きまぐれな日々

このところの政治をめぐる言論の閉塞状況はますます強まるばかりだ。

毎日新聞調査で、福田内閣に対する不支持率が5割を超え、いよいよ内閣が末期症状を呈してきたが、安倍内閣当時には対決色を鮮明にしていた野党第一党の民主党が、昨年秋の「大連立」構想露呈以来、玉虫色の態度をとっているせいもあって、メディアの報道は受け皿を必ずしも民主党に求めず、あろうことかコイズミの再登板を待望する声を取り上げたりする。

昨日(3月5日)に立ち読みした週刊誌の中で特にひどかったのが「週刊朝日」で、同誌は、英「エコノミスト」誌の記事を引用しながら、外国人が、3年前の総選挙(郵政選挙)で日本はやっと資本主義国になったと言うだの、コイズミの再登板はいつかと聞くだのと書いて、臆面もなくコイズミをマンセーしている。唯一同意できるのは、安倍晋三について、信じられないことにまだ復権する資格があると本人が考えているらしいとの外国人の見方を紹介した箇所だけだった。彼らが日本の政治家で好ましくないと考えているのは、一に安倍、二に小沢一郎・民主党代表、三に旧来自民党の政治家たちということらしく、要するにコイズミの復帰を期待しているということだ。同じ記事中のコラムで、田中秀征が「リベラル」と「改革」を軸とした第三極の結集が必要、と書いている。田中は、コイズミや細川護熙に近い人物である。

「PledgeCrewの日記」 が、このところの福田内閣支持率の急落に触れて、下記のように指摘している。
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080228

しかし、前の安倍内閣の支持率急落と現在の福田内閣支持率とを、前の前の小泉内閣での異常に高い支持率が持続したことと比べて見ると、このような数字の急激な変動は、一部の野党支持者らが考えているように、必ずしも手放しで喜べるようなものではないのではという気がする。

つまり、今なお国民が求めているものは、安倍のような「空気が読めない」指導力の弱い指導者でも、福田のような調整型で、あまり個性が感じられずアピール力に欠けた指導者でもなく、まさに小泉のように機を見るに敏で、策略に長け、扇動もうまい「強力な指導者」だということになりはしないだろうか。

そのことは、最近のあちらこちらの地方選挙の結果でも、証明されているように思える。

(「PledgeCrewの日記」 2008年2月28日より)


残念ながら、この指摘は当たっていると言わざるを得ない。ついこの年末年始には、NHKの名番組 「ワーキングプアIII」 (当ブログでも昨年12月17日のエントリで紹介)やTBSの「サンデーモーニング」が新自由主義の問題点を痛烈に批判し、週刊東洋経済の新年号が 「北欧はここまでやる」 という大特集を組む(当ブログでも1月10日付エントリで紹介)など、時代の流れは新自由主義の否定、福祉国家への方向転換へ向かうかと思われたが、それはほんの一時的な現象にとどまってしまった。

私は、民主党が道路問題に焦点を絞ったためにこんなことになったのではないかと思う。この件に関して、当ブログは広島のさとうしゅういちさんから、民主党は「道路作るな主義」など訴えていないとお叱りを受けた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-583.html#comment2864

しかし私には、この問題についての民主党の主張に呼応して、昨年の新自由主義批判から旧来自民党的体質への批判に重点を移した人たちも結構いて、それがコイズミ復活待望論の呼び水になっているような気がしてならないのである。自民党では、昨年までコイズミを厳しく批判していた加藤紘一の動きがこのところおかしいのが気になる。

一昨日のエントリで、テレビ番組がちょっと年金問題を取り上げただけで当ブログのアクセス数が一時的に急増したと書いたが、民意はやはり「消えた年金」問題や格差解消を強く望んでいる。たとえば年金問題で、大村秀章や片山さつきなどの自民党の論者を一蹴した長妻昭などは、民主党の期待の星だと思うが、なぜか民主党は自らの得意分野である年金問題をフィーチャーしようとせず、政界再編をにらんでか、自民党と妙な裏工作にばかり精を出しているようにしか見えない。だから、問題を解決してくれる強い指導者を求める声が高まってくる。そして、前記「週刊朝日」のようなマスコミが、コイズミ復活待望論を煽り始めた。悪い方、悪い方へと流れが向かっている。

米民主党のバラク・オバマが呪文のように "change" を唱えて支持を集めているのを見て、コイズミのワンフレーズ・ポリティクスを連想して危うさを感じる、と指摘する人は多いが、オバマとコイズミでは政策のベクトルが正反対であることに留意すべきだ。一昨日(日本時間では昨3月5日)の「ミニ・チューズデー」ではヒラリー・クリントンが踏みとどまったが、オバマが有利になるたびに「オバマ氏に暗殺の危機高まる」とか、「オバマ発不況が到来する」という記事がマスコミに現れるのにもうんざりする。そんな回りくどい言い方をせずに、「オバマには大統領になってほしくない」とはっきり書けば良いではないか。

