阪維新の会」や、河村たかし名古屋市長の「減税日本」との連携にも意欲を示した。

(asahi.com 2010年11月28日19時14分)


原口のポピュリズム全開ぶりには、唖然とするばかりである。国民新党を切って、自民党や公明党と連立を組む、それどころか橋下や河村とも連携しようというのだ。テレビで名を売ったため、何を勘違いしたか「次期総理大臣候補」だと思い込んでいるらしい原口だが、橋下や河村など、人気のある人間には見境なく飛びつく軽薄さが我慢ならない。だが、「敵味方思考」しかできない小沢信者の間では、原口の人気は異様に高い。

最近、小沢一郎は「ネット重視宣言」をしたそうだが、言い方を変えれば、これは小沢一郎の「ひきこもり宣言」である。そこで、原口は自ら頂点の座を目指そうと発信を始めたのかもしれないと思うが、まあなんというか、この程度で政治家が務まるのかと笑ってしまう。

そもそも、小沢一郎にも橋下徹にも河村たかしにも言えるのだが、支持者が「無血革命」や「庶民革命」などの言葉を無邪気に信じている時点でダメだと思う。それは、具合が悪くなると、水戸黄門よろしく権力者が現れて、下々のために仕事をしてくれるという都合の良い信仰でしかない。

経済も社会も縮んでいく時代においては、一人一人が立ち上がらなければ立ち行かない、今はそんな状況ではないかと思える。


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今回も尖閣ビデオ流出問題の件から始めるが、この件で勢いづいたのが国内の極右勢力である。政治家でも、石原慎太郎、安倍晋三、城内実ら、いつもの極右政治家たちが勇ましい言葉で大衆を扇動している。『kojitakenの日記』で、一昨日(13日)には安倍晋三と城内実、昨日(14日)には石原慎太郎をそれぞれぶっ叩いておいたので、興味のある方はご参照いただきたい。

今回の件は、最初に政府がビデオの存在を思わせぶりに口にして、一部の国会議員に映像の一部だけを見せるなどしておきながら、間抜けにもセキュリティ管理がずさんで、易々と海上保安官にビデオの流出を許したという拙劣さが最大の問題だ。政府は厳しく批判されて当然だろう。

だが、その批判が、ビデオを流出させた海保職員を英雄視するという、「右」からの偏狭なナショナリズムによるものが圧倒的に多いところに、事態の深刻さがある。

中には、「『知る権利』によくぞ応えてくれた」と、海保職員を絶賛する馬鹿者どもが少なからずいるが、私にとってこれほど腹立たしい意見はない。

これまでにも何度か書いたように、私が小学生だった頃の1972年に起きた「西山事件」は、私がジャーナリズムへの関心を持つきっかけになる事件だったが、当時家で購読していた毎日新聞は、連日「知る権利」を見出しに踊らせて大々的にキャンペーンを張っていた。毎日新聞の西山太吉記者(当時)が、1971年に沖縄返還をめぐる密約を暴いたが、ニュースソースを佐藤栄作内閣に突き止められて、翌1972年4月に、外務省女性事務官とともに、国家公務員法違反で逮捕されたためだ。

毎日新聞はこれにいきり立ち、連日政府批判の大キャンペーンを張ったが、のちに民主党議員になった東京地検特捜部所属の検察官・佐藤道夫(2009年に76歳で死去)の奸計によって、下半身の問題にすり替えられて、『週刊新潮』その他の大々的な攻撃を受けた毎日新聞は世論の支持が得られず、すごすごと引き下がった上に大幅な部数減を招いて経営破綻するに至ったのだった。

その事件と今回のどこが違うのか。いうまでもなく、西山元記者は在野のジャーナリストとして日米両政府間の密約に迫ったものであるのに対し、今回は政府の対応に不満を持つ海保職員が、政府がもったいぶって公開を渋っていた動画を公開したものであることが最大の違いだ。つまり、西山元記者の取材は権力と対峙していた人間がやったのに対し、今回の事件は権力側の人間がやったことなのである。つまり権力の内紛ないしは権力のタガのゆるみであって、真実に迫ったネットの勝利でも何でもない。

