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きまぐれな日々

コイズミが国民を煽動した一昨年の「郵政総選挙」の前後で人生が変わった人は多いだろう。政治ブログの多くはこの選挙の直後に立ち上がったし、それより半年ほど遅れた当ブログも、あの選挙がなければ立ち上がることはなかった。

あの選挙戦の期間ほど、政治のことが人々の口に上ったことはなかったと思う。みな熱病に浮かされたように「郵政民営化は必要だ」と叫んでいた。

あの時、政治は娯楽と化した。その流れは今日に至るまで続き、田原総一朗が司会を務めるテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」の視聴率は、いまや巨人戦の視聴率より高い。

政治ブログを運営するブロガーの中にも、「政治ブログは敷居が高い」などと言う人がいるが、私には信じられない。俗悪な政治番組よりもさらに噛み砕いて政治の話題を解説したって何の意味があるのだろうかと思う。マスコミは与党寄りだ、などというのかもしれないが、現在のマスコミが自民党に甘く民主党に厳しいわけでは決してない。マスコミは政府を批判しながらも新自由主義政策の宣伝だけは怠りないとはいえるけれども。

ところで、今日の記事は政治番組ではなく、政治番組に視聴率で抜かれた巨人戦中継の話である。巨人戦の年間平均視聴率は、今年も昨年に続いて10%を割ったらしい(関東地方)。今年は、強力な裏番組が存在するなどの理由で視聴率の見込めない試合の中継数がずいぶん減らされたのに、平均視聴率はほとんど回復しなかった。

巨人戦というコンテンツが視聴者から見放されてきたのは明らかだ。これを、生活が苦しくなってきた国民がプロ野球への関心を失ったと見る人たちがいる。しかし、それは必ずしも正しくない。たとえば、今年53年ぶりの日本一になった中日ドラゴンズの親会社系のスポーツ紙「中日スポーツ」は、ドラゴンズ戦の東海地方における視聴率が2年連続で上昇したことを誇らしげに報じている。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200710/CK2007100502053967.html

また、映画・放送・音楽の業界情報を伝えるという「文化通信.com」によると、ホークス(福岡)、ファイターズ(北海道)などの地域に密着した球団の野球中継は、「地方局の人気ソフトとして定着。「地元球団戦はスポンサーもすぐ付く」(地方局幹部)というように営業的にも優良コンテンツになっている」という(下記URL参照)。
http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=11364

ところが、同じ記事は次のような指摘もしている。

かつての巨人戦に代わって地元球団のナイター中継が毎晩のように盛況かと思われた。ところが、地方局の意欲とは裏腹にさほど中継が増えていないのだ。

○キー局の巨人戦削減で、地元球団中継も削減に

 地方局が地元球団の試合を中継する場合、基本的にキー局が関東で巨人戦を放送している時間帯で行われる。しかし、日本テレビが今季巨人主催試合(全72試合)の中継を40試合に削減したのをはじめ、キー局の巨人戦中継が縮小されたため、地方局は思うように中継出来なくなってしまったのだ。加えて、多くの地方局が、系列キー局との兼ね合い、全国ネットセールスの影響等で、「巨人戦を中継せざるを得ない」という。
 名古屋地区では、3?4月の対巨人を除く中日戦で23試合のうち、わずか9試合しか中継されなかった。ちなみに、その平均視聴率は16・9%の高視聴率となっている。
 かつて「巨人王国」とまで言われた北海道・札幌地区での巨人戦ナイター4月平均は8・5%という結果だ。
 地方局は、地元球団戦ならもっと数字がとれるとの思いがあるだけに、ジレンマを抱えている。

(「文化通信.com」 2007年6月11日付記事より)

