私は朝日新聞の購読者だが、先月分の新聞代を集金にきた販売店員に、契約は来年1月までですが、そのあとどうしますかと聞かれたので、そんな先の話はわからないと答えておいた。3月までよく世間話をしていた販売店員は辞めたのか、4月から担当者が代わっており、その男とは雑談を交わす間柄ではないし、新聞を月極でとっている人は皆同じだと思うが、見返りなしでこちらから契約を申し入れたりなどしない。もっとも見返りといっても、少しばかりの洗剤をいただくとかその程度の話である。ただ、「先の話はわからない」と言った私に販売店員は「そうですよねえ」と答えたのだが、朝日の販売店員もすっかり弱気になってるんだなあとちょっと同情してしまった。
朝日バッシングが大手を振って行えると知ったネトウヨは、気に入らない論者を誰彼となくバッシングする暴挙に及んでいる。御嶽山噴火に自衛隊が出動した件に関する江川紹子氏のTwitterに対する攻撃もその一例といえる。
この件を、軍事ジャーナリストの清谷信一氏が取り上げた。記事は『東洋経済オンライン』に出ている(下記URL)。
http://toyokeizai.net/articles/-/49744
記事の冒頭部分を以下に引用する。
御嶽山への自衛隊派遣、口を挟むとサヨク?
必要なのは事実に基づく冷静な議論
清谷 信一 :軍事ジャーナリスト
2014年10月05日
9月27日の御嶽山噴火。多くの登山客の命を奪った惨事での捜索にあたり、陸上自衛隊が派遣された。これをみたジャーナリストの江川紹子氏がツイッター上で「むしろ警視庁や富山県警の機動隊や山岳警備隊の応援派遣をした方がよさそう」と疑問をツイートしたことに対して、一部の軍事オタクらが反駁、その中には江川氏を左翼と決めつけ、「左翼に軍事の常識を教えてやる」といったような言説も多かった。結果として、江川氏が引き下がるような形で幕を下ろした。
だがそれで良かったのだろうか。自衛隊に対する批判を許さない多くの論者は防衛省や自衛隊を疑うことを知らず、自衛隊を偏愛する傾向がある。今回のような「袋叩き」が増えれば、自衛隊のあり方に疑問を発することがタブー化する恐れもある。それが健全な社会だろうか。
得てしてネット論者の主張は客観性を欠くものが多く、事実と願望を混同することも少なくない。とくに、今回の一部論者の主張には極めて珍妙なものも多かった。その典型例は自衛隊の装甲車の投入の必要性を強調するあまり、「装甲車は火砕流に耐えられる」というものだ。(後略)
(「日本の防衛は大丈夫か - 東洋経済オンライン」より)
「江川氏バッシングは不健全」という結論には同感だし、そもそも私はなんで装甲車の議論になるのかさっぱりわからなかった。
私は、そもそも戦争が大嫌いということもあって、軍事技術に関心も薄く知識もない人間だが、山には関心も興味もあって、御嶽山には登ったことはないけれども山のどのあたりで登山者が噴火に巻き込まれた(噴石の直撃を受けたり火山灰を吸い込んだりした)かはわかるので、装甲車の議論が白熱する理由が全く理解できなかったのである。
それを指摘しているのが下記サイトだ。
http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/ppri/egawavsjsf.html
御嶽山噴火・江川vsJSF論争について
2014年の御嶽山噴火災害救助に自衛隊を投入したことについて、ジャーナリストの江川紹子さんが Twitter 上で疑問を呈し、それに軍事ブロガーのJSFさんが噛みついて騒動になっている。(togetter リンク)
私が一連のやりとりを見ていてまず最初に思ったことは、
「急峻な山岳に装甲車を投入するのが前提になってる議論はおかしいんじゃないの?」
ということであった。
(国境線に山岳地帯を有さない日本の)陸上自衛隊に、山岳地を行動する能力があるのか、という江川さんの疑問は素人としてはもっともなものである。それに対しては、正しい軍事マニアなら
