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きまぐれな日々

5月の浜岡原発停止と今月の玄海原発再稼働中止で盛り上がった「脱原発」の機運も、空気を読もうとして「脱原発」を口にする人間が急増したこともあって争点がぼけてきた。

玄海原発の再稼働中止の影響は大きく、真っ先に原発を再稼働させるハードルは上がった。この先、東京電力が供給する電力が不足する事態はまず考えられないが、原発推進勢力は、原発依存度の高く、かつ近畿地方以外では保守が強い西日本から巻き返しを図っていくのだろうか。

政局だが、当初陰謀論の匂いが強いと思っていた「菅降ろしに原発の影」の話は、それを否定する材料が全然現れないどころか、仙谷由人一派や岡田克也らが「菅降ろし」に加担するようになり、しかも連中が揃いも揃って原発推進勢力だったため、ますますその確からしさが強まった。

菅直人の命脈は、ほぼ尽きつつあるように思われる。海江田万里との確執については、あまりに経産官僚の言いなりの海江田万里の主張は論外だとは思うけれども、最初に海江田が原発再稼働を言い出した時に菅直人がストップをかけなかった「初動の遅れ」が最終的に菅直人の命取りになったのではないか。もちろん、もっと問題だったのは先月の不信任案提出劇で菅直人が鳩山由紀夫と取り引きしたことだったけれど。

菅直人は、最初、海江田と同じ意見だと口にした。だが、後日になって玄海原発再稼働をひっくり返した。そのタイミングで九電の「やらせメール」問題を共産党が国会で取り上げ、玄海原発から再稼働が始まる原発推進勢力のもくろみは潰えた。

実は、海江田と経産省は菅直人に相談せずにことを進めたという話があとから出てきたが、世間の同情は菅直人に「梯子を外されて」目を赤くした海江田万里に集まり、菅内閣の支持率はさらに下がった。

菅直人は、8月6日に広島で「脱原発」のスピーチをして、その反応を見て場合によっては「原発解散」に踏み切るとの見通しが少し前まで語られていたが、もはや菅直人が何を言おうが内閣支持率が上がる状況ではない。終戦記念日後には菅直人は退陣時期を明言し、8月末(9月にずれ込むとの観測もある)には民主党代表選が行われ、9月には新内閣が発足すると思われる。「原発解散」はもはやあり得ない。

このところ日本では、9月に総理大臣が代わるのが恒例になっている。鳩山由紀夫だけはもっと早く潰れたが、菅直人の「粘り腰」で「9月の総理交代」に戻るのだろう。次の内閣も、発足当初はそこそこの支持率を得て、冬には失速し、春には「降ろし」の強風が吹き、来年9月にはまた総理大臣が代わるだろう。

ちょっと前まで、私は民主党の代表選が行われたら、「脱原発」を強く訴える候補が勝ち、次期総理大臣に就任するだろうと思っていたが、最近その考えを改めた。民主党の政治家で、他の政治家より「脱原発」を多少は前面に押し出しそうなのは、馬淵澄夫か細野豪志あたりだろうが、その彼らにしても、人気とりのためとはいえ、浜岡原発停止や玄海原発再稼働阻止を実行した菅直人ほどにも実行力はないだろう。そして、前原誠司は「脱原発」の争点化を阻止すべく(そう私は前原の意図を推測する)、一昨日の『報道ステーション』で「20年メドに脱原発」と口にした。その前原は、しばらく前には菅直人の「脱原発」は「ポピュリズム」だと批判していた。

それでは小沢派は「脱原発」候補を押し立てるのかというと、そんなことにもなるまい。当初、民主党執行部が早々と菅直人を降ろすとマスコミがミスリードしていた頃、小沢派が「増税を封印する」という条件と引き換えに野田佳彦を推すという観測が流れたことがあった。小沢派にとっては「増税阻止」が第一義で、原発問題は二の次ということらしいなと私は思った。

震災前、小沢派は名古屋の河村たかしを強く推し、当ブログはそれをずっと批判してきた。小沢一郎は今でも基本的に「小さな政府」論者なのである。2009年に民主党が掲げたマニフェストは「小さな政府」とは矛盾するのだが、おそらく小沢一郎には「秘策」があるのだろう。それは、「三人寄れば文殊の知恵」といった類のものに違いない。そういえば、菅直人も小沢一郎も「もんじゅ」の廃炉は全然言い出さないなと思っていたら、「みんなの党」に先を越された。このあたりが菅や小沢のKYなところだ。菅直人は、国会で「みんなの党」の江田憲司の質問に対して、やっとこさもんじゅの廃炉を含めた「議論を始めたい」などと答弁したらしいが、腰が重過ぎる。

最近では当ブログは「鍋パーティー」的話題を取り上げていないが、復興財源に所得税と法人税の一部増税を充てるという話がようやく出てきたことについては、私は当然の方向性だと考えている。この議論は震災直後からあり、東西ドイツ統一の際の「連帯税」に範をとるものだったはずだ。ところが、それを所得税や法人税ではなく、逆進性の強い消費税で賄おうとしていたのが与謝野馨で、その一方で「いかなる増税にも反対」とか「税金は罰金だ」などと唱えていたのが、東日本大震災前には飛ぶ鳥を落とす勢いだった河村たかし一派であり、それを支援してきたのが小沢一派だった。財政再建原理主義勢力と減税真理教勢力が不毛の論戦を行って結局何も進まない、税をめぐる議論は最悪だ。震災後、河村一派が支持を失い、与謝野馨も度重なる原発擁護発言などで閣内にも味方を失いつつあるのは良い傾向だ。おそらく、次の内閣に与謝野は入閣しないだろうし、入閣させてはならない。そして、次の総選挙では与謝野馨は絶対に落選させなければならない。与謝野を政界引退に追い込まなければならない。

ついつい「My大天敵」である与謝野馨や河村たかしへの批判のボルテージが上がってしまったが、小沢一派の話に戻ると、彼らに「脱原発の旗手」を期待するのは、それこそないものねだりだと私は考えている。小沢派で「脱原発」論者というと、タカ派で有名な森ゆうこか、軽挙妄動が目につく川内博史あたりだろうが、ともに「ポスト菅」ではあるまい。特に、川内博史は総理大臣はもちろん「政治家の器」ですらないと私は考えている。この男は、そのうち「トンデモ」とでもつるんでしまいそうな気がする。そう、あの浜田和幸のように。

こうして考えると、結局仙谷一派とも小沢一派とも適当に妥協できる無難な人物がとりあえず菅直人の後継の総理大臣になって、重厚長大産業が牛耳る経団連や、天下りのポストなどを手放したくない経産官僚にとってはより「御しやすい」内閣が発足するという以外の展望は持ち得ない。結局野田佳彦あたりが総理大臣になってしまうのではないか。想像したくないけれど。

この期に及んで「小沢さんなら何とかしてくれそう」と思っている「小沢信者」は多少は残っているとは思われるものの、その数は激減してきたようだ。ブログでも小沢信者の絶叫の声は次第に小さくなり、そんな中で橋下徹の地元近くから若干の毒電波が引き続き飛んできてはいるものの、それらのブログが発信する意見はほとんど相手にされなくなってきている。

「脱原発」は人まかせではなく、自分たちが進めるんだと思う人々が増えない限りは現実のものとはならない。このところ、毎度この同じ結論で記事を締めくくることが多くなった。このワンパターンも閉塞状況の反映かもしれない。
前原誠司が外相を辞任したが、当然であって特に何も言うことはない。政治ブログの世界はこの話題で持ち切りだろうから、この件については他のブログにお任せする。

名古屋の市議会解散に伴う出直し市議会議員選挙が先週末の4日告示されたが、「鍋パーティー」のブログ、「Nabe Party ? 再分配を重視する市民の会」に、mixiの「鍋党コミュ」のメンバーである、名古屋市民の「THE EDGE」さんが書いた記事「河村市長の減税をもう一度考えてみましょう」が今朝公開された(下記URL)。
http://nabeparty744.blog111.fc2.com/blog-entry-20.html

上記リンク先の「THE EDGE」さんの記事は、名古屋市民の方には、投票を前に是非ご参照いただきたいと思う。

ところで、この記事からは一昨年の千葉市長選で民主党の推薦を受けて当選し、最年少の政令都市首長として話題になった熊谷俊人市長が開設しているブログの2月7日付記事「愛知県知事選挙・名古屋市長選挙結果を受けて」(下記URL)が引用されている。
http://kumagai-chiba.seesaa.net/article/184734986.html

この記事で熊谷市長は河村たかしや大村秀章の「減税日本」が掲げた「市民税10%減税」の政策を批判している。その批判はまことにもっともなものだと思う。

ところが、このエントリはコメント欄が荒れている。25件のコメントがついているのだが、河村信者が乱入して熊谷市長を罵倒している。特に「木田茂夫」と名乗る人物のコメントはひどい。あまりに腹が立ったので、「鍋ブログ」に「THE EDGE」さんの記事を公開する前の昨日、「kojitakenの日記」で、「木田茂夫」を罵倒するエントリを公開した(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110306/1299383722

ここで言っておかなければならないのは、この「木田茂夫」は、副島隆彦や「アルルの男・ヒロシ」(中田安彦)、孫崎享、きくちゆみといった人たちに共鳴する「トンデモ」であり、特に副島や中田の影響を非常に強く受けていることだ。

そして、その副島隆彦は、来月27日に行われる「小沢一郎政経フォーラム」で講師を務めるのである。

副島は、一昨年4月に行われた福岡のコンサルタント会社「夢大陸」が主催する「お金の木セミナー」で講師を務めた。その動画が残っている(下記URL)。
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=1585011

こんな動画は見る気も起きないが、動画に「“Jay”と“David”のイシヤ内部分裂!? 」なる注釈がつけられている。ちなみに、「夢大陸」の主宰者で、「六本木の巫女」との異名をとる原知遥(原千春)は、今年1月に詐欺罪の容疑で逮捕された。「夢大陸」を検索語にしてGoogle検索をかけるとわかるが、植草一秀や田母神俊雄も「夢大陸」が主催するセミナーの講師を務めていた。

要するに副島隆彦や植草一秀など、トンデモの一味に過ぎないのだが、小沢一郎はそんな人間と堂々と手を組む。「ネット重視宣言」をして以来の小沢一郎は、本格的におかしくなった。もともとおかしかったが、タガが外れたという印象だ。小沢一郎は、もはや日本の政治にとっての「ガン」に成り下がった。熊谷俊人・千葉市長のブログを荒らした「木田茂夫」は転移したガン細胞といったところだろう。

それでは、間もなく倒れるであろう内閣の総理大臣・菅直人のほうはどうかというと、こちらももともとおかしかったが最近は常軌を逸している。特に与謝野馨を内閣に取り込んでからは、やることが自公政権と全く変わらなくなった。「規制緩和による経済の活性化」なる新自由主義のドグマにとらわれている。これは、河村・小沢一派がとらわれている「減税による経済の活性化」と並んで、典型的な新自由主義政策だ。要するに、「民主党A」も「民主党B」も、ともに新自由主義勢力なのである。

