参院選が終わって負けた安倍晋三は、醜く権力の座にしがみつき、インドなどを訪問している。今回は大量の財界人がついていっており、「KY」とは安倍のみならずこうした恥知らずの財界人にも当てはまるのではないだろうか。
当ブログの更新間隔は、このところ1日おきくらいになってしまっているが、これは参院選前からの予定の行動であり、自民党が参院選で大敗した今、あんな安倍ごときの悪口を書くのなど2日に1度で十分、それよりもっとやりたいことに時間を割きたいと思っているからだ。
その一つが読書であり、買い込んでいながら読めていない本がたくさんあることでもあり、これからじっくり読んでいきたいと思っている。
一昨日のエントリ「言論が一方向に振れる時 〜 山口県光市母子殺人事件をめぐって」も、かつて読んで印象に残った本があればこそ書けた記事だった。
その本とは、魚住昭著「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)だった。
この本で著者の魚住は、田中森一、安田好弘という「悪徳」弁護士として知られる、ともに逮捕された二人の弁護士を題材にして、特捜検察の「国策捜査」を描いた。そして、安田好弘こそは「山口県光市母子殺害事件」の弁護団の中心人物なのである。この本を読んでいたからこそ、私は「安田=悪徳弁護士」という図式を、はなから全く信用せずに斥けることができた。「特捜検察の闇」によると、安田弁護士は、中坊公平率いる住宅金融債権管理機構(住管)が「国策」の名のもとに行っていた捜査や債権回収の実態と対峙していた。しかし、裁判官、弁護士、検事の法曹三者が一体となった「国策捜査」が行われ、安田は、債権回収を妨害するために不動産会社に「資産隠し」をしていたとして警視庁に逮捕されたのだった。
「国策捜査」については、佐藤優の「国家の罠」(新潮社、2005年)が名高いし、優れた本だ。佐藤優の逮捕も鈴木宗男の逮捕も国策だったし、鈴木宗男を追い落とすのに利用された辻元清美は、その役割を終えると自らも「国策捜査」の罠にはまって逮捕された。佐藤は、旧来自民党のケインズ型経済政策からコイズミ・竹中らのハイエク型経済政策に転換する「時代のけじめ」として、前者を代表する政治家である鈴木宗男が逮捕されたのだろうと考えている。
その鈴木宗男と佐藤優の対談本である「反省」(アスコム、2007年)がよく売れているようだ。私も読み、面白いとは思ったが、「必読の書」とまではいえないと思う。佐藤の対談本なら、これよりは以前にもご紹介した魚住昭との対談本「ナショナリズムという迷宮」(朝日新聞社、2006年)の方がずっと面白い。
私が今読んでみたいと思っている本の一つが、魚住が「特捜検察の闇」で扱っているもう一人の「悪徳弁護士」である田中森一が書いた「反転−闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎、2007年)である。410ページもあるハードカバー本で、読みでがありそうだ。
あと、最近読んで面白かったのが岩波文庫の「石橋湛山評論集」(1984年)である。
私が石橋湛山に興味を持ったのは昨年夏のことだ。「きっこの日記」の昨年8月6日付「原爆の日」は、非常に印象的な一編だが、日記の末尾に、「戦争を語り継ぐ60年目の証言」というサイトにリンクが張られている。そして、その中に「石橋湛山(第55代内閣総理大臣)の反戦論」というページがあるのだ。これは、半藤一利著『戦う石橋湛山』(東洋経済新報社、2001年)を紹介したものだ。その後、高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書、2005年)で湛山が敗戦直後に靖国神社廃止論を唱えていたことを知り、ますます興味は高まった。
岩波文庫の「石橋湛山評論集」には、その靖国廃止論は収録されていないが、100年近く前の二十代にして、早くも日本人に哲学が欠如していることを嘆き、1920年代に朝鮮・台湾・樺太・満州などの放棄や軍備不要論を説き、税源の地方移譲を主張した。湛山は個人主義と社会主義を融合させた「新自由主義」を唱えたというが、これはいうまでもなく「市場原理主義」の蔑称である現在の「新自由主義」とはベクトルが180度異なるものだ。
この石橋湛山が首相就任2か月で病気のために退陣し、代わって岸信介が首相になったのは、日本にとって痛恨事だった。
「石橋湛山評論集」は、昔の人が書いた本とは思えないくらい読みやすく、その内容は現在でも全く色あせていない。イッキ読みできるし、是非オススメの一冊だ。
最後に、政治関係から離れて読んでみたいと思っている本として、亀山郁夫氏によるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の新訳(光文社古典新訳文庫、2006-07年、全5巻)をあげておく。私は新潮文庫の原卓也訳(1978年)で18年前に読んだが、読みやすいとの評判の高い亀山の新訳は、買い込んではあるものの未読である。参院選も終わったことだし、ここらでじっくり読んでみたいと思っている。
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当ブログの更新間隔は、このところ1日おきくらいになってしまっているが、これは参院選前からの予定の行動であり、自民党が参院選で大敗した今、あんな安倍ごときの悪口を書くのなど2日に1度で十分、それよりもっとやりたいことに時間を割きたいと思っているからだ。
その一つが読書であり、買い込んでいながら読めていない本がたくさんあることでもあり、これからじっくり読んでいきたいと思っている。
一昨日のエントリ「言論が一方向に振れる時 〜 山口県光市母子殺人事件をめぐって」も、かつて読んで印象に残った本があればこそ書けた記事だった。
その本とは、魚住昭著「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)だった。
この本で著者の魚住は、田中森一、安田好弘という「悪徳」弁護士として知られる、ともに逮捕された二人の弁護士を題材にして、特捜検察の「国策捜査」を描いた。そして、安田好弘こそは「山口県光市母子殺害事件」の弁護団の中心人物なのである。この本を読んでいたからこそ、私は「安田=悪徳弁護士」という図式を、はなから全く信用せずに斥けることができた。「特捜検察の闇」によると、安田弁護士は、中坊公平率いる住宅金融債権管理機構(住管)が「国策」の名のもとに行っていた捜査や債権回収の実態と対峙していた。しかし、裁判官、弁護士、検事の法曹三者が一体となった「国策捜査」が行われ、安田は、債権回収を妨害するために不動産会社に「資産隠し」をしていたとして警視庁に逮捕されたのだった。
「国策捜査」については、佐藤優の「国家の罠」(新潮社、2005年)が名高いし、優れた本だ。佐藤優の逮捕も鈴木宗男の逮捕も国策だったし、鈴木宗男を追い落とすのに利用された辻元清美は、その役割を終えると自らも「国策捜査」の罠にはまって逮捕された。佐藤は、旧来自民党のケインズ型経済政策からコイズミ・竹中らのハイエク型経済政策に転換する「時代のけじめ」として、前者を代表する政治家である鈴木宗男が逮捕されたのだろうと考えている。
その鈴木宗男と佐藤優の対談本である「反省」(アスコム、2007年)がよく売れているようだ。私も読み、面白いとは思ったが、「必読の書」とまではいえないと思う。佐藤の対談本なら、これよりは以前にもご紹介した魚住昭との対談本「ナショナリズムという迷宮」(朝日新聞社、2006年)の方がずっと面白い。
私が今読んでみたいと思っている本の一つが、魚住が「特捜検察の闇」で扱っているもう一人の「悪徳弁護士」である田中森一が書いた「反転−闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎、2007年)である。410ページもあるハードカバー本で、読みでがありそうだ。
あと、最近読んで面白かったのが岩波文庫の「石橋湛山評論集」(1984年)である。
私が石橋湛山に興味を持ったのは昨年夏のことだ。「きっこの日記」の昨年8月6日付「原爆の日」は、非常に印象的な一編だが、日記の末尾に、「戦争を語り継ぐ60年目の証言」というサイトにリンクが張られている。そして、その中に「石橋湛山(第55代内閣総理大臣)の反戦論」というページがあるのだ。これは、半藤一利著『戦う石橋湛山』(東洋経済新報社、2001年)を紹介したものだ。その後、高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書、2005年)で湛山が敗戦直後に靖国神社廃止論を唱えていたことを知り、ますます興味は高まった。
岩波文庫の「石橋湛山評論集」には、その靖国廃止論は収録されていないが、100年近く前の二十代にして、早くも日本人に哲学が欠如していることを嘆き、1920年代に朝鮮・台湾・樺太・満州などの放棄や軍備不要論を説き、税源の地方移譲を主張した。湛山は個人主義と社会主義を融合させた「新自由主義」を唱えたというが、これはいうまでもなく「市場原理主義」の蔑称である現在の「新自由主義」とはベクトルが180度異なるものだ。
この石橋湛山が首相就任2か月で病気のために退陣し、代わって岸信介が首相になったのは、日本にとって痛恨事だった。
「石橋湛山評論集」は、昔の人が書いた本とは思えないくらい読みやすく、その内容は現在でも全く色あせていない。イッキ読みできるし、是非オススメの一冊だ。
最後に、政治関係から離れて読んでみたいと思っている本として、亀山郁夫氏によるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の新訳(光文社古典新訳文庫、2006-07年、全5巻)をあげておく。私は新潮文庫の原卓也訳(1978年)で18年前に読んだが、読みやすいとの評判の高い亀山の新訳は、買い込んではあるものの未読である。参院選も終わったことだし、ここらでじっくり読んでみたいと思っている。
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今年の夏は、さほどの猛暑にはなりそうもないと思っていたら、一転して急に全国的に記録的な高温に見舞われ、皆さまも暑さでぐったりされているのではないかと思う。
さて、当ブログでは、参院選までは目の前の動きを追うのに精一杯だったが、参院選で安倍自民党の「惨敗」という結果が出た今、歴史的な観点から日本の政治の現在を見つめられないものかと考えている。
そこで、夏休みでもあったので、しばらく前に買い込んでいながら読めていなかった本をいくつか読むなどしている。
その中から今回は、石川真澄の「戦後政治史・新版」(岩波新書、2004年)を紹介したい。
著者の石川真澄氏は、3年前(2004年)に亡くなられた元朝日新聞記者だが、データを緻密に解釈した選挙結果の解析が面白くて、70年代の昔から好きな新聞記者だった。この本は、1995年1月に出版された旧版に手を加えたものだが、著者の病状悪化のため、政治学者の山口二郎氏による補筆の手が入っている。そして、本には2004年参院選の結果までが記述されているが、参院選の行われた5日後の2004年7月16日、石川氏はこの世を去ったのだった。
生前から「政治改革」の欺瞞を喝破し、新自由主義的思潮を嫌って、社会党の現実化や自社さ連立政権に期待していた石川氏は、当時は世の中の流れから取り残された人のように思われていたが、氏の先見の明は、コイズミの「構造改革」のひずみが明らかになった今、はっきり証明されていると思う。石川さんが長生きしてくれたら、と何度思ったかしれない。
今年、没後3年の石川さんがずいぶん注目された。それは、「亥年現象」という仮説を石川さんが立てていたためだ。12年に1度の亥年、統一地方選と参院選が重なる年には、参院選の投票率が下がり、自民党が苦戦を強いられるというのがその説だ。
「亥年現象」は、統一地方選の運動に疲れた地方議員が、参院選に注ぐ力を奪われてしまうために起きるというのが石川さんの説明だった。しかし、今年の参院選は3年前より投票率が上がり、「亥年現象」のジンクスは破られた形になった。
ところで、「戦後政治史・新版」は、石川さんが主観を排して、できるだけ客観的な立場に立ってまとめているので、貴重な史料になっている。通して読めば、戦後政治の最初から、保守勢力は憲法を変えようとしていたし、保守勢力の約半分の規模を持つ革新勢力は改憲を阻止しようとしていたことがよくわかる。
「55年体制」の確立までは、保守は合従連衡を繰り返していたし、社会党も右派社会党と左派社会党に分裂したが、1955年の「保守合同」と社会党の統一によって、二大政党制、否、1と1/2政党制が成立した。その過程は、90年代から今世紀はじめにかけての政党の分立と、自民・民主の二大政党への再編成と二重写しになる。
欧州の社会主義勢力が社会民主主義に傾斜していったのに対し、日本の社会党は左傾・教条主義化して、政権担当能力を失っていった。私は1977年の社会主義協会(マルクス主義を信奉する社会党左派)と江田三郎派の抗争を今でも覚えているが、あの時「数の力」で江田派を圧倒し、江田を憤死させた社会党左派の非人間性には、今でも忘れられないものがある。江田は社会党を離党して社会市民連合を設立し、自らも77年参院選に立候補するつもりだったが、参院選を2か月後に控えた同年5月に、志半ばにして急逝したのだった。その江田三郎の息子・江田五月が参議院議長に選出されたことは、まことに感慨深いものがある。
社会党は、自民党・さきがけと連立政権を組んだことが有権者の支持を失って、議席を大幅に減らしたあげく、民主党に合流した人たちと、残って社民党を結成した人たちに分かれた。必ずしも右派が民主党に行き、左派が社民党に残ったわけではない。民主党には旧社会党の最左派の人たちもおり、一方でコイズミ以上に過激な新自由主義者もいるというおそるべき幅の広さを持った寄り合い政党だ。
それはともかく、自さとの連立政権当時、社会党が支持を失ったことについて、私は社会党が「左翼バネ」による安易な運動方針に安住し、肝心の政権をとった時の政権担当能力を失っていたからではないかと思う。自民党との政策協議において、従来の社会党の党是に背くような妥協を次々と行い、過去の左傾路線は単に同党が「易きに流れていた」結果に過ぎなかったことを露呈した。
民主党は、当時の社会党の轍を踏んではならない。当時の社会党とは対照的に、今の民主党で警戒しなければならないのは、前原誠司に代表される「右バネ」をもった勢力だ。30年前の社会党は、「左」の教条主義者に蹂躙されたが、今の民主党が絶対に陥ってはいけないのは、前原ら「右」の理想主義者に蹂躙されることではなかろうか。
よく思うのだが、「中道」とは、「性悪説」というか、苦い人間不信を底流に持つ、意地の悪い思想だ。理想論が好きな日本人は、社会主義協会みたいな教条主義や、コイズミ流の「カイカクファシズム」を好む傾向がある。これらは、いずれも「性善説」に基づく思想だ。「性善説」は受け入れられやすいけれど、現実からは隔絶している。
ところで、十年一日のごとく変わらないかのように思える政治の流れだが、実際には少しずつ動いていっているものだ。社会党が実質的に崩壊・消滅したのもその一つだが、自民党の終焉も、いよいよカウントダウンを迎えた。
自民党が敗北した04年参院選のあとにまとめられた「戦後政治史・新版」の末尾近くには、こう書かれている(おそらく、山口二郎氏の補筆であろうと想像する)。
この後の、誰も予想しなかった2005年の「郵政総選挙」によって、自民党は安定を強化するかに見えたが、それは一過的なフィーバーに過ぎなかった。今年の参院選の方が、長期トレンドに沿った結果だった。一足お先に党勢を衰退させた社会党に続いて、自民党も歴史的役割を終えたと私は考えている。自民党はもはや、政権の座を維持することだけを唯一の運動原理とする政党であって、政権を持っていない自民党に存在意義はない。今後はますます民主党が強くなり、次の総選挙では政権交代が起きるだろうが、政権奪取のための寄り合い政党である民主党は、いずれ大きく分裂する。その時こそ、日本の政党政治が新しい段階を迎えるのではないかと私は考えている。
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さて、当ブログでは、参院選までは目の前の動きを追うのに精一杯だったが、参院選で安倍自民党の「惨敗」という結果が出た今、歴史的な観点から日本の政治の現在を見つめられないものかと考えている。
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その中から今回は、石川真澄の「戦後政治史・新版」(岩波新書、2004年)を紹介したい。