「松本連隊はかつて「山岳レンジャー」とも呼ばれたほどの山岳地訓練を受けた部隊ですよ」と返すのが正しいあり方であり、第一声が「装甲車なら火砕流にも耐えられます」というのは視点の立て方がおかしいとしか言いようがない。
そして、その後の救助活動のようすや、自衛隊の公式発表を見ればわかるように、自衛隊投入の最大の貢献は、装甲車部隊ではなく、山頂付近まで迅速に飛び、被災者を搬送できたヘリコプター部隊の活躍である。空気が薄い高山で、空中停止を含めたあれだけの行動ができるとはすばらしい。そして、輸送ヘリに先んじて現地上空へ飛び、気象観測などの偵察任務にあたったヘリの威力も見逃せない。
そしてそれは、松本第13連隊の上級部隊である第12旅団が空中機動旅団だからできたことであろう。軍事マニアとしてはそういった編成面のことまで素人にわかりやすく説明できるべきではなかったか。(後略)
この意見なら納得できる。山には興味はあるが軍事技術には興味のない人間なら誰もが「急峻な山岳に装甲車を投入するのが前提になってる議論はおかしいんじゃないの?」と思ったのではないか。その素朴な感覚を裏付ける、軍事技術好に詳しい方はやはりおられた。この記事を読んで、ようやく私は一安心した。
御嶽山の噴火は、たまたま運悪く紅葉のシーズンの快晴の土曜日の正午前という、山頂に多数の登山客がいる最悪のタイミングで起きたが、火山の噴火としてはごく規模の小さな水蒸気爆発であって、亡くなられたり怪我をされた方は山頂付近にいた人びとに限定されている。だから、マグマ噴火を起こして麓まで火砕流が流れてきた雲仙普賢岳噴火とは状況が全く異なるのである。それなのに、装甲車の議論を延々とやっている。一体何を無意味な論争やってんだと思ってたら、江川紹子氏が謝ってしまった。
それに至るまでの議論の過程には、江川氏がうっかり相手の土俵に乗ってしまったミスもあったようだが、「軍事マニアの著名ブロガー=勝ち、江川紹子=負け」の図式は、ちょうど「吉田調書」報道における「読売・産経=勝ち、朝日=負け」と同じように誤りだと私は思うのだ。
前記「御嶽山噴火・江川vsJSF論争について」の記事は、2つのサイトにリンクを張っている。そのうち、ブログ『隅田金属日誌』の記事「馬に追従して鹿も『火砕流に耐えられる』」は書く。
http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-1195.html
自衛隊が装甲車を持ち込んだとしても、短期間なら火砕流に耐えられるからではない。火山弾に耐えられるかもしれない、あるいは、それこそ火災が略消えた状態で、余燼の中を通れるといった程度の理由である。そもそも、装甲車やら戦車やらが活躍できる地形でもない。
結局は、人による救助になる。その意味では、山岳救助隊の類の方が優れているという判断は間違っているとは言えない。装甲車を持ち込んでも、道沿い以外では近くまで寄れない。そこで移動式の掩体代わりに使える程度である。
また、『Openブログ』の記事「御嶽山に装甲車?」は書く。
http://openblog.meblog.biz/article/23752695.html
- 雲仙岳ではマグマ爆発の続発で高熱にさらされる危険性があり、装甲車が必要だった。一方、御嶽山では、一回限りの水蒸気爆発があっただけなので、人間とヘリコプターだけで足りる。装甲車の出番はない。(必要ない)
- 装甲車はそもそも、山面を登れない。雲仙岳では麓だけ(タクシーでも行けるところだけ)だったから、装甲車でも行けた。一方、御嶽山では、斜面を登ったかなり高いところである。そこを装甲車で登れるか? 登れない。たとえキャタピラーがあっても、どんなに強力なタイヤがあっても、装甲車は斜面を登れない。なぜなら、火山灰がたくさん積もっていて、スリップするからだ。実際、下山した人々は、「雪の上をすべるようだった」と証言している。こんなところを装甲車で登ったら、ある程度登ったあとで、一気に滑落する。その場合、装甲車の内部にいた人々は、死亡するか重症を負う。つまり、二次災害だ。一人として救うこともできず、救助隊員が死ぬだけだ。愚の骨頂。ゆえに、装甲車の出番はない。