右翼や安倍晋三・城内実・石原慎太郎ら極右政治家が海保職員を英雄視するのは、彼らの利害からいって当然だろうけれど、それに呼応するかのように一部の小沢信者が海保職員を持ち上げているのには頭が痛い。ここらの心理機構を考えてみると、小沢信者というのは、小沢一郎という「剛腕」の持ち主による、「上からの革命」を期待している人たちだから、秘密にアプローチしたのが権力に対峙する側だろうが権力側だろうが、そんなことには何のこだわりもなく、無邪気にマンセーしてしまえるのかもしれない。

その西山元記者へのインタビューが12日付の朝日新聞に掲載された。ネットには流れなかったようなので、要旨を紹介する。以下の文章は、朝日新聞掲載の西山氏インタビューの自由な引用であり、記事の文章を大幅に省略している(特にインタビューの前半)ことをおことわりしておく。

 私(=西山太吉氏、引用者註)の事件で、最高裁は国家公務員の守秘義務の対象となる秘密について「一般に知られていない(非公知)」「保護に値する」の2要件を見たす場合に限定されるという凡例を示した。違法な秘密は保護に値しないはずだが、政府側の偽証、でっちあげによって正当化されてしまった。

 今回の事件の映像について、政府が当初非公開としたことは否定しないが、その後の経緯から、これを「非公知」とはいえないと思う。海上保安官を罪に問えるだろうか(、疑問だ=引用者註)。

 今回の事件を受け、政府は機密保全に関する罰則強化に言及している。掲げてきた旗印を捨て去る兆しではないか。民主党政権は国家情報の公開こそが民主主義の要であるとして、沖縄返還密約も徹底調査したはずだ。情報公開を大前提とした枠組みの中で適切な情報管理がなされるよう、国民もメディアも監視を強める必要がある。

 一方、流出映像をもとに「弱腰外交だ」とあおり、対中強硬路線や日米同盟強化を声高に主張する勢力がいる。日中関係は日米関係に匹敵する外交の柱。中長期的視野に立ち、様々なトラブルを冷静に忍耐強く乗り越えて確立することは日本にとって死活問題だ。

 これまで日本の領海で海上保安庁の公務執行を妨害してきた中国船をはじめ外国船は数知れない。自民党政権から脈々と続く「見て見ぬふり」の累積の末、今回は逮捕の局面に至ったに過ぎない。

 自民党は、大臣の問責決議などで政府の責任を追及する構えだ。東京地検は今年4月、沖縄返還をめぐる密約の存在を認める判決を下したが、政権交代までの37年間、「密約はない」と国会で偽証してきたのは自民党政権だ。重大な外交交渉結果の密約を否定し、国民をだまし続けておきながら、情報をめぐる危機管理のあり方を糾弾する姿勢は矛盾もはなはだしい。

(朝日新聞 2010年11月12日付 西山太吉・元毎日新聞記者へのインタビューより)


これは、実にバランスのよくとれた主張であって、西山氏が現役時代に敏腕記者であったことをよくうかがわせるものだと思う。まず、今回の事件で保安官を犯罪に問うのは難しいのではないかとの見解を示し、次に、罰則強化などもってのほか、そんなことをやったら、民主党政権の公約違反だと、民主党政府に強く釘を刺し、さらに論点を「弱腰外交」との自民党など右側からの政府批判に移して、これに対する反論を行い、最後に沖縄密約について37年間嘘をつき通してきた自民党を厳しく批判するという、すっきりして論理的、かつ説得力のある主張である。

同じ紙面の、西山元記者のインタビューの下には、佐藤優のインタビューも出ている。小沢信者の多くは、この佐藤優を支持しているが、この佐藤は、何度も書くように、安倍晋三やイスラエルを支持する政治思想右翼である。しかし、左側に向けてもいい顔をして読者を騙すのが佐藤の得意技であり、朝日のインタビューでは新聞の読者層も考慮して、「左」にいい顔をする佐藤の面が出ている。バカバカしいから佐藤の主張はここでは紹介しない。

