きまぐれな日々

先週末の13日、14日は裏ブログを含めてブログをお休みしたから、当ブログの更新は1週間ぶりになる。この時期の常として、戦争に関する記事になるが、盆の時期と終戦記念日が重なるのは、何とも不思議な巡り合わせである。

終戦記念日というと毎年騒ぎになるのが閣僚の靖国神社参拝である。終戦30周年の1975年に、三木武夫首相が「私人として」参拝したのが、終戦記念日に総理大臣が靖国に参拝するようになった発端だが、3年後に福田赳夫首相が「内閣総理大臣」の肩書きをつけて「私人として」参拝して以来、終戦記念日の総理大臣参拝がトレンドとなった。続く大平首相(1979年)は終戦記念日の靖国参拝は避けたものの、鈴木善幸(1980?82年)、中曽根康弘(1983,84年)と5年連続で総理大臣が「私人」として参拝し、1985年、ついに中曽根が靖国を「公式参拝」した。しかし、これが中国・韓国の反発を受けると、翌1986年に中曽根は靖国神社を取りやめた。すると、今度はこれが踏襲すべき前例となり、以後2006年に小泉純一郎が参拝するまで、終戦記念日に靖国を参拝する総理大臣は現れなかった。中曽根は「裏切り者」とばかり、右翼に攻撃のターゲットにされた。

総理大臣は参拝しないものの、閣僚やその他の国会議員には参拝する者が多く、例年ニュースになった。たとえば安倍晋三は、総理大臣在任中(2007年)は参拝しなかったものの、退任後、これ見よがしに終戦記念日に靖国を参拝するのが恒例だ。安倍自身はナベツネに釘を刺されて終戦記念日の靖国参拝を避けておきながら、政争の具にしようとする。そんな人間だ。

今年、菅内閣の閣僚は誰一人として靖国に参拝しなかった。これは、靖国問題が騒がれるようになった1980年以降では初めてのことらしい。ここぞとばかり、靖国に参拝した安倍晋三や平沼赳夫は民主党政府を攻撃したが、産経新聞などごく一部のメディアを除いて、大きくは報じられなかった。先の参院選で自民党は勝ったが、安倍らが力を入れた山梨選挙区では敗れ、安倍のお仲間・平沼赳夫が与謝野馨と野合して立ち上げた「たちあがれ日本」は獲得議席1議席と惨敗し、山田宏と中田宏が立ち上げた「日本創新党」は獲得議席ゼロに終わった。右翼イデオロギーを前面に出した政治勢力が国民に支持されていないことがはっきりしてきて、大手メディアもあまりイデオロギー対立を煽らなくなったし、城内実のように「機を見るに敏」な政治家は、右翼色の強い「地」を隠すようになってきた。

イデオロギー論争が大きく扱われなくなったおかげか、今年は静かに戦争を振り返るという視点が、メディアにも戻ってきたように思える。ようやく終戦記念日らしい空気が戻ってきたともいえるが、戦争を知る人々が高齢化して、生きているうちに真実を伝えておきたいという気持ちになられたことも影響しているかもしれない。戦争に限らず、同様の心境になられたのではないかと私が推測しているのが、元外交官の吉野文六氏であって、90歳を目前にした頃に、沖縄返還をめぐって交わされた日米の「密約」について証言を始めた。同様のことが戦争体験についてもいえて、たとえば元プロ野球選手の張本勲氏は、4年前から自らの被爆体験を語るようになった。

昨夜NHKで「龍馬伝」のあとに、「NHKスペシャル」の枠として放送されたドラマ「15歳の志願兵」は、昭和18年(1943年)に現実に起きた、愛知一中で生徒達が予科練志願に総決起した事件を下敷きにしたフィクションだそうだ。調べてみると、NHKがドラマの下敷きにした本が見つかった。江藤千秋著『積乱雲の彼方に 愛知一中予科練総決起事件の記録』である。ドラマに合わせてということなのか、先月「新装版」が出たようだが、原著は1981年に出版されている。江藤氏は1928年生まれで、愛知一中を卒業し、のち同校の後身・愛知県立旭丘高校で化学の教鞭をとった。2003年に逝去されている。上記リンクを張った法政大学出版局のウェブページの「内容紹介」には、

「征く者は立て」──戦雲急をつげる昭和18年7月、県内屈指の進学校・愛知一中で生徒達が予科練志願に総決起した。実際に56名が入隊し、5人が戦没、征かなかった者も心に傷を負う。本書は、この渦中にあった著者が事件の意味を問い、学友を鎮魂するため、幾多の証言と遺された日記をもとに、“中学生学徒動員”の軌跡を追った貴重な記録である。

と書かれている。蛇足ながら、愛知一中は、東京府立一中(現日比谷高校)、神戸一中(現神戸高校)とともに「一中御三家」と並び称され、現在(旭丘高校)もそうだが、当時から中京の俊英が集う学校だった。

私はこの本を読んでいないので、どこまでが事実に基づいていて、どこからがNHKの創作なのかはわからない。だが、インターネットの威力というべきか、この本の内容を紹介する、5年前に東京新聞(中日新聞)に掲載された記事を転載したブログが見つかった。
http://wind.ap.teacup.com/people/470.html

上記リンク先記事に、こんな記述がある。

 南洋で特攻・戦死した愛知一中出身の成瀬謙治さんは、海軍兵学校時代に母校の事件を新聞で知り、「全校生徒の予科練志願は無意味だ。生徒の能力に応じた道に進ませることが、本当に国に報いること」という手紙を校長あてに出した。「校長は当時、権威の象徴。真に勇気のある発言だった」と、同級生たちの語りぐさになっている。


さらに調べてみると、故成瀬謙治氏が読んだ新聞とは、朝日新聞だったことがわかる。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kai-naruse.htm

昭和18年、朝日新聞が大見出しで「愛知一中の快挙、全四、五年生 空へ志願」と報じた。
成瀬の母校の愛知一中の四、五年生全員が予科練を志願するというものだった。
海軍兵学校に在学中だった成瀬は、一中出身者代表として校長に手紙を送った。


昭和初期までは政府に批判的な新聞として知られていた朝日新聞は、日本が国際連盟を脱退した頃には、「連盟よさらば!我が代表堂々退場す」という見出しで、松岡洋右(安倍晋三と縁戚関係にある)の演説を称揚するようになっていた。これが1933年のことだから、その10年後の朝日新聞が「愛知一中予科練総決起事件」を大々的に称賛したのは、当然の成り行きだった。

とはいえ、朝日新聞が(昔も今も)「巨悪」であることはあまりにも当然だ。昨夜のドラマでもっとも辛辣な描かれ方をしていたのは、主人公の愛知一中生の父親である英語教師だった。学校の方針に疑問を抱きながら、強くは逆らわないこの教師は、強く学校の方針に反発した歴史教師と対比されて描かれ、家では息子に志願するなと「本音」を口にして「卑怯だ」と反発され、教師宅を訪ねてきた生徒の母親が「止めてくれ」と嘆願するのに対しては「私の息子も一中生で、志願する」と言って引き取らせる。もちろん戦争が終わると転向し、教室で民主主義の伝道者であるかのように振る舞う。それが彼にとっての「戦争責任」の取り方なのだろうが、おそらく当時の日本国民の多くが、こうした腰の引けた振る舞いによって、犠牲者を増やしていったのだろう。もちろん、戦時ではない今だからこんな書き方ができるのだが、果たして私だったらどういう対応ができただろうかと自問すると、あのようには振る舞わなかったはずだと自信を持って答えることはできない。

