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きまぐれな日々

 今年は例年だと仕事が楽になる12月後半に飛び入りの仕事が入った。それがようやく終わったのが3連休明けの25日で、やっと今回を含め「あと6回」を残すだけになったこのブログを更新する次第。

 このブログの更新頻度は月1回にまで減ってしまったが、最近では日常的に更新していた『kojitakenの日記』の更新頻度も激減している。

 6年前に坂野潤治の『日本近代史』(ちくま新書,2012)を読んで、強い印象を受けたことはもう何度も書いたが、坂野はこの本の巻末に、

これ(1937年7月7日の日中戦争勃発=引用者註)以後の八年間は、異議申立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに「崩壊の時代」であった。異議を唱えるものが絶えはてた「崩壊の時代」を描く能力は、筆者にはない。

「危機の時代」が「崩壊の時代」に移行するところを分析した筆者には、二〇一一年三月一一日は、日中戦争が勃発した一九三七年七月七日の方に近く見える。

と書いたのだった。

 その少し後の2013年春、坂野は毎日新聞のインタビューで、2012年末に安倍晋三が政権に返り咲いた衆議院選挙から現代日本の「崩壊の時代」が始まったと語った。その衆院選から丸6年が経過したが、今年ほど「言葉が力を持たない」年は今まで経験したことがなかった。

 直近の話題でいえばローラが名護市辺野古の新基地建設工事の中止を求める署名を呼びかけたことが「政治的発言」とされて批判される騒動があったが、いうまでもなくこの基地建設の強行は安倍政権がゴリ押ししているものだ。マスメディア各社の世論調査によると、安倍内閣を支持する人と支持しない人はほぼ同程度の数だ。しかるに、安倍政権を擁護する発言をテレビでまくし立てる芸人は少なからずいて、彼らの発言は「政治的発言」とされず、ローラの発言がことさらに「政治的発言」と位置づけられる。このこと自体異常以外の何物でもない。しかし、この「崩壊の時代」においては、人々が異常を異常と認識できなくなっている。人々の考え方、感じ方にそういうバイアスがかかっているからこそ「崩壊の時代」なのだ。

 このことは、同調圧力を同調圧力と認識する能力が失われた状態といっても良い。そのことが辺野古新基地建設工事の件以上に異常な現れ方をしているのが、昨今の対韓国の「国民感情」だ。

 安倍晋三は、ロシアに対しては北方四島のうち国後島と択捉島ははっきりロシア領と認めて、下手すれば歯舞・色丹をロシアから「借りる」という、「二島返還」とさえ言い難い形で譲歩しかねない姿勢を見せている。今年秋には、これまでしきりに「火遊び」をして刺激してきた中国に対しても融和姿勢に転じたかに見える。一方で、対露、対中の姿勢とは対照的に、韓国に対してはどこまでも強圧的な態度を取る。私には、衰退、というより「崩壊」しつつある国家の「最高指導者」が晒しているみっともない醜態にしか見えないが、悪いことに、朝日新聞がソウル支局の牧野愛博がイニシアティブを取る形で対韓強硬姿勢を打ち出しており、テレビでは「リベラル」の代表的番組とされるTBSの『サンデーモーニング』が韓国に対しては一貫して批判的だ。このありさまだから、こと対韓国に関しては、「リベラル」の圧倒敵多数までもが平然と批判するようになっており、いつも風を読もうとする野党第一党・立憲民主党代表の枝野幸男も韓国批判のコメントを出した。こんな状態だから、「右」側は「韓国との断交」を強硬に叫ぶ始末だ。もはや正気とは思われないが、これもまた「異議を唱えるものが絶えはてた『崩壊の時代』」のあり方の典型例だ。

 今年は特に、3月に財務省が公文書改竄を認めたあと、人心が安倍政権から離れなかったことが大きかった。あの時には、たとえ右派メディアを作る人たちでさえ、「これでもう安倍政権は保たない」と観念して安倍政権批判に舵を切ろうとしたものだ。私が言っているのは『夕刊フジ』のことであって、あの夕刊紙は、確か3月10日頃からの一週間弱に過ぎなかったと記憶するが、連日安倍政権批判の大見出しを掲げていたものだ。しかし、すぐに従前の政権擁護・野党批判に戻り。それどころかそれをさらにエスカレートさせた。駅売りなどに頼る夕刊紙の場合、読者の嗜好と合わなければすぐ売れ行きが落ち、それがいち早く編集方針に反映される者だろうが、要するに夕刊フジの政権批判の見出しと記事が、東京・大阪などの極度に右傾化した勤め人たちの嗜好と合わなかったのだろう。

 そして、この一件のあと、これまでにも増して内閣支持率が下がりにくくなったように思う。明らかに安倍晋三の意を受けて行われた公文書の改竄や隠蔽(最悪の場合は本当に破棄されているかもしれない)でさえ「国民」に容認された安倍晋三は、「何をやっても僕ちゃんは許される」との確信をますます強めたに違いない。その割には、安倍晋三が最大の悲願とする改憲が、安倍の思うようにはいかない状態に陥りつつあるが、これにはまた別の力が働いているのだろう。

 今年、もう一つ強く印象に残って忘れがたいのが、4月に通常国会で希望の党(当時。現国民民主党)の玉木雄一郎が質問している最中に、灘高・東大法学部卒の経産官僚にして首相秘書官を務める佐伯耕三が玉木雄一郎自身の質問に対して野次を飛ばした一件だった。

 国会で議員以外が野次を飛ばしたのは憲政史上2回目で、前回は軍人の佐藤賢了が国会議員に「黙れ」と野次を飛ばした1938年のことだった。前回の「崩壊の時代」の最中に起きた出来事が、現代日本の「崩壊の時代」で再現された。

 佐伯耕三は、安倍晋三と菅義偉によって若くして異例の大抜擢を受けた経産官僚だが、それなら事務次官レースの筆頭を走っているかといえば全くそうではなく、安倍政権が終わったあかつきには、よほど安倍の「忠犬」みたいな後継者が政権の座につくのでもなければ、スピンアウトを余儀なくされるような人間だろう。異例の大抜擢とは、裏返せば政権が代わってしまえばたちまち冷や飯を食わされる立場ということだ。

 先日、城山三郎の古典的名著ともいうべき『官僚たちの夏』(新潮文庫)を読んだが、池田勇人や佐藤栄作は次官人事に大いに介入し、当時二代続けて「上がりのポスト」とされている特許庁長官に干し上げた官僚を通産事務次官につける人事が行われたようだ(今井善衛、佐橋滋。佐橋を最後に、特許庁長官を経て通産(現経産)事務次官になった官僚はいない)。安倍晋三は、あるいは大叔父の佐藤栄作に倣って好き勝手に人事に干渉しまくっているのかもしれないが、悪い時(第2次安倍内閣時代の2014年)に「内閣人事局」が設置されたものだ。これも旧民主党の「政治主導」の負の側面だろう。こうして、時の総理大臣と一体となって国会で野次を飛ばす劣悪極まりない官僚が生み出された。

 とりわけこの佐伯耕三の醜態などを見ていると、この日本という国の国民であることが本当に嫌になる。「崩壊の時代」これに極まれり。来年早々には天皇の「代替わり」前の最後の正月ということで、また無意味な言葉がメディアやネットや巷にあふれるのだろう。

 昨今は、ネットにあふれ返る「反安倍政権」、「リベラル・左派」の言葉にも、心が動かされるものがほとんどなくなった。多くの者は惰性で発信を続けているだけだし、自分たちが支持する党派や政治勢力の組織防衛にしか関心がないと思われる者も少なからずいる。そんな者が発信する言葉など、馬鹿らしくて読む気も起きない。また私自身も、言葉が力を失った時代に、ブログ記事に空しい言葉を並べる意欲を失いつつあるというのが嘘偽りのない実感だ。こうして、今年、特に年の後半にブログ記事を公開する頻度が激減した。例年より仕事がやや忙しかったこともあるが、それは副次的な要因に過ぎない。

 これでは、このブログ最後の年末であっても、「良いお年を」とは書く気になれないというものだ。
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 今月は上旬に体調を崩し、仕事はずっとやっていたもののネットは不活発で、それどころかもっとも調子が悪かった時期には普段見ている夜のニュース番組(報道ステーションを途中まで見て、11時10分くらいになったらNews23に切り替えるのが近年のパターン。両番組ともすっかりダメになってしまったが)もろくに見ないで、おもに休養に充てていた。体調は上旬の後半を底に、徐々に回復して今に至っているが、例年なら10〜11月は1年でももっとも調子が良いのに、今年は散々だった。

 その間、『kojitakenの日記』もすっかり更新がまばらになってしまったが、このところ何回か更新した時には、カルロス・ゴーンの逮捕を取り上げた。こちらではそのゴーン逮捕は中心的な話題としては取り上げないが、この件で一番失望させられたのは、1999年のゴーン来日の歴史的意義、つまりグローバル資本主義の日本への本格的な侵入に対する批判的な視座を欠く「リベラル・左派」があまりにも多いことだった。彼らの多くはゴーン逮捕を「安倍政権が不都合なことから目をそらさせるための『スピン』」だと決めつけて、得意の陰謀論を開陳して内輪ウケしていた。彼らの堕落と頽廃ぶりを見ながら、ああ、これでは「リベラル・左派」が負け続けるはずだよなあと痛感させられた。それと同時に、「リベラル・左派」がこのざまだから、小沢一郎が安心して小池百合子(昨年)やら橋下徹(現在)とつるもうとするんだよなあとも思った。

 今回は、3連休の後半に読んだ、堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿の3人による鼎談本『時代の風音』を読んで思ったことを書く。これは1992年にUPUという会社から出版された本で、図書館に置いてあったのを借りて読んだ。調べてみると、1997年に朝日文庫入りしたらしい。UPUとは東京大学新聞OBの故江副浩正が創設したリクルートの向こうを張って、京都大学新聞のOBが創設した就職斡旋会社らしい。鼎談は二度行われて『エスクァイア日本版』1991年3月号と同1992年3月号に掲載され、それに3人の著者が手を加えて単行本化された。ソ連崩壊の前後に行われた鼎談ということになる。なお司馬遼太郎は1996年に73歳で亡くなり、堀田善衛は1998年に80歳で亡くなった。

