きまぐれな日々

 統一地方選は全国的には自民党、大阪では維新の強さが目立つという結果になった。

 年初に起きた自称「イスラム国」による日本人人質事件で安倍晋三が強気を貫いて人質2人を見殺しにして以来、それまでわずかながら長期低落の傾向にあった安倍内閣支持率が下げ止まり、一昨年、昨年以上に悲惨な政治の状況になっている。

 それを実質的に援護しているのが、「リベラル」側のふがいなさである。たとえば、朝日新聞のていたらくには目を覆うものがある。

 最近目にした最悪の例は、先週末の土曜日、4月11日付オピニオン面に掲載された「耕論『右傾化』」だった。3人にインタビューしているのだが、その3人とは三浦瑠麗、平沼赳夫、さやわか。言わずと知れた極右政治家である平沼を含み、全員が「右」なのだ。「右」の人間ばかり選んで「右傾化」を論じさせるとは、悪い冗談としか思えない。まるで産経だ。

 下記に、この記事についた「はてなブックマーク」の「人気コメント」からいくつかピックアップする。

sapopopo このタイミングで、この面子の、こんな記事出てるのがまさに右傾化の証左では

kabutomutsu もはや朝日はバランス取るフリすらしないらしい

Fondriest 三バカトリオ以外のどんな感想が可能なの?箸にも棒にも掛からない幼稚な妄言/国際政治学って地政学と並んで馬鹿の吹き溜まりなの?

inumash これから憲法改正やらなにやらが政策として具体化してくる状況を分析させるのに何故このメンツなのかさっぱりわからんが、差し当たり三浦瑠麗は信頼できる論者ではないってことがはっきりわかった。

kanose この記事で三浦瑠麗氏の株がストップ安になってる

wideangle "そもそも保守主義者を名乗る人たちを含め、日本人の多くは誤解しています。尖閣諸島で日中が衝突すれば、日米安全保障条約を結ぶ米国が助けにくると信じていますが、それは錯覚です。" 平沼だなあ……


 三浦瑠麗に対する批判は、今日未明に『kojitakenの日記』の記事「朝日オピニオン面『右傾化』特集に載った三浦瑠麗のインタビューがひど過ぎる」に書いたので繰り返さない。ここでは、上記「はてなブックマーク」の「人気コメント」のうち、最後の平沼赳夫の発言に注目したい。

 確かに平沼は上記のように発言している。そして、その部分だけに関して言えば平沼は正しいと私も思う。しかし、その事実をもって、「だから日本は自主憲法を制定しなければならない」と結論づける平沼の論法には真っ向から反対する。

 しかし、上記平沼の論法に酷似した主張が、最近一部の「リベラル」たちの間で支持を集めているのではないだろうか。そう、矢部宏治の『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』だ。朝日新聞で池澤夏樹が絶賛していた。池澤のコラムを読んで激怒した私は、ついに矢部の本の現物を買った。「はじめに」を読んだだけで「トンデモ本」であることがわかった。読み進むにつれて怒り心頭に発した。

 まだ本の最初の方しか読んでいないが、「4年前までノンポリだった」と自称する矢部宏治は、砂川事件の最高裁判決で示された「統治行為論」を最近まで知らなかったかのように書いている。これが本当なのかどうかは疑う必要があるが、矢部と同年代で同じ地方の出身である私は、砂川事件の最高裁判決や「統治行為論」は高校の政治経済の時間に習った。しかし、それを日本国憲法第9条第2項の否定に結びつける論法は習わなかった。

 池澤夏樹は、矢部の本に書いてあることを「左折の改憲」だというのだが、それは平沼赳夫の「改憲」もとい「自主憲法制定」の議論と何も変わらないではないか。

 それで思い出すのだが、平沼赳夫は小泉純一郎によって自民党を追い出されて以来、時に「反米右翼」の主張をすることがあって(前述のように今回の朝日のインタビューでもしている)、それを取り上げて評価し、平沼を批判する論陣を張り続けていた私を指して、「平沼赳夫さんを『極右』と決めつける人がいます」と批判した「政権交代ブロガー」がいた。ブログやツイッターでは「喜八」と名乗る人間である。「政権交代論」華やかなりし時代に小沢一郎を熱烈に支持していたブロガーたちの大半は、この議論で「喜八」の肩を持った。この国の「リベラル」がいかにダメな人間の集まりであるかを如実に示している。

 そのダメさは徐々に広がり、最近では池澤夏樹もあっけなく「転向」した。朝日新聞は今年も高橋源一郎の「論壇時評」を続け、小熊英二のコラムを皮切りに、池澤夏樹のコラム、三浦瑠麗、平沼赳夫、さやわかのインタビューで「右傾化なんてなかった」キャンペーンを張るまでに落ちぶれた。

 私には、かつて「喜八」が主張していたことを、今では朝日新聞が記事にしているように見える。朝日新聞は「『右』も『左』ない新聞」と化した。もちろん、「『右』も『左』もない」とは「右翼」の別名である。
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年初から、全国紙の社説がどこも同じように消費税増税とTPP参加を主張し、マスコミの要望通りの年頭所感を発表した総理大臣の菅直人を翼賛していることが話題になっている。

共産党(「しんぶん赤旗」)は、「5紙共同社説」だと言ってこれを批判している。同党が引き合いに出しているのは、60年安保の時の「7紙共同宣言」だが、何も半世紀前にまで遡らなくても、主要紙がみな同じ論調をとったことは、最近にもあった。

10年前の2001年、小泉純一郎政権が発足した時のことである。当時、朝日新聞や毎日新聞は、読売新聞以上に歓呼の声をもってこの政権を迎えた。政党でも、当時、経済思想の左側から小泉政権を批判したのは共産党だけだった。社民党の土井たか子党首は「改革」という言葉を肯定的に使っていた。

社民党でさえこのていたらくだったから、民主党の鳩山由紀夫代表や自由党の小沢一郎党首が、当時自民党を経済軸上の左側から批判したという事実はない。それどころか、鳩山由紀夫にいたっては2001年の国会で、「抵抗勢力」と戦うポーズをとっていた小泉純一郎に対して、国会の質疑で共闘を申し出たほどだった。

マスコミも、小泉構造改革を経済軸上の左側から批判することなど一切しなかった。当ブログが以前からずっと朝日新聞の経済関係の主張が新自由主義的だと批判してきたことは、継続してお読みいただいている読者の方はご存知だと思うが、これはブログ開設のずっと以前から朝日新聞に対して抱いている不満であって、今でも2002年10月26日付の朝日新聞が自民党内の「竹中いじめ」を批判する社説を掲載した時や、2005年の郵政総選挙の投票日に、朝日新聞が「小泉首相はこれまで見たこともない型の指導者だ」とか「単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは、音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」などと書いた社説を読んだ時のことをよく覚えている。

小泉政権当時は、同政権の経済タカ派的な政策を朝日や毎日が支持し、イラク戦争への自衛隊派遣などの外交・安全保障政策を読売や産経が支持するという色分けができていた。その傾向は基本的には現在も多少残っていて、防衛大綱が「動的防衛力」をうたった時にも、朝日の社説は懐疑的だったし、毎日の主筆・岸井成格はテレビで、こういう大きな問題を民主党がろくな議論も経ないで進めていると指摘していた。

だが、その岸井成格も「毎日の社論を護憲から論憲に変えた」と自画自賛している人間だ。朝日は前主筆の船橋洋一がずいぶん社論を右に傾けた。概して、朝・毎は外交・安全保障政策面で徐々に右に寄ってきている。経済政策における読売はどうかというと、これはナベツネの新聞であり、ナベツネは昔から「市場原理主義」批判はしていたものの、直接税の税率をもっともっと下げて、消費税率をバンバン上げろというのが持論で、貿易自由化も同様に以前からのナベツネの持論だったはずだ。小泉政権時代に同政権の経済政策に多少懐疑的だったのは、単に竹中平蔵のようなエキセントリックな新自由主義者とナベツネのウマが合わなかっただけなのだろう。

こう考えると、現在の「5紙共同社説」の論調は今に始まったものではないといえるかもしれない。幸いというべきか、北海道や中部のブロック紙を含む地方紙には、菅政権の政策を批判する論調もかなり強い。特に、TPPについては地方紙にかなり強い批判が見られる。