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著者の石川真澄氏は、3年前(2004年)に亡くなられた元朝日新聞記者だが、データを緻密に解釈した選挙結果の解析が面白くて、70年代の昔から好きな新聞記者だった。この本は、1995年1月に出版された旧版に手を加えたものだが、著者の病状悪化のため、政治学者の山口二郎氏による補筆の手が入っている。そして、本には2004年参院選の結果までが記述されているが、参院選の行われた5日後の2004年7月16日、石川氏はこの世を去ったのだった。
生前から「政治改革」の欺瞞を喝破し、新自由主義的思潮を嫌って、社会党の現実化や自社さ連立政権に期待していた石川氏は、当時は世の中の流れから取り残された人のように思われていたが、氏の先見の明は、コイズミの「構造改革」のひずみが明らかになった今、はっきり証明されていると思う。石川さんが長生きしてくれたら、と何度思ったかしれない。
今年、没後3年の石川さんがずいぶん注目された。それは、「亥年現象」という仮説を石川さんが立てていたためだ。12年に1度の亥年、統一地方選と参院選が重なる年には、参院選の投票率が下がり、自民党が苦戦を強いられるというのがその説だ。
「亥年現象」は、統一地方選の運動に疲れた地方議員が、参院選に注ぐ力を奪われてしまうために起きるというのが石川さんの説明だった。しかし、今年の参院選は3年前より投票率が上がり、「亥年現象」のジンクスは破られた形になった。
ところで、「戦後政治史・新版」は、石川さんが主観を排して、できるだけ客観的な立場に立ってまとめているので、貴重な史料になっている。通して読めば、戦後政治の最初から、保守勢力は憲法を変えようとしていたし、保守勢力の約半分の規模を持つ革新勢力は改憲を阻止しようとしていたことがよくわかる。
「55年体制」の確立までは、保守は合従連衡を繰り返していたし、社会党も右派社会党と左派社会党に分裂したが、1955年の「保守合同」と社会党の統一によって、二大政党制、否、1と1/2政党制が成立した。その過程は、90年代から今世紀はじめにかけての政党の分立と、自民・民主の二大政党への再編成と二重写しになる。
欧州の社会主義勢力が社会民主主義に傾斜していったのに対し、日本の社会党は左傾・教条主義化して、政権担当能力を失っていった。私は1977年の社会主義協会(マルクス主義を信奉する社会党左派)と江田三郎派の抗争を今でも覚えているが、あの時「数の力」で江田派を圧倒し、江田を憤死させた社会党左派の非人間性には、今でも忘れられないものがある。江田は社会党を離党して社会市民連合を設立し、自らも77年参院選に立候補するつもりだったが、参院選を2か月後に控えた同年5月に、志半ばにして急逝したのだった。その江田三郎の息子・江田五月が参議院議長に選出されたことは、まことに感慨深いものがある。
社会党は、自民党・さきがけと連立政権を組んだことが有権者の支持を失って、議席を大幅に減らしたあげく、民主党に合流した人たちと、残って社民党を結成した人たちに分かれた。必ずしも右派が民主党に行き、左派が社民党に残ったわけではない。民主党には旧社会党の最左派の人たちもおり、一方でコイズミ以上に過激な新自由主義者もいるというおそるべき幅の広さを持った寄り合い政党だ。
それはともかく、自さとの連立政権当時、社会党が支持を失ったことについて、私は社会党が「左翼バネ」による安易な運動方針に安住し、肝心の政権をとった時の政権担当能力を失っていたからではないかと思う。自民党との政策協議において、従来の社会党の党是に背くような妥協を次々と行い、過去の左傾路線は単に同党が「易きに流れていた」結果に過ぎなかったことを露呈した。
民主党は、当時の社会党の轍を踏んではならない。当時の社会党とは対照的に、今の民主党で警戒しなければならないのは、前原誠司に代表される「右バネ」をもった勢力だ。30年前の社会党は、「左」の教条主義者に蹂躙されたが、今の民主党が絶対に陥ってはいけないのは、前原ら「右」の理想主義者に蹂躙されることではなかろうか。
よく思うのだが、「中道」とは、「性悪説」というか、苦い人間不信を底流に持つ、意地の悪い思想だ。理想論が好きな日本人は、社会主義協会みたいな教条主義や、コイズミ流の「カイカクファシズム」を好む傾向がある。これらは、いずれも「性善説」に基づく思想だ。「性善説」は受け入れられやすいけれど、現実からは隔絶している。
ところで、十年一日のごとく変わらないかのように思える政治の流れだが、実際には少しずつ動いていっているものだ。社会党が実質的に崩壊・消滅したのもその一つだが、自民党の終焉も、いよいよカウントダウンを迎えた。
自民党が敗北した04年参院選のあとにまとめられた「戦後政治史・新版」の末尾近くには、こう書かれている(おそらく、山口二郎氏の補筆であろうと想像する)。
ポスト小泉のリーダー候補が存在しない自民党では、(2004年参院選の)敗北の責任を問う声は起こらず、自公連立の継続と小泉政権の続投が決まった。衆参両院議員の任期を考えれば、2007年までは国政選挙をする必要がない。したがって、自公連立で国会の安定多数を維持できる以上、小泉政権は安泰である。しかしそれは自民党にとってつかの間の、そして最後の安定でしかあるまい。
(石川真澄著『戦後政治史・新版』=岩波書店、2004年=より)
この後の、誰も予想しなかった2005年の「郵政総選挙」によって、自民党は安定を強化するかに見えたが、それは一過的なフィーバーに過ぎなかった。今年の参院選の方が、長期トレンドに沿った結果だった。一足お先に党勢を衰退させた社会党に続いて、自民党も歴史的役割を終えたと私は考えている。自民党はもはや、政権の座を維持することだけを唯一の運動原理とする政党であって、政権を持っていない自民党に存在意義はない。今後はますます民主党が強くなり、次の総選挙では政権交代が起きるだろうが、政権奪取のための寄り合い政党である民主党は、いずれ大きく分裂する。その時こそ、日本の政党政治が新しい段階を迎えるのではないかと私は考えている。
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少年の頃の夏休みに、「少年ジャンプ」に掲載された中沢啓治の 「はだしのゲン」 を読み、主人公・ゲンの父や姉、弟が原爆の爆風で倒壊した家の下敷きになって死んでいく場面にショックを受けたことは未だに忘れられない。それから三十余年が経過し、昨日、広島は62回目の原爆記念日を迎えた。
今思い返しても、「はだしのゲン」が少年漫画誌に載った70年代というのは、戦後日本の歴史でももっとも反戦の思想が人々に共有された時代ではなかったかと思う。もう少し前の時代には、戦記漫画が結構あったし、80年代以降に入ると、ラブコメが全盛となって、戦争などという重いテーマを扱う漫画はすっかり下火になった。
手塚治虫(1928-1989)の数ある漫画のうちにも、戦争を扱った作品がある。先頃、それらを集めた祥伝社新書 『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 が出版された。
収録された作品は、下記の7編だ。
手塚治虫は、1945年6月7日に「学徒勤労動員」によって働かされていた軍需工場で空襲を受け、地獄図を見た。大阪・淀川の堤には焼け焦げた死体がいくつも転がっていた。女の人が燃え上がるのを見たのは、特にショックだったそうだ。
手塚の戦争漫画には、この時の体験が色濃く反映されている。だから、時にグロテスクな表現もいとわない。上記の本には収録されていないが、手塚には「カノン」(「週刊漫画アクション」 1974年8月8日号初出)という印象的な作品があるが、この作品にもショッキングなシーンがある。
今回紹介した 『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 でもっとも印象的だったのは、巻頭に収録された「紙の砦」で、主人公の少年が傷ついた米兵に復讐の一撃を加えようとしたが、米兵の傷ついた無惨な姿にショックを受けて果たせなかったくだりだ。少年は「だ、だれのせいだよ、こんな戦争」とつぶやく。
手塚は、「大将軍 森へ行く」に登場する少年にも、「正義の軍隊なんてどこにもいない」と語らせている。本の解説(漫画評論家・中野晴行氏)も指摘しているように、これは手塚作品に一貫するメッセージだ。もし手塚が存命だったら、「テロとの戦い」という名で、現実には理不尽な殺戮を行っている米軍を正当化する言論がまかり通っている現状をどう思うだろうか。
それにしても、『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 に収録されているような漫画が少年誌に普通に掲載されていたのが70年代という時代だった。繰り返しになるが、学生運動が燃え盛った60年代と若者が政治に関心を失って急速に社会が右傾化していった80年代(自民党の全盛期)にはさまれた70年代は、戦争の悲惨さ、平和の大切さがもっとも普通に語られた時代だった。
その時代に少年期を過ごした人間として、日本が再び戦争への道を突き進んでいくことだけは、なんとしてでも阻止したいと日々考えている。
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今思い返しても、「はだしのゲン」が少年漫画誌に載った70年代というのは、戦後日本の歴史でももっとも反戦の思想が人々に共有された時代ではなかったかと思う。もう少し前の時代には、戦記漫画が結構あったし、80年代以降に入ると、ラブコメが全盛となって、戦争などという重いテーマを扱う漫画はすっかり下火になった。
手塚治虫(1928-1989)の数ある漫画のうちにも、戦争を扱った作品がある。先頃、それらを集めた祥伝社新書 『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 が出版された。
![]() | 手塚治虫「戦争漫画」傑作選 (祥伝社新書 81) 手塚 治虫 (2007/07) 祥伝社 この商品の詳細を見る |
収録された作品は、下記の7編だ。
「紙の砦」 (「週刊少年キング」 1974年9月30日号初出)
「新:聊斎志異 女郎蜘蛛」 (「週刊少年キング」 1971年1月17日号初出)
「処刑は3時に終わった」 (「プレイコミック」 1968年6月創刊号初出)
「大将軍 森へ行く」 (「月刊少年マガジン」 1976年8月号初出)
「モンモン山が泣いているよ」 (「月刊少年ジャンプ」 1979年1月号初出)
「ZEPHYRUS(ゼフィルス)」 (「週刊少年サンデー」 1971年5月23日号初出)
「すきっ腹のブルース」 (「週刊少年キング」 1975年1月1日号初出)
手塚治虫は、1945年6月7日に「学徒勤労動員」によって働かされていた軍需工場で空襲を受け、地獄図を見た。大阪・淀川の堤には焼け焦げた死体がいくつも転がっていた。女の人が燃え上がるのを見たのは、特にショックだったそうだ。
手塚の戦争漫画には、この時の体験が色濃く反映されている。だから、時にグロテスクな表現もいとわない。上記の本には収録されていないが、手塚には「カノン」(「週刊漫画アクション」 1974年8月8日号初出)という印象的な作品があるが、この作品にもショッキングなシーンがある。
今回紹介した 『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 でもっとも印象的だったのは、巻頭に収録された「紙の砦」で、主人公の少年が傷ついた米兵に復讐の一撃を加えようとしたが、米兵の傷ついた無惨な姿にショックを受けて果たせなかったくだりだ。少年は「だ、だれのせいだよ、こんな戦争」とつぶやく。
手塚は、「大将軍 森へ行く」に登場する少年にも、「正義の軍隊なんてどこにもいない」と語らせている。本の解説(漫画評論家・中野晴行氏)も指摘しているように、これは手塚作品に一貫するメッセージだ。もし手塚が存命だったら、「テロとの戦い」という名で、現実には理不尽な殺戮を行っている米軍を正当化する言論がまかり通っている現状をどう思うだろうか。
それにしても、『手塚治虫「戦争漫画」傑作選』 に収録されているような漫画が少年誌に普通に掲載されていたのが70年代という時代だった。繰り返しになるが、学生運動が燃え盛った60年代と若者が政治に関心を失って急速に社会が右傾化していった80年代(自民党の全盛期)にはさまれた70年代は、戦争の悲惨さ、平和の大切さがもっとも普通に語られた時代だった。
その時代に少年期を過ごした人間として、日本が再び戦争への道を突き進んでいくことだけは、なんとしてでも阻止したいと日々考えている。
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月刊「現代」に、立花隆の「私の護憲論」が連載されている。7月号には、確か上下編の記事になると書かれていたと思うが、8月号を見ると「第2回」となっていて、どうやら数回にわたる連載に変更されたようだ。参院選の争点が「憲法」から「年金」へと変わったことの影響と考えるのはうがった見方だろうか。
ところで、立花さんの護憲論は、元東大総長の南原繁の思想に立脚している。コイズミが靖国に参拝した昨年8月15日、立花さんは東大で「8月15日と南原繁を語る会」という会を催した。会の少し前に、「メディア ソシオ-ポリティクス」に、『小泉政権最後の8月15日 南原繁の声に耳を傾けよ』 という記事も発表している。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060725_815/
立花さんは、この会に参加した識者たちの講演や、南原繁の演説集をもとに、東京大学出版会から 「南原繁の言葉 8月15日・憲法・学問の自由」 という本を出版した。
その中で、帝国陸軍とGHQの本郷キャンパス接収計画を頑としてはねのけた東大の事務局長・石井勗(つとむ)氏の『東大とともに五十年』の抜粋が、とても印象に残った。『東大とともに五十年』は、石井氏の私家版の回顧録で、一般には入手不可能とのことである。
以下、立花隆編「南原繁の言葉 8月15日・憲法・学問の自由」から、立花さんの解説文を引用する。
軍国主義日本の敗戦末期において帝国陸軍に対して、また敗戦国の被占領時代に占領軍に対して、それぞれ毅然とした態度をとって「学問の自由」を守った当時の大学人に対し、憲法第21条で「表現の自由」が保障されている現代において、ジャーナリズムが政府・与党への批判を遠慮しているように見えるのは、実に情けないことだ。敵は、思想・信条の自由に平気で容喙する政策をとってきているのに、それに全力で立ち向かわないようで「ジャーナリズム」の名に値するのか、と思う。
きたる参議院選挙は、戦後民主主義を守るための最後のチャンスだ。ここで与党を惨敗に追い込んではじめて、戦いを継続することができる。万一与野党逆転さえ実現できないようなら、安倍晋三ではなくて、安倍に対抗する側が 『the End!』 になってしまう。野党第一党の党首が交代するどころの騒ぎではないのである。心してかからなければならない。
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ところで、立花さんの護憲論は、元東大総長の南原繁の思想に立脚している。コイズミが靖国に参拝した昨年8月15日、立花さんは東大で「8月15日と南原繁を語る会」という会を催した。会の少し前に、「メディア ソシオ-ポリティクス」に、『小泉政権最後の8月15日 南原繁の声に耳を傾けよ』 という記事も発表している。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060725_815/
立花さんは、この会に参加した識者たちの講演や、南原繁の演説集をもとに、東京大学出版会から 「南原繁の言葉 8月15日・憲法・学問の自由」 という本を出版した。
その中で、帝国陸軍とGHQの本郷キャンパス接収計画を頑としてはねのけた東大の事務局長・石井勗(つとむ)氏の『東大とともに五十年』の抜粋が、とても印象に残った。『東大とともに五十年』は、石井氏の私家版の回顧録で、一般には入手不可能とのことである。
以下、立花隆編「南原繁の言葉 8月15日・憲法・学問の自由」から、立花さんの解説文を引用する。
陸軍がやってきたのは、1945年6月で、沖縄もすでに陥ち、あとは本土決戦をやるしかないという状況にたちいっていた時期である。
陸軍の説明によると、本郷キャンパスに、首都防衛本部を作り、ここから最後の首都決戦の指揮をとりたいということだった。
