きまぐれな日々

 2015年最初の記事。といっても、「今年はどういう年にしたい」はもちろん、「今年はどういう年になるだろう」というような記事を書くつもりはない。たとえば10-12月期のGDP1次速報値は2月16日に発表予定らしいが、これがどうなるかですら予想できない。普通に考えればプラスに転じるだろうが、7-9月期のGDPがマイナスになろうとは誰も予想しなかった。

 今年の政治状況は、例年以上に経済に左右される。昨年の消費税率引き上げ以来疑問を持たれ始めた安倍政権の経済政策だが、その成否がはっきりしない段階で安倍晋三は解散総選挙を断行した。これに勝利した安倍晋三は、政治人生の目標である改憲に狙いを定めていると思われるが、そのもくろみにも経済状況は大きな影響を与える。そして、経済状況がどうなるかわからない以上、政治情勢がどう変化するかは予想しようがない。

 ただ、「郵政総選挙」に小泉自民党が圧勝した翌2006年から2009年頃にかけて大きな問題としてしばしば取り上げられた格差(不平等)拡大の問題が、再び盛んに議論されるようになるだろうとは思う。昨年末に日本語版が発売されて大きな話題になったトマ・ピケティの『21世紀の資本』を私も読んだが、朝日新聞が元旦付オピニオン面で著者へのインタビュー記事を掲載し、毎日新聞は3日付の社説で取り上げた。

 安倍政権の経済政策から「再分配」の観点が抜け落ちていることは、早くからスティグリッツらが指摘していたが、ようやく昨年末の衆院選では少なくない識者に指摘されるようになった。しかし、それがマスコミが設定する「選挙の争点」にまではならなかった。

 安倍政権が重視するのはまず株価だが、低所得者の多くは株など持っていないので、その効果は著しく高所得層に偏る。また安倍晋三はしばしば大企業に賃上げを要請し、昨年の「春闘」では多くの大企業がベア(ベースアップ)を実施したが、この効果は大企業の正社員に偏る。この2つの例が示すように、安倍政権が潤そうとするのはまず富裕層で、次いで中間層という優先順位だ。その一方で、昨年の衆院解散で廃案になった労働者派遣法改正案はおそらく再提出されると思われる。

 上記に限らず、安倍政権の経済政策は基本的に再分配を軽視し、結果的に格差(不平等)を固定する政策を行っていると言える。自民党がかつての国民政党から富裕層などを代表する階級政党に変貌したといえるかもしれないし、ピケティの本でも示されているようにどの先進資本主義国でも富が蓄積され、それが世襲されるようになっているから、政策も自然にそうなったのかもしれない。ピケティの本を読んでいて、そういや日本でも70〜80年代に首相になった三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)に世襲政治家は誰もいなかったけれど、いつの頃からか世襲政治家ばかりになったが、それもまた格差の固定の表れかもしれないと思った。

 20世紀前半の二度の世界大戦で資本ストックが破壊され、そのあとの時期にヨーロッパや日本で高い経済成長率が記録されたが、これらは例外的な時期であって、その例外を除くと、資本の蓄積が経済成長率を上回るのが資本主義経済の常態であって、何もしなければ富はますます一部の富豪や大企業に集中し、格差はどんどん拡大していくというのがピケティの説だ。安倍政権の経済政策は、金融緩和はともかく、株価つり上げ政策や派遣労働の規制緩和などは、格差拡大を助長するものであることは明らかだ。

 だとすれば野党は、安倍政権の安全保障政策を批判するのと同じくらいの熱意を持って、安倍政権の経済政策を、金融や財政の引き締めといった明らかな逆効果の方向性をとるのではなく、格差縮小の方向性を明確に志向すべきだろう。

 しかし現実には、格差拡大の方向性を持つ経済政策を掲げる維新の党と、経済政策の方向性のはっきりしない民主党が国会で「共闘」する場面が増えると見られる。2012年の衆院選で橋下徹は「フラットタックス」(所得税の定率課税)を掲げるとともに、それをベーシックインカムと組み合わせて「再分配」を僭称した。それは実際にはミルトン・フリードマンの考案した「負の所得税」つきの定率課税と同一であり、要するに新自由主義経済政策そのものだった(「フラットタックス」の政策は、2014年衆院選における次世代の党の経済政策に引き継がれた)。また、みんなの党から分かれて「結いの党」を経て維新と合流した江田憲司は、「みんなの党」時代からの持論である公務員給与の削減を唱え続けているが、これなどデフレ政策の最たるもので、安倍政権の経済政策よりももっと悪いとしか言いようがない。

 ピケティは1月1日付朝日新聞掲載のインタビューで次のように語っている。

 −−(聞き手=大野博人・朝日新聞論説主幹)デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。
 「グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう」
(2015年1月1日付朝日新聞オピニオン面掲載 トマ・ピケティインタビュー「失われた平等を求めて」より)


 江田憲司の言う通りに公務員給与を引き下げたりしたなら、デフレを固定化するだけであろう。これだけでも、維新の党の経済政策は最低だといえる。

 また、朝日のインタビュー記事には出ていないが、『21世紀の資本』の第16章「公的債務の問題」でピケティが最悪の解決法だと評しているのが緊縮財政である。引退した与謝野馨や民主党の一部や朝日・毎日新聞などのお好みの政策だ。一方、ピケティが推奨するのは民間資産への累進課税であり、これは朝日のインタビュー記事にも出ている。記事でピケティは累進制税を「インフレの文明化された形」だと言う。それはインフレよりうまく負担を再分配できるから。少額の資産には低い税率、巨額の資産には高い税率をかけるという具合である。なるほどと納得できる説明だ。

 だが、民主党と維新の党との連携で、民間資産への累進課税で国の債務を減らすとか、公務員の給料を5%引き上げるなどと言う政策が出てくる可能性はゼロだろう。民主党のたとえば野田佳彦などは緊縮財政を志向し、維新の党は公務員の給料を引き下げて「身を切る改革」を行えと言う。安倍政権はインフレ狙い自体は悪くないが、人為的な株価引き上げを狙うという手段はインフレを起こす方法としては最悪だ。効果が富裕層に偏って表れるからだ。また、バブルは弾けた時の痛みも大きい。さりとて民主党や、とりわけ維新の党の経済政策はデフレを招くだけの可能性が大きい。共産党も資産課税にはおそらく賛成だろうが、衆院選では金融緩和をやめよと主張していた。

 ピケティ自身も認める通り、資産への累進課税の効果は限定的で、それだけで問題をすべて解決できるとは思われないが、それでも資産への累進課税は、今後の望ましい経済政策として検討されるべきだろうと思う。しかし、第一党から第三党のうちに、この案を真面目に検討しようとする政党があるとは思われない。

 このまま格差が拡大していけば、国民の間に先の戦争のような「リセット」志向が強まるかもしれない。赤木智弘のようなレトリックではない、本物の「希望は、戦争」である。過去の大きな格差が戦争によってリセットされたのは歴史的事実だが、それによって自国民及び戦争の相手国民にもたらした犠牲の大きさを考える時、それはあってはならない選択肢だ。

 それに、事態はそんな進み方はしないであろう。集団的自衛権の行使によって、遠くない将来に自衛官の犠牲が出る可能性があるが、自衛官は徴兵によってではなく低所得層を主なターゲットにしたリクルートで補充されるであろう。現在の戦争は、かつてのような大国同士の総力戦争の再来は考えにくく、「イスラム国」のような、国民国家の枠に収まらない勢力との交戦が当面中心になると思われる。もちろん「イスラム国」との戦争への参戦による集団的自衛権の行使など、行ってはならない選択肢である。

 仮に徴兵制の下で総力戦体制になるのなら、格差縮小の経済政策がとられて「リセット」につながる可能性がなくはないが、現実にはそうはならず、「戦争と格差が両立する」事態が訪れるだろう。つまり、富裕層の方が歴史から学んで、総力戦への道は阻止される可能性が高いと思うのである。

 何はともあれ、リベラルのとるべき態度は、平和・自由・平等の揃い踏みの追求であろう。しかし、「橋下抜きの維新と民主党の合流」を期待したり、「帝国主義的社会民主主義」を追求した北一輝に心酔した岸信介を「アメリカと敢然と対峙した『自主独立派』の政治家」として再評価したりするような頓珍漢な「リベラル」ばかりが目立つ今の日本においては、平和と自由と平等の揃い踏みの追求の道は非常に険しいというほかない。

 それでも、それは可能だと信じて前進するしかないと思う今日この頃なのであった。
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先週のエントリで紹介した井手英策著『日本の財政 転換の指針』(岩波新書, 2013年)を読んだあと、続けて井手氏の師匠に当たる神野直彦・東京大学名誉教授の新刊『税金 常識のウソ』(文春新書, 2013年)を読んだ。両書はほぼ同時期の先月下旬に発売されたばかりであり、本屋では隣同士で山積みされていた。両氏が師弟の関係にあることもあって論調もほぼ同じで、井手氏の著書には神野氏への(他に金子勝氏へも)賛辞が書かれているかと思うと、神野氏の著書には井手氏の研究への言及があるといった具合だ。興味のおありの方には2冊の併読をおすすめする。

たまたま両氏の本を読み終えた頃、加藤寛の訃報に接した。加藤については、2月2日付『kojitakenの日記』の記事「新自由主義派の経済学者・加藤寛が死去」でコメントしたが、土光敏夫の第2臨調で国鉄、電電公社、専売公社の民営化を、のちには消費税創設を取り仕切ったこの男を私はほとんど評価していない。ただ、最晩年の原発批判だけは評価できるため、記事に個人の冥福を祈る一節を書き加えた。これさえなければ、「こんな人物の冥福を祈る必要などない」とかなんとか書いて、またまた良識ある読者諸賢の眉をひそめさせたに違いない。

井手英策・慶応大准教授は、田中角栄政権による1973年の「福祉元年」まではヨーロッパと同じ福祉国家への道を歩む可能性があった日本が「道を踏み外した」(これは井手氏ではなく私流の表現である)理由として、財政投融資による公共事業費が1970年代以降急速に膨張したにもかかわらず、これが可視化されなかったために見かけ上政府支出に占める社会保障費の割合が高くなり、これが自民党政権によって社会保障費が槍玉に挙げられて削減の対象になったのではないかと考察している。これは興味深い指摘だった。

現在もてはやされている「アベノミクス」とやらも、その中身は公共事業費を大幅に拡大する一方で、今朝公開されたブログ『Nabe Party ~ 再分配を重視する市民の会』の記事「生活保護を考える」でも言及されているように、生活保護の支給額を大幅に引き下げようとするなどの暴挙に出ている。

「アベノミクス」は「反緊縮」を評価されている。私も「反緊縮」自体には大いに賛成なのだが、金の使い方が間違っているというのが私の意見である。安倍晋三が現在の路線を突き進むと、スタグフレーション、すなわち不況下の物価高という最悪の事態に陥る可能性がある(過去の日本でも1974〜75年頃に見舞われたことがある)。井手准教授も指摘している通り、「コンクリートから人へ」という民主党のスローガン自体は正しかったのだ。ただ、それを緊縮財政と混同してしまったところに民主党政権、特に松下政経塾系列の人たちの誤りがあった。

ただ、こう言っただけでは誤解を招く可能性があるので言っておくが、公共事業はそんなには削減できない。これまで構築してきたインフラの整備に巨額の費用がかかるからだ。しかし、現在の日本の人口減を考えると、さらなる新規土建事業による景気浮揚を追求する自民党の「国土強靱化法案」が時代に合っていない政策であることは明白だ。土建業に力を入れすぎで社会補償費用を削減するのでは、せっかくの積極財政が意味をなさなくなる。毎回のように書くけれども、安心して子供を産めない社会だから人口が減少するのである。自民党の政策は間違っている。現在の日本で何よりも強く求められるのは、神野直彦氏が菅政権のスローガンとして考案したとされる「強い社会保障」であるはずだ。

そこで神野氏の著書の紹介に移るが、この本にこんな記述が出てくる。

(前略)今では信じられないことかもしれませんが、日本で格調高いことで有名な1964年(昭和39年)の『税制調査会答申』は、「所得税がもっとも近代的な租税であり、この税が中心的地位を占めるような租税体系が理想である」と宣言していました。

 その理由について、この『税制調査会答申』は、次の三点を指摘しています。第一に、所得税は市場価格機構に影響を与えることなく、十分な収入を到達できること、第二に、所得税は所得再分配の機能を最もよく果しうること、第三に、所得税は税収の弾力性が高く、自動安定装置としての高度の景気安定機能を有することです。