つまり、「5紙共同社説」対地方紙という対立構図がある。中央対地方であるとともに、経団連対一般国民の対立構図もある。ここで注意すべきは、「全国紙」というのが、実際には「東京と大阪のブロック紙」に毛が生えたようなものでしかないという事実である。たいていの都道府県には有力な地方紙があるが、東京と大阪にはない(東京新聞は中日新聞が「都新聞」を買収した新聞であり、「中日新聞東京本社」が発行している)。たいていは地方紙のシェアがもっとも高い。地方紙の中には、地元選出の代議士と関係の深い新聞もいくつかあり、そういう新聞には社説がなかったりするが(自民党政権時代に政権批判を載せにくかった事情でもあるのかもしれない)、全国紙には見られない鋭い政権批判を載せる新聞もある。中でも、北海道新聞と沖縄の2紙(沖縄タイムスと琉球新報)が特に目立つ。地方紙その地方ごとの財界には弱いが、全国紙の場合は日本の財界、つまり経団連に弱いという共通の特性がある。「政治主導対官僚主導」など、マスコミがミスリードするまやかしの対立構図であり、本当の対立構図は「経団連対一般国民」なのである。

だから、東京で経団連の主張を代弁する朝日新聞なんかを日々読んでいると、気分が重くなる。朝日なんかを読む方が悪いと言われそうだが、他紙をとったところで同じであり、それなら、昔から良くも悪くも(良いところなどほとんどないが)日本を代表する新聞と言われている朝日をとって、ブログでこれを批判した方が良いだろうと思っている。

そうは言いながらも、この記事も書き始めるまで時間がかかり、書いている今も気分が乗っていない。小泉・竹中の構造改革路線への批判が強まった時期も、つい最近あったばかりだから、ずっと寒い日が続いている時よりも、比較的暖かい日のあとに寒くなった方が体にこたえるのと同じ理屈である。「5紙共同社説」にはやはり圧迫感というか威圧感がある。

小沢派に期待を寄せる人もいるが、小沢一郎は昔から日本の政治家の中でももっとも強硬な自由貿易論者であり、TPPにも特に反対していないことだけ指摘しておく。政治・経済に限らず、大事なのはまず事実を正視することであり、信仰によって歪められた、あるいは捏造された虚構に基づいた議論は一切意味を持たない。

事実を見据えると、ますます心が挫けそうになってしまうのだが、それでも現実を見て、なおかつ前に進もうという気持ちが求められる時代なのだろうと思う。
ウィキリークスによるアメリカの公電の暴露が話題になっている。

これを、手放しで賛美する人たちもいる。参院選で「みんなの党」に投票し、臨時国会冒頭では稲田朋美を絶賛した天木直人もその一人である。
http://www.amakiblog.com/archives/2010/12/05/#001762

上記リンク先で天木直人自身が書いているように、天木はテレビ朝日のサンデーなんとかに出演し、ウィキリークスを絶賛した。

天木は、「ウィキリークスの判断基準は、『お前は権力側に立つのか、弱者の側に立つのか』だ」とか、「アサンジ氏を『弱者に代わって不義を討つ』英雄だと思っている」などと、例によって熱を込めてウィキリークスを絶賛しているが、これでよく外交官が務まったものだと呆れる。

というのは、どんな情報にも、情報を流す側によってバイアスがかかっており、情報を評価するものは冷静でなければならないからだ。初めからウィキリークスを熱狂的に賛美する天木直人のような人間は、外交官の適性を欠く。こんな人間を雇っていたから、日本の外交はダメだったのだと言いたいくらいだ。

掲示板を見ていても、「目覚めた民」を名乗る投稿者が、「マスコミ(=マスゴミ)は洗脳機関である」、「ウィクリークスこそ真の情報媒体である」などと高揚感に浸っているが、かつて日本政府の中枢にいた小沢一郎に都合の悪い情報がリークされた場合、目覚めた方々はどう反応されるのだろうかと、他人事ながら心配になる(笑)。

昨日は、TBSの「サンデーモーニング」でも、冒頭でウィキリークスの話題が出て、毎日新聞の主筆様を務める岸井成格は、ウィキリークスから得た情報でも、「裏がとれれば毎日新聞も記事にするだろう」と語った。岸井の言う「裏取り」には疑念もあるが、言っていることは間違っていない。

そして、その岸井が引き合いに出したのが、武器輸出三原則緩和をめぐるウィキリークスの暴露だった。ウィキリークスへの対応は、朝日新聞主筆様の船橋洋一も同じらしく、1日付のasahi.netで参照することができる(下記URL)。
http://www.asahi.com/international/update/1201/TKY201012010342.html

以下引用する。

武器輸出三原則見直し求める米公電暴露 ウィキリークス

 【ワシントン=伊藤宏】日米両国が2014年をめどに共同開発を進める海上配備型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」について、米政府が欧州への輸出を可能とするために、日本政府に武器輸出三原則の見直しを求めた内容の外交公電が明らかになった。民間告発サイト「ウィキリークス」が公表した。

 この外交公電は昨年9月17日付で、米国務省からミサイル防衛関係各国の米大使館にあてられている。

 それによると、米国のミサイル防衛戦略として、SM3ブロック2Aを「将来的には北大西洋条約機構(NATO)や欧州の同盟国に売却する可能性を探りたい」と指摘。将来的にミサイル防衛の地球規模のネットワークを構築するために「日本政府が戦略的な決断ができるよう協力していきたい」としている。

 ゲーツ米国防長官が昨年10月、北沢俊美防衛相と会談した際、「SM3ブロック2A」の第三国供与に言及。三原則を見直し、新型ミサイルを欧州などに輸出できるようにするよう非公式に求めたとされる。公電の日付は、こうした時期とも符合しており、菅政権が進める三原則の見直し議論にもつながっている可能性がある。

(asahi.com 2010年12月1日19時19分)


北澤俊美は、鳩山内閣からずっと防衛大臣を務めている。先般政界を引退した羽田孜の系列の保守政治家で、自民党を出発点として、新生党、新進党、太陽党、民政党を経て民主党入りした。

岸井成格は、民主党政権になって急に武器輸出三原則の緩和を言い出したのはなぜなのかなあ、と思っていたら、こんないきさつがあったことがわかった、などと言っていたが、なるほど、これでは「対米従属」の政権と言われても仕方ないだろう。

この件は別として、ウィキリークスに流れた日本関係の情報はごく少なかったという。それだけ日本の地盤低下が深刻だということなのだろうが、先の国会の醜態を見ていれば止むを得ないかとも思う。

もっとも、ウィキリークス自体に対して手放しで賛美するような態度は、当ブログはとらない。先の「尖閣ビデオ」の流出事件もそうだったが、これらは権力側からの情報流出であって、「尖閣ビデオ」の流出が日本において右翼的言説が力を増したことと同様、クーデター的な動きにつながる恐れもある。日本の民主党政権同様、アメリカのオバマ政権も深刻な支持率低下に悩まされており、「ティーパーティー」の台頭に見られるように、右翼的・新自由主義的な動きが強まっている。

そういえば、天木直人らと親和性が高いのではないかと思われる副島隆彦一派も、「ティーパーティー」に入れ込んでいる。そして、副島は小沢信者の間で神格化されている植草一秀とつるんでいるので、小沢信者は誰も副島を批判できない。こうして彼らは右翼的・新自由主義的な方向へとどんどん引っ張られる。少し前までは植草一秀が果たしていた「ハーメルンの笛吹き」の役割を、今では副島隆彦が担っている。そんな彼らの「ネットde真実」とはいったい何なのか。

世の中には、色のついていない情報などあり得ない。「知られざる真実」や「ネットde真実」など、幻想に過ぎない。
サッカーのW杯は、決勝トーナメント進出をかけた試合とは信じられないような快勝だった。いつも金曜日のブログ記事は、前夜に下書きして早朝に書くのだが(当日になって記事を差し替えることもある)、サッカーのデンマーク戦を見るため、昨夜は準備をせずに11時頃に寝た。それで、試合開始4分くらいのところで目を覚ましてテレビを見始めたので、書いている現在は、頭があまりすっきりしていない。しかも、酷使してきたノートPCがおかしくなって、予備のPCで打っている。それでも、なんとかブログを更新している。