つまり、地方局は放送したくもない巨人戦を東京キー局に押しつけられ、迷惑を蒙っているというワケだ。人気が低下しているのは巨人戦であって、プロ野球全体ではない。いや、前記「中日スポーツ」の記事によると、熱狂的なことで知られる関西の阪神戦の視聴率も低下傾向にあるらしいのだが、巨人と阪神以外の地域に密着した球団は、決してテレビ中継の視聴率が下がってなどいないのである。

要するに、見捨てられたのは「プロ野球」ではなく「読売巨人軍」なのだ。巨人の球団経営は、「新自由主義的」の一語に尽きる。金の力にあかして四番打者とエース投手と抑えの切り札をかき集める。それが、ナベツネ(渡邉恒雄)や長嶋茂雄らが目指した巨人の野球だ。そして、新自由主義がワーキングプアや格差拡大の元凶であることが知れ渡ってきた現在、新自由主義色の強い巨人の野球から大衆の心が離れて行ったのである。

私は、阪神や中日の球団経営も新自由主義的だと考えている。現に阪神は巨人やメジャーと福留(元中日)らの争奪戦を展開した。しかし、阪神は争奪戦にことごとく敗れた。また、中日も、日本プロ野球においては、巨人・阪神に次いで新自由主義的な球団だが、金の力では巨人や阪神に勝てないので、チームづくりをそれをカバーしている。中でも荒木・井端の二遊間は、中日ファンでなくても感嘆の声をあげるほかない。阪神の人気低下は巨人ほどではなく、中日戦の視聴率は巨人戦・阪神戦とは逆に上昇しているのも、そこらへんと関係がありそうだ。見放されてきているのはプロ野球全体ではなく、新自由主義的な球団経営やチームづくりをしている巨人や阪神だけなのである。特に阪神の新自由主義的球団経営は、このチームがもともと持っていた魅力を著しく損ねるので、経営陣は方針を改めてほしいと思う。一方、巨人は「江川事件」以来のイメージ通りの球団経営だ。

それにしても、かかる不愉快な巨人戦の中継が視聴者のニーズもない地域に押しつけられ、地域の人たちが本当は見たい地元球団の試合の中継が見られないのは理不尽な話である。


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稲尾和久が死んだ。プロ野球・西鉄ライオンズの伝説的名投手である。

私は稲尾の現役時代や西鉄ライオンズの黄金期を知らない。南海ホークスの杉浦忠の現役時代も同様だ。だが、昭和33年(1958年)の日本シリーズで最初の3試合で巨人に3連敗した西鉄が、稲尾の4連投で4連勝して逆転優勝したことは知っている。翌年、杉浦がやはり4連投して南海が巨人にストレートで4連勝したことも知っている。

稲尾の偉業を少年時代の私に教えてくれたのは、日本テレビ系の巨人戦中継が早く終了した時に放送された過去の名勝負のビデオだった。昔の日テレは、「巨人さえ強くて儲かれば良い」などというケチなことは言わなかった。稲尾の4連投4連勝、西鉄ライオンズの「奇跡の逆転日本一」を称える度量があった。その伝統は、1985年に阪神タイガースが日本一になった頃まで続いた。バース、掛布、岡田の阪神のクリーンアップ・トリオが巨人の槙原から放ったバックスクリーン三連発は語り草になったが、「巨人が優勝しないとプロ野球は盛り上がらない」などとは誰も言わなかった。21年ぶりの阪神優勝は日本中の話題になり、「猛虎フィーバー」が列島を席巻した。80年代半ば頃がプロ野球人気の頂点だったと思う。

しかし、ナベツネこと渡邉恒雄が読売巨人軍のオーナーになって以来、プロ野球界は変わった。急に新自由主義の言葉でプロ野球が語られるようになり、観客動員力の弱い球団は「経営努力が不足している」と言われた。だが、昔からの人気に安住していた巨人がどれだけ「経営努力」をしていたというのだろう。私はずっと疑問に思っていた。