 鼎談は、宮崎駿が堀田善衛と司馬遼太郎の2人の話を聞きたい、と言ったことをきっかけに実現したという。宮崎駿はあとがきに「心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義者の仲間にだけはなりたくありませんでした。自分がどこにいるのか、今この世界でどう選択していくべきか、おふたりなら教えていただけると思いました」(前掲書270-271頁)と書いている。

 この言葉からも想像される通り、鼎談とは言っても宮崎駿は主に聞き役で、堀田善衛と司馬遼太郎の2人が主にしゃべっている。「司馬史観」で知られる司馬遼太郎はむろんのこと、堀田善衛もこの鼎談を読む限り左翼では全くなく、それどころか鼎談を読む限りではノンポリに近い印象だ。堀田善衛は「誰それは左翼だからこんなことを言ったら怒られた」などと言っている。ただ、『文藝春秋』1990年12月号に掲載された寺崎英成の「昭和天皇独白録」について、堀田善衛が「私はあんなの読まない、言い訳は聞きたくないですね」(同174頁)と発言し、それに対して司馬遼太郎が中学4年生の頃(1939年頃)に美濃部達吉の憲法論を教わったと言いながら「基本的にいうと天皇に責任なし。美濃部憲法解釈通りです」(同174頁)と反論しているあたりに、2人の政治的スタンスの違いが少し出ていた。ここが、鼎談の中で堀田善衛と司馬遼太郎の意見が食い違った唯一の箇所だ。

 だが、この本をブログ記事に取り上げようと思ったきっかけはそこではない。私の意見とはむしろ遠いはずの司馬遼太郎の発言だった。そのくだりを以下に引用する。

 日本が大人になる時

 宮崎 これから三〇年、日本の人口は減りはじめますから、攻撃性を失うんじゃないかと期待しているんです。そして、この島で緑を愛して、慎ましく生きる民族になってくれないかなと。根拠のない妄想ですが……。

 司馬 ひょっとすると人口が減る間に、外国系の人が日本人の構成員としてはいってきますね。われわれの二〇パーセントくらい外国系がはいると思うのです。二〇年後くらいに。
 憲法下にあって万人が平等という大原則がありますから、日本も小さな合衆国になるでしょう。そうなることをいまから覚悟して、飲みがたき薬を飲む稽古をしなければならない。つまり、決して差別をしてはならない。差別はわれわれの没落につながります。

(堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿『時代の風音』(UPU, 1992)181-182頁)


 このくだりを読んで、「あちゃあ、やっちまったな、ニッポン。『嫌韓・嫌中』をやらかして大人になり損ね、没落しちまったな」と思ったことはいうまでもない。

 振り返れば、小林よしのりが漫画で「嫌韓・嫌中」を煽ったのはこの本が出てしばらく経った90年代後半だった。その頃から日本経済は傾き、今でいう「ネトウヨ」たちは過去の栄光にすがろうとして「嫌韓・嫌中」の度合いを強め、最近では「日本スゴイ」を連呼するようになった。日本の没落と周辺国に対する差別が同時に進んだと言って良い。

 特に、前回の記事で取り上げた安倍晋三の訪中で、安倍が習近平に対して「競争から協調へ」などの3原則を提示するなどして中国を攻撃しづらくなると、ネトウヨや右翼メディアは中国への反発を強めるのではなく、韓国を集中攻撃するようになった。夕刊フジなどでは「日韓断交」の大見出しが踊るが、仮に日韓が断交したとして、日本の味方をする国など世界のどこにあるだろうか。ネトウヨや右翼メディアや安倍晋三が頼りとするアメリカだって味方してくれないに違いない。

 そんな状態なのに、朝日新聞なども牧野愛博という記者が先頭に立って韓国攻撃に加わっている。あるいは野党第一党の党首である枝野幸男も韓国批判のコメントを出す。枝野は、世論調査の分析に定評のある三春充希(はる)氏のツイートに注目するくらい「風を読もう」とする傾向の強い政治家だが、日本中が「反韓」の言論一色に染め上げられている状態(朝日新聞以外ではTBSのサンデーモーニングなんかも実にひどい惨状を呈している)だから、安心して韓国批判をやるんだろうと私は思っている。

 これぞ「崩壊の時代」の実相だ。前の「崩壊の時代」は1945年の敗戦で終わったが、その頃について、再び司馬、堀田、宮崎3氏の鼎談から以下に引用する。

 司馬 (前略)二つめに思ったのは、なんでこんなばかな国に生まれたんだろう、ということでした。指導者がおろかだというのは、二十二歳でもわかっていました。しかし、昔の日本は違っただろうと思ったんです。その昔が戦国時代なのか、明治なのか知りませんが、昔は違ったろうと。しかし二十二歳のときだから、日本とは何かなんぞわからない。物を書きはじめてからは、すこしずつわかってきたことどもを、二十二歳の自分に対して手紙を出しつづけてきたようなものです。

 堀田 それは司馬さん、私なんかも完全に同じですよ。これまでやってきた仕事は、ずっと戦時中の自分への手紙を書いていたようなものですよ。私の『ゴヤ』も、『方丈記私記』も、『定家明月記私抄』も戦時中に考えたテーマなんですね。いま書いているモンテーニュ(『ミシェル城館の人』)になって初めて解放されましたね。こんな予期しない年齢まで生きたせいもありまして。

 司馬 いまの人は手紙を書く必要がないから、そのぶんだけ前に進むでしょう。だから、ひじょうに幸いだと思うんですね。

 宮崎 私は敗戦後、学校とNHKのラジオで、日本は四等国でじつにおろかな国だったという話ばっかり聞きました。実際、中国人を殺した自慢話をする人もいましたし、ほんとうにダメな国にうまれたと感じていたので、農村の風景を見ますと、農家のかやぶきの下は、人身売買と迷信と家父長制と、その他ありとあらゆる非人間的な行為が行なわれる暗闇の世界だというふうに思えました。

(堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿『時代の風音』(UPU, 1992)180-181頁)


 現在、外国人労働者が特に多いのは農家や漁村であって、前者は茨城県、後者は広島県が全国一多いという。昨今は日本人労働者も滅茶苦茶な働き方を強いられて過労死や自殺に追い込まれる報道が後を絶たないが、日本人労働者に対してさえそうなのだから、外国人労働者に対しては想像を絶する「非人間的な行為が行われる暗闇の世界」が現に存在しているに違いない。

 高度成長期にも自民党政府は好き勝手なことをやっていたが、それでもまだ行政と使用者との間には一定の緊張関係があった。今の安倍政権にはそれさえもない。戦時中と同じくらい今の日本の「指導者がおろか」であるとは、安倍晋三や麻生太郎や菅義偉を日々見ていれば誰しも薄々と、あるいははっきりと思っていることだろう。ただ、今はそれを口にしづらい空気が権力側によって形成されており、その空気の醸成に自発的に協力する人たちが多い。それは戦争中も同じだったに違いない。

 また、人々が将来「手紙を書く必要」がある時代になってしまった。「崩壊の時代」は、今年もまた一段とその深刻さを増した。
 今月は特に先々週と先週、目が回るほど忙しかったこともあって、ついにブログのトップページに「スポンサー広告」が表示されてしまった。FC2ブログでは、この広告は30日以上更新のないブログに表示される。

 少し前に、1515番目のエントリを最後にこのブログの更新を止めると書いたが、今回が1506番目になる。あと9回だが、現在のようにズルズルと更新しない状態をいつまでも続けていても仕方がないので、来年(2019年)春を目処に、この記事を含めてあと10本の記事を書き切って終わらせようと思うに至った。そのきっかけは、「はてなダイアリー」が来年春に終了することがある。はてなに開設している『kojitakenの日記』は、そのうち「はてなブログ」に移行させるが、もう少しはてなダイアリーにとどまって、ダイアリーの終了日時がはっきり告知された頃に移行しようと考えている。その移行のタイミングに合わせて、こちらのブログにも区切りをつけようと思うのだ。

 だから、今回の更新のあとは週末の沖縄県知事選を受けて来週月曜日に更新するつもりだ。

 今回は、自民党総裁選について簡単に書く。

 『kojitakenの日記』にも書いた通り、私は自民党総裁選では安倍晋三が党員票でも圧勝し、石破茂の政治生命が終わるだろうと思っていた。しかし、予想通り議員票で石破は2割弱しか得票できなかったものの、予想に反して石破は45%弱の党員票を獲得した、

 このことについて、『kojitakenの日記』には

安倍晋三は何もやらなきゃ圧勝だったのに誰の目にも明らかな形で変な圧力をかけたもんだから総裁選中に支持が離れたんだろう。

と書いたが、実はもう一つ異なる仮説を立てている。

 それは、党籍を持っている自民党員の方が、一般の自民党支持者よりも安倍晋三に対して厳しい目を向けているということだ。

 どんな世界でも、素人ほど惰性に流されやすく、既成観念にとらわれた因習的な考え方や感じ方しかできない。これが、この人生を通じて得た私の経験則だ。一般には、素人だからとらわれのない考え方ができると思われがちだが、実は真逆なのだ。だから、一般の自民党支持者や世論調査で安倍内閣を「支持する」と答えてしまう人たちは、簡単に「長いものに巻かれて」しまう。党籍を持つ自民党員の場合は、もう少し真面目に政治を考えているし、「自らへの異見を圧殺する」安倍晋三のあり方が、人の道に反しており、安倍に投票するわけにはいかないと考えた。今回の結果を公開酌することもできるし、案外こっちの方が当たっているかもしれない。

 この場合、石破茂は単なる「安倍晋三以外の候補者」であって、別に石破の極右的な思想信条や政策が支持されたのではない。ただ問題は、安倍に対抗する候補として総裁選に出馬できたのが極右の石破だけだったことだ。宏池会の岸田文雄だの「初の女性総理大臣を目指す」野田聖子だのは安倍支持に回ったが、今回の結果に舌打ちしているに違いない。彼らは、自ら「オワコン」になる道を選んでしまった。特に岸田については、何とか安倍晋三に「禅譲」してもらおうと今後醜態を晒し続けるであろうことが目に見えている。宏池会は、安倍晋三一派よりももっと未来のない完全な「オワコン」だとしか言いようがない。ことに、今後「保守本流」たちが共通して自らの信念としている財政再建原理主義が厳しい批判に晒される可能性が高い。

