ロッキード事件とは違って、リクルート事件に関しては、逮捕された人たちは本当はどこまで悪いのだろうかと思っていたため、真藤恒にもさほどの悪感情は抱かず、むしろ「しんとう」という姓から「神道」という言葉を連想し、本当にたちが悪いのは、国家神道を信奉する連中なのになあ、などと考えていたことを思い出す。当時から私は狂信的な右翼が大嫌いだったし、真藤恒が逮捕されたのは、昭和天皇が死んで間もない頃だった。もちろん私は、昭和天皇が重体になった時の「自粛」騒ぎについて、なぜ戦犯が重体になったからってそんなに騒ぐのだ、と怒りを感じていた。私が個人でパソコンを購入したのは、昭和天皇の血圧が日々新聞に掲載されていた1988年の晩秋だったが、当時はパソコンはスタンドアロンでしか使用しておらず、パソコン通信に加入したのは5年後、インターネットのプロバイダと契約したのはさらにその4年後だった。もし1988年にブログをやっていたなら、日々私が展開する昭和天皇や天皇制への批判を見咎めた右翼の攻撃を受けてブログは炎上し、火だるまになっていただろう。
それからもう21年にもなる。昔、1985年にプロ野球の阪神タイガースが21年ぶりの優勝を決めた時、その前(1964年)の阪神優勝など知らない私は、このチームはずいぶん長い間優勝してなかったんだなと思ったが、1989年から現在までの21年間はあっという間のことのように思える。これが人間の時間感覚なのだな、現在から死ぬまでなんてほんの一瞬だろうなとも思うのだが、そうは言っても、現に生きている人間にとっては、現在がすべてであって、過去も未来もない。ペシミズムに浸る気にもなれない。
真藤恒が逮捕された1989年当時には、平沼赳夫も与謝野馨も既に国会議員だった。与謝野は、初めて立候補した1972年の総選挙で落選したが、三木武夫内閣のもとで行われた1976年の総選挙で、当時三木と組んでいた中曽根康弘のお墨付きで当選した。しかし、その3年後の1979年には、時の総理大臣だった大平正芳が打ち出した「一般消費税」創設の公約が有権者の反発を買って与謝野は落選した。与謝野は駆け出しの議員だった頃から消費税とは縁が深かったのだ。与謝野のボスだった中曽根康弘もまた、1986年の衆参同日選挙で公約しなかった「売上税」を翌1987年に導入しようとして世論の激しい反発を受け、導入に失敗した。
このように、若い頃から間接税との縁が深かった与謝野馨に対し、平沼は与謝野が初当選した1976年の総選挙で落選し、与謝野が一般消費税導入構想の煽りを食って落選した1979年の総選挙にも、与謝野ともども落選して2連敗を喫した。だが、平沼が落選した理由は与謝野とは全く異なり、経済問題などそっちのけで、ひたすら日本国憲法と教育基本法の改定を訴えたためだった。平沼の過激な右翼思想は、保守的な岡山県の農村部でさえ支持を得ることができなかったのである。
だが、ともに1979年10月に行われた総選挙で落選した与謝野馨と平沼赳夫にとって幸運だったのは、この選挙に負けた自民党が内紛を起こし、その結果翌年の通常国会で野党が提出した大平内閣不信任案の採決に三木武夫と福田赳夫の派閥が欠席したために、前年の選挙から8か月しか経たないのに、再度衆議院の総選挙が参院選と同日で行われたことだ。しかも、選挙期間中に大平首相が急死し、同情票を集めた自民党が圧勝した。もちろん、与謝野は返り咲き、平沼は初当選をそれぞれ果たした。その後は、地元岡山県の票をがっちり固めた平沼が選挙では無類の強さを示すようになった一方、東京のど真ん中を選挙区にする与謝野は相変わらず不安定で、森喜朗政権時代の2000年の総選挙では、比例復活もならずに落選した。
人脈からいうと、与謝野馨も平沼赳夫も、保守本流ではもちろんないし、保守傍流の中のメインストリームである岸信介?福田赳夫の流れとも異なる、それよりさらにタカ派の自民党最右派に属していた。与謝野馨は中曽根康弘の直系だし、平沼赳夫は中川昭一に近い。だが、与謝野は中曽根直系でありながら梶山静六に接近した。イデオロギー的にも、ハト派とか「リベラル」とはいえないが、さりとて近年の自民党で目立ったタカ派ともいえない。与謝野はイデオロギー的な議論をあまり好んでいないのではないかという印象もある。
一方、平沼赳夫はそのタカ派ぶりに磨きがかかり、「あの人は自民党の中でも極右ですからね」と三宅久之に評される存在になった。こちらはイデオロギー色むき出しの人物だが、どういう人脈があるのか、資金調達能力がある。なんだかんだいって政治には金が要るので、資金調達能力のない人間には政党は作れない。新党を結成した人物を思い出してみると良い。細川護煕(日本新党)、鳩山由紀夫・邦夫兄弟(民主党)、小沢一郎(自由党)など、大金持ちか資金調達能力を持つ者かのどちらかだ。平沼は、郵政民営化法案に反対して自民党を追われたが、同様の憂き目にあった城内実をはじめ何人かの政治家に資金提供をしたといわれている。城内実は、自民党時代には安倍晋三の腹心だったが、浪人時代には平沼赳夫と一心同体であるかのような言動を繰り返していた。
しかし、その城内実までもが与謝野・平沼新党への参加を決断しきれない。数日前、『報道ステーション』に映し出された城内実のコメントは、新党への参加の意欲を示したものとしか思えなかったが、その後まだ逡巡しているようだ。城内のブログを見ると、一昨日(7日)に、平沼赳夫が最高顧問、安倍晋三が会長をつとめている超党派議員グループの「創生『日本』」が渋谷駅前で街宣を行うという告知記事が出ている。この「創生『日本』」は、イデオロギーが一致している安倍晋三、平沼赳夫、城内実の3人が中心になって活動している極右国会議員の集まりだが、安倍は自民党、平沼は新党、城内は無所属に分かれる可能性も出てきた。
目を疑ったのが岐阜新聞の記事で、おそらく共同通信の配信だろうと思うが、
などと書かれている。平沼氏とともに衆院会派を組む自民離党組の小泉龍司(57)、城内実(44)両衆院議員らは「保守色が強すぎる」ことなどを理由に当初からの参加を見合わせる。
この記事の存在は、ほかならぬ城内実ブログのコメント欄で知った。コメント主は、
などと城内実を擁護している。自分は、与謝野・鴻池・中山氏らがどうかと申し上げましたが、この記事が本当かは知りませんが、保守色が強過ぎる、と指摘されたならば、自分の感性と同じだったので、良い選択をされたと思いました。それでも、全否定はせずに共通項のある平沼氏と関係を続けられる城内先生の主張すべきはちゃんと主張する媚びない態度、要所、要所できっちり良い判断をされていると思います。
しかし、城内実の支持者も人それぞれで、「三十路」と名乗る方は、下記のようにコメントしている。
http://www.m-kiuchi.com/2010/04/07/souseinipponshibuya/#comment-38492
117.
三十路 2010/04/8 10:43:05
???
保守色が強すぎると言うのは、城内議員のことなのでは?
私は、城内議員が保守色が強すぎるので、結党時のメンバーに入れない(でも、その後合流)、と言う平沼議員の主張なのかと思っていました。
違うんですね。
城内議員が、「(たちあがれ日本は)保守色が強すぎるから見送り」と言ったという趣旨なんですね。
もしそうなら、ガッカリです…。
あんなに、渡辺よしみやら(事務所に抗議メールしました。「立ち枯れ」発言に腹立たしく思うみなさんも是非)、マスコミやら、鳥越なんかに平沼議員を馬鹿にされるような発言を繰り返されて、城内議員は悔しくないんでしょうか。
私は悔しいです。
平沼議員が馬鹿にされているのは、まるで日本を馬鹿にされているよう。
本当に腹が立つのは、これに影響されて一般人までが「老人が!」などと言い出すことなんですけどね。
議員は年齢なんかじゃないです。小沢チルドレンを見たら分かるけれど、若くても法律も知らないリンゴを剥くしか能のない人間もいます。
私は年齢ではなく、日本のため、日本人のために働いてくれる政治家を応援します。
この方の意見の方が正論である。私も、平沼・与謝野新党を「新党たそがれ」と書いて馬鹿にしたが、それはこの新党が過去30年にわたって日本をガタガタにした張本人である中曽根康弘や渡邉恒雄(ナベツネ)ら前世紀の遺物がバックにいるからであって、単に与謝野馨や平沼赳夫が老人だからではない。そして、城内実の主張をネット検索などで詳しく調べたことのある人間として言わせてもらうと、城内実という政治家は、安倍晋三や平沼赳夫よりさらに右翼イデオロギーの強い人間である。以前にも紹介したが、2006年7月7日に、「チャンネル桜」の番組で、教育勅語を見直すべきだ、読めば読むほど、人間として、日本人としての徳が書いてある、教育基本法がああだこうだという議論をするのであれば、教育勅語と言うのが既にあるわけだから、国会を開いて議論をしたり、有識者の意見を求めるというのも、税金の無駄遣いだなどと放言している(下記URLのブログ記事参照)。
http://hepoko.blog23.fc2.com/blog-entry-207.html
平沼赳夫は、自民党を追われる前には、安倍晋三らとともに教育基本法改正に尽力した人間であり、城内が上記の放言をした約半年後の2006年12月15日に、教育基本法は改正された。この日付は、教育基本法が再改正されて以前の法案に戻す日まで、私は忘れることはないだろう。日本の政治がもっとも右に寄ったその「極北」の日であり、平沼赳夫は若き日に衆院選に二度の落選の憂き目にあってもこだわり続けた教育基本法改正をついに達成した日でもあった。その執念には敵ながら頭が下がる。ところがそれを、城内実は「教育勅語があるのだから教育基本法改正の国会での議論など税金の無駄遣いだなど」と、安倍や平沼よりさらに「右」の立場から馬鹿にした。
ネットの世界で城内実の悪名を高めた、国籍法改正をめぐるブログ記事にしても、ここまでレイシズムを全開にした文章は、平沼赳夫にだって書けないだろう。おそらく、世間では城内実は平沼赳夫ほどのゴリゴリの右翼ではないと思っておられる方が大半だと思うが、試しにその根拠を挙げてみられたい。いかにもこわもての右翼然とした平沼赳夫の風貌に対して城内実がやさ男であることとか、ネットにおいて一部の左翼が城内実を熱心に応援してきたことくらいしか思いつかないはずだ。実際には城内実こそ平沼赳夫よりさらに「保守色の強い」人物であることは、私が上記の根拠を示した通りである。
岐阜新聞の記事だが、小泉龍司なら、「保守色が強すぎる」と言って平沼・与謝野新党への参加を見合わせるのは理解できる。衆院選前に、各候補者の立場を検討した時、小泉龍司は平沼一派に所属するのが不思議なほどリベラルな人物だった。一方、城内実の方は、平沼赳夫でさえ賛成していた「取り調べの全面可視化」に反対したことは、当ブログでしばしば指摘した通りである。だから、小泉龍司と城内実を一緒にした岐阜新聞の報道はおかしい。
