この新党を精力的に追っている『日本がアブナイ!』は、同党の結党会見は突っ込みどころ満載で、何をどこから書いていいかわからないぐらいだと書いているが、同感で、どこから批判していけばよいか、書きながら迷っている。
エントリが長くなりそうなので最初に書いておくと、この「新党」は、自民党がもともと持っていながら、ベクトルの向きが互いに異なる「自主憲法制定」と「消費税大増税」という二つの主張をともにより強調した、いわば自民党の持つ方向性をよりデフォルメしたような政党だ。「真正自民党」という形容がふさわしい。
これと比較すると、たとえば「みんなの党」には、「自主憲法制定」に見られるような復古的・国家主義的な主張はあまり見られず、新自由主義に特化した政党だ。また、ほんの少し前まで平沼赳夫やその子分・城内実、あるいは自民党の安倍晋三、稲田朋美らは、経済政策には関心がほとんどなく、「自主憲法制定」のほか、さまざまな復古的・国家主義的主張にこだわる人々だと思われていた。そのどちらでもない古い自民党を代表するのが、現自民党総裁である谷垣禎一らが属する「保守本流」と見られていて、現在ではその保守本流も新自由主義と新保守主義の影響を強く受けて、谷垣禎一は彼のスタイルには似合わないファイティング・ポーズをとらされているのだが、まさか新自由主義の一流派に属する与謝野馨と、典型的な新保守主義者である平沼赳夫が野合するとは思わなかった。
こんな野合政党にさえ、一部の「リベラル・左派」ブロガーが「反米」という共通項をむりやり抽出して弁護しようとしていたのには呆れたが、この新党の名前「たちあがれ日本」の名付け親が石原慎太郎であり、この石原が新党の強力な応援団長役を務めていることがわかると、「リベラル・左派」ブロガーたちも新党を庇いきれなくなった。
マスコミも、週末以来この「新党」の報道にかなりの時間を割いているが、特にクローズアップされているのが前述の石原慎太郎である。実際、石原慎太郎の興奮ぶりは異様で、石原がこんなに注目されるのは、3年前の東京都知事選の時以来ではないか。
石原の突出は、「リベラル・左派」のブロガー連に新党を立ち上げた平沼赳夫や与謝野馨を弁護する言葉を失わせただけではなく、一部の「真正保守」たちの反発を買っている。たとえば、古くから「さるさる日記」に寝言を書き続けているクライン孝子という産経文化人は、下記のように書いている。
石原東京都知事の今回の新党つくりにおける異様なはしゃぎぶりには、やや違和感を感じます。
これではせっかく発足した新党にもかかわらず、何か魂胆があるのではないかとつい勘ぐりたくなってしまう。
恐らく多くの国民特に無党派層や女性群、そんな印象を持ったのではないかなあ。
(『クライン孝子の日記』 2010年4月10日付より)
当ブログでクライン孝子を取り上げることはほとんどなかったと思うが(ネット内検索をかけたら過去2回だけ取り上げていた)、この人は結構正直なところが面白くて、当ブログを開設する直前の2006年4月1日に、『きっこの日記』の四月馬鹿の記事に騙された時には大笑いしてしまったが、クライン孝子がえらいのはその記事を削除せずに残していることだ。『きっこの日記』の方は、当該記事は数時間で削除し、別の記事に差し替えてしまった。いたずらの記事をわざわざ残しはしなかったわけだ。
今回も、「(石原慎太郎に)何か魂胆があるのではないかとつい勘ぐりたくなってしまう」とはよくぞ書いてくれた。もちろん、悪い魂胆があるに決まっている。
ついでに書くと、このクライン孝子の日記によって、『立ち上がれ!日本』というタイトルの本を竹中平蔵と櫻井よしこが2001年に出していたことを知った。新自由主義の権化・竹中平蔵と、現在では新保守主義の代表的な論客である櫻井よしこがこのような共著を出していたことからわかる通り、かつては新自由主義と新保守主義は表裏一体、不可分の関係にあった。2004年までに出版された本の多くにも、いちいち引用や紹介はしないけれども、そのことがよく指摘されている。
新自由主義者と新保守主義者を分裂させたのは、2005年の「郵政総選挙」における小泉純一郎だった。新自由主義に特化してこの選挙に勝った小泉は、翌年には「皇室は最後の抵抗勢力だ」と発言して、「郵政総選挙」で小泉に自民党から追い出された平沼赳夫の激しい怒りを買ったといわれている。
しかし、日本における新自由主義政治の開祖・中曽根康弘が総理大臣を務めていた80年代には、新自由主義と新保守主義は平和裏に共存していたのである。そして、今回の新党結成に関わった与謝野馨、平沼赳夫、石原慎太郎の三人は、いずれも吉田茂?池田勇人?大平正芳の流れをくむ保守本流でも、岸信介?福田赳夫の流れをくむ保守傍流中の本流でもなく、中曽根康弘の純粋な直系かやや外れているかの微妙な差こそあれ、全員が「保守傍流中の傍流」の政治家である。これに対し、小泉純一郎は福田赳夫の直系で、「保守傍流中の本流」にいた政治家だった。
今回、与謝野馨と平沼赳夫が手を結んだことは、ある意味、新自由主義と新保守主義が分化する以前の中曽根時代への回帰なのだ。復古主義臭が強いのも道理である。
ただ、絶対に忘れてはならないのは、中曽根政権は、発足当初こそ「田中曽根政権」などと揶揄されて支持率も低かったが、1983年の総選挙の惨敗を新自由クラブとの連立で乗り切って以来、徐々に支持率を高め、1986年には衆参同日選挙に圧勝して戦後自民党政権がもっとも支持された時代を築いたことだ。石原慎太郎にしても、1999年の東京都知事選初当選して以来、3度の都知事選にすべて圧勝してきた。3年前の都知事選では、『週刊現代』、『週刊ポスト』、『サンデー毎日』の3誌が毎週石原を批判する特集を組んだし、当ブログも浅野史郎氏支持を打ち出して連日石原を批判する記事を公開したが、全く歯が立たなかった。
今回の「たそがれ新党」に関しては、石原の他に中曽根康弘やナベツネがバックにいることも盛んにいわれているが、彼らを馬鹿にすると泣きを見るぞというコメントもいただいている。30年来日本の政治を歪めてきた中曽根やナベツネに対しては、恨み骨髄でこそあれ、馬鹿にしようがない。彼らの晩年である今、彼らの意図を挫くことによって、せめてもの一矢を報いたいと考える次第だ。与謝野馨や平沼赳夫は、石原や中曽根、ナベツネの操り人形に過ぎないともいえる。
特に平沼赳夫は、記者会見で「(与謝野氏と)共同代表という形か?」と聞かれて、「党首はおれだから、協力してもらうということかな」と答える(JNNのニュースサイトより、『日本がアブナイ!』からの孫引き)など、すっかり「お山の大将」気分全開なのだが、ナベツネや文藝春秋の意図が全く別のところにあることを示しているのが、『文藝春秋』5月号に掲載された、与謝野馨と園田博之による「『たちあがれ日本』結党宣言」である。ここには、社会保障関係費の膨張と、鳩山由紀夫首相による消費税増税論議の封印を批判する文章はあるが、「自主憲法制定」などどこにも出てこない。それどころか、平沼赳夫への言及自体、末尾の方に少しあるだけだ。その部分を引用する。
我々は現在無所属の平沼赳夫さんと新党の準備をしている。郵政民営化に反対して自民党を除名された平沼さんは、仲間の多くが復党したなかで筋を通して無所属を通されているが、平沼さんも現在の民主党政権の出鱈目な政策に強い危機感を持っている。「民主党は日本を社会主義にする。日本の危機を迎えてタカ派とかハト派とか言っている時代ではない。政治家として長いキャリアを持っている人が自ら日本の政治を過去のしがらみから決別させ、有能な若い人たちの手に渡そう」と考えておられる。最後のご奉公という気持ちで打倒民主のために立ち上がろうとしている。我々は大きな目標では一致できるのだ。
(与謝野馨・園田博之 「たちあがれ日本」結党宣言(『文藝春秋』 2010年5月号掲載)より)
これも突っ込みどころ満載だ。まず、雑誌で9ページ(本文8ページ)に及ぶ長文の記事に、平沼赳夫に言及した部分がこれだけしかないこと。平沼の「タカ派とかハト派とか言っている時代ではない」という言葉が、「『右』も『左』もない」という、以前どっかのブログが愛用していた言葉を思い出させること。「日本の政治を過去のしがらみから決別させ」などと言いながら、バックに中曽根やナベツネがいること。そして、極めつきは「我々は大きな目標では一致できるのだ」という文章である。
与謝野馨と園田博之は、要するに大きくない目標では平沼赳夫とは一致できないと言っているも同然なのだが、では何が大きな目標で、何がそうでない目標なのか。それを考えるヒントが新党の結党趣旨にある。結党趣旨には、「打倒民主党」、「日本復活」、「政界再編」が掲げられている。要するに、彼らにとってはこれらが「大きな目標」であり、「自主憲法制定」や「早期の消費税率引き上げ」は「大きくない目標」なのである。
早い話が、政権の座に返り咲きたい。その目的のためには手段を選ばない。そういう性格の政党ということだ。特に呆れるのは結党趣旨に「政界再編」を掲げていることであり、これが何よりこの政党の志の低さをよく表している。自分たちが天下を取るのではなく、「政界を再編する」のである。要するに、どっか大きなところ(どこかは知らないが)とくっついて、自分たちがやりたいことをやろうというスケベ心がミエミエなのだ。これが、世の人々から尊敬を集める存在であるはずのお年寄りのあるべき姿だとは、とうてい私には思われない。
この新党だが、少なくとも読売新聞の論説記事と文藝春秋の出版物は新党を支援するだろうから、決して馬鹿にできないことは間違いない。しかし、同じ右寄りの週刊誌で、発売日も『週刊文春』と同日の『週刊新潮』は、文春に名をなさしめてなるかとばかり、4月15日号で「『与謝野新党』が『小沢幹事長』と手を組む」という特集を組んでいる。ここでは、「政局音痴『ロートル軍団』の壮大相手は例によって『老害主筆』」(もちろんナベツネのこと)、「大叔父の遺言を守って残留『後藤田正純』板挟みで泣き言『城内実』」などの記事が掲載されている。
