きまぐれな日々

昨日のエントリで、衆院山口2区の補選に関して、
選挙区には、母子殺害事件があった光市も含まれ、自民党は、前首相安倍晋三が、光市母子殺害事件の被害者親族の方までも山本繁太郎の応援に駆り出して必死だったが、結果は惨敗。
と書いた。

上記のように書いた根拠は、安倍が光市で山本繁太郎の応援演説をしている以下の動画ファイルを見たからだ(注:一時閲覧不能でしたが、復活しました)。



この動画は、「きっこの日記」 (4月30日)でも紹介された。ここで安倍は、本村さんが出席していることを紹介した上で、「自民党は犯罪被害者対策に力を入れている」と言っており、聴衆に本村洋さんが山本繁太郎の応援に来ているかのような印象を与えている。

この「きっこの日記」によると、きっこさんが江川紹子さんを介して本村さんに真意を聞いてみたところ、本村さんは「自民党から応援の要請など一度もないし、どうしてこうなるのか」と困惑しているとのことだった。

4月30日付の 「Egawa Shoko Journal」 にも、この件が取り上げられている。下記URLに飛んでご参照いただきたい。
http://www.egawashoko.com/c011/000260.html

ここで江川さんは、次のように書いている。

 お昼休みに会社の近くで演説会があったので聞きに行った。誰から頼まれたわけでもなく、ましてや応援の依頼があったわけでもない。ところが、たまたまテレビ局の人が来ていて、本村さんを見つけて声をかけてきたので、「一市民としているだけなので、お構いなく」と言ったけれど、そのやりとりで周囲の聴衆も気が付いて囲まれるような形になってしまった。ということもあって、弁士が「今日は本村さんも来ておられるが、自民党は犯罪被害者対策にも力を入れ」云々と、演説の中で本村さんの名前に触れた。
 
 ただそれだけなのに、この事実が伝えられていくうちに、それぞれが自分の価値観や思惑を加味し、新たな意味づけがされて、ネットの世界で広がっていったのでした。なんと、次の選挙では本村さんが自民党から立候補するというウワサにまで飛躍しているらしく、話に尾ひれがついた、というより、背びれ胸びれまでくっついて、ネットという大海を泳ぎだしてしまった感じです。
 本村さんは、自分が無防備に演説会に行ってしまったために、候補者を初めとする他の人たちに迷惑をかけてしまったのではないか、自分が色づけをされることで犯罪被害者の立場を向上させるための活動に何らかの影響が出るのではないか、と自分を責めていました。そのうえ判決の後の記者会見やら手記の執筆、その他いろいろな対応をした後とあって、とてもくたびれている様子でした。

(「Egawa Shoko Journal」 2008年4月30日付記事 "ネット社会を生きる人へ?自戒を込めて" より)

本村さんに関する、「自民党からの立候補云々」という噂がネットで出てきたことは、私も何回か見た。それどころか、本村さんは広島大学工学部在学中からの 「日本会議」 のメンバーであると喧伝する輩まで存在することを知っており、かねてからそれは根拠のないガセネタだろうと考えていたので、このことを 「kojitakenの日記」 にも書いた(下記記事)。

"kaetzchenが言っている「本村洋氏は日本会議のメンバー」という主張には根拠があるのか?"
(「kojitakenの日記」 2008年4月25日)
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080425/1209129168

リベラル・左派系のブログの間では、このkaetzchenと友好関係を保っているところが多いが、当ブログは以前から不信を抱いていたところに、当ブログに彼から寄せられたコメントや、「水からの伝言」批判派を「解同」(部落解放同盟)呼ばわりしたブログに彼が寄せたコメントを読んでブチ切れ、当ブログへの出入り禁止措置をとった。kaetzchenと友好関係にあるブログは、その言論の信頼性を疑われると私は思っているので、ブロガーの方々にはkaetzchenとの関係を考え直すことをおすすめしたい。