要するに、「信念を貫く男」とは名ばかりで、城内実の内心は揺れまくっているのだろうと私は思うのだが、どうして「真正保守」たちが一つになれないのかというと、これは小選挙区制の壁があるからだろう。今日のエントリでは、本当はこれをメインに論じるつもりだったが、時間切れになったので、とりあえず城内実批判エントリということにしておいて、小選挙区制の弊害については、来週にでも改めて論じることにしたいと思う。尻切れトンボだが、今日はここまで。
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スポーツの国際大会に絡んではこういうことはしばしば起きる。サッカーのワールドカップ本大会に日本が初出場したのは1998年だが、本選進出を決めた1997年11月16日のイラン戦、「野人」と呼ばれた岡野雅行のVゴールは今でも鮮明に覚えている。私もにわかサッカーファン、にわかナショナリストと化したものだ。その時の日本でのフィーバーもすごかったが、実はこの試合で敗れたイランにも本戦進出の可能性は残っており、それにはオセアニア代表のオーストラリアに勝てば良かった。そしてこの決戦はホームアンドアウェーで行われ、まずイランで行われた第1戦がドロー。そして、オーストラリアのメルボルンで行われた第2戦は、オーストラリアが2点を先制しながら追いつかれてまさかのドローとなり、その場合アウェーの試合でのゴールが多かった方がW杯本戦に進出するという「アウェイゴールルール」によってイランがW杯出場権を獲得、オーストラリアはオセアニア予選を通じて一度も負けていないのにW杯本戦に進出できないという悲劇的な結果になったのである。
いわば、1993年の「ドーハの悲劇」をホームでやってしまったようなものだ。この試合結果に怒り狂ったオーストラリアのサッカーファンは、当時まだ普及率の低かったインターネットで暴れまくり、政治的及び人種差別的な書き込みを撒き散らしたことが、日本にも伝わってきた。1997年というと、私も自宅でインターネットを始めた年(職場では1990年から使っていた)だったので、フレームが生じやすいネットの特質を改めて認識したものだ(fj.のニュースグループでしょっちゅう議論がフレームアップしていたのを見ていたから、驚きはしなかったが)。
ネットでスポーツの国際試合について書くことは、そういう効果を持っていることを知ってか知らずか、城内実衆院議員が自らのブログでバンクーバー五輪女子フィギュアスケートの優勝者、キム・ヨナ選手を称える記事を上げたのは、2月27日のことだった。
http://www.m-kiuchi.com/2010/02/27/asadamaoganbare/
これを読んで私は吹き出した。なぜかというと、このエントリで、城内実はこともあろうに女子フィギュアの試合でキム・ヨナ選手が日本の浅田真央選手に大差をつけて圧勝したことで、片山さつき候補(前自民党衆院議員)と斉木武志候補(比例で復活当選して現民主党衆院議員)にダブルスコアをつけて圧勝した昨年の総選挙を思い出したらしく、
などと書いていたからだ。つまり、4年間五輪が開催されるカナダで修行して努力を重ね、ルール改正に合わせて高得点の得られる演技を見せたキム選手に、城内実は深く感情移入していたように見えた。スポーツで頂点を極める争いを演じたキム選手と浅田選手のレベルはもっとずっと高いと思うのに、城内実はそれを凡人のレベルにまで引きずり下ろして矮小化し、結果的に両選手を貶めているのではないか。そう私には思えたが、とはいえ、城内実に(この件に関しては)悪気がないことくらいはわかった。だんとつの圧勝というのもあれこれ文句のつけようんがないから気持ちがいいものだ。私の選挙もこれからもそうでありたい。
このエントリがアップされた翌日に読んだ私は、裏ブログ『kojitakenの日記』に城内実をからかうエントリを上げたが、なんて恥ずかしい記事を書くんだ、とは思ったものの、この時点ではまさか城内ブログが「炎上」する騒ぎになるとは思いもしなかった。
城内ブログはなぜ炎上したのか。それが今回のエントリのテーマである。
スポーツの国際大会、特に五輪やサッカーのワールドカップは、人々のナショナリズムをかき立てるものだ、ということはもちろんあるだろう。城内実ブログにコメントした人たちの中にも、キム・ヨナ選手や韓国を誹謗中傷しているようにしか見えないものも多かった。
しかし、火に油を注いだのはブログ管理人である城内実その人だった。城内実は、コメント欄の29番にこんなコメントを書いている。
城内 実 2010/02/28 0:52:40
私は前回の選挙でどんなに闇の世界で徹底的にやられようが、748票差で負ければ負けなのです。負ければどこかのとんちんかんな極左レイシストのように「ばーかざまあみろ。おまえはおしまいだ。」とレッテルをはられるのです。
わずかの差で選挙に負けて「自民党の某勢力が暴力団にカネばらまいたといううわさがあるとか、メディアを買収したみたいだとか、トヨタ自動車の奥田経団連会長に圧力をかけたからずるい」とか言ってもしょうがないのです。負けは負け。次回に臥薪嘗胆するしかないのです。
日本選手に不利なルールだからといかいうお方たち、各国ともメダル獲得で必死なのです。日本がもっとしたたかになるか、どうぞどうぞメダルをとってくださいと譲るしかないではないですか。城内実
こんなコメントを見ていると、城内実が五輪の競技と自分の選挙を重ね合わせている確信がますます強まるのだが、それにも増して城内実が選挙における当選と五輪における金メダルを等価なものとして認識していることが容易に読み取れる。つまり、城内実にとっては、「銀メダル」は選挙での落選に等しいのである。
それが証拠に、女子フィギュアについて書いた2日後の3月1日、五輪の最終盤に行われた女子スピードスケートの追い抜き(パシュート)で、日本チームがドイツに0.02秒差で敗れたものの銀メダルを獲得した時には、城内実はこんな記事をブログに上げた。
http://www.m-kiuchi.com/2010/03/01/olimpicgames/
私の外務省のドイツ語の先輩が、「ドイツ人と日本人の金メダルへの執念の差を見たような気がする。」と指摘されておられたが、全く同感である。つめの甘さやちょっとしたミスは命とりである。
私の前回選挙のように浅田真央選手が4年後のオリンピックで金メダルをとること、そしてわずか0.02秒差で金メダルをのがした日本勢が次回に0.02秒差であろうと金メダルをとることを期待している。
オリンピックのルールがどうのこうのと言う前に、勝たなければしょうがないのである。水面下で国際オリンピック協会に日本人に不利なルール変更については適時適切に申し入れすると同時に、日本選手が精神面でも強くなって欲しいと思った次第である。
キム・ヨナ選手と城内議員ご自身を重ね合わせた前のエントリでは、呆れながらも腹が立つところまでは行かなかったが、この記事には腹が立った。パシュートのドイツチームには長距離に強い選手が多いから、日本チームはいかに序盤で差をつけてそれを守り切るかが勝負の鍵を握るとテレビ中継で言っていたし、実際その通りの展開になり、下馬評では3位くらいかと言われていた日本チームにとってはあわや金メダルというところまでいったのは大健闘だったのだ。しかし、城内実にとっては「日本チームが最後の最後に僅差で逆転負けした」意味しかなかった。もちろん、城内実の脳裏をよぎったのは、2005年の「郵政総選挙」において、猛烈な小泉改革ブーム、郵政民営化ブームが巻き起こり、その影響を受けて城内実自身が静岡7区で自民党公認の片山さつき候補に748票差で敗れたことだった。この選挙では、小泉フィーバーは選挙戦終盤で異様な盛り上がりを見せ、片山さつきの当選も最終盤での大逆転劇といえた。こんないきさつがあったから、城内実は、浅田真央選手もパシュートの日本チームも、次の五輪では「私の選挙のように」金メダルを獲れ(銀メダル=城内実にとっては「落選」と同義=の屈辱を晴らせ)、などと恥知らずなことを平然と書くのである。いったい、カネとコネがものをいう政治の世界で、元警察庁長官の倅が県内だけで8人も当選者が出る衆院の小選挙区で当選することと、実力だけがすべてのスポーツで、世界一を競って銀メダルを取ることのどちらが困難だろうか。城内実にはその程度の想像力さえ持ち合わせがないようだ。
しかも、こうしたおバカな記事を書いている合間にも、城内実はブログのコメント欄に自ら登場し、ブログへの批判者を煽りまくった。同じエントリの84番のコメントは下記の通りである。
城内 実 2010/03/2 1:34:22
みなさまのコメントありがとうございます。
いやあ驚きました。
本当にインターネットの世界の誹謗中傷はこわいですね。
人権擁護法案(インターネット規制法案)の是非について真剣に再考してみたいと思いました。城内実
人権擁護法案云々については、理解できない読者の方もおられると思うが、城内実は右翼の立場からこれに反対してきて、そのことでネット右翼の心をつかんできた政治家である。つまり城内は、「そんなに俺の記事を批判するんだったら、お前らが反対している人権擁護法案賛成に回って、インターネットを規制してやるぞ」と言ってネット右翼を脅しにかかったというわけだ。
ブログのコメント欄では、この84番のコメントは本当に城内先生が書いたのか、と訝る声も多かった。しかし、紛れもなくこれが本物であることを示したのが、翌3月2日の城内ブログのエントリだった。
http://www.m-kiuchi.com/2010/03/02/monbukaakuiinnkai/
今回大勢のみなさまからコメントをいただきました。ありがとうございます。参考にさせていただきました。
しかしまあなんという言葉尻をとらえての罵詈雑言のオンパレード。人のブログのコメント欄に書きたいほうだい。いやあ驚いた。
いつから日本人はこれほど礼儀知らずになったのだろうか。人を批判するならコメント欄には実名で書いて欲しいものです。昔の日本であったら、近所のおじさんから、「こら、ふざけるな。卑怯者名をなのれ。」と一喝されるでしょうね。
本当にインターネットの世界の誹謗中傷や某勢力の工作はこわいですね(真実がどうか分かりませんがある方から連絡があり某極左レイシストなどが2ちゃんねるなどに城内実へのいやがらせで一般のネット右翼をはじめとするインターネットユーザーに対して工作をしたとのこと。)。
私が命がけで反対した左派勢力推進の人権擁護法案(インターネット規制法案)の是非について真剣に再考してみたいと思った次第です。私は今回のことで多少不快に感じたくらいですが、インターネットであることないこと誹謗中傷されて真剣に悩まれている方の人権は守るべきだと思いました。
反日日本人の分断工作にのっかる人も結構いるのですね。まあしかたありませんが・・・・。
結局このエントリが再び「炎上」し、3月2日には再び城内ブログにアクセスしづらくなる状態が続いた。2ちゃんねらーたちも城内のおバカなエントリを嘲笑した。2ちゃんねるの書き込みを抜粋したブログ記事のURLを下記に示す。
