坂口安吾が、1932年に発表した「FARCEに就て」という文章の中で、以下のように書いている。
この文章の「文学」を「(自然)科学」に置き換えれば、たんぽぽさんの「疑似科学批判」になるし、「政治」に置き換えれば、ポピュリズム指向ブログに対する当ブログの批判になる。
たまたま批判の対象となったブログが同一だったことから、「陰謀説」がささやかれたが、対象のブログには、自然科学に対しても政治に対しても同じような接し方をする欠点(私から見て)があったに過ぎず、くどいようだが、たんぽぽさんと私では批判の動機が異なっていた。
一つだけいうと、当ブログは社会科学や政治について、十分な「専門性」を有していないことを自覚している。だから、ブログで取り上げる対象に関する自らの知識レベルを上げていかなければならず、そんな水準だから、読者に「わかりやすい」ブログ記事など書きようがないと考えている。だから、「最低のスペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く」どころか、「政治に詳しくない」と自認するブログが、「わかりやすいブログ」を標榜するという態度が、私には全く信じられないのである。自分がわかっていないのに、どうやって読者にとって「わかりやすい」記事などを書けるというのだろうか。
ところで、今回の大阪府知事選の論評をめぐって、また「B層」論議が起きているが、「B層」という言葉については、私がまだブログを開設する前に掲示板で論争していた、「郵政総選挙」当時は、コイズミ支持者たちに向かって、「あなた方が支持している小泉や竹中が、あなた方を馬鹿にしているぞ」という意味で用いた。この件が、共産党議員の国会での質問や、「サンデー毎日」の報道によって世に知られるようになった時、これが大問題となってコイズミ自民党が選挙で敗れるのは必至だと思ったものだが、その予想はもののみごとに外れた。この事実は、「B層」なるものが実在すると仮定しなければ説明がつかないものであった。だから、私はこの言葉が権力側が大衆を見下して用いたものであることを承知の上で、確信犯的に「B層」という言葉を用いてきた。ブログ開設後、私がこの言葉を多用したのは、東京都知事選と昨年夏の参議院選挙の時である。「ゆとり教育」に関しても、「B層」という言葉を用いて、新自由主義の思想に基づいた政府の愚民化政策が国民の知性を劣化させた、と批判した。当該エントリは強い反発と批判を受けたものである。
しかし、言葉は世につれ、人につれて変わる。今回の大阪府知事選、特に結果に対する論評で、私は「B層」という言葉を用いるのを意識的に避けた。参院選で民主党などの野党に投票した大阪の有権者の多くが、橋下徹に投票した事実を、深刻に受け止めなければならないと考えたからだ。
橋下徹は、昨日のエントリでも紹介した毎日新聞の1月28日付社説が、
現在の野党第一党である民主党は、相手にこのような戦法をとられると脆い。それを克服するのに、「目線を下に落として、B層の視点からわかりやすく語らなければならない」とか、「見栄えの良い、大衆受けする候補者を立てたほうがよい」などという意見が続出したことに対して、私は非常に強い危機感を覚えた。それは違う。目標とする社会のあり方や政策において、自公与党、というより新自由主義からはっきり決別する方向性を打ち出し、それを選挙前だけではなく日常的に訴え続けなければならないと考える。
選挙の論評で、「B層」は用いなかったかもしれないが、意味の通底する「ポピュリズム」は多用したではないか、とのご批判があると思うが、光市母子殺害事件でテレビの視聴者を被告弁護団の懲戒請求へと駆り立てた橋下のやり口が、「大衆煽動」という意味での「ポピュリズム」でなくて何だというのだろうか。「ポピュリズム」という言葉で、私は「大衆」より橋下徹をターゲットにしたが、橋下徹に投票した大阪府の有権者に対してもポジティブであり得ないのは当然だ。だが、3年前と比較しても、現在の国民は追い込まれている。東京や名古屋と比較して経済が好調とはいえない大阪は特にそうだ。そういう状況にあって、確実に国を破滅へと追い込むと私が信じている新保守主義や新自由主義の勢力伸張をいかに食い止めるか、これを当ブログは課題としたいと考えている。そのためには、今までのように「B層」という言葉を安易に用いるわけにはいかない。しかし、「ポピュリズム」批判は今後も続けていくつもりだ。
なお、当エントリを公開するきっかけになったのは、ブログ 「世界の片隅でニュースを読む」 の下記のエントリである。
http://sekakata.exblog.jp/6746587/
上記リンク先のブログ管理人さんが受けた批判は、当ブログにも向けられていると思う。以前 「ゆとり教育」 批判をした時に、「B層を啓蒙するつもりが、B層製造装置になっている」との批判を受けたこともある。これを機に、当ブログも、「大衆を啓蒙しようなどというつもりでブログの記事を書いているつもりは全くない」と言明しておく。
ただ、管理人さんにお願いしたいのは、「今回でもう懲りたので、しばらくは「ポピュリズム」問題には触れるつもりはない」などと仰らないでほしいということだ。批判を恐れず、堂々と持論を展開していただくことを期待したい。
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文学のように、如何に大衆を相手とする仕事でも、その「専門性(スペシアリテ)」というものは如何(いかん)とも仕方のないところである。どのように大衆化し、分り易いものとするにも、文学そのものの本質に附随するスペシアリテ以下にまで大衆化することは出来ない。その最低のスペシアリテまでは、読者の方で上って来なければならぬものだ。来なければ致し方のないことで、さればと言って、スペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く法はない。少なくとも文学を守る限りは。
(坂口安吾 「FARCEに就て」 より?新潮文庫 『堕落論』 所収)
この文章の「文学」を「(自然)科学」に置き換えれば、たんぽぽさんの「疑似科学批判」になるし、「政治」に置き換えれば、ポピュリズム指向ブログに対する当ブログの批判になる。
たまたま批判の対象となったブログが同一だったことから、「陰謀説」がささやかれたが、対象のブログには、自然科学に対しても政治に対しても同じような接し方をする欠点(私から見て)があったに過ぎず、くどいようだが、たんぽぽさんと私では批判の動機が異なっていた。
一つだけいうと、当ブログは社会科学や政治について、十分な「専門性」を有していないことを自覚している。だから、ブログで取り上げる対象に関する自らの知識レベルを上げていかなければならず、そんな水準だから、読者に「わかりやすい」ブログ記事など書きようがないと考えている。だから、「最低のスペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く」どころか、「政治に詳しくない」と自認するブログが、「わかりやすいブログ」を標榜するという態度が、私には全く信じられないのである。自分がわかっていないのに、どうやって読者にとって「わかりやすい」記事などを書けるというのだろうか。
