きまぐれな日々

 2016年を振り返ると、政治関係だけでも嫌なことばかりが思い出される。キーワードを挙げていくと、小池百合子、蓮舫・野田佳彦、トランプ、共産党の右傾化。

 「官邸が仕掛けた」との観測もあった「舛添降ろし」に狂奔したのはテレビのワイドショーだった。しかし、前東京都知事・舛添要一が辞任に追い込まれたあと行われた東京都知事選に小池百合子が出馬したのは官邸の想定外だっただろう。極右でもあるが本質的には新自由主義者としてとらえるべき小池という政治家は、テレビ(特に在京キー局。在阪準キー局はさらに後述の傾向が強い)がもっとも好むタイプの人気取り政治家であって、テレビの後押しも得て都知事選に圧勝したが、私がもっとも呆れたことは、「リベラル・左派」に小池を応援する人間が続出したことだ。

 「リベラル・左派」とはいっても、主に都市部に住み、戦争反対には熱心であっても、格差や貧困の問題には比較的関心の薄い人たちが小池応援の旗を振った。どこだったか忘れたけれども、どこかのメディアが行った(おそらく東京都民を対象とした)世論調査によると、小池を積極的あるいは消極的に評価する人たちは実に9割に達するらしい。私はそれには属さないから、小池、あるいは小池を持ち上げるテレビを批判する記事をしばしば書くが、それらの記事は他の記事よりアクセス数が決まって少ない。やれやれ、と思いながら蟷螂の斧を振るっている。

 その小池百合子を応援する人たちと、東京都知事選の3週間前に行われた参議院選挙で東京選挙区から立候補した蓮舫に投票した人たちとは支持層がもろに被るだろう。私は民進党は支持しないが、小川敏夫が当落線上にあり、かつ小川が落選した場合おおさか維新の会公認候補の田中康夫が当選する可能性が高いとのマスメディアの情勢調査報道を知って、田中康夫を追い落とすために小川敏夫に投票した(比例区では社民党に党首の吉田忠智の名前を書いて投票したが落選した)。やっとこさ小川敏夫が当選、田中康夫が落選して胸をなで下ろしていたら、都知事選に小池百合子がしゃしゃり出てきたのだった。小川敏夫の得票の少なさは、今や新自由主義者と右翼で議員の多くが占められるようになった民進党の都市部の支持者もまた、格差や貧困への関心の薄い、人によっては「リベサヨ」と呼ばれる人たちが中心であることを示している。

 その蓮舫が民進党の代表になり、幹事長に財政再建原理主義者の野田佳彦を選んだ。これは、参議院選挙の1人区で、事前のマスメディアの予想との比較において辛うじて成果のかけらを見せることができた「野党共闘」にとって大きな打撃だった。野党第一党のネオリベ(新自由主義)化は、自民党への支持をさらに盤石にする以外の何の効果も持たないからだ。

 経済右派政策を掲げる民進党をそれでも熱心に応援する支持者たちは、私の目にはもはや「民進党信者」としか映らない。支持者が少なくなると原理主義化する点において、後述の「小沢信者」と酷似している。彼らは、なぜ自分たちが支持する政党なり政治勢力なりが支持を減らし続けているのかを理解しようとする姿勢が最初からないように見受けられる。この日記にも一時期「タブクリア」と名乗るコメント投稿者からの批判のコメントをいただいたが、最近になってこのコメンテーターが対話を行うつもりがないらしいことを自らのコメントに明記したので、このコメンテーターのコメント禁止処分を行った。

 以上は主に都市部の「リベサヨ」に絡む話だったが、11月に投開票が行われたアメリカ大統領選で、アメリカのメディアの予想と願望を覆したトランプの当選に、アメリカの保守や右翼や差別主義者と一緒になって大喜びしたのは、植草一秀や、植草に心酔するこの日記のかつてのコメント常連投稿者・「風太」を代表格とする「小沢信者」たちだった。彼らへの批判はこれまでさんざん書いてきたので繰り返さない。

 最後に「野党共闘」について。私は「野党共闘」自体は止むを得ない選択肢だと思う。もともとは野党共闘は相乗効果どころかもともとの支持者が離反する副作用の方が大きいとして批判的に見ていたのだが、前述の参院選の一人区で、マスメディアに激戦が予想された10〜12の選挙区において、愛媛選挙区を除いて全勝した結果を受けて意見を変えた。これらの選挙区において相乗効果は確かに認められたからだ。

 とはいえ、「野党共闘」の旗の下、妥協してはならない部分まで妥協する共産党の姿勢には強い疑問を感じる。先週来首を突っ込んだ、ニセ科学者にして右翼である阿部宣男による「ナノ純銀除染」を批判し続けた東京都板橋区の共産党区議を共産党が除籍処分に付した一件は、板橋の共産党に「ナノ純銀除染」に加担した人間がいるらしい理由のほか、共産党がニセ科学を信奉する自由党の元国会議員にして小沢一郎の側近である平野貞夫に迎合したという要因もあるのではないかと私は疑っている(むろん根拠はない。いわば「陰謀仮説」である)。昨夜(12/25)に『kojitakenの日記』にいただいたコメントによると、25日日曜日の「しんぶん赤旗」8面右下に、4段横半分の『野党協力の深層』(平野貞夫。詩想社発行、星雲社発売。小沢一郎との対談も収録)の広告が掲載されたという。この新書本は、私が三連休初日の23日に本屋で見かけたのと同じ本だと思うが、目次をペラペラとめくってみると、平野貞夫が共産党の志位委員長を絶賛している文章が載っているらしいことがわかった(民進党はこき下ろされていた。但し本文は立ち読みしていない。そこまで私は酔狂ではないので)。

 昨日(25日)、図書館で辺見庸(これも「しんぶん赤旗」的にはタブーの名前だろう)が2013年に書いた小説『青い花』(角川書店)を読み始めた(4割ほど読んだ)。当時の日経の書評(文芸評論家・井口時男氏執筆)によると、「近未来、大地震や大津波に繰り返し襲われた後の三陸を思わせる地域」が舞台で、「どうやら原発事故も繰り返されたらしく、そのうえ近隣国との戦争もつづいている」状態が設定されている。書評は辺見庸を「現代の『無頼派』」と形容しているが、たまたま坂口安吾や太宰治と共に「無頼派」の一人とされた石川淳の「無尽灯」(1946)を含む短篇集を並行して読んでいるところで、2人の小説の印象は確かに被ったので、「現代の『無頼派』」とは確かにその通りだな、と思った。その辺見の『青い花』に、こんな一説が出てくる。

祖国防衛戦争の位置づけをめぐって共産党がやはり分裂したという。主流派は救国統一戦線形成を呼びかけている。事実上の祖国防衛戦争支持である。どのみちこうなるとおもっていた。
(辺見庸『青い花』(角川書店,2013)69頁)


 この小説は民主党政権末期の2012年に書かれたと思われる。当時、共産党が戦争支持なんてまさか、と誰もが思ったに違いない。私がこの小説の雑誌掲載(『すばる』2013年2月号)当時に読んだとしてもそう思っただろう。しかし、それから4年経った今読むと、「今の共産党ならやりかねない」と思わせるものがある。但し共産党は分裂などしないだろう。一枚岩で「祖国防衛戦争」を支持するに違いない。

 4年前に今を見通していたといえば、2012年に「崩壊の時代」の到来を予言した坂野潤治を思い出す。2012年12月が1937年7月に相当するなら、今はもう1941年7月ということになる。もちろん歴史が正確に繰り返すはずもないからあまり意味のない対比かもしれないが、大変なことが次々と起こるのはこれからではないか、との暗い予感をせずにはいられない。そんな気分のうちに2016年が過ぎて行こうとしている。

 今年も、「皆さま、良いお年を」との締めくくりの挨拶を書く気にはなれない。
スポンサーサイト
 去る10月8日、韓国の検察が、セウォル号事故当日の朴槿恵・韓国大統領の7時間の行跡に関する疑惑を報じた、加藤達也・産経新聞前ソウル支局長を起訴した。