最近特にひどいなと思っているのが、菅政権が「事業仕分け」に続いて「規制仕分け」をしようとしていることだ。その一つとして、日本が世界をリードする技術を持っているリチウムイオン電池の安全規格の緩和だと知って、私はブチ切れてしまった。この件は当ブログで取り上げるのは初めてだと思うが、「kojitakenの日記」に「リチウムイオン電池の安全基準緩和の動きに激怒! 文系ネオリベの馬鹿野郎どもが技術立国・日本を滅ぼす」という長いタイトルの記事(下記URL)を書き、読者から一定の肯定的な評価をいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110302/1299074121

上記リンク先記事に追加するとしたら、現在の民主党政権はせめて70年代の自民党政権(田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳)並みには財界との緊張関係を持ってほしいということだ。また、経団連のボスどもに言いたいことは、お前らは70年代の経営者たちの爪の垢でも煎じて飲めや、ということだ。本当に今の政治・経済を牛耳っている連中の低劣さには腹が立つ。

私が何を思い起こしているかというと、マスキー法と呼ばれたアメリカの一部の州における厳しい環境基準をクリアする自動車を開発した、かつての日本の自動車メーカーのことである。現在でも、かつてより傾いたとはいえ日本の工業技術の水準はなお高い。日本のメーカーには、苛酷な安全規格をクリアするリチウムイオン電池を製造する能力がある。それなのに、民主党政府と財界は、厳し過ぎる安全規格が日本の電池の競争力を落とした、だから韓国のメーカーにシェアを抜かれた、などとして安全基準を緩和しようとする。

話が全然違うのである。日本の敗因は、厳しい安全規格を世界標準にしようとしなかった政治の無策にある。そもそも「安全規格」は、自民党政権時代の後期から民主党政権にかけてずっと続いている新自由主義政治の思想に反するから、政府は全然そんなことを考えもしなかったのだろう。その無策によって、日本のメーカーが持つせっかくの優れた技術力というアドバンテージをふいにしてしまい、日本のメーカーのシェアを落としてしまった。要するに、馬鹿な政府と経団連が、自ら「技術立国・日本」を傾けてきたのである。

とりわけ我慢がならないのは、総理大臣の菅直人が、弁理士の資格を持つ理系出身の政治家であるにもかかわらず、こんな馬鹿な政策を進めていることだ。前首相の鳩山由紀夫も理系だった。政権交代前には、民主党という政党の性格が新自由主義的であるにせよ、トロイカ3人のうち2人までもが理系の人間である民主党には、自民党と違って少しは日本の工業技術のためになる政策を行ってくれるのではないかと期待していたが、無惨に裏切られた。中国政府の要人には多くの理系出身者が占めるというが、日本では政権交代が実現して2代の理系出身総理が生まれても、政治を牛耳るのは相も変わらず文系の馬鹿ネオリベどもなのだ。そして、トロイカの残り1人である文系出身の「剛腕政治家」とやらに至っては、「『文系』も『理系』もない、俺は『トンデモ』や」の世界へと堕ちていった。

もう民主党につける薬はない。私は自公政権を復活させるだけの解散総選挙にはずっと反対だったが、今では解散も止むを得ないと考えている。民主党は下野して出直すほかはない。
2011.03.07 08:20 | 民主党 | トラックバック(-) | コメント(77) | このエントリーを含むはてなブックマーク
前回のエントリに盛り込もうと思って書き切れなかったことが一つあって、それは、「自民党政権にもやらなかったことを民主党政権がやっている」件である。

たとえば、ここ10年間漸減が続いた「思いやり予算」の向こう5年間維持もその一例だ。これに関していえば、アメリカ政府が、中国漁船衝突事件での中国の強硬姿勢などを理由に、「思いやり予算」を「対中戦略経費」と位置づけて、大幅な増額を要求してきた背景があり、結局5年間据え置きで妥結したものと見られるが、中国やロシア同様、アメリカも弱体化した日本の足元を見てきたものといえるだろう。

「思いやり予算」については、5日に放送された「日曜討論」において、内橋克人氏が「思いやり予算」が事業仕分けで「A判定」(問題はなく、削減しない)とされたことを批判していたところ、司会のNHK解説委員・島田敏男が「『思いやり予算』は俗語ですからね。これは駐留経費ですから、『思いやり予算』という言葉は使わないようにしましょう」などと口走った。なぜ島田がこんなことを言ったかというと、9月末にアメリカの高官が日本のメディアに対して注文をつけていたからであることがあとでわかった(下記産経新聞記事=共同通信配信=参照)。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100930/amr1009301008005-n1.htm

以下引用する。

「思いやり予算」の呼称変更を 駐留経費負担で米高官
2010.9.30 10:07

 米国務省の在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)交渉に携わる高官は29日、共同通信など一部の日本メディアに対し「思いやり予算」という呼び方は「時代遅れで、当てはまらない」と述べ、見直しを求める考えを示した。また日本が予算削減を検討していることについて「間違った方向だ。増額が適切だ」とし、日本政府に対し予算を増やすよう求めた。

 米国は厳しい財政赤字が続く中、軍事費削減が強く求められ駐留経費の負担増は難しい状況。日本側との交渉が本格化するのを前に、削減を目指す日本を牽制(けんせい)する狙いがある。

 同高官は「思いやり予算」の通称について「その呼び方が適切な時期もあったかもしれないが、われわれは『思いやり』の予算だとはみなしていない」と強調。「日本防衛費」や「日本防衛のために分担する経費」との呼び方が適切だとの考えを示した。(共同)


要するに島田敏男は、アメリカさまのご命令に唯々諾々と従ったわけであり、国辱ものとしか言いようがないが、これが「NHKクォリティ」なのだろう。植民地根性そのものである。島田は、ヘラヘラとアメリカにゴマをする卑屈な男だ。

島田への悪口はともかく、上記産経(共同)の記事にあるように、日本政府は、自民党政権時代もそうだったように、「思いやり予算」の減額を意図していたが、アメリカは逆に増額を求めた。で、その妥協点が「5年間据え置き」だったわけだが、だからといって民主党政権の努力を認めてやれ、とは私は言わない。なんだかんだ言って自民党政権でさえ減らしてきた「思いやり予算」の5年間据え置きは、外交の敗北である。

さらに、防衛大綱の件もある。前回の改定は2004年だったが、本来なら鳩山政権時代の2009年に見直されるはずだった。それを前首相・鳩山由紀夫が、連立のパートナーだった社民党に配慮して1年間先送りしたとされる。しかし、先送りした代わりに鳩山が発足させた「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が今年2月に開いた初会合において、鳩山は新防衛大綱の策定に関し「タブーのない議論をしてほしい」と要望した。北澤俊美防衛相もこの懇談会で「装備産業の基盤整備をどう図るか議論してほしい」と武器輸出三原則の見直しを要望した。

社民党のご機嫌をとるために大綱の改定を1年先送りしておきながら、それと同時に鳩山由紀夫はこんなことを言っていたのである。とんでもない二枚舌男であり、当時から鳩山は、いずれ沖縄の米軍基地移転問題で社民党を切り捨てることを念頭に置いており、社民党を切ってから防衛大綱を自分の思うように改定したいと思っていたのではないかと勘繰りたくなる。

朝日新聞が伝えるところに寄ると(18日付4面)、防衛費増額を強硬に主張する北澤俊美防衛相や前原誠司外相と、防衛費増額に難色を示す野田佳彦財務相らが連日激論をかわす中、菅直人首相はほとんど口を挟まず、武器輸出三原則見直しを大綱に明記するのを見送るよう要請したことが目立つ程度だったという。結局、武器輸出三原則見直しは明記されなかったものの、見直しの議論を継続することがうたわれた。菅首相の成果は、「見直し」と「見直しの議論」の違い程度のものだった。

それでも、『日本がアブナイ!』を読むと、麻生太郎内閣当時の自民党案や、(民主党でもかなり突出した軍事タカ派である)鳩山由紀夫らの構想と比較すれば穏健派である菅首相が、は今回の大綱で「専守防衛」「集団的自衛権の禁止」「武器輸出三原則」「非核三原則」の4原則を堅持したと評価している。

だが、新聞の社説を見てみると、全国紙は例によってムニャムニャした曖昧な論調だが、地方紙の中には今回の防衛大綱改定を厳しく批判するところが多い。北海道新聞信濃毎日新聞琉球新報という、北・中部・南の3紙の社説を例として挙げておく。

特に問題視されているのが「動的防衛力」という概念である。確かに、「動的防衛力」は「専守防衛」に反しているのではないかとは私も思う。

北海道新聞の社説は、下記のように書く。

 従来踏襲してきたのは「基盤的防衛力構想」である。脅威に直接対抗するのではなく必要最小限の装備で対処するという構想は自民党政権でも防衛力抑制の原則となってきた。

 これに対し動的防衛力という考えは脅威対抗型である。「力対力」の構図では軍拡競争を招きかねない。

(北海道新聞 2010年12月18日付社説「新防衛大綱 脅威あおる重大な転換」より)


信濃毎日新聞による批判は下記だ。

 初代の大綱を決めたのは東西冷戦期。2代目が冷戦終結後、3代目は01年の米中枢同時テロの後だった。時々の国際情勢がその内容に反映されてきた。前回は、テロなど新たな脅威への対応が必要との理由から「多機能、弾力的な防衛力」という考え方が登場してきたけれど、基盤的防衛力の基本的な考え方は残していた。

 ところが今回、それに代わる新概念が明記された。軍事活動を活発化させる中国などへの対応を念頭に置いた「動的防衛力」である。これまでの自衛隊の対処の仕方を見直し、活発な活動ができるようにすることを狙っている。

 「日本を米国のポチにする極めて危険な考え」?。元防衛庁幹部で、新潟県加茂市の小池清彦市長の言葉を思い出す。前回の大綱が基盤的防衛力の概念を弱め、自衛隊の海外活動を積極的に推し進めようとしていることを、こんな例えで批判していた。

 動的防衛力は、防衛政策の基本的な在り方を最終的に換骨奪胎する恐れがあるもの、と考えていい。「使える自衛隊」への脱皮を急いでいるようにみえる。

(信濃毎日新聞 2010年12月18日付社説「新防衛大綱 危険過ぎる政策変更」より)