ところで、今回の大阪府知事選の論評をめぐって、また「B層」論議が起きているが、「B層」という言葉については、私がまだブログを開設する前に掲示板で論争していた、「郵政総選挙」当時は、コイズミ支持者たちに向かって、「あなた方が支持している小泉や竹中が、あなた方を馬鹿にしているぞ」という意味で用いた。この件が、共産党議員の国会での質問や、「サンデー毎日」の報道によって世に知られるようになった時、これが大問題となってコイズミ自民党が選挙で敗れるのは必至だと思ったものだが、その予想はもののみごとに外れた。この事実は、「B層」なるものが実在すると仮定しなければ説明がつかないものであった。だから、私はこの言葉が権力側が大衆を見下して用いたものであることを承知の上で、確信犯的に「B層」という言葉を用いてきた。ブログ開設後、私がこの言葉を多用したのは、東京都知事選と昨年夏の参議院選挙の時である。「ゆとり教育」に関しても、「B層」という言葉を用いて、新自由主義の思想に基づいた政府の愚民化政策が国民の知性を劣化させた、と批判した。当該エントリは強い反発と批判を受けたものである。
しかし、言葉は世につれ、人につれて変わる。今回の大阪府知事選、特に結果に対する論評で、私は「B層」という言葉を用いるのを意識的に避けた。参院選で民主党などの野党に投票した大阪の有権者の多くが、橋下徹に投票した事実を、深刻に受け止めなければならないと考えたからだ。
橋下徹は、昨日のエントリでも紹介した毎日新聞の1月28日付社説が、
橋下氏は知名度抜群で、「子どもが笑う、大人も笑う大阪に」をキャッチフレーズに、駅前・駅中の保育施設整備、公立小学校校庭の芝生化といった身近なテーマを重点的に訴えた。と指摘しているように、郵政総選挙におけるコイズミばりの、イメージ戦略、ワンフレーズ・ポリティクス戦術を用い、これが奏功して選挙に圧勝した。
だが、財政問題については「全事業をゼロから徹底的に見直す」と述べるにとどまった。正面からの政策論争ではなく、イメージ戦に終始した印象が強い。
現在の野党第一党である民主党は、相手にこのような戦法をとられると脆い。それを克服するのに、「目線を下に落として、B層の視点からわかりやすく語らなければならない」とか、「見栄えの良い、大衆受けする候補者を立てたほうがよい」などという意見が続出したことに対して、私は非常に強い危機感を覚えた。それは違う。目標とする社会のあり方や政策において、自公与党、というより新自由主義からはっきり決別する方向性を打ち出し、それを選挙前だけではなく日常的に訴え続けなければならないと考える。
選挙の論評で、「B層」は用いなかったかもしれないが、意味の通底する「ポピュリズム」は多用したではないか、とのご批判があると思うが、光市母子殺害事件でテレビの視聴者を被告弁護団の懲戒請求へと駆り立てた橋下のやり口が、「大衆煽動」という意味での「ポピュリズム」でなくて何だというのだろうか。「ポピュリズム」という言葉で、私は「大衆」より橋下徹をターゲットにしたが、橋下徹に投票した大阪府の有権者に対してもポジティブであり得ないのは当然だ。だが、3年前と比較しても、現在の国民は追い込まれている。東京や名古屋と比較して経済が好調とはいえない大阪は特にそうだ。そういう状況にあって、確実に国を破滅へと追い込むと私が信じている新保守主義や新自由主義の勢力伸張をいかに食い止めるか、これを当ブログは課題としたいと考えている。そのためには、今までのように「B層」という言葉を安易に用いるわけにはいかない。しかし、「ポピュリズム」批判は今後も続けていくつもりだ。
なお、当エントリを公開するきっかけになったのは、ブログ 「世界の片隅でニュースを読む」 の下記のエントリである。
http://sekakata.exblog.jp/6746587/
上記リンク先のブログ管理人さんが受けた批判は、当ブログにも向けられていると思う。以前 「ゆとり教育」 批判をした時に、「B層を啓蒙するつもりが、B層製造装置になっている」との批判を受けたこともある。これを機に、当ブログも、「大衆を啓蒙しようなどというつもりでブログの記事を書いているつもりは全くない」と言明しておく。
ただ、管理人さんにお願いしたいのは、「今回でもう懲りたので、しばらくは「ポピュリズム」問題には触れるつもりはない」などと仰らないでほしいということだ。批判を恐れず、堂々と持論を展開していただくことを期待したい。
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今回の大阪府知事選で橋下徹に投票した大阪府民の間に、「熊谷貞俊陣営の橋下に対する中傷ビラの配布はいただけなかった」という意見が多く見られる。当ブログにもこの主旨のコメントをいくつかいただいた。
このビラについて、「AERA」 2月4日号が報じている。同誌によると、問題のビラは、
記事にはビラの写真が出ていて、下記のような「橋下語録」が掲載されている。
ところが、「AERA」の報じるところによると、読売新聞大阪本社の販売局が、新聞に折り込まれたこのビラの回収を指示したのだという。同誌は、サンケイ折込広告社に取材して、読売による回収の事実を明らかにしている。朝日、毎日はもちろん、産経新聞社もビラの回収などは指示していないが、読売だけがこんなことをやった。「AERA」の取材に対し、読売は、社として「ビラ回収」を一時的に指示したことを認めたものの、その後「ビラ配布OK」に判断を変更したと説明し、一部の販売店でビラ配布をしなかった事実に対しては、明確な返事をしなかった。
熊谷候補は25日に読売新聞大阪本社を訪れて抗議するとともに、公平な取扱いを求めたそうだが、そもそも、「AERA」が指摘するように、本来、新聞社と新聞販売店は別々の会社だから、ビラを入れる入れないの判断は新聞社が決めるものではない。読売新聞のやろうとしたことは、一種の言論統制にほかならず、大阪府民の「知る権利」を侵害するものだと当ブログは考える。
ネガティブキャンペーンというと、昨年の参院選前に、自民党が「消えた年金問題」をすべて民主党の菅直人代表代行に推しつけようとしたビラを思い出すが、その件と今回の件は性格が全く異なる。「消えた年金」の菅氏誹謗ビラは、菅氏が厚生大臣を務めていた頃の内閣が、自民・社会・さきがけの連立政権であって、総理大臣は自民党の故橋本龍太郎氏だったことを頬かむりしたものだが、橋下の一連の著述や発言に、熊谷候補や民主党は何もかかわっていない。これを無視して両者を一緒くたに論じるのはフェアではない。
また、こういった背景があるのに、橋下陣営による熊谷陣営のネガティブキャンペーン批判の言い分を認めてしまう「リベラル・左派系」のブログっていったい何なんだろう、と思ってしまう。「カナダde日本語」によると、「民主党も知名度があってルックスのいい候補者を立てるべきだった」と主張した「リベラル・平和系ブログ」があったそうだが、「語るに落ちる」とはこのことだ。
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このビラについて、「AERA」 2月4日号が報じている。同誌によると、問題のビラは、
熊谷候補を支援する「夢ある大阪」が作成したもので、表には熊谷候補のシンボルマークであるクマの怒り顔と、「『本物』の知事候補へ あなたの一票を」とあった。裏には、「こんな人を知事にしていいんですか?」と大きな見出しがあり、明らかに対立候補だった自民、公明両党推薦(ママ)の弁護士橋下徹氏の発言が並んでいた。内容が誹謗中傷にあたるかは別として、大阪府選挙管理委員会の許可を得た「公認ビラ」だったとのことだ。
記事にはビラの写真が出ていて、下記のような「橋下語録」が掲載されている。
これらは、いずれも著書やテレビ出演などで橋下が行った発言を集めたものだ。確かにネガティブキャンペーンにはあたるかもしれないが、誹謗中傷にはあたらないだろう。むしろ橋下という男がどういう人間かを知らしめるために必要な情報だったと思う。
- 日本人の買春は、中国へのODAみたいなもの。
- ウソをつけない奴は政治家と弁護士になれないよ!