(神野直彦『税金 常識のウソ』(文春新書, 2013年)138頁)より)


しかし、世界的に「所得税中心主義」が動揺した(同書第5章のタイトルより)。それは、もともと多額な資産を持っている人に対して、新たに高所得を得た人が不利になる(この問題を解決するために別途資産税を設定する必要が生じる)ことや、俗にクロヨンとかトーゴーサンピンなどと呼ばれた業種による所得の捕捉格差の問題などによるが、それと付加価値税(消費税)の発展に伴うものだったという。

ここでとる道は3つに分かれた。1つは、神野氏が「所得税補強戦略」と呼ぶ、所得税としての限界を、付加価値税を発展させることによって補強していこうとする戦略で、ヨーロッパ諸国が採用した。それに対してアメリカが採用したのは所得税を基幹税として維持する所得税維持戦略で、所得税による税収調達能力の限界を認めて財政機能を拡大しない「小さな政府」を追及する行き方だった。

しかし日本は、上記のいずれも採用せず、基幹税としての所得税を解体していき、その代替としての付加価値税を導入する戦略をとった。これを神野氏は「所得税解体戦略」と呼んでいる。この戦略では基幹税を所得税から付加価値税に変更することを目指す。

神野氏によると、この戦略をとろうとしたのは日本のほかサッチャー時代のイギリスがあったということだ。以下は本には書かれていないが、本に載っているグラフを見ると、所得税の税収においてイギリスは日本よりも高く、かつ付加価値税と同程度の税収がある。つまり、イギリスはもともとが手厚い福祉国家だったから、サッチャーが手洗い新自由主義改革をやってもその程度でとどまっているのだろう。しかし日本では、所得税と消費税の税収の比率は同じくらいで、かつともに国民の負担率が低い。この上、所得税(や法人税)を消費税に置き換えていくと、世界に他に類を見ない「主に消費税に頼る税制」になってしまう。

北欧に範を取る考え方の強い神野氏は、まず所得税の税収を充実させ、しかるのちに消費税を増税するというロードマップを、2010年の鳩山由紀夫首相・菅直人財務相時代に就任した政府税調専門家委員会の座長として示したのだった。ただ、この時に神野氏はアメリカ型の「小さな政府」のオプションも示していて、その場合には所得税中心の税制で良いとした。

しかし、財務相から鳩山由紀夫の政権投げ出しを受けて首相に就任した菅直人は、まず「消費税を上げる」道を選んだ。だから当時私は菅直人を批判した。とはいえ、菅政権もそのあとの野田政権も、所得税・相続税と消費税の税率を並行して引き上げたい方針だったが、自民党が「それでは努力した者が報われる税制にならない」と言って反対した。しかし、野党だからそうは言ってみたものの、自民党とて所得税の累進制強化や証券優遇税制の打ち切りの必要性はわかっていたから、政権を奪回するやそれらを決定したというのが軽易であるようだ。ちなみに、安倍晋三ら官邸はこれらの税制改革にはほぼノータッチで、野田毅を筆頭とする自民党税調調査会がこれらの施策を主導したらしい。

ところで、所得税を解体する構想といえば私が真っ先に思い出すのが小沢一郎である。小沢一郎は、初当選の頃から所得税の減税を志向していた。小沢は自著『日本改造計画』でも、所得税・住民税の半減と消費税の大幅増という構想を大々的に打ち出した。それは、前述の神野直彦氏の分類に従えば、「所得税解体戦略」に該当する。それは、アメリカほどにも再分配に留意しない、弱肉強食型の「小さな政府」を目指す政策だった。そんな税制を目指したのが小沢一郎だった。

小沢一郎は田中角栄に可愛がられたが、政策的には角栄と小沢とは全く違う。私は、井手、神野両氏の本を読みながら、過去の自民党の政治家について考えをめぐらせていたのだが、自民党政権は歴史的に「小さな政府」志向だった。それは、高度成長時代に毎年のように急増する税収がありながら、政府の財政規模を拡大するのではなく、一貫して減税で対応してきたことからも明らかだ。1964年に「所得税中心主義」を高らかに宣言したのも、現在のアメリカのような行き方を目指したと解釈できなくもない。自民党とは「公助」よりも「共助」を重視する理念を持つ政党だった。その点では「保守本流」も福田・中曽根派ら右派も変わりない。大平正芳や加藤紘一も「小さな政府」を目指し、コミュニティの共助に頼る政策だった。「保守本流」と、安倍晋三らが属する右派との違いは、単にコミュニティにイデオロギー性を求めるか否かの違いだけだった。

しかし、上記の流れから外れた政治家が2人いる。1人は小泉純一郎であり、この男は「共助」にも否定的で、ひたすら「自助」を追求した。自民党の政治家ではないが、橋下徹も同じである。

反対の極が田中角栄で、最初は列島改造論に象徴される公共事業で、首相になってからの1973年には「福祉元年」を打ち出して、社会保障重視の方向に舵を切ろうとした。つまり、田中角栄とは、保守本流とも右派とも違って、自民党の政治家としては例外的に「公助」を強く打ち出そうとした政治家ではなかったか。そう思って、このところ私は角栄を再評価しつつある。もちろん角栄が中曽根康弘と組んで制定した「電源三法」はとんでもない負の遺産だったけれども。

しかし、角栄の再評価は小沢一郎の再評価には全くつながらないどころかその正反対になる。上記の考え方からすると、政治家としてのキャリアの早いうちから「所得税減税」を打ち出していた小沢一郎は、田中角栄の直系どころか「不肖の弟子」であって、保守本流や安倍晋三ら右派と比較しても「経済右派」側、つまり小泉純一郎に近い政治家だったということになる。

その小沢一郎が、小泉純一郎へのアンチ・テーゼとして「国民の生活が第一」を打ち出したものの、小沢の持論であった「減税」の思想はそのまま保持したために、自己ねじれ現象を起こして「入りは小さな政府、出は大きな政府」というトンデモ政策になってしまったのではないか。

要するに、最初から小沢一郎が民主党代表時代に掲げた政策は、税収不足のために実現不能だったのだ。実現しようとすれば、「ムダの削減」や埋蔵金をあてにするのではなく、当然増税の議論をしなければならなかったが、小沢一郎はそれから逃げた。留意すべきは、増税の議論イコール消費税の議論ではないということだ。所得税や消費税を含む税制全体の議論であり、いやしくも政権党である以上、最終的にどのような税制を目指すのか、そこをはっきりさせる必要があった(同じことは、現在の自民党政権にも、野党に対しても言える)。それを小沢一派も松下政経塾系の政治家もやらなかった。そもそも松下政経塾系の政治家は、松下幸之助流の「無税国家の理想」を叩き込まれた新自由主義系の政治家が大半であって、そんな彼らの体質と2009年民主党マニフェストとは相容れなかった。

民主党は主流派(松下政経塾)も反主流派(小沢一派)もともにあまりにもひどかった。だから、相変わらずの「公助」軽視の自民党政権の政策でさえ、前回のエントリにいただいたコメントにもあったように、ヨーロッパの国の政策に近いとか、バランスのとれた政策などといった具合に見えてしまう。実際のところは大して褒められたものではないと私は思うが。それでも民主党政権時代の松下政経塾系主流派と日本版ティーパーティーもどきの小沢一郎や河村たかしら一派の不毛の政争と引き比べるなら、そりゃ多少は自民党政権の方がマシに見えても致し方ないかもしれない。

でも所詮はその程度である。残念ながら、アベノミクスで庶民の暮らしが良くなることは、今のところきわめて望み薄である。
先週のエントリで触れたアルジェリア人質事件は、当初安否不明と報じられた邦人10人が全員遺体で見つかる痛ましい結果となった。

テロ行為はもちろん断じて許されるものではないが、2003年のイラク戦争で日本がアメリカを支持したことと、今回の事件で日本人が犯人グループのターゲットにされたこととの関係を指摘しないわけにはいかないだろう。しかし、安倍政権はそんなことはおくびにも出さず、逆に自衛隊の海外派遣を推進する口実にしようとしている。ブログ『Afternoon Cafe』の著者、秋原葉月さんに言わせれば、「ショックドクトリンの乱発」だそうだ。確かに、「安全保障版『ショック・ドクトリン』」といえるだろうなと私も思った。

ここで「安全保障版」という但し書きをつけたのは、いうまでもなく「ショック・ドクトリン」という言葉が、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが著した、ミルトン・フリードマンの経済政策を厳しく批判した本のタイトルに由来するものだからだ。この本の邦訳が出版されたのは2011年だが、原著が出版されたのは2007年9月であって、ちょうど安倍晋三が第1次内閣を投げ出して辞任した頃だった。

フリードマンの経済理論は70年代以後大流行したが、フリードマンを開祖とするシカゴ学派は、1973年9月11日のクーデターで政権を握ったチリのピノチェト政権下で、文字通り「ショック・ドクトリン」に基づく大実験をやってのけたのだった。

フリードマンの影響は、日本でも小泉内閣に入閣した竹中平蔵はもちろん、竹中を批判していた植草一秀(植草は、好きな経済学者としてケインズとフリードマンを挙げている)、さらには漫画『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』の原作を書いたノビー(池田信夫)から、ベーシック・インカムとフラットタックス(定率課税)を組み合わせて「再分配」だとうそぶく橋下徹(フリードマンの場合はBIではなく、負の所得税をフラットタックスと組み合わせているが)に至るまで広範にわたっている。

なんでも、私が聞きかじったところだと、再分配は経済学の研究対象に含まれるかどうかさえ議論があるとの話である。当ブログのコメント欄でも「橋下徹はベーシック・インカムを主張してるぞ、『経済左派』じゃないか」と書いてきた人もいたが、BIで金を配る代わりに行政サービスを「バサーット切る」橋下の政策が再分配などであろうはずはない。日本では「小泉構造改革」が一世を風靡して以来、再分配を重視する主張は全く人気がない。

前世紀末の橋本龍太郎政権が新自由主義改革路線をとっていた1998年に突如3万人台に跳ね上がった年間自殺者数は、昨年、15年ぶりに3万人台を割ったが、それまでずっと高止まりしてきた。中曽根康弘が種を蒔き、橋本龍太郎と小泉純一郎がアクセルを踏み、安倍晋三も第1次内閣でそれに追随した新自由主義政策が格差と貧困の原因だった。

ただ、安倍晋三は第1次内閣時代から「本音は『反小泉』だろう」と指摘されていた(2006年末の朝日新聞・星浩の指摘)。第1次内閣時代から安倍は経済成長志向が強く、2007年には「3%成長」を公約していたが、実現できなかった。もっとも2007年の後半は福田康夫が総理大臣だった。

屈辱の辞任から「再チャレンジ」を果たした安倍晋三は、現在「アベノミクス」と名付けられた経済政策がもてはやされている。これは、金融緩和とインフレターゲットがキモであって、何度も書いているようにそれ自体は私も否定はしない。しかし、適切な再分配抜きでは効果は上がらないだろうと思っている。

ただ、自民党が民主党と比べてしたたかだなと思うのは、野党時代には反対していた所得税の累進制強化と相続税の増税といった「金持ち増税」の政策を打ち出したことだ。これらは、もともと菅政権や野田政権が打ち出していた方針だったが、自民党が「頑張った人が報われない税制だ」とか何とか理由をつけて反対したために、決められなかったものだ。さらには、先々週のエントリで触れた証券優遇税制も今年末で打ち切る方針だという。但し、その代わりに累積の投資額が最大年500万円までの小口投資の配当・譲渡益を非課税とする方針だ。

後者は、実は何も自民党の方針というわけではなく、金融庁の2013年度税制改正要望案として昨年8月末に報じられたものだ。現在しばしば指摘され、問題になっているのは、日本の所得税制が超高所得者に有利な逆進課税になっていることだが、所得1億円超の超富裕層の年間投資額は500万円をはるかに上回るであろうから、件の逆進課税に関しては若干の改善が見られるかもしれない。もっとも税率20%ではまだまだ逆進性は残ると思うが。