琉球新報は、「動的防衛力」批判に加えて、沖縄への負担の増加を厳しく批判する。

 新大綱は南西諸島を含む島しょ部の防衛力強化を打ち出した。
 空自那覇基地はF15戦闘機を1・5倍に増やし、海自は南西地域の警戒監視に向け潜水艦やヘリコプター搭載護衛艦を整備。陸自は与那国、宮古、石垣島と想定される地域へ部隊配備する。
 一方で民主党がマニフェスト(政権公約)に掲げた日米地位協定の改定については触れていない。負担軽減の具体策は見あたらない。沖縄にとって米軍基地の負担軽減どころか、自衛隊の配備強化でますます過重な負担がのしかかることになる。
 新大綱は「我が国の存立を脅かすような本格的な侵略事態が生起する可能性は低い」と指摘している。にもかかわらず、日米同盟を「深化・発展させる」と記述し、情報、周辺事態、弾道ミサイル防衛などで協力を強化する。シーレーン(海上交通路)確保や宇宙、サイバー分野、気候変動分野の連携も盛り込んだ。
 何のために米軍と一体化するのだろうか。逆に周辺国は日本への警戒を強め、軍事力を増強する可能性が高まるだろう。米国への協力を強化すればするほど、自国ではなく同盟国の戦争に巻き込まれるリスクは増大する。「安全保障のジレンマ」に陥っている。

(琉球新報 2010年12月19日付社説「新防衛大綱 ソフトパワーこそ必要だ」より)


東京では、すっかり右傾化した朝日新聞がいまだに「左」扱いされたり、勇ましいだけの極右知事に12年も都政を担わせたり、あるいは大阪や名古屋でも新自由主義の旗を掲げる主張を府民や市民が熱狂的に支持するていたらくだが、地方における政権批判は都市部よりずっと厳しい。地方経済は、都市部と比較してずっと痛んでおり、それなのに防衛力強化にかまける民主党や自民党への視線はおのずと冷たいものになるのである。

仮に今回の防衛大綱で菅直人が示した態度が、麻生太郎や鳩山由紀夫よりマシだとしても、五十歩百歩のレベルでしかないと私は思う。小沢信者は、小沢一郎だったらそうはしなかったというかもしれないが、小沢一郎は集団的自衛権の政府解釈変更を主張する「解釈改憲派」であり、小沢政権だったらもっと突っ込んだ形になったのではないか。小沢一郎自身は民主党入りした時に横路孝弘と政策協定を結んだが、小沢派の主力である旧自由党の議員には軍事タカ派が多く、松木謙公にいたっては歴史修正主義者でさえあるし、森ゆう子もゴリゴリのタカ派である。

私は、小選挙区制を軸とした90年代の政治改革によって保守二大政党制が成立したことが、今日の惨状を招いたと考えている。特に、「左」側の勢力が社民党と共産党という2つの政党しかなく、両党とも党勢がすっかり衰えていることが、民主党や自民党の暴走に歯止めをかけられない原因になっている。かつて政治改革を「右」から推進した小沢一郎と「左」から推進した菅直人の罪は特に重いと思うが、選挙制度については稿を改めて別途書きたい。

とにかく気分の悪い年の瀬であり、来年はもっと悪くなるだろうと確実に予測できるだけに、気分が重くなる一方だ。
相変わらず「小沢・反小沢」の政局が続いている。1979年の自民党「40日抗争」より長く、いい加減にうんざりする。

外野では、あまりに「小沢信者」がうざいので、ついつい彼らの批判ばかり書いてしまうが、就任から半年を過ぎてもさっぱり成果が上がらない菅直人首相も批判しておかなければなるまい。

菅内閣が普天間基地移設問題で辞任した鳩山前首相の路線を受け継いだ以上、沖縄の米軍基地問題でこの内閣に何も期待できないのは当然だし、松下政経塾出身議員の支持を受けて総理大臣になったいきさつから、政策が新自由主義に傾いたのも予想通りだった。もっとも、小沢一郎も河村たかしを支援したりしているから、小沢なら良かったとはとてもいえない。

しかし、それでも最低限の期待だけはあった。それは、環境・エネルギー関係や取り調べの全面可視化、あるいは企業・団体献金の全面禁止などの政策だった。だが、「最低限」と思っていたそれらの期待までも、菅政権は裏切りつつある。

政権交代直後の一時期、当ブログの人気エントリだったのが、昨年9月25日付の「八ッ場ダムをめぐる謀略マスコミのとんでもない『やらせ』報道」だった。鳩山政権発足直後、前原誠司国土交通大臣(当時)が八ッ場ダムの建設中止を言明したのに対し、マスコミが猛反撃したのだが、当時よくテレビに登場した星河由起子という「一般市民」が実は、「長野原町議会ダム特別委員会副委員長」だったという話だ。だが、その後八ッ場ダム建設中止は、前原誠司の後任・馬淵澄夫国交大臣によって撤回された。マスコミのバッシングにもかかわらず、世論は八ッ場ダム建設中止支持の方が多かったにもかかわらずである。今、検索語「星河由起子」でネット検索をかけても、昨年秋当時の記事しか引っかからない。星河氏は、その後もダム建設推進に地道に活動していたと思われるが、その間民主党政権は何をしていたのかという問題だ。

無駄な公共工事を止めて環境を取り戻すというのは、鳩山由紀夫や菅直人など、「オリジナル民主党」の政党発足時からのウリだったはずで、菅直人は、鳩山政権発足直後の昨年9月18日には、「ダムは不要」の市民運動家・天野礼子さんと祝杯をあげている。当時、菅直人は天野さんにこう語った(下記URLの天野さんの記事を参照)。
http://www.the-journal.jp/contents/amano/2009/11/918.html

今日、総理官邸の中に、まず国家戦略室をつくりました。次の国会で法制化されると"国会戦略局"になります。三人で、お祝いしたかったのです。ワインを空けましょう。何のお祝いかというと、これは天野礼子が起こした"市民革命"なのです。だってそうでしょ。あなたが、岐阜の社民連の事務局長の村瀬惣一さんが細々とやっていた「金丸の河口堰」に反対する闘いに、1988年に火をつけ、国会の中に持ち込んで、1994年からは、日本に「日照権」を確立した辣腕弁護士の五十嵐さんも味方につけて、「長良川」を、"公共事業の悪しき図式"と闘う国民運動とした。

今、政権交代が成立して、見てごらんなさい。総理も「ダム反対」と言う、民主党や与党もそう言う、国土交通大臣も、あなたがずっと言い続けてきた「ダム反対」を言っているじゃありませんか。あなたは「建設省」という本丸をついに倒したのです。これが"市民革命"なんですよ。(後略)


今年2月6日には、天野さんは「長良川河口堰も撤去!」と題する記事にこう書いている。

長良川河口堰撤去は、私が今これ以上の行動をとらなくても、今年は秋に名古屋で「生物多様性条約締結国会議」もあり、必ずや民主党の政治的課題に挙がると信じて、「あえて」動かずにいるということです。


だが、課題が八ッ場から長良川へと展開するどころか、とっかかりに過ぎないと私も思っていた八ッ場さえ、政権は交代するていたらくだった。

最近では諫早湾開門の問題がある。これもオリジナル民主党が結党以来中心的な課題に挙げていた件で、菅直人は諫早湾干拓事業反対の急先鋒だった。長崎や佐賀など沿岸4県の漁業者らが、国を相手に堤防撤去や排水門開門を求めた訴訟の控訴審判決が先日あり、福岡高裁が一審に続いて諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の常時開門を命じたが、これに対して民主党政策調査会の農林水産部門会議が9日、参院議員会館で開かれ、福岡高裁判決について、民主党、農水省の側双方から「上告はやむを得ない」との考えが示されたという。
http://mytown.asahi.com/areanews/nagasaki/SEB201012090051.html

上記朝日新聞記事には、「小沢親衛隊」の急先鋒・松木謙公農水政務官も上告を容認する姿勢を見せたとある。環境問題に消極的なことに関して、小沢も反小沢もないというべきか、いや、むしろ自民党時代には土建業への利益誘導政治家だった小沢派の政治家らしいというべきかもしれない。諫早湾の件に関して、地元選出の福田衣里子の名前も聞かれないが、それもそのはず、彼女は「現時点では開門に反対」の立場をとっているのだ。まさに、「親小沢も反小沢もない」。民主党にはこんな政治家ばかりだ。

この問題では、最近論調がすっかりおかしくなった朝日新聞でさえ、7日付で「諫早湾干拓―開門を決断するときだ」と題する社説を掲載している。岸井成格が主筆に就任して以来、「大連立」を容認する記事をしばしば掲載するなど、完全におかしくなった毎日新聞も、朝日より2日遅れの9日に、「諫早湾判決 政治の責任で開門を」と題する社説を掲載した。毎日の社説の後半部分を下記に引用する。

 この諫早湾干拓事業は、一度始めたらとまらないとされてきた大型公共事業の代表例だった。コメの増産という当初の目的はコメ余りを受けて変わったのに事業は継続した。

 これを野党時代の民主党は痛烈に批判してきた。政権交代後、政府・与党が検討委員会を設け、今年4月には開門調査を妥当とする報告書を当時の赤松広隆農相に提出した。

 しかし、菅内閣発足時に赤松氏が再任されず、後任についた山田正彦前農相が、開門に反対している長崎県選出であることもあってか、開門へ向けた動きはとまってしまった。

 野党時代に「無駄な公共事業の典型」と強調していた菅直人首相は、判決に対し「しっかり政府として検討していきたい」と語っているものの、これまで指導力を発揮した形跡はうかがえない。

 党内での意見の取りまとめができず方針が定まらない。その結果、結論を先送りする。そんな民主党の姿が政権交代以降、繰り返されてきた。諫早湾の堤防問題についても同じ経路をたどっているように映る。

 判決を受けて、政府は開門調査を実施する方向に動き始めたようだ。しかし、逆に上告についても検討しているという。

 群馬県で建設が進められていた八ッ場ダムについても中止の方針が棚上げされた形になったことも含め、ふらついているように見える。菅政権は公共事業改革を本気で実施する覚悟があるのか。はっきりした形で示してもらいたい。

(2010年12月9日付毎日新聞社説「諫早湾判決 政治の責任で開門を」より)


この社説に出てくる山田正彦は、自民党から新生党、新進党、自由党を経て民主党入りした人物で、要するに小沢一郎系列である。前述の松木謙公といい、小沢系の政治家は環境問題には消極的だ。福田衣里子が開門反対の立場をとって、地元の支持者を落胆させていることにも、小沢系の先輩政治家が影響を与えているのかと勘繰りたくなる。

それならばなおのこと、菅直人は上告断念を政治決断すべきではないのか。現状のような党内抗争を繰り広げていては、国民は親小沢も反小沢も支持しない。1年ちょっと前の自民党と同じように、「民主党」という看板だけで、「あ、これはダメ」と判断されるだけだ。

これは、取り調べの全面可視化、企業・団体献金の全面禁止、情報公開の推進など、他の政治課題についてもいえることで、菅政権は何もしないから全く評価されない。党内で軋轢が生じようが、総理大臣・党代表のリーダーシップで前進すれば良いのである。それは、小沢派との違いを国民に印象つけることにもつながるだろう。