 この件に関して、韓国のハンギョレ新聞が韓国の検察と朴槿恵を批判している。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18491.html

[記者手帳] 日本の極右新聞を“自由言論闘士”に仕立てた韓国政府
登録 : 2014.10.11 00:51 修正 : 2014.10.11 06:58

 1980年代中盤まで韓国を見つめる日本の視線には深い闇が垂れ込めていた。 1973~1988年にかけて月刊誌『世界』に連載された「韓国からの通信」は、軍事独裁に苦しむ韓国の事情を日本社会に伝える通路だった。 これを見て日本の多くの市民が韓国の民主化を応援し、時には直接支援に乗り出しもした。

 在日韓国人歴史学者である姜徳相(カン・ドクソン)滋賀県立大学名誉教授は最近の『ハンギョレ』とのインタビューで、「解放後、韓国では独裁政権が続いた。そのために日本人は『あの国は人権のない恐ろしい国』と考えるようになった」と話した。 火に油を注いだのは1973年8月に白昼の東京都心で韓国の中央情報部(現、国家情報院)が実行した“金大中拉致事件”だった。 そしてまた別のイメージを挙げろと言われれば、おそらく“キーセン観光”だったろう。 独裁とキーセン観光の国、恐ろしくて後進的であるため近づいてはいけない国、それが民主化以前の韓国に対する日本人の平均的思いだった。

 それから数十年の時間が流れた。 韓国は“漢江(ハンガン)の奇跡”を成し遂げ、1987年夏には市民が直接街頭に出て民主主義を勝ち取り、オリンピックとワールドカップも行った。 韓日関係に限ってみれば、1998年の金大中・小渕パートナーシップ宣言以後、両国の関係は飛躍的に発展する。 2002年に『冬のソナタ』がヒットして韓流旋風も吹いた。 今でも日本の高齢の知識人に会えば、韓国の民主化に感激した経験を延々と語り続ける。 しかし、現在両国関係は冷え込み、韓日間の海峡には憂鬱な戦雲だけが漂っている。

 8日、韓国検察がセウォル号事故当日の朴槿恵(パク・クネ)大統領の7時間の行跡に疑惑を提起した『産経新聞』の加藤達也 前ソウル支局長を起訴した。 日本政府とマスコミは連日韓国を強く非難している。 菅義偉 官房長官は9日、韓国政府に向けて「民主主義国家で最大限に尊重されねばならない言論の自由に対する法執行は、最大限に抑制的でなければならない」と“入れ知恵”をしたし、主要新聞も10日「韓国の法治感覚を憂慮する」(毎日新聞)、「大切なものを手放した」(朝日新聞)、「韓国ならではの政治的起訴」(読売新聞)などの社説をのせた。 韓国が1973年に金大中拉致事件を起こしたその時期に戻ったように扱っているようだ。 その背景にはもちろん濃厚な嫌韓の雰囲気も漂う。 気の早い日本のメディアはすでに11月に韓日首脳会談が開催できなければ、その責任は韓国にあるという報道を吐き出している。

 加藤前支局長の起訴は、日本人が韓国に対して持つイメージを大きく悪化させ、国際的にも韓国の民主主義に対する憂慮を増幅させるだろう。 実際、米国政府は今回の事件に関連して韓国政府の官吏たちと接触したと明らかにし、この事案を言論および表現の自由という基本的人権問題と見て、韓国政府に憂慮を伝えたことを示唆した。 ジェン・サキ米国務部報道官は8日「この捜査に当初から注目してきた」として「知ってのとおり、私たちは報道機関と表現の自由を広範囲に支持し、毎年出す(人権)報告書を通じて韓国の関連法に対する念慮を表明してきた」と話した。

 韓国検察が自ら決めたことか、“上層部”の指示に従ったことか、とにかく韓国の検察は日本の“極右メディア”を全世界的な「言論自由の闘士」に仕立ててしまった。

 普段から交流のある日本の経済週刊誌『東洋経済』の福田恵介 副編集長は「私は韓国の国民が民主主義をどのように獲得したかを知っているので、韓国国民の民主主義に対する姿勢を理解し尊重している」と話した。 しかし「苦労して言論の自由を手にして享受してきた国民の選択した政府が、わずか四半世紀が過ぎてこういう事をしていることに対して、本当に複雑な感情を持たざるをえない」と話した。 彼の言うとおり産経が憎らしくとも国家の品格を失ってはならない。 そんなことをすれば本当に大韓民国が“産経”になるだろう。

東京/キル・ユンヒョン特派員


 朴槿恵の親父である朴正煕は、私が高校生の頃に射殺された。その頃、私は連日のように「朴正煕大嫌い」と公言していたものだ。だから、朴正煕が射殺された時、「おい、お前、朴大統領が殺されたぞ」と旧友に教えてもらった時には、正直言って「身から出た錆」だと思った。私の朴正煕に対する嫌悪は、何も「嫌韓厨」であったからではなく、軍事独裁政権に対する反感から生じたものだった。

 昔、日曜日にテレビ朝日で田原総一朗司会の『サンデープロジェクト』をやっていた頃、第2部でよく韓国の政局を特集していたため、朴槿恵の名前はかなり前から知っていたが、私は朴槿恵を「朴正煕の娘」という理由で嫌っていた。それは、ちょうど安倍晋三を「岸信介の孫」という理由で嫌うのに似ていた。朴槿恵は早くから有力な大統領候補と言われていたが、2007年の大統領選前の保守政党・ハンナラ党(現セヌリ党)内の予備選挙で李明博に敗れた。2007年といえば、自民党が参院選で惨敗して安倍晋三が総理大臣の座を投げ出した年である。当然ながら私は朴槿恵と安倍晋三の敗北を歓迎した。しかし、2人は2012年に揃って日韓のトップになったのだった。

 岸信介の孫で韓国系の利権も継承しているはずの安倍晋三と、1973年に自らの指示で起こした金大中事件を田中角栄に「政治決着」してもらった朴正煕の娘・朴槿恵の政権で、日韓関係がここまで悪くなるとは私は全く予想しなかった。安倍晋三と朴槿恵が、ともに自国のネトウヨを含む右翼民族主義的な心情を持つ支持層に媚びるために日韓関係が悪化することが予想できなかったのは不覚だった。そしてその背景には日韓両国の国力低下がある。韓国は、高齢化自体はまだ日本ほどではないが、出生率の低下は日本よりひどい。また、派遣労働者の比率も日本より高く、財閥系大企業の力は強いものの、財閥系企業は従業員を容赦なく切り捨てていき、運良く就職できても一生の仕事が保証されているわけでも何でもない。しかも、昨今はサムスン(三星)グループの斜陽が言われている。日本の没落も酷いが、韓国も日本のあとを追おうとしているように見える。

 こうした日韓両国でともに右翼政権ができ、安倍晋三も朴槿恵もネトウヨに媚びるばかりでろくな仕事をしていないというのが実際の姿だろう。韓国のネトウヨについては、上記に引用したハンギョレ新聞の記事を批判するのに、「やはりサヨクは『親日』だ」などと言っているらしいから、手に負えなさでは日本のネトウヨといい勝負かも知れない。

 そのハンギョレ新聞の記事は、文句のつけようのない正論だ。産経を「言論自由の闘士」に仕立ててどうする、と私も思う。だが、日本に住む人間としては、果たして朴槿恵を批判しているだけで良いのかとも思うのである。

 上記ハンギョレ新聞の記事についた「はてなブックマーク」のコメントには、右翼からのものと思われるろくでもないものが多いが、中には共感できるものもある。それらをピックアップしてみる。

coper この一件は言論・報道の自由を脅かす一大事には違いない。しかし、産経のゴシップ報道の自由のために声を挙げることには馬鹿馬鹿しさ恥ずかしさが伴うので、どうにも力が入らない。 2014/10/12

filinion メディア 政治 言論の自由は韓国国民にとってこそ重大な問題なわけで、これは応援せざるを得ない。引き金になったのが我が国の新聞の下衆記事だというのはなんというか申し訳ない。 2014/10/12

questiontime ハンギョレが左派であることを気にする人達がいるけど、日本で同じようなことが起きたら、読売や産経は確実に政府を支持するだろうし、今や、朝日が批判できるかどうかもわからない。 2014/10/12