その代わり、11日に告示された沖縄県知事選の話をする。

mixiに開設した「鍋党」コミュニティに、東本高志さんが、沖縄県知事選を取り上げたご自身のブログ「『草の根通信』の志を継いで」のエントリ「佐藤優の論に異議あり ――本日の『写真で見る・知る沖縄』ブログ」を紹介されていた。

東本さんは、鍋党コミュにお寄せいただいたコメントで、沖縄の米軍基地問題について、「これも『本土』と沖縄に横たわる根底的な再分配の問題というべきではないでしょうか?」と書かれているが、その通りだと私も思う。その上で、東本さんは佐藤優を以下のように批判している。

佐藤優は上記の「評論」の中で次のように述べています。

11月28日の沖縄県知事選挙は、事実上、仲井真弘多氏と伊波洋一氏の一騎打ちとなる。いずれの候補が当選しても、外務官僚、防衛官僚が望む米海兵隊普天間飛行場の県内移設を認めることにはならない。(略)そのために、仲井真候補も伊波候補も、選挙で当然生じる感情的しこりが、官僚に付け込むすきを与えないように『戦後処理』を考えながら選挙戦を展開してほしい。


佐藤は仲井真氏と伊波氏を同列に並べて「いずれの候補が当選しても、県内移設を認めることにはならない」と述べていますが、この論じ方に私は彼の意図的なトリックを感じます。佐藤は「県外移設」という言葉こそ最近口にしだしたものの「県内移設反対」とは絶対に言わない仲井真氏を当選させたいと本音のところでは思っているのです。しかし、普天間基地の県外移設を強く求める沖縄県民の「民意」の前ではそのことをあからさまにすることはできない。そこで「いずれの候補が当選しても、県内移設を認めることにはならない」などと間接的に仲井真氏をバックアップする論陣を張ろうとしているのです。私たちはこの佐藤のトリックにだまされてはならないでしょう。

(「『草の根通信』の志を継いで」 2010年11月13日付エントリ「佐藤優の論に異議あり ――本日の『写真で見る・知る沖縄』ブログ」より)


上記引用文のあと、東本さんは、目取真俊氏のブログ「海鳴りの島から」を引用しながら、佐藤優に対する批判を続けているが、内容については、下記リンク先に飛んでご参照いただきたいと思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/9335200.html

この沖縄県知事選では、自公が現職の仲井真弘多を推しており、対立候補の伊波洋一を社民、共産、社大(沖縄社会大衆党)が推すほか、うさんくさい下地幹郎が幹事長を務める国民新党もなぜか伊波氏を推すという対立構造になっているが、民主党は自主投票を決め込んでいる。もちろん、菅執行部が本音では仲井真の当選を願っていることは想像に難くないが、民主党内反主流派の小沢派も、議員や信者たちが佐藤優なんかにかぶれているようでは、実質的に仲井真に味方しているようなものだろう。そうでなくとも、小沢信者の少なからぬ割合を占めると思われる元左翼までもが、佐藤優だの鈴木宗男だのに取り込まれているうちは、自民党の復調は着実に進んでいき、沖縄県知事選も4年前に続いて仲井真弘多の軍門に下ってしまうのではないかと恐れる今日この頃である。仲井真弘多のみならず、佐藤優にも「ノー」を突きつけない限り、「本土」と沖縄の再分配問題は前に進まない、と強く主張する次第である。


[PS] (2010.11.17)

当ブログも、東本高志さんに倣って、沖縄県知事選の期間中、デザインを変えて「イハカラー」の黄色にしてみました。


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当ブログのアクセス数は、同一IPからの重複アクセスをカウントする方法で、日に3千件(主に休日)から8千件(選挙の翌日や政局がらみのニュースがあった日)の間を数えるが、決して多くはないけれどブログとしては少なくもないらしく、いろいろなサイトからアクセスをいただくし、中には在京民放局のメールアドレスから熱狂的な民主党支持の立場で当ブログを批判するメールをいただいたりもする。それが、ネット右翼から「サヨク」呼ばわりされている放送局ではなく、どちらかというと与党びいきの局からきているから驚きだ。なんで放送局の職員が一介のブログ書き(「ブロガー」という言葉はあまり好きではない)に注文をつけるのかと訝るが、ひとくちに放送局の職員といっても時事関係の番組内容を左右できる人はごく一握りだろうから、おかしくもないかもしれない。

