きまぐれな日々

 民主党と維新の党の合流が正式に決まったようだが、どうにも評判が悪い。

 たとえば産経とFNNの世論調査は、 

 民主党と維新の党の合流構想について、20、21両日に行った産経新聞とFNNの合同世論調査では「期待しない」が63・1%となり、「期待する」の32・5%を大きく上回った。夏の参院選比例代表の投票先でも、安倍晋三政権打倒を掲げる野党5党は、与党の計45・7%に対し計26・3%にとどまった。

と伝える。

 産経の世論調査などあてになるものか、という考えは甘い。なぜなら日経

 3月に発足する予定の民主党と維新の党の合流新党に「期待する」は25%で「期待しない」が64%に達した。夏の参院選の投票先に民維新党をあげたのも13%にとどまり、自民党の33%になお水をあけられている。

と伝えているからだ。日経は、

内閣不支持層でも新党に「期待する」は38%で「期待しない」の50%を下回った。

とするが、産経・FNNも

 両党による新党結成に「期待する」と答えたのは民主支持層60・8%、維新支持層35・7%、無党派層37・6%。安倍内閣不支持層でも44・7%だった。

としており、同様の傾向だ。朝日や毎日が調査しても同じような結果になるだろう。

 私自身も、繰り返し書いてきた通り、民主党と維新の党の合流に期待するものなど何もない。ただ、民主と維新のみならず、生活や社民も含めた野党の合流にまで話が進めば、彼らの生き残りのためには止むを得ない選択かもしれないとは思う。岡田克也と松野頼久はそこまで頭にあるようだが、頭の凝り固まった民主・維新両党の議員には反発も強かろう。また、党勢がすっかり衰えた2014年の衆院選にさえ、「菅直人の選挙区に生活の党は刺客を立てよ」などと言っていた「小沢信者」の間にも、吸収なんかされてたまるかとの反発があるかもしれない。小沢自身は同じ選挙の前に衆院議員に民主党への移籍を勧め、それに応じた鈴木克昌(一新会代表を務めたこともある小沢一郎の側近)と小宮山泰子(こちらはただのつまらない世襲議員)の比例復活当選を実現させた。つまり小沢は当時からもう「引き際」を意識して行動していたと思われるのだが、今年5月に74歳を迎える「教祖」の心を知らぬは信者ばかりなり、という状態は、小沢が政界を引退するまで、いや下手をしたら引退後も続くのだろう。

 90年代の「政治改革」で日本の政治を決定的に悪くしたA級戦犯である小沢一郎の話はこれくらいにして、民主党と維新の党の合流に期待できない理由だが、いうまでもなく現在でさえ保守的な(それどころか右翼までいる)、しかも新自由主義的傾向の強い民主党に、それに輪をかけてタカ派でしばき主義的傾向の強い維新の党が合流してできる新党が民主党の欠点をさらに強調した魅力ゼロの政党にしかなりようにないからだ。だからそんな「新党」には期待できない。

 新党の党名をめぐっても民主・維新両党はすったもんだしている。これに関して、「一新民主党」という党名案を出した民主党シンパのブログ記事を昨日書いた『kojitakenの日記』の記事で批判した。新党に何の期待もしないと表明している人間に喙をはさまれるいわれなどないとお叱りを受けそうではあるが、前記記事について補足するとすれば、明治・大正期の東京の庶民にとって「維新」の同義語であった「御一新」を直ちに想起させる「一新」は論外として、さらに「新」の名のつく政党名だけは絶対に止めてもらいたい。「新」のついた政党に良い印象など一つもないからだ。日本新党、新生党、新進党、それに「維新」がらみの政党などなど。政党名から離れても、新自由主義だの超新星(恒星の大爆発)だの悪性新生物(癌)だの、「新」と名のつくものにろくなものはない。

 それと、野党は昨年憲法学者たちのお墨付きを得て立憲主義をタテにとって安保法案に反対したのだから、党名に戦前の立憲政友会や立憲民政党などに倣って「立憲」の名を冠した方が良いと思う。「民主」の名前は嫌だとか、大政翼賛会を形成した政友会や民政党とは一緒にされたくないというのなら、19世紀の昔に大隈重信が設立した「立憲改進党」の名前を復活させれば良い。この政党にもろくでもない実績があるから嫌だというのなら、いっそのこと「立憲党」にすれば良い。何しろ相手は、「立憲主義とは耳慣れない言葉だ」と言って憚らない東大法学部卒の国会議員様を抱える自民党だ。立憲主義だけでも自民党との差別化は可能だろう。

 というより、どうせ保守政党なんだから西洋の正統的な保守主義の思想である立憲主義を、内実が伴わないことはわかり切っているけれども名前だけでも民・維合流新党に標榜してもらいたいと思う今日この頃だ。
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 今週もまた気が全然乗らない。

 その最大の理由は、国会で飛び出した前首相・野田佳彦(「野ダメ」)のダメ質問をマスコミ(報道ステーションやNEWS23やサンデーモーニングなど)が大きく取り上げたことだ。「定数削減」だの「身を切る改革」だのといった、民主党政権時代に散々聞かされてうんざりしていた言葉がゾンビのごとく甦ってきた。

 安倍晋三はその前日に先手を打って衆院定数の10減を2020年までに行うという自民案を前倒しする考えを記者団に示した。野田佳彦を軽くあしらった形だ(もちろん、これはこれでまた問題だが、ここでは突っ込まない)。

 いわゆる「リベラル」の民放テレビニュース番組も、安倍晋三同様そのようなくだらない野田佳彦の質問など軽く扱うべきだったのに、さも重大な論点であるかのように取り上げた。

 これじゃ民主党が選挙で自民党に歯が立たないのも当たり前だよな、と思った。「定数削減」だの「身を切る改革」だのは国民生活を何も良くしないばかりか、国会議員の門を狭くすることは、現在安倍政権の面々が行っているような専制政治をますます増長させるだけの愚策でしかない。それを、失政を行った前総理大臣が恥ずかしげもなく蒸し返し、テレビが大きく取り上げる。一体何をやっているのかと呆れる。

 それでなくても民主党は「経済音痴」の集団としか言いようがなく、野ダメの質問などその最たるものではあるのだが、言うまでもなく民主党の醜態はこれにとどまらない。

 以下の話は、宮武嶺さんのブログ『Everyone says I love you !』経由で知った。まず同ブログから引用する。赤字ボールドは引用者による。

(前略)枝野民主党幹事長が2016年2月17日に消費税増税反対を打ち出し、2月19日に民主党の細野政調会長と小野政務調査会長が会談して、消費税増税反対を言い出したのですが。

 消費税増税の前提として、国会議員定数の削減と軽減税率の撤回が必要で、これがある限り消費税増税は認められないというのですが、これって基本的に消費税増税はいいことで、国会議員の定数削減と軽減税率の導入をしなければ賛成するってことですよね。

(『Everyone says I love you !』 2016年2月20日記事「民主と維新、消費税増税に反対したのは良いが理由がおかしい。議員定数削減は身を切る改革じゃないし。」より)


 なんと、民主党は消費税増税と「身を切る改革」をリンクさせて、「身を切る改革」(と軽減税率の撤回)をしないのなら消費税増税反対と言っているのだ。

 なぜダメなのかは、このブログの数十倍の読者を持つ宮武さんのブログが明快に書いてくれているので、再び以下に引用する。赤字ボールドは引用者による。

(前略)野田佳彦前総理が今さら出てきて、安倍首相に定数を削減しないのは約束違反だと言い募ったり、安倍首相が定数削減の前倒しを約束するだなんて、ナンセンスで猿芝居としか言いようがありません。

(略)

 とにかく、経済成長してパイを大きくしないと社会福祉も実現できないのであって、財政赤字だって税収を増やさないと解消しません。古今東西、緊縮財政で財政赤字問題を解消できたような国があったでしょうか。

 民主党や維新の党が、財政赤字の問題に取り組まないと責任政党を名乗れないなどと言って、「現実主義」に見えて非現実的な緊縮財政や消費税増税にこだわるのは、国民の福利に背を向けるものです。

 この二つの政党は、結局、新自由主義政党。つまり、政府が市場にできるだけ手を出さない「小さな政府」を志向しているわけですが、それって今の弱肉強食で格差が拡大する日本の社会をさらに悪くするだけです。

 両党には当面の選挙戦略として消費税増税反対を言うだけではなく、国民の幸せに背を向ける新自由主義から少しずつでも脱皮してほしいものです。

(『Everyone says I love you !』 2016年2月20日記事「民主と維新、消費税増税に反対したのは良いが理由がおかしい。議員定数削減は身を切る改革じゃないし。」より)


 野田佳彦や枝野幸男らが露呈したこの惨状では、民主党や維新の党が経済問題を争点にして選挙で自民党に勝つことなどあり得ないことは、誰の目にも明らかだろう。
 昨日(2/7)。北朝鮮が「人工衛星」(ミサイル)を発射した。見ていたTBSの「サンデーモーニング」が臨時ニュースで中断し、見たくもない安倍晋三の顔を見てしまった。

 『kojitakenの日記』にも書いたが、一昨日(2/6)未明には、つけっ放しにしていたテレビに映っていた吉木誉絵(よしき・のりえ)という若い極右の女をはじめ、右派の政治学者だかの三浦瑠麗や生活保護バッシングで悪名高い片山さつきらを見てしまい、嫌な週末になりそうだと思ったら、昨日は北朝鮮のミサイルについてコメントする安倍晋三だったというわけだ。祟られたような週末だった。

 北朝鮮のミサイル発射についてはこれ以上触れない。

 今回は、開会中の通常国会における民主党・玉木雄一郎の質問を取り上げる。玉木議員の質問の概略は、民主党のサイトに同党の広報委員会が作成した記事が公開されている(下記URL)。
https://www.dpj.or.jp/article/108294

 前記記事の冒頭部分を引用する。

 衆院予算委員会で3日に行われた2016年度本予算の基本的質疑で、玉木雄一郎議員は(1)マイナス金利決定の情報漏えい(2)「軽減税率」の財源の経済財政諮問会議での検討――等について取り上げ、政府の認識をただした。

(民主党広報委員会作成記事より)



 このうち(1)は事実であるなら明らかに問題のある行為だ。この件に関して、ブルームバーグの下記記事をリンクしておく。
http://www.bloomberg.co.jp/bb/newsarchive/O1WXB66S972K01.html

 (2)について、玉木議員は「軽減税率については、低所得者対策としては給付付き税額控除の方が制度として優れているとあらためて主張」したとのこと(カギ括弧内は民主党サイトからの引用を表す。以下同様)。これも正論だ。給付付き税額控除は、あの新自由主義の親玉であるミルトン・フリードマンの考えた「負の所得税」を応用した政策ではあるが、軽減税率と比較した場合、消費税の逆進性対策としてははるかに優れている。そもそも自公が勝手に合意した「軽減税率」は安倍晋三の裁定という茶番も含めて国民を馬鹿にした話だ。