それはともかく、オバマにしてもクリントンにしても、目指しているのは中産階級の再興だ。ところが、「カイカク」を唱えながらコイズミが行ってきたのは、中産階級の破壊だったのだ。そこがポイントである。私は米民主党候補にオバマがなるかクリントンがなるかより、彼らのいずれかが、またぞろ「規制緩和」などを唱えて新自由主義色を明確にしたマケインを倒せるかの方が重要だと思う。そして、日本人にとっては、いつコイズミ政治を総括して、コイズミの呪縛から抜け出せるか。それが大きな課題だと思う。

「脱コイズミなくして国民の幸せなし」。こう強く主張したい。


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このところ、「ポスト安倍」が言われるようになり、国民の間に根強いコイズミ再登場待望論があることを感じるにつれ、コイズミ時代及びその直前の数年間のことを思い返すことが多くなった。

今、門倉貴史著「ワーキング・プア」(宝島新書、2006年)を読んでいるところだが、「コイズミカイカク」がこの本に書かれているような「ワーキング・プア」の大量生産につながる政策だったことは、もはや明らかだろう。

しかし、新自由主義に基づく経済政策は、何もコイズミが始めたものではない。昨日のエントリで、小渕恵三がアメリカの言いなりのネオリベ路線へと大きく舵を切ったと書いたが、もちろんネオリベへの傾斜は古くは中曽根康弘にさかのぼることができる。

それなのに、なぜ私が小渕恵三を持ち出したかというと、それは、前記の門倉著「ワーキング・プア」の第2章、69ページに、40代・50代の中高年自殺者数のグラフが掲載されており、そのグラフは、1998年の自殺者が前年までと比較して不連続に急増しており、以後ずっとそのレベルをキープしているからだ。

これは、1998年に日本政府の経済政策が急激に変化して、それまでの社民主義的な政策を捨てて、ネオリベ的政策に転換したせいではないか、そう考えているうちに、ずっと以前に読んだ栗本慎一郎著「自民党の研究」(光文社、1999年)を思い出したというワケだ。

政権を動かしたネオリベのイデオローグというと、誰しも竹中平蔵をイメージすると思うが、この竹中が小渕首相(当時)の諮問会議である「経済戦略会議」のメンバーになったのは、1998年のことだった。そしてこの98年を境に、日本は中高年自殺大国になったのだ。これは決して偶然ではない。

「グローバル・スタンダード」なる言葉(実は和製英語)がもてはやされ、「市場の声に耳を傾けよ」という物言いが好まれるようになり、日本の主要な企業に次々と「成果主義」が導入されて、職場の雰囲気が急にぎすぎすしてきたのはこの頃だ。この頃には、もとは「再構築」という意味の英語だった "restructuring"が、「人員整理・首切り」を意味する「リストラ」という和製英語となって定着し、企業では見せしめ的な社員イジメが大流行した。為替レートが大きく円安に触れた頃、メディアはこぞって外貨預金を宣伝し、多くの国民がそれに手を出したが、一転して急激な円高になったこともあった。1999年から2000年にかけては、「インターネット・バブル」が発生し、日経平均株価は2万円を超えた。"IT" (アイティー、information technologyの略)を「イット」と呼んだ馬鹿首相(森喜朗)がいて失笑を買ったのもこの頃だ。「光通信」などといういかさまベンチャー企業がもてはやされた。IT技術は景気循環の波を克服し、「ニューエコノミー」を作り上げた、などという妄論も、真剣に「日本経済新聞」などで論じられた。インターネットでの株取引が流行するようになって、一般投資家もずいぶん参入した。

しかし、2000年春にあっけなくITバブルは弾けた。この年、読売ジャイアンツが王ホークスを破って日本一になったが、「巨人が勝つと景気が良くなる」という、読売新聞が宣伝していた妄論が嘘っぱちであったことが、下落の止まらない株価によって証明された。この頃に始まった株価の低下に「コイズミカイカク」が拍車をかけたことは記憶に新しいところだ。

私は、この頃に「資本の論理」の暴走がいかに人間を痛めつけるものであるか、その実例をたっぷり見てきたので、当時から新自由主義には大反対であった。1999年には、早くも前記の栗本慎一郎著「自民党の研究」をはじめとして、新自由主義に経書を鳴らす本が出版され始めていた。「グローバル・スタンダード」が和製英語であることも暴露された。2000年早春には、森永卓郎が名著「リストラと能力主義」(講談社現代新書)を世に問い、成果主義の理不尽を世に知らしめた。