昨日、参院選が公示されたのだが、マスコミが勝手に「消費税」が争点だと主張している。しかし、最大与党と野党第一党がいずれも消費税増税を公約していて、連立与党の国民新党と、左側の野党である共産、社民両党と、右側の野党である「みんなの党」がいずれも消費税増税に反対している構図になっている。最大与党と野党第一党のいずれが勝っても、マスコミにとっては「消費税増税が国民の理解を得られた」ことにしてしまうのだから、争点としては無意味だ。

菅直人首相の言う「強い財政」とは、本来「強い再分配」を意味する。ところが、逆進性の強い消費税では再分配の効果は薄く、消費を冷やして景気回復の足を引っ張るという逆効果が大きい。

ましてや、財政再建や、それどころか法人税減税の穴埋めのための消費税増税であっては、再分配の意味をなさない。だから、最大与党と野党第一党の主張には理がない。そう当ブログは主張する。

ところが、昨日(6月24日付)の読売新聞社説は、下記のようなトンデモ主張をしている。

 国民所得と対比した日本の個人所得課税の負担率は7%にとどまる。10%以上の欧米を下回り、基幹税としての役割が低下しているのは事実である。

 しかし、累進構造を強めたとしても、負担する高所得層の数は限られるため、国の税収全体から見て、増収分はわずかなものだ。


これを書いた読売新聞論説記者の知性を疑う文章である。日本の個人所得課税の負担率は欧米より低いが、累進性を強化しても増収分は微々たるものだとして、負担率の低さを不問に付している。むろん、分離課税が多すぎるために、2千万円以上の高所得者(給与所得以外の所得が多い大金持ち)に対しては必ずしも累進課税になっていないことを、読売の記者は知っていながらわざと書いていない。

読売の社説は、さらに課税最低限の引き下げを求め、それに続いてこんなことを書いている。

 各種の控除を縮小すれば最低限が下がり、より幅広い層に税負担を求めることになるが、国民が広く薄く負担するという税の原点からみてやむを得まい。


なんと、読売新聞の論説記者にとっては、「国民が広く薄く負担する」ことが「税の原点」らしい。私は、納税者の経済的負担能力(担税力)に応じて課税する「応能負担原則」が「税の原点」だと思っていたのだが、読売ワールドではそうではないらしい。要するに、読売新聞の社説は、人頭税こそ理想的な税制だと主張しているのと同じことである。これは、かつての竹中平蔵が「人頭税こそもっとも公平な税制だ」と(冗談半分に?)述べたのと同じ主張であるが、人頭税についてはかつてサッチャーが導入して大失敗し、サッチャーは退陣に追い込まれたという歴史的事実がある。

これはすさまじい「経済極右」の主張である。朝日新聞も真っ青というか、はっきり言って朝日の比ではないだろう。読売が、新自由主義新聞としての本性を剥き出しにした社説だといえる。竹中平蔵の方が、かつては消費税増税に消極的だった(現在はやむを得ないと主張している)だけ、まだましなくらいだ。朝日新聞や「たちあがれ日本」、それに自民党と並んで、否、それ以上に、読売新聞の主張は考えられる限りもっとも獰猛なものだ。

私はこの社説はナベツネが書いたのではないかとも疑ったが、普段と同じ2本立ての社説の一本なので、ナベツネ(渡邉恒雄)自身の筆になるものではおそらくなく、ナベツネの忠犬が書いた社説だろう。だが、新自由主義的主張を鮮明にした読売新聞の社説は、ナベツネの思想を反映したものであることは間違いない。朝日新聞の主筆を務める船橋洋一もそうだが、ナベツネもまた紛れもない新自由主義者だ。

ナベツネは、実はプロ野球で新自由主義の実験を行っている。1992年、読売ジャイアンツ(通称巨人)の藤田元司監督が優勝を逃して退陣した年のシーズンオフに、ナベツネが巨人のオーナーに就任し、長嶋茂雄を監督に復帰させるとともに、長年プロ野球界を牛耳ってきた巨人のオーナーの影響力をフルに行使し、ドラフト逆指名制度とフリーエージェント制を導入した。さらに、マスコミ界への影響力を生かして、巨人のライバル球団である阪神タイガースの宣伝をNHKに行わせた(1997年頃からNHKのプロ野球報道が阪神びいきになり、98年にはNHK-BSで甲子園球場の阪神戦を集中的に中継するようになった)うえ、ナベツネの息のかかった星野仙一を阪神の監督に送り込んだ。

それでも、ナベツネが巨人のオーナーに就任する以前のプロ野球機構が採用していた戦力均等化政策の影響がしばらくは残っており、たとえば1997年のセントラルリーグでは、ヤクルトが優勝、横浜が2位、広島が3位を占めた。当時、ヤクルトと横浜の首位攻防戦が見られるなんて、と思ったものだが、実質的にナベツネの支配下にあったセントラルリーグ会長は、「三大都市のチームが下位に沈んだためにリーグ戦が盛り上がらなかった」と発言した。いったいヤクルトはどこの球団なのかと訝ったものだが、5年後の2002年以降、セントラルリーグの優勝チームは巨人、阪神、中日の3球団に限られるようになった。

それで、セントラルリーグは盛り上がったのだろうか。否である。今年の交流戦では、パシフィックリーグの6球団が上位を占め、巨人、阪神、中日以下のセントラルリーグ6球団はいずれも7位以下のBクラスに沈んだ。テレビの地上波ではプロ野球中継の頻度が激減した。セントラルリーグは、人気も実力も凋落したのである。

昨夜などは、スポーツニュースは数時間後に迫ったサッカーW杯一色で、プロ野球の結果も言っていたのかもしれないが、私は気づかなかった。だから、昨夜の試合結果は今朝の朝刊で知ったのだが、私が注目したのは神宮球場で行われたヤクルト対巨人戦の観客数だった。それは、ナゴヤドーム(中日対横浜戦)やヤフードーム(ソフトバンク対日本ハム戦)より大幅に少ない15,969人だった。神宮球場には閑古鳥が鳴いていたようだ。主催球団のヤクルトは弱いけれど、ヤクルトと同じ東京を本拠地とする対戦相手の巨人は弱いわけではなく、それどころか、実質「二部リーグ」とはいえ、セントラルリーグでは首位を走っているにもかかわらずである。

この記事を書きながら、ずっとテレビでNHKニュースの音声を聞いているが、サッカーの日本対デンマーク戦は何回も何回も流すが、プロ野球の試合結果は全然言わない。そして、プロ野球より一足早く衰えた大相撲を騒がせているのは、そのプロ野球の試合結果で賭けを行う野球賭博であり、名古屋場所をNHKが中継しないのではないかとか、それどころか名古屋場所の開催自体が危ぶまれるなどの噂が聞こえてくる。

大相撲はともかく、プロ野球、特に実質「ナベツネリーグ」ともいえるセントラルリーグの惨状は、ナベツネによる新自由主義の実験が行き着いた先であるといえる。ナベツネは、プロサッカーのJリーグも、プロ野球と同様に読売支配の運営を目指したが、それはさすがに阻まれた。そして、読売クラブ時代から読売が長年育ててきたヴェルディを、自らダメにしてしまった。日本テレビがオーナーでもうまくいかなかったヴェルディは、読売グループから離れた後も再建できず、消滅の危機に瀕していると聞く。

プロ野球やサッカーだけなら、ナベツネが何をやらかして、チームやリーグもろとも衰退させたりしようが勝手だが、ナベツネは「権力と一体化したメディア」を理想として、政治に影響力を与えようとしているから最悪である。自自連立や自自公連立の仕掛人もナベツネだったといわれているし、未遂に終わった自民党(福田康夫首相時代)と民主党(小沢一郎代表時代)の大連立構想にも大きくかかわった。

そのナベツネは、昔から一貫して、消費税創設及び増税、所得税の累進性緩和、法人税の減税を求める主張を読売新聞で展開し続けていた。これは、再分配政策にもある程度の重きを置いた、かつての「保守本流」の政治とは全く異なり、早くから新自由主義の影響を受けていた「保守傍流」の中曽根康弘と同じ方向性を持つ主張である。中曽根とナベツネが昔からの親友であることは今更いうまでもない。