 しかし、本エントリで私が取り上げたいのは、玉木議員の質問の最後の方にある下記の言葉だ。

「下振れしたのが戻ったからと言ってそれを他の新しい歳出に使っていては財政再建なんてできない。」


 ああ、出た。また「財政再建ガー」か、と思った。このひとことだけで、質問の他の部分にいかに見るべきところがあっても、こりゃダメだと思ってしまう。

 もちろん財政支出の使い方は問題だ。安倍政権のように公共事業偏重ではダメだ。この点は、昨年10月20日にポール・クルーグマンが書いたコラム「Rethinking Japan」についてのリフレ派の経済学者である若田部昌澄・飯田泰之両教授による論評でも指摘されていることだ。

 しかし、同時に必要なのは財政規模の拡大だ。しかるに、玉木センセイは「財政再建ガー」と宣う。これでは、民主党の経済政策は安倍政権のそれにも大きく劣るとしか言いようがない。

 もしかしたら玉木雄一郎は、民主党の方が自民党よりも再分配志向だと考えているのかもしれない。しかし、均衡財政主義とか財政再建原理主義などといわれる考え方は、典型的な新自由主義のドグマだ。財務官僚(旧大蔵官僚)出身の政治家はほぼ例外なくこのドグマに侵されていると私は考えているが、玉木雄一郎はその財務官僚出身の政治家だ(岡田克也も同じかと思い込んでいたが、旧通産省出身だった)。

 古くは福田赳夫や大平正芳も元大蔵官僚だった。1970年に財政再建を言い出したのは福田赳夫で、1978年に総理大臣に就任した大平正芳がこだわったのは「小さな政府」だった。これに対し、1973年を「福祉元年」にしようと言ったのは叩き上げの党人派政治家・田中角栄だった。

 不況下で金融と財政の規模を拡大するという安倍政権の経済政策の当初の宣伝文句はそれなりに正しかったと私は考える。しかしその実態は金融緩和にばかり偏り、財政支出は規模も不十分だった上に支出が公共事業に偏っていた。しかも安倍晋三が2013年秋に14年4月からの消費税率引き上げを決断してそれを実行したために消費は大きく冷え込み、以後景気の回復にストップがかかってしまった。しかも現段階では政権は来年(2017年)4月から最後消費税率を引き上げようとしている。「軽減税率」も消費税率引き上げありきのトンデモ政策だ。

 本来、野党第一党である民主党は、財政支出を拡大して、かつその使い道を前記若田部昌澄の言う「インフラとしての教育、基礎研究、都市部での公共投資」、飯田泰之の言う「公共施設・医療機関・学校・図書館の(建設ではなく)設備・機器の更新,雇用と待遇改善をともなう機能拡充に資金投入をする」などと同じような提言をすべきだと思うのだが、玉木雄一郎が言うのは「財政再建ガー」なのだ。どうしようもない。なお、維新の党は民主党よりさらにひどいデフレ志向の政党であり、両党が合流してできると観測されている「新党」も今の民主党よりも憲法・安全保障政策、経済政策ともにさらに右寄りの政党となり、事実上の安倍政権の補完勢力になることは目に見えている。

 余談だが玉木雄一郎は香川2区選出の四国の民主党で一番選挙に強い、というより四国の選挙区で勝てる唯一の民主党衆院議員だ(2番目に強いのは香川1区の小川淳也=自治・総務官僚=だが、小選挙区では勝てず比例復活で議席を得ている)。

 その玉木は民主党でも有数の右寄りの政治家である。また玉木はどうやら小沢一郎とのパイプもあるらしい。政治思想右派にして経済右派の玉木と親しいとは、小沢も自民党、新生党、新進党や自由党の頃と根っこは変わっていないのかと思う。

 民主党は、安倍晋三が打ち出した「同一労働同一賃金」を「本家取りされた」などと言っているとも聞くが、本家取りも何も、財政再建原理主義に未だにとらわれているあたり、自民党と比較しても何周もの周回遅れになったダメ走者以外の何物でもない。現状では参院選やもしかしたら参院選と同日に行われるかもしれない衆院選でも惨敗必至である。

 現在、反緊縮を掲げる主要政党は共産党しかない。私は参院選でも消去法で、「民主集中制」に鼻をつまみながらも共産党に投票することになると思うが、共産党の得票力には限りがあるうえ、昨日の京都市長選にも見られたように、共産党の党勢もこのところ急降下している。このままでは「富の再分配」は安倍晋三流の国家社会主義に回収されてしまうだけだ。

 民主党の一刻も早い政策の見直しを求める。


[追記](2016.2.9, am.1:27記)

 公開当初、本記事の末尾近くに政治評論家・鈴木哲夫氏に関して、事実誤認に基づく誤った文章を書いていました。お詫びして訂正します(当該の文章は削除して別の文章に差し替えました)。私が犯した事実誤認の詳細については、『kojitakenの日記』の記事「鈴木哲夫氏に関する記事についての訂正と謝罪」(下記URL)をご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20160209/1454945021
 フランスの極右政党の躍進や、アメリカの大統領選共和党候補選びで共和党支持者からトランプが大人気を博していることなどの「極右の台頭」が2015年の欧米の政治状況の特徴だったと言えるかもしれない。

 だが、日本はそれをもう2年も前に先取りしている。極右政権が発足して既に3年が経過しようとしている。お隣の韓国も似たようなもので、朴槿恵政権は疑いもなく極右政権である。ただ、韓国の場合はまだしも裁判所が極右政権の意図を「忖度」した判決を下さないだけの良識を保っていることが先の産経新聞記者の無罪判決で示された。一方、日本では夫婦別姓の強制を最高裁判所が合憲と判断したが、これは露骨に「夫婦別姓は家族の解体を目的とした共産主義のドグマだ」と言い放ったことのある極右宰相・安倍晋三の意を汲んだ判断としか言いようがない。

 ついでだから書くが、日本の右翼(極右)による慰安婦問題の歴史修正主義に対する韓国極右政権の態度を、ナチの言説に対する戦後の(西)ドイツの態度になぞらえる言説は誤りだと私は考えている。

 この年末につくづく思うのは、もう3年も極右政権が続くと、それが日本の社会の「惰性」になってしまっているという冷厳な現実だ。安保法案の審議中大きく落ち込んだ安倍内閣の支持率が、この4か月で元に戻ってしまったことは、この惰性力の大きさを物語っている。

 だから安保法の成立は、成立時に「リベラル・左派」の多くが論評したような「負けたけれども未来に希望を感じさせる負け」なんかではなく、「絶対に負けてはならなかったはずの戦いに負けた、致命的に近い負け」だった。その後さらに日本の政治の「崩壊」は加速する一方である。元下着泥棒の大臣はいつまで経っても辞める気配もなく、それどころか気の早い週刊誌の予想記事によると、元下着泥棒は次の衆院選にも負ける気配はないらしい。

 これは、立憲主義という最強の「守り」の武器の威力をせっかく6月に憲法学者たちが知らせてくれたにもかかわらず、それがいつの間にか民主主義を求める「攻め」の戦いであるかのように、安保法案反対の勢力が自ら見せかけてしまった、つまりイメージ戦略を誤ったことが大きな敗因になったのだと思う。私自身、安保法が成立してから立憲主義について憲法学者たちが書いた本を読んでこの結論に至ったというレスポンスの悪さなので、偉そうなことは言えないのだが。

 だが、安倍内閣の支持率V字回復という現実を直視できずにうろたえ、週刊朝日(2015年12月16日号)に「どういうこと?」と書いた室井佑月(及びそれをブログ記事に引用した「リベラル」のブロガー)には、民主党政権の失敗の原因をなお総括できていないようだから、記事の後半ではこれに関する坂野潤治の指摘を紹介する。

 室井佑月という人は、2010〜12年の民主党政権時代の民主党内抗争において、小沢・鳩山一派を熱烈に応援していた人間だが(だから前述のブロガー氏とは立場を異にするはずだが)、菅直人が前原誠司や野田佳彦らの松下政経塾組と手を組んでできた内閣やその後の野田内閣には、原発に関する政策くらいしか見るべきところがなく、それも野田政権時代には骨抜きにされた(とはいえ原発回帰の安倍内閣よりはよほどマシだったが)ことについては私も異論はない。しかし、それならそれまでの鳩山内閣は良かったのかというとそうではない。辺野古現行案への回帰を決定したのは菅直人ではなく鳩山由紀夫であるという事実などもあるが、それ以前に小沢・鳩山一派はマニフェストを政争の具にしてしまった。彼らは党内抗争の最中、菅政権や野田政権はマニフェストを守らなかったから国民の支持を失ったのだと主張した。

 しかし、2012年の衆院選の結果は、その主張が誤りだったことを証明した。なぜなら、2009年の民主党マニフェストへの回帰を求めた人たちが作った「日本未来の党」には、民主党に対してよりもさらに厳しい有権者の審判が下され、9議席しか獲得することができなかったからだ。だが、今でも当時の「小鳩シンパ」(「小沢信者」どもは論外だからここでは論評の対象としない。ここで私が批判しているのは、真面目な小沢・鳩山支持者たちである。念のため)たちは民主党政権の失敗を菅政権以降にのみ求めることが多い。「なっていない」と私は思う。

 坂野潤治が民主党政権の失敗について山口二郎と話し合おうと言って手紙を出したの鳩山政権時代の末期、2010年4月である。つまり鳩山政権時代に既に民主党政権の失敗は明らかだったのである。

 坂野潤治は、民主党政権の失敗の「真犯人は、マニフェスト論者だったと思う」と指摘している。以下、坂野潤治・山口二郎著『歴史を繰り返すな』(岩波書店,2014)から引用する。

 坂野 (略)民主党の指導者は「理念」とは「政策」だと考えていたように思える。だから「政策」でつまずくとパニックになってしまう。「理念」というものは、今すぐ実現しなくても、将来は必ず実現させるというもので、それを言い続ければいいのに、「事業仕分け」で思ったほど財源が浮かないと、その時点で浮き足立っちゃった。

 その意味で僕は真犯人は、マニフェスト論者だったと思う。二〇〇九年八月三〇日の政権交代の時には、馬も鹿もみんなマニフェスト教徒だった。でも、マニフェストというのは約束した「政策」の実現度でその「理念」まで計ろうというもので、当時から僕は大反対だったんだ。後出しじゃんけんではない証拠に、八月三〇日からわずか一六日後に行った雑誌のインタビューを再録しておきたい。僕が“古い新左翼”と呼んでいる雑誌『状況』の記者に、二〇〇九年九月一五日に応じたインタビューです。

 ――今回の政権交代に期待してるとすれば、マニフェストで言ったことをやることができるかどうかだと思いますが。

 そんなことではないと、僕は思う。そんな具体策やっていたら袋小路だよ。具体策ではなくて全般的な変革ムードを喜んでいればいい。だって、夢くれたんだから、いいじゃない。(中略)子育てにみんなが関心持ってくれりゃいいけど、その時には、高齢化問題どうしてくれるんだって言うでしょ、で、高齢化問題どうかしようとすれば、その年金負担をどうしてくれるんだって、少子化の下で、年金払えるかっていう、そういうふうにぐるぐる廻りになってくるから、絶対に、個々の具体策では国民を満足させられないよ。

 ――政策的にできないということですか。

 政策はできますよ。みんな、個別の政策だから。できるけど、やったところで国民はなにも満足しない。(中略)
 だから、格差是正問題は、基本的に辻褄が合わないから、格差是正に努めるという全体のイデオロギーを出しとけばいいし、(中略)我々は、格差是正を目指し、弱者を救うための政治をやるんだってスタンスを、南無阿弥陀仏みたいに、毎回、言うことだとおもう。