 最後のブコメの「日本で同じようなことが起きたら、読売や産経は確実に政府を支持するだろう」というくだりに特に共感した。

 そう、安倍晋三政権下で日本の検察が韓国のメディアを起訴するなどという事件が起きた時、毅然として検察と安倍晋三を批判できる者だけに、今回の韓国検察の暴挙を批判する資格がある。

 産経にそんなことができるはずがないのは明らかだ。
 最近気になって仕方がないのは、今月(2014年8月)5日と6日に朝日新聞が掲載した、自紙の従軍慰安婦に関する記事で故吉田清治氏の証言が虚偽だったとしてこれを取り消した件に関する世論だ。私はずっとというわけではないが、物心ついて以来人生の3分の2くらいは朝日新聞を読んできた。当ブログ開設以降に関していえば、途中2007年4月から1年間四国新聞をとっていた期間以外は、ずっと朝日をとっている(但し途中、転居に伴い、参照する紙面は大阪本社版から東京本社版へと変わった)。

 朝日新聞に対する不満は私も多々持っているが、特にブログ記事を書く場合、良きにつけ悪しきにつけ朝日を参照するのが得策だと考えている。『kojitakenの日記』に、NHKプロデューサーの村松秀氏が書いた『論文捏造』(中公新書ラクレ,2006)を参照しながら、イギリスの科学誌『ネイチャー』とアメリカの科学誌『サイエンス』の商業主義(コマーシャリズム)、つまり「売らんかな」根性を批判する記事を書いたが、朝日新聞にもコマーシャリズムの悪弊が多々ある。主に「リベラル」層を読者層とする朝日の混迷は、そのまま日本の「リベラル」の混迷を象徴する。たとえば小泉構造改革に親和的だったことなどもその典型例だ。そして、よりにもよって極右の安倍政権時代になって故吉田清治氏の証言が虚偽だったことを認めた今回の件も混迷を象徴しているように思われる。誤解を恐れずに言えば、吉田氏の発言の虚偽を認めるなら90年代にやっておけ、右翼ナショナリズムの火に油を注ぐタイミングでやるのは、朝日の訂正それ自体は正しいけれども、政治的には有害だということだ(もっとも、今後さらにナショナリズムの火が燃え盛るようになってからやるよりは今やっておいて正解だったといえるかもしれないが)。

 この件に関しては、当の8月6日付朝日新聞に載った社会学者・小熊英二氏の論評に見るべきものがあったように思う。以下一部を省略して引用する。

 慰安婦問題が1990年代になって注目されたのは、冷戦終結、アジアの民主化、人権意識の向上、情報化、グローバル化などの潮流が原因だ。

 冷戦期の東アジア諸国は、軍事独裁政権の支配下にあり、戦争犠牲者の声は抑圧されていた。元慰安婦は、男性優位の社会で恥ずべき存在と扱われていた。80年代末の冷戦終結、韓国の民主化、女性の人権意識の向上などがあって問題が表面化した。韓国で火がついた契機が、民主化運動で生まれたハンギョレ新聞の連載だったのは象徴的だ。

 日本でも、自民党の下野と55年体制の終焉、フェミニズムの台頭があり、経済大国にふさわしい国際化が叫ばれていた。

 情報化とグローバル化は、民主化や人権意識向上の基盤となった。しかし、このことは同時に、民族主義やポピュリズムの台頭や、それに伴う政治の不安定化も招き、慰安婦問題の混迷につながった。

 例えば、外交は「冷静で賢明な外交官が交渉にあたる秘密外交」が理想とされることが多い。だが、民主化と情報化が進んだ現代では、内密に妥協すれば国民感情が収まらなくなる。

 政府が強権で国民を抑えられた時代しか、秘密外交は機能しない。日韓政府が慰安婦問題の交渉で両国民を納得させる結果を出せなかったのは、旧来の外交スタイルが現代に合わなくなったのが一因だ。

 大きな変化を念頭にこの問題をみると、20年前の新聞記事に誤報があったかどうかは、枝葉末節に過ぎない。

(中略)

 この問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的だ。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」といった弁明を考えればわかるだろう。

 慰安婦問題の解決には、まずガラパゴス的な弁明はあきらめ、前述した変化を踏まえることだ。秘密で外交を進め、国民の了解を軽視するという方法は、少なくとも国民感情をここまで巻き込んでしまった問題では通用しない。

 具体的には、情報公開、自国民への説明、国際的な共同行動が原則になろう。例えば日本・韓国・中国・米国の首脳が一緒に南京、パールハーバー、広島、ナヌムの家(ソウル郊外にある元慰安婦が共同で暮らす施設)を訪れる。そして、それぞれの生存者の前で、悲劇を繰り返さないことを宣言する。そうした共同行動を提案すれば、各国政府も自国民に説明しやすい。50年代からの日韓間の交渉経緯を公開するのも一案だ。困難ではあるが、新時代への適応は必要だ。

(朝日新聞 2014年8月6日付紙面より 小熊英二氏のコメント)


 赤字ボールドの部分は特に強調したい。軍人や役人が直接に女性を連行したのでなければ日本には責任がないという議論は、世界では通用しないのだ。ところが、日本においては小熊氏のいう「保守派」にとどまらず、リベラル気取りの人間までもが小熊氏のいう「保守派」に唱和する愚論を平気で発している。たとえば、他ブログのコメント欄からの無断引用で申し訳ないが、こんなことを書く「自称リベラル派」がいる。

 自称リベラル勢力が社説や党見解として、戦争の加害者責任や平和を訴えるのは、当然のことです。好戦的な安倍首相や産経が反省しない異常なだけです。その異常な政権がなぜ支持率が高いのか。朝日・毎日や社民・民主が偽善者で、市民から嫌われ、偽善者が批判する安倍内閣に支持が流れているからでしょう。慰安婦調査についての福島前党首のウソもネットでさらされていましたし、なぜ偽善者たちは自らの行為に「ごめんなさいといえないんですか?」。いっそ朝日や社民が自民支持にまわってくれた方が、真のリベラル平和勢力にとってありがたい。

 まがりなりにも(たとえエセでも)リベラル平和を主張する人が、無批判で朝日や民主・社民などを支持すればするほど、安倍自民を図に乗らせ、フツーの市民を右に誘導するのだ、ということを自覚した方がいいと思います。

 慰安婦問題に熱心だった人たちが、真夏に冬眠に入ってしまったことも、フツーの人は白眼視してます。沖縄密約同様、いまこそ徹底的な検証をすべきで、真実を白日の下にさらすべきです。知りたいのは真実のみです。


 おそらくコメント主は「右の安倍晋三や産経と、左の朝日・毎日・社民・民主(!)を両方叩くボクちゃんこそ『中道』なんだよね」などと思っているのだろう。彼(彼女かもしれないが)は、安倍晋三が政権に返り咲いて早々やろうとした「河野談話の否定」が、なぜアメリカにストップをかけられて安倍晋三が「河野談話の継承」を約束させられたのか理解していないに違いない。産経・読売や週刊新潮・週刊文春だけではなく、週刊ポストも週刊現代も朝日を叩いているから、ポストや現代が中道で朝日は「左翼偏向」なのだろうと安易に類推でもしているのではないか。だが、上記コメント主の物差しで計れば「アメリカも左翼偏向」(!)ということになってしまうのだ。

 週刊ポストや週刊現代は、それこそコマーシャリズムに基づいて、40〜50代の男性サラリーマンの平均的なニーズに応えてあのような誌面を作っているのだろう。しかしそれは日本の世論が国際標準(グローバル・スタンダード!)から大きく右に、というかナショナリスティックな方向に逸脱しつつあることを反映するものだ。これは、日本にとって危機的な状況だと思う。かつて晩年の森嶋通夫が、日本の国力が衰えた時に中国や韓国を敵視する言論が強まり、それがアメリカなど世界各国の日本からの離反を招くと予言したが、森嶋の予言が現実のものとなりつつある。