これらの説明には説得力がある。最初に引用した『東洋経済オンライン』の記事でも清谷信一氏は書く。
噴火に際して装甲車が有用なのは主として火山弾に対する防御力であり、また履帯をもった装軌式装甲車は、不整地踏破能力が高いので、火山弾や火山灰の中でも走行がある程度可能であることだ。
かつて雲仙普賢岳の噴火において60式装甲車が使用されたのはそのような理由からだ。ある論者は、現在でも60式を利用できるかのように主張しているが、60式はすでに退役しており、後継の73式装甲車の装甲は鋼鉄製ではなく、より熱に弱いアルミ製である。たとえ60式が使用できるとしても、同形式にはNBC(核・生物・化学兵器)に対処する防護能力が装備されていないため、外気を濾過するフィルターもないために乗員は粉塵を吸い込むことになる。
今回、陸自が使用した装甲車は装軌式の89式装甲戦闘車だった。ただし進出したのは他の車両と同様、登山道入り口の7合目まで。装甲車では険しい山道を山頂まで登ることはできない。装甲車がどんな地形でも登れるわけではないのだ。
そうだよなあ。どう考えたって装甲車は現場までは登れないよなあ。それなのになんで装甲車が議論の中心になり、江川紹子氏がバッシングされなければならないのか。
断っておくが、前回の記事で異を唱えたネトウヨによるバッシングの対象となった勝間和代氏ほど「大嫌い」ではないが、私は江川紹子氏を大して買っていない。ウヨサヨ論で言うなら江川氏は右翼でも左翼でもなく、単に「保守的」な人であろう。だが、いわば「民主党的ご都合主義」の論法で「東電社員の『命令違反』」を非難した朝日新聞と同様、ネトウヨから見れば江川氏は「憎むべき左翼」らしいのだ。
清谷氏の記事についた「はてなブックマーク」に、こんなブックマークコメントをつけたネトウヨがいた。
confi 江川紹子を左翼ではないというのはかなり難しいのになぜ食いつくのか…やはり東洋経済自体が左寄り… 2014/10/05
これには脱力してしまった。そりゃまあネトウヨは石橋湛山を許容できないだろうけれど。それにしても住みにくい世の中になったものである。
しかし、北海道から鹿児島まで、火山にはずいぶん登ったものだ。だから遭難された方々の不運を他人事とは思えなかった。もちろん山登りは基本的に自己責任の領域に属する行為だ。しかし、今回の御嶽山は、数週間前から火山性地震の頻発が観測されてはいたものの、噴火の危険は低いと判断され、「噴火警戒レベル」は「平常」を示す「1」にとどめられた。
朝日新聞とともに民主党を非難することに余念のないネトウヨは、鳩山政権時代の2010年の「事業仕分け」で勝間和代が「仕分け人」として火山監視予算を縮小したと非難した(下記URL)。
http://matome.naver.jp/odai/2141182494501618101
勝間和代はひところ一世を風靡した新自由主義者にして、中部電力のコマーシャルに出ているとして東電原発事故が起きた頃に強い批判を受けた人物だ。急に吹いた逆風に対応しようと、勝間は一時「脱原発」派に転向したが、原発再稼働に熱心な安倍政権の支持率が高止まりしている空気を読んでか、最近再び原発推進派に戻ったという話がある。私も勝間和代は大嫌いである。
しかし、今回のネトウヨによる勝間和代批判は不当な言いがかり以外のなにものでもない。仮に勝間和代が「事業仕分け」で火山監視予算を削減すべきだとの判定を出さなかったとしても、今回の御嶽山の噴火は予知できなかった。地震の予知ができないのと同様、火山の噴火の予測など、ごく少ない例外を除いて不可能なのである。この事実を直視しようとせず、趣味とする「ミンス叩き」に血道を上げるネトウヨたちには激しい怒りを覚える。彼らには「恥を知れ」という言葉を贈りたい。