また、非公開コメントも頻繁にいただく。それらには有用なアドバイスも多いが、中には不愉快なクレームや、あつかましい注文もある。後者のうち一つを紹介したい。

小沢一郎は駄目、鳩山由紀夫は駄目、やっぱり小沢一郎とか言ってないで、具体的に最適な民主党代表候補を挙げてもらえませんか。


これは実にふざけたコメントだ。しかも、鍵コメ(非公開コメント)で注文をつけてきている。当ブログは、民主党の小沢一郎代表が辞意を表明し、代表選の実施が決まった翌日の5月12日付エントリ「小沢一郎代表辞任 ─ 今こそ世襲政治との訣別を」で、答えをはっきり書いている。以下再掲する。

結局、緊急避難的に菅直人を昇格させるか、さもなくば思い切って若手の長妻昭か馬淵澄夫を代表にするのが良いと思う。後者の二人については、その思想信条など必ずしも支持できない部分もあり、本当ならもっと社民主義寄りの人の台頭を期待したいのだが、それでは右派が納得するはずがないことも考慮すると、選挙に勝つためには、間違いなく有能な政治家である長妻昭や馬淵澄夫という選択も、大いにあって良いと思う。目的のためには手段を選ばないのかと言われれば、政治とはそういうものだとしか言いようがないし、権力の陰謀だか検察の暴走だか知らないが、西松事件での大久保秘書逮捕も、目的のために手段を選ばなかった結果だと私は考えている。政治は結果がすべてなのである。

(当ブログ 5月12日付エントリ 「小沢一郎代表辞任 ─ 今こそ世襲政治との訣別を」より)


非公開コメントであつかましい注文をブログ主につけてくるくらいなら、当ブログのエントリを全部読めとまでは言わないが、民主党代表選について書いたエントリくらいは読み返してからコメントをよこすべきだ。それさえもせず、自分が選択に迷っている時に、安易に他人(市井のブログ書き)に答えをおねだりする。そんな態度だから、4年前にコイズミに騙され、今は「政権交代」ムードに浮かれと流されっぱなしになるのだ。冗談じゃない。自分で考えろ。そう強く言いたい。

さて、今日のエントリ後半では、不本意ながらまたしても静岡県知事選について書かざるを得ない。

昨日のエントリで、川勝平太・静岡県知事を「右翼で新自由主義者」と批判したうえで、『dj19の日記』のエントリ「川勝平太・静岡県知事って、どう見ても右派で新自由主義者だよね。」にリンクを張って紹介したが、『dj19の日記』に不適切な誹謗コメントがついた。これを招いた責任は私にもあるので、改めて静岡県知事選について当ブログのスタンスを表明しておきたい。

最初、静岡県知事選の対立構造についてネット検索で調べた時には、何を争っているのかさっぱりわからなかった。ただ、民主党の小沢一郎前代表の意に反して、鳩山由紀夫代表が川勝平太氏の党推薦を強行し、小沢氏がへそを曲げているらしいことと、川勝氏がかなりの右派だということがわかった。但し、この時点では川勝氏が「つくる会」会員だとの報道は知らなかった。当時得られた情報は、『kojitakenの日記』の6月21日付エントリ「静岡県知事選の結果によっては、静岡7区で斉木武志浮上の目もあるか?(追記あり)」の「追記」に書いた通りである。さらに、掲示板の投稿などを見ていると、民主党支持者の間にさえ、自公推薦の坂本由紀子氏の政策が、川勝氏や海野氏よりもむしろすぐれているという声がかなり見られた。坂本氏は厚生労働省の官僚だったから、福祉政策に優れているということだ。このことも、静岡県知事選翌日の7月6日付当ブログエントリに書いた。「静岡県知事選の結果に複雑な思い 手放しで喜べない」に書いた。以下再掲する。

