これは、櫻井よしこのトンデモ発言を 「kojitakenの日記」で取り上げたためだ(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080810/1218343896
櫻井の発言は、加藤智大が起こした「秋葉原連続通り魔事件」について論じた8月10日のテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」で飛び出した。
ところで、昨日のエントリについた「はてなブックマーク」の最初のコメントで、p_wizさんという方から、
という批判を受けた。文章構成から見て、特定の発言のみをクローズアップして印象を操ろうとする、情報操作の臭いがプンプンする。どこかに番組全体の記事起こしか動画をアップロードしている所はないかな?
だが、この批判は妥当ではない。そもそも、コメントをつけた人が番組を見てさえいなかったことは明白だ。私は、関心のあるテーマを扱った討論だったので見ていた。櫻井の当該発言に呆れ返って、それ以降注意が散漫になったのは確かだが、討論自体は最後まで聞いていた。そして、櫻井の当該発言は、ある部分だけを切り取ったものではなく、櫻井の主張の核心部分だったのである。番組のテロップにも映し出されていたほどで、放送前の打ち合わせの時から、秋葉原事件の原因を日本国憲法に求める櫻井の主張を、番組がクローズアップしようとしていたことは明らかだ。もちろんそれは櫻井との合意のもとになされたことだったはずである。
p_wizさんも求めていた、番組に出たコメンテーターたちの発言を要約したブログ記事が公開されているので紹介する。
『JEIの退職日記』より 「日本の劣化現象」
(2008年8月11日)
http://pub.ne.jp/newjei/?entry_id=1583344
上記ブログによる櫻井の発言の要約は下記の通り。
「昔は自分は殺しても(=自殺)人は殺さないという自律心が働いていた。それが,高度経済成長期(田中角栄期)ごろから日本の劣化が始まった。そして元をたどると憲法の問題に行きつく」という。「憲法の第3章 国民の権利及び義務で,強調されているのは『家族ではなく個人』なんです。そして個人にはこういう権利があります,こういう自由がありますということがものすごく強調されています」「そしてあなたにはこういう責任があります,こういう義務がありますということがほとんど書かれていない」「責任と義務は3個ずつ,権利が16回,自由が9回です」「義務は周知の労働と納税と教育であるが,納税は果たしている人も果たしていない人もいるし,労働なんていっても別に働かなくても罰せられるわけでもありません」「権利と自由というのが極端に強調されている」「そういうところに社会の病根があるのではないか」と提言している。
(『JEIの退職日記』による要約より)
私はまず、櫻井が田中角栄を引き合いに出した時点で、「また始まったか」と思った。田中角栄を引き合いに出すのは、要は「経世会支配」への攻撃であり、安倍晋三や平沼赳夫の思想であるとともに、この部分だけを切り取れば、櫻井の仇敵だったはずのコイズミとも相通じるものだ。ちなみに、安倍晋三は「金権政治を始めたのは田中角栄だ」と主張しているが、金権政治の始祖が安倍の祖父・岸信介であることは、ちょっとでも戦後政治史に興味を持って調べたことのある人にとっては常識の範疇に属する事柄だ。安倍らはここでも歴史をねじ曲げようとしている。
話を櫻井発言に戻す。これまでに述べた理由によって、「kojitakenの日記」の方についた「はてなブックマーク」のうち、これを書いている時点ではもっとも新しいコメントであるtomocoolerさんの
というコメントも、「言いがかり」の範疇に属するものであると当ブログは主張する。まじめに見なかった番組をブログにしてあおる人。主張するなら、その人の発言まじめに見ようよ。それって当たり前の礼儀でしょ。どんな主義主張でも。その礼儀がない人は信じられない。
櫻井のように、なんでもかんでも「日本国憲法のせいだ」と言われてしまうと、以後建設的な議論などできなくなってしまう。番組では、田原総一朗が東浩紀に対して、この櫻井発言に対する反論を求めたが、東もこれには面食らって、
と答えるしかなかった。櫻井と同じ右派言論人に分類される森本敏も、この櫻井発言には呆れ果ててしまって、「自由はインターネット・消費社会の進展・グローバリゼーションと関係してくる問題で,憲法を変えたからどうにかなるという問題でもないであろう」(『JEIの退職日記』による要約より)