「板挟みで泣き言」を言っていると書かれた城内実だが、どういうことかというと、平沼赳夫から年間1千万円の資金提供を受け、傍目から一蓮托生と見られていた城内実は、本音は新党合流に乗り気ではなく、当然のように城内が新党入りするものと思っている平沼や与謝野の期待がたいへんなプレッシャーとなって、後援会の説得にも苦心している城内は、拙速に過ぎる状況で、周囲に「板挟みだ」と漏らしているのだそうだ。記事には「(事情通)」と書かれており、城内実の現状を週刊誌の記者にリークした何者かがいる。城内実には、「保守色が強いから新党入りに二の足を踏んでいる」、あるいは「安倍晋三から新党入りするなと釘を刺されている」という観測も流れているが、それらには城内実ウォッチャーである私は説得力を感じない。特に前者の観測に関しては、前回のエントリにも書いたように、城内実が安倍晋三や平沼赳夫を凌ぐ極右思想の持ち主である以上、あり得ない見方だ。しかし、『週刊新潮』に載った事情通の解説には説得力がある。テレビには、「たちあがれ日本」が結成された10日に浜松市内で街頭演説をする城内実の姿が映し出されており、そこで城内は「立ち上がれ日本」の結成をアピールしつつ、「私は平沼系無所属議員として、平沼先生のお力になりたい」などと、珍妙極まりない街宣をしていたので、画面を見ながら爆笑してしまった。ま、口から生まれていたような手合いにふさわしい街宣だといえる。
ところで、『週刊新潮』の特集の末尾にあるのは、「『小沢一郎』が肉を切らせて骨を切る『衆参ダブル選挙』皮算用」である。衆参同日選挙はさすがにあり得ないと私は思うが、同日選とならず、参院で民主党が単独過半数をとれなかった場合に、与謝野新党(と週刊新潮は表記している)と民主党が連立を組むというシナリオがあると書いている。そして、民主党関係者のコメントとして、「新党結成に不慣れな平沼赳夫が、何かと小沢サイドに相談を持ちかけていて、小沢一郎の側近らが党綱領の作り方などあれこれ相談に乗っている」という情報がリークされている。これも、これまでの小沢一郎の行動パターンからいってあり得ない話ではないし、これこそが中曽根やナベツネの真の狙いでもある。すなわち、自民党の政策をデフォルメしたようなロートル政党「たちあがれ日本」と民主党の連立による、憲法改正と早期の消費税率引き上げの実現。これこそが、このいかさま新党の真の狙いなのである。
もちろんこんな狙いは潰さなければならない。これを潰すためには、参院選でこの政党に1議席たりとも与えないことが必要だ。民主党か自民党か迷う人は、サイコロか鉛筆でも転がして、どちらかに決めれば良かろう。いや別に国民新党でも社民党でも共産党でも構わないけれど、少なくとも選択肢に「たちあがれ日本」など入れないことだ。こんな馬鹿げた政党に議席を与えてしまうと、そこから本当の地獄が始まる。
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ブログ主のmewさんが書く通り、中曽根康弘や渡邉恒雄(ナベツネ)は憲法改正を実現したくてたまらず、そのために与謝野・平沼新党と民主党、公明党の組み合わせで大連立を組ませて、野党・自民党の賛成も得て憲法改正へとこぎ着けたいと思っていることは間違いない。しかし、憲法改正は一朝一夕にはできるものではなく、中曽根康弘はおろか、ナベツネの目の黒いうちにも実現することはないだろう。彼らの生涯をかけた目標は、見果てぬ夢に終わることは間違いない。
ところで、一口に改憲派といっても、中曽根康弘とナベツネでは微妙に立場が違う。ナベツネは宗教がかった「靖国右翼」を嫌う男であって、4年前に首相になった安倍晋三に対しても、安倍を支持する条件として靖国神社に参拝しないことを要求したことがある。当然ナベツネが平沼赳夫に共感しているとも考えられない。
ナベツネの本命はあくまで与謝野馨なのである。『文藝春秋』の4月号に与謝野の「論文」が載り、週末に発売される5月号では、与謝野と園田博之による新党の政策が掲載されることもその傍証である。平沼が主役であれば、平沼の主張も大々的に文春の誌面を飾るはずだが、事実はそうではない。
それなのに、なぜ平沼を野合させたかというと、単に新党に参加する人数を集める目処が立たなかったからだろう。だから、ナベツネと与謝野は、同様にもう3年前から新党を立ち上げる、立ち上げると構想を語っていながら立ち上げられずにいた平沼に目をつけ、頭を下げて合流話を持ちかけたのではないかと私は推測している。だから、麻布高校の同級生ながら1歳年上で優等生だった与謝野馨(与謝野は父親の勤務の関係でエジプトにいて、帰国後麻布高校に編入したために1年学年が遅れた)に対して、落ちこぼれの生徒だった平沼赳夫がでかい態度をとることができるのである。与謝野は内心、苦虫を噛み潰しているだろう。
もっとも、私は平沼赳夫という男は浅はかだなあと思う。なぜかというと、党首ともなれば、日曜日の午前中などにテレビで放送される党首討論で議論をしなければならないが、自民党を離れてからの平沼のテレビにおける発言というと、私が真っ先に思い出すのは、一昨年に中国のパンダ外交を平沼が批判した時のことだ。平沼は、「タイミングよくパンダのランラン(ママ)が死んで、何らかの策謀があるんじゃないかと言う人もいた」などと発言し、伝聞形とはいえ、あたかも中国がパンダ外交をやりやすくするために、上野動物園が中国の意を受けて(?)パンダを見殺しにしたとも言わんばかりの発言をしたのだ。これは、当ブログ2008年5月12日付エントリ「タカ派政治家の劣化?中曽根康弘と平沼赳夫の激しい落差」にも書いた。このエントリでは、中曽根康弘を引き合いに出して平沼を批判したのだが、その中曽根も今回の新党騒動の黒幕と見られている。中曽根にしてみれば、「たとえ平沼赳夫だろうが利用できるものは何でも利用する」と思っていることだろう。
それはともかく、自民党時代には初代の経済産業大臣に就任して、それなりに識見のある政治家とみなされ、小泉純一郎政権時代には次期総理大臣候補にも名前の挙がっていた平沼赳夫だが、何のことはない、平沼の「識見」はすべて官僚の入れ知恵だった。自民党を追い出されて、官僚の助けがなくなったヒラ議員になると、「パンダのランランは謀殺された」という程度のことしか言えない政治家、それが平沼なのである。そんな平沼が、論戦でたとえば菅直人に太刀打ちできるだろうか。平沼赳夫が菅直人を言い負かす光景は、私には想像できない。
平沼には、さらにひどい発言もある。リーマン・ショックから5か月後の昨年2月に「10年ぐらい選挙を凍結。挙国一致内閣をつくり、難局に立ち向かわないといけない」と言ったことである。憲法を停止しなければできない翼賛政治をしようと言わんばかりのこの発言は、当然ながら批判を浴び、平沼は発言の撤回に追い込まれた。
しかも、平沼の思想信条といえば、憲法「改正」ではダメだ、自主憲法の制定でなければならないというものだ。これは、平沼にとっては絶対に譲れない一線だから、当然ながら新党の政策の柱になるだろう。つまり、新党は既存政党の中でももっとも右寄りの政党になる。
一方、与謝野馨との政策協議で、平沼はあっさり消費税増税を了承した。この点に関しては、私が楽しみにしているのは、10日に発売される『文藝春秋』5月号に掲載される、与謝野と園田博之が書いたという新党の政策だ。すでに、4月号に新党の政策の筆頭に「消費税増税」が掲げられているから、これも「自主憲法制定」とともに平沼・与謝野野合新党の政策の柱となる。
要するに、この新党の政策は柱が二本あって、「自主憲法制定」と「消費税率引き上げ」である。与謝野馨が小泉構造改革の責任者の一人だったことを考え合わせると、新党は平沼赳夫と与謝野馨の「悪いとこ取り」をした政党になる。その立ち位置を示したのが、『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「与謝野・平沼新党の珍妙な立ち位置『消費税増税+サービス小+国権主義』」であって、ここに掲載された2次元ダイアグラムを見て、私は爆笑した。消費税を大増税しながら、政府のサービスは小さい。もう一つのグラフを見ると、新党は「国権主義が強いにもかかわらず、政府が国民を助けてやらない」と位置づけられている。
こんな政党を誰が支持するのだろうか。
与謝野と平沼が政策協議で綱引きをするにつれ、当初新党への参加に前向きだった人たちの腰も引けてきた。新聞報道では、新党に参加する「5人目の政治家」がいないのだという。テレビの報道では、新党は東国原英夫にも声をかけたらしい。またかの東国原だ。だが、その東国原は、若手がいないといって参加に二の足を踏んでいた。
若手の政治家というと、平沼に近い城内実を誰しも思い浮かべるだろう。城内は結党時のメンバーではないとされているが、既に見た通り、新党の政策協議では平沼が横車を押しまくっており、党首も平沼が務める。新党が結成されれば、早々に参加を表明することはほぼ間違いない。だが、城内が入れば党に清新さが生まれるかというと、そうでもあるまい。
ところで、昨年政権交代を熱心に訴えていたブロガーたちがすっかり元気を失った。特にこの新党騒ぎにまともな批判を繰り出せないのが彼らの弱さだ。その秘密は彼らの教祖・植草一秀にある。植草ブログの4月4日付エントリは、「与謝野馨新党設立は自民党の終わりの始まり」と題されているが、「みんなの党」批判を延々と繰り広げたあと、後半でようやく与謝野・平沼新党を批判しているものの、与謝野に対しては厳しく批判する一方、
などと書いている。他方、平沼赳夫氏は信念を貫く政治家であり、経済政策運営でも経済重視の考えを堅持する人物であると見られるが、財政再建原理主義の与謝野氏とは隔たりが大きい。
植草がここまで平沼に理解を示すのは、植草の支援者の立ち位置と関係があるらしいという噂がある。植草には、2004年に掲示板を立ち上げて熱心に支援した人がいたのだが、一昨年だか昨年だかに関係が切れた。その裏には、支援者のグループにおける内輪もめがあったと言われており、植草はその片方と結びついたのだ。その人物は陰謀論系の右翼で、平沼赳夫や城内実を熱心に支持している(もっともここ最近はブログを更新していないが)。まだ植草がブログを立ち上げたばかりの頃は、植草は私の疑問の答える姿勢を見せていて、その時には確か植草の思想信条は支援者のそれとは異なると植草自身が言明したはずだが、それならばなぜ植草は平沼赳夫に歯の浮くようなお世辞を書くのだろうか。そもそも、なぜ「信念を貫く政治家」が政策の「隔たりが大きい」人物と野合するのか。そこにいったいいかなる「信念」があるというのか。