新自由主義とは、格差拡大を目指すプロジェクトに自覚的または無自覚に加担する者というのが当ブログの定義であるが、ナベツネの場合ははっきり自覚的な新自由主義者であるといえる。

朝日新聞の主筆を務める船橋洋一もひどいが、ナベツネのひどさはやはり船橋洋一どころではない。日本の政治、経済、そして社会を再建しようとする者の最大の敵、それがナベツネである。


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小沢一郎をめぐる新たな動きは2つあって、1つは逮捕された大久保隆規秘書に対する処分が決定する24日の時点で、進退問題などについての考え方を示す意向を明らかにしたことだ。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090317dde007010028000c.html

もう1つは、小沢一郎が「企業団体献金の全面禁止を検討すべきだ」と述べたことである。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090318ddm001040025000c.html

毎日新聞の記事は、

次期衆院選での争点化も視野に、企業団体献金の規制強化に慎重な声が出ている自民党との違いを示す狙いがあるとみられる。ただ、小沢氏は具体的な法改正案などには言及しておらず、民主党内からも実現を疑問視する指摘が出ている。

と書いている。

当ブログにしばしばコメントをお寄せくださるGl17さんは、

東京地検が何がどうでも強引に起訴してくるとすれば、代表のままよりも戦略的撤退のほうが抗戦に有利という判断に思えます。
そして、その場合は自民にとって悪夢と言えるシナリオを用意しているから、貴様等地獄を見せてやるぜ、という表明では。
無論、その脅しが起訴されない方向に効力を発揮すると事情は変わるかもしれませんが、その場合は自民側の自爆です。

と指摘されている。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-864.html#comment5242

なるほどと思える鋭いご指摘だ。小沢一郎の全面降伏だとの見方もあるが、私にはそうは思えない。しかし、小沢一郎が代表を退く可能性は高まったのではないかと思う。以前から書くように、小沢氏には検察への徹底抗戦をする権利も理もあると私は思うが、選挙の争点はあくまで「国民の生活を守る」ことであり、「コイズミカイカク」および中曽根康弘から安倍晋三にかけて推進された「戦後日本の総決算」路線への審判であるべきだ。これは「国策捜査批判」とは分離されることが好ましく、民主党の代表交代は、必ずしも選挙に不利には働かないと思う。ただ、後任を誰にするかが問題で、私は菅直人代表代行の昇格が妥当だと思うが、代表選を行ってもよいかもしれない。

ところで、今回の西松事件で「政府高官」・漆間巌官房副長官の実名が出た件だが、産経新聞の常務取締役編集担当・斎藤勉がとんでもない妄論を書き散らかしている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090311/stt0903111210006-n1.htm

「「漆間発言」とメディア 取材源、安易に暴露していいのか」と題されたこの記事は、あまりにもバカバカしく低劣なものだが、上杉隆がこの斎藤の記事を厳しく批判している。
http://diamond.jp/series/uesugi/10069/

「漆間発言で思う、「オフレコ」を当然と思う日本メディアの甘さ」と題したこの記事で、上杉氏は下記のように指摘している。

 問題は、漆間氏のオフレコ懇談の環境が、「オフレコ」の条件をまったく満たしていないことにある。

 海外で「オフレコ」(以下BBもオフレコに統一)が認められるのは、情報源を明示することによって生命の安全が脅かされる可能性のある場合、あるいは氏名公表によって著しい不利益を蒙る可能性が高い場合に限定される。

 よって、公人中の公人である権力側の「政府高官」のオフレコは、基本的には認められない。国民の税金で口を糊する権力者の発言は、政治利用の恐れがあるため、実名が原則だ。それが事務次官会議を主宰し、官僚トップの官房副長官ならばなおさらだ。いかなる言動についても、公人としての説明責任が伴うのである。

 さらに、今回の懇談は、首相官邸という高い公共性を帯びた建物の中で、定例の記者懇談という形で行なわれている。当然、生命の安全を脅かされることも、不利益を蒙ることも考えられない。

 本当に、私的なオフレコ懇談が必要ならば、ホテルなどのプライベートな空間で開けばいいだけの話だ。そもそも複数の記者の前で、「オフレコ」が完全に通じると思う「政府高官」の認識が甘い。逆に、そうした「談合」を許し続けてきた記者クラブ側の意識の低さも今回の騒動の遠因にもなっている。実際、記者クラブ記者たちのそうした認識の低さは、きょうの産経新聞の斎藤勉・編集担当のコラムに顕著だ。

("DIAMOND ONLINE 週刊上杉隆" 第69回 「漆間発言で思う、「オフレコ」を当然と思う日本メディアの甘さ」 より)


以下、上杉は斎藤の主張をいちいち検証して胸のすく反論を行っている。ワシントン・ポストのブラッドリー編集主幹とキッシンジャー国務長官の戦いは特に面白い。ワシントン・ポスト紙はキッシンジャーの要求に応じて、名前を伏せて「政府高官」として記事を掲載したのだが、記事に「政府高官」のキャプションとのついたキッシンジャーの顔写真が載っていたというのだ。これにはウケた。

以前、この「オフレコ破り」について記事を書いた時、「新聞記者と政治家の信頼関係が大事だ」とコメントされた方がいたが、私は「信頼関係と同時に緊張関係も必要だ」と応じたが、このワシントン・ポストの報道は、その恰好の実例だ。日本の新聞でもこんな記事を見てみたいもので、たとえば経営破綻の恐れがあるのではないかと危惧されている毎日新聞あたりには、このくらいの勇気が求められているのではないか。こんな報道が一つ出ただけで洛陽の紙価を高め、同紙が危機を脱出するきっかけになるかもしれない。差別主義者の城内実にまでコケにされながら破綻への道を歩む必要などない。

それにしても、産経新聞の「国策報道」ぶりは、目を覆いたくなるほどひどい。私は産経批判などあほらしいという感覚なので、あんまり「産経ヲチ」はやらないのだが、たまにはやらないといけないなあと思った今日この頃である。


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結局、先週末まで10日間も西松建設献金問題のエントリを上げ続ける羽目に陥ったのだが、この事件については、以前から当ブログにしばしば罵倒のコメントをいただいている荒岡拓弥氏(注)が、3月11日付のエントリ「小沢一郎の「収賄疑惑」も「小沢神話」もすべて幻では?」へのコメントで、

乞食多見くん、あんた幸せ者だね。あんたより知恵も洞察力もある人達が、あんたが理解できないでりう道理を教えるためコメントをくださっている。あんたのエントリよりコメントの方が中身が濃いね。それが、このブログの価値かも知れない。謙虚に喜ぶべきだろう。

と書いている通りであって(笑)、先週の当ブログのエントリには、実に興味深いコメントが並んでいるので、是非さかのぼってご参照いただきたい。右から左まで、小沢氏支持派から強烈な批判派まで、あるいは岩手県在住で地元情報に詳しい方から、マスコミ報道を丹念に追いかけて報告される方に至るまで、さまざまな立場からのコメントが読める。

(注)荒岡拓弥氏は、最近では「アホバカマヌケ」とか「愛読者」などと名乗っているが、2007年11月7日付エントリ「小沢一郎が一転留任 ? 民主党は選択を誤った」では本名で投稿されているので、ここでは実名を出させていただく。民主党員で菅直人の後援会員だそうだ。「乞食多見くん」とは、たいそう立派な肩書きをお持ちの荒岡大先生にふさわしい、いたって上品な言い回しだ。


週末にかけては、さすがにひところよりはこの事件に関するマスコミの報道量は減ってきたのだが、昨日はテレビやインターネットで注目すべき番組があった。今日は、それらについて書きたいと思う。