米軍が最初どこから上陸してくるにせよ、最後は、首都の攻防戦になる。そうなったときの防衛基本計画がすでにできていた。米軍が首都に迫ってきたら、隅田川と荒川をせき止めて、その上流で堤防を切る。そうすると、東京の下町一帯は洪水になり、海岸線まで水びたしになる。どこまで水がくるかというと、上野の西郷像のある台地と本郷の東大がある台地を結ぶ戦まで水がきてそこが波打ち際になる。
つまり本郷キャンパスは、そこでの攻防戦を上から見下ろす戦略的要地になるというのである。
軍部からそのような要求を受けて、どう押し返したかというと、次のような説得をした。この東大においても、日夜本土決戦にそなえて休みなく大切な軍事研究を行いつつある。また本土決戦になったら大量に必要になる軍医を急いで育てるべく、教授も学生も昼夜兼行で実習に励んでいる。そういう意味で、個々は既に最前線なのだ。指令本部用地にするわけにいかない。こういって押し返してしまうのである。
またGHQは、戦争が終わる前から、東大を接収してここに占領軍総司令部を置くつもりでいた。(中略)
これもまた、内田祥三総長、南原法学部長と石井事務局長が押し返してしまうのである。そのとき用いた理屈は、こうだった。日本は戦争に敗れた結果、文化国家として生きていくしか道がない。文化国家として生きるために必要なのは、なんといっても、教育と学術だ。教育も学術も、この東京大学が日本の中心になっている。それを接収するということは、日本の国に、もう滅びろというのと同じだ。そのような暴挙は日本陸軍すらあえてしなかった。それをお前たちはやるのか−−。
ギリギリのところで、この論理が通り、占領軍は、東大の接収をあきらめ、日比谷の第一生命ビルに本拠をかまえることになったのである。
(立花隆編 「南原繁の言葉 8月15日・憲法・学問の自由」 所載 「『東大とともに五十年』 解説」 より)
軍国主義日本の敗戦末期において帝国陸軍に対して、また敗戦国の被占領時代に占領軍に対して、それぞれ毅然とした態度をとって「学問の自由」を守った当時の大学人に対し、憲法第21条で「表現の自由」が保障されている現代において、ジャーナリズムが政府・与党への批判を遠慮しているように見えるのは、実に情けないことだ。敵は、思想・信条の自由に平気で容喙する政策をとってきているのに、それに全力で立ち向かわないようで「ジャーナリズム」の名に値するのか、と思う。
きたる参議院選挙は、戦後民主主義を守るための最後のチャンスだ。ここで与党を惨敗に追い込んではじめて、戦いを継続することができる。万一与野党逆転さえ実現できないようなら、安倍晋三ではなくて、安倍に対抗する側が 『the End!』 になってしまう。野党第一党の党首が交代するどころの騒ぎではないのである。心してかからなければならない。
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東京都知事選はいよいよ明日告示だが、今日はテレビ朝日の「スーパーモーニング」で、有力4候補による討論が放送された。
今回は、18日のフジテレビ「報道2001」で石原慎太郎が袋叩きにあった築地市場の移転問題や「新銀行東京」の問題は扱わず、福祉問題を中心に扱ったが、テレビ討論会も6回目ともなると、各候補の話す内容もだいたいわかってきたこともあり、あまり印象に残らない内容だった。なお、首都圏以外は10時前に番組終了となり、あるいは10時以降も関東では討論の続きが見られたのかもしれないが、私は地方在住なので見ることができなかった。
テレビ討論会は、6回のうち昨日(3月20日)放送された「朝ズバッ!」以外はすべて見た。「朝ズバッ!」は、仕事に出なければならないので見ることができず、録画して出かけたが、ありがたいことに、当ブログにトラックバックいただいた 「大津留公彦のブログ2」 の記事 『今朝の朝ズバの都知事候補討論会』 に紹介されている。この番組は、司会が大嫌いなみのもんたということもあり、ビデオは見ていないが、大津留さんのおかげで、討論のおおまかな内容はわかった。むろん、みのの司会だから、石原にとって厳しい討論にはならなかったことだろう。
大津留さんの記事で、ちょっと面白いなと思ったのは、「今の心境を歌かフレーズでいうと」という問いに対して、浅野史郎さんが中山千夏の「あなたの心に」を挙げたことだ。この歌については、私は全然知らないが、調べてみたら1964年の歌だという(Wikipedia 「中山千夏」 より)。この歌は、最近岩崎宏美もカバーしているのだそうだが、私が面白いと思ったのは歌のことではなく、中山千夏を私が初めて認識したのは、1977年の参院選の時だったからだ。この時、選挙に向けて「革新自由連合」が結成され、中山さんはその代表の一人となったが、当時28歳で、参院選の被選挙権のある30歳に達していなかったので、立候補はできなかった。その後、80年の参院選で当選したが、86年に落選し、以後国政から身を引いた。
その中山さんの歌を、「心境を表わす歌」として浅野さんがあげたことには興味深いものがある。
なお、吉田万三さんが美空ひばりの「柔」、黒川紀章氏が山本譲二の「みちのくひとり旅」を挙げたのに対し、石原は「千万人なりとも我往(ゆ)かん」という孟子の言葉を挙げたそうだが、日和見のチキン・石原が何を生意気なことを言うかと思った(笑)。郵政総選挙を前にしたテレビの政治番組で(フジの「報道2001」かテレビ朝日の「サンデープロジェクト」のいずれかだった。たぶん前者)、小林興起を擁護しようとして周りの冷たい視線を浴びた石原は、気圧されて小林擁護の言葉を発することができなくなったのを、私は目撃している。石原は、以後小林を見捨て、コイズミの軍門に下った。当時、石原とはなんと小心な男かと呆れ果てたものである。
さて、前置きがずいぶん長くなってしまった。ここからが本題である。
今日は、都知事選で石原に挑む浅野史郎さんの著書 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』 (岩波書店、2006年)を紹介したい。
過去6回行われたテレビでの都知事選有力候補の討論会で、石原に対する対立3候補のうち、一番目立ったのが黒川紀章氏であることは、衆目の一致するところだろう。とにかく、他の候補者の発言を遮って自説を延々と述べる。かなりいい加減なことでも、とうとうとまくし立てる。それに対し、浅野史郎氏と吉田万三氏は、真面目に石原都政の問題点を指摘していたが、両氏に対して少々堅い印象を持たれた視聴者も多いのではないかと思う。
浅野さんの著書 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』は、そんな浅野さんの印象を吹き飛ばすに足る本だ。浅野さんには10冊以上の著書があるが、この本は初めての書き下ろしだそうだ。
これは、浅野さんが宮城県知事を辞めてほどない2006年5月に発行された本で、オビに「これにて知事を卒業します。」と銘打たれており、寺島実郎さんの下記のような推薦文が書かれている。
先にリンクを張った、出版元の岩波書店のウェブページには、次のようなあおり文句が書かれている。
同書店のページをさらに開くと、前記寺島さんの推薦文のほか、著者・浅野史郎さんからのメッセージ、著者略歴、それに本の目次を見ることができる。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0234210/top.html
本は8章から成り、第1章「私が知事を辞めたわけ――57歳転職最後のチャンス」では、出馬すれば4選は間違いないといわれていた浅野氏が出馬しなかった理由を語っている。「権力は長く続けば、腐敗するとは言わないが、陳腐化する」として、最初から知事は3期12年と決めていたそうだ。
第2章 「組織スキャンダル――情報公開に聖域なし」には、宮城県庁の「食糧費」不正支出問題をめぐって、住民訴訟が起きたことをきっかけに、浅野県政が情報公開を進めた経緯が書かれている。
なお、「食糧費」とは、『霞が関の役人を接待した懇親会や、その他のパーティー、宴会の経費として使われている』(二重括弧は浅野氏の著書からの引用、以下同様)支出科目とのことだ。
都知事選を控えた現在、もっとも注目を引くのが第3章 「選挙は楽し――基盤なし借りなしで3選」 だろう。浅野さんが最初に宮城県知事選に出馬したのは1993年だが、この時は現職知事がゼネコン汚職で逮捕され辞職したことを受けての「出直し選挙」で、浅野さんは告示日のわずか3日前に出馬表明をした。「20対0で負けている野球の試合で、9回裏ツーアウト、ランナーなしの場面の打者だ」とまでいわれた浅野さんだが、みごと波を生み出して、『このままでは、いけない』 『みやぎの誇りを取り戻したい』と感じていた有権者に支持され、29万票対21万票という大差で、自民党、社会党、民社党の3党が推していた副知事を破って当選した。
2選目の1997年には、「県民一人ひとりが主役の選挙」をスローガンに、政党や団体からの推薦を拒んだ。自民党も新進党も浅野氏を推薦したいと申し入れてきたのに、これを断った挙句、当時国政では与党と野党に分かれていた自民・新進両党が組んで立ててきた対立候補を、ナント62万票対31万票の大差で破って再選を果たしたのである。
3選目の2001年には、自民党は対立候補を立てることができず不戦敗。浅野さんは共産党推薦の候補を53万票対8万8千票の大差で破った。
3度の選挙を通じ、浅野さんは県民が主役の選挙を心がけてきた。『選挙のありようが、当選後の知事のありようを決める』というのが浅野さんの持論である。その伝でいうと、「石原軍団」なるものに頼ってきたポピュリズム選挙を毎回展開している石原慎太郎が、東京都政を私物化するのは当然の成り行きということになるだろう(笑)。
さて、だいぶ長くなったので、第4章、第5章を飛ばして第6章 「福祉の現実と理想――障害者施設解体宣言」を紹介しよう。「障害者施設解体宣言」などというと驚かれる方も多いと思うが、これは、障害者を施設に押し込めるのではなく、地域全体で受け入れていこうというコンセプトに基づくもので、浅野さんは2004年に「解体宣言」を発表した。先進的な福祉政策といえると思う。
浅野さんは、1987年9月からの1年9か月間、厚生省児童家庭局障害福祉課長を務めたが、その経験が浅野さんの人生を変え、『障害福祉の仕事が、私にとってのライフワークになった』と書いている。この章はこの本の中でも特に印象に残る箇所なので、少し引用する。
この浅野さんの言葉と、府中療育センターを視察したあとの記者会見で、知的障害者に対して 「ああいう人ってのは人格があるのかね?」とほざいた石原の暴言とを比較して、それでも石原に投票するというのなら、どうぞご自由に、というしかない。私に言えるのは、そんな人は信用することができない、ということだけだ。
本の最後の第8章は、「知事の責任――県警犯罪捜査報償費」 と題された、宮城県警との確執を記述した章だ。この件についても石原は、「浅野さんが警察の機密まで公開しようとするから、宮城県警の検挙率が下がった」と、浅野氏批判の材料に使っているが、これはとんでもない言いがかりだ。浅野さんの本を読んでもらえばわかることだが、県警の捜査への協力者に対して支払われるはずの報償費の用途が不明で、県警幹部の懐に入れられてしまったのではないかという疑惑を解明しようとした浅野さんの県警に対する闘争であり、浅野さんに言わせれば『知事という権力と県警本部長という権力のぶつかり合い』だった。浅野さんは県警と激しくやり合ったあげく、県警犯罪捜査報償費の予算執行を停止するという強硬手段に出たのだが、理がどちらにあるかはあまりに明らかだろう。この章での浅野さんの文章には、特に力が入っていて、県警との激しいバトルの様子が生々しく伝わってくるので、読んでいてとても面白い。
こういういきさつの件だから、これを 「情報公開の負の部分」 ととらえるのは問題のすり替えである。石原の主張は、彼がうしろ暗い部分をずいぶん持っているために、警察に恩を売って自らを守ってもらおうと思っているのではないか、などとついつい勘繰りたくなってしまう(笑)。
まあ、石原のことはともかく、この章は結局浅野さんがやり遂げることができず、浅野さん辞職のあと、自民党推薦で当選した村井嘉浩知事は、あっさり予算執行停止を解除してしまった。2005年の知事選は、郵政選挙で自民党が圧勝した直後に行われ、宮城県にもコイズミチルドレンの杉村太蔵が応援にくるなど、馬鹿騒ぎの延長戦をやった結果、村井氏が、浅野さんが推した前葉泰幸候補と共産党推薦の出浦秀隆候補を破って当選してしまったのだ。
この問題に関して、章の終わりに浅野さんは以下のように書いている。
この本は、浅野史郎さん支持派はもちろん、「敵を知る」意味からも、吉田万三さん支持派や黒川紀章さん支持派、それに石原慎太郎都知事支持派にも是非一読をおすすめしたい。
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今回は、18日のフジテレビ「報道2001」で石原慎太郎が袋叩きにあった築地市場の移転問題や「新銀行東京」の問題は扱わず、福祉問題を中心に扱ったが、テレビ討論会も6回目ともなると、各候補の話す内容もだいたいわかってきたこともあり、あまり印象に残らない内容だった。なお、首都圏以外は10時前に番組終了となり、あるいは10時以降も関東では討論の続きが見られたのかもしれないが、私は地方在住なので見ることができなかった。
テレビ討論会は、6回のうち昨日(3月20日)放送された「朝ズバッ!」以外はすべて見た。「朝ズバッ!」は、仕事に出なければならないので見ることができず、録画して出かけたが、ありがたいことに、当ブログにトラックバックいただいた 「大津留公彦のブログ2」 の記事 『今朝の朝ズバの都知事候補討論会』 に紹介されている。この番組は、司会が大嫌いなみのもんたということもあり、ビデオは見ていないが、大津留さんのおかげで、討論のおおまかな内容はわかった。むろん、みのの司会だから、石原にとって厳しい討論にはならなかったことだろう。
大津留さんの記事で、ちょっと面白いなと思ったのは、「今の心境を歌かフレーズでいうと」という問いに対して、浅野史郎さんが中山千夏の「あなたの心に」を挙げたことだ。この歌については、私は全然知らないが、調べてみたら1964年の歌だという(Wikipedia 「中山千夏」 より)。この歌は、最近岩崎宏美もカバーしているのだそうだが、私が面白いと思ったのは歌のことではなく、中山千夏を私が初めて認識したのは、1977年の参院選の時だったからだ。この時、選挙に向けて「革新自由連合」が結成され、中山さんはその代表の一人となったが、当時28歳で、参院選の被選挙権のある30歳に達していなかったので、立候補はできなかった。その後、80年の参院選で当選したが、86年に落選し、以後国政から身を引いた。
その中山さんの歌を、「心境を表わす歌」として浅野さんがあげたことには興味深いものがある。
なお、吉田万三さんが美空ひばりの「柔」、黒川紀章氏が山本譲二の「みちのくひとり旅」を挙げたのに対し、石原は「千万人なりとも我往(ゆ)かん」という孟子の言葉を挙げたそうだが、日和見のチキン・石原が何を生意気なことを言うかと思った(笑)。郵政総選挙を前にしたテレビの政治番組で(フジの「報道2001」かテレビ朝日の「サンデープロジェクト」のいずれかだった。たぶん前者)、小林興起を擁護しようとして周りの冷たい視線を浴びた石原は、気圧されて小林擁護の言葉を発することができなくなったのを、私は目撃している。石原は、以後小林を見捨て、コイズミの軍門に下った。当時、石原とはなんと小心な男かと呆れ果てたものである。
さて、前置きがずいぶん長くなってしまった。ここからが本題である。
今日は、都知事選で石原に挑む浅野史郎さんの著書 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』 (岩波書店、2006年)を紹介したい。
過去6回行われたテレビでの都知事選有力候補の討論会で、石原に対する対立3候補のうち、一番目立ったのが黒川紀章氏であることは、衆目の一致するところだろう。とにかく、他の候補者の発言を遮って自説を延々と述べる。かなりいい加減なことでも、とうとうとまくし立てる。それに対し、浅野史郎氏と吉田万三氏は、真面目に石原都政の問題点を指摘していたが、両氏に対して少々堅い印象を持たれた視聴者も多いのではないかと思う。
浅野さんの著書 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』は、そんな浅野さんの印象を吹き飛ばすに足る本だ。浅野さんには10冊以上の著書があるが、この本は初めての書き下ろしだそうだ。