また、自公推薦の坂本由紀子氏も、いくつかの問題点はあるものの、政策では川勝氏や海野氏よりもむしろすぐれているという声が、民主党支持者の間にもかなり強く(ネットでもリアルでも見聞きした)、一部の反自公ブログに見られた強い非難は、必ずしも当たらないのではないかと思う。

(当ブログ 7月6日付エントリ 「静岡県知事選の結果に複雑な思い 手放しで喜べない」より)


タイトルに「手放しで喜べない」と書いたように、川勝氏の勝利を留保つきで受け入れるというのが、当ブログ管理人のスタンスである。その後、テレビ朝日『サンデープロジェクト』の特集や、静岡県在住の方のブログを拝見して、海野徹氏に対する私の評価が上がったが、懸念点は渡辺喜美が海野氏を応援していたことで、渡辺氏といえば「官僚叩き、公務員叩き」をウリにしている新自由主義者である。どのような懸念があるかについて書いたのが、6月18日付エントリ「単純な「官僚叩き」は「小さな政府」志向の新自由主義の道だ」で、要は市場の暴走を招きかねないということだ。このほか、サービスの縮小を招く懸念があり、県知事選ではこちらの方が問題だろう。そんなわけで、海野徹氏であっても手放しで称賛する立場には立たない。だが、いろいろな情報を吟味した結果、静岡空港建設反対の立場を明確にして行動してきた海野氏は、上記懸念点を差し引いても十分高評価に値するという結論に達した。私の考察から欠けているとさとうしゅういちさんから指摘された「土豪政治」との対決という観点からも、海野氏が最適任だろう。もう過ぎた選挙ではあるが、坂本、川勝、海野の3氏の選択であれば、迷わず海野氏を取るというのが当ブログの結論である。

ところが、そういう選択まで「自公を助ける」などと批判されたのではたまったものではない。世の中が善玉と悪玉に二分されるような単純なものではないことくらい、誰にだってわかるだろうと思うのだが、4年前の郵政総選挙では「カイカク派対抵抗勢力」、今回は「政権交代派対自公政権派」の善悪二元論に還元する単純な考え方が幅を利かせている。

これは、多大な危険をはらんでいる。というのは、9月に成立するであろう民主党を軸とした新政権は、はやばやと国民の失望を招いて支持が低下することは火を見るより明らかで、その時になったら、現在民主党への支持を押し上げている「にわか民主党サポーター」がどういう動きをするかというと、おそらく自民党支持には戻らず、第三極を求めるだろうが、そこにポピュリストがつけ込むことは絶対に間違いないからだ。仮に総選挙で民主党が過半数を制したって、新政権は決して安定しない。一部に、自民党は今からでも選挙前に総裁選を実施するとの観測もあるが、総裁選を行うのであれば、解散前でなければならない。なぜなら解散と同時に衆議院議員は失職し、総裁選への投票資格を失うからだ。だから自民党は麻生総理・総裁のまま衆院選に突入する。橋下徹は今回自民党についたりはしないだろうから、選挙は民主党が勝つ。だが、つかの間の新政権祝賀ムードに続いて、新たな混乱が始まる可能性が高い。


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総選挙は来週解散、8月18日公示、8月30日投票との日程が固まった。政局については、朝日新聞などの大新聞やテレビが面白おかしく報じている。朝日新聞の記事は、読み物としては面白いが、果たしてこんな政局記事ばかり書き連ねるのがジャーナリズムの本来の姿なのかと疑問も感じる。朝日って昔からこんな新聞だっただろうか?

私はといえば、最近の「民主党=善、自民党=悪」だとか、「小沢一郎・鳩山由紀夫=善、岡田克也・前原誠司=悪」、あるいは「共産党は自公の補完勢力」などなど、一部の左派系ブログに蔓延するステレオタイプ的な論調にうんざりしている。4年前の悪夢のような郵政総選挙以来、待ちに待った総選挙なのに、こんなに気持ちが萎えてしまおうとは思いもしなかった。