ウソつきは政治家と弁護士の始まりなの。- アメリカの核の傘に入っているから抗議できない。日本も核兵器を持つべき。
- 脱税は所詮自分のお金を国に払わなかっただけに過ぎない。
- 一夫一妻制なる制度に、世の男女は振り回されすぎだよ。
ところが、「AERA」の報じるところによると、読売新聞大阪本社の販売局が、新聞に折り込まれたこのビラの回収を指示したのだという。同誌は、サンケイ折込広告社に取材して、読売による回収の事実を明らかにしている。朝日、毎日はもちろん、産経新聞社もビラの回収などは指示していないが、読売だけがこんなことをやった。「AERA」の取材に対し、読売は、社として「ビラ回収」を一時的に指示したことを認めたものの、その後「ビラ配布OK」に判断を変更したと説明し、一部の販売店でビラ配布をしなかった事実に対しては、明確な返事をしなかった。
熊谷候補は25日に読売新聞大阪本社を訪れて抗議するとともに、公平な取扱いを求めたそうだが、そもそも、「AERA」が指摘するように、本来、新聞社と新聞販売店は別々の会社だから、ビラを入れる入れないの判断は新聞社が決めるものではない。読売新聞のやろうとしたことは、一種の言論統制にほかならず、大阪府民の「知る権利」を侵害するものだと当ブログは考える。
ネガティブキャンペーンというと、昨年の参院選前に、自民党が「消えた年金問題」をすべて民主党の菅直人代表代行に推しつけようとしたビラを思い出すが、その件と今回の件は性格が全く異なる。「消えた年金」の菅氏誹謗ビラは、菅氏が厚生大臣を務めていた頃の内閣が、自民・社会・さきがけの連立政権であって、総理大臣は自民党の故橋本龍太郎氏だったことを頬かむりしたものだが、橋下の一連の著述や発言に、熊谷候補や民主党は何もかかわっていない。これを無視して両者を一緒くたに論じるのはフェアではない。
また、こういった背景があるのに、橋下陣営による熊谷陣営のネガティブキャンペーン批判の言い分を認めてしまう「リベラル・左派系」のブログっていったい何なんだろう、と思ってしまう。「カナダde日本語」によると、「民主党も知名度があってルックスのいい候補者を立てるべきだった」と主張した「リベラル・平和系ブログ」があったそうだが、「語るに落ちる」とはこのことだ。
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昨年の大阪市長選では、民主党と国民新党が推薦した平松邦夫氏が、自公推薦の現職・関淳一氏を破った。関氏は、市政の「改革」を掲げていた人だった。
この勢いと、橋下徹擁立の際のすったもんだを考え合わせると、大阪府知事選でも民主党・社民党・国民新党推薦の熊谷貞俊氏に勝機は十分あったはずだ。しかし結果はダブルスコアの惨敗だった。
熊谷氏出馬表明の直後の時期、最初の段階が勝敗を分けた。熊谷氏の資質を云々する声もあるが、財界とのつながりの忌避をいうなら、梅田章二候補に票が流れるはずだ。実際流れたのだろうが、その影響は微々たるものだった。
ネットで調べてみると、熊谷氏の 「上から目線」 を批判し、それより 「庶民の目線」 で語る橋下を支持し、投票したという声が結構見られた。
この「上から目線」というのは、2005年頃から使われ始めた一種の流行語らしく、「ポピュリズム 上から目線」でGoogle検索すると、一番上に当ブログを批判するブログ記事が引っかかって苦笑させられるのだが(注:その後ほかならぬ本エントリなどに抜かれて5位に落ちた)、もとはお笑い芸人がテレビでしきりに使って、それがネットでも広まったもののようだ。ネットには「上から目線」批判に対する反批判も一昨年頃から結構あるようだし、昨日はいくつかの有名ブログでも取り上げられていたようで、ここでくどくどと書くと、またブログの番人から「小型なんとか」だとか言われそうだが、「上から目線」批判というのは、一種の思考停止だということは指摘しておかねばならない。
上記の当ブログを批判したブログのコメント欄には、ほかならぬブログ管理人が地方を見下すコメントを書いていたりして、それだけで自家撞着していて面白いのだが、まあ余計なことはこれ以上書かないでおこう。
ポピュリズム批判というのは、日本では保守政権支持の側が野党を批判する際に多用されるようになったと記憶している。そのきっかけは、渡邉恒雄(ナベツネ)の著書 『ポピュリズム批判』 (1999年)ではなかっただろうか。ナベツネがこの本を出したあと、田原総一朗がテレビで野党を批判するのに「ポピュリズム」という言葉を多用するようになった。2000年に東京都知事・石原慎太郎が外形標準課税を言い出した時、朝日新聞はこれを支持し、読売新聞は「大衆迎合」だとしてこれを批判したが、これを取り上げた「サンプロ」で田原が「ポピュリズム」という言葉を絶叫していたと記憶している(外形標準課税は、故美濃部亮吉・元東京都知事が温めていたアイデアを石原がパクったものだった)。それ以来、ポピュリズムとは、一般に「大衆迎合主義」という意味で用いられるようになった。
当時や現在の野党よりよほど「ポピュリズム」という言葉がピッタリ当てはまる小泉純一郎が総理大臣になると、この言葉はさらに広まったが、石原慎太郎、小泉純一郎、それに橋下徹らは、「大衆に迎合している」というより、「大衆を煽動している」という形容がぴったりくる人たちだ。橋下については、例の光市母子殺害事件の被告弁護団への懲戒請求を煽った件が象徴的だろう。だから、ポピュリズムを「大衆迎合主義」というより「大衆煽動主義」と定義すべきだという意見もあり、私はそれももっともだと思う。
今回、熊谷氏を「上から目線」と批判して「庶民の目線」でものを語る橋下に投票した大阪府民にとっては、光市事件弁護団の懲戒請求の一件をとっても、「庶民の感覚に合致した言動」に映るのだろうし、ひとたび橋下が優勢だとわかると、みな「バスに乗り遅れるな」とばかりに橋下支持に流れる。これは、2005年の郵政総選挙の時と同じだし、昨年の参院選も、残念ながらこれの裏返しという側面が強かったということを、リベラル・左派系の人間も認めざるを得ないのではなかろうか。
いずれにしても、「大阪府民は適切な選択をした」とは私は思わない。リベラル・左派系にも、「上から目線」批判を恐れてか、努めて冷静に選挙結果を受け入れようとする意見が見られるが、それはもちろん「大衆煽動主義」ではないけれど、「大衆迎合主義」ではあると思う。民主党の選挙戦略や選挙戦術、それにこれまで自公と相乗りで与党になってきたことからまともに自公と戦う姿勢を見せなかったことへの批判の声もあり、当ブログの昨日のエントリに対しても、もっと民主党を批判せよというコメントもいただいたが、当ブログは民主党批判など前からやっている。選挙結果について民主党など野党を責めるだけにとどめて、有権者に対しては何の批判もするなというのは、自らを「大衆」の立場に置いて、それへの無批判を暗に要求する、厚かましくも不誠実な態度だと思う。
例の擬似科学批判との絡みでいうと、アインシュタインの相対性理論を理解するより、コンノケンイチが「アインシュタインの相対性理論はデタラメだった」と主張する新書を読む方が、ずっと気楽だし「庶民的」な行ないだ。だが、そういう姿勢からは科学技術は発達しないし、そのような擬似科学を支持する態度が正しいか間違っているかというと、「間違っている」に決まっている。
社会科学や政治問題は、簡単に割り切れない部分が多いのだが、基本的に私は同様のスタンスで臨むものである。
この勢いと、橋下徹擁立の際のすったもんだを考え合わせると、大阪府知事選でも民主党・社民党・国民新党推薦の熊谷貞俊氏に勝機は十分あったはずだ。しかし結果はダブルスコアの惨敗だった。