植草は、5日以降のエントリでは「みんなの党」は相変わらず批判しているが、与謝野・平沼新党への批判は姿を消した。また、植草支持者のブログを見ていると、「平沼赳夫は、敵ながらあっぱれ、アメリカに追従することはしなかった」とか、「与謝野馨は困った増税おやじだが、アメリカ国債の暴落を予測している。これはアメリカのポチは口にしてはいけない禁句だ」などと苦し紛れの平沼・与謝野擁護論を書いて、与謝野と平沼一派は中曽根とナベツネに切り捨てられたのではないか、などとトンチンカンなことを書いている。語るに堕ちた、とはこのことを言う。
上記のブログ主に限らず、植草支持系の人たちは「マスゴミ」という言葉を用いるのが好きだが、与謝野・平沼新党はまさに彼らの言う「マスゴミ」のドン・ナベツネが応援する政治勢力だ。それを正面切って批判できないブロガー連は、要するにナベツネの掌の上で踊っているに過ぎない。こんな人たちを操るのは、ナベツネにとっては赤子の手をひねるようなものだろう。
そもそも植草一秀とは何者か。かつてテレビ番組のコメンテーターとして大活躍した元「マスコミの寵児」ではないか。植草がナベツネの息のかかった「与謝野・平沼新党」を批判できず、植草の意見表明としては珍しく全面的に近く支持できると思っていた与謝野馨に対する批判さえ、平沼との合流が報道されたあとは筆鋒を鈍らせているのを見ると、「メディアのドン」が肩入れする政党を批判すると、マスコミ界への復帰への道が完全に断たれることを恐れているのではないかと勘繰りたくなる。
一昨年来、「リベラル・左派系」ブログ界に多大な影響を与えた植草一秀は、いわば「ブログ界の権力者」のようなものだ。そんな植草にもの申すこともできないブロガーが、「マスゴミ」などという言葉を使うこと自体噴飯ものだし、今や朝日新聞など一般紙やスポーツ紙までもが、与謝野・平沼新党の応援団には中曽根康弘、ナベツネ、それに「リベラル・左派系」ブロガーの宿敵の一人である石原慎太郎がいることを伝えているのである。
マスコミでさえ平気で批判する与謝野・平沼新党をまともに批判できない「リベラル・左派ブログ」に存在価値など何もない。
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財政再建至上論者である与謝野馨と極右イデオロギストの平沼赳夫という、およそ水と油としか思えない組み合わせである。それ以前に鳩山邦夫あたりが暗躍していた頃には、自民党内の保守派、否、極右イデオロギストたちと平沼赳夫、城内実ら平沼一派が、鳩山邦夫をブリッジにして極右新党を結成するのではないかとの観測がなされていたし、私もひそかにそれを期待していた。『日本がアブナイ!』のmewさんも同様だったようだ。自民党には、安倍晋三を筆頭に、稲田朋美、下村博文らのトンデモ極右政治家たちがおり、昨年までは故中川昭一という大物もいた(麻生太郎も表向き彼らと同調していたが、私はそれが麻生の本心だとは考えていない)。彼らが、平沼赳夫や城内実と組めば、極右政治家が結集した政党となって、わかりやすくて良い。もちろん私は決してそんな政党は支持しないし、ことあるごとに批判するに決まっているけれども。
だが、そうはならずに与謝野馨と平沼赳夫が野合した。与謝野馨は、先月10日に発売された『文藝春秋』4月号に、「新党結成へ腹はくくった」と題した「論文」を掲載した。そのあまりにひどい内容を見て、これを批判する記事を書こうかと思ったが、他に書きたいことがあったので止めた。3月12日付エントリ「政権交代で右派政権が倒れて、右翼化が進むパラドックス」で少しだけ触れたが、そこで私は、
と書いた。本エントリでは、その詳細について述べる。これは予想通り「右」からの改革を唱えたもので、「論文」中にナベツネや中曽根康弘が出てくるなど、与謝野が中曽根?ナベツネラインと直結していることは明白である。
ここでいう「右」とは、平沼赳夫のような政治思想的右派を意味するものではなく、経済政策における与謝野馨の立場を表す。与謝野は、財務官僚の影響を強く受けた財政均衡論者だと私は理解しているが、財政均衡論自体が「小さな政府」を志向する立ち位置であると指摘するのが、関西学院大学の神野直彦教授である。1月4日付エントリ「経団連にだまされるな ― 『小さな政府』や温暖化陰謀論の罠」で、神野教授が、少し前まで自民党内で対立しているとされていた「均衡財政派」、「上げ潮派」、「消費税増税派」はすべて新自由主義のドグマ(教義)の限界を抱えていると指摘していることを、小此木潔著『消費税をどうするか―再分配と負担の視点から』(岩波新書、2009年)から孫引きして紹介した。要するに、均衡財政派も消費税増税派も、公共サービスの増加は認めない、つまり、「小さな政府」志向という点で共通しているのである。
そのことを頭に入れて、『文藝春秋』4月号に掲載された与謝野馨の「論文」を読むと、与謝野が典型的な新自由主義者であることがよく理解できる。与謝野は、論文の冒頭でいきなり国と地方を合わせた長期債務残高が積み上がって、財政破綻が現実味を帯びてきたと書いている。そして、鳩山由紀夫首相には緊張感が全くないとか、自民党の谷垣禎一総裁には鳩山政権を倒すという気構えがないなどと批判したあと、与謝野が衆議院の予算委員会で質問に立って鳩山首相を「平成の脱税王」と呼んで非難した時、安倍晋三に電話で「もう一度質問に立ってほしい」と言われたとか、読売新聞の渡邉恒雄会長(ナベツネ)から「スポーツ新聞で大きく報じられている」といってそのスポーツ紙を送ってもらったとか、質問を行う前、総選挙後のある日、中曽根康弘に野党の心構えを聞きに行って、中曽根に「自民党は戦う野党に脱皮して、政権を倒すしかないだろう」と言われたなどと、安倍晋三や中曽根?ナベツネラインとの親密さを誇らしげに書き連ねている。
与謝野は、「鳩山政権の『六つの大罪』」を挙げているが、その筆頭も「民主党政権に長期的な財政の展望がない」ことである。そして、
などと威張っているのだが、この箇所は与謝野の「論文」の中でももっとも注目される部分だろう。つまり、与謝野は「社会保障費自然増の2200億円抑制」で悪名高い「骨太の方針2006」策定の責任者だったのだ。小泉構造改革を推進した人間、それが与謝野馨である。私(注:与謝野馨)が経済財政担当大臣を務めていた小泉内閣時代に作成した「骨太の方針二〇〇六」では、国と地方を合わせたプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化するという目標を盛り込んだ。
与謝野は、菅直人副総理(財務相)が昨年の臨時国会で、今後の歳入見込みや歳出削減などの展望を盛り込んだ「中期財政フレーム」を今年6月までにとりまとめると言ったことをとらえて、「展望を示さずに2010年度の予算編成を行った」として批判しているが、与謝野が「示すべき展望」であると考えている内容が「消費税の大増税」であることはいうまでもない。一方、菅財務相は就任早々神野直彦教授を税調専門家委員会の委員長に招くことを決めたが、神野教授の腹づもりが、まず他国と比較して個人所得課税が著しく低い点をとらえて、所得税の課税ベース拡大から手をつけるものであることは、当ブログでも何度も紹介した。そもそも、バブル時代に税収が増えた時に、所得税減税をやり過ぎた結果が、現在の他国と比較して極端に低い個人所得課税を招いた。新自由主義のイデオロギーがほとんど批判を受けることのなかった時代にバブル経済の好況期があったことが、日本の税制を滅茶苦茶にしてしまったのではないかという気が、最近私はしている。しかし、自民党政権であれば直接税の見直しに手をつけることは考えられないし、そもそも神野教授を税調の専門家委員会に招くことなどあり得ないから、この点に関しては政権交代をして本当に良かった。自公政権が続いて、与謝野馨が経済政策の責任者なんかになったらとんでもないことになるところだった。
与謝野の「論文」で目を疑うのは、民主党政権が「供給サイドから需要サイド」というキャッチフレーズを掲げた「新成長戦略」を批判して、
などと書いていることだ。供給側(サプライサイド)の活動に着目した「サプライサイド経済学」と呼ばれるマクロ経済学の一派が存在することや、対照的にケインズ経済学は需要側の経済学と呼ばれることは、門外漢の私でさえ知っている。一般的には竹中平蔵はサプライサイダーとして位置づけられているのだが、おそらく与謝野はここで「小泉構造改革は『サプライサイド経済学』に基づいた政策などではない」と言いたいのだと思う。しかし、世の中に「供給側」、「需要側」と呼ばれる経済学の流派があることを意識的に無視した上記のような文章を書く与謝野馨の姿勢は、そもそも論客としてアンフェアだ。このくだりだけでも、与謝野馨が信用できない人間であると確信させるに十分なものである。そもそも需要と供給は雇用を通じて表裏一体であり、二つに分けられるものではない。鳩山首相はそうした基本的なことすら理解していないのだ。
今週末の10日に発売される『文藝春秋』5月号にも、与謝野馨と園田博之が新党の政策を公表するのだそうだ。4月号にも「『新党』の六つの基本政策」が出ているから、「屋上屋を架す」という言葉を思い出す。4月号掲載の「基本政策」には「村山談話・河野談話の見直し」どころか「憲法改正」(平沼赳夫流に言えば「新憲法制定」)も出てこない。最初に出てくる文字は、予想通り「消費税」であって(笑)、「消費税を含む税制抜本改革、社会保障改革、成長戦略の三つを総合化した『復活五カ年プラン』を策定し、速やかに断行する」というのが「六つの基本政策」の筆頭項目だ。菅・神野税調では所得税を含む税制の抜本的見直しを掲げているわけだから、この違いは大きい。トラックバックいただいた『岩下俊三のブログ』は、「(与謝野は)財務官僚と同じ頭脳構造のため、税金は取りやすいところからとるという大蔵省時代からの悪習に、染まっているということである。すなはち、間接税しか考えてない欠陥がある」と指摘しているが、その通り、与謝野が考えていることは、ひたすら狂ったように消費税率「だけ」を上げることだ。周知のように消費税は逆進性が強いから、この不況時にそんなことをやったら、日本経済は再起不能の大ダメージを受ける。しかし、財務官僚に洗脳され切った自民党のロートル政治家は、何度失敗を繰り返してもそのことが理解できない。与謝野馨こそ「老害」の最たる政治家といえるだろう。