 河野談話に代わる新しい官房長官談話を要請した高市早苗と、高市に同調した自民党の政治家たちも、バッカじゃなかろうかと思う。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140821/k10013977241000.html

慰安婦問題で新たな官房長官談話要請へ

自民党の政務調査会は会合を開き、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、朝日新聞が一部の記事を取り消したことなどを踏まえて、戦後70年となる来年、新たな官房長官談話を出すよう政府に要請することを決めました。

 朝日新聞は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡る自社のこれまでの報道を検証する特集記事を掲載し、この中で「慰安婦を強制連行した」とする日本人男性の証言に基づく記事について、「証言は虚偽だと判断した」として記事を取り消しました。

 これを受けて、自民党の政務調査会は、政府がことし6月に従軍慰安婦の問題を巡り謝罪と反省を示した平成5年の河野官房長官談話の検討結果を公表したこととも合わせて対応を協議するため、会合を開きました。

 この中で、出席者からは「朝日新聞の関係者を国会に招致すべきだ」という意見や、「河野談話の検討結果を国内外でしっかりと情報発信すべきだ」という指摘が相次ぎました。

 そして、戦後70年、日韓国交正常化から50年にもなる来年、新たな官房長官談話を出すことなどを政府に要請することを決め、高市政務調査会長が、来週にも菅官房長官に申し入れることになりました。

(NHKニュース 2014年8月21日 17時59分)


 リンク先のNHKニュースで、高市早苗のドヤ顔を拝むことができるが、本当に無知で下品な女だと思う。12年前の田原総一朗の発言は正鵠を射ていた。高市は、なぜ安倍晋三がたびたび「河野談話を継承する」と言わされているのか全く理解していないに違いない。本当に馬鹿な女である。

 私は最近、「良いナショナリズムも悪いナショナリズムもない。ナショナリズムには百害あって一利なし」という意見に大きく傾いている。2008年の世界金融危機で示されたように、資本主義の暴力性はもはや制御困難になりつつあり、フランスの経済学者トマ・ピケティが「所得と資産の両方に国際協調で累進課税をかける」と提言した本『21世紀の資本(論)』がアメリカでベストセラーになっている。つまり、もはや国民国家のレベルの税制で再分配を行おうとしても、富裕層を優遇する税制の国(たとえばロシア)に金持ちが逃げたり、世界各国の政府が法人税引き下げ競争をしたりしている現状に阻まれてしまうのである。

 だから、韓国や中国のナショナリズムも時代後れだと私は思うが、それを招いたのはほかならぬ日本である。日本は1945年まで韓国を植民地として支配し、中国に侵略戦争を続けていた。日本の敗戦でようやくそこから脱却した中国や韓国が、先進国からずっと遅れてナショナリズム全盛になっているのであろう。本来なら、日本はとっくにナショナリズムから脱却して資本主義の暴力性に対する国際的強調を伴う対策の議論をしていかなければならないくらいのポジションにいるはずなのに、かつて韓国や中国に対してなした悪行を棚に上げて、ナショナリズムにはナショナリズムで対抗しようとする愚かな言論が世論を支配している。そんな「新興衰退国」日本の現状は「みっともない」としか私には思えない。経済の問題でも、日経新聞を読んでこれまた時代後れの新自由主義的経済思想にかぶれる「エリート」たちが後を絶たないのだからどうしようもない。

 最後に朝日新聞の従軍慰安婦記事検証問題について、私の意見をまとめる。こんな問題で世論が朝日新聞批判一色に染まるようでは、日本の将来はきわめて暗い。昔、安全保障問題で竹村健一が「右」から世論を批判して言った決めゼリフ「日本の常識は世界の非常識」に私は共感せず反発したが、人権問題に関しては「日本の常識は世界の非常識」は間違いなく今の日本に当てはまる。
7年前の2006年12月に強行採決された「改正教育基本法」の成立の再現とも思える「特定秘密保護法」の成立劇で、さしもの日本国民の中にも安倍晋三や石破茂の危険性に気づいた人たちが少なからずいたらしく、安倍内閣の支持率は私の予想を超えて大きく下落した。同法成立前と比較しておよそ10ポイントの支持率下落であり、私としては歓迎すべき「誤算」だった。とはいえ安倍内閣支持率はなお5割前後もある。

特定秘密保護法が成立した翌週、今度は北朝鮮で、安倍晋三の強権政治の印象がかすむほどの恐るべき粛清劇が演じられた。金正恩の父・金正日が死んだのも一昨年(2011年)の12月だったが、私が今回の北朝鮮の粛清劇から思い出したのは、1989年12月のルーマニアにおけるチャウシェスクの処刑だった。ナンバー1の処刑とナンバー2の処刑の違いこそあれ、独裁体制末期に矛盾が噴出して、体制が崩壊しようときしむ音が聞こえるようなイメージが両者に共通する。いくらなんでも金正恩の独裁体制が年内に崩壊するとは考えられないが、北朝鮮の「金王朝」の終焉もそう遠い未来のことではなかろうと予感させる粛清劇だった。

この北朝鮮の粛清劇は、何より人の命をいとも簡単に奪ってしまうところにその恐ろしさがある。そして、金正恩が張成沢の生命を奪わせた同じ12月12日、日本でも2人の死刑囚に対して死刑が執行された。

これを報じる読売新聞記事によると、安倍政権の法務大臣を務める谷垣禎一は、死刑が執行された12日に行われた記者会見で、

死刑に批判があることについて「死刑は国民が支持している。現状、死刑制度を維持していくことに変わりはない」と述べ、今後も粛々と執行を続ける姿勢を示した。

とのことである。このニュースに接して、私に言わせれば、谷垣禎一とは「マイルドな金正恩」に過ぎない。

東京都では、都知事の猪瀬直樹が「死に体」に陥った。金銭をめぐる疑惑を追及された猪瀬の答弁はぶざまの一語に尽きるが、こんな人間に400万人以上もの東京都民が都知事として適任と判断して投票したのもまた恐るべきことである。

おそらく来年早々、また都知事選になる。2011年、2012年、2014年と4年間で3度も都知事選が行われる異常事態であるが、それもこれも都民が石原慎太郎、猪瀬直樹と、都知事に選んではならない人間ばかり選んできた結果である。

そして、不適格な人間や政党を選んできたのは、何も東京都民だけではない。日本国民は国政選挙で自民党を、安倍晋三を選んできた。日本国民はかつて戦争を積極的に支持し、戦争に負けると一転してマッカーサーに熱狂した。どこまでも権力に屈従するのが好きな人間が多いようである。

東電原発事故への批判にしても、日本政府のエネルギー政策を「積極的な原発推進」へと舵を切った小泉純一郎の「変節」(転向)に拍手喝采し、「小泉さんなら『脱原発』を進めてくれそう」などとまたぞろ依存心を全開にするていたらくである。つける薬がない。

私としては、いかに徒労に終わろうが、「蟷螂の斧」を振るい続けるだけである。
よく「株価は景気の先行指標」だと言われるが、全然そんなことないなと思わせるのが昨今の株高だ。財務相の麻生太郎が「まだ何もしていないのに」と言ったという。麻生太郎らしい率直な物言いとも言えるが、麻生が財政出動派であることとも関係しているのではないかと私は思った。

つまり、麻生太郎としては、財政出動をした結果景気が刺激され、その結果株価が上がるのだったら納得できるのだろう。現実はそうではなく、アベノミクスとやらが喧伝されただけで株価が上がっている。それ見たことかと「りふれは」が勢いづくかもしれない。彼らの中には、財政政策など効果は薄い、金融政策こそ効くのだという「小さな政府」信奉者が少なからずいて、こういう人たちを指して「上げ潮派」というのだと私は勝手に理解している。上げ潮派の代表的な文化人は竹中平蔵と高橋洋一であり、言わずとしれた小泉純一郎内閣の閣僚及びそのブレーンである。麻生太郎の声が小さくなり、竹中平蔵や高橋洋一の声ばかりがよく聞こえるようになった時、第2次安倍晋三内閣は曲がり角を迎えるかもしれない。