昨日の夕方には、「フォーラム神保町」主催のシンポジウム「青年将校化する東京地検特捜部?小沢第一秘書逮捕にみる検察の暴走?」が行われ、インターネット配信されたのでずっと視聴していた。講師は魚住昭、佐藤優、鈴木宗男、田原総一朗、平野貞夫、宮崎学、郷原信郎の各氏だった。途中、次の選挙で山口4区で民主党から立候補予定の戸倉多香子さんが質問に立って、「なぜ検察は『ダーティーなタカ』であるコイズミ・竹中ではなく小沢さんをやろうとしているのか」と佐藤優に迫った。これに対して佐藤は、小沢一郎は田中角栄や加藤紘一同様「ダーティーなハト」であるのに対し、コイズミは「クリーンなタカ」であるとして、検察官であればコイズミや竹中にだって狙いをつける、と言ったあと、突如、「右のほうでも(国策捜査を)やられた人がいる」と、村上正邦の件に話をそらして逃げた。シンポジウムの最後に民主党の石井一が現れ、2004年に年金未納問題で田原総一朗が菅直人を代表辞任に追い込んだあと、菅の年金未納が社保庁の事務処理のミスによるものだったと判明した(しかも、石井は言わなかったが、田原総一朗自身の年金未納も発覚したw)ことを詰り(要は、田原の影響力を利用して小沢一郎を辞任に追い込むようなことはするなと言いたかったようだ)、それに対して田原が色をなして言い返し、それ以上に佐藤優が「この場を民主党の宣伝に利用することには反対!」などと大声で怒鳴りながら閉幕するという、なんともぶざまな幕切れだった。肝心のシンポジウムの本論については、あえて当ブログでは触れないでおく。「フォーラム神保町」から後日オンデマンド配信されるそうなので、直接ご参照いただきたいと思う。

昨日は、これを見る前の昼間、普段は見ない読売テレビの『たかじんのそこまで言って委員会』を見て、その過激な新保守主義かつ過激な新自由主義に貫かれた恐るべき極右番組ぶりに慄然とした。『kojitakenの日記』に速報を書いたが、ここに再録する。

番組はまず、西松建設の違法献金事件問題を取り上げ、その後憲法改正についての議論へと移った。『kojitakenの日記』には、下記のように書いた。

普段は見ない読売テレビ制作の『たかじんのそこまで言って委員会』を見ていると、三宅久之を筆頭とする電波芸者たちが、ここぞとばかり民主党攻撃のシャワーを浴びせている。今投票するとしたら自民党か民主党か、という問いに対して、電波芸者たちが立場を明確にしてディベートごっこをやっている(もちろん、その他の政党は最初から弾き出している)のだが、民主党支持は桂ざこばの1人だけで、立場を鮮明にしなかったのが三宅久之と宮崎哲弥の2人、その他の5人は自民党支持だ。森本敏、金美齢、浅川博忠、花田紀凱、高田万由子が「自民党」を選んでいて、高田万由子は呆れたことに自民党を支持する理由として、「民主党では日本を変えられない」と書いていた。自民党なら変えられると考える理由が理解できないのだが、高田の喋りを聞いていると、どうやらコイズミ信者らしい。

今この時間帯では、出演者が声を揃えて改憲を主張しているし、田原総一朗を「右」から批判しており、故筑紫哲也氏のことを、「筑紫」と侮蔑を込めて呼び捨てにしていた。なんとも恐るべき番組であり、こんな番組が人気を博している大阪で、橋下徹が絶大な人気を誇っている理由の一端がうかがわれる。橋下は、この番組の常連だった。

こんな番組を見ながら、あまりに怪しい西松建設違法献金事件の捜査のことを思う時、共産党支持者の言う「自民党も民主党もどっちもどっち」論だとか、「国策捜査ではないか」という疑念に対する左右双方からの「陰謀論批判」などは、今回ばかりは成り立たないと思える。

現在行われているのは、自民党と検察・警察(ともに行政機関である)とマスメディアが一体になった、自民党政権を守るための一種の「白色テロ」であって、きれいごとの「どっちもどっち」論に立っていたのでは、今後恐るべき極右恐怖政権の成立を呼び込むだけではないかと思えるのである。

この脅威の前では、小沢一郎ら旧経世会の「金権政治」など、取るに足らないとまではいわないが、小さいものだと言わざるを得ない。戦後民主主義は、いま最大の危機を迎えている。


これだけでも頭がクラクラする思いだったが、番組の後半ではなんとあの湯浅誠が現れた。そして、湯浅の「すべり台社会」論に対して、電波芸者たちがすさまじい批判を行ったのである。以下、再び『kojitakenの日記』に書いた速報より。

しかし、驚いたことに極右番組『たかじんのそこまで言って委員会』に湯浅誠が出てきたのである。初出演だそうだ。

湯浅の「すべり台社会」論の賛否を電波芸者に問うたところ、賛成はわずか2人で、残りはすべて反対だった。三宅久之と金美齢は、自己責任論を振りかざして湯浅誠を責め立てていたし、浅川博忠は財政再建論に立って社会保障を手厚くする余裕がないと主張していた。雇用の流動化のさらなる促進を主張する論者もいた。税金がなぜ貧困対策に使われるんだとがなり立てる「民主党支持」の大阪芸人もいた。ここまで露骨な新自由主義の立場に立つ番組は、東京発の全国放送の番組にはほとんど見られない。こんな番組を、「大阪らしい本音トーク」と持ち上げる大阪人は、やはり身も心もテレビが発信する新自由主義に染め上げられているとしか思えず、ああ、だから彼らは橋下徹を支持するんだなと得心した次第だ。


この『たかじんのそこまで言って委員会』は、大阪の読売テレビが制作しており、首都圏(日本テレビ)とごく一部の局を除くほとんどの日本テレビ系列局にネットされている。

番組が終わってから、首都圏の人たちの目に触れないところでこんな番組が流れているのはなぜかと考えてみた。一般には、司会のやしきたかじんが東京嫌いであり、東京へのネットを拒否しているからだと説明されている。だが、単なるチンピラ右翼であるたかじん自身はそうなのかもしれないが、あそこまで番組が極右化した原因を、たかじん一人のせいに帰するわけにはいかないだろう。

あの番組では、新保守主義と新自由主義が渾然一体となっている。番組中ほどで、憲法改正を大々的に論じて、典型的な新保守主義の傾向を見せたかと思うと、番組後半では湯浅誠を詰ったことからわかるように、典型的な新自由主義の傾向を見せたのだ。

最近は、というより郵政総選挙以後、政治思想極右の一部がコイズミ自民党から弾き出され、彼らが新自由主義批判を始めたため、「新保守主義と新自由主義は別物」などと論じられることが多いが、当ブログは繰り返し主張するのだが、決してそんなことはない。サッチャーでもレーガンでも新保守主義と新自由主義は一体だった。というより、新自由主義で切り離された社会的なつながりを再構築するために、強烈な国家主義を持ち出すのであり、これが新保守主義のイデオロギーだ。だから、新自由主義と新保守主義は不可分の関係にある。

つまり、『たかじんのそこまで言って委員会』には、新保守主義と新自由主義が一体だった頃(中央では2005年の郵政解散以前まで)の姿がそのまま残っているのだ。私がよくブログで橋下徹批判を行うと、中央の政治・社会問題の議論ではほとんど絶滅寸前になっている「自己責任論」に基づく反論をしばしば受けることに驚くのだが、批判者がたかじんの番組(や平日夕方に関西テレビや朝日放送が流している情報番組)に慣れ親しんでおり、それらの番組は中央から数年遅れた流行を今なお保持していると考えれば合点がいく。そして、なぜそんなことになっているかというと、日本ではいわゆる「知識人」が首都圏、特に東京に偏在しすぎており、たかじんの番組ごときは彼ら「知識人」の目に触れず、批判を受ける機会が少ないので、発信者側であるマスメディアが、露骨に彼らの狙いを反映させた番組を作ることができると考えられる。要するに、たかじんの番組を作る側は、いまだに「B層」作戦をやっているのだが、おめでたい大阪人は、そんなものを「東京では作れない、大阪発ならではの本音トーク番組」と思い込んでいるのである。これでは、大阪で橋下徹が絶大な支持率を誇るのも無理はない。

「庶民の町」だったはずの大阪の文化が、いつの間にそんなにうすっぺらなものになってしまったのかと、残念でならない。

[追記]
やしきたかじんの番組に関して、出演者の支持政党表明に一部誤記がありましたので、訂正いたしました。


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先週末は、マスコミ(活字媒体及び電波媒体)やインターネットを問わず、メディアに流れる情報について、ずいぶん考えさせられることが多かった。