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-299.html
この中には、城内ブログにコメントしている人たちの中には、城内実が民主党議員だと思い込んでいる人がいることを示した『kojitakenの日記』のエントリにリンクを張った書き込みも紹介されている(おかげでこのエントリの存在を知ることができたのだが)。城内実が平沼一派の極右議員だということを知らずに、キム・ヨナ選手を称えたという理由で「キムチ実」などと揶揄した「嫌韓厨」のコメンテーターもひどいが、彼らがつけた火に油を注いで自らのブログを炎上させた城内実には、ただただ呆れるばかりだった。そして、上記リンク先からもわかる通り、ネットの議論にはつきものの誹謗中傷はともかく、「某勢力(某極左レイシスト?)の工作」だとか「反日日本人の分断」などと書き、果てには「人権擁護法案の賛成側に回るぞ」とほのめかしてネット右翼を脅しにかかったつもりの、あまりに馬鹿げたというか子供じみた記事に、本当にこれが国会議員センセの書いたブログなのかと呆気にとられたし、これを読んで城内実への信頼が音を立てて崩れたという支持者も少なくなかったのではないだろうか。あまりに無邪気なネット右翼そのものの文章だが、これを書いたのが城内実自身であることは紛れもない現実なのだ。蛇足ながら、もしかしたら城内実の書く「極左レイシスト」は、ブログのアクセス解析を見ながら、「2ちゃんねる」経由のアクセスがあまりに少ないのに拍子抜けしているのではないかと想像する。でも、考えてみたらそんなことは当たり前で、城内実が「極左レイシストが工作した」と妄想している頃には、「2ちゃんねる」は韓国版ネット右翼の攻撃(?)を受けてつながりにくくなっていたのだ。「極左レイシスト」は、「なんで日に数千件のアクセスしかなくて、影響力なんてたかがしれている俺をそんなに過大評価してるんだろう、城内実はアホちゃうか」と苦笑しているのではないか。あくまで想像だけど(笑)。
冗談はともかく、コメント欄における読者からの激しい反発も、キム・ヨナや韓国を感情的に叩く者が多かった2月27日付エントリへのコメントとは様相が変わってきて、城内実を批判するコメントの方が「反日日本人である極左レイシストの分断工作にみんなが引っかかった」などと書いた城内実よりはるかに説得力のあるものになっていた。さすがに、これはまずいと思ったのか、城内実は昨日になって「謝罪」のエントリを上げた。
http://www.m-kiuchi.com/2010/03/04/oshirase220304/
この程度の「謝罪」に納得した読者もいれば、離れたまま戻ってこない支持者もいるだろう。何しろここには書ききれないが、城内実は怪しげな情報提供者のしゃべったことを真に受けて「小沢幹事長(ozawakannjicyou)は逮捕される可能性が強い」とほのめかして、小沢一郎が不起訴になったあとに読者から批判を受けて言い訳を強いられたり、トヨタのリコール問題について、「まさか郵政民営化を強引に推し進めた天罰が下ったということではあるまい」と書いて、それを同じ右派のブログに批判されるとコメント欄でブチ切れたり、自らの後援者を名指しで批判してブログのコメント欄で乱闘を繰り広げるなど、ブログを毎日読んでいたら、コメディアンとしては抜群の才能を感じさせるものの、とてもではないけど政治はこの人には任せられないと思わせるパフォーマンス、いやドタバタ劇を連日のように演じているのである。
これが、ネットにおける支持者拡大に血道を上げた政治家の現在の姿である。4年前、反小泉のブログ運動に自らを売り込んだ時の城内実のブログ記事はなかなかに格調高くて、ブログ運動の主宰者が騙されたのも無理からぬところと思わせるものだったが、その3年後に国籍法改正に反対した時のブログ記事は、同じ著者の手になるものとは思えないひどさだった(下記URL)。
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/
何より城内実という政治家の体質を象徴しているのは、このパーマリンク中の "bakawashinanakyanaoranai" という文字列だ。そして、リアルの世界では民主党議員だと思われていたり、国会議員であることさえろくに知られていないこの政治家が、ネットでは「右」も「左」もなく結構な支持者を獲得していた。
この「城内実現象」を、もうそろそろ「右」も「左」もなく総括すべき時がきているのではないか。それを行わなければ「右」も「左」もネットにおける言論を前に進めることはできないのではないか。そう私は思う。
それに気づかない者が、医療費の切り詰めを狙う財務省の後押しをする。そして今回は、その中に「反小泉」ブロガーとして有名なきっこさんもいた。それが一連の「漢方薬騒動」の本質である。そんな中にあって、『村野瀬玲奈の秘書課広報室』のコメント欄でことの本質を明らかにしようと活発な投稿を繰り返したみどりさん(ブログ『労働組合ってなにするところ?』管理人)の果敢な言論は特筆に値するものだったし、『きっこの日記』を支持したのは良いけれども、みどりさんに対して誹謗中傷を繰り返した「学士様」kaetzchenのコメントは、醜悪極まりないものだった。ブログのコメント欄やトラックバックでkaetzchenを放牧しているブロガーたちは恥を知るべきだ。
kaetzchenをコメント欄に飼っているブログの一つとして、『逝きし日の面影』がある。このブログは、私をはじめとする数人のブログ管理人を事実無根の「解同」(部落解放同盟)呼ばわりし、他にも何人かの共産党支持ブロガーを罵倒している。しかし、全く根拠のない「解同」呼ばわり(現に私は解同のメンバーではないのだから、かつて「布引洋」と名乗っていた同ブログの管理人が証拠を示せないのは当然である)に「睨まれていない」ブロガーたちは、平気で布引洋とTBを交換し合って恥じるところがない。あきれるばかりの事なかれ主義である。こういう人たちが「リベラル」だの「護憲」だのを掲げているとは、なんとひどい偽善ぶりだろうか。そして彼らは揃いも揃って腰抜けばかりだから、こうして私が非難しても、反論する勇気を持たず、仲間うちで馴れ合っているだけだ。見下げ果てたものである。
私と同じように、かつて布引洋に「解同」呼ばわりされたブログ『多文化・多民族・多国籍社会で「人として」』の管理人、仲@ukiukiさんは、布引洋を非難する『kojitakenの日記』につけた「はてなブックマーク」のコメントで、下記のように書いた。
「逝っちゃってる人」とTB交換等しながらも、諍いが起きぬまま今日まで来れた方々、いい加減自省してみるべきではないかと、http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091206/1260058625 を読んで、思いを新たに、そして呆気に。
ここで私が何を言いたいのかというと、自分が被害に遭っていないからといって見て見ぬふりをして、平然と布引洋のような人物とTBを交換する事なかれ主義が、ファシズムを招くということだ。そのような人たちは、自ら「私は全体主義者のカモですよ」と看板を掲げているようなものである。彼らにニーメラーの詩に言及する資格はない。
そんな人たちだから、民主党政権が「無駄を削る」と称して、財務省と結託して行政サービスの縮小を図っても、これを的確に批判することができない。「彼ら」にできることは、せいぜい沖縄の米軍基地問題で「辺野古移転」を強行しようとしている岡田克也外相をスケープゴートにして、鳩山由紀夫や小沢一郎を不問に付すことだけだ。岡田外相の拙劣さはもちろん全くいただけないけれども、岡田克也一人に責めを負わせて済む話ではないことは明らかだ。しかし、「彼ら」には現実を直視することができない。
たとえば政府が医療費を削減するということは、患者に負担させるというのと同義なのである。そんなことにさえ気づかずに、政府の「事業仕分け」に拍手喝采し、批判するものを「自公の工作員」、「共産党支持者」、あるいは「解同」などと決めつけるのが、「彼ら」のやり方である。特に、「支持者」や「工作員」ならともかく、「解同」呼ばわりというのは、「解同」の構成員であると事実無根の決めつけをしているものであり、論敵を誹謗中傷するための嘘をついているものである。そういう悪意の嘘つきと親しくするような人間に、人権だの平和だのを語る資格はない。
そのような人たちだから、ブログ仲間が城内実のような極右政治家を支持すると、簡単にそれに同調してしまう。総選挙前、リベラル・平和系とされるブロガーの間で、城内実の支持者または城内実に理解を示す者は異様なくらい多かった。布引洋もその一人である。
その城内実は、先日読売新聞主筆の渡邉恒雄(ナベツネ)と会見し、ブログにナベツネとのツーショットの写真を披露している(下記URL)。
http://www.m-kiuchi.com/2009/12/03/watanabetsuneosyuhitsu/
城内実は、ナベツネを「大変ものごしが丁寧な、ほんものの紳士だ」と絶賛している。会見の内容は、「あえて詳細について書くことは差し控えたい」と書いているが、そう書いた直後に下記のように書いている。
ただ、小泉竹中構造カイカク路線に対する痛烈な批判と、現下の景気低迷期にあっては公共事業をはじめとして内需拡大をすべきであり、世界一の債権国である日本の財政が破綻するということはないと喝破されたことに、大変感銘を受けた。このことだけはしるしておく。
(城内みのるの「とことん信念」ブログ 2009年12月3日付エントリ「渡邉恒雄読売新聞社主筆(写真付)」より)
ここで赤字ボールドで示した部分だけ切り取れば、ナベツネと城内実の共通認識は正しく、「事業仕分け」などに熱中して、緊縮財政路線をとろうとした鳩山由紀夫首相や藤井裕久財務相は間違っている。ところが、妙に世論や民主党支持ブログなどが鳩山政権を持ち上げるものだから、ナベツネや城内実に正論を言われてしまうのである。
1984年から1999年にかけてナベツネが書いた論説を集めた『ポピュリズム批判』(博文館新社、1999年)を読んだことのある私は知っているのだが、ナベツネはケインズ主義を激しく攻撃した人間である。同書から、ナベツネが1990年に書いた「『ケインズ社会主義』とは何か」の一部を抜粋して紹介する。これは、1990年1月5日付朝日新聞社説「『ケインズ社会主義』の時代」をナベツネが批判したものである。
もともと、ケインズは反社会主義である。赤字財政による巨額な公共投資で有効需要を喚起し、完全雇用を達成するというその理論は、インフレによる実質賃金の切り下げを是認し、ある意味では急進的な資本主義である。戦後、英国労働党が基幹産業の国有化とともに、ケインズ的な手法を採用したが、「イギリス病」を起こして惨憺たる失政を残した。また石油ショック後の世界的スタグフレーションで、ケインズ主義の弊害が指摘された。「ケインズは死んだ」とまで言われ、対極的なハイエックの復活が論じられている。