私は金融政策偏重の政策など、バブルを生み出すだけでメリットよりデメリットの方がずっと大きいという偏見を持っている。1989年をピークにしたバブル景気と私の暮らしは無縁だったが、2000年にピークにしたITバブルは、その破裂で手痛いダメージを蒙った。バブル景気の頃にマンションに手を出してローンに苦しんでいた人も身近にいたから、バブルなどろくでもないものだと思っている。バブルなんかに影響を受けたら人生設計なんてできない。

しかるに、現在週刊誌等には「安倍バブル」なる言葉が踊っている。誰も「安倍景気」なんて言わない。テレビを見ると、幸田真音(この人の名前は「まいん」と読むが、私には「マネー」にしか見えない)なる新自由主義者の小説家が嬉しそうに「自民党政権に戻って良かった、安心感がある」などと言うが、その舌の根も乾かぬうちに、今回の株高は外国人投資家が買っていることによることを認める発言をして、馬脚を現したりしている。

やはり財政政策が伴わなければダメだ。その点で、安倍政権が反緊縮の姿勢を打ち出している、ただ一点に関する限り私は肯定的に見ているが、使い道が公共事業偏重ではダメだということは、再三当ブログで主張してきた。

最近、神野直彦・金子勝門下に当たる井手英策・慶応大准教授の「土建国家」に関する論考が頭から離れない。井手准教授は『世界』2003年3月別冊「日本を立て直す」にも、「『コンクリートから人へ』何が正しく、何が間違っていたのか」と題する論文を寄稿している。

以下同論文から自由な引用を行うが、井手氏によると、公共事業を「土建国家」という日本型福祉国家の中核に位置するものであった。土建国家を一言で言いあらわせば、経済成長を前提とし、公共事業と減税で利益を分配する統治のあり方であるとする。

高度成長期、政府はほぼ毎年、中低所得層向けの減税を実施した(革新陣営に属する野党もこれを強く要求してきた=引用者註)。1980年代の増税なき財政再建・行革の時代に減税は一時停止されるが、バブル崩壊以降再び大規模な減税が繰り返された。

日本型福祉国家は対人サービスが不十分だが、毎年のように実施された減税は、中間層が、本来であれば政府が提供するような対人サービス(教育、福祉、医療、住宅など)を市場から購入できるようにした。減税は中間層を受益者とした。

再分配政策の柱が公共投資であり、1960年代後半以降地方に傾斜配分されるようになった公共投資は、都市に移動できない低所得層の雇用の機会を保証した。それが土建国家であり、「じつにあざやかなメカニズムであった」と井手氏は評している。

この公共投資は、小泉純一郎の悪名高い「構造改革」以来削減されてきたが、建設業と農業に致命的な悪影響を与えた。井手氏は、「公共事業を社会保障に置き換えることによって、どのようにこの機能が代替されるのか。その点を無視した公共投資の抑制は、良くて節約、悪ければ地域経済社会の破壊でしかない」と指摘する。「コンクリートから人へ」は、将来のあり方を問うことなく、予算の削減にまい進した政治の限界を示していた。ビジョンなき政治の果てに、再び土建国家に舞い戻ろうとしている。

しかしそれは危険な動きだと井手氏は言う。なぜなら、土建国家はあくまでも経済成長を前提とするモデルだからだ。1990年代の政権は、成長なきあと、成長を生むために多額の借金をしてきたが、成果が上がらなかった。

私自身の感想を述べると、そりゃ急激に労働人口が減少する今後の日本で、土建国家の政策を繰り返したって成果が上がらないのは自明だろうと思う。井手氏も書いているように、社会保障の拡充は、人びとにとって重要な課題であり、「コンクリートから人へ」という方向性自体は正しかった。だが、理念もへったくれもなく、「ムダの削減」を叫んで「犯人捜し」に明け暮れるようでは人びとの暮らしを良くする政治などできようはずもなかった。

井手氏は、「分断型利益分配システム」という日本の政治的特質を民主党政権が払拭できなかったと指摘する。民主党政権はこれを克服して「普遍主義」を目指そうとはしていた。所得制限のない「子ども手当」はその一例だろう。民主党政権の「子ども手当」には所得制限はなかった。復活した「児童手当」には所得制限がある。一見、所得制限を設ける方が再分配政策であるかのように見えるが、現実には制限を設けない方が再分配が進むというのが、神野直彦氏の指摘で知られる「再分配のパラドックス」だ。政治や社会に「他の人びとと同じに扱われている」と感じさせる政策が求められる。

逆に言えば、分断型の統治は、井手氏が例に引く以下の言葉を生み出す。「生活保護を与えれば、低所得者は働く意欲を弱め、怠惰な生活を選んでしまう」、「医療費を下げれば高齢者は健康なくせに病院通いをする」、「公務員は収入と雇用が安定しているので働かない」、などなど。これらの悪弊についてくだくだしく述べることは、ここではしない。

井手氏は、普遍主義の政策を行うためにはそれなりの財源が必要であるとする(つまり増税が必要であるということ)。井手氏は、「既存の土建国家のフレームワークのうち、公共投資による雇用保障の機能を回復しながら、中長期的にはこれを量的に縮小し、少しずつ普遍主義的な対人社会サービスにシフトさせていくという戦略がもっとも現実的な選択肢となる」と書いているが、少なくとも私はこの意見に説得される。

井手氏や師の神野氏は、「日本人には公(おおやけ)の考え方がない」と言う。最近の目を覆うばかりの生活保護バッシングなどはその典型的な表れだろう。また、依存心が強く、支配者側も、特に自民党政権は人びとの依存心を強める統治を目指す。安倍晋三の「道徳教育」などその典型だろう。

本当は今回の記事に入れたかったのは、かつて安倍が学校の必修科目にした武道の代表格である柔道界で起きた女子柔道のパワハラ問題をめぐる女子柔道家・山口香の行動を高く評価した西谷修・東京外大大学院教授の論考である。前述『世界』別冊でも五野井郁夫・高千穂大学准教授と「デモは政治を開けるか」と題したリベラル派の学者である西谷氏の論考はまことに興味深く、山口香が目指す「自立と自律」は、井手英策氏や神野直彦氏が「ない」と嘆く「公」の考え方と深く密接につながっているのではないかと思ったからだ。だが、その言葉を紡ぎ出すことは今回できなかった。今後の宿題にとっておくことにする。


[お詫びと訂正](2013.2.19)
井手英策氏のお名前をずっと「井出」と誤表記する非礼を犯し続けていました。お詫びします。本記事の誤記を訂正するとともに、過去の当ブログ及び『kojitakenの日記』の誤表記を訂正しました。
先週は、日本の企業活動にかかわる大きなニュースが相次いだ。

まずボーイング787型機のトラブル。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK16008_W3A110C1000000/

全日空ボーイング787から煙 高松空港に緊急着陸
バッテリー不具合を表示

 高松市消防などによると、16日午前8時45分ごろ、山口宇部発羽田行き全日空ボーイング787の機内から煙が発生し、高松空港に緊急着陸した。全日空によると、乗客、乗員計137人は全員無事という。操縦室の計器がバッテリーの不具合を示し、パイロットが異臭を感じたという。

 香川県警によると、高松空港は午前8時58分から空港を閉鎖した。〔共同〕

日本経済新聞 2013/1/16 9:35 (2013/1/16 10:03更新)


記事にもあるように、この日の朝の不時着で、高松空港は一時閉鎖される事態になり、多くの利用客に影響を与えた。

トラブルの原因はバッテリーではないかと言われている。航空機用のバッテリーは電池本体と制御システムの両面から安全性を確保することが強く要求されることはいうまでもないが、電気自動車用などで開発が進んでいる日本の技術の得意分野であり、ボーイング787型機に搭載されているのも日本のジーエス・ユアサ製のバッテリーである。今回のトラブルでは、そのバッテリーの過充電などが疑われているようだ。
http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011901001565.html