もちろん上記の諸施策は、2014年と15年に予定されている2段階の消費税増税に対する、「逆進性による貧乏人いじめ」批判をかわすものだろうが、それでもやらないよりはやったほうが良いだろう。そもそも、日本の財政における最大の問題は、税収が少な過ぎることだからだ。民主党は、前首相の野田佳彦をはじめ、かつて同党に在籍した小沢一郎や河村たかしなど、「民のかまど」のたとえ話が大好きな人たちばかりだった。このことが、自民党の反対を説得して所得税や相続税の増税を決められなかった一因だったのではないか。

もちろん、「政権交代」が行われた2009年は、リーマンショック直後の不況期だったため、「次の総選挙まで消費税率は上げない」とした当時の民主党マニフェストにも理がないわけではなかった。しかし、「次の総選挙」はもう済んだわけだから、消費税を含む税制をどう改革するかはどの政党にとっても避けて通れない課題のはずだ。これを、ティーパーティー張りに「税金は罰金だ。少なければ少ないほど良い」などと言うのは、あまりに無責任な態度だろう。

その意味でいえば、将来の税制をどうするのかというビジョンを一切示さず、「消費税増税は撤廃」としか言わない小沢一郎代表の「生活の党」は「不人気なポピュリズム政党」としか言いようがなく、早晩消えゆく運命の政党だ。共産党や社民党は富裕層増税を主張しているし、自公政権でさえ申し訳程度かもしれないけれども富裕層増税の動きを見せている。神野直彦氏あたりは、今回の増税は減税を伴わない増税という点では評価できるが、分離課税だらけの所得税制を見直して課税ベースを拡大し、所得税の税収を増やすべきだと言っている。

本来、分離課税見直しや証券優遇税制の打ち切りなどを行ったあとで消費税を増税すべきだったと私は思うが、しかしながらいずれは消費税の増税も必ず必要であると考えていることは、前々回に書いた通りだ。

今回は、これに関して読んだばかりの井手英策著『日本財政 転換の指針』(岩波新書, 2013年)に、興味深い考え方が載っていたので、これを紹介したい。

著者の井手氏は東大経済学部で博士課程を修了後、東北学院大、横浜国大を経て、現在慶応大経済学部准教授。神野直彦氏や金子勝氏の指導を受けた人とのこと。神野氏や金子氏は、消費税増税を否定していない。井手氏も同様である。

井手氏は、日本の財政赤字の原因は税収の減少であることは明らかなのに、まるで犯人捜しをするかのように支出の「ムダの削減」が追及され、その結果再分配に使われるはずだった政府支出が削減されたと指摘している。以下引用する。

(前略)社会不信や受益感の乏しさを背景に、支出やムダの削減が人びとに共通する理解となった。だが、それは自らの受益に対しても制約が加わってくる。そうなればいっそうの他者への不寛容を生み出しかねない。まさに負の連鎖である。

 こうして、人びとの利益を満たすために知恵を出し合う政治ではなく、誰がムダ遣いをするかを監視し、告発する政治を、私たちは当たり前と考えるようになった。この分断を志向する民主主義は、不信社会化という社会の危機と分かちがたく結ばれており、それらが財政危機の原因となった。このような政治を一刻も早く脱却しなければ、財政危機はますます深化する。

(井手英策『日本財政 転換の指針』(岩波新書, 2013年)20頁)


このように説き起こす井手氏だが、氏の理念の核心を表す言葉が「ユニバーサリズム」だ。

井手氏は、所得の少ない人や生存が困難な人びとを発見し、そこにしぼって救済を行おうとする原理を「ターゲッティズム」(選別主義)、所得の多寡、性別、年齢とはかかわりなく人間に共通するニーズを引き取って満たす「ユニバーサリズム」(普遍主義)とそれぞれ定義する。たとえば生活保護はターゲッティズム、初等教育の無償提供はユニバーサリズムの典型例である。あるいは課税においては所得税の累進制がターゲッティズム、消費税がユニバーサリズムに相当する。

井手氏の論によると、ターゲッティズムには(たとえば生活保護の対象であるなどといった)「恥ずべき暴露」が伴う。尊厳を重視する財政においては、ターゲッティズムの領域を狭め、人間の必要に関わる領域をユニバーサリズムで満たしていくべきだとする。私たちは正義を二つの基準で判断しており、一つは「何をどの程度得ることができたか」ということだが、いま一つは「社会や政府からどのようにあつかわれたか」ということだという。

課税でいえば、前者は累進課税、後者は定率課税に相当するが、課税が定率であっても給付が一人あたり同額であれば再分配になる(これは、前々回のエントリで私も書いたように、人頭税の逆の話だから当然である)。

井手氏の師である神野直彦氏の「再分配のパラドックス」を想起させる論であるし、所得税の累進度合いが緩く、消費税への依存度の高い北欧を範にとれば上記のような主張になるのかもしれない。

もちろん、井手氏は「税収は主に消費税に頼れ」と言っているわけではない。アメリカとスウェーデンという、福祉国家の軸をとれば両極ともいえる2つの国が財政再建した際、ともに富裕層への増税を行って成功した事例を述べたり、今般の「税と社会保障の一体改革」に関しても、下記のような記述がある。

 社会保障・税一体改革を経て、二〇一二年八月、消費税の一〇%への引き上げを行う法案が国会を通過した。受益と負担のバランスを重視する本書の見かたからすれば、税と社会保障を一体的に議論する方向性は評価できるし、一九八一年の法人税増税以来の基幹税の純増税を実現したのも、意義のあることである。

 しかし、大きな問題も残した。それは消費税のみに議論が集中し、税制改革案が偏ったものとなってしまった点である。

 当初の民主党案では、所得税の最高税率の引き上げ、相続税の課税強化、資本所得課税の軽減廃止が議論され、これとの関係で消費税の増税も位置づけられていた。つまり、逆進性の強い消費税に対して、富裕層への課税を強化することで、そのバランスが図られようとしていたのである。

 これは日本では珍しいが、諸外国の経験に学べば、オーソドックスな増税のやり方だったと言えよう。しかしながら、民主・自民・公明の三党合意を経て、最終的に消費税の増税以外の項目は先送りされることになった。

(井手英策『日本財政 転換の指針』(岩波新書, 2013年)139頁)


ところが自民党は民主党政権時代には反対していた所得税その他の増税を、政権を奪回したらいきなりやることに決定してしまったのである。野党なら好き勝手言って、与党になると豹変する自民党がしたたかだと言うべきか、自民党の脅しに易々と屈してしまった野田政権がふがいなかったと言うべきか。おそらくその両方だろう。なお繰り返すが、私は消費税と所得税・相続税・資本所得化税の軽減廃止は、後者を先行させるべきだったと考えている。

最後に、今年の春闘についてだが、経団連や大企業は、安倍政権に協力するつもりなら、賃上げを奮発すべきだろう。普通は賃金は物価よりも遅れて上がるが、インフレターゲットによって仮に物価が上がっても、賃金が上がらなければ国民の生活は楽にならない。そもそも定期昇給を見送ったりすればインフレになるどころかデフレが強まってしまう。だから先駆けて賃金を上げておけと言いたいのである。物価が上がったのに給料が下がれば、暮らしの苦しくなった国民は安倍内閣の支持率を下げ、政府の税収も増えない。財界にとっても良いことなど全くないはずだ。

そのくらいのことも解さない財界であるのなら、「経営陣(財界)がアホやから仕事がでけへん」との誹りは免れまい。
昨年末の衆院選で大敗した「日本未来の党」は、まだ分裂劇の余燼がくすぶっていて、嘉田由紀子が大津で行われた新年会で何やら小沢一郎の悪口を言ったらしい。一方、「小沢信者」は私の見るところ二派に分かれていて、開票マシン「ムサシ」を用いた不正選挙にやられた、実は「未来の党」は勝っていた、という「勝ち組」と、敗北を認める「負け組」に分かれているが、後者にしても、敗因は嘉田由紀子を担いで小沢一郎を表に出さなかったからだ、つまり小沢を正面に押し出していれば勝っていたと主張しているに過ぎない。最初に書いた嘉田由紀子は、逆に敗因は小沢にあると主張しているわけで、三者三様であるが、私に言わせれば3つとも全くリアリティのない妄論であって、特に不正投票を声高に叫ぶ「勝ち組」小沢信者の醜悪さには目も当てられない。

「日本未来の党」には最初から勝機はなかった。嘉田由紀子はもちろん、小沢一郎も己が自惚れているほどの「指導力のあるリーダー」では全くなくなっている。私がそのことを最初に痛感したのは一昨年5月から6月にかけての「菅降ろし」の政局の時であって、あの時、小沢は強い指導力を持つリーダーが必要だと言っていたが、私は、東日本大震災の時に雲隠れした政治屋が、何をいつまでも『強力なリーダー』ぶってるんだよ、と鼻で笑ったものだ。今にして思えば、東北のリーダーとして存在感を発揮するべきまたとない機会だったはずの大震災の時に、地元であるはずの被災地を訪れるどころか雲隠れして「行方不明説」まで流された時、小沢一郎の命運は尽きたのだと思う。

東京新聞などは総選挙報道で日本未来の党を「リベラルのとりで」とまで称揚して風を煽ったが、同党への追い風には全くならなかった。その敗因を、同党の「脱原発」の本気度が疑われたと見る向きもあるが、私は同党、というより小沢一派の経済政策が信用されなかったことが最大の理由ではないかと考えている。

周知のように、小沢一郎は2006年に民主党代表に就任すると同時に、民主党の経済政策を転換して、社民主義的ともいえる諸施策を打ち出した。前任者の前原誠司が新自由主義的傾向の強い政治家だったためにその対比は際立ち、当時は私も民主党の政策転換を歓迎したものだった。

だが、民主党の政策には財源論に難があった。本来、当時の鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長には、自らがマニフェストに掲げた政策を実行する責任があったはずだが、普天間基地移設問題でつまずいて早々に政権を投げ出し、それに続く菅直人・野田佳彦両首相の内閣を、「マニフェスト破り」だとして批判した。

しかし、本来政策を遂行する責任があったはずの鳩山・小沢が勝手に政権を投げ出しておきながら、党内野党と化して権力抗争に明け暮れるさまを見て、「何やってるんだこいつら」と思ったのは私だけではなく、多くの有権者も同じだっただろう。この場合、「何やってるんだこいつら」という対象には、民主党内反主流派の小鳩派だけではなく、主流派の人たちも含まれることはいうまでもない。

「ムダの削減」と「埋蔵金」だけで政府支出を賄えるという小沢らの主張には説得力がなかったし、それ以上に私が小沢一郎に対する不信感を決定的に強めたのは、これまでにも何度も書いたように、小沢が「減税日本」を率いる河村たかしと手を組んだことだ。

当面の消費税増税反対論については、不況時の増税は景気を冷やすことと、これまでに減税されまくった所得税を見直すことから始めるべきだという論拠があり、これには私も賛成だが、将来的な税制をどうするかというビジョンを小沢らはいっこうに示す気配がなかった。私は、分離課税だらけの税制の見直しや、もうずっと続いている証券優遇税制(税率10%)を廃止して、所得税の累進制を強くした上で、消費税も増税すべきだと考えている。税制を所得税中心にするのはアメリカなど「小さな政府」をとる国の行き方であって、累進課税には景気の自動安定化機能がある。だが、そのことと表裏の関係として、税収が景気に大きく左右される。そのため、ヨーロッパの国々では税収を消費税にも頼っているというのが私の理解だ。

日本の国民負担率が低いのは周知だが、消費税の税収全体に占める割合はヨーロッパと変わらない。そこで、所得税も消費税もともに税収を増やす必要があるが、昨今の日本で格差が拡大してしまったことや景気に与える影響を考慮して、まず所得税を上げ、消費税の増税はそのあとにすべきだというのが私の意見である。

小沢一郎は、以前には所得税を半分にして消費税率を大幅に引き上げよというのが持論だった。言ってみれば、国民負担率が低いまま、直間比率だけヨーロッパ並みにしようという政策で、事実日本の税制はその通りになった。財務官僚は、今では所得税減税をやり過ぎたと臍を噛んでいるらしいが、一度決まったことは惰性で続くのが政治だ。

ところが、新自由主義のお株を小泉純一郎に奪われると、小沢は小泉構造改革のアンチテーゼとして「国民の生活が第一」のスローガンとともに、一連の社民主義的政策を打ち出した。それには当然ながら財源が必要で、アメリカ並みの国民負担率でやっていける政策ではない。しかし、選挙に勝つために増税を打ち出すのは得策ではないと考えた小沢は、それには触れなかった。そして、案の定政権交代のあと財源捻出に苦しんだが、いち早く鳩山由紀夫が政権を投げ出したために、小沢は党内野党として菅や野田が「マニフェストを破っている」と言うだけの、無責任なクレーマーに終始した。さらに「減税日本」と野合したとあっては、財政政策に関しては全くの支離滅裂としかいいようがない政治勢力とみなすほかなかった。昨年末の総選挙で、こうした小沢一派の無責任な態度に対して有権者の厳しい審判が下ったと私は考えている。

