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きまぐれな日々

昨日投開票が行われた沖縄県議選で、自公与党が過半数割れする敗北を喫した。
http://www.asahi.com/politics/update/0608/SEB200806080002.html

 自民、公明両党の公認、推薦候補は各選挙区で苦戦。改選前は27議席を占めた与党系は、定数の半数(24議席)に達しなかった。一方、改選前20議席だった野党系は順調に票を伸ばし、初めて公認候補を擁立した民主も議席を獲得した。

 政党別の獲得議席は自民16、民主4、公明3、共産5、社民5、地域政党の沖縄社会大衆2、そうぞう1、諸派3で、無所属が9。無所属のうち与党の推薦は3人、野党の推薦が6人。

 投票率は57.82%で、前回の58.72%を下回り、過去最低だった。

(asahi.com 2008年6月9日0時34分)


自民惨敗といっても、地方選の常で自民党の議席は他党より圧倒的に多く、引き続き第一党ではあるが、自公で過半数割れした理由として、上記朝日新聞だけではなく、たいていのメディアが後期高齢者医療制度施行の影響を挙げている。

昨日のフジテレビ「報道2001」でも後期高齢者医療制度の問題がまたまた取り上げられていた。番組はこれを「コイズミカイカクの負の遺産である」ととらえていて、反米保守の論客・西部邁(すすむ)に、郵政総選挙でコイズミ自民党を選んだ人たちが責任を取れ、と言っていたのには苦笑させられた。

3年前のあの選挙で、勝ち誇っていたコイズミ支持者の高揚を見ながら、「お前ら、あとでどうなっても知らんぞ」と独りごちたものだが、あの時自民党に投票した人も野党に投票した人も同じ目に遭うのが選挙の理不尽なところだ。

「報道2001」は番組の方針というところまではいかないのだろうが、西部や先日出演した平沼赳夫のような、右側からの反政府勢力の声を今後も取り上げていくのだろうか。昨日も大田弘子らを招いてコイズミ・竹中の流れをくむカイカク路線をひたすら応援している田原総一朗の「サンデープロジェクト」よりはマシな行き方といえるかもしれない。

だが、右側からの政府批判勢力と、「反新自由主義」という一点で妥協点を見出して共闘しようという一部「リベラル・左派」の人たちの意見には、私は同意できない。

たとえば、稲田朋美、八木秀次、渡部昇一の3人が著した『日本を弑(しい)する人々』なる物騒な題の新刊がある。私はまだ実物を目にしていないが、宣伝文句には

「グローバル資本主義、構造改革が日本を救う」「慰安婦非難決議に対する日本の弁明は無用」「差別に泣いている人たちのために人権擁護法を」「皇室のご負担軽減のために宮中祭祀の簡素化・廃止を」「映画『靖国』の上映中止事件は、表現の自由に対する制限だ」……彼らの言説を信じていいのか?
われらが祖国「日本」を殺し、息の根を止めようと狙う内外の確信犯、無自覚にも“善意”で日本を弑する結果を招こうとする人々を名指しで糺す。

とある。つまり筆頭に構造改革批判を掲げていて、これは安倍晋三の人脈に属する「思想極右」の稲田朋美やその後見人たる渡部昇一が、「経済極右」のコイズミ・竹中路線に明確に別れを告げたというべきかもしれない。しかし稲田は、2005年の郵政総選挙で松宮勲(自民前職、現民主党員)に対する「刺客」として立候補して当選した「コイズミチルドレン」なのである。自らの過去を棚に上げて構造カイカク批判とはいい気なものだ。

稲田は以前「徴農制度を実施せよ」と主張して、毛沢東かポル・ポトみたいだと笑われたことがあるが、そんな稲田が今後平沼赳夫や城内実らに接近して反構造カイカクの主張を強めることはあり得るのだろうか? あるいは、コイズミの後継首相として大失敗した安倍晋三までもがそれに加わることはあり得るのだろうか?