(『状況』二〇〇九年一一月号、一六―一七頁)


 「イデオロギー」とか「南無阿弥陀仏」だとか、わざとどぎつい表現を使っているけど、言っていることは、政権とってすぐマニフェストに掲げた個別の政治に点数を付けられていては何もできない。格差是正とか社会的平等とかいうのが党員全員の理念になっていれば、短期的には政策として実現できなくてもいい、と言ったんです。今から五年前のことですが、この「理念」が今の民主党内で維持されているのか、大変心細い。

(坂野潤治・山口二郎『歴史を繰り返すな』(岩波書店,2014)84-86頁)


 新自由主義者揃いの松下政経塾組が「格差是正」など本気で考えているはずもなかったのは当然だし、そんな彼らと組んだ菅直人の罪は極めて重い。しかし、それに対抗する小沢・鳩山側がやったことは、マニフェストを振りかざして党内主流派を攻撃することだった。つまりマニフェストを「政争の具」として利用したのだ。そして、彼らの党内抗争に理念もへったくれもなかったことを示す象徴が、2011年の菅内閣不信任案騒ぎだった。あの時小沢一郎や鳩山由紀夫が組もうとしたのは自民党だったのだ。それこそ「格差是正」の理念とは正面から反することだった。つまり、菅直人一派と小沢・鳩山一派は「どっちもどっち」「五十歩百歩」でしかなかった。そして、彼らがこのような愚行に走ったのも、「格差是正」や「社会的平等」が、ほかならぬ小沢一郎や鳩山由紀夫や菅直人といった当時の民主党の最高指導者たちの理念になっていなかったからにほかならない。もちろん、彼らの理不尽な党内抗争を応援した、具体的には小沢一郎や鳩山由紀夫が自民党と手を結ぼうとしたことを容認した室井佑月についても同じことがいえる。

 この民主党政権の愚行を見た国民は絶望し、だからどんなにひどくても民主党政権よりはましだろうと思って安倍内閣を支持し、安倍内閣が安保法案成立に向けて暴走した時にはこれに眉をひそめても、時間が経つとすぐに安倍政権支持へと回帰してしまう。

 室井佑月がそれを見て「なぜだ」と叫ぶのは、民主党政権の失敗について、民主党、特に小沢・鳩山派を応援した自分自身の総括ができていないからだ。それができない限りは、どんなに週刊誌に政権批判の記事を書いても、安倍政権打倒、自民党政権打倒の結果につながる日はいつまで待っても来ない。そんなことは当たり前だ。
11月に入った。3日の「文化の日」は昔、日本国憲法の公布(1946年)を記念した祝日だと習ったような気がするが、ある時明治天皇の誕生日(戦前は「天長節」と言ったらしい)でもあると知った。恐らく、その日に合わせて日本国憲法の公布の日にしたというのがありそうなところだろう。現天皇の誕生日に東条英機らA級戦犯の処刑が行われた(1948年)ことも、もちろん間違っても偶然などであろうはずはない。前者には敗戦後も天皇を崇拝する保守政治家らの思惑が、後者には戦勝国の戦敗国に対する見せしめの思惑がそれぞれあったであろうことは想像に難くない。

ところで、現在も当時と比較されるべき、時代の大きな転換点(但し悪い意味でのそれ)に差しかかっていると思うが、あの寺島実郎でさえ「政界再編ではなく極右の再編に過ぎない」と喝破した(11/4のTBS『サンデーモーニング』)「第三極」とやらの動きも、今後の日本を焦土へと導く政治家同士の縄張り争いといえるだろう。

そんな中、民主党が次期衆院選で「中道」路線を打ち出す方針を固めたという。以下毎日新聞(11/1)より。
http://mainichi.jp/select/news/20121101k0000m010132000c.html

民主党:次期衆院選 「中道」路線を打ち出す方針固める

 民主党は次期衆院選で「中道」路線を打ち出す方針を固めた。自民党の安倍晋三総裁、日本維新の会の橋下徹代表、新党結成を表明した石原慎太郎前東京都知事が保守的な言動を強めていることに対し、差別化を図る狙いがある。次期衆院選マニフェスト(政権公約)や策定中の新綱領に盛り込む。

 野田佳彦首相は31日、衆院本会議の代表質問で、民主党の仙谷由人副代表から「改革志向の『民主中道』こそが民主党の理念、立ち位置だ」と水を向けられ、「主張に共鳴する。私なりの言葉で言えば『中庸』の姿勢で明日への責任を果たすということだ」と応じた。

 首相は前日の30日、細野豪志政調会長や安住淳幹事長代行らと首相官邸で会談し、次期衆院選をにらんで「中道」を全面アピールしていく方針を確認している。代表質問の答弁もその一環だ。

 同党幹部は「安倍、橋下、石原3氏の右傾化路線に対する明確な対抗軸になる」と解説する。

 ただ、馬淵澄夫政調会長代理は「『中道』を分かりやすくしっかり伝える言葉を考えなければならない」と語っており、具体的な打ち出し方は定まっていない。

 民主党は98年の結党時に定めた「私たちの基本理念」で「『民主中道』の新しい道を創造する」とうたったが、今年8月の党綱領原案には盛り込まれていない。【横田愛】

(毎日新聞 2012年11月01日 02時30分)


これに関連して、その少し前には同党の細野豪志がこんな発言をしたと報じられていた。産経新聞(10/28)より。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121028/stt12102819070003-n1.htm

安倍、橋下、石原3氏は「タカ派」 細野氏「民主はど真ん中」と強調

 民主党の細野豪志政調会長は28日、名古屋市で講演し、自民党の安倍晋三総裁や日本維新の会の橋下徹代表、新党結成を表明した石原慎太郎東京都知事に関し「3人は極めてタカ派的な言動をしてきた」と指摘。「戦後日本の平和主義、専守防衛という考え方は間違っていない。世論がタカ派の方向に流れるかもしれないが、民主党は真ん中にどっしりと立つ」と強調した。

(MSN産経ニュース 2012.10.28 19:06)


私に言わせれば、細野豪志はせいぜい「中道右派」だろうし、野田佳彦(「野ダメ」)は明白な「右派」政治家だと思うが、安倍晋三、橋下徹、石原慎太郎の3人はいずれも、政治思想と経済思想のどちらかまたは両方において「極右」と言って差し支えない政治家だろうと思う。細野はもちろん、「野ダメ」の比でもないことは当然だ。

このところ、「日本維新の会」の結成、安倍晋三の自民党総裁復帰、「たちあがれ日本」の「石原独裁党」(「たちあがれ日本」が一昨年から存在する以上「新党」という表現はおかしいので「石原独裁党」と表記する)への衣替えなど、まさしく寺島実郎が言う通り「極右再編」の流れが相次いだから、それより少し左の普通の「保守」のニーズを満たす政党がなくなった。だから、それを取り込もうとして民主党が「中道」を掲げたのは当然の流れである。実はそんなに大きくない「極右」のパイを安倍・石原・橋下の3人が取り合う形になったから、大票田をカバーするポジションが空いた。民主党はそれにつけ入ろうとしているのである。

谷垣禎一が自民党総裁だった頃には、私も「民主党は粛々と下野すべきだ」と考えていたし、当ブログにもそう書いたと思うが、安倍晋三が自民党総裁に復帰したあとは、「第2次安倍内閣ができるくらいなら、民主党政権が続いた方がまだマシだ」と考えるようになっている。それでも民主党の下野と第2次安倍内閣発足は不可避だとは予想しているけれども。

事実、10月28日に行われた衆議院鹿児島3区の補選で、自民党は国民新党から議席を奪回したものの、民主党が支持する国民新党の候補がかなり善戦し、「第2次安倍内閣発足確実」と楽勝ムードに浸っていた自民党執行部を慌てさせたらしい。谷垣総裁のままなら99%確実だった自民党の政権復帰の見通しに、安倍晋三というマイナス要因が足を引っ張り始めているようだ。やはり有権者の多くは5年前の安倍晋三の「政権投げ出し」を忘れていないとともに、国民生活そっちのけで「改憲」にばかりかまけた安倍晋三に対する否定的な評価は今も生きていると思われる。

この情勢に敏感に反応したのが橋下徹である。橋下は、配下の松井一郎、松野頼久と「たちあがれ日本」の平沼赳夫、園田博之を交えて石原慎太郎と3日に会談した際、「立ち上がれ日本」の標榜する「真正保守」を批判した。

こういう話になると、産経新聞の独擅場だ。ウェブサイトにも結構長い記事が出ているが、その中から一部を引用する。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121104/stt12110401110001-n2.htm

第三極結集、遠い「薩長連合」 橋下氏「『真正保守』とは組めない」

(前略)会談では、石原氏が「中央集権の支配から変えるのはこの機会しかない」と「官僚支配打倒」による大同団結を呼びかけた。

 橋下氏は、この場でもたちあがれ批判を展開した。

 「『真正保守』とか言っているメンバーとは組めない!」

 「大変失礼だが、石原御大もたちあがれとはカラーが違うじゃないですか?」

 「真正保守」について、平沼氏が「日本の伝統・文化を守りたいという意味で言っているのだ」と説明しても、橋下氏は「政策の決定基準にするのは違う。もっと合理的に決めなきゃ」と攻撃を緩めなかった。

 同席者の一人は「平沼氏が怒ると思ったが、黙って聞いていた」という。

 たちあがれ内には、橋下氏について「政策が違う」「本当の保守なのか」との異論があったのは事実だ。しかし、たちあがれは「石原新党」への合流を機関決定した。石原氏が突き進む橋下氏らとの連携を拒否する選択肢はもはやない。(後略)

(MSN産経ニュース 2012.11.4 01:09)


「真正保守」という言葉は久しぶりに聞いた。ひところ中曽根康弘ら自民党のタカ派勢力が、2006年の(第1次)安倍晋三内閣発足に乗じて、「保守本流」を僭称しようとしたことがあったが、「保守本流」(宏池会)からクレームでもついたためか、ある時期から「真正保守」をやたらと名乗った時期があった。

「真正保守」でググると、2009年10月10日に私が『kojitakenの日記』に書いた記事「『保守本流』と『真正保守』の区別もつかないネット右翼の劣化」が上位で引っかかるが、この記事にはその頃の空気の名残をとどめている。しかし、自民党の下野もあってその後「真正保守」なる言葉をネットで目にする機会はぐっと減っていた。その言葉を橋下が思い出させたのである。

世の中にはいろんなブログがあって、民主党の「中道路線」を歓迎しながら、つまり、民主党支持と思われるにもかかわらず、橋下が「真正保守」を批判したといって喜んでいるところもあった。しかし、橋下の狙いは「中道」を掲げた民主党と同じで、安倍晋三と石原慎太郎の参入で極右支持のパイの割に極右のプレーヤーが増えすぎてしまったために。支持層をそれより「左」側の普通の保守層や一部のおめでたい「リベラル」層に求めているに過ぎない。橋下はそういう損得勘定でのみ動いている。