流れに抗するのはたやすいことではない。今の政治家を見ていてもよくわかる。だから、小沢一郎のような「剛腕」の政治家が、自らの意に沿う政権の時にはこれを遠隔操作し、意に沿わない政権の時には引っかき回すことができる。本当に自己の主張を貫く者などそうそういないし、たまにいても、小泉純一郎のように暴走して、日本を間違った方向(新自由主義)に引っ張ったあげく、「郵政総選挙」のような暴挙を行い、それを国民が熱狂的に支持する。

あの時小泉純一郎を熱狂的に支持したのと同質のものが、日本を無謀な戦争へと突っ走らせ、いかに戦局が泥沼化しようとも、原爆を投下されるまで止めることができなかったのである。


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当ブログは昨年11月以来、月曜日と金曜日の週2回公開のスタイルをとるようになったが、今年は原爆記念日の8月6日と8月9日がそれぞれ金曜日と月曜日に当たる。

6日の広島の原爆記念式典では、広島の秋葉忠利市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたが、菅首相は記念式典での挨拶では「核の傘」には何も触れず、式典のあとに行われた記者会見で、「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ」と述べた。
http://www.asahi.com/politics/update/0806/TKY201008060151.html

これは、右傾化したといわれる朝日新聞や毎日新聞レベルからも批判の対象となる発言であって、かつて安倍晋三をテレビで露骨に応援した前科があり、「自民党寄り電波芸者」の代名詞になっている毎日新聞主筆の岸井成格は、「誰か(官僚かナベツネ?)にアメリカの核の傘から離れるなんて言っちゃいけないと言われたんだろうけど、誤ったメッセージを出すことになる。核拡散によって欧米の『核の傘』が成り立たなくなったというのが世界の基本認識であり、そこがオバマのプラハ演説(昨年4月)のキモなのだから」と言って菅首相を批判した(8日放送のTBSテレビ『サンデーモーニング』)。岸井の言説には、核を保有する超大国・アメリカに対する批判が欠けているけれども、アメリカの「核の傘」を所与のものとする菅首相の発言と比較すると、岸井の主張の方がずっとまともだ。

これでも「中道左派」を出発点とした総理大臣なのかと、首相になってからの菅直人には呆れる一方だが、政権政党の民主党は現在、来月1日告示の同党代表選に向けて権力闘争が真っ盛りであり、山岡賢次だとか無能な平野博文といった、顔も見たくない、名前も聞きたくない人たちが声を張り上げている。そういや小沢一郎が核廃絶について発言したこともほとんどないんじゃないかと思ってちょっとネットで検索してみたが、やはり過去に強いメッセージを出したとはいえない。『小沢一郎ウェブサイト』には、安倍晋三政権時代の2006年11月に民主党が策定した「政権政策」が出ていて、その中に「核廃絶の先頭に立つ」とは書かれている。しかし、この「政権政策」は、筆頭に「日本国教育基本法の制定」(民主党案は06年12月に成立した自民党案より悪いとの評価も聞かれた)を掲げるなどした冴えないものだ。

『小沢一郎ウェブサイト』には、『文藝春秋』1999年9月号に掲載された小沢一郎の「日本国憲法改正試案」が今も堂々と掲げられているが、そこにも、

 直接的に武力攻撃を受けたときの反撃手段のため、最小限度の軍事力として自衛隊を持つ。加えて国連の一員として平和維持活動に協力して「国連常備軍」の創設を計画したり、軍縮や核兵器廃絶などの具体的な目標を法律(安全保障基本法)に織り込むことも可能である。

と書かれているのみである。「核」という文字は、この部分にしか出てこない。

官僚だかナベツネだかは知らないが、誰かに唆されて易々と「核抑止論肯定発言」をする菅直人も菅直人だが、自由党時代のバリバリの改憲論を今でもウェブサイトに掲載している小沢一郎が「核抑止論否定」に踏み込んで発言したとも聞かない。要するに、民主党とはその程度の政党だということだろう。私は正直言って、安全保障政策に関しては、宏池会系の自民党「保守本流」の政治家の方が大部分の民主党の政治家より穏健だと考えているが、彼らも自民党内で絶滅危惧種であり、なおかつ、かつての故宮澤喜一元首相は護憲派だったが、現総裁の谷垣禎一も、谷垣の師匠格だった加藤紘一も改憲派である(毎日新聞「えらぼーと」への回答などより)など、彼ら自身も変質している。そもそも、現在の自民党を主導する清和会は、政治思想右派の集団であって論外だ。

だから、核抑止論の否定など、民主党の政治家からも自民党の政治家からも聞かれるはずがないのである。いや、民主党の一部や、もしかしたら自民党のごく一部にも、核抑止論否定論者がいるのかもしれないが、その声が主流となることは決してない。

そんな中、長崎は65回目の原爆記念日を迎える。広島の原爆記念日に書いた前回のエントリに続き、本記事も、静かに犠牲者を悼み、過ちを繰り返さないことを誓う日にはふさわしくないかもしれないが、反戦・平和論が論外の妄論のように扱われる現状はあまりにひどい。

岸井成格が菅直人を「左」から批判した昨日のTBSテレビ『サンデーモーニング』では、鳩山由紀夫前首相に近い「リベラル派」言論人とされている寺島実郎もトンデモ発言をしていた。前回のエントリにいただいたぽむさんのコメントが、この件のほか、インドとの原子力協定締結交渉にも触れているので、これを下記に紹介して記事の結びとしたい。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1098.html#comment9964

私も今日の「サンデーモーニング」「風をよむ」コーナーを見て、Kojitakenさんと同じ感想をもちました。式典では被爆者を前に「いいかっこ」を見せた後で冷や水をかぶせるような発言をするとは、政治信条以前に単純に頭が悪いのではないかとさえ思いました。6月の「沖縄慰霊の日」での「感謝」発言もひどかったですが、岸井成格に「左から」批判されるようではおしまいですね。
しかも、政府は、6月からインドとの原子力協定の締結交渉に入っています。インドはパキスタン等と同様、NPT核不拡散条約に署名していません。当然、唯一の被爆国でありながらNPTをあまりに軽視しているのではないかとの批判があがっています。もっとも岡田外相は、「日本はこれによって、インドにNPTへの署名を働きかけるつもりだ」と説明していますが、日本政府の核兵器廃絶への「本気度」を疑われても仕方ないでしょう。

ところで今日の「風をよむ」コーナーでは寺島実郎も聞き捨てならないことを言ってました。「そろそろ『過ちはくりかえしません』などというセンチメンタルなことばかり言ってないで具体的に核廃絶への道のりを考えるべき」とかなんとか。核廃絶への道のりを考えることには異論はありませんが、センチメンタル云々という被爆者や長年反核運動にかかわってきた人たちの心をふみにじるような表現には唖然としました。今日の寺島氏は最近の十八番「議員定数削減」は言ってなかったみたいですが、それ以上にひどい発言でした。「議員定数削減」は「人それぞれの政治的意見」として認められますが、「センチメンタル云々」は人間として許せないです。

2010.08.08 17:13 ぽむ



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「政権交代選挙」を目前に控えた昨年の「原爆記念日」に公開した記事「広島原爆忌と田母神俊雄の『殴り込み』講演会」で、私は下記のように書いた。