それさえもできないのであれば、菅直人は退陣に追い込まれても仕方ない。
菅直人政権がマスコミによって「死に体」宣告を受けてから、もう1か月ほどになるだろうか。またしても、渡邉恒雄、森喜朗、小沢一郎といった面々が、「大連立」を睨んで蠢いている。菅直人首相もそれに加わっているかもしれない。

まずナベツネだが、自民党の谷垣禎一総裁に、「大連立」を持ちかけたらしい(下記asahi.comの記事参照)。
http://www.asahi.com/politics/update/1208/TKY201012080371.html

谷垣氏、渡辺恒雄氏と会談 「大連立」めぐり意見交換

 自民党の谷垣禎一総裁は8日、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長・主筆と党本部で会談した。関係者によると会談は渡辺氏側が要請。同席者はおらず、2人だけで約1時間話し合った。渡辺氏は福田政権時代に浮上した自民、民主両党の大連立構想に深くかかわっており、谷垣氏とも大連立について意見交換した。

(asahi.com 2010年12月8日19時16分)


8日に首相官邸で行われた自民党の森喜朗元首相と菅直人首相との会談で、「大連立」が話し合われたのではないかと勘繰るのは時事通信である(下記リンク先記事参照)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010120800948

「大連立」の動きか=菅・森会談で自民に波紋

 自民党の森喜朗元首相が8日、菅直人首相と首相官邸で会談し、同党内に波紋が広がった。森氏は福田政権下の2007年秋に起きた民主、自民両党による大連立構想の仲介役。菅政権の苦境を踏まえ、実現に向け再び動きだしたとの見方が多いが、党内には反発も強い。(後略)

(時事ドットコム 2010/12/08-23:41)


一方、こうした動きに不快感をあらわにしているのが小沢一郎である。小沢は、「大連立なら俺が本家本元」と思っているだろうから、「イチ抜き大連立」を目指しているかに見えるナベツネやシンキローの動きに心穏やかであろうはずがない。朝日新聞によると、小沢は大連立と分党の可能性を口にしたという(下記asahi.comの記事参照)。
http://www.asahi.com/politics/update/1208/TKY201012080108.html

小沢氏、両院議員総会の開催促す 中堅通じて首相側牽制

 民主党の小沢一郎元代表は7日夜、東京都内で会食した党中堅議員に対し、「近く両院議員総会を開催するべきだ」と語り、党執行部に開催を要望するよう求めた。菅直人首相の政権運営に不満を持つ議員らが公然と異議を唱える場作りを指示したことで、「脱小沢」路線を進める首相側を強く牽制(けんせい)したものとみられる。

 会食の複数の出席者によると、小沢氏は12日投開票の茨城県議選に触れ、「仮に大惨敗すれば地方組織から不満が噴き出す。自分は動けないが、君たちが動いて地方の声を代弁するため、(党執行部に)両院議員総会の開催を求めて欲しい」と話した。「菅直人首相、仙谷由人官房長官のコンビでは政権が成り立たない」とも述べ、仙谷氏の交代の必要性も示唆した。

 さらに小沢氏は、自民党との大連立や民主党の分党にも言及。「今の党執行部は、自民党と主義主張が違うので大連立も出来ない。自分は大連立も分党もやる覚悟があるが、まず、君たちに動いて欲しい」とも語ったという。(後略)

(asahi.com 2010年12月8日11時32分)


ネットでは小沢信者たちが、「空き缶が与謝野と会った」、「空き缶がシンキローと会った」、すわ大連立だ、と騒ぐが、3年前に小沢がやろうとして未遂に終わった大連立は「良い大連立」であり、現在菅直人がやろうとしている大連立は「アメリカの指示による」などとほざいている。あほらしい。菅直人(や鳩山由紀夫)には、「自社さ政権」の過去があるが、小沢一郎には、もっと罪の重い「自自連立」と「自自公連立」の前科がある。私に言わせれば、菅直人と小沢一郎は、ともに自民党と「大連立」を組みかねない、信用できない政治家であり、菅直人の大連立も小沢一郎の大連立も、ともに「悪い大連立」である。白い猫だろうか黒い猫だろうが、自民党にすり寄る猫は悪い猫なのだ。

個人的な話をすると、東京に来てから団塊世代の中産階級の人と接する機会がかなりあるが、彼らの大多数は自民党など支持していない。期待を寄せた政権交代に裏切られたと怒るものの、自民党政権に戻ってほしいという声はほとんど聞かない。それより上の階級の、いわゆる「エスタブリッシュメント層」の多くが、今も変わらず自民党を支持しているのと鋭い対照をなしている。団塊世代の中産階級の人たちは、小沢一郎より菅直人を支持する傾向が強く、外交・安全保障政策では比較的ハト派で、尖閣ビデオ流出問題や自衛隊の「暴力装置」問題で、なぜ仙谷由人が批判され、自民党など野党に辞任を求められているのか理解できないという。菅政権の経済政策に強い批判を持つ私も、その部分では同感である。一方、非正規雇用の問題や、沖縄の米軍基地の問題ではおおむね冷淡であり、これが「都市部リベラル」の限界だろうと思える。

一方、マスコミ、特にみのもんたがやっているTBSとか、テレビ朝日の朝のワイドショーっぽい番組は、団塊世代の中産階級と比較しても相当に「右寄り」の度合いが強く、これが世論を動かしているように見える。「右寄り」というのは、外交や安全保障の問題もあるが、経済政策における新自由主義への親和性が際立って高い。テレビ朝日の河村たかしへのお追従など、呆れ返るばかりの露骨さである。こうして、かつての国民政党からいまや支配層のための「階級政党」と化した自民党への支持を、支配者層の一員であるマスコミ人たちが誘導していく。

今日は、民主党政権がなぜつまずいた上、傷口を広げたのかを、『世界』2011年1月号に掲載された飯田哲也氏の論考「新政権の環境エネルギー政策はなぜ逆噴射したか」を引用しながら論じるつもりだったが、裏ブログの方で政治以外の件にちょっと熱中しすぎて、時間がなくなったので、詳細は次回以降に回すことにする。とはいえ、ブログで環境エネルギー政策の問題を取り上げると、「反戦」や「平和」の話題どころではなく極端にアクセス数が減るので、記事は裏ブログに回してしまうかもしれない。内需の拡大という観点からも、再生可能エネルギーの開発はもっと熱心に論じられてしかるべきだと私は思うが、アメリカでオバマ人気の低下に伴って「グリーンニューディール」があまり言われなくなると、日本人もそれに追随してしまうのだから、情けない限りである。小沢信者の少なからぬ人々に至っては、「地球温暖化陰謀論」にはまって、池田信夫(ノビー)と共闘する始末であり、その「反知性」ぶりには、空いた口が塞がらない。そんなことだから、今年もまたCOP16で「化石賞」を受賞したのである。おかげで、当ブログの昨年6月12日付の記事「不名誉な『化石賞』を受賞した日本と、それを報じない読売・産経両紙」へのアクセスが増えた(笑)。今回は、上にリンクを張った通り、読売新聞もきっちり報道している。

飯田氏の記事について少しだけ書くと、民主党政権の環境エネルギー政策のつまずきは、鳩山政権の発足直後の無策が最大の原因だった。さらに注目したのは、民主党の政策に見られる極端な原子力への傾斜について、自民党では経団連の影響を受けた同党の政治家の主張のを官僚が抑えて、原子力を突出させないようにしていたのが、政権交代前の民主党の政策においては、官僚の干渉を受けない分だけ、電力会社や電機会社の御用労組の影響を受けた民主党の政策に原子力突出が目立ったという飯田氏の指摘である。昨年の総選挙に向けてのマニフェストで、その原子力の突出を抑えた民主党議員は、岡田克也や福山哲郎だったとのことだが、彼らは鳩山政権で外務大臣と同副大臣に転出してしまった。これらの指摘を読むと、「政治主導=善、官僚主導=悪」、「親小沢=善、反小沢=悪」という、小沢信者の単純な「善悪二元論」のバカバカしさを改めて感じる。官僚は、政治家や財界(御用労組を含む)に歯止めをかける必要がない、と思えば、簡単に暴走を容認するだけのことだ。

環境エネルギー政策でも、目立つのは、電力会社や電機会社の御用労組とつながりの深い「旧民社の害毒」であることはいうまでもない。「広島瀬戸内新聞ニュース」が、「民主党の『民社化』進みて、ネオリベ巻き返す」と題した記事で、「菅首相の支持基盤である大都市リベラルは『一周遅れ』、旧民社は『二周遅れ』、自民党は『三周遅れ』」と書いているが、納得できる喩えだ。一方、「親小沢か反小沢か」で敵味方を区別する小沢信者は、「ハーメルンの笛吹き」に導かれて、あさっての方向に歩き出している人たちであるといえる。彼らの言うことを真に受けることは、百害あって一利なしである。現に彼らの多くは副島隆彦に導かれて河村たかしを支持している。今朝の朝日新聞3面には、「橋下・河村連合が始動」という見出しが踊っている。いまや、小沢信者の多くは新自由主義の先兵と化している。

最近、新自由主義の主張が再び強まってきたことを感じさせられたことを一つあげておく。7日のNHK「日曜討論」に、土居丈朗なる「経済学者」が出演して、新自由主義むき出しの主張をしていたのだが、その土居が4年前に書いた文章をその当時に批判した「うさたろう」さんのブログ記事「『貧乏人は故郷を捨てろ』か。」が、今になって注目されて、多数の「はてなブックマーク」がついたものの、土居を支持してブログ主を批判するコメントをつけた人が非常に多かったことだ。明らかに、2年前や3年前とは空気が違う。小泉政権から安倍政権初期の頃に、空気が戻ってしまっている。いや、当時以上に、政治思想では右翼国家主義、経済思想では新自由主義の力が増している。気が滅入る一方の年の瀬である。
このところ、「鍋党」そっちのけ尖閣ビデオ流出の件や仙谷由人の「暴力装置」の件ばかり取り上げることになってしまっているが、私にとってはこの2件は「合わせ技一本」みたいなものであり、尖閣ビデオを流出させた海保職員(海上保安官)を「逮捕しないでくれ、処分しないでやってくれ」と叫んだり、仙谷由人の「暴力装置」発言に「自衛隊の隊員たちも決していい気持ちはしない」、あるいは「命懸けで国土を守る自衛官への冒涜だ」などと叫ぶ、俗情に流された意見が世論の大勢を占める状態には、それこそ「日本がアブナイ!」と感じてしまう。

特に後者の件で、常日頃「反戦平和」を旗印にしている人たちまでもが、仙谷由人の「失言」と表現している件にも失望させられる。つい数年前まで「護憲」を掲げていた朝日新聞(撤回したという話は聞かないから、今でも建前上は「護憲」なのだろう)が、「『暴力装置』の表現は、かつて自衛隊を違憲と批判する立場から使用されてきた経緯がある」などとミスリードするものだから、「左の朝日がそんなことを書くくらいだから」とばかり、国民の大多数がその方向に流れてしまっている。

だが、朝日新聞が「左」だの「護憲」だの「進歩的」だの「リベラル」だのという時代はとっくに過去のものになっている。既に経済政策に関しては、10年も前から新自由主義志向の強い「経済極右」的傾向を顕著に示してきた朝日だが、最近は政治思想的にもすっかりおかしくなった。「『暴力装置』の表現は、かつて自衛隊を違憲と批判する立場から使用されてきた経緯がある」なんて嘘は、読売新聞でさえ書かない。他にそんなことを書くのは、夕刊フジ城内実くらいのものである。

それもそのはず、自衛隊(や警察)を「暴力装置」と呼ぶのは、別に左翼の専売特許でも何でもなく、政治を論じる場合の基本的な了解事項だ。石破茂小林よしのり池田信夫(ノビー)、植草一秀(ミルトン・フリードマンの信奉者)といった、そうそうたる「右」の論者も、こぞって「自衛隊は暴力装置」だと主張する。それが当たり前だからだ。

世耕や朝日新聞などに騙されて、Twitterで

マックス・ウェーバーによる「暴力装置」とは「軍隊・警察は国家権力の暴力装置である。国家から権力奪還するためには社会の中に新たな暴力が組織化されなければならない」と暴力革命を是とし、国家は悪であるとの認識では?仙谷官房長官がこの考えであれば、マルクス主義から脱却していないの?