と言っていた。その教育については、「kojitakenの日記」の方の「はてブ」に、個人が自分の目標を定めて自分なりの生き方をするという生命力が低くなっているんだと思う。制度とか憲法の問題じゃない。教育ですよ。(『JEIの退職日記』による要約より)
や、それを受けたちょっと前だったら「教育基本法のせいである」ってなっていただろーな。(kmiuraさん)
などのコメントがついていて、吹き出してしまった。なるほど、愛国教育法に改正してしまったので、もう、「教育が悪い」といえなくなったわけですね。(umetanさん)
ともかく、「改憲命」の櫻井の信念は、もはや宗教的なものとさえいえる。こんなものは議論の対象にさえならないことは明らかだろう。
櫻井は、「沖縄戦集団自決の強制はなかった、補償金欲しさのでっちあげだった」という立場からNHKなどの報道姿勢を批判している。当ブログにTBいただいた下記ブログ記事などから、櫻井の主張やそれに対する批判的言説などをたどっていただきたい。
『地下生活者の手遊び』より 「洗脳カルト櫻井よしこ」
(2008年8月11日)
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080811/1218442718
そして、この櫻井よしこが平沼赳夫や城内実のイデオローグであることは、何度強調しても強調しすぎることはない。
これでもまだ、「右も左もない」などと言えるのだろうか?
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これに噛みついているのが、フリージャーナリストの櫻井よしこだ。昨日、本屋で『SAPIO』を立ち読みしていたら、冒頭に櫻井の文章があって、靖国不参拝を表明した福田首相を批判するとともに、終戦記念日に靖国神社に参拝するその人こそ、「本当の政治家」だとか書いていた。
櫻井は、前首相・安倍晋三が昨年の終戦記念日に靖国に参拝しなかったのはマスコミが安倍に圧力をかけたためだとして、朝日新聞は言うに及ばず、主筆・ナベツネが「首相の靖国参拝は発行部数千数百万部の力で阻止する」と言い放った読売新聞や、一昨年夏に「富田メモ」をスクープした日経新聞などを批判していた。ナベツネに対しては、若い頃の共産主義に立ち返ったのだろうとか、日経の「富田メモ」スクープには疑義があるなどと書いているが、そういえば「富田メモ」のスクープが話題になった頃、ネット右翼がこの報道の審議を検証するとか言って大騒ぎして、「ついにメモが捏造であることを証明した」などと興奮していたことがあった。むろんこれは学界では歯牙にもかけられなかったのだが、櫻井よしこは、当時からネット右翼並みの主張をテレビで堂々と展開していた。これには呆れ返ったものだ。
櫻井が書く「今年の終戦記念日に靖国神社に参拝するその人」というのは、記事の内容からして安倍晋三を指すことはほぼ間違いない。安倍は今年の終戦記念日に靖国を参拝するはずだ。その安倍を、櫻井は「本当の政治家」だとして評価する。
櫻井というと、かつて故城山三郎氏とともに、個人情報保護法などの「メディア規制三法」に対する反対の論陣を張るなど、右翼ながら筋の通ったところのある人だと思っていた。特に「反コイズミ」の傾向が強かった。しかし、櫻井は典型的な「政治思想右派」であり、同志である安倍晋三の総理大臣就任を控えた頃から、熱烈な右派イデオロギーを振り回すだけの人になってきた。
その櫻井よしこが、昨日(8月10日)のテレビ朝日『サンデープロジェクト』に出演し、秋葉原で加藤智大が起こした連続通り魔殺人事件について意見を述べたのだが、なんと櫻井は、「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」と発言したのだ。
憲法の中でもっとも長い第三章(第10条?第40条)に、「国民の権利及び義務」が定められているが、ほとんどが権利についての規定で、義務という言葉は3回しか出てこない(教育=第26条、勤労=第27条、納税=第30条)、こんな現憲法が権利ばかり主張して義務をおろそかにする風潮を生み出し、それが秋葉原事件を引き起こした、そう櫻井は主張した。