今日(8月6日)は広島原爆忌である。

日本の敗色が濃厚になった1945年夏、中国・四国地方にも空襲が繰り返された。6月29日に岡山、7月4日には高知、高松、徳島の四国三県県庁所在地、7月27日には残る愛媛の松山が空襲の被害を受けた。地方都市でもっとも多くの空襲を受けた都市は浜松(静岡県)であり、浜松は判明しているだけでも27回の空襲を受け、あわせて3000人以上が犠牲になったとされている。そんな浜松から、極右政治家・城内実を国政に送り出さないでほしいと思う。


だが、静岡7区の有権者たちは城内実を国政に送り出した。そして、田母神俊雄は今年も広島に殴り込みをかける。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100804/acd1008042229007-n1.htm

慰霊の日である広島の原爆忌だが、近年は右翼だけではなく、一昨年には「ユダヤ陰謀論」に侵された元左翼が、あるトンデモ本に書かれていた、「湯川秀樹博士は、戦時中に「新兵器」に関する大変重要な情報をアメリカに流したため、その論功行賞としてノーベル賞を与えられた」というヨタ話を、トンデモサイトから転載したことがあった。

同じ元左翼は、武田邦彦の「地球温暖化懐疑論」にも入れ込んでいたが、最近、この武田邦彦が自ら「トンデモ極右」のお仲間であることを露呈する文章をネットに公開した。
http://takedanet.com/2010/08/post_8bc6.html

「幼児の死と日本の家族文化」と題された武田の駄文は、これを読んだ人たちから激しい怒りを買い、「はてなブックマーク」も、武田批判一色に塗りつぶされた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/takedanet.com/2010/08/post_8bc6.html

いかに武田がトンデモかということは、「田母神が言っている事は世界のスタンダード」だと主張する論者でさえ、「それでもトンデモだよね」と武田を評していることからもうかがわれる。

『kojitakenの日記』でも武田の文章を批判したが、そこにも書いたように、醜悪さにおいて武田の文章と比肩できるものとしては、国籍法改正に反対して一昨年に城内実が書いたブログ記事 "bakawashinanakyanaoranai" (下記URL)以外には思い浮かばなかった。
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/

武田邦彦や城内実ばかり叩いていても仕方がないので本論に戻る。件の「元左翼」氏が大仰に書いている、戦時中に日本で行われていた原爆製造プロジェクトについては、今年ようやく日本語訳が出版されたジョン・W・ダワー著『昭和――戦争と平和の日本』(みすず書房、2010年、原著は1993年出版)の第3章「『ニ号研究』と『F研究』 日本の戦時原爆研究」に書かれている。

上記リンク先は、日本語訳出版元であるみすず書房のサイトだが、以下に関連箇所を引用する。

1978年1月7日、『ニューヨーク・タイムズ』の第一面に、突然こんな記事が出た――「第二次大戦時、東京で原爆研究、日本側資料から明らかに」。これは『サイエンス』誌のライター、デボラ・シャプリーが流した「暴露記事」なるもので、大手メディアの配信網に乗って、世界中に流れた。反応はただちにあった。核拡散の制限の問題にかかわるアメリカの研究者たちから。さらに、アメリカの反日感情が煽られたのだ。当時は、日本のいちじるしい経済成長への反発が大きく、ただでさえ反日感情は勢いを増していた。

さて、ジョン・ダワーは、この事態をどう受けとめただろうか。新刊『昭和』には、この『ニューヨーク・タイムズ』の記事と反響をめぐる一編が収められている(「ニ号研究」と「F研究」――日本の戦時原爆研究)。反響の分析はもちろんだが、さらに戦時日本の原爆研究の現場で、実際に何が起きたのかを克明に描き出す。

詳細は本書に譲るが、分析の末に明らかになるのは、日本はこの原爆研究を隠したこともなく、むしろそれは1970年までにとっくに周知の事実だったこと、そして現実の研究現場に目を移すと、そこには「科学的才能の場当たり的な動員」があっただけで、原子爆弾の製造など、さまざまな国内対立――科学界内部、陸軍、海軍、軍需省、文部省の党派争いなど――が渦巻いていた当時、結果として「雲をつかむ」ようなものだったことだ。「一億みな家族」と叫ばれた社会の内実はこんなものだった。

(みすず書房のサイトより)


「一億みな家族」と叫ばれた戦争中の日本社会の内実は、城内実や武田邦彦らが抱く妄想とは大違いだったのである。個人的には、ジョン・W・ダワーの著書は、この本より『敗北を抱きしめて』の方がよりおすすめだが、『昭和』も読者の皆さまには是非お読みいただきたいと思う。少なくとも、くだらないユダヤ陰謀論に感化されている方は、絶対に読むべきだ。

『昭和』の第7章「日本人画家と原爆」には、中沢啓治の漫画『はだしのゲン』や丸木位里・丸木俊夫妻が描いた原爆の絵画を紹介している。『はだしのゲン』で原爆投下が描かれた回の『週刊少年ジャンプ』を私はリアルタイムで読み、言いようのないショックを受けた。あの号が、生まれて初めて買った『ジャンプ』だっただけになおさらだ。何度も何度も読み返した。1973年のことである。

この文章を書いている直後の、今日午前8時から行われる平和記念式典で、広島市の秋葉忠利市長は平和宣言で、核廃絶を求める世界市民の声が「国際社会を動かす最大の力になりつつある」と強調し、被爆国の日本政府に対して非核三原則の法制化や、米国の「核の傘」からの離脱など具体的な行動を取るよう訴えるという。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100806ddm001040052000c.html

核抑止論に対する批判は、70年代は学校教育でも行われていたし、少年少女向けに書かれた出版物にも普通に掲載されていた。当時の大人たちには戦争の記憶が生々しく、保守の人たちの間でも「反戦」は当たり前だった。

ところが、今では読売新聞が、広島原爆忌の日の社説で、秋葉市長を「現実を踏まえた議論とは到底言い難い」と批判するありさまである。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100805-OYT1T01121.htm

そして、そんなエスタブリッシュメント層の変質と呼応するかのように、元左翼がユダヤ陰謀論に基づく妄想によって、平和に尽力した故湯川秀樹博士を誹謗中傷する。

前記ダワー著『昭和』に、第4章「造言飛語・不穏落書・特高警察の悪夢」に興味深い記載がある。『特高警察』昭和17年6月号からの引用として、下記のような「不敬言辞」が紹介されているのだ。

俺は召集されても天皇陛下の為めに死ぬのは厭だ
日本は皇室を倒さんと本当の幸福は来ないのだ
天皇陛下はユダヤ財閥の傀儡だぞ

(ジョン・W・ダワー『昭和』(みすず書房、2010年) 118頁)


『昭和』には、『特高警察』昭和17年6月分:18」という引用元の文献が示されるとともに、「これらの侮蔑的言辞には、反ユダヤ思想がときおり現われる」(以下略)と付記されている。

くだらない陰謀論的思想も、戦争中と現在で何も変わらないようだ。

もっとも今日の記事は冗舌に過ぎた。本来、今日8月6日は、静かに犠牲者を悼み、過ちを繰り返さないことを誓う日だ。だが、最近不穏な動きや、トンデモ・陰謀論の類の跳梁跋扈があまりに目立つため、どうしても書かずにはいられなかった。