江川さんは次のように書いている。

 それより私が問題だと感じたのは、本村さんがその場にいた経緯など、事実を確認しないまま、それに様々な意味づけや憶測を付け加えて流していく人たちです。どこかのサイトや掲示板で見たウワサをコピー&ペーストすれば、今度は自分が発信源になれます。しかも、日本のネット社会は匿名が当たり前のようになっているので、自分が責任を問われません。すごく安易に、とても気軽に、かなり無責任に、情報の流通の担い手になっている人たちがいます。彼らにとっては、単なる面白い情報の一つにすぎなくても、そうやって流された情報によって傷ついたり、困ったりする人がいる、ということを、もう少し考えてもらいたいと思います。

(「Egawa Shoko Journal」 2008年4月30日付記事 "ネット社会を生きる人へ?自戒を込めて" より)

kaetzchenの流した、ほぼ間違いなくガセの情報などはその最たるものだろうが、当ブログ管理人も、安倍が山本繁太郎の応援をしている動画で、安倍が「本村さんが出席している」と明言しているのを確認したので、昨日のエントリで、「自民党は、前首相安倍晋三が、光市母子殺害事件の被害者親族の方までも山本繁太郎の応援に駆り出して必死だった」と書いた。当ブログでも光市母子殺害事件に関してはいくつかのエントリを上げているが、それと当ブログの「反自公政権」の政治的スタンスはなるべく絡ませないように注意を払ってきたつもりだ。しかしそれでも江川さんの書いた上記の苦言を肝に銘じなければならないと反省させられた次第である。


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予想通り、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審(広島高裁)は死刑判決だった。

昨日のテレビのニュース番組はこの話題で持ち切りだった。当ブログはこの判決を歓迎しないが、今日は多くを語る気にはならない。ただ、被害者や親族の気持ちに思いをいたすことはもちろん大事だが、ジャーナリズムがそれに流されてはならないと思う。

朝日・毎日・読売3紙の社説を読んだ。厳罰化の流れに対しては、毎日がもっとも慎重だ。

 死刑は究極の刑罰で、執行されれば取り返しがつかない。「その適用は慎重に行われなければならない」という永山判決の指摘は重い。しかし、死刑判決は増えているのが実情だ。

 遺族は法廷の内外で、事件への憤り、無念さ、被害者・遺族の思いが直接、伝わらない理不尽さを訴えてきた。被害感情を和らげるためにも、国が総合的な視点に立った被害者対策を進めるのは当然だ。

 差し戻し裁判を扱ったテレビ番組について、NHKと民放で作る放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会が「一方的で、感情的に制作された。公平性、正確性を欠く」とする意見書を出した。真実を発見する法廷が報復の場になってはならない。バランスのとれた冷静な報道こそが国民の利益につながる。メディアは自戒が求められている。

 来年5月に裁判員制度が始まる。市民が感情に流されない環境作りが急務だ。死刑か無期かの判断を迫られる以上、市民は裁判員になったつもりで今回の事件を考えてみる必要があるのではないか。

 被告は上告した。最高裁には裁判員制度を控えて、国民が納得できる丁寧な審理を求めたい。

(毎日新聞 2008年4月23日付社説より)

上告は早晩棄却されるとの見方をとる人もいるが、毎日の社説は最高裁に丁寧な審理を求めている。

また、同社説はマスコミ報道の自戒を求めている。毎日は、今までも他紙や他の媒体と比較すると冷静な報道をしていたとされているが、それでも自社の報道はどうだったかを検証してほしいと思う。

朝日も同様の主張だが、毎日より腰が引けているような印象だ。
 見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。
と書くが、テレビ番組の中には朝日新聞の編集委員が出演している番組も含まれているのではないだろうか。

読売は、メディアの報道の問題には全く触れていない。読売自身が過熱報道に加担しているも同然というべきだろう。

ところで、今回、救いを感じたことが一つあった。それは、被害者親族の本村洋さんが、死刑判決について、
厳粛な気持ちで判決を受け止めている。遺族にとっては報われる思いがあるが、被告と妻と娘の3人の命が奪われることになった。これは社会にとって不利益なこと
と話したことだ(4月23日付朝日新聞より)。