その橋下の意図を読めずにか、あるいは読めていてあえてしているのかはわからないけれども、橋下の「真正保守」批判に拍手喝采を送るのは、それこそ民主党が獲得するかもしれない票を「第三極」とやらに流し込む効果しかないのではなかろうか。これは何も橋下・石原連合についてだけではなく、未だに橋下に秋波を送ることを止めようとしない小沢一郎の「国民の生活が第一」と橋下が組んだ場合にも当てはまる、というより、このケースの方が民主党の票をより大きく食うであろうことは明らかだ。それにもかかわらず、橋下と小沢が組むことを願うかのような論調は、はっきり言って私には理解不能だ。

それと比較すれば、小沢一郎が橋下に秋波を送るのを止めて「国民の生活が第一」に「リベラル政党になれ」と求めるブログの主張の方がまだ筋が通っている。面白いと思ったのは「リベラル政党であれ」というのではなく、「リベラル政党になれ」という表現であって、つまりたとえ小沢一郎を支持する人であっても、今の「国民の生活が第一」は「リベラル政党ではない(リベラル政党とみなすことはできない)」と思っているということだろう。

実際、原発政策一つとっても、民主党、国民の生活が第一、日本維新の会のいずれも「脱原発政党」とはみなされない。それは、この3党のどこをとっても「脱原発」とは矛盾する「核燃料サイクル」の継続を求める議員が多いことから明らかだ。3党はいずれも「なんちゃって脱原発」政党と言うほかない。

また、集団的自衛権に関しても、「国民の生活が第一」は小沢一郎の長年の持論に従って、基本的には政府解釈の変更を求める立場だ。「日本維新の会」は憲法9条の明文改憲派である。この点では集団的自衛権の政府解釈を偏向しないと打ち出した民主党が3党の中ではもっともマシだといえるだろう。

とはいえ、その民主党にしても、間違っても「リベラル政党」だとは私は思わない。保守政党である。しかし、その民主党の中でもタカ派の野田佳彦の内閣の方が、安倍晋三だの石原慎太郎だの橋下徹だのが首班になる内閣と比較すればまだしもマシだとしか思えないところに、日本の政治のどうしようもない閉塞感がある。
野田佳彦新首相の組閣は異様に遅いけれども、世間一般に論戦が公開される党の代表選挙が異様に短くて、密室で行なわれる組閣が異様に長いとは、民主党は一体何をやっているのだろうか。野田佳彦が率いるグループ「花斉会」が「百花斉放」からとられたネーミングだとは、実は今回の代表選で初めて知ったのだが、今回の代表選はその名前とは正反対の経緯で進んだ。

私は財務大臣と経産大臣の人事に注目しているのだが、産経新聞は岡田克也財務相との新聞辞令を出している。だがまだわからない。今日のエントリは、本来は野田内閣の組閣を叩くつもりだったが、こんなに組閣が遅くてはお話にならない。これぞ「政治空白」だろう。

野田佳彦の人事について、「党内融和」だの「挙党一致」だのという言葉を用いてこれを評価する向きがある。しかし、私にいわせればそんなものは全く評価の対象にならない。「党内融和」と言ったって、金子勝に言わせれば、

野田新総理の党人事は、輿石幹事長、樽床幹事長代理、平野国対委員長、前原政調会長です。あ~松下政経塾と小鳩連合です。これが挙党体勢だとすると、政策能力が低すぎて青ざめてしまう。内閣の構成も獲得票数のバランス人事だと、どじょう内閣どころかメダカの学校になる?

というものに過ぎない。野田佳彦の党人事について、「リベラル・左派は冷遇された。小沢『サハッ』は厚遇されたけど」と評した人もいたが、そもそも民主党の「リベラル・左派」などいまや絶滅危惧種になっていて、代表選で候補者も立てられないのだから仕方がない。ましてや野田佳彦はネオコンにしてネオリベだ。そんな野田にとっては、幹部の旧自由党系議員には右派が多い小沢派との相性は決して悪くない。

何よりふざけているのは「輿石幹事長・樽床副幹事長」の布陣であり、高齢の輿石東はあまり表に立たず、樽床伸二を代役に立てる機会が増えるだろうという。樽床といえば昨年6月の民主党代表選で菅直人と争った男。その時、あまりにひどい新自由主義の主張をしているのを聞いて、こんな人間を推す小沢一郎は何を考えているのかと思ったものだ。それ以前には小沢一郎に容認的な部分を残していた当ブログが、以後小沢一郎を「国民の生活が第一」のスローガンを除いてほぼ全否定するに至ったのも、小沢の樽床擁立に激怒したことがきっかけになっている。

で、その樽床伸二が矢面に立つなら、小沢一郎との折り合いも悪くない樽床自身が幹事長でも良さそうなものだが、なぜ輿石東が幹事長になったかというと、それが小沢(派)との取引だったからだ。言うまでもなく、小沢一郎は人事権と金庫を押さえたかった。前原誠司は拒否して代表選に敗れたが、野田佳彦はいとも簡単に要求をのんだ。前回のエントリで、私は

野田佳彦が幹事長に誰を指名するかも注目されるところだ。まさか小沢系の人物にはならないとは思うが、中間派の人物が選ばれれば、それだけでも小沢一郎にとっては成果だろう。

と書いたが、その時点でマスコミが報じていたのは「小沢派が輿石東の幹事長就任を要請している」ほか、岡田克也と旧民社の川端達夫の計3人の名前だった。代表選直前の8月27日付朝日新聞社説には、

 前哨戦では、盛んに「挙党態勢」「党内融和」という言葉が聞かれた。震災後も繰り広げられた党内抗争は、いい加減にやめようという響きもあって、一定の説得力を持つ。

 だが、「挙党一致」に込められた意味が、政策の違いには目をつむろうということなら、あまりにも無責任な対応だ。

 まして、小沢グループにカネと公認権を握るポストを譲るというのなら、有権者の支持をさらに失っていくのは避けられないだろう。

と書かれていたのだが、民主党主流派御用達ともいえる朝日新聞がもっとも危惧していた事態が現実のものとなったのである。これは、昨年、前原誠司と野田佳彦が菅直人を取り込んで起こした「クーデター」と同様、小沢一郎陣営が起こした「クーデター」と言っても過言ではないとさえ私は思うのだが、なぜか世の「政治ブログ」を見ていると同様の捉え方をしているところはほとんどない。「代表選直後から言われていたし、ごく自然な人事なのではないか」との評価まであったのにはびっくり仰天した。小沢派がおいしいポストを手に入れた一方で、仙谷由人が干されそうになっているのも、上記の人事が「クーデター」であると考えれば納得できる。まあ仙谷由人になど間違っても同情はしないけれども。

マスコミ報道では輿石東が固辞したなどと伝えられたが、そんなものは6年前に森喜朗が「干からびたチーズ」と言ったのと同じで芝居ですよ、芝居。マスコミには「干からびたチーズ」と言っていた森喜朗が舞台裏でやっていたのは、郵政総選挙での小泉圧勝を決めた「刺客作戦」だった。これは亀井静香や平沼赳夫、それに野田聖子といった「反小泉派」にとってはまさに青天の霹靂だったが、小泉陣営は作戦を練りに練っていたのだった。

表で海江田万里を立てながら、裏で野田佳彦にも食い込む「二正面作戦」を行って戦果を得るとは、このところ連戦連敗だった小沢一郎の「剛腕」もまだまだ見くびってはならないと思った。今回の代表選で小沢一郎は「連敗」を止めた、そう私は解釈している。一方で、残念ながら真の敗者は「脱原発派」だったと思うが、これに関しては『kojitakenの日記』を参照されたい。

今回の代表選は、これまで「一枚岩」に近かった、いわゆる「小沢信者」の間にも亀裂が走る結果となった。「小沢もやっぱり貧乏人の味方ではなかった」として離れた陰謀論系・反「日共」系の左翼もいれば、「小沢さんが後ろ盾になる野田政権は長期政権になる」とする右派系の信者もいるといった具合だ。だが、彼らもおそらく来年生じるであろう「政界再編」騒動で小沢一郎が率いるグループを支持する側に回るのだろうと私は予想する。

何度同じような騒ぎが繰り返されるのだろうとうんざりする。田中角栄に対して起こした謀反(1985年)に始まって、佐川急便事件の翌年、1993年の「政治改革」騒動と小沢らの自民党離党・新生党結成、総選挙での新進党敗北を受けた翌年、1997年の新進党解党・自由党結成、1999年の自自連立、2000年に「小渕恵三首相を殺した」とまで言われた連立離脱、2003年の民由合併。2006年に小沢一郎が民主党代表に就任した時には、これで小沢一郎も最後の勝負を賭けるのだろうなと思ったが、まだ続きがあったというわけだ。

今朝の朝日新聞「オピニオン」欄に、海江田万里の長文のインタビューが出ている。「傀儡と言われても構わない」と言い切った海江田は、TPPも原発も、持論と違う政策を口にしなければならなかった、という朝日新聞記者・刀根舘正明の言葉に対して、

私が一番やりたかったのは経産相としてはTPPであり、原発問題ですけれど、総理大臣になればその優先順位は下がるんです。

などと言い訳ともつかない言葉を発している。と当時に自身が今なおTPP推進論者であり、原発推進論者であることを素直に認めている。小沢信者の中には、海江田はもともとは「脱原発」論者だったが、菅内閣の経産相としてやむなく「原発の守護神」の役割を演じたのだろう、などと言っている人間もいるが、そうではなく「原発推進」は海江田自身の政策だったことを自ら認めているのだ。

こんな人物を「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」といういつもの論理で担いだ小沢一郎が、間違っても「脱原発」論者などではないことはいうまでもない。森ゆうこや川内博史も小沢一郎同様、間違っても「脱原発」論者ではない。海江田万里を担いだのがその証拠だ。彼らの「脱原発」論は、国民を騙して支持を得るための方便でしかない。

そんな小沢一派に野田佳彦は金庫の鍵を渡したのだが、もちろん野田佳彦自身も原発推進論者である。

ことここに至っては、民主党とは「第二自民党」以外の何物でもないことは誰の目にも明らかだろう。「リベラル・平和系」を標榜する人たちは、一刻も早く民主党を見捨てた方が良い。自民党でも民主党でもない政治勢力を築いてそれを大きくしていかない限り、日本の政治が良くなることはない。

だが、その障害となるのが小選挙区制だ。そして、この制度の成立をゴリ押しした張本人の一人も、やはり小沢一郎だった。

いまや自民党と同様の「財界の政党」となった民主党の「党内融和」なんかを評価するのは止めようよ。民主党の「党内融和」とやらは全然「日本に住む私たち」の方を向いてないじゃない。声を大にしてそう言いたい。
昨日(8月29日)に行なわれた民主党代表選で、野田佳彦が民主党次期代表に選ばれた。これに伴い、菅直人内閣は総辞職し、野田新内閣が誕生する見通しだ。

前回のエントリで、タイトルに「『前原誠司新首相』が確定的」と銘打ったが、そうはならなかった。前原誠司は主流派内に敵を作り過ぎた。その結果菅直人陣営も岡田克也も離反した。