などとつぶやいた自民党参院議員の佐藤正久は、誤りを指摘されてこれを訂正し、

マックス・ウェーバ?が暴力革命を是とするとした呟きは誤りでした。取り消せて頂きます。ご指摘ありがとうございました。

と書いた。無知は褒められないが、誤りを訂正する態度だけは評価できる。本記事の初めの方で書いた、「命懸けで国土を守る自衛官への冒涜だ」とは、自民党総裁・谷垣禎一がTwitterに書いた言葉だが、谷垣は佐藤正久とは違って訂正も何もしていない。この男は世襲政治家だが、やはり世襲政治家にろくな人間はいない。こんな男に自民党総裁が務まるのだから、自民党も堕ちたものである。

そもそも、仙谷由人自身、護憲派ではない。明文改憲論者である。石破茂とは、政治的スタンスにさしたる違いはない。一昨日(20日)に書いた「kojitakenの日記」の記事にいただいた、kemouさんのコメントに、的確な指摘がなされているので、以下引用する。

kemou 2010/11/21 01:08

仙谷に対する批判として「仙谷は(元)左翼だから、ウェーバーと同じように暴力装置という言葉を使った石破とは違い、自衛隊を貶す意味で使ったに違いない」というものがあります。そこで気になったので仙谷が過去にどのように「暴力装置」という表現を使ったか彼のサイト内を検索してみました。すると以下の3つの文章が出てきました。

http://y-sengoku.com/06/00/00112901.html
http://y-sengoku.com/06/05/051003.html
http://y-sengoku.com/06/04/040308.html

一番上のURLから一部引用しますと「権力の背後には物理的な強制手段があります。これは警察力、軍事力を独占することで、国家権力にさせる、というのが近代主権国家であります。(略)中央集権的な国家権力以外に、警察力、軍事力を持つことができないというのが、明治維新政府の、疑似近代国家と言ってもいいでしょう。そういう近代国家というのは、物理的な強制手段、暴力装置を独占するというところに、徴税権や裁判権の現実的な機能を担保する根拠があるわけです」とあります。

これは完全にウェーバーのそれと同じで、左翼云々とは無関係ですね。
さらに仙谷はこれらの文章でそれに続けて憲法の中に自衛隊が存在する根拠を書くべきと、
憲法9条を変えることに言及し、さらに護憲論への批判も少なからず加えています。

これらを見ると「(元)左翼云々?」は完全に的外れで、
石破との一致性のほうがより際立ってきます。

どうも右側の(中の馬鹿な)人達は「仙谷=社会党出身」ということにばかり惑わされて、
仙谷由人に対して実態とはかけ離れた攻撃を加えてるように思えます。


日頃から「反戦平和」を訴える人間であれば、仙谷が石破と同様の政治的立場をとる人間であることをとらえて、仙谷を批判すべきだと思うが、それどころか「命懸けで国土を守る自衛官への冒涜だ」などと情緒的につぶやく谷垣禎一に対する批判さえもできず、仙谷由人の発言を「失言」と言ってしまう、書いてしまうようではダメだ。政治学では当たり前の用語を「言葉狩り」してしまう今の日本はとてもアブナイ。そうは思わないか。

まさにこの文章を書きながら、柳田稔法相の辞任(後任は仙谷由人が兼務するとのこと)を知ったが、柳田稔の発言は弁護のしようのない「失言」であるのに対し、仙谷由人の「暴力装置」は失言ではない。むしろ、筋の悪い批判を行った世耕弘成こそ強く批判されるべきだ。この批判があまりに筋が悪かったことは、安倍晋三、平沼赳夫、稲田朋美らでさえ騒いでいないことからも明らかであり、バカみたいに騒いでいるのは、石原慎太郎や城内実など、極右政治家の中でも軽薄な連中だけである。だが、その軽薄な主張が多数の国民の心をとらえている。

どんどん台頭してくる極右言論に対する対抗言論があまりに弱すぎる。頭の痛い問題である。


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前回のエントリには、思わぬ大きな反響があったようだが、実は先月末頃から今週初め頃まで、ここ数年ではもっとも調子が悪い日々が続いていて、せっかくmixiの「鍋党」コミュニティを発足させたというのに、不活発をきわめていた。そのせいなのか、『龍馬伝』を見たあとに続いてNHKスペシャルを見たせいなのか、Nスペのキャスターの姓を「坂本」だとばかり思い込んでいて、記事でもそう表記していたのだが、正しくは「城本」だったことを、前回のエントリにTBいただいた『ニコブログ』の記事で知った。同ブログのエントリ「NHKスペシャル『862兆円 借金はこうして膨らんだ』 詳細メモ&感想」(下記URL)に、私が散々悪態をついた番組の内容が文字起こしされているので、興味のある方はご参照いただきたい。
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-1634.html

キャスターの城本勝氏には失礼なことをしたと遺憾の意を表したいが、『ニコブログ』の記事にあるように、番組内容はひどいの一語に尽きた。妙にやつれて、戦時中の「銃後の妻」を思わせた首藤奈知子アナとのコンビは本当に最悪で、もう二度とこのコンビのNHKスペシャルは見たくないと思えた。

個人的には、ようやく最低の調子が続いた日々を脱し、気力を取り戻しつつあるが、世間は尖閣ビデオ流出の件で大騒ぎになっている。特に憂慮すべきは、ビデオを流出させた神戸の海上保安庁職員が英雄扱いされている風潮である。

このビデオ流出騒ぎは当初、陰謀論系ブログ左翼と石原慎太郎(笑)が「アメリカの陰謀だ」という陰謀論を唱えていたが、私は最初から海保のセキュリティ管理がいい加減だったからビデオが流出したのだろうと思っていた。どうやらその通りだったようだ。USBメモリあたりを使って持ち出したんじゃないかとも思っていたが、これまたその通りで、今時職場のコンピュータからUSBにファイルを落とせるようになっていること自体、信じ難いセキュリティの甘さだが、役所である程度以上の役職についている人間だったらありそうなことだとも思う。こんなのは法律で罰則を強化する以前の話だ。

それにしても頭が痛いのは、国内に高まる反中の機運が、海保職員を「英雄」視するムードを作り始めたことだ。私は朝はNHKニュース(おはよう日本)、夜はテレビ朝日の報道ステーションを見るのが日課だったが、最初に書いた少し前までの体調不良によって、ここ最近は朝のNHKニュースをほとんど見ていない。だから知らなかったのだが、NHKは海保職員に味方するような報道ぶりらしい。テレビ朝日の方はそこまでひどくはないのであまり気づかなかったが、前のエントリで書いたNHKスペシャルといい、NHKが急速に右翼化しているのだろうか。

もちろん、自民党やその支持者、右翼らは攻勢に出ているし、なぜか小沢信者の一部か相当数かは知らないが、自民党や右翼に同調する動きも見られる。過激な新自由主義者として知られる藤沢数希の言説を引用して菅政権を攻撃した小沢信者もいるし、某有名ブログのコメント欄に掲載された告知からは、佐藤優、副島隆彦、植草一秀にかぶれたあげく小沢一郎を信仰するようになった小沢信者の信仰告白が読める(昨日の『kojitakenの日記』を参照)。佐藤優は安倍晋三とイスラエルを支持する政治思想極右であり、副島隆彦はリバタリアンを自称して河村たかしを熱烈に支援する新自由主義者であることはいうまでもない。

彼らに比べれば橋下徹の方がまだマシで、産経新聞の報道によると、橋下は「本人には気の毒だが、公務員は政治家の決定に従うべきだ」、「僕はどういう理由があったとしても、公務員が政治家の決定に従わなくてはならないと思う。そこが崩れたら政治行政は成り立たない」、「非公表を決めた責任は民主党政権が取るべきだ。そうした大きな判断も公務員に委ねると、政治が回らなくなる」などと語ったそうだ。河村たかしはこの件で何か言ったことがあるだろうか?

この橋下発言を報じたのが産経新聞ということで思い出したのだが、ビデオを流出させた海保職員に大阪の読売テレビがインタビューしている。私は、今回の流出が神戸で起きたと聞いた時、嫌な予感がした。今回の発言では右翼や小沢信者よりまだマシだったとはいえ、橋下徹が英雄視されている関西。神戸は兵庫県だが、他の近畿各府県と同様、テレビのエリアは大阪発の広域エリアに属する。

当ブログは、日曜日になるたびに、昨年3月のエントリ「新保守主義と新自由主義が一体となった『たかじん』の番組」へのアクセスが一定レベルあるが、かつて同番組のネットエリア内に住んでいた私は、読売テレビが日本でももっとも右寄りの放送局であることを知っている。他にも、土曜日の朝に辛坊治郎がやっている全国ネットの番組があり、これもひどく右寄りだが、たかじんの番組はもっとひどい。あの番組をご存じない首都圏のリベラル・左派の方は幸運だ。せっかくの休日に不快な思いをするリスクがそれだけ少ないのだから(もっともエリア内でも見なければ良いだけの話ではあるが)。

そんな読売テレビの記者が、問題の海保職員と接触している。早くも海保職員には、田母神俊雄の向こうを張る右翼のスター誕生かという呼び声も聞こえてくるほどだ。

一昨年には、NHKは田母神を英雄扱いなどしなかったと記憶する。ところが今回は海保職員を擁護するような論調なのだとすると、それだけ日本社会の右傾化が急速に進んでいるということなのだろう。