そんな与謝野馨が平沼赳夫と野合することによって、「与謝沼新党」の基本政策は、上記のような消費税大増税によるゴリゴリの財政再建路線に、「自主憲法制定」を柱とする平沼赳夫の極右イデオロギーが合体した、世にも醜怪なものになるだろう。そして、いくら「与謝沼新党」を石原慎太郎のような極右ポピュリストや読売新聞が全力で応援しようが、人々の支持が得られるはずはない。民主党や自民党に飽き足らない人々の心をとらえるのは、相変わらず「みんなの党」であり続けるのではないか。もちろん当ブログは、「みんなの党」のような新自由主義ポピュリズム政党には大反対だが、「みんなの党」と「与謝沼新党」を比較した時、後者に支持が集まる事態はまず考えられない。何より、与謝野馨も平沼赳夫も「古い自民党」の代名詞のような長老政治家である。彼らの新党にはひらがなの名前がつけられるそうだが、「たそがれ」あたりがふさわしいのではないだろうか。
ところで、この新党「たそがれ」の真の狙いは、中川秀直らのいわゆる「上げ潮派」と、社民党や民主党左派などの社民主義勢力の両方を外した「保守政界の再編」による政権づくりであって、その仕掛け人は中曽根康弘やナベツネだろうと思う。やはり老害の代表格である中曽根やナベツネは、「財政再建派」も「消費税増税派」も新自由主義の流派の一つに過ぎないことを理解しておらず、ただ単に、わかりやすい「市場原理主義者」だけを新自由主義者だと考えているに違いない。だから、政界にトンチンカンな手出し口出しをしてくるのだろうと私は思っているのだが、おそらく、「たそがれ」の与謝野馨や平沼赳夫に対して中曽根やナベツネが期待している役割は、民主党にも自民党にも飽き足らない有権者が「みんなの党」や中川秀直ら自民党内の「上げ潮派」勢力に流れるのを阻止することにあると思われる。そして、おそらく参院選後に、野党の「みんなの党」や自民党の議席を抑えたご褒美に、「たそがれ」たちが公明党ともども民主党と連立を組み、社民党と国民新党を連立から弾き出す。これが、中曽根やナベツネが描いている青写真だろう。もっと言うと、私は、小沢一郎の経済に対する理解も中曽根やナベツネと大差ないのではないかと疑っているし、与謝野馨が小沢一郎と近いといわれる点も、大いに警戒している。
だが、民主党と公明党と「たそがれ」政治家の与謝野馨や平沼赳夫の連立政権など、2000年の森喜朗内閣と何も変わらないではないか。そんな馬鹿げた政界再編を実現させてはならない。与謝野馨や平沼赳夫のごとき「たそがれ」の政治家たちを徹底的に批判していかなければならないと考える次第である。
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http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-884e.html
以下引用する。
「観念右翼」という言葉は、右派無所属代議士・平沼赳夫の義父で、東京裁判により終身禁固判決(講和前に病死)を受けた長老政治家・平沼騏一郎につけられた名である。彼は、昭和のはじめから政変や事件などのたびに、枢密院や司法畑での権力をバックとして歴史に顔を出した政治家である。
なぜ戦争が起きたか、ということは当塾にとって切り離せないテーマである。ことに昭和に入ってからは、軍部・政治・右翼の3勢力が微妙にからみ合いながらその底流をなしてきた。右翼といってもいろいろあり、一人一殺の井上日召のような在野の「行動右翼」に対して、政治に影響力を持つ「観念右翼」ということになったのだろう。そういえば、戦後「観念左翼」という言葉もあった。
平沼騏一郎もバイプレーヤーとしてではなく、系統的に調べたいと思ってはいたが、どうにもつかみにくいのだ。思想の源流は、戊辰戦争以前の攘夷思想を出るようなものではなさそうだし、彼の思い入れとは逆に、元老・西園寺公望や天皇からは毛嫌いされ、なかなか首相になれなかったらしい。
日独伊三国同盟は天皇の意志に反し、陸軍と駐独・駐伊大使が先走りしたことから始まった。その時の首相であった平沼は重大な責任を負っていたわけだが、彼自身の態度がどっちを向いているのかもうひとつはっきりしない。
さらに、太平洋戦争末期には、近衛文麿と組んで東条首相引きおろしに一役買ったり、支持基盤であった陸軍皇道派を裏切って終戦に導いたりするなど、「右翼だからこう」といった単純な発想とは結びつかないのだ。
(『反戦塾』 2010年1月21日付 「観念右翼」より)
同ブログ管理人のましまさんが書かれているように、先の大戦における平沼騏一郎の役割には、いまひとつはっきりしないところがある。平沼騏一郎は、首相退陣後はむしろ翼賛体制に逆らって、大政翼賛会を公事結社として政治活動を禁じたり、岸信介商工次官を辞任に追い込んだりもして、その結果、自ら極右といわれた人物でありながら、右翼に襲撃されて弾丸6発を被弾する重傷を負ったり(1941年)、ポツダム宣言の受諾に賛成して、終戦直前に自宅を焼き打ちされたりした(宮城事件、1945年)。
そのあたりはなかなか興味津々ではあるのだが、帝人事件までの平沼の行動はそれなりに一貫していて、要するに司法官僚として常に陰謀をめぐらせ、政党政治を崩壊させた張本人である。
例によって『kojitakenの日記』に「平沼騏一郎に関するメモ」を書いたので、そちらもご参照いただきたいが、帝人事件もさることながら、大逆事件における幸徳秋水らの謀殺や、治安維持法の制定など、平沼騏一郎が戦前の政治史において犯した悪事は、現在の政治状況を考える上からも、再認識されるべきではないか。
どういうわけか、野党支持の論者の間には、右系・左系・宗教系を問わず、「三権分立」の建前を盾にして検察批判をタブーにしてしまう態度が見受けられるが、私は、前の自民党(自公)政権であろうが民主党(民社国)政権であろうが検察であろうが、どれも権力には変わりなく、いずれに対しても先入観を排した批判的態度が求められると思っている。もちろん、人によって批判の強弱はあって当然だが、最初から検察批判をタブーにする態度はいただけない。
前振りが長くなってしまったが、今日のエントリの主な標的は、前回予告したように平沼赳夫である。前記の『反戦塾』は、平沼赳夫を下記のように評している。
いずれ、平沼騏一郎論が書けるような材料があれば改めて書いてみたいが、多分義父の騏一郎がこうだから右翼新党を画策する平沼赳夫もこうだ、という結論にはならないだろう。また、そういった遺伝(もっとも血縁はないが)的因子に重きを置くのは私の趣味に合わない。
ひとつ言えることは、平沼赳夫が事業仕分け人を務めた民主党の蓮舫参院議員について、「元々日本人じゃない」と発言し、次世代スーパーコンピューター開発費の仕分けで「世界一になる理由があるのか。2位では駄目なのか」と言ったことを問題視するようでは、次元の低い国粋主義と偏見・差別意識を露呈したに過ぎず、「観念右翼」どころか「ネット右翼」の域さえ出ないということを発見できたことである。
(『反戦塾』 2010年1月21日付 「観念右翼」より)
同様の評価は、『日本がアブナイ!』のmewさんもしていて、
と酷評されている。平沼赳夫氏は、自民党時代に比べて、
随分、発言の品格が薄れて来て、ややネトウヨ的になっている
感じがしてしまう今日この頃なのだが・・・。
平沼が蓮舫を誹謗中傷したひどい発言に関する論評は、前回もリンクを張った毎日新聞記事につけられた「はてなブックマーク」のコメントで出尽くしていると思うので、当エントリでは、平沼のトンデモ発言史を振り返って、改めて平沼を嗤うことにしたい。
まず平沼は、「アインシュタインの予言」なるデマを信じていた(笑)。
それから一昨年には、中国が「パンダ外交」を展開しているさなかに上野動物園のパンダが死んだ時、
などと発言し、伝聞形とはいえ、あたかも中国がパンダ外交をやりやすくするために、上野動物園が中国の意を受けて(?)パンダを見殺しにしたとも言わんばかりだった(当ブログ2008年5月12日付エントリ「タカ派政治家の劣化?中曽根康弘と平沼赳夫の激しい落差」で紹介した)。山本一太を「抹殺するぞ」と脅した件も有名だ。タイミングよくパンダのランラン(ママ)が死んで、何らかの策謀があるんじゃないかと言う人もいた
脅迫の件はかなり悪質だが、アインシュタインとパンダの件はむしろ滑稽であり、このあたり養父の平沼騏一郎との差は歴然だが、平沼赳夫にはことあるたびに雑誌の取材に答えて新党結成をぶち上げる習性もあった。当ブログの2007年10月27日付エントリ「極右新党を立ち上げ、自民党との連立をたくらむ平沼赳夫」でも、『サンデー毎日』に掲載された平沼の極右新党構想の記事を紹介している。痛快なのは、この記事で私が、平沼の野望は実現しないだろうと予言し、それが当たったことだ。以下引用する。
結局、平沼は衆院選で自民党が過半数を割るものの、民主党も過半数に至らない状況となった時、自民党と民主党の極右勢力を集めてイデオロギー的な新党を立ち上げ、自民党と連立を組むという程度の、稚拙な構想しか持っていないのではないかと思う。実際、『サンデー毎日』の記者に対し、平沼は衆院選での自民・公明の連立与党は過半数241議席にわずかに足りない240議席くらいに減らすのではないかと予想している。
きわめて甘い読みである。小選挙区制においては、獲得議席数は政党の得票率に比例せず、極端な結果になることが多い。一昨年の郵政総選挙と今年の参院選が良い例だ。
選挙の結果は、一番ありそうなのが民主党の大勝だが、民主党にスキャンダルが続出したり国会で下手に与党と妥協したりすると、結果は一転して与党の勝利になる可能性もある。平沼が望む「連立与党が過半数にわずかに足りない」という結果になる可能性ももちろん少しはあるが、それは、よほど平沼にとって運の良い場合に限られるだろう。
そんなかすかな可能性をあてにして、結局自民党政権の延命に寄与するだけの新党を立ち上げようとしているのが平沼赳夫なのだ。仮にそうした新党ができて自民党と連立した場合、最終的にその新党は自民党に吸収されることになるだろう。そうすれば、めでたく平沼は自民党に復党し、念願が実現する。平沼とは、どこまでも自民党へのこだわりから脱せない男なのである。