まず大阪府知事・橋下徹をめぐる件。先週日曜日(15日)、当ブログ管理人が「メモ代わり」に使っている『kojitakenの日記』に、テレビ朝日『サンデープロジェクト』に出演した大阪府知事・橋下徹が番組冒頭で発した言葉について、それを批判的に紹介する短いエントリを公開したところ、この記事にアクセスが殺到した。大部分が記事を非難して橋下を擁護する反応だった。

短い捨て台詞のような私の記事に対し、「批判するなら対案を出せ」、「批判するなら批判の根拠を示せ」などの非難を受けたが、そもそも『kojitakenの日記』は、メモ代わりにしているブログであって、まとまった文章はこちらの『きまぐれな日々』に書くことにしている。もちろん、そんなことは読者にいちいちおことわりはしておらず、私が勝手に決めたことだが、そもそもウェブログにそれ以上のことを求める方がおかしいのであって、橋下批判の根拠は、『kojitakenの日記』ではあえて示さなかった。あんな状況で書いたところで、さらに揚げ足を取って議論を混乱させてやろうと考える人間の思う壺にはまってしまうだけだ。

このエントリでも、件の『kojitakenの日記』における橋下徹批判の根拠を明示はしない。神野直彦東大教授の本でも読んで、財政の役割について学んでほしいと思うだけだ。神野教授の著書を紹介したエントリは、当ブログに書いた。

ただ、国と地方自治体では事情が異なる部分もあり、橋下徹に対しては、コイズミや竹中平蔵に対するような全否定はできない。それについても、先週、非難の嵐を受けた時にはわざと何も書かなかった。マスメディアの煽動によって生じた怒涛のような「橋下フィーバー」に対するカウンターの意思表示を重視したからだ。あんな状況下において、わざわざ「橋下の政策にも見るべきところはある」などと書く必要はない、そう考えた次第だが、最近話題になった件でいうと「国直轄事業負担金」の問題については、これを批判した橋下には大いに理がある。

しかし、橋下よりずっと以前、4年前からこの問題に取り組んできた自治体がある。それは秋葉忠利市政下の広島である。そう伝える記事が『JanJan』に掲載された。おなじみのさとうしゅういち記者が書いた記事である(下記URL)。
http://www.news.janjan.jp/area/0902/0902217923/1.php

ところが、こうした秋葉市長の努力を、中央マスコミだけならまだしも、広島市政を担当している地元の記者さえ知らず、逆に橋下を引き合いに出して、広島市長はどう考えているのかと質問したというのである。

さとう記者は、下記のように書いている。

■根深いマスコミの「権威主義」

 それにしても、秋葉市長が4年前に見直しを行ったときは、マスコミは取り上げない。ところが、自民党・公明党が応援したタレント出身で知名度が高い橋下知事が「今頃になって」取り組み始めたことは大きく取り上げる。しかも、地元の広島市のマスコミ記者まで、それに加担している……。

 そもそも、大阪府と同じように、広島市もかなり財政は危なかった。ただ、橋下知事が福祉や教育をカットしたのに対し、秋葉市長は、出来る範囲での福祉の充実に取り組んだ。橋下知事は自民・公明の支持を得ているせいか、やはりハコモノには踏み込みが足らないが、秋葉市長は政党の推薦を受けなかったこともあり、ハコモノをゼロベースで見直すことができました。

 本来なら橋下知事の前に、秋葉市長をほめるべきでしょう。とくに地元のマスコミ記者は。。

 ここにマスコミの「権威主義」を感じてしまいます。マスコミは、地方自治をもっと「政策本位」で取り上げるべきではないか。そのように感じました。

(『JanJan』 2009年2月22日付記事 "「国直轄事業負担金」廃止運動 大阪府知事より広島市長が先"より)


ところで、橋下徹は最近、目立って中央のマスコミに露出する頻度が増えた。マスコミ受けは上々のようである。その中央のマスコミは、権力者に対してどういうスタンスで報道を行っているのか。これを考えさせられたのが、先週以来大問題となっている前財務相・中川昭一の「もうろう会見」引責辞任問題である。引責辞任が決まった翌日(18日)、朝日新聞と毎日新聞(いずれも大阪本社発行統合版)が、「もうろう会見」という言葉をカギカッコで片方が括り、もう片方が括らなかった以外は一字一句違わない見出しの記事で、中川(酒)の辞任を報道していた。ともに、中川(酒)を強く非難するニュアンスを見出しに強くにじませていたわけだが、両紙に対し、読売新聞は抑えた見出しのつけ方をしていた。「もうろう会見」が問題となった17日の社説で、朝日と毎日は取り上げたが、読売は取り上げなかった。もちろん、辞任翌日の18日付朝刊では、再度社説で取り上げた朝日・毎日とともに、読売も渋々この件に関する社説を書いたが、やはり歯切れが悪かった。

これを見て、私は「また読売か、ひどいもんだなあ」と思ったが、問題は単に読売新聞が中川(酒)批判に積極的でなかったにとどまらなかった。毎日新聞が、中川(酒)がG7の昼食会を途中で抜け出し、財務省の玉木林太郎国際局長や日本から取材で同行した女性記者、イタリア人通訳など数人で会食したと報じたのである。毎日新聞は記者の名前はおろか、所属するメディアの名前も出さなかったが、その後すぐ、同席した女性記者というのが読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビの原聡子記者、ブルームバーグの下土井京子ら3人だったことがネットに広まった。

私はこの件はだいぶ遅れてから知ったのだが、某巨大掲示板では、読売新聞の女性記者が中川昭一に前夜大量の酒を呑ませ、 「会見は面白い事になるわよ」などと言ったという真偽不明の情報が駆け巡り、それをもとにして財務省の官僚と読売新聞の記者らが共謀して中川(酒)を陥れようとした、という陰謀論のストーリーができあがったらしい。

私はそんなネットの馬鹿騒ぎなど知らなかったから、金曜日のエントリを書く前に、玉木林太郎氏の名前でネット検索をかけたら、玉木氏は中川(酒)と麻布高校の同期生で普段から仲が良く、中川は政策の立案を玉木氏に頼りきっていた、などと書かれていたので、ネットに広がっている陰謀論を「ガセ」と判断して、"「ローマの窮日」中川昭一は陥れられたのではなく自滅した"と書いたのである。

だから、これを書いた時点では、中川(酒)が会見で泥酔状態にあってもうろうとしていたことは、何も先週突然始まったことではなく以前からの常態で、ただマスコミがそれを咎めもせず、テレビの画面では中川(酒)の受け答えがたまたままともに見える映像のみを選んで放送し、新聞もあえてヨレヨレぶりを報じていなかったことまでは知らなかった。

今回の事件では、読売グループの新聞社とテレビ局の女性記者と中川(酒)の関係についてまで憶測する向きもあるが、それはそういう記事を得意にする方面にお任せしたい。私としては、政治家と大マスコミ、ことに読売グループなど全く信用していないから、彼らがどんな破廉恥な行ないをしていようが、「大いにあり得る話」だとしか思えない。もちろん、彼らは単なる「業界人」に過ぎず、「ジャーナリスト」の名になど全く値しないことはいうまでもない。

中川(酒)の飲酒辞任劇のことを書いていたら、ふと、河島英五の「酒と泪と男と女」という歌の一節を思い出した。飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで、飲んで 飲みつぶれて眠るまで 飲んだ中川昭一は、会見で静かに眠る寸前だった。今回の一件で、中川(酒)の政治生命は終わるのだろうか。彼にとっては忘れてしまいたいことに違いあるまいが、選挙区の有権者をはじめとする国民はこの件を決して忘れてはならないと思う今日この頃である。


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派遣切りに続いては正社員切り。ほとんどの企業が業績を悪化させ、2008年10?12月期のGDPは、年率換算にして二桁のマイナスが見込まれている。そうなれば、石油ショックの頃の1974年1?3月期以来34年ぶりになる。そして2009年1?3月期も同様になるのではないか。

こういう怒涛のような現実の前では、たとえば民主党の前原誠司が麻生太郎首相を「やるやる詐欺」だと非難して国会が紛糾したなどというニュースを聞いても、空々しくてまともに取り上げる気にならない。