こうして、「なんちゃって社民主義」が雲散霧消した結果、民自公合意を推し進めると、世界に類のない「主に消費税に頼る税制の国」を目指す勢力として自民党、公明党の与党両党と、野田政権下で自公と合意した責任のある民主党があり、それに対抗するのは、維新の会とみんなの党という新自由主義勢力という構図となり、ヨーロッパでは大きな勢力を占める社民主義的な政策を掲げる政党は左翼2政党だけになった。そして「社会民主党」を名乗る政党は衆院選では2議席しか獲得できなかったが、何も社民主義政策を掲げて敗れたわけではなく、党首は「まずムダを削減しますぅ」というのが口癖で、選挙では日本未来の党と「共闘」した。これが日本の政治の現状だ。

なお、政権に復帰した自民党が所得税の最高税率を40%から45%に引き上げる方針を決定したことをもって、「古寺さんの思い描くような政策を安倍政権がやろうとしている」というコメントをした方がおられたが、残念ながらその政策は野田政権がやろうとしていたのを、自民党の一部が「頑張った者が報われない政策だ」として反対してきたことに過ぎない。年間所得3千万円だか4千万円だかで線を引いて、それ以上の所得について税率を5%上げたくらいではたいした税収増にならないのは誰にでもわかる。

まず分離課税だらけの税制を抜本的に見直し、長年10%に減税されている証券優遇税制をもとの20%に戻して初めて、政権に復帰した自民党を評価できるというものだ。今回の決定は、消費税の逆進性批判をかわすためのエクスキューズに過ぎない。直間比率で「直」が下がりすぎて問題なのは、景気の自動安定化機能が損なわれるからであって、これを保ちつつ、税収のうち景気に左右されない安定的な部分も、もし社民主義的な政策をとるのであれば必要になる、だから将来的には直接税も間接税もともに増税する必要があるというのが私の意見だが、おそらく潜在的には結構多いに違いないこうした政策を掲げる政党は存在しない。

憲法や外交・安全保障にしたって、安倍晋三には全くもって困ったものだが、それでもまだ官僚のブレーキが利くだけマシで、これが橋下徹なんかに取って代わられたらそれこそ破滅へ一直線だ。だから安倍が政権運営に行き詰まって前回同様「政権投げ出し」を期待するしかないという情けない状態だ。参院選は1人区のほぼすべてを制するであろう自民党の圧勝で決まりであり、2人区ではこれまでの民主に維新が取って代わり、比例区と合わせて第2党に躍進する可能性が高い。民主党と、2人区の新潟選挙区で現状では党代表の落選が濃厚な生活の党は存亡の危機に立たされ、社民党の獲得議席はおそらく1議席で、政党として認められる衆参合わせて5議席のギリギリに追い込まれる。

そんなわけで、今年の政治に期待できるものは何一つない。
月が変わり、年度が改まった。去る人あれば来たる人もあるのが世の常だが、今年は去る人が多く来たる人は少ない。職場のことである。多くの職場でも同様なのではないか。だから今年の4月は、東日本大震災と東電原発事故が起きた昨年以上に気がふさぐ、実に憂鬱な年度始めである。

年度が替わっても、原発再稼働、消費税増税、それに橋下徹が政治ニュースの3本柱であり続けるだろう。原発については、本来なら政府が「脱原発」の方針を明確にして、もはや破綻が明らかになっている昨年末の東電福島第一原発の「事故収束宣言」を撤回し、同事故を収束させるための見通しを立て直すとともに、従来の原発推進政策を転換して再生可能エネルギー推進の方針を明確に打ち出すべきだ。消費税については、冒頭で書いたように雇用が縮小して国民の懐具合が寂しい状況で強行すべきではない。さらにいえば、消費税増税の前にやることがある、とは言ってもマスコミや小沢一郎などがよく言う「ムダの削減」ではなく、直接税の税収を拡充する必要がある。

しかし、野田佳彦(「野ダメ」)政権は、原発は5月5日に北電の泊原発3号機が定期点検で停止する前に何が何でも再稼働させるという「まず再稼働ありき」の方針であり、消費税に関してもなんとか自民党と組んで2014年と15年の2段階で税率を10%に引き上げようと躍起になっている。マスコミは、原発については「再稼働・原発維持(ないし拡大)」を主張する読売・産経と、「脱原発」を志向する東京(中日)・朝日・毎日などに分かれるが、消費税については全社「税率引き上げ」で一致して政権を応援している。

消費税増税について反対しているのは、左翼少数政党を別にするとみんなの党と民主党の小沢グループだが、ともに「新自由主義勢力」としての色合いが強い。みんなの党は言わずもがなだが、先日民主党離党の意向を表明した東京9区選出の衆院議員・木内孝胤は、超富裕層に属する世襲4世のボンボンにして、かつて河村たかしの「減税日本」(「日本版『ティーパーティー』と位置づけられる)への共感を表明した人間だ。小沢派の「国民の生活が第一。」はもはや完全に「看板に偽りあり」である。今年の年初に政党交付金目当てで(そのために結党日まで昨年末と偽って)結党された「新党きづな」にも、小沢派の中でも特に右翼・新自由主義色の強い連中が集まっている。

現状、消費税増税反対論は彼ら「経済右派」が政局狙いで政権を揺さぶる狙いの動きがある程度であり、これが閉塞感を強めるのである。たとえば湯浅誠が消費税を推進する立場に立っている。その湯浅が内閣府参与を離れるにあたって出した「声明」毎日新聞のインタビューを『紙屋研究所』の4/2付記事「湯浅誠の声明とインタビューへの違和感」が批判しているが、共感できる記事だった。以下引用する。

 左派が累進課税や応能負担原則で攻め上げる。財界が消費税で騒ぐ。そういう力がぶつかりあって、「政治的・社会的力関係総体」(湯浅)によって決まるのだ。現在は消費税を引き上げるか引き上げないかのところでしか攻防がないのは、「増税の前にやるべきことがある」という行革圧力としての右派の声や、政局がらみで民主党の引き上げ法案に反対する声が大きいからで、その一つの流れとしての累進課税や応能負担をとなえる左派の声は、あまりにも小さすぎるからだ。

 もしその声が十分に大きければ、「消費税増税もやらせていただきます、あっ、でも累進課税の強化もちゃんとやりますやります」、というようなポーズを、民主党政権はとらざるをえないだろう。

 そういうときに左翼がやるべきことは、消費税の引き上げを認めることじゃなくて、「必要な水準をそろえるためなら、我々も負担する用意がある」ということを言うことなのだ。ただしそれは「累進課税・応能原則によって!」。

(『紙屋研究所』2012年4月2日付記事「湯浅誠の声明とインタビューへの違和感」より。赤字ボールドは原文により、青字ボールドは引用者による)


『紙屋研究所』の著者は「コミュニスト」とのことだが、累進課税や応能負担は、ヨーロッパでは特に左翼の主張でもなんでもなく、普通に認められていることではないかと思う。湯浅誠がそれさえも強く打ち出せず、消費税増税に傾斜する現状は本当に頭が痛い。累進課税や応能負担を言い出しただけで「左翼」とレッテルを貼られて「論外」扱いされるのが今の日本であり、せいぜい民主党内(小沢派)の「『増税の前にやるべきことがある』という行革圧力としての右派の声や、政局がらみで民主党の引き上げ法案に反対する声」が目立つだけという現状はお寒い限りだ。それには、少なくない「左派」が「小沢一郎支持」へと走ったことも関係していて、たとえばかつては小沢批判の急先鋒だったブログが、読者から金をとるようになると小沢一郎に親和的な態度へと論調を転換した例がある。また一般週刊誌としてはもっとも「左」の読者層を想定していると思われる『サンデー毎日』も、橋下徹は批判するけれども小沢一郎をやたらと持ち上げる。小沢一郎と「小沢信者」は日本の「左派・リベラル派」の力をとことん殺いでしまった。その害毒は計り知れない。

今日の民主党政権の原発政策も、昨年夏の民主党代表選で小沢一郎が原発推進派の海江田万里を推したことによって、「争点外し」が行なわれた。現在野田佳彦が原発再稼働に向けて血眼になっている一因は、小沢一郎が作ったものである。

だから、というわけでもないだろうが、昨年、東日本大震災の発生直後に「雲隠れ」し、出てきたと思ったら自公の菅内閣不信任案提出を煽った小沢一郎を国民の多くは見放している。たとえばある「小沢信者」のブログは、かつては1エントリあたり何百件もの「ブログ拍手」を受けていたが、現在はその数が全盛期の10分の1程度に激減している。一時は日に何万件ものアクセス数を誇った植草一秀のブログも、もう誰も言及する者もいない。

かといって自民党の支持が盛り返したかといえばそうでもない。一時は現時点で総選挙をやれば自民党圧勝確実かと思われたが、時間が経てば経つほど自民党の存在感が薄くなっている。たとえば自民党は、生活保護給付の水準を10%引き下げる改革案をまとめ、衆院選公約に盛り込もうとしているが、「生活保護叩き」のトレンドに安易に乗って大衆の劣情に媚びようとする卑しさがありありで、こんな動きを見ていると自民党だけは復活させてはならないと思う。

先般のAIJ事件で同社社長の年収が7千万円だったことが話題になっているが、そもそも「ローリスクハイリターン」があり得ないことなど新自由主義者が一番よく知っているはずだ。AIJが詐欺企業であることも、知る人ぞ知る「公然の秘密」だったに違いないが、こんなの(や消費者金融や人材派遣業)をのさばらせたのが小泉・竹中の「構造改革」だった。それを棚に上げて消費税を増税し、生活保護給付の水準を切り下げようと言ったところで誰からも支持されない。

この「生活保護叩き」自体、橋下徹からの強い影響を感じさせるが、その橋下は「民主党と自民党の消費税引き上げ」や「民主党政権(や自民党)がこだわる原発再稼働」をことごとく批判する立場に立つ。その橋下率いる「維新の会」がにわかでも何でも候補者をかき集めて全国の衆議院の選挙区に候補者を立てれば、少なくとも都市部では「維新の会」が圧勝するのではないか。事態はもうそこまできた。

最後に政局の話をすると、民主党と自民党、特に民主党は「維新の会」が馬脚を現すのを待つ戦法、すなわち解散総選挙の先送りを狙うのではないか。また、民主党と自民党で執行部を転覆させたい野望を持つ者どもも、9月に両党で行なわれる党首選(民主党代表選及び自民党総裁選)をにらんで、そこまで待とうとすると予想される。だから、民主・自民両党首脳の一部が「話し合い解散」の道を模索するにしても、当面政局は膠着状態を呈するのではないか。何より解散の切り札を切るのは、麻生太郎がためらってできなかったくらいで勇気というか蛮勇が必要だ。それを「野ダメ」が持ち合わせているかどうか。最近の「野ダメ」の思いつめた表情を見ていると、あるいはやりかねないかとも思わなくはないが、やはり難しいだろう。

そんなわけで現状の閉塞感はまだまだ続く。民主・自民両党執行部が期待する橋下徹の失速も望めないのではないかと私は予想する。なにしろ大阪ではもう4年以上も橋下人気が続いているのだ。

かつて私は漸進的なチェンジを期待していたが、今はもうそんな期待はどっかに消えてしまった。やはり日本は行き着くところまで行って、橋下が引き起こす破滅を経験し、焦土から立ち直る道をたどらざるを得ないのではないかと厭世的になる今日この頃である。
消費税と原発で野田政権が追い詰められつつあるように見える。

野田内閣発足直後の動きから推測して、野田佳彦首相は、積極的な原発推進論者であることは確実だろう。しかし、世論は急速に「脱原発」へと傾きつつある。永田町と霞ヶ関と大手マスコミの論調でしか感覚をつかめなかった「野ダメ」首相は、まさかこんなに原発に対する国民の忌避感が強まっているとは計算違いだったのではないか。

政権では、枝野幸男経産相の動きが定まらない。「原発維持」側に舵を切ったかと思うと、翌日には「脱原発」側に歩み寄るなど、動きがクルクル変わる。菅政権の内閣官房長官時代からそうだった。