ネオリベの経済理論が誤りであることなど、コイズミが登場する以前から、心ある人には明らかなことだったのだ。

だが、コイズミは幻想を振りまき、国民の目をくらませてしまった。一部の大企業における「成果主義」導入の失敗例や、99年から00年にかけてのITバブルやその崩壊を通じて、新自由主義の問題点に気づいていたに違いないマスコミは、なぜか沈黙し、それどころかコイズミに翼賛した。あげくの果てに、2005年の「郵政総選挙」によって、ネオリベ独裁体制を招いてしまった。それに、さらに国家主義のネオコン政策を加えようとしているのが安倍晋三内閣である。私はそう分析している。

だから、安倍政権を批判する場合、その国家主義的・極右的な政治思想を批判するだけでは片手落ちなのだ。必ず、政治思想上の極右性を批判すると同時に、ネオリベ的経済政策をも批判しなければならない。むしろ今現在国民にとって差し迫った脅威は、後者のほうなのだから。

これは、このところ、当ブログで特に訴えたいと思っていることである。誤解しないでいただきたいが、私は護憲派だ。しかし、今は「改憲」を争点にしようとする安倍晋三の狙いには乗らず、新自由主義の不条理を第一に厳しく追及すべき時だ、そう考えるしだいである。


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一昨日のエントリで、コイズミの郵政総選挙の時の悪夢のような思い出を書いたが、このエントリに多数のコメントをいただいた。
また、昨日はブログの更新をお休みしたのだが、累計アクセス数が90万件を超えた「カナダde日本語」から紹介いただいたおかげで、ブログを更新した一昨日よりも200件以上もアクセスが増えた。

コメントくださった皆さま及び弊ブログを紹介してくださった美爾依さんには厚くお礼を申し上げる。

今回は、そのコメントの中からいくつか紹介しつつ進めたい。

まず、当ブログではおなじみの奈央さんのコメントから。

私たちが小泉マジックにはまったのは、ナチスドイツのヒトラーにはまったドイツ国民と同じ共通したものがあったからではないでしょうか?
人は単純明快を好み、また優越感をくすぐられるような心地よい言葉や考えに目を奪われると、苦言がある多様的な考えは軽視されるか無視されることになります。
そしてその心地よいひとつの考え方に執着するようになります。
それしか考えなくなるといえばよいでしょうか?
多様性がなくなるということは、知らないうちに自然におこります。
そして、ものごとを様々な角度で見られなくなります。
そしてひとつのことにとらわれ窮屈になります。
日本はそんな国に今なろうとしています。
心地よい言葉ほど害意がある、警戒をと思います。
これが、私がゴー宣や小泉政権から得た教訓です。
本当に心地よい言葉を彼らは使いましたから。
気をつけたいと思います。
(奈央さんのコメント)

いつも感心するのだが、奈央さんのコメントは問題の本質をよく突いている。
私がこのコメントを読んで思い出したのは、投票日当日、2005年9月11日付の朝日新聞の社説だ。
「朝日新聞は死んだ」と思わせたこの社説については、昨年7月12日付のエントリでも紹介したが、朝日新聞は「小泉首相はこれまで見たこともない型の指導者だ。……単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは、音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」と、コイズミを称揚した。
前のエントリで書いた事情によって、私は二日酔いの朦朧とした頭でこれを読んだ。コイズミに対する皮肉としか私には読めなかったのだが、しかし朝日の社説からは、自民党なんかに投票しないで野党に投票しろというメッセージも読み取れなかった。ということは、字面通りコイズミを称揚した社説ということになるのだろう。朝日新聞に限らず、コイズミの「心地よいメッセージ」に潜む危険性に警鐘を鳴らしたマスメディアは皆無だった。

続いて、花美月さんのコメントから。

ニュースで見たのですが、京都のある田舎にある高専の郵便局のATMが取り壊されました。学生たちはただ、呆然とそれを見ていました。
交通の便もない学校の寮に住む彼らは、今後、遠くの郵便局まで、歩いてお金をおろしに行かなければならなくなりました。雪が降ったときは大変です。こんなことは序章でしょう・・・

小泉さんの性格のように非道で冷たい政治になってしまいましたね。

もう少し多くの人が、もしこんなことが起こりえるかもしれないという想像力があったなら、ここまで自民に票を与えなくてもすんだのに。
(花美月さんのコメントより)