熊谷氏出馬表明の直後の時期、最初の段階が勝敗を分けた。熊谷氏の資質を云々する声もあるが、財界とのつながりの忌避をいうなら、梅田章二候補に票が流れるはずだ。実際流れたのだろうが、その影響は微々たるものだった。
ネットで調べてみると、熊谷氏の 「上から目線」 を批判し、それより 「庶民の目線」 で語る橋下を支持し、投票したという声が結構見られた。
この「上から目線」というのは、2005年頃から使われ始めた一種の流行語らしく、「ポピュリズム 上から目線」でGoogle検索すると、一番上に当ブログを批判するブログ記事が引っかかって苦笑させられるのだが(注:その後ほかならぬ本エントリなどに抜かれて5位に落ちた)、もとはお笑い芸人がテレビでしきりに使って、それがネットでも広まったもののようだ。ネットには「上から目線」批判に対する反批判も一昨年頃から結構あるようだし、昨日はいくつかの有名ブログでも取り上げられていたようで、ここでくどくどと書くと、またブログの番人から「小型なんとか」だとか言われそうだが、「上から目線」批判というのは、一種の思考停止だということは指摘しておかねばならない。
上記の当ブログを批判したブログのコメント欄には、ほかならぬブログ管理人が地方を見下すコメントを書いていたりして、それだけで自家撞着していて面白いのだが、まあ余計なことはこれ以上書かないでおこう。
ポピュリズム批判というのは、日本では保守政権支持の側が野党を批判する際に多用されるようになったと記憶している。そのきっかけは、渡邉恒雄(ナベツネ)の著書 『ポピュリズム批判』 (1999年)ではなかっただろうか。ナベツネがこの本を出したあと、田原総一朗がテレビで野党を批判するのに「ポピュリズム」という言葉を多用するようになった。2000年に東京都知事・石原慎太郎が外形標準課税を言い出した時、朝日新聞はこれを支持し、読売新聞は「大衆迎合」だとしてこれを批判したが、これを取り上げた「サンプロ」で田原が「ポピュリズム」という言葉を絶叫していたと記憶している(外形標準課税は、故美濃部亮吉・元東京都知事が温めていたアイデアを石原がパクったものだった)。それ以来、ポピュリズムとは、一般に「大衆迎合主義」という意味で用いられるようになった。
当時や現在の野党よりよほど「ポピュリズム」という言葉がピッタリ当てはまる小泉純一郎が総理大臣になると、この言葉はさらに広まったが、石原慎太郎、小泉純一郎、それに橋下徹らは、「大衆に迎合している」というより、「大衆を煽動している」という形容がぴったりくる人たちだ。橋下については、例の光市母子殺害事件の被告弁護団への懲戒請求を煽った件が象徴的だろう。だから、ポピュリズムを「大衆迎合主義」というより「大衆煽動主義」と定義すべきだという意見もあり、私はそれももっともだと思う。
今回、熊谷氏を「上から目線」と批判して「庶民の目線」でものを語る橋下に投票した大阪府民にとっては、光市事件弁護団の懲戒請求の一件をとっても、「庶民の感覚に合致した言動」に映るのだろうし、ひとたび橋下が優勢だとわかると、みな「バスに乗り遅れるな」とばかりに橋下支持に流れる。これは、2005年の郵政総選挙の時と同じだし、昨年の参院選も、残念ながらこれの裏返しという側面が強かったということを、リベラル・左派系の人間も認めざるを得ないのではなかろうか。
いずれにしても、「大阪府民は適切な選択をした」とは私は思わない。リベラル・左派系にも、「上から目線」批判を恐れてか、努めて冷静に選挙結果を受け入れようとする意見が見られるが、それはもちろん「大衆煽動主義」ではないけれど、「大衆迎合主義」ではあると思う。民主党の選挙戦略や選挙戦術、それにこれまで自公と相乗りで与党になってきたことからまともに自公と戦う姿勢を見せなかったことへの批判の声もあり、当ブログの昨日のエントリに対しても、もっと民主党を批判せよというコメントもいただいたが、当ブログは民主党批判など前からやっている。選挙結果について民主党など野党を責めるだけにとどめて、有権者に対しては何の批判もするなというのは、自らを「大衆」の立場に置いて、それへの無批判を暗に要求する、厚かましくも不誠実な態度だと思う。
例の擬似科学批判との絡みでいうと、アインシュタインの相対性理論を理解するより、コンノケンイチが「アインシュタインの相対性理論はデタラメだった」と主張する新書を読む方が、ずっと気楽だし「庶民的」な行ないだ。だが、そういう姿勢からは科学技術は発達しないし、そのような擬似科学を支持する態度が正しいか間違っているかというと、「間違っている」に決まっている。
社会科学や政治問題は、簡単に割り切れない部分が多いのだが、基本的に私は同様のスタンスで臨むものである。
大阪府知事選について書くのは気が重いが、まずは 「kojitakenの日記」 に書いた私の予想(下記URL)が大外れに終わったことを認めておかなければならない。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20071223/1198363813
ポピュリズムを甘く見て煮え湯を飲まされた、というと、3年前の「郵政総選挙」が忘れられないが、24日のエントリでも触れたように、野党第一党である民主党がそもそも風任せ、というかポピュリズム的傾向の強い政党であって、2003年の衆院選と2004年の参院選では無党派層の支持を得て自民党の議席に肉薄(2003年衆院選)ないしは上回った(2004年参院選)。コイズミマジックにやられた郵政総選挙のことや、安倍晋三が「空気」を読めずに四面楚歌となって自民党が惨敗した昨年の参院選のことは、何度も書いてきたからくどくどと繰り返しはしない。ただ、自民党大勝、民主党惨敗に終わった「郵政総選挙」だけではなく、その逆の結果に終わった昨年の参院選からも、民主党のポピュリズム体質は全然改まっていないことがはっきりした。
この選挙結果に対して、書くべき言葉が出てこないので、当ブログや「kojitakenの日記」へのコメント、それに橋下に反対の声をあげたブログの記事を紹介することにしたい。
当ブログには、sonicさんから、
「kojitakenの日記」のエントリ 「投票終了と同時に橋下徹当確の報道」 には、3件のコメントをいただいた。
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http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20071223/1198363813
ポピュリズムを甘く見て煮え湯を飲まされた、というと、3年前の「郵政総選挙」が忘れられないが、24日のエントリでも触れたように、野党第一党である民主党がそもそも風任せ、というかポピュリズム的傾向の強い政党であって、2003年の衆院選と2004年の参院選では無党派層の支持を得て自民党の議席に肉薄(2003年衆院選)ないしは上回った(2004年参院選)。コイズミマジックにやられた郵政総選挙のことや、安倍晋三が「空気」を読めずに四面楚歌となって自民党が惨敗した昨年の参院選のことは、何度も書いてきたからくどくどと繰り返しはしない。ただ、自民党大勝、民主党惨敗に終わった「郵政総選挙」だけではなく、その逆の結果に終わった昨年の参院選からも、民主党のポピュリズム体質は全然改まっていないことがはっきりした。
この選挙結果に対して、書くべき言葉が出てこないので、当ブログや「kojitakenの日記」へのコメント、それに橋下に反対の声をあげたブログの記事を紹介することにしたい。