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これは、浅野さんが宮城県知事を辞めてほどない2006年5月に発行された本で、オビに「これにて知事を卒業します。」と銘打たれており、寺島実郎さんの下記のような推薦文が書かれている。
「浅野史郎ほど爽やかに筋を通す人物を知らない。彼の知事としての12年は地方の在り方だけではなく日本の針路にとって示唆的である。」
(浅野史郎 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』(岩波書店、2006年)への寺島実郎さんの推薦文)
先にリンクを張った、出版元の岩波書店のウェブページには、次のようなあおり文句が書かれている。
これにて知事を卒業します」.突然の不出馬宣言は県民を驚かせた.「宮城県の誇りを取り戻す」一心で取り組んできた12年間,ユニークな選挙,議会との激しい応酬,障害者施設解体宣言の衝撃,県警とのバトル,楽天イーグルス誘致の内幕.そこには地方発改革断行に賭ける強固な意志が貫かれ,知事業にともなう喜怒哀楽が溢れていた.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/8/0234210.html
同書店のページをさらに開くと、前記寺島さんの推薦文のほか、著者・浅野史郎さんからのメッセージ、著者略歴、それに本の目次を見ることができる。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0234210/top.html
本は8章から成り、第1章「私が知事を辞めたわけ――57歳転職最後のチャンス」では、出馬すれば4選は間違いないといわれていた浅野氏が出馬しなかった理由を語っている。「権力は長く続けば、腐敗するとは言わないが、陳腐化する」として、最初から知事は3期12年と決めていたそうだ。
第2章 「組織スキャンダル――情報公開に聖域なし」には、宮城県庁の「食糧費」不正支出問題をめぐって、住民訴訟が起きたことをきっかけに、浅野県政が情報公開を進めた経緯が書かれている。
なお、「食糧費」とは、『霞が関の役人を接待した懇親会や、その他のパーティー、宴会の経費として使われている』(二重括弧は浅野氏の著書からの引用、以下同様)支出科目とのことだ。
都知事選を控えた現在、もっとも注目を引くのが第3章 「選挙は楽し――基盤なし借りなしで3選」 だろう。浅野さんが最初に宮城県知事選に出馬したのは1993年だが、この時は現職知事がゼネコン汚職で逮捕され辞職したことを受けての「出直し選挙」で、浅野さんは告示日のわずか3日前に出馬表明をした。「20対0で負けている野球の試合で、9回裏ツーアウト、ランナーなしの場面の打者だ」とまでいわれた浅野さんだが、みごと波を生み出して、『このままでは、いけない』 『みやぎの誇りを取り戻したい』と感じていた有権者に支持され、29万票対21万票という大差で、自民党、社会党、民社党の3党が推していた副知事を破って当選した。
2選目の1997年には、「県民一人ひとりが主役の選挙」をスローガンに、政党や団体からの推薦を拒んだ。自民党も新進党も浅野氏を推薦したいと申し入れてきたのに、これを断った挙句、当時国政では与党と野党に分かれていた自民・新進両党が組んで立ててきた対立候補を、ナント62万票対31万票の大差で破って再選を果たしたのである。
3選目の2001年には、自民党は対立候補を立てることができず不戦敗。浅野さんは共産党推薦の候補を53万票対8万8千票の大差で破った。
3度の選挙を通じ、浅野さんは県民が主役の選挙を心がけてきた。『選挙のありようが、当選後の知事のありようを決める』というのが浅野さんの持論である。その伝でいうと、「石原軍団」なるものに頼ってきたポピュリズム選挙を毎回展開している石原慎太郎が、東京都政を私物化するのは当然の成り行きということになるだろう(笑)。
さて、だいぶ長くなったので、第4章、第5章を飛ばして第6章 「福祉の現実と理想――障害者施設解体宣言」を紹介しよう。「障害者施設解体宣言」などというと驚かれる方も多いと思うが、これは、障害者を施設に押し込めるのではなく、地域全体で受け入れていこうというコンセプトに基づくもので、浅野さんは2004年に「解体宣言」を発表した。先進的な福祉政策といえると思う。
浅野さんは、1987年9月からの1年9か月間、厚生省児童家庭局障害福祉課長を務めたが、その経験が浅野さんの人生を変え、『障害福祉の仕事が、私にとってのライフワークになった』と書いている。この章はこの本の中でも特に印象に残る箇所なので、少し引用する。
「障害者の存在が社会のありように関わる」ということも漠然と感じることになった。そんなことから、障害福祉の仕事は人間存在そのものに関わること、人道的だとか、あわれみの心とかで表現されるものではなく、むしろ自分たちの住む社会を住みやすくするためのプロジェクトではないかと思い、自分にとって一生ものの仕事になるのではないかという予感がしたのである。
(浅野史郎 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』 (岩波書店、2006年) 170頁)
この浅野さんの言葉と、府中療育センターを視察したあとの記者会見で、知的障害者に対して 「ああいう人ってのは人格があるのかね?」とほざいた石原の暴言とを比較して、それでも石原に投票するというのなら、どうぞご自由に、というしかない。私に言えるのは、そんな人は信用することができない、ということだけだ。
本の最後の第8章は、「知事の責任――県警犯罪捜査報償費」 と題された、宮城県警との確執を記述した章だ。この件についても石原は、「浅野さんが警察の機密まで公開しようとするから、宮城県警の検挙率が下がった」と、浅野氏批判の材料に使っているが、これはとんでもない言いがかりだ。浅野さんの本を読んでもらえばわかることだが、県警の捜査への協力者に対して支払われるはずの報償費の用途が不明で、県警幹部の懐に入れられてしまったのではないかという疑惑を解明しようとした浅野さんの県警に対する闘争であり、浅野さんに言わせれば『知事という権力と県警本部長という権力のぶつかり合い』だった。浅野さんは県警と激しくやり合ったあげく、県警犯罪捜査報償費の予算執行を停止するという強硬手段に出たのだが、理がどちらにあるかはあまりに明らかだろう。この章での浅野さんの文章には、特に力が入っていて、県警との激しいバトルの様子が生々しく伝わってくるので、読んでいてとても面白い。
こういういきさつの件だから、これを 「情報公開の負の部分」 ととらえるのは問題のすり替えである。石原の主張は、彼がうしろ暗い部分をずいぶん持っているために、警察に恩を売って自らを守ってもらおうと思っているのではないか、などとついつい勘繰りたくなってしまう(笑)。
まあ、石原のことはともかく、この章は結局浅野さんがやり遂げることができず、浅野さん辞職のあと、自民党推薦で当選した村井嘉浩知事は、あっさり予算執行停止を解除してしまった。2005年の知事選は、郵政選挙で自民党が圧勝した直後に行われ、宮城県にもコイズミチルドレンの杉村太蔵が応援にくるなど、馬鹿騒ぎの延長戦をやった結果、村井氏が、浅野さんが推した前葉泰幸候補と共産党推薦の出浦秀隆候補を破って当選してしまったのだ。
この問題に関して、章の終わりに浅野さんは以下のように書いている。
犯罪捜査報償費問題に決着をつけるということなしに、宮城県知事を退任することになったのは、確かに心残りである。しかし、負け惜しみで言うのではなく、真実は何年かかったとしても、必ずや明らかになると信じている。その時には、快哉(かいさい)を叫ぶという気持ちにはならないだろうが、自分として最善を尽くしたという自負を持つことだけはできるだろうと思っている。
(浅野史郎 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』 (岩波書店、2006年) 233頁)
この本は、浅野史郎さん支持派はもちろん、「敵を知る」意味からも、吉田万三さん支持派や黒川紀章さん支持派、それに石原慎太郎都知事支持派にも是非一読をおすすめしたい。
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このところ、当ブログでは連日、東京都知事選の話題を扱っている。四国の田舎者が何を言うか、と思われるむきもあるかもしれないが、私は過去にはのべ7年間ほど東京都民だった時代もある。7日と8日の記事で触れた下北沢にも友人の家があって、何度か訪ねたことがあるし、東京の西部には割と土地勘があるほうだ。
さて、62年前の今日は、その東京が大空襲に見舞われた日だ。今日は、この東京大空襲をはじめとする戦争体験を語り継ぐ目的で出版された本を紹介したい。
東京新聞社会部編 『あの戦争を伝えたい』 (岩波書店、2006年)である。
この本は、2005年の終戦60周年を機に「東京新聞」に連載された記事をまとめたものだ。3月10日の東京大空襲に関しても、『「敵国の母」祈りは海を越え』、『絵で語る「地獄の橋」』、『母への思い、悔悟の心』の3本の記事が収録されている。
ネット検索したら、著者である当時の東京新聞社会部長(現論説委員)の菅沼堅吾さんが専修大学育友会の会報「育友」に寄せた文章が見つかったので、紹介する。
http://www.ikuyuu.com/newsletter/107/p43.html
以下引用する。
この本は、できるだけ多くの方、特に若い方々に読んでほしい本だ。
当ブログでも、微力ながら戦争体験を語り継ぐ記事を時折掲載している。読者からのコメントを集めたエントリもあるので、未読の方には是非ご覧いただきたいと思う。
リンク先の記事の中から、「あんち・アンチエイジング・メロディ」の管理人・メロディさんのコメントを再掲する。
私が当ブログでしばしば書くことだが、この世には、絶対に忘れてはならない事柄というのが存在すると思う。戦争体験というのは、その最たるものだろう。
東京大空襲の日である今日、3月10日に、あらためて戦争の悲惨さに思いを致すとともに、都政を二期八年にわたって戦争大好きの極右・石原慎太郎に委ねてきた恥辱に思いを致し、きたる都知事選では、この好戦家を何が何でも権力の座から引きずり下ろさなければならないという思いを新たにしたいものだ。
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さて、62年前の今日は、その東京が大空襲に見舞われた日だ。今日は、この東京大空襲をはじめとする戦争体験を語り継ぐ目的で出版された本を紹介したい。
東京新聞社会部編 『あの戦争を伝えたい』 (岩波書店、2006年)である。
この本は、2005年の終戦60周年を機に「東京新聞」に連載された記事をまとめたものだ。3月10日の東京大空襲に関しても、『「敵国の母」祈りは海を越え』、『絵で語る「地獄の橋」』、『母への思い、悔悟の心』の3本の記事が収録されている。
ネット検索したら、著者である当時の東京新聞社会部長(現論説委員)の菅沼堅吾さんが専修大学育友会の会報「育友」に寄せた文章が見つかったので、紹介する。
http://www.ikuyuu.com/newsletter/107/p43.html
以下引用する。
『あの戦争を伝えたい』発刊に際して
『あの戦争を伝えたい』(東京新聞社会部編、岩波書店)は戦後60年の昨年、東京新聞に通年で連載された「記憶〜新聞記者が受け継ぐ戦争」の企画を本にまとめたものです。世代を超えて読まれることを目指していますが、やはり戦争を知らない世代、特に若者に読んでもらいたいと願っています。『育友』で紹介できる機会をいただき、感謝しています。
実はこの本自体、20代の記者が3年前の夏から取り組んでいる企画の延長線上にあります。当時、戦争体験者への取材経験が若い記者にあまりないことを知りました。これでは報道する側が、戦争の風化を後押ししているようなものです。
8月の終戦記念日の前後だけでも毎年、20代の記者が交代で戦争体験者の記憶を受け継ぐ企画を連載しよう。社会部内で話し合い、こんな結論になりました。読者からの反響は予想以上に大きく、若い記者には励みになったようです。
戦後60年の節目の年には記者の「年齢制限」をやめて、部員全員で取り組むことにしました。1955年生まれの私が最年長という社会部の年齢構成です。 20代の記者にあれこれ言うほど、みんな戦争を知らないと反省したからです。今取材しないと直接話を聞ける機会を永遠に失ってしまう。こんな焦燥感もありました。
17人の部員が自分が知りたい戦争について取材しました。当然ながらテーマは東京大空襲、戦艦大和、沖縄戦、原爆投下、回天特攻、中国や韓国での加害、シベリア抑留、BC級戦犯、満州棄民、キリスト教徒弾圧、米兵になった日系二世などと多岐にわたりました。取材上の原則は無名の庶民にとっての戦争を伝えることです。無名の庶民の戦争は、戦死者数などの数字に置き換えられかねません。それでは「戦争とは何か」が人々の心に届くことはないでしょう。
取材には戦争体験者の記憶を自分の心に刻み込む決意で臨むことも確認しました。加害など戦争の生々しい体験を聞き出すことは簡単ではありません。「受け継ぐ」という強い気持ちがあって初めて、「話したくない」という心の壁を突破できるのです。
加害、被害の両面を含め、戦争の全体像を浮かび上がらせることができたのでは、と思っています。過去と向き合うことで今を、そして未来をどうすべきかしっかり考えてほしい。これが編者の願いです。今の日本は再び戦争に向かって歩んでいないか。戦争体験者の憂いの声が私たちの元に届いています。
在学生の感想文を読ませてもらいました。いずれも編者の想定を超える深い考察です。「願いはかなう」という希望を持つことができました。森敦さんは今も戦争中とは異なる「貧困さ」と「不自由さ」が社会にあることを指摘。「豊かな」「自由な」社会を築く決意を述べています。そのことが平和な社会を、世界を築くことにつながると分かっているのでしょう。
金城芽里さんは沖縄出身ですが、沖縄でも戦争は風化しているようです。伝えていくことより人の記憶の薄れがいかに早いかを実感しているのです。それでも「自分には関係ない」と考えず、戦争体験者の「想い」を次の世代に伝えていこうと呼びかけています。
専大に今春入学した二男に本を渡しました。読み終わった時、何を考えたか聞きたいと思っています。未来を切り開くのは若者です。その若者に自分たちの体験を伝えるのは年長者の役割です。過去の教訓を生かせず、同じ過ちを繰り返すことほど愚かなことはありません。
(専修大学育友会会報「育友」より 菅沼堅吾氏の寄稿)
この本は、できるだけ多くの方、特に若い方々に読んでほしい本だ。
当ブログでも、微力ながら戦争体験を語り継ぐ記事を時折掲載している。読者からのコメントを集めたエントリもあるので、未読の方には是非ご覧いただきたいと思う。
「きまぐれな日々」より 『コメント特集〜戦争反対の小さな声』
(2006年12月23日付記事)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-208.html
リンク先の記事の中から、「あんち・アンチエイジング・メロディ」の管理人・メロディさんのコメントを再掲する。
私の父は、戦争で直接間接に妻とこどもを亡くしていますし、自分もシベリアに抑留されています。外地で暮らしていて、たまたま東京大空襲の直後に東京に戻り、焼け野原を見て敗戦を確信したと言っていました。戦争で犠牲になるのはいつも庶民です.安倍政権を支持する若者はそのことをどう思っているのかいつも疑問です。
2006.12.21 10:24 (メロディさんのコメント)
私が当ブログでしばしば書くことだが、この世には、絶対に忘れてはならない事柄というのが存在すると思う。戦争体験というのは、その最たるものだろう。
東京大空襲の日である今日、3月10日に、あらためて戦争の悲惨さに思いを致すとともに、都政を二期八年にわたって戦争大好きの極右・石原慎太郎に委ねてきた恥辱に思いを致し、きたる都知事選では、この好戦家を何が何でも権力の座から引きずり下ろさなければならないという思いを新たにしたいものだ。
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「年末年始に読んだ本」のシリーズは、今回が最終回。結局、1月17日までかかってしまった。12年前の今日、阪神大震災が起きた。忘れてはならない日だ。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、今も苦しまれている被災者の方に心からお見舞い申し上げるとともに、天災が起きた時に人災で被害を拡大させないための予防が必要だと思う。そのためにも、耐震偽装問題は、絶対にゆるがせにはできない。3日前にも書いたが、今日は、ヒューザー小嶋進社長の証人喚問からまる1年が経過した日、つまり、民主党の馬淵澄夫議員が「安晋会」の存在を暴いてからまる1年が経過した日でもある。