(中略)
日本経済はやっと今年赤字国債発行から脱却した。世界的に破綻してしまったケインズ主義と社会主義を結び付けて、これからの日本に導入すれば、「大きな政府」と赤字財政に逆戻りして、非効率、浪費、重税、ついにはひどいインフレをもたらし、社会的弱者を最もいじめる結果となろう。
(渡邉恒雄 『ポピュリズム批判』(博文館新社、1999年) 128-129頁)
これは、バブル崩壊が始まる直前に書かれた文章である。引用しなかった部分に、ナベツネ自身の立場は、ケインズ主義と反ケインズ主義の中間点だと書かれているが、この文章および他の論説などを読むと、中間点とはいいながら、かなり反ケインズ主義寄りの主張をしていることがわかる。ナベツネ自身の立場はその後変化していないが、小泉・竹中政権の時代になると、政権や世論がナベツネ以上の経済右派に振れてしまったために(その中には民主党はもちろん、社民党や朝日・毎日新聞なども含まれる。2001年には社民党までもが「改革」という言葉を肯定的に用いていた)、相対的にナベツネが経済左派になっただけだ。
ここで指摘すべきは、この論説が書かれたのち、小泉・竹中やそれに先立つ橋本龍太郎政権が断行した反ケインズ的な政策は、ひどいデフレをもたらして「社会的弱者を最もいじめる結果」を招いたことだ。ナベツネの予見は当たらなかった。
景気が良くなって税収が増えれば財政が改善されることは、バブルの頂点の時期に「やっと赤字国債発行から脱却した」とナベツネ自身が書いていることからも明らかである。逆に言うと、バブル期にバラマキをやって景気を過熱させた竹下登政権の政策は間違いだったということになる。本来、財政再建はバブル期のような好況期になすべき仕事だった。深刻な不況期に「事業仕分け」で国民の人気を得ようなどという政策は、ナベツネや城内実に批判されて当然である。
問題は、ナベツネや城内実の「真の目標」は何なのかということで、もちろん彼らの最終目標は改憲(城内実の場合は「自主憲法制定」)である。本来左派がなすべき「事業仕分け」への批判を、右派にお株を奪われている現在の事態は、今後政権の経済失政が日本の不況をますます悪化させて国民の不満が高まっていったときに、ナショナリズムへの傾斜を招きかねない。私が「国家社会主義の台頭」を警戒する文章を書くようになったのは、もとはといえば、昨年10月に大阪で聴講した辺見庸の講演会に触発されたものであり、もちろん辺見庸は左翼といえる人である。城内実が国籍法改正反対に絡んで書いたレイシズムむき出しのブログ記事を何度も何度もさらしものにするのは、国家社会主義の台頭を恐れるからである。ナベツネにも城内実のブログ記事をよく読んでほしい。その上で城内実を支援するのなら、もう何も言うことはない。また、これまで城内実応援の旗を振ってきた人たちには、ナベツネと城内実の握手をどう考えるのか聞きたい。彼らは、憲法を改定するために保守勢力の再編を狙っている。一昨年にナベツネが仕掛けた「大連立」を思い出してほしい。そんなものに、「9条を守れ」と言っている人間が手を貸しても良いのか。
このままでは、左翼が先頭を切って日本を右傾化させてしまうように思えてならない。現政権が転ぶと極右が台頭する。だからこそ、政権交代の旗を振った人間であればあるほど、現政権にも厳しい目を向けていかなければならない。
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もちろん、当該ブログで管理人が歓迎しないコメントを連投することはやるべきではないし、それは管理人を支持する立場であっても反対する立場であっても同じことだ。それに、他所のブログのことなのであまり差し出がましいことを書くのもなんだが、自分のブログなのだから運営にさしさわるコメントはざっくり削除してしまえば良い。たとえば、当ブログでいうと、高速道路無料化の議論についてのコメントは当ブログの立場と異なるものでもすべて承認しているが、時折くる城内実信者からの古いエントリへのいちゃもんのコメントは削除している。それらは、議論につながるものではなく、当ブログにつばを吐きかけているに過ぎないからである。
以前からよくあるのが、かくかくしかじかのコメントを投稿したが削除されました、というやつだ。昔のパターンだと「トラックバックピープルの何々にTBしました」と書いてその画像をキャプチャし、「しばらく経って見に行ったら削除されてました」と書いて、「検閲だ、検閲だ」と叫んでいた人がいた。そんなバカバカしいことをしないで、自分のブログで反論を書いて、相手に読んでほしければ相手のブログにTBを飛ばせばよいだけだ。もちろんTBが削除される可能性が高いが、主張が多くの読者に受け入れられるのものであれば、ブログのアクセス数に反映されるはずである。たいてい、そんなことにかまけるブログはアクセス数を落としていく。衆院選のあと、当然のごとくアクセス数が低下傾向にある当ブログが書いても説得力がないかもしれないが、昨年11月20日付の当ブログのエントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」は、累計で1万7千件以上のアクセスをいただいており、別件で城内衆院議員が話題になった時にも、その件について書いた記事よりも、該エントリへのアクセスの方がずっと多かった。1万7千件というと、部数の多い週刊誌の数十分の一、部数の少ない週刊誌の数分の一程度に相当する。世に意見を訴えるのであれば、効果を狙わなければダメだ。当ブログとしては、普段はそこそこのアクセス数でも、ここ一番でアクセス数が伸びるエントリを送り出そうと心がけているが、当エントリのようにうんざりした気持ちで書いたものは、そうはならない。そういう時にはダメダメに徹することにしている。読者も意識するとはいえ自分のブログだから、わがままを通しているわけである。
城内衆院議員についていうと、下記の2点が明確にされていないので、ブログに直接コメントなりTBをしない人たちでも、「はてなブックマーク」のコメントなどで皆さん不満を表明するのである。
まず、城内実氏が国籍法改正の際に書いたレイシズム的エントリに対して抗議したそうだが、同氏はこのエントリについてこれを批判したブログ(当ブログを含む)に対して煽りの反論こそすれ、誤りを改める姿勢などいっこうに見せていない。いったい、「自らの判断が間違っていた時、正直にそれを認めることができるところ」とは何を指すのか。
次に、城内実氏は「改憲派だが、9条は残すべき」と主張しているのではなく、毎日新聞の「えらぼーと」に答えて、9条改正と集団的自衛権の政府解釈変更見直しをともに支持する立場を表明した。それどころか、2006年には「チャンネル桜」で、
と発言している(http://hepoko.blog23.fc2.com/blog-entry-207.html参照)。つまり、改憲派の中でももっとも過激(「改憲」ではなく「自主憲法制定」と主張するくらい)である。これをどう考えているのか。教育基本法に限らず、憲法に限らず、それぞれを改正、改憲するというのには、私は賛成ではないんです。要するにGHQがいた占領時代に作られたものは全て廃棄すると。全部新しく作りなおすと。これが正しい道だと思います。
この2点について語っていただければ、それが反対者を納得させるものにはならないにしても、意義のある意見交換になるだろう。そうではなく、黙して語らないから、「ムラ社会の行動様式に従った行為」だとみなされてしまうのだ。「沈黙は金」ではないのである。あなたはかつて「水伝騒動」の時に、最初にとったアクションを修正して、周囲の不興を買ってまでも当ブログにコメントし、「他の誰でもない私」として意見を表明したのではなかったのか。それがあったから、当ブログ管理人は一定の敬意を払っていたのである。
今日はこの件は前振りにとどめておくつもりだったが、これだけの記事になってしまった。管理人としては不本意なエントリになったが、この件についてまとまった文章を書くのは、当エントリで打ち止めにしたいと思う。
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そのうち約4%に当たる8276件が、昨年11月20日付エントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」へのアクセスだった。8276件のうち、月の最後の4日間だけで7809件を数えた。さらに、7月30日と31日の2日間だけで7202件に達した。いうまでもなく私はポスターの一件よりも、国籍法改正に絡んで城内のレイシスト的考え方を露呈した、城内の公式サイト内にあるブログ記事 "bakawashinanakyanaoranai" の方がずっと問題だと考えているから、これを取り上げた当ブログのエントリがアクセスされることは大いに歓迎している。
とはいえ、7月31日に突如この件に関する「ネット世論」(というより2ちゃんねるで大勢を占める論調)が180度変わったことに触れないわけにはいかない。この話題から早く離れろという読者の声もあるが、率先して城内実批判を行った当ブログとしては、今日のエントリだけはこの件から逃げるわけにはいかない。
実は、31日の夕方から昨日(2日)の夜まで出かけていて、土曜日(1日)早朝のタイムスタンプのある記事は出先で書いたものだ。これを書いた時点で私はデイリースポーツが、というよりYahoo!ニュースが「眞鍋かをり写真使用は無断じゃなかった」という見出しをつけていたとは知らなかった。だから、それまでと同じ流れで書いていたし、「仲介者」(実際には城内実の代理人的な働きをした)がFAXを通じて証言したとはいっても、それは城内実が当初からの主張していたことの裏づけにはなっているとはいっても、肝心の眞鍋かをりさんが写真の使用を認めないと言っていることに何の変わりもないのに、なぜ急にブログに対する風当たりが強くなったのかさっぱり理解できなかった。
この経緯をくどくど書くとまた記事が不必要に長くなるが、幸い、『玄倉川の岸辺』が、「勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏」と題した、簡潔かつ秀逸な論評のエントリを上げているので、是非ご参照いただきたい(下記URL)。
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/722d7c3b9235013425b8c1b30eea2d3b
要は、つけた見出し一つで記事の印象は大きく変わり(もちろんデイリーの記事自体も片側の当事者から裏をとっていないひどい飛ばし記事だが)、それによって「2ちゃんねる」世論が右往左往したということだ。「はてな」世論は2ちゃんねると比較するとかなり冷静で、デイリースポーツの記事についた「はてなブックマーク」も賛否両論というよりはむしろ城内実に批判的なコメントの方が多い。
