前回のエントリ「産経新聞と自民党は潰れてもらった方が世のため人のため」(1月12日付)は、特に多くのアクセスをいただいたわけではないが、ここ最近のエントリとしては、「ブログ拍手」が多かった。これを書いている時点で185件であるが、衆院選が終わってしばらく経った頃から、「ブログ拍手」が150件を超えることはまれになっていたから、久々にご賛同いただいた方の多いエントリになったといってもよさそうだ。
衆院選が終わって来月末で半年になるが、今になってもやはり自民党は国民の多くから相変わらず嫌われているのだなと感じる。私は民主党に対して是々非々のスタンスをとっているし、民主党を批判したエントリには逆に読者から批判を浴びることも多い。しかし、こと自民党批判となると、逆風を感じることはほとんどない。5年前の郵政総選挙の頃、あれほどネットにあふれ返っていた小泉信者たちはいったいどこに行ってしまったのだろうかと思うほどだ。
現在、ニュースでもっとも盛んに取り上げられているのが、小沢一郎の「政治とカネ」の問題なのだが、正直言って私はこの問題にあまり熱中できない。むしろ逆に、「ああ、またその話か」とうんざりしてしまうのが正直なところだ。
このところ、以前に買い込んでいながら、ブログ書きなどにかまけて読んでこなかった本を引っ張り出して読み始めているのだが、その中の一冊に、岩川隆著『巨魁―岸信介研究』(ちくま文庫、2006年;初出はダイヤモンド社、1977年)がある。奥付を見ると、「2006年9月10日 第1刷発行」とあり、安倍晋三の首相就任を当て込んで文庫化したものであることは明らかだが、私はこの本を安倍晋三が総理大臣に就任した直後に買ったのだったが、巻末に猪瀬直樹が安倍をヨイショする解説文を書いているし、おそらく岸信介マンセー本だろうと思って読まずに放置していたのだった。
だが、読み始めるとすぐに、そうではなかったことがわかった。文章のそこかしこに岸信介を批判する表現が散りばめられており、岸を「ファシスト」とまで評している。そんな批判的なスタンスで書かれた評伝である。もともとは月刊『現代』に1975年(昭和50年)から翌年にかけて連載された記事だったそうで、そういえば同じ雑誌に連載された魚住昭の『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社文庫、2003年;初出は講談社、2000年)にも相通じる読みやすさと面白さがある。だが、政権が小泉純一郎から安倍晋三へと移行しようとしていた2006年に、猪瀬直樹はこの本を岸信介再評価の書であるかのように書き、「安倍晋三が宿命の人とは、それでも核兵器をもたずにアメリカと対等な関係を築くという、岸信介が始めた挑戦をつづけるに違いないからである」などというトンチンカンな安倍晋三賛美で解説文を締めくくった。事実は、安倍は「アメリカと対等な関係を築く」どころか、従軍慰安婦に関するトンデモ発言をして、アメリカでブッシュに謝罪する羽目に追い込まれたし、「挑戦をつづける」どころか、参院選に惨敗したあとに開かれた2007年の臨時国会で所信表明演説を行いながら、その2日後に自分から総理大臣の職を投げ出した。猪瀬直樹が書いた解説文は、その後1年も経たずして色あせ、陳腐きわまりない上に原著の価値を貶める蛇足と化してしまったが、岩川隆の原著自体は、今読み返しても十分面白いものだ。面白いノンフィクションは30年経っても価値を失わないが、御用ライターの書く権力者への歯の浮くようなお追従は、あっという間に無意味化するのである。岩川隆は2001年に他界しているが、猪瀬直樹は生きているうちから忘れ去られることだろう。
本を読んで、安倍晋三の祖父・岸信介をはじめ、麻生太郎の祖父・吉田茂、鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎、赤城徳彦の祖父・赤城宗徳、河野太郎の祖父・河野一郎ら、現役大物政治家の祖父たちが活躍していたことを改めて思い返し、ああ、政界とは世襲の世界なのだなあと一瞬思ってしまうが、よくよく思い返せば、70年代から80年代にかけて政権を担った三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)に世襲政治家はいなかったし、現在の民主党政権でも、世襲の鳩山由紀夫、小沢一郎の時代にあとには、非世襲政治家の時代が来るだろうし、また有権者がそういう方向に持って行かなければならない。政治を無能な世襲のボンボンに支配させた責任は、選挙で彼らを選んだ有権者にある。
