きまぐれな日々

昨年末、『kojitakenの日記』に、「2008年にもっとも印象に残ったブログ記事3本+α」という記事を書いたが、今年は年間ベスト3を選ぶ気にもならない。小泉郵政選挙のあった2005年は、ブログの可能性に私がひきつけられた年で、翌2006年にブログを開設することにつながったが、政権交代選挙のあった今年は、ブログに失望させられた年だった。

ブログ関係で今年もっとも印象に残り、ブログのアクセス数にも反映したのは、城内実が眞鍋かをりさんをポスターに無断使用した件であるが、これは城内実が最初に遺憾の意を表明しさえすれば騒ぎになどならなかったものだ。初動を誤って大騒ぎになった例としては、ブログ内に限っても昨年の「水伝騒動」があった。「水伝騒動」関係のエントリは、昨年のベスト3には入れていない。個別エントリでの当ブログの年間アクセス数の2位は、昨年11月20日付エントリ「テロ行為と極右政治家・城内実だけは絶対に許せない」であり、今年1万5千件以上のアクセスがあったが、これは前記「ポスター事件」の直後にアクセスが集中したものだ。城内実を批判するのであれば、芸能プロダクション側にも怪しげなところのある「ポスター事件」よりも、城内のレイシズムがむき出しになった「国籍法改正反対」に関する城内のブログ記事に的を絞るべきだろう。

今年は3月に「西松事件」が起き、これが原因になって5月に民主党代表が小沢一郎から鳩山由紀夫に交代した。前回鳩山が民主党代表を務めた際、民主党の支持率を大きく下げ、その結果民主党代表が鳩山から菅直人に交代したことがあった。この例に示されるように、鳩山は必ずしも国民の間で人気の高い政治家ではないが、それでも民主党の代表交代が支持され、民主党が総選挙で圧勝したのは、小沢一郎のあくの強さを嫌う人が多かったのに加え、なんといっても長年の自民党政治がすっかり国民に不信感を持たれてしまったからだ。この間、一部のブログ及び植草一秀が先導(扇動?)した民主党マンセーキャンペーンがあり、それは4年前の郵政総選挙で小泉自民党をマンセーしたブログが林立したことを思い出させるものだった。鳩山政権が成立して共産党から批判を受けるようになると、教祖さまが示唆した共産党叩きに信者たちが呼応する馬鹿げた騒ぎが起きたが、これも思い出したくもない騒動だった。あげくの果てに、「事業仕分け」に絡んだ「漢方薬騒動」が起きた。この件は、ブログ『労働組合ってなにするところ』の12月8日付エントリ「漢方製剤の保険外しに反対する署名、期間延長」に書かれた下記の指摘に尽きる。

ネット上の議論では、「事業仕分け」では「市販品類似薬」と言っているのであって「漢方製剤」とは言っていないということで、漢方製剤の保険適用外しはマスコミが流した「デマ」だという説が出されたのですが、そもそも「市販品類似薬」の中に漢方製剤が含まれているのですから、そういった説は成り立ちません。

「事業仕分け」の結論については、反対の署名活動を立ち上げた方々も承知していて、下記の文書にきちんと説明されています。

(『労働組合ってなにするところ』 2009年12月8日付エントリ「漢方製剤の保険外しに反対する署名、期間延長」より)


騒動を起こした『きっこの日記』は、「63分間の音源を聞け」と繰り返すばかりで、反論の核心である「そもそも「市販品類似薬」の中に漢方製剤が含まれている」という指摘に対しては、知らないのか知っていながら黙殺しているのかは知らないが、何も書かない。そして、『きっこの日記』のエピゴーネンたちも、ひたすら先導者に追随するだけだ。そこには自由な精神など何もない。中には、あるブログのコメント欄で、前記『労働組合ってなにするところ』の管理人・みどりさんを誹謗中傷してコメント欄から締め出されて自滅した、私同様kで始まるブロガーもいた。もっとも、この男は「金融機関の人間を博多湾に浮かばせ」「『合法的かつ間接的に』人を死へと追い詰めた経験が何回もある」そうだから、警戒を怠ってはならないのかもしれないが(本当か?)。

なにしろこんな騒ぎばかりが繰り返されたものだから、ブログの可能性に対してもすっかり悲観的になってきた今日この頃なのだが、それでも3年8か月ブログを書いてきた人間として指摘しておきたいのは、毎度書くことだが、ブログには検索エンジンに引っかかりやすい特性があることだ。昨年の「NHKの『自民党のコマーシャル』事件」のように、ブログが連鎖することによって発信を増幅することもできる。参加者が限定されるSNSではそうはいかないし、例の「2ちゃんねる」に代表される掲示板も、その影響力を年々低下させている。「2ちゃんねる」は投稿数が1000件に達したり、一定期間投稿がなかったりすると、「過去ログ倉庫」に入ってしまって、専用ビューアを用いなければ参照できない。昨年の記事が再び見出されてアクセスが集中するなどということは起こりえないのである。ましてやメーリングリストなど、その影響力は無視できるほど小さい。

つまり、ブログにはまだまだ可能性があり、裏を返せばそれだけ権力に利用される余地も残っている。そのポテンシャルを思う時、低迷したとしか言いようのない今年のブログシーンを残念に思うものである。


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2009年の回顧をする時期になった。

今年の「流行語大賞」は「政権交代」だそうだが、そりゃそうなんだろうけれども、政権交代が確実と目された8月の総選挙の直前から、私の心はなぜか高揚することがなく、むしろメランコリーに支配されていた。来るべきものに対する懸念からだった。そして、それは現実のものとなった。

選挙が終わったばかりの頃、田原総一朗がテレビで「野党が政権をとった」と言ったことがあった。冗談じゃない。政権をとったらそれはもう与党なのだ。「政治ブログ」でも、「野党共闘政権」と表現したところがあった。田原の場合は「与党ボケ」、「政治ブログ」の場合は「野党ボケ」だといえる。与党ボケの田原総一朗は、来年3月末をもってようやく『サンデープロジェクト』の司会を降板するそうだが、「野党ボケ」政治ブログの間でも政権交代後は迷走が目立った。