東京電力はというと、そんな「野ダメ」民主党政権を見限って、早くも自民党の政権奪回に期待を託しているかのように見える。以下、毎日新聞記事(下記URL)から引用する。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20120129ddm003020136000c.html

電力会社・崩れる牙城:強気の東電、「改革」迷走 「選挙なら下野」民主政権の足元見透かす

 ◇幹部「値上げで1兆円稼げる。資本注入など必要ない」

 東京電力が17日に発表した企業向け電気料金の「不意打ち値上げ」。3月の東電改革決定を見据え、「東電国有化」を巡る政府との水面下の攻防が激化する中、吹き始めた「衆院解散風」をにらんだ思惑も交錯する。

     ◇

 「どこかの時点で腹を割って議論しなければ前に進みませんよ」。値上げ発表の4カ月ほど前、仙谷由人官房副長官(当時)は西沢俊夫社長に告げ、東電説得に乗り出した。

 仙谷氏は東電改革の政権側のキーマンと目されている。政府を離れ、民主党政調会長代行となったいまも、ひそかに東電の勝俣恒久会長に接触。公的資本注入後の東電の将来像について意見を交わしてきた。

 東電は福島第1原発の事故で原発を稼働できなくなり、火力発電の燃料費増加で経営環境は厳しさを増す。経営破綻に追い込まれれば、電力の安定供給や原発事故被害者への賠償が滞る。政府が描くのは、1兆円規模の公的資本を注入し、議決権の3分の2を取得して経営権を握る「実質国有化」だ。

 東電改革の素案には電気料金値上げや原発再稼働で収益を改善することも盛り込まれているが、「国民の理解」が大前提だ。民主党関係者は「東電には死んだふりをしてもらう」と政権主導の改革を目指す。

 ところが、東電はシナリオ通りには動かなかった。勝俣会長は政府関係者に「政府が議決権の3分の2を持つのだけは勘弁してほしい。50%以下でお願いします」と譲らず、年末年始をはさんだ交渉は難航する。

 議決権の3分の2を政府に与えれば人事権まで明け渡すことになる。公的資本受け入れは不可避とみる首脳陣の中にも「屈辱的な事態だけは避けたい」という組織防衛の意識は強い。

 東電幹部の間では資本注入にすら否定的な声がなおくすぶる。「料金値上げを実施すれば1兆円は稼げる計算になる。そうすれば政府からの資本注入など必要ない」。勝俣会長は年明け以降、「料金値上げは必要だ」と政府側に繰り返し、政府関係者は「建前論が先行して話が前に進まない」と焦燥感を募らす。

 「民主党に好きなようにやられるなら東電の方からひっくり返せばいい」。東電幹部は最近、接触を重ねる自民党政権下の閣僚経験者らに言われた。賠償責任を負わずにすむ「会社更生法の申請」の打診だった。

 別の幹部は漏らす。「選挙になれば民主党は下野するだろう。そんな政権に経営権を委ねるわけにはいかない」。消費増税問題を抱え、支持率低下にあえぐ野田政権の足元を見透かすように強気の姿勢をみせる。

 ◇発送電分離も失速

 「東電は置かれた立場をわかっていない」。原子力損害賠償支援機構幹部はいら立ちを隠さない。1兆円規模の公的資本注入方針は固まりながらも、東電改革が迷走するのは、政府内にも温度差があるためだ。

 「国が経営権を握ることでリスクも生じる」。政府内には料金値上げや原発再稼働に慎重な枝野幸男経済産業相に対し、原発事故が再発した場合に国の責任になることや、値上げなどをせずに東電の経営改善が進まない場合の国民負担増を懸念する財務省などに経営権を握ることへの慎重論があるという。

 「東電国有化」への政府の動きがまとまりを欠く中、改革の目玉のはずの発電部門と送電部門を切り離す「発送電分離」も勢いを失いつつある。「国民から抜本的な改革を求められている」。東電改革の陣頭指揮をとる枝野経産相は昨年12月、こう強調した。電力業界では「送電部門を資本関係のない別会社にする『所有分離』まで踏み込まなければ現状と変わらない」(電気事業連合会幹部)というのが定説。政府内の改革急進派は「所有分離」を有力視した。

 現在の制度では送電部門の会計を発電部門と分ける「会計分離」を採用。経産省内には「東電という会社をこの世から消すための発送電分離が必要だ」として、東電の送電部門以外を売却する「解体案」も検討された。

 しかし、現在、政府内で検討されているのは、送電部門の運用を電力会社から独立して設置する公的機関に委ねる「機能分離」案。政府内の検討の結果、「民間資産を強制的に切り分けるのは、私有財産権の侵害になる」(経産省幹部)として「所有分離」への慎重論が浮上。残る選択肢の送電部門を分社化して東電の傘下に置く「法的分離」では「一体運営の延長」との異論が続出、消去法的に機能分離が有力となった。独立性をどこまで貫けるかが焦点だが、政府内では公的機関に電力会社から出向させることも案として浮上。東電の影響下に置く形態になれば、改革は骨抜きになる可能性も残る。

 「福島の賠償を優先させるためにも、発送電分離は先送りだ」。今月上旬、交渉を担当する政府関係者は東電幹部にこう告げた。衆院解散・総選挙が視野に入る中、「制度改革は賠償問題が落ち着いた後に時間をかけてやる」(政府関係者)と、先送りムードが高まっている。

 「消費税しか頭にない今の政権に発送電分離をやり遂げる強い意志も力もない」。発送電分離に積極的な経産省幹部はあきらめ顔だ。東電改革は出口の見えない迷路に入りつつある。【斉藤信宏、三沢耕平、野原大輔】

(毎日新聞 2012年1月29日 東京朝刊)


確かに、野田首相は「消費税(増税)しか頭にない」ように見える。民主党代表選や総理大臣就任直後の頃とは全く違って、思い詰めたような険しい表情をしている。それを見ていると、野田首相が真面目な人であることだけはわかる。おそらく、「消費税増税こそ日本の将来のために自分に課せられた使命」だと信じているようだろう。それは間違った信念だと私は思うが、そういう人だからエスタブリッシュメント層は総理大臣に据えたかったのだ。

昨日(29日)、安住淳財務相がテレビ番組で消費税を税の柱にしたいと発言したのを聞いて私は驚いた。アメリカのような「小さな政府」の国にもヨーロッパのような「福祉国家」にも当てはまらない行き方だからだ。

たまたま昨日から経済学者・八代尚宏が昨年書いた中公新書の『新自由主義の復権』を読み始めた。自ら堂々と「新自由主義」の立場を標榜する八代は、第1章「新自由主義の思想とは何か」に下記のように書いている。

 また、不況期の景気対策で拡大した財政赤字が、次の好況期の税収増による財政黒字で相殺されれば、景気循環を通じた財政収支は均衡を維持できる。しかし、長期的な財政収支の均衡が成り立つためには、よほどの財政規律が必要とされる。現実には、多くの政治家は不況を理由に財政支出を増加させることには熱心でも、景気が回復した後の税収増は国債の償還にではなく、新たな歳出の増加に向ける行動が一般的である。ケインズ理論は、暗黙のうちに賢人政治を前提としていたが、これが成り立ちにくいのが、とくに日本の政治の現実である。

 ケインズ政策は、指導者が賢人でなければ成り立たない。それに対して、新自由主義の立場から考えれば、単なる需要不足の段階では、政府は何も行動せず、財政の「自動安定化装置」に委ねるのがよい。これは、累進的な所得税制では、好況期に所得が増えれば自動的に税収が増加(増税)となり、不況期には逆に減税となる。また、不況期に失業者が増えれば、自動的に失業給付という歳出が増える一連の機能を指している。

 こうした自動安定化装置の範囲を超えた財政政策を超えた財政政策を発動することは、景気の先行きへの不安が蓄積し、総需要がどこまで減少するか不確実性が高まるような状況に、極力限定する。(後略)

(八代尚宏『新自由主義の復権』(中公新書, 2011年)24-25頁)


読んでいて、さすがは「新自由主義」を自ら掲げる著者だけのことはあると思った。「小さな政府」の税制をとるアメリカの税制は直接税が中心になっており、著者もそれを志向しているのだろう。

一方、ヨーロッパの福祉国家では消費税の税率が高いが、これは消費税の税収が景気に左右されにくいことと関係があって、コンスタントな福祉・社会保障のためにはそういう性質を持った財源も必要ということだ。だから私も消費税自体を否定するものではなく、将来的には消費税増税も必要な局面に至ると考えている。

しかし、それも所得税や法人税がまともに機能していての話だ。「バブル景気」の頃の自民党政権、特に竹下登内閣が「バラマキ」を行い、所得税を減税して景気の「自動安定化装置」の機能を毀損してきた。中曽根康弘ともども、竹下登に対する批判はこれまで十分なされてこなかったのではないか。そして人脈的にこの竹下とつながる人物として、言わずと知れた小沢一郎もいる。小沢も、バブル時代の自民党政権下で自民党幹事長を務めた(海部俊樹内閣時代)。その小沢一郎の当時からの現在までの変わらぬ持論が「所得税と住民税の大幅減税」であることに注意したい。ただ、当時の小沢は同時に「消費税の大幅増税」を主張していたが、現在ではその主張は隠している(本音では当時と変わっていないと私はにらんでいるけれど)。

現在の野田政権は、毀損された所得税の「自動安定化装置」機能の回復もそこそこに、消費税増税にばかり血眼になっていて、それが安住淳の「消費税を税の柱にする」発言につながったのだろうが、アメリカのように直接税中心でもなければ、ヨーロッパのように直接税の税収が景気に左右されやすい欠点を補うために直接税と消費税を両輪とする税制でもない、世界に他に類を見ない日本独自の「専ら消費税に頼る税制」を目指すということなのか。景気の自動調節機能を持たず、単に大富豪(土豪)や大企業に優しく弱者に厳しいだけの「いんちきネオリベラリズム」ともいえそうな「トンデモ税制」の下では、いつまで経っても景気は回復せず、格差が拡大して貧困に陥る国民が増えるだけだろう。

そして、民主党政権もマスコミも「消費税増税のためにまず身を削る」などと言っているが、噴飯ものだ。公務員の人数削減とはすなわち公共サービスの縮小であり、公務員給与の削減によって間違いなく民間の給与も連動して下がるし、国会議員の定数削減は「民意の切り捨て」にほかならない。特に、民主党が2009年総選挙のマニフェストにも掲げた「衆院比例定数80削減」は愛媛新聞も書く通り論外であり、いくら「マニフェストに書いてあることはやるんです」と言ったにせよ、これに関しては前言を翻してもらって大いに結構だ。

いや、原発の件にしても、民主党は小沢一郎代表時代の2007年に、それまでの「原発を慎重に推進」から「積極的に推進」へと政策を転換した。それだって、東電原発事故という現実を前にして、事故前には原発の輸出に前のめりだった前首相の菅直人が「脱原発依存」へと政策を転換した。野田首相はそれを再転換したいようだが、いっこうに原発事故が収束しない現状は、野田首相の思惑とは逆に、菅政権時代の「脱原発依存」からさらに一歩踏み込んで「脱原発」へと進むことを求めている。

野田首相の政治的体質からしてあり得ないとは思うが、野田首相が税制と原発に関する政策を転換しない限り、次の総選挙でこの2点に関して民主党よりひどい論外な政策をとるであろう自民党が政権に復帰するか、さもなくば橋下徹が国政に進出してきて日本を焦土にしてしまうだろう。
野田新内閣の支持率は思いのほか高く、読売新聞の65%を筆頭に、共同通信63%、毎日新聞56%、朝日新聞53%と続く。民主党の支持率も「V字回復」とやらで、朝日新聞の調査では政党支持率は民主党31%、自民党17%となっている。これが本当なら自民党が真っ青になる数字で、なぜなら小選挙区制という選挙制度を考えれば、この数字で解散総選挙をやられたら、自民党は党勢は回復するものの政権には返り咲けないからだ。もっともこう考えるのはもちろん早計で、早晩内閣支持率も民主党支持率も落ちるだろう。それに不思議なことに、朝日新聞よりかなり高い内閣支持率をたたき出した読売の調査では、政党支持率では自民党がなお民主党を1ポイント上回っている。