さて、「安晋会」といえば、安倍晋三の非公式後援会である。宮崎学&近代の深層研究会編「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」(同時代社、2006年)は、最後の第8章「虎を画いてならずんば−安倍晋三は何を継ぐのか」で、安倍晋三を、その母方の祖父・岸信介に絡めて論じている。
この章は、まるまる引き写してブログに掲載したいほど面白いが、そうもいかないので、概略をかいつまんで紹介する。
まず、安倍晋三の略歴だが、1954年9月21日、安倍晋太郎、洋子の次男として生まれた。現在52歳。
小学校から大学まで成蹊学園で過ごした。安倍晋三本人によると、祖父の岸信介が成蹊への入学を推奨したとのことだ。高校時代の安倍の同級生は、存在感の薄いことで逆に安倍を記憶しているという。
そういえば、栗本慎一郎さんはコイズミのことを「影の薄い男」と評していた。漫画のお好きな方なら、浦沢直樹の「20世紀少年」に出てくる、カルト宗教の指導者にして独裁政治家・「ともだち」を連想されるかもしれない。
安倍は大学卒業後、南カリフォルニア大学に遊学するなどブラブラしたあと、神戸製鋼所に入社したが、ニューヨーク支社勤務のあと、帰国して加古川工場に転勤した時は、精神的にきつかったらしい。宮崎さんによると、安倍は労働のきつさに耐えられず、数ヶ月間「静養」のため現場から消えたこともあったという。周囲には「蒸発」に見えたとのことだ。当時の同僚で、安倍が政治家になるなどと想像した人は、誰もいなかったことだろう。
よく知られているように、衆議院議員の平沢勝栄は、東大生時代安倍晋三の家庭教師をしていた。その平沢の思い出を、宮崎さんの本から引用、紹介する。朝日新聞記事からの孫引きである。
いかにもボンボンの安倍らしいエピソードだ。しかしその安倍は、父・安倍晋太郎の死去のあと、後継者として政界にデビューすると、北朝鮮の拉致被害者問題に取り組み、対北朝鮮強硬派として名をあげていく。
安倍が世間を驚かせたのは、小泉内閣の官房副長官を務めていた頃の2002年5月13日に、早稲田大学で行った講演会での発言である。これは、「サンデー毎日」の2002年6月2日号で、「政界激震 安倍晋三官房副長官が語ったものすごい中身−核兵器の使用は違憲ではない」というタイトルの記事でスクープされ、世に知られるところとなった。当ブログでもこの件については何度も取り上げているが、宮崎さんの本から改めて引用する。
この講演会で、安倍は岸が「戦術核の使用は違憲ではない」と答弁したと言っているが、月刊「現代」2006年9月号で、作家の吉田司さんが指摘しているようにこれは誤りで、岸は「戦術核の保有は違憲ではない」と答弁したのであって、使用まで違憲ではないとは言っていない。なお、吉田司さんの記事については、当ブログの昨年8月4日付エントリ「DNA政治主義者・安倍晋三の怪しい知性」で紹介したことがある(吉田さんの記事は、宮崎さんの本でも参考文献として挙げられている)。
この件に限らず、安倍が掲げているタカ派政策の数々は、ここで列挙するまでもあるまい。
宮崎さんは、何がそこまで安倍晋三を駆り立てるのかを分析し、実は安倍には自信がない、「闘う」ポーズは自信のなさの現れだ(よく、弱い犬ほどよく吼えるという=kojitakenの感想w)、彼には長い間の鬱憤があるという。
まず、東大卒ばかりがずらりと揃っている名家にあって、成蹊大学卒であることのコンプレックス(宮崎さんはここまではっきりとは書いていないが、言いたいのは明らかにそういうことだ)。宮崎さんは下記のように書いている。
もう一つの鬱憤として、祖父の岸信介が世間から厳しい批判を浴びていたことからくる被害者意識を挙げている。
安倍の政治手法については、宮崎さんは下記のように指摘している。
これは、いうまでもなく「コイズミ劇場」と同じ手法である。コイズミは、この手法で政権の支持率を浮揚させた。もちろん、宮崎さんも同様の指摘をしたあと、こう書いている。
私は、安倍は現実に総理大臣になってみて初めてコイズミの劇場型政治の限界を悟ったのだろうと推測している。安倍はたぶん、コイズミのような良心のかけらもない非人間とは違って、もともとは常識も持っていた人間なのだろうと思う。だから、コイズミのような劇場を演出できない。これが、安倍内閣の支持率が低下している一因だろうと思う。
宮崎さんは、安倍を凡庸な人間であるとして、その凡庸さが時代に合っているのかもしれないと書いている。そして、その反面の、凡庸であるがゆえの危うさを指摘している。彼には決定的に想像力が欠如しているのだという。
宮崎さんが挙げた例は、安倍が好んでいるというテレビドラマ「大草原の小さな家」だ。安倍は、このドラマに描かれた家族の助け合いの姿が大好きなのだという。それに対し宮崎さんは、白人の「開拓」によって生きるべき大地を奪われていった先住民族の悲哀や怒りを安倍は理解することができなかった、それを安倍に理解せよと望むのはどだい無理かもしれないが、と書いている。
最近では、「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WCE)をめぐる安倍のノーテンキな発言が、安倍の想像力欠如を示す絶好の例だといえるだろう。世論の反発によって、さしもの安倍政権も、WCEの法律への導入を取り下げざるを得なくなった。安倍政権の大きな失点の一つといえるだろう。
安倍は、「美しい国へ」の中で、お国のために死んでいった特攻隊員を絶賛しているが、彼らの心情に思いを致す想像力も当然安倍にはない。
ネットウヨたちも、本気で戦死したいとは思っていないだろうから、お国のために死んでいった戦士たちを称揚し、戦争を美化する安倍の「美しい国へ」を読んでも、陶酔なんかしないんじゃなかろうか。私はそう想像する。
岸信介は、信念を持って国民を戦争に導いた、「A級戦犯」として断罪されるにふさわしい政治家だった。一方、安倍晋三は、名家にさえ生まれなければ、ごく平凡な男だ。
章をしめくくる宮崎さんの文章は、特に印象的だ。以下に引用する。
安倍晋三に読ませてやりたい文章だ。
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さて、「安晋会」といえば、安倍晋三の非公式後援会である。宮崎学&近代の深層研究会編「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」(同時代社、2006年)は、最後の第8章「虎を画いてならずんば−安倍晋三は何を継ぐのか」で、安倍晋三を、その母方の祖父・岸信介に絡めて論じている。
この章は、まるまる引き写してブログに掲載したいほど面白いが、そうもいかないので、概略をかいつまんで紹介する。
まず、安倍晋三の略歴だが、1954年9月21日、安倍晋太郎、洋子の次男として生まれた。現在52歳。
小学校から大学まで成蹊学園で過ごした。安倍晋三本人によると、祖父の岸信介が成蹊への入学を推奨したとのことだ。高校時代の安倍の同級生は、存在感の薄いことで逆に安倍を記憶しているという。
そういえば、栗本慎一郎さんはコイズミのことを「影の薄い男」と評していた。漫画のお好きな方なら、浦沢直樹の「20世紀少年」に出てくる、カルト宗教の指導者にして独裁政治家・「ともだち」を連想されるかもしれない。
安倍は大学卒業後、南カリフォルニア大学に遊学するなどブラブラしたあと、神戸製鋼所に入社したが、ニューヨーク支社勤務のあと、帰国して加古川工場に転勤した時は、精神的にきつかったらしい。宮崎さんによると、安倍は労働のきつさに耐えられず、数ヶ月間「静養」のため現場から消えたこともあったという。周囲には「蒸発」に見えたとのことだ。当時の同僚で、安倍が政治家になるなどと想像した人は、誰もいなかったことだろう。
よく知られているように、衆議院議員の平沢勝栄は、東大生時代安倍晋三の家庭教師をしていた。その平沢の思い出を、宮崎さんの本から引用、紹介する。朝日新聞記事からの孫引きである。
「安倍氏を自分が通う東大の駒場祭に連れて行ったときのことだ。騒然としたキャンパス内には、当時の佐藤栄作内閣を批判する立て看板があふれ、学生たちは『反佐藤』を叫んでいた。安倍氏は成蹊学園とは対極のような駒場の雰囲気に驚き、『どうして反佐藤なの?』と何度も尋ねてきた」
(「朝日新聞」 2006年8月25日付紙面より)
いかにもボンボンの安倍らしいエピソードだ。しかしその安倍は、父・安倍晋太郎の死去のあと、後継者として政界にデビューすると、北朝鮮の拉致被害者問題に取り組み、対北朝鮮強硬派として名をあげていく。
安倍が世間を驚かせたのは、小泉内閣の官房副長官を務めていた頃の2002年5月13日に、早稲田大学で行った講演会での発言である。これは、「サンデー毎日」の2002年6月2日号で、「政界激震 安倍晋三官房副長官が語ったものすごい中身−核兵器の使用は違憲ではない」というタイトルの記事でスクープされ、世に知られるところとなった。当ブログでもこの件については何度も取り上げているが、宮崎さんの本から改めて引用する。
特集記事は、安倍がこの年の5月、早稲田大学で行った講演内容を報道したものである。そこで安倍は「ものすごい」ことを語っていた。田原総一朗が「有事法制ができても北朝鮮のミサイル基地は攻撃できないでしょう? 先制攻撃だから」というのに対して、こう答えた。
「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのですけれども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』とみなすんです。……この基地をたたくことはできるんです」
つづけてこんなことも言っている。
「大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。(しかし)日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは非核三原則があるからやりませんけれども、戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がなされています」
要するにここで安倍晋三は、ミサイル燃料注入段階で攻撃しても専守防衛であり、攻撃は兵士が行くと派兵になるが、ミサイルを撃ち込むのは問題ない、日本はそのためにICBMを持てるし、憲法上問題はない、小型核兵器なら核保有はもちろん核使用も憲法上認められている、とぶち上げたのだった。「ICBMは攻撃兵器だから持てない」という政府見解にも反する意見だった。
(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)
この講演会で、安倍は岸が「戦術核の使用は違憲ではない」と答弁したと言っているが、月刊「現代」2006年9月号で、作家の吉田司さんが指摘しているようにこれは誤りで、岸は「戦術核の保有は違憲ではない」と答弁したのであって、使用まで違憲ではないとは言っていない。なお、吉田司さんの記事については、当ブログの昨年8月4日付エントリ「DNA政治主義者・安倍晋三の怪しい知性」で紹介したことがある(吉田さんの記事は、宮崎さんの本でも参考文献として挙げられている)。
この件に限らず、安倍が掲げているタカ派政策の数々は、ここで列挙するまでもあるまい。
宮崎さんは、何がそこまで安倍晋三を駆り立てるのかを分析し、実は安倍には自信がない、「闘う」ポーズは自信のなさの現れだ(よく、弱い犬ほどよく吼えるという=kojitakenの感想w)、彼には長い間の鬱憤があるという。
まず、東大卒ばかりがずらりと揃っている名家にあって、成蹊大学卒であることのコンプレックス(宮崎さんはここまではっきりとは書いていないが、言いたいのは明らかにそういうことだ)。宮崎さんは下記のように書いている。
おそらくは安倍晋三は尊敬する岸信介が「当たり前」と思ったようにはいかなかった。安倍家にとっても同様だっただろう(安倍晋三の父・安倍晋太郎は東大卒である)。「目立たない若者」であった安倍にとって、そのこと自体が人生の蹉跌だったのではないか、そう推測されるのだ。
(前掲書より)
もう一つの鬱憤として、祖父の岸信介が世間から厳しい批判を浴びていたことからくる被害者意識を挙げている。
安倍の政治手法については、宮崎さんは下記のように指摘している。
彼(安倍晋三)は〈敵〉を求めている。「闘い」の相手を求めている。安倍晋三にとってのキーワードは自分への「批判」「攻撃」である。自分を被害者に仕立て上げ、その上で〈加害者〉に反撃を加える。「批判を恐れずに行動する」、安倍が本書(注:「美しい国へ」)の中で何度も繰り返しているこのフレーズはそのような構造を持っている。
(前掲書より)
これは、いうまでもなく「コイズミ劇場」と同じ手法である。コイズミは、この手法で政権の支持率を浮揚させた。もちろん、宮崎さんも同様の指摘をしたあと、こう書いている。
こうしていくつもの小劇場を積み重ねていってどうにもならない流れをつくればいい。そのころには、辺見庸もいうように「劇を喜ばない者たちにはシニシズムが蔓延」していることだろう。
だが、こうした劇場型政治の蔓延は、他方において政治家たちをもしばるのだ。劇場政治の面白さを知りこれに慣れた民衆は、もっと「分かりやすい」、もっと「魂を揺さぶる」、もっと「刺激的な」劇場を要求するようになる。メディアは劇場の興行がうま味のある商売だと知った。興行を打ってくれ、ネタを教えてくれと声を上げる。持ちつ持たれつの関係。これは政治家もまた劇場から逃れられないことを意味するのだ。観客が芝居をつくる。それは政治家たちがサポーターの熱狂を無視できなくなるということでもある。「アンコール!」の声に満面の笑みで再登場する役者たちのように。
(前掲書より)
私は、安倍は現実に総理大臣になってみて初めてコイズミの劇場型政治の限界を悟ったのだろうと推測している。安倍はたぶん、コイズミのような良心のかけらもない非人間とは違って、もともとは常識も持っていた人間なのだろうと思う。だから、コイズミのような劇場を演出できない。これが、安倍内閣の支持率が低下している一因だろうと思う。
宮崎さんは、安倍を凡庸な人間であるとして、その凡庸さが時代に合っているのかもしれないと書いている。そして、その反面の、凡庸であるがゆえの危うさを指摘している。彼には決定的に想像力が欠如しているのだという。
宮崎さんが挙げた例は、安倍が好んでいるというテレビドラマ「大草原の小さな家」だ。安倍は、このドラマに描かれた家族の助け合いの姿が大好きなのだという。それに対し宮崎さんは、白人の「開拓」によって生きるべき大地を奪われていった先住民族の悲哀や怒りを安倍は理解することができなかった、それを安倍に理解せよと望むのはどだい無理かもしれないが、と書いている。
最近では、「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WCE)をめぐる安倍のノーテンキな発言が、安倍の想像力欠如を示す絶好の例だといえるだろう。世論の反発によって、さしもの安倍政権も、WCEの法律への導入を取り下げざるを得なくなった。安倍政権の大きな失点の一つといえるだろう。
安倍は、「美しい国へ」の中で、お国のために死んでいった特攻隊員を絶賛しているが、彼らの心情に思いを致す想像力も当然安倍にはない。
ネットウヨたちも、本気で戦死したいとは思っていないだろうから、お国のために死んでいった戦士たちを称揚し、戦争を美化する安倍の「美しい国へ」を読んでも、陶酔なんかしないんじゃなかろうか。私はそう想像する。
岸信介は、信念を持って国民を戦争に導いた、「A級戦犯」として断罪されるにふさわしい政治家だった。一方、安倍晋三は、名家にさえ生まれなければ、ごく平凡な男だ。
章をしめくくる宮崎さんの文章は、特に印象的だ。以下に引用する。
中国の古典、十八史略の東漢光武帝の項に、
「虎を画(えが)いて成らずんば、反(かえ)って狗(いぬ)に類するなり」
という言葉がある。
虎の画を描いてうまくいかないと、まるで狗の画みたいになってしまうことがある。そうなってしまったら物笑いの種になるだけだ。
俺は虎だぞといきがっても、実質がともなわないと、まるで狗みたいになってしまうだけだ。そうなったら、物笑いの種になるだけではない。もっと恐ろしいことになる。
その資質のない者が英雄豪傑気質を気取ると大変なことになる−−そういって、馬援が兄の子を戒めた言葉である。