とはいえ、だからといって「自民も民主も一緒」だと片づけてしまうと、そこには諦めが生じてしまう。それは良くない。いったいどうすれば日本の政治や社会を良くすることができるかを考えていきたい。最近思うのは、日本の政治をゆがめている元凶として、経団連のほかに連合という存在を見逃せないということだ。たとえば温室効果ガス削減の2020年中期目標について、経団連は1990年比プラス4%を主張し、麻生首相は8%削減、民主党は25%削減を主張する。そして、連合に加盟している電力総連は、経団連と同じプラス4%を主張している。完全に使用者側と一体となった主張である。電力総連は強力な原子力発電推進勢力でもある。そして、連合の意向が民主党や社民党を強く束縛する(但し、社民党はエネルギー政策に関しては日本の政党の中でももっとも先進的で、原子力発電にも反対している)。民主党が保守政党というべきかどうかは議論の分かれるところで、右翼は「左翼政党」、左翼は「保守政党」の一語で片づけてしまって議論は平行線となるのだが、連合に逆らえないというファクターを考えれば、民主党の「鵺(ぬえ)」的性格もある程度理解できる。また、社民党と共産党が、非常に似た思想信条を持ちながら極めて仲が悪いのも、連合というファクター抜きには考えられない。社民党は、秋田県知事選では自公推薦の佐竹敬久氏を推薦し、寺田典城(てらた すけしろ)前知事や民主党が推薦した川口博氏を破ったが、この社民党の選択も、連合が佐竹氏を推薦したからだった。そして、最近の連合最大の愚挙は、横須賀市長選でコイズミが応援した蒲谷亮一市長を推薦したことだろう(蒲谷氏は落選)。

当ブログ及び『kojitakenの日記』でしばしば取り上げてきた静岡県知事選も、「連合」というファクターを入れれば対立構造を鮮やかに説明できることを知った。これを教えてくれたのが一昨日(12日)にテレビ朝日の『サンデープロジェクト』の後半に放送された静岡空港建設問題特集であり、『kojitakenの日記』に、「好企画だったサンプロの静岡空港問題特集」と題したエントリでレビューした。このエントリについた「はてなブックマーク」で知ったのが、静岡県民のRRDさんのブログ『NOW HERE』の7月6日付エントリ「静岡県知事選を簡単にまとめてみる」だった。サンプロの特集と『NOW HERE』のエントリによって、静岡県外在住者の目には何を争っているのかさっぱりわからなかった静岡県知事選の対立構図が理解できた。

海野徹(うんの とおる)氏は、民主党の参院議員だったが、2001年の静岡県知事選で静岡空港建設反対派の水野誠一氏を擁立したことから連合に嫌われた。これがすべての始まりであり、2004年の参院選では連合の意を受けた民主党静岡県連に刺客を立てられて落選した(静岡選挙区は定数2で、表向きは民主党の2議席独占を狙った形。自民党も当選した坂本由紀子氏の他に山下善彦氏を擁立していた)。この時当選したのが今回の県知事選で川勝平太氏の選対本部長を務めた藤本祐司氏である。静岡空港は先日開港したが、空港の立ち木問題で地権者ともめたことを理由に、石川嘉延知事が任期をわずか残して辞意を表明したところから民主党の迷走が始まった。海野氏は早くから立候補の意思を表明していたが、もちろん連合は海野氏を阻むべく動き、結局土壇場で川勝平太氏の立候補が決まった。ここで注目すべきは民主党の小沢一郎前代表の動きで、前記『NOW HERE』によると、「川勝・海野の一本化調整を、独自の世論調査を元に、海野を軸に行っていた」とのことだ。これが事実だとすると、小沢一郎は民主党静岡県連の連合依存体質を改めようとしたと解釈できる。これに対し、川勝平太氏の民主党推薦を(小沢氏に逆らって)決定した鳩山由紀夫代表は、連合の意に沿った動きをしたことになる。伝え聞くところによると、小沢一郎は鳩山由紀夫の決定を不服としてへそを曲げていたそうだ。小沢一郎は、衆議院静岡7区の民主党候補決定に関しても、前自民党衆院議員の城内実を推す一部の県連の動きを受け容れず、斉木武志氏の擁立を決めたとされている。極右の城内を受け容れなかったこの判断といい、(単なる票読み上の理由だったかもしれないが)海野徹氏を擁立しようとした動きといい、鳩山由紀夫と比較すれば小沢一郎の方がずっとマシだったと言わざるを得ない。まさか、常日頃から小沢一郎に批判的だった私が、このように小沢一郎を見直さざるを得なくなるとは想像もしなかった。