昨夜(9/28)、火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は、今回の御嶽山噴火のような火山の噴火を予知できないことをはっきり認めた。以下、NHKニュース(下記URL)から引用する。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140928/k10014945111000.html
予知連 藤井会長「現在の学問の限界」
御嶽山の噴火について、火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は記者会見で「マグマ噴火と比べて今回のような水蒸気噴火を予知することは本来、非常に難しい。突発的に起こることが多く、事前に明確に把握することは困難で現在の学問の限界だ」と述べました。
そのうえで、噴火の前に山頂付近で火山性の地震が増えていたことや、地下深くで火山活動を反映しているとみられる体に感じない低周波地震が起きていたことなどについて、「異常なことが起きているということを自治体や、場合によっては直接、登山客に知らせるなど、情報伝達に工夫があってもよかったのではないか」と指摘しました。
また「比較的規模の小さな噴火でも人がいる場所では大きな災害につながる。一方で少しでも危険なら近づくなとなると、活火山にはすべて近づくなということになってしまう。前兆を把握するのは難しく、完全に安全と断定することはありえないので、丁寧な情報発信があってもいいかもしれない。今回の噴火を受けて、今後、噴火警戒レベルの上げ方なども改善の余地があると思う」と述べて、情報伝達や噴火警戒レベルの運用の在り方について、改めて検討すべきだという考えを示しました。
(NHKニュース 2014年9月28日 21時21分)
それでも、「学問の限界」なら、まだ今後の科学の進歩で、いつかは予知が可能になるかもしれない。しかし、火山学者の早川由紀夫(この人が福島の被災者に投げつけた暴言は認めがたいが、今回は彼の専門分野にかかわるから、その意見には一定の信頼が置けると思う)は、
とまで言っている。だから、今回御嶽山に登って噴火に巻き込まれた方々は、航空機事故に遭遇したのと同じ「不運」としか言いようがない。学問の限界ではなく、原理的に不可能なんだと思う。地震予知と同じ。
御嶽山では、山岳写真家や山岳ガイドなど、職業で山に入る人たちも命からがら下山した。このうち、毎日新聞に報じられた山岳写真家の津野祐次さんと中央アルプスで言葉を交わしたことがあることは『kojitakenの日記』に書いた。産経新聞は「生きて帰れないと思った」という女性山岳ガイドの体験談を報じている。
記事で山岳ガイドの小川さゆりさんの語るところによると、軽トラック大の石が飛んできて地面にぶつかって割れ、破片が四方八方に飛び散り、黒い雨が降り始め、雷のような音も鳴ったという。なんとも恐ろしい地獄絵図である。私なら生きて帰ることはできなかったかもしれないと思う。
ところでこの御嶽山は、かつては「死火山」と思われていたが、1979年10月28日に水蒸気爆発を起こした。これが有史以来最初の御嶽山の噴火であった。それ以来、「死火山」や「休火山」という言葉は用いられなくなった。1979年の噴火の前兆として、1968年から噴気が観測されていたとのことだ。
火山活動や地震といえば、1991年に雲仙普賢岳の大噴火、1995年に阪神淡路大震災が起きた。この頃から、普段は地震がさほど多くなかった西日本で地震がよく起きるようになり、2000年に鳥取県西部地震、2001年に芸予地震が起きた。それ以降になると2007年の能登半島地震、同年の新潟中越沖地震と、北陸での地震が目立つようになったが、2011年には西日本でも北陸でもなく東北に、東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災が起き、この地震によって東電福島第一原発事故(東電原発事故)が引き起こされた。