安倍晋三総理、みずからを虎に描くのはおやめになったらどうか。
あなたのお祖父さんは、たしかに虎だった。後藤田さん(注:故後藤田正晴氏)がいっていたように、かなり恐ろしい虎だった。でも、あなたは虎ではない。虎にはなれない。虎になる必要もない。それなのに、ブレーンたちがあなたの耳に吹き込むささやきにしたがって、自らを虎に描いたなら、どうなるか、あなたは狗になってしまうのだ。
そうして、自分が虎だと思い込んでいる狗が、まわりに住んでいる動物たちに吼えかかっているうちに、本当の虎が出てきたらどうするのだろうか。そのときは、われわれが自分の命をかけて、その虎と闘わなければならないのだ。
それは、みずからが一匹の虎であったあなたのお祖父さんが、われわれの父母、祖父母に強いたことであった。それによって何百万人がいのちを失い、何千万人がくらしを失ったことか。一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてなのか。われらの祖父母は悲劇のうちに死に、われらは喜劇のうちに死ぬのか。
安倍さん、あなたは、それを継ぐのか。
(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)
安倍晋三に読ませてやりたい文章だ。
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昨日のエントリに引き続いて、宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社、2006年)を紹介する。
この本は、最初の部分はかなり読みにくいが、あとの方ほど面白い。昨日紹介した、A級戦犯容疑者だった岸が、起訴を免れ、アメリカの後押しを得て不死鳥のように甦り、ついに総理大臣に上り詰めた経緯は、8章からなるこの本の第5章に書かれている。
今回は、第6章以降に書かれている内容を紹介する。
岸の政治プログラムの目標は、「自主憲法」「自主防衛」「アジアへの経済進出」であった。安倍晋三がシャカリキになって改憲を目指しているのは、母方の「祖父」の果たせなかった夢を実現しようとしているからだ、とはよく指摘されることである。
日米安保条約の改定は、自主防衛を目指すためのステップだった。宮崎さんは、岸は最終的には核武装まで視野に入れていたという。2002年に安倍晋三が早稲田大学で「戦術核の保有や使用も違憲ではない」と発言して「サンデー毎日」にスッパ抜かれたことがあるが、これも安倍が岸の思想を継承しているからだろう。
だが、岸信介は、日米安保の改定を強行した直後の1960年6月23日に退陣に追い込まれた。皮肉にもそれを招いたのは、岸の「ご主人さま」アメリカだったと宮崎さんは指摘している。
1960年2月頃、新聞や野党からは「岸は安保条約改定について、衆議院を解散して国民に信を問え」という声が上がっていた。しかし、この頃にはまだ安保反対の世論は盛り上がっておらず、もしこの時点で議会を解散していたら、自民党は勝利し、安保条約はスムーズに改定されただろうと言われているそうだ。
しかし、アメリカの政治日程の都合により、岸は解散できなかった。ナント、議会の解散さえ、アメリカさまの許可を得なければできない、岸内閣とはそんな政権だったのだ。
日米安保条約の改定を、警官隊を導入して強行採決をした1960年5月19日を境に、安保反対の世論は大いに盛り上がった。6月15日には、東大生だった樺美智子さんが事実上警官隊に殺される事件が起き、世論はさらに沸騰した。岸は、自衛隊まで出動させてデモを抑え込もうとしたが、赤城宗徳防衛庁長官は、岸の要請をはねつけた。最後は、柏村信雄警察庁長官が、岸に政治姿勢を改めるよう迫り、岸は柏村を罷免しようとしたが、それに対して各地の警察幹部が反発、長官罷免なら自分たちが一斉辞任すると抗議した。こうして、自衛隊からも警察からも見放された岸は、退陣に追い込まれたのだ。岸を辞任に追いつめたのは、最終的には味方の造反であったが、彼らをそうさせたのは、いうまでもなく民衆の力である。
宮崎さんによると、岸は大衆を愛せなかった政治家だという。岸にとって、大衆とはみずからの国家構想に翼賛させる「数」に過ぎなかった。確かに岸は最低賃金法や国民年金法を制定したが、それは安倍晋三が言うような「貧しい人々を助けようと」したものではなく、大衆の懐柔するための「演技」に過ぎなかったと、宮崎さんは喝破している。
だから、岸にはそもそも戦争責任を感じる感性がない。岸信介論を著した、評論家の村上兵衛は、アウシュヴィッツを訪ねたアイゼンハワーの表情から、戦争に対する悲しみと怒りを強く感じていることを読み取り、そういう『真摯さ』を一切持たない岸に思いを致したという。だが、そんな独裁志向の男だった岸を倒したのは、「大衆の力」だったのだ。本来、大衆には政権を倒すパワーがある。日本国憲法は国民主権を定めている。日本を統治するのはわれわれになったのだ。
宮崎さんは下記のように指摘している。
さて、安倍晋三に論を移す前に、岸信介の「金権政治家」としての側面にも触れておかなければならない。
安倍晋三は、恥書ならぬ著書の「美しい国へ」において、金権政治の創始者が田中角栄であるかのように書いているが、これは真っ赤なウソで、岸信介こそ金権政治の本家本元である。
岸が満州を離れるときに語ったという「政治資金の濾過」論をここで紹介する。
要は、岸は汚れ役は周囲の人間にやらせて、いざとなったらトカゲの尻尾切りをするぞ、と公言したわけだ。
田中角栄は、ロッキード事件に関係して、総理大臣辞任の2年後、受託収賄容疑で逮捕されたが、宮崎さんはこう指摘する。
それでも、岸は、首相時代「歴代総理のうち、岸首相ほど"金の出所"に疑惑を持たれている人は少ない」(「週刊新潮」1959年3月30日号)と書かれた男である。宮崎さんは、岸が絡んでいるとささやかれた疑惑を列挙している。
これらは、いずれも岸が直接絡んだと噂された疑惑であって、間接的な関与が噂された件を含むと、数え切れないほどの疑惑がささやかれたが、いうまでもなく岸は一度も逮捕されたことはない。
さらに、岸はアンダーグラウンドの世界ともつながりがあった。だが、それらにいずれも岸の戦犯仲間である児玉誉士夫や笹川良一を介在させ、岸には累が及ばないようにしていた。
宮崎さんの本から、岸とアングラ勢力のかかわりについて書かれた部分を以下に紹介する。
安倍晋三にも暴力団にかかわる噂は多いが、暴力団によって、地元事務所に火炎瓶を投げ込まれてしまう安倍は、「脇が甘い」というべきなのかもしれない。
その安倍晋三を、母方の祖父・岸信介と絡めて論じた部分は、宮崎さんの本では最後の第8章に置かれている。今回は、またしてもそこまで書き切れなかった。そこで、このシリーズの連載をさらに1回追加して、次回のエントリでそれを紹介することにしたい。
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この本は、最初の部分はかなり読みにくいが、あとの方ほど面白い。昨日紹介した、A級戦犯容疑者だった岸が、起訴を免れ、アメリカの後押しを得て不死鳥のように甦り、ついに総理大臣に上り詰めた経緯は、8章からなるこの本の第5章に書かれている。
今回は、第6章以降に書かれている内容を紹介する。
岸の政治プログラムの目標は、「自主憲法」「自主防衛」「アジアへの経済進出」であった。安倍晋三がシャカリキになって改憲を目指しているのは、母方の「祖父」の果たせなかった夢を実現しようとしているからだ、とはよく指摘されることである。
日米安保条約の改定は、自主防衛を目指すためのステップだった。宮崎さんは、岸は最終的には核武装まで視野に入れていたという。2002年に安倍晋三が早稲田大学で「戦術核の保有や使用も違憲ではない」と発言して「サンデー毎日」にスッパ抜かれたことがあるが、これも安倍が岸の思想を継承しているからだろう。
だが、岸信介は、日米安保の改定を強行した直後の1960年6月23日に退陣に追い込まれた。皮肉にもそれを招いたのは、岸の「ご主人さま」アメリカだったと宮崎さんは指摘している。
1960年2月頃、新聞や野党からは「岸は安保条約改定について、衆議院を解散して国民に信を問え」という声が上がっていた。しかし、この頃にはまだ安保反対の世論は盛り上がっておらず、もしこの時点で議会を解散していたら、自民党は勝利し、安保条約はスムーズに改定されただろうと言われているそうだ。
しかし、アメリカの政治日程の都合により、岸は解散できなかった。ナント、議会の解散さえ、アメリカさまの許可を得なければできない、岸内閣とはそんな政権だったのだ。
日米安保条約の改定を、警官隊を導入して強行採決をした1960年5月19日を境に、安保反対の世論は大いに盛り上がった。6月15日には、東大生だった樺美智子さんが事実上警官隊に殺される事件が起き、世論はさらに沸騰した。岸は、自衛隊まで出動させてデモを抑え込もうとしたが、赤城宗徳防衛庁長官は、岸の要請をはねつけた。最後は、柏村信雄警察庁長官が、岸に政治姿勢を改めるよう迫り、岸は柏村を罷免しようとしたが、それに対して各地の警察幹部が反発、長官罷免なら自分たちが一斉辞任すると抗議した。こうして、自衛隊からも警察からも見放された岸は、退陣に追い込まれたのだ。岸を辞任に追いつめたのは、最終的には味方の造反であったが、彼らをそうさせたのは、いうまでもなく民衆の力である。
宮崎さんによると、岸は大衆を愛せなかった政治家だという。岸にとって、大衆とはみずからの国家構想に翼賛させる「数」に過ぎなかった。確かに岸は最低賃金法や国民年金法を制定したが、それは安倍晋三が言うような「貧しい人々を助けようと」したものではなく、大衆の懐柔するための「演技」に過ぎなかったと、宮崎さんは喝破している。
だから、岸にはそもそも戦争責任を感じる感性がない。岸信介論を著した、評論家の村上兵衛は、アウシュヴィッツを訪ねたアイゼンハワーの表情から、戦争に対する悲しみと怒りを強く感じていることを読み取り、そういう『真摯さ』を一切持たない岸に思いを致したという。だが、そんな独裁志向の男だった岸を倒したのは、「大衆の力」だったのだ。本来、大衆には政権を倒すパワーがある。日本国憲法は国民主権を定めている。日本を統治するのはわれわれになったのだ。
宮崎さんは下記のように指摘している。
しかし、いつのまにか、われわれは、この「民主の力」の遺産の上に眠るものになっていったのではないか。民主主義が自己統治だということが忘れられようとしている。そして、それにともなって、われわれはなめられはじめたのだ。
特にこの五年、われわれは「小泉劇場」なるものに誘い入れられ、パフォーマンス劇の演技を見て喜ぶ観客にされてきた。そういうふうにして、「演技される数」に甘んじているうちに、次なる劇場の座付き脚本家が書いたシナリオが岸復権なのだ。
(宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』=同時代社、2006年=より)
さて、安倍晋三に論を移す前に、岸信介の「金権政治家」としての側面にも触れておかなければならない。
安倍晋三は、恥書ならぬ著書の「美しい国へ」において、金権政治の創始者が田中角栄であるかのように書いているが、これは真っ赤なウソで、岸信介こそ金権政治の本家本元である。
岸が満州を離れるときに語ったという「政治資金の濾過」論をここで紹介する。
「政治資金は濾過器を通ったものでなければならない。つまりきれいな金ということだ。濾過をよくしてあれば、問題が起こっても、それは濾過のところでとまって政治家その人には及ばぬのだ。そのようなことを心がけておかねばならん」
(前掲書より)
要は、岸は汚れ役は周囲の人間にやらせて、いざとなったらトカゲの尻尾切りをするぞ、と公言したわけだ。
田中角栄は、ロッキード事件に関係して、総理大臣辞任の2年後、受託収賄容疑で逮捕されたが、宮崎さんはこう指摘する。
それ(岸信介の政治資金調達法)と田中角栄的な「現金取引」とどっちが「構造的」だろうか。岸のほうが構造的である。岸のような黙っていてもカネが集まってくる真正権力者と違う成り上がりの田中角栄は、受託収賄のようなヤクザな手法を使うしかなかったのだ。
(前掲書より)
それでも、岸は、首相時代「歴代総理のうち、岸首相ほど"金の出所"に疑惑を持たれている人は少ない」(「週刊新潮」1959年3月30日号)と書かれた男である。宮崎さんは、岸が絡んでいるとささやかれた疑惑を列挙している。
1958年(昭和33年)
千葉銀行事件
グラマン・ロッキード事件
1959年(昭和34年)
インドネシア賠償疑惑
熱海別荘疑惑
1961年(昭和36年)
武州鉄道疑惑
1966年(昭和41年)
バノコン疑惑
(前掲書より)
これらは、いずれも岸が直接絡んだと噂された疑惑であって、間接的な関与が噂された件を含むと、数え切れないほどの疑惑がささやかれたが、いうまでもなく岸は一度も逮捕されたことはない。
さらに、岸はアンダーグラウンドの世界ともつながりがあった。だが、それらにいずれも岸の戦犯仲間である児玉誉士夫や笹川良一を介在させ、岸には累が及ばないようにしていた。
宮崎さんの本から、岸とアングラ勢力のかかわりについて書かれた部分を以下に紹介する。
デイビッド・E・カプランとアレック・デュプロは『ヤクザ ニッポン的地下犯罪帝国と右翼』で、「岸は、戦前の右翼とヤクザの同盟のそうそうたる一群全員が中央舞台へ復帰するのに力を貸し、何とか彼らの復帰をやりとげてしまった」と書いている。そして、それを受け継いだのが、「岸と児玉の支持を受けて自民党副総裁の座を占めた」大野伴睦だった、という。
(中略)
岸が退陣した時、この大野伴睦に後継総裁を約束したと念書を渡していたことが問題になった。この念書は、1959年(昭和34年)1月、岸が自民党総裁選で再選を勝ち取るために書いたものだが、このとき仲介者として児玉誉士夫が同席していた。そして、岸はそれを反故にしたのだ。後継総裁には池田勇人が選ばれた。
池田総裁の就任パーティで岸は荒牧退助という男に太股を刺された。この荒牧は、児玉誉士夫系の右翼団体・大化会に所属していた右翼だった。大野とも面識があり、世話になったこともあった。海原清兵衛という大野系自民党院外団体の顔役で働いていた。この事件は、大野の報復という見方が強いが、むしろ大野の無念さを汲みながら、裏社会のドン児玉が仲介して成立した念書を無視したことに対する裏社会からの警告だったと見た方が良いのではないか。
もちろん、岸は、このあと大野にではなく、裏社会に対して、しかるべき手を打ったにちがいない。右翼、ヤクザが岸に手を出すことは二度となかった。
(前掲書より)
安倍晋三にも暴力団にかかわる噂は多いが、暴力団によって、地元事務所に火炎瓶を投げ込まれてしまう安倍は、「脇が甘い」というべきなのかもしれない。
その安倍晋三を、母方の祖父・岸信介と絡めて論じた部分は、宮崎さんの本では最後の第8章に置かれている。今回は、またしてもそこまで書き切れなかった。そこで、このシリーズの連載をさらに1回追加して、次回のエントリでそれを紹介することにしたい。
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今回と次回で、「年末年始に読んだ本」シリーズの最後に取り上げる本として、宮崎学&近代の真相研究会編 『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(同時代社、2006年)を紹介する。
安倍晋三首相が「岸信介の孫」であることを売りものにしていることはよく知られている。しかし、私などは岸信介というと「A級戦犯」「日米安保条約を改定したあと、内閣を倒された男」「数々の疑獄事件で名前が取り沙汰されながら、一度も捕まらなかった男」といった、ネガティブなイメージしか持っていなかった。
だから、「岸信介の孫」を売りものにする男が総理大臣になったこと自体に、強烈な違和感を持っている。安倍晋三には、「安倍寛の孫」「安倍晋太郎の息子」という意識は希薄で、彼が「祖父」と言う時、大政翼賛会から推薦を受けずに選挙に当選した反骨の政治家である父方の祖父・安倍寛を指すことは決してなく、東条英機内閣の閣僚だった母方の祖父・岸信介「だけ」を指すのである。
だが、岸信介内閣の成立は1957年、岸が打倒されたのは1960年6月23日のことだ。その時私はまだ生まれてもいない。だから、当然リアルタイムで60年安保のニュースを追いかけていたはずもなく、一度岸信介について書かれた本を読みたいと思っていたところだった。
「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」は、そんな私のニーズにぴったりの一冊だった。