 蛇足ながら、宏池会系ではなく竹下登系の石破茂もまた「財政再建原理主義」の政治家であり、それにとどまらずこのイデオロギーは朝日新聞や立憲民主党の政治家やさらにはその支持者たちにも広く行き渡っている。私など、TBSのニュース番組で安倍政権に批判的な報じ方をしている最中に「国の借金」とか言い出すと、またかよ、それが安倍政権を助けてるんだよ、と苦々しい思いになる。

 その立場に立つ石破茂は、政治思想においても紛れもなく「右の極北」に位置する。こんな政治家を「リベラル・左派」たちが熱心に応援したのも目を覆うばかりだった。

 このところ、国会の閉会中には安倍晋三が追及されないために内閣支持率が上がる傾向があるが、それに加えて、自民党総裁選で自民党が注目されると自民党と内閣の支持率が上がる傾向が昔からある。

 この結果、自民党総裁選で「安倍一強」に綻びがはっきり見えてきたにもかかわらず、ここ最近の間では安倍内閣支持率がもっとも高いという、一件矛盾した現象が起きている。

 だがこれは、たとえてみれば夏至が過ぎてもその後1か月ほどは気温が上がり続けるのと似ている。たまたま一昨日は「秋分の日」だったが、遠からず安倍政権にも「秋の日はつるべ落とし」の日がくる。だが、没落しきらないうちにと安倍が焦って進めようとする改憲を、現在熱心に安倍を応援している読売新聞だのNHK(特に岩田明子)らが後押しするだろう。読売とNHKはそれぞれ影響力が絶大だし、イデオロギーというより「お祖父ちゃんが成し遂げられなかった改憲を僕ちゃんが成し遂げるんだ」という、妄執ともいうべき暗く強い情念に突き動かされている安倍晋三の突破力は絶対に侮れないほど強いので、今後無事に安倍政権が「終わってくれる」と楽観するのは絶対に禁物なのだ。

 何が何でも安倍(政権)を終わらせる。そんな強い気持ちを政権批判側が持たないと、安倍にしてやられてしまう。

 戦いはこれからが本番だ。
 このところ『kojitakenの日記』ではずっと「石破茂を応援する『リベラル』」を批判しているのだが、ここでは「崩壊の時代」の元凶・安倍晋三の論外な姿について、私としてはあまりにも当たり前で普段は改めて書く気もしない批判を書き留めておく。

 そもそも来月行われる自民党総裁選に、安倍晋三はまだ出馬表明すらしていないが、間違いなく出馬するといわれている。

 マスメディアの報道では、地方票で石破茂が検討するのではないかと願望混じりに言っている人もいるようだが、そうはならず、石破の政治生命が危うくなるくらいの安倍晋三の圧勝になるであろうことは疑う余地がない。

 マスメディアの世界でさえ、テレビ朝日の小川彩佳のように「ちょっと自分の意見を言うこともあるけれども、基本的には原稿を読む人」(小川氏はアナウンサーだ)でさえ番組を追われるほど、「政権に対するちょっとの文句も許さない」言論空間ができつつある。

 前記小川アナの場合は、まさかあの程度の意見を言うくらいで番組を追われるとは信じられない。実際には昨年週刊誌に書き立てられた芸能人との結婚に伴う退社など、別の理由ではないかと最初は訝ったくらいだ。しかし、その後の報道を追うと、実際にはそうではなく、安倍晋三と昵懇といわれるテレビ朝日会長・早河洋の「鶴の一声」で決まった人事だそうだ。まさかと思っていたが、やはり「官邸筋」の人事ではないかとの心証を強めるに至った。

 小川アナの後任はかつてテレビ朝日のアナウンサーだった徳永有美だそうだが、この人はかつて芸能人との不倫騒動で局を追われた。2004年に報道ステーションが始まった時、1年間だけ木曜日と金曜日のスポーツコーナーを担当していたが、私はこの人にやってほしくないな、月曜から水曜までやっている武内絵美がずっとやれば良いじゃないかと思っていたら、同じことを思う視聴者が多かったせいか、翌年春の改編で徳永は外され、月曜から金曜まで武内アナがやるようになった。

 その徳永が戻ってくるというのだから、それでなくても番組の開始時刻から見ることがほとんどなくなった「報棄て」は、10月からはもうほとんど見なくなるのではないかと思う。徳永有美に「報道」のイメージなどない、とは誰もが思うことだろうし、報道ステーション自体、来年3月には視聴率低下を理由に打ち切られるのではないかとさえ私は疑っている。

 別に自民党員によって構成されているわけでもないテレビ局でさえこんなありさまだから、自民党内にはとんでもなく強い「同調圧力」が働いているとみなければならない。そんな「空気」にあっては、「物言えば唇寒し」だとか「長いものには巻かれろ」などといった諺に従って自民党員が行動するであろうことは火を見るよりも明らかだ。自民党総裁選は間違いなく安倍晋三の歴史的圧勝に終わる。

 しかし、独裁者の欲には本当に限りがないらしく、独裁権力を強めれば強めるほど、少しの文句を言う者も許せなくなるようだ。同じ体質は2008年の民主党代表選を無理矢理無投票にしてしまった小沢一郎にもあったが、小沢の場合はまだ民主党や「小沢信者」たちの間で独裁権力をふるっていたに過ぎなかった。安倍晋三の方が母集団が大きいだけに、小沢よりもずっと悪質だ。

 その表れの一つが、自民党総裁選で候補者同士の公開討論を行うことを安倍が阻止しようとしていることだ。前記の小沢一郎についても言えることだが、安倍は論戦をきわめて苦手としている。国会でも質問にまともに答えず、質問をはぐらかして答えになっていない妄言を延々と垂れ流して、自分が口を開かない場面ではニヤニヤ不敵に笑みを浮かべるというふざけた態度をとるのが常だが、それは安倍がその強大極まりない権力とは不釣り合いなほど論戦を苦手にしているからにほかならない。

 そんな背景を考えると、安倍の意向通り安倍晋三と石破茂との公開討論は行われないまま投票日に至り、自民党議員たちが「ハイル・晋三」と言わんばかりに万歳を三唱する姿が目に浮かぶ。これは絶対に間違いなく現実になる。

 思想信条や主義主張からいえば、石破茂の方がずっと右翼(極右)・タカ派色が強く、だからこそ石破を公然と応援する「リベラル」たちを私は日々批判しているのだが、政治手法に関しては、というより現在の力関係をそのまま反映して、石破のほうは普通の合意形成方法を主張するのに対して安倍晋三はひたすら権力で押しまくる。もっともこれについては、石破茂も万一総理大臣になった場合は、現在口にしているようなまっとうな合意形成方法をとるとは到底思われず、やはり権力をゴリ押しするであろうから、その点に注意が必要だ。

 いずれにせよ現時点では安倍晋三の方がずっと脅威だし、これまでに安倍が学習した独裁権力の揮い方から類推して、今後さほど長い時間をかけずに日本国憲法が改変される危険性は、現在「リベラル・左派」が楽観しているほど低くはなく、総裁戦後のこの国にとってきわめて大きな脅威になることは間違いない。

 坂野潤治は2013年春に毎日新聞のインタビューに答えて、現在の日本が「「異議を唱える者が絶え果てた『崩壊の時代』」に入ったと言った。その「崩壊の時代」においては、個々の人間が「長いものには巻かれろ」式の行動をとっている悪弊も見逃せないが、何より独裁権力者である安倍晋三が、「異議を唱える者を根絶やしにしようとしている」ことを見逃してはなるまい。

 こうして、「崩壊の時代」の帝王・安倍晋三が自らへの異見を圧殺し続けている間、あれほど独裁者を賛美する者たちが叫び続けてきた「日本スゴイ」のメッキはすっかり剥がれ、昨日(8/19)のTBS『サンデーモーニング』で保守論者の寺島実郎と大宅映子が言っていた通り、いまや日本の産業の世界的競争力は、かつての高度経済成長時代を反転させたかのような、高度凋落時代に差しかかった様相を呈しつつある。前回の「崩壊の時代」は日本の軍事が破滅して終わったが、どうやら今回の「崩壊の時代」は日本経済の崩落とともに終わる気配が見えてきた。

 なお、今回書いたような安倍晋三批判は私にとってはあまりにも当たり前のことで、だからこそこうしたことを前提にした上で、「リベラル・左派」の世界の中に働く同調圧力に流される人たちを批判する記事を書く方が、安倍を非難する記事を書くよりずっと頻度が多くなっている。

 だが、自民党総裁選のような機会を捉えて、たまには安倍の正体を指摘する記事を書いておかなければなるまい。そう思って今回の記事を書いた。
 今回の記事を含めてあと12回で終わらせると自ら決めているこのブログの記事だが、そのたった12回の更新にさえ気が乗らないくらい重苦しい空気にこの国は覆われている。

 昨夕(7/24)ようやく出された岸田文雄の自民党総裁選不出馬表明などあまりに予想通りで拍子抜けするくらいだった。岸田はおそらく3年後の安倍晋三から「禅譲」を受ける密約を交わしていると思われるが、そんなものはかつて岸信介と大野伴睦が交わした密約と同様に反故にされるに決まっている。そんなこともわからない岸田は、そもそも総理総裁の器でないとしか言いようがない。

 2015年の自民党総裁選もそうだったと記憶するが、安倍晋三はとことん政敵を総裁選不出馬に追い込む戦略を立てている。独裁志向の強い安倍ならではのことだが、これにはかつての民主党に先例がある。2008年の民主党代表選を無投票にしてしまった小沢一郎がそれだ。徹底的な反民主主義的体質という点で、小沢一郎と安倍晋三とは共通している。それと比較すると、2008年に麻生太郎が選ばれた当時の自民党には、まだ党内で競う文化が残っていたといえようか。今はもちろんそんな文化は影も形もなく、自民党内の民主主義などないに等しい。