もちろん岸信介自身も世襲政治家ではなかった。A級戦犯容疑で逮捕、投獄された岸が不起訴処分になった背景は、前述岩川の著書にも書かれているが、冷戦の時代になって日本の再軍備を待望するアメリカが、岸に利用価値を見いだしたからだ。アメリカにとっては、改憲より経済に力を入れようとする吉田茂も、改憲論者ながらソ連や中国との関係改善に熱心で日ソ国交回復も行った鳩山一郎も、いずれも好ましくなかった。だから岸信介政権の樹立を待望し、工作まで行った。本には出てこないが当時CIAは岸信介、佐藤栄作兄弟に資金援助を行っており、佐藤栄作などはCIAに金をせびったことさえアメリカで情報公開された文書から明らかになっている。
戦後政治における金権政治の創始者も、岸信介である。児玉誉士夫との関係は悪名高いが、前記岩川の著書を読んで驚いたのは、児玉にせよ岸にせよずいぶん開けっぴろげな言動をとっていることだ。たとえば児玉は、政治家との金銭授受から10年経ってから、「もう時効だから話すが」などといって雑誌で平然と過去の内幕を暴露する。岸も岸で、航空自衛隊の次期主力戦闘機選定をめぐって自民党が企業からの献金を受けたことが取りざたされている時期に、周り中が噂の企業の敷地である土地に、平気で豪邸を建てたりしている。大らかな時代といってしまえばそれまでだが、岸が「金権政治の創始者」であるとの評価が後世で固まったのは当然である。ひところ、「岸信介の孫」を売り物にして総理大臣にのし上がった安倍晋三は、金権政治の創始者が田中角栄であるかのようにしゃべったり、あの恥さらしななんとかいう著書(文春の記者に書かせたとの噂がもっぱら)に書いたりしているが、安倍の歴史修正主義者の本領発揮というべきところであり、もちろん事実は岸信介こそ戦後保守政治史における金権政治の創始者なのである。
だが、岸は前述の第一次FX(次期主力戦闘機)商戦やインドネシア賠償疑惑、それに前記岩川隆の著書が書かれたあとに発覚したダグラス・グラマン事件などに「疑惑の政治家」として名前を取り沙汰されながら、ついに罪を問われることなくあの世へと旅立った。これらのうち私がリアルタイムで報道に接したのは1978年暮に発覚したダグラス・グラマン事件だけであるが、1976年に発覚したロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたこともあり、ダグラス・グラマン事件でも政治家への捜査が期待された。日商岩井の海部八郎副社長が逮捕された時、のちに検事総長となる伊藤栄樹法務省刑事局長は、「捜査の要諦はすべからく、小さな悪をすくい取るだけでなく、巨悪を取り逃がさないことにある。もし、犯罪が上部にあれば徹底的に糾明し、これを逃さず、剔抉しなければならない」と述べ、政界中枢への波及を示唆したが、その1か月後、時効と職務権限の壁に阻まれたとして、岸信介をはじめとする政治家は罪に問われることなく、捜査は終結した。こうして、岸信介を逮捕できる最後のチャンスを検察は取り逃がした。
現在さかんに報道されている小沢一郎をめぐる複雑なカネの流れについて、検察のリークによると思われる報道がテレビに新聞にあふれ返っているが、正直言って私はどこが問題なのかよく理解できない。小沢一郎自身については、かつて90年代には強い嫌悪感を持っていて、そのために1994年に自社さ政権が成立した時には、反小沢および反新自由主義の立場からこれを支持したくらいだが(もっとも自社さ政権も、特に後半の橋本龍太郎政権時代に新自由主義政治を行ったのだが)、ことさらに小沢一郎への悪い印象操作を目的としているだけなのではないかと思える検察の捜査やマスコミの報道には強い違和感を覚える。そして、4年前のライブドア事件や村上ファンド事件の時にも、堀江貴文や村上世彰らが逮捕され、新自由主義陣営はダメージを受けたが、当時疑惑がささやかれた岸信介の孫たる安倍晋三には捜査は及ばなかった。その後に発覚した軍事利権疑惑にせよ、本質は経世会から清和会への軍事利権の移転だったと思うのだが、捜査は清和会系はおろか経世会系の政治家にさえ及ばなかった。小沢の疑惑については、それはそれで厳しく追及すべきだし、妙に小沢一郎をかばい立てする必要もないとは思うけれども、経世会系列より、もっとずっと悪質な清和会系列、戦後日本の復興と経済成長には「保守本流」と比べて寄与が著しく小さいばかりか、軍備増強派でありながら自主独立よりアメリカへの隷従路線に傾斜し、日本の政治や社会に害毒を流し続けた岸信介一派が何の追及も受けないことは、どうしても承服できないのである。