ところで、『玄倉川の岸辺』は、管理人さんが「小泉ファン」とのことで、普段は当ブログとは意見があまり合わず、接点も少ないのだが、ひところかなり接点があった時期がある。それは、昨年リベラル・左派系ブログの世界で話題になった「左のほうの水伝騒動」に関するもので、『玄倉川の岸辺』は、昨年1月19日付エントリ「左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する」を皮切りに、この騒動に鋭い批評を加えた。そして、昨年8月までは当ブログもこの件にはかなり深くかかわった。
なぜそのことを蒸し返すかというと、今回の事件で最初城内実が「無断使用はしていない」と主張し、ポスターの使用にこだわった姿勢を見せた時、城内は初期の対応(以後、「初動」と表現する)を誤ったな、まるで「水伝騒動」の時に最初に批判を受けたブログみたいだな、と思ったからだ。あの「水伝騒動」は、ごく最初の頃を除いて「疑似科学批判」の本筋を離れた争いになったのだが、批判を受けた側のブログが初動を誤らなければ、あのように多くのブログを巻き込んで騒動が泥沼化することもなかった。
今回の件も、正直言って城内実の気持ちも全くわからないではない。城内が「眞鍋さんの許可をもらっている」という連絡を受けていたことはほぼ確実であり、だからこそ「なんで今頃『無断使用』だなんて言い出すんだ」と思ったに違いない。しかし、そこで立ち止まって冷静沈着な行動ができるかどうかが、政治家としての資質の有無を決定する。傍から見ていると、眞鍋さんが自身のブランドになっているブログであそこまではっきり書く以上、城内はポスターを撤去せざるを得なくなることは火を見るより明らかであり、私はおそらく城内はいったん「調査中」というコメントを出した上で、眞鍋さんに謝意を表明してポスターを撤去するんだろうな、と予想していた。しかし城内は初動を誤り、結局仲介者の社長に泥をかぶらせる形での事態の収拾を図ったが、それを報じる側が「眞鍋かをり写真使用は無断じゃなかった」などという見出しをつけて煽った影響もあったためか、眞鍋さんの所属する事務所が態度を硬化させてしまい、選挙ポスターへの掲載許可などしていないと反論を受ける羽目になって今に至っている。最初に城内が適切に対処しておけばどうってことなかったのに、初動を誤ったばかりに話をこじらせてしまったのである。
「2ちゃんねる世論」に右往左往した人たちから、当ブログも「管理人はなに感情的になってるんだ」、「報道を鵜呑みにして城内氏を卑劣漢呼ばわりしたお前こそ卑劣だ」、「先走って城内実を批判したことを謝罪すべきだ」等々の批判を受けた。だが、眞鍋さんの所属する事務所が反論したことにより、(デイリースポーツの)報道を鵜呑みにして感情的に城内を擁護したのは彼らの方であることが明らかになった。面白いことに、「水伝騒動」で最初に批判を受けたブログも、この件に関するエントリを上げ、デイリースポーツの記事をそっくり引用した上で(要はデイリーの報道を鵜呑みにして)、さあ真相は明らかになったぞ、間違った時はちゃんと謝れよ、と嬉しそうに書いており、城内実やその後援者に援護射撃したつもりらしいが、逆に足を引っ張る羽目に陥っている。さらに面白いのは、当該エントリに「水伝騒動」の火に油を注いだコメンテーターがコメントしていることだ。まったく懲りない人たちであり、彼らは騒動からいったい何を学んだのだろうかと思ってしまう(この記事は「号外記事なので後で消します」とのことだから、誰か魚拓をとったほうが良いかもw。あほらしいから私はやりませんけど)。
城内実ポスター問題に戻ると、初動を誤った城内実がとった対応(実質的にはそう言って良いだろう)を見て私が思ったのは、「ああ、城内実というのはやっぱり権力者なんだなあ」ということだ。どういうわけか、リベラル・左派系ブログの一部およびその読者たちの間には、平沼赳夫や城内実は「反新自由主義」や「反自公」の闘士であるという誤解が広く見られるが、城内実は4年前にはコイズミ新自由主義政権における重臣だった安倍晋三の腹心であり、権力の中枢にいた人物である。それなのになぜ失脚したかというと、これは安倍晋三の完全な読み違いで、城内が勇ましく郵政民営化に反対した理由の一つは、安倍が城内を世に売り出すに当たってこの件を利用しようとしたからだと私は考えている。恐らく安倍には「俺の懐刀の城内実なら、少々の火遊びは大目に見てもらえる」という読みがあったのだろうが、コイズミはそんな甘い男ではなかった(筆者が『kojitakenの日記』に書いた記事「「信念を貫く男」城内実の過去の行動」を参照されたい)。
さて、デイリースポーツの「飛ばし記事」についた「はてなブックマーク」に、kmiuraさん(『kom's log』の管理人・三浦さん)が下記のコメントを書かれている。
kmiura 真鍋自身が事務所に確認済みって早々に書いているではないか。どちらが権力を持っているのか考えれば、この一日の間に圧力ないし工作があったと考えるのが妥当。/id:rna これは人格権というか選挙権の問題ではないか 2009/08/01
そう、この件を考察するに当たって、権力の所在の問題を見逃してはならないと思う。城内実には、芸能プロダクション(や、もしかしたらそれにつながっている勢力)を動かすことのできる権力がある。さすがは権勢を誇ったコイズミ政権の中枢近くにいた男だ。一方、眞鍋かをりさんには、大人気を誇るブログの訴求力はあるが、権力は何もない。これを考えると、『玄倉川の岸辺』が真鍋さんの行動を勇敢だとして賞賛しているのはよく理解でき、納得できる。だが、世間一般には権力者に弱く、流されやすい人が大半を占める。だから、デイリースポーツが「無断使用ではなかった」と書いたら、容易にその流れに乗りたがる。「寄らば大樹の陰」的な発想である。
まことに光栄なことに、上記の優れた論者である三浦さんから当ブログにコメントをいただいたので紹介したい。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-963.html#comment6691
古寺多見さま
この件、とても自分の琴線に触れるなあ、となんとなく思っていたのですが、さきほどこれは選挙権の問題だと思い当りました。すなわち、眞鍋さん個人は選挙の自由がある。で眞鍋さんが私はあなたを支持しないと城内氏に明言している状況で、城内氏はあなたの事務所はOKだしたではないか、と城内さんが反論している。事務所はそのような許可はしていない、と言明したことがついさきほど判明しましたが、これはともかくそれ以前の城内さんの態度はすでに私の心をぶるぶるゆさぶりました。というのも、城内氏においては雇用関係が、議会制民主主義における選挙権に先行している、すなわち眞鍋さんは選挙において事務所の奴隷という先見なのです。この部分に腹が立っているのだ、と判明した瞬間に、なるほど、これに腹がたっていたんだ、と思いました(すなわち城内氏の内面化された部分の排外主義、選民主義につながった)。もしよかったら考察に加えてください。
おくればせながら、昨年、ベスト記事に選んでいただきありがとうございました。なによりの光栄です。
三浦
2009.08.02 08:26 kmiura
これまた鋭い指摘である。この件で眞鍋かをりさんを擁護し、城内実を批判しているブログは、前記『玄倉川の岸辺』や当ブログのほかにもいくつかあるが、共通しているのは、眞鍋さんがブログに書いた文面を重視し、いくら事務所が認めたといっても眞鍋さんは認めていないではないか、デイリースポーツの報道は眞鍋さんのブログと整合しないではないかなどとこだわっていることだ。ところが、デイリーの記事についた前述の「はてなブックマーク」を見ても、三浦さんが指摘する
を持った城内実の発想と類似するコメントが結構見られる。perfectspellさんと仰る方が、「雇用関係が、議会制民主主義における選挙権に先行している、すなわち眞鍋さんは選挙において事務所の奴隷という先見」
と、皮肉たっぷりに書いている通りである。そういえば、「水伝騒動」でも初期の頃、批判を受けたブログは周囲のお仲間のブロガーたちと「鉄の結束」を固めて対処に当たろうとしたが、幸か不幸かブロガーには城内実のような権力は持ち合わせていないので、そのもくろみはあえなく潰えてしまった。このあたり、リアルの政界と比較して、ネットの世界はより本来的な意味での新自由主義的な世界だといえる。アクセスカウンターのほか、ブログランキングだとかウェブ(ブログ)スカウターだとかブログ拍手だとかソーシャルブックマークの件数などなど、ありとあらゆる指標でブログは市場の評価にさらされるのである。それらの中でもっとも操作が容易なのはブログランキングであり、だからこそブログランキングの順位を吊り上げることに血道を上げるブログが多い。タレントの政治信条はタレント個人のものでなく事務所が所有してる と考えてる歯車多いな。
またまた話がそれてしまったが、三浦さんのコメントに話を戻すと、三浦さんは、「眞鍋さんは選挙において事務所の奴隷という先見」は、「城内氏の内面化された部分の排外主義、選民主義」につながるものであり、だからこそ三浦さんは城内実氏に腹が立ったのだ、と思い当たったとのことだ。
やっと本日のエントリの核心部分に行き着いた。三浦さんの指摘は、一見全く無関係に思われた「国政法改正」をめぐる城内実の醜悪な言説と、今回の城内実が眞鍋かをりさんの写真を選挙ポスターに無断使用したとされる事件との隠れた連関を発見した、実にすぐれた考察だと私は考える。このような示唆に富んだコメントをお寄せいただいた三浦さんに深く感謝する次第である。当ブログとしては、城内実のポスター問題をメインに据えたエントリは、本エントリをもって打ち止めにしたいと考えているが、騒動が変なもつれ方をした場合にはこの限りではない。
最後に、私が昨年のあらゆるブログ記事の中でナンバーワンに選んだ『kom's log』のエントリ「ボクタチの闘争」に再度リンクを張り、私からのせめてもの返礼としたいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081027#p1
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これまで「無断使用はしておらず、ポスターを撤去するつもりもない」と言ってきた城内実は、昨日(7月31日)の昼前になって、一転してポスターを撤去すると発表した。
http://www.m-kiuchi.com/2009/07/31/oshirase210731/
☆お知らせ☆ 眞鍋かをりさんポスター掲載について
2009-07-31 11:41 by 城内 実
昨日より、マスコミ各社で報道されている標記の件に関し、当後援会作成のポスターに起因して、眞鍋かをりさんがテレビ番組の出演を見合わせるなど芸能活動に支障をきたしていることに大変心を痛めております。
その結果を重く受け止め、現在掲示中のポスターを早急に撤去する事といたしました。