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選挙戦のさなかの終戦記念日は4年ぶりだが、ずいぶん様変わりしたものだと思う。「郵政総選挙」のあった4年前は、人々が「刺客騒動」に熱中していて終戦記念日どころではなかったと記憶しているが、「靖国」が大きな議題になったのは翌2006年のことだった。前年の暮れだったかこの年の初めだったかに、渡邉恒雄(ナベツネ)が読売新聞の社論を変更して靖国神社への総理大臣の参拝を否定するようになり、朝日新聞と組んで反靖国の論陣を張り始めた。おそらくナベツネとしては、戦後60年を機に、日本の戦争責任を彼なりに明確にした上で、持論である改憲路線を突っ走りたかったのではないかと思う。そのため、「ポスト小泉」の候補者たちにも、読売新聞の支持を受けるためには靖国神社に参拝しないことだ、と条件を突きつけた。だから、もとから靖国参拝に不熱心だった福田康夫だけではなく、靖国にきわめて強いこだわりを持っているに違いない安倍晋三も、首相在任中の終戦記念日(2007年)には靖国神社に参拝していない。もっともその頃は、自民党が参院選に惨敗した直後でそれどころではなかったのかもしれないが。

話を2006年に戻すと、この年の7月には日本経済新聞が「富田メモ」をスクープし、右翼に打撃を与えた。櫻井よしこなどは、「富田メモ」は偽物に違いないとテレビでほのめかしたが、進むと予告していた検証作業はその後全く音沙汰がなく、現在では富田メモは正真正銘の本物と認識されている。今でも思い出すのは、「富田メモ」スクープの2週間前に、「靖国神社と昭和天皇」と題した記事を書いて、以前からたびたび言われていた「1978年の靖国神社のA級戦犯合祀に昭和天皇が激怒して、以後靖国参拝を取り止めた」という話に触れたのだが、それを裏づける「富田メモ」のスクープによって一時的にブログのアクセス数がはね上がったことだ。増えたとは言っても、日に300件か400件くらいだったのが900件くらいになった程度だったが、ブログを書き始めたあの当時が、一番書いていて面白い頃だった。ただ、あの日経新聞のスクープは、日本の過度の右傾化を懸念する新聞社の首脳たちが政府要人の靖国参拝に水を差すべく発表のタイミングを計っていたものに違いなく、それにはナベツネも一枚噛んでいたのではないかと私は想像している。

当時、読売新聞のキャンペーンの影響もあったのか、「終戦記念日の総理大臣の靖国参拝は是か非か」と問うマスコミの世論調査では否定的な答えを返す人が多かった。しかし、いざコイズミがこの年の終戦記念日に靖国を参拝すると、途端に「小泉総理の靖国神社参拝を評価する」という意見が反対論を上回った。日本国民は、コイズミのやることなら何でも笑って許してしまった。コイズミ自身の厚生年金以上加入をめぐる「人生いろいろ」発言のような例外(2004年の参院選の自民党敗北につながった)もあったけれど。

コイズミは笑って許してもらえたが、安倍晋三以降となるとそうはいかず、たとえば安倍は総理大臣在職中に、従軍慰安婦に関する発言をとがめられてブッシュ米大統領(当時)に謝罪させられた。これにネット右翼はいきり立ったが、狂ったように改憲だけを目指して国民生活を一切顧慮しなかった安倍が率いる自民党が参院選で惨敗すると、後任の福田康夫は安倍のような極右政策や極右発言はやらなかったので、徐々に右翼的な言論は後退していった。かつては勇ましい右翼的な言説にかまけていた人たちも、格差や貧困の問題の前に、余裕を失っていった。

そんな中、今年も終戦記念日を迎えたが、朝日新聞は「靖国 無風の夏」という見出し(大阪本社発行朝夕刊統合版)で、自民・民主両党首とも参拝せず、議論も盛り上がらない靖国問題について触れている。

もっとも、コイズミや安倍晋三は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・島村宜伸元農水相)の41人ともども靖国神社に集団参拝したそうだ。これを伝える朝日新聞の記事によると、鳩山邦夫が記者団に

「総理が来ない。そんなバカなことがあるか。私は怒りに震えている」と述べた。

とのことであるが、相変わらずの鳩山弟の空疎なパフォーマンスには虫唾が走る。そういえば、いかにも「靖国命」という感じの平沼赳夫や城内実は今日靖国を参拝したのだろうか。自民党下野後には、安倍晋三らと平沼一派のうちの極右メンバー(というか平沼と城内)、それに改革クラブなどが合流して極右新党でも結成すれば良いと私は思う。そうすれば対立軸がすっきりする。

いずれにしても、靖国問題が衆議院選挙の論点になることはない。産経新聞などは、民主党が次期衆院選後に政権を獲得した場合、靖国神社に代わる新たな国立戦没者追悼施設の建設を目指す方針を固めた、と報じて、なんとか靖国問題を総選挙の争点にして、右派を自民党に回帰させようと躍起になっているが、戦没者追悼施設の建設が民主党のマニフェストにうたわれているわけでもない。「毎日jp」の「毎日ボートマッチ えらぼーと」にも、靖国問題に関する設問がないことから想像がつくように、産経の努力は空しく終わってしまうだろう。

もちろん、靖国神社は戦没者を「追悼」する施設ではなく、戦没した英霊を「顕彰」する好戦的施設であることは、どんなに強調しても強調しすぎることはないのだが、それ以前にこの問題は選挙の争点にはなり得ない、こんな問題を考える余裕もないほど国民生活は疲弊し切っていることは指摘しておかなければならないと思う。

本当は、今日の終戦記念日は、6日の広島、9日の長崎の原爆記念日と並んで、戦争と平和について思いを致す日にしなければならないのだけれど。
2009.08.15 13:10 | 不戦の誓い | トラックバック(-) | コメント(15) | このエントリーを含むはてなブックマーク
今年はとんでもない夏で、天候も不順なら、芸能人が次々と麻薬事件を起こすのも不愉快で、おかげで城内実のいんちきポスター事件も吹っ飛んでしまったが、それ以前に、先月の衆議院解散によってニュースが選挙の話題ばかりになり、戦争を考える月である8月に、戦争に関する議論が例年になく少なくなってしまっている。

城内実の件にしても、城内のような排外主義者が台頭して「鬼畜米英」を叫んで戦争に突き進んでいく恐れがあることと関連づけて議論されなければならないと思うが、単なる芸能スキャンダルと化し、しかもどこからどういう圧力がかかっているのか知らないが、女性週刊誌でさえ大して取り上げず、結局スポーツ紙間でバトルが展開されただけだった。日刊スポーツの勇み足をサンスポと報知が取り上げて騒ぎ、それに対抗する形で、スポーツ紙の中でももっとも格下のデイリーが飛ばし記事を流して大いに城内実陣営に恩を売ったというチンケな騒動で終わってしまったのである(その後の事務所の抗議などは、なぜか大きく報じられていない)。

そんなわけで、今年も風化が進む戦争報道だが、毎日新聞が先週4日から7日までのコラム「記者の目」で、連日若手記者が戦争や核廃絶について奮闘して取材した記事を載せていたことも、ほとんど話題になっていない。そのうち、4日の記事「被爆者の新たな取り組み学べ」(下記URL)は、同紙長崎支局の下原知広記者が書いた記事である。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090804k0000m070120000c.html