長く政権を担い、かつて「国民政党」といわれた自民党は、近く行われる党大会でイデオロギー色の強い運動方針案を採択する見込みだといわれている。前世紀には「保守本流」が支配していた自民党は、いまや岸信介の亡霊が支配する政党になってしまったかのようだ。もちろんそのネオ自民党を象徴する人物は安倍晋三である。いくら民主党というか小沢一郎が、昔からの田中角栄の流れを引き継ぐ金権体質を持っていようが、検察やマスコミの矛先が小沢にばかり向かって、昔から疑惑を逃れ続けた「昭和の妖怪」・岸信介の系列には何のメスも入らない状況に、私は強い苛立ちを感じる。
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衆院選が終わって来月末で半年になるが、今になってもやはり自民党は国民の多くから相変わらず嫌われているのだなと感じる。私は民主党に対して是々非々のスタンスをとっているし、民主党を批判したエントリには逆に読者から批判を浴びることも多い。しかし、こと自民党批判となると、逆風を感じることはほとんどない。5年前の郵政総選挙の頃、あれほどネットにあふれ返っていた小泉信者たちはいったいどこに行ってしまったのだろうかと思うほどだ。
現在、ニュースでもっとも盛んに取り上げられているのが、小沢一郎の「政治とカネ」の問題なのだが、正直言って私はこの問題にあまり熱中できない。むしろ逆に、「ああ、またその話か」とうんざりしてしまうのが正直なところだ。
このところ、以前に買い込んでいながら、ブログ書きなどにかまけて読んでこなかった本を引っ張り出して読み始めているのだが、その中の一冊に、岩川隆著『巨魁―岸信介研究』(ちくま文庫、2006年;初出はダイヤモンド社、1977年)がある。奥付を見ると、「2006年9月10日 第1刷発行」とあり、安倍晋三の首相就任を当て込んで文庫化したものであることは明らかだが、私はこの本を安倍晋三が総理大臣に就任した直後に買ったのだったが、巻末に猪瀬直樹が安倍をヨイショする解説文を書いているし、おそらく岸信介マンセー本だろうと思って読まずに放置していたのだった。
だが、読み始めるとすぐに、そうではなかったことがわかった。文章のそこかしこに岸信介を批判する表現が散りばめられており、岸を「ファシスト」とまで評している。そんな批判的なスタンスで書かれた評伝である。もともとは月刊『現代』に1975年(昭和50年)から翌年にかけて連載された記事だったそうで、そういえば同じ雑誌に連載された魚住昭の『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社文庫、2003年;初出は講談社、2000年)にも相通じる読みやすさと面白さがある。だが、政権が小泉純一郎から安倍晋三へと移行しようとしていた2006年に、猪瀬直樹はこの本を岸信介再評価の書であるかのように書き、「安倍晋三が宿命の人とは、それでも核兵器をもたずにアメリカと対等な関係を築くという、岸信介が始めた挑戦をつづけるに違いないからである」などというトンチンカンな安倍晋三賛美で解説文を締めくくった。事実は、安倍は「アメリカと対等な関係を築く」どころか、従軍慰安婦に関するトンデモ発言をして、アメリカでブッシュに謝罪する羽目に追い込まれたし、「挑戦をつづける」どころか、参院選に惨敗したあとに開かれた2007年の臨時国会で所信表明演説を行いながら、その2日後に自分から総理大臣の職を投げ出した。猪瀬直樹が書いた解説文は、その後1年も経たずして色あせ、陳腐きわまりない上に原著の価値を貶める蛇足と化してしまったが、岩川隆の原著自体は、今読み返しても十分面白いものだ。面白いノンフィクションは30年経っても価値を失わないが、御用ライターの書く権力者への歯の浮くようなお追従は、あっという間に無意味化するのである。岩川隆は2001年に他界しているが、猪瀬直樹は生きているうちから忘れ去られることだろう。