著者の宮崎学さんは、グリコ・森永事件の被疑者「キツネ目の男」ではないかとして重要参考人に目されていたことでよく知られている。詳しくは、前記リンク先のWikipediaの記述を参照していただきたいが、波瀾万丈の人生を送ってきた人である。
前々回および前回のエントリで紹介した「ナショナリズムの迷宮」の著者である佐藤優さんや魚住昭さんと親交があり、この3人で講演会を開催したこともある。
なお、一部には宮崎さんが「公安の協力者」ではないかと疑問を持つ向きもあるようだが、その真偽については私には判断できない。
「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」は、正統的なアプローチで岸信介を研究した書だ。正統的、というのは、さまざまな立場から書かれた文献に当たり、評価すべきところは評価した上で岸信介を批判していることを指している。
岸信介は、よく知られているように抜群に頭の良い男であると同時に、若い頃から権力欲が人並み外れて強く、しかもそれを隠そうともしなかった。
岸は、北一輝の影響を受けながら、自らの思想を形成していったという。それを、宮崎さんは「昭和ファッショの思想」と呼んでいる。これは、ひとことで言うと国家が個人を超越して主体となり、個人は国家という有機体の器官としてはじめて存在意義を得るという考え方である。
さらに岸は、大川周明の影響を受けて「大アジア主義」の思想も身につけた。これは、戦時中には「大東亜共栄圏」の思想として日本の侵略戦争を正当化し、戦後は日本の東南アジアへの経済侵略を正当化した。
田中角栄は、首相当時の1974年、東南アジアを歴訪した時、激しい反日デモに見舞われたが、それは岸の政策の尻ぬぐいであったと宮崎さんは指摘している。
岸は、1920年に東京帝大を主席の成績で卒業したあと、農商務省に入省した。エリートは普通内務官僚を目指すのに、あえて農商務省を選んだのが岸の非凡なところであった。岸は、国家の経営にとってもっとも大事なのは、政治制度ではなく経済制度であることを見抜いていたのである。
その岸の能力が遺憾なく発揮されたのは、満州国の経営であった。岸は、満州で統制経済機構を完成させ、それによって資本主義的経済機構を修正しようとしたのである。さらに岸は帰国後、本国にもこのやり方を適用した。野口悠紀夫・東大教授が指摘した「1940年体制」は、岸が中心になって作ったものなのである(コイズミが「ぶっ壊す」と叫んでいた対象は、岸の作り上げた経済体制であり、安倍晋三はその「カイカク」を引き継ぐと言っているのだ)。
当然ながら、その間岸はずいぶん怪しげなこともやっている。宮崎さんの本には、岸が満州で麻薬(アヘン)の密売にもかかわっていたのはないかという疑惑も書かれている。但し、岸は一生の間に数え切れないほどの疑惑に絡んで名前を取り沙汰されながら、一度も逮捕されることはなかった。巧妙な「濾過装置」を作り上げていたのである。
さて、岸の戦争責任の問題に移る。
よく知られているように、岸は対米開戦を決定した東条内閣の商工大臣だった。もちろん、積極的な対米開戦賛成派であった。この点、対米開戦に反対し、グルー米国大使に国家機密を漏らしてまでも戦争を防ごうとした吉田茂とは対照的である。
よく、岸信介の孫である安倍晋三のことを「保守本流」だと思っている人がいるが、いうまでもなくこれは誤りで、保守本流とは吉田茂の流れを指すのである。
岸は、のち1944年に東条英機と対立して、東条内閣を総辞職に追い込むが、それによって岸の戦争犯罪が帳消しになるはずもないのは当然のことである。それどころか、岸というのは戦後になっても戦争責任を全く反省せず、間違った戦争だったとさえ思っていなかったのだ。岸は堂々とそれを広言しているし、その例は、「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」に出典を明示して紹介されている。
では、このように明白な戦犯である岸は、なぜA級戦犯として起訴されなかったのだろうか。明らかに岸より罪の軽い広田弘毅まで絞首刑になっているのだから、岸が絞首刑になっていても全く不思議はなかったはずだ。
これについて、岸自身は、開戦を決定した「共同謀議」の証拠になる大本営政府連絡会議に出席していなかったからだと説明している。しかし、宮崎さんは、岸が無罪になるようにあらかじめ戦犯の枠が設定されており、連絡会議の出席の有無はあとづけの説明だろうと推測している。
朝日新聞元編集局長の富森叡児氏は、司法取引説を唱えているという。「司法取引」とは、本人が犯罪を犯していても、捜査に協力したら罪を軽くするという制度のことだ。これをひらたくいうと、「岸は戦犯仲間をアメリカに売った」ということになるが、もちろん宮崎さんの本では、そこまで露骨な表現はされていない。
なお、同じく東京裁判で不起訴になった細菌戦の石井四郎(「731部隊」で生体実験を行ったとされている)や、アヘン工作の里見甫についても、司法取引の噂が取り沙汰されているとのことだ。里見は、岸信介の満州時代について書かれた本には必ず名前が出てくる人物だそうで、前述の、岸がアヘン密売に関与していたという疑惑にも、この里見が絡んでいる。というより、里見を盾にして岸が疑惑を逃れたと解釈するのが自然だろう。里見については、佐野眞一が「阿片王 満州の夜と霧」(新潮社、2005年)という本を出版しており、佐野の最高傑作という人もいるようだから、一度読んでみたいと思う。
脱線が長くなってしまった。話を元に戻す。岸が起訴されなかったのは、アメリカ側にも事情があった。
3日前のエントリ「安倍晋三内閣を分析すると」でも紹介したが、戦後日本の保守政党には、吉田茂と鳩山一郎の流れがあって、吉田は、経済政策を最重要視し、「現行憲法維持・軽武装」で「親米」(というより安保ただ乗り)であった。一方、鳩山は吉田の対米依存に反対して自主外交を唱える一方、憲法改定を主張していた。鳩山は日ソおよび日中の国交回復を模索し、首相在任時の1956年には日ソ国交回復を果たした。
しかし、アメリカにとってはそのどちらも気に入らなかったのである。アメリカは日本を軍事面での同盟国にしたかったので、憲法九条を盾にとって軍備増強に応じない吉田は気に入らなかったし、共産主義国との関係強化を図る鳩山も気に入らなかった。ところが、岸は憲法改定・軍備増強を唱える一方で、岸が反共思想を持っていたせいもあって外交面ではアメリカべったりであった。アメリカにとって、岸以上に都合の良いパートナー(というよりイヌ)は存在しなかったのである。実際、近年アメリカで公開された情報により、CIAが幹事長時代の岸に資金を提供するなど、岸政権成立に大いに協力したことが明らかにされている。アメリカは岸に協力し、岸はアメリカに応えたのである。
宮崎さんは、岸信介が売国政治家だったからそういうことをやったのではなく、岸には岸なりの信念があってやったことだと書いている。岸には、軍事で失敗した「大アジア主義」を経済でやろうという野心があり、そのためにアメリカを利用しようとしたのだという。
だが、その意図はともかくとして、結局岸及び岸の流れを汲む派閥は、一貫して日本をアメリカに売るような真似ばかりしてきたことを指摘しておかなければならないだろう。近年で最悪の例は、いうまでもなくコイズミであった。
さて、今回も長くなってしまったので、岸信介と安倍晋三との絡みについての宮崎さんの記述については、次回の記事で紹介することにしたい。
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安倍晋三首相が「岸信介の孫」であることを売りものにしていることはよく知られている。しかし、私などは岸信介というと「A級戦犯」「日米安保条約を改定したあと、内閣を倒された男」「数々の疑獄事件で名前が取り沙汰されながら、一度も捕まらなかった男」といった、ネガティブなイメージしか持っていなかった。
だから、「岸信介の孫」を売りものにする男が総理大臣になったこと自体に、強烈な違和感を持っている。安倍晋三には、「安倍寛の孫」「安倍晋太郎の息子」という意識は希薄で、彼が「祖父」と言う時、大政翼賛会から推薦を受けずに選挙に当選した反骨の政治家である父方の祖父・安倍寛を指すことは決してなく、東条英機内閣の閣僚だった母方の祖父・岸信介「だけ」を指すのである。
だが、岸信介内閣の成立は1957年、岸が打倒されたのは1960年6月23日のことだ。その時私はまだ生まれてもいない。だから、当然リアルタイムで60年安保のニュースを追いかけていたはずもなく、一度岸信介について書かれた本を読みたいと思っていたところだった。
「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」は、そんな私のニーズにぴったりの一冊だった。
著者の宮崎学さんは、グリコ・森永事件の被疑者「キツネ目の男」ではないかとして重要参考人に目されていたことでよく知られている。詳しくは、前記リンク先のWikipediaの記述を参照していただきたいが、波瀾万丈の人生を送ってきた人である。
前々回および前回のエントリで紹介した「ナショナリズムの迷宮」の著者である佐藤優さんや魚住昭さんと親交があり、この3人で講演会を開催したこともある。
なお、一部には宮崎さんが「公安の協力者」ではないかと疑問を持つ向きもあるようだが、その真偽については私には判断できない。
「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」は、正統的なアプローチで岸信介を研究した書だ。正統的、というのは、さまざまな立場から書かれた文献に当たり、評価すべきところは評価した上で岸信介を批判していることを指している。
岸信介は、よく知られているように抜群に頭の良い男であると同時に、若い頃から権力欲が人並み外れて強く、しかもそれを隠そうともしなかった。
岸は、北一輝の影響を受けながら、自らの思想を形成していったという。それを、宮崎さんは「昭和ファッショの思想」と呼んでいる。これは、ひとことで言うと国家が個人を超越して主体となり、個人は国家という有機体の器官としてはじめて存在意義を得るという考え方である。
さらに岸は、大川周明の影響を受けて「大アジア主義」の思想も身につけた。これは、戦時中には「大東亜共栄圏」の思想として日本の侵略戦争を正当化し、戦後は日本の東南アジアへの経済侵略を正当化した。
田中角栄は、首相当時の1974年、東南アジアを歴訪した時、激しい反日デモに見舞われたが、それは岸の政策の尻ぬぐいであったと宮崎さんは指摘している。
岸は、1920年に東京帝大を主席の成績で卒業したあと、農商務省に入省した。エリートは普通内務官僚を目指すのに、あえて農商務省を選んだのが岸の非凡なところであった。岸は、国家の経営にとってもっとも大事なのは、政治制度ではなく経済制度であることを見抜いていたのである。
その岸の能力が遺憾なく発揮されたのは、満州国の経営であった。岸は、満州で統制経済機構を完成させ、それによって資本主義的経済機構を修正しようとしたのである。さらに岸は帰国後、本国にもこのやり方を適用した。野口悠紀夫・東大教授が指摘した「1940年体制」は、岸が中心になって作ったものなのである(コイズミが「ぶっ壊す」と叫んでいた対象は、岸の作り上げた経済体制であり、安倍晋三はその「カイカク」を引き継ぐと言っているのだ)。
当然ながら、その間岸はずいぶん怪しげなこともやっている。宮崎さんの本には、岸が満州で麻薬(アヘン)の密売にもかかわっていたのはないかという疑惑も書かれている。但し、岸は一生の間に数え切れないほどの疑惑に絡んで名前を取り沙汰されながら、一度も逮捕されることはなかった。巧妙な「濾過装置」を作り上げていたのである。
さて、岸の戦争責任の問題に移る。
よく知られているように、岸は対米開戦を決定した東条内閣の商工大臣だった。もちろん、積極的な対米開戦賛成派であった。この点、対米開戦に反対し、グルー米国大使に国家機密を漏らしてまでも戦争を防ごうとした吉田茂とは対照的である。
よく、岸信介の孫である安倍晋三のことを「保守本流」だと思っている人がいるが、いうまでもなくこれは誤りで、保守本流とは吉田茂の流れを指すのである。
岸は、のち1944年に東条英機と対立して、東条内閣を総辞職に追い込むが、それによって岸の戦争犯罪が帳消しになるはずもないのは当然のことである。それどころか、岸というのは戦後になっても戦争責任を全く反省せず、間違った戦争だったとさえ思っていなかったのだ。岸は堂々とそれを広言しているし、その例は、「安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介」に出典を明示して紹介されている。
では、このように明白な戦犯である岸は、なぜA級戦犯として起訴されなかったのだろうか。明らかに岸より罪の軽い広田弘毅まで絞首刑になっているのだから、岸が絞首刑になっていても全く不思議はなかったはずだ。
これについて、岸自身は、開戦を決定した「共同謀議」の証拠になる大本営政府連絡会議に出席していなかったからだと説明している。しかし、宮崎さんは、岸が無罪になるようにあらかじめ戦犯の枠が設定されており、連絡会議の出席の有無はあとづけの説明だろうと推測している。
朝日新聞元編集局長の富森叡児氏は、司法取引説を唱えているという。「司法取引」とは、本人が犯罪を犯していても、捜査に協力したら罪を軽くするという制度のことだ。これをひらたくいうと、「岸は戦犯仲間をアメリカに売った」ということになるが、もちろん宮崎さんの本では、そこまで露骨な表現はされていない。
なお、同じく東京裁判で不起訴になった細菌戦の石井四郎(「731部隊」で生体実験を行ったとされている)や、アヘン工作の里見甫についても、司法取引の噂が取り沙汰されているとのことだ。里見は、岸信介の満州時代について書かれた本には必ず名前が出てくる人物だそうで、前述の、岸がアヘン密売に関与していたという疑惑にも、この里見が絡んでいる。というより、里見を盾にして岸が疑惑を逃れたと解釈するのが自然だろう。里見については、佐野眞一が「阿片王 満州の夜と霧」(新潮社、2005年)という本を出版しており、佐野の最高傑作という人もいるようだから、一度読んでみたいと思う。
脱線が長くなってしまった。話を元に戻す。岸が起訴されなかったのは、アメリカ側にも事情があった。
3日前のエントリ「安倍晋三内閣を分析すると」でも紹介したが、戦後日本の保守政党には、吉田茂と鳩山一郎の流れがあって、吉田は、経済政策を最重要視し、「現行憲法維持・軽武装」で「親米」(というより安保ただ乗り)であった。一方、鳩山は吉田の対米依存に反対して自主外交を唱える一方、憲法改定を主張していた。鳩山は日ソおよび日中の国交回復を模索し、首相在任時の1956年には日ソ国交回復を果たした。
しかし、アメリカにとってはそのどちらも気に入らなかったのである。アメリカは日本を軍事面での同盟国にしたかったので、憲法九条を盾にとって軍備増強に応じない吉田は気に入らなかったし、共産主義国との関係強化を図る鳩山も気に入らなかった。ところが、岸は憲法改定・軍備増強を唱える一方で、岸が反共思想を持っていたせいもあって外交面ではアメリカべったりであった。アメリカにとって、岸以上に都合の良いパートナー(というよりイヌ)は存在しなかったのである。実際、近年アメリカで公開された情報により、CIAが幹事長時代の岸に資金を提供するなど、岸政権成立に大いに協力したことが明らかにされている。アメリカは岸に協力し、岸はアメリカに応えたのである。
宮崎さんは、岸信介が売国政治家だったからそういうことをやったのではなく、岸には岸なりの信念があってやったことだと書いている。岸には、軍事で失敗した「大アジア主義」を経済でやろうという野心があり、そのためにアメリカを利用しようとしたのだという。
だが、その意図はともかくとして、結局岸及び岸の流れを汲む派閥は、一貫して日本をアメリカに売るような真似ばかりしてきたことを指摘しておかなければならないだろう。近年で最悪の例は、いうまでもなくコイズミであった。
さて、今回も長くなってしまったので、岸信介と安倍晋三との絡みについての宮崎さんの記述については、次回の記事で紹介することにしたい。
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もうすぐライブドアの強制捜査から丸1年になる。あれは昨年の1月16日のことだった。なぜ、耐震偽装問題に絡んだヒューザー・小嶋進社長の証人喚問の前日にライブドアの強制捜査なんかがあるのか、あの当時強い疑問を抱いたものだ。
