きまぐれな日々

一昨日のエントリ "十年や二十年では変わらないコミュニケーションのあり方" に、apjさんからコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-645.html#comment3478

まず前半部分。

>fjを経験してきた私たちは、(政治系ブログの人たちなんかと比べて)一段上のステージに達しているんだ」という自負を感じた。

 この部分が事実誤認だから(∵ステージといったものは存在しないし上下と呼べるものもない)、

>だが、本当にそうか。

 の問いは意味がないと思う。

 水伝を安易に信じることの是非を論じるという範囲で閉じる筈の議論が閉じていない上に終わらないのは
・書かれていないことを(双方が)読む
・論を個人に引き寄せて(双方が)解釈する
といったことを続けているからだろうという話をしただけで。

(apjさんのコメントより)


とのことだ。

前提が誤りだから、それ以後の文章に意味がないと仰るなら、その通りとお答えするしかない。一昨日のエントリは、印象批評というか「想像でものを書いた」文章だからだ。

なぜそんなことをしたかというと、「玄倉川の岸辺」のエントリ "「私闘」という言葉" で、下記のpoohさんのコメントを読んだからだ。

私怨かどうかは知りませんが、ぼくはたんぽぽさんの「私闘」と云う言葉を、「動機も成果も自分個人に帰属するもの」と読みました。つまるところそれは「勝敗と云う結果に向かうもの」と云うこととして捉えています。

それはそれでかまわないのです。ぼくはごく最初の時点でその私闘に与しないことを表明し、「好意的でない」との評価をいただきました。その後も直接の批判を行いました。そのあたりの当否は、読むひとが判断することです(まぁ結果は袋だたきですが、それは甘受すべきことでしょう)。

不思議なのは、彼女に対するその種の批判に、彼女に対して「好意的」な論者が露払いの如く登場して論陣を張り、その後で彼女が敷かれたレッドカーペットの上を登場してそれらの論陣に立脚した議論を展開する、と云う構図が成立してしまっていることです。

ぼくみたいに恒常的に罵倒され、軽侮されている論者はまぁそれでもなんとかなりますが、そうじゃない方はこの構図だけで潰れます。潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、と云うことで片付き、それで終わりです。私闘は勝利、でしょう。

(「玄倉川の岸辺」へのpoohさんのコメントより)


このコメントの後半部分は、印象批評ではないか、想像でものを言っているのではないかと思ったので、こちらも印象批評を行ない、想像でものを言った次第だ。apjさんについてはそれは当てはまらないとのことだから、それについては了承したい。

但し、一昨日のエントリで書いた私の印象は、apjさんのエントリについたはてなブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9655
のコメントのいくつかや、出典は明示しないがいくつかのブログのコメント欄でなされていた議論に由来している。

また、不本意ながら(注)「政治ブログ」の世界に身を置く者として認めざるを得ないのは、「書かれてもいないことを勝手に読み取る」ことは政治ブログの世界では日常茶飯事だということだ。正月以来の「遅れてきた水伝騒動」では、現在「共感派」と仮称されている側(当初たんぽぽさんから批判を受けた側)によって、ありもしない謝罪要求がでっち上げられたし、「批判派」(「共感派」によって「論理派」とも名づけられたが、私はこの名称が適切であるとは思わない)は「解同」(部落解放同盟)だの「連合赤軍みたい」だの「ソーカルト」(「創価学会」と「カルト」を複合させた造語)だのと誹謗されてきた。もちろん、こちら側からも「書かれていないことを読み取った」例があるとは思うが、「共感派」による例よりはずっと少ないはずだ。

思い込みによる誹謗中傷は政治ブログの世界の特徴ともいえるかと思う。また、イデオロギーに固執しやすいとか、ポピュリズムが蔓延しやすいなど、政治ブログの言論が普遍性を獲得するために解決しなければならない課題は山積している。

つまり、政治ブログの言論は未成熟であると言う認識が私にはあり、それが上記のような印象批評につながったものだ。つまり、政治ブログの言論を「下」に見る意識は、私自身にあった。だからこそ、あのようなひがみっぽい印象批評になった、とは正直に認めなければならない。