 それよりももっと深刻だと私が思うのは、「野党共闘」勢力内部でも、自民党と同様にタブーだらけで自由にものが言える空気がないように見受けられることだ。

 タブーの対象はいくつかある。まず小沢一郎がそうだ。昨年、あれほどあからさまに前原誠司新代表の民進党と小池百合子とをくっつけようと画策し、その結果、小沢が小池に切られたのだが、驚いたことに「野党共闘」集団内で小沢が断罪されるどころか批判されることすらなく、元々小沢が属していた民進党系のみならず、共産党までもが小沢に選挙協力した。

 小沢がタブーの対象になっていることの論理的帰結として、小選挙区制の見直しもまた「野党共闘」集団内でのタブーになっている。

 また、最近特に気になっているのが、「野党共闘」集団内の「菊のタブー」である。

 これを考えるきっかけになったのが、白井聡のトンデモ本『国体論 - 菊と星条旗』(集英社新書)だった。この本のトンデモさを一言で指摘したのは中島岳志だった。中島は、本に開陳された白井の考えについて、下記のように鋭く指摘している。
http://bunshun.jp/articles/-/7756

 白井は、今上天皇の決断に対する「共感と敬意」を述べ、その意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が稼働する可能性を模索する。

 この構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されているからだ。

(文春オンライン 2018年6月17日)


 もっとも、この文章のすぐあとに、中島は

白井は、そんなことを百も承知で、この構想を投げかける。それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう。

 激しい問題提起の一冊である。

(同前)

という、なくもがなの文章をつけ加えて書評を締めくくり、せっかくの鋭い批判を自ら台無しにしてしまっているのだが、それでも、「君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されている」という中島の指摘は貴重だ。

 ネットで見る限り、白井の思想は北一輝や2.26事件の青年将校を思わせるものだとの指摘は他にもあった。しかしそうした指摘をした人たちは少数で、しかも保守派が多かった。

 この点について、左派で見るべき指摘をしたのは、リフレ派の論客として特に旧民主・民進系の人たちから評判の悪い松尾匡くらいしか思い当たらない。松尾の指摘については、『kojitakenの日記』に紹介したばかりなので、興味のおありの方はそちらを参照されたい(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180722/1532240003

 白井聡はひたすら「対米自立」を追い求めるのだが(その議論はかつて孫崎享がトンデモ本『戦後史の正体』と瓜二つであるように私には思われる)、それに対して、白井は

現実に対米自立が実現したらどんな自立になる可能性が一番高いかということについて、怖い想定を何もしていない

と指摘し、さらに

たとえきっかけでも、天皇の声に応答して、しかもその声が国民統合の仕事をさせてくれという声で、しかもその仕事が霊的な「祈り」である時に、現れる可能性が一番高いのは、やはり右翼ナショナリズムの運動でしょう。

と畳み掛ける松尾の議論に、私は強い説得力を感じる。

 しかし困ったことに、最近の白井聡は巧妙に日本共産党に食い込んでいて、同党の機関紙『しんぶん赤旗』に登場している。そのせいもあってか、共産党系の人たち(党執行部、党員、党支持者)から白井聡に対する批判が全く聞こえてこないのが現状だ。

 思い出すのは、数年前に共産党執行部の人たちが、確か脱原発デモでのことだったかと記憶するが、(国粋主義系「反米愛国右翼」である)孫崎享と肩を並べて行進していたことだ。あの頃から懸念していたが、共産党の右傾化は近年ますます露骨になってきている。

 なお、松尾匡の専門は、いうまでもなく天皇論ではなく経済学だが、近年松尾が出している一般書(その一部しか私は読んでいないが)に提言されている経済学は、特に松尾の専門である数理マルクス経済学からくるものというより、欧米のリベラル・左派言論ではごく一般的である「反緊縮」を基調として、その一環として安倍政権の経済政策のうち金融緩和のみを肯定的に評価しているものだと思われる。

 しかし、財務省や「保守本流」や朝日新聞が昔から財政再建にこだわり続けてきた伝統を無批判に受けついでいる(ようにしか見えない)旧民進党系の人たちには松尾の考え方は全く受け入れられないもののようだ。

 彼らの思考の硬直性も、前記の共産党系の人たち(「民主集中制」を、その縛りを受けないはずの非党員の一般支持者までもが進んで墨守しているように見える)に負けず劣らずひどい。

 彼らの中には松尾の政策の賛同者を「松尾信者」と呼ぶ者さえいるが、そんな彼ら自身が1997年と2014年の二度にわたって消費増税が景気を大きく悪化させた事実を直視できないのだから、彼ら自身こそ「消費増税信者」と呼ぶほかないのではなかろうかと私は思う。

 共産党系も旧民進党系(立憲民主党その他)もかくの如し。これが「崩壊の時代」の閉塞感というものか。

 あと何年か安倍晋三の悪政をやり過ごし、その後にくるであろう後継者の時代のカオス(混沌)をやり過ごしながら人生の終わりに近づくほかないのかと思うと、心底うんざりする。

 せめてあと11回更新して、このブログの最終回を迎えるまでには、少しは希望が見えれば良いのだが。
 11年前、2007年の6月は、「消えた年金」問題が発覚して、4月・5月に支持率を持ち直しつつあった第1次安倍内閣が一気に奈落に突き落とされるきっかけになった月だった。

 その11年後の2018年6月は、末期症状を呈しつつあるかに見えた安倍内閣支持率が、2015年と昨年、2017年のそれぞれ8月に続いて、三たび、あるいは四たびだろうか、支持率をV字回復させるという痛恨の月となった。現時点で既に、9月の自民党総裁選で安倍晋三が3選されることはほぼ不可避の情勢となった。

 この1か月では新潟県知事選と米朝首脳会談が大きかった。

 後者では安倍晋三は何もしなかった、というより何もできなかったのだが、NHKや読売、産経といった御用メディア、ことに大きなできごとになると頼る人々の多いNHKが「外交の安倍」という大キャンペーンを打って「大本営発表」を垂れ流した悪影響がもろに出た。これは、それに先立つ南北首脳会談で安倍が「蚊帳の外」に置かれていたとする正当な指摘に対して官邸が大々的な反撃に打って出たものとみるほかない。官邸の御用メディアコントロールといえば、文科省元事務次官の前川喜平を陥れようとした昨年6月の読売新聞の報道に典型的に見られるように、(もともと右翼の跳ねっ返りを喜ばせるためのメディアだと誰もが知っている産経新聞はともかく)、NHKや読売といった世間一般では(私は全くそうではないが)比較的信頼されている大メディアを使って臆面もなくフェイクニュースを垂れ流させるという由々しき段階に達した。その手口のおぞましさは、安倍晋三が政権をトリモロした2012年以前には想像もつかなかったほど厚かましく破廉恥そのものだ。中でも最悪なのは岩田明子の「解説」であって、あれはもはや朝鮮中央テレビを笑うことなど全くできないレベルにある。

 この御用メディアの大キャンペーンによって、昨年来「人柄が信用できない」とする人が増えて、しばらく前に謎の「失脚」をした木下ちがや(「こたつぬこ」)氏あたりが、もう以前のように内閣支持率が回復することはないと予言していた安倍内閣支持率が、木下氏の楽観的予想に反してまたしても「V字回復」を遂げてしまったのだった。

 私が連想するのは、1944年10月に突如大々的垂れ流された、台湾沖航空戦で日本軍が大戦果をあげたという「大本営発表」だ。久々の「日本軍の勝利」に当時の日本国民は沸き返ったというが、実際には日本軍の戦果など何もないただの虚報だった。今回の米朝首脳会談をめぐるNHKや読売の報道は実質的にそれと同じだ。二度目は笑劇として繰り返されている「崩壊の時代」の崩壊はもうここまできた。

 安倍晋三がここまでメディア支配を完成させるまでには、思えば長い年月があった。古くは2001年のNHK番組改変問題にまで遡れる。これを朝日新聞が報じたのは2005年だったか。しかし朝日は腰砕けとなって安倍と故中川昭一に謝罪してしまった。その間に魚住昭が安倍と中川からの圧力をあったことを立証する記事を月刊『現代』に発表したにもかかわらず、不可解な屈服だった(朝日は同じ誤りを2014年の「慰安婦報道」撤回で繰り返した)。

 その後、一時は政権を投げ出した安倍晋三は政権に返り咲くと、百田尚樹をNHK経営委員に、次いで籾井勝人をNHK会長に次々と送り込んで、NHKの報道を「大本営化」させてしまった。私はもう数年前からテレビのチャンネルをNHKに合わせることはほとんどなくなっている。ここ数年のNHKの報道に対する私の信頼度はゼロなのだが、このような人間では今の日本ではごく少数派なのだろうと自覚している。メディアを支配した権力の暴走はとどまるところを知らない。読売はいつだったか前記木下ちがやが指摘した通り、もはや渡邉恒雄(ナベツネ)はグリップしていないと見られるが、エピゴーネン(追随者)は常に本家本元よりもたちが悪いという私の経験則の通り、ナベツネ全盛時代でもみられなかったほど堕落してしまった(その代表例が前記の前川喜平をめぐる虚報だ)。

 ところで、腐敗した政権の暴走が末期的な段階に達しているにもかかわらず、「野党共闘」の迷走はもはやお花畑の域に達している。新潟県知事選の敗因を総括せよとは、たとえば世論調査の分析で定評のある「はる」氏や、私のあまり好まない菅野完なども言っているが、「野党共闘」の中核をなす指導者たち、具体的には志位和夫、小池晃、枝野幸男、辻元清美、岡田克也といった人たちの言動からは総括どころか反省の色さえみられない。

 特に頭にくるのは労働の規制緩和の総仕上げともいうべき「高プロ」反対のアピールが「モリカケ」問題追及に比べて力が入っていないように見えることと、それと対をなすかのように、新潟県知事選でもみられたように、こともあろうに小泉純一郎と「共闘」している惨状だ。