小嶋社長の証人喚問で、民主党の馬淵澄夫議員が、小嶋氏が「安晋会」の会員であり、マンション住民への説明会で、安倍晋三の後ろ盾があるようなことをしゃべっていたことを暴露した。しかし、そのニュースはライブドアの強制捜査の陰に隠れてしまったのである。
ところが、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、馬淵議員が「安晋会」の存在を暴いた翌日の1月18日、ライブドア事件に絡んでエイチ・エス証券の野口英昭さんが謎の「自殺」を遂げた。野口さんの命日ももう間もなくだ。私は1月19日の早朝に、読売新聞の速報でこのニュースを知った瞬間に、「これは自殺じゃない」と即座に確信し、掲示板で騒ぎまくったのだが、同日にこの件をある有名ブログが取り上げたことによって、ブログ界でもこの話題は沸騰したものだ(私は当時ブログを未開設だったので、これには加われなかった)。
驚くべきことに、野口さんは「安晋会」の理事だった。これは、「週刊ポスト」のスクープだ。その数日前から、耐震偽装事件とライブドア事件の両方に絡んで安倍晋三の名前がささやかれているという情報は得ていた。しかし、「自殺」した野口さんまでもが「安晋会」の理事だったという情報には、背筋が凍る思いだった。いったい、「安晋会」にはどこまで深い闇があるというのだろうか。
これで安倍晋三の政治生命は終わるかもしれない。そういう予想もあった。しかし、安倍は生き延びた。6月上旬、安倍が統一協会系の大会に祝電を送っていたことが判明し、その頃にはブログを開設していた私も騒ぎに参加したのだが、安倍はこれも乗り切った。
ついに総理大臣になり、安倍晋三は得意絶頂だったはずだが、そこから安倍は高転びに転びつつある。それが現状だと思う。
さて、前置きが長くなってしまった。
昨日のエントリに引き続き、佐藤優・魚住昭著 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』(朝日新聞社、2006年)を紹介したい。
この本でも、ライブドアの強制捜査のことが取り上げられている(第9章)。この強制捜査劇を、ホリエモンが体現している新自由主義と国家の対決と見る佐藤さんの見方は、ごく一般的なものだろう。新自由主義とは究極の資本の論理だから、天皇制もどうでも良いし(事実、堀江貴文は天皇制を否定し、大統領制を唱えていた)、国家も邪魔なだけ、これに対して国家の論理は自己保存であって、そのイデオロギーは「新保守主義」である、これが新自由主義と激しくぶつかったのが、ライブドアの強制捜査であり、ホリエモンの逮捕だったと佐藤さんは解釈しているが、これは、当時この事件を非常な関心を持って見守っていた私の感覚とよく合致するものだ。
以下、佐藤さんのたとえ話を引用する。
さて、この本の中でもっとも印象に残ったのは、蓑田胸喜(みのだ・むねき, 1894−1946)という思想家の話題だ。
この蓑田胸喜という人物は、Wikipediaにも載っておらず、Googleで検索しても576件しか引っかからない、今となっては忘れられた思想家で、私自身も「ナショナリズムという迷宮」を読んで、初めて知った(佐藤さんがGoogle検索をした時には459件しかヒットしなかったらしい)。
佐藤さんによると、蓑田は国家主義思想家で、リベラルな学者を次々と糾弾し、アカデミズムの世界から追放したり、事実上、ものが言えないような状況に追い込むことに成功したばかりか、右翼や国家主義者まで攻撃した人とのことだ。
蓑田の思想に関する佐藤さんと魚住さんの対話を以下に引用する。
ナント、蓑田胸喜というのは、論理の問題と心情の問題をごっちゃにして言論封殺のアジテーションを行っていた男であるようだ。
蓑田はこの論法で、美濃部達吉の「天皇機関説」を激しく攻撃し、論争を巻き起こした。「ナショナリズムという迷宮」の中に、立花隆著「天皇と東大」(文藝春秋、2005年)の記述が引用されているが、これがとても興味深いので、孫引きになるが紹介したい。
天皇機関説論争は、国会でも取り上げられたのだが、国会で天皇機関説を批判した議員は、美濃部達吉の天皇機関説の論文を読まずに批判していたのだった。
当時有名だったジャーナリスト・徳富蘇峰も、天皇機関説の論争に参加したのだが、彼もまた美濃部の著作を読んでいない、と自ら明らかにした上で天皇機関説を批判していた。
立花さんは、以下のように書いている。
魚住さんも佐藤さんも、この立花さんの見解に同意しているが、私も同感だ。これを読みながら私の脳裏から離れなかったのが、安倍晋三が好むフレーズである「美しい国」だった。
ほかならぬ立花隆さんが、「メディア ソシオ-ポリティクス」第93回「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」で、下記のように書いている。
安倍晋三自身が意識していたかどうかはわからないが、「美しい国・日本」というキャッチフレーズには、日本人を思考停止させようという狙いがあったと思う。しかし、日本国民にとって幸いなことに、安倍自身が失政を重ねたことによって、このフレーズはすっかり色あせてきている。
「ナショナリズムの迷宮」には、この他にも、キリスト教・イスラム教論や、丸山眞男批判などなど、興味深い考察が満載されていて、読み応えたっぷりの本である。
私がこの年末年始に読んだ本の中でも、特におすすめしたい一冊だ。
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小嶋社長の証人喚問で、民主党の馬淵澄夫議員が、小嶋氏が「安晋会」の会員であり、マンション住民への説明会で、安倍晋三の後ろ盾があるようなことをしゃべっていたことを暴露した。しかし、そのニュースはライブドアの強制捜査の陰に隠れてしまったのである。
ところが、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、馬淵議員が「安晋会」の存在を暴いた翌日の1月18日、ライブドア事件に絡んでエイチ・エス証券の野口英昭さんが謎の「自殺」を遂げた。野口さんの命日ももう間もなくだ。私は1月19日の早朝に、読売新聞の速報でこのニュースを知った瞬間に、「これは自殺じゃない」と即座に確信し、掲示板で騒ぎまくったのだが、同日にこの件をある有名ブログが取り上げたことによって、ブログ界でもこの話題は沸騰したものだ(私は当時ブログを未開設だったので、これには加われなかった)。
驚くべきことに、野口さんは「安晋会」の理事だった。これは、「週刊ポスト」のスクープだ。その数日前から、耐震偽装事件とライブドア事件の両方に絡んで安倍晋三の名前がささやかれているという情報は得ていた。しかし、「自殺」した野口さんまでもが「安晋会」の理事だったという情報には、背筋が凍る思いだった。いったい、「安晋会」にはどこまで深い闇があるというのだろうか。
これで安倍晋三の政治生命は終わるかもしれない。そういう予想もあった。しかし、安倍は生き延びた。6月上旬、安倍が統一協会系の大会に祝電を送っていたことが判明し、その頃にはブログを開設していた私も騒ぎに参加したのだが、安倍はこれも乗り切った。
ついに総理大臣になり、安倍晋三は得意絶頂だったはずだが、そこから安倍は高転びに転びつつある。それが現状だと思う。
さて、前置きが長くなってしまった。
昨日のエントリに引き続き、佐藤優・魚住昭著 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』(朝日新聞社、2006年)を紹介したい。
この本でも、ライブドアの強制捜査のことが取り上げられている(第9章)。この強制捜査劇を、ホリエモンが体現している新自由主義と国家の対決と見る佐藤さんの見方は、ごく一般的なものだろう。新自由主義とは究極の資本の論理だから、天皇制もどうでも良いし(事実、堀江貴文は天皇制を否定し、大統領制を唱えていた)、国家も邪魔なだけ、これに対して国家の論理は自己保存であって、そのイデオロギーは「新保守主義」である、これが新自由主義と激しくぶつかったのが、ライブドアの強制捜査であり、ホリエモンの逮捕だったと佐藤さんは解釈しているが、これは、当時この事件を非常な関心を持って見守っていた私の感覚とよく合致するものだ。
以下、佐藤さんのたとえ話を引用する。
ホリエモン事件は、国家と貨幣の間の激しい戦いだと私は見ています。いわば、怪獣大戦争ですよ。たとえば、ゴジラ対ヘドラ。ゴジラは水爆実験によって生み出されましたね。ヘドラは公害が生み出しました。どちらも人間が生み出したものであるにもかかわらず、人間のコントロールが利かない化け物という点では、国家と貨幣に似ていませんか。このまま、新自由主義=貨幣が強くなり過ぎると、おまんまの食い上げになると心配した国家が、貨幣に噛みついたと。東京タワーを引き抜いたり、転んでビルや住宅を押しつぶしたり、みんなひどい目にあっている。こんなイメージですね。
(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第9章より)
さて、この本の中でもっとも印象に残ったのは、蓑田胸喜(みのだ・むねき, 1894−1946)という思想家の話題だ。
この蓑田胸喜という人物は、Wikipediaにも載っておらず、Googleで検索しても576件しか引っかからない、今となっては忘れられた思想家で、私自身も「ナショナリズムという迷宮」を読んで、初めて知った(佐藤さんがGoogle検索をした時には459件しかヒットしなかったらしい)。
佐藤さんによると、蓑田は国家主義思想家で、リベラルな学者を次々と糾弾し、アカデミズムの世界から追放したり、事実上、ものが言えないような状況に追い込むことに成功したばかりか、右翼や国家主義者まで攻撃した人とのことだ。
蓑田の思想に関する佐藤さんと魚住さんの対話を以下に引用する。
佐藤 彼の思想の基本的な構えは、日本人には単一の歴史しかない。全体が部分に優先し、歴史は個人に優先するというものです。さらにそうした全体や歴史は天皇によって体現されていると。そのことは『明治天皇御集』の和歌の解釈で、"客観的"に確定できるというものです。この考えを受け入れない人間は国賊なんです。ですから、日本人でありながら仏教徒であったり、クリスチャンであったり、ましてやマルクス主義者などということは、あってはならないことなんです。
魚住 整合性のない思想のように思えますが、本当に当時の知識人を屈服させることができたんですか。
佐藤 いまお話ししたように、蓑田の内面では、社会の枠組みや制度、歴史といった論理的な事柄と、和歌という心情的、情緒的な事柄が何の矛盾もなく往来しています。蓑田は、論理の問題と心情の問題という、本来、分けて考えるべき問題をいっしょにこね回すことができる天才だったんです。そうして生み出された言説は、当時の日本人が抱いていたいらだちや集合的無意識を見事に掬うことができたんです。そんな天才的なアジテーション能力が彼の強みであり武器でした。01年の自民党総裁選で小泉さんが勝ったのは田中眞紀子さんによるところが大きいですよね。彼女の応援演説を思い出してください。聴衆は爆笑、拍手喝采でした。蓑田については、外国語や和歌に通暁した田中眞紀子さんが、戦前の10年間、論壇を席捲(せっけん)した。こんなふうにイメージしたらいいと思います。
(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第14章より)
ナント、蓑田胸喜というのは、論理の問題と心情の問題をごっちゃにして言論封殺のアジテーションを行っていた男であるようだ。
蓑田はこの論法で、美濃部達吉の「天皇機関説」を激しく攻撃し、論争を巻き起こした。「ナショナリズムという迷宮」の中に、立花隆著「天皇と東大」(文藝春秋、2005年)の記述が引用されているが、これがとても興味深いので、孫引きになるが紹介したい。
天皇機関説論争は、国会でも取り上げられたのだが、国会で天皇機関説を批判した議員は、美濃部達吉の天皇機関説の論文を読まずに批判していたのだった。
当時有名だったジャーナリスト・徳富蘇峰も、天皇機関説の論争に参加したのだが、彼もまた美濃部の著作を読んでいない、と自ら明らかにした上で天皇機関説を批判していた。
立花さんは、以下のように書いている。
何も読んでいないが、批判だけはするというのだ。これでも蘇峰か、と唖然とするほど堂々たる開き直りぶりである。
それで何をいうのかと思ったら、要するに、「天皇機関説などという、其の言葉」がいけないというのだ。その言葉が何を意味するのかわからないが、とにかくその言葉がいけないというのだ。「機関」が何を意味するかわからなかったら、天皇機関説の真意がわかるはずもなく、批判などできるわけがない。しかし蘇峰はそれでも構わず論理ゼロの感情だけの議論を続けていく。実は、天皇機関説論争の相当部分が、これと同じレベルの議論なのである。(立花隆 『天皇と東大』 下巻135頁)
議会のやりとりを見ても、首相、大臣などが、天皇機関説に対する見解を問われると、みな反対だといい、日本の国体をどう思うかと問えば、みな尊厳そのものとか、万国無比といったありふれたきまり文句をならべ、あげくにみんなが国体明徴を叫んで終わりという空虚な芝居が繰り返し演じられた。(前掲書、172頁)
一つの国が滅びの道を突っ走りはじめるときというのは、恐らくこうなのだ。とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転換期にさしかかっているというのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない。たとえようもなくひどい知力の衰弱が社会をおおっているため、ほとんどの人が、ちょっと考えればすぐにわかりそうなはずのものがわからず、ちょっと目をこらせばみえるはずのものが見えない(こう書きながら、今日ただいまの日本が、もう一度そういう滅びの道のとば口に立っているのかもしれないと思っている)。(前掲書、173頁)
(佐藤優・魚住昭 『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』=朝日新聞社、2006年=第15章より)
魚住さんも佐藤さんも、この立花さんの見解に同意しているが、私も同感だ。これを読みながら私の脳裏から離れなかったのが、安倍晋三が好むフレーズである「美しい国」だった。
ほかならぬ立花隆さんが、「メディア ソシオ-ポリティクス」第93回「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」で、下記のように書いている。
センチメンタリズムが国を危うくする
実はそんなこと以上に、私がかねがね安倍首相の政治家としての資質で疑問に思っているのは、彼が好んで自分が目指す国の方向性を示すコンセプトとして使いつづけている「美しい国」なるスローガンである。情緒過多のコンセプトを政治目標として掲げるのは、誤りである。
だいたい政治をセンチメンタリズムで語る人間は、危ないと私は思っている。
政治で何より大切なのは、レアリズムである。政治家が政治目標を語るとき、あくまでも「これ」をする、「あれ」をすると、いつもはっきりした意味内容をもって語るべきである。同じ意味を聞いても、人によってその意味内容のとらえ方がちがう曖昧で情緒的な言葉をもって政治目標を語るべきではない。
人間Aにとって「美しい」ものは、人間Bにとっては、「醜い」ものかもしれない。政治は人間Aに対しても、人間Bに対しても平等に行われなければならないのだから、その目標はあくまでも明確に具体性をもって語ることができる内容をともなって語られなければならない。
歴史的にいっても、政治にロマンティシズムを導入した人間にろくな政治家がいない。一人よがりのイデオロギーに酔って、国全体を危うくした政治家たちは、みんなロマンティストだった。
政治をセンチメンタリズムで語りがちの安倍首相は、すでにイデオロギー過多の危ない世界に入りつつあると思う。
(「メディア ソシオ-ポリティクス」第93回「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」より)
安倍晋三自身が意識していたかどうかはわからないが、「美しい国・日本」というキャッチフレーズには、日本人を思考停止させようという狙いがあったと思う。しかし、日本国民にとって幸いなことに、安倍自身が失政を重ねたことによって、このフレーズはすっかり色あせてきている。
「ナショナリズムの迷宮」には、この他にも、キリスト教・イスラム教論や、丸山眞男批判などなど、興味深い考察が満載されていて、読み応えたっぷりの本である。
私がこの年末年始に読んだ本の中でも、特におすすめしたい一冊だ。
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