(当ブログ2007年10月27日付エントリ「極右新党を立ち上げ、自民党との連立をたくらむ平沼赳夫」より)
ただ、自民党政権が倒れたあとになってもなお、平沼が新党を立ち上げて自民党と組もうとすることまでは予測できなかった(笑)。
ところで、こんなDQN平沼だが、一つだけ笑い話ではすまされないことがある。それは、昨年2月24日に平沼が「10年ぐらい選挙を凍結して挙国一致内閣をつくり、難局に立ち向かわないといけない」と述べたことだ。『DAILYSQUARE POINT』は、昨年2月25日付エントリ「教えて!平沼さん、選挙の凍結ってどうやるの?」で、下記のように鋭く平沼を批判している。
平沼氏のプランはあまりに独創的で、私にはどうやったらそんなことが実現できるのか想像もつかない。戦前の日本においてさえ、選挙を凍結した例を私は知らない。大政翼賛会あたりが平沼氏の発想の根幹にあるのかもしれないが、翼賛政治体制のもとでさえ、選挙が凍結されたことはなかったはずだ。
実際に平沼氏のプランを実現させようとした場合、もっとも難しいのは選挙を10年間凍結するという部分である。これは国民の所与の権利を停止するに等しいため、戒厳令を施行して、現在の憲法の効力を停止しなくてはならないだろう。しかしその戒厳令に関する規定は現憲法のどこにもないため、自民・民主の大連立政権を組閣した後、衆参両院の2/3以上の賛同をもって憲法の改正を発議し、国民投票にかける必要がある。
実にすごいアイデアである。憲法改正に時間がかかり、とても経済政策を実行するどころではなくなるだろう。
ちなみに、過去日本において厳密な意味での「戒厳令」は発布されたことがない。大日本帝国憲法において戒厳は天皇が宣するものであるが、例えば日比谷焼討事件や2.26事件などでは、緊急勅令、つまり「緊急時の法律に代わるものとして天皇が発布したもの」として適用されたケースがある。憲法条文をも含む効力停止は日本の憲政史上、一度も行われたことがない。
平沼氏は、戦前戦後を通して一度も行われたことのない提案をさらりと言ってのけたわけだが、彼の曾祖叔父にあたる平沼騏一郎でさえそんな発想はなかったろう。平沼氏は適当に思いついたことを口にしたのか、それとも実現できるとの自信をもってそう述べたのかは定かではないが、少なくとも政治の世界に身を置いて経験も知識も豊富と思われていた平沼氏も、無所属議員の不遇をかこつ中で「只の政治好きのおっさん」になってしまったようだ。
(『DAILYSQUARE POINT』 2009年2月25日付エントリ「教えて!平沼さん、選挙の凍結ってどうやるの?」より)
曾祖叔父・平沼騏一郎をも凌ぐトンデモ極右にして、蓮舫参院議員について「元々日本人じゃない」と発言した、城内実に勝るとも劣らないレイシストの平沼赳夫センセが立ち上げるという極右新党に、いったい誰が参加するのだろうか。今から楽しみでならない。
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なぜ買う気になったかというと、「鳩山総理よ、その「友愛」が日本を衰亡させる」と題した特集が組まれており、東京大学名誉教授・虫明功臣氏の「八ッ場ダムは本当に無駄なのか」およびアラスカ大学国際北極圏研究センター名誉教授・赤祖父俊一氏の「地球温暖化の原因は炭酸ガスにあらず」という注目すべき2本の記事が出ていたからである。虫明氏は水文・水資源工学が専門。水文(すいもん)とは耳慣れない単語だが、Wikipediaによると、「地球上の水循環を対象とする地球科学の一分野であり、主として、陸地における水をその循環過程より、地域的な水のあり方・分布・移動・水収支等に主眼をおいて研究する科学」とのことである。従って、ダムの専門家ではない。また、赤祖父氏は長年アラスカ大学で地球物理学教授を務めた人だが、気候学の専門家ではない。
いうまでもなく『正論』は民主党政権の脱ダム政策にも、温室効果ガス25%削減の政策にも反対であり、その理論的よりどころとして両氏の記事を掲載したものであろう。敵の論拠を知っておくのも良いかと思い、購入したしだいである。
もちろん『正論』のことだから、アレな人たちの文章がたくさん載っている。安倍晋三による中川昭一への追悼文なども載っているが、なんといっても「巻頭言」として平沼赳夫が「保守再興へわが闘争は続く」と題した文章を寄稿しているのを見てぶっ飛んだ。平沼はついに「わが闘争」という言葉を堂々と使うに至ったのか、と感心したのである。
いきなりのサブタイトルが「左翼的政策を隠した民主党」である。衆院選前に、平沼一派と民主党の連携を夢想していた人に見せたいサブタイトルであり、文章だ。以下引用する。
■左翼的政策を隠した民主党
わが国の根幹をズタズタにする革命が静かに進行している。政権を奪取した民主党がこのまま四年間政権の座に居座りやりたい放題にやれば、わが国は日本という名のまったく別の国になり果ててしまうだろう。
(『正論』 2009年12月号掲載 平沼赳夫 「保守再興へわが闘争は続く」より)
この書き出しに続いて、平沼は、まず八ッ場ダム建設中止を批判し、さらには民主党が永住外国人への地方参政権付与や選択的夫婦別姓の早期実現を図り、恒久平和調査局や靖国神社に代わる国立追悼施設の創設を企てているなどとして、「こうした政策が実現されれば、日本の根幹が完全に破壊されるのは火を見るより明らかである」といきり立っている。
さらに平沼は、自民党も槍玉に挙げる。森喜朗や小泉純一郎だけではなく、「HANAの会」(別名「AHA?Nの会」=故中川(酒)命名)の仲間であるはずの麻生太郎も「首相在任中は靖国神社参拝を避けて通った。いとも簡単に「村山談話」を踏襲した」、「懸賞論文に「村山談話」を否定する論文を応募した田母神俊雄航空幕僚長を、論文の内容をしっかり検証することなく、本人に申し開きの機会すら与えないまま解任した」とけちょんけちょんにけなしている。もし麻生太郎ではなく平沼が総理大臣だったら、どれほど中国や韓国ばかりではなく、アメリカとも摩擦を起こしただろうかと思うと、かつて総理大臣候補とも言われたことのある平沼が総理大臣をやらずに済んで本当に良かったと思う。麻生太郎もろくでもない総理大臣だったが、それでも平沼赳夫よりはよほどましだろう。
平沼は、自民党総裁選についても、谷垣禎一、河野太郎、西村康稔の三氏が、誰一人として「自民党が結党以来掲げてきた党則である自主憲法制定を声高らかに唱えることなく、安全保障についても言及しなかった」とおかんむりだ。
そして、ここからがお笑いなのだが、自民党総裁選前に自民党の衆参の議員が平沼の事務所を頻繁に訪れ、「自民党に復党してくれ、総裁選挙に出てくれ」と平沼を口説いたのだそうだ。しかし平沼は、自身の信念からこれを断り、たまたまその場に居合わせた城内実は、「平沼さんに頼むのならば、まず自民党本部にある小泉純一郎の額を外してから来い」と言い放ったとのことだ。これほどボスの平沼赳夫に忠実な城内実が、こともあろうに「9条護憲派」だなんて誰が言ったんだろう、と思い返すと、なんだか笑えてくる。
そんな平沼にとって何よりショックだったのが、中川昭一の死だった。そして、また「内緒話」だとして、総選挙前に中川昭一が平沼の事務所を数回訪れて、「私は自民党にこだわっていません」と言ったと書いている。私はこれを読んで「死人に口なし」だよ、ひどいなあと思った。故人について軽々しくこんなことが書ける平沼って、実に軽薄な人間ではなかろうか。まるで最晩年に中川昭一が自民党を見限ろうとしてたみたいじゃん。死者を自派の宣伝に利用するのかよ、お前は、と思って呆れてしまった。そんな平沼が、中川の死亡のニュースでローマの「泥酔会見」ばかり流していたと憤る。「お前が言うな」としか思えない。
平沼の文章の中でもっとも噴飯ものなのは、下記の部分だ。
いま私が目指しているのは、自民党と民主党の一部の真正保守政治家と手を携えて第三の流れを作っていくことだ。平沼グループと中川氏が遺した真・保守政策研究会のメンバーを核に真正保守勢力を立ち上げて、来年の参議院選挙を戦いたいと考えている。
(『正論』 2009年12月号掲載 平沼赳夫 「保守再興へわが闘争は続く」より)
平沼がこの手のことを言うのはもう見飽きた。平沼は何年も前から、新党を結成するぞ、結成するぞと言い続けてきたが、結局平沼一派は3人しか衆院選の当選者を出せず、政党の要件を満たしていないのが現実なのだ。
平沼は、期待を寄せている政治家として、自民党では古屋圭司と稲田朋美、参院の衛藤晟一(安倍晋三が強引に自民党に復党させた)、西田昌司、藤井孝男、民主党では松原仁、長島昭久、野田佳彦、渡辺周、笠浩史の名前を挙げているが、彼らの中に平沼一派に参加する政治家などいるだろうか。
平沼は、
と書いているが、弟子の城内実からやり方を教わると良い。そして、去年大評判をとった城内実の伝説のエントリ "bakawashinanakyanaoranai" を凌ぐ、ぶっ飛んだ主張を是非世に問うてもらいたいものである。従来のやり方に加えてインターネットというツールを利用しながら、一人でもお送り会社を増やしていくつもりだ。
[追記]
国民新党と新党日本の合併構想があり、亀井静香は平沼赳夫にも合流を求めているらしい。亀井静香の悪いところが出た。やつらが与党入りするなら、私はもちろん連立政権不支持に回る。
http://www.asahi.com/politics/update/1116/TKY200911150333.html
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まず、橋下徹ら「首長連合」が民主党支持を表明したことに触れておこう。朝日新聞から。
http://www.asahi.com/politics/update/0811/OSK200908110099.html
橋下知事ら首長連合、民主支持を表明
大阪府の橋下徹知事と横浜市の中田宏市長は11日、大阪府庁で記者会見し、「首長連合」として総選挙で民主党を支持することを表明した。自民、民主両党のマニフェスト(政権公約)を比較した結果、民主には「(地方分権に必要な)政治的リーダーシップが発揮される政権運営の仕組みが盛り込まれている」(橋下知事)と評価した。