厳罰論を主張する「きっこのブログ」(4月23日)も、
「死刑」と「無期懲役」との間に、一生、刑務所から出て来られない「終身刑」があれば、これほどまでに極刑を望む声は上がらないと思う。今回の事件のご遺族の本村さんは、今日の会見で、死刑の判決を「正しい判決」として納得した反面、「私の妻と子供、そして、加害者の3人の命を失うことになってしまった」と言っていた。だから、もしも「終身刑」があったのなら、本村さんも、「加害者の命をも奪うこと」よりも、「一生を刑務所の中で反省しながら暮らすこと」を望んだんじゃないかって思った。
と書いている。

当ブログも、この事件の犯人には、一生生きて罪を償わせる刑罰を科すべきではないかと思うのである。「拘置され、もはや社会に危害を与えない者を殺すのは、国家による殺人にほかならない」という国民新党・亀井静香氏の主張に、当ブログも賛成である。


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今日(4月22日)の午前10時から、山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決が広島高裁で言い渡される。

今回、この件をブログで取り上げるかどうか、ちょっと迷った。この判決は、現在行われている衆議院山口2区の補欠選挙に影響を与えるだろうなどと言われているからだ。この裁判に関する野党候補の発言は、私にはおかしなものとは思われないのだが、なにしろ現在の日本では厳罰主義の世論が非常に強く、死刑存置論の支持率が8割に達している。特にこの事件に関しては、右派はもちろん被告人の死刑を強く求めているが、リベラル・左派系でもいくつかの有名ブログを初めとして厳罰を求める声が強い。そういう状況だから、この裁判に関するエントリを公開するだけで、野党候補に不利に働くのではないかと危惧した。

その考えが変わったのは、21日朝にブログのアクセス解析を見て、検索語「綿井健陽」による当ブログへの訪問が数十件あったことを知ったからだ。

綿井健陽(わたい・たけはる)氏は1971年生まれのビデオ・ジャーナリストで、イラク戦争を現地で取材した。昨年から、光市母子殺害事件を被告人側から取材している。

綿井氏は、下記2つのウェブサイトを運営している。

「綿井健陽 Web Journal」 (ホームページ)
http://www1.odn.ne.jp/watai/

「綿井健陽のチクチクPRESS」 (ブログ)
http://watai.blog.so-net.ne.jp/

これらのサイトを見て、検索語「綿井健陽」で当ブログへのアクセスがあった理由がわかった。TBSテレビで20日(日)の深夜、TBSテレビの 「報道の塊」 という番組で、「光市母子殺害事件?もうひとつの視点」が放送され、これに綿井氏が出演していたのだ。おそらく、この番組をご覧になった方がネット検索されて当ブログにたどり着いたものだろう。残念ながら、当ブログ管理人はこの放送があったことを知らなかったし、仮に知っていたところで、関東のみのオンエアだったそうだから、番組を見ることはできなかった。

検索語「綿井健陽」で引っかかる当ブログのエントリは下記である。

"言論が一方向に振れる時 ? 山口県光市母子殺人事件をめぐって"
(2007年8月22日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-430.html

このエントリで私は、雑誌「創」の2007年9・10月号に掲載された、光市母子殺害事件に関する綿井氏の記事を紹介した。これは、たいへん印象に残った記事だった。

その少し前の8月9日、私は裏ブログ 「kojitakenの日記」 に、"光市母子殺人事件に関する週刊ポストの勇気ある記事" と題したエントリを公開していた(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20070809/1186660531

これは、被告人への厳罰を求める主張ばかりが目立つこの事件の報道に一石を投じた「週刊ポスト」の記事を紹介したもので、盆休み直前の週末、しかも裏ブログだというのに、2日間で5千件近いアクセス数を記録した。

