きまぐれな日々

cynthiaさんに、下記の古い当ブログの記事を発掘され、コメントをいただきました。
『「カラマーゾフの兄弟」=一番面白かった小説』

cynthiaさん、はじめまして。コメントどうもありがとうございました。建つ三介さんもコメントありがとうございました。

上記のエントリは、私がブログを開設したてで、読者がほとんどいなかった頃のものですが、確かFC2のトラックバック特集(テーマを決めてブロガーにトラックバックしてもらう企画)に応募した記事だったと記憶しています。

カラマーゾフの兄弟」を私が読んだのは1989年です。もう17年にもなりますから、ストーリーの細部どころかあらすじも忘れかかっています。ただ、圧倒的に面白かったという記憶だけは残っているので、乏しい記憶を元にブログの記事を書きました。

最近、光文社の「古典新訳文庫」から「カラマーゾフの兄弟」の新訳が出ているようです(全4巻のうち、2巻しか発売されていないようですけど)。ちょっと前、第1巻が書店に並んでいるのを見て、買って読み返そうかと思ったのですが、「AbEnd」のために読もうと思って買い込みながら読めずにいる本がたくさんあったので、買うのを見送りました。

でも、cynthiaさんや建つ三介さんからコメントをいただき、年末年始休みから来年にかけて、「カラマーゾフの兄弟」を少しずつでも読み直そうかと思い直した次第です。

「きまぐれな日々」にも、たまには安倍晋三に無関係な記事を載せた方が良いかもしれませんしね。

ついでに書くと、「罪と罰」は1988年に新潮文庫の工藤精一郎訳、2002年に岩波文庫の江川卓訳で、二度読んでいます。五大長編の中でも、緊張感の高さでは「罪と罰」が一番だと思います。

最近はドストエフスキーから離れてしまっているので、すぐには記事を書けませんが、そのうち記事を書いて公開したいと思います。いつになるかはわかりませんけど(笑)。
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以前筒井康隆について書きましたが、筒井の前には星新一を読んでいました。

星作品の中で一番最初に知ったのは、ショート・ショートの「おーい、でてこーい」です。星の最初期、1950年代末頃の作品だと思います。
ショート・ショートのあらすじを書くのは野暮だし、手元に原作を持っていないので記憶があやふやなのですが、これを書かないとあとの文章が続かないので、ちょっとだけ書いてみます。
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ある日、深い穴が見つかった。どこまで深いかわからないほど深く、「おーい、でてこーい」と呼びかけても何の反応もない。
人々は穴の中にゴミを捨てはじめたが、穴が埋まる気配は全くない。
工場の廃棄物など、あらゆるものを捨て、町は繁栄したが...
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2006.05.27 08:52 | 文学・小説 | トラックバック(-) | コメント(-) | このエントリーを含むはてなブックマーク
長年にわたって多くの作品を読んできたというと、筒井康隆にとどめを刺します。

「家族八景」を読んで筒井作品にはまってから、もう20年以上が経ちますが、その最初の10年間には、筒井の作品世界にどっぷりはまりこんでいました。

私が筒井にはまる以前からのファンの多くは、70年代までのスラップスティック全盛期の筒井作品を愛する人たちが多いようですが、私は、筒井が実験的作品を多く書くようになってからの作品の方が好きです。早くは、71年の「脱走と追跡のサンバ」に萌芽が見られますが、「虚人たち」「虚航船団」「残像に口紅を」など、70年代末から80年代にかけて多くの傑作が生まれるようになります。

一方、精神分析にも造詣が深い筒井氏の心理小説も面白く、有名なのは「七瀬三部作」ですが、のちの「パプリカ」に至るまで、傑作が書き連ねられています。

60年代の昔からマスコミ、特にテレビの本質を見抜き、これを皮肉った「48億の妄想」(大変な慧眼だと思います)以下の「擬似イベントもの」も面白いです。一昔前のパソコン通信時代に書かれた「朝のガスパール」では、筒井は、執筆と並行して開かれていた、作品関係の掲示板でのフレーム(掲示板上での論争。多くは「論争」というより「喧嘩」と表現する方が適切)を作品に取り込み、それを吊し上げて嘲笑するという挙に出て、読者としても大いに溜飲を下げた記憶があります。

もちろん、70年代に筒井作品の中心であった抱腹絶倒のスラップスティックも面白いし、「旅のラゴス」みたいなカッコイイ作品もある。要するに、筒井作品であれば何でもはまってしまうという読者でした。

そんな私が、筒井作品の中でも最高傑作と考えているのが、1987年の「夢の木坂分岐点」です。主人公の固有名詞が少しずつ変化させるという奇抜な手法を用い、夢や虚構の世界に入り込みながら、人間心理の深層にどんどん沈潜していきます。そして、究極的には死と向き合う。故・遠藤周作氏が激賞した作品だそうです。