その後のことはもう言うまい。81歳のジイサンが政界工作に精を出すのは、まさに「憎まれっ子、世にはばかる」としか言いようがない。

稲尾和久のライバルだった杉浦忠は6年前に死んだ。杉浦のチームメートだった皆川睦雄も、阪急ブレーブスの梶本隆夫もここ数年のうちに相次いで世を去った。みな70歳になるかならないかで死んでいった。パシフィック・リーグの名投手たちには早世の運命があるかのごとくだ。頑健な身体に恵まれているはずなのに、なぜか長寿には恵まれない。まことに残念なことである。

稲尾和久さんのご冥福を、心からお祈りします。


##政治関係の記事は、気力が回復したら書きます(笑)


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テロ特措法の期限が切れ、自衛隊の補給艦「ときわ」と護衛艦「きりさめ」に撤収命令が出された。

防衛利権の件では、新聞にも宮崎元伸・山田洋行元専務の実名が載るようになり、宮崎氏が東京地検に対し、防衛庁長官経験者二人に、車代の名目で裏金計200万円を支払ったと供述した、と報じられている。

だが、今日はこれらの件はひとまず措いておき、昨日行われたプロ野球日本シリーズ第5戦の話題をとりあげたい。

すっかり不人気になったプロ野球といえど、日本シリーズともなると注目され、連日テレビの地上波でも放送される。ただ第5戦はテレビ東京系の中継だったので、首都圏、関西、中京圏、福岡地区、北海道、それに岡山・香川を除くエリアでは地上波での中継がなかった。

ついでにいうと、高知の白バイとバスの衝突事故の冤罪報道で、高松に本社を持つ瀬戸内海放送の報道が注目されているが、これは、高松高裁で裁判が行われたこともあるが、同局をはじめとする香川・岡山の局は、両県にまたがった放送エリアを持ち、地方としては珍しい地上波民放5局体制なので競争もそれなりにあり、地方局としては取材力があるからできた報道なのだろうと思う。

話を日本シリーズに戻すと、中日ドラゴンズが53年ぶりの日本一を決めた第5戦で、とてつもない大記録が達成されようとしていた。それは、中日先発・山井大介投手の完全試合である。中日は、日本ハムのエース・ダルビッシュ有から挙げた虎の子の1点を山井が守っていたのだが、山井は8回まで1人の走者も許さず、あと3人で完全試合というところまでこぎつけた。

私はそれまでテレビ中継を見ていなかったのだが、この経過を知って急遽テレビのスイッチを入れると、画面に中日のリリーフエース・岩瀬仁紀投手が映っていた。これを見て、山井が安打を許して岩瀬が出てきたのだろうと思ったが、走者は出ていなかった。中日の落合博満監督は、9回のイニング冒頭から岩瀬をリリーフに送っていたのである。

これには大いに驚くとともに、嫌な気持ちがした。落合の言い分は、日本一を決める大事な試合だから、普段の勝ちパターンの野球をしたのだということだろう。だが、完全試合というのはフォアボールもエラーも許されない大記録で、今調べてみたら前回の完全試合は巨人の槙原寛己が1994年に記録したもので、中日ドラゴンズにいたっては球団創設以来誰一人として完全試合を達成していない。今回、山井?岩瀬のリレーで達成した完全試合が、公式戦・ポストシーズンを通じて初の記録ということになる。

私はアメリカに渡った野茂英雄投手のファンで、彼の先発試合はテレビでずいぶん見たが、アメリカは投手の分業制が徹底していて、先発投手はある球数に達すると好投していても交代させられるのがセオリーだ。だがこれには例外があって、投手が相手を0点に抑えていた場合、本来なら投手交代の球数であっても続投することが多い。野茂が完投した試合の多くは完封試合のはずだ。ましてや、ノーヒットノーランだとか完全試合になると、続投が当たり前だ。延長戦になる場合などでは投手が交代するが、完全試合を続けている場合はそれでも交代はないだろう。それが個を重んじるアメリカのやり方だ。