 高プロが世紀の悪法であることは言うを俟たないが、その前段階として派遣労働の対象拡大という労働の規制緩和があった。小泉純一郎はそのうち、製造業への派遣労働の解禁を定めた2003年の派遣法改定(改悪)に総理大臣として関与したゴリゴリの新自由主義者だ。首相在任中に竹中平蔵と組んだ悪行は実にひどかったが、そんな小泉純一郎と「脱原発」で共闘しているのが今の「野党共闘」だ。

 新潟県知事選の直後に、東京電力が同社の福島第二原発の4基を廃炉にする方針を表明したが、東電がこれを知事選の前ではなくあとに表明したのはむろん意図的だ。投票前に表明した場合、東電が保有する原発で残るのは柏崎刈羽原発だけとなるため、自動的に原発が知事選の争点になる。それを配慮したものであることは明らかだ。

 逆にいえば、2011年の東日本大震災字に起きた東電福島第一原発事故(以後、東電原発事故)以来、「脱原発」のベクトルの方向を持つ惰性力が強く働いており、それに権力ずくで対抗しようとしているのが安倍政権と経産省だといえる。

 米山隆一が勝った2016年の新潟県知事選では、その「空気」というか惰性力の強さを読めなかった自公候補の森民夫がうっかり原発を争点にしてしまったとも聞く。今回の花角英世は極右人士ばかり応援に仰ぐようなとんでもない人間だが、森民夫が犯した誤りは繰り返さなかった。「野党共闘」側は争点隠しだというが、そもそも不利な土俵に自分から上がる馬鹿はそうそういない。「脱原発シングルイシュー」あるいは「脱原発プラス『モリカケ』」で自公候補に勝てるという「野党共闘」側の甘い見通しこそ批判されなければならない。

 しかし、「民主集中制」の共産党と「元祖新保守主義・元祖新自由主義」の象徴にしてかつては多数の[信者」を抱えていた小沢一郎、それに「下からの(草の根)民主主義」というのはどうやら看板だけだったらしいことがはっきりしてきた、小沢と同根ではないかとさえ疑われる立憲民主党とが組んだ「野党共闘」にはどうやら批判に耳を傾けるつもりは毛頭ないらしい。ある意味安倍政権と似た体質を持っているともいえる。「野党共闘」内では、2013年に自由党の前身である生活の党が自民・維新とともにカジノ法案を共同提出した過去を問う議論さえタブーになっている。一説によると、当時生活の党がこれに加わったのは、前年の衆院選で袖にされた橋下徹との連携になお未練を持っていたからではないかともいわれる。橋下といえば、小泉純一郎に優るとも劣らない新自由主義者だ。

 こんなざまだから、「野党共闘」は高プロ反対の世論を盛り上げることさえままならず、敗北に敗北を重ね続けるのかと思ってしまう。

 2018年も早くも半分が過ぎようとしているが、年の前半はますます暗さを増す一方だった。
 先週金曜日(25日)に、政府やマスメディアが「働き方改革法案」と呼んでいるいくつかの法案を束ねたものが、衆議院の厚生労働委員会で強行採決の末可決された。これについて、概略を元民主党衆議院議員の小宮山洋子氏がまとめたブログ記事(下記URL)が『BLOGOS』に掲載されていたので、以下に引用する。
http://blogos.com/article/299828/

働き方改革法案 委員会で強行採決

政府、与党が、この国会の最重要法案と位置づける働き方改革関連法案が、先ほど、衆議院厚生労働委員会で採決が行われ、一部修正のうえ、自民・公明・日本維新の会の賛成多数で可決されました。

この法案は、何回も指摘しているように、規制強化と規制緩和のいくつもの法案をひとつにまとめたもので、これは分けて十分な審議をすべきものです。

委員会採決について、立憲民主党、国民民主党、共産党は、厚生労働省が平成25年に行った労働時間の調査結果の一部に誤りの可能性が高いものが確認されたことなどから、「審議は不十分で、採決には応じられない」と主張し、昨日25日に審議、採決を、という与党側と折り合いませんでした。

このため自民党の高鳥委員長が25日に委員会を開いて、法案の質疑採決を行うことを職権で決めました。

野党側は加藤厚労相の不信任決議案を提出しましたが、本会議で否決され、委員会採決となりました。

働き方を改革することは、超少子高齢社会で働き手が少なくなっていくことからも喫緊の課題です。

方向性としては、男女を問わず、人間らしく働ける、心身ともに健康で能力を発揮できる環境整備のはずです。ところが、同一労働同一賃金も実効性が疑われるもので、長時間労働の規制も過労死の限度時間を上限とするなど、働く側にとっては不十分なものです。

一方で、経営者が強く望んだ高度プロフェッショナル制度は、過労死の危険が増すという、労働組合や過労死家族の会など多くの反対を押し切って導入されることになってしまいます。

この高プロ制度というのは、対象者は専門的で高度な知識などが必要な職種で、新たな契約によって全労働者の平均の3倍(1057万円)の年収が見込まれる人たちです。

それなら関係ないと安心してはいられないのは、経団連などが、すでに年収要件の引き下げを求めているからです。

派遣労働のように、一度堰を切ったら、どんどん広げられる恐れがあります。

問題なのは、経営者が法に基づいて労働者を長時間労働させることが可能になることです。

経営者は「年間104日」かつ「4週で4日」以上の休日を確保すれば、1日何時間でも働かせることができることになります。

必要と考える労働者がどれ位いるのか、厚労省は12人の研究者などからしかヒアリングをしていません。

日本維新の会が、高プロで働く本人が制度適用への同意をした後に撤回できる規定などを設ける修正案を出し、そうなりましたが、経営者と労働者の力関係があり、このことで改善されるとは思えません。

安倍首相は、面会を求める過労死家族の会のメンバーとの面会を断りました。

都合の悪い人たちとは会わず、お友達とは秘密裡に会う、ということなのでしょうか。

この法案では、働き方改革ではなく、働かせ方改革になってしまいます。

参議院で、さらに審議を尽くしてもらいたいと思います。

(『BLOGOS』掲載記事 小宮山洋子 2018年05月26日 08:23)


 少し前に厚労省のデータの誤りが発覚して、本来この「働かせ方改革法案」に盛り込もうと安倍政権が狙っていた「裁量労働制」に関する法案の提出断念に追い込まれたが、その裁量労働制と同じ問題をはらんでいる上、裁量労働制よりさらに悪質な「高度プロフェッショナル制度」を定めた法案が、政権の狙い通り衆議院の委員会を、強行採決の形をとったとはいえ私の目には簡単に通ってしまったように見えた。

 私自身について書くと、四半世紀前の1993年に短期間裁量労働制下で働いたことがある。その後ほどなくして、残業代のもらえない身分になった(私が当時勤務していた企業では、係長級以上になると残業手当がつかなかった)。しかしその企業のうち一部の部署には長時間労働の悪弊があり、私が属していた部署もそうだった。そして私自身あわや過労死の病気を患った経験があるし、その数年後には単身赴任者が月200時間以上もの時間外労働を強いられて脳内出血で倒れてしまった事例にも遭遇した(この時、彼の上司は「事情により出向元の関連会社に戻ってもらうことになりました」とだけ言って真相を社員から隠した)。また、その後転職して働いた企業では、小泉純一郎政権時代の2004年に製造業にも解禁された派遣労働者を部下に持って、全国から職を求めて集まってくる派遣労働者の低賃金が動機となって犯した犯罪行為の実例にも遭遇した。それは、雨宮処凛氏が著書に書いた実例とそっくりのものだった。

 以上の経験を持つ私から見て、下記つしまようへい氏の一連のツイートの指摘は的確そのものだと思ったので、以下に引用する。

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000364781973393408

1993(平成5)年の裁量労働制に関する国会での議論の読むとかなり興味深い内容。 裁量労働制について、遂行方法の裁量はあるが、業務量の裁量はない場合どうするのかという質問に対して政府が答えている。高プロの議論とよく似ている。ちょっと長いけれどぜひ読んでみて。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/126/0340/12604230340009a.html


 以下、1993年4月23日の第126回国会・労働委員会の議事録から引用する。

○石田(祝)委員 安易な拡大をしないということですから、これはどういう形になるのか、ぜひ厳しくやっていただきたいというふうに私は思います。
 それで、この裁量労働制で私は一番大きな問題だと思うのは、要するに、裁量できる範囲というのは、仕事のやり方とか時間を裁量はできるわけですけれども、仕事の量そのものを裁量はできないということだと思います。
 例えば、私が読んだ鼎談というのでしょうか、労働基準法についてのそういう座談会の中でフランスの例を挙げている方がいらっしゃいまして、その中に、その方が企業調査でフランスへ行った、そのときに、フランスの労働省の説明では裁量労働が認められるのはいわゆるガードルという管理職だけと聞いていたけれども、ある研究所に行くと事務員からテクニシャンを含むほとんど半分ぐらいの人が裁量労働の契約を結んでおった、こういうことを知ってびっくりしたという話もあったのです。そしてその中で、裁量労働を結ぶときに条件があった、三つあるということでその方は述べておりましたけれども、一つには本人と必ず書式、書面の契約を結ぶ、それから二番目として、原則として時間の拘束はなくフレックス、これは日本でも同じなようでありますが、そして三番目に仕事の量が適切なものである、こういう三つの条件があったようであります。
 ですから、私は、最初に申し上げましたように、この裁量労働の大きな問題は仕事の量そのものは自分では裁量できない、こういうことではないだろうかと思うのです。企業というものは、例えば一年間でやる仕事の量、これこれの人数の裁量労働のグループはこれこれの量の仕事だ、こういうふうにやっておっても、年度の途中でも仕事が入ってくる。こういう仕事をぜひおたくのこの部門でやってもらいたいというふうに来られたら、いや、うちは裁量労働で労使で協定を結んでこの一年間はこういう仕事しかやりません、お引き受けできませんといって断るところはまずないと私は思うのです。ですから、仕事の量が裁量できないということを考えてどういうふうな歯どめをお考えになるのか。これは私は大事な問題ではないかと思いますが、どういう歯どめを考えていらっしゃるのか、お答えをいただきたいと思います。


 赤字ボールドの部分は、前記つしま氏のツイートに引用された画像で赤字ボールドになっていたのに準じたが、そうだ、それこそが裁量労働制の問題点なんだよ、と私も強く思った。そしてそれと同じ問題が高プロにはある。しかも裁量労働制ではまだみなし残業代がついたが(この手当がつくこと自体、経営者が残業を必要とする労働を前提としていることを意味するが)、高プロには残業手当すらない。もちろん深夜業手当もない。

 上記に続くつしま氏の4件のツイートを続けて引用する。

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000366290295390208
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000368703458852865
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000369670988349440
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000370343549194240

 政府は最初、裁量労働制は裁量で判断できるから大丈夫だと説明する。でも業務量が増えたらどうすればいいのかを繰り返し聞かれて、最終的に政府は、業務量が過大になった場合は、みなし労働時間を見直すか、人員を増やすことが必要になるので、労使協定を見直せばいいと言っている。

 で、それから25年がたってどうなった? みなし労働時間と実労働時間が大きく乖離しても、労使協定が見直される事例はまれだろう。裁量労働制の適用労働者が過労死する事例すらある。このときの政府答弁が想定した仕組みは機能していない。

 みなし労働時間と実労働時間が「●時間」乖離した場合は、裁量労働制の適用除外になるとか、裁量労働制適用労働者に対しても、「時間外労働」の上限規制を設けるなどの規制を設けるべきではないか?