また、城内みのるオフィシャルサイトに掲載中の眞鍋かをりさんとの対談動画も早急に削除いたします。
眞鍋かをりさんの、今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
(「城内実の「とことん信念」ブログ」 2009年7月31日)
産経新聞は、下記のように報じている。
この騒動の最中、31日になってポスター作成を仲介した業者の社長が経緯を説明するコメントを出した。その中で「今年6月ごろ、城内氏の後援会との間で2人のポスターを作成する話が持ち上がった。掲載許可と写真を入手し、城内氏の後援会側に掲載許可を取れた旨を伝えた。しかし、私からの説明不足で眞鍋さん側に正確な意図が伝わらず、今回の事態を招いた」と説明。「双方の関係者に多大な迷惑をかけたことを心よりおわび申し上げる」と謝罪した。
(産経新聞 2009年8月1日 2時51分)
産経新聞は、「騒動は一件落着した」などと書いているが、誰がこんな説明に納得できるだろうか。そもそも、この件において城内実と眞鍋かをりさんの利害は全く非対称で、眞鍋さんにとって城内のポスターに写るメリットは何もない。それどころか、今回のようにテレビ番組から干されたり、城内が極右政治家であるため、「眞鍋かをりって右翼だったのか」と誤解される恐れがあるなど、デメリットばかりだ。一方、城内にとっては宣伝効果が得られる。このように非対称な利害関係にある両者を仲介した「業者の社長」というのはニュートラルな人物ではあり得ず、明らかに城内の利害に沿って行動した人物である。だから、眞鍋かをりさんに謝罪すべきはこの社長ではなく城内実であるべきだ。だが城内は謝罪せず、それどころか自分もまた被害者であるかのように振る舞っている。城内の行動は許されない責任逃れである。もし城内が当選したあと不祥事を起こしたら、すべてを秘書の責任に押しつけて逃げようとするに違いない。
この件を取り上げた他のブログを見てみると、「城内先生」は、郵政民営化に反対するなどまともな政治家だと思っていたのに少し残念な気がする、などと書かれたコメントがあった。おそらく、最近の「反自公(政権交代)ブログ」のトレンドに騙されて、城内実が、信者たちの言うところの「三種の神器」(小沢一郎、鳩山由紀夫、植草一秀各氏)に準じる「正義の味方」であるかのように思い込んでいたのであろう。一貫して城内実を批判する立場に立っている当ブログには、右側からの城内擁護のコメントはたまに来るものの、左側で城内に騙された読者からのコメントがくることはないが、これまで騙されて城内実にシンパシーを抱いてきた「リベラル・市民派」の読者がもしおられるなら、今回の一件を機に城内実という男の正体を直視してほしいと思う。
もちろん、静岡7区の有権者の方々には、城内実なんかを国政の場に送り出さないよう、強くお願いしたい。
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1日に同一検索語を用いた検索エンジン経由でのアクセスがこんなにあったことは、もちろん初めてである。
ところで、面白いことに、裏ブログでは「これはひどい! 城内実が眞鍋かをりさんの写真を無断で選挙ポスターに使用」と題したエントリに昨日だけで6173件のアクセスがあったのだが、当ブログではトップページ(3701件)や昨日のエントリ「論外!城内実が眞鍋かをりさんの写真をポスターに無断使用」(1896件)以上に、昨年11月20日付エントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」へのアクセスが多かったことだ(4401件)。これは、私としても、衆議院選挙を前にして、是非とも多くの読者、特に静岡7区の有権者の方々に読んでもらいたい記事だった。4401件のアクセスのうち、静岡7区の方からのアクセスがどれだけあったかはわからないが、数十件くらいだろうか。ただ、残念だったのは当該エントリからリンクを張った城内実ブログの下記エントリが、昨日はアクセスが殺到しているとかいうメッセージが出てきてほとんどアクセスできなかったことだ(本当にアクセスできないほどトラフィックが混んでいたのか疑わしいという情報もあるのだが)。再度リンクを張っておくので、未読の方には、城内実の思想信条がよく表れたこのエントリを熟読していただきたい。何よりこれは、城内実自身の手になる文章である。
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/
この城内ブログの記事が話題になった当時、当ブログのアクセス数はいくぶん増えたが、それでも最多で1日6千件ほどだった。それが昨日は1万5千件。産経新聞以外の一般紙は取り上げず、テレビでもワイドショーはともかくニュースでは取り上げられていないにもかかわらず、人気芸能人が絡んだ話題ということでアクセス数が激増したものだろう。もちろん、その大部分は固定読者にはならず、一過的なアクセス増に過ぎない。
この件について、ぽむさんからコメントをいただいているので紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-961.html#comment6620
現在、城内氏のサイトはアクセス不可の状態みたいです。
昨年の国籍法をめぐる例のエントリには非難が集中したというものの狭いブログ界のそのまたごくごく一部での騒ぎだったのが、芸能人が関係するとなると反響の大きさは格段に違うようです。
しかし、政治家・城内氏の思想信条を知るという意味では例の記事のほうがはるかに重大です。更にもっと問題なのは、この記事への批判にまともな釈明を述べるどころか居直りのようなエントリを平然と立ち上げた城内氏に対し、一般世論からも支持者からもなんら非難の声があがらず、氏の選挙区での優位性もまったくゆるぐことがなかったという事です。実際、その記事も削除・訂正いっさいなしに載せ続けているようですし。
「差別を差別として認識できない」人が多いのでしょう。
しかもこの傾向は、例の「最後の一葉」の作者みたいなHNブロガーの「創価学会は『朝鮮カルト』」発言が「お仲間」から特に非難されなかった事が示すように、いわゆる「ウヨ系」だけでなく「リベラル」といわれる層でも同様です。
更に重要なのは、アジア系の人々に対する差別意識は戦争責任の問題や歴史観と密接な関係があることです。河村たかし氏のような人物の当選を手放しで喜んでしまうようでは「リベラル」もThe Endです。
今回の件が城内氏の国政復帰を阻むようになれば、それは喜ばしいのは確かなのですが、政治家としての思想信条を吐露した国籍法での発言よりタレントがらみのお粗末事件のほうが断然効果が大きいことに複雑な気持ちです。
2009.07.30 15:33 ぽむ
リンク及び赤字ボールドなどは、ぽむさんのオリジナルのコメントにはなく、管理人が勝手に加えたものであるが、おそらくぽむさんの意図には反していない追加だろうと思う。
例によって、この件をめぐってさまざまな陰謀論が取り沙汰されている。多いのは、「自民党(片山さつき陣営)にはめられた」というのと、「民主党(斉木武志陣営)にはめられた」というものだ。いうまでも前者は民主党支持系の陰謀論者、後者は自民党支持系の陰謀論者が唱えている。不思議なことに、城内実は前者からは「反自民の仲間」扱いされる一方、後者からも「元は同じ自民党の仲間」扱い、というよりは「国士」として賛辞の対象となっていて、その極端な主義主張にもかかわらず、どちらからもさほど嫌われていない。城内を「極右」として忌み嫌う私など、ネットでは例外的な存在である。
また、かつて眞鍋かをりさんが出演していたテレビ番組のスポンサーが、どこぞの(とっくに破綻した)「フロント企業」だったなどと、某有名ブログが「郵政総選挙」直前の4年前の夏に取り上げて話題になった件を蒸し返して、結果的に城内実を「被害者」扱いするかのような噂話を撒き散らしている輩もいる。もしかしたら一連のできごとはすべて、郵政「米」営化に反対した愛国者・城内実を陥れるためにどこぞの「悪徳ペンタゴン」が仕組んだ罠だったのかもしれない...
冗談じゃない。芸能プロダクションと裏社会のつながりなどというのは、どんなプロダクションでも大なり小なりある話であって、それを言い出すなら、政治家と裏社会のつながりについて触れなければフェアではない(城内実の兄貴分だった安倍晋三には、特にその手の噂が多い)。そして、私が重視しているのはたった一点、眞鍋かをりさん自身が写真を城内実のポスターに用いられたことに抗議し、現に眞鍋さんがテレビ出演を制限されていることだけだ。ところが、城内実は自身のブログで、下記のように開き直っている。
☆お知らせ☆ ポスター掲載写真の件について
2009-07-30 07:55 by 城内 実
この度、眞鍋かをり氏掲載のポスターに関し、あたかも無断で使用したかのような内容の書き込みが当ブログのコメント欄などでなされておりますので、以下でご説明させていただきます。
当方は、ポスター作成に際し、都内在住の知人のご好意で、眞鍋かをり氏所属事務所より、ご本人の写真をお借りして、掲載許可をいただいた上でポスターを作成いたしました。
したがって、無断使用した事実はありませんので、この場をお借りして皆様にご報告させていただきます。
(「城内みのるの「とことん信念」ブログ」より)
つまり、城内実は、城内自身によって損害を蒙った人を、この期に及んでまだ売名のために利用しようとしているのだ。城内実支援者のブログ『喜八ログ』は、
と書いており、私もそうすべきだと思うが、城内実は支援者の諌言にも耳を傾けないのだろうか。これでは、昨日も書いたように、城内実には危機管理能力が全くないと言わざるを得ない。これは、思想信条以前の問題であり、こんな男を国政の場に送り出してはならない。以下に、保守系のブログ『凪論』が城内実を批判したエントリ「コンプライアンスのかけらもない城内実陣営という素人集団」を紹介する(下記URL)。城内実さんは眞鍋かをり様に、できるだけ早い時期に直接対面して、誠心誠意お詫びするのが良いと思います。
http://blog.livedoor.jp/patriotism_japan/archives/51542658.html
ブログ主は、
と書く。私も同感である。さらにブログ主は、自らに対する危機管理を適切に行うことができない者が国や国民の危機に対して適切に対応することができるはずもない。
と書くが、いま陰謀論を唱えて、「城内実さんははめられたんだ」などと叫んでいる人間は、城内実自身にとって百害あって一利なしであることを知るべきだ。城内実は顔を洗って出直すべきである。こんな馬鹿げた騒動を引き起こしても、なお城内実は当選してしまうのかもしれないが、そんなことになったら国民の政治不信をますます強めるだけだろう。私は、城内実は立候補自体を取り止めるべきだと思うが、そんなことのできる人間であればこんな騒動を引き起こすはずもなかろう。せめてこの騒動くらいは、もう遅すぎるとはいえ、今からでもまともに収拾してもらいたいものである。城内氏に必要なのはどん底に落ちて自らを見つめなおすことである。どん底の中で自ら、そして自分の周りの者を見つめ直すことが今ほど求められている時はない。