当ブログには、sonicさんから、
大阪が死にましたね。というコメントをいただいた。大阪というと「判官びいき」の街というイメージだったが、それも今は昔だ。
「kojitakenの日記」のエントリ 「投票終了と同時に橋下徹当確の報道」 には、3件のコメントをいただいた。
nagonagu 2008/01/27 21:00 恐るべしポピュリズム。これを超えていくには、どうしたらいいんでしょうね。超えなければならないことだけはわかっているんだが。どうしたらいいのか。私も「kojitakenの日記」の該当エントリを書きながら自問自答していたのだが、答えが出てこなかった。一つだけ指摘したいのは、現在、「リベラル・平和系」とされるブログの間には、ポピュリズムを克服するどころか増幅する傾向が見られることだ。そのことは、nagonaguさん(宮城康博さん)にも議論にかかわっていただいた擬似科学および陰謀論に関するブログ間の論争の件から強く感じた。
nakedmikan 2008/01/27 21:45 本当に残念ですが橋下に当確が出てしまいました。今回は、気づいたときにはもうどうしようもない流れができていた感じで、郵政総選挙の時(当時はブログを開設していなかったが)をいやでも思い起こさせる展開になった。昨年の東京都知事選の時は、強大な敵に挑む感覚だったが、「郵政総選挙」や今回の選挙は、「まさか」という思いだ。やはり、「ポピュリズム」という元凶を元から断たなければダメなのだと思う。
郵政選挙の空しさよりはマシな気がしますが、もっとも人の上に立ってはいけないと思う種類の人間が首長になってしまったのは本当に悔しいです。
このブログを含めて橋下を落選させたいと思っていた人たちのやっていた方向は、よりまともな社会を目指すこととしては間違いが無いものだと思いますが、今回は私も含め不十分だったと思います。
この橋下の再選を阻むのは勿論ですが、当面は次の衆議院選挙に向けて自ENDを願うものもブロガーとしても、いったいどのような動きをするべきか再考の余地があるように思います。
kechack 2008/01/28 02:30 結局は有権者のレベルはこんなものです。昨日までガソリン国会で民主党をポピュリズムと批判した自公がポピュリズムを以って勝利したのはなんとも皮肉です。kechackさんは、ブログ「Munchener Brucke」でより突っ込んだ分析をされている。
小沢一郎なんかは、有権者のレベルを案外把握しているから、ガソリン値下げ隊みたいな猿芝居を敢えてやったりするんですよね。政治意識の高い人はああいうの批判しますが、実態は案外プラスだったりするんですよ。
自民党はこの成功体験を活かしたいところですが、ムリでしょう。衆議院の候補者はもう満杯で、無党派層の人気を喚起できそうなタレント候補を擁立する余地はありません。それが出きるのは、前回落選者を大量に出し、空白区を残している民主党の方です。
「大阪府知事選でも自民党反転が難しい二つの理由」大阪府在住のブロガーの切実な声も紹介したい。
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20080127/p1
「反戦な家づくり」 より 「やけ酒でも飲むしかないか・・・」とらちゃんの橋下落選キャンペーンを盛り立てた 「カナダde日本語」 をはじめ、多くのブログによる橋下落選運動は実らなかった。再三書くように、ポピュリズムとの闘いが大きなテーマとして残った形だ。ブログからの発信力を増すためには、いかにこれを克服するか、今後公開するエントリを通して答えを出していくしかない。
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-491.html
「晴天とら日和」 より 「(橋下当選・ケッ!):大阪で生まれた女やさかい、・・・・」
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51149879.html
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当地は、朝方ずいぶん冷え込んだが、大阪も最低気温0度近くまで冷え込んだようだ。天気予報によると、今日の大阪の天気は晴時々曇、予想最高気温は7度とのことだ。平年より気温は低いものの、冬型の気圧配置が緩み始めてきており、お出かけには決して悪い天気ではなさそうだ。
大阪府民の有権者の方々には、是非大阪府知事選の投票所に足を運んでいただきたい。
現在全盛の新自由主義がさらに推進されると、橋の下にいたら、橋がいきなり倒壊して、下敷きになって死んでしまう時代がくるかもしれない。
そんな事態を招き寄せないための一票を、是非投じていただきたいと思う。
大阪府民の有権者の方々には、是非大阪府知事選の投票所に足を運んでいただきたい。
現在全盛の新自由主義がさらに推進されると、橋の下にいたら、橋がいきなり倒壊して、下敷きになって死んでしまう時代がくるかもしれない。
そんな事態を招き寄せないための一票を、是非投じていただきたいと思う。
大阪府知事選の投票日まであと3日だが、世論調査では橋下徹候補(自民・公明支持)が熊谷貞俊候補(民主・社民・国民新推薦)や梅田章二候補(共産推薦)らにかなりの差をつけてリードしているそうだ。自民党や公明党の本部が推薦を出せなかったほど「筋の悪い」候補である橋下が優位に立っていることに対して、失望を禁じ得ない。
橋下惨敗というブログ管理人の予想は大きく外れることになりそうだが、同様の例として、昨年4月の東京都知事選での石原慎太郎や、7月の参院選東京選挙区での丸川珠代の当選がある。前者は、不祥事続出の石原が週刊誌などに激しく叩かれ、対立候補の浅野史郎、吉田万三、故黒川紀章の三氏からも激しい批判を浴びながら、いざ蓋を開けてみると石原が圧勝をおさめた。また、参院選では自民党への強烈な逆風の中、2候補を立てた自民党は、保坂三蔵候補が優勢で丸川珠代候補は落選必至と予想されていたが、開票結果はなんと丸川の当選、保坂候補の落選だった。
これらの例は、テレビなどでの露出度の高い候補は、たとえ自民党への批判が強い時期でも得票力があることを示す。これは、野党第一党の民主党が、風任せ戦術というか、ポピュリズムに走りがちな弱点を持っているせいだろう。だから、民主党をはるかに上回る威力を持った、さらなるポピュリズムには勝てないのだ。コイズミのポピュリズムにやられた2005年の衆議院選挙は、その最悪の例だが、民主党はこの時突きつけられた課題を未だに解決できていない。そういえばブログの世界でも、リベラル・左派系に論理より「共感」(というより同調圧力)を重んじる妙な風潮があって、ポピュリズムに流される傾向が強いことを示した騒動が先日あった。ただしこちらは同調圧力をかけた側の勝利には終わらなかったことが救いだ。
今朝の新聞は、「宙に浮いた」年金記録約5千万件のうち、氏名がオンライン入力されていない記録(約524万件)について、社会保険庁の補正作業の結果、約6万件は持ち主を特定できなかったことが判明した、と報じている。
年金で新たな問題が発覚するたに、政府が苦しい言い訳をして、年金問題に強い民主党の長妻昭議員らの厳しい追及にたじたじとなる、というのがいつもの構図であり、このニュースは自民党への逆風、民主党への追い風となるだろうが、大阪府知事選に与える影響は残念ながら小さいだろう。自民党が橋下を党本部の推薦とせず支持にとどめたのは、自民党への逆風の影響が及ばないための配慮とも考えられる。プライドも何もあったものではない話だが、政権や影響力を維持するためには何でもやるのが今の自民党だ。