番組には東浩紀や姜尚中も出ており、私も見ていたが、この櫻井発言を聞いてあほらしくなってまともに番組を視聴する気持ちが失せ、あとは他のことをしながらBGMみたいに音声だけ聴いていたのだが、立場の近いはずの森本敏までもが櫻井を批判していた。もっとも、同じ産経文化人でも森本は安倍晋三より福田康夫を買う人らしいから、それなりに立場は首尾一貫している。
当ブログ管理人は、番組を集中して見ることはできなかったが、櫻井の暴言は看過できなかったので、「kojitakenの日記」に、「櫻井よしこが「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」だって(笑)」と題したエントリを上げた(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080810/1218343896
すると、昨夜からこのエントリに40件もの「はてなブックマーク」(下記URL)がつき、「kojitakenの日記」へのアクセス数が急増した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080810/1218343896
ブクマコメントの大半は、櫻井よしこに呆れ返った、とするもので、私同様、櫻井の言論の劣化を感じた人も多いようだ。
ところで、その櫻井は、昨年秋に浜松市で開かれたシンポジウムに、関岡英之、平沼赳夫、城内実らとともに参加している。浜松というと現在片山さつきが議席を占めている、前回の総選挙で城内実が落選した選挙区(静岡7区)だから、これは城内をPRするための催し物だ。事実、城内の公式サイトのほか、支援者のブログでも、シンポジウムが宣伝されていた。シンポジウムの様子は、動画でも見ることができる(リンクは張らないので、興味のある方は探してみてほしい)。
しかし、シンポジウムに出ている櫻井よしこは、よりにもよって「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」などと主張する、狂信的な極右なのだ。そんな人と親密な政治家を、かなりの数の「リベラル・左派」ブログやその読者が評価しているようだが、私はこれに対して非常に強い疑問を感じる。
湯浅誠は、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年)に、
と書いている(同書219頁)。日本には貧困があり、そしてそれは「あってはならない」こと。ここまでを認めるのに、右も左もないはずだ。
しかし同時に湯浅は、戦争と貧困を関連づけて論じるべきだと主張している。以下、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』から引用する。
日本は、類稀(たぐいまれ)な被曝(戦争)体験をしたことによって平和の意識が高まった。しかし同時に、類稀な高度経済成長を体験したことによって貧困問題を忘れた。そのためこの数十年間、両者を結びつけて考えることが少なかった。平和と戦争の問題は、平和に対する意識の問題、戦争体験の有無の問題として語られる傾向が強かった。しかし貧困が広がる中、それだけでは足りないことが徐々に明らかになってきている。
他の多くの国において「貧困と戦争」はセットで考えられているテーマである。日本も遅ればせながら、憲法九条(戦争放棄)と二五条(生存権保障)をセットで考えるべき時期に来ている。衣食足るという人間としての基本的な体力・免疫力がすべての人に備わった社会は、戦争に対する免疫力も強い社会である。
(湯浅誠 『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2008年) 212-213頁)
縦軸を政治軸、横軸を経済軸として各人の政治的・経済的立ち位置を測る「ポリティカルコンパス」が知られているが、貧困について考える時も、同様の二次元ダイアグラムで論じる必要があると思う。
ついこの間まで、日本の左翼は憲法9条のことばかり口にして、貧困問題に着目しなかったが、現在はその反動からか、「反貧困」で一致すれば極右とさえ組むという人たちが続出している。それなのに、それに対して異議を唱える声は、驚くほど小さい。なぜそこまで極端から極端に振れるのか。両方とも論じなければならないと、なぜ言えないのか。
「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」などと発言する人と「共闘」なんかしていて良いのだろうか?