朝日と読売でどうしてこんな違いが出るのかということに関して、ある人がいつか言っていたのは、いわゆる「右寄り」の人は、朝日の調査というだけで回答を拒否するからではないかということだった。それにしても両紙調査の結果、特に政党支持率が違いすぎるが、今回の野田内閣が自民党支持層に好感を持たれているのは間違いないと思う。

新聞報道で気持ち悪いのは、野田佳彦の「人柄」をことさらに持ち上げる報道が多いことで、特に読売ではそれが目にあまるほどだが、朝日でも読売ほど極端ではないものの同じような報道をする。菅直人を極悪人のように貶め、野田佳彦は素晴らしい人格者であるかのごとく持ち上げる報道に接していると、どこの独裁国家のマスメディアなのかと背筋が凍る思いがする。

ところで今回の野田内閣発足に関して面白いと思うのは、いわゆるネットの「小沢信者」の一部にも野田政権を歓迎する声があることだ。私が見た限りでは、「菅、枝野、岡田、仙谷が内閣を去った台風一過、秋風爽やか内閣」、「挙党体制に配慮した人事で、現時点では不支持とする理由はない」などと野田政権を絶賛する「小沢信者」の意見が見られた。

事実はどうかというと、小沢派からは一川保夫防衛相と山岡賢次(笑)国家公安委員長・拉致担当相が閣僚に任命されたほか、なんといっても大きいのは輿石東を幹事長にしたことだ。この結果に小沢一郎は「バランスのとれた人事だ」と満足そうだったという。

ところが鳩山派はそうではない。鳩山派からは閣僚はゼロ。菅改造内閣では2人いたのだから、明らかに鳩山派は干されている。鳩山派は派内の結束も緩んでおり、あの「気合いだあ」のオヤジ・中山義活は鳩山を捨てて鹿野派結成に協力し、実質的に鳩山派から離脱していると見られているらしい。内閣不信任案否決の前後から小沢一郎にコバンザメのようにくっついていった鳩山由紀夫に対して周囲の議員が不信感を持つようになったと言われているが、例の母親から鳩山由紀夫に対する「子ども手当」が暴露されてこれが使えなくなったことによる政治資金のショートが大きいのではないか。鳩山由紀夫は党内で力を失いつつあり、次期総選挙では自民党が北海道9区に橋本聖子参院議員を送り込もうという動きもある(橋本本人は否定している)。鳩山由紀夫はここは観念して、総理大臣辞職を決めた日の決意を思い出して潔く政界を引退すべきだろう。

一方で「小沢信者」の中には「小沢さんは鳩山に海江田万里支持を押しつけられた」というとする見方もあるが、ひいきの引き倒しとはこのことだろう。野田内閣が成立してみると、前述のように一部の小沢信者が「秋風爽やか内閣」と絶賛するような人事になったのは、小沢一郎が海江田万里支持を打ち出して鳩山由紀夫を油断させておいて、裏で野田佳彦とも取引した結果だとしか私には思えない。今回の組閣で私がほとんど唯一評価しているのが与謝野馨を入閣させなかったことだが、これにも小沢一郎の意向が反映されているのではないか。もっともこの人事だけは「結果オーライ」であるにせよ良かったと思うが。

しかし、実際のところ問題なのは野田が行なおうとする政策であり、原発再稼働、復興増税の財源としての消費税増税、TPP推進などが早くも打ち出された。このうち原発再稼働については、旧社会党で昨年の民主党代表選では菅直人を応援した鉢呂吉雄を経産相に任命したという人事に、いかにも野田佳彦らしい嫌らしさを感じる。菅グループではないものの、旧社会党で菅直人よりだった政治家に原発再稼働をやらせれば、民主党内の「脱原発依存」の流れをほぼ断ち切れると野田は読んでいるのだろう。鉢呂吉雄は早くもその野田の軍門に下りそうな気配が濃厚だ。

もっとも同様の人事を菅直人もやっていて、それは海江田万里に経産相を押しつけてTPPをやらせようとしたことだった。鳩山派の海江田がTPP推進論者であることに菅は目をつけたのだった。しかし海江田は原発推進論者でもあったために、東日本大震災を機に菅が「脱原発(依存)」に転向すると、菅と海江田がぶつかるようになった。これは菅の自業自得だったともいえるが、そんな海江田を代表選で担いだ小鳩派を見ていると、こいつらは揃いも揃ってどうしようもないとしか思えない。その結果、「原発再稼働、消費税による復興増税財源捻出、TPP推進」を三本柱とする最悪の野田政権ができてしまった。

この記事の最初の方で私がバカにした小沢信者の一人は、野田内閣支持の弁として、「所得税や法人税・相続税などの増税には基本的に賛成」だと言っているのだが、野田内閣は、菅内閣時代に所得税と法人税が想定されていた復興増税の財源として、酒税、たばこ税、それに消費税も候補に入れる方針を打ち出した。

メディアでもブログなどのネットでも、一口に「復興増税」という表現がされる場合が大半だが、どういう種類の税を復興増税の財源に充てるかという議論は、実際には東日本大震災発生直後からあった。あの経団連自らが「法人税減税の凍結、場合によっては法人税の一時増税」を提言したのが震災後最初に目を引いたニュースだった。直後には『週刊東洋経済』誌上で神野直彦が東西ドイツ統一の際の「連帯税」をモデルとした所得税や法人税の一時増税を主張したこともある。一方与謝野馨は消費税を復興増税の財源にすることを提唱し、それは一時的なものとするけれども期限が切れたら社会保障の財源に回すとの口実で恒久的な消費税増税にする意向であると新聞に報じられた。菅直人自らが入閣させた与謝野馨ではあるけれども、菅政権下では復興増税の財源に消費税を充てる方針はとらなかった。多少なりとも再分配に配慮したといえるかもしれない。

一方、野田佳彦は早くもそれを反故にして、消費税を復興増税の財源に充てようとしている。これでは与謝野馨を内閣から追い出したとは言いながら、与謝野以上に与謝野的な政策を目指しているとしか言いようがない。これでは与謝野馨を入閣させなかった意味は何もない。それなのに表向き輿石東を幹事長にしたり与謝野馨を入閣させなかったことに騙されて野田内閣を支持する人はおめでたい限りだ。

小沢一郎はと野田内閣の組閣人事にご満悦らしいが、そりゃそうだろう。小沢の政策は昔から「所得税と住民税の半減、それに伴う消費税の大増税」である。今でこそ次の総選挙までは消費税増税の議論は凍結するとしているものの、前にも書いたけれど次の総選挙などそう遠い未来の話ではない。それ以降であれば「消費税大増税」は小沢一郎の政策とも矛盾しないのである。こんなことを何度書いても、小沢一郎を熱烈に支持している人たちには通用しないと思うが、それでも書く。ついでに書くと、原発再稼働も小沢の政策とは全く矛盾しない。TPP推進もそうだ。

「党内融和」や「挙党一致」を売り物にする野田内閣に、私は不気味さしか感じない。「挙党一致」を一文字変えれば「挙国一致」になる。つまり、私にとって「挙党一致」とは戦時を思わせる言葉だが、民主党内で一致したところで、野田佳彦とその内閣は視線が全然国民の方を向いていない。日本に住む私たちにとって益をなす政治を野田政権がやろうとは到底思われない。

だから私は、こんな政権は断じて支持しない。
現在テレビのワイドショーでは大相撲の八百長の話で持ち切りだ。相撲への興味をすっかり失ってから久しい私にとっては、相撲で八百長をやっているのは当たり前のことであって、何で今頃騒ぐのかと思えるほどだが、それでも「週刊ポスト」が大相撲の八百長疑惑追及キャンペーンを始めてから30年以上経って、ようやく大相撲の八百長が事実として認められ、追及が始まったことに感慨を覚える。

突飛な連想かもしれないが、私が思い出したのは沖縄返還をめぐる密約の話だ。この密約は、元首相・佐藤栄作の密使として若泉敬が動いた「核持ち込み」の密約と、元大蔵大臣・福田赳夫(のち首相)と元大蔵省財務官・柏木雄介(2004年死去)が推進した、沖縄返還に伴うアメリカへの巨額の支払いに関する密約の二つに大きく分けられるが、これらについても密約の存在が歴史的事実とみなされるようになるまでには、長い年月を要した。

これほどまでにも社会に働く慣性力は大きく、流れを止めたり変えたりすることは容易ではない。誰もが無謀だとわかっていた先の戦争は、結局2つの原爆を落とされなければ止まらなかった。チュニジアの政変をきっかけにエジプトなどアフリカに飛び火した反政府運動の件もあるから、何も日本ばかりとはいえないかもしれないが、日本人の辛抱強さは際立っているように思えてならない。

戦時中には「欲シガリマセン勝ツマデハ」というスローガンもあったし、10年前にも「痛みに耐えるカイカク」を絶叫した「ライオン宰相」もいた。その宰相を感動させた、痛みに耐えて土俵に上がって賜杯を抱いた横綱の末路を例に引くまでもなく、やせ我慢が良い結果をもたらすことなどほとんどない。日本人はもっと言いたいことを堂々と言うべきである。

だが、それをしないから日本人といえるのであって、与謝野馨の入閣について、世論調査の結果ではこの人事を評価しない意見が過半数を占めるが、その反面、消費税増税やむなしという意見が6割以上を占める。国民の多くは、もうこれまでのような経済成長は無理だし、税収も増えないとして、多くの人々は前述のように消費税増税受け入れに傾き、他のある種の人々は小沢一郎による特別会計の見直しに期待を託す。

たとえば、ある掲示板のスレッドで、私が例によって「小さな政府」論と、その代表的な政治家である河村たかしと与謝野馨を批判したところ、こんなレスが返ってきた。
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=liberal7&mode=res&no=15528

Re: 大きな政府 理想的です (No.15522 への返信) - なおもて

> 「小さな政府」は、災害に遭った貧乏人は死ねという思想に基づく思想です。河村たかしなんかがその典型例ですね。与謝野馨も同類でしょう。
> 生活が大変だから他に引越せば良いという考え方には無理があります。


私が言っている「移動の自由」とは個人が変化して行く事です。そして、そうやって変化された社会が更に、個人を変化させていきます。
自由主義社会の基盤であり、個人と社会とはそのような連関性をすなわち循環(スパイラル)を持っているという事です。
ですから、すべての社会的現象はその二つの連関で見て行く必要があるという事を言っただけの事です。

「大きな政府」、それがすべてを解決してくれるなら「ユートピア」だし、無論反対意見はありません。
しかし、「大きな政府」を維持していくためには「大きな税収」が必要となってきます。
それこそ、「小さな政府」に反対をされるのでしたら、「大きな政府」を維持して行く「財源」をどのように考えておられるのでしょうか?
現実的に、1000兆円にちかい国債を発行して、支出予算の3割ほどの税収しかない今の日本国財政での「財源」という観点で教えてください。


この投稿者は小沢一郎の支持者であり、コメント冒頭の「>」がついた、河村たかしと与謝野馨を批判した部分は、私のコメントの引用である。

上記の掲示板では、スレッドの最初の記事から5日を経過したらコメントがつけられなくなるので、返事はしていない。上記投稿者が当ブログを読んでいるか私は知らないが、この場で答えたいと思う。

まず所得税の税収を増やすことである。去年のいつだったか、『AERA』に、「所得税の最高税率を1%上げても税収は対して増えない」などと書いてある記事があったが、なぜ1%なのか。これまで何十パーセントも下げてきたではないか。おまけに、分離課税だらけの税制と、その分離課税の税率が異様に低いために、日本は世界に冠たる金持ち優遇国家になっており、その恩恵に浴している金持ちを、さらなる自称「庶民減税」(笑)で優遇し、それでいながら貧乏人の支持をむしり取ろうとしている詐欺師が河村たかしである。その詐欺師は日曜日の夜に高笑いするであろうから、来週月曜日に当ブログで何を書くかは、今からもう決めている。

河村たかしや与謝野馨の悪口になるとついつい延々と続けてしまうが、与謝野馨の増税に嫌悪感を持つ人たちが、河村たかしの「減税」に惹かれてしまうところが救いのないところである。これも毎回のように書くけれども、貧乏人から取り立てる与謝野馨と金持ちに奉仕する河村たかしは、ともに「格差拡大と階級固定のためのプロジェクト」であるところの新自由主義を、もっとも過激に推進する人たちなのだ。

