きまぐれな日々

消費税増税前日だった先週月曜日(3/31)から何日か続けて、同じ時間帯に同じスーパーでレジの前に並ぶ買い物客の列を観察してみた。3月31日には見たこともないほど長蛇の列だったが、翌4月1日にはほとんど人がおらず、その後も客がなかなか戻っていない。

今後しばらく経って、1〜3月度の駆け込み需要が反映された経済指標が発表される。4〜6月にどのくらい落ち込むか、そしてその後どうなるかはさらに時間が経たなければわからない。安倍政権の経済政策について、はっきり結果を云々できるのは、ようやく年末あたりになってのことかもしれない。

その間、あの憂鬱な安倍政権の支持率が高止まりしたまま推移するかと思うとうんざりするが、新年度最初の記事でもこうしてぼやくくらいしか能がないのが現実だ。

今日はとりわけ記事を書く気力が減退していて、短く終えたいと思うのだが、現在目立つのは、民主党で支持基盤を安定させたと見たのかどうか、海江田万里が本性を発揮して、民主党が東電原発事故前の2007〜2011年にそうであったような、本格的な原発推進政党へと回帰しつつあることと、みんなの党の渡辺喜美の党首辞任が確実視されるようになったことだ。

なにしろ海江田万里とは、経産相を務めていた2011年8月に、九州電力の玄海原発再稼働を当時の首相・菅直人に阻まれて国会で悔し涙を流した御仁だから、あまりにも明々白々な原発推進派なのだが、それでもつい最近まではその本性を隠して、自民党との対決姿勢を打ち出していた。しかし、ついに本性を現し、「ゆ党」と揶揄されるみんなの党や日本維新の会でさえ反対したトルコやアラブ首長国連邦(UAE)への原発輸出を可能にする原子力協定の承認案に賛成した。

民主党内からは承認案に反対した議員は現れず、菅直人や辻元清美、生方幸夫らの抵抗も、「欠席」や「退席」が精一杯だった。

このていたらくは、民主党のさらなる党勢後退と、その末路としての党消滅を約束するものであろう。

また渡辺喜美は、8億円融資問題で雲隠れしてしまった。7年前に総理大臣の座を自ら投げ出した安倍晋三や、全く政権交代の意義を自覚せず、4年前に短期間でやはり総理大臣の座を投げ出した鳩山由紀夫などと同様、世襲政治家の「打たれ弱さ」には呆れるほかない。

こうして民主党やみんなの党が流動化を始めると、それらを束ねようとする人間が必ず現れるが、橋下徹がそれを狙ってかどうか、結いの党との合併を前倒しする動きを見せた。

しかし、安倍晋三と橋下徹の二大政党制など、仮に実現すれば日本を地獄の底に突き落とすもの以外の何物でもあるまい。

仮に保守系野党を束ねる政治家が橋下徹でなかったとしても、保守政治家たちを束ねていつか作られるであろう野党第一党は、安倍自民党の補完勢力以外の位置づけには絶対にならない。

なるほど、これが坂野潤治氏が言うところの「批判勢力の絶え果てた『崩壊の時代』」の政局というものなのかと、無力感に襲われる。

問題は、こうした現況が、安倍晋三を筆頭とする「歴史修正主義政権」が引き起こした日本を国際的孤立をますます深めていくだけだということだ。現在の政局は無風の安定的な状態にあるように見えるが、国際関係を考えた場合、大きな歪みエネルギーが蓄積されつつある状態と思える。

そのエネルギーがあまりに大きくなると、大地震と同じで、それが一度に解放された時に日本社会に与えるダメージも巨大なものになる。いうまでもなく私は、1945年8月15日の敗戦をイメージしている。

そうならないうちに、まずは早期に安倍晋三を引きずり下ろさなければならないと思うが、そのきっかけは全く見えない今日この頃なのである。
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今週末にはゴールデンウィークに突入するが、それを直前に控えて政局が一種奇妙な膠着状態にあるように感じられる。

もちろん、26日木曜日(チェルノブイリ原発事故26周年の日!)に下される小沢一郎被告への判決をにらんで「様子見」ということもあるのだろう。持っても今年秋の民主党代表選までとしか思えない野田佳彦(「野ダメ」)政権は、マスコミはあまり指摘しないのだが「死に体」に近くなっていて、消費税増税、原発再稼働、TPPの3つの懸案のうち、TPPは先送りが濃厚になってきた。原発再稼働は経産相の枝野幸男がぶれまくって墓穴を掘った形で、橋下徹をはじめ、京都府知事の山田啓二や滋賀県知事の嘉田由紀子の反撃に遭ってタジタジとなっている。原発の稼働が「一瞬ゼロになる」と述べた枝野幸男の発言も、「ゼロになる」ことに対する原発維持・推進派からの批判ではなく、「一瞬」という言葉への「脱原発」からの批判に対する釈明に政府が追われる形になった。それほど原発再稼働に対する批判は強く、野田政権が強引に再稼働に向けて猛進したことが内閣支持率を大きく落とす要因になったと見られる。

原発再稼働については、とにもかくにも野田政権の「まず再稼働ありき」のスタンスを許してはなるまい。内閣発足時に野田首相が(おそらく)方便として述べた「脱原発依存」が大方針であることを明確にした上で、電力不足について、突き詰めた電力需給のデータをはっきり示す。そして、本当に原発再稼働が不可避なのかを議論する。そして、公約の4月1日をとっくに過ぎているのに未だに新しい規制機関設置に関する法案の審議入りもしていないが、これを早く立ち上げて徹底的な情報公開がなされなければならない。最低でもそれらの前提が満たされないなされない限り、原発再稼働には断じて反対だ。国の(隠れた)大方針として「原発維持」があろうものなら、それは再生可能エネルギー関連産業という、今後の成長分野の発展を妨害する。これこそ日本に住む人間にとって「集団自殺」以外の何物でもない。

原発については、野田政権の「ダメさ」もさることながら、これまでの自民党政権にもっとも重い原発推進政策の責任がある。その自民党は、ひとり河野太郎を除いて全国会議員が原発維持ないし推進派だろうと私はみなしている。だからこそ規制機関設置法案の審議入りも妨害するのだろう。自民党の中でも露骨に原発推進論を口にした人物は安倍晋三であり、先日テレビ朝日の「報道ステーション」で原発再稼働・維持論をぶった時にはネットで安倍を批判・罵倒するTwitterが乱れ飛んだ。また、民主党においても自民党に所属したことのある議員の多くは原発に対して怪しげな動きをする。露骨な原発推進派(地下原発推進議連のメンバーでもある)・鳩山由紀夫がその典型例である。一方、何らかの形で電力総連や電機連合とのしがらみがある民主党の政治家も同じである。こちらは藤原正司、小林正夫、大畠章宏らの名前が思い浮かぶ。もっとも、現在原発再稼働派の再強硬派とされている仙谷由人のように、自民党とも電力総連とも関係ないはずなのに誰よりも原発に熱心な人間もいる。

上記の状況は、ますます橋下徹の思うつぼだ。そこが現在もっとも頭の痛いところである。「小沢信者」たちは小沢一郎の復権に期待しているのだろうが、私は小沢一郎には全く期待していない。なぜか。民主党代表時代(2006~09)とは打って変わって、現在の小沢一郎は「統治機構を変える」ことばかりを言って、しきりに橋下徹に秋波を送っているからだ。

最近、野田雅弘著『官僚制批判の心理と論理 - デモクラシーの友と敵』(中公新書,2011年)という本を読んだ。マックス・ウェーバーの研究者である著者が、一般には官僚制批判と「カリスマ」論が有名なウェーバーを援用して、「官僚制批判」批判や新自由主義批判を行なうという意表を突いた着想で読ませる。私はウェーバーは日経クラシックスから中山元訳で出ている『職業としての政治 職業としての学問』を読んだことがあるだけで不案内なので、ネットで見つけた3件の書評記事へのリンクを下記に示す。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51914489.html

http://d.hatena.ne.jp/loisil-space/20111008/p1

http://d.hatena.ne.jp/hachiro86/20111123

上記1件目のブログ記事から引用する。

 「小さな政府」を目指し、社会の調整の仕事を市場に委ねる新自由主義は、官僚制の無駄を指摘し、首尾一貫して市場の効率性を訴えます。
 著者は、この新自由主義の台頭とより多くのデモクラシーを求めるグループ、そして官僚批判の関係を次のように描いています。