ところが落合監督は、球団史上誰もやったことのない大記録を、53年ぶりの日本シリーズ制覇を達成しようとするその試合でやるという、プロ野球史上おそらく二度と起こりえないようなとんでもない大記録の芽を摘んでしまったのである。

昨日、中日ファンはどう思っているのかと、Yahoo!掲示板の「中日ドラゴンズ」カテゴリを見に行ったら、山井投手のコメントが出ていた。出所は不明だが、ラジオ中継の中日ベンチレポートあたりではないかと思われる。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834700&tid=bf7a1a6a5ia5ia54a5sa5baa5za5ja5sa5ha5la1dda59a5ha5ta5ca5afa1vgae&sid=1834700&mid=228047

1-0のままだったら、完全でも9回頭から岩瀬でいくと7回に監督から言われた
しかも8回に爪を傷めてしまった。
一応、9回頭に監督が続投するか?ときいてきたけど岩瀬さんに
胴上げ投手になってほしかったし、自信がなかったから断った

悔しくないというのは嘘じゃないけど、とりあえずシーズンで結果残してからです、僕の場合は。

(中日ドラゴンズ・山井大介投手のコメント)


落合監督は、試合後、山井が交代を申し出たと言っていたようだが、実際にはあらかじめ交代の方針が山井に告げられており、9回になって再度打診を受けた山井がそれを断ったといういきさつのようだ。おそらく山井は一度打診を受けた時点で交代を覚悟しており、まさかもう一度打診されるとは思っておらず、かつ落合の本心は交代だとわかっていたから、つい断ってしまったのだろうと思う。打たれてからならともかく、大記録達成を目前にしてそのチャンスを自分から放棄する人間など、おそらく誰もいないだろう。

「報道ステーション」で、野村克也・東北楽天ゴールデンイーグルス監督が、あの場面で投手を交代させるのは落合監督だけだろうと批判していたが、私は最近の監督だったら代えかねない監督はいくらでもいると思う。阪神タイガースの岡田彰布でも藤川球児をマウンドに送っただろう。新聞で、スポーツジャーナリストの長田渚左が「長嶋さんだったら代えなかったかな」とコメントしているが、もし長嶋巨人が強力なストッパーを持っていたとしたら、長嶋こそもっともこの場面で投手交代をしそうな監督だったというのが私の認識である。その一方で、原辰徳だったら投手を代えなかっただろうなとは思う。

組織を個に優先させるのが、最近ますます強まっている日本社会の風潮である。新自由主義が蔓延し、一見「個」が好き放題やるような社会になったと錯覚されがちだが、組織の都合で個をいかようにもしてしまうのが新自由主義の本質であり、その意味で落合のやった投手交代は、すぐれて新自由主義的だったと私は考える。プロ野球に新自由主義を導入したのは渡邉恒雄(ナベツネ)であり、その走狗になったのが長嶋茂雄である。だから、長嶋こそもっともこういう場面で投手交代をしそうな監督だと私は思うのだ。

こんな野球は見たくない。こんなことをしているからプロ野球の人気は落ちていくのだ。現役時代には、プロ野球史上最も「個」を貫いたプレーヤーだった落合博満がなぜこんなことをしたのだろう。山井大介は続投を「断った」(実際には「断らされた」)ことを今ごろ後悔しているに違いないし、おそらく一生後悔し続けるのではないか。山井大介は、マスコミに出て憤懣をぶちまければ良いと思う。


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昨日に続いての休日版で、今日は次の週末から行われる日本シリーズの出場チームが決まったプロ野球について取り上げる。

去年と同じ、北海道日本ハムファイターズと中日ドラゴンズの組み合わせに決まった日本シリーズだが、私は日本プロ野球で強いチームといえるのは、パ・リーグでは日本ハムとロッテ、セ・リーグでは中日と阪神だと思っているので、この4チームの中から日本シリーズに進出するチームが出たことは、まあ妥当な結果だったと思う。セ・リーグ優勝の巨人は、優勝自体が「棚からぼたもち」みたいな印象だったし、「クライマックス・シリーズ」と銘打たれた中日とのプレーオフで、第1戦で中日の先発投手を読み間違えるというベンチワークのミスで始まり、決着のついた第3戦でのランナーの走塁ミスで万事休すという醜態をさらし、果たしてこれで優勝チームの名に値するかどうか、はなはだ疑問に感じた。

ところで、プロ野球というと、どうしても3年前の球界再編騒動に触れないわけにはいかないのだが、本エントリでは、それよりはるかさかのぼる戦前から語り起こしたい。

日本に野球が輸入されたのは明治期で、いうまでもなくアメリカからの輸入である。野球は、北米および中米、それに日本、韓国、台湾など東アジアで盛んだが、ヨーロッパやアフリカでは全くの不人気である。

当初は学生野球が人気を博し、第1回の早慶戦は1903年、第1回の中等学校野球大会は1915年に始まった。後者は、のちの「夏の甲子園」の高校野球だが、1915年当時はまだ甲子園球場はなく、大会は豊中球場で行われた。甲子園球場は、甲子(きのえね)の年だった1924年8月1日に開設したため、この名がある。春の選抜中等学校野球大会は、同じ1924年が第1回だが、春にはまだ甲子園球場が完成しておらず、名古屋の八事(やごと)球場で開催された。1924年の夏の大会以後、高校野球は甲子園球場で行われることになる。但し、夏の記念大会で、同じ兵庫県西宮市にあった西宮球場を併用したことがあった。

大正末頃には早慶戦が大人気を博し、昭和に入ると「夏の甲子園」で明石中学と中京商業が延長25回の死闘を演じて話題になるなど、学生野球の人気は高まっていった。職業野球は1936年に発足したが、読売新聞の正力松太郎がそれに先立つ1934年にアメリカ大リーグチームを招聘し、巨人軍を設立した。これには面白い逸話があって、実は阪急グループの創業者・小林一三が職業野球発足を大阪毎日新聞に打診しており、それを知った正力が阪急・毎日新聞連合を出し抜くべく、阪急のライバルだった阪神電鉄に声をかけ、急いで職業野球を発足させたといわれている。だが職業野球は、発足当初は人気がなく、日陰者的な存在だった。

戦後、2リーグに分裂したいきさつにも、「新聞戦争」がからんでいる。戦犯容疑者として公職を追放された正力は、読売新聞から離れていたが、プロ野球界では依然として実権を握っており、プロ野球人気を拡大するため、かつて出し抜いた毎日新聞に声をかけ、球団数を増やすとともに、宣伝力を増そうとしたのである。ところが、正力の影響力が残るのを嫌った「反正力派」が実権を握っていた読売新聞が、ライバル・毎日新聞の加盟に反対し、同業者の中日新聞も読売に同調した。これに対し、大阪を発祥の地として、関西の私鉄に影響力を持つ毎日新聞は、阪急や南海、阪神などを味方につけた。こうして、毎日の加盟に対する賛成派と反対派の対立が激化し、結局賛成派がパ・リーグに、反対派がセ・リーグに分かれて、「2リーグ分裂」劇が起きた。この際、当初毎日の加入に賛成していた阪神が、読売に「毎日側につくと、『伝統の一戦』(巨人?阪神戦のこと)ができなくなるぞ」と言い含められて、毎日加入反対派に寝返り、これに怒った毎日が、新球団を発足させた際、阪神から選手を大量に引き抜いた。1リーグ時代には巨人と互角に張り合っていた阪神が、2リーグに分裂したあと、さっぱり優勝できなくなってしまったのは、この時の弱体化が一因になっている。

大阪のファンも、弱い阪神より、パ・リーグで西鉄ライオンズと常に優勝を争っていた南海ホークスを応援した。難波にある大阪球場が、南海?西鉄戦で盛り上がっていた時に、甲子園では閑古鳥が鳴いていたという時代もあった。

プロ野球が国民的人気を博するようになるのは、東京六大学野球のスター・長嶋茂雄が巨人に入団し、1959年の天覧試合で阪神の村山実から放ったホームランが国民に印象を与えた頃からである。この頃から、プロ野球は政治に絡めて論じられることが多くなった。岸信介が、安保反対のデモについて聞かれたとき、「これが国民のすべてではない。国民の『声なき声』に私は耳を傾ける。今日も後楽園球場は満員だったそうじゃないか」と語ったのは、あまりにも有名である。

当時から、巨人ファンは大勢順応的で、自民党支持層と重なるとよく言われた。しかし、実際には巨人が9年連続日本一になり、プロ野球ファンの大半が巨人ファンだった60年代後半から70年代前半は、日本の戦後政治史においてもっとも革新勢力への支持が高かった時期だった。1974年に中日ドラゴンズが巨人の10連覇を阻んで以来、プロ野球人気は他球団に分散し、70年代後半から90年代初頭にかけて、プロ野球人気はピークの時期を迎えたが、この間はどんどん自民党への支持が増えていった時期で、1980年と86年の二度の衆参同日選挙で、自民党はいずれも歴史的大勝を記録したのだった。

ついでに言うと、ひところ、「巨人が優勝すると景気がよくなる」という俗説がまかり通り、日本経済新聞にまでそう書かれたことがあったが、実際には1973年に巨人が9連覇を達成すると日本経済は石油ショックとスタグフレーション(不況下の物価高)に見舞われ、1990年に巨人が2連覇するとバブル経済が崩壊し、2000年に巨人が「ONシリーズ」を制すると、ITバブルが崩壊した。現在では、「巨人が優勝すると景気が悪化する」と言われるようになっている(笑)。

ところで、2リーグ分裂後も、プロ野球の歴史にはいくつかの転換点があった。1つは1965年のドラフト制度導入であり、これは自由競争時代の契約金の高騰に歯止めをかけるともに、各球団の戦力の均衡化を狙った、国の経済政策にたとえるなら「福祉国家」的施策だった。皮肉にも巨人の9連覇はこの年から始まったのであるが、これは、自由競争時代に獲得した王や長嶋らの活躍によるものである。制度改革の効果が現れたのは、長嶋が現役を引退した1974年に中日が巨人の10連覇を阻んだ頃からであり、75年に広島カープ、78年にヤクルトスワローズ、79年にパの近鉄バファローズと、次々と初優勝を記録するチームが現れ、プロ野球はひとり巨人にとどまらない広がりを持つようになって、人気が大きく拡大した。日本シリーズのテレビ中継の歴史で、もっとも視聴率が高かったのは、1978年のヤクルト対阪急の第7戦、ヤクルト・大杉の放った左翼線への大飛球が、ホームランかファウルかをめぐって、判定に納得しない阪急・上田監督の抗議によって1時間以上も中断した試合だった。

こうした事態を快く思わなかったのが、巨人の親会社・読売新聞だった。1992年、巨人のオーナーに渡邉恒雄・読売新聞社長(ナベツネ)が就任すると、ナベツネは巨人の監督に長嶋茂雄を復帰させるとともに、直ちに制度改革に着手し、プロ野球機構は、ドラフトの逆指名制度とフリーエージェント(FA)制度を同時に導入した。これが「新自由主義」に対応する制度改変だったことはいうまでもない。

このカイカクも、効果が現れるまでには時間がかかった。FA宣言の第1号は、巨人に在籍していた駒田徳広(横浜に移籍)だったし、巨人は、94年の中日との最終戦決戦を制し、96年には「メークドラマ」を達成したものの、ぱっとしないシーズンの方が多く、91年から99年までの間で優勝したのは、前記の2回だけだった。しかし2000年、巨人がFAや逆指名でかき集めた戦力が威力を発揮し、ぶっちぎりでペナントレースと日本シリーズを制した。ついに、ナベツネと長嶋が理想とした、新自由主義的な野球が開花した。

しかし、これはプロ野球のあり方を大きく歪めるものだった。パ・リーグには、本物の新自由主義者であるオリックスの宮内義彦がいて、ナベツネとは最初は敵対関係にあったのだが、一転してナベツネと手を握り、西武の堤義明ともつるんで、プロ野球の1リーグ化再編をたくらみ、その際、「負け組」の球団を切り捨てようとした。オリックスや西武自身も不人気球団だったが、巨人と同一リーグに入ることで生き延びようとしたのだ。これが、2004年のプロ野球再編劇である。堀江貴文(元ライブドア)や三木谷浩史(楽天)ら新自由主義のプレーヤーが登場し、ニュースをにぎわせたが、再編劇自体は、古田敦也率いるプロ野球労組の奮闘もあって、ナベツネや宮内らのもくろんだ1リーグ化は阻止された。

だからといって、プロ野球の新自由主義化の弊害まで一掃されたわけではない。この弊害は、特にセ・リーグで顕著で、巨人・阪神・中日の金持ち3球団と、横浜・ヤクルト・広島の貧乏3球団にはっきり分かれてしまった。阪神の金本、シーツはもとは広島の選手だったし、中日のウッズ、谷繁はもと横浜の選手だった。今年の巨人の5年ぶりのリーグ優勝は、日本ハムからFAで移籍した小笠原の活躍なしにはあり得なかった。

セ・リーグと比較すると、パ・リーグは様相がずいぶん違う。ナベツネと球界再編を共謀したオリックスと西武はいずれも人気・実力とも凋落した。北海道と福岡のチームがリーグを牽引し、FAや逆指名になど頼らずにチームを強化した千葉ロッテがこれに絡む。楽天も、名伯楽・野村克也がチーム作りの手腕を発揮して、球団創設3年目にして最下位を脱出、4位に浮上した。現在、パ・リーグの魅力は、明らかにセ・リーグをしのいでいる。

新自由主義的再編成を狙った首謀者がいるパ・リーグがまともな発展を遂げようとしているのに対し、再編成に強く反対した古田が頑張っていたヤクルトが属するセ・リーグに新自由主義的制度改変の弊害がより強く現れているのは、なんとも皮肉な話である。そして、プロ野球全体を見た時、その人気が急速に減退しているのは、テレビの地上波からプロ野球中継の番組が急速に姿を消していることからも明らかだろう。新自由主義社会の未来像を見る思いがする。

以上で、極私的プロ野球史の概観はおしまい。あとは、日本ハム対中日の日本シリーズに注目したい。



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相撲中継を見なくなって久しい。

子供の頃以来、相撲を見るのは結構好きで、特に北の湖や輪島の全盛期はテレビでよく見ていたが、その後の千代の富士や若貴兄弟らが大嫌いだったので、あまり見なくなった。

それでも、千代や若貴の頃は、彼らのアンチとしてたまに見ることがあったが、朝青龍を筆頭とする外国人力士全盛の現在は、全く関心を失っている。

だから、5月場所で朝青龍が休場していたのも、1週間も経ってからやっと知ったし、どうやら白鵬と雅山が優勝を争った結果、白鵬が賜杯を手にしたらしいのだが、この雅山というのも、四股名と実体が正反対で、大嫌いな力士なので、こんなやつに優勝されるくらいなら白鵬とかいう力士で構わないか、くらいの感想しか持たない。

そんな私でも、Yahoo!のスポーツニュースのヘッドラインくらいは覗くのだが、5月場所では、聞いたことも見たこともない力士の四股名に、しばしばお目にかかった。

その名は、「把瑠都」。
2006.05.26 08:46 | スポーツ | トラックバック(-) | コメント(-) | このエントリーを含むはてなブックマーク