実は、証券の売却益や配当にかかる税金はヨーロッパでも分離課税になっている国が多く、高福祉高負担の代名詞であるスウェーデンでも90年代初頭の税制改革によって金融所得が分離課税になったのだが、それでも税率は日本の10%に対しヨーロッパでは25?30%になっている。日本のように、「景気への悪影響を配慮する」などといって、10年以上の長きにわたって軽減税率を続け、それに国民が文句一つ言わない国とは全然違う。この従順な国民のおかげで、日本の個人所得課税による税収は、先進諸国の間では際立って少ない。まずこれを増やさなければ、税収が増えるはずがない。

前回前々回のエントリで引き合いに出した飯田泰之のような、「大きな政府」論者ではない「みんなの党」シンパの学者でさえ、日本の税収が減ったのは金持ち減税をやりすぎたせいだ、税収を増やすにはまず所得税を増税することだ、と言っているのだ。これが現実だ。

しかし、実際には貧乏人に厳しい消費税増税をメインに据えている菅政権が、申し訳程度にへっぴり腰で富裕層増税にも手をつけようとしただけで、自民党や経済タカ派のテレビコメンテーターは、「努力した者が報われない社会だ」、「社会主義を通り越して共産主義だ」などと批判する。そして、これに対する国民世論の反発はほとんどなく、与謝野馨が言うがままの消費税増税を受け入れようとしている。なんという我慢強い国民だろうか。しかし、その我慢強さは、貴乃花のようにろくでもない結果をもたらすだけなのである。

昨日(2月3日)の朝日新聞に、「税を語る作法」という特集記事が出ていて、赤木智弘(フリーライター)、萱野稔人(津田塾大准教授)、西岡純子(証券会社所属のエコノミスト)の3人が記者のインタビューに答えているが、3人のうちもっとも共感できる主張をしていたのは赤木智弘だった。記事には「頑張れない人にも再分配を」という見出しがついているが、赤木の主張はいたってシンプルである。下記に赤木のインタビューの後半部分を要約した。

戦後企業が社会保障を仲介してきたけれども、現在は福利厚生を削って給与を下げている。国が企業を守り、企業が国民を守るという関係性は崩壊したのだから、国は企業を守るのではなく個人を守る方向に転換すべきだ。その意味で税と社会保障の一体改革という菅政権の考え方は正しい。増税が弱者への打撃になるという考えもあるが、増税分が弱者に再分配されるなら、そうはならない。しかし、考え方は正しくとも、政策レベルでは良い方向にはいかない。今の日本社会の考え方では、頑張っている人に再分配したいということになるだろうから。

(朝日新聞 2011年2月3日付 赤木智弘インタビューより抜粋・要約)


これは朝日新聞に載った記事だから、「税と社会保障の一体改革という菅政権の考え方は正しい」などという目障りな文言があるが、赤木が言いたかったのは「国は企業を守るのではなく個人を守る方向に転換すべきだ」という部分だろう。そこに私は全面的に共感する。赤木が言う「政策レベルでは良い方向にはいかない」というのは、具体的には法人税減税や消費税増税を指すと解釈される。つまり、与謝野馨が主導する税制改革では、「頑張っている人に再分配する」ことになってしまうのだ。

折しも、「鍋党」のブログ、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」では今週、Takky@UCさん執筆の「法人税」シリーズを連載した。その最終回「法人税(3) 国際競争力とは?」(下記URL)が今朝公開されたので、当エントリと併せてお読みいただければ幸いである。
http://nabeparty744.blog111.fc2.com/blog-entry-7.html

「鍋党」ブログ(「鍋ブログ」)では、mixiの「鍋党コミュ」参加者だけではなく、広く読者の皆さまからの投稿も募集しているので、掲載希望の記事があればご連絡いただければ幸いである。ブログのコメント欄(非公開コメントの投稿が可能)などを利用することができる。

さて、朝日新聞の「税を語る作法」に話題を戻すと、3人の論者の中でもっともいただけなかったのは、証券会社所属のエコノミスト・西岡純子だった。所属から想像がつく通り、基本的に企業の側の視点に立っている。本当に、証券会社のエコノミストにはろくな人間がいない。しかし、その西岡でさえ、富裕な高齢者層が持つ金融資産を移転させることが必要だと言い、相続税増税や贈与税減税を評価し、日本の国民負担率はヨーロッパと比較して高くないことを指摘している。国民負担率が高くないのは、特に富裕層に対する所得税が低いことが最大の原因である(分離課税だらけでかつその税率が低いために、超高所得者層では逆進性さえ示している)。萱野稔人のインタビューも感心しない部分がかなりあるが、萱野も所得控除や特別措置だらけの税制の構造を批判している。

河村たかしの「減税日本」は、そうした問題は無視して、「減税すれば富裕層の消費意欲を刺激して経済が活性化される」とでも言いたいのだろうか。そして、その河村の言い分を支持する人たちがいかに大勢いるか、それが示されるのはもう間もなくである。
最近残念に思うのは、ブログの記事に「ここまで堕ちたか菅政権!」というタイトルをつけるとアクセス数が急増するのに、そこから消費税や人頭税(!)の「逆進性」の話を始めると、とたんに反応がぱったり止まってしまうことだ。私にとっては、「ここまで堕ちたか菅政権!」という「日刊ゲンダイ」風の煽り文句は、税制に関する主張を聞いてもらうための客寄せに過ぎないのだが、煽り文句を見ただけで人々はもう十分らしい。そして、マスコミのプロパガンダをみんな鵜呑みにしてしまって、前回のエントリのように、分離課税になっている株式の売却益や配当などへの課税が、総合課税化されるところか、20%から10%に軽減されたままの税率が10年以上も続くことになる、と書いても全然反応がない。どうやら、「『応益負担』論の落とし穴と税制」などという小難しそうなタイトルがいけなかったらしい。同じ主旨の文章を、「日本の所得税制が超高所得者に有利な逆進課税になっている動かぬ証拠」というタイトルをつけて書くと、何万というアクセス数になるというのにである。

世論がこんな状態だから、税収を増やしたい財務省は、「税金は取りやすいところから取る」、すなわち消費税増税路線に走る。私は、消費税増税を阻止したかったら、証券税制の総合課税化を含む金持ち増税を国民世論として盛り上げていかなければならないと思うのだが、現実に流行する考え方は河村たかしの「減税日本」なのだからどうしようもない。「財政再建至上主義」と「減税真理教」は、いずれ劣るとも優らない「新自由主義思想」の最たるものなのだが、小泉・竹中の構造改革を批判しながら与謝野馨を支持する人間や、はたまた河村たかしを支持する人間が後を絶たない現状は困ったものである。

mixiコミュとして立ち上げた「鍋党」は、そんな流れに対抗して、「再分配を重視する市民の会」を標榜している。常時参加者を募集しているが、現在はブログを立ち上げたほか、さまざまな方法で会の主張をアピールするための準備を進めている。基本的に、「鍋党コミュ」のトピックで議論をオープンにしているので、興味のおありの方の積極的な参加をお待ちしている。また、mixiに登録することができない方々のための場を作ることも考えている。

「鍋党」のブログは、25日に4番目のエントリ「何故、応能負担原則が応益負担より公平な税制と言えるか」(筆者・秋原葉月さん)を公開した。このエントリは、応能負担原則が、憲法14条の定める「法の下の平等」の精神に沿ったものであることを丁寧に解説している。いわば正義の観点から応能負担原則を支持する趣旨だが、私はそれだけではなく、経済成長のためにも最適な再分配が必要であると考えている。少し前に、お前は再分配のことばかり言うけれど、「経済コラムマガジン」は「問題は分配ではない」と言っているぞ、お前はどう思うんだ、という主旨のコメントをいただいた。だが、「分配か成長か」という二者択一の問題設定に無理がある。実際、このところ毎回のように名前を出すが、経済成長を重視する「みんなの党」シンパの学者・飯田泰之が再分配の問題を語っていないなどということは全然ない。飯田泰之と雨宮処凛の共著『脱貧困の経済学』(自由国民社、2009年)から、見出しの一部を以下に挙げておく。

「再分配で貧乏人が増える国」、「相続税こそ増税せよ!」、「富裕層減税なんて効くはずがない!」、「年収1000万円以下はみんな『貧乏人』だ!」、「日本人は『逆進税』がお好き?」、「金持ち大減税の果て」。


この本で、飯田泰之は雨宮処凛を相手に言いたい放題。一部を引用する。


 実は日本はすごく減税をやってます。だけど、大幅な減税になっているのは事実上年収1000万円以上の人だけ。
 いま財政がものすごくやばい、破産する、とか言ってますけど、あれもバカな話で、たくさんお金を納めてくれるお金持ちだけを、これだけどんどん減税して、それで財政収支が悪くならないわけがない。
 小さな政府で無駄遣いをなくす、といえば聞こえはいいですが、小さな政府というよりは、たんに金持ちを減税した。年収2000万円以上の人は、減税による割り戻しが100万円とか、そんな感じ。
 (中略)日本の財政がここまでひどくなった理由について、どうしてみんなこんなにわかってないんだろう。そこが僕にはいちばん気持ちが悪い。
 「お金持ちを減税したから」という簡単な理屈を、メディアではほとんど聞いたことがない。でも、どう考えてもそうなんですよね。
 (中略)「なぜこんなに貧富の差が広がったんですか」と問われたら、僕はいつも「金持ちを減税して貧乏人を増税しているんだから当たり前ですと言います。
 (中略)しかも彼ら(引用者註:財源論を持ち出してプレカリアート運動を批判する人たち)はメディア作戦が圧倒的にうまく、みんなすぐに生活保護の話をしますよね。はっきりとは言わないけど「生活保障や社会保障のせいで財政が苦しい」と匂わせる。受給者が増えてるとか、ね。
 でもそんなことよりも、いちばん大きいのは金持ちを減税していることなんです。75%とっていた人から40%しかとらなくなったら、そりゃあ財政も悪くなります。

(飯田泰之、雨宮処凛『脱貧困の経済学』(自由国民社、2009年)89?92頁より抜粋)


飯田泰之はこのほかにも、贈与税や相続税の減税が景気回復になるという経済理論など、世界のどこにも存在しない(前掲書64頁)とか、2009年に麻生政権が行った15兆円の経済対策は、日本経済ではなく自民党への対策だ、あれで恩恵を受けるのは富裕層であって、大して恩恵を受けない年収700?800万円の中間層が喜ぶのは不思議だ(同95頁)とか、消費税は貧乏なほど負担が大きいので、もっと下げるべきだ、なくしてもかまわない(同235頁)などと主張している。

飯田は、「大きな政府」論者ではなく、政府支出の内訳を変えることで再分配を強化することと、インフレターゲットを強力に主張する論者だが、それでもこれだけ再分配の重要性を指摘する。飯田は、90年代のアメリカに安定的な成長をもたらした原因の一つは、ビル・クリントン政権が累進課税をきつくしたことだと言い、累進課税がきついと、好況時にはそれまで税率が20%だった人が税率30%になり、景気の過熱にブレーキがかかる、逆に不況期にはそれまで税率30%だった人が税率20%になるので、少し余裕ができてお金を使う、強めの累進の坂が景気の乱高下を防ぐと言っている(前掲書180頁)。これが「ビルトインスタビライザー」と言われる所得税の景気自動調節機能である。

バブル期に所得税の累進性を緩和した自民党政府は、それまでの税制が持っていた景気の自動調節機能を壊し、バブルの火に油を注ぐ真似をしていたわけである。特に罪が重いのは中曽根康弘と竹下登。中曽根は売上税を導入しようとして頓挫したが、竹下が消費税を導入した。80年代半ばまでうまく機能していた日本経済をおかしくした中曽根や竹下に対する批判こそ徹底的に行われなければならないのに、それどころか中曽根は今も政界に隠然たる影響力を持っているありさまだ。

以上のようなことを言う飯田泰之が「みんなの党」のシンパであることは理解できないし、渡辺喜美のアホ面を見ていると、渡辺が飯田の思い描く経済政策を実行する政治家であるとは私にはとても思えないのだが、この点は今回は触れない。また、飯田泰之は与謝野馨について、この本の脚注で「消費税増税による財政再建を強く主張する『財政タカ派』を代表する一人」と書いて批判している(前掲書87頁)。私は、「財政タカ派」どころか、与謝野のことを「経済極右」の「死神」だとして罵倒しているが、ここで与謝野批判にそれるとエントリの収拾がつかなくなるので、書きたくてたまらないけれども書くのをやめておく。