バッテリー過充電の見方強まる B787、日米の航空当局

 バッテリーの出火や発煙トラブルが相次ぐ新鋭中型機ボーイング787。高松空港に緊急着陸した全日空機は、操縦席付近床下のメーンバッテリーへの過充電で飛行中に煙が発生したとの見方が19日までの日米航空当局の調査で強まった。

 ラフード米運輸長官は18日(現地時間)「安全を千パーセント確認するまで飛行させることはない」と述べ、徹底的な安全対策が取られるまで787の運航を認めない方針を強調した。

 原因究明を急ぐ日本の運輸安全委員会は、1週間でバッテリーが解析できる第三者機関がないか模索。電子系統の制御システムや配線より優先的に調べ、糸口を探る構えだ。

2013/01/19 18:14 【共同通信】


ボーイング社は最初「787型機は安全だ」などと強弁していたようだが、さすがにそのような論外な態度はすぐに改めた。同型機はいずれもバッテリーに起因するとみられるトラブルが多発している。バッテリーの種類は数年前にノートパソコンや携帯電話機の発火事故が問題となったリチウムイオン電池だ。今回のトラブルが発煙事故による高松空港への不時着で済んだのは不幸中の幸いだと私は思っている。万一発火事故にまで至っていたならとんでもない大事故になった恐れがあると思われるからだ。

ただ、この分野であれば、この事故で日本の技術が信用を失って、韓国なり中国なりのバッテリーに置き換えられる心配はしなくても良いのではないかと個人的には考えている。それくらいのアドバンテージを日本の技術はまだ保っているはずだ。今回のトラブルに関しては、一刻も早い原因究明と安全性の確保を願うばかりである。

安倍政権も、重厚長大産業や、ローテクの塊である原発にいつまでも恋々としていないで、たとえば北欧諸国がやっているように、採算の合わなくなった企業には市場から退出願って、失業した労働者を成長分野に振り向けるべく手厚い就労支援をするといった政策を考えた方が良い。北欧諸国はそういう政策をとって近年めざましい経済成長を遂げた。

大惨事に至ってしまったのは、アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件である。この記事を書いている最中に、産経新聞のサイトが凄惨な記事を配信してきた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130120/crm13012023540011-n1.htm

「日本人9人を殺害」 日揮現地スタッフが証言

 アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で日本人らがイスラム過激派武装勢力に拘束された事件で、「リアド」と名乗る日揮の現地職員らは20日、フランス通信(AFP)に日本人9人が殺害されたとされる状況を詳しく証言した。菅義偉官房長官は21日未明の記者会見で、「情報があるのは承知しているが、確認していない」と述べた。

 証言によると、犯行グループは16日午前5時半ごろ、天然ガス関連施設からイナメナス空港に向かうバスを襲撃したさい、逃げようとした3人を殺害した。後に銃撃を受けた3人の遺体がバス近くで発見されたという。

 さらに居住区に向かった犯行グループは、別の人質を連れて日本人職員の部屋に行き、北米なまりの英語で「ドアを開けろ」と叫んで発砲。その場で日本人2人が死亡した。居住区内ではその後、別の日本人4人の遺体が見つかったという。AFPはブラヒムと名乗る別のアルジェリア人も「日本人9人が殺害された」と証言したと伝えた。

 一方、英紙テレグラフ(電子版)は19日夜、生存者の証言として、犯行グループが施設襲撃時に英国人技術者に銃を突きつけ、「米国人を捜しているから君らは殺さない」と英語で言わせ、隠れていた同僚らをおびき出した後、この技術者を射殺したと伝えた。

 欧米メディアは19日の制圧作戦の状況も断片的に伝え始めている。

 「19日朝、テロリストは人質7人とともに逃亡する望みを失い、人質の処刑を開始。『ニンジャ』として知られるアルジェリア軍特殊部隊は突入を余儀なくされた」

 テレグラフ紙はアルジェリア情報筋に近い地元紙を引用し、強行突入に至った理由を伝えた。犯行グループは米国で収監中のイスラム原理主義者ら2人との人質交換と、施設からの「安全な移動」を要求したが拒否された。18日夜には、施設への放火を試みた。

 犯行グループの生き残りは、居住区から3、4キロ離れたガス生産施設区域の「機械室」に籠城。戦車や装甲車が包囲し、上空では旧ソ連製の攻撃ヘリコプターが動向を監視した。同紙は17日の制圧作戦から48時間が過ぎ、特殊部隊が「忍耐を失った」可能性も示唆した。

 アルジェリア情報筋は、人質7人は部隊突入の前後に「報復のため処刑された」と強調。施設周辺には地雷などの爆発物が仕掛けられていたほか、犯行グループは集団自決の準備もしており、一部は部隊突入時に自爆して施設を破壊しようとしたという。部隊が15人の焼死体を発見したとの情報もある。中東の衛星テレビ局アルジャジーラは、制圧後に60ミリ迫撃砲2門、携行式ロケット砲(RPG)2丁など多数の武器弾薬が押収されたと伝えた。(田中靖人)

(MSN産経ニュース 2013.1.20 00:44)


この事件で腹立たしいのは、安倍政権の初動の遅れである。本来なら事件が起きてすぐ安倍晋三は外遊を中断して帰国すべきだったが、そのまま外遊を続け、事態が深刻化してから帰国した。この不作為が犠牲を大きくした可能性が大きい。

安倍は、東日本大震災に伴う東電原発事故の際の菅政権の対応を批判し、最近も菅直人の訴追を匂わせる発言をしていたが、真に訴追されるべきは今回の安倍自身の初動の遅れではないか。なぜ安倍はだらだらと外遊を続けたのか。危機管理ができないことに関しては、自民党は民主党と何も変わらないと見える。また、そんな安倍晋三の行動について、確か朝日新聞は「批判を浴びる可能性がある」とかなんとか書いてお茶を濁した程度であって、正面切った政府批判は全然していない。それでも「社会の木鐸」と言えるのか。

また、アルジェリアに派遣された外務政務官・城内実の動きも鈍い。城内は17日、アルジェリアのメデルシ外相と会談し、アルジェリア軍による武装勢力への攻撃中止を要請したそうだが、これを無視された。やはり産経の報道によると、城内は多くの邦人が殺されたと思われるあとになって、「軍の許可を得て(イナメナスの天然ガス関連)施設に入り、その後、邦人の安否確認のため病院を訪問する予定」との電話を官房長官の菅義偉にかけてきたらしいが、事件の対応に全く役に立たなかったのではないか。普段は勇ましい酷使様は、やはり肝心な局面では頼りにならないようだ。

そのくせ、こういう事件が起きると、「自衛隊の海外派遣をもっと自由にしろ」とか「日本版CIAを作れ」などという動きばかりが強まりそうな政権なのである。また、外野席でも外務省OBの孫崎享がテレビ出演して日本版CIA創設を焚きつけていたとのことだ。さすがは本家のアメリカCIAから大量の政治資金を受け取っていた岸信介を絶賛するだけのことはある。

とにかく、今回の官邸の対応は全くいただけなかった。やはり、安倍内閣に多くを期待する方が無理というものだろう。
思えば、大阪維新の会が国政進出を決め、安倍晋三に党首就任を要請して以来、それまでにも崩壊、あるいは溶解を始めていた日本の政治が、一気にメルトダウンしてしまったように思う。果たして当ブログを運営し続ける気力がどこまで続くかは心許ない限りである。

昨日は、それまで小沢一郎を呼びつけるなどでかい態度を取っていた橋下徹が、東京に出向いて石原慎太郎と平沼赳夫との三者で会談したというニュースが流れていた。私は「石原新党」などできっこないと思っていたが、「大阪維新の会」が国政に進出して結成した新党「日本維新の会」も含めて、現在ある14の政党をすべて合わせても支持者が有権者の3分の1にしかならない現実に、ついに石原が本気で国政復帰を視野に入れ始めたのではないかとぞっとした。