 政治家には芯の通った信念が必要だという一般的な願望が、今日の状況においては、官僚や官僚制を批判し、「小さな政府」を唱える新自由主義にきわめて有利に働くということも見逃されてはならない。そうでない立場を取ろうとすると、財源の問題に直面せざるをえず、またわかりやすい「公平性」では割り切れない、さまざまな「介入」に対して説明が求められ、試行錯誤を繰り返さざるをえないという傾向にある。ここに、批判を受ける余地が広がる。しかし、「後期資本主義国家」において、行政は原理的に割り切れない、パッチワーク的な構築物たらざるをえない。したがって恒常的な議論と微調整が、そしてそれゆえのブレがどうしても出てきてしまう。私たちに求められているのは、こうしたゴタゴタの不可避性に対する認識と、それゆえの我慢強さではないか。(116ー117p)


 これ以外にもウェーバーの「鉄の檻」という言葉を使った時代と、「リキッド・モダニティ」と言われる現代社会の相違。官僚制とカリスマの問題など、著者の専門であるウェーバーを中心にさまざまな興味深い問題がとり上げられていますし、またアーレントやフーコー、ルーマンといった思想家の考えも参照されていて、著名な政治思想家が官僚制にどう触れているのかということも知ることができます。


本の著者である野口雅弘氏は、ウェーバーの官僚制批判はドイツで官僚が絶賛されていた時代になされた(同様に、ハイエクの市場擁護も市場が批判に晒されていた時代になされた)ことを指摘し、「リキッド・モダニティ」と言われる現代にウェーバーの理論を当てはめればおのずと結論は異なってくると考えているようだ。ともすれば橋下徹のような政治家の擁護に悪用されやすいと思われるウェーバーを援用した新自由主義批判は非常に興味深かった。思わず、少しでもウェーバー自身の文章に当たろうと、最近文庫化された『権力と支配』(講談社学術文庫)を買ってしまったほどだ(まだ読んでいないが)。

政治学には不案内な私だが、官僚制批判が新自由主義に容易に絡めとられるという著者の指摘は非常によく納得できる。小泉純一郎や橋下徹という典型例があるからだ。そして、「国民の生活が第一。」の政策の中身をもはや「消費税増税反対」を除いて全く言わなくなり、「統治機構を変える」ことに関して「民主党は橋下市長にお株を奪われた」と言うばかりの現在の小沢一郎も、小泉や橋下と同様に、新自由主義に強く傾斜した政治家といえるだろう。

もっとも、衆議院選挙は来年の9月までには必ず行なわれるから、民主党の代表選で小沢一郎が勝って政権をとらせてみる手もあるのではないかと思える。おそらく、鳩山、菅、野田と続いた3代の民主党内閣を超える業績は何も挙げられないはずだ。今は反主流派だから野田佳彦をあれこれ批判しているが、TPPでも政権に何も突っ込まない、「原発即時全停止は暴論だ」と言う小沢一郎の政策に野田佳彦とどれほどの距離があるのか大いに疑問だ。だから小沢一郎の正体を明らかにさせるためにも、どうせ長くともあと1年しか続かない民主党政権の最後に小沢一郎にやらせて、人々の目を覚まさせることも悪くないのではないか。一瞬そう思った。

だが、実際に小沢が「火中の栗」を拾いにいくのか疑問な気もするし、「小沢幻想」が完全に崩壊した時に橋下徹への熱狂がさらに高まるリスクもある。数年前から言われている「閉塞状況」はますます深刻になってきている。

そういや、上記の文章はずっと小沢一郎の判決が「無罪」であることを前提にして書いてきた。実際には有罪判決が下る可能性もあるんだった。すっかり失念していた(笑)。私は無罪判決が妥当だと思うが、仮に有罪判決が出たら、「小沢信者」たちが小沢一郎を殉教者に祭り上げて大騒ぎするんだろうなあ。そんなのは見たくもないから、とっとと無罪判決を出して検察は控訴しないでほしい。小沢一郎が政治の表舞台に戻ってきたところで、もう「オワコン」もいいところだからどうということもない。それより「ハシズム」の脅威にいかに立ち向かうかの方がよほど重要だと思う今日この頃である。
2012年の幕開けだが、今年ほど政治に対する期待感がしぼんでいる年はちょっと記憶にない。民主党政権3代目の野田佳彦(「野ダメ」)内閣は、原発推進、TPP推進、消費税増税推進、米軍普天間基地辺野古移設などを進めようとしていて、ナベツネ(渡邉恒雄=読売新聞会長・主筆)からは「80点」との評価を受けているが、中曽根康弘と親しいナベツネがこんな点をつけるだけあって、自民党内閣との違いがさっぱりなくなってしまった。

さりとて自民党も支持を回復しているとはいえないから、現時点で解散総選挙があったら少しの民意の差を拡大する選挙制度に助けられて自民党が安定多数を確保し、政権再交代が起きるだろうとは思うものの、それは「民主党よりマシだろう」と有権者が思ってのものに過ぎず、その程度の期待さえ裏切られることは確実だから、結局内閣が発足して3か月ほどのうちに支持率が下落することになる。そして、自民でダメ、民主でダメ、それで自民に戻してもやっぱりダメ、となって、ますます「強力な指導者」への渇望が強まるのだ。

現状の延長ではそうなることがわかり切っているから、年末年始の番組では「2012年のキーマンは橋下徹だ」と多くの識者が橋下待望論を口にするようになった。NHKでかつて『週刊こどもニュース』の解説者をやっていた池上彰などもそうだ(調子の良いことばかり言う男だと思う)。

昨年末に民主党を離党した9人の国会議員が今日1月4日に結成を届け出るらしい「新党きづな」(「きずな」と命名する予定を急遽変更したとのこと)も、そんな橋下にすり寄ろうという気満々に違いない。

昨年の暮にこの9人が民主党を離党した時、一昨年の総選挙を前にして毎日新聞が実施したボートマッチ「えらぼーと」に対する9議員の回答を分析してみた。その結果の一部を『kojitakenの日記』の昨年12月29日付記事「『泥舟』から逃げ出す民主党比例区選出議員たちの『方舟新党』は、軍事タカ派にして新自由主義に親和的な『トンデモ政党』になる!!!」に書いたが、要するに政治思想、経済政策ともに「右」に位置する人たちが民主党を割って出た形になっている。中には、東海比例区選出の2人や近畿比例選出議員のうちの1人のように、企業・団体献金の全面禁止や製造業への派遣禁止に反対していた、つまりもともと民主党のマニフェストに反する主張を持っていた人たちもいる。こんなのが新党を構成する9人のうち3分の1を占めているのである。そして笑えるのが、選挙後の議員の政党鞍替えを「問題だ」としていた議員が9人中8人を占めることだ。こんな、ただ単に国会議員の座を守りたいだけの志の低い人たちが、名は体を表すどころか正反対ともいえる「きづな」なる名前の新党を立ち上げるのだから、噴飯ものの一語に尽きる。

もっとも、昨年(2011年)の流行語にもなった「絆」という言葉自体に、自民党が「絆 KIZUNA がんばろう日本!」というキャッチフレーズを用いていたことにも反映されているように、「自己責任」とは言わぬまでも、公共サービスよりも家族や友人などの「絆」による助け合いで立ち直っていこうと思想が含まれるという指摘が昨年からあった。これを考えれば、新自由主義者や大企業寄りの考え方を持つ人たちが多く、民主党の中でも「右」に位置する人たちが集まった「新党」にふさわしい名前といえるかもしれない。そんな彼らが橋下徹にすり寄らないと考える方が不自然だが、橋下の方がこんな連中を相手にしないのではないか。