本を読んで、安倍晋三の祖父・岸信介をはじめ、麻生太郎の祖父・吉田茂、鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎、赤城徳彦の祖父・赤城宗徳、河野太郎の祖父・河野一郎ら、現役大物政治家の祖父たちが活躍していたことを改めて思い返し、ああ、政界とは世襲の世界なのだなあと一瞬思ってしまうが、よくよく思い返せば、70年代から80年代にかけて政権を担った三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)に世襲政治家はいなかったし、現在の民主党政権でも、世襲の鳩山由紀夫、小沢一郎の時代にあとには、非世襲政治家の時代が来るだろうし、また有権者がそういう方向に持って行かなければならない。政治を無能な世襲のボンボンに支配させた責任は、選挙で彼らを選んだ有権者にある。
もちろん岸信介自身も世襲政治家ではなかった。A級戦犯容疑で逮捕、投獄された岸が不起訴処分になった背景は、前述岩川の著書にも書かれているが、冷戦の時代になって日本の再軍備を待望するアメリカが、岸に利用価値を見いだしたからだ。アメリカにとっては、改憲より経済に力を入れようとする吉田茂も、改憲論者ながらソ連や中国との関係改善に熱心で日ソ国交回復も行った鳩山一郎も、いずれも好ましくなかった。だから岸信介政権の樹立を待望し、工作まで行った。本には出てこないが当時CIAは岸信介、佐藤栄作兄弟に資金援助を行っており、佐藤栄作などはCIAに金をせびったことさえアメリカで情報公開された文書から明らかになっている。
戦後政治における金権政治の創始者も、岸信介である。児玉誉士夫との関係は悪名高いが、前記岩川の著書を読んで驚いたのは、児玉にせよ岸にせよずいぶん開けっぴろげな言動をとっていることだ。たとえば児玉は、政治家との金銭授受から10年経ってから、「もう時効だから話すが」などといって雑誌で平然と過去の内幕を暴露する。岸も岸で、航空自衛隊の次期主力戦闘機選定をめぐって自民党が企業からの献金を受けたことが取りざたされている時期に、周り中が噂の企業の敷地である土地に、平気で豪邸を建てたりしている。大らかな時代といってしまえばそれまでだが、岸が「金権政治の創始者」であるとの評価が後世で固まったのは当然である。ひところ、「岸信介の孫」を売り物にして総理大臣にのし上がった安倍晋三は、金権政治の創始者が田中角栄であるかのようにしゃべったり、あの恥さらしななんとかいう著書(文春の記者に書かせたとの噂がもっぱら)に書いたりしているが、安倍の歴史修正主義者の本領発揮というべきところであり、もちろん事実は岸信介こそ戦後保守政治史における金権政治の創始者なのである。
だが、岸は前述の第一次FX(次期主力戦闘機)商戦やインドネシア賠償疑惑、それに前記岩川隆の著書が書かれたあとに発覚したダグラス・グラマン事件などに「疑惑の政治家」として名前を取り沙汰されながら、ついに罪を問われることなくあの世へと旅立った。これらのうち私がリアルタイムで報道に接したのは1978年暮に発覚したダグラス・グラマン事件だけであるが、1976年に発覚したロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたこともあり、ダグラス・グラマン事件でも政治家への捜査が期待された。日商岩井の海部八郎副社長が逮捕された時、のちに検事総長となる伊藤栄樹法務省刑事局長は、「捜査の要諦はすべからく、小さな悪をすくい取るだけでなく、巨悪を取り逃がさないことにある。もし、犯罪が上部にあれば徹底的に糾明し、これを逃さず、剔抉しなければならない」と述べ、政界中枢への波及を示唆したが、その1か月後、時効と職務権限の壁に阻まれたとして、岸信介をはじめとする政治家は罪に問われることなく、捜査は終結した。こうして、岸信介を逮捕できる最後のチャンスを検察は取り逃がした。