時事通信の世論調査によると、各党の支持率は、民主党7.3%、自民党16.8%、公明党4.4%、みんなの党1.2%、日本維新の会1.2%、共産党0.9%、国民の生活が第一0.5%、社民党0.3%、国民新党0.1%、たちあがれ日本0.1%、新党きづな0.0%、新党大地・真民主0.0%、新党改革0.0%、新党日本0.0%となっている。そして「支持なし」が実に64.8%に達しているのである。一部で喧伝された「維新の会が無党派層の受け皿になる」という見通しは完全に外れた。今や「維新の会」も有象無象の中に埋没しつつあるといえるだろう。

これまでずっと追い風が吹いていていい気になっていた橋下が泡を食っているのを見ると、「ざまあみろ」と思うが、その橋下が感じているらしい「風」が東風ならぬ「右風」であることは、橋下が会談した相手が石原と平沼であるという事実から明らかだ。この三者会談から直ちに「石原・橋下新党」が出てくるとまでは私は思わないが、安倍自民党の対抗勢力(?)として出てくるのが石原や橋下らだというだけでお先真っ暗な気持ちになる。

最近の「左」側では、前回のエントリで長文の批判を書いた孫崎享の『戦後史の正体』についての状況が、ちょっと考えられないほどひどいものになっていて驚いている。

新聞は、朝日新聞が9月30日付読書欄の「売れてる本」のコーナーで、佐々木俊尚が書いた酷評を載せた以外、この本を黙殺している。朝日の「売れてる本」のコーナーとは、『戦後史の正体』について専門的かつ辛辣な批評「過剰に大きな星条旗」を掲載した『Valdegamas侯日常』が書評の補遺「郷原・佐々木双方のある種の正しさ」に書くところによると、

そもそも「売れてる本」はイキのいい評論家やライターの類に書店に平積みされるベストセラーを読ませては酷評させ、亜インテリの溜飲を下げせしめるという中々趣味の悪い欄であり、佐々木氏の『戦後史の正体』評もそういった同欄の趣旨にたがわない。

とのことだが、要するに朝日がそういう「おちょくった」扱いをした他はどの新聞も相手にしていないのが現実だ。

これは、いわゆる「小沢信者」たち(最近では単なるエキセントリックな「反米保守」に過ぎないのではないかと私は思っているが)が言うような「マスゴミ(あるいは権力)にとって都合の悪いことが書かれているから」でもんでもなく、山口二郎が「孫崎さんの本はおおざっぱな断定があると思う。陰謀論と科学主義の中間的リアリズムの言説を提供するのが政治学者の仕事だと痛感した次第。」とつぶやいたことに示されているように、「奇書」あるいは「トンデモ本」として取り合っていない、というのが実情だろうと思う。

しかし、現実には9月27日の朝日新聞「論壇時評」欄で、酒井啓子と森達也の2人の論者が『戦後史の正体』を「注目の3点」に挙げているほか(これにはコメントは付されていない)、昨日知って愕然としたのだが、社民党党首の福島瑞穂が孫崎享にこんなTwitterを発信している。

@magosaki_ukeru 戦後史の正体」は、本当に面白く、有益でした。いろんな資料や歴代首相の見方など参考になりました。私は辺野古沖に基地を作ることに反対し、大臣を罷免になったので、外務省、防衛省などの役所を変えることができず、悔しかったです。これからもがんばります!


社民党の党首ともあろう者が、知らないうちに改憲論へと読者を誘(いざな)い、岸信介や佐藤栄作に対してこれまで「リベラル・左派」が持っていた価値観を180度転回させる狙いを持ったこの本を手放しで礼賛している現実がある。さらには、「マガジン9条」も孫崎享のインタビュー記事を掲載している。

私はもういい加減、私のような素人の批判ではなく、豊富な専門知識を持つリベラル・左派系の論者による本格的な『戦後史の正体』批判が現れないものかとずっと待っているのだが、それがいっこうに現れないのである。これは、少なくとも私にとっては驚くべきことであり、「リベラル・左派」の言論はここまで衰退しきっているのかと暗然たる気持ちにならざるを得ない。福島瑞穂氏のTwitterには正直目を疑った。「左派内から崩れる護憲論」という前回の記事のタイトルは、やはりその通りなのだろうと改めて思う。

孫崎享のTwitterを見ると、

朝日・書評:皆様に御心配をおかけしましたが、了解に達しました。ご支援感謝いたします。

と書いてあるから、おそらく朝日の投書欄か何かに孫崎の反論が載るなりするのだろうが(当初孫崎が要求していた「謝罪」を朝日が行うとはさすがに思えない)、それをきっかけにでも良いから、「リベラル・左派」側からもまともな『戦後史の正体』批判がなされることを期待したい。
世間の話題は五輪のフィギュアスケートだし、小沢一郎と新興宗教の信者が書く文章は相変わらず「犬察」と「悪徳ペンタゴン」と「マスしゃぶ」のことばかりだが、新聞の一面トップを連日賑わせているのはトヨタのリコール問題である。

トヨタ自動車の豊田章男社長がアメリカ議会下院の監督・政府改革委員会の公聴会で証言したニュースは、全米でも大きく扱われていると思う。アメリカ人は小沢一郎など誰も知らないが、トヨタの名前を知らないアメリカ人は誰もいない。アメリカでここまでこの件が大きなニュースになったのは、昨年、メキシコとの国境に近い西海岸の大都市・サンディエゴでトヨタ車が意図しない急加速による死亡事故を起こしたことがきっかけだった。私は昔、そのアメリカ西海岸でトヨタ車に乗せてもらいながら、周りを走るアメ車のオンボロぶりに呆れていた思い出がある。アメリカで「トヨラ」(としか聞こえない)のテレビコマーシャルもずいぶん見た。今でも多くのアメリカ人はトヨタ車の方が自国ブランドの車より品質が高いと思っているだろう。そのトヨタが問題を起こしたから大騒ぎになったのだ。

もっとも、トヨタをめぐる問題がアメリカで大騒ぎになるのは、何も今に始まったものではない。10年ほど前にも巨額の損害賠償請求騒ぎがあったように記憶している。ただ今回は、リーマン・ショックに端を発するアメリカ発の世界金融危機の結果、ビッグ3が苦境に陥っていたという背景があって、大きく注目されているのだろう。

豊田社長は、リコールの原因として「人材(育成)が、経営拡大のスピードについていけなかった」ことを挙げたが、こういう発言を聞くと、小泉純一郎がトヨタを代表格とする輸出産業を過度に優遇する政策をとったことを思い出す。リーディング・カンパニーの業績を上げれば、トリクル・ダウンで日本全体の景気も良くなると考えていたのだろうか。しかし、2003年以降、トヨタをはじめとする大企業の業績は急伸したにもかかわらず、民間の平均給与所得は1998年から9年連続で減少した。そして、トヨタの人材育成が業績の急伸を受けた経営拡大のスピードについていけなかったという豊田社長の言葉をそのまま受け取るならば、大企業優遇に過度に傾斜した小泉政権の経済政策は、優遇された大企業にとっても必ずしも良いことばかりではなかったと言うべきかもしれない。

アメリカでは、トヨタはリコールが遅れたとして批判されているが、さらにその要因は何かと考えると、トヨタがあまりにも自社の製品に自信を持ちすぎていたことが挙げられるかもしれない。一部には、「トヨタは金儲け主義に走りすぎた」と批判する向きもあるが、それは必ずしも正しくない。小泉があまりにトヨタなどを優遇しすぎたから、儲かって仕方がなかったというのが本当のところだろう。品質管理や品質保証に関してトヨタの技術陣は本当に厳しくて、トヨタに納品する立場になった業者の苦労話というか残酷物語は、私も何度か耳にしたことがある。無理難題とも思えるトヨタの要求を満たす部品をトヨタに納品するために死ぬ思いで働いている人たちは、日本には大勢いるのである。中には、「死ぬ思い」どころか本当に過労死する人もいる。私など、トヨタに関して本当に厳しく批判されるべきは、トヨタを頂点とする巨大な食物連鎖の構造だと思っている。トヨタの下請け、孫請け、曾孫請けとつながる産業の構造においては、「搾取」という言葉がぴたり当てはまり、トヨタの繁栄の陰で、多くの労働者が血を流す苦しみを味わっている。過重な労働を強いられながら、業績が悪いと職を失う。トヨタの社員はクビになることなんかなくても、孫請け、曾孫請けになるとそうはいかない。本当は、そういう人たちに救いの手を差し伸べるのが政治のあるべき姿のはずだが、小泉純一郎に代表される新自由主義者の政治家たちは、こともあろうに百獣の王にたらふく食わせる政策をとった。そしてその結果、空前の格差社会が日本に現出しただけでなく、彼らが支援した百獣の王を驕らせ、隙を生じさせてしまった。これが今回のリコール騒動の本質ではないかと私には思える。トヨタが業者の尻を叩きながら築き上げてきた製品の品質への信頼が揺らいでしまったのである。百獣の王も、あまりに食べ過ぎるとメタボになり、動きが鈍くなってしまうだろう。それが現在のトヨタの姿だと思えてならない。盛者ならぬ盛車必衰というべきか。