「創」に掲載された綿井氏の記事は、さらに詳細かつ説得力に富んだものだった。記事の要点については、前記当ブログの昨年8月22日付エントリに記したが、できれば原文をご参照いただきたいすぐれた記事だ。

私が見ることのできなかったTBSテレビの番組でも、綿井氏は、「少年犯罪を大人と同等の裁判にかけることの是非、裁判があだ討ちの場と化してゆくことの危険性、センセーショナルな報道がもたらす弊害」などについて問題提起をしていたようだ。

綿井氏は、
(被告人が)「被害者の女性を両手で首を絞めた」 「赤ちゃんを床に叩きつけた」という部分の「両手」 「叩きつけた」という検察の主張を裏付ける証拠はない(「創」 2007年9・10月号)
と指摘している。そして、ブログ「綿井健陽のチクチクPRESS」に掲載されている最新のエントリ "【本文さしかえ】20日(日)放送番組と掲載誌のお知らせ"(下記URL) には、まさしく「覚悟の言論」と言うべき文章が見られる。
http://watai.blog.so-net.ne.jp/2008-04-20

もし被害者遺族の男性の言うように、弁護側の主張が「荒唐無稽」であると裁判所が同じように認定した場合、なおかつ検察側の最終弁論で述べられている「当審における審理の結果によっても、被告人につき死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情は、これを一切見出すことができない」と裁判所が同じように判断した場合は、私はこれまでの取材などで書いたこと、発表してきたことなどの責任を取って、すべてのジャーナリスト活動から身を引くことにした。

(「綿井健陽のチクチクPRESS」 2008年4月20日付エントリより)

私は、この言葉が現実とならないことを願う者だが、正直言って、判決がそのようなものになるとはあまり思えない。広島高裁も、「空気を読んで」しまうのではないかという気がしてならないのだ。

そして、「民主党の平岡はあんなことを言っていたぞ」などという自民党の宣伝が功を奏して、平岡秀夫の優勢が予想されている衆院山口2区の補選が、これを機に形勢逆転などということになったら、それこそ目も当てられない。そこまで日本人が理性を失っているとは思いたくないのだが、あれだけコイズミカイカクの矛盾が噴出しているのにいまだにコイズミ再登板待望論が衰えないことなどを考えると、あまり大きな期待はできないような気もする。

なお、綿井氏は月刊「現代」 5月号に "山口・光市母子殺害事件 面会15回 「元少年」の素顔と肉声" と題した記事を発表しているほか、明日(4月23日)の地方紙各紙に "光市母子殺害事件?判決が問いかけるもの"(仮題)が掲載される予定だ(共同通信配信)。

[関連記事]
下記は、被告バッシングに対するリベラル系ブログの批判。

「カナダde日本語」より
"山口県・光市母子殺人事件: 世論が変わるとき"
(2007年9月5日)
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-598.html

下記は、死刑廃止議連による終身刑創設法案提出の動きについてのブログ記事。

「Because It's There」より
"終身刑創設法案を今国会提出へ?亀井静香・死刑廃止議連会長に真意を聞く(東京新聞平成20年3月18日付「こちら特報部」より)"
(2008年3月20日)
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-952.html

超党派による死刑廃止議連会長の亀井静香氏は、先日もTBSテレビ「NEWS23」で死刑廃止論を滔々(とうとう)とぶっていた。同氏が2002年3月31日に放送されたテレビ朝日「サンデープロジェクト」で情熱的に死刑廃止論を論じていたことは、今でも忘れられない。

[追記] (2008.4.22 12:38)
判決は、やはり死刑だった。


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マスメディアが発達した現在、「言論が一方向に振れる時」というのがしばしば現れる。本来、対立した意見が争われるべき状況において、マスメディアによる宣伝を媒介して、極端に一方の側に支持が偏った状態が生じてしまうことだ。