ジャーナリズムには、常に批判精神が求められる。それは、与党が自民党であっても民主党であっても同じことだ。実際のマスコミは全然そうではなく、それはそれで問題なのだが、ネットが、ブログが「マスゴミ」(私の好まない表現だが)と違う、と主張するのであれば、ブログは民主党政権をも批判の対象としなければならないはずだ。

しかし、実際にはどうだったかというと、選挙前に自民党を激しく攻撃していたブログの中には、その過程で民主党への思い入れが強くなり過ぎて、民主党政権が批判を受けるとヒステリックな反応を示すところが現れた。リアルの政治では、下野した自民党と、連立政権に加わらなかった共産党が野党だから、自民党と共産党、それに公明党、みんなの党や平沼一派などが民主党政権を批判するスタンスをとっている。

実に愚かしいことに、政権交代前には民主党と城内実(平沼一派)をともに支持していた一部の右派の人たちが、政権交代後民主党への批判を強めた城内実に失望して、城内を批判するようになったそうである。彼らが民主党と城内実に何を期待していたのか、私にはよくわからない。

さらにいただけなかったのは、共産党の政権批判に切れて、共産党支持者をヒステリックに攻撃する人たちが続出したことだ。それが、正当な理由に基づく共産党批判であればまだよかったが、一部の民主党支持者の間にある共産党バッシングの空気を読んだ扇動者が共産党への批判を煽ったのが現実だった。これについては、11月9日付エントリ「植草一秀氏の共産党批判と普天間基地問題のトンデモ認識」および11月13日付エントリ「ブロガーを惑わす植草一秀氏は「ハーメルンの笛吹き男」だ」で批判した。

自民党政権時代には自民党を批判し、民主党現政権に対しても批判すべきは批判するブログに対して、「おまえらはなんでいつも世の中の少数派なん?」と書いたお馬鹿なブロガーもいた。この言葉に端的に表れているのは、少数者を疎外する論理であり、こんな論法は自民党支持者でさえほとんど用いなかったものだ。なぜなら、自民党支持者にとって敵はまず民主党であり、議席も支持者も無視できるほど少数ではなかったからだ。ところが、旧野党の勢力の間では、共産党は少数派だ。しかも、小選挙区制のせいで議席は少ないものの共産党の得票率はそこそこあるうえ、熱心な支持者が多いから声も大きい。だから民主党狂信者にとっては癪でたまらない存在であり、それが「少数派が何を言っているんだ、黙れ」という反応となって現れる。ある意味、民主党狂信者は、自民党支持者以上に全体主義への親和性が強いともいえる。

民主、社民、国民新党の三党が連立協議をしている時もそうだった。全体主義志向の強い民主党狂信者は、社民党や国民新党はごちゃごちゃ言ってないで、早く連立合意しろと喚いていた。こんなやつらの跳梁跋扈が目に見えていたから、政権交代を前にして私の気分が晴れなかったのである。懸念していた通り、いやそれ以上にひどい状態になった。

少数者の疎外という問題についていうと、現在注目すべきは、普天間基地の移設問題だろう。自民党の石破茂などは、平然と「沖縄に犠牲になってもらう」と言い放つ冷血漢だが、連立与党を形成する社民党は基地の県外・国外移設を求めており、国民新党も社民党に同調している。連立協議の時に、つべこべ言わずに早く合意しろと言っていた連中は、社民党や国民新党が民主党に何も言わず、産経・読売や日経が言うがままに、民主党政府が早期に県内移設を決定したとしても、それを批判する資格などないのである。彼らの教祖・植草一秀は書いた。

普天間飛行場の返還を確実にするためには、県外への移設を確定する時間的余裕
はないと考えられる。嘉手納基地への統合かキャンプシュワブへの移設を軸に着地点を見出す必要があると考えられる。

(植草一秀の『知られざる真実』 2009年10月27日付エントリ「平成の無血革命成功を期す鳩山首相演説」より)


だが、信者の間から、教祖さまのこの言葉を批判する意見は出なかった。そして、植草氏を批判できないのは、共産党支持者を疎外しようとしたのと同じ人たちであり、「少数者の疎外」がその共通項だ。これでは、革命は革命でも「文化大革命」だろう。植草主席か「三種の神器」か知らないが、一部ブロガーの間には、「神聖にして侵すべからず」の対象となっている人物が存在する。そういえば、現在でもなお人々の話題にのぼり続ける「事業仕分け」も文革にたとえられた。バカが一番えらい世の中。庶民感覚が大事だと称しながら、その実庶民は何も知らなくて良いと主張し、実際には多くの庶民と比較して無知にして無恥な者までもが旗を振っていたのがブログの「政権交代」キャンペーンだった。

リベラル・左派系の「政治ブログ」で、今年一番目立ったのは、「植草一秀の『知られざる真実』」のアクセス数が際立って増えたことだろう。もちろん、これに対する私の評価は肯定的なものではない。しかし、一部のネット右翼系ブログは、ブログランキングの順位を吊り上げる工作をしているが、植草氏のブログは掛け値なしにアクセス数が多い。今年は、5月にその植草氏、9月には衆議院議員に復帰したばかりの城内実が、相次いで自らが運営するブログランキングの低下はおかしいのではないかとするエントリをあげた。国民の生活が第一というよりは、自分のブログランキングが第一なのではないかと思えた。そういえば、城内実が衆議院議員に復帰したのも、覚悟していたとはいえ今年の不快なニュースの一つだった。

今年は、「政治ブログ」の世界もすっかり沈滞してしまったように思う。政権交代が実現して、国民の政治熱がピーク時と比べて低下している今は、「政治ブログ」がアクセス数を稼ぎやすい時期ではないが、逆にこういう時に種を蒔いておくことがのちのちにつながる。だから、われこそはと思われる方には、今こそブログへの参入をおすすめしたい。来年末には、「2010年はここ数年の沈滞を脱して、ブログ言論が活発さを取り戻した年だった」と評されることも、決して夢ではない。特に、全体主義への流れに力強く対抗するブログの台頭を期待したい。