ところで、apjさんのコメントの核心は、その後半部分だろうと思う。

 で、ちょっと教えていただきたいのですけど。

>だが、人間を切り離しての議論などできない、それが「政治批判系」の「水伝」批判派の何人かの主張だし、それには当ブログも賛成だ。

 なぜ、この制約条件をわざわざ課すんですか?人間を切り離した方が議論は自由になると思うのですが。この制約条件を課した場合に得られるメリットは何ですか?
 普段、ニセ科学批判をしている側から見ると、さっさと終わる筈の水伝騒動が、こちらでは元の水伝を離れて延々続いていて、しかも議論している対象への理解が深まったという形跡もないのを見ると、人間を切り離さない議論をする利点が見当たらないのですが。

(apjさんのコメントより)


「議論している対象への理解が深まったという形跡もない」と書かれていることから伺われるように、apjさんは「水伝問題」を念頭に置かれていることと思う。

そもそもの騒動が、「水からの伝言」を肯定的に取り上げたブログに対する批判に端を発している以上、それは当然の姿勢ともいえるが、私が「人間を切り離しての議論などできない」と主張する時に念頭に置いているのは政治のことだ。

政治とは何ぞや、というとさまざまな定義があるが、どの定義によっても人間と関係づけられている。すなわち、政治を人間を切り離して論じることはできない、ただそれだけの話だ。政治は極端な例かもしれないが、人文・社会に多少なりともかかわりのあるどんな分野でも、人間を切り離した議論は不可能だというのが私の認識だ。

わかりやすいたとえ話をすると、選挙で選ばれるのは候補者、すなわち人間だ。選挙において各政党は「マニフェスト」を発表する。しかし、多くの場合、選挙後にその公約は平気で反故にされる。政治を論じる際、「郵政総選挙」に圧勝したあとのコイズミはどんな政策をとるか、「国民の生活が第一」と訴えて参院選に圧勝したあとの小沢一郎はどのような行動をとるか、それは本当に国民の生活のためになるのか、極右の平沼赳夫などと結びついて国民を不幸にする方向に走ったりしないか、などということを予測し見極めて、彼らがあらぬ方向に突っ走ろうとした時にすかさず声をあげなければならない。その際、人間について考察することは不可避だ。そして、その考察の対象はブログ間で論争になった場合は相手方のブロガーに及ぶことも止むを得ないと私は考える。

つまり、「人間を切り離さないと言う制約条件を課した場合に得られるメリット」というよりは、否応なしに「人間を切り離さないわけにはいかない」宿命を、現実の政治を語る者は持っていると思う。

属人的議論は、論者に予断を与えてしまうというデメリットはよく指摘される。それは論者が十分心しなければならないことだ。だが、私は安倍政権を批判して昨年の総選挙では民主党を筆頭とする野党を応援する論陣を張っていたにもかかわらず、昨年秋の「大連立」騒動の際には、参院選の時に応援していた民主党の小沢一郎代表を批判する論陣を張った。その際、読者によっては「大連立」の仕掛け人と言われたナベツネ(渡邉恒雄)を私が弁護しているように読める文章があったらしい(これのことかなあ?)。つまり、私自身は、誰が発話したかということより、どのような発話であるかを重視して議論しているつもりだ。しかし、その一方で、誰の発話であるかということも考察から絶対に抜かしてはならないと考える。そのバランスが大事なのだ。

ちなみに大連立騒動の時は、当ブログのような主張は、民主党支持の多いこの界隈では少数派だった。「水伝騒動」における「共感派」の取り巻きのブログのコメント欄などを見ると、「kojitakenは大連立の時に小沢一郎を批判し、ナベツネを弁護していて、何を考えるんだと思った」と悪口を言っている者があった。これは、属人的考え方にのみとらわれすぎた悪例であって、われわれは属人的議論の問題点を十分に踏まえた上で議論しなければならない。しかし、政治というものの性質上、人間を切り離した議論はそもそも不可能なのだ。

なお、今回の議論については、本エントリで締めくくりにしたい。正直いって、かなり消耗してしまった。


(注) 「不本意ながら政治ブログの世界に身を置く」と書いたのは、3年前の「郵政総選挙」の結果および当時次期首相就任確実といわれていた安倍晋三の危険な体質に危機感を持ち、微力ながら現在の政治のあり方に異議を唱えるブログを立ち上げるしかないと思ったからだ。つまり、私が政治ブログを開設した動機は、安倍晋三という人間の属人的性質と強く関係する。
ブログを開設した最初の年には、政治思想や経済学を専門に勉強したわけでもない人間の書くこんなブログなど早々と押しのけられるだろうと予想していたのだが、そうはなっていない。嘆かわしい限りだ。
早くブログで好きなことだけを書ける時代が到来しないものか、それを願う今日この頃だ。