一昨年の「郵政総選挙」はその悪例の一つだった。人々は、「郵政民営化」の内容もよく理解せず、「抵抗勢力」を相手に戦うコイズミに熱狂した。その「カイカク」が幻想であったことを悟るのに、コイズミが首相になった頃から数えて実に6年を要した。安倍晋三は90年代前半以降コイズミ政権成立までの10年を「失われた10年」と称しているが、これは誤りである。経済危機を新自由主義的手法で乗り切ろうとした1997年以降、小渕、森、コイズミ、安倍と政権が変わるたびに政治家の質がどうしようもなく劣化していった現在までの10年間こそが「失われた10年」であったことを国民は共通認識とすべきである。

時の為政者が宣伝を仕掛け、民衆の心をくすぐる甘言によって国民をダマした最悪の例が、ヒトラーのナチス・ドイツであって、コイズミのやり方はそのミニ版に過ぎず、最悪の事態に至る前に国民がその迷妄から醒めそうなのは、まだ油断はできないとはいえ喜ばしいことだと思う。

ところで、このように言論の状況が一方向に偏る状況は、何も政治的な言論の場にのみ現れることではない。社会的に話題になる事件や、サッカーや野球などのスポーツにおけるファン心理の過熱などにも見られることだ。後者はともかくとして、前者には結構な危うさを感じることが多い。

私が、前々からその例の一つであると考えているのが、1999年に起きた山口県光市母子殺人事件をめぐる言論状況である。

この事件に絡んで、事件当時18歳になったばかりだった被告を何が何でも死刑にしようという風潮を、かねがね私はとてもうさんくさく思っていたのだが、最近、「週刊ポスト」がこの風潮に疑問の一石を投げかける記事を掲載した(8月17・24日合併号)。これは、8月9日に、もそもそさんのブログ「そもそも、どーなの」に紹介されたことによって知り、私の運営する裏ブログである「kojitakenの日記」に、「光市母子殺人事件に関する週刊ポストの勇気ある記事」というタイトルの記事にして紹介したところ、45件の「はてなブックマーク」がつき、盆休みに入る週末だったというのに、8月10日、11日の2日間で計5000件近いアクセスをいただいた。

「はてブ」のコメントを見ると、賛否両論があるが、少なくともマスコミ報道やそれに影響された世論に見られるような「被告を何が何でも死刑にせよ」という主張への極端な偏りは見られなかった。こういうカウンター的言論を広めるのに、ブログという媒体は捨てたものではないと感じた次第だ。

さらにその後、雑誌「創」の2007年9・10月号に、やはりこの事件に関する一方的な言論へのカウンターとなる記事が掲載されていることを知った。本エントリではこれを紹介したいと思う。

ジャーナリスト・綿井健陽氏による「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」という記事がそれである。この記事は、下記のように書き出されている。


「光市母子殺害事件」弁護団への激しいバッシングが続いている。カッターナイフの刃が送られたり、殺害予告が届いたり‥‥。この「私刑」の雰囲気は、一体誰が作り上げたものなのか。


「広がる弁護団への非難・中傷・嫌がらせ」と題された最初の章の最後から、次の章「限度を超えたメディアの『暴走』」の最初の部分にかけてを以下に引用する。


 この裁判をめぐって、それは社会といっていいのか、それとも単に世間や大衆と言うべきなのか、いやそれともマスメディアだけなのか、その注目される部分がほかとは相当異なっている。それは「被告の元少年が何を法廷で話すか、どんな顔つきや態度なのか」という一般的な興味とは別に、「どんな弁護士たちなのか、その弁護団が何を主張するのか」という部分にゆがんだ形で向けられている。そして、そこから派生する弁護士たちへの非難・誹謗・中傷・嫌がらせ、そして相次ぐ脅迫まで、いわゆるネット空間だけの限定現象ではなく、メディアと市民が一体となった形で、この国に少しずつ広がり始めている。