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結局7月2日になっても麻生太郎首相は解散できず、天皇が不在でも解散できるなどと言っているようだが、狼少年を思い出させる。解散するぞ、解散するぞと叫び続けて解散しないので誰にも信用されなくなり、本当に解散した時には惨敗してしまうのならまだ良いけれども、解散さえさせてもらえずに清和会オオカミに食い殺されかねない。

麻生首相や自民党がダメなのはもう当たり前であって、そんなわかりきったことを連呼する気にはもはやならなくなっている。最近どうしても気になるのは、一昨年の参院選で民主党の候補者を色分けして、リベラルな候補者を選別して当選させようとする運動もあった「リベラル・市民派」ブログシーンの主流が、3人の教祖を崇め奉るカルト宗教と化していて、それに異を唱える言論がきわめて少ないことだ。

もちろん一昨年にも新社会党系の「9条ネット」に入れ込むなど、極端に走る傾向はあった。その背景には、70年頃までの学生運動を知っている世代の人たちの一部に、共産党に対する拒絶反応があって、それで新左翼系の人たちが社会党を左から割った新社会党系の「9条ネット」に乗り、その広告塔となった天木直人氏を、ノンポリの「野党共闘」論者たちが熱烈に応援したのである。

「わかりやすさ」を求めるノンポリの人たちは、トンデモに容易に乗る傾向がある。一時期かなりのアクセスを集めた「4つの目」がどうこう、というブログがあったが、そんなところに入れ込んでこれをPRしたブログがあったので、当ブログは「ネットに横行する「トンデモ」や「陰謀論」を批判する」(2007年12月23日付)と題したエントリでこれをたしなめたことがあった。幸い、「4つの目」どうこうというブログは、最近登録者のみ閲覧できるブログに衣替えしたようだ。ケムトレイルだか地震兵器だかのトンデモ記事が、普通にはアクセスできなくなったのは歓迎すべきことだ。

先日、共産党の不破哲三前委員長が書いた『マルクスは生きている』(平凡社新書、2009年)を読んだが、不破氏は地球温暖化を資本主義が生み出した「究極の災害」としてとらえている。池田信夫を筆頭にしてネットの左右で蔓延している「地球温暖化陰謀論」などもちろんとらない。民主党も、温室化ガス削減の2020年中期目標を、1990年比25%削減とする公約を掲げているが、中でも福山哲郎参院議員は、地球温暖化問題をライフワークにしたいと語る政治家だ。福山氏は、5月の民主党代表選をめぐって、長妻昭衆院議員らとともに、小沢一郎に怒鳴り上げられたと報じられ、前原・枝野グループに属しているため、一部の人たちから「反党分子」との烙印を押されかねない人物だが、もちろん小沢一郎や鳩山由紀夫などよりよっぽどリベラルな人である。

1990年比25%削減というのは民主党の公約だから、小沢一郎や鳩山由紀夫だって「地球温暖化陰謀説」なんかにはもちろん与しないのだが、それでも信者の一部には陰謀論が蔓延している。現在の温暖化仮説が正しいかどうかには科学者たちからも異論があるのは確かだが、誤りが証明されれば行動を改めれば良いだけの話で、仮説がかなりの確率で正しそうなのに対策をとらなかった時の破局を、後から悔やんでもどうしようもないのである。自分が生きている間には破局なんか起きないからどうでも良い、というのは新自由主義者のよくする発想である。私など、日本をぶっ壊すことが確実になってから総理大臣の職を辞し、今度の選挙では国会議員も辞めて次男に世襲させようとしているコイズミは、「我亡き後に洪水よ来たれ」と思っているに違いないと邪推している。

話が脱線してしまったが、共産党はマルクスの「科学的社会主義」を信奉しているだけあって、上記の不破前委員長の例を挙げるまでもなく、トンデモには影響されにくく、共産党支持者が陰謀論に入れ込んでいる例も、中には見かけるがごく例外である。トンデモはかつての新左翼を経て、現在では民主党の支持者に流れ込む傾向が強く、民主党の参院議員に「9・11陰謀論者」の藤田幸久参院議員がいることはよく知られている。もちろん民主党が党としてトンデモを信奉しているわけではないことは当然だ。

昨日のエントリで槍玉に挙げた「平成海援隊 Discussion BBS政治議論室」だが、同BBSの常連投稿者である謎のカスパール・ハウザーさんによると、

白川勝彦氏の、かつての『リベラル掲示板』に、カルトもどきが山ほどいたのを思い出します。
それが淘汰されたのが、平成海援隊掲示板であると言ってよいと思います。

とのことで、同BBSでも「カルトもどき」を淘汰する自浄作用があったようだ。そうした努力があったことも知らずにBBS全体を槍玉に挙げてしまったことは申し訳なく思う。そして、カスパールさんいわく、

小沢騒動以来、カルト系投稿が跋扈し始めた某掲示板ですが、あれはトンデモ本信奉者の津波現象であることに気づきました(笑)
それに気づかせてくれた、某掲示板の浮船亭田中屋氏と善人なおもて氏の両コテに感謝です。

とのことだから、いただいたアドバイス通り長い目で見守りたいと思う。それにしても、教祖さまの一人が「故人献金」問題を起こしたり、別の教祖さまが悪名高いトンデモ本の著者と共著を出しても、誰も咎めないどころか、「誰と共著を出そうがどうでも良いだろうが」と反論される。だが、共著の相手から著者のスタンスを判断するのはごく当たり前のことだ。平和主義者がヒトラーと共著を出すことなどあり得ない。朝日新聞の主筆・船橋洋一に竹中平蔵との共著があることを批判するのであれば、教祖さまがトンデモ本のライターと共著を出すことを黙過していてはならないだろう。いっときのブログのアクセス数急増や印税収入と引き換えに、知識人としての前途を自ら閉ざしてしまうのを、私などは(決して皮肉でなく)惜しむのだが、自分から選んだ道だからどうしようもない。