 そして、これ、高プロでも必ず同じことが起きると思う。今政府は「対象労働者の裁量を失わせるような過大な業務を課した場合は制度が適用されない」と説明するが、何が過大な業務なのかの説明はまったくない。

  「過大だったら後から見直せ」だけでは、裁量労働制の二の舞になる。具体的な上限が必要だ。


 本当にその通りだ。

 ところで、今回の「働かせ方改革」法案の審議に関して全く予想もしていなかったことは、裁量労働制の間違ったデータの件ではあれほど批判の論陣を張った野党やマスメディア、それに市井の反安倍政権の人々の抵抗がいたって弱かったことだ。裁量労働制のデータ偽造の際にあれほど注目された上西充子氏が、各紙の報道を比較してそれを批判したツイートを上げても、彼らの反応は鈍かった。朝日新聞や東京新聞が、委員会強行採決の翌日の社会面に取り上げなかったことが、「怒りの温度」のどうしようもない低さを示している。

 11年前に同じ安倍晋三がホワイトカラーエグゼンプションを労働基準法に盛り込もうとした時とは、あまりにも違い過ぎる。これもつしまようへい氏のツイートから引用する。

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000189039905914880

約10年前、安倍首相がホワイトカラー・エグゼンプションを断念したとき、なんて言ったか。 「現段階で国民の理解が得られているとは思わない。働く人たちの理解がなければうまくいかない」 今回も理解は得られていない。世論調査でも明らか。でも強行採決した 今の政権の強引さを表している。


 当時の状況で思い出されるのは、第1次安倍内閣発足直後から、『週刊現代』と『週刊ポスト』の2誌が競って安倍政権批判を展開し、ホワイトカラーエグゼンプションは「残業ただ働き法案」とあだ名をつけられて徹底的に叩かれた。内閣支持率は急落し、自民党からも労基法「改正」に慎重論が続出して、安倍晋三はあっけなく法案の改正案提出断念に追い込まれたのだった。

 だが今回はそれもない。前回から今回までの間に、2度政権交代があって、そのたびに(つまり民主党への政権交代時も含めて)「官邸主導」が強まり、その結果自民党内から高プロを見送るべきだという反対意見は出なくなった。また世論の反発も弱く、5月に入ってから(連休直後にはよくあることとはいえ)内閣支持率がわずかながら上昇するありさまだった。

 それにも増して違ったのは野党の態度だ。私が一番呆れたのは、今回の「働かせ方改革」法案強行採決の直前に共産党の志位和夫が上げたツイートだった。

https://twitter.com/shiikazuo/status/999598901098246144

「小泉元首相、池田氏にエール」 小泉純一郎元首相からの嬉しいエールです! 今日から開始された新潟県知事選挙! 「原発ゼロ」の声を新潟から発信しよう! 私も2日には応援にうかがいます!


 前述のように、小泉政権時代に派遣労働が製造業に解禁になった。これと、派遣労働の対象を一部限定から原則容認へと変えた1999年(小渕政権時代)の二度の法改正が、派遣労働による貧困を招く元凶となった。

 小泉純一郎は、それにとどまらず竹中平蔵と組んで新自由主義の悪政を敷いた。なんと言っても「格差のどこが悪いんですか」と国会の答弁で言い放った男だ。そんな小泉が新潟県知事で「野党共闘」の候補を応援すると言って狂喜する共産党の委員長。これも11年前には考えられなかった光景だ。

 そして、この志位のツイートに「いいね!」をつけた人間がこの記事を書いている時点で1,345人もいる。どうしようもない。これでは「高プロ」が易々と国会を通るはずだ。

 共産党は、今回の「働かせ方改革」法案の審議に関連して、国民民主党、立憲民主党と競うように労働基準法の改正案を出した。残業時間の上限は月45時間、年間360時間というリーズナブルなものだった。これと比べると立民の案では80時間、国民の案では100時間だが、立民の案だと1日平均4時間、国民の案だと同5時間残業させても合法になってしまう。とうてい労働者の側に立った方改正案とは言い難いものだ。それに比べて共産党の案はもっともすぐれている。

 また、同党の機関紙『しんぶん赤旗』の経済面には、欧米では労働生産性と賃金がセットで上昇しているのに対し、日本では、生産性アップの果実が労働者に還元されておらず、大企業の内部留保と高額の役員報酬に消えてしまっていることを指摘する記事が、それを一目瞭然で示すグラフとともに掲載されたという。これは、共産党系の「カクサン部長」氏のツイート(下記URL)に示されている。
https://twitter.com/kakusanbuchoo/status/999607445126172673

 こうしたせっかくの下部の活動をぶち壊しにしているのが、小泉純一郎の新潟県知事選応援に狂喜し、昨年秋には希望の党設立に小沢一郎が関与したことを不問に付した上、岩手3区で小沢を支援までさせた志位執行部だというほかない。

 これは、土台と上部構造とが合致していない状態にしか私は見えないが、このように土台と乖離した上部構造を守っているのが「民主集中制」なのではないか。強い疑問を感じる。

 もちろん、問題は共産党だけにあるのではない。微温的な労働基準法改正案しか出せなかった立憲民主党や国民民主党なども強く批判されるべきだし、与党でも25年前に裁量労働制についての質問をした「石田(祝)委員」というのは、現在も公明党衆院議員を務める石田祝稔のことではないだろうか(議事録の一番最初にフルネームが記載されている)。その石田は、今後行われる衆院本会議での採決では間違いなく法案に賛成票を投じるはずだ。

 自民党に至ってはもう論外で、委員会採決の時にぴょんぴょん跳び跳ねながら両手を振り上げて議員の規律を促すなど、軽薄に喜んでいた堀内詔子という議員は、希望の党から立候補して落選した小沢一郎系の元衆院議員・木内孝胤のさらに上を行く、究極の超エスタブリッシュメント階級の世襲議員だ。なんと、明治の元勲・大久保利通から数えて6代目の人で、係累や配偶者には歴代のエスタブリッシュメントたちが目白押しだ。山梨の選挙民は、よくこんな人に投票したものだと呆れ返る。

 この堀内詔子のような議員を抱えた「階級政党」たる自民党がゴリ押しした「働かせ方改革」法案によって日本の労働者はますます疲弊し、国力は衰える一方だ。深い絶望感を抱かずにはいられない。
 最近は月1回の更新になってしまったこのブログだが、今日(4月16日)でブログ開設からまる12年になり、本エントリで1500番目の記事になる(但し公開後に削除した欠番が14件ある)。最初の記事は2006年4月9日付だが、書き始めて1週間後の4月16日に公開した。

 これを機に、今後のこのブログについての心づもりを書いておくと、このまままばらな更新をしばらく続けたあと、記事番号1515番、つまり本エントリのあと15番目のエントリを最後の記事にして、更新を停止しようと思っている。理由はまあ気力と体力の限界と言っておこうか。

 せめてそれまでに安倍政権が倒れてくれるのを願うばかりだ。開設時の記事は安倍晋三どころか政治とは何の関係もないが、それはウォーミングアップに過ぎず、いつかタイミングを見て安倍晋三批判を始めようと思っていた。当時、ライブドア事件への関与が疑われながら、前原誠司が代表を務めていた頃の民主党が犯した「偽メール事件」の大失策によって、阻止できるだろうと思っていた安倍晋三の総理大臣就任が実現してしまいそうな情勢だったが、それが我慢ならなくなって、やっと重い腰を上げたのだった。

 それから12年。安倍晋三はいったんは総理大臣になったものの、その1年後には惨めな政権投げ出しに終わった。そこまでは良かった。しかし、そのあとがいけなかった。民主党への政権交代は実現したものの、民主党政権は党内抗争が国民に呆れられて自滅し、安倍晋三が政権の座に返り咲いた。そして今度は悪夢のような独裁政治を5年以上も続けている。

 本ブログ運営で大きな躓きになったのは、2011年4月のFC2のサーバートラブルだった。それは東日本大震災と東電原発事故の翌月に起きた。それも全部のサーバーだけではなく、本ブログが利用している "blog63" だけだったかほかの一部のサーバーにもトラブルがあったかは忘れたが、FC2の中でもごく一部のブログだけが被害を蒙った。FC2の対応も良くなく、それでなくても前年の2010年には既にこのブログとはてなに開設している『kojitakenの日記』のアクセス数がほぼ同じくらいなっていたので、サーバートラブル後は徐々に重心をはてなの方に移していった。

 以後、本ブログの公開頻度もアクセス数も年々減少して今に至るのだが、実を言えば数年前から着地点を模索していた。しかし安倍晋三の悪政が延々と続いている時にブログを閉じる気にはならず、せめて記事番号1500番までは続けようと思っていた。1500番が近づいてくると、削除した14件を除いて生きている記事が1500件を超えたら更新を止めようと思い直した。1515番目の記事で、生きている記事が1501件になる。