この記事は、約1万回もの語り部活動で被爆体験と核廃絶を訴え続ける長崎原爆遺族会顧問、下平作江(しもひらさくえ)さん(74)を紹介している。下原記者は書く。

 下平さんは10歳の時、爆心地から約800メートルの防空壕(ごう)で2歳下の妹らと被爆した。翌日、壕を出ると外は地獄のような光景だった。自宅にいた家族は被爆死し、助かった妹もその後に病苦で自殺。30代で子宮、卵巣を切除するなど過酷な体験をしてきた。40歳ごろから語り部活動を始め、原爆症認定長崎訴訟の原告として被爆者全体の支援活動にも取り組む。その体験はもちろん、核兵器廃絶の取り組みを生活の中心に据える生きざまに、強い衝撃を受けた。

(毎日新聞 2009年8月4日付 「記者の目」 より)


こういう記事を読んで、戦争によって人間一人一人にどんな災厄が降りかかるかに思いを致したいものだ。経済関係の報道についてもそうで、「資本主義にバブルの生成と破裂はつきものだ」などとしたり顔に片付ける論評を見ると、私はなんだと思って筆者の思慮の浅さを馬鹿にしたくなってしまう。現実の経済の荒波が、人間一人一人の生活にどんな影響を与えるかを考慮しない論評は無意味である。

ところで、この毎日新聞「記者の目」の戦争シリーズで特に注目したいのは、5日付の東京社会部・滝野隆浩記者が書いた、「墓銘に残す核廃絶のメッセージ」と題した記事だ(下記URL)。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090805ddm004070162000c.html

記事のサブタイトルには、「保有論、もう退場願いたい 被爆者の強さを知る」とある。しかし、滝野記者は、核武装についての議論はすべきではないという立場には立たず、それどころか、

 私は核を即時廃止せよという訴えには賛同しない。すぐ近くに核を振りかざそうとする国がある以上、何らかの対処が必要だと思う。米国とは「核の傘」について、軍事技術の専門家を交えて話さなくてはならないし、抑止力として敵地攻撃能力についても検討を始めていい。

と書いている。その上で、下記のように主張している。

数十年にわたって核を研究してきた自衛隊OBはこう断言する。「軍事的にいえば核に行き着く。しかし、国民感情や国際情勢を総合的に考えれば、日本に核保有はありえない」

 毎年数千億円をかけて試作し、秘密裏に地下実験をし、その何倍、何十倍の予算をつぎ込んで大量生産のプラントをつくり、運搬手段を整備し、配備し、防護も考え、必ず出る核廃棄物の処分も検討する??これが核保有の実現化プロセスである。加えて、日米同盟は破棄され、NPT(核拡散防止条約)からも脱退して国際的に孤立することになる。さらに気になっているのは、社会のありようを変える危険性だ。核という「国家最高の機密」の保有を決意した瞬間から、一気に軍事機密の情報管理が始まる。つまり、軍事優先の社会に変わらざるを得ないのだ。

(毎日新聞 2009年8月5日付 「記者の目」 より)


記事が指摘するように、核保有には莫大な金がかかり、もちろん日本の財政にそんな余裕はないし、外交・安全保障の観点からも、日本が核武装したと同時に、日本は国際的に孤立する。国連憲章には「敵国条項」が今も残っており、日本政府の見解によると、日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当するとされている。現在は死文化しているともされる「敵国条項」だが、日本が核武装すると同時に息を吹き返し、日本は世界中から「敵」と見なされることになるだろう。麻生太郎や安倍晋三にとってはそれでも構わないのかもしれないが、大多数の日本人にはそんな事態は受け入れられないだろう。現実論からいえば、憲法9条の改定だって、世界中から日本が警戒心を抱かれる原因となる。つまり、憲法9条を維持する方が、日本にとってよほど現実的な選択肢なのである。

軍拡を語り、憲法改定を目指す者が現実的で、反戦を口にし、現憲法の維持を支持する者が空想的であるなどとするのは、自民党や右翼のプロパガンダに過ぎない。まして核武装論など、とんでもない空理空論に過ぎないことはあまりにも明白である。田母神俊雄の主張など噴飯ものの一語。きたる総選挙によって政権交代が起きる可能性が高いが、民主党には党内の改憲論者に引っ張られて国を誤るようなことがないよう、強く求めたい。


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田母神俊雄について書くと、城内実の眞鍋かをりポスター無断使用事件の時には遠く及ばないとはいえ、ブログのアクセス数が増える。これはなぜかというと、田母神が電波芸者の一人になっていて、読者(視聴者)の関心が強いからだ。「城内実ポスター事件」にしても、芸能人の眞鍋かをりが絡んだからブログのアクセスが増えた。こうして考えると、テレビという媒体の影響力がいかにすさまじいかがわかる。大新聞の影響力はテレビに大きく劣り、一般週刊誌はさらに劣り、週刊誌にもはるか及ばないのがブログや掲示板などのインターネットではないだろうか。昨年の自民党総裁選の時の「NHKの自民党コマーシャル事件」などのように、ブログでの騒ぎが一気に広がることもたまにはあるが、その影響力はごく限定的だ。もっとも、ネットの影響力が強かったら、一昨年の参院選は、維新政党新風と9条ネットに票が集中し、両政党が二大政党になっていただろう。ネットでの合意形成は暴走して極端に走ることが多く、普遍性ではなく異端性を獲得するケースが目立つ。

極端な主張を唱える者が常にネットでは人気者だ。それも、左翼は人気が低く右翼が大人気を博する。共産党が反貧困で頑張って、2ちゃんねるで「CGJ」(Cとは志位委員長のこと、「シーグッジョブ」と読む)と賞賛されても、共産党の票はほんの少し増えた程度に過ぎない。それに対し、右側で勇ましい人物は次々とヒーローになる。コイズミや安倍晋三もかつてはネット住民のヒーローだったし、中川昭一の「もうろう会見」や城内実の「ポスター事件」は、ネット世論では「嵌められた」ことになってしまう。

城内実の件など、調べれば調べるほど城内と某大手芸能プロダクションが深くつながっているという疑惑が増すばかりである。なぜか新聞ばかりかテレビや週刊誌もこの件の報道に腰が引けていて、それについてネットでは「公職選挙法によって、候補者が不利になる事を書けないから、候補者の弁明のみを記事にするしかない。だから眞鍋さん側の主張を書く事に及び腰になる」などとまことしやかに語られているが、この認識は間違っている。現在は、衆議院は解散されたものの、まだ衆議院選挙は公示されていない。4年前の郵政解散・総選挙の時を思い出していただきたいが、解散後1週間ほどして、岐阜1区に野田聖子への刺客として佐藤ゆかりの立候補が内定した直後から、週刊誌は佐藤の「不倫メール」のスキャンダルを書き立てた。選挙の公示前であり、選挙妨害になど当たらないことはいうまでもない。それを考えると、今回の「城内実ポスター事件」があまり騒がれないのは、某大手芸能プロダクションのにらみが利いているからだと考えるのが自然だ。