さらに、ひとみさんのコメントより。ひとみさんからは2通のコメントをいただいたが、こちらで編集させていただいた。

郵政民営化では、怖い思いをしました。あの選挙の時、駅前で、一人でプラカードを持って立っていたのですが(小泉さんと反対の立場で)、突然、高校生が数人で私を取り囲んだのです。そして、口々に「郵政民営化」を叫ぶのです。普段は、しらーっとしている高校生が、です。その時、マスコミの怖さのようなものを感じ、一人ひとり、知らせていくしかないな、と痛切に感じました。
駅前、本当は、たくさんで立ちたかったのですが、集合時間に誰も来なかった、というだけです。一人で立つ、というのは、怖い、というより、たくさんの方が目立ちますからね。
でも、なかなか一緒に立ってくれる人を増やしきらないんです。でも、何とかしなければ、という思いだけはあるんです。
アメリカがイラクに攻撃を仕掛ける前か直後か忘れましたが、米国のすることが許せなくて毎朝駅前に立ったんです。何十日立ったでしょうかねー。あるとき、「一人で立ってどうするね。自己満足やろも」と言われて、立つのを止めたのです。
仲間を拡げきらない無力さを感じ、それでも拡げなければ、という思いは、最近の情勢をみると、痛切に感じます。
(ひとみさんのコメントより)

ひとみさんが書かれている高校生の行動は、集団心理によるものだろう。一人一人では弱い者たちが、アジテーターに煽動されて集団になることによって、あたかも自我が強化されたような錯覚に陥って、少数者を攻撃する。ヒトラーやコイズミのような独裁者に陶酔することの怖さがここにある。

数々のコメントをいただいて、あらためて「コイズミとは何か」と考えごとをしていたところ、たまたま栗本慎一郎さんが書いた「純個人的小泉純一郎論」(イプシロン出版企画、2006年)という本を見つけた。これは、慶応大学でコイズミの同級生だった栗本さんが書いた本で、ナント、企画・構成が宮崎学さんである。なぜ「ナント」かというと、「年末年始に読んだ本」のシリーズで、宮崎さんが書いたある本を取り上げようと思っており、それをもうすぐ読み終えるところだったからだ。

それはともかく、これはなかなか面白い本である。「コイズミカイカク」を「中間層を崩壊させて、一部富裕層にその富を集めさせて、日本経済を分断して表面の好調を演出する」に過ぎないと喝破したのを皮切りに、コイズミの頭の中は空っぽ、「ワンフレーズ・ポリティクス」は、意識してやっているというより、長い言葉をしゃべれないだけ、靖国には本来何も関心がなく、ウケを狙って参拝していただけ、コイズミが姉・信子と近親相姦しているという噂を立てている自民党の政治家がいる、コイズミはあまりにもバカだから「国際資金資本」にいいように操られている、などと書きたい放題だ。

次期政権(注:この本が書かれたのは昨年の自民党総裁選の直前)は短命に終わるだろう、福田はそれを見越して降りたのだ、次期政権のあとはコイズミが復帰する可能性がある、福田康夫と加藤紘一の動向が注目される、小沢一郎がそれに絡む可能性がある、などとしている。

栗本はこう予言している。

彼は、再登板に向けて妄想を膨らませているはずだ。もし、退陣後に小泉政権が再び復活するような事態になるとしたら、そのときこそ日本が本当に沈没することになるだろう。格差はもっと拡大させられ、負け組の死体はすべて勝ち組が生きのびるいかだの部材として利用されるのだ。それが小泉支持者の将来の姿である。
(栗本慎一郎 『純個人的小泉純一郎論』=イプシロン出版企画、2006年=より)

栗本さんのこの本には、陰謀論による推論も多く、どこまで信用できるか不明なところもあるが、コイズミが市場原理主義を日本に徹底させた最大の戦犯であり、こと経済政策に関しては、安倍晋三はコイズミを継承しているに過ぎないことは私も指摘しておきたい。もちろん、安倍を「the End!」にしなければならないのは当然だが、そのあとにコイズミなんかを復活させては絶対にならないのである。

最後に、非常に印象的な「復活!三輪のレッドアラート!」の管理人・三輪耀山さんのコメントを紹介して、記事を締めくくらせていただく。

そう、政治は所詮暴力であり、民主主義とは暴力に抗う事に唯一無二の真髄があるのだと、そう私も信じてます。

民の手にある政治は暴力を民に振るわない。
そう願う事、そうさせる事に我々の存在意義がある。

私は常からそう思っていますよ。

迂遠であろうと王道を行く為に、私は無条件の平和友好も、無条件の憎悪と闘争も全て否定する。
とりわけ、屈従は論外だと思っておりますよ。

まあ、結局私もプロレタリアート独裁に反対しているだけで、そんな国が隣にあり、日本を常に狙っている事に憂慮しているだけで、結局中道なのだなと・・・。
思う事しばしですね。

今の日本は資本家独裁に向かいつつある。
それは阻止しなければ。
それは選民、賎民の民主主義であり、小さく儚い民を虐げて、金持ちの民が主としてのさばろうとする、独裁主義なのだとね。

結局、人が戦う為の武器とは、汚されない心なのだなと。
最近とみに私は思います。
(三輪耀山さんのコメント)


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