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このところ、当ブログの更新は週4回のペースだが、更新しない日でも裏ブログ 「kojitakenの日記」 でバトルをやったり、他のブログにお邪魔したりしている。

実は、ネットに割く時間を減らして、もっと勉強したり、以前のように外に出て体を動かしたりしなければならないと思っているのだが、思うにまかせない今日この頃なのだ。

自分のブログのコメント欄もコメンター同士がバトルをするがままに任せておいて(5月17日のエントリへのコメントは、50件以上に達して過去最多となった)、よそさまのブログでバトルをするとは、なんて勝手なやつかと自分自身でも思う(笑)。

私がブログを始めた頃は、いろんなブログにお邪魔してコメントをすることが多かったが、次第にその頻度が減って自分のブログに専念するようになり、コメント欄にいただくコメントに返事する頻度も減らしていった。基本的に、私は自分のブログのコメント欄をコメントを下さる方との議論の場とは見ていないからだ。但し、コメントされる方同士の議論は放任している。よほどひどいコメントや荒らしの常習犯によるコメント、あるいはスパムコメント以外は、右翼のコメントだろうが極左のコメントだろうが承認している。当ブログにコメントを削除された方は、「よほどひどいコメント」だと私がみなしていると考えてほしい。なお、削除する/しないの基準は私の勝手な判断によるものであり、苦情は受けつけないことをおことわりしておく。

そういう状態だったのが、このところよそさまのブログに出向いてコメントしたり、時にはケンカをしたりすることが多くなったのは、正月以来の「水からの伝言」騒動がきっかけである。この騒動については、1月15日付エントリ "「水からの伝言」をめぐるトラブルの総括" で一度当ブログとしての区切りをつけようとしたし、騒動も1月の後半には下火になったが、その後 「週刊金曜日」 が編集後記で取り上げたことがきっかけになって騒動が再燃した(4月19日エントリ "再燃しかかった「水からの伝言」騒動" 参照)。

再燃した騒動の特徴は、「水からの伝言」を肯定的に紹介したブログを批判した 「たんぽぽのなみだ?運営日誌」 およびそれに賛意を表するブログ(「批判派」と名づけられた)が、批判を受けたブログに同情するブロガーやコメンター(「共感派」と名づけられた)から感情的な非難を受けたことだ。

その最たる例が、たんぽぽさんが批判の対象とした 「らんきーブログ」 のぶいっちゃんさんに「謝罪を要求した」という事実無根の風評が生まれたことだ。これを元に「批判派は『連合赤軍』みたいだ」とか、「いや、あれは『解同』(部落解放同盟)のやり口だ」とか、果てには「批判派は『ソーカルト』(創価学会とカルトをかけ合わせた造語)だ」と言いだす人まで現れた。1月の騒動の時にはたんぽぽさんは「雑談日記」のSOBA氏に「日共」とのレッテルを張られていたから、同じ人が「日共」「連赤」「解同」「ソーカルト」の4種類のレッテルを張られたことになる。「共感派」の陰謀論を好む体質が浮き彫りになっていて興味深い(笑)。

なお、謝罪要求が事実無根であったことを示したのは、「玄倉川の岸辺」 の名エントリ "幻の謝罪要求" である。このエントリは、最初に「幻の謝罪要求」をでっち上げたのがニケ氏というブロガーであることを示した。 玄倉川さんは、「幻の謝罪要求」は、ぶいっちゃんさんと水葉さんがでっち上げたものではないかとしている。

しかし、当ブログが指摘しておきたいのは、「共感派」の間では、共感を重んじ議論を嫌うあまり、議論をしたがる人間を「連合赤軍」にたとえるような体質(つまり、「極左」「過激派」といわんばかりのレッテルを張りたがる体質)は、何も今に始まったものではなく、「騒動」以前からあったということだ。これを以下に示す。

昨年11月22日付 「わんばらんす」 の記事 "またまたブログについて・・・緊急エントリー!" のコメント欄に、喜八さんが
「議論」は万能などではない。
「議論」が物事を悪化(最悪化)してしまうことも珍しくない。
つねづね、私はそう思っています。
「連合赤軍事件」で仲間を大虐殺した青年たちも、殺し合いを始める前にたっぷりと「議論」をしていたみたいです。
(だから、議論をするべきではない、と言うわけではありませんが・・・)
と書いている。

つまり、「共感派」の間には、コミュニティの平和(=馴れ合い)を破る闖入者を「ギャーギャーうるさい屁理屈をこねるやつだ。まるで連合赤軍みたいだ」と言って排除する「空気」はもともとあったということだ。たんぽぽさんは、彼らにとって「KY」であり、排除されるべき対象だった。