一方の小鳩派だが、前回の記事に

もし今回小鳩派が担ぐのがあの「原発の守護神」海江田万里だとしたら笑ってしまう。

と書いたのは、もちろん小沢一郎が海江田万里を担ぐだろうと予想していたからだ。だいたい6割から7割くらいの可能性で、小沢が海江田を担ぐのではないかと思っていた。鹿野道彦もいたが、1997年の新進党最後の党首選で鹿野と争った小沢が鹿野を支持するとは思えなかった。だが、小鳩派にはまだ小沢鋭仁もいたし、「隠し玉」がどうこうと言っている連中もいたから(私は「隠し玉」なんか信じてなかったけど)、3~4割程度は不確定要素があると考えて、断言はしなかった。

それは当たったのだけれど、タイトルにまで掲げた「前原圧勝」の予想は大外れだった。「野田佳彦では勝てないから俺が出る」と言わんばかりの前原誠司の自信満々の態度からは、とてもでないけれどもこんな大失速は予想できなかった。

だが、いざ前原が失速した時に思ったことは、「これはみんな小沢一郎の術中にはまっているのではないか」ということだった。

以下は一種の陰謀論というか陰謀仮説かもしれない。だが、どうしてもこの仮説を捨て切れないので書く。

現在は、誰が総理大臣になっても舵取りが難しい時期だ。自民党政権時代にもこんな時期があった。それは2008年9月1日に福田康夫が突然辞意を表明したあとのことで、急遽自民党総裁選が行なわれることになった。当時は民主党に勢いがあり、誰が総理総裁をやっても難しいと思ったが、「国民的人気」があるとされていた麻生太郎が総理大臣になった。しかし、朝日新聞の政治記者・曽我豪に書かせたと言われている『文言春秋』誌上での解散予告に反して、麻生は議会を解散できず、就任後わずか半年で内閣支持率は一桁にまで落ち、その後「西松事件」の影響で一時持ち直したものの、民主党代表が小沢一郎から鳩山由紀夫に代わると再び自民党の勢いは落ち、ついに衆院選で惨敗を喫してしまった。

今民主党が置かれている立場も当時の自民党と同じ、否、それよりさらに厳しい。3年前には、麻生が勇気を持って解散すれば、自民党はたとえ下野したとしてもそれなりの議席数は獲得できただろう。しかし現在は、当時の麻生同様「国民的人気」があるとマスコミが喧伝している前原誠司が新代表・首相に就任したところで、解散総選挙をやれば民主党は惨敗するに決まっている。

しかも現在は原発の問題がある。世論は「脱原発」指向が支配的だが、永田町や霞ヶ関では「原発維持」や「原発推進」が圧倒的多数を占める。菅政権下では、ずっと前から調整運転を続けてきた北電の泊原発3号機こそ菅首相が辞意を表明した隙を突いて北海道知事の高橋はるみが営業運転を認めたものの、定期点検で停止中の原発は再稼働していない。これを1基でも再稼働させるだけでも世論の批判を浴びる。内閣支持率は下がる。

菅首相が「脱原発」を打ち出したのも、東電原発事故への対応から原発の恐ろしさを身を持って感じたこともあるだろうけれど、東日本大震災が起きなければ3月に菅政権は倒れていただろうと言われるほど追い詰められていたこととも関係がある。つまり、何らかの政権浮揚策が必要だったのだ。菅首相は、「脱原発」に活路を求めた。

しかし、菅首相の「脱原発」路線は一定の支持を得たものの、菅内閣の支持率上昇には結びつかなかった。私は、せっかく「脱原発」を口にしながら、菅政権の腰が引けていたことが原因だろうと考えている。特に経産省からの「原発維持・推進」の圧力は強い。それにいとも簡単に屈したのが経済産業大臣の海江田万里だった。

今回、小沢一郎が担いだのはその海江田万里だったのである。私は海江田に言及する時、意識して「あの『原発の守護神』海江田万里」と書くようにしている。それくらい、海江田の妄動は目を覆うばかりだった。海江田は何の根拠もなく原発の「安全宣言」を出し、わざわざ九州に出向いて玄海原発の再稼働を要請した。そのあげくに菅直人に「梯子を外され」て菅と大喧嘩。国会で自民党議員に追及されては泣き出し、掌に「忍」と書いて、その文字がわざわざテレビカメラに映るように手を高々と掲げた。

いくら「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」とは言っても、ここまで手の施しようのない無能な政治家を担いで代表選に勝つつもりが果たして本当に小沢一郎にあったのか。私にはとてもそうは思えなかった。

そもそも、民主党の党勢が今後回復する可能性はあるのか。それさえ疑わしい。そんな情勢下で小沢一郎はこれまでどんな行動をとってきたか。それは組織を「ぶっ壊す」ことだった。

古くは1992年の佐川急便事件のあと、金丸信、竹下登、小沢一郎の3人が連日新聞に「金竹小」(こんちくしょう)と叩かれていた頃に遡る。あれほどマスコミに叩かれていたはずの小沢一郎が、「政治改革」の旗手となり、自民党を割って出て新生党を作り、細川護煕連立政権を樹立したのは翌1993年のことだった。その後新進党を結成して政権奪取を狙った1996年の総選挙で自民党に敗れ、野中広務や加藤紘一らに「一本釣り」をやられて新進党の党勢が縮小すると、小沢一郎は1997年の新進党最後の党首戦に勝利したあと、新進党を解党した。そのあと結成したのが自由党だった。自由党は2003年の民自合併で民主党と合流した。

小沢一郎は経世会を飛び出し、新進党を解党し、自由党を民主党に合流させたわけだが、その度ごとに政党のグループ(経世会)や政党(新進党、自由党)の政治資金の残金をせしめては、自派の拡大に金を使ってきた。自民党時代から幹事長の座を小沢は好んできたが、それは幹事長というポストが候補者の公認権や金庫を押さえることができるからだ。だから「西松事件」で民主党代表を退いた時にも小沢一郎は幹事長に居座った。小沢一郎は、自らに従順な議員には手厚く援助するが、小沢に楯突くような人間は徹底的に干し上げる。だから周りにはイエスマンしか残らない。

そんなことをしているから自派から候補者が出せなかったんだといえなくもないけれども、それでは小沢一郎は「海江田万里代表」にリアリティがあると本気で思っていたのだろうか。政治バラエティ番組でビートたけしが言っていたが、海江田が総理大臣になったら経産省と小沢一郎の板挟みでまた泣き出すんじゃないか。誰もがそう思うのではないか。

今回の代表選の決選投票における海江田万里の票は177票。昨年菅直人と小沢一郎が争った時に小沢一郎が獲得した票は200票だから、それと比べると大幅に減っている。これを「小沢一郎の影響力の低下」と見るべきなのか。そうではないだろう。今回、鹿野道彦やその支持者のかなりの部分が決選投票で野田佳彦に投票したとされる。また、野田佳彦のかつての腹心だった馬淵澄夫及び支持者の多くは決選投票で海江田万里に投票したとされる。さらに、2005年の代表選で前原誠司に敗れた菅直人のグループの多くは第1回投票から野田佳彦に投票したとされる。

これらのことからわかるのは、鹿野道彦にせよ馬淵澄夫にせよ菅直人にせよ、皆「敵味方思考」で行動しているということだ。「敵の敵は味方」の論理。政治家は政策で動くのではなく、自らの感情で動くのである。それら一切合財を考慮に入れて、それでも海江田万里で勝てると小沢一郎は踏んだのか。

永田町や霞ヶ関の論理に従えば、現在定期検査で停止中の原発を一刻も早く動かす方向の圧力しかかからない。しかし、原発を再稼働させれば間違いなく世論、特に「脱原発」論者を敵に回すことになる。「脱原発」派の機嫌もとりたい小沢一郎にとっては、それは避けたいところだろう。

原発の件に関して言うと、経産官僚の意を受けて玄海原発再稼働へと動いた海江田万里は、代表選の告示を受けて、それまでの原発に対する姿勢を突如転換して、「40年で原発をなくす」と言い出した。これは「転向」ではあるけれども、40年といえば原発の耐用年数。つまり、定期点検中の原発を1基残らず再稼働しても、耐用年数に達した原発の再稼働さえ認めなければ自然に達成できるという、きわめてハードルの低い目標だ。しかも、耐用年数に達する原発が次々現れるのは数年後からであって(1973年の石油危機を機に「田中曽根」が原発推進へと舵を切ったことを想起されたい。現在は、石油危機からまだ40年は経過していない)、その頃には海江田はもう政界にはいない。つまり、古い原発の存廃を判断する機会は次の首相あたりには、まだわずかしかないのである。現在はそういう時だ。そんな時に打ち出した「40年で原発ゼロ」とは、要するに「脱原発」の政策なんて何もやらないよ、と言っているのと同じことだ。だから、仮に海江田万里が総理大臣になったら、定期検査中の原発はいとも簡単に再稼働させてしまうだろう。もちろんそれは野田佳彦が今後行なうであろうことでもある。要するに、総理大臣が野田佳彦であっても海江田万里であっても「脱原発」は菅政権より大幅に後退する。

現時点で、菅直人は「脱原発」の功労者だった、言われるほど悪い政権ではなかったという評価が一部から出され、かなり広く共感を得ている。私は、東日本大震災以前の菅政権は全く評価しないが、大震災に伴って起きた東電原発事故を機に曲がりなりにも「脱原発」(それは「減原発」へとすぐに後退したが)を打ち出し、浜岡原発を止めて玄海原発の再稼働を阻止したことだけは一定の評価を与えることができると思う。そして海江田万里が総理大臣になって原発を次々再稼働させれば、「菅直人=脱原発、小沢一郎=原発推進派」という評価が国民の間で定着することになる。そんな選択を小沢一郎がするだろうか。

勘繰り過ぎかもしれないが、今回の代表選を小沢一郎が本気で勝ちにいったとは、私にはどうしても思えないのである。

ただ、一つだけ間違いないのは、今後どうやっても民主党の党勢は低下するしかない現状で、小沢一郎が次にとる手は「民主党の解体」以外にはないということだ。人間は一度やったことは何度でも繰り返す。ここでポイントになるのは、党を解体する時に金庫を押さえていることだ。経世会、新進党、自由党。全部のケースで小沢一郎は政治資金を持ち逃げした。民主党でも同じことをやる。だから前原誠司との交渉で幹事長のポストを要求したけれども、前原がそんな要求をのむはずがなかったとは前回にも書いた。

前原なら、来年の代表選までの「つなぎの代表・総理大臣」なんかに甘んじるはずもなく、解散・総選挙をやるかもしれない。そんなことをされては金庫の鍵を握り損ねる。だから小沢にとっては「前原代表」だけは阻止しなければならない。一方、野田なら来年の代表選までの間の解散はまず考えられない。その間、「消費税増税」だの「原発再稼働」だの「TPP」だのの不人気の政策は野田に全部やらせて、野田内閣の支持率が下がり切ったところで「次の代表」の座を勝ち取る(=金庫の鍵を握る)。これが小沢一郎の青写真だったのではないか。そのためには、何が何でも前原を潰さなければならない。表面に出てきた情報は何もないが、水面下では小沢一郎による猛烈な「前原潰し工作」がなされていたか、さもなければ事前の情勢調査によって主流派で決選投票に残るのが野田佳彦だと確信したのか、そのいずれかの理由によって前原の線は消えたと確信した小沢が、およそ勝てるはずもない海江田万里をあえて担いだのではないか。そう私は想像する次第である。この流れと関連するが、野田佳彦が幹事長に誰を指名するかも注目されるところだ。まさか小沢系の人物にはならないとは思うが、中間派の人物が選ばれれば、それだけでも小沢一郎にとっては成果だろう。