トンデモとは一線を画した「リベラル・市民派」のブログがもっと現れてほしいと思う今日この頃である。「リベラル・市民派ブログシーン」にも、重い閉塞感が漂っている。


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東国原英夫の入閣は結局見送りになったそうだ。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090702k0000m010028000c.html

上記リンクの毎日新聞記事から引用する。

閣僚人事:経済財政担当相に林芳正氏 東国原氏入閣見送り

 麻生太郎首相は1日、与謝野馨財務・金融担当相が兼務している経済財政担当相に自民党参院議員の林芳正前防衛相を、佐藤勉総務相が兼務している国家公安委員長・沖縄・北方・防災担当相に自民党の林幹雄幹事長代理を充てる閣僚補充人事を決めた。河村建夫官房長官が同日夕の記者会見で発表した。2日に認証式を行う。

 麻生首相は次期衆院選へ向けた自民党の「選挙の顔」に、と東国原英夫宮崎県知事の閣僚起用も検討していたが、見送った。自民党の細田博之幹事長ら党役員を交代させる人事も検討したが、党内の強い反発を受け断念した。

(毎日新聞 2009年7月1日 18時16分(最終更新 7月1日 18時37分))


麻生太郎首相は、党役員人事も東国原の入閣も最初から考えていなかったような言い方をしているが、毎日新聞の記事にある通り、党内(清和会)に動きを封じられたものだろう。これには、東国原の入閣構想に怒り狂っていた私も脱力するしかなかった。麻生首相も腹立たしいが、それ以上に清和会はもっといまいましい。

一方の東国原はますます権力欲をむき出しにしており、その言動はエスカレートする一方だ。
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009070101000988.html

東国原氏「僕が行けば負けない」 自民出馬要請で

 宮崎県の東国原英夫知事は1日、高千穂町で開いた県民との対話集会で、自民党から立候補を要請されている次期衆院選に関し「僕が行けば自民党は負けない。負けさせない。負けたら地方分権ができない」と述べ、立候補した場合は政権交代阻止に全力を挙げる考えを示した。

 自民党を選択した理由として「民主党は次期代表選で私を選ばないだろう。自民党総裁になる方が可能性、確率は高い」と説明。次期党総裁候補にすることなど、自らが提示した条件を自民党が受け入れた場合について「(国民は)党が変わった、変革したと思うだろう」と指摘した。

 一方で、いまだに自民党からの回答はないとした上で「国政に行きたい、国会議員になりたいとは思っていない」と述べ、党側の対応次第では不出馬もあり得るとの姿勢を強調した。

(共同通信 2009/07/01 19:40)


「民主党は次期代表選で私を選ばないだろう。自民党総裁になる方が可能性、確率は高い」とは、誰もが口あんぐりだろう。これでは東国原は自分から自民党の国会議員になる道を閉ざしているようなものだ。ここまで馬鹿にされては、さすがの自民党も「三顧の礼で迎え入れる」わけにはいくまい。

こんなニュースに接すると、ブログを書く意欲もそがれてしまう。そして、麻生首相や東国原の動きに対してだけではなく、反自公の側の言論にも私の意欲をそぐ材料が山ほどある。

ネットでは一部の反自公の言論がますますカルト化している。一部の冷静な投稿者から「長い目で見て欲しい」とのアドバイスも受けている「平成海援隊 Discussion BBS政治議論室」だが、カルト化した投稿者たちの書き込みを見ていると、「ネット右翼の左版」としか思えない惨状に言葉を失う。

たとえば、下記のスレッドなどがその典型だ。
http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?Hkaientai+26026

これなど、最初の書き込みからして妄想に基づいて書かれたものだが、信者たちが次々と追従している。カスパール・ハウザー氏が冷静なレスを入れ、オウム真理教に関するリチャード・コシミズのトンデモ(コシミズによると、オウムは層化や統一の武装戦隊とのことで、サリン事件は層化グループがオウム信者に無実の罪を押しつけたもので、コシミズの言葉を信じればサリン事件は恐ろしい冤罪だったことになる)の例を引いているが、その含意するところが信者たちには全く理解できていない。

あげくの果てには、「政権交代の3種の神器は小沢一郎先生、鳩山先生、植草先生だと思っていました」などという書き込みまで現れた。私には、現在「故人献金」が問題となっている鳩山由紀夫は、どんなに肯定的に言っても岡田克也と同質の保守政治家としか思えないのだが(少なくとも安全保障問題に関しては岡田克也のほうがずっと穏健だ)、小沢、鳩山、植草の三氏を神のように崇め奉る信者には、教祖さまたち以外の声は何も耳に入らない。これが、「マスゴミは本当のことを伝えない。本当のことはネットで知る」と言っている人たちの実態なのである。それに、元来は左派で、まともなことを書いていた人までもが感化され、「自民党を応援するのは岡田克也民主党幹事長のみ」などと言い出す。なんたる素晴らしい知性だろうか!

上記は、ネット右翼ともども、日本のネット言論がいかに未成熟かを示す例だろう。ブログで記事を書いても書いても、こんなのばかりが雨後のタケノコのごとく次から次へと出てくるのだから、ブログを書く意欲がそがれようというものだ。当ブログはもう少しは今のペースで続けるが、どこかで運営を見直したいと思っている。


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何の因果か、平日はほぼ毎日政治のことをブログに書く日々が続いているが、もちろん未来永劫続けるつもりはない。しかし当面は続ける。今黙るわけにはいかない、そんな思いが強い。

いつしか、エントリ数は900件に迫っている。アクセス数は、決して直線的には伸びていかず、政局になるたびに増え、それが一段落したりマンネリ化したりするたびに徐々に減りを繰り返し、ちょうど山道を稜線に沿って縦走しながら徐々に高度を上げていくような具合だ。

でも、時々政治のことを書くのがいやになることがある。一昨年秋の大連立騒動の時がそうだった。西松事件以降の今回はまた少し違う。ネット言論の世界にもファシズムの波が押し寄せてきているのを感じるのである。