限度を超えたメディアの「暴走」

 これらの現象に関して永六輔氏は、本誌(注:「創」)編集長も出演しているCS放送「朝日ニュースター」(7月21日放送)の番組の中で、「僕がテレビの実験放送から始めたとき、アメリカからジャーナリストが来て『スタジオは裁判所じゃないですす。スタジオを裁判所にしないように』と繰り返し言われた。いまは裁判所になってるでしょ。『ニュースキャスターは裁判官ではありません』と言われたが、最近は裁判官に近いでしょ」 「昔は『村八分』というこれも差別がありましたよね。今はテレビのおかげで『国八分』になっている。日本中でという形になっているのが怖い」と指摘していた。

 テレビのスタジオはもちろん、雑誌・ネット上からご近所の世間話の類まで、この事件のことに対してはみんな何かしらの意見を述べる。いわゆる「感想」を話したり、判決を「予想」したり、あたかも誰かの「代弁者」のように怒ったり、それらは「世論」の上に乗っかることが参加条件だ。繰り返されるメディア情報だけを材料に、裁判長や検事になったかのように話す。決して被告の側やそれを弁護する側ではない。この裁判の法廷は広島高裁にある302号法廷一つしかないはずなのに、その法廷以外のあちこちで別の「裁判」が進行しているといった方がいいだろうか。いや、それらは決して「裁判」ではなくて「私刑(リンチ)」に近い。

 昨年6月の最高裁判決の前日、安田好弘弁護士は都内で講演した。前回の最高裁での弁論を「欠席」した際(それまでは認められるはずの延期申請ができないという理由の「欠席」だった)、一日100件以上の電話が弁護士事務所に来たそうだが、その内容のほとんどは「弁護は不要だ」 「死刑にすべきだ」という内容だったという。これに対して彼は「電話の向こう側から『殺せ、殺せ』という大合唱が聞こえてくるようだ。『許せない』ではなくて、『殺せ』という精神的な共謀感なのか。世の中が殺せ、殺せという動きの中で、司法がちゃんと機能するのかが問われている。明日は裁判という名の『リンチ』が起こる」(筆者=綿井健陽氏=のメモより)と話していた。

(「創」 2007年9・10月号掲載 綿井健陽「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」より)


記事の筆者・綿井氏は、差し戻し控訴審が行われている広島高裁を通りかかる市民から何度も「もう判決は出たんですか?」と聞かれ、みんな「死刑か、それとも無期か」という部分にしか関心がないようだ、と感じたという。綿井氏は、2002年の北朝鮮による拉致被害が明らかになった頃のメディア状況を連想したと書く。確かにこの時のメディア放送も冷静を欠いたものだった。その状況で、国民の反北朝鮮感情を煽って人気を高めたのが安倍晋三官房副長官(当時)だったことはいうまでもない。

綿井氏は、この裁判の弁護士・安田好弘氏がことあるごとにテレビのテロップで「死刑反対運動のリーダー的存在」と紹介されており、テレビ報道が「裁判や被告人が死刑廃止運動に利用されている」という流れに誘導しようとしていると指摘している。そして、もし安田弁護士に対して「死刑廃止運動のリーダー的存在」という肩書きを裁判報道で用いるなら、被害者遺族の男性にも「犯罪被害者の権利を求めてきた運動の象徴的存在」という肩書きを使わなければ公平ではないだろう、と主張している。まことにもっともな論旨だ(但し、それは被害者遺族の男性の思いとは相当異なるだろうとも指摘している)。

さて、綿井氏は、この裁判に関する新聞メディアの報道は、テレビとは異なって節度を保っていることを指摘している。5月の差し戻し控訴審初公判翌日(5月25日)の紙面は、地元の中国新聞は被害者側に沿った記事を書いていたが、毎日新聞は一面トップで司法制度のあり方に言及して、「拙速は許されない」と逆の意見を述べ、読売新聞の広島版では「遺族、早期結審願う 弁護側は慎重な審理求める」と両論併記の形をとっていたそうだ。新聞によってスタンスは異なるものの、決して一方的な報道ではなかった。