 そうこうしてるうちに、「一強」と言われた安倍政権が揺らいできた。世論調査に見られる支持率は、おかしいものをおかしいと思う能力を失った3分の1ほどの日本国民の支持がすっかり「岩盤化」してしまったためなかなか下落しないのだが、昨日(4/15)のTBSテレビ「サンデーモーニング」で田中秀征が言っていた通り「統治機構が溶解」してしまっている。

 2012年に戦後日本の「崩壊の時代」の始まりを予言したのは坂野潤治だったが、「二度目は笑劇として繰り返される歴史」は、固体が粉々に砕ける崩壊というより、溶けてしまう「溶解」の方が実感に合うかもしれない。「ようかい」という言葉は、安倍晋三の母方の祖父・岸信介を形容するのに用いられた「妖怪」に通じるものがある。あるいは今は「妖怪の時代」というべきかもしれない。

 先週は「愛媛文書」が話題になったが、愛媛県知事の中村時広(日本新党・新進党の衆院議員を1期務めた)は愛媛県の職員を守る発言をしたが、これが組織の長の普通のあり方だ。しかるに、安倍晋三は官僚に責任を押しつけて逃げ回りながら厚顔無恥にも「膿を出す」などと口にする。モラルもへったくれもない。膿は安倍自身じゃないか、と思わない人がいる方が私には信じられないのだが、安倍内閣支持率は未だに3割前後を保っている。こんな現状には「崩壊の時代」よりも「妖怪の時代」という方が適切ではなかろうか。

 せめて、あと15件の記事を公開するまでに、「妖怪」の「溶解」、すなわち安倍政権の終わりが実現しますように。
 1か月ぶりの更新になる。

 前回はちょうど1か月前の公開で、記事のタイトルは「経営者が強く要望する裁量労働制は窮乏と過労死を招く制度」だった。

 それから1か月、安倍政権をめぐっていろいろなことがあった。

 まず、安倍政権は裁量労働制下で働く労働者の労働時間に関するデータ捏造によって浴びた批判をかわすために、一連の「働かせ方改革」法案から裁量動労制の対象範囲拡大を定めた法案のみ国会への提出を断念した。だが、「残業代ゼロ法案」として、裁量労働制のデータ捏造が問題になる以前にはもっとも強く批判されてきた「高度プロフェッショナル」法案は押し通すつもりらしい。

 私がもっとも危険だと思ったのは、安倍政権が裁量労働制対象範囲拡大の法案提出を断念した直後に、自民党参院議員の丸川珠代(元テレビ朝日アナウンサー)が国会の質問で「悪いのは厚労省。それを安倍総理が大英断で糺してくださった」などと発言したことだった。

 年々強まる安倍晋三への個人崇拝だが、ここまでエスカレートしたかと暗澹たる気分になった。私が連想したのは北朝鮮ではなく、政権崩壊末期に個人崇拝ムードが極限にまで高まった後、一転して急速に崩壊した1989年のルーマニア・チャウシェスク政権だった。同年10月頃、他の東欧諸国がみな共産党の一党独裁体制瓦解に突き進んでいるのに、ルーマニアでは逆にチャウシェスクへの個人崇拝が強まっていることを報じた朝日新聞の記事が今も忘れられない。その2か月後の1989年12月末、ニコラエ・チャウシェスクと、昨年来しばしば安倍昭恵がなぞらえられるエレナ・チャウシェスクの夫妻が捕縛され、即席裁判で夫妻の死刑を宣告されたあと直ちに銃殺されてルーマニアの共産党独裁政権が終わったのだった。

 ここでも「悲劇は笑劇として繰り返される」のであろうか、丸川珠代の安倍晋三個人崇拝質問が国会で飛び出した3月1日の翌日である2日付朝日新聞1面トップに、森友学園問題をめぐる財務省の文書「書き換え」をスクープした記事が掲載された。当初「書き換え」を安倍政権も財務省も否定していたが、おそらく大阪地検特捜部のリークを受けたのであろう朝日は動かぬ証拠をつかんでいるとみえ、財務省は12日に「書き換え」を認める事態に追い込まれた。明らかになったのは「書き換え」などという価値中立的な言葉で表現されるべきものではなかったため、たとえば朝日新聞では13日付紙面からそれまでの「書き換え」から「改ざん」(私自身は原則として「改竄」と漢字表記するが、引用文はその限りではない)へと用語を変えた。蛇足だが、この用語の変更はテレビ朝日が12日午後にいち早く行い(朝日新聞の夕刊やTBSは12日の段階ではまだ「書き換え」だった)、13日に朝日・毎日両紙やTBSなどがそれに追随した。あの産経ですらだいぶ遅くなってから「書き換え」を「改ざん」に(しぶしぶ?)書き換えたが、この記事を書いている26日現在、主要メディアで唯一「書き換え」に固執しているのが読売新聞だ。読売は、日本でもっとも悪質な御用メディアというほかない。

 これはまさに民主主義の根幹に関わる問題だ。旧ソ連でさえやらなかったと言われる文書改竄だが、実は日本では昔から結構この悪弊が横行していた。たとえば、やはり安倍晋三にたとえられる昭和初期の総理大臣・田中義一は、軍人時代に日露戦争開戦へと導くために、ロシアと日本の軍事力に関する参謀本部のデータを改竄し、日本の軍事力がロシアを上回るように見せかけてまんまと日露戦争開戦を実現させたという。こうしたことの積み重ねが、最終的に1945年の敗戦を招いた。

 今、日本国民に問われているのは、おかしいことをおかしいと認識できるかどうかだ。それができるのであれば安倍政権を退陣に追い込めるだろうし、もし仮に近い将来に政権を退陣に追い込むことができないのであれば、それは日本国民がおかしいことをおかしいと認識できなくなるまでに劣化してしまっていることの証明になる。

 今後安倍政権が倒れる要因としては、貿易問題で突如日本に向かって牙を剥きだしてきたかに見える米トランプ政権の件もある。先週話題になったのはトランプの下記の発言だった。以下時事通信の23日付記事(下記URL)を引用する。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018032300576&g=use

安倍首相は「出し抜いて笑み」=トランプ氏、対日貿易に不満

 【ワシントン時事】「安倍晋三首相と話をすると、ほほ笑んでいる。『こんなに長い間、米国を出し抜くことができたとは信じられない』という笑みだ」。トランプ米大統領は22日、ホワイトハウスでの会合で首相についてこう語り、対日貿易赤字への不満をあらわにした。

 トランプ氏は「偉大な男で、私の友人」と前置きして、首相の笑顔を解説した。その上で「こういった時代はもう終わりだ」と述べ、「互恵的」な関係を求める考えを強調した。

(時事通信 2018/03/23-11:01)


 トランプ政権の動きで言えば、同政権が米朝対話へと動いたことで、安倍政権もそれに追随せざるを得なくなった件もある。つまり安倍晋三はこれまでのような国内世論向けの「北朝鮮カード」を切れなくなった。

 このように、政権維持に突如として困難が多方面から現れて視界不良となった安倍晋三だが、この男にとって何よりも大事な改憲だけは絶対に譲らない構えを見せている。以下、朝日新聞の22日付記事(下記URL)を引用する。
https://www.asahi.com/articles/ASL3Q6FLPL3QUTFK02B.html

自民の9条改憲、首相案で決着 2項維持し自衛隊を明記
二階堂勇
2018年3月22日21時05分

 自民党の憲法改正推進本部は22日、安倍晋三首相の9条改正案に沿って、戦力不保持を定める2項を維持して「自衛隊」を明記する方向で取りまとめる方針を決めた。新たに9条の2を設け、「(2項は)必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織」と位置づけて自衛隊を保持する案が軸となる。

 今後の対応一任を受けた細田博之本部長は25日の党大会での9条の条文案提示は見送り、党大会以降、最終的な条文案を作成する。

 推進本部は22日の全体会合で、2項維持・自衛隊明記の二つの修正案を提示。前回示された2項維持案では、自衛隊を「必要最小限度の実力組織」と定義したが、修正案では削除した。自衛隊が2項で保持を禁じる「戦力」に当たらないとする政府解釈を明記し、世論や他党の反発を和らげることを狙っていたが、自民党内から異論が出ていた。

 この日は、修正案を中心に首相案を支持する意見が多数を占めた。2項削除論を展開する石破茂・元幹事長らから意見集約に反対する意見も出たが、細田氏が一任で押し切った。執行部の説明によると、修正前の2項維持案と二つの修正案のうち、どれを選ぶかに対応が一任された。細田氏は会合後、記者団に「必要な自衛の措置をとることを妨げず」とした修正案を採用する意向を表明した。

 9条改正案の一任を受けて、参院選の「合区」解消など▽大規模災害時に政府に権限を集中したり、国会議員の任期特例を書き込んだりする緊急事態条項▽「教育無償化」を含めた自民党の「改憲4項目」の条文化にはめどが立った形となった。今後は、連立与党の公明党との協議や国会の憲法審査会での議論を目指すが、各党には改憲4項目に対する反対論が根強く、国会での発議が見通せない状況は解消されていない。(二階堂勇)

自民党憲法改正推進本部の執行部が有力と考える案

 9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

 2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

(朝日新聞デジタルより)


 ここまで日本をめちゃくちゃにした安倍晋三の政権下での改憲など、絶対に許してはならない。

 だが、この1か月で安倍晋三は「一強」のやりたい放題ができる状態からはかなり後退したとはいえ、まだ土俵中央に押し返した程度の段階に過ぎない。

 闘いはこれからが正念場だ。
 平昌冬季五輪が終わった。振り返ると、子どもの頃はテレビの五輪中継に熱中していたが(特に1972年の札幌冬季五輪)、年々五輪への興味が減退してきて、今回は競技の生中継を見たのは女子ジャンプで最後の2人、銀メダルを獲ったアルトハウス選手(ドイツ)と金メダルのルンビ選手(ノルウェー)のジャンプを見ただけだった(本当は高梨沙羅選手の2回目のジャンプを見ようと思ってテレビをつけたのだが、飛び終えた直後だった)。