再燃した「水からの伝言」騒動は、1月の論戦で劣勢だった「共感派」のカタルシスを求めた絶望的な闘争だったと思う。彼らの何人かはブログの閉鎖や休止を宣言した。ブログなんて勝手に始めて勝手に更新しなくなって、もういいや、と思ったときに静かに閉鎖すればよいものだと私はブログを始めた時からずっと思っているから、ブログをやめるのやめないのと言ったり、それを慰留したりしている人たちの気がしれなかった。批判派を「連合赤軍」呼ばわりした人はブログを閉鎖したけれど、ブログを「辞める」のをやめた人もいたし(「やめる」に「辞める」という字を当てること自体大仰だと思うが)、ブログを閉鎖しないであちこちのブログに出没して自己愛に満ちたコメントを書き散らした人もいる。

こういった状況は、従来の「水からの伝言」が問題になるたびに論じられた「擬似科学批判」とはかけ離れたものになっている。これを指して、アカデミズムやそれに近い世界にいる人たちからは、「公論であるべき "水伝" 批判が私闘になっている」という批判がある。1月に当ブログが騒動に乱入した時に私は 「雑談日記」 のSOBA氏に宣戦布告をしたのだが、それが個人的動機に基づいているという批判も受けた。

だが、今だから白状するが、「個人的動機に基づいて」の宣戦布告は、意識的にやったのである。公論と私論なんてはっきり分けられるはずがない。日本の政治史を顧みても、たとえばロッキード事件での田中角栄元首相の逮捕は、時の総理大臣が三木武夫でなければあり得なかった。あの逮捕劇には三木の「私闘」という側面が確かにあった。そして、近年で最悪の「私闘」の例は、コイズミの「郵政解散・総選挙」だろう。

「水伝」騒動でも、一時、「共感派」に対する批判派は「論理派」と称されたこともあったし、今も「共感派」から「論理村の人たち」と呼ばれて攻撃されている。しかし一方で、政治ブログにおける「水伝」批判派は、アカデミズムの「水伝」批判派を意識して、"「私闘」宣言" をしている(「nagonaguの日記」)。私もこれに賛同したい。

そもそも、「私論」だの「公論」だのというのは、発話者が決めるものではない。本人は「私論」のつもりでもそれがパブリックな性格を帯びることもあるし、発話者が力み返って「公論」を述べていたつもりが、はたから見ればごく限定された範囲でしか通用しない私論に過ぎなかったりする。「私闘」批判をして「公論であるべし」と主張した人の文章は、不必要に長大だった。それだけでも「公論」失格だ、そう私は思った。

ところで、アカデミズムの世界の人がネットでやる議論には、一部でかもしれないが、「議論は属人的であってはならない」というルールがあるらしい。これは、円滑なコミュニケーションをするためには、「書かれてもいないことを勝手に読み取ってはならない」という経験則からきているようだ。しかし、「議論は属人的であってはならない」というテーゼはいささかエキセントリックであって、経験則を不必要に拡張したものであるように私には思われる。特に、人文・社会科学においては、人間的・社会的コンテキスト(文脈、脈略。あるいは状況、環境)を抜きにして、テキストのみに基づいてすべてを議論することはナンセンスだ。

「擬似科学批判」というのは、自然科学の分野には属さないと私は思う。擬似科学を悪用する人たちがいて、擬似科学にいとも簡単に引っかかる人たちがいるから、擬似科学批判が必要なのではないのか。つまり、すぐれて人文・社会科学的な分野だ。だったら、「議論は属人的であってはならない」というのは、議論を深めるのを阻害するドグマなのではないのか。

当ブログの2006年7月28日付記事 "差別用語なんて存在しません" で、20年近く前にネットニュースで話題になった「差別用語論争」をとりあげたことがある。そこでも当初、「差別用語なんて存在しません」という「合意」が成立したが、このフレーズがコンテキストを無視して用いられたために論壇は混乱し、さらなる対立と激論を招いた。そして、「言葉が使われているコンテキストを無視して、差別用語があるとかないなどと議論しても意味がない」というまっとうな指摘がなされて、その認識が定着するのには3、4年の歳月を要したのである。

人間なんてそんなに簡単に進歩するものではない。現在繰り広げられている騒動も、20年近く前と何も変わっていないし、何百年の昔と比較してもそんなに変わっていないのではないかと想像する今日この頃だ。