東日本大震災・東電原発事故のあと、9世紀に起きた貞観地震が東日本大震災に匹敵する大地震であったとして注目された。しかし、1000年以上昔のこの時代に起きたのは何も貞観地震のみにとどまらない。貞観地震の数年前には富士山の貞観大噴火が起き、九州では阿蘇山が噴火した。また貞観地震の数年後には、東北で鳥海山が、鹿児島で開聞岳がそれぞれ大噴火を起こし、貞観地震の9年後には関東で多数の死者を出した大地震が起きている。
当時と同じような「大地動乱の時代」が到来しているのではないかと思えるのである。もちろん、今回の御嶽山の噴火は、上記の大噴火と比較するとごく小規模なものであって、運悪く紅葉シーズンの好天の週末に起きたために多数の死者を出してしまったものだが、それでも御嶽山の噴火としては1979年と並ぶ有史以来最大規模の噴火だった。そして、何より注目したいのは、噴火の予測は実質的に(特殊な場合を除いて)不可能であることがはっきりと示されたことである。
むろん私が言いたいのは、安倍政権が再稼働を決めたと言っている九州電力の川内原発のことだ。首相の安倍晋三は、22日の国連総会で、原発の再稼働について、安全が再び100パーセント確保されない限り行わないと明言した。その言葉に嘘がないなら、川内原発は再稼働してはならないことになる。なぜなら、川内原発こそ日本におけるあらゆる原発の中で、火山の噴火によって重大な事故を起こす可能性がもっとも高い原発とされているからである。
東日本大震災・東電原発事故直前の2011年1月に起きた霧島・新燃岳の噴火も予知できなかった。これまで噴火の予知に成功したのは、2000年3月の有珠山噴火など、特に「噴火を予知しやすい」限られた火山だけである。これが現実だから、川内原発に事故をもたらす火山の噴火が起きないとして安全を100パーセント保証するのは不可能である。すなわち、安倍晋三が自らの国際公約を守るためには、川内原発を再稼働してはならないという結論が導かれるのである。
私は桜島の頂上に登ろうなどとは間違っても思わないし、そもそも桜島の登山は禁止されているが、1999年に登ったことのある開聞岳は、形から明らかに火山だとは認識していても、まさかこの山が噴火しようとは夢にも思わなかった。それが現に起きたのが今回の御嶽山だった。だから、仮にあの時開聞岳の頂上で、突如火山が爆発したらどんな恐怖を味わっただろうかと想像してぞっとしたのである。
なお、たまたまネット検索で見つけたのだが、桜島にもかつて登山できた時代があった。桜島には北岳、中岳、南岳などがあって、最高峰の北岳(標高1117メートル)は別名御嶽(おんたけ)というそうだ。現在のように桜島が登山禁止になったのは、1955年(昭和30年)に、それまで平穏だった南岳が突然爆発して、登山客に死傷者が出たことから入山規制が始まって以来だという。
http://www.sakurajima.gr.jp/sakurajima/arekore/001518.html
つまり、火山の安定・不安定は、人間の短い一生のタイムスケールで語られるべきではない。それどころか、「有史以来」のタイムスケールでも不十分であることは明らかだ。木曽の御嶽山は、有史以来前例のない、活動が活発な状態になったのであって、これまでのこの山に関する世間一般の「常識」は今後は一切通用しないと考えなければなるまい。
また、御嶽山だけでなく、日本の地殻が不安定になっているのは東日本大震災が起きたからも明らかだ。つまり、世間一般の「常識」が今後通用しないのは、何も御嶽山に限らないのである。それならなおのこと、川内原発の再稼働などもってのほかであろう。
大岡の小説は、有名な『野火』を読んだことがあるものの、とてもではないが良い読者などではなかったが、印象に残っているのは、没年の1988年、昭和天皇が病に倒れたことについて聞かれて、「おいたわしい」と発言したことだ。この言葉に大岡はどんな意味を込めたのだろうか。だが、それについて語る前に、昭和天皇よりも2週間早い1988年12月25日、大岡昇平は急逝した。