橋下徹と相性が良いのは、むろん「みんなの党」である。橋下に党代表の渡辺喜美を見くびっている気配があるとはいえ、高橋洋一、飯田泰之、古賀茂明といった学者や官僚たちと「みんなの党」と橋下徹の3者は、どう見ても相性が抜群だ。ジャーナリストでは、東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋がこの流れだが、年始の討論番組で長谷川は明確に橋下待望論を口にしていた。

橋下、みんなの党、長谷川幸洋らの共通点としてもう一点挙げられるのが「脱原発」である。本当はコスト的にも割に合わない発電方式を「国策」で無理やり推進してきたのが原発だから、「脱原発」と「新自由主義」はもともと相性が良いのである。昨年議論になったもう一つのイシューである「TPP」への反対論が「政治思想右派」というか国家主義と相性が良いことと好対照である。自民党でも河野太郎のような新自由主義者が「脱原発」に熱心で、稲田朋美のような極右が「TPP反対」に熱心である一方、平沼赳夫・安倍晋三・鳩山由紀夫ら右派は原発維持・推進に熱心で(城内実は「脱原発」を主張しているが、これはパトロンのスズキ自動車会長・鈴木修の意向を反映していると見られる)、「みんなの党」はTPP推進を主張していることを想起されたい。

ところが、上に見たように「新自由主義」と相性の良いはずの「脱原発」の立場を民主党も自民党もとらない。東日本大震災に伴って発生した東電原発事故で、時の首相・菅直人は「脱原発」に舵を切ろうとしたが、党内の圧力によってすぐに「脱原発『依存』」に後退した。自民党総裁・谷垣禎一に至っては、東電原発事故発生直後にエネルギー政策の見直しを口にしたが、すぐに党内の猛反発にあって発言を撤回した。それほど、民主党も自民党も原発利権とのしがらみが強い。民主党は電力総連、自民党は電事連にそれぞれ逆らえない。今まで、本来は新自由主義的な勢力と相性の良いはずの位置を占める政治家がほとんどいなかった。こんな状況は、「みんなの党」や橋下徹にとってはまことに好都合だろう。

今年を回顧する時期になっても、東電原発事故の収束の見通しは相変わらず立たず、原発事故への対応は相当な長期戦になるという認識はますますはっきりしてきて、国民の間の「反原発感情」は今以上に強まっているだろう。そして、いつまでも原発維持にこだわる野田佳彦は、遅くとも9月の代表選で敗れて退任し、次の総選挙での勝利が必定と見る自民党の政治家たちも、9月の総裁選で谷垣禎一を降ろしている可能性がかなり高い。小沢一郎は政局をかき回そうといろいろ動くけれども、決定打は出せないのではないか。政界はますます混乱し、橋下徹への期待感がますます高まっていく。政党支持率では「みんなの党」が伸びる。

2012年はろくな年にはならないという展望しか、今は持ち得ない。
ついに鳩山由紀夫首相が辞意を表明した。

私は、一昨日(5月31日)の報道を受けて、昨日(1日)に、鳩山首相が辞意を表明するものとばかり思っていた。月初の総理大臣の辞意表明といえば、一昨年9月の福田康夫首相(当時)の例があったな、あの時は、テレビの通常番組が突如中断されて、福田首相の記者会見の映像が流れたな、などと思いながら、テレビ朝日の『報道ステーション』を見ると、なんと鳩山首相が巻き返したと報じられていて、鳩山首相が親指を立てて不敵な笑みを浮かべる映像が流れたものだから、狼狽してしまった。

そういえば昨年6月にも、「麻生降ろし」が起きたけれども、結局森喜朗や与謝野馨らは麻生太郎首相(当時)を降ろせなかったな、などと思い出すと、冷静ではいられなくなった。

改選を控えた民主党参院議員も怒りのあまり逆上したという、親指を立ててにやりと笑う、いかにもふてぶてしく見えた鳩山首相は、実際にはその時点で辞意を固めていたのか、それとも今朝になって観念したのかは知る由もないが、結局2日午前、鳩山首相は辞意を表明したのだった。鳩山首相は次期の衆院選には立候補せず、政界を引退するという。鳩山由紀夫という男もまた、歴史的使命を終えたと私は思う。政界引退は賢明な判断であり、「第二自民党」といわれる民主党も、いつまでも森喜朗や安倍晋三がのさばっている自民党とは少しは違うところを見せることにもなる。

私の正直な感想を述べると、「ほっとした」の一語に尽きる。あの福島瑞穂大臣の罷免劇にショックを受けた私は、その後何日も怒りがおさまらず、日常生活にも支障が出るほどだったから、昨日の「鳩山首相、続投に意欲」の報道には逆上してしまった。

マスコミは「小沢一郎も幹事長を辞任」ということをやけに強調するが、師の田中角栄に倣う小沢一郎にとって、政権を奪取したあとの幹事長辞職など大したダメージにはならないと私は考えている。植草一秀は愚かにも、

鳩山総理が小沢一郎民主党幹事長に対して幹事長辞任を求めたことは、参院選を控えて民主党の党勢を回復するための主張であると考えられるが、捉え方によっては、極めて重大な禍根を日本の歴史に残すことになる点に十分な留意が必要である。

などと鳩山由紀夫を非難しているが、私は小沢一郎が鳩山由紀夫のプライドに配慮して、「鳩山首相が小沢幹事長に辞任を求めた」ことにしたのではないかと推測している。鳩山由紀夫は総理大臣をクビになったら次期総選挙には立候補せず引退するしかないが、小沢一郎には闇将軍としての余生が残っている。鳩山由紀夫と小沢一郎では受けたダメージの大きさは天と地ほども違う。というより、今回の政局は明らかに小沢一郎と鳩山由紀夫の正面衝突であり、相手が総理大臣であるというハンデを負いながら、小沢一郎は鳩山由紀夫に苦もなく圧勝したのである。

この期に及んで、まだ「鳩山首相は官僚にやられた」と鳩山由紀夫を庇う人に言いたいが、昨日の『報道ステーション』では、「ゴールデンウィーク明けには、鳩山首相は、社民党を切ったら小沢さんに政局にされる、とプレッシャーを感じていた様子だった」と伝えられたのである。だが、鳩山由紀夫は最終的に沖縄と社民党と小沢一郎を捨てて、日米安保をとる道を選んだ。つまり、連休明けには、鳩山由紀夫は社民党を切る腹を決めて、小沢一郎と正面衝突する覚悟を決めていたということである。普天間基地移設先の「腹案」だとか沖縄への「思い」などは口から出まかせにすぎなかった。そして、自らの強いリーダーシップで福島瑞穂を罷免し、小沢一郎に宣戦布告したのである。

これに対し、小沢一郎は、最初は最近腹心になった細野豪志、次には参院選での苦戦が囁かれる輿石東、さらには連立を離脱したばかりの社民党幹部(又市征治や重野安正)の口を借りて、自らは何も語らずに鳩山由紀夫を辞任へと追い込んでいった。小沢一郎があそこまで深く社民党の男性幹部たちに食い込んでいたとは知らなかった。彼らの言葉は、誰が見ても小沢一郎の意志を反映していることはミエミエなのに、それでも小沢一郎自身は何も語らないのである。このやり方に、鳩山由紀夫は音を上げたのではないか。もしかしたら、鳩山由紀夫が解かなければならなかった連立方程式の変数とは、社民党というより、社民党と等号で結ばれた小沢一郎だったのではないかと思ったほどだ。

鳩山由紀夫の発言その他も「マスゴミの捏造」だと信じたい者は、勝手に信じていればよいだろう。私が言いたいのは、そんな「幻想」にしがみついて特定の政党や特定の政治家の「信者」と化した人間には何もできないということである。