今回の事件では、5.15事件(1932年)から2.26事件(1936年)へと至った過程との類似を指摘する声も聞かれる。現在、時の政権への批判の声も強まっているが、現政権でもっとも強く批判されるべきは、「大きな政府」の方針を示そうとしない経済政策についてだろう。ネット右翼や小沢信者はよく「マスゴミ」という言葉を使うが、マスコミにも見るべき記事はあって、たとえばTPPの問題に関しては、11月7日付朝日新聞に、農業保護に使われる政府支出が、日本はEUと比べてはもちろん、アメリカと比べても際立って少ないことを示すグラフが載っているが、日本がTPPに参加すると、農作物の国内価格を高く維持できなくなる分、政府の農業保護額が大きくなることが示されている。つまり、「大きな政府」への覚悟なくして、TPPへの参加などできない。ところが、菅政権にそんな覚悟など全く感じられない。

だからといってTPPに参加しない選択肢をとれば、政府支出など必要なくて、「減税日本」で「小さな政府」にすれば日本は良くなる、などというお花畑も望めない。再分配が行き届かなくなって、日本の社会は血液が全身に回らないような状態になってしまった。それは、「サービスの大きな政府」に転換すべき時期(田中角栄が「福祉元年」とうたった1973年以降)に、石油ショックもあったけれども、それ以上に新自由主義が時代の流行となって、日本政府はとるべき方向と正反対の政策をとってしまったことが間違いなのであって、小沢一郎が『日本改造計画』を書いた頃ブレーンとしていた大蔵官僚の思想も、その間違った新自由主義思想に基づいていた。その流れを汲むのが河村たかしの「減税日本」なのである。

菅直人首相がTPPに積極的な姿勢を示したのは、この件への取り組みを支持した前首相・鳩山由紀夫の路線を踏襲したものでもあるが(鳩山は、その責任者だったにもかかわらず、「政局が第一」の発想のみによってTPP参加反対を主張しているが、元からTPP参加に反対していた民主党議員らは鳩山を白眼視しているそうである。鳩山とは見下げ果てた男である)、経団連の強い意向によるものだろう。一方で法人税減税を強く求めながら、政府支出を増やさなければならないTPP参加も強く求めるとは、経団連はいったい何を考えているのか。そればかりではなく、租税特別措置を見直して法人税減収をさせないなら、法人税減税なんてお断りだとほざく経団連こそ、日本の財政赤字拡大の超A級戦犯だと私は思うが、NHKの番組は決してそんなことは言わない。せっかく法人税減税はおことわりだと経団連の方から言ってくれているのだから、政府は法人税減税をせずに課税範囲の拡大だけをやって法人税の増収を図るべきだと私は真面目に考えている。

「鍋党」の方向へと話がそれそうだから元に戻すが、経済政策では強く批判されるべき菅政権だが、今やその菅政権を「弱腰」として政治思想上の「右」側から攻撃するのがトレンドになっていることは問題だ。経済政策からいっても、公共サービスは、昔の高度成長時代の企業による福利厚生や、それ以前の共同体による助け合いでまかなえばよいと考えるのが保守の考え方だが(安倍晋三が昭和30年代を描いた漫画『三丁目の夕日』を好む心性を持っていることを思い出されたい)、それ以前に火遊び大好きな安倍晋三や麻生太郎は危険すぎる。小沢信者のみならず、民主党内でも極右やタカ派を多く抱える小沢派や鳩山派による政府批判が、彼ら保守というより右翼を助ける事態を、私は恐れている。

そもそも鳩山由紀夫は明文改憲論者であり、小沢一郎は解釈改憲論者なのだから、外交・安全保障政策では(でも)決してほめられない菅直人よりさらに「右寄り」なのだが、なぜ護憲派を自認する人たちが彼らにシンパシーを抱くのか私には全く理解できない。なんだかんだいって普天間基地移設問題で現行案に回帰したのは鳩山政権なのだ。

仙谷由人や前原誠司の悪影響が目立ち、何をしたいのかさっぱりわからない菅直人の印象も悪く、全く頼りない菅政権は、今後も期待はできないけれども、それに代わるのが政界再編を経ての右翼政権だったり、それを支えるのが民主党の小沢派や鳩山派であるのでは、菅政権よりもっと悪い政治が到来するだけだと私は思うものである。


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普段新しい記事を公開しない日だが、あまりに腹が立つので特別に記事を公開することにする。当初『kojitakenの日記』向けに書き進めていたが、長くなったこともあって、こちらでの公開に切り替えた。

鳩山由紀夫の件である。次の総選挙で政界を引退するという、6月に首相を辞めた時の発言を、鳩山は撤回した。

小沢信者が言う「真実を伝えるメディア」である『日刊ゲンダイ』も鳩山由紀夫をかばい切れなかった。普段、「ゲンダイ相手にせず」を信条にしている私だが、「ゲンダイ」とは信じられないまっとうな記事なので、禁を破って紹介する。
http://gendai.net/articles/view/syakai/127102

鳩山前首相 「引退撤回」のKYぶり

自民の老害政治家と同じになってしまう

 この男は、いったい何を考えているのか。鳩山前首相である。24日、訪問先のベトナム・ハノイで記者団に対し「議員を続ける方向に気持ちが傾いてきている。まだ決めていないが今年中に結論を出す」と話したというのだ。

 今年6月の首相辞任時に「首相を辞めた人が影響力を行使しすぎてはいけない。次の総選挙には出馬いたしません」とテレビカメラの前で明言し、次期衆院選に出馬せず政界を引退する考えを示していた。

 その後、地元後援会の会合で、11年春の統一地方選のころを目安に結論を出すと、先送り発言。そして今回の“続投宣言”である。

 鳩山は続投の理由について「民主党の状況が思わしくない。自分なりの役割を投げ出していいのかという、いろいろな声をもらっている。自分の判断を前向きに変えないといけないかなと思う」と、党を思っての行動だとしている。

 いやはや、KYにもほどがある。

「9月の代表選直前に、トロイカを主張して、菅と小沢の仲介役にしゃしゃり出たものの、結局まとめることはできなかった。その後、中国漁船衝突事件が起きると、“私だったら事件直後に、この問題をどうすべきか中国の温家宝首相と腹を割って話し合えた”と発言し、ひんしゅくを買った。最近は首相特使や前首相の肩書で中国、ロシアやベトナムなど海外を飛び回っていますが、この人の復権を期待している人はほとんどいませんよ」(政界関係者)

 鳩山の引退撤回に対しては、早くも野党から「いやしくも首相だった人が自らの進退について発言したことを翻すのは国民の信頼を損なう」(公明党の山口那津男代表)と批判が出てきた。野党にとっては民主党政権を攻撃する新たな材料となったわけだ。

 いつまでも権力に未練たっぷりでは、自民党の老害政治家と変わらなくなってしまう。

(gendai.net 2010年10月25日)


『ゲンダイ』でさえこれだから、ozw信者言うところの「マスゴミ」の代表格・朝日新聞はもっと辛辣だ。

「引退撤回―新たな役割期待したのに」と題した10月26日付社説では、下記のように書いている(引用箇所前後の部分を省略)。

 鳩山氏には議員の資格がない、というのではない。

 ただ、鳩山氏は政界引退を表明するにあたり、「総理たる者、その影響力を、その後、行使しすぎてはいけない」と語っていた。

 自民党政権時代、首相を退いた政治家が陰に陽に政界に影響力を及ぼすことは珍しくなかった。それだけに、この鳩山氏の言葉には、首相経験者の新たな身の処し方を示そうという自負と潔さが感じられたものだった。

 鳩山氏は政権交代前にも、自民党の森喜朗、安倍晋三両元首相を念頭に、「総理まで極めた人」のふるまいが「政治の混乱を招いている」と批判し、自らはその道は採らないと述べていた。それは、確固たる信念ではなかったのだろうか。

(朝日新聞 2010年10月26日付社説より)


私は、鳩山由紀夫には議員の資格がないと思うが、朝日新聞は社説ではそこまでは書かない。だが、同紙4面に記事が掲載された西山公隆記者の意見は、社説よりはるかに厳しく、私にも共感できるものだ。

asahi.comには出ていないようなので、手打ちで紹介する。

資格なし、政界引退を

 私たちは、かくも言葉の軽い政治家を一国の指導者に担いだものである。鳩山氏の引退撤回発言に、私はあぜんとするほかなかった。政治家にとって最も大切な出処進退の決断で迷走。これでは首相もおろか、政治家としての資格もない。

 政策をめぐる発言が迷走して鳩山氏が内閣総辞職に追い込まれた6月、私は首相官邸に詰め、右往左往ぶりを目の当たりにしてきた。鳩山氏は首相辞任を表明した時、歴代首相がほぼ例外なく行ってきた辞任会見に応じなかった。私は「国民に背を向けた」と紙面で批判した。一方で、政界引退の決断は評価していた。

 自民党政権では、首相が辞任後にキングメーカーとして君臨し、不透明な形で影響力を及ぼす例が続いてきた。鳩山氏の決意は政権交代を機にそれを断ち切り、政治文化を転換させる試みだった。自らの「政治とカネ」の問題や、突然の辞任で政界を混乱させたことに対する、最高権力者としての責任の取り方でもある。私は、層解釈していた。

 ところが、鳩山氏は半年もたたぬうち前言を翻した。

 民意による政権交代で首相になった鳩山氏の言葉は、政治への信頼に直結する。まして鳩山氏が掲げた民主党のマニフェストの信頼性が国会論戦の大きなテーマになっている。鳩山氏の振る舞いは、民主党全体の信頼にまで及ぶ。

 鳩山氏は「党の状況が思わしくないので、自分の役割を投げ出していいのかと考えた」と引退撤回の理由を語った。これは逆である。いまや鳩山氏が党の足を引っ張ろうとしているのだ。

 民主党への信頼を取り戻すため、為政者の言葉の重みを国民に示すため、鳩山氏は約束を貫いてこのまま政界を去るべきだ。

(朝日新聞 2010年10月26日付4面掲載 西山公隆記者の署名記事)


朝日新聞の4面には、西山記者の署名記事のほか、「辞めるのや?めた 軽すぎる」「地元も不信」という見出しで、鳩山由紀夫への批判を大々的に展開している。

同紙によると、たとえば野田正彰・関西学院大教授(精神病理学)は、「恵まれた環境に育ち、優柔不断の性格で政治をやってきた。引退撤回も非常に情緒的な意思決定だ」と分析し、さらに鳩山由紀夫が代表選で菅直人支持から一転して小沢一郎支持に転じた理由が「首相にしてくれた恩返し」だったことについて、「私情と政治判断を混同していることに気づいていない。彼はこれからも同じことを繰り返す。この程度で政治家になれるのか」と厳しく批判している。

呆れたことに、年は鳩山由紀夫より若いが、「KY道」にかけては大先輩である、あの安倍晋三までもが「総理の発言があまりにも軽くなってしまう。3カ月くらい前の発言だから、多くの国民は驚くだろう」と発言している。3カ月どころか、前の日に行った所信表明演説をなかったことにして総理大臣の座を投げ出したことを、安倍晋三は忘れているのだろう。