ところで、筒井が1993年に「断筆宣言」をした時、私は二ヶ月間の米国出張の真っ最中で、全然このことを知りませんでした。インターネット全盛の現在だったら、たとえアメリカにいたって、日本の情報なんてすぐ入手できるんでしょうけど、当時は出張先がIT関連企業(当時は「IT」なんて言葉はありませんでしたが)だったにもかかわらず、インターネットは使えない環境でした。今調べてみると、Webブラウザ「Mosaic」に画像が表示できるようになったのが1993年6月のことだそうですが、当時はインターネットといっても、扱われるのは主に文字情報で、私は日本では電子メール及びニュースシステム(ROMでしたが)を利用していました。しかし、出張先にはその環境がなかったのです。アメリカはサッカーなど全然盛んではありませんから、「ドーハの悲劇」も知らず、あとで知ってショックを受けたものです。

話はずいぶん脱線しましたが、1993年の「断筆宣言」を境に、筒井作品に接する機会が減り、今では新作も読まなくなってしまいました。こういう文章を書いたことをきっかけに、また筒井作品を読んでみようかなと思います。
2006.05.02 01:05 | 文学・小説 | トラックバック(-) | コメント(1) | このエントリーを含むはてなブックマーク
現在は、新書ブームだそうです。

昔は、新書というと、岩波新書、講談社現代新書、中公新書といったあたりがシェアの大半を占めていたのではないかと思うのですが、文春新書あたりの成功からなのか、雨後のタケノコのように、各社から新書が出ています。そして、私もご多分に漏れず、新書を読むことが多くなっています。なにより、手軽に読める。しかし、反面、読んでからしばらく経つと内容を忘れてしまいます。

新書の隆盛に対し、文庫本の文化がどんどん廃れていっているように思います。
特に、外国文学の文庫本はどんどん絶版になっていっています。

外国文学の文庫本というと、なんといっても思い出深いのは、ドストエフスキーの長編小説です。社会人になりたての頃、文学青年でもある同期生(年齢は私よりも下)が、「これからはもう小説を読む時間もない」などと言うのに対し、「そんなことがあるか、俺はこれからドストエフスキーの五大長編を全部読んでやる」と宣言しました。

でも、それは酒の席でのでまかせで、すぐには実行に移さなかったのですが、ある日のこと、新潮文庫の「罪と罰」が、工藤精一郎氏の新訳で出たのを本屋で見かけ、買いました。買ってから読み始めるまでが、またかなりのタイムラグがあったのですが、読み始めるとたちまちはまってしまいました。読み手に、異様なまでの集中力を要求するという点では、稀有の小説だと思います。

その後、一年に一作品くらいのペースで、「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」「白痴」「未成年」の順で読み進み、ついに五大長編をすべて読破しました。最後に読んだ「未成年」は、長らく文庫本では絶版になっていた作品ですが、1993年に岩波文庫が一時復刊した時に買って読みました(現在はまた絶版で、全集の一部でも買うしかないと思います)。

この中でもっとも面白かったのは、ドストエフスキー最後の作品である「カラマーゾフの兄弟」です。ドストエフスキーの小説の特色の一つとして、登場人物がステレオタイプ化していないことが挙げられます。一人のキャラクターには、さまざまな側面があり、矛盾も抱えているし、人間的な成長を遂げたりもする。多くの小説においては、善玉は善玉であり、悪玉は悪玉であるとして定型化されていますが、そういう小説は、読んでも薄っぺらな読後感しか残りません。ドストエフスキーの小説は、そうした定型化から解放されています。

「カラマーゾフの兄弟」には、崇高な精神性や、「大審問官」の問いかけに代表される深遠な哲学的思考がある一方、心理小説でもあり、推理小説でもあるというエンターテインメント性(筒井康隆氏が、ドストエフスキー作品のエンターテインメント性を力説しておられます)もあります。実際私は、「カラマーゾフの兄弟」を読んで以来、推理小説を読む気が失せました。それは、この作品を上回るほど面白い推理小説が世の中に存在するとは思えなくなったからです。

「カラマーゾフの兄弟」を深読みした、故・江川卓氏(えがわ・たく、元プロ野球選手の江川卓=えがわ・すぐる=氏とは別人)の「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」という本も読みました。「カラマーゾフの兄弟」は、実はさらに巨大な長編の本書の第一部に過ぎず、ドストエフスキーには第二部の構想があったことが知られていますが、江川氏は、第一部の最後で少年たちの支持を得たアリョーシャが、様々な体験を経て、彼らが結社した皇帝暗殺サークルの黒幕となって処刑されるとしています。これは、第一部自体の大どんでん返しを意味しますが、江川氏の説はかなりの支持を得ているようです。何でもありの、とてつもない大きさと広さと深さを兼ね備えた小説、それが「カラマーゾフの兄弟」です。

とにかく、これほど面白い小説は、あとにも先にも読んだことがありません。「カラマーゾフの兄弟」を読まずに死ぬのは、人生にとって大きな損失だと思います。まだ読まれたことのない方には、是非一読をおすすめします。