ついでに言うと、今後野田がやるであろう「消費税増税」も「原発推進」も「TPP」も、すべて小沢一郎本来の政策と一致する。小沢一郎の昔からの主張は「所得税と住民税の半減と消費税率の大幅引き上げ」であり、小沢一郎は「原発利権」に絡んできた人間でもあり、自他ともに認める自由貿易論者である。今はそれらの本来の持論を偽装しているけれども、小沢一郎の本質は野田佳彦と何も変わらない。それでも看板だけはしばしば架け替えるのは、「政策は大道具、小道具」で「金がすべて」というのが小沢一郎の本質であることを理解すれば不思議でも何でもない。

長々と書いたが、来年、またも不毛な「政界再編」が起きるのではないかというのが私の予想である。野田佳彦の政策や思想信条については何も書かなかったが、「原発推進」、「消費税増税」、「TPP推進」、「沖縄米軍基地の県内移設」が軸となる上、野田佳彦は民主党内でも有数の右翼政治家であることには注意を喚起したい。民主党ではよく前原誠司が「タカ派」の代名詞とされるが、実際には旧自民党の羽田孜系、旧自由党の小沢一郎系、旧民社などとともに野田グループが前原より「右」に位置する。前原はもちろん軍事タカ派の新自由主義者だが、民主党内では「まん中」程度に過ぎない。野田の政治は前原にやらせるよりもっと悪くなる。はっきりいって野田政権に期待できるものは何一つない。

しかし、野田政権でさらに悪くなる日本を「変える」のに、無定見の権力亡者である小沢一郎がまたぞろしゃしゃり出てくるのであれば、1982年の中曽根内閣発足以来の「失われた30年」を「失われた40年」にするだけの話である。最近の小沢グループはますます「カルト教団」と化していて、同グループの決起集会で、ある若手議員が「今回は海江田首相を目指そう。来年は小沢首相を実現するぞ!」と叫ぶと、会場から万雷の拍手がわき上がり、「ガンバロー」三唱が響いたという。冗談じゃない。最初から「1年限定の傀儡政権を作りますよ」と言っているようなものだ。これほど国民をバカにした話はない。

この異常な集会のニュースを聞いて私が思い出したのは、突飛な連想かもしれないが、5年前に加藤紘一の実家が放火されて全焼した時、ある講演会で自民党の稲田朋美がこの件に言及して「先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話したところ、会場が爆笑に包まれたという話だった。カルト集団には、世間の常識が通用しない独特の空気がある。それは極右もリアルの小沢信者(=民主党の小沢・鳩山グループ)も同じことだ。

いずれにせよ、次期政権にも期待できなければ、党内野党ともいえる「小鳩派」も完全なカルト集団と化した民主党に、もはや未来はない。昨日の民主党代表選は、民主党の「終わりの始まり」を告げるできごとだった。
最初に、「シンキロウ」と仰る方から寄せられた当ブログへの痛烈な批判コメントから紹介しよう。

もういいかげんに小沢信者に
偏執的に執着して批判するのはやめた方がいいぞ!
もっと視野を広く持てよ!
世間一般の人が小沢信者のブログの動向などなんの興味もないし、そもそも認知もしてない。
不毛な事はよせ!
そんな政治ブログ村のバケツの中のせせこましい争いなどどうでもいいんだよ!
もっと危惧すべき事、優先して批判することがあるはずだ!
あなたのブログを数年来信頼して読んできたが、いつからか小沢信者批判がしつこすぎる。別に俺は小沢信者てわけではない。選挙ではいつも消去方で社共に入れてる。もっと大衆に訴えることを書けよ!小沢信者の動向なんて
政治ブログオタクの間でしか通用しねえの!つまり不毛な事をやめろ!
あなたの鋭い感覚に期待してるから言ってんだ!

2011.08.26 04:13 シンキロウ


言わんとすることはわかる。だが、「選挙ではいつも(消去法で)社共に入れてる」という「シンキロウ」さんに問いたいが、なぜその社共が国会での議席数が数議席の零細政党に転落してしまったのかと疑問に思われないだろうか。

小選挙区制のせいだ、あるいは同じような政策を持つ社民、共産両党がいつまでも互いに争っていて国民から呆れられているからだ、等々いろいろ意見はあるだろう。

だが、最大の問題は何かというと、本来社民党や共産党に投票をしてしかるべき考えを持っている人たちが、このところずっとそうではない投票行動をとってきたためだろう。彼らの投票先は民主党であり、その中でも、かつての社会党(横路グループ)や社民連(菅直人や江田五月ら)を支持する人たちを除けば小沢一郎に支持が集中している。しかも横路グループは小沢一郎が民主党入りした当初の時期に政策協定を結んだ。小沢一郎は旧自由党系の人たちが「小沢派」として結成した「小さな政府研究会」には加わらなかった。

毎日新聞が国政選挙の前に全候補者にアンケートを行なう「えらぼーと」を始めたのは2007年の参院選前である。あの時私は民主党の各候補者の回答を調べてみて、旧自由党系、小沢一郎系の候補者の主張の「タカ派」ぶりに閉口した。例として一人挙げれば森ゆうこ(森裕子)がそうだ。あの頃小沢一郎率いる民主党は「国民の生活が第一」をスローガンに掲げて支持を拡大していた。小沢一郎は2006年の民主党代表選で「変わらずに生き残るためには自ら変わらなければならない」と発言して当選してからまだ1年あまりしか経過していなかった。私は「なるほど小沢一郎は変わったのかもしれないけれど、取り巻きは変わっていないんだなあ。小沢グループって『キメラ』みたいなもんだなあ」と思ったものだ。

だが、小沢一郎は変わってなどいなかった。最初にそれをあらわにしたのが、参院選のあと雑誌『世界』に発表した自衛隊のISAF参加論であり、それに続く「大連立」未遂だった。その頃から、それまでうかつにも「変わらずに生き残るためには自ら変わらなければならない」という小沢の言葉を信じて、ブログで「政権交代」の旗振りをしていた当ブログの論調に変化が生じ始めた。

翌2008年には今で言う「小沢信者」の「植草一秀のもとに『反自公』が結集しよう」という呼びかけに応じず、さらに「政権交代選挙」のあった2009年には「自エンド村」から出たこともあって「小沢信者批判」を強めた。私はこの時点においては「政権交代」の旗まで降ろしたわけではなかったが、票欲しさに橋下徹にまですり寄る民主党に呆れ、それをブログの記事にしたことはあった。

しかし、この時点でもまだまだ私は甘かったのである。当時私は、植草一秀を筆頭とする「小沢信者」は呆れたものだけれど、小沢一郎本人はそこまでひどくあるまいと思っていた。だが、それもまた誤りだった。そのことを痛感したのは、昨年6月の民主党代表選挙で小沢グループが新自由主義者の樽床伸二を推した時だった。この選挙では、前原誠司や野田佳彦らがいち早く菅支持に回った。というより鳩山内閣が潰れると見た彼らが素早く菅直人と手を結んだものだろう。菅直人の応援団が開いた「決起集会」に前原誠司や野田佳彦の名前を見つけて、菅政権はろくでもないものになるなと嫌な予感がしたが、その菅直人に対する対立候補が樽床伸二とは、これでは党全体が新自由主義政党だということではないか。あの「変わらずに生き残るためには自ら変わらなければならない」という小沢一郎の言葉はいったい何だったのかと思った。

以来、私は「小沢信者」と「小沢一郎」を分けて考えることを止め、小沢一郎を徹底的に批判する立場に転じた。その後の小沢一郎の言動を見ていると、小沢一郎自身が最大の「小沢信者」に堕した観さえある。

冒頭の「シンキロウ」さんの批判についてコメントすると、当ブログや『kojitakenの日記』には、確かに叩き易い「小沢信者」批判に流れるきらいがある。だが、「もっと危惧すべき事、優先して批判すること」となると、これは小沢一郎という政治家が、本来社民党や共産党に流れるべき国民の支持を集め、選挙で議席を獲得することによって日本を大きく右傾化させたそのことだろう。これこそが、現在の国内政治の最大の問題点である。「小沢信者批判」にかまけて「小沢一郎批判」から逃げてきたとするなら、私はそのことを強く批判されなければならないだろうが、小沢一郎に対する批判の手は決して緩めてはならない。今こそ小沢一郎を徹底的に批判すべき時である。

小沢一郎を支持するのは何もネットの狂信的な「小沢信者」たちばかりではない。鳥越俊太郎や江川紹子ら、テレビの常連コメンテーターの中にも支持者は多いし、昨年の菅直人と小沢一郎ががっぷり四つに組んだ民主党代表選を見ても、小沢一郎への支持がきわめて根強いことは明白だ。

参院選における自民党大敗を受けて成立した海部俊樹内閣の発足とともに自民党幹事長に小沢一郎が就任したのは1989年(平成元年)だった。以来、日本の政治は小沢一郎と小泉純一郎に引っかき回され続けた。小泉純一郎が引退した現在も、小沢一郎は生き残っている。

小沢一郎の最大の罪は、「政治改革」と称して衆院選に小選挙区制を導入したことだ。小選挙区制下では多数政党の力が異常に強くなるが、政党の組織論からいっても、公認権を持つ執行部の力が異様に強くなり、個々の政治家たちは執行部に逆らえなくなる。だから有能な政治家が育たないのである。今回の民主党代表選でもマスコミが書き立てる「候補者候補」の顔ぶれはお寒い限りだが、それは3年前に麻生太郎が当選した時の自民党総裁選とて同じだった。小泉純一郎自身は「政治改革」に反対した政治家だったが、2005年の「郵政総選挙」ではこの悪しき選挙制度を最大限に悪用して自民党が圧勝した。あのあと、自民党の政治家たちが「わが世の春」を謳歌したかと思いきや、みな小泉純一郎の顔色ばかり伺って何も言えなくなるというお寒い状況が現出したのだった。

だが、小選挙区制の導入に関しては小泉純一郎は「抵抗勢力」であり、小沢一郎は「改革派」の旗頭だったことは、どんなに強調しても強調し過ぎることはない。

小選挙区制導入の責任だけではなく、小沢一郎の問題点はそれこそ山のようにある。政治と金の問題に関しては、西松事件こそ捜査した側の問題を強く感じるけれども、政党助成金を懐に入れ、政党を作っては潰す過程で政治資金の残金を全部せしめるなどの小沢の悪行は枚挙に暇がない。経世会の金庫から忽然と大金が消えて、橋本龍太郎が大騒ぎしたという話があり、この時消えた金は6億円だったと野中広務は言っていたらしいが、小沢一郎の秘書を務めた経歴を持ちながら、一昨年の「政権交代総選挙」で岩手4区から小沢一郎の対立候補として自民党から立って惨敗し、現在では政界から引退した高橋嘉信によると金額は13億円だったらしい。