当ブログは、「リベラル・左派」の反新自由主義は、彼ら極右の反新自由主義勢力とは距離を置くべきだと考えている。ドイツ・ナチス党の正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」というが、現在自民党を右から批判している民族主義者たちにはナチスと同じ匂いがするし、特にそれを強烈に感じさせるのが稲田朋美であり、平沼赳夫だ。万一安倍晋三が再び首相に返り咲くようなことがあったら、それは日本が戦争への道を突き進む時だろう。それだけは避けなければならない。

安倍晋三が尊敬する祖父・岸信介は、朝鮮で有事が生じた場合、アメリカが日本側と事前に協議せずに在日米軍基地を使用して攻撃ができるという密約を交わした。その文書が先日発見され、10日発売の「文藝春秋」7月号に全文が掲載されるそうだ。

岸信介の弟・佐藤栄作は、首相に就任した時この密約の存在を知って怒り、その破棄を求めていたことが昨年秋に報じられた。しかし、その佐藤自身が沖縄返還をめぐってアメリカと数々の密約を交わした。「西山事件」で暴かれたのはその氷山の一角に過ぎない。昨年には沖縄への核兵器持込の密約の存在が確定したが、政府は証拠が厳として存在するにもかかわらず密約を否定する鉄面皮な態度をとり続けている。当ブログは昨年10月10日付のエントリで「佐藤栄作のノーベル平和賞を剥奪せよ」と主張した。

安倍晋三の祖父や大叔父は、日本の政治家の中でも特に「密約」を好む人物だった。もちろん、政治、特に外交に関しては機密事項が多く、リアルタイムですべてガラス張りになどやっていては他国に食い物にされてしまう。しかし、岸や佐藤の密約は日本よりむしろアメリカの国益にかなっていたことが問題なのだ。そして、安倍晋三も先代のコイズミともども、極端な対米隷従政策をとった。アメリカの意に沿って、日本を新自由主義国家に作り変え、著しい格差拡大を招いた。

安倍晋三も、その盟友・平沼赳夫も、「コイズミチルドレン」として国政の場に登場した稲田朋美も、すべて要らない政治家だ。彼らが現在何を主張しているかだけで物事を判断してはならない。彼らがどういう経緯をたどって現在の主張をしているかを吟味しなければならない。

属人的議論を抜きにして政治を語ることなどできないのである。


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このところ、映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題をめぐる記事ばかりになっているが、以前から稲田朋美を批判してきた当ブログは、今回の騒動で、昨年11月の「大連立」騒動の時以来のアクセス数を記録している。そして、それよりも何よりも、われわれ日本人が「戦後レジーム」を維持できるかどうかが問われる正念場だと思う。ここで踏ん張らなければ、われわれは「戦後民主主義」を失ってしまうだろう。

だから、今日もこの話題を続ける。これまでの経緯については、昨日(4月7日)の「カナダde日本語」がまとめてくれている(下記URL)。
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-855.html

同ブログもこの件を何度も取り上げていて、「しつこいと言われるかもしれないが」とのことだが、当ブログの方がよほどしつこいといえるだろう。「また稲田朋美の記事か」と思われる読者も多かろうが、ここで引き下がるわけにはいかない。

当ブログは、「言論の自由」とか「表現の自由」という問題になると、ついむきになってしまう。右からにせよ左からにせよ「表現の自由」に制限をかけようとする動きに対して反発を感じ、ヴォルテールの言葉とされる「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ」に共感を持つものなのだが、ネット検索してみると、この言葉はヴォルテールの言葉かどうか疑わしいらしい。昨今は、この言葉に対して留保をつける超有名ブログや、「公共の福祉」によって表現の自由に規制がかけられて然るべきだと主張する有名ブログがあったりもする。

もちろん、当ブログとて野放図な権利が認められるべきだとは考えておらず、人間の生存権を脅かすような主張には規制があっても止むを得ないと考える。たとえば、テロを肯定する言論などがその例である。

たとえば、4月4日付エントリでも批判した「良識の星」なるHNの人物は、昨日のエントリにも現れて、下記のような呆れたコメントを送りつけてきた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-609.html#comment3102

加藤紘一氏の発言は問題ですよね。一個人の単なる抗議をネット右翼の悪影響と結び付けようとしたり、自身の実家が放火されたのまで結び付けようとしていましたしね。それに本当に稲田氏にテレビ出演の依頼をしたのでしょうかね。なんといっても政治家として一個人の言論を封鎖しようとしたことは極刑に値しますね。

いうまでもなく、死刑制度のある日本では、「極刑」とは「死刑」を意味する。つまり、「良識の星」なる非常識人は、加藤紘一代議士へのテロを教唆したも同然だ。このコメントを受けて、当ブログは「良識の星」に対して、コメントおよびトラックバック禁止措置をとった。当ブログは、これが言論封殺であるとは全く考えていない。基本的人権、なかんずく生存権を脅かす言動に対しては、制限がかけられて当然だ。

しかし、この種の規制は止むを得ない場合に限るべきだろう。特に権力に反対する側が規制に容認的だと、それこそ権力によって同じ論法で言論を規制されてしまう。「表現の自由」や「言論の自由」というのは、とても重いものだと思うのだが、私の認識は間違っているのだろうか?