当ブログには、「自民党を追われ、どん底に突き落とされた城内実がまだそんなに大きな権力を持っているとでも言うのか。芸能プロを動かす権力があるなんて噴飯ものだ、自公とつながっているフジテレビが城内を陥れようとしたのだ」という批判のコメントが寄せられたが、どうやらこの方は、ネットの一部論者が展開していた単純な善悪二元論に洗脳されて、城内実を「悪徳ペンタゴン」(笑)と戦うヒーローか何かと勘違いされているようだ。現実の世界はそんな単純なものではない。2003年に城内実が初当選した総選挙では、民主党を離れて二階俊博とくっついて連立与党入りした保守新党の熊谷弘が、自公の推薦を受けて静岡7区から立候補したが、無所属新人の城内実が森派幹部などの大々的な応援を得て熊谷を破ったのである。この時は、事実上の自民党分裂選挙であり、自民党はなんと自分たちにすり寄ってきた熊谷弘に刺客・城内実を送り込む冷酷非情さを見せたのである。劣勢に立たされた熊谷は、選挙戦最終日に記者団に向かって「内閣が一斉に攻め寄せてくる。ひきょうだ」と声を荒らげたものの、あとの祭りだった。刺客・城内実はまんまと初当選を遂げたが、この頃から城内というのは胡散臭い人間だったことが伺われる。城内実自身がかかわったこの例からも明らかなように、党を追われた在野の人間だから、権力とは何のつながりもなく、勇敢に権力と戦っているのだ、というのはあまりにもナイーブな見方である。もしそれが正しいなら、「悪徳ペンタゴン」の一角を占めるマスコミは「城内実ポスター事件」を批判的に報じまくるはずだが、人気タレントの絡んだ事件なのにむしろ異様に扱いが小さい。これは、城内実こそ「悪徳ペンタゴン」とつながっているのではないかと疑わせるに十分なものだ(笑)。

さて、またしても前振りの方が本論より長くなってしまいそうだが、田母神俊雄もまたマスコミの寵児として大活厄している。田茂神俊雄は、昨年11月7日付エントリ「田母神俊雄、渡部昇一、元谷外志雄、佐藤優らに呆れる日々」に書いた通り、稚拙な陰謀論を信奉する頭の悪い人物である。上記4人に森喜朗か安倍晋三を加えれば、またぞろ「ペンタゴン」が形成できそうだし、この「アパ人脈」には城内実や鳩山由紀夫も絡んでいるのだが、それはおいといて、田母神というのは頭は悪いけれどもマスコミにとって利用しやすいキャラであるらしくて、いまやたいへんな人気者である。

その田母神が広島で行った問題の講演会だが、演題は「ヒロシマの平和を疑う」である。ネットで検索すると、三大紙はなぜか引っかからず、共同通信、時事通信と産経新聞が報じているのが見つかった。その中から、共同通信の記事(下記URL)を引用する。
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080601000852.html

田母神氏が広島で講演 「被爆国として核武装すべき」

 原爆の日の6日、政府見解の歴史認識を否定する論文を公表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長が広島市で講演し、「唯一の被爆国として、3度目の核攻撃を受けないために核武装すべきだ」と主張した。

 日本会議広島が主催し、演題は「ヒロシマの平和を疑う」。参加者は講演に先立ち君が代を斉唱し、黙とうした。

 田母神氏は「2020年までの核兵器廃絶は夢物語」と、秋葉忠利広島市長の平和宣言を批判。「核保有国同士は相手からの報復を恐れるため、先制攻撃は絶対にしない。国を守るため、日本も核兵器を持つべきだ」と持論を展開した。

 秋葉市長は6月に「被爆者や遺族の悲しみを増す結果になりかねない」として、日程の変更を要請。県内の被爆者7団体も7月、連名で抗議文を送ったが、田母神氏や主催者は「表現の自由だ」などと応じなかった。

 会場周辺では、田母神氏の主張に反対する横断幕を掲げ、シュプレヒコールを上げる団体と、右翼の街宣車が言い争う一幕もあった。

(共同通信 2009年8月6日 19時58分)


当ブログには、「核抑止論」に基づいてブログの記事を批判するコメントが多数寄せられた。核抑止論などという大昔から論じられている妄論の批判など、馬鹿馬鹿しくていまさらする気にもならない。そんなものは権力がおかしくなってしまえば成立しないし、いくら権力者の暴走を防ぐシステムを構築して平和を守るのだといっても、歴史を見れば権力者も人民も狂気に陥って破局に突き進んだ例などいくらでもあるから、そんなものは一切信用できない。今醜態をさらしている自民党の面々を見れば、いかに政治権力などあてにならないかがわかろうというものだ。いくら道のりは遠くとも、目指すべきは完全な核兵器廃絶でなければならない。

それに、今回の田母神の講演会にはそれ以前の問題があり、それは田母神が広島市民を挑発するようなことを言い、わざわざ刺激的なTPOを選んで講演会を行ったことだ。秋葉忠利広島市長は、もちろん表現の自由を重んじる人だから、「被爆者や遺族の心情を逆なでする」として日程変更を要請しただけだった。地域感情に配慮してほしいとお願いしただけのことだ。ところが、右翼はこれを「言論弾圧」だと騒ぎ立てる。いくら、「表現の自由の問題ではなく、人道的な問題だ」と繰り返し言っても耳を貸さない。そして、ネット検索で共同・時事通信と、田母神支持の立場に立つ産経新聞の記事しか引っかからなかったことからもわかるように、大新聞はこの件の報道にいたって不熱心である。唯一の被爆国のジャーナリズムとして情けない限りである。

このままだと、日本の言論の主流は、田母神俊雄をはじめ、城内実、橋下徹、中田宏らが思い描くような方向へと突き進んでしまうのではないだろうか。この流れを止めなければならない。


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今日(8月6日)は広島原爆忌である。

日本の敗色が濃厚になった1945年夏、中国・四国地方にも空襲が繰り返された。6月29日に岡山、7月4日には高知、高松、徳島の四国三県県庁所在地、7月27日には残る愛媛の松山が空襲の被害を受けた。地方都市でもっとも多くの空襲を受けた都市は浜松(静岡県)であり、浜松は判明しているだけでも27回の空襲を受け、あわせて3000人以上が犠牲になったとされている。そんな浜松から、極右政治家・城内実を国政に送り出さないでほしいと思う。

多くの地方都市が空襲の被害を受ける中、8月5日まで、広島市だけは被害がなかったのだが、これは米軍が原子爆弾を投下した時の被害を調べるために、意識的に空襲を行わないできたためだった。そして、その広島に原爆が投下されたのが、64年前、1945年の8月6日だった。

その8月6日に、田母神俊雄が広島で講演会を行う。ふざけた話である。この件に関して、『河野美代子のいろいろダイアリー』が記事を書いているので、これを紹介したい。著者は、広島で35年間産婦人科のお医者さんをやっておられる方だ。


「私的平和考?田母神氏が8・6に広島で講演をすると。」(6月25日付)
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-b3f8.html

 昨日の終わりに述べたように、田母神氏が、広島で、それも8月6日に講演を行うと中国新聞に出ていた。講演のタイトルは「ヒロシマの平和を疑う」。主催は日本会議広島。中国新聞の取材によれば「日本のために核武装をするべきだと考えており、講演ではそこに触れることになると思う」のだそうだ。

 なぜ広島で8月6日にこのような講演を行うのか。自らの筆舌に尽くしがたい経験から、核兵器廃絶を願う被爆者に対し、あまりにむごい仕打ちではないか。

 主催する日本会議広島は「原爆殉職者に追悼の祈りをささげる特別な日。戦後日本の運命を決定づけた象徴的な日をあえて選び、真の平和を考えるイベントを企画した」のだそうだ。