昨年の小沢一郎辞意表明では、代表選は4日後だったが、今回はさらに短い2日後。明らかに小沢一郎が主導した政局である。おそらくは菅直人が次期民主党代表に就任して、7日の月曜日には菅新内閣が発足すると思うが(仮に岡田克也あたりが菅直人に勝てば、さらに別の政局が生じるが、とりあえずそれはないものとして話を進める)、まさかこんな形で菅直人が総理大臣になるとは思わなかった。かつて菅直人に期待していた私だが、菅政権ができても当面は支持する側には立てない。新幹事長は細野豪志あたりだろうか。財務大臣に亀井静香でも起用すれば少しは評価できるが、それよりも竹中平蔵あたりとも親和性のある新自由主義系の人物を据える可能性の方が高いと思う。

このエントリは特別版なので、このくらいにしておくが、鳩山由紀夫首相の辞任は当然であるとだけ最後に言いたい。言葉を信じられない人間に総理大臣を続けさせることは、私には我慢ならなかった。心からほっとした。


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今の生活パターンだと、こちらのメインブログを週3回更新するのは正直厳しいのだが、またまた政界ドタバタ劇が持ち上がったので、便乗して野次馬エントリを挙げることにして、前回のエントリで予告した、『中央公論』5月号掲載の神野直彦教授と与謝野馨の記事の比較は先送りする。

前回のエントリについては、コメント欄で議論になっているが、いくら効率的な政府を求めたり、天下りに反対したり、再分配の必要を認めたところで、「小さな政府」という用語を用いる限り、その論者は新自由主義者であると私はみなす。「小さな政府」という言葉にマイナスイメージを定着させるためにも、「小さな政府」という用語を肯定的な意味で用いる論者を私は認めない。「小さな政府」には、金持ちへの増税をよしとしないイデオロギーがある。植草一秀も、かつてテレビ番組のコメンテーターを長く務めたマスコミ長者だった。そのマスコミにおける税制の議論を見よ。「所得税」に言及することがタブーになっている。再分配政策は「頑張った者が正当に得た対価」を貧乏人が巻き上げることであって、非倫理的だ、といわんばかりの空気がある。

そんなものはナンセンスである。金持ちが自分の財産を守るためにそういう主張をするのはわかるが、貧乏人が同じことを言っていてどうする、そう私は思う。こんなことを書くと、貧乏人が金持ちに嫉妬して書いている文章だ、などとしたり顔に語る輩が必ず出てくるが、再分配こそが経済を活性化させるのだ。日本経済が頂点にあったのは、自民党政府が再分配政策にもっとも傾斜した時期だった。

私は、自民党政治の頂点の時期は、1972年の田中角栄政権発足に始まり、衆参同日選挙のさなかの1980年6月12日、大平正芳首相(当時)の急死で幕を閉じたと考えている。この時期は、日本経済の潜在能力が最大だった時期でもある。自民党の党勢及び日本経済は、そのあとの中曽根政権に頂点を迎えるが、それはちょうど夏至から1か月半ほどして夏の暑さのピークがくるようなもので、自民党も日本経済も頂点に達した時には潜在能力が既にかなり落ちていた。そして、日本の政治と経済をダメにした元凶が新自由主義だと私は考えている。日本における新自由主義の開祖は中曽根康弘だった。

その前の70年代、戦犯・岸信介の弟で、日米密約に深く関わったダークな佐藤栄作を首相に戴いた重苦しい時代から一転して、「庶民宰相」田中角栄が首相に就任して、日本の政治の印象が変わった。越後の田中角栄、阿波の三木武夫、上州の福田赳夫、それに讃岐の大平正芳の4代の首相に、無能な世襲政治家は誰もいなかった。この時代は、世論の自民党への風当たりがもっとも強かった時期でもあり、田中角栄は内閣支持率を就任当初の62%から2年後に12%にまで下げて退陣し、三木武夫は党内の「三木下ろし」に対抗するために「反自民」の世論を頼り、福田赳夫は「右」に舵を切り、保守の思想の流れに敏感だった大平正芳は、「小さな政府」を目指そうとして挫折した。そう、大平が死去した1980年には、すでにチリのアジェンデ政権がアメリカの関与したクーデターで倒され、ミルトン・フリードマンの思想にもとづいた新自由主義政治の実験がかなり進んでいた頃だった。敬虔なクリスチャンでもあった「保守本流」の大平正芳にも、新自由主義の正体を見抜く眼力は備わっていなかったが、「小さな政府」を目指したその大平が導入しようとしたのが「一般消費税」だったのである。

消費税増税政策が、増税政策でありながらなぜ「新自由主義」政策であるかというと、それが直接税の減税とセットになっているからだとしか答えようがないが、直接税の税率を下げすぎて苦しくなった財政を消費税増税で解決しようというのは、単に直接税減税と間接税増税の順序がイレギュラーなだけで、その根本の精神はやはり「新自由主義」にほかならない。『文藝春秋』に掲載された与謝野馨の文章を読んでいると、小泉純一郎政権下で「骨太の方針2006」を策定した責任者の自負とともに、社会保障費を削減しようとしない民主党政府への批判が出てくる。麻生太郎が小泉構造改革を否定しようとしたのは一昨年に麻生が総理大臣に就任して以来だが、変わり身の早い麻生とは対照的に、与謝野は「小泉構造改革」の路線を墨守している新自由主義者である。

新自由主義というと、のちには竹中平蔵がイデオローグとなって、政治家では中川秀直が中心となった「上げ潮派」のみを指して、与謝野ら消費税増税派を新自由主義に分類しない論者もいるが、「上げ潮派」も「消費税増税派」も源流は同じで、小泉政権の終わり近くに分化したものに過ぎない。さらに以前に遡ると、平沼赳夫ら国家主義者もまた、新自由主義者と平和裏に共存していた。2004年に書かれた高橋哲哉の『教育と国家』(講談社現代新書、2004年)を読むと、日教組を批判し、やたらと「伝統文化」にこだわる国家主義者の思想が「弱肉強食」の新自由主義に基づいていることを鋭く指摘している。「郵政総選挙」の前年に書かれたこの本では、新自由主義と国家主義は、当然のことのように表裏一体のものとしてとらえられている。そもそも、平沼赳夫が心酔しているサッチャーの「教育改革」は、教育に市場原理を取り入れたものだ。

新保守主義者の一部が新自由主義者の本流と袂を分かったのは、2005年の「郵政総選挙」で、小泉純一郎が「郵政民営化法案」に反対した一部の国家主義者たちを除名し、刺客を送ったことがきっかけである。刺客(片山さつき)に敗れて落選した城内実は、左翼に接近してまでも貪欲に票を求める作戦に出た。現在は、城内実ばかりではなく、城内を支持していた人たちも身動きが取りづらい状況のようだ。

とはいえ、数年前までは新自由主義者と極右国家主義者は仲良くしていたのである。だからこそ、与謝野馨は平沼赳夫と、中田宏は山田宏と、そして舛添要一は「改革クラブ」と平気で野合する。ああ、やっと本論につながった(笑)。

そもそも、中川秀直や河野太郎がいる一方で、安倍晋三や稲田朋美もいる自民党も、新自由主義者と極右が野合した政党である。こんなことを書くと、民主党も同じじゃないかという人もいるだろうが、民主党にももちろんネオリベも極右もいるけれども、その範疇におさまらない人もいる。しかし、「保守本流」が絶滅危惧種になってしまった自民党は、加藤紘一などごく少数の例外を除いて、たいていネオリベか極右のどちらか、あるいはその両方に分類できるだろう。