現在さかんに報道されている小沢一郎をめぐる複雑なカネの流れについて、検察のリークによると思われる報道がテレビに新聞にあふれ返っているが、正直言って私はどこが問題なのかよく理解できない。小沢一郎自身については、かつて90年代には強い嫌悪感を持っていて、そのために1994年に自社さ政権が成立した時には、反小沢および反新自由主義の立場からこれを支持したくらいだが(もっとも自社さ政権も、特に後半の橋本龍太郎政権時代に新自由主義政治を行ったのだが)、ことさらに小沢一郎への悪い印象操作を目的としているだけなのではないかと思える検察の捜査やマスコミの報道には強い違和感を覚える。そして、4年前のライブドア事件や村上ファンド事件の時にも、堀江貴文や村上世彰らが逮捕され、新自由主義陣営はダメージを受けたが、当時疑惑がささやかれた岸信介の孫たる安倍晋三には捜査は及ばなかった。その後に発覚した軍事利権疑惑にせよ、本質は経世会から清和会への軍事利権の移転だったと思うのだが、捜査は清和会系はおろか経世会系の政治家にさえ及ばなかった。小沢の疑惑については、それはそれで厳しく追及すべきだし、妙に小沢一郎をかばい立てする必要もないとは思うけれども、経世会系列より、もっとずっと悪質な清和会系列、戦後日本の復興と経済成長には「保守本流」と比べて寄与が著しく小さいばかりか、軍備増強派でありながら自主独立よりアメリカへの隷従路線に傾斜し、日本の政治や社会に害毒を流し続けた岸信介一派が何の追及も受けないことは、どうしても承服できないのである。
長く政権を担い、かつて「国民政党」といわれた自民党は、近く行われる党大会でイデオロギー色の強い運動方針案を採択する見込みだといわれている。前世紀には「保守本流」が支配していた自民党は、いまや岸信介の亡霊が支配する政党になってしまったかのようだ。もちろんそのネオ自民党を象徴する人物は安倍晋三である。いくら民主党というか小沢一郎が、昔からの田中角栄の流れを引き継ぐ金権体質を持っていようが、検察やマスコミの矛先が小沢にばかり向かって、昔から疑惑を逃れ続けた「昭和の妖怪」・岸信介の系列には何のメスも入らない状況に、私は強い苛立ちを感じる。
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手前味噌だが、「佐藤栄作 ノーベル平和賞」を検索語にしてGoogle検索を行うと、当ブログの昨年10月10日付記事「佐藤栄作のノーベル平和賞を剥奪せよ」が上位で引っかかる。これは、1969年11月に佐藤栄作首相(当時)とニクソン米大統領(同)が交わした、沖縄に核兵器を持ち込むことについて定めた密約を示す公文書(キッシンジャー元米国務長官の覚書)の存在が明らかになったと報じる新聞記事を紹介し、佐藤がノーベル平和賞に値しない人物だったと論じたものだ。
佐藤栄作は、前首相・安倍晋三の大叔父であり、安倍は2002年に早稲田大学で行われた講演会で「戦術核の保有や使用は違憲ではない」とぶち上げ、それを『サンデー毎日』に報じられて批判を浴びたことは、当ブログでも何度か紹介した。
ところが、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作もまた、核武装論者だったのだ。しかし、広島と長崎に原爆を落とされ、大きな被害を受けた日本国民は、佐藤が首相をやっていた頃には核武装反対の世論が強かった。また、アメリカも日本の核武装を好まなかった。
月刊『現代』9月号に掲載された春名幹男・名古屋大学大学院教授の「「偽りの平和主義者」 佐藤栄作」は、最近公開された米政府機密文書を元に、佐藤栄作の実像に迫っている。今回のエントリでは、これを要約して紹介したい。
1964年の東京オリンピックのさなかだった10月18日、中国が核実験に成功し、首相就任を翌月に控えていた佐藤は、ますます日本も核武装する必要がある、と強く確信するようになった。そして、65年1月の首相としての初訪米を前にした64年12月29日のライシャワー駐日大使との下打ち合わせで、核武装論をまくし上げたそうだ。
米政府は佐藤の核武装論を好まなかった。佐藤は、リンドン・ジョンソン大統領との首脳会談で、核武装論を取り下げる代わり、日本が防衛のために米国の核抑止力を必要とする場合、米国はそれを提供するという約束をとりつけた。前記日米首脳会談後に発表された日米共同声明には、下記の文言がある。
この公約は、今も厳然と生きている。安倍晋三が総理大臣に就任した直後の2006年10月、北朝鮮が核実験を行った時に、中川昭一・自民党政調会長(当時)と麻生太郎外相(同)が、核武装を論議すべきだ、と言い出した時にも、ブッシュ米大統領とライス国務長官は、「米国は、日本に対する抑止と安保公約を全面的に満たす意思と能力があることを再確認する」と繰り返したのである。
春名教授は、