(『河野美代子のいろいろダイアリー』 2009年6月25日付エントリ 「私的平和考?田母神氏が8・6に広島で講演をすると。」 より)



「8月6日がやって来ました。」(8月6日付)
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-8d67.html

 8月6日になりました。

 昨日のお昼、炎天下、中学・高校生たちが署名を集めていました。お疲れ様、私は明日、あなたたちの署名用紙を300枚配りますよ、と言ったら、女子高校生の顔がパッと輝きました。ああ、この子たちは本気で署名集めている、と、不覚にも涙がこぼれそうになりました。

(中略)

 そして、やまとの湯に行って、夫が出てくるのをまちながら新聞をよんでいたら、出てました。7月12日に田母神さんが、講演で「となりでは慰霊祭とやらをやっていても、私は核武装です。」と、ヒロシマで8月6日、平和公園近くで講演をすることを言ったそうで。そして、1500人の聴衆が拍手を送ったと。

 いくら言論が自由だといったって、ヒロシマでの慰霊式を揶揄することは許せません。ヒロシマでは大変多くの人々が、家族の命日なのです。だから、爆心地近くのお寺のお墓は、線香の煙でもうもうとするほどなのです。まだまだ生存してる被爆者は、いやでもあの地獄を思い出し、涙する日なのです。ヒロシマ中が命日なのですよ。多くの人にとって、決して過去の出来事ではないのです。(父の名前も慰霊碑の中に入っています。)

 麻生氏が慰霊式に来るそうだけれど。この人も、田母神の講演会を主催する「日本会議」の重要なメンバーなのですね。

 時が経って、ヒロシマが情けないことになりました。

 でも、先日のはだしのゲンの英語版全翻訳の出版激励会で、秋葉市長が言われたことが励みです。「核兵器廃絶を願う人のほうが多数なのです」と。

(『河野美代子のいろいろダイアリー』 2009年8月6日付エントリ 「8月6日がやって来ました。」 より)



麻生首相も日本会議の主要メンバーだが、城内実も日本会議理事・城内康光の倅であり、城内実のボス・平沼赳夫は日本会議の重鎮である。一昨年惨めに倒れた安倍晋三内閣は、安倍をはじめとして日本会議のメンバーで固めた内閣だった。

それにしても許せないのは「となりでは慰霊祭とやらをやっていても」などという田母神の言い草である。「煽り文句」で喧嘩を売っている。このあたりも、ブログの批判に対して「煽り」のエントリで応戦した城内実とよく似ている。そもそも、「8月6日」に「広島」で核武装論を声高に叫ぶ講演会を行うこと自体「殴り込み」以外のなにものでもない。いくら言論の自由が保障されているといっても、地域感情に配慮するのが人の道というものだろう。

本来、静かに犠牲者を悼む日であるべき「広島原爆忌」の8月6日に、今日行われる田母神俊雄の講演会への注目を喚起せざるを得ないとは、まことに残念なことだ。


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今日は63回目の「終戦記念日」。例年なら、新聞の一面に終戦記念日の関連記事が載るはずの日だ。

ところが、今年の朝日新聞(大阪本社発行統合版=14版▲)の一面は、五輪の記事で埋め尽くされていて、終戦記念日の記事は「天声人語」にあるだけだ。競泳の北島康介の二大会連続二冠は、もちろん一面トップで称えられるべき快挙だし、1984年の具志堅幸司以来、24年ぶりに体操個人のメダルを獲得した内村航平の記事を一面に載せることにも異議はないが、「星野J 台湾破り初勝利」などという見出しを載せるくらいなら、終戦記念日の記事にスペースを割くべきだろう。

朝日新聞は、三面には社説と村山元首相のインタビューで、まるまる終戦記念日の記事に充てているとはいえ、「きょう 63回目終戦記念日」という記事は、なんと社会面に三段で小さく出ているだけだ。もちろん、他の記事を戦争に関連づけるなど、それなりに終戦記念日を意識した紙面づくりはしているが、少なくとも昔の朝日新聞とはまるで違う。

コイズミは首相在任中最後の2006年の終戦記念日に靖国神社に参拝したが、今年もコイズミは参拝した。福田首相は以前からの言明通り、参拝していない。しかし、農水相の太田誠一が靖国に参拝したほか、法相・保岡興治と消費者行政推進担当相・野田聖子も参拝予定だそうだ。前首相・安倍晋三も予想通り参拝した。

今年は、李纓(リ・イン)監督が撮った映画『靖国 YASUKUNI』が、稲田朋美らの妨害工作はあったものの公開されたが、これを機に靖国に関心を持って、靖国神社の正体が、戦没者を悼む施設などではなく、「英霊」を「顕彰」する戦争推進の施設であることを知った人も多いだろう。しかし、右翼政治家による靖国参拝は相変わらず後を絶たない。唯一の救いは、北京五輪開催中の現在、右翼系のコイズミ?安倍から福田政権に代わったことだろう。しかし、閣僚の靖国参拝は安倍内閣時代の昨年が1人(高市早苗)だけだったのに、今年は3人と増えているありさまだ。これでは、不戦の誓いどころではあるまい。

テレビなどでも、右翼言論人の物言いはだんだん過激さを増してきている。先日来当ブログでは、櫻井よしこの「日本国憲法が秋葉原事件を起こした」という発言を批判するキャンペーンを張っているが、櫻井発言など右翼の跳ねっ返りの典型例だろう。櫻井は、『正論』9月号にも安倍晋三との対談で登場し、福田政権の拉致問題への対応を批判し、安倍をしきりに持ち上げている。

しかし、不思議でならないのは、いわゆる「リベラル・左派系」で櫻井や安倍晋三を批判する声が意外なほど小さいことだ。なぜか、「反貧困」のためには左右が手を組め、という声が主流で、「憲法9条派」と「憲法25条派」が連携すべきだという主張が聞かれる。当ブログは、憲法9条と憲法25条は、それぞれ独立にではなく、関連づけて論じるべきだと主張し、改憲に執念を燃やす右翼を批判しているのだが、それに対して、「右とか左とかうるさいことをギャーギャー言うな」と批判を受けることが多い。それも、当ブログが批判している対象である右翼からではなく、ネット上の左翼からその種の批判を受けるのだ。いったいどうなっているのか、頭が混乱してしまいそうだ。

一つだけ言えるのは、ブログを開設しているネット上の左派の人たちの多くは、自らの主張よりもブロガー同士の人間関係を優先して、その中で声の大きい(というか、アクセス数が多いというべきか?)「左右共闘」論者の言うことに従ってしまっているように見えることだ。

最近つくづく思うのだが、右翼、左翼を問わず、ネットの言論は極端に偏っていて、すぐに変な方向に集団で動いて行ってしまう。カルト的とさえいえるくらいだ。そして、ブログのコメント欄への書き込みを専門にしている、いわゆる「コメンター」は特に陰謀論や擬似科学を好む傾向が強く、ブロガーをそういう方向に誘導したがる。私はブログを始めるまで、きくちゆみの存在さえ知らなかったし、その存在を知ったあとも、彼女が「9・11陰謀論」の大家であることを知るまでには、かなりの時間を要した。リチャード・コシミズなる人物の名前を知ったのは、ほんの去年の秋だ。