昨夜のテレビでは、毎日放送(TBS系)が制作している久米宏の番組に竹中平蔵が登場し、しゃべりたい放題しゃべっていた(毎日放送は大阪の放送局だが、番組の収録は東京で行われているそうだ)。「私がそんなに悪いのか」とかなんとか、そんなキャプションがついていたが、テレビもようやく竹中平蔵が非難を浴びていることは認めたものの、積極的に竹中の反撃を後押しするありさまだ。特に、毎日放送だけでなく大阪の民放がネオコン・ネオリベの牙城になっている。先の週末に日本テレビで湯浅誠らが出演した貧困問題の番組を関東ローカルでやっていたそうだが、その時間帯に関東を除く日本列島の大部分では、日テレ系の大阪・よみうりテレビが制作するやしきたかじん司会の右翼番組が流れていた。私はこの番組をほとんど見ないが、橋下徹をスターダムにのし上げる原動力になった番組の一つだそうだ。また、ネット右翼のブログで、「アンカー」「ムーブ!」など関西の番組起こしも、などと謳っているところがある。前者は関西テレビ(フジテレビ系)、後者は朝日放送(テレビ朝日系)制作の番組で、ネット右翼の喜ぶような内容なのだろう。後者に勝谷誠彦が出て妄言を垂れ流していることは風の便りで聞いている。

久米宏の番組では、ビデオで流れた森永卓郎や亀井静香のコメントを竹中が批判していた。スタジオにおける竹中に対する批判者は荻原博子と作家の室井佑月だったが、「経済ジャーナリスト」の荻原は完全に竹中に押されて竹中の言い分を部分的に認めながら食い下がるスタンスしかとれなかった。室井佑月はブログを開設していて、リベラルな思想信条の持ち主のようだが、昨年4月を最後に更新されていない。とてもないが竹中には歯が立たない。室井佑月に竹中批判の役割を押しつけるのは酷だ。久米宏はというと中立の司会者に徹していたが、何も言わないということは実質的に竹中を後押ししていたに等しい。そもそも、『ニュースステーション』時代も、久米宏はむしろコイズミ・竹中の「カイカク」に好意的だったように思う。

金子勝や森永卓郎らでも竹中の猛攻を受けてたじたじになるほど、速射砲のように繰り出される竹中の雄弁はすさまじく、電波媒体で竹中と論争して視聴者に「竹中を言い負かした」という印象を与えるのは不可能に近い。田原総一朗あたりが司会する番組だと、田原や御用コメンテーターたちが竹中の援護射撃をするからなおさらだ。

だが、活字の世界では竹中批判が圧倒的に主流で、だから竹中も電波媒体で必死に反撃するのだろう。今後どうなるかというと、竹中の顔など見たくもないという視聴者が増えて、竹中では視聴率が取れないというデータが出て、それでやっと竹中の出番が減っていくのだろうが、その時には日本経済は今以上にひどい泥沼にはまっているだろう。

秋までには必ず総選挙もあるのだが、日に日にひどくなる不況の中、どんな結果になるかはかえって不確実さを増しているように思う。というのは、民主党も国民の積極的な支持を得ているとはいえないからだ。無党派層の票は自民党よりは圧倒的に民主党に流れるだろうが、不況があまりにひどくなって政治への絶望感が深まると、投票率自体がかなり下がる可能性があり、そうなると自民党が第一党の座を守る可能性さえ出てくる。『週刊現代』の2月14日号に、4月26日投開票を想定した総選挙の予想が出ているが、3人の評論家は、民主党過半数から自民党第一党維持まで予想が割れている。ただ、苦戦が予想されていた自民党大物が巻き返す一方、コイズミチルドレンの不振は続いていて、ネオリベ勢力の大幅な議席減だけは間違いない。

共産党の得票率は大幅に上がると思うのだが、小選挙区の比重の高い選挙制度に阻まれて大幅な議席増には至らない。改めて90年代の「政治改革」の罪深さを思う。そもそも、「カイカク」と名のつくものにろくなものはない。

なんだか、竹中平蔵と自民党の反撃の様子ばかりを記述する意気の上がらないエントリになってしまったが、絶望してしまってはおしまいである。決して絶望してはならない。人民の一人ひとりが社会を、政治を変えていくという気持ちを持って思考し行動するしかないと思う今日この頃である。


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朝日・日経・読売の大手新聞「勝ち組」三紙の共同運営サイト「あらたにす」が1周年を迎えたそうで、先週金曜日(30日)の紙面に3紙の論説責任者の鼎談が掲載されていた。

私が読んだのは朝日新聞だが、読売新聞と日本経済新聞にも掲載されたことだろう。「あらたにす」のサイトでも読めるが、つまらない記事であり、アクセス数アップに協力してやるのも癪なので、リンクは張らない。サイトでは昨年の論説責任者の鼎談も読めるが、千葉県知事選に立候補を表明している白石真澄が司会をしている。極端な新自由主義者であるこんな女に司会させること自体、「あらたにす」の性格を現している。「新's」とも表記するようだが、「新自由主義新聞社連合」という意味なのだろう。

もともと新聞の社説など読む人はほとんどいないが、Googleで検索してみると、「あらたにす」と入力すると「失敗」とか「毎日新聞」という複合語検索の候補が表示されて笑える。「あらたにす 毎日新聞」で検索してみると、下記のブログ記事が引っかかった。
http://d.hatena.ne.jp/n-asakaw/20080201/p1

「【メディア】「あらたにす」,毎日新聞が入っていないのは残念」と題されたこのブログ記事は、下記のように三大新自由主義紙の社説を寸評している。

日経:ハイエク
読売:体制
朝日:感想文

 日経は基本的に,政府の市場への関与を最小限にする,いわゆる「小泉-竹中」路線のような政策を支持する。読売は,自民党の政策にほぼ寄り添う論調。

 そして朝日は…新聞に掲載済みの事実をつぎはぎして提示し,最後に「慎重に議論すべき」ないし「許されてはならない」といった感想文で締める。つまり,読者にとって新しい情報がない。もちろん,ときとして人を唸らせる社説も登場する(特に科学関連)。だが傾向として,「論説委員は,現場の記者から何も話を聞かず,自社の新聞に載った記事を読んだだけで執筆したんじゃね?」と思わせる社説が多すぎる。読者は感想文なんて求めていない。

(『ITとエレクトロニクスの知的備忘録』 2008年2月1日付エントリ「【メディア】「あらたにす」,毎日新聞が入っていないのは残念」より)


新自由主義にして財界の代弁者・日経、自民党の機関紙・読売に対して、明確な主張を示さない朝日という取り合わせだ。このブログ主は毎日新聞の社説をほめているが、確かに同じ問題を取り上げたとき、毎日新聞が一番マシな社説を掲載することが多い。その毎日新聞が英字紙のエロ記事事件を起こした時、それに便乗して『サンデー毎日』に叩かれた恨みを晴らそうとした程度の低い「元政治家」が城内実である。

それはともかく、田中康夫は「新聞(全国紙)は毎日新聞と産経新聞だけあれば良い」と言ったそうだが、うなずけなくもない。いや、新自由主義の日経、自民党そのものの読売と極右の産経の三社を比較した時、産経の方向に引っ張られるのはそれこそファシズムへの道だからろくなことはないか。

朝日新聞の話題に戻ると、「感想文」と評されてから1年。その間、朝日新聞の論説主幹は若宮啓文から村松泰雄に代わった。若宮啓文時代に「右傾化した」と評された朝日新聞だが、論説主幹が代わってさらに右傾化の度を強めたようにも見える。論説主幹の交代に先立って、主筆に船橋洋一が就任しており、船橋が朝日新聞の論調をリードしているようなのだが、船橋は竹中平蔵との共編著のある人間である。

最近も、1月18日付社説で「かんぽの宿」のオリックス不動産への譲渡に横槍を入れた鳩山総務相を批判したり、1月24日付社説でソマリアへの海自護衛艦派遣をあっさり容認した。自民、民主両党に消費税増税を執拗に求め続けているのも異様だ。