全国知事会は8日に自民、民主、公明3党のマニフェストで、地方分権にかかわる政策の採点結果を公表。自民が60.6点、民主は58.3点、公明は66.2点で、民主の評価が低かった。橋下知事は、首長連合が知事会とは異なる評価になる可能性を示していた。
(asahi.com 2009年8月11日 18時49分)
東国原英夫が自民党から出馬しようとしたのか、自民党が東国原を出馬させようとしたのか、あの騒ぎは大昔のように思えるが、まだ2か月も経っていない。鳩山邦夫が暑苦しいパフォーマンスを演じていたのはその少し前だっただろうか。先月末には城内実のポスター騒ぎが起きた。当ブログは、東国原、鳩山弟、城内実の3人を躍起になってこき下ろしたが、彼らのバカ騒ぎは、いずれも衆議院選挙をにらんだ権力闘争だった。東国原の野望は潰えたが、選挙の情勢が苦しかった鳩山邦夫は売名に成功して勢いを盛り返し、城内実の件はどういうわけか芸能マスコミに大騒ぎされずに済んだために城内は命拾いしそうだ。
だが、彼らよりずっとしたたかだったのが橋下徹だった。橋下は「地方分権」をぶち上げて、自民、民主の両党を自らにすり寄らせるのにある程度成功したが、当初橋下らを大々的に持ち上げようとしたマスコミというかテレビ局は、橋下らの唱える「地方分権」が視聴者の反響をさほど呼ばないことに気づくと(当たり前だ、国民は日々食うことに精一杯で、生活が第一なのだ)、少し橋下らのスタンスと距離を置くようになった。すると、橋下らもでしゃばり方を少し抑えるようになった。そして、マスコミの情勢調査によって、選挙の民主党圧勝、自民党惨敗が確実になった昨日(11日)、橋下、中田宏ら「首長連合」は総選挙での民主党支持を表明したのである。
既にだいぶ前から橋下らが民主党支持を表明するだろうことは多くの人が予想していたし、実際その通りになった。自民党寄りの産経新聞は、意地悪く、
と書いている。だが、大阪府知事選への出馬は200パーセントだか2万パーセントだかないと言っておきながら前言を翻した橋下にしてみれば、この程度の口約束が守れなかったことなどたいしたことではないのだろう。コイズミと同じである。私が想像するに、橋下は、「政権交代」で有権者が熱病に浮かされたようになっている今回の総選挙は民主党に軽くクサビを打つ程度でやり過ごしておいて、新政権への失望が高まったあとに迎える来年の参院選あたりで最初の勝負に出るつもりなのだろうと思う。そんな橋下を鳩山由紀夫や原口一博が持ち上げたことがあったが、彼らの軽さには大いに失望したものだ。いまや経団連の期待の星になった橋下は、着実に民主党の政策を財界寄りに引っ張りながら、国政進出の機をうかがうことになるだろう。全国知事会の評価は民主より自民が上で、橋下知事は当初、「知事会の結論に従う」としていた。ところが、結論は逆になっており、政党関係者の間で波紋を呼びそうだ。
一方、橋下らが民主党にすり寄ってきた余波からか、民主党から弾き出される勢力も出てきた。平沼赳夫一派である。
一昨日(10日)には、民主党が平沼赳夫の選挙区である岡山3区に西村啓聡(けいと)氏を擁立することを決定し、それに合わせて昨日、小沢一郎が「平沼氏の政治活動を見ていると、協力して自公に代わる政権つくりを目指すことは困難だ」と言い放った。一昨日には民主党岡山2区選出の前職・津村啓介や同党幹事長の岡田克也が、選挙後の平沼との連携を匂わせる発言を行ったが、小沢は選挙後の平沼との提携も否定し、平沼一派と距離を置く姿勢を明確にした。これも、選挙の情勢調査結果が良いことと、橋下ら首長連合の支持が得られたことから、自民党にも色目を使う鵺(ぬえ)かコウモリのような平沼を切り捨てたものだろう。橋下のすり寄りに民主党がいい気になっている点は全く買えないが、平沼との対決姿勢を見せたことは評価できる。スパッと平沼を切り捨てる判断を下せるあたりが、小沢一郎の強味だろう。
この民主党の「平沼斬り」を取り上げた、昨日(11日)付の『日本がアブナイ!』のエントリ「祝・民主党は平沼Gと連携せず!+民主は自由民主&平和主義を重視した「中道の道」を進め!+地震」は、長い間の胸のつかえがようやくおりたといわんばかりの内容で、久々に共感できた。同ブログは下記のように指摘する。
何分にも平沼氏の悲願は、多くの保守タカ派、改憲積極派の議員を集めて、1日も早く(2011年までに)新憲法制定をすることなので。
彼は、新グループを使って民主党に近づいて、同じ思想の議員を引っ張って来て、民主党を分裂させて。政界再編&改憲運動を進めようとしているのだ。(`´)
07年10月24日の産経新聞には、こんな記事が出ている。
『郵政民営化に反対し、無所属を続けている平沼赳夫元経済産業相は24日、都内のホテルで講演し、「保守系無所属で次の衆院選も戦いたい」と述べ、当面は自民党に復党しない考えを強調。「民主党で健全な保守を目指す人が乗りやすい船を作ることが先輩の使命だ」と述べ、次期衆院選を機に“平沼新党”を結成する考えを示唆した。
平沼氏は「無所属になり、民主党の若手に優秀な人がたくさんいることが分かった。衆参のねじれ国会を解消するには民主党に手を突っ込まないとダメだ」と明言。「先の参院選で民主党が割れると踏んでいたが、勝ちすぎたので足が止まった」と残念がった。』
「民主党に手を突っ込む」とか、「参院選で割れると踏んでた」とか。勝ちすぎたのを残念がったとか。
どう見ても、民主党と組んで、政権を支えるというのではなくて。民主党を壊すことしか考えていないでしょ!(ーー゛)
(『日本がアブナイ』! 2009年8月11日付エントリ 「祝・民主党は平沼Gと連携せず!+民主は自由民主&平和主義を重視した「中道の道」を進め!+地震」 より)
まさしく管理人の書かれる通りであり、平沼は、常にまず第一に民主党に手を突っ込もうとしていた。マスコミが二階俊博の手引きだと報道した昨年の「改革クラブ」結成も、本当は平沼赳夫の手引きではなかったかと私は疑っている。改革クラブを先に立ち上げておいて、あとから平沼一派と合流する手はずではなかったか。だが、当時民主党代表だった小沢一郎は造反議員を許さず、除名処分にしたことによって、民主党に色目を使っていた平沼は改革クラブと合流するわけにはいかなくなったのではないかと私は推測しているのである。
仮に、上記の推測が間違っていたとしても、平沼自身が「民主党に手を突っ込む」と公言していたことは、『日本がアブナイ!』が伝えるように、新聞のインタビューに平沼自身が堂々と語っていた通りだ。平沼は、あけすけに民主党の切り崩しを狙っていたのである。
もっとも、勢力を拡大するためには、これほど稚拙な作戦はない。平沼は、もともと自民党の議員だったのだから、自民党の政治家から平沼の極右思想に共鳴する人たちを集ってグループを大きくしていき、その上で民主党にアタックをかけるのが戦略の本筋だろう。平沼が自民党になかなか手を突っ込まなかったのは、平沼が古巣に遠慮したからなのか、あるいは自民党内に平沼に共鳴する人間などほとんどいなかったからなのかはわからないが(おそらく両方だろう)、自民党をスピンアウトした人間がいきなり民主党を切り崩そうとしても、たいした人材は集まらず、大きなグループにもなり得ない。そして、民主党執行部に警戒されるのも当然のことである。むしろ民主党が今まで平沼に色目を使っていた方が不思議で、右の頬を殴られながら左の頬を差し出すようなものだと私は思っていたのだが(もっとも平沼が殴るのは左の頬だけで、右の頬は殴らないかもしれないが)、もちろん民主党執行部がそんな聖人君子であろうはずもなく、今回ついに掌を返したが、この方が当然であり、平沼の認識が甘すぎた。
一方で平沼には政治資金の集金能力はあり、城内実らに資金援助を行っていることはよく知られているが、その資金力を頼りにしてか、自民党からも民主党からも弾き出された保守政治家やその志望者が平沼を頼ってくる。その思想信条は必ずしも平沼や城内実のような極右ではなく、というか実は平沼・城内ばりの極右の方が少ないくらいだ。当選が見込まれる埼玉の小泉龍司だって、別に右翼でもなんでもないし、さきがけで武村正義の秘書をやっていた元民主党の宇佐美登も平沼一派入りした。また、香川3区の真鍋健の父は、前参院議員の真鍋賢二であるが、真鍋賢二は大平正芳元首相の秘書を務めた保守本流のハト派政治家であり、私は彼が選挙演説で「憲法は時代に合わなくなった部分を変えるべきだが、9条は維持するべきだ」と述べたのをはっきり聞いた。もちろん、父はハト派で息子は極右という可能性もあるが、どうもそうでもなさそうで、単に平沼の資金力をあてにしたもののようだ。ちなみに、この真鍋健のポスターは、私も見たことがあるが、平沼赳夫と一緒に写っている。穏健保守と思しき真鍋健が「真正保守」(笑)の平沼と一緒に写っていることは、眞鍋かをりと一緒に写った「信念を貫く男」にして「国士」の城内実と対照的で、実に面白い。なお、真鍋(眞鍋)は香川県および愛媛県に多い姓で、眞鍋かをりは愛媛県西条市の出身である。
このように、実態が平沼の資金目当ての寄せ集め集団であることは以前からはっきりしていた平沼一派だが、そこになんと「郵政総選挙」で造反議員・堀内光雄の「刺客」として立候補し、選挙区では敗れたものの比例で復活したコイズミチルドレンの自民党前議員(7月13日に離党)の長崎幸太郎までもが加わったことには唖然とした。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009081100507
時事通信の報道によると、長崎は、平沼グループ参加に当たり「郵政民営化を見直す方針を受け入れた」というのだが、あっという間に転向した長崎も長崎なら、その長崎を受け入れた、というか引き抜いた平沼も平沼だ。長崎は、自民党では二階派に属し、必ずしも右翼議員というわけでもなさそうだったし、何よりコイズミチルドレンだから、渡辺喜美一派入りが予想されていたにもかかわらず、水と油としか思えない平沼一派入りした。何らかの事情があったのだろうが、こうなると思想信条も何もあったものではない。民主党の小沢一郎から見捨て去られた平沼赳夫にとっては、なりふり構っていられなかったのかもしれないが、あまりにもみっともない話だ。このいきさつを、「信念を貫く男」はどう思っているのか、聞いてみたいものである。