要するに、「たちあがれ日本」にせよ「日本創新党」にせよ、舛添と改革クラブが野合してできる「新党改革」にせよ、第2自民党、第3自民党、第4自民党に過ぎないわけだ。そして、どんなに細かく分裂しようとも、必ず「新自由主義」と「新保守主義」の両方の要素をともに色濃く持っているところが共通している。本当は、「みんなの党」にだって新保守主義色はあるのだが(渡辺喜美もかつて大連立に色気を見せたり、平沼赳夫との接近を図ったりしたことがある)、あまりに「たちあがれ日本」以降の泡沫新党群がしょぼいために、相対的に「まだマシ」とのイメージを持たれて(実態はマシでも何でもないのだが)、漁夫の利を得ている。

それにしても舛添と改革クラブの野合には笑ってしまった。私は3年ほど前に舛添を見切って以来、ブログでも舛添を大きく取り上げた記憶はほとんどないし、マスコミへの露出ばかりが先行した中身のない政治家だと思っていたので、呆れたけれども驚きはしなかった。結局、今月の政局で新党を結成した人たちの中で、一番マスコミ人気の高かった舛添要一が、一番しょぼい選択をしたところに、電波芸者としての半面を持つ舛添という男の器の小ささを再認識しただけだった。

与謝野馨は鼻持ちならない財政再建厨で、『中央公論』5月号に掲載された聞き書きでも、菅直人が経済学を知らないと馬鹿にしておきながら、与謝野自身全く理解していないに違いない「複雑系」という用語をしたり顔で口にする鼻持ちならなさをむき出しにしているが、それでも与謝野の場合は、財務官僚に洗脳されての結果とはいえ、信念を持って財政再建と消費税大増税を唱えていることは伝わってくる。

しかし、舛添には何もない。新自由主義的な主張でさえ、舛添の本心に発するものではない。自ら介護で苦労した経験を持つ舛添は、いつだったか「高負担高福祉が日本には合っている」と口にしたことがある。一方でそんなことを言いながら、この言葉を信じる限り、舛添は福祉国家志向に転向しても良さそうなものだが、舛添はそんな気配もなく、以後も新自由主義政治家であり続けた。

つまり、舛添要一とは理念なき政治家である。そんな舛添要一が、テレビ局の調査で「総理大臣にしたい政治家」ナンバーワンだったというが、少し前まで小泉純一郎が1位を占めていたそんな調査には何の意味もない。現実には、極右の改革クラブと野合する、舛添要一とはその程度の政治家だ。

改革クラブといえば、一昨年8月、当時の代表・小沢一郎への反感を募らせた民主党の極右政治家が旗揚げした新党だが、前年の参院選で「姫の虎退治」をキャッチフレーズにして自民党の片山虎之助を破った姫井由美子に声をかけ、新党参加の同意を得ていたが、菅直人らに説得された姫井が改革クラブを裏切ったために、彼らはしばらく政党の要件を満たす5人を確保することができず、そうこうしているうちに、9月1日に当時の福田康夫首相が辞意を表明したために、そのニュースにかき消された、そんな政治家の集団である。結局西村真悟が参加して政党要件を満たした。

姫井由美子は岡山選挙区選出の議員だから、改革クラブ結成には平沼赳夫が関与していたのではないかと私は疑っていたが、思想的に極めて近いはずの平沼一派と改革クラブは、結局合流しなかった。今では、舛添要一同様「お山の大将」的な性格の平沼が反感を持たれて、結局新党結成の合意に至らなかったのではないかと推測している。改革クラブは、その後も公然と自民党の「別働隊」として活動しているが、昨年の衆院選では西村真悟が落選し、今度は中村喜四郎の加入で再び政党要件を得た。しかし、主要メンバーが今年の参院選で改選を迎えることから、党の存続が危ぶまれている。中村喜四郎は舛添との野合を嫌って改革クラブに離党届を出し、参院議員の大江康弘もこれに同調する構えを見せるなど、野合3党の中でも最低のドタバタ劇を展開している。

1月1日を基準日として算定される今年の政党交付金を継続して受け取れるよう改革クラブを存続させて舛添氏らが入党し、党名変更する形をとる(毎日新聞より)ため、「露骨な金目当ての野合だ」と他党からの評判もさんざんで、この件で舛添要一の人気は地に堕ち、二度と復活することはないだろうと私は予想している。自民党は舛添を除名し、舛添に議員辞職を求めるようだが、舛添はそれに従って議員辞職し、電波芸者に戻った方が身のためだろう。舛添には政治家としての将来はないが、今議員辞職をすれば電波芸者として巨額の収入は確保し続けられる。舛添要一とはその程度の人間だ。

マスコミが作り上げる人気政治家とはその程度のものだ。もっとも人気の高かった男がもっとも中身がなかった。ネットでも、もっとも人気の高い○○は実は(以下略)という例が転がっているかもしれない。数人のネットワーカーが祭り上げた人気者が何人かいる。そのうちの一人は、新党のいずれかと野合するのか、自民党に復党するのか、民主党入りするのか、いったいどの選択が自分にとって得かを見極めるべく、当面は「××系無所属」を貫くつもりらしい。マスコミ同様、ネットも「人気政治家」の虚像を容易に作り上げるから、読者はそれに騙されない「リテラシー」(笑)を身につける必要があるだろう。


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朝日新聞が報じるところによると、自民党の両院議員総会開催は結局見送りになり、21日に麻生首相が地方選の総括や衆院解散の決意を語る「両院議員懇話会」(仮称)を開く方針を固めた。これで「麻生降ろし」は腰砕けとなり、麻生太郎首相のもとで衆議院が解散される見通しが強まった。

それにしても、中途半端に「麻生降ろし」をしようとしては尻すぼみになる自民党。中川秀直は独自マニフェストを作って分裂選挙をやる構えを見せるが、本当に分裂したら小選挙区制の下では分裂した双方とも大敗は避けられないからそんなことはできない。問題の根っこにはコイズミカイカク路線を継続するか転換するかの対立軸があるのだが、選挙制度のために分裂できないから自民党内部の歪みばかりが大きくなり、組織が悲鳴を上げているのである。この内部のエネルギーはいずれ解放されるしかなく、その際には自民党はちりちりばらばらになるだろう。

「郵政総選挙」は、国民生活をぶっ壊しただけではなく、ついに自民党をぶっ壊そうとしている。21世紀最初の年にコイズミが言い放った言葉は、0年代(?)の終わりにようやく成就されようとしているが、いつでも先に痛みを被るのは無辜(むこ)の民であり、権力者は最後に痛みを被る。彼らの断末魔の叫びを、中曽根康弘政権以降の自民党の悪政によってさんざん痛めつけられた多くの国民は冷ややかに見つめるだけだ。「自己責任だよ」と。

東国原英夫も、その旺盛な権勢欲と知名度を自民党の党勢回復に利用すべく担ぎ出されようとしたが、国民の反発を招き、自民党内でもぐちゃぐちゃにされ、ついに自民党からの出馬断念表明に追い込まれた(朝日新聞記事参照)。これで、「海の日」を含む3連休を前に悪あがきは一段落するのだろう。3連休は当ブログをお休みするが、さまざまな動きがあって19日のテレビの政治番組でもいろんな空しい言葉が飛び交うだろうけれど、決定的なイベントは起きないのではないか。仮に起きても自民党の自壊を加速するだけだろう。国民はみな疲れている。政治家諸氏も早く腹をくくった方が良いだろう。投票日だって、議会が解散されずに閉会した場合には任期満了選挙は8月23日になるんだから、麻生首相が解散する場合でも11日公示、23日投票にした方が良いんじゃないか。元首相・安倍晋三は一昨年の参院選投票日を、当初予定されていた7月22日から1週間先送りして7月29日にしたが、その間にも自民党への逆風が強まって傷口を広げただけだった。

一方、総選挙での勝利が確実視される民主党についてだが、いわゆる「政治ブログ」の熱心な読者の中には、「前原一派」が党を割ってコイズミ一派と合流するのではないかとの懸念を持たれている方が多い。昨日のエントリにも、