大阪府知事選で橋下を落選に追い込む可能性は高いとはいえなくなっているが、心ある大阪の有権者には、決して諦めず、橋下を落選させるための投票行動をとることをお願いしたい。
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橋下惨敗というブログ管理人の予想は大きく外れることになりそうだが、同様の例として、昨年4月の東京都知事選での石原慎太郎や、7月の参院選東京選挙区での丸川珠代の当選がある。前者は、不祥事続出の石原が週刊誌などに激しく叩かれ、対立候補の浅野史郎、吉田万三、故黒川紀章の三氏からも激しい批判を浴びながら、いざ蓋を開けてみると石原が圧勝をおさめた。また、参院選では自民党への強烈な逆風の中、2候補を立てた自民党は、保坂三蔵候補が優勢で丸川珠代候補は落選必至と予想されていたが、開票結果はなんと丸川の当選、保坂候補の落選だった。
これらの例は、テレビなどでの露出度の高い候補は、たとえ自民党への批判が強い時期でも得票力があることを示す。これは、野党第一党の民主党が、風任せ戦術というか、ポピュリズムに走りがちな弱点を持っているせいだろう。だから、民主党をはるかに上回る威力を持った、さらなるポピュリズムには勝てないのだ。コイズミのポピュリズムにやられた2005年の衆議院選挙は、その最悪の例だが、民主党はこの時突きつけられた課題を未だに解決できていない。そういえばブログの世界でも、リベラル・左派系に論理より「共感」(というより同調圧力)を重んじる妙な風潮があって、ポピュリズムに流される傾向が強いことを示した騒動が先日あった。ただしこちらは同調圧力をかけた側の勝利には終わらなかったことが救いだ。
今朝の新聞は、「宙に浮いた」年金記録約5千万件のうち、氏名がオンライン入力されていない記録(約524万件)について、社会保険庁の補正作業の結果、約6万件は持ち主を特定できなかったことが判明した、と報じている。
年金で新たな問題が発覚するたに、政府が苦しい言い訳をして、年金問題に強い民主党の長妻昭議員らの厳しい追及にたじたじとなる、というのがいつもの構図であり、このニュースは自民党への逆風、民主党への追い風となるだろうが、大阪府知事選に与える影響は残念ながら小さいだろう。自民党が橋下を党本部の推薦とせず支持にとどめたのは、自民党への逆風の影響が及ばないための配慮とも考えられる。プライドも何もあったものではない話だが、政権や影響力を維持するためには何でもやるのが今の自民党だ。
大阪府知事選で橋下を落選に追い込む可能性は高いとはいえなくなっているが、心ある大阪の有権者には、決して諦めず、橋下を落選させるための投票行動をとることをお願いしたい。
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今晩はクリスマス・イブだが、昨年のように「アヴェ・マリア」が「安倍マリア」に聞こえることもなく、少しだけ昨年よりは気分が晴れる。しかし、国民の生活にさす影は暗さを増す一方だ。
当ブログ管理人も平穏な休日とはいかず、裏ブログ 「kojitakenの日記」 および当ブログが、いずれもお騒がせの材料を提供した形となった。
まず裏ブログ関連の話題からいうと、大阪府知事選に関する 「橋下徹当選の見込みはほとんどない」 という記事に、8千件以上のアクセスが殺到した。今日(12月24日)のブログへのアクセス数は6,735件を数え、過去最多を大幅に更新した。
これは、朝日新聞の記事をもとに、来年1月に行われる大阪府知事選に自民・公明両党の推薦を受けて立候補が予想されているタレント弁護士の橋下徹の落選を予想した記事である。短い記事なので、以下に再掲する。
この記事には、30件以上の 「はてなブックマーク」 をいただいているが、つけられたコメントにはネガティブなものが結構多い。
まず、橋下に批判的な立場の人たちからは、楽観的に過ぎる予想だと見られている。
「某政治評論家ばりの希望的分析に見える」と言われれば、返す言葉はない。その通りだからだ(笑)。私は、朝日新聞の記事を読んで思ったことをさらっと書いただけだ。まさかこんなに反響を呼ぶとは思わなかった。
大阪人に対して懐疑的なコメントもついている。
大阪府民の方々には、この芳しくない下馬評をひっくり返してほしいものだが、B層からとおぼしき、こんなコメントもある。
こんなコメントを見ていると不安を感じなくもない。確かに大阪は、石原慎太郎や丸川珠代を当選させた東京と並んで常識が通用しないところがある。だが、ここは一つ大阪府民の良識に期待したいと思っている。
本家の当ブログでは、リベラル・平和系とされるブログにも蔓延する「トンデモ」(疑似科学)や「陰謀論」を批判した昨日のエントリが議論を呼んだ。この記事は、疑似科学に容認的な人たちが形成するコミュニティに異を唱えるものだったためだろう、一部から強い反発を招いたが、それらに対して当ブログはリンクの解除やトラックバック及びコメントの禁止措置で応じた。かかるコミュニティを形成している人たちの閉鎖性が、かえって一般の人たちを遠ざけたり閉め出したりしているのではないかと当ブログは考えるからであって、そんなのをいちいち相手にしている暇などない。
そもそも、「ケムトレイル」や「HAARP気象兵器説」を喧伝しているブログをもてはやすコミュニティなどには近寄らないのが、一般の人々の健全な感覚だろう。自民党政治を終わらせたり、「野党共闘」を実現させるためにブログが貢献するためには、こうした「トンデモ」や「陰謀論」の誘惑をはねのける姿勢が求められると思う。
最後に、久々にTBをやりとりする機会を得たブログ 「アルバイシンの丘」 から、強く共感した箇所を引用したい。
その通り! 当ブログもまた声高らかに叫びたい。「くたばれ、疑似科学」、そして「くたばれ、陰謀論」と。
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当ブログ管理人も平穏な休日とはいかず、裏ブログ 「kojitakenの日記」 および当ブログが、いずれもお騒がせの材料を提供した形となった。
まず裏ブログ関連の話題からいうと、大阪府知事選に関する 「橋下徹当選の見込みはほとんどない」 という記事に、8千件以上のアクセスが殺到した。今日(12月24日)のブログへのアクセス数は6,735件を数え、過去最多を大幅に更新した。
これは、朝日新聞の記事をもとに、来年1月に行われる大阪府知事選に自民・公明両党の推薦を受けて立候補が予想されているタレント弁護士の橋下徹の落選を予想した記事である。短い記事なので、以下に再掲する。
■橋下徹当選の見込みはほとんどない
朝日新聞より。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200712210088.html
「財界、熊谷氏支持に傾く」と題されたこの記事を読んでいると、大阪府知事選はもはや勝負あり、お笑い右翼弁護士・橋下徹が当選する可能性はほとんどないように思う。
公明党は推薦に難色を示しており、自民党もまだ推薦を決定していない。右翼的な発言ばかりではなく、公約に福祉切り捨てを盛り込もうとしている非常識な橋下に、さしもの自民党も手を焼いているのではないだろうか。私は最終的に自民党は橋下を推薦しないと予想する。さすがに熊谷氏を推薦する恥知らずな行動は取れないだろうから、自主投票にして不戦敗にするか、他の候補を探すかのどちらかだろうが、いずれにしても自民党の威信は大きく低下し、党の崩壊はさらに進むだろう。また、橋下は出馬表明撤回に追い込まれ、赤っ恥をかく羽目に陥るのではなかろうか。