こんな佐藤だから、平気で「非核三原則」(「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」)を実質的に反故にする密約をアメリカと交わしている(昨年10月10日付エントリ参照)。
1972年の沖縄返還は、「非核三原則」に基づいて、「核抜き本土並み」でなければならなくなったのだが、本エントリ冒頭にも書いたように、佐藤は、沖縄への核兵器を持ち込みについて米ニクソン大統領と密約を交わし、それを記したキッシンジャー国務長官のメモの存在がマスコミでも報じられたのである。
佐藤のノーベル平和賞の受賞理由が、この「非核三原則」だから、受賞者自身がこれに背く密約をしていたことが明らかになった以上、佐藤栄作のノーベル平和賞は剥奪すべきだ、というのが当ブログの主張である。
春名教授は、
佐藤栄作は、加瀬俊一らの行ったノーベル平和賞獲得工作の末に、首相退任2年後の1974年に同賞を受賞した。そういえば、池田大作が同種の工作をしているとは、よく言われるところだ。
その受賞記念演説として、佐藤は「5つの核弊保有国が会議を開き、核兵器の使用について論議し、第一使用を放棄する協定を話し合ってはどうか」という提案を盛り込もうとした。そして、キッシンジャー国務長官にお伺いを立て、了承を取り付けようとした。しかし、キッシンジャーは即座にこの提案を拒否した。結局佐藤は受賞記念演説で「原子力平和利用の三原則」を提案したにとどまり、それに対して国際的反響はなかった。
二枚舌を使った佐藤の外交は、したたかであったかもしれないが、春名教授が書くように、「ノーベル平和賞に値する外交だったと言えるだろうか」とは、誰しもが思うことだろう。2001年、ノーベル賞委員会が出版した『ノーベル平和賞 平和への百年』は、佐藤への授賞は「日本では歓迎されず不信、冷笑、怒りを招いた」と問題の多いものだったことを認めているそうだ。
春名教授は、
それでも、核武装論でアメリカを脅して、「核の傘」を保障させるというのは、佐藤なりに日本の国益を考えた行動だったとは最低限いえるかもしれない。後年総理大臣になった安倍晋三は、アメリカに寄生して日本を軍事大国にしようとした。そして、従軍慰安婦発言でアメリカの怒りを買い、頼りにしていたアメリカにも捨てられてしまった。佐藤栄作もとんでもない政治家だったが、安倍は日本の国益のことさえ考えず、趣味の軍拡に走ろうとしたのだ。おそらく、最終的には北朝鮮に対して戦争を仕掛けたかったのだろう。
今また、吉田茂の孫である麻生太郎・自民党新幹事長が、民主党を「ナチス」にたとえる失言をして顰蹙を買っている。政治家は、二世、三世と世代を下るほど激しく劣化していくもののようだ。
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佐藤栄作は、前首相・安倍晋三の大叔父であり、安倍は2002年に早稲田大学で行われた講演会で「戦術核の保有や使用は違憲ではない」とぶち上げ、それを『サンデー毎日』に報じられて批判を浴びたことは、当ブログでも何度か紹介した。
ところが、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作もまた、核武装論者だったのだ。しかし、広島と長崎に原爆を落とされ、大きな被害を受けた日本国民は、佐藤が首相をやっていた頃には核武装反対の世論が強かった。また、アメリカも日本の核武装を好まなかった。
月刊『現代』9月号に掲載された春名幹男・名古屋大学大学院教授の「「偽りの平和主義者」 佐藤栄作」は、最近公開された米政府機密文書を元に、佐藤栄作の実像に迫っている。今回のエントリでは、これを要約して紹介したい。
1964年の東京オリンピックのさなかだった10月18日、中国が核実験に成功し、首相就任を翌月に控えていた佐藤は、ますます日本も核武装する必要がある、と強く確信するようになった。そして、65年1月の首相としての初訪米を前にした64年12月29日のライシャワー駐日大使との下打ち合わせで、核武装論をまくし上げたそうだ。
米政府は佐藤の核武装論を好まなかった。佐藤は、リンドン・ジョンソン大統領との首脳会談で、核武装論を取り下げる代わり、日本が防衛のために米国の核抑止力を必要とする場合、米国はそれを提供するという約束をとりつけた。前記日米首脳会談後に発表された日米共同声明には、下記の文言がある。