ところで、例外中の例外ともいえる規制を適用されてもよい対象として直ちに思いつくのは、石原慎太郎である。石原は、2003年に、テロを肯定する発言をした。
「田中均という奴は爆弾を仕掛けられた。当ったり前の話だとわたしは思う」

当時、多くのマスコミがこれを批判したが、その中から、Google検索で筆頭で引っかかった「沖縄タイムズ」の2003年9月13日付社説を紹介する。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20030913.html

石原発言
「テロ容認」は許されない

 「田中均という奴(やつ)は爆弾を仕掛けられた。当ったり前の話だとわたしは思う」

 外務省の田中均外務審議官宅に時限式発火物とみられる不審物が仕掛けられた事件で、対北朝鮮外交に不満を持つ石原慎太郎東京都知事が自民党総裁選の応援演説でこう述べた。

 その後、「テロは悪いに決まっている」と釈明したが、発言はテロを容認したものといえ認めるわけにはいかない。

 田中審議官は家族とともに避難した。いかなる暴力も許してはならず、早期の事件解決を求めたい。

 石原氏は共同通信社の世論調査で「首相にふさわしい政治家」として、小泉純一郎首相を上回る支持を集めている。

 脅迫や暴力行為を認めるような発言は、政治への信頼を裏切るものと自覚すべきだ。

 犯人は「建国義勇軍国賊征伐隊」と名乗っている。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関連施設への狙撃や爆発物設置、自民党の野中広務元幹事長に弾丸を送付するなど一連の事件との関連が疑われている。

 朝日新聞社には同名の犯行声明も届いており、同一グループによる犯行の可能性が強い。

 小泉首相は「(石原氏の)発言は極めて不適切だ」と批判。外務省も「一連の外交は政府一体で行っており、特定の個人が勝手に交渉を進めているという事実はない」として、厳重に抗議するとの川口順子外相のコメントを発表した。

 石原氏の発言には第三国人、支那人、朝鮮人などというように、国内におけるマイノリティー(少数者)への差別や排外的な主張が目立つ。

 今回の発言も北朝鮮への強い反発が背景にあり、田中審議官の対話路線を批判したものと考えられる。

 確かに、解決をみない拉致問題に加え、ミサイル実験や核開発問題など、北朝鮮のエスカレートする瀬戸際外交は批判されてしかるべきだ。

 しかし、一連の爆発物事件にみられるテロ行為が許されるはずがない。

 石原氏の発言に潜む問題は、外交を一外務官僚の責任に帰し、なおかつ爆弾が仕掛けられてもいいという姿勢である。

 発言を容認する空気が醸成されてはならない。

 異論を暴力で封じ込めようとする風潮は極めて危険である。

 犯行をエスカレートさせないためにも、一日も早い犯人逮捕を望みたい。石原知事は潔く発言を撤回すべきだ。

(「沖縄タイムス」 2003年9月13日付社説)

真に許してはならないのは、この時の石原のような言論だ。だが、こんな発言を平然とする石原を、東京都民は昨年の都知事選で3選させてしまった。だから、私は石原に投票した東京都民は「愚民」だと臆することなく書くのだ。みすみす自分から言論の自由や表現の自由を手放してもよいという選択を、東京都民はした。

これまでにも何度も書いたように、稲田朋美は、加藤紘一の実家が焼かれた件をシンポジウムで笑いながら紹介した。当ブログの2006年11月23日付記事で紹介したように、2006年9月5日付の「北海道新聞」は、下記のように稲田を批判している。

稲田氏は、地元福井の新聞で首相の靖国参拝を批判する加藤紘一元幹事長と対談したことを紹介。加藤氏の実家が右翼団体幹部に放火された事件について「対談記事が掲載された十五日に、先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話した。約三百五十人の会場は爆笑に包まれた。

(「北海道新聞」 2006年9月5日付1面記事より)

稲田もまた石原同様、「言論の自由」や「表現の自由」を侵す危険な人物だ。だが幸い、今回の映画「靖国」上映中止問題で、世論は稲田を全く支持しなかった。次回の総選挙で稲田を落選させることができれば、規制に頼ることなく危険な言論を葬ることができるといえるのではないか。