消費税増税については、読売新聞がもっとも熱心で、これはナベツネの方針なのだろう。日経は、消費税そのものより法人税減税に熱心だ。『Munchener Brucke』が、日経の大林尚が、非民主的なやり方をとってでも法人税を引き下げよ、とコラムで書いたことを紹介し、話題を呼んだが(下記URL)、これが日経に限らず「勝ち組」三紙の論説委員たちの感覚である。
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20090201/p1

ところで「あらたにす」に加わっていない全国紙が産経新聞と毎日新聞だが、産経は新自由主義に反対した方が評判をとって部数が伸びると思うのに、実際にやっていることは逆で、派遣村を誹謗するなどした。毎日新聞は、以前にはコイズミ・竹中の構造改革を支持する社説をずっと掲載していて、「記者の目」などの多様性とは対照的な社説の硬直性とネオリベ支持が目立っていたが、昨年からやや軌道修正した。積極財政も全国紙としては早い段階から支持したし、消費税増税も、支持のニュアンスを見せながらも、国民の7割が反対していることに考慮した社説を掲載した。この大不況で、潰れる新聞社が出るとしたらまず毎日新聞ではないかと思われるのだが、座して死を待つより思い切った社論の転換に活路を見出せとは当ブログがつねづね言っていることである。その観点からすると、まだまだ及第点はやれないとはいえ、毎日新聞は全国紙では一番マシとはいえるだろう。

それにしても、「あらたにす」三紙を読んで感じるのはやりきれない疎外感である。今ほど、大新聞社のエリート記者たちが読者を疎外している時代はなかったように感じる。「あらたにす」は死んだ。


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2次補正予算案が成立し、ニュースでは定額給付金をめぐって国会の機能不全が鮮明になったなどと言っているが、そもそも、あんな定額給付金ごときが、果たして大騒ぎして与野党が対立するような問題だったのか、きわめて疑わしい。自公政府が統治能力を失っていることは明らかだが、単なる政局狙いの民主党の拙劣な国会戦略も批判されなければならない。2兆円の「バラマキ」が問題なのではなく、2兆円程度ではしょぼ過ぎて何の効果もないのである。日本経済を上向きにするためには、数十兆円単位の景気対策(「バラマキ」と言い換えていただいてかまわない)が必要である。

私は、一日に何度か「自民党TBP」「はてブニュース」をチェックしているが、最近はこれらの中にも注意を惹く記事が少なくなっており、ネット言論も閉塞状況になっているという印象だ。政府批判の視点もマスコミに誘導されたものになっており、マンネリ化しているのである。

そんな中で目をひいたのが、『評論家・森田敬一郎の発言』の1月27日付エントリ「自公連立政権の「再生可能エネルギー」への消極姿勢」だった(下記URL)。
http://morita-keiichiro.cocolog-nifty.com/hatsugen/2009/01/post-7a1d.html

読んで感心したので、下記に森田さんの記事の前半部を引用、紹介する。

 朝のNHKテレビのニュースで、国際再生エネルギー機関の設立総会があったがわが国政府はオブザーバー出席にとどめたと報じられていた。つまり、わが国の政府は「風力」や「太陽光発電」については、中国やこの機関への対応を検討していたブッシュ・チェイニー政権と五十歩百歩ですと自ら発信したわけだ。

 しかも、側聞するところではもともと外務省も経済産業省も出席すらするつもりがなかったところ、オバマ政権の誕生でアメリカが「欠席」から「オブザーバー派遣」に切り換えたので慌てて日本もオブザーバー参加に切り換えたという。

 経済産業省や外務省は、天下りなどの都合で原子力村というか、財界というか、電事連というか、そういうものにがんじがらめになっているので、野放しにしておけばこの国際機関に「不参加」という結論もまあ予想はつく。朝日新聞でさえ、「風力発電の施設に貴重なオオタカがぶつかって死ぬ」といった記事をよく出していると思ったら、この前は「騒音などで健康被害」という記事を一面に大々的に掲載していた。「沖合を推進しよう」といった話など全く書かずにだ。これも赤字転落下の広告料の都合なのだろう。

 しかし、こうした癒着の構造にばかり足をとられることなく、例えば地球環境問題で経済産業省や外務省をリードして、あるべき方向に持って行くのが「政治のリーダーシップ」の役割であるはずだ。

 少なくとも、現在の自公政権はこの問題について私の期待には全く応えていない。やる気がないのだ。この際、民主党など野党各党はこうした問題についてどういう姿勢で臨むのか、ハッキリ態度を示して欲しい。民主党には電力会社からパーティー券を買ってもらっている議員がかなりの数いるのだろうが「政権交代しはしたけれども、やっぱり政治は電事連の言いなりのまま」といったことにならないよう、今から内外に「宣言」しておいたほうが良いと思う。

(『評論家・森田敬一郎の発言』?「自公連立政権の「再生可能エネルギー」への消極姿勢」より)


当ブログも何度も書いているが、太陽光発電は日本の技術が世界をリードしている分野であるが、コイズミが「カイカク」の一環で補助金を打ち切って以来、日本はこの分野でシェアを落とし、再生可能エネルギーに力を入れているドイツに逆転された。また、再生可能エネルギーは、今後内需を拡大し、地域を振興させるため、さらには地球の環境を守るために必ず力を入れなければならない分野である。それなのに、自公政府はブッシュが消極的だと追随して消極的になり、オバマが一転して積極的な姿勢を見せると、慌てて形だけ付き従う。しかし、内実は原子力利権にどっぷり浸かっているために再生エネルギーの開発推進には全くの不熱心なのである。とんでもない国賊というほかない。

しかし、それを批判するべき民主党や朝日新聞も、森田さんが指摘するようなていたらくで、民主党は電力会社や電機会社の労組が原子力産業に頼っていて原発推進を支持している関係で、再生可能エネルギーには及び腰だし、朝日新聞は、最近よく指摘されるように広告料収入が大幅に落ち込んで赤字に転落してしまったために、広告主の企業のご機嫌をとらなければならず、それが再生可能エネルギーに冷水を浴びせるような記事につながっている。

最近の朝日新聞は、もともと持っていた「構造改革」支持のネオリベ体質に加え、安全保障政策関係でも右傾化を強めている。1月24日付社説では、ソマリア沖の海賊への対応で海上自衛隊の護衛艦を派遣することをあっさり容認した。この件は、社民党だけではなく右派の国民新党まで反対し、民主党に共同歩調を取るよう働きかけていて、民主党も反対の方向で党内を取りまとめようとしていたが、朝日新聞があっさり容認したので、ネット右翼は「民主党は朝日新聞より左に行ってしまったのか」と民主党を批判した。民主党の長島昭久は海自の護衛艦派遣の言いだしっぺだったが、党の方針に従って主張をトーンダウンさせていたからだ。私に言わせれば、民主党が左傾したのではなく、朝日新聞の方が民主党右派より右に行ってしまったのである。

朝日新聞の右傾化は社説を書く幹部級記者の問題であり、末端の記者は頑張っていると言う人もいるが、果たしてそうだろうか。再生可能エネルギーの推進は、朝日新聞主筆の船橋洋一も主張しているはずだ。いかに「再生可能」と言っても、環境に全く悪影響を与えない電力供給設備を作るのは至難なのは当然だが、ネガティブな側面を強調するだけの記事は、化石燃料や原子力に頼っている現状を追認するだけのものだ。そして、そんな記事を書くのは社説を書く幹部級記者ではなく、現場で取材している記者なのである。朝日新聞の右傾化は、中堅や若手の記者にまで浸透しているのではないだろうか。

そんな朝日新聞は、民主党寄りの新聞として知られている。かつて社会党びいきだった流れをくんでいるのだが、朝日新聞の論調が民主党の政策に与える影響は大きいはずだから、その朝日の右傾化は憂慮すべきことである。ところが、当ブログが朝日新聞を批判すると、「なんでブログ主は産経ではなく朝日にばかり八つ当たりするのか。実は右翼なのではないか」などと呆れたコメントを寄せてくる読者もいる。そんなことを書くまでに批判精神が鈍磨してしまっているのであるが、それを自覚していない。

自公政府を批判する側までこのありさまだから、麻生内閣の支持率が20%を割り込んだくらいで(そんなのは当たり前のことだ)、浮かれる気には全くなれない今日この頃なのである。


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