西松事件の直前には、麻生内閣の支持率が日本テレビの調査で1桁に落ち込み、政権交代間近のムードが高まった。西松事件が起きると、一転して民主党と小沢一郎の支持率が下がった。

政治と金の問題については、政治に金がかかるのは事実だが、一部の小沢一郎支持者は、企業・団体献金をもらって何が悪い、と開き直った。その途端、小沢一郎自身が企業・団体献金の全面禁止を打ち出した。企業献金は、見返りがあれば贈収賄になるし、見返りのない献金なら企業に対する背任になる。だからこれは禁止すべきだとは、あの自民党べったりの電波芸者・三宅久之だって主張していることなのだ。ところが、小沢が全面禁止を言い出す前の小沢支持者は、それまでの主張をなかったことにするかのように企業献金を正当化した。ご都合主義もいいところである。

現在でも、岡田克也は企業・団体献金を禁止はするけれど猶予期間を設けたいという意向で、それよりも世襲制限に力を入れる方向性を示したが、小沢一郎の意中の後任候補であった鳩山由紀夫は、この点で岡田克也との違いを際立たせることをしなかった。だから、この点で両氏に大きな違いを見出すことはできない。

岡田氏で一番まずいと思ったのは、消費税増税に積極的な姿勢を見せたことだった。この点では、今後4年間は消費税増税の議論もする必要がないと言った鳩山氏の方に、議論の分があった。

しかし、いずれにしても、鳩山由紀夫と岡田克也に決定的な違いがあったわけではない。ところが、同じ民主党支持者であっても、このところ急激にアクセス数を伸ばしていたあるブログが、ある時新進党を解党した当時の小沢一郎を批判し、岡田克也支持を明確に打ち出したところ、突如として罵詈雑言を浴びるようになり、その後代表選で鳩山由紀夫と岡田克也の対決になったこともあって、コメント欄で「自公の工作員」呼ばわりされるに至るという例を見てしまった。鳩山由紀夫と岡田克也の違いは、私の見るところ、前者が小沢一郎の意中の後継者であり、後者はそうではないというだけのものだ。両者とも党内の保守派であり、私はどちらも支持しないが、世襲の鳩山由紀夫よりは非世襲の岡田克也をとるというスタンスだった。

だから、岡田克也支持者が「自公の工作員」だなどとはお笑い種で、ブログを始める前から掲示板で罵倒合戦に慣れっこになっていた私などは、別段そんなことを言われたくらいで「またか」という感じなのだが、岡田克也支持のブロガーの方には「ブログ論壇」の異常さがショックだったようだ。攻撃側には、岡田支持ブロガーを「嘘つき」呼ばわりしたブログまで現れる始末だから、無理もないかもしれない。私は、『きっこの日記』までもが鳩山由紀夫を反自民、岡田克也を親自民と言い出した時、この流れを止めなければならないと思うようになった。

ここで、ネットの議論とはそんなものと言ってしまったら身も蓋もない。熱心な小沢一郎支持者たちが、小沢から距離を持った言説を叩く過程で、小沢一郎の指示があったなどとは決して誰も思わないだろう。むしろ、小沢一郎自身は反米を掲げた人たち(その実態は反米左翼と排外主義極右の野合である)に担ぎ上げられていることなど知らないか、知っていても相手にしていないのではないか。今、ブログで小沢一郎擁護論をぶっているリーダー的な人が、民主党政権のブレーンになるかというと、絶対にそんなことはあり得ない。例えば経済政策だったら、榊原英資氏あたりが中心的なブレーンになるだろう。榊原氏は、やや新自由主義寄りのリベラルであり、もちろん反米などではない。

現在ネットで小沢一郎や鳩山由紀夫支持の中心になっている勢力は、いわば草の根から盛り上がっていったものだが、その過程でありがちな排他性を身につけ、まず共産党を自公の補完勢力であるとして排除し、次いで民主党でも岡田克也を小沢一郎に批判的な前原誠司らに支持されていることを理由に、また菅直人を小沢一郎に辞任勧告を突きつけたといわれていることを理由に、それぞれ批判の対象とした。自らは「反自公が分裂していてどうする」と言いながら、岡田克也支持のブロガーに「ブログ論壇」に恐れをなさせてしまっている。

この現象を説明する時に思い浮かぶ言葉が「ポピュリズム」である。この言葉は、以前かつさんから「大衆迎合主義というより大衆扇動主義というべきだ」と言われたような記憶があるが、まさしくポピュリズムによってアクセス数を伸ばしていったブログが存在する。こうした「暴走」ともいえる動きに対しては、ほかならぬ民主党関係者や同党支持者、あるいは必ずしも民主党支持でも小沢一郎支持でもないけれども反自公だ、という人たちからも苦情が出ているのが実情だ。

こういうのは、誰かが異議申立しないと話が始まらない。今なら、ポピュリズムがファシズムに至る前に食い止めることができる。そう考える次第である。「リベラル・市民派ブログシーン」に自由闊達な議論の空気を取り戻したいと強く願う。


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1日半ネットにアクセスできなかっただけで、報道は大きく変わっていた。昨夜、政府・自民党の人たちが何か言っただけで、「豚インフルエンザ」から「豚」の文字が消え、「新型インフルエンザ」なる情報量を減らした呼称に変わった。まるで「言葉狩り」みたいだと思った。そして、名称の人畜無害化とは裏腹に、「フェーズ4」に引き上げられたばかりのインフルエンザの警戒レベルは、早くも「フェーズ5」に再度引き上げられた。この分では、早晩「パンデミック」(世界的大流行)に当たる「フェーズ6」に引き上げられるのではないか。

もう一つあれっと思ったのは、感染者や死者が多かったはずのメキシコのデータが少なく修正されたに対し、感染者が少なく死者も出ていなかったはずのアメリカでも死者が出ていただけではなく、感染者数のデータが大幅に多く修正されたことだ。当初、メキシコでは対応が遅れて感染が広がり、アメリカではちょっと体調が悪いだけですぐ医者に診てもらう習慣がついているので被害が広がっていないなどと報道されていたが、それがとんでもない大嘘だったことがわかったのである。