[追記] (2008.5.25)
玄倉川さんのご指摘を受けて、本文を一部修正しました(「このエントリは、最初に「幻の謝罪要求」をでっち上げたのがニケ氏というブロガーであることを示した。」という部分を取り消し、赤字部分を追加)。


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当ブログで2008年に入っていちばんアクセスの多かった記事は1月15日付の "「水からの伝言」をめぐるトラブルの総括" だ(もうすぐ "山本繁太郎とノーパンしゃぶしゃぶと耐震強度偽装と"(3月12日付)に抜かれそうだが)。

3か月前に「総括」したこの件だが、よりにもよって「総括」という言葉と関係の深い連合赤軍と関連して語られることで、騒動が再燃しかかった。

きっかけはその少し前、「週刊金曜日」 3月14日号のあとがきにこの件が取り上げられたことらしい。
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol694/kinnyobikara

▼新年早々、左翼系ブログ界を揺るがす騒動が巻き起こった。きっかけは、水に「ありがとう」、「馬鹿野郎」などの言葉をかけると、その言葉の善し悪しで、水が作る氷の結晶が奇麗になったり、汚くなったりすると説く、『水からの伝言』。通常、「ゲーム脳」などと同じ疑似科学とされているこの話を、あるブログが肯定的に紹介していたことを、別のブログが批判。批判された方がプライドのせいか、開き直りともとれる発言で応えたため、巻き起こった大騒動である。コミュニティとして機能しているブログが、閉鎖的な体質に陥り易いことがこの騒動の原因の一つだろうが、それ以上に論理や理性に対する立場の相違も大きかった。私はApemanさんの「共感のために反知性主義的な振舞いに目をつぶるような態度には、まったく同意でき」ないという立場に共感するのだが、こういうことをここに書くと、ネット上で「お前が言うな」とか言われちゃうんでしょうね(笑)。(原田成人)

(「週刊金曜日」 2008年3月14日号 「金曜日から」より)

この件の主役となった「たんぽぽのなみだ?運営日誌」「らんきーブログ」 は、いずれも私には左翼ブログとは思えないのだが、ともに自民党政権には批判的だから、広義の「左翼」にはなるんだろうか? それと、文中でApemanさんの発言とされているのは、実際にはgood2ndさんの発言だったりする。

しかし、「批判された方がプライドのせいか、開き直りともとれる発言で応えたため、巻き起こった大騒動である」というのはその通りで、かつて某所でたんぽぽさんに批判されて応酬した経験があり、その手強さを知っていた私としては、最初に「たんぽぽのなみだ?運営日誌」のコメント欄でそれを目にした時、「おいおい、そんな反応をしたらとんでもないことになるぞ」と思ったのだが、実際そうなってしまった。騒動そのものはそれだけの話だ。そこに至るには伏線があり、それには当ブログもかかわっているので、当時当ブログ管理人による陰謀説なども流布し、面白い見ものになっていた(笑)。

しかし繰り返すが、騒動そのものはつまらない話だ。ところが、この騒動を蒸し返して、「らんきーブログ」を批判した側が「連合赤軍」みたいだ、と言い出したブログがあって、そこから騒動が再燃しかかったのである。

私自身はその記事を知ったのはつい数日前で、当該ブログにも初めてコメントした。「連合赤軍」みたいだと言われたのではたまったものではないから、裏ブログに、"なんと! 「水伝」批判派は「連合赤軍」呼ばわりされていた" という記事も書いたが、私のコメントに対する管理人さんの返事を読む限り、話せばわかるタイプの方という印象を受けたので、さらなる返信のコメントを書こうと思っていたら、突如ブログを閉鎖されてしまった。まことに残念だ。

話は「連合赤軍」からさらに飛び火し、「水伝」批判派を、なんと「解同」(部落解放同盟)呼ばわりするブログが現れた。
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/6e7af0675cd9bbdd63920f1053dcbf3b

これは、"極左系に殴りこんだ解同系の仁義なき戦い『水からの伝言』" なるぶっ飛んだタイトルがついた、一種のお笑い記事なのだが、このブログをよく読んでみると、仲@ukiukiさんやBLOG BLUESさんらに対し、妄想に基づいたいわれのない因縁をつけている記事が見つかり、見ていて気分が悪くなった。下記2つのエントリを、コメント欄まで含めてご参照いただければ、このブログの正体がおわかりになると思うし、そこでしきりに管理人に肯定的なコメントを書いている人物についても認識を新たにされることだろう(笑)。