私の理想としては自民が大敗して、民主党と社民党の連立で安定多数というのが望ましいのですが今後は自民党が割れて、自民党小泉とその仲間たちが新党を作り、自民党の看板をすげかえただけのエセ新党ができそうな気がします。そこに民主党からも造反組が出て再編成される。結果、何一つ変わらない、官僚主導、経済優先、国民不在の腐敗政治が繰り返される、そんな気がします。社会民主主義がこの国に根付くことはないのでしょうかね。

と書かれた心配そうなコメントをいただいた。ここに書かれている民主党からの造反組というのが前原誠司らを指すことは想像に難くない。だが、次の選挙の後はもうコイズミは議員ではないし(それどころか、世襲次男の小泉進次郎も当選確実どころか大苦戦しているとの情報もある)、コイズミチルドレンも大半が落選する。小さくなった自民党から新自由主義者たちが分裂するにせよ、民主党の一部の人たちがそんなものに自分からくっついていくはずがない。あんまり「小沢・鳩山=善」、「岡田・前原=悪」などの、民主党政権成立後の権力への参画を狙っている人間が撒き散らしているプロパガンダを信用しない方が良い。政治は善悪二分論で割り切れるような単純なものではない。

選挙で民主党が勝ち、民主・社民・国民新党の連立政権が成立すれば、今度は三党連合が与党になる。「現政権に反対」だとか「野党共闘」などの看板は下ろさざるを得ない。まさか、「与党共闘」と看板を架け替えたり、看板はそのままにして自民党と共産党の共闘を呼びかけたりはしないだろう。

新政権ができたって、「なんとかしてくれそう」という幻想は持たない方が良い。「権力は腐敗しやすい、まして絶対権力は必ず腐敗する」というアクトン卿の言葉を引くまでもない。ジャーナリズムには権力に対するチェック機能が求められているが、それも機能不全に陥りつつある今、国民一人一人が権力をチェックしていくしかないのである。


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実に嫌な感じである。普段ブログを休む土曜日に公開した前のエントリは、土曜日なのに平日を上回るアクセス数を記録した。おそらく「反自公」ブログとしては少数派の鳩山邦夫批判エントリであるが、ブログ管理人としてはこんなエントリなんか別にアクセス数が多くなくても構わないのだが、個別エントリへのアクセス数としては、木曜日の温室ガス削減中期目標に関するエントリの倍以上を記録した。それだけ、このドタバタ劇への読者の関心が強いのだろう。もちろん、該エントリへの反発や戸惑いも多く、いつものようにcubeさんからご批判のコメントをいただいたほか、和久希世さんのブログ「春 夏 秋 冬」からいただいたTBには、

鳩山邦夫元総務相のことを裏切り者だと言っておられるブログがあることを知り、ちょっと戸惑っています。

と書かれていた。

素朴な庶民感情としては、和久さん(以前はわこさんと名乗られていたと思う)の心情もわかる。だが、この件はちょっときな臭すぎるのである。何より気になるのがナベツネの暗躍である。

「かんぽの宿」売却問題以来、朝日、日経、読売の「あらたにす三社連合」は鳩山邦夫批判の立場で論陣を張ってきており、これは、これらの新聞社がコイズミ・竹中の郵政民営化路線に賛成するスタンスを守ってきたことを意味すると思うが、その中で読売が突如社論を転換し、西川善文・日本郵政社長の退陣を求めた。

毎日新聞は、13日の記事で読売新聞の主筆にして会長である渡邉恒雄(ナベツネ)と鳩山邦夫の生々しい会話を報じている。以下引用する。

(前略)鳩山氏は5月27日には、鳩山氏と懇意な渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長兼主筆から西室泰三東京証券取引所会長でめどがついたとの連絡を受け、西川氏の交代に自信を示した。

 鳩山氏のボルテージは6月に入って急激に上がっていく。

 6月3日夕。鳩山氏は渡辺氏と東京都内で極秘に会談した。関係者によると渡辺氏は「鳩山さん、あなたは英雄だ。西川は悪者だ」と激励。さらに「あなたを切って西川を残す。これがどういうことか。簡単に分かる話なのに、麻生(首相)も与謝野(馨財務・金融・経済財政担当相)も分かっていない」と語った。渡辺氏の一言一言が鳩山氏を鼓舞したのは間違いない。(後略)

(毎日新聞 2009年6月13日 2時30分(最終更新 6月13日 10時49分))


そして、当の読売新聞は、同じ13日にこんな記事を書いていた。

首相、当初は「西川交代」…竹中・小泉コンビが封じ込め

 麻生首相は当初、日本郵政の西川善文社長を交代させる意向だった。

 今年2月、首相官邸の執務室。首相は鳩山邦夫総務相と会い、日本郵政の6月の株主総会で西川社長を含む取締役を一新するよう指示した。「ポスト西川」の候補として、NTTの和田紀夫会長、生田正治・元日本郵政公社総裁、西室泰三・東京証券取引所会長らの名を記したリストも手渡し、水面下の調整をゆだねた。

 首相の意を受けた鳩山氏は5月に入り、日本郵政の取締役人事を決める指名委員会の一部委員に「首相は西川氏を代えるつもりだ」と伝え、「西川辞任」に向けた多数派工作を始めた。

 しかし、直後から巻き返しにあう。

 指名委員会は、委員長を務める牛尾治朗・ウシオ電機会長を始め、郵政民営化など、小泉元首相が進めた構造改革に積極的な財界人が名を連ねる。そうした委員を通じて鳩山氏の動きを察知したのは、構造改革の旗振り役だった竹中平蔵・元総務相だった。

 竹中氏は小泉氏に相談した。小泉氏は2005年、竹中氏を通じて西川氏と知り合い、社長就任を要請した経緯がある。すぐに指名委の委員を「西川続投」で説得して回り、首相や鳩山氏の動きを封じ込めた。

 結局、指名委は5月18日、西川氏を続投させる方針を決めた。

(2009年6月13日01時49分 読売新聞)


タイトルに「竹中・小泉コンビが封じ込め」とあることから、これはもうナベツネがコイズミ・竹中に露骨な宣戦布告をしたと解釈するしかない。

ナベツネが勝ったら構造改革路線が転換されるだろうから万々歳じゃないか、などと考える人はいるだろうか? 仮にいたとしたら相当おめでたいというほかない。ナベツネといえば反射的に思い出されるのが一昨年秋の「大連立」騒動である。そのナベツネが鳩山邦夫を口説いた。これが何を意味するかというと、鳩山邦夫およびその同調者と鳩山由紀夫・小沢一郎ら民主党主流派を軸にした大連立をナベツネは狙っているということである。

しかも、忘れてはならないのが鳩山邦夫の前歴であり、当ブログの裏ブログ「kojitakenの日記」に上げたエントリ「鳩山邦夫 裏切りの人生」にも書いたように、武村正義・村山富市両氏を排除し、菅直人の刺客として自民党から立候補したことのある鳩山邦夫は、大の「リベラル・左派嫌い」であり、民主党左派にとっての天敵なのである。従って、この「大連立」からは民主党左派が弾き出される可能性がかなり強い。ナベツネは盟友・中曽根康弘ともども「憲法改正」を生涯最後の仕事にしようと執念を燃やしており、そのためには護憲派を抱える民主党左派は邪魔に違いないから、兄・由紀夫以上に病的な左派嫌いである鳩山邦夫を利用して、民主党左派を排除してもらおうと考えてもちっとも不思議はないどころか、むしろその方が自然だ。民主党左派を弾き出してしまえば、自民党議員たちの民主党アレルギーはほとんどなくなるだろうから、晴れて大連立政権が成立し、憲法改正へ一直線という運びだ。こうなった場合、「反自公」や「政権交代」を掲げて小沢一郎や鳩山由紀夫を支持し、今回の日本郵政の社長人事をめぐって鳩山邦夫を支持していた人たちはどう思うのだろうか。あまりにミエミエのナベツネの大連立狙いに、私はもううんざりなのだが、無邪気に小沢一郎や鳩山兄弟を支持する人たちは、何の警戒感も抱かないのだろうか。