何より最大の問題は政策だ。「国民の生活が第一」というスローガンや、2009年の民主党マニフェストに掲げられた政策は良いだろう。しかし、それと小沢一郎が昔からやりたくてたまらない「減税」はどう整合性を持つのか。昔小沢一郎が掲げていた政策は、「所得税と住民税を半減し、その代わりに消費税を大幅に上げる」というものだった。現在ではその後段を隠して、「次の総選挙までは消費税増税の議論を棚上げする」ことになっている。だが次の総選挙と言ったって、それはもう遅くとも2年後に迫っている。

私は、2009年民主党マニフェストを実行して所得税の大幅減税もやるなんてことはできっこないと考えているのである。小沢一郎だってそんなことはできっこないと考えているに違いない。だから今は「党内野党」でいる方が楽なのだ。

これでやっとこさ民主党代表選に話がつながった。今朝(8/26)の朝日新聞(東京本社発行最終版)の一面トップの見出しは「小沢氏、前原氏不支持へ」である。その方針で鳩山由紀夫と一致したらしい。ここまでの一連の流れを見ていて、私は「ああ、結局小沢一郎は『八百長負け』を選んだな」と思った。小沢一郎には今回の代表選で勝つ気など最初からさらさらなかったのだ。

昨日の『kojitakenの日記』にkagisouさんからもコメントいただいたのだが、昨日(8/25)の朝日新聞に、小沢一郎が前原誠司との駆け引きで「幹事長」の座を要求して両者の折り合いがつかないことが書かれている。この記事には、「政策はしょせん大道具、小道具。権力持たないと何の意味もない」という小沢一郎の言葉が引用されているが、これこそが小沢一郎の政治哲学なのである。

幹事長とは何か。朝日新聞記事から以下引用する。

 幹事長は政権党のナンバー2。選挙の公認権から党・国会の役員人事を一手に握り、党の資金も手中に収める。小沢氏は代表時代、関係の深い鳩山由紀夫氏を幹事長に起用。2006年から08年にかけて「党の機密費」とも呼ばれる組織対策費22億円を側近議員に渡し、接戦の選挙区に集中投下した。「人事とカネ」の権限を背景に、党内最大の小沢グループを結成した。

(2011年8月25日付朝日新聞2面掲載記事より)


記事は以下、昨年民主党代表・首相に就任した菅直人の下で、幹事長の岡田克也が組織対策費を事実上廃止し、投資金を透明化したこと、「金の力」を失った小沢一郎の求心力が低下し、グループを脱落する者も出てきたことを書いている。その後の段落で、「政策はしょせん道具」という小沢一郎の言葉が出てくるのだ。

小沢一郎が前原誠司に突きつけた条件は、前原にとってのめるものであろうはずがない。だから小沢一郎は前原支持を取りやめたのだが、小沢一郎が前原誠司の不支持を表明した今となっては、最初から小沢一郎は今回の代表選に勝つつもりなどなかったのではないかと思わざるを得ない。

歴史は繰り返すという。小沢の狙いは14年前と同じなのではないか。民主党最後の代表選で勝つ。そして党は解体する。金庫を押さえている小沢はその金を全額押さえる。これが新進党の最後に小沢一郎が行なったことであり、当時の新進党党首選の対立候補は鹿野道彦だった。小沢一郎が今回の民主党代表選で鹿野道彦を支援することなど最初からあり得なかった。

だが、いつまでこんなことをやっているつもりなのだろうか。14年前には小沢一郎はまだ55歳、政治家として脂の乗り切った頃だった。だが現在はもう69歳。政治家としての先はもう長くない。

歴史は繰り返すというのは前原誠司にも当てはまる。2005年の「郵政総選挙」のあと、民主党代表選で前原誠司が菅直人を2票差で破って当選した時、なんでこんな軍事タカ派なんかが民主党代表になるのかとショックを受けたものだ。なんでも投票直前のスピーチが民主党国会議員の心をとらえ、それで菅直人から前原誠司に乗り換えた議員が複数いたらしい。なるほど前原誠司は口は達者だし、党内政治にも長けている。昨年6月の民主党代表選でいち早く菅直人にすり寄ったのもそうだったし、今回、フライング気味に飛び出して「増税」を前面に出して総スカンを食った「野ダメ」こと野田佳彦を横目で見ながら、「派内の突き上げに動かされる」形で土壇場になって出馬したいきさつもそうだ。もしかしたら前原は最初から「あと出しじゃんけん」を狙っていたのではないかと思えるほどだ。

だが、前原誠司には「偽メール事件」の失敗がある。私はいつも思うのだが、一度誤りを犯した人間は、同じ誤りを必ず繰り返す。前原誠司もまた誤りを繰り返し、その政権は長くは持たないだろう。

野田佳彦であれば、来年9月までの「つなぎ」の首相・代表を務めることになっただろう。だが前原は「つなぎ」には甘んじず、解散の道を選ぶと思う。そうなれば総選挙で民主党は大敗し、自民党政権が復活することは確実だ。

そうはならず、来年9月に代表選が行なわれ、小沢一郎が代表に復帰した場合も、民主党の解体が起きる。その場合は政界再編が起き、政治資金を持ち逃げした小沢一郎が一定の影響力を保つ。小沢新党と安倍晋三らが組む連立政権だって誕生しかねない。ちなみに、今回もし前原誠司が小沢一郎の要求を受け入れて幹事長ポストを渡したとしても、民主党が分裂して小沢一郎が政治資金を持ち逃げする日が来るのが前倒しされることしか意味しない。前原が小沢の要求を受け入れなかったのは当然のことだ。

どっちみち民主党という政党はそう長続きはしない。日本の政治は廃墟になりそうだが、そのあとに出てくるのが橋下徹かどうか、そんなことは今はもう考えたくもない。

とりあえずは小鳩派が誰を担ぐか見てみることにしようか。昨年担いだのは新自由主義者の樽床伸二だった。もし今回小鳩派が担ぐのがあの「原発の守護神」海江田万里だとしたら笑ってしまう。リフレ派から一定の支持を得た馬淵澄夫を担ぐことはよもやあるまい。馬淵はリフレ派からは支持を得たものの、「原発を選択肢として残す」という寺島実郎ばりの「エネルギーのベストミックス」論を持ち出し、曲がりなりにも原発ゼロを掲げている前原誠司と比較してもさらに「脱原発」に後ろ向きなところを見せた。しかし、海江田万里となるとこれはもう前原誠司や馬淵澄夫どころの話ではなく、「原発推進積極派」である。野田佳彦よりさらにひどいのではないだろうか。

とにかく、小沢一郎はここまで日本の政治を引っかき回し、めちゃくちゃにした。これでもなお日本の「リベラル・左派」諸氏は小沢一郎を支持するというのか。支持するとしたらその理由は何なのか。「国民の生活が第一」というスローガンや「2009民主党マニフェスト」? そんなものを信じてはいけない。

他ならぬ小沢一郎自身が「政策はしょせん道具」と言っているのだから。
菅直人首相が事実上辞意を表明し、政権運営の気力が萎えた隙を経産官僚と北海道電力と北海道知事の高橋はるみに突かれて、定期点検中のはずなのに既にフル稼働していた北電泊原発3号機の営業運転が再開された。

特に8月に入ってからの原発推進・維持派の巻き返しはすさまじい。菅直人の辞意はそれに拍車をかけており、先月には来年夏の原発全基停止を前提としてNHKテレビで発言していた玄葉光一郎は、早くも「小型原発」推進論を口にして地金を出した。玄葉は福島3区選出の議員だが、次の総選挙では同区の有権者は玄葉を落選させてもらえないものか。

玄葉に限らず、民主党全体が原発推進・維持政党である事実がはっきりしてきた。民主党代表選は、一昨年5月の鳩山由紀夫代表選出や昨年6月の菅直人代表選出の時と同様、同党の執行部は短期でケリをつけるつもりらしいが、ここは今朝の朝日新聞社説が言うように、「最低でも1週間程度の論戦は必要」だと私も思う。いったい次の総理大臣は原発問題で、そして税制や社会保障の問題でいかなる政策をとるのか。鳩山由紀夫や菅直人のようには(中身は別として)知名度の高い政治家たちではなく、にもかかわらずほぼ間違いなく次期総理大臣になるのだから、その政策を国民に知らしめる必要があるだろう。

どうも岡田克也あたりは野田佳彦がボロを出さないうちに短期で野田に決めてしまおうと思っている様子がありありだが、それでは一昨年に鳩山由紀夫と小沢一郎がやったことと何も変わらない。一方、執行部が企む「菅抜き小沢抜き」に、当然ながら小沢一郎は反発する。

小沢は一昨日(17日)、あの悪名高い副島隆彦を「講師」に呼んで政治資金集めパーティーを行ったのだが(この事実だけでも小沢一郎が全く支持に値しない政治家であることは明白だろう)、民主党代表は「経験や知識があって命懸けでやる人でなければいけない」と述べたという。

例によってはっきりしたことは言わない小沢一郎だが、これは鹿野道彦か海江田万里のいずれかを指すのではないかと見られる。しかし、新進党最後の党首選で小沢一郎と争った鹿野道彦の支持を小沢一郎は渋っているようにも見える。海江田万里となると、これは玄海原発再稼働問題で菅直人と対立した「原発の守護神」だ。だが、政策なんか二の次三の次で、ひたすら「敵味方思考」しか行なわない小沢一郎にとっては、海江田万里という選択肢も「あり」なのだ。

なお、当ブログによくコメントする小沢信者が「小沢が推すのは実は横路孝弘ではないか」とする希望的観測のコメントを当ブログに寄越したことがあるが、そんな気配は全くない。トリウム溶融塩原発推進論者の小沢一郎は、そもそも「脱原発」論者とはとうてい言えないだろう。ボスに平沼赳夫をいただく「地下原発推進議連」に参加している鳩山由紀夫ともども、小鳩派もまた執行部系と同様の「原発推進or維持派」とみなすべきだ。

はっきり言ってしまうと、民主党代表選では「脱原発」は論点にはならない。看板だけは「脱原発」の馬淵澄夫や前原誠司(出馬説が急浮上している)を含め、名前の挙がっている全員が「脱・脱原発」派だ。

私は現在、佐野眞一が1994年に書いた『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫、2000年;単行本初出は文藝春秋、1994年)を読んでいる。ちょうど正力が奮闘して日本初の原子炉が稼働したところまでを描いた第12章と第13章を読み終えたところだ。文庫本で本文およそ1000頁にわたって描かれた長大な物語の4分の3にさしかかったところから、原発導入の物語が始まる。もちろん著者・佐野眞一の目を通した記述ではあるのだが、正力は決して政治的信念を持って原発を日本に導入したわけではなかった。正力とともに日本における原発の創始者と目される中曽根康弘にはまだ多少の政治的信念があったようだが、当時読売新聞社主から政界への進出を図り、衆議院選挙に初当選して自民党総裁の座を狙っていた正力松太郎にとっては、原発とは「次期総理・総裁にふさわしいスケールの大きな事業」でしかなかった。正力の読売新聞が展開した「原子力の平和利用」キャンペーンは、アメリカからメジャーリーガーを呼んで読売ジャイアンツを立ち上げ、阪神タイガースとの「天覧試合」でプロ野球を国民的人気スポーツにしたプロ野球事業と同じ手口で行なわれた。だから読売新聞というかナベツネ(渡邉恒雄)にとっては原発もプロ野球も同じ彼らの「私物」なのであって、その悪しき伝統がナベツネの今も引き継がれていることは、読売の原発報道とプロ野球報道を見ていればよくわかる。