"インターネット上の印象操作と偽装工作"
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/a30d40427da2ea4bf9c4d90932926fa6

"続、インターネット上の印象操作、偽装工作"
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/185903bab9d5ff546fdc9c4d8479606e

これらの記事を読んで、なおこのブログの管理人と「良い関係」を保つブロガーは、私には知的誠実さが欠けるとしか思えない。ところが、世の中にはそんな人もいるのである。下記リンク先はその例だ。
http://nikemild.exblog.jp/7704563/

上記エントリのコメント欄は特にぶっ飛んでいて、私など腹を抱えて笑い転げてしまったが、「なごなぐ雑記」の宮城康博さんによると、
おそろしいものを読んでしまった。コメント欄のダイアローグは、ホラー映画で使えますね。
とのことである。

そこから、
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/df668d17637cd9ed205523af3d9902f9

なんてエントリも出てきて、もうしっちゃかめっちゃかなのだが、それはともかく、「解同」呼ばわりを得意とするブログの管理人と意気投合した人物こそ、「水からの伝言」騒動で火に油を注いで騒ぎを拡大させた張本人なのである。最初に「水伝」批判派を「連合赤軍」呼ばわりしたのも、昨日ブログを閉鎖された方ではなく、この人物だったようだ。

この騒動は、思慮の浅いブロガーが批判を受けたブログの管理人を焚きつけ、大騒ぎになっただけの話だ。実につまらない騒動であって、「左翼」うんぬんとは何の関係もない話だと私は思っている。

蛇足ながら書いておくと、私は連合赤軍の「あさま山荘」はリアルタイムで知ってはいるが、事件に思い入れのできるような年齢には達していなかった。このすぐあとに起きた「沖縄密約」をめぐる毎日新聞の西山太吉記者(当時)の逮捕が、私にジャーナリズムに対する関心を持たせた最初の事件だった。

[追記1]
トラックバックいただいた 「玄倉川の岸辺」 による検証記事 "幻の謝罪要求" はとても秀逸な検証記事だ。この件に関心のある方には必読のエントリとしておすすめする(下記URL)。
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/90d7eb67f42721f0c34fbea8aa259509

[追記2]
「解同」「極左」のレッテル張り専門家氏のブログは、ますます壊れてきた(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/53fa387684fb44409edd88ec81480f54
昨年末来のブログ間のゴタゴタについて、そろそろ総括すべき時期がきたように思う。

当ブログで昨年秋頃から展開したポピュリズム批判が、昨年末の陰謀論および擬似科学批判につながり、その過程で 「水からの伝言」 をめぐるブログ間のもめごとが起きた。

既に多くの方から指摘されているように、批判を受けた側は、別に 「水からの伝言」 を信じているわけではなく、かつてトンデモだと指摘されていたことを知っていた。だから、批判を受けた時に適切な対応さえとっていればよかったのだ。「あんな2年前の件で謝罪なんて」という意見が出たが、最初の処理が適切であれば、謝罪の必要もなかった。それが、ブログにコメントを寄せた人たちに煽られる形で、フテキセツな対応をとってしまったから、問題がこじれたのである。

ただ、リベラル・平和系ブログ言論に、陰謀論や擬似科学を受け入れやすい体質があることを今回の件は浮き彫りにしたと思う。これを克服しなければ、リベラル・平和系のブログ言論が普遍性を持つことはない。その意味で、この問題は乗り越えなければならない壁だった。

この件は、批判を受けた側との共闘を表明したブログ(「雑談日記」)が、その過程でお得意の他ブログに対する誹謗・中傷を撒き散らし、同ブログの 「自民党TBP」 からの締め出しに発展した。

いつまでも同ブログの管理人・SOBAのような誹謗・中傷の常習者をコミュニティに入れておくことは、リベラル・平和系ブログ言論にとって百害あって一利なしである。というのは、新たに政治ブログに参入しようとしている人から見ると、わけのわからないおっさんが「俺のバナーをブログに貼れ」と強要し、それにブロガーが唯々諾々と従っているさまを見ると、参入する気持ちが萎えるからだ。これは、ブログへの参入障壁を高めている。昨年後半以降、良いブログの新規参入が少ないとは、誰もが感じていることだろう。だから、「自民党TBP」がSOBAを排除したのは、いずれは避けて通れないことだったと私は考えている。

本件について、「nagonaguの日記」 が、本質を突いたまとめの記事を掲載しているので、ここにご紹介する。下記のリンク先をご参照いただきたいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080114#1200274906