それにしても、テレビで共演していた勝谷誠彦が橋下を批判したり、やしきたかじんが「出馬を勧めたのではない」と言い出すなど、機を見るに敏なポピュリスト芸能人たちの冷血ぶりには呆れるね。こんなやつらに煽動される視聴者は「B層」の一語に尽きるよ。
[追記]
橋下は高齢者予算を削減する方針を撤回し、自民党の府議団は全会一致で橋下の推薦を決定したそうだが、自民党執行部がこれを認めるかどうか。橋下を推薦した場合、公明党は積極的には動かず、創価票が普段のようには出ないと予想されるので、橋下は熊谷氏に歴史的惨敗を喫し、それが中央の政局に大きな影響を与えることは火を見るより明らかだ。
(「kojitakenの日記」 2007年12月23日 「橋下徹当選の見込みはほとんどない」)
この記事には、30件以上の 「はてなブックマーク」 をいただいているが、つけられたコメントにはネガティブなものが結構多い。
まず、橋下に批判的な立場の人たちからは、楽観的に過ぎる予想だと見られている。
# 2007年12月24日 kyo_ju kyo_ju 某政治評論家ばりの希望的分析に見える。自公は選挙中は言いたいこと言わせて当選後にうまいこと操るハラでは。
# 2007年12月24日 I11 当選する可能性が無い人が当選してしまうのが選挙の怖いところ。橋下ほど小心な男はいない。違法な懲戒請求を扇動したが自分では請求しなかった。当選できる可能性があるからこそ小心者の橋下は出馬した。
「某政治評論家ばりの希望的分析に見える」と言われれば、返す言葉はない。その通りだからだ(笑)。私は、朝日新聞の記事を読んで思ったことをさらっと書いただけだ。まさかこんなに反響を呼ぶとは思わなかった。
大阪人に対して懐疑的なコメントもついている。
# 2007年12月23日 sajiwo 有権者が大阪人っていうのを忘れていませんか。
# 2007年12月23日 kechack 大阪はB層が厚いからなぁ
大阪府民の方々には、この芳しくない下馬評をひっくり返してほしいものだが、B層からとおぼしき、こんなコメントもある。
# 2007年12月23日 proofreading 橋下になんか個人的な恨みでもあるのか?よくわからんが不快だから橋下に投票してやろう。
こんなコメントを見ていると不安を感じなくもない。確かに大阪は、石原慎太郎や丸川珠代を当選させた東京と並んで常識が通用しないところがある。だが、ここは一つ大阪府民の良識に期待したいと思っている。
本家の当ブログでは、リベラル・平和系とされるブログにも蔓延する「トンデモ」(疑似科学)や「陰謀論」を批判した昨日のエントリが議論を呼んだ。この記事は、疑似科学に容認的な人たちが形成するコミュニティに異を唱えるものだったためだろう、一部から強い反発を招いたが、それらに対して当ブログはリンクの解除やトラックバック及びコメントの禁止措置で応じた。かかるコミュニティを形成している人たちの閉鎖性が、かえって一般の人たちを遠ざけたり閉め出したりしているのではないかと当ブログは考えるからであって、そんなのをいちいち相手にしている暇などない。
そもそも、「ケムトレイル」や「HAARP気象兵器説」を喧伝しているブログをもてはやすコミュニティなどには近寄らないのが、一般の人々の健全な感覚だろう。自民党政治を終わらせたり、「野党共闘」を実現させるためにブログが貢献するためには、こうした「トンデモ」や「陰謀論」の誘惑をはねのける姿勢が求められると思う。
最後に、久々にTBをやりとりする機会を得たブログ 「アルバイシンの丘」 から、強く共感した箇所を引用したい。
もし陰謀論をリードする人たちがその陰謀論が持て囃される状況に乗って我々のリーダーのような立場に就く可能性も無きにしも非ずである.それはリーダーとしてふさわしくない人がリーダーにつくことを意味する.これは反戦,平和運動にとって極めて大きなマイナスである.陰謀論に不当な(良い)評価を与えることはこういう危険性を招く.これは一種のポピュリズムであるから,そのようになる恐れは十分にある.
(中略)
何でもユダヤの所為にしたら簡単であるが,小泉のワンフレーズの単純さと五十歩百歩となる.これでは強靭な智の形成はとても覚束ない.世の中の正しい分析のために,簡単には陰謀論を受け付けないようにしよう.
(「アルバイシンの丘」 2007年12月9日 「続・9.11陰謀論の陥穽」 より)
その通り! 当ブログもまた声高らかに叫びたい。「くたばれ、疑似科学」、そして「くたばれ、陰謀論」と。
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私は、大阪の生まれである。
大阪には幼い頃にしか住んでいなかった。その後、各地を転々としたが、どこに移り住もうとも、大阪生まれであるという事実は変えられない。大阪というのは不思議な都市で、首都・東京に対抗心を燃やしているにもかかわらず、近くの京都や神戸からも見下されている。京都も神戸もプライドの高い都市で、横浜や千葉・埼玉が東京に頭が上がらないのとは対照的である。私が高校生の頃、「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」という日曜夜のラジオ大阪の深夜放送が人気を集めていたが、ある時、放送作家の新野新が「大阪を好きなのは大阪人だけ」と言ったことが印象に残っている。
そんな大阪の府知事選に、橋下(はしもと)徹という男が出馬を表明した。この橋下という男がまた、「大阪の恥」としか言いようのない人物なのだ。
12月6日のエントリ 「恥も外聞もなく「橋下弁護士」擁立を模索する呆れた自民党」 でも書いたように、橋下はテレビで憲法9条の改変どころか徴兵制や核武装論をすべきだと論じ、光市母子殺害事件の弁護団に対して懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた人物だ。
橋下が出演しているテレビ番組とは、大阪・よみうりテレビの制作で日曜の午後に放送されている 「たかじんのそこまで言って委員会」 という番組で、4年前に大阪ローカルでスタートしたこの番組は、現在では首都圏など関東や東北地方を除く全国にネットされている。当地でも一昨年からネットされるようになったが、私にはこの番組を見る習慣はない。勝谷誠彦、三宅久之、田嶋洋子、宮崎哲弥、金美齢、それに政治家では平沢勝栄、鴻池祥肇、舛添要一、原口一博らという常連出演者の名前を見るだけでも、テレビ朝日の「TVタックル」を過激にしたような極右ポピュリズム番組であることは明らかだから、とてもではないが見る気など起きない。こんな電波芸者どもの馬鹿発言につき合っていられる暇なんかない。
こんな番組を、「首都圏では放送できない、大阪の放送局制作ならではの本音トーク番組」だなどと思い込んでいる馬鹿が関西には結構いるらしく、日曜日の午後としては高い視聴率を得ているのだという。かつて反骨精神旺盛だった関西は、いまでは首都圏以上に極右ポピュリズムに流されやすい地方に転落したのかと思うと、関西出身の人間としては非常に残念だが、橋下の一連の発言はこの番組を通じて発信されているらしい。