プロ野球のジャイアンツ戦の方は、これも正力松太郎が創設した民放テレビ地上波のゴールデンアワーの枠からほぼ弾き飛ばされるほど人気が落ちたが、原発推進ないし維持派の勢力も、長期的視野に立てば間違いなく低落していく。プロ野球と原発のいずれにおいても「抵抗勢力」となっている。両者を私物化している以上は当然だ。

以後はプロ野球の話は持ち出さずに原発のみの話をするが、問題は政官業の中枢近くにいればいるほど、これまで惰性で進められてきた原発政策を「止める」のが難しいと皆が思うことなのだろう。だから、政権をとった民主党議員のほぼ全員が「原発推進・維持派」になるのである。

こう書くと、小沢・鳩山派には「脱原発」の森ゆうこや川内博史だっているぞ、との反論が(小沢信者から)返ってくるかもしれない。だが、なぜ彼らは「ポスト菅」に名乗りを上げないのか。党内野党の気楽な立場だったから「脱原発」が言えただけなのではないか。私はそう思っている。当選回数など関係ない。正力松太郎は年をとって政界入りするなり自民党の総理総裁を目指した。だが民主党小沢派ではそうもいかない。小沢一郎の意向が絶対であり、小沢に逆らうことは決してできないからだ。

原発を論点から外すとなると、民主党代表選で論点に設定されるのは何か。もちろん税の問題であり、特に小鳩派の気を引こうとする候補者たちは「増税反対」を訴える。一方財務相の野田佳彦は「財政再建至上主義」の立場に立つ。

後者の「消費税増税による財政再建論」には私は大反対だ。それは前々から当ブログでも言っている。しかし、復興財源としての所得税と法人税の増税は是非行なうべきだと思う。国債を増発しなければならないのは仕方ないが、東日本大震災という大災害を受けた被災地を支援するためには、考えられるあらゆる手段で財源を捻出する必要があり、そのために所得税と法人税を一時増税するのはオーソドックスな政策なのではないか。

ところが「増税反対派」は、不況に苦しむ日本経済に悪影響を与えるとして「復興財源としての所得税と法人税の一時増税」にまで反対している。これではまるでアメリカの「ティーパーティー」(茶会)の思想ではないか。あるいは少し前の小泉・竹中時代や中川秀直ら自民党の「上げ潮派」が好む「トリクルダウン」の考え方ではないか。

現在、アメリカでは著名投資家のウォーレン・バフェット氏が15日付の米紙ニューヨーク・タイムズに寄せた論説で、議会に「甘やかされ」たくはないと述べ、米政府は富裕層にもっと税金を課すべきだと主張して話題になっている(下記URL参照)。
http://www.cnn.co.jp/business/30003702.html

この記事にもあるように、米オバマ大統領は「金持ち増税」の構想を持っている。そのオバマを批判するのは野党・共和党の経済右派である茶会だ。だが、日本では与党・民主党の中に「茶会」的勢力があって力を増している。

「増税反対」や「減税」というと、東日本大震災・東電原発事故の前に当ブログが批判のターゲットにしていた河村たかしが思い出されるが、なにも河村たかしだけではない。小沢一郎も、民主党代表に就任して「国民の生活が第一」のスローガンを打ち出したあとも、「所得税と住民税の半減」を民主党代表選の公約に掲げようとしたことがあった(下記URLの森田敬一郎氏のブログ記事を参照)。
http://morita-keiichiro.cocolog-nifty.com/hatsugen/2006/08/post_439b.html

つまり、小沢一郎こそ民主党「茶会勢力」の中心なのだ。「日本版茶会」を批判する際には小沢一郎批判が欠かせないと私が強く主張するゆえんである。そしてその小沢一郎のたくらみによって、民主党代表選の主要な争点は「税」の問題になり、「原発」は置き去りにされそうな雲行きだ。岡田克也ら原発推進派の執行部にとっても、「税」はともかく「原発」が争点にならないことは歓迎だろう。

かくして、誰が民主党代表に選ばれようが、菅直人内閣と比較しても確実に数段階低劣な内閣が誕生することだけは確かなので、夏バテがますますひどくなる今日この頃なのである。
「地デジ移行狂騒曲」が不快な週末だったが、バカげたニュースばかりの政治のニュースの中でも、経産大臣・海江田万里のアホバカ発言が際立っていた。

まず、東電原発事故で線量計をつけずに復旧作業に当たった作業員を「日本人の誇り」と絶賛した件。以下asahi.comの記事より引用する。

「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛

 海江田万里経済産業相は23日のテレビ東京の番組で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の作業に関連し、「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」と明らかにした。「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛する美談として述べた。

 番組終了後、記者団に対し、線量計なしで作業した日時は確かでないとしたうえで、「勇気のある人たちという話として聞いた。今はそんなことやっていない。決して勧められることではない」と語った。

 労働安全衛生法では、原発で働く作業員らの健康管理に関連し、緊急作業時に作業員は被曝(ひばく)線量の測定装置を身につけて線量を計るよう義務づけられている。作業員らが被曝線量の測定装置をつけずに作業をしていたのなら、法違反にあたる。厚生労働省は、多くの作業員に線量計を持たせずに作業をさせたとして5月30日付で東電に対し、労働安全衛生法違反だとして是正勧告している。

(asahi.com 2011年7月24日0時15分)


これはいかなる文脈から切り取られた発言であろうが言語道断だろう。

また、同じテレビ番組での発言と思われるが、海江田はトルコへの原発輸出にも前向きな姿勢を見せた。こちらは毎日新聞記事より。


海江田経産相:原発輸出交渉 トルコに経産職員派遣へ

 海江田万里経済産業相は23日、テレビ東京の番組に出演し、原発プラントの受注に向けて交渉中のトルコに、近く経産省職員を派遣し、日本の原子力技術の安全性などについて説明することを明らかにした。菅直人首相は「脱原発依存」を打ち出したが、海江田経産相は原発輸出に力を入れる姿勢を改めて明確にした。

 海江田経産相は番組で、トルコや既に受注が決まったベトナムが、東京電力福島第1原発事故後も日本の原子力技術に期待しているとの認識を示し、「トルコに行って実際の技術をしっかり話して来てくださいと(指示した)」と述べた。

 原発輸出については、21日の参院予算委員会で、菅首相が「議論したい」との答弁を繰り返す一方、海江田経産相はベトナムやトルコに「特派でも派遣して説明する必要がある」と交渉を続ける姿勢を示していた。【和田憲二】

毎日新聞 2011年7月23日 19時06分(最終更新 7月23日 22時56分)


私は読売新聞はほとんど読まないので知らないが、先日の玄海原発再稼働の件で菅直人に「梯子を外された」海江田万里は、読売新聞や田原総一朗らの報道操作によって、国民の間に一定の同情を呼び起こしたらしい。図に乗った海江田は、掌に「忍」と書いて、そ掌を外に向けて手を高々と掲げる幼稚なパフォーマンスを行っていた。

図に乗った海江田の暴走はまだまだ止まらない。「経産省に情報開示を要請した菅首相に不快感を示した」とも報じられた。以下毎日新聞記事より。

菅首相:経産省に情報開示を要請 海江田氏、不快感

 菅直人首相が経済産業省に対し、電力需給などに関する情報を適切に開示するよう文書で求めていたことが23日、明らかになった。海江田万里経産相は同日、東京都内で記者団に「なんでそういう文書になっているのかよく分からない」と述べ、不快感を示した。

 文書は東京電力福島第1原発事故以降、電力需給が逼迫(ひっぱく)する中、経産省が提出してきた資料について、水力発電や自家発電の設備容量などをより詳細に示すよう求める内容で、首相の指示を受けて、国家戦略室が作成したものだ。首相が個別省庁に文書で指示するのは異例。同省の姿勢を問題視したもので、菅首相の不信感が表れたものと言えそうだ。

 海江田経産相は、「全部、資料を持って行って(菅首相への説明を)やってきた」と反論した上で、「(求められているのは)特に(自家発電などの)『埋蔵電力』のところなので、その資料を持ってしっかり菅首相と話してきたい」と、追加説明に応じる姿勢を示した。【和田憲二】

毎日新聞 2011年7月23日 東京夕刊


ここまでくると、もう菅内閣を崩壊させるための「自爆テロ」としか言いようがないだろう。同じく閣内で原発推進発言を繰り返す与謝野馨ともども、菅内閣の原発推進勢力の急先鋒が大爆発している形だ。

本来なら与謝野馨・海江田万里という「日本の恥・東京1区コンビ」は閣僚罷免相当だと思うが、菅直人もここ数代の内閣総理大臣同様閣僚の首切りには消極的だ。そして、与謝野や海江田を罷免せず、内閣支持率が下がるにまかせている菅直人を見ていると、いよいよ辞任の時期を明示するタイミングは近づいているなと感じる。一頃言われた「原発解散」はもはや全くあり得ない状況となった。民主党には「脱原発」派などほとんどおらず、今から大量の候補者をかき集めることは不可能だ。

政界がこんな状態に陥っているせいか、このところ「脱原発」側の言論も盛り上がらないと感じる。もはや「鼻をつまんで菅首相を支持する」程度では「脱原発」への道は開けない。共同通信の世論調査では、菅首相が打ち出した「脱原発」の方針への支持は70%(「賛成」31.6%、「どちらかといえば賛成」38.7%)に達しているが、菅内閣の支持率は17%と過去最低を記録した。そりゃそうだ。閣僚が次々と原発推進発言を行う内閣なんて支持できるはずがない。

思うのだが、民主党から「原発推進派」という垢を落とそうとして身体を洗い続けると、どんなに洗っても洗っても垢が次々と落ちていき、しまいには身体を洗っていた人は消え失せて垢の山だけが残るのではないか。つまり民主党全体が原発推進勢力で成り立っているのではないのか。

この期に及んで「小鳩派に政権を渡せ」と叫ぶ小沢信者も少なくないが、海江田万里が鳩山派の政治家であることを忘れてはならない。しかも、何度も書くけれども先の内閣不信任案騒ぎの際、小沢一郎と鳩山由紀夫は自民党の長老たちという札付きの原発推進勢力と手を結ぼうとした。あの時不信任案が可決されて、小鳩派と自公の連立政権が成立したなら、いとも簡単に玄海原発の最下位が認められたであろうことは火を見るより明らかだ。

小沢一郎事務所は、震災直後に予定されていながら延期していた政治資金集めパーティー(「小沢一郎政経フォーラム」)を8月に開催することにした。会費2万円也のこのパーティーで講師を務めるのは、少し前に「福島原発はアブナくない」と主張して鳩山派では珍しい脱原発派議員の川内博史と口論を繰り広げた副島隆彦だ。陰謀論者にしてレイシストとしても知られる副島のごとき人間を「講師」に招くこと一つとっても、小沢一郎の正体はあまりにも明らかだ。

「脱原発」を求める者は、菅直人も小沢一郎も頼ってはならない。私たち一人一人が「脱原発」をなしとげるんだ、という強い意志を持たない限り、「脱原発」が現実のものとなる日は到来しない。