今日も長いだけでくだらない記事になってしまったが、言いたいのは、「真正保守」や「国士」を自称し、やたらと「信念」などという言葉を使いたがる平沼一派が、単なる権力亡者のボスの資金力目当てに集まった寄せ集め集団に過ぎないことで、こんな勢力は一人残らず落選させるべきだ。現実には、ボスの平沼赳夫を落とすのは無理だろうが、他の候補者を全滅させて、「劇団ひとり」の称号を渡辺喜美から平沼に奪わせてやりたいものである。もちろん、渡辺喜美一派も私は支持しないけれども。
そのテレビ番組とは、辛坊治郎が司会を務める大阪・読売テレビの悪名高い御用番組『ウェークアップ!ぷらす』だ。この番組に、渡部恒三とともに、衆議院が解散されてやっと自らのグループを立ち上げた極右政治家・平沼赳夫が出演していた。確か渡部も平沼も、スタジオからではなく、どこかからの中継での出演だった。
番組で平沼は、外国人参政権、人権擁護法案、それに国籍法改正(!)、さらに「国立の国会図書館に日本がやった悪いことを列挙するような調査局を置く」などという表現で、極右の立場から民主党を厳しく批判したのだが、それに対する渡部恒三の反応に、私はぶっ飛んだ。渡部はなんと、ヘラヘラ愛想笑いをしながら、
などとほざいたのである。なんたるKY発言だろうか。外国人参政権の問題は私と共通している考えだ。選挙が終ったら一緒に内閣を作ろう
これには、筋金入りの右派で新自由主義者でもあるゲストの塩爺こと塩川正十郎氏(元自民党代議士)も呆れ返り、「自民党も民主党もオポチュニストばかりですなあ、平沼さんは信念を持った政治家だと思って尊敬してますけど」と発言し、暗に渡部恒三をバカにしていた。
私は、思想信条は塩爺とは真っ向から対立するけれど、渡部の妄言に呆れた塩爺の気持ちはよくわかった。軽薄な渡部は、この期に及んでまだ、いざとなったら平沼一派と組もうとの色気を見せている。民主党は、これまで候補者の擁立が決まっていなかったいくつかの選挙区でも候補者を擁立する動きを見せており、その中には江田憲司の選挙区である神奈川8区も含まれる。すなわち、ようやく渡辺喜美一派と距離を置こうとしているようだが、渡辺一派と比較しても論外としか言いようのない平沼一派には相変わらず秋波を送り続けている。静岡7区で平沼一派のエース格である城内実を相手に民主党公認の斉木武志が苦戦を強いられているほか、民主党が公認あるいは推薦・支持する候補者のいる各地の選挙区で、候補者たちは自民党候補のほか平沼一派とも戦っているのである。そのさなかに、しかも平沼が番組中で民主党の政策を批判したにもかかわらず、平沼に媚を売って「一緒に内閣を作ろう」などとは、何を言っているのか。腹が立って仕方がない。そもそも平沼は、先日野党が提出した麻生内閣不信任案にも反対票を投じた、まぎれもない「自民党別働隊」なのである。
民主党は、党を割って神奈川4区からの立候補を決めたネクスト防衛大臣の浅尾慶一郎参院議員を除名処分に付した。これは当然の措置であり、私は支持するが、今朝のテレビ番組における渡部恒三の発言は、浅尾の行動と同じくらいたちの悪いものだった。もう選挙には勝ったと思って言いたい放題なのだろうが、もしもこんな男の妄言を民主党が野放しにしておくなら、私は民主党という政党に信を置くことなどとうていできない。こんな些細なところからも、絶対的に優勢と思われた選挙の情勢も変わっていくものである。党の方針を真っ向から批判する極右政治家にすり寄る渡部恒三の卑しい言葉は、それだけで除名に十分値するのではないか当ブログは考える。今からでも遅くないから、民主党は岡山3区に公認候補を立てて、平沼赳夫にすり寄った今朝の渡部恒三の発言などから生じる懸念が杞憂であることを示してほしい。
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だが、今回は麻生太郎の圧勝が見えており、過激な新自由主義勢力から2人も出る意味はあまりわからないが、あえて解釈すると、特定の一人に「惨敗」のイメージを持たせないためだろうか。2人で負ければ怖くないというやつかもしれない。
それでなくても、竹中平蔵が「総裁選を盛り上げよ」と叫んでいる。竹中は過激な新自由主義者の元締めだ。新自由主義者が何を考えているかというと、最終的には麻生太郎の政策が「脱カイカク」に行かないように歯止めをかけることだろう。総裁選は麻生太郎の圧勝に決まっているが、それをせいぜいショーアップして盛り上がるだけ盛り上げ、総選挙での自民党の議席減を最小限に食い止めて、自公で過半数を確保し、選挙後に民主党に手を突っ込んで、同党の分裂を誘い、自公に民主党内の新自由主義勢力を含めた連立政権を新たに発足させる。そうなれば、麻生政権の政策も、現在唱えているよりも相当新自由主義寄りに修正がかかる。ざっとこういったあたりをたくらんでいるのではないか。
しょせんは出来レース。そんな白けた雰囲気が漂い始めたのを察知したのか、「報道ステーション」で古舘伊知郎が、自民党総裁選の報道が自民党の宣伝に利用されないように自戒しなければならないなどと、およそ古舘らしからぬことを言っていた(これを書きながら音声だけ聞いている「朝ズバッ!」でもみのもんたが同じようなことを言っていた)。
古舘というと、3年前の「郵政解散・総選挙」において、一方的にコイズミに肩入れし、国会議員を集めた討論会では、共産党議員による郵政民営化批判を司会者である古舘が遮るという暴挙に出たことがある。「報ステ」では、朝日新聞編集委員の加藤千洋までもが、雰囲気につられて、「コイズミさんの夢(郵政民営化)をかなえてあげたいですね」と発言したほどで、完全にコイズミ政権の宣伝機関と化していた。
だが、機を見るに敏な古舘は、今回は「自民党の宣伝にならないように」などと言う。過去の自らの悪行を棚に上げて何を言ってるんだ、と言いたいが、おそらくテレビ朝日のスタッフが取材していても市民の反応が悪くて、ここで自民党総裁選を大々的に騒いでも、視聴者のニーズと合わず、視聴率稼ぎにつながらないと感じているのではないだろうか。テレビ局が新自由主義の宣伝機関であるのはその通りなのだろうが、役者の質が悪くては、宣伝は功を奏さず、視聴率が下がってはテレビ局にとっては元も子もない。3年前の郵政解散・総選挙は、役者がコイズミだったから、新自由主義勢力は大勝利を手にした。今回は、コイズミは動かない。総裁選は麻生太郎の圧勝だ。麻生太郎の旧保守的主張(麻生自身は「旧保守」の代表者とは必ずしも言えないが)と他の3人の新自由主義的もしくは新保守主義的主張という狭い選択肢での「論戦」をブログでまともに取り上げて、宣伝に手を貸すことなど止めておきたいと思う。
そこで、当エントリの後半では、平沼赳夫を宣伝しておきたい。動機は、単に管理人のストレス解消のための趣味の「極右叩き」であり、それ以上でもそれ以下でもない。
ネット検索をしていたら、平沼の著書『政治武士道』が読めるサイトを見つけた。
http://books.google.co.jp/books?id=Es6U1BlJpzIC&printsec=frontcover&dq=%E5%B9%B3%E6%B2%BC%E8%B5%B3%E5%A4%AB+%E6%94%BF%E6%B2%BB%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93&as_brr=3&sig=ACfU3U3sxzVvh42YQh_oEax7LXtJDYPjdQ#PPP1,M1
平沼は、最初に衆院選に出馬した1976年には、9人の候補者中最下位の得票で供託金を没収される惨敗を喫したそうだが、中川一郎に認められて、3度目の選挙である1980年総選挙(衆参同日選挙で自民党が圧勝した選挙)で初当選を果たし、現在では選挙にめっぽう強い議員として知られるようになった。
そんな平沼だが、演説では「自主憲法制定」のことしか語らないほどのゴリゴリの右翼政治家だ。『政治武士道』ではこんなことを書いている。
まだ落選時代に、中川(一郎)先生が応援のためわざわざ岡山まで来てくれました。私が演説していると、壇上にいる中川先生がたまりかねて、私を舞台のそでに引っ張ったのです。聴衆は何が起きたのかとキョトンとしています。するとあの剛腹な中川先生が「おまえは憲法のことしか言わないじゃないか。道路や橋のことももっと言いなさい。オレが来ているんだから」と言った出来事もありました。
(平沼赳夫著 『政治武士道』より)
よく、左翼言論が「憲法9条のことばかり言って社会保障のことは何も言わない」と批判されることがあるが、同様のことが右翼にも言えて、「憲法改正のことばかり言って公共事業のことは何も言わない」、平沼赳夫とはもともとそんな政治家だった。
日本国憲法は、アメリカの占領政策によって制定された「押しつけ憲法」だから、自主憲法を制定しなければならない(平沼は、「憲法改正」とは呼ばず、「自主憲法制定」と呼ぶことにしていると、著書でも力説している)。そんな主張の平沼には、もともと反米に傾く素地があった。
だからコイズミとは肌が合わない。小渕が勝った自民党総裁選では、平沼はコイズミと同じ三塚派(現町村派)に属していたが、平沼は総裁選に立ったコイズミを裏切り、小渕政権成立に大いに協力したことがある。
平沼は郵政民営化に反対して、3年前、コイズミによって自民党を叩き出されたのだが、当時反米右翼の言論人として頭角を現してきた関岡英之と結託することによって、一転して一部から「反新自由主義の雄」として担ぎ上げられることになった。だが、平沼自身は、既に見たように経済問題には何の興味もなく、憲法改正のことしか頭にない政治家なのである。
こんな平沼を、新自由主義反対を叫ぶ一部の人たちが祭り上げているのだが(実際には、平沼の子分である城内実を担ぎ上げているのだが、実質的に平沼を担ぎ上げているのと同じことだ)、私などは真に「偽装CHANGE勢力」といえるのは平沼一派ではなかろうかと思っている。
いや、おそらく平沼自身は「担ぎ上げてくれ」と頼んだことはなく、周りが勝手に担ぎ上げただけの話なのだろう。それにしても、「九条の会」に参加する「護憲」の人たちが、「反貧困」を叫んで「9条護憲と25条護憲の共闘」を主張しながら、憲法改正しか頭にない人たちが集まろうとしている政治勢力に肩入れするとは、なんという喜劇だろうか?