本件、特にSOBAを排斥しようとした記事について、「こんな記事は読みたくない」とのご批判を数多くいただいたが、今回で一区切りをつけ、次のエントリからはもとの調子で記事を公開したいと思う。これまでの騒動で、ご迷惑をおかけした多くの方には、遺憾の意を表したいと思う。特に、コメント欄に再三参入させていただき、当ブログにもコメントとトラックバックをいただいたお玉さんには、感謝と謝罪の意を表させていただく。特に最初にお玉さんのブログに寄せたコメントは(あえてリンクは張りません)、表現がかなり乱暴だった。深くお詫びしたい。

また、「らんきーブログ」 の管理人・ぶいっちゃんさんは、私がブログを開設したての頃にたいへんお世話になった方である。その方と、最近は関係がこじれっ放しになったことはまことに心苦しい思いだ。残念ながら、政治ブログのあり方としては「らんきーブログ」と「きまぐれな日々」には相容れないものがある。ぶいっちゃんさんは、もともとはポピュリズム、陰謀論、擬似科学のいずれとも無縁な、無色透明の人だと思うのだが、残念ながらそれらに絡めとられやすい弱点があると私には思われる。これは、ブログ言論を危険な方向へ導きかねないと私は考えるから、どうしても「らんきーブログ」と「きまぐれな日々」は衝突してしまうのである。それでこのようなことになってしまったのだが、人間としてのぶいっちゃんさんには何の恨みもないし、たいへん感謝もしている。「らんきーブログ」の政治記事に対しては、今後も批判的であり続けると思うが、それはそれ、これはこれということでどうかご理解いただきたいと思う。

※ お寄せいただいたコメントは、ブログ管理人が「荒らし」と判断するもの以外原則として承認し、掲載していますが、必ずしも当ブログ管理人がコメントに書かれた内容が妥当であると考えているわけではありませんので、読者の方には自己責任でご判断をお願いします。


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当ブログの昨日のエントリには、ずいぶんご批判をいただいた。

当ブログはコメントおよびトラックバックを承認制にしているが、スパムや、神学論争と化して永遠に平行線をたどる内容のもの(主にネット右翼の嫌がらせ)以外は掲載することにしている。

たまたま、昨日の記事はあるブログをタイトルで名指しして罵倒したものだったため、多くの読者から共感を得られず、批判のコメントが殺到した。

これらを読んでいて、当ブログの読者には「信者」はほとんどいないんだなあ、と思った。良いことである。ブログの記事が間違っていると思ったら間違っていると率直に指摘してくれる読者というのは、ブログの管理人にとってはありがたい存在である。お追従のコメントを寄せる人たちばかりが目立つブログというのは、良いブログとはいえない。

とはいえ、どんなに読者の反発を招こうとも、一昨日及び昨日のブログの主張を撤回するつもりはない。私は、盟友のブログに対してあるブログが行った誹謗中傷に対して激怒したのであり、当該ブログを弾劾するために、「禁じ手」をいくつか使った。罵倒用語、ブログのアクセス数への言及、それに相手ブログを排除しようとする物言いなどである。

当ブログは、これらが「諸刃の剣」であることを承知の上でエントリに盛り込んだ。つまり、「やるか、やられるか」の真剣勝負の覚悟で、該ブログ(「雑談日記」)を非難したのである。当ブログは該ブログと同じ立場に立つとは思っていない。不倶戴天の敵であると認識していることを明記しておく。

但し、上記の「不倶戴天の敵」以外に当ブログがこれまでに何度か非難したいくつかのブログに対しては、そのような認識は持っていない。もちろん批判はいろいろ持っているが、批判と人格の否定は異なる。当ブログ管理人には、批判を受けて喜ぶ天邪鬼なところがあり、それは当ブログ管理人が自分の書いた記事に対して自信を持っていることの裏返しでもあるのだが、適切な批判はブログやブログ管理人を成長させる糧だと考えている。

だから、当ブログへの批判を遠慮される必要は何もない。今日は、いただいた批判コメントの中から、お玉おばさんのコメントを紹介したいと思う。内容についてはあえて何も言わないが、当ブログに批判コメントをするに際して、心理的障壁が高かったように見受けられることについては、当ブログ管理人の不徳のいたすところであり、それについては心からお詫びしたい。