6月の鳩山由紀夫の引退発言は、こんな安倍晋三(や森喜朗)のような人間がいつまでも政界にのさばり続けていることに対する、痛烈な批判になっていた。だから、鳩山内閣の業績をほとんど評価しない私でさえ、鳩山由紀夫の政界引退発言だけは、高く評価していた。

だが、歴代首相の中では他に安倍晋三くらいしか比較する対象が思い浮かばない「引退撤回」KY発言は、単に民主党の足を引っ張るのみならず、政界に害毒を流している安倍晋三らの行動を正当化し、彼らを勇気づけるものになった。安倍は、鳩山を批判しながら、内心でほくそ笑んでいるに違いない。

鳩山由紀夫の政界引退撤回は、このところの政界ニュースの中でも、とりわけ不快だった。

鳩山由紀夫よ、お願いだから、やめるのやめるのやめてくれ。政界をさらに混乱させようとしたことの責任をとって、直ちに議員辞職してくれ。こう言いたい。


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「日本共産党を日本共生党に!」と叫ぶ異端の共産党支持ブログ、『BLOG BLUES』が「菅首相だろうが小沢首相だろうがどっちだっていい、問題は自分が首相ならどうゆう政治を行うかだ」と書いている。同ブログは「高福祉高負担の政治を望む」と主張している。

私も、繰り返し当ブログで書いているように、「高福祉高負担」の政治を望んでいる。2007年に安倍晋三率いる自民党が参議院選挙で惨敗した時、ようやく「小さな政府」を目指す、小泉・竹中・安倍の時代が終わり、社民主義が復権へと踏み出すかと思われた。しかし、昨年の衆院選前、鳩山由紀夫も菅直人も橋下徹に秋波を送り、橋下は橋下で小沢一郎にすり寄った光景などを見た時、民主党に「高福祉高負担」の政治は無理だと思うようになった。だから、民主党が圧勝する選挙を目前に控えた昨年8月には、既に心が重くなっていた。一方その頃、「小沢信者」たちは大勝利に狂喜乱舞していた。

今でもよく覚えているのは、民主党、国民新党、社民党の連立協議の時、「小政党はつべこべ言わず民主党を圧勝させた民意を重視せよ」、要するに「国民新党と社民党は民主党の言いなりになれ」と、かつて「野党共闘」を声高に叫んでいた人たちが言っていたことだ。要するに、彼らのいう「野党共闘」とは、民主党独裁、小沢一郎独裁と同義だったのである。

財務相に菅直人が就任したのは1月で、菅氏は直ちに神野直彦・東京大学名誉教授を税制専門家委員会の委員長に招聘した。当ブログでも繰り返し紹介したように、神野氏はまず所得税・法人税の課税範囲拡大や所得税の累進性強化などで直接税による税収を増やし、「小さな政府」を目指すのであれば税収はそのまま直接税を中心とするが、「大きな政府」を目指す場合は税収が不足するので、環境税の創設や消費税の増税によって不足分を補うという道筋を示した。神野氏自身は「大きな政府」志向と見られ(ご自身ではほどよい規模の政府がよいと書かれていたと記憶するが、現在の日本政府よりははるかに「大きな政府」になる)、将来的な消費税増税を視野に入れていると見られる。

ところが菅直人は、上記のような道筋をねじ曲げて、消費税増税を先行させるために専門家委の議論を利用しようとした。今となってみては、そうした結論にしかならない。その過程では、松下政経塾出身者や旧民社、経団連や大企業の御用労組などの圧力に菅直人が屈したのだろうが、政治は結果がすべてであり、菅直人は弁護できない。財務相就任当時には法人税率引き下げに難色を示していたという菅直人は、今では代表選に向けた街頭演説で「企業を出て行かせないための法人税減税」を大声で叫ぶまでにもなった。

これが菅直人の限界である。東京都武蔵野市という、首都圏でも屈指の金持ちの街を選挙区(東京18区)とする菅直人では、東京に本社を置く大企業の男性正社員のニーズに応えるくらいがせいぜいで、この枠組の外にいる人たちのための政治はできない。

では小沢一郎はどうか。「国民の生活が第一」というスローガンを掲げれば選挙に圧勝できることを2007年の参院選と2009年の衆院選で示したのが小沢一郎の功績だった。私は、こんなスローガンを掲げたからには「サービスの大きな政府」への道を民主党は進むほかはないと思うのだが、現実には菅直人も小沢一郎も「ムダの削減」を叫ぶばかりで、将来のビジョンを示さなかった。

菅直人の場合、新自由主義と福祉国家の中間をとる「第三の道」(のちに、土建国家でも新自由主義でもない「第三の道」に軌道修正した)をスローガンとしては掲げたが、小沢一郎の場合はそれさえもなく、「大きな政府」を目指すか「小さな政府」を目指すかさえ明確にしてこなかった。

こう書くと、小沢信者は「小沢一郎は大きな政府、小さな政府などというつまらないことではなく、国民主権の政治を目指しているのだ」と言うが、反論になっていない。国民主権の政治を実現するためには、高福祉高負担の「大きな政府」路線をとるのか、低福祉低負担の「小さな政府」路線、すなわち小泉・竹中路線をとるのか、はたまた低福祉高負担の「たちあがれ日本」路線(与謝野馨は消費税増税と「小さな政府」を同時に主張している)をとるのか。小沢一郎はそれさえ示してこなかった。

ビジョンを示さないのは小沢信者も同様であり、「小沢先生が日本を正しく導いてくださいます」という、どこぞの民主党若手議員と同じようなことを日々唱和している。彼らの司令塔的存在である植草一秀が「良い小さな政府」を理想としていることは、当ブログで何度も紹介した。要するに小泉・竹中路線であり、それにもかかわらず植草一秀が小泉純一郎を支持しなかったのは、天下り全廃などの政策を小泉純一郎がとらなかったからだという。植草は、それらの条件が満たされれば「小泉構造改革」を支持すると明言していた。

2000年代初頭において、植草一秀が安倍晋三と結構親密だったことは、植草の著書『知られざる真実』を読めば知ることができる。安倍晋三は、小泉の人気取りに利用されたために小泉路線を踏襲させられたが、本来経済政策はどうでも良くて、狂ったような改憲志向しか頭にない。安倍は、古き良き家族制度などを理想としているだけの人間であり、2006年末の朝日新聞で星浩が喝破した通り、安倍晋三の本音は「反小泉」なのである。そんな安倍晋三とウマが合う植草一秀が、小沢信者たちの旗を振り続けた。

4年前、安倍晋三が統一協会系の大会に祝電を送った件を暴いて、私が「政治ブログ」の世界に足を突っ込むきっかけを作ってくれたカマヤンさんが、

かつて「安倍END」でリンクしていた政治系ブログの多くが今回小沢一郎支持だったようで、「え?」と私は思った。

と書いているが、「AbEnd」には、かつて小沢一郎の掲示板に書き込んだら返事をもらえたというブロガーや、昔、『日本改造計画』を読んで感銘を受けたという保守的なブロガーや、大の共産党嫌いで植草一秀の大ファンだというブロガーなどがいた。特に、「AbEnd」ブロガーで最初に植草一秀を持ち上げたのは、論敵を「日共」呼ばわりすることが大好きな、病的なまでの反共ブロガーだったことを想起したい。彼のロジックは、おそらく「安倍は許せても日共は許せない」というものだったに違いない。だから、安倍晋三と親和性の高い植草一秀に対して何の違和感も持たない。そういう人たちが持ち上げた植草一秀への信奉を、「自End」中枢のブロガーに吹き込んだ何者かがいて、これがきっかけになって彼らの「植草信者化」が進行したと私は見ている。「小沢信者化」はそれよりかなり古く、2007年の参院選で民主党が大勝した前後からだろう。その直後に起きた「大連立騒動」でも彼らの大部分は小沢一郎を弁護し、小沢一郎は民主党代表を辞任せよと主張した私は少数派となった。

話を小沢一郎に戻すと、代表選の論戦が始まり、ようやく小沢一郎は北欧モデルは無理だろうと語った。つまり、高福祉高負担の政策はとらないことを示したが、これは容易に予想されたところだ。菅直人だって、かつて念頭に置いていたという北欧モデルはもはや目指さない。

かえすがえすも残念だったのは、「北欧モデルは日本には合わないが、フランス、ドイツ、イギリスにならって『大きな政府』の政策をとれ」と日頃から主張している榊原英資氏が、フジテレビの小沢・菅両候補の討論会に同席したのに、両候補にどういう政府をとるのか質問する機会がなかったことだ。司会者がその機会を与えなかった。司会者は、「小沢さんにはしばらくおとなしくしてもらった方が良い」と言った菅直人が小沢一郎に対して謝意を表明するかどうか、などというどうでも良いことではなく、両候補のビジョンを聞いてほしかった。

政策論で小沢一郎が当初打ち出した「一括交付金による財源捻出」は、すぐに「小泉・竹中の『三位一体改革』の再現で、社会保障切り捨てだ」という批判を招いて、小沢一郎は社会保障費は削減しないと軌道修正したが、一番選挙への影響が大きい日曜日に、フジテレビでもNHKでも「一括交付金化によって3割4割の削減が可能だ」と力説したことは、地方の票を逃す原因となった。

さらに、選挙戦の序盤で「所得税・住民税の大幅減税」を打ち出そうとしたことも、小沢一郎が本音では今でも「小さな政府」志向ではないかという疑念を招いた。一部の小沢信者は、苦し紛れにこれを「景気対策の一環ではないか」と言っていたが、『日本改造計画』に書かれ、2006年の代表就任時や、2007年の参院選前の公約に盛り込もうとした(結局いずれも引っ込めた)小沢一郎が、そんな短期の政策として住民税・所得税の減税を掲げるはずがない。これは恒久減税であり、その後には必ず消費税の大増税がやってくる。事実、小沢一郎は消費税増税を何度も主張してきた政治家であり、2007年の参院選前にも消費税増税を口にしている。

つまり、小沢一郎のもともとのビジョンは、「小さな政府」でありながら直接税の税率を抑え、税収は消費税など間接税で賄うというものである。かねてから金持ち減税を声高に唱えてきたナベツネが「大連立」における自民党のパートナーとして見込んだだけのことはある。

今回の民主党代表選は、そんな小沢一郎の矛盾が噴出した選挙だった。だから小沢一郎に勢いが得られず、「弱い現職」である菅直人を崩すことができなかったのである。参院選で菅直人に「ノー」を突きつけた地方が、代表選ではその菅直人と比較してさえ小沢一郎に「ノー」を突きつけた意味は、あまりにも重い。論理的に言えば、「地方は菅直人を否定した」というロジックを、もはや小沢信者は使えないはずだ。もっとも論理を突き抜けているからこその「信者」であり、彼らが何を言い出すかわからないのだが。