インターネットが普及した情報先進国のはずのアメリカのこのていたらくは、あまりに情報が多すぎると、重要な情報とそうでない情報の区別ができなくなって、真に重要な情報を見逃してしまうのことを意味していないだろうか。常識的に考えても、貧困層がまともな医療を受けられないアメリカの社会は、インフルエンザ大流行のリスクを抱えているはずだ。

ネット界隈でも、「豚インフルエンザ」なんて大した問題ではない、政府批判の矛先をそらすためにメディアが大騒ぎしているだけだとする意見が多く見られた。しかし、さすがに『きっこのブログ』は、インフルエンザの名称変更に、アメリカの豚肉業者への政府・自民党の配慮があることを鋭く突いている。

さらに、河村官房長官が「総選挙に新型インフルエンザが影響しないように努めたい」と言っていると聞いて、平沼赳夫が「百年に一度の経済危機にあっては、国政選挙を十年くらい凍結すべき」と言った失言を思い出した。麻生のことだから、権力の座を維持するためには豚インフルエンザを口実にした憲法停止くらいやりかねないと思う私は、疑り深すぎるだろうか。

この4月末に話題になった事柄としては、月刊誌の休刊・廃刊などもあり、数日前の朝日新聞の論壇時評(評者・松原隆一郎)でも取り上げられていたが、これは、右派系論壇誌『諸君!』が最終号となる今年6月号を発売したこととも関係があるのだろう。しかし、活字媒体が凋落する一方で台頭してきたネット言論について言えば、もちろん個人が発信できるという特徴があって、当ブログのような素人ブログでもある程度の読者を獲得できるというレベルの問題もあるけれども、活字媒体と比較してポピュリズム色が強いことが、私には気になる。いわゆる「ネット右翼」の世界では、内輪ウケの閉鎖性がだいぶ前から常態化しているが、リベラル・左派系でも同様の傾向が目立ってきたのではないだろうか。「政官業癒着構造」にせよ「悪徳ペンタゴン」にせよ、最初の批判にはそれなりの根拠があったのだろうが、ディベートの武器として、自らの論に反するものを「悪徳ペンタゴンの手先」と決めつけ、ひたすら論敵に対する罵詈雑言を投げつけ続けるやり方からは、ネット言論の深みは生まれてこないし、それって結局ネット右翼たちがはまったと同じ落とし穴にはまろうとしていることなのではないかと私には思えるのである。

そして、気がついた時には、放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送倫理検証委員会」が旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げたNHKの特集番組に放送倫理上の問題があったと認定したことなど、ネットでは誰も触れなくなっている。2001年1月に安倍晋三と中川昭一がNHKに圧力をかけて番組を改変させたことは、2005年1月の朝日新聞の報道で発覚したのだが、このニュースにしても、部外者だった毎日新聞の方が当事者だった朝日新聞より突っ込んだ記事を書いているように思う。毎日新聞は、

 8年前に放送された番組について決定を出すのは異例。川端委員長はその理由を「NHKは放送・制作部門の責任者が政治家に放送前の番組の説明をする可能性を今も排除していない」と説明した。

と書いているが、これは、NHKが今も政治家による番組改変の可能性を事実上認めている以上(「政治家に放送前の番組の説明をする」とはそういうことだろう)、何年前の番組だろうが何度も繰り返して注意を喚起する必要がある件である。特に、安倍晋三と中川昭一がこの件に関与したとされることは、決して忘れてはならない。しかし、朝日新聞以上に政府やスポンサーの束縛など何もないはずの市民ブログがこの件に目を向けようともしない。こんなざまではネット言論が活字媒体にとって代わろうなど百年早いと言われるのが関の山ではなかろうかと思う今日この頃なのである。


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この年末年始、国内でもっとも注目を集めたのは、「年越し派遣村」をめぐるニュースであり、村長を務めた湯浅誠は、いまや日本でもっとも注目を集めている人物の一人だろう。

当ブログは、朝日新聞がこれを大きく扱わなかったことを非難してきたが、もっと滑稽だったのは権力や御用文化人の反応である。

派遣村に集まってきた人たちに対して、「本当に働こうとしている人か」と述べたのは、坂本哲志総務政務官である。この発言を報じた毎日新聞の記事には、およそ270件の「はてなブックマーク」がついたが、うち33件に「これはひどい」というタグがついている。「はてブ」の3分の1に「これはひどい」のタグがつけられた城内実には(ネットの世界では)及ばないが、大顰蹙を買ったといえる。

ところが、2ちゃんねるやmixiの日記などでは、この坂本発言を支持する声が多いのだという。いや、『Munchener Brucke』が採集して提示したように、坂本発言を擁護しているブログがゴマンとある。テレビで彼らを煽っているのはみのもんたである。いや、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」とか、ハローワークで「何かありませんかと言うんじゃ仕事は見つからない。目的意識がないと雇う方もその気にならない」などと発言した麻生太郎首相自身が、コイズミ内閣の頃時代を席巻した自己責任論を再び撒き散らしている。麻生は、いくら積極財政論を唱えようが、本質的に新自由主義者である。

現在、日本の支配層の知的水準は際立って劣化しており、権力が崩壊していく時というのはいつもそうなのかと思わせるほどだ。単に漢字が読めないだけではなく、その無教養ぶりを日々露呈している麻生太郎もそうだが、「経済学者」であるらしい池田信夫という人物もその悪例に挙げられる。

以前、『kojitakenの日記』で、池田が「地球温暖化陰謀論」なるトンデモにはまっていることをご紹介したが、当該エントリからリンクを張った『シートン俗物記』の指摘によると、池田は、従軍慰安婦否定論、沖縄集団自決否定論、捕鯨問題などにも首を突っ込んで、毒電波を撒き散らしているようだ。学界ではまともに相手にされていないのではないか。少なくとも、私は池田を「経済学者」とはみなしていない。

その池田が、ブログで「「派遣村」の偽善」なる、呆れたエントリを上げている。2ちゃんねるでは絶賛されているのかもしれないが、「はてなブックマーク」における評判はかなり悪い。私に言わせれば、この池田のエントリは、どこがどう悪いという以前のレベルのものだ。