過去にナベツネや小沢一郎や鳩山邦夫が何をやってきたか。それを思い出す時、「大連立」のどす黒いたくらみの予感を振り払うことは、私にはできない。


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ここにきて自民党および麻生太郎の迷走が再び目立つようになってきた。このところ、麻生首相や自民党のイメージを下げているのは、厚生労働省の分割を麻生が口にしながらすぐ取り下げたことや、国会議員の世襲制限が党内から、議員定数の削減が党内および公明党からそれぞれ反発を受けてまとまらないこと、それに日本郵政の社長人事をめぐる日本郵政の西川善文社長と鳩山邦夫総務相のバトルに麻生が身動きできずにいることなどだ。

国会議員の世襲制限については、そもそも世襲議員が党を牛耳っている自民党にそんなことができるはずもないという当たり前の話だが、菅義偉はなお世襲制限にこだわっている。菅は安倍晋三の側近として知られるが、ボンボンの安倍とは対照的な苦労人で、高校を出ていったん集団就職で上京したあと、働きながら大学に入って卒業した経歴を持つ。2000年の「加藤の乱」では不信任案に欠席した。当時は加藤派で、現在は古賀派に籍を置く。そんな菅が、なぜ安倍晋三の側近になったのかよくわからないが、菅は本気で世襲制限を唱えていると考えて間違いないだろう。だから、党内のあつれきも強くなる。それでも、民主党ほどには踏み込めない。

議員定数削減については、もともとが自民党が、憲法改正や、野党に過半数を握られている参議院廃止を狙って民主党の議員定数削減案に悪乗りしたものであって、党内はもちろん公明党の強い反発を食って、マニフェストには削減数も盛り込めないと見られている。これはまあ正常な復元力が働いていると考えるべきだろう。むしろ、民主党がなお定数削減をマニフェストに盛り込もうとしている方が問題だ。これに関して、社民党の反発があまり強くないように見えることが解せない。社民党は、民主党に吸収合併されてもかまわないと考えているのだろうか。国民新党がそう考えるのは、保守政党同士ということでまだわかるのだが、社民党が民主党に呑み込まれて民主党が社民的な性格を強めるかというと、決してそんなことにはならないと私は思う。

なお、このところ当ブログでは選挙制度に関するエントリをあげてきたが、読者の方には当ブログが「中選挙区制復活を主張している」と誤読される方がおられるようだ。当ブログが最初に衆議院の選挙制度について取り上げたのは、2007年6月26日付エントリ「「タレント候補」の集票力の低下」だが、そこで書いたように、当ブログは「小選挙区比例代表併用制」の採用を主張している。この制度は、実質的に比例代表制である。中選挙区制については、現行の小選挙区比例代表並立制よりはましだと言っているに過ぎない。比例区のあり方を(現行制度のまま)見直せというのなら話は簡単で、せめて「政治改革」の初めの頃の議論並みに、小選挙区と比例区の定数を同数に戻せというだけだ。

現行の選挙制度は政権交代を起こしやすくする制度だという、「政治改革」の頃の議論に刷り込まれた読者はずいぶん多いようで、2000年と2003年の総選挙では民主党が小選挙区制の恩恵を受けたと仰る。しかし、初めて小選挙区制が導入された1996年の総選挙では、中選挙区制のままであれば新進党と民主党の連立政権が(連立を組もうとすれば)成立したという試算がある。2000年の総選挙では自民党は小選挙区で41%の得票率で59%の議席を、2003年には44%の得票率で56%の議席を、そして2005年には49%の得票率で76%の議席を得た。一方民主党は2000年に28%の得票率で27%の議席、2003年には37%の得票率で35%の議席、2005年には36%の得票率で17%の議席だった。このことは、政党がある程度大きければ、第二党は第三党以下より小選挙区制の恩恵を受けるが、それでもこの制度では第一党が圧倒的に有利であることを示す。そして、少しでも第一党と第二党の得票率の差が開くと、それはとんでもない議席数の差に拡大されることを冷徹に示したのが前回の「郵政総選挙」だった。「自民党ほど小選挙区制の恩恵を浴した政党はない」というのが真実なのだ。それでも民主党が比例区の定数削減にこだわるのは、今後の国政選挙では民主党が得票率で1位になると考えているからだろう。党利党略以外のなにものでもない。

日本郵政の社長人事をめぐる各紙の報道については、毎日新聞が「社説ウォッチング」でまとめている。これによると、麻生の統治能力欠如を問題にしているのは主に毎日新聞で、日経や朝日は鳩山邦夫の暴走を批判し、西川善文続投の方向で麻生が指導力を発揮するよう求めているという。ところが、記事には書かれていないけれども注目されるのが、従来日経や朝日と同じ方向性をとっていた読売が、突如として西川善文の経営責任を問う方向に社論を転換したことだ。これにより、「ネオリベ・あらたにす連合」の一角が崩れた。当ブログの邪推(笑)によると、これはナベツネが提案した厚生労働省の分割案を麻生が反故にしたことに対する意趣返しで、読売が(というよりナベツネが)麻生を見放したのではないかと思うのである。

この件に関しては、政局に持ち込もうとする鳩山邦夫のぎらつきぶりに辟易するので、当ブログはあまり熱くなれない。「敵の敵は味方」という思考は私は好まないのである。私がこだわっているのは、かつての民主党結党時に、鳩山兄弟が「排除の論理」を言って、さきがけの武村正義氏や社民党の村山富市氏の合流を拒んだこと(特に弟の鳩山邦夫が彼らを「裏切り者」呼ばわりし、決して民主党には合流させないと強硬だったこと)や、その後1999年に民主党を離党して東京都知事選で石原慎太郎と争った時に民主党の支援を受けて選挙戦を戦いながら、その後あろうことか自民党に復党し(いったいどちらが「裏切り者」なんだろうか)、2003年の総選挙では菅直人と同じ選挙区に「刺客」として立候補したこと(選挙区では落選したが比例区で復活当選)、それに「ベルトコンベヤー」式に死刑執行を(大量に、事務的に)行えと主張したことなどであり、要するに鳩山邦夫というのは自民党の政治家の中でも私が特に嫌っている人間の一人なのである。こんな人物にエールを送るつもりは私にはさらさらないし、万一鳩山邦夫が民主党に合流した場合を想定した時、菅直人について「あのような人物を一国の総理にするわけにはいかない」と言った鳩山邦夫の発言を思い出さないわけにはいかないのである。

なんだかんだ言って小沢一郎の最大の功績は、民主党を割らなかったことだった(「改革クラブ」を結成した極右議員を除く)。しかし、万万一鳩山邦夫が民主党に合流した場合、この男は最悪の民主党分裂要因になるだろう。それなのに、兄の鳩山由紀夫は邦夫にエールを送った。一方、岡田克也は冷たく鳩山邦夫を批判した。両者を比較した時、鳩山由紀夫の言動は軽率であるとしか私には思えないのである。


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リーマン・ブラザーズ証券の破綻は、誰もが予想した通り、世界同時株安を招いた。16日の米株式市場は3日ぶりに反発したそうだが、昨日は中国の株価も上海総合指標が2000を割って、1986.636で引けたと報じられている。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080916AT2M1603Z16092008.html

この指標は、確か一時7000を超えていたのではなかったか。日本でも、1964年の東京五輪が終わったあと不況に見舞われたが、中国経済もこの後どうなるかわからない。欧州も、このところの急激なユーロ安に見られるように、おかしくなってきた。

今後、世界経済が迷走し、その行方を正確に予想できる者など誰もいないのではないかと思えるほどだが、それでも、政治は情勢の変化に果断に対応していかなければならないのは当然だ。人気取りだけのために、自民党総裁選なる猿芝居を繰り広げるノーテンキな人たちには、もはや政権担当能力などないのではないかと思えてならない。