大統領は、米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する。
この公約は、今も厳然と生きている。安倍晋三が総理大臣に就任した直後の2006年10月、北朝鮮が核実験を行った時に、中川昭一・自民党政調会長(当時)と麻生太郎外相(同)が、核武装を論議すべきだ、と言い出した時にも、ブッシュ米大統領とライス国務長官は、「米国は、日本に対する抑止と安保公約を全面的に満たす意思と能力があることを再確認する」と繰り返したのである。
春名教授は、
と指摘している。佐藤は意図的に、舞台裏で「核武装論」を展開して米側を驚かせ、「核の傘」という実を取る対米戦略で成功した、と言える。
とのことだ。したたかといえなくもないかもしれないが、呆れた二枚舌である。一九六九年一月十四日付でアレクシス・ジョンソン駐日米大使が帰任直前に国務長官宛に送った公電によると、佐藤は「非核三原則はナンセンスだ」と発言したこともあった。
だが公式の場では、佐藤は建前として、「非核三原則」を高く掲げた。
こんな佐藤だから、平気で「非核三原則」(「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」)を実質的に反故にする密約をアメリカと交わしている(昨年10月10日付エントリ参照)。
1972年の沖縄返還は、「非核三原則」に基づいて、「核抜き本土並み」でなければならなくなったのだが、本エントリ冒頭にも書いたように、佐藤は、沖縄への核兵器を持ち込みについて米ニクソン大統領と密約を交わし、それを記したキッシンジャー国務長官のメモの存在がマスコミでも報じられたのである。
佐藤のノーベル平和賞の受賞理由が、この「非核三原則」だから、受賞者自身がこれに背く密約をしていたことが明らかになった以上、佐藤栄作のノーベル平和賞は剥奪すべきだ、というのが当ブログの主張である。
春名教授は、
と書いている。「核抜き本土並み」は名ばかりだった。密約によれば、嘉手納、那覇、辺野古などの「既存の核兵器貯蔵所」は「緊急事態に活用できるよう」維持して待機している、とされている。
佐藤栄作は、加瀬俊一らの行ったノーベル平和賞獲得工作の末に、首相退任2年後の1974年に同賞を受賞した。そういえば、池田大作が同種の工作をしているとは、よく言われるところだ。
その受賞記念演説として、佐藤は「5つの核弊保有国が会議を開き、核兵器の使用について論議し、第一使用を放棄する協定を話し合ってはどうか」という提案を盛り込もうとした。そして、キッシンジャー国務長官にお伺いを立て、了承を取り付けようとした。しかし、キッシンジャーは即座にこの提案を拒否した。結局佐藤は受賞記念演説で「原子力平和利用の三原則」を提案したにとどまり、それに対して国際的反響はなかった。
二枚舌を使った佐藤の外交は、したたかであったかもしれないが、春名教授が書くように、「ノーベル平和賞に値する外交だったと言えるだろうか」とは、誰しもが思うことだろう。2001年、ノーベル賞委員会が出版した『ノーベル平和賞 平和への百年』は、佐藤への授賞は「日本では歓迎されず不信、冷笑、怒りを招いた」と問題の多いものだったことを認めているそうだ。
春名教授は、
と記事を結んでいる。(ノーベル賞受賞から)半年後の一九七五年(昭和五十年)六月三日、佐藤は脳卒中で死去した。晩年に突然、反核の平和主義者に変身して、一人だけいい子になることを米国は許さなかったのである。
それでも、核武装論でアメリカを脅して、「核の傘」を保障させるというのは、佐藤なりに日本の国益を考えた行動だったとは最低限いえるかもしれない。後年総理大臣になった安倍晋三は、アメリカに寄生して日本を軍事大国にしようとした。そして、従軍慰安婦発言でアメリカの怒りを買い、頼りにしていたアメリカにも捨てられてしまった。佐藤栄作もとんでもない政治家だったが、安倍は日本の国益のことさえ考えず、趣味の軍拡に走ろうとしたのだ。おそらく、最終的には北朝鮮に対して戦争を仕掛けたかったのだろう。
今また、吉田茂の孫である麻生太郎・自民党新幹事長が、民主党を「ナチス」にたとえる失言をして顰蹙を買っている。政治家は、二世、三世と世代を下るほど激しく劣化していくもののようだ。
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