それでは以下にお玉おばさんのコメントを紹介する。いくつかいただいたコメントの中で、このコメントを選んだ理由についても、読者の方々でお考えいただければ幸いである。


kojitakenさま
このあなたへの苦言を全て表に出された行為を私は潔い事だと思います。今のこの状況で、批判コメントを表に出す
あなたに敬意を表します。

その上で、私たちは政治ブロガーとしての真の「危機感」を共有することはできませんか?私はあなたほど知的に読者を引きつけることができません。いつもまず感性と感情、そして素朴な思いが先立つ者です。
その上、実は誰とも共闘というワクの持てない変わり者です。多分誰とも違う・・でもあなたも元々は誰とも違う方ですよね?
色々批判されてますが、そして私も今のあなたには思うところはありますが、元々の理知的な記事を書かれていたあなたを知っている人が多いからあなたは人気ブロガーであるのではないですか? 
敵対することのやめられないブログを一切スルーする。多少考え方が違うブログでも許容する、なにか疑問があるならばまず、個人的にメールする、(もちろんそれが叶わなければ仕方ないですが。。)そういう寛容さで、真の敵と戦っていけませんか?

私も反省すべき点を見いだしております・・・でも、いま一番困るのはリベラル系ブログが2分してしまうことだと私は思います。よそのブログが何をやっているか、なんて本当はあなただってどうでもいいことではないでしょうか・・・もちろんあなただけではない、あなたを影で批判する方に対してもこの文章は向けております。

あなたにコメントするのに私は手が震えるほどの勇気を出しております。・・・でもきっとそれはあなたも同じだったのかな?とも感じております・・・
私はリアル社会で護憲運動をすることが大事なので、つい、所詮ブログだと申してはおりますがあなたのように影響力のあるブログにはたくさん教えて頂きたい、そう思っております。

こんかいの騒動のせいで、今真に問わねばならない政治の話が全て追いやられております。でも私たちは、リベラルブロガーのもめ事に終始しています・・気がつけた人間からこれをやめない限り・・何をも動かせない。

失礼なことを承知でコメントさせて頂きました。このような無礼をどうかお許し下さい。

2008.01.12 23:55 URL | お玉おばさん #e2xIBKiE [ 編集 ]


[追記]

たんぽぽさんから、下記のコメントをいただいた。

わたしのことでしたら、とくに気にしてないですので、
あまり気を遣わないでも結構ですよ。
『雑談日記』の反応は予想通りで、むしろ失笑したくらいですので。
(どうか、怒りを静めていただけたらと思います。)

当人(わたし)の気持ちがどうあろうと、
他人のブログをいやしめてまで、自分のブログを自画自賛するのは、
糾弾されることである、という考えかたも、もちろんあるけれど...

2008.01.13 01:33 URL | たんぽぽ #ZiqE0vWU [ 編集 ]

今回、私が「雑談日記」に対してブチ切れた直接の原因は、たんぽぽさんが書かれている件だが、「雑談日記」は、従来からさまざまなブログに対して同様の誹謗中傷やいやがらせを行ってきた。かかる同ブログの言動を見ていると、例の「STOP THE KOIZUMI」の紛争にしても、一方的に主宰者側に非があったとはいえないのではないか、と思うようになった。それに、同ブログは「リベラル・平和系」のブログ言論の質を向上させるために何の貢献もしていない。それ以前に、その卑劣な行動には、人間として許せないものがある。以上を考え合わせて、同ブログを排除すべき時がきたと判断した次第である。記事中でたんぽぽさんを示唆する表現をしてしまったのはいささか軽率だった。お詫び申し上げる。


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よく、「リベラル・平和系ブログ」などという言い方がされるが、考えてみれば、「俺が作ったバナーを貼れ」と強要するブログの横暴に屈して、ペタペタと悪趣味なバナーを貼るのって、「リベラル」の看板が泣く行為だ。かつてはあのブログはアクセス数が多かったし、あちこちでトラブルを起こしたうるさいブログだから、厄介ごとに巻き込まれるのはメンドクサイと思って、しょうもないバナーだなあと内心では思いながらも、押し売りに屈してしまったというのが多くのブロガーの実情ではないだろうか。

ほかならぬ当ブログも、そんなバカげた行ないをしてきたのだが、下記の記事を読んで、改めて水から、いや自らのことなかれ主義が間違っていたことを再認識した。

http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-730.html

http://taraxacum.seesaa.net/article/77657453.html

いま私は、自らの不明を恥じ、わがブログの過去のエントリに山ほど残っている、愚か者が作成したバナーへのリンクを削除し続けているところである。

馬鹿に屈してはならない。


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