さすがに、テレビニュースで自民党総裁選の話題はほとんど出なくなった。マスコミがいかに恥知らずだと言っても、リーマンの破綻や汚染米問題をさしおいて自民党の宣伝に努めるほどにはいかないようだ。そんな中、コイズミは「これは一つの戦争だ」などと小池百合子を激励したと報じられているが、完全に世の中の流れから浮き上がっている。

一方で、国民不在の人気取りが不発に終わり、批判を招いている自民党には、早期解散戦略を見直す可能性が出てきたと朝日新聞は報じている。
http://www.asahi.com/politics/update/0917/TKY200809160313.html

上記asahi.comの記事末尾には、

組織票をフル稼働させる公明党・創価学会はすでに「11月9日投開票」を軸に準備を進め、投開票日が11月後半以降にずれ込む大幅な日程変更は難しい状況だ。

などと書かれているが、自民党には早期解散・総選挙の戦略を見直したいという意見が増えてきたようだ。与謝野馨は地方遊説も欠席するというが、政治家として当然の態度だろう。「増税派」の与謝野の政策には賛成できないが、5人の候補者のうち辛うじて政治家らしさを感じさせるのはこの与謝野だけだ。

コイケおよび石原は、民主党との大連立に前向きとも一部で報じられているが、いまどき過激な新自由主義勢力と、一昨年から「国民の生活が第一」を看板に掲げて、少なくとも表向きは新自由主義と対決姿勢をとってきた民主党との連立などあり得ないだろう。昨年の大連立構想は、「脱カイカク」指向の福田康夫が相手だったから小沢一郎がぐらついたのだ。お花畑のコイケや石原には、いっそ政界を退いてほしいとさえ思う。

一方の民主党も、目には目を、なのかもしれないが、国民新党との合併話とか、小沢一郎代表自身が「刺客」となる構想など、政局の話題を次々と提供してくる。前者は、自民党が広島6区に候補者を立てない方針だとか、先日には「改革クラブ」が立ち上がる(政党の要件は満たさなかったが)などの自民党や平沼一派からの工作に対抗して、逆に自民党や平沼一派に対して攻勢をかける狙いだろうし、後者はいわずとしれた公明党への揺さぶりだろう。こういったやり方は、良くも悪くも小沢一郎らしいところで、鳩山由紀夫や菅直人ではこんな駆け引きはなかなかできないのではないかと思わせる。

当ブログとしては、どうせ総選挙は来年の9月までにはやらなければならないのだから、慌てて11月9日なんかにやる必要は全然ないと思う。少なくとも現時点では、政治空白を最小限にとどめることが必要なのではないか。総選挙なんかは、麻生内閣の化けの皮が剥がれてから、来年初めかそれ以降にやれば良い。もちろん、麻生太郎がこれまでの一生を反省して、国民の生活を第一に考える政治家に変身して善政を敷くなら、自民党が勝つかもしれないが、そんな可能性は万に一つもないだろう。
2008.09.17 07:17 | 政局 | トラックバック(-) | コメント(6) | このエントリーを含むはてなブックマーク
福田首相が辞任を表明した。

思えば、イラク人質事件の1か月後の2004年5月7日、コイズミ内閣の福田康夫官房長官(当時)は突然辞意を表明し、あっさり辞めていったのだった。また、昨年8月下旬に内閣改造を断行した安倍晋三は、それから1か月も経たない9月12日、臨時国会で所信表明した翌日に辞意を表明したのだった。

昨今の福田首相を見ながら、この2つの辞任劇を思い出してはいたのだが、まさか本当に辞めるとは思わなかった。自民党は、汚れ役をすべて福田康夫に押し付け、総選挙に敗れていったん下野したのち、細川政権時の時のように裏工作を重ねて、政権に復帰するつもりなのだろうと想像していた。

しかし、そうはならなかった。党内や公明党から、「福田では勝てない、総理の首をすげ替えよ」という圧力が高まり、もともと総理大臣に就任して洞爺湖サミットでも議長になることによって人生の目的を達した福田にとっては、安倍晋三の任期はわずかに超えられなかったものの、ま、いいかといったところで、権力の座に強い執着もなく、あっさり辞任を決めてしまったものだろう。

今回の辞任表明で、誰しも安倍晋三を思い出すだろう。福田康夫は、安倍よりはましかもしれないが、五十歩百歩の無責任な「政権投げ出し」と評されても仕方ないと思う。

自民党は総裁選を行うことになり、麻生太郎が出馬表明をした。民主党が無投票で小沢一郎を三選するのに対し、自民党は大々的に総裁選を盛り上げるだろう。麻生太郎に対して誰が対抗馬として名乗りを上げるかはわからないが、誰が出てきても、総裁選で候補者同士が論戦を戦わせることが党の分裂につながるという説が、とんだ謬論であったことが証明されることになるだろう。すなわち、自民党が総裁選を行うことによって分裂することなどあり得ない。

それどころか、新しく発足する麻生新内閣は、高い支持率を得るだろう。それぞれ1年しか持たなかった安倍内閣と福田内閣の発足直後の支持率を思い出せばよい。安倍内閣は60%以上、福田内閣でさえ50%以上の支持率を獲得した。

もちろん、両内閣とも支持率はみるみる下がっていったわけで、麻生内閣も、そのままだと同じ運命をたどるわけだから、麻生太郎のとる行動は一つだけだ。

すなわち、早期の解散総選挙。今までいわれていた年末年始どころか、秋にも解散総選挙が行われる可能性が高まった。選挙で自公与党が過半数を確保すれば、新テロ特措法だって堂々と延長できる。消費税率だって堂々と引き上げられる。

安倍晋三に対しては、新自由主義を嫌う一部の右派からも批判的な言論があり、私は彼らとの共闘を是としていた。しかし、福田康夫に対して新保守主義の立場から批判する右派とは、断じて共闘すべきでないと主張した。

積極財政を主張する麻生太郎は、政治思想的には新保守主義であり、今まで安倍晋三や福田康夫を批判していた右翼たちも、麻生太郎支持に回るだろう。「HANAの会」仲間の麻生太郎が総理大臣になることによって、平沼赳夫も今回の政局における新党結成は見送り、もし自公与党が選挙で勝利すれば、選挙で間違いなく当選すると思われる平沼赳夫や城内実は、自民党に復党するだろう。

麻生太郎内閣のまま解散総選挙を先送りにする可能性は、限りなく低い。先送りにしたところで、来年9月までには衆院選を行わなければならないが、失言癖のある麻生は政権運営を続けていくうちに次々とボロを出す。安倍晋三や福田康夫と同じように、麻生太郎の支持率がみるみる下がっていくことは確実だ。だから、解散先送りが自民党にもたらすメリットは何もない。

そもそも、「解散カード」は、いつ切られるかわからないから強力なのである。過去、自民党が歴史的大勝を収めた選挙を思い出してみよう。大平内閣時の1980年の衆参同日選挙は、前年10月の総選挙で自民党が大敗してから、1年も経たずに行われた。中曽根内閣時の1986年衆参同日選挙(「死んだふり解散」)も、83年12月の総選挙で自民党が敗れてから2年半後だ。そして、3年前の郵政総選挙も、03年11月の総選挙で自民党が敗れてから2年を経過せず行われた。このように、早期の解散総選挙は、いずれも自民党に大勝をもたらした。一方、1976年の任期満了選挙では、自民党は敗れた。

幸い、今回は前回の総選挙から既に3年になるから、既に「解散カード」の威力はかなり落ちている。しかし、自民党側から見ると、このままズルズルと政権運営を続けても、麻生太郎内閣発足直後に盛り上がるであろうピークを超えることはできず、任期満了に近い選挙になってしまっては、結局元の木阿弥だ。来年夏の都議選と重なる日程をなんとしても避けたい公明党としても、これは好ましくない選択肢である。

だから、結論は一つしかない。麻生太郎が国民の歓呼に迎えられて新政権を発足させてから間を置かず、国民の信を問うと称して解散総選挙を行うのだ。

風雲急を告げる展開になった。


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