現在深刻なのは、格差や貧困の問題である。松下政経塾、旧民社、経団連、大企業御用労組にがんじがらめにされた菅直人政権にはほとんど何も期待できないが、格差や貧困の解消を目指す者たちが、いつまでも小沢一郎ごときに頼っていてどうする。今求められるのは、「第一の道」(旧来自民党)である小沢一郎でも、「第二の道」(新自由主義)である菅直人でもない、社会民主主義的な「第三の道」である。そう私は言いたい。


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民主党代表選で小沢一郎が惨敗した。

参院選で民主党代表として戦って惨敗した菅直人に、小沢一郎が惨敗したのである。

国会議員票で200人対206人。ポイントで400対412。しかし、ほぼ議員数に比例する地方議員票では40対60、さらに小選挙区制をとる党員・サポーター票では、得票率は40対60ながらポイントでは51対249。まさに小沢一郎の惨敗だった。

私は、「菅直人が勝った」とは言わない。菅直人は、選挙戦の最初から最後まで、「消極的な支持」しか得ることができなかった。要は、さほど強くない現職。しかも、参院選では惨敗している。

しかし、そんな菅直人に小沢一郎は勝てなかった。

これは、「マスゴミ」のせいなどではない。小沢一郎自身が、現職の菅直人に取って代われるだけの魅力を、国会議員、地方議員、一般の党員・サポーターに示すことができなかった。これがすべてである。

よく論評されるように、左派・リベラルのネットワーカーの小沢一郎支持が目立った。そればかりではなく、岡留安則、佐高信、魚住昭、江川紹子、池田香代子ら、リアルの「リベラル・左派」文化人たちの間にも小沢一郎への信仰は深く浸透してきた。

中でも、「小沢信者」の弱点をよく示しているのが池田香代子氏の文章である。比較的最近になって政治に関心を持つようになったという池田氏をあげつらうことには気が引けるところもあるが、政治に関する彼女の文章はあまりにひどいので、これを批判した私の裏ブログ『kojitakenの日記』の記事へのリンクを張っておく(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100912/1284275386

なんといっても気になるのは、「反英米」の小沢一郎なら「敵の敵は味方だ」という論法に従って小沢一郎を応援するかも、という池田香代子氏のメンタリティだ。池田氏が翻訳したヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』のどこをどう読めば、こんなに陳腐にして危険な発想が出てくるのだろうか。10年前、『ソフィーの世界』を読んで、とても楽しい時間を過ごさせてもらった私の思い出を完膚無きまでにぶち壊すひどい文章だ。

最近とみに感じることだが、小沢信者にとっての「アメリカ」とは、ネット右翼にとっての「特亜三国」と同じではないのか。「特亜三国」に対して挑発的な言葉を繰り返し発する安倍晋三、平沼赳夫、城内実らに肩入れするネット右翼と、「小沢さんでなきゃアメリカに対抗できない」などという幻想を持つ小沢信者はどこが違うのか。よりにもよって、ヴィクトール・E・フランクルの名著『夜と霧』を翻訳した池田香代子氏がこんな落とし穴にはまってしまうとはと、私は大きなショックを受けた。小沢信者にとっての「アメリカ」は、ナチスドイツ信奉者にとっての「ユダヤ人」でもあることに気づくべきだ。現に、ネットにおける「小沢信者」と「ユダヤ陰謀論者」はかなりの重なりを見せる。アメリカに対する正当な批判は必要だが、無力感をすべてアメリカ金融資本のせいにする陰謀論は有害であり、1997年に亡くなったフランクルは、草葉の陰で「こんな人に私の著書を翻訳してほしくなかった」と思っているのではないか。

植草一秀の文章にいたっては、全くの論外であり、今さら何も書きたくはない。しかし、民主党代表選で小沢一郎が惨敗した翌日の記事だから、植草の駄文(下記URL)も少し紹介しておく。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-9b62.html

 党員・サポーター票は、小選挙区ごとに、49対51の得票率でも0対1ポイントで計算される。僅差で菅直人氏が勝った選挙区が多かったため、ポイント数に大きな差がついた。
 
 そして、より重大な点は、この党員・サポーター票に不正が介在する余地が極めて大きかったことである。投票を保管した倉庫から、小沢一郎氏に対する投票を一部抜き取れば、今回の代表選結果を得るということも、完全に否定できる想定ではない。
 
 仮に不正がなかったとしても、国会議員票は49対51、地方議員と党員サポーター票は40対60であった。したがって、菅直人氏圧勝、あるいは大勝は事実と異なるのである。


特に赤字ボールドで示した部分など噴飯ものである。

植草は、かつて小沢一郎の経済政策に影響を与えたエコノミストといわれていたが、現在では小沢一郎とは無関係だろうと私は考えている。おそらく、小沢一郎を商売に利用しているだけだろう。現在の植草のブログを見ていると、益より害の方が圧倒的に多い。とりわけ、ブログで小沢支持者を扇動し、「信者化」させた害毒の大きさは計り知れない。植草一秀もまた、ユダヤ陰謀論者と平気で共闘している。

「小沢幻想」とでもいうべきものの害毒は、国会議員にも及んでいる。今朝(9月15日付)の朝日新聞を見ると、「『小沢先生が導いてくださる』といった若手議員の声も聞こえてきた」(「天声人語」)とか、「1年生議員が『小沢さんなら官僚主導を変えてくれる』と言う」(渡辺勉の署名記事)などと書かれている。渡辺勉は、普天間基地移設問題に関して「日米合意」を支持する文章を書いた右派と思われる記者であり、私は好まないが、その渡辺勉よりも、意気地のない菅直人政権よりも、もっと危険なのが小沢一郎を「救世主」として崇め奉る風潮である。そして、民主党若手議員の中には「小沢信者」としかいいようのない人たちもいることが今回の代表選で示された。これはもう政策論争以前の問題だ。

今では「小沢信者」に転んでしまったネットワーカーの中には、かつて辺見庸の文章の魅力を力説していた人が何人かいる。その辺見庸が地方紙に載せたエッセイ「ツユクサの想い出 直腸熱39度の孤独」の文章の一部を、ネットで知った。

貧しい老人が熱中症で死んだ。遺体の腸の温度は39度。その4日後、

国会議員らが百数十人も「研修」と称して軽井沢の緑陰にあつまった。涼風で風邪などひかぬように上着を着けて、よく冷えた地ビールやワインを飲みかわし、「キアイダー、キアイダーツ!」とげびた声をあげて、こぶしを宙につきあげたりした。

議員たちは貧者のくらしに役立つなにを研修したというのだろう。

研修というのなら、全員そろって死んだ老人の木造アパートにおもむき、順ぐりにせんべい布団にあおむいてみて、死んだ人が腹が39度の熱をたもっていた厳酷無比のわけを、とくと探求すべきだった。

しかし、老人が熱中症で死んだ部屋と軽井沢の涼しい風景のつなぎ目がどこか、さがしても結局は見えはしない。

つなぎ目もなにも、2つの風景は交わることがない。ふつうと異様に境界はもうない。

老人が死んだ日の熱い夜、シャモの卵黄みたいに赤黄色い弦月がぽかっとあがった。

ツユクサはみんなで合掌した。

老人の腹はあのとき、いくらか冷えていたのだろうか。

(辺見庸「ツユクサの想い出 直腸熱39度の孤独」(2010年9月14日付中日新聞夕刊に掲載)より)


辺見庸は「キアイダー、キアイダーツ!」とげびた声をあげた国会議員たちに対する怒りの文章を書いたが、同じ軽井沢の集いに狂喜乱舞し、

皆で「カンけり遊び」でもすればさらに盛り上がったのではないかと思われる

と書いたのは植草一秀である。その植草に小沢信者たちは盲従している。彼らは、気づいてみれば辺見庸からはるか遠く隔たってしまった。

もういい加減に目を覚ます時だ。私は何も菅直人を支持しているわけでも何でもない。菅直人の直近の経済政策には非常に問題が多く、菅氏の再選によって日本経済が大きなリスクを抱えることを憂慮するものでもある。だから、この代表選でもいっそのこと小沢一郎が勝って、直近の景気対策として菅直人より少しはマシな政策を実行してもらうとともに、「小沢幻想」を小沢一郎自身の手によって粉々に粉砕してほしいと思ったし、当ブログにもそう書き続けてきた。

しかし、文化人や国会議員にも及んだ「小沢信仰」の広がりを見るに及んで、考えを改めた。今回の民主党代表選は、菅直人の再選で止むを得ない。

朝日新聞に、300選挙区における党員・サポーターの得票が出ている。小沢一郎が勝ったのは、青森、岩手、富山、石川、福井、沖縄の6県だけであり、鳥取、長崎でイーブン、あとはすべて菅直人が勝っている。このうち、沖縄は小沢一郎のリップサービスが功を奏したものだろう。しかし、小沢一郎は鳩山由紀夫に何の影響力も及ぼさなかった。北陸にはどんな事情があるのかはわからないが、中国・四国・九州の民主党員は、小沢一郎には心を動かされなかった。特に、2007年の参院選で四県すべて民主党が勝った四国では、小沢一郎は全滅した。そりゃそうだ、軽井沢の豪邸で「キアイダー」の掛け声をあげる姿は、「国民の生活が第一」からあまりにもかけ離れている。

さらに私が注目するのは、東京・千葉・埼玉で小沢一郎が善戦したことだ。小沢一郎が沖縄などを除く地方で支持されず、都市部で支持を増やしてきたことは、どう解釈すべきなのか。私は、都市部から「小沢信者」が増えてきているのではないかと邪推している。

朝日新聞を見ると、社説などが「反小沢」で一貫しているのに対し、前述の政治エディター・渡辺勉の記事は、少し毛色が変わっている。一日も早く挙党態勢を築くことが政権党の責務だとする渡辺は、

小沢氏の「政治とカネ」の問題にけりがついたら、財務相など主要閣僚で起用したらどうか。

と提案しているのである。

なるほど、これは良いアイデアだ。小沢一郎を主要閣僚につけることは、有害な「小沢幻想」の広がりを抑えることにも役立つ。菅政権の支持率は下がるだろうが、経済関係の閣僚に小沢一郎を起用することは、小沢一郎の退路を断つことにもつながる。菅直人には、是非この案を真剣に検討してほしい。

もっとも、小沢一郎の昔からの持論である「所得税と住民税の大幅減税」(要するに金持ち減税)なんかをやられてはたまったものではないけれど、菅直人は「高額所得者に対する所得税の負担増」も視野に入れているそうだから(今朝の朝日新聞6面による)、そこは菅直人に抑えてもらえばよい。そして、菅直人がもくろむ不況下の消費税増税については、逆に小沢一郎に菅直人を抑えてもらえばよい。

要するに、菅直人と小沢一郎の政策の悪いところをそれぞれ排除していけば、民主党政権も今までよりは多少ましになるかもしれない。そして、政府を監視して圧力をかけていくのは、われわれ市民の役割だと思う今日この頃である。


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