さて、以下は蛇足。「またか」と言われそうな中身なので、お読みになりたい方だけどうぞ(笑)。
「天皇の政治利用」に関する議論が止まない。昨日(12月27日)も、今年最後になるテレビ朝日『サンデープロジェクト』において、党首討論の議題に上がっていた。いまさら新しい論点など出てこないにもかかわらずである。

この件に関して、世論調査では小沢一郎を批判する意見が多数を占める。羽毛田信吾・宮内庁長官の思いがけない批判に遭って、小沢一郎が逆上して反論したいきさつがあり、これが国民の多くの反発を買ったためだろう。このところの鳩山政権の支持率低下には、この件がもっとも影響しているのではないかと私には思える。普天間基地移設問題については、世論は拮抗していて、支持率を大きく下げる要因になるとは考え難い。

のちに小沢一郎自身が認めた通り、天皇が外国の要人と会見するのは国事行為には当たらないのだった。これは、騒動が勃発した当初には私も気づかなかったのだが、共産党の志位和夫委員長の指摘によって周知のところとなった。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-16/2009121602_01_1.html

志位氏は、下記のように小沢氏を批判している。

 この問題をきちんと整理して考えると、外国の賓客と天皇が会見するというのは、憲法で規定された内閣の助言と承認を必要とする国事行為ではないのです。憲法を読んでも、国事行為のなかにはそういう項目は出てこない。国事行為以外の公的行為です。

 こういう国事行為以外の天皇の公的行為については、政治的性格を与えてはならないというのが憲法のさだめるところなのです。そういう憲法の規定から考えると、今回は、日本政府がその問題に関与することによって政治的性格を与えてしまった。これは日本国憲法の精神をたがえたものです。

 もしこれが許されたらどうなるか。たとえば国会の開会式で天皇の発言がおこなわれています。これも国事行為以外の行為です。この発言の内容について、ときの内閣の判断でどういうものでもやれるようになったらたいへんです。これは憲法の原則にかかわる大きな問題が問われているのです。

(『しんぶん赤旗』 2009年12月16日付記事より)


この説明は間違ってはいないだろう。だが、何度も書くようにどうしても釈然としないものが残る。

そもそも、天皇は政治的発言をしてはならないはずである。だったら、公的行為の場での発言は、誰がチェックしているかというと、それは宮内庁だろう。ところが、その宮内庁の長官が政権を批判する。これは十分政治的な行為であり、これこそ宮内庁の役人がやってはならないことではないのか。いろいろ考えてみたが、結局この疑問はどうしても解消できなかった。

もちろん、あえて「宿敵」の主張を認めるのだけれど、産経新聞の「社説」に相当する「主張」子が主張するように、小沢一郎が天皇の意図を勝手に忖度した発言をするのも不適当である。だが、小沢発言と同様に、天皇の発言に政治色を持たせてはならない宮内庁長官が、政府を批判することも不適当である。いや、問題のきっかけを作ったのは宮内庁長官の方だから、より問題が大きいのは羽毛田氏の方である。羽毛田氏の発言を、天皇の意を汲んだものだとする文章を書いた左派系の有力ブログもあったが、そういった言説もまた、天皇の意図を勝手に推測することによって、天皇を政治利用しようとするものにほかならず、これまた問題である。いかなる立場からでも、天皇を「政治利用」してはならないというのが、従来広く支持された考え方だったと私は思っていたのだが、違うのか。私に言わせれば、宮内庁長官も小沢一郎も件の左派ブロガーも全員に問題があるが、左記の順番で責任が重いと思う。今回の件でもっとも強く責められるべきは、やはり羽毛田信吾である。

このように、宮内庁の役人とは、天皇の言動に政治性を持たせてはならない重大な使命があるのだから、先々週の「サンプロ」で細野豪志が言っていたように、内閣と宮内庁は阿吽の呼吸でことを進めなければならないのである。それを破った羽毛田長官の責任は重大だ。もちろん、感情的な対応をして問題をこじらせた小沢一郎の責任も、羽毛田氏に次いで重い。

そして、この機に乗じて、安倍晋三だの平沼赳夫だの城内実だのといった極右政治家たちが、一斉に小沢一郎批判の声を挙げるに至っては、もう論外である。ところが、左側からも自称「真正保守」の人々による小沢批判の尻馬に乗る人たちがいるから困ったものだ。たとえば、「日本国憲法の第1条は大日本帝国憲法第3条の『神聖ニシテ侵スヘカラス』の規定をベースにしている」などという主張が、左側のブログから出てきた。普通には「護憲」側から出てくるはずもない憲法解釈だと私は思ったのだが、なぜかこれを批判する意見はほとんど見られなかった。

あまりの事態にあっけにとられている時に目にしたのが、田中角栄の天皇観である。石川真澄著『人物戦後政治 私の出会った政治家たち』(岩波現代文庫、2009年;初出は岩波書店、1997年)に出ていた。以下引用する。

私(注:故石川真澄・朝日新聞編集委員)は一つだけ、記事にするわけではないが、と田中氏の天皇観を尋ねた。佐藤栄作氏が私のインタビューに答えて「天皇様がいらっしゃるから、日本という国家の連続性が保たれるのです」と語ったことが念頭にあったからである。田中氏はむしろけげんな顔で言った。「そりゃあ、天皇陛下と皇室を私は敬っておるよ。両陛下の写真を応接間に飾っている。しかし、天皇が象徴天皇であって政治的機能を有しないことくらいは、もちろんわきまえている。戦前とは違う

(石川真澄 『人物戦後政治 私の出会った政治家たち』(岩波現代文庫、2009年) 93-94頁)


これは、田中角栄が首相を退任した翌年、1975年に石川記者が田中氏にインタビューした時のコメントである。34年前の保守政治家の方が、現在の宮内庁長官やほかならぬ田中氏の弟子や左派ブロガーと比較しても、日本国憲法を当然とする思考をしていることに感心した。何より、田中角栄は、戦前と戦後の連続性を強調する佐藤栄作とは対象的に、両者の断絶を意識している。日本国憲法第1条は、象徴天皇制とともに国民主権を規定しており、大日本帝国憲法第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と鋭い対照をなす。

こんなことを書くと、昭和天皇には戦争責任があったけれども、今の天皇にはそんなものはないし、何より今の天皇は日本国憲法を尊重する平和主義者だ、戦犯の昭和天皇と一緒にするなと言う人もいるだろう。だが、昭和天皇には政治的発言が許されず、今の天皇には許されるなどという理屈が通るはずはない。1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀されたことが翌年明らかになったが、以後昭和天皇は靖国神社に参拝しなかった。しかし、多くの人はその理由を感づいていたにもかかわらず、それはあからさまには語られなかった。当ブログでは、2006年7月5日付エントリ『靖国神社と昭和天皇』でこの件を取り上げたところ、その15日後に日経新聞がこれを裏づける「富田メモ」をスクープしたものだから、びっくり仰天した思い出がある。それはともかく、誰もが気づいていた天皇の行動の意図さえ、在位中には言及しