しかし、事実はそんな俗説とは真逆である。その道の第一人者こそが、約束ごとにとらわれない自由な発想ができる。だからこそ第一人者なのであり、型にはまった考え方しかできないのは素人の方なのである。
どんな政党でも、党のそれまでの方針に固執するのは、執行部ではなく支持者である。そして、どんな社会でも、古い差別意識がもっとも遅くまで残っているのが一般市民というか、庶民のレベルなのである。だから、庶民が読み、書き、考えると称するブログには、旧弊の色が濃い。
民主党支持のブロガーが、同じ民主党を支持する他のブロガーと意見が合わなかった時に、相手を「共産党支持」と決めつけたことは、親の世代の保守的あるいは反動的な考え方の影響が、無意識のうちに表れたものと思われるが、かつてテレビのコメンテーターを長く務めた植草一秀氏は、間違いなくそれが正当な考え方ではないことを了解していながら、謬論を煽動する挙に出た。私はそこに大衆を蔑視する植草氏の差別意識を感じ、強い反発を覚え、これを許せない。
民主党というのは周知のように寄り合い世帯で、自民党より右から、旧社会党でももっとも左に位置する人たちまでを抱えている。しかし、民主党右派の政治家だって、党内で意見の合わない人に対して「共産党」呼ばわりなどしない。一方、民主党支持のブロガーは、上記のように「共産党」呼ばわりをするほか、植草一秀氏が菅直人や岡田克也らに対して好意的でない文章を書くと、それに右に倣えしてきた。しかし、政権交代がなったあとに植草氏が書く文章は、氏がかつて誹謗した岡田外相の発言とほとんど変わらない内容である。そんな植草氏が、自らが影響を及ぼし得るブロガーに「共産党攻撃」をけしかけるのは、唾棄すべき醜い行ないである。見たくもない。
延々と植草一秀氏を批判し続けていても仕方がないから、今回のエントリでは、現在発売中の『世界』12月号に掲載されている、渡辺治・一橋大教授の論考「新自由主義転換期の日本と東京 変革の対抗的構造を探る」を紹介したい。この論考で、渡辺教授は先の総選挙における「民主党一人勝ち」を分析しており、民主党の勝利には、小泉構造改革によって疲弊した地方の「構造改革批判」が強まったことと、小沢一郎が民主党代表を退いて鳩山由紀夫が代表になったことに伴って、かつて自民党より過激な構造改革路線を掲げていた民主党を支持していながら、小沢の旧来自民党的な「利益誘導型政治」のイメージを嫌って民主党から離れていた都市部の人たちが民主党支持に戻ってきたという、相反する2つの要因があったとしている。論文には、2001年参院選から今年の衆院選までの6度の国政選挙におおける、宮崎県と東京都の自民党・民主党の得票率の推移を示すグラフが掲載されているが、宮崎県ではなんと2005年の「郵政総選挙」でも自民党は前年の参院選より得票率を減らしている。一方、東京都では2004年の参院選で得票率が26.50%と、民主党の38.87%に大きく水を開けられていた自民党が、「郵政選挙」では40.34%の得票率で民主党(29.62%)を逆転した。しかし、2007年の参院選と今年の衆院選では再び民主党が自民党を大きくリードした。
一言で言えば、福祉国家志向の地方と、いまだに新自由主義志向の強い都市部の有権者がともに民主党を支持した結果が、衆院選の民主党圧勝だったという分析であり、妥当な分析だと思える。この分析だけなら、ブログで取り上げたりしようと思わなかっただろうが、面白かったのは、渡辺教授が民主党には3つの構成部分があり、3つの国家構想があると指摘している部分だ。
まず、渡辺教授は民主党指導部を「無自覚の新自由主義派」だとしている。彼らは、民主党政権が構造改革の怒りに対する国民の怒りに支えられて成立したことを理解していて、できるだけマニフェストに掲げた福祉の政治を実現しようと思っているにもかかわらず、実際にとっている路線は、明らかに構造改革路線だと渡辺教授は指摘する。民主党は福祉国家構想に基づく財政支出の位置づけや大企業負担を柱とする財源構想を持たないため、社会保障費は小泉政権時にも例を見ないほど大きく削られることになった。地方が疲弊・衰退したのは、「官僚丸投げの政治」のせいなどではなく、小泉政権が活用した「経済財政諮問会議」が官僚を押さえつけて政治主導で決めた毎年2200億円の削減の結果だったのに、鳩山由紀夫は「脱官僚の政治」などと称して、結局小泉と同じことをやっているというわけである。
これは納得できる考察であり、それにもかかわらず、植草一秀氏が積極財政を主張しながら鳩山首相や藤井裕久財務相を批判しないことは、摩訶不思議としかいいようがない。
一方、民主党には新自由主義志向の指導部とは明らかに異なる国家構想を持った有力な勢力があり、それが小沢一郎に代表される「修正利益誘導型政治派」だと渡辺教授は分析する。そして、官僚主導の政治の打破ではなく、民主党による開発と官僚の「独占」が小沢の狙いだとしている。
しかし、民主党には鳩山由紀夫らの指導部と小沢派のほかに、福祉国家志向の第3の勢力があり、それを渡辺教授は「個別的福祉政治派」と名づけている。このグループは、衆参両院にまたがる中堅議員集団からなっている「手足」であり、民主党の新しい政治の実働部隊はこのグループであると渡辺教授は指摘している。以下、『世界』の論文から引用する。
この勢力は、構造改革の矛盾が顕在化するにつれ、社会保障・反貧困・教育・環境などの運動団体、社民党、共産党などとも連携をとりながら構造改革政治の矛盾を突き、またそれに代わる制度の追求も行なってきた。このグループは、〇七年に民主党の反構造改革への方向転換が始まると勢いを増し、自公政権の開発型政治、構造改革政治の矛盾を国会で追及し、民主党の看板的な政策を担いマニフェストの拡充を行なってきた。
(『世界』 2009年12月号掲載 渡辺治 「新自由主義転換期の日本と東京 変革の対抗的構造を探る」より)
渡辺教授は、この勢力は独自の政治体制や国家構想を持っていないために新自由主義的な国家構想を持つ党執行部の裁量に任されてしまうと指摘し、彼らは財源などについて福祉国家型の国家構想を持つべきだ、と書いている。この分析は私にはよく納得できるもので、民主党にはこういう勢力があるからこそ、新自由主義的な鳩山執行部や、旧来自民党的な小沢一郎の存在にもかかわらず、民主党に対して大きな期待を持っている。
ところが、積極財政を唱えながら新自由主義色の強い鳩山由紀夫を熱心に支持してきた植草一秀氏は、「反権力」をウリにしてきた市民ブロガーに共産党攻撃をけしかけ、ブロガーたちもそれに呼応しているのが現状なのであり、これは、民主党中堅の「個別的福祉政治派」が「共産党とも連携をとりながら」構造改革に代わる制度を追求してきた現実から大きく乖離している。空想的反権力市民ブロガーたちを導く植草一秀氏は、私には「ハーメルンの笛吹き男」にしか見えない。
今も権力の実態は、「裏の権力」であるところの、CIA→電通→マスゴミ→東京地検→司法・警察の「悪徳ペンタゴン」だ、などという幼稚な戯言は、もういい加減やめてもらいたいし、彼らの主張がおかしいと思う人たちは、どんどんそう主張すべきだ。もういつまでも「自エンド」じゃないのだから、市民ブログも次の段階を目指さなければならないと思う。
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国会論戦では自民、公明、共産、みんなの党などが野党として政府・民社国連立政権を批判しているが、それに伴ってかどうか、ブログの世界でも「民主対共産」の対立構図が見られ始めた。
しかし、呆れ返ったことに、その論戦たるやまことにお粗末なのだ。植草一秀元教授が、「企業団体献金全面禁止後の政治資金のあり方」と題したブログのエントリで、
などと書いたものだから、これが植草氏を信奉する民主党支持者の共産党攻撃を煽った形となった。共産党は政党交付金を受領していないが、その分、共産党の支持者がその意志に反して重い負担を強いられているという現実も存在するのではないか。
植草氏のブログにおける主張は、積極財政を主張する点が支持できるため、このところ私は植草氏批判を控えめにしてきたが、上記の主張はいくらなんでも滅茶苦茶である。支持者からお金を集める共産党のやり方は、今後民主党が倣って目指すべきものであって、民主党が掲げる「企業団体献金全面禁止」のあるべき姿ではないかと私は考えている。ところが、植草氏は「共産党の支持者がその意志に反して重い負担を強いられている」などと書いて、せっかくの良い流れに水を差している。植草氏の主張に煽られた民主党支持者のブログの中には、お粗末極まりない主張をする者までいて、「はてなブックマーク」で、ふだん共産党に批判的な方からも、
と論評される始末である。この問題に関しては、「はてブ」で別の方が指摘されている、あちこちで無知な人がいっぱしの口を利き、自己の支持政党に後ろ弾を撃ってるのに気づいてないのは喜劇
というのが正論だ。植草氏の陰謀論は、民主党がまともな方向に向かうのを阻害するものであり、植草氏の支持者も、氏が書くことを金科玉条のごとくすべてありがたく受け入れるのはいい加減にやめたほうが良い。氏は、まともなことも書くけれどもトンデモなことも書く、ワンオブゼムのブロガーに過ぎない。妄信してはならない。共産党の主張は「政治に金をかけるな」ではなく「政治には金がかかるを理由にして企業と癒着したり国の税金を使ったりするのをやめろ」だろ?陰謀論に走るより前に個人献金してくれる支持者を増やせよ
普天間基地移設問題についての植草氏の主張もいただけない。しばらく前に私が『kojitakenの日記』のエントリ「「平成の無血革命」と普天間飛行場移設問題」で批判し、昨日も『vanacoralの日記』が批判しているように、植草氏は「平成の無血革命成功を期す鳩山首相演説」と題したエントリで、
と書いている。ところが、民主党が野党だった時代に沖縄の米軍基地問題について熱心だったはずの、植草一秀氏のフォロワーたちは、これを批判せずに沈黙を守っているのである。熱心な民主党支持者であるvanacoral氏が書くように、「キャンプシュワブへの移設一つ取って見ても自民党案の踏襲」である。植草氏はこんなトンデモなことを書きながら、同時に「平成の無血革命」などと書くのだが、私には信じられない感覚である。普天間飛行場の返還を確実にするためには、県外への移設を確定する時間的余裕はないと考えられる。嘉手納基地への統合かキャンプシュワブへの移設を軸に着地点を見出す必要があると考えられる。
この件に関して、『琉球新報』が「普天間県民大会 確かな「総意」を示そう/「県外・国外」は新政権の義務」と題した11月8日付社説で、下記のように書いている。
突き詰めると沖縄の米軍基地を廃止すれば自主防衛・核武装という「高コストで危険な安保」を背負わねばならないという「究極の選択」に怯(おび)え続けてきた戦後日本政治の限界が透けてくる。
戦後政治の大半を支配した自民党政権が怯えた究極の選択を前に、鳩山新政権も萎縮(いしゅく)し判断停止に陥っている。
だからこそ普天間の「県外・国外移転」を公約に掲げながら嘉手納統合案や辺野古沖という対米追従の自民路線の継承に傾いている。
鳩山新政権の背信行為は、自民党政権ですら挑んだ北海道や岩国、厚木、横田、グアムなど県外・国外移転の調査・検討もなく「県内移設」を打ち出していることだ。
戦後64年間、沖縄県民は絶えることのない米兵犯罪の犠牲、演習・爆音被害に耐え、救いを求めながら、十分すぎるほどに基地の重圧を背負い続けてきた。そんな沖縄の過重負担を軽減すると鳩山首相は約束したはずだ。
普天間を県外に移設しても、在日米軍の専用施設の70%以上が沖縄には依然として残る。
県内移設の強行は、県民の反軍・反基地感情を高め、日米安保の安定的運用すら困難を極める。
県民は、安保の沖縄への過重依存や「米軍基地問題の沖縄封じ込め」という“差別”政策の転換を政権交代に期待した。鳩山首相に県民が求めているのは、首相自らが約束した普天間の県外・国外移設の実現という誠意だ。
(『琉球新報』 2009年11月8日付社説より)
これが沖縄の声なのである。
一方で中央のマスコミはどうかというと、昨日(11月8日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で、司会の田原総一朗は、岡田克也外相に対して、「県外移設はありえないですよね」などと、論外と言わんばかりに聞いていた。これは実にふざけた態度であり、田原がいまだ自民党政権時代の「御用ジャーナリスト」気分から抜け出ていない、つまり「与党ボケ」していることを象徴するものであるが、民主党支持ブログの筆頭格である植草一秀氏が、さりげなく「普天間飛行場の返還を確実にするためには、県外への移設を確定する時間的余裕はないと考えられる」の一語で片付けようとすることは、どう考えるべきなのか。
この問題について、与党では社民党が沖縄の声に耳を傾け、民主党にブレーキをかける役割を求められているはずだが、社民党の福島瑞穂党首は、宜野湾市で8日に開催された「米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会」に、いったんは出席の意向を示しながら、これをキャンセルしてしまった。党内からも福島氏の出席に反対する声があったといい、そんなことを言いそうな有力議員の顔も思い浮かぶのだが、ここは福島氏が出席してこそ、社民党が連立与党入りした意義があったというものだ。何をやってるのかと言いたい。
そして、内外からさまざな圧力を受ける政治家と違って、思ったことが書けるはずの市民ブログまでもが、リーダー格のブログがあっさり現状追認をしてしまうと、誰もそれを批判できないようでは、あまりにも情けない。もっと各自、誰かさんの顔色をうかがうことなく、自分の考えをブログに書いても良いのではないか、なぜそれができないのか、そんなに「村八分」が怖いのかと呆れる今日この頃である。
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その多くは、植草さんの著書『知られざる真実?勾留地にて』からの引用であり、そこにはネオコン批判もナショナリズム批判もある。西部邁や安倍晋三(!)の言葉を引用している点は、「古い左派」の私には引っかかるが、それでもこのエントリからは、同じ植草さんのブログの「政治の対立軸(2)三つのトピックス」を読んだ時のような違和感は感じられない。
安倍晋三が首相就任時の所信表明演説で、アインシュタインの言葉を引用したと書かれているのを読んで、一瞬、安倍の盟友である平沼赳夫が信じている「アインシュタインの予言」なるトンデモかと錯覚したが、いかに頭の悪さで知られる安倍とはいえ、総理大臣としての初の所信表明演説でそんなへまをするはずもなく、真正のアインシュタインの言葉の引用だった。そういえば、安倍が総理大臣に就任した日は、私は運よく海外出張中で、不快なニュースをさほど見ずに済んだのだった。
コイズミカイカクを強く批判していたはずの植草さんが、コイズミの経済政策をそのまま受け継いだ安倍晋三の演説を著書で引用しているとは意外だが、論旨そのものには異存はない。しかし、「属人的議論」をいとわない私としては引っかかりが残るというのが正直なところだ。
だが、本エントリで一番言いたいのはそこではない。引っかかるのは、
という植草さんの主張だ。私の言説に対する批判を私は一切排除しないが、批判する際には、私のこれまでの著作を踏まえてほしいと感じる。歴史認識、外交政策、経済政策などについて、マスメディアなどが勝手に創り出してきた事実と異なる私に対するイメージに基づいて批判されても、私としてはいわれなき事実誤認だとしか反論できない。
私は、植草さんのブログを読むまでは、植草さんに対してネガティブな先入観は全く持っていなかった。
ネット検索すると、2002年に榊原英資氏が竹中平蔵を「ペーパードライバー」呼ばわりして激しく批判し始めた時、植草さんも榊原さんと共同戦線を張っていたようだ。私にとっては、当時の榊原さんの激論はきわめて印象的だった。それまで新自由主義的な印象が強くて「いやなやつ」だと思っていた榊原さんが、突如としてコイズミ?竹中カイカクを批判し始めた時には、意外感と爽快感が入り混じった気分だったし、これでコイズミも終わりだ、と小躍りしたものだ。そうは問屋が卸さなかったわけだが。
率直に言って、植草さんの印象は榊原さんよりは薄かったが、それでもコイズミカイカクを批判した学者という認識はあり、植草さんに対して、ネガティブどころか肯定的な印象を持っていた。
ところが、植草さんのブログを開くと、右派民族主義系、陰謀論系、擬似科学系のブログへのリンクがずらりと張られている。特に私が問題にしたいのは、「4つの目で世の中を考える」へのリンクだ。これは、典型的な擬似科学系のブログである。
当ブログにおいて継続的なアクセスを得ている記事の一つとして、昨年12月23日に公開した「ネットに横行する「トンデモ」や「陰謀論」を批判する」がある。この記事で当ブログは、「ケムトレイル」だとか、「アメリカで行われている高周波活性オーロラ調査プログラム(HAARP)を気象兵器だとか地震兵器だとか騒いでいる人たち」などを批判したが、この時私が念頭に置いていたのが、この「4つの目」がどうこう、とかういうトンデモブログだった。
私が未知のブログを見るとき最初に気にするのは、そのブログからどういったブログにリンクが張られているかということだ。だいたい、どういうブログにリンクが張られているかでそのブログの性格がわかる。植草さんのブログを見てあ然としたのは、キラ星のごとく並ぶ右派系、陰謀論系、それに擬似科学系ブログ群へのリンクだったのだ。
植草さんは「ブログ初心者」とのことだから、単に植草さんを支援してくれるブログへのリンクを並べただけなのかもしれない。しかし、「リベラル・左派系政治ブログ」と呼ばれる世界に2年間いた私の経験からいうと、この世界では魑魅魍魎が跳梁跋扈している。そんな世界に参入してこられて、「批判する際には、私のこれまでの著作を踏まえてほしいと感じる」という言い分は通用しない。
念のため言っておくと、当ブログは植草さんの意思表示を尊重する。すなわち、次の植草さんへの批判は、植草さんが示された著書(『知られざる真実?勾留地にて?』)を読み終えるまでは行わない。まだ購入してもいないから、その時期は少し先になると思う。だが、いくら著書で高邁な理想を掲げていても、一銭にもならないブログだからといって、そこで擬似科学や陰謀論に迎合するようないい加減な記事や、本来のご自身の主義主張から離れているかもしれない右派民族主義者におもねるような記事を書かないでほしい。著書の主張とブログで書き飛ばした記事に整合性がない場合、言論人はその主張の正当性を疑われる。それで飯を食っているプロフェッショナルならなおさらだ。
プロなら、ブログの言論にも責任を持ってほしい。「著書を読まずにマスコミの宣伝による印象批評でいい加減なことを書くな」などと言わないでほしいと思うのである。
ちなみに、私がブログの記事を書くために費やした累積のコストは相当なものだが、リターンは一銭たりとも得ていない。それでも、自分の内心から突き上げるものに動かされて、ブログの記事を公開し続けている今日この頃なのである。
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とのコメントをいただいた。kojitakenさん、お久しぶりです。
>「誹謗中傷」と言われても仕方ない記事にしてしまいました。
と言うことですが、あの程度の表現で、そんなに問題になるのでしょうかね?
私も、植草氏の言論・主張は基本的に、間違っては居ないと思いますが、全面的には支持できません。
その辺での、批判はあっても然り…と思うのですが、ある意味、植草氏の批判は「タブー」となっているのでしょうか?
なんか、ひっかかりましたので。
また、昨日のエントリ「「植草一秀さんを中心にした反自民の結集」には応じられない」に対して、名無しの方から
とのコメントもいただいている。『非礼』をもって言葉を封じ込めていいのでしょうか?と言う思いが拭えないのですが?しかも、第三者が、インターネットのコミュニティで。
暗黙裡に『タブー』のようなものが形成されつつある(形成しようとしている?既にある?)ような気が(私も)します。該当のブログエントリを『非礼』だとも感じませんでした。
公開されてしまうと、なんだか後味のよくない状況ですが。これで終わりですか?メールなど、当事者間だけでのやりとりなら、別に構わないのですが。やり取りが公開されて、しかし成り行きそのものは批判を受けず、これで終わり、とされると、なんだか、その成り行きが既成化されてしまうような懸念があります。内容よりも、そのような雰囲気が懸念されます。
他方、数々の悪(政治の結果)は嫌です。立場を超えて皆で反対し、正して行くべきです。
以上は、一連の当ブログのエントリが、植草元教授への批判をタブー化する同調圧力を強める方向につながるのではないかとの批判だと思う。
だが、私は、『kojitakenの日記』の6月22日エントリ「植草元教授への疑念」の主張は取り下げていない。6月23日のエントリ「天下の経済学者なのだから、TBくらいしてきてほしいものだが...」のエントリ中にある、
などの感情的な表現をしてしまったことについて謝罪したのだ。トラックバックくらいしてきてほしい、という表現は、どっかで大トラブルに発展してしまった件を思い出させるものだが、それを批判していた私自身が同じことをやってしまった。あの例におけると同様、私もまた感情的になっていたのだ。植草元教授にトラックバックを強要する権利など、私にはない。植草元教授には、当ブログに言及するんだったらTBくらいしてきてほしいものだと思いますが、TBやコメントを受けつけないブログだから、まあしかたないか。
さらに、昨日のエントリは植草さんの右派民族主義的傾向への批判を含むと私自身は考えている。
そもそも、最初の構想は、一昨日の謝罪エントリと、当ブログの立ち位置を明記した昨日のエントリをくっつけたエントリを公開する予定だった。しかし、それだと植草さんに謝罪しているのか植草さんを批判しているのかわからなくなってしまうので、けじめをつけるために謝罪文のエントリを独立させた次第だ。
『カナダde日本語』の管理人・美爾依さんから公開を勧められたから公開したような書き方をしてしまったのは、私の至らぬところだが、植草さんへの違和感とその理由の説明については、もともと公開するつもりだったことは申し添えておく。
さらに付け加えると、植草さんの主張する「独立自尊外交」は国際的孤立を招きかねず、それよりは従来の従米一辺倒を改めてアジア外交を重視する自民党の加藤紘一や福田首相の行き方のほうが理にかなっていると私は考えている。
政権交代後の政権は、民主党から新自由主義勢力を除いた勢力と社民党、国民新党、それに場合によっては自民党の加藤紘一や河野洋平らのリベラル派を加える形が良いのではないかと私は考えている。以前失敗した「自社さ」的発想ではあるのだが、当時と比較して新自由主義を見直す必要性が認識されてきた現在であれば、また違った形になるのではないかと思う。
それから、平和外交の政策をとることは絶対に譲れない一線であって、ともすればタカ派に傾きがちに決まっている「独立自尊外交」は私には支持できない。『世界』7月号の特集「対北朝鮮 いまこそ対話に動くとき」は、リベラル・左派にとっては必読だと思う。
とはいっても、当ブログは「私闘論理派」に属するので、植草元教授への批判を封じる同調圧力はあってはならないとは思うが、その抵抗力には限界がある。それに対しては、どしどし植草元教授なり当ブログをご批判いただければ、と思う次第である。ブログでの議論は、なかなか理想どおりにはいかず、「ネットでの言論は公論であるべきだ」と主張する人が、自らの支持者のおかしな言説に対しては全然批判しないどころか、それを庇い立てる実例を、「水伝騒動」で目の当たりにした。それが現実だ。
そんなわけで、私は自分なりのやり方で、今後もブログでの意見発信を続けていきたいと思う。
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とのメッセージをいただいた。非礼な記事を書いた私に対し、温かいメッセージを下さった植草さんに感謝したい。「kojitakenの日記」、ならびに「きまぐれな日々」主宰者のkojitaken様、ご丁重なメッセージを掲載くださいましてありがとうございました。過分なお心遣いを賜りましてありがとうございます。私の説明も不十分であったと感じております。意見や主張がそれぞれの個人によって異なるのは当然のことだと思いますが、各人が互いに尊重し合いながら健全な論議を深めてゆくことができればうれしく思います。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。
今回の件で、私が一番気になっていたのは、私の記事が、植草さんを中心に「反自民」ブロガーが結集しよう、と呼びかけていた『カナダde日本語』の管理人・美爾依さんの心を痛めてしまったことだ。美爾依さんは、一昨年前に「安倍を『the End!』させよう」を合言葉にした「AbEndキャンペーン」がスタートした頃からお世話になっているブロガーで、私にとってとても大切な友人でもある。
私は、「水からの伝言」騒動にかかわり、「共感が大切か論理が大事か」とか、「ブログでの言説は私闘か公論か」などを論点とした論争に参加したが、当ブログを含むブログ群は、「共感派」からは「論理村(あるいは『言葉の国』の人たち」と揶揄され、「公論派」からは「属人的議論をしている」と批判された。いわば中間派なのだが、私はブログの記事には論理が大事(というより、理にかなわない記事は批判されて当たり前)ではあるが、同時にブログは私的なものであるとも考えており、ブログの言説の公共性は、たまたまその記事の記述に普遍性があれば勝手についてくるものだ、と割り切っている。だから、この件で大切な友人との友好関係を失うことはあってはならないと考えた。しかし、それにもかかわらず私は植草さんへの違和感を表明せざるを得なかった。自分自身を裏切るわけにはいかなかったからである。その理由を以下に述べる。
最初に私が気になったのは、植草さんのブログから張られているリンク集だった。『神州の泉』、『喜八ログ』、『新三ログ』などの、右派民族主義系のブログが目立つ。また、私がふだんから「陰謀論系」とか「擬似科学愛好系」などとして批判しているブログへのリンクも多い。
民主党左派や社民党に近い学者としては、政治学の山口二郎氏や経済学の神野直彦氏らの名前が思い浮かぶが、植草氏は山口氏や神野氏らとは異質の存在で、むしろ、右派民族主義系の佐藤優氏や関岡英之氏などに近い存在に思えた。そんな植草さんのブログは、「古い左派」かもしれない私にとっては、どうしても違和感をぬぐえないものだった。
植草さんのスタンスは、おそらく平沼赳夫一派との親和性が強いのではないかと思う。ネット検索で調べてみると、過去に植草さんをサポートした人たちの多くは、ポリティカルコンパスでいうと、政治思想軸では保守、経済思想軸では左派に当たる「保守左派」のスタンスだった。佐藤優や関岡英之も、このカテゴリーに属する。
一方、私は政治思想軸ではリベラル、経済思想軸では左派に当たる「リベラル左派」の人間だ。福田首相は、政治思想軸、経済思想軸ともに原点に近い、「右でも左でもない」人だと思う。そして、しばしば私を苛立たせるのは、「保守左派」の人たちが、政治思想軸の「右」側から福田政権を批判することなのだ。「保守左派」の特徴として、私があらゆる政治家の中でもっとも嫌ってやまない安倍晋三に対して宥和的であることが挙げられる。安倍というと対北朝鮮強硬政策で知られるが、植草さんも、
を批判している。しかし、私は安倍晋三の対北朝鮮強硬政策の方が誤りであったと考えており、福田首相は理性的な方向へと政策転換を図っていると評価している。拉致問題の解決なく経済制裁解除に動き始めた福田政権
そんなわけで、私は「植草一秀さんを中心とした反自民ブロガーの結集」には応じられない。美爾依さんにメールでそう伝えたところ、彼女からは、むしろ私の考えをブログで公開したほうが良い、との助言をいただいた。立場は違えど、日本の社会を良くしたいという思いは同じだ。
「古い左派」たる私は、愚直にベタでダサいやり方で、平和国家かつ福祉国家への道を追求していきたい。だから立場は分かれるけれど、植草さんの、
という言葉を肝に銘じ、建設的な議論をしていきたいと思う今日この頃だ。各人が互いに尊重し合いながら健全な論議を深めてゆくことができればうれしく思います。
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