繰り返すが、規制は、あくまで止むを得ない場合に限られるし、規制を濫用してはならないと考える。


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映画「靖国」の上映中止の件は、「表現の自由」にかかわる本当に重大な問題で、昨日(6日)の政治番組では、普段その新自由主義マンセーぶりに閉口させられる岸井成格や田原総一朗まで、国会議員による試写会上映と上映中止騒ぎとの因果関係を指摘し、これを問題視していた。

リバタリアンであれば自由を制限されることに反発するのは当然といえなくもないが、それよりも、田原や岸井には、70年代以前から活躍しているジャーナリストが持っているリベラリズムというものがあって、それはマスコミ界で偉くなるにつれて失われてはきているけれど、表現の自由が脅かされる事態に直面した時には、昔の気概を取り戻すだけのものを持っているのではないかと思う。そういった気概が、ブログ管理人やその前後の世代にあるかというと、正直言ってまことに心許ない。

今回、テレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」では、映画を検閲しようとした首謀者・稲田朋美を名指しで批判する番組作りをしたが、これは責任の所在を明確にするという意味で高く評価したい。他のテレビ番組や新聞報道では、稲田朋美の名前が出てくるケースは少なく、「政治家」というぼかした表現になっていることが多い。そんな中にあって、サンプロは正面切って稲田朋美を批判したため、番組がこの問題を取り上げていた昨日の午前10時台には、「稲田朋美」の検索語による検索エンジン経由の当ブログへの訪問客が殺到し、アクセス数はこの1時間だけで500件を大きく超えた。

それにしても、稲田朋美やその周辺をめぐっては、いろんなブログの記事で、これでもか、これでもかとろくでもない材料が出てくる。

たとえば、「日本がアブナイ!」は、毎日新聞の報道をもとに、一議員には帰属しないはずの「国政調査権」を稲田が行使しようとしていたことを指摘していたし、「日暮れて途遠し」が新聞記事及び関係者のブログ記事をもとに論証したところによると、名古屋での上映中止には、稲田朋美も所属している日本会議がかかわっていたようだ。稲田らは、組織的・計画的な言論弾圧を行おうとしていたと言われても仕方がないと当ブログは考える。

こういう動きに、どちらかというと体制側のジャーナリストと思われる田原や岸井でさえ反対の声をあげているのだが、それより下の世代の反応が鈍いように思えてならない。たとえば朝日新聞の記者たちは、昔の世代と比較して権力の暴走を糾すチェック機能が甘いように見受けられる。「朝日新聞の民主党化」を指摘するのは、元共同通信記者の魚住昭だが、確かにそんな印象は否めない。テレビによく出てくる朝日新聞記者たちは、政府批判はするのだが、民主党と同じでどこか追及が甘いのである。3年前の郵政総選挙の時には、「コイズミさんの夢をかなえてあげたい」などと口走った朝日新聞記者もいた。

一方、今回批判を受けた稲田朋美らも、「公開前に映画の試写を要求したことはない」などと言って、映画「靖国」の配給協力と宣伝にあたったアルゴ・ピクチャーズの岡田裕社長に、「本当のことを言っていないからテレビに出てこられないんだろう」と言われる始末だ。番組司会の田原によると、稲田のみならず、「伝統と創造の会」の幹部7人に出演を依頼したが、全員に断られたのだという。論戦に出てくる気概もない人間が、陰でこそこそ映画の上映を妨げるような言動をする。それでも右翼かと言いたくなるほどだ。「伝統と創造の会」とは、その程度の信念も何もない議員たちの集団なのだ。

その腰抜け集団の圧力で映画の上映が中止される、というのはいかにも情けない話だが、番組では岡田裕社長や加藤紘一がネット右翼の行動の影響を指摘していた。つまり、稲田朋美らの言動がネット右翼たちをあおり、彼らの嫌がらせ電話などに音を上げた映画館が上映を止めてしまったのではないかということだ。

番組で加藤らがネット右翼を批判した時の「2ちゃんねる」が面白くて、テレビでネット右翼が批判されたというので大騒ぎになっていた。だが、加藤紘一によるネット右翼批判は、以前から雑誌や著書に載っているし、テレビの早朝番組で加藤が、極右議員らの思想や行動を説明する際に、日本会議について述べていたのを見たことがある。日本最大の右翼団体である日本会議は、長らく新聞記事にもめったに載らなかったが、一昨年12月15日に改正教育基本法が成立した翌日の毎日新聞が、安倍内閣の中枢の人たちと日本会議の関係について記述していた(当ブログ2006年12月16日付エントリ参照)。しかし、その後も相変わらず日本会議の名が新聞の紙面を飾る頻度はそう多くない。その中にあって、自民党代議士である加藤紘一の積極的な言論は特筆に価する。しかしその加藤ももう68歳。自民党には若手に「リベラル」といえる政治家がいなくなってしまった。