ところで興味深かったのは、これだけではおさまらなかった池田が、「反貧困―「すべり台社会」からの脱出」というタイトルのエントリを上げてきたことだ。

内容は、同名の湯浅誠の著書に対する単なる悪口だが、このエントリを読んでいて、池田がこんな駄文を書いた動機がわかった。

池田もエントリ冒頭で書いているように、この本は昨年暮、朝日新聞社が主催する「大佛次郎論壇賞」を受賞した。
http://www.asahi.com/culture/update/1213/TKY200812130197.html

朝日新聞の論調自体は、必ずしも「反貧困」の方向性を持っているとはいえないが、この湯浅の名著に論壇賞を授与する程度の良識は残っているようだ。そして、池田は明らかに湯浅誠に嫉妬している。

彼の経歴も東大法学部の博士課程修了と、普通の「プロ市民」とは違う。

などとわざわざ書いて、対抗心をむき出しにしているし、なんといってもお笑いなのは、

本書のような「社会主義2.0」では、朝日新聞や岩波書店などの滅びゆく左翼は喜ぶかもしれないが、若者はついてこないし、政策論議としても建設的なものは出てこない。

というくだりだ。おいおい、と思ってしまった。これをちょっと言い換えると、

池田信夫のような「新自由主義2.0」では、自民党や竹中平蔵一派などの滅びゆくネオリベは喜ぶかもしれないが、若者はついてこないし、政策論議としても建設的なものは出てこない。

となる。

とにかく滑稽なのは、池田信夫の湯浅誠に対する強烈な嫉妬心であり、これが池田にくだらないエントリを書かせた動機なのだ。みっともないの一語に尽きるが、こういう人間のありようが露骨な形で示されるのが新自由主義時代の日本の特徴なのかと思ってしまった今日この頃である。


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朝日新聞(7月8日付)を開くと、「政治動かすネット言論」という記事が出ていたので、これを要約して紹介する。

今年3月のマレーシア総選挙で、与党連合「国民戦線」は何とか政権を維持したものの、勝敗ラインとしていた定数の3分の2を割り込む歴史的な敗北を喫した。これに関して、アブドラ首相は「われわれはインターネットでの戦いに敗北した」と述べたというのである。

マレーシアの主要紙とテレビは、一部の中国語紙を除いて与党所有か国営で、政府与党によりコントロールが可能とのことで、それに不満をもったジャーナリストが社を辞めてブログを立ち上げ、新聞で報道できなかった記事を次々と報じて注目を集めた。

インターネットを使いこなしたのが野党陣営だったという。野党・人民正義党のティアン・チュア議員は「我々にはカネもテレビも新聞もない。公約をホームページやメールで訴えるしかなかった。後は彼らがネットで広めてくれた」と語る。

総選挙では、ネットやブログを「落書き」などと馬鹿にする発言を繰り返したザイヌディン情報相が落選する一方、野党陣営では著名ブロガーの新人が当選したりした。選挙結果を受けて政府や既存メディアも姿勢を改め、新たに就任したアフマド情報相は「ブログなどのメディアは国づくりでも一定の役割を果たす」と述べ、ブロガーらとの対話の場を設ける考えを示した。

記事にはマハティール前首相へのインタビューも出ているが、首相退任後、現政府がマハティール氏の発言を報道しないよう支持したことに不満を抱いた同氏は、今年5月にブログ(http://test.chedet.com/che_det/)を立ち上げ、訪問客は300万人を超えたという。マハティール氏は、首相在任時に新聞やテレビの報道を厳しく統制したが、ネット上で検閲をしないと表明したとのことだ。つまり、既存メディアを厳しく規制する一方、ネットには縛りをかけず、それが現在の状況につながったのだろう。

ひるがえって日本はどうかというと、既存メディアは政府によって厳しく統制されているわけではないが、言論に自己規制がかかっていると思う。小泉内閣の高支持率を支えたのは、「コイズミカイカク」を基本的に支持するマスメディアだった。

それに対するカウンターとしてブログが立ち上がり、大きく盛り上がるかに見えたが、次第にタコツボ化していっているのが現状ではないかと思う。狭いコミュニティ内でしか通用しない言説がまかり通っていて、それが外部からの支持がなかなか得られない原因だろう。特にたちが悪いのが陰謀論と擬似科学であって、それさえ克服できないようでは「政治ブログ」に未来はないと思う今日この頃である。


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私がブログを始めた直後の2年前に、当時内閣官房長官だった安倍晋三が、統一協会(統一教会)系の団体が開催した大会に祝電を送っていたことが報じられ、ネットで大騒ぎになった。

これは、2ちゃんねる掲示板で発掘されたのが一昨年6月3日、『薫のハムニダ日記』が『世界日報』韓国語版記事を訳したエントリを公開したのが6月5日だった。翌6日、『きっこの日記』が取り上げてネットで広く知られるようになり、一週間後の13日には『しんぶん赤旗』が報じ、翌週の19日には大手マスコミが一斉に小さく(笑)報じた。

この経緯は、一昨年6月23日の当ブログ記事「電通と暴力団とカルトが作ったものじゃない」でまとめたことがある(下記URL)。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-75.html

「2ちゃんねる」の書き込みから、大手マスコミの報道まで16日。異様なタイムラグの長さであり、これはこの件が「タブー」とまではいわないまでも大手マスコミがあまり取り上げたがらない自民党の政治家と統一協会の関係にかかわるものだったからだろう。フリージャーナリストの有田芳生がなぜか安倍晋三をかばうコメントをして回っていて、それがこの件を報じた『週刊朝日』、『サンデー毎日』、『アサヒ芸能』に揃って掲載されたりもした。その有田も、最近の『酔醒漫録』のエントリ「山拓V安倍の茶番劇はもういい」では、