しかし、「減税日本」を立ち上げて名古屋市長選を戦っている河村たかしに対する批判は書く。財政再建至上主義の与謝野とは、一見ベクトルが正反対のように見えるが、その実、河村たかしも与謝野馨同様、現在の日本の政治家の中でも、もっとも過激な新自由主義者の一人である。ただ、与謝野が金持ちから減税した分を思いっきり貧乏人から搾取しようとしているのに対し、河村は十分すぎるほど減税した金持ちをもっともっと減税しようとしているだけの話である。「減税日本」の第1次公認候補に「会社役員」が多かったことは以前にも書いたと思うが、「減税日本」こそは、朝日新聞の某記者の名前のように富裕層の香りが漂う、富裕層の、富裕層による、富裕層のための政党だ。ところが河村は、巧妙にも「減税日本」の運動を「庶民革命」などと称して粉飾し、中間層以下の多くの名古屋市民の支持を取り付けた。テレビ朝日などのマスコミも河村を応援した。日本では、テレビに出演して露出度の高い人間は、選挙でもきわめて有利だ。河村の盟友という大村秀章が立候補する愛知県知事選を含む2月6日のトリプル選挙は、最悪の結果になることを覚悟しているが、それでも私は「河村たかしを倒せ、『減税日本』を倒せ」と叫ぶ。名古屋・愛知の選挙はもう告示されているが、落選運動であればネットで発言してもかまわないはずで、当ブログは堂々と「河村たかしと大村秀章を落選させよ」と呼びかける。

とにかく、何か「減税」が日本経済を活性化し、経済成長を実現させ、再分配を重視する人間は経済成長などどうでも良いと思っているに違いないという妙な錯覚というか思い込みというか一種の「信仰」が今の日本にはあるのだが、そんなものはとんでもない間違いであるというのが今回のエントリの主張である。もちろん、秋原葉月さんが言われるように、応能負担原則は憲法14条の「法の下での平等」を実現させるものでもあるのだが、同時に、日本経済の成長のためにも応能負担原則の徹底は必要だと声高に訴える次第である。

新自由主義者の言う「トリクル・ダウン理論」(金持ちの活発な消費が経済成長に結びつくという誤った信仰)など現実になったことはない。それどころか、いったん「負け組」になるとどこまでも転落する社会に恐怖を抱く金持ちは、財布のひもを固く締めてしまっている。だから金が市中に回らない。「金は天下の回り物」ということわざが現実のものになっていない。これが新自由主義社会の弊害なのである。

「経済成長のために国は再分配を強化せよ!」と声を大にして叫ぼうではないか!!
まず「鍋党(鍋パーティー)」のブログ「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」のお知らせだが、昨日(1月23日)、鍋パーティーの会員・秋原葉月さんが書かれた「日本の税制の不公平(1)?分離課税」が公開された。同内容のエントリは、秋原さんが運営されているブログ「Afternoon Cafe」にも掲載されているので、鍋党ブログともどもよろしくお願いしたい。

ところで、上記秋原葉月さんのエントリに、首相・菅直人のブレーンといわれた神野直彦・東大名誉教授の著書『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)を参照しながら、

税金は、担税能力のある者、即ちお金持ちほどたくさん納める応能負担が原則です。
その原則からすれば、所得税は比例税(所得のいかんにかかわらず同じ税率が課されること。法人税がそう)ではなく、累進税(所得が多いほど税率も上がること)こそが公平な税制といえます。

と書かれている。

これは、神野名誉教授のスタンスであるが、財政学においてはもう一つのスタンスがあり、それは「応益負担」といわれるものだ。応益負担とは政府サービスの利益に応じて税を負担することであり、これを「納税の原則」として大学で教えている財政学者もいるらしい。いうまでもなく新自由主義の立場に立つ学者の言説であり、再分配を重視する神野名誉教授の立場とは真っ向から対立する。

現在の日本において声が大きいのは、残念ながら「応益負担」を主張する人たちの方であり、極端な人になると「人頭税こそもっとも公平な税制である」と言っている。冗談か本気かわからないが、こんなブログ記事もあった。おそらく、リンク先のブログ記事を書いたブロガーを怒らせようとするネタ記事だろうと思って吹き出した。そのブロガーとは私のことである。記事は、『kojitakenの日記』に書いた(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110122/1295679240

記事のタイトルは、「ここまで堕ちたか菅政権! ついに『人頭税』を検討へ」というものだ。「はてな」のホッテントリにしてやろうと、わざとセンセーショナルなタイトルをつけて書き、狙い通り3桁の「はてなブックマーク」がついて、昨日の『kojitakenの日記』のアクセス数は、トータルアクセス数で12,632件、ユニークアクセス数でも9,874件に達した(「はてな」カウンタの計数)。狙ってこんなことをやるとは、われながらあざとい奴だと思うが、政権批判はこのくらい強烈にやらなければならない。自民党政権だろうが民主党政権だろうが、総理大臣が菅直人だろうが小沢一郎だろうが谷垣禎一だろうが、私は容赦しない。

ところで、人頭税はなぜ問題かというところから説き起こさなければならないとのご指摘も受けたので、それも『kojitakenの日記』に書いた。「応能負担と応益負担、比例課税と累進課税と逆進課税の話」と題したエントリである(下記URL)。「応能負担と応益負担」の部分は当エントリの内容と重複するが、あわせてご参照いただければ幸いである。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110123/1295750982

さて、『kojitakenの日記』に書いた私の菅政権と朝日新聞への批判は、B型肝炎集団訴訟で札幌地裁の和解案を菅政権が受け入れるのに伴い、救済に必要な3兆円規模の財源を捻出するために、所得税を時限的に増税する方向で野党と調整すると報じた朝日新聞記事の中に、下記の記述があったことに噛みついたものだ。

 対象の患者は3万3千人、感染しているが症状が出ていない人は40万人おり、政府の試算では、和解案に沿って救済する場合、30年間で最大3兆2千億円が必要になる。歳出削減で捻出するには財源の規模が大きいため、増税で国民に広く負担を求めたい考えだ。社会保障分野に使われている消費税の活用は見送る。

 具体的な増税の仕組みや導入時期はこれから詰めるが、5?40%の6段階ある所得税率を一律1%上げると、年1兆円程度の増税になる。この場合、3年程度で必要な財源を確保できる。ただ、税率引き上げは高所得者の負担額が多くなるため、所得にかかわらず、国民に等しく一定額の拠出を求める案も検討する。このほか、社会保険料の増額と組み合わせる選択肢もある。増収分で救済のための基金を創設し、申請に応じて和解金などを支払う。

(asahi.com 2011年1月22日 3時6分)


あのね、「社会保障に使われている消費税の活用を見送る」と書きながら、なぜそれよりも逆進性のもっと強い「所得にかかわらず、国民に等しく一定額の拠出を求める案」だの「社会保険料の増額」だのといった話が出てくるわけですか。

私は何も消費税の全否定はしない。直接税、特に所得税の税収がもっと拡充され、所得再分配効果が得られるようになれば、将来的には消費税増税を検討する段階が来るだろうと思う。しかし、現在の政治は所得税の税収拡充に逆行したことばかりやっている。その一例が、当エントリの最初に紹介した秋原葉月さんのエントリでも触れられている「証券優遇税制」である。これは、歴史的にはシャウプ勧告のもと、1950年に一度総合課税化されながら、1953年には早くも原則非課税(ただし売買回数、株数多などの条件で総合課税)とされ、その後1989年に課税化されたものの、譲渡益の26%に課税する申告分離課税のほか、売買代金の1.05%に課税する源泉分離課税が認められた。後者は、売買代金の5.25%を譲渡益とみなし、その20%に課税するという理屈だ。しかし、1989年といえば、年末に日経平均が3万7千円を超えたバブル期のピークであり、譲渡益が売買代金の9割を超える(=購入時と比較して売却時の株価が10倍以上になる)取引などざらだった。その頃の富裕層にとっては、まさに「濡れ手に粟」だったことになる。

その後、バブル崩壊で税収が減った大蔵省(のちの財務省)は、何とか税収を確保しようと動いた。源泉分離課税は2001年3月に廃止され、申告分離課税に一本化されることになったが、証券業界の反対に遭って廃止は2003年3月まで延期され、しかも申告分離課税の税率が2003年から5年間、それまでの20%から10%に軽減される措置が取られた。さらにこれは三度延長され、三度目は菅政権下の昨年末に行われた。テレビや新聞では法人税減税をめぐる玄葉光一郎と財務大臣の野田佳彦意見の対立ばかりが報じられたが、証券譲渡益や配当に対する税率軽減措置の延長についても、財務省の立場を代表して延長は1年にとどめよとする野田佳彦と、当初3年の延長を主張していた国民新党所属の自見庄三郎金融担当相の折衝の結果、結局2年間の延長が決まった。
http://jp.reuters.com/article/stocksNews/idJPJAPAN-18626920101214

長々と書いたが、要するに証券優遇税制に対する世論の批判がないから、私が以前から主張している総合課税化(民主党のいう「シャウプ税制からの脱却」とは正反対の「シャウプ税制への回帰」ともいえる)どころか、その逆に、分離課税の税率を下げる方向の圧力ばかりがかかり続けてきたのが、証券税制の歴史だったというわけである。麻生政権時代にも世界金融危機への対策として、菅政権になってからの今回も景気対策として、軽減税率が延長された。一部から「積極財政政策をとった」と評価されている麻生太郎も、4年前に今はなき「論座」のインタビューに対して「北欧の社民主義を念頭に置いている」と語った菅直人も、ともに政権を担って実行した政策は、新自由主義の「トリクルダウン」(富裕層の活発な消費によって経済が活性化されるという誤った信仰)に基づいているのである。

ようやくB型肝炎救済の話に戻るが、定額増税を検討する理由として持ち出されるのが、

同じ場にいて、たまたまウィルスに感染してしまった人と、幸運にも感染せずに済んだ人とがいたことを思うと、これは国民全員で負担を分かち合っても止むを得ない

という、これは『日本がアブナイ!』からの引用だが、こうした素朴な言説なのである。これは、最初に述べた「応益負担」の考え方そのものだろう。そうではなく、税制全体を概観するところから認識を持とうとしなければ、それこそ「日本がアブナイ」のではなかろうか。

私は何も、特定のブログを攻撃するためにこんな文章を書いているのではない。むしろ逆で、『日本がアブナイ!』を真面目で良心的なブログとして、常日頃から愛読しているからこそ、そんなブログでさえ陥ってしまう落とし穴をあえて指摘する次第である。

それにしても、菅政権がこんなにひどい「定額増税案」の検討などと言い出す裏に感じるのは、与謝野馨の暗い影である。民主党よりもさらに新自由主義色が強い(現在の)自民党にすり寄るために、こんな案を出すという、いかにも与謝野の考えそうな浅知恵に思えてならない。与謝野は昨日、全国ネットはされていないテレビ朝日のローカルネオリベ番組(テリー伊藤と長野智子が司会している)に出演し、議員辞職すべきではないかとの批判や、「変節」批判などに答えていたが、使命感に燃える与謝野の姿は異様なほどだった。よほど自分を大政治家だろうと思い込んでいるのだろうが、私が思い出したのは、最近の白川勝彦氏のつぶやきだった。

政治に関する報道の大半が、与謝野と小沢だ。二人とも自分がさも大変な政治家だと考えているようだ。しかし、私に言わせれば、二人とも凡庸な政治家に過ぎないのだ。そこが分かっていないことが、二人ともすでに過去の政治家だという証左なのだが…。

(2011年1月19日付 白川勝彦氏のTwitter)


その通りだと思う。小沢一郎の「政倫審出る出る詐欺」もひどいもので、西松事件、一連の小沢問題については、非は主に東京地検特捜部にあると考えている私でさえ、自らの問題を「政争の具」にしているようにしか見えない小沢一郎は、朝日新聞の「天声人語」子が書く通り、「国政の十字路に転がり落ちて動かぬ巨岩」にしか見えないし、与謝野馨にいたっては、その不自然な黒髪のようにドス黒い害毒をもって菅政権を滅ぼす「死神」にしか見えない。そういえば麻生政権で法務大臣を務めた鳩山邦夫を「死に神」と書いたのは朝日新聞だったが、「死に神」といい「巨岩」といい、朝日新聞もたまにはまともなことを書く。

いずれにせよ、巨岩に行く手を遮られ、「死神」を自ら招き寄せた菅政権の先は、もう長くないだろう。