大岡と交流のあった音楽評論家の吉田秀和が、追悼文を朝日新聞の「音楽展望」に発表した時、この発言に触れたと記憶しているが、手元に資料がなく、ネット検索しても何も引っかからなかった。だが、このネット検索で思いがけない新聞記事に出くわした。
毎日新聞の伊藤智永記者が12月6日付の同紙「発信箱」に書いた「音楽を言葉に」である。
伊藤記者の名前には見覚えがあった。コイズミ政権最後の年の2006年、毎日新聞の名物コラム「記者の目」で「小泉改革とは何だったのか」と題した記事を発表したことがあり、それをブログをはじめたばかりでまだほとんど読者のいなかった当ブログが取り上げた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-24.html
ここでは、昨日のエントリで批判した関岡英之を肯定的に取り上げるなど、昔書いた記事だなあと思うが、取り上げた対象の伊藤記者の記事も、率直に言って、むしろコイズミへの批判の生ぬるさが感じられるものだった。だからエントリに「毎日新聞は小泉を正しく批判していたか?」というタイトルをつけた。今伊藤記者の記事を読み返すと、コイズミのみならず「新自由主義」への切り込みに、さらに不満を感じる。
だが、大げさに言えば「コイズミは神聖にして侵すべからず」のような雰囲気があった2年半前に、伊藤記者が「空気」に抗してコイズミカイカクに疑義を呈する記事を書いたこと自体は、今でも高く評価している。
その伊藤記者が、吉田秀和について論じている。以下引用する。
発信箱:音楽を言葉に=伊藤智永(外信部)
音楽評論家の吉田秀和氏は、大好きな相撲の実況中継を通して音楽を言葉にする方法を学んだ。目まぐるしい動きと一瞬の勝負のポイントを的確に分かりやすく伝えるすべが、音楽批評の勘所に通じるという例えは素人にも得心がいく。
95歳で現役の吉田氏の歩みを、鎌倉文学館が小さな企画展で紹介している(14日まで、月曜日休み)。感じ入るのは30代までの修業時代、吉田氏が方法論の前に、音楽を言葉にする仕事へにじり寄っていく精神の核を形作っていったことだ。
詩人・吉田一穂との交友で「本質だけを追求すること」こそ快いと知り、中原中也の詩の朗唱に「小鳥と空、森の香りと走ってゆく風が、自分の心の中で一つにとけあってゆく」言葉の魔力を体感し、ニーチェの著作から「感覚と心情の芸術としての音楽のほかに、精神の科学としての音楽を教え」られた。
50代で、なお「自分が一向に傷つかないような批評は、貧しい精神の批評だといわなければならないのではあるまいか」と青年のように宣言している。
後の吉田氏は「?かしら?」と口語調の平明でふくらみある言葉づかいになった。固い心棒ができているからだろう。
さて、新聞のコラムはとかく社会的教訓の落ちをつけたがる。ネットにあふれる他人を批評する言葉のゆるさ、政治や経済の言葉の薄っぺらさ……。
興ざめでしょう。そこで、吉田氏が明かす相撲中継以外の名文修業のコツを。夏目漱石、小林秀雄、大岡昇平。共通するのは皆、落語調ということ。
ちなみに吉田氏は、もう30年以上、FMラジオで一人語りを続けている。
毎日新聞 2008年12月6日 0時00分
この記事で印象に残るのは、
という箇所だ。そういえば、「自分が一向に傷つかない」どころか、自分が傷つくことを過敏なまでに恐れ、自分に対する「優しさ」を強要するような輩が目立つ。自らへの批判を、権柄ずくで抑え込もうとする佐藤優などはその典型例ではなかろうか。文章で飯を食っている人間でさえそうだから、一銭にもならないブログを書いている人間の間では、むしろ普通に見られるタイプではないかと思う。そして、そういう人たちが「世間」を形成して、異分子には「村八分」で対応し、「鵺のようなファシズム」を形作っていく。50代で、なお「自分が一向に傷つかないような批評は、貧しい精神の批評だといわなければならないのではあるまいか」と青年のように宣言している。