威勢のいい台詞を語るだけで何らの成果もあげずにプッツン退場した無責任な安倍ちゃんには、もはや拉致問題など語って欲しくはない。

と書いており、いまや完全に安倍を見放している。

ただ、「ポスト小泉」を決める自民党総裁選を控えた当時は、安倍晋三を批判する言論はなかなかマスコミに載らなかった。『週刊現代』や『週刊ポスト』でさえ、しばらく安倍批判記事がほとんど載らない時期があったほどだ。

だから、当時は「本当のことはマスコミではわからず、ブログを読まなければダメだ」と言う人が続出して、それで私などもいい気になっていたこともあるのだが、それでも当時の当ブログが主にやったことは、なかなかネットでは参照されない雑誌記事の紹介だった。一次情報源を持たないブログがやることは、世に氾濫している情報の重みづけを変えて、真に有用な情報だと考えるものを選び、それに管理人の視点による解釈を加えて再発信していくことだと当時から考えていた。前記『薫のハムニダ日記』による、日本にいてはなかなかわからない韓国のメディア情報の紹介は、ブログというメディアの特質を活かした、きわめて貴重な実践だと思う。私は、心あるジャーナリストたちへのリスペクトは忘れたことがないし、「マスゴミ」なる用語は過去に使用していないはずだ(ブログ内検索では見つからなかった。当エントリ公開後は当エントリのみが検索されると思う)。

何が言いたいかというと、「ネットでなければ本当のことはわからない」と言いながら、疑似科学や陰謀論を垂れ流しているブログがあまりに多く、ブログ言論に普遍性を持たせたいと思う私がよしとする方向からどんどん逸脱してしまっているということだ。現状では、むしろ「ネットだけを見ていたのでは本当のことはわからない」といえる。

私は以前からずっと、「情報源をネットだけに頼るブログはダメだ」と言い続けており、それについて某ブログと意見が対立していたのだが、例の「水からの伝言」騒動は、私にいわせれば、その対立構造がそのまま「共感派」(むしろ「共感強要派」と読んだ方が実態に即していると思う)とそれに対する反対派(決まった名前はないが、私は「私闘論理派」と呼んでいる)の対立構造に引き継がれている。共感はもちろん大事だが、そこにとどまってしまって、知ることや考えることをおろそかにしてしまってはならない。「いいじゃないか、にんげんだもの」という言い方をされると、背筋がぞわーっと気持ち悪くなってしまう。スローガンの連呼は、やっぱり思考停止だ。

このところ、ようやく疑似科学や陰謀論の落とし穴に気づくブロガーの方が増えてきたようだ。一方で、相も変わらず対米隷従反対、○○は××の陰謀だ、と騒いでいるだけのブログもある。そのようなブログを読んでいると、コイズミのポピュリズムを批判していたりする。しかし、私にはかかるブログもコイズミと同じポピュリズムにはまり込んでいるように見える。いや、コイズミは意図してやっていたが、陰謀論的思考からポピュリズムにはまってしまうブログにはその自覚さえないように見えるところがイタい。そもそも現在は、アメリカの方から日本に対米隷従の姿勢を改めろと促している段階にきていると私には思える。新自由主義は、いまやアメリカの圧力などではなく、日本国内の勢力によって自律的に運動が行われていると考えるべきだ。それなのに、ことさらにアメリカの圧力を持ち出す姿勢は、この国をナショナリズムの方向に引っ張っていこうというたくらみがあるからではないのか。そのせいかどうか、右派民族主義勢力と陰謀論者や疑似科学愛好者は、やたらと親和性が高い。

こういうたくらみに騙されないためには、何をしていけば良いのか。今後の当ブログの大きなテーマになりそうだ。


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このところ、時々妙なコメントをいただくようになった。

それは、よそさまのブログでの記事やコメントに対して批判的な意見を持った人が、当ブログ管理人に意見を求めてくる、というか批判を求めてくるコメントだ。

最近では、「カナダde日本語」「玄倉川の岸辺」 の記事やコメント欄でのやりとりについてそのような要求を受けたが、前者については実にくだらないコメントだったのでこれを承認せず削除した。ところが、呆れたことに当該コメンターは当ブログの論敵に当たるブログに当ブログ及び「カナダde日本語」にコメントしたことを報告し、悪口を言っていた。そのブログであっても当ブログであってもコメント欄まで目を通す読者数はきわめて少ないと思う。言いたいことがあってそれを世に発信したいんだったら、ブログを開設して堂々と他ブログを批判するなりすれば良いと思うのだろうが、なぜそうしないのだろうか。実に不思議だ。

当ブログがコメント欄をコメンターとの議論の場とはしないのも、エントリ本文の読者と比較して、コメント欄の読者数がきわめて少ないからだ。それに、立場の異なる論者との論争は、議論が平行線をたどることが多い。それよりは、お互いがそれぞれのブログで別々の主張をして、読者に比較対照してもらえば良いのではないかと考えている。

「玄倉川の岸辺」のコメント欄でのやり取りについて批判を求められた件については、5月29日のエントリ "十年や二十年では変わらないコミュニケーションのあり方" のコメント欄にやりとりが残っている(下記URL以下)。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-645.html#comment3479

このコメント欄では例外的に私が答えたのだが、質問者が最後にはわけのわからないことを書くに至った、コメント禁止を言い渡した。その後、質問者が玄倉川さんと私を取り違えてしまっていたと謝罪してきたので、コメント禁止は解除したいと思うが、ブロガーとの議論を第三者のブログのコメント欄で展開しようというのも私には理解不能だ。やはりブログを開設して堂々と意見を主張されることをおすすめしたい。

最後に、これまでにも何度か書いた「上から目線」批判についてだが、そもそも「批判」とは、広辞苑(第5版)には

人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。

と書かれている。

「批判」を行うためには俯瞰と細部の検証の二つが必要なので、必然的に「上から視線」になる。つまり、ある言説を「上から目線」だと批判する言説は、それ自体が「上から目線」になっていて、批判が自己矛盾しているのだ。

結論は、「上から目線」大いに結構ということで、以前からもそうだったが、今後も大手を振って「上から目線」の物言いを続けていこうと思う今日この頃だ(笑)。


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