現実的には、麻生太郎政権が成立してしまえば、「HANAの会」つながりの平沼赳夫が新党を結成する可能性は相当低くなるし、kechackさんがしばしば指摘するように、平沼云々の議論は、ネット限定のローカルなものだが、当ブログもまたプライベートな性格を強く持つものであり(なんたって「私闘論理派」だからね)、時々平沼赳夫をぶっ叩いておかないとストレスが解消できないのである。読者の方々のご容赦をお願いしたい(笑)。
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昨日のエントリで取り上げた雑誌『Voice』7月号には、「「平沼新党」勝負のとき」と題された平沼赳夫と関岡英之の対談が出ている。この記事は、ネットでも読むことができる。
http://news.goo.ne.jp/article/php/politics/php-20080609-01.html
平沼の対談相手である関岡英之は、『拒否できない日本』(文春新書、2004年)で一躍脚光を浴びた人で、「年次改革要望書」のプログラムに沿って、日本が新自由主義「カイカク」をアメリカに行わされているという仮説を提起した。このため、反新自由主義を唱える人の一部から神のように崇め奉られているが、関岡は同時に強烈な民族主義を唱える右翼でもある。関岡が平沼赳夫や城内実を盛んに持ち上げるのもむべなるかな、といったところだ。
対談冒頭で、5月11日の『報道2001』の平沼の出演および『月刊日本』5月号に掲載された平沼の記事を、5月12日の『産経新聞』が一面トップで取り上げたことを関岡が紹介している。つまり、今後平沼新党が結成されたあかつきには、産経新聞がこれを全面的にバックアップすることが予想されるということだ。
当ブログは平沼や関岡とは思想信条が異なるので、その論旨を紹介したりはしないが、対談の後半で2人は政局を語っている。
http://news.goo.ne.jp/article/php/politics/php-20080609-04.html
以下引用する。
積極論で日本の政治をリードしたい
関岡 さて政局の話になりますが、私はふだん永田町に出入りしているわけでもない政治のド素人ですが、庶民の直感で申しますと、日本の保守政治はいま、派閥や政党の枠を超えて3つの極に収斂しようとしているように見えます。
1つは小泉純一郎さんとか小池百合子さん、あるいは民主党の前原誠司さんなど、アメリカ的な市場原理を信奉する新自由主義派ですね。政策新人類といわれた塩崎恭久さんや渡辺喜美さんなどもイデオロギー的に近いのかなと思います。
もう一方は加藤紘一さんや山崎拓さん、民主党の仙谷由人さんなど「ラーの会」ですね。親中リベラルという立場では古賀誠さんや二階俊博さんや公明党も近いように思えます。そもそも保守と呼べるかどうかも疑問ですが。
平沼 北朝鮮に対してもこのグループは、圧力より対話、と非常に迎合的です。
関岡 小泉グループはアメリカの軍事力と資本力に頼ろうとする傾向が認められ、加藤・山崎グループは中国、韓国・北朝鮮との結びつきやそのマンパワーに頼ろうとする傾向を感じます。新自由主義とリベラルはイデオロギー的には正反対ですが、どちらも日本の自立を志向するのではなく、外国頼みという点では違いがないように思います。
その、どちらにも飽き足りない、どうしても保守の第三極が必要だと感じている国民が、とりわけ草の根の保守層に増えているように感じます。その衆望を浴びているのが日本の主権と伝統を重んじる平沼さん、麻生太郎さん、中川昭一さん、安倍晋三さん、4人のイニシャルから付けられた「HANAの会」で、日本を再生してくれる真の保守政治家として国民が期待しているように思うのです。
(月刊『Voice』 2008年7月号掲載 「「平沼新党」勝負のとき」より)
ここで平沼と関岡は、現在の保守勢力を、新自由主義勢力(親米派)、親中リベラル、「真の保守」の3つに分け、自分たち「真の保守」が草の根保守層に求められていると主張している。「草の根保守」というと、ここに名前は出てこないが、先日収監された村上正邦の名前がただちに思い浮かぶ。反新自由主義を標榜するブログでは、「喜八ログ」が彼らを熱心に支持する記事をよく公開しているようだ。
私などは、ついこの間まで「タカ派」といわれていた山崎拓が「親中リベラル」に分類されるなんて、と頭がクラクラするし、対談で言及されている「HANAの会」の平沼赳夫、麻生太郎、中川昭一、安倍晋三の4人など、日本を代表するトンでもない極右政治家だと認識している。
平沼や関岡が「親中リベラル」として、「中国・韓国・北朝鮮との結びつきやそのマンパワーに頼ろうとする傾向を持つ」と批判する人たちは、単にあまりに対米一辺倒の外交を改めて、アジア重視を打ち出しているだけだし、福田首相もその線に沿った政治家だと思うのだが、国粋的な平沼や関岡にはそうは思えないらしい。
私は、次の総選挙で自公と民主党がともに過半数をとれない場合、政権を攻勢する組み合わせとしては、平沼らが「親中リベラル」と批判する、実際には全方位外交を目指す人たちと民主党・社民党・国民新党の組み合わせがもっともましだと思う。それに対して民主党と「平沼新党」の組み合わせになったのでは、社民党の政権への参加は望めず、現在の福田政権よりタカ派姿勢(改憲指向)がかえって強まり、きわめて危険であると考える。
よく、「リベラル・左派は割れてはならない」などと言う人がいるが、自公政権が末期症状を呈している現在、次の政権のあり方については、人それぞれ意見が違って当たり前だ。ガンガン意見をぶつけ合っても良いのではないか。
「連合赤軍も殺し合いを始める前には激しい議論をしていたみたいだ」などと揶揄して、議論を避けて強い同調圧力をかける欺瞞に満ちた態度は、いい加減に止めたほうが良い。
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「サンデー毎日」の先週号(5月25日号)の記事 "平沼赳夫「さらば自民党」奈良・吉野の夜" が伝えるところによると、今月15日に収監された村上正邦元労相が主宰する「日本再生 一滴の会」の勉強会が5月9日に奈良・吉野で行われた。この会は、当ブログでも何度か取り上げた佐藤優氏(外務省起訴休職事務官)を講師にした、草の根右翼というか民族派の人たちの集まりだ。
村上正邦については、昨年11月24日のエントリで、少しだけ触れたことがある。村上へのインタビューをまとめた本を出版した魚住昭は、
彼ら(注:村上正邦ら)の運動は、敗戦直後から60年安保を経て全共闘へとつづく左派の運動形態とよく似ている。特に日本会議の現事務総長である椛島有三氏らがとった、地方から中央へ攻め上る戦略は、中国革命の「農村から都市を包囲する」という毛沢東戦略の亜流と言ってもいいのではないか。と書いた。70年代以降に左翼の平和運動が徐々に支持を失っていった時代に、草の根から右派民族主義の支持を広げていった(右派から見た)立役者が村上正邦であって、その経歴からいって左翼になってもおかしくなかった村上が右翼活動にのめりこんでいったことは考えさせられるものだが、これについては頭が整理できておらず、文章にすることができないのがもどかしい。
(魚住昭著 『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』 (講談社、2007年)より)
私にいわせれば、平沼赳夫など、この村上正邦らの地道な活動にただ乗っかっただけの薄っぺらな政治家であり、肝心な場面で適切な判断のできない男だ。今後成立する政権が平沼一派を取り込んでも、害にこそなれ国に利益など何ももたらさないと思う。
「サンデー毎日」の記事に戻ると、その平沼は吉野で行われた「日本再生 一滴の会」の勉強会で「コイズミ、竹中は火あぶりだ!」と吼えたそうだ。以下同誌の記事を引用する。
「小泉さんも竹中も、中世に生まれていれば火あぶりの刑だ。皆さん笑うけど、10億円で売った銀行(注:日本長期信用銀行)がその株を(リップルウッド社に)売却したら、今度は2300億円になったんですよ」
「なぜ竹中が参院議員を辞めたか。彼は講演すると1時間200万円取る。(議員)バッジが着いてたらカネが取れないんです」
(「サンデー毎日」 2008年5月25日号より)
ここまで露骨にコイズミや竹中を批判した以上、平沼は自民党とは一線を画して反新自由主義の極右新党を作り、民主党に接近するつもりだろう。
しかし、平沼は安倍晋三から復党の誘いを受けていて、心が揺れ動いていた。安倍晋三が自民党を離党することはあり得ない。安倍はあくまでコイズミとセットの政治家であり、現在「再チャレンジ」を目指して活動中だが、その本質は首相在任時と何も変わっていない。思想極右にして経済右派である。こんな政治家は政界から放逐すべきだったと思うのだが、民主党の攻めが甘かったせいもあってトドメを刺し損ねた。
「サンデー毎日」の記事を見ると、勉強会に参加した国会議員の名前として挙がっているのは、滝実衆院議員(無所属)、西村眞悟衆院議員(同)と、元職の坂井隆憲元衆院議員くらいのものだ。私の予想では、自民党の議員は、いざ本当に自民党がぶっ潰れる直前まで自民党に固執すると思う。リベラルの側からいうと、「加藤の乱」の苦い思い出もある。自民党は権力を維持し、政官業癒着構造を温存するのを目的とする政党だから、自民党の議員はみな党を離れたがらないのだ。
平沼が「勉強会」で「コイズミ・竹中は火あぶりの刑だ」などと、いささか穏やかでない表現を用いたのも、全然仲間が集まらないことからくる焦りなのではなかろうか。確実に平沼についていくのは城内実だろうが、この間、城内と同じ選挙区の片山さつきがブログで、
「テレビインタビューによると、うちの選挙区の落選元職は自民党批判と民主党批判の両方をやってましたよ、事務所のビデオにとっておきました」「そんなことすぐに、ころと翻すよ、節操ないから。だって極右の西村眞悟から、人権擁護法案推進派までいれた落選組救済新党つくるらしいから。」と城内および平沼新党をからかっていた。片山のほうも、平沼に負けず劣らず露骨な物言いだが、平沼同様片山にも焦りがあるせいだろう。「思想右派」(平沼、城内ら)と「経済右派」(片山)の醜い争いだ。
民主党に注文したいのは、こんな思想右派と経済右派はともに相手にせず、「国民の生活が第一」を訴えて参院選に大勝した時の公約をしっかり守ってほしいということだ。平沼新党と組んではならない。何度も書くが、5月11日の「報道2001」に出てきた平沼は、ネット右翼かと思うほど下品な物言いでヒステリックに反中プロパガンダをしていた。政権に平沼が加わると、日中関係が悪化し、日本経済にダメージを与える可能性が高い。「国民の生活が第一」と訴える民主党は、かかる事態を避けなければならないと思うのである。
日本の政治に、平沼赳夫など必要ない。
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