1950年代から70年代に生まれた日本人は、高度成長(1955年?73年)またはそのあとの安定成長期に子供時代を送った世代だ。戦争経験がないから正念場に弱いのかもしれないが、それにしても、ここぞという場面で沈黙してしまいがちな傾向が強いと思う。われわれの世代がしっかりしなければ、日本は沈没してしまうという強い危機感を持つ。今回の「表現の自由」の危機にあたっては、断固として声をあげ続けなければならない。


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4月12日公開予定の映画「靖国 YASUKUNI」が、当日からの上映を予定していた5つの映画館すべてによって上映を中止されたニュースが報じられて以来、当ブログへのアクセス数が急増した。その多くが検索語「稲田朋美」による検索エンジン経由のアクセスである。

この映画に関しては、衆議院議員・稲田朋美および「伝統と創造の会」が、公開前に試写会の開催を文化庁に要求したことが報道され、このニュースがTBSテレビの「NEWS23」で報道されると同時に当ブログへのアクセスが殺到したことは3月14日付の記事に書いた。この稲田らの動きと、今回の映画館の上映自粛との因果関係は明らかだ。

トラックバックいただいた 「反戦塾」 の記事で知ったのだが、昨日(4月2日)の日経を除く全国紙4紙と東京新聞(中日新聞)のすべてが今回の上映中止の件を取り上げた。3月30日付エントリで書いたように、稲田が原告団弁護士を務めた「沖縄ノート」判決の時にもこの5紙が揃い踏みしたが、朝日・毎日・東京と読売・産経で主張が分かれた「沖縄ノート」判決の時と違って、今回は表向きは5紙ともに「表現の自由」を擁護する社説を掲載していた。

しかし、よくよく中身を見ると、読売は、
公的助成が妥当か否かの問題と、映画の上映とは、全く別問題である。

(中略)

稲田議員も、「私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」としている。
などと書いて、妙に稲田をかばっているような表現になっている。

産経にいたっては、
「伝統と創造の会」が試写会を要求したのは、あくまで助成金の適否を検討するためで、税金の使い道を監視しなければならない国会議員として当然の行為である。

(中略)

 試写会に参加した議連関係者によると、この映画の最後の部分で“旧日本軍の蛮行”として中国側が反日宣伝に使っている信憑(しんぴょう)性に乏しい写真などが使われ、政治的中立性が疑われるという。

 不確かな写真を使った記録映画に、国民の税金が使われているとすれば問題である。文化庁には、助成金支出の適否について再検証を求めたい。
などと、「論議あるからこそ見たい」というタイトルからいつの間にかかけ離れた文章で結ばれている。衣の下から鎧が見える、ひどい社説である。

読売は、稲田をかばう一方で、
かつて、ジャーナリストの櫻井よしこさんの講演が、「慰安婦」についての発言を問題視する団体の要求で中止になった。

こうした言論や表現の自由への封殺を繰り返してはならない。
と書き、右翼言論に反対する側による言論封殺を槍玉に挙げている。売り言葉に買い言葉、という言葉を思い出させる。

たとえ右翼の言論だろうが、言論の自由は保障されるべきだ。それは当然のことだ。だが、読売が櫻井よしこの講演中止の件を持ち出す時、それは稲田らの行為と映画の上映中止の因果関係という、絶対に目をそらせてはならない論点をすり替えてしまう効果がある。これは、右派の言論だろうが左派の言論だろうが、決してやってはならない論法だ。こういう文章を書く態度を、「知的不誠実」という。

今回、問題にされなければならないことは2つあって、1つは今書いた稲田朋美および「伝統と創造の会」の試写会上映要求が右翼を焚き付けた因果関係で、もう1つは右翼を恐れて上映をやめてしまった映画館の姿勢である。後者は、20年前に昭和天皇の病状が悪化した時の「自粛」を思い出させるものだ。

当時のそんな雰囲気の中で、「天皇に戦争責任はあると思う」と発言した本島等元市長のことは、2006年11月25日のエントリで取り上げた。この記事は、当時反響が大きくて、数々のコメントをいただき、何度かコメント特集を組んだほどだ。その本島元市長は、2年後テロの凶弾に狙われて重傷を負った。そして、後任の伊藤一長前市長も昨年の市長選のさなか、射殺された。この銃撃は、私怨によるものなどとされているが、犯人が、稲田も所属している日本会議の関係者と親しかったことが指摘され、犯人が所属した暴力団とさる大物極右政治家の非公然後援会との関係も取り沙汰された。当ブログは、伊藤前市長の射殺事件もまた、言論の自由に対する許されざる挑戦であり、この時犯人の行為への強い憤りの声を発することのできなかった前首相・安倍晋三は、政治家失格であると考えている。