小沢一郎は、本質的には右派で新自由主義指向の政治家だと思うが、左派との政策協定にはずっと配慮してきて、それが「国民の生活が第一」をスローガンとする疑似社民主義路線を打ち出しての2007年参院選での民主党大勝につながった。鳩山由紀夫は、「国民の生活が第一」のスローガンはそのまま用いているが、軽々しく橋下徹との「連携」を口にしたり、静岡県知事選でも右翼で新自由主義者、かつ実質的に「オール与党体制」の継承者ともいえる川勝平太氏(川勝氏は「つくる会」会員ではなかったようだが、『文藝春秋』4月号掲載の「日本最強内閣」特集のアンケートに答えて内閣総理大臣に櫻井よしこ氏、外務大臣に曽野綾子氏を挙げていることから、右翼であることは間違いない)推薦を強行するなど、明らかに小沢一郎の路線から新自由主義寄り、右派寄りの路線へと方向転換しようとしている。そういえば鳩山は幹事長時代にもしばしば平沼赳夫に連携を呼びかけていた。もし鳩山がずっと代表の座にいたら、静岡7区の民主党候補も城内実になってしまったのではないかと思えるほどだ。

総選挙で政権交代が実現すれば鳩山由紀夫が総理大臣になるのだろうし、もし自公が奇跡的に過半数を確保すれば、麻生太郎がそのまま続投するだろう(この逆風下で自公が過半数を守ったら、「麻生降ろし」は不可能である)。どちらの結果でも、右派の政治家が総理大臣になる(または続投する)。「リベラル・市民派」を標榜するブログであれば、批判的スタンスを保ち続けるのは当然だと思う。

[追記]
川勝平太・静岡県新知事の思想信条については、下記ブログ記事が参考になります。
「川勝平太・静岡県知事って、どう見ても右派で新自由主義者だよね。」(『dj19の日記』)


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やはり「風」は吹き止まなかった。

東京都議選は、民主党の圧勝、自民党の惨敗に終わった。民主党は54議席を獲得して第一党となり、自民党は10議席減の38議席と惨敗。共産党も5議席減の8議席にとどまった。民主党が自民・共産の両党から議席を奪い、独り勝ちした、と言いたいところだが、もう一つ勝った党がある。それは公明党だ。東京都議選に全力を挙げる公明党は、全候補者を当選させて、1議席増の23議席を獲得した。「自公過半数割れ」とは言っても、一昨年の参院選と異なり、公明党は負けていない。負けたのは自民党である。

共産党も負けた。5議席減の8議席で、自民党ともども惨敗といえる。しかし、得票数はそれなりに多かった。この選挙結果から思い出すのは、ロッキード事件のあと、任期満了選挙となった1976年の総選挙であり、この時自民党は過半数割れの惨敗(追加公認を入れて過半数を確保)を喫したが、共産党も得票数は多かったものの21議席減の17議席と惨敗した。保守野党の新自由クラブが躍進した選挙だが、今では新自由主義を連想させるこんな政党名はあり得ないだろう(笑)。

三十余年を隔てたこの2つの選挙結果の類似は、偶然とばかりもいえない。1976年の「三木降ろし」、現在の「麻生降ろし」によって、国民生活そっちのけで党内抗争に明け暮れる自民党が国民の怒りを呼んで、投票率が上がった。固定票の多い共産党にとっては、投票率の高さはマイナス材料になる。違うのは、1976年と比較して国民生活は段違いに厳しくなっていることである。

投票率の高さは、公明党にとってもマイナス材料のはずだが、公明党は1議席も落とさず完全勝利をおさめた。「自公惨敗」と報じられているが、負けたのは「自」なのである。相当前から東京都議選にターゲットを絞って、ありとあらゆる手段で票を固めまくった「努力」が結実したものだろう。都議選の告示の日、テレビで公明党の太田昭宏代表の顔を見て、この人がこんなに真剣な表情をしているのを見たことがない、と私は思った。とにかく、都議選直前に総選挙を行ってくれるなと自民党に圧力をかけるほど、公明党は都議選に入れ込んでいた。これは、公明党が東京都政において絶対に手放したくない利権を握っているためだと推測される。