しかし、今にして思い出すと、「AbEnd」キャンペーン(安倍を「the End!」させよう、を合言葉にした反安倍晋三のブログ運動)を始めて間もない頃、きくちゆみのブログにTBしてみろと私をけしかけたコメンターがいた。「水からの伝言」騒動にかかわってからは、コメンターの多くが陰謀論や擬似科学に汚染されていることを知った。その中の一人は、昨年末だったかにブログを開設して、「水からの伝言」の批判派に対して「解同」(部落解放同盟)というレッテルを張ったし、別のコメンターは同じ批判派を「ソーカルト」(創価学会とカルトを掛け合わせた造語らしい)呼ばわりした。そして、何も知らずに、素朴な気持ちから政権に批判的なブログを立ち上げた人の多くが、陰謀論者や擬似科学愛好者に騙され、引っかかっていく。あげくの果てには、安倍晋三とつるんでいる櫻井よしこがテレビで日本国憲法を全否定する暴言を吐いても、それを批判できなくなってしまう。というのは、「櫻井さんは、○○さんが入れ込んでいる△△一派の×××さんを応援している」からなのだ。櫻井は、かつてコイズミを厳しく批判していたことがあり、自民党政治を終わらせるためには手を組むべき相手だということなのだろう。噴飯ものである。

しかし、ブロガー連中がこのていたらくでは、平和国家・日本の未来は暗澹たるものかというと、決してそうではない。憲法改定に賛成する意見は年々減っているし、一般庶民は、維新政党・新風も9条ネットも応援しないけれども、自民党の政治がダメだと思ったら昨年夏の参院選のように自民党を惨敗させ、共産党が反貧困に力を入れるようになったと思ったら、2ちゃんねらーでさえ「志位GJ」と共産党にエールを送る。右も左もひたすらカルトに走りたがるブログに比べて、ブログほどネットにかかわらない掲示板投稿者の方がまだしも健全だし、それよりももっと健全なのが、「マスゴミに騙されている」はずの一般庶民なのだ。「庶民的」を売り物にしながら、コメンター連中にいいように操られて、陰謀論と擬似科学の広告塔と化してしまったブログとは大違いである。

ま、裏を返せばブログの影響力なんてたかが知れているということで、ブログに騙されるほど国民はバカじゃないことを思い知ったのが、安倍政権が倒れて以来のこの1年で私がいちばん痛感したことだ。

ところで、これまでの自公政権は、政治思想的には右翼的な国家主義、経済政策的には新自由主義をとってきて、これは国民をとことん不幸にする政治路線だったため、ブログで記事を書いていても批判が容易だった。

しかし、今後は麻生太郎が公明党とタッグを組んで、少なくともコイズミ?安倍時代のような露骨な新自由主義はとらなくなるだろう。それによって、このままだと「昭和20年」ならぬ「平成20年」に自公政権がジ・エンドを迎える流れに何とか歯止めをかけようとするはずだ。しかし、彼らの真の狙いは政官業癒着構造の温存にほかならない。

これに対し、政権を批判する側が用心しなければならないことが2つあって、一つは新自由主義のポジションから政権側が距離を置いたとしても、「カイカクが後退した」などと新自由主義的な立場からの批判を行ってはならないということだ。あくまで国民生活を良くする福祉国家的な立場に立って物事を考えたい。

もう一つは、排外主義に走らないことだ。現在のように国が傾いている時には、ポピュリズムを得意とする右派民族主義勢力は、従来からの「反中」「反韓」「反北朝鮮」に「反米」を加えて、日本人の自尊心をくすぐってくる可能性がある。そして、このような時代においては、国民はそれに引っかかりやすい。櫻井よしこや、今後反米に転じる可能性の高い安倍晋三、それに彼らとの親和性の高い、いずれ結成されるであろう平沼新党は、そういう危険性を持った勢力だ。

彼らに騙されて変な方向に走り出すと、せっかくの終戦記念日の不戦への誓いもどっかに飛んでいってしまう。国力が傾いている時期にこそ、我慢強く、漸進的な方法論によって日本の社会を良い方向に変えていく努力が必要だと考える次第だ。


[後記]
1か月近く無休(毎日更新)で走り続けてきましたが、今後は休日はできるだけ休むようにするなど、ブログを公開しない日をはさみながら、じっくりとブログで意見の発信を続けたいと思います。とりあえず明日は公開をお休みします。


#この記事は、「トラックバックピープル・自民党」 および 「トラックバックピープル・安倍晋三」 にトラックバックしています。ここにTBされている他の自民党および安倍晋三関係の記事も、どうかご覧下さい。

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今日は63回目の長崎原爆忌。広島原爆忌の8月6日同様、静かに祈りを捧げる日だ。

原爆でお亡くなりになった方々を悼み、後遺症に苦しまれている方々に心からお見舞い申し上げる。

長崎というと、1988年12月の本島等市長(当時)による「天皇に戦争責任はあると思う」という発言も忘れがたい。タブーを破る勇気ある発言だったが、その本島市長は1年あまり後の1990年1月18日、テロの凶弾によって重傷を負った。

不幸中の幸いで、本島氏は一命を取り留めたが、2007年4月17日、伊藤一長市長を再び凶弾が襲い、伊藤氏は命を奪われてしまった。伊藤氏は、天皇発言後「左傾」した本島市政を倒すために自民党に擁立された人だったが、市長に就任すると、それまでの姿勢を転換し、核兵器の撤廃運動を積極的に行なった。長崎市長というのは、保守の人をもそうさせる職責なのかもしれない。
改めて、伊藤一長さんのご冥福をお祈りしたい。

広島の「原爆の日」同様、一昨年のこの日の「きっこの日記」は印象深かった。

「きっこの日記」 より 「小学生を見習え!」 (2006年8月9日)
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060809


これは、一昨年の広島での平和記念式典における「こども代表・平和への誓い」を取り上げたものだ。末尾に、きっこさんに先立ってこれを取り上げた「カナダde日本語」へのリンクが張られているが、ブログのトップページへのリンクになっているので、当該エントリへのリンクを下記に張っておく。

「カナダde日本語」より 「日本の平和のために」 (2006年8月6日)
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-226.html


広島の原爆記念式典では、子供たちによる「平和への誓い」は毎年行われる。下記に、昨年と今年の「平和への誓い」へのリンクを示す。

平成19年度 「平和への誓い」
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1186138158188/index.html

平成20年度 「平和への誓い」
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1217841536040/index.html


最後に、昨年の長崎での平和祈念式典における被爆者代表・正林克記さんの「平和への誓い」へのリンクを示す。

「Nagasaki Peace Site」より 「平和への誓い」
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2007/kikaku/sengen/chikai.html


それぞれの人たちの、平和を希求する言葉に接し、その思いをかみしめながら、私も私なりに、「平和への誓い」を新たにしたい。
今日は63回目の広島原爆忌。静かに祈りを捧げる日だ。

ブログを開設して間もなかった一昨年のこの日、「きっこの日記」を読んで深い感銘を受け、同じ日に公開した自らのエントリを恥じたことは忘れられない。

「きっこの日記」 より 「原爆の日」 (2006年8月6日)
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060806


原爆でお亡くなりになった方々を悼み、後遺症に苦しまれている方々に心からお見舞い申し上げるとともに、二度と馬鹿げた戦争を起こさないために努力することを誓いたい。
そして、戦争への芽を未然に摘み取るべく、微力ながらこれからもブログで意見を発信し続けていきたいと思う。