読売・産経以外の3紙の主張は、どれも妥当な内容であるが、稲田朋美の固有名詞を挙げたのは朝日新聞だけだ。その朝日の社説は、
稲田氏は「私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」との談話を出した。それが本気ならば、上映を広く呼びかけて支えるなど具体的な行動を起こしたらどうか。
と書いている。当然の主張だろう。

稲田らがこの映画の上映を働きかける行動を起こさない限り、実質的に稲田らが上映中止に追い込んだものだという非難から逃れることはできない。朝日新聞の社説も、私などから見るとまだまだ手ぬるいが、少なくともこの朝日の指摘に対し、稲田らは答える必要があると思う。このまま稲田らが動かなければ、稲田らによる「試写会要求」が映画上映中止を招いた、と言われても仕方がない。

また、稲田らとともに批判したいのは映画館側の対応であって、右翼の街宣車に恐れをなして上演を止めた映画館も情けないが、他の映画館が上映を取り止めたからといって「それならウチも」とばかり簡単に右にならえをした付和雷同の映画館関係者はもっと情けない。こういう「事なかれ主義」がファシズムを呼び込む。以前私も、安倍晋三を排斥する「AbEnd」キャンペーンをやっていた頃、キャンペーンにかかわっていた仲間のはずの人たちの間にまでこの「事なかれ主義」がはびこっていたのに愕然としたことがある。

平和と自由を愛する人間には、断固として声をあげなければならない時がある。今がその時だ。


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西日本では、「1月は往(い)ぬ、2月は逃げる、3月は去る」といい、あっという間に過ぎ去っていくことをたとえる。私はこの表現を小学校2年生の時に担任の先生に教えられて知ったが、その通り、あっという間の3か月だった。

今日から4月。新生活スタートの時だ。当ブログは一昨年4月の開設で、間もなく2周年を迎える。2年前の今頃は、耐震強度偽装問題やライブドア事件で盛り上がったコイズミ政権追及の機運が、民主党の偽メール事件でポシャってしまい、「コイズミの次は安倍か」というあきらめムードが漂っていた。

それが、安倍晋三政権が自滅ともいえるドタバタ劇を演じ、昨年7月の参院選における自民党の歴史的大敗を経て、政界再編必至という状況にまで至った。

だが、いまいち気が晴れないのは、次の総選挙のあと、民意を無視した合従連衡によってわけのわからない政権ができるのではないかという疑念がぬぐえないからだ。選挙の結果がどうなろうと、参議院での民主党の第一党という状態は、このままだと2013年までは変わらないから、どのみち政界再編は不可避なのだが、スジ論からいえば、政界再編の道筋を示した上で解散総選挙に進まなければならない。しかし、現実には、政界再編の道筋を示すどころか、支持率が急降下してレームダック化がいわれる福田政権が倒れても、解散総選挙さえ行われず、麻生太郎が後継首相になるなどと噂され、それどころかコイズミ復活待望論まで聞かれる始末だ。これでは浮かれた気分になれないのも当然で、福田内閣の支持率低下は、安倍内閣の支持率低下のようには手放しで喜ぶ気にはなれないのである。

さらにいやなニュースは、映画「靖国」をめぐり、公開日の4月12日からの上映を決めていた映画館5館すべてが、上映中止を決めたことだ。
http://www.asahi.com/national/update/0331/TKY200803310328.html

「お客さんや近隣の店への迷惑もあり、自主的に判断した」、「お客様に万が一のことがあってはならない」、「他の映画館が中止すると、こちらに嫌がらせが来るのではないか」などというのが映画館側の言い分だが、結局スーパーウルトラ極右・稲田朋美らのもくろみ通りの事態になってしまった。

上でリンクを張った朝日新聞の記事には、30件の「はてなブックマーク」がついているが、以下コメントをいくつか紹介する。

2008年03月31日 kamo_negitoro 映画 こうやって圧力をかければ映画の公開がなくなるという前例はできていくのか.主張に賛成するか反対するかに関わらずこういった手法を取る余地を残しては行けないし,この手法が有効である社会であってはならない.