いや、人のことばかり言ってはならない。これは、何よりも私自身が自戒しなければならないことだ。公の空間に言葉を発するとはどういうことか。常に「覚悟」をもって、自分の書くものには責任を持たなければならない。
伊藤記者の記事に話題を戻すと、記事で紹介されている、吉田氏がFMラジオで30年以上続けている「一人語り」というのは、NHK-FMで今も続く「名曲のたのしみ」という番組のことで、調べてみると1971年4月11日開始だそうだ。私は、この番組でモーツァルトの音楽が作曲年代順に取り上げられていた70年代半ばから同年代末頃にかけて聴いていた。私にモーツァルトを教えてくれた懐かしい番組だが、3年前の夏、寝台列車の中でラジオをつけたら、偶然この番組が流れてきて、朝日新聞の「音楽展望」は3か月間隔になってもラジオ番組はまだ続けておられるのかと驚いたものだ。この時、吉田氏は既に91歳だった。
伊藤記者は、「ネットにあふれる他人を批評する言葉のゆるさ、政治や経済の言葉の薄っぺらさ」を批判する一方、名文修行のコツとして、
と書いている。ここでやっと大岡昇平に戻ることができた。夏目漱石、小林秀雄、大岡昇平。共通するのは皆、落語調ということ。
あと書いておきたいのは吉田秀和の盟友だった加藤周一のことで、ネットで検索すると、「加藤周一と吉田秀和を読むために朝日新聞をとっている」と書いている人が少なからずおられるが、私も同様だった。これは加藤氏が逝去された翌日、12月8日付のエントリにも書いたことだが、何度でも書かずにはいられない。そして、いつかは来る日だったとはいえ、この時期に加藤周一を失った損失の大きさに思いを致さずにはいられない。
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このニュースに興奮してしまったのかどうか、今朝は明け方に目が覚めてしまい、ブログに記事をアップしましたが、昼過ぎになって疲れが出て寝てしまいました。
本来だったら、入梅前の晴天(というよりは薄曇りでしたが)の最後の日曜日、という天気予報だったので、創建千二百年の善通寺にでも行ってこようかと思ってましたが、それは来週行くことにして、さてブログの題材は、となると、昨日行ったうどん屋「池上」のことでも書こうかと思います。
実は昨日デジカメを持っていくのを忘れた上、店を切り盛りしている名物の瑠美子おばあちゃんが、昨日はおられませんでした。
「池上」のうどんというと、讃岐うどんファンの間では超有名店かと思います。「池上 瑠美子 うどん」で今ググってみたら、607件が検索にひっかかりました。おばあちゃんや店の写真は、詳細なレポートを載せているサイトに譲るとして、当ブログには、昨年の秋に撮ったうどんの写真だけ載せておきます。

そのせいかどうか、すっかり体調を崩してしまい、晴天の日曜日の昼間というのに自宅でブログを書いています。
それにしても、このところ、毎年のように異常な気候が続いているように思います。2003年は、盆の頃まで異様な冷夏だったし、2004年は一転して熱帯かと思うような猛暑のあと、いくつもの台風の襲撃を受けました。香川県は渇水で有名な県なのに、この年はひどい水害を蒙りました。県の西部では大きな被害があったし、高松市でも海水や川の水があふれて市街が冠水しました。
かと思うと、昨年は渇水。早明浦(さめうら)ダム(香川県民の水がめですが、高知県にあります)の貯水率が0%となり、時間給水突入寸前のところで、台風の直撃を受けて、ダムの貯水率が一夜にして100%に回復したことがありました。
そして、今年は5月にして梅雨のような天気。なんか、年々春と秋が短くなってきている気がします。地球温暖化の影響でしょうか?
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