 しかし、8年前、2010年のバンクーバー五輪直前に放送された報道ステーションの特集が今も印象に残る小平奈緒選手のスピードスケート女子500mの金メダルは良かった。銀メダルの韓国・李相花選手との友情は、今大会でもっとも印象的なシーンとの世評が高い。前記2010年の報ステの特集でも、小平選手は「三ヶ国語で、韓国語と中国語と日本語で、調子いいねとか言い合ったりして」中国や韓国の選手とエールを交換していることが紹介されていたが、最近では中国のメディアから「中国語力」を絶賛されているとの記事もある。

 一時は開会式の出席に難色を示していた安倍晋三とはあまりにも好対照だが、その安倍は小平選手の金メダル獲得が決まるや否や、さっそく「首相官邸」のTwitterのサイトから、日の丸の旗を2本も手にして自らの馬鹿面を晒した気持ちの悪いツイートを発した(下記URL=閲覧注意)。
https://twitter.com/kantei/status/965206781700931584

 小平選手の優勝を称えるツイートなのに、安倍はなぜか小平選手の画像ではなく、自らの馬鹿面の画像を晒した。海外の首脳にも五輪で好成績を残した自国代表選手を称えるツイートを発信した人は多いが、彼らは皆一様に選手の画像を添付していた。しかし、2016年のリオデジャネイロ五輪の閉会式で、マリオブラザーズのマリオに扮する売名行為を平然と行った安倍は、今回も厚顔無恥の挙に出た(さすがにこのツイートを批判されたあとに金メダルを獲った選手を称えるツイートでは選手の画像を添付したようだが)。

 しかし、小平選手のような選手が政権の宣伝に狙われ易いのは間違いないだろうし、だからこそ官邸(安倍)は小平選手に国民栄誉賞を授与しようと画策しているようだ。実際、スポーツ界の体質から言って、また橋本聖子の悪例を思い出しても、小平選手が安倍政権や自民党に将来ともなびかないとは残念ながら断言できない。小平選手が誤りを犯さないことを願うばかりだ。

 以上は長くなったが前振りでここからが本論。安倍は冬季五輪のタイミングに「働き方改革」の法案の審議をぶつけてきて、人々が五輪にかまけている隙にさっさと成立させて、春からはいよいよ安倍長年の野望である改憲に向けて全力を傾注するつもりだったに違いない。しかし、国会の答弁で安倍が、裁量労働制下で働く人の労働時間が一般労働者と比較して短いとのデータが出ているかのような虚偽答弁を行ったことが問題化し、報道でも連日取り上げられるようになった。

 既に安倍は答弁の撤回と謝罪を行っているが、それでも法案は成立させるとかいうわけのわからないことを言っている。これも問題だが、そもそも裁量労働制の問題が国民の間でほとんど知られていないように見受けられる。これが現時点で最大の問題だ。

 たとえば、内田樹の人脈に属する小田嶋隆などは、「一介の労働者に過ぎない多くの日本人が、なぜなのか、国策や日本経済を語る段になると「経営者目線」で自分たちの暮らしている社会を上から分析しにかかっている」などとしたり顔で論評しているが、この小田嶋の仮説は正しくないと私は思う。そうではなく、単に世の人々が裁量労働制の問題点を知らないだけだ。私はもう四半世紀前の1993年、その頃は経団連の中核をなす大企業に勤務していたのだが、実際に半年間だけ裁量労働制下で働いた経験があるからわかる。

 たとえば、昨日(2/25)放送されたTBSの「サンデーモーニング」を見ていても、コメンテーターは誰もわかってないなあと思った。テレビでは初めて見た朝日新聞の高橋純子記者は、「人の命がかかっている大事な法案なのに何故急いでやらなければならないのか。しかも裏付けとなるデータが不適切だったと分かったのだから顔を洗って出直してもらうしかない」とコメントした。仰ることはその通りだが、高橋記者も法案の問題点そのものは指摘しなかった。そこにぬるさを感じた。関口宏はもっとダメで、裁量労働制について「いいところもあるけど問題もある」みたいな言い方だったし、サッカーが専門の中西哲生に至っては論外で、「データは不適切だが、野党は鬼の首を取ったように色んなことを言ってる。大事なことは裁量労働制を良いものにし働き方を良くし日本を良くすること。いつも対立構図にする野党に違和感を感じる」と抜かしていた。これまでは中西に右翼のイメージはほとんどなかったが、時流に迎合して野党攻撃を始めるべく「転向」したのかもしれない。事実、中西は早速ネトウヨの絶賛を受けている。

 いずれにせよ、ぬるい高橋純子の発言、輪をかけてぬるい関口宏の発言と続いたあと、野党を攻撃して間接的に安倍政権を援護射撃する中西哲生の論外の発言に接して、「リベラル」のはずのこの番組でもこの程度か、やはり裁量労働制の問題は全然知られていないんだあと長嘆息したのだった。

 裁量労働制については、遠い昔の四半世紀前に半年だけ経験した私のような人間ではなく、最近裁量労働制を経験した方による下記のブログ記事にリンクを張っておく。『脱社畜ブログ』の2月24日のエントリ「裁量労働制になったら、働き方は何も変わらずに残業代だけ減った話」だが、このタイトルは四半世紀前の私の経験そのものだ。
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2018/02/24/155303

 以下が今回の記事の核心部になる。今回、私が一番感心したのは、『kojitakenの日記』でも紹介した今野晴貴氏の一連(4件)のツイートだ。

 この中では、4件目にあたる下記ツイート(下記URL)が多くリツイートされているようだ。以下引用する。
https://twitter.com/konno_haruki/status/966590331197116416

裁量労働性の規制緩和「対岸の火事」だと思っている方も多いと思うが、財界は以前から、ホワイトカラーの大半に適用できるようにすべきだと主張している。裁量労働性が全面規制緩和されれば、ブラック企業の「使い潰し」がますます加速し、歯止めがかからなくなるだろう。もちろん、過労死も増加する。


 私が感心したのは、今野氏が2件目のツイート(下記URL)で1994年に出された日経連(当時)の要求を紹介していたことだ。再び引用する。
https://twitter.com/konno_haruki/status/966589732497997824

1994年に法改正を要求して出された旧日経連の「裁量労働制の見直しについて(意見)」では、「就業者全体のほぼ半数に達している。こうしたホワイトカラーの相当部分は、自己の判断で職務を行う「裁量労働者」である」としている。つまりは、ほとんどの労働者が「裁量労働」にすべきだということだ。


 当時の日経連ですぐ思い出されるのが、1995年に出された「新時代の『日本的経営』」だが、これらはいずれも90年代前半のバブル経済崩壊を受けて始まった流れだ。

 つまり、バブル経済の崩壊によって、企業がそれまでのように利益を上げられなくなったため、労働者の賃金を下げようと画策した。裁量労働制はその一つの手段だ。日経連が法改正を要求して意見書を出したのは今野氏が指摘するように1994年だが、実際には各企業において裁量労働制を導入する試みはその少し前から始まっていた。現に私が裁量労働制下で働いたのは1993年だ。

 当時、多くの企業で人事制度の見直しが行われ、成果主義が謳われたりしたが、特に成果主義に力を入れた富士通で、人事制度改革が大失敗に終わったばかりか、赤字を出しても当時の富士通社長・秋草直之が居座るばかりか、「業績が悪いのは従業員が働かないからだ」(2001年)と暴言を吐くなどの破廉恥な振る舞いに出て(つまり、秋草自身には成果主義は適用されなかったわけだ!)、世の指弾と失笑を買った。しかし現在はその当時よりもさらに問題は深刻で、当時の富士通よりもさらに悪質な、いわゆる「ブラック企業」が日本中にはびこっている。

 しかし、バブル崩壊に先立つ1980年代の「労働界の右翼的再編」の悪弊もあって、賃下げを強行する使用者に対して労働者はなすすべなしの状態が長年続いた。その結果が日本経済の没落だ。安倍晋三が入れ込んだものの平昌五輪で赤恥を晒した「下町ボブスレー」は日本のものづくりの現状を象徴している。

 その没落の進行をさらに早め、労働者を窮乏と過労死に追い込む制度、それが裁量労働制だ。「定額働かせ放題」とは、この制度の本質をぴたり言い当てた適切な言葉といえる。この制度は、バブル崩壊後の日本を長期低落させた悪しき労働政策を、適用業種を広げることによってさらに広めようとするものであって、絶対に成立させてはならない論外の法案だ。まだ国会に法案が提出されていない現段階においては、法案の提出を許さない闘いが、野党にも労働界にも強く求められる。また、「リベラル」が(小田嶋隆のように)「法案は、間違いなく成立する。」などとほざいて諦めムードを醸成させることは断じて許されない。

 なお、2006〜07年のホワイトカラーエグゼンプション(WCE)に続いて今回の裁量労働制と、安倍政権が他の政権よりもとりわけ使用者側に立った労働政策を法制化することに熱心なのは、この政権が「経産省政権」と言われていることと深い関係があるとみるべきだろう。おそらく安倍晋三自身は改憲には熱心であっても労働政策にはさして関心があるとは思われないので、経産官僚と大企業経営陣の思惑通りに亡国の法案が導入されようとしているのが現状だ。

 それにしても、バブル崩壊直後に始められ、日本経済を長期低落させてきた悪しき労働政策の流れが、四半世紀以上経った今も惰性で続いているとは、人の世に働く惰性力の強さ、恐ろしさを改めて痛感する。1993年当時には若手社員だった私も、その後二度の転職を経てもう初老だが、私よりもはるか若くて将来性のある人たちが今後裁量労働制下で苦しめられるのは絶対に看過できない。そう強く思う。

 最後に、『広島瀬戸内新聞ニュース』の昨日(2/25)の記事(下記URL)を引用して終わる。短く簡潔な記事だが、本当にその通りだと強く思った。
https://hiroseto.exblog.jp/27102781/

「働き方改革」関連法案は、これは提出そのものを断念させるしかないですね。
その一言に尽きます。
ハッキリ言ってしまうと、労働組合も野党も、この法案を通してしまえば鼎の軽重を問われます。
日本中の職場は大変なことになる。裁量労働制そのものが、経営側から出てきた発想であるということをきちんと思い起こさないといけません。