2008年04月01日 katamachi トンデモ, 社会, 歴史 日本の中心でアイを叫んだけものが吠えれば、無理も道理になると言うことか。他者への尊敬の念を持てない人たちが「愛国心」を説いても意味ないだろ。

2008年04月01日 mahalito 靖国, 表現の自由, ヘタれた民主主義 こっちにもコピペ。「街宣車がくるぞー」と言えば、集会は開けず、映画は上映できない国であることが証明された。街宣車が事実上の権力を握ったわけだ。これで右翼にますます資金が集まるようになるな。

表現の自由の敵・稲田朋美が高笑いしているのが目に浮かぶが、稲田は、次の総選挙で不利とされるコイズミチルドレンの中にあって存在感を高めるためにこんな極右パフォーマンスをやっているのだろうと私は想像する。そして、政界にはそんな稲田をもてはやす空気さえある。

いや、政界ばかりではない。毎日新聞の岩見隆夫などは、「サンデー毎日」のコラムで稲田を持ち上げている。

岩見のデタラメぶりは、下記記事で痛快に叩かれているが、その中に岩見が稲田を持ち上げている箇所も引用されている。
岩見隆夫「サンデー時評」のインチキ
(「Apes! Not Monkeys!」より)
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/E20080320124705/index.html

岩見隆夫というと、毎日新聞低迷の象徴のようなイメージが私にはあり、昔からたいして買っていないジャーナリストなのだが、上記リンク先の記事などを見ていると、もともとたいしたことのなかった岩見がさらに衰え、もう竹村健一と同じように引退したほうが良いのではないかと思える。そして、こんな化石ジャーナリストが稲田を持ち上げるのである。岩見は、今回の「靖国」上映自粛騒ぎに稲田が演じた役割をどう評価するのだろうか。

いやなことばかりの新年度スタートとなったが、ここで切れてはいけないと自分に言い聞かせる今日この頃である。

[追記]
稲田は、「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる内容の映画であれ、それを政治家が批判し、上映をやめさせるようなことが許されてはならない」などとする談話を出したそうだが、開いた口が塞がらない。自分で煽っておいて、あたしゃ知らんよ、なんて言い草が通用するでもと思っているのだろうか。


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昨日の新聞の一面トップは、「沖縄ノート」訴訟判決の記事だった。大阪地裁の判決は、太平洋戦争末期の沖縄戦における「集団自決」に旧日本軍が関与したことを認め、「沖縄ノート」の著者・大江健三郎氏と出版元の岩波書店に出版差し止めと損害賠償を求めた原告の元戦隊長と遺族の請求を棄却し、大江氏側の勝訴となった。

こういう判決が出た時の各紙の社説はパターンが決まっていて、予想通り、朝日毎日東京(中日)の各紙は判決に肯定的で、読売産経は否定的だった。読売は、「集団自決の背景に多かれ少なかれ軍の「関与」があったということ自体を否定する議論は、これまでもない。この裁判でも原告が争っている核心は「命令」の有無である」と書いているが、後者をことさらに取り上げて、"「軍命令」は認定されなかった" という見出しを社説につけている。一方、朝日は、「「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた」、毎日は「判決は、大江さんが引用し、「軍命令があった」とする戦後間もなくの証言集などの資料的価値を認め、住民証言は補償を求めるための捏造(ねつぞう)だとする原告の主張を否定した」と書いていて、読売の社説の見出しを読んだ人が朝日や毎日の社説を読むと、頭が混乱するに違いない。私には、軍の関与があって命令はなかったとする読売の主張はわけがわからない。開幕シリーズに3連敗したプロ野球・巨人の試合に原辰徳監督は関与していたが采配はふるわなかったと言っているようなものだ。理解不能である。

そもそも、この訴訟は2005年に起こされたものだ。大江健三郎の「沖縄ノート」の出版は1970年、その内容に疑義を呈した曽野綾子の「ある神話の背景」の出版は1973年だ。それが、2005年になって訴訟が起こされたのは、十数年くらい前から、産経新聞や産経文化人、それに右翼政治家らが推進した旧日本軍賛美の風潮に乗ったものだというほかない。この訴訟の原告側弁護士には、あの稲田朋美、テロを肯定する女にして、映画を検閲しようとした言論の自由の敵である稲田朋美が名を連ねているが、そのことからだけでもこの訴訟の性格は明らかだろう。旧日本軍人やその遺族は、彼ら歴史修正主義者たちによって利用されたのだ。