中でも上記の光市母子殺害事件の弁護団に対して懲戒請求を呼びかけた件は、「きっこの日記」 (12月12日)からもリンクを張られている江川紹子さんの 「Egawa Shoko Journal」 (9月9日)でも指摘されているように、インターネットを通じて弁護団への懲戒請求書のテンプレートが出回っていることもあって、弁護団に対しては全国で少なくとも3900件の懲戒請求が出された。この件に関して橋下は、同弁護団の今枝仁弁護士ら4弁護人から損害賠償請求の裁判を起こされたのである。橋下はテレビの発言を通じて視聴者やネット右翼を煽ったわけだが、呆れたことに橋下は、懲戒請求をする者の負担については何も説明せず、実際にテレビに煽られて弁護団への懲戒請求を出した人が弁護士会から配達証明郵便で、書類の提出を求められたうえ、調査の過程で必要な時に事情を聞く場合があるという書面を受け取ってびっくりしてしまって「教えて!goo」に相談した例が、江川さんの記事に紹介されている。
さらに、もっとも信じられないのは視聴者を煽った橋下本人が、「時間と労力を費やすのを避けるため」と称して懲戒請求をしていないことだ。呆れ返ってものも言えないとはこのことだ。
この橋下徹という男は、典型的な極右ポピュリストだと思う。ポピュリズムとは、「大衆迎合主義」と訳されることが多いが、正しくは「大衆煽動主義」というべきだという指摘がある。代表的なポピュリズム政治家であるコイズミや石原慎太郎を見ていると、確かに大衆に「迎合」しているというよりは大衆を「煽動」しているというほうが適切であると私も思う。そして、そういう意味でも橋下は典型的なポピュリストだといえるだろう。
しかし、コイズミや石原の場合はまだ実際の政治の場で声を発してきた人物だ。それに対し、橋下は本業は弁護士で、副業の芸能活動で大衆を煽動してきた人物であり、同じポピュリストでもコイズミや石原よりさらに程度の低い人間だといえると思う。こんな人物でも擁立すれば選挙に勝てると考えている自民党は、大阪府民の民度はその程度だと考えて大阪人を馬鹿にしているのであり、さすがの民主党も橋下には相乗りせず、独自候補を擁立しようとしているのは当然だろう。本当は、こんな橋下ごときの馬鹿げた候補者が相手ではあっても、そのポピュリズムの害毒が流れるのを阻止する意味でも、ずっと前から候補者を絞っていた共産党と共闘するくらいの度量を民主党には求めたいところだが、それがないものねだりであることは私も承知している。
それにしても、自分たちの無能を棚に上げて大阪府民をバカにする自民党には呆れたものだ。大阪府民はこれに怒って府知事選では橋下を打倒すべく怒りの一票を投じるべきだろう。
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大阪には幼い頃にしか住んでいなかった。その後、各地を転々としたが、どこに移り住もうとも、大阪生まれであるという事実は変えられない。大阪というのは不思議な都市で、首都・東京に対抗心を燃やしているにもかかわらず、近くの京都や神戸からも見下されている。京都も神戸もプライドの高い都市で、横浜や千葉・埼玉が東京に頭が上がらないのとは対照的である。私が高校生の頃、「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」という日曜夜のラジオ大阪の深夜放送が人気を集めていたが、ある時、放送作家の新野新が「大阪を好きなのは大阪人だけ」と言ったことが印象に残っている。
そんな大阪の府知事選に、橋下(はしもと)徹という男が出馬を表明した。この橋下という男がまた、「大阪の恥」としか言いようのない人物なのだ。
12月6日のエントリ 「恥も外聞もなく「橋下弁護士」擁立を模索する呆れた自民党」 でも書いたように、橋下はテレビで憲法9条の改変どころか徴兵制や核武装論をすべきだと論じ、光市母子殺害事件の弁護団に対して懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた人物だ。
橋下が出演しているテレビ番組とは、大阪・よみうりテレビの制作で日曜の午後に放送されている 「たかじんのそこまで言って委員会」 という番組で、4年前に大阪ローカルでスタートしたこの番組は、現在では首都圏など関東や東北地方を除く全国にネットされている。当地でも一昨年からネットされるようになったが、私にはこの番組を見る習慣はない。勝谷誠彦、三宅久之、田嶋洋子、宮崎哲弥、金美齢、それに政治家では平沢勝栄、鴻池祥肇、舛添要一、原口一博らという常連出演者の名前を見るだけでも、テレビ朝日の「TVタックル」を過激にしたような極右ポピュリズム番組であることは明らかだから、とてもではないが見る気など起きない。こんな電波芸者どもの馬鹿発言につき合っていられる暇なんかない。
こんな番組を、「首都圏では放送できない、大阪の放送局制作ならではの本音トーク番組」だなどと思い込んでいる馬鹿が関西には結構いるらしく、日曜日の午後としては高い視聴率を得ているのだという。かつて反骨精神旺盛だった関西は、いまでは首都圏以上に極右ポピュリズムに流されやすい地方に転落したのかと思うと、関西出身の人間としては非常に残念だが、橋下の一連の発言はこの番組を通じて発信されているらしい。
中でも上記の光市母子殺害事件の弁護団に対して懲戒請求を呼びかけた件は、「きっこの日記」 (12月12日)からもリンクを張られている江川紹子さんの 「Egawa Shoko Journal」 (9月9日)でも指摘されているように、インターネットを通じて弁護団への懲戒請求書のテンプレートが出回っていることもあって、弁護団に対しては全国で少なくとも3900件の懲戒請求が出された。この件に関して橋下は、同弁護団の今枝仁弁護士ら4弁護人から損害賠償請求の裁判を起こされたのである。橋下はテレビの発言を通じて視聴者やネット右翼を煽ったわけだが、呆れたことに橋下は、懲戒請求をする者の負担については何も説明せず、実際にテレビに煽られて弁護団への懲戒請求を出した人が弁護士会から配達証明郵便で、書類の提出を求められたうえ、調査の過程で必要な時に事情を聞く場合があるという書面を受け取ってびっくりしてしまって「教えて!goo」に相談した例が、江川さんの記事に紹介されている。
さらに、もっとも信じられないのは視聴者を煽った橋下本人が、「時間と労力を費やすのを避けるため」と称して懲戒請求をしていないことだ。呆れ返ってものも言えないとはこのことだ。
この橋下徹という男は、典型的な極右ポピュリストだと思う。ポピュリズムとは、「大衆迎合主義」と訳されることが多いが、正しくは「大衆煽動主義」というべきだという指摘がある。代表的なポピュリズム政治家であるコイズミや石原慎太郎を見ていると、確かに大衆に「迎合」しているというよりは大衆を「煽動」しているというほうが適切であると私も思う。そして、そういう意味でも橋下は典型的なポピュリストだといえるだろう。
しかし、コイズミや石原の場合はまだ実際の政治の場で声を発してきた人物だ。それに対し、橋下は本業は弁護士で、副業の芸能活動で大衆を煽動してきた人物であり、同じポピュリストでもコイズミや石原よりさらに程度の低い人間だといえると思う。こんな人物でも擁立すれば選挙に勝てると考えている自民党は、大阪府民の民度はその程度だと考えて大阪人を馬鹿にしているのであり、さすがの民主党も橋下には相乗りせず、独自候補を擁立しようとしているのは当然だろう。本当は、こんな橋下ごときの馬鹿げた候補者が相手ではあっても、そのポピュリズムの害毒が流れるのを阻止する意味でも、ずっと前から候補者を絞っていた共産党と共闘するくらいの度量を民主党には求めたいところだが、それがないものねだりであることは私も承知している。
それにしても、自分たちの無能を棚に上げて大阪府民をバカにする自民党には呆れたものだ。大阪府民はこれに怒って府知事選では橋下を打倒すべく怒りの一票を投じるべきだろう。
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