それに対してテレビ報道は前述のように一方的なものだし、雑誌に関しても、差し戻し審開始の頃から、「週刊新潮」、「週刊ポスト」、「フライデー」などが一方的に被害者遺族男性(本村洋氏)側に立った報道を行い、その攻撃対象は被告の元少年から弁護団の方に移ってきていると綿井氏は書いている。ここで指摘されているように、「週刊ポスト」も、最初はそういう報道だったのが、先日になって自らの報道のカウンターになるような記事を掲載したというわけだ。このあたりに同誌の雑誌ジャーナリズムの良心を見る思いだ。

ネット言論はどうだったかというと、コイズミの「改革ファシズム」に反対の声をあげて一躍注目されたリベラル系の某有名ブログが、この件で被害者親族の男性に入れあげて、センセーショナルに厳罰を求めるネット言論を煽りに煽っていたことがが思い出される。保守系のブログはもちろん厳罰主義を支持していたから、ネット言論では、保守系・リベラル系を問わず、かなり一方的に被害者親族の男性側に入れ込み、被告の元少年や弁護団を激しく非難する論調に偏っていたといえると思う。

綿井氏の記事に戻ると、記事は、弁護団が3日間の集中審理を終えて6月28日に会見した際の記者との質疑応答に触れ、安田弁護士が「被告は殺害行為をやっていない。最高裁が認定した殺害行為は誤りだ。これは死刑の回避の問題ではない。司法権の適正な行使の問題だ」と主張したことを紹介している。

以下、記事の結びの部分を引用、紹介する。


 被告の供述を裏付ける重要な客観的証拠は確かに存在する。その一部は『光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか』(インパクト出版会)に鑑定書が掲載されているが、「被害者の女性を両手で首を絞めた」 「赤ちゃんを床に叩きつけた」という部分の「両手」 「叩きつけた」という検察の主張を裏付ける証拠はない。これらの遺体の痕跡についての判断は今後の裁判で明らかにされるだろう。そして、新たな客観的証拠も今後の公判で弁護団から提示される予定だ。

「弁護団は死刑廃止運動にこの裁判を利用している」という批判ばかりが世間を覆っているが、この弁護団は上記のようなことを含め、事件現場での事実をこれまでできる限り一つ一つ丁寧に解明してきた。むしろ検察側(あえて強調しておくが遺族側ではない)の方が、この裁判を今後のこの国の死刑や量刑の基準として示そうとしている、もっと言えば司法全体がこの裁判を日本の社会へ向けて、ある種の「見せしめ」として政治利用しているとさえ私には思えてくる。

 広島地方の梅雨が明けた直後の7月24日、また3日間の集中審理が始まった。広島高裁の法廷の中では今後も審理が着々と進められる。だが、法廷の外で展開するこの裁判をめぐる「報道」と「反応」は、このままではさらにエスカレートする可能性が高い。NHKニュースはこの裁判を伝える際、「18歳の元少年に死刑が適用されるかどうかが争点です」とナレーションで説明する。しかし、この裁判は「死刑」を争う裁判ではなく、ひょっとするとメディアによってあおられる「私刑(リンチ)」が、我々が住んでいる社会にどんな結果をもたらすことになるかを世に示す裁判になるのかもしれない。本当にそれでいいのだろうか。
(7月25日広島にて)

(「創」 2007年9・10月号掲載 綿井健陽「これでいいのか!? 光市母子殺害裁判報道」より)


ネット言論は、このようなテレビによる極端な意見への誘導を煽るものであるより、多様な視点を提供して、一方向への暴走に歯止めをかけるものでありたい。そのような実践を伴ってこその「反(カイカク)ファシズム」ではなかろうか。

なお、本エントリで紹介したのは、記事のほんの一部だ。読者の皆さまには、雑誌で記事全文に当たられることを是非おすすめする。


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