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以下、同サイトの記事を引用する。
眞鍋かをりが選挙ポスターへの“勝手使用”に抗議「困惑しています」。
眞鍋かをりが選挙ポスターに――。次期衆院選(8月30日投開票)で静岡7区から出馬する元衆議院議員・城内実氏(無所属)のポスターに、なぜか眞鍋かをりが写っていることが判明し、眞鍋かをりが困惑している。眞鍋かをりは写真が使用されていることを全く知らなかったようだ。
公式ブログで7月29日に更新されたエントリー「選挙ポスター掲載の件」では、「候補者の方と私が一緒に写っている写真が使われていますが、その方とは全く関係ございません」と城内氏との関係を真っ向から否定。「1年ほど前に一度だけ対談でお会いしてそのときに写真を撮りましたが、何故その写真がポスターになってしまっているのかわからず困惑しています」とつづっている。
また、眞鍋かをり自身は「特定の政党や政治家の応援はしていませんし応援コメントも出していません」とキッパリ。今回の件に関しては「何故このような使われ方をしたのか確認して対処したいと思います」とのことだ。
城内氏と眞鍋かをりは、同氏公式サイトの企画で昨年6月に対談をしており、現在も動画は公開されている。この対談の際に撮影された写真が、今回の選挙ポスターに勝手に使用されてしまった模様だ。
そして、7月29日には、この選挙ポスターを受けて一部スポーツ紙が「日本一の激戦区、城内氏援軍に真鍋かをり」(※「真鍋」表記は原文ママ)と報道。「城内氏の後援会関係者が真鍋かをりの関係者と友人だった縁で対談し、意気投合した」「真鍋からは『心願成就まで禁酒されているそうですが、早く祝杯を挙げられる日が来ることを祈っています』との応援メッセージも届いた」「ノーギャラで、超一流のボランティアが援軍についた」と伝えていた。
(『ナリナリドットコム』 2009年7月29日 16時55分)
これに対して、私がこの記事を書いている時点で、城内実はオフィシャルサイトでは何も触れていない。城内のブログの最新エントリでは、コメント欄が炎上している。ネット検索で見る限り、一般紙はこの件を報じていないようだが、『スポーツ報知』と『サンケイスポーツ』が報じており、『スポーツ報知』の記事によると、
とのことだ。一方、城内氏は「(眞鍋さんの)所属事務所の方に(ポスターに掲載する)了解をいただいている。写真も送っていただいた。全く釈然としない話です。選挙前の時期だけに困惑しています」と反論した。選対事務所によると、眞鍋さんとは約1年前にホームページに掲載する対談を行ったという。「非常に会話も進み、城内の考え方にも共鳴していただいた」(選対関係者)。
(『スポーツ報知』 2009年7月30日 6時2分)
スポーツ紙の取材には答えているのに、アクセス数を誇る自身の公式サイトで何も触れていないことについて、城内ブログのコメント欄にも批判が寄せられている。国籍法改正騒ぎの時には、城内を批判するブログ(当ブログのエントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」を含む)に対して、煽りのエントリで応戦してきた城内が、今回はやけに対応が遅れている。
何事も、初動の遅れが致命傷になる。今回の件も、もとをただせばちょっとした行き違いだったのかもしれない。眞鍋かをりさんにしてみれば、「城内の後援会関係者が真鍋かをりさんの関係者と友人だった縁」か何かで対談に応じ、その場では相手に合わせて会話したものの、本心から城内を応援していたわけでもなかったのに、周囲が軽率な動きをしただけなのかもしれない。しかし、眞鍋さんは大人気で有名なご自身のブログではっきり、
と明言している。「ブログの女王」と呼ばれる眞鍋さんが、人気の源泉のひとつであるブログでここまではっきり書くのだから、これが眞鍋さんの本心であると見なすしかない。私は特定の政党や政治家の応援はしていませんし応援コメントも出していません。
何故このような使われ方をしたのか確認して対処したいと思います。
(中略)
ただ私が言えるのは
政治に関して特定の人物を応援することはありえない
ということだけです。
要するに、城内のやったことは眞鍋さんの肖像権の侵害であり、「メッセージを寄せてもらった」というのは、あからさまな虚偽か、どんなに城内に好意的に解釈しても、単なる事務的な礼状(私信)を城内側が勝手に公開したことに当たるだろう。非常識としか言いようのない行為である。
ところが、上述の『スポーツ報知』の記事には、
などと書かれている。同紙が斉木武志の存在を黙殺していることは措くとして、城内サイドはポスターに記載している演説会の参加を眞鍋さんに要請さえしていないことを認めていながら、ポスターは撤去しないなどと言っているのだ。つまり、城内はとことん信念をもって眞鍋さんを売名に利用し続けるつもりらしい。ただし、ポスターに記載している演説会への参加については「後ほど依頼する予定だった」としている。城内氏サイドでは、あくまでも了解を得た上で掲載したとし「ポスターを撤去するつもりはない」という。
『スポーツ報知』が書くように、選挙前の時期に、特定の政党や候補者を支持する者の出演は放送倫理にかかわってくる。このため、「フジテレビは、眞鍋さんがレギュラー出演する情報番組「とくダネ!」の30日放送分への出演を見合わせる決定をした」(前掲『スポーツ報知』より)。つまり、既に眞鍋さんは実害を蒙っているのである。呆れたことに、『スポーツ報知』には、
などと書かれている。ここでいう「一部関係者」というのは、もちろん城内実陣営か、その支援者たちの誰かだろう。自らの失態を「片山さつき陣営の陰謀」などにすり替えようとは呆れるばかりだ。それもこれも、普段から自分たちにとって都合の悪い言説をすべて「悪徳ペンタゴンの一角であるマスゴミの偏向報道」などと片づけて陰謀論に走るようなご都合主義から出てきたものだろう。静岡7区は、4年前の郵政選挙と同じ構図のまま、城内氏と自民党の片山さつき氏(50)が激しい選挙戦を展開している。それだけに一部関係者からは「片山陣営が(テレビ局に)働き掛けたのではないか」とする声も上がった。しかし、片山氏側では「選対会議などで城内氏のポスターについて話題に挙がることはあったが、そのようなこと(働きかけ)などはない」と否定している。
何より、今回の件への対応が遅れたことで、城内実には危機管理能力が全くないことを露呈した。こんな男が国会議員にふさわしくないことは明らかだろう。
いや、城内が国会議員に不適格であることは、昨年の国籍法改正騒ぎの時に既に明らかだったのだ。昨日のエントリに寄せられたkmiuraさん(『kom’s log』管理人)の「はてブコメント」を紹介したい。
「品がない」という評価が多いのだが、要はこの人弱い者いじめする人間なんだよ。弱い者いじめをする人間を国会に送ってはいけない。
(kmiuraさんの「はてブコメント」より)
こんな評価を下される理由は、何度も何度も書くけれども、城内実自身が書いた下記の文章をお読みいただければ容易に理解できるだろう。
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/
とにかく、こんな人間を国会に送り出してはならない。
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4年前は、解散直後に当時の首相・コイズミが「刺客作戦」を打ち出し、国民はこれに熱狂した。衆議院は月曜日の8月8日に解散されたが、最初の日曜日だった14日には、刺客を送り込まれることになった亀井静香と平沼赳夫がテレビに出演し、2人とも自民党に未練たっぷりのあたふたした反応を示していて、これを見た私は「ああ、選挙は自民党が勝つな」と観念した。亀井は気を取り直して3日後に結成された国民新党に参加したが、最初にコイズミの奇襲を受けてたじろいだのが亀井静香最大の敗因だった(小選挙区ではホリエモンを破って当選したものの、国民新党としての選挙は敗戦だろう)と私は考えている。平沼に至っては、その後も自民党復党を模索しながら果たせず、極右第三極を形成する動きをする際にも、自民党に遠慮してか、まず民主党に手を突っ込む拙劣な作戦を取ったためにうまくいかず、結局しょぼい「平沼グループ」を立ち上げたにとどまっている。平沼一派で当選が見込まれているのは平沼のほか城内実と小泉龍司の2人だけである。これではキャスティングボートなど握りようもない。
今回は、時間切れで「追い込まれ解散」になったせいか、麻生太郎首相は序盤から決定打を繰り出すことができず、一方、相手が弱っちいと見たのか、民主党も「黄門様」こと渡部恒三の妄言を放置するなど、いたって緊張感の欠如した光景が繰り広げられているのには、鼻白む思いである。解散時の「風」は、「政権交代」を求めるきわめて強いものなのだが、自民党はそれに強く抗わず、民主党もその風に乗って積極攻勢に出るどころか、経団連などの顔色を伺って政策を保守化の方向に調整するなど、さして意気が上がらない。まるで、本当は政権交代なんかしたくないんだと言っているようにさえ見える。だから、妙に白けた空気が漂っているのである。
とはいえ、自民党が民主党のネガティブ・キャンペーンに精を出すまでに堕落してしまった以上、政権交代は実現させなければならない。旧来自民党的な性格を強めてきた民主党の大勝ちは好ましくないため、昨日のエントリでは「比例区は自公民以外に」と呼びかけた。しかし、選挙区では民主党候補に投票することが好ましい場合が多い。
その最たる例が静岡7区である。前回の総選挙では、郵政造反組の城内実に「刺客」片山さつきが送り込まれ、情勢は城内有利と見られていたが、強烈な「風」が吹いて片山が城内を破って当選し、「安倍晋三の弟分」として羽振りが良く、自民党内最右翼政治家として台頭していた城内は、一転して長い浪人生活に入ることになった。浪人後の城内は、持ち前の国粋主義を表に出さず、反コイズミカイカクを強く訴えて左派票を狙う作戦に出た。ネットではこれに騙されて城内実を支持する左派が多いが、その大半が静岡7区の選挙民ではないため、現実の城内の得票にはほとんど影響を与えないと見られる。静岡7区の有権者であって城内を応援しているブロガーもいるが、この方は最初から右派色を鮮明にしているので、一応筋は通っている。全く筋が通っていないのは、安倍晋三内閣時代には「安倍が改憲を急ぐわけ」などと書いて安倍内閣の改憲志向を批判しておきながら、現在では城内実支援の旗を振るような連中である。「改憲」はダメだが、それよりもずっと復古調の「自主憲法制定」なら良いというのだろうか?