私は、今回の都議選では自公の過半数割れを待望していた。というのは、自公の過半数割れによって、民主党の都議がどういう行動をとるか、注目が高まるからである。しばしば指摘されるように、民主党の東京都議にはとんでもない極右がいたり、熱狂的な石原慎太郎支持者がいる。地方自治では、1978年の京都府知事選で自民・新自ク推薦の林田悠紀夫が当選して以来、革新自治体が次々と消滅するとともに、共産党を除く「オール与党」体制が各地ででき上がっていった。東京都知事選では、長らく「自社公民相乗り」は行われなかったが、1979年と1983年は社共共闘、87年には社会党と共産党がそれぞれ独自候補を立てたあと、1991年には保守分裂選挙となり、社会党は自民党東京都連の推す現職(当時)の鈴木俊一氏を推した(小沢一郎幹事長(当時)が仕切っていた自民党本部は磯村尚徳氏を推した)。以後、1995年の青島幸男、1999年以降3期の石原慎太郎と、東京都民の選択はどんどんポピュリズムに流れていったが、石原都政の2期目にはすっかり「オール与党対共産党」の構図になってしまった。民主党は小沢一郎が代表になって方針転換し、2007年の都知事選で浅野史郎氏を担いで石原慎太郎との対決姿勢を打ち出したが、惨敗を喫した。今回、自公を過半数割れに追い込んだのだから、それでも石原に協力するとなれば民主党が厳しい批判を浴びるのは必至である。今後の地方自治では、「オール与党体制の打破」がキーワードになるだろう。国政においては、「二大政党制か多党制か」がキーワードになると思う。先日の静岡県知事選でも、本当の争点は、静岡空港建設推進を支えてきた「オール与党体制」継続の可否にあったのだが、国政の争点にすり替えられてしまったことを、昨日のテレビ朝日『サンデープロジェクト』に教えられた。サンプロには珍しいほどの、このすぐれた特集については、昨日の『kojitakenの日記』でレビューして、20件の「はてなブックマーク」のつく人気エントリになった。川勝平太氏は、伝えられたような「つくる会」会員ではなかったそうだが、川勝氏当選の真の問題点はそこにはなく、主に連合による「オール与党体制」堅持のもくろみにあったことが、鮮やかに浮き彫りにされていた。しかし、こんな良企画に対してさえ、「共産党への投票を呼び掛けるものだ」とか、「東京都議選での民主党や社民党への投票に対する「選挙妨害」だ」などと「偏向番組」呼ばわりしてヒステリックに叫んでいた人気ブログがあったことには呆れてしまった。

最後に衆議院選挙への影響だが、朝日新聞が昨日(12日)の一面トップで、「首相、解散へ不退転の決意」と書けば、読売新聞も「首相が週内解散決意…自民党内の反発必至」と書く。自民党では麻生首相の解散権を封じ、「麻生降ろし」の動きが強まるとも予測されているが、もはや国民から嫌われているのは麻生首相個人ではなく自民党そのものであることは、舛添要一、石原伸晃や東国原英夫(笑)でも認めざるを得ないだろう。今週中だろうが会期末だろうが、麻生首相の手で解散に踏み切ってもらいたいと思う。なにごとも引き際が肝心である。

[追記]
ついに与党は7月21日解散、8月18日公示、8月30日投票の日程で合意した模様である。各紙が一斉に報じている。衆議院選挙の投票日は、解散から40日以内という規定だから、ギリギリまで引っ張って任期満了選挙(8月23日投票)より1週間先送りできる日程を選んだということだろう。私は会期末の28日解散、9月6日投票を予想していたが、それだとあまりに麻生首相の自由度がないので、1週間会期を残して解散することでなんとか恰好をつけるつもりなのだろうか。どこまでもせこい麻生首相だが、まあ選挙が9月までもつれ込むよりはましと諦めるしかないのかもしれない。


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