ところで、「稲田朋美」を検索語にしてGoogle検索をかけると、当ブログは4番目に引っかかるのだが、検索結果の画面に表示される「関連検索」がスゴい。たとえば、「稲田朋美 オリックス」というのがあって、一昨年10月15日付の「ストレイ・ドッグ」の記事が筆頭で引っかかるのだが、この記事には、
稲田代議士が、何とオリックス100%子会社「オリックス債権回収」の違法とも思える借金取立の代理人を夫(も弁護士)と共に務めているという。
と書かれている。稲田は、政治思想的に極右であるばかりではなく、竹中平蔵の盟友・宮内義彦とつるんだ過激な新自由主義者であり、その実践までしていたらしいのだ。思想極右にして経済極右。そのスーパーウルトラ極右ぶりは、安倍晋三をもしのぐかもしれない。

かと思うと、「稲田朋美 徴農」という「関連検索」もあるが、そういえば、一昨年8月29日、「『立ち上がれ! 日本』ネットワーク」(事務局長・伊藤哲夫日本政策研究センター所長)主催のシンポジウム「新政権に何を期待するか?」で、稲田が「ニート問題を解決するために徴農制度を実施すべきだ」と主張したことが当時話題になったものだ。同じシンポジウムで、稲田は加藤紘一の実家への放火テロ事件を笑いながら紹介して、会場が爆笑に包まれたとされる。

Wikipediaの「徴農制度」の記述がふるっているので、以下に紹介する。

徴農制度(ちょうのうせいど)は、軍事における徴兵制度と同様に農作業への従事を国民の義務として定める制度。

概説

本来は第一次産業に従事する人員数の確保を目的としているが、毛沢東主席時代の中国における下放政策(上山下郷運動)やポル・ポト政権下のカンボジア(民主カンプチア)のようにしばしば人格形成のカリキュラムとして採用されるケースが存在する。こうした傾向は極左思想だけでなく極右思想においても共通しており、日本においては農本主義と右翼が強く結びつく傾向があるが、国際的には農本主義と共産主義の方が親和性は高い。このような思想的背景により、徴農制度(下放)は左翼・右翼双方の国家主義に支持される政策となる。

なお、毛沢東政権下の下放政策やポル・ポトの例においては、適不適を無視した一律的な労働が課せられ効率的でなかったことや、強制的な労働による勤労意欲の低下、農業に慣れるまでの時間などから経済的に大きな損失を出し、いずれも徴農実施時の農業生産は大きく低下し、多数の餓死者を出す悲惨な結果に終わっている。

また、人格形成の面から言っても農村での生活が道徳的に好ましいという科学的データは存在せず、住みなれた場所から離れて集団生活を送ることによって、PTSDに陥る危険もある。

日本における議論

近年の日本では、政治家や実業家(稲田朋美東国原英夫、また水野正人・ミズノ社長など)が「ニートを徴農制で叩き直す」と言ったプランを主張する事例も見られるようになっているが、こうした制度の義務化は日本国憲法第18条(刑罰以外の奴隷的拘束及び苦役からの自由)に反するものと言う解釈が通説になっており、刑法改正によりニートという行為を犯罪と定義して徴農を刑罰として科すか、憲法改正を伴わなければ日本において徴農制が実施される可能性は極めて低いと見られている。

(Wikipedia ? "徴農制度" より)

つまり、稲田朋美や東国原英夫のような極右は、毛沢東やポル・ポトのような極左ときわめて親和性が高いということだ。そういえば、輸入食料品の値上がりから食料自給率の低下が問題になっているが、この対策として毛沢東がやったような下放政策を実施せよと極左が主張しているのを最近見たことがある。こういう極左は、ある日突然稲田朋美を熱狂的に支持し始めるのではないだろうか。

常識ある人間なら、稲田や東国原らが主張する徴農(下放)政策など歯牙にもかけないのは当然だ。日本を毛沢東の中国やポル・ポトのカンボジアのような、権力者が国民を大量虐殺する国にされてはたまったものではないからだ。しかし、このような異常な政治家を、3年前の総選挙で福井一区の有権者は選んでしまった。

もうそろそろ次の総選挙を考慮する必要が出てきたが、この稲田朋美は絶対に落選させたい議員の筆頭格だ。もちろん安倍晋三なんかも落選させたいが、残念ながらその見込みは薄い。しかし、稲田は普通にやっても選挙区では当選する可能性はきわめて低い。それは良いのだが、稲田は、極右の人たちの間で人気が高いから、比例区で復活当選する恐れがある。だから、それを許さないくらい総選挙では自民党を惨敗させなければならないと思う今日この頃である。


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