ところで、左派に取り入ろうとする城内実がその地金を現したのが、昨年の国籍法改正に反対した際の自身のブログだった。下記のエントリである。
『城内実のとことん信念ブログ』より
「◎ 政 治 ◎ 「国籍法」の改悪に反対する!」
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/
これは、城内実の思想信条を知る絶好の材料なので、静岡7区の有権者の方々には是非一度目を通していただきたい。パーマリンクにある
という文字列にも注目されたい。"bakawashinanakyanaoranai"
当然ながら、城内ブログのこの記事には非難が集中し、同記事についた「はてなブックマーク」では、実に全154件のブックマーク中51件に「これはひどい」というタグがついた(うち1件は私によるものである)。当ブログも昨年11月20日付で「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」と題したエントリを公開した。
ところが、これに対して城内は「煽り」で対抗してきた。この経緯をまとめたのが、ブログ『凪論』のエントリ「城内実氏のブログでの暴走はなぜ起こったか」である。『凪論』のブログ主は、むしろ平沼赳夫に考え方の近い右派の方とのことだが、昨年12月7日付エントリ「もはや「やっぱりね」としか思えない「レイシスト」城内実前衆議院議員の言動」で、
と書いて、城内実を切り捨てている。これは、「筋の通らない味方は筋の通った敵よりたちが悪い」という当ブログのモットーとも一致する考え方であり、「筋の通った敵」といえる『凪論』のブログ主には敬意を表したい。城内氏の国籍に関する考えは平沼氏に近く、したがって私にも近いと言える。しかし城内氏の存在は国籍について私のような考えを持つ者に対しレイシストという印象を与えるものである。つまり城内氏は無能な味方なのである。軍隊において一人の無能な兵士が軍隊そのものを危機に陥れるように、無能な味方は有能な敵より損害を及ぼす。したがって城内氏は政治家として不要な存在であると考える。
(『凪論』 2008年12月7日 「もはや「やっぱりね」としか思えない「レイシスト」城内実前衆議院議員の言動」 より)
『凪論』は、上記「城内実氏のブログでの暴走はなぜ起こったか」で、次のような注目すべき指摘をしている。
衆議院議員として一期を務め、落選したものの次回衆議院議員総選挙において静岡7区の有力候補として台頭している者の発言として耳を疑う者が多いのではないかと思う。城内氏のこの対応はこれ以上ないという最悪の対応であると言えよう。
このような発言が出てくる背景は、城内氏自身に問題があるか、城内氏の支援者に問題があるか、いずれにも問題があるかである。城内氏の支援者に問題があるというのは少し説明が必要であろう。政治家がまず国民の声として受け取るのは支援者の声である。支援者がそれなりの良識を示し批判すべきものは批判していたとするならば、政治家自身がその問題の大きさを認識し慎重な対応となるはずである。支援者が行うべき批判を政治家に行わなければ、政治家自身は裸の王様となり迷走を続けることになる。
(『凪論』 2009年7月26日 「城内実氏のブログでの暴走はなぜ起こったか」 より)
城内実がブログで非常識なことを書いても、得意の「スルー戦略」でこれを不問に付してしまうような城内信者のあり方が、政治家、いや「元政治家」だったかの城内実をスポイルしたのだと私も思う。そして、城内実が属している平沼一派の長・平沼赳夫は先日行われた麻生内閣不信任案の採決に反対票を投じ、麻生内閣支持を鮮明にした。つまり、平沼は政権交代には反対であり、おそらく平沼自身が接着剤となっての自民党と民主党の「大連立政権」樹立を目指していると推測される。これを阻止するためにも、静岡7区で城内実に投票する選択肢はあり得ない。また、この選挙区の前職は新自由主義者の片山さつきである。格差社会や貧困に反対するのであれば、いくら片山が「派遣村」活動に参加したからといって片山に投票する選択肢もあり得ない(論外の城内実と比較するといくぶんましだけれど)。結局、静岡7区で城内実や片山さつきの当選を阻止するためには、民主党公認の斉木武志に投票する選択肢しかあり得ないと考える次第である。
[追記] (2009.7.29 19:50)
城内実に投票してはならない理由が、さらに1つ増えた。城内は、選挙用ポスターに、人気タレント・眞鍋かをりさんの写真を、眞鍋さんに無断で用いていた。城内は、眞鍋さんの人気を利用して売名を図った形である。
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サワヤカな安倍晋三は「パチンコ業界から北朝鮮への資金の流れ」の解明を拒絶した警察官僚・城内康光警備局長(当時)とは関係ない。
城内康光が拒絶した理由は「パチンコ業界に警察OBが多数天下っている」からじゃない。
城内康光は、自分のレイプスキャンダルを山口組系後藤組に隠蔽してもらってなんかいない。
城内康光は神奈川県警本部長時代に(注)後藤組の資金源だったオウムの犯罪を隠蔽なんかしていない。
城内康光の倅は城内実(桜チャンネル常連)・元国会議員じゃない。城内実は安倍晋三の弟分なんかじゃない。
ちなみに、「チャンネル桜」というのは、私も全然知らなかったのだが、
とのことだ。日本の伝統文化の復興と保持を目指し
日本人本来の「心」を取り戻すべく設立された
日本最初の歴史文化衛星放送局です。
この、「歴史文化衛星放送局」は、水島総という男が、私費7億円を投じて運営していたものの、全く採算が合わず、水島は無一文になってしまったそうだ。
日本文化チャンネル桜は、創立五年目を迎えましたが、ここに至りまして、運営資金が致命的な不足に陥り、平成二十年九月以降の放送を続けることが困難になりました。この五年間は、代表取締役社長である水島が、私費約七億円(衛星放送フィリピンチャンネル株売却や個人預貯金等)を投じ、チャンネル桜の運営資金に当てて来ました。 しかし、それも全て尽き果て、公共電波による放送続行が不可能になりました。残念ながら、これまでの視聴者や個人スポンサーの皆様による支援だけでは、チャンネル桜の放送を続けていけないのが、厳しい現実であります。
このまま潰れてしまえば良かったのだが、
とのことで、一部復活したらしい。チャンネル桜の衛星放送は、九月末で放送中止となっておりましたが、チャンネル桜二千人委員会創設の前進(千百名)の中で、このほど十一月からですが、スカパー!の CH 216 「ベターライフチャンネル」(無料チャンネル)において、放送を一部再開させていただくこととなりました。
「日本文化チャンネル桜二千人委員会」の代表を務めているのは渡部昇一である。あの「アパ懸賞論文」で田母神俊雄に300万円を贈った審査委員長にして、稲田朋美の後援会長、そして何より、優生思想を持つ極右文化人である。
そして、この「チャンネル桜」の常連だったのが城内実なのだ。だから、城内が極右であるのは当たり前のことだ。
この「チャンネル桜」でやらかした城内実の妄言が、ネットで叩かれたことがある(「解決不能 ?城内実元議員の発言が色々と酷い」)。
このエントリには、53件の「はてなブックマーク」がついている(11月21日に3件増えたw)が、残念ながらリンク先の動画は削除されてしまっていて、見ることができない。
なお、「城内実」を検索語にしてGoogleで検索すると、「反戦な家づくり」のエントリ「城内実 ゴールネット 安晋会」が1ページ目に引っかかる。これはずっと以前からそうで、2006年2月の記事だが、同年の6月頃にはすでに検索上位で引っかかっていた。
このエントリで、城内実のメッセージが「STOP THE KOIZUMI」に出てくることが皮肉られているが、STK主宰者のブログは、前年夏の郵政解散に先立って城内実が造反した時、城内に批判的なエントリを2本上げていた。
http://critic.exblog.jp/3072592/
http://critic.exblog.jp/3077636/
後者については、「kojitakenの日記」のエントリ「3年前の城内実」で一部を抜粋、紹介した。本エントリでは前者の一部を抜粋、紹介する。
城内実は森派所属の当選一回議員で、静岡七区選出の四○歳。採決の前に議場席で「どうしよう、どうしよう」と手を震わせ、机に顔を伏せたり上げたりして、迷い抜い抜いている様子を露に表現した。あまり目立つので、「迷っている若い議員がいるぞ、あれは誰だ」という話になり、テレビ朝日が撮ったのである。するとお誂え向きに親分の安倍晋三がノコノコやって来て、城内実を議場の後方に連れ出し、バカな真似はするんじゃないと釘を刺す場面まであった。結局、安倍晋三の説得の甲斐なく城内実は青票を投じ、採決後にはテレビ朝日のインタビューで「安倍政権実現のために粉骨砕身させていただきますと申し上げました」とシラッと言いのけた。若いのに芸達者な男である。古館伊知郎の話では、城内実の後援会の有力者が特定郵便局長会の大物なのだと言う。城内実にとっては最高の票決結果となった。
(『世に倦む日日』 2005年7月6日 「郵政民営化と靖国参拝 ? 一石二鳥と政界再編の解散総選挙」より)
「採決の前に議場席で「どうしよう、どうしよう」と手を震わせ、机に顔を伏せたり上げたりして、迷い抜い抜いている」議員がどうして「とことん信念」を自称し、稲田朋美(自民党)や松原仁(民主党)といった極右政治家の応援歌も作った右翼作曲家に「信念つらぬく 城内実」なる応援歌を作ってもらえるのかさっぱり理解できない。この記述を見る限り、城内実は「信念」どころか、コイズミばりの「劇場政治家」そのものではないか。
それにしても、2つのエントリで城内をこき下ろしたブログが主宰する反コイズミキャンペーンに登場した方もさせた方も、「敵の敵は味方」の論理に基づいて行動したものだろうか。私は、「STK」に城内が登場したことが、その後城内が「リベラル・左派」のブログに一定の支持を広げることにつながったのではないかと思う。
ま、私も安倍晋三を倒すためなら右派の反新自由主義勢力を組むことも辞さない、と書いたことがあるので、大きなことは言えないのだが、城内実はその安倍晋三の腹心だったのだ。なにか、城内は「今は政治家ではない」などとわけのわからないことを言っているらしいが、城内は、3年前に「ポストコイズミ」の一番手と見られていた(そして、実際に首相になった)安倍晋三の側近といわれていた男だ。郵政解散・総選挙のハプニングさえなければ、城内実は2006年に発足した安倍晋三内閣で内閣官房副長官になったのではないかとさえ思う。立派な大物政治家である。
安倍晋三は、2000年の森政権時代にコイズミに推されて内閣官房副長官になり、コイズミ時代にも同じポストにいて、2002年に早稲田大学で「核兵器の保有も使用も違憲ではない」などのトンデモ発言をやらかした。城内実も、安倍内閣の官房副長官になっていたら、同様に好き放題のレイシスト発言を繰り返したのではなかろうか。
そう思うと、城内実の酷いレイシズムエントリについた「はてなブックマーク」にある、
というコメントに共感してしまう。コメント主は、明らかに「コイズミカイカク」や「郵政総選挙」に否定的だが、それでも城内実が落選したことは、「郵政総選挙」で唯一良かったことだ。そう言いたいのだろう。私も同感である。先の「郵政選挙」も悪いことばかりでは無かったのだなぁ・・・
(注)城内康光が神奈川県警本部長を務めたことはありません。「サワヤカな安倍晋三」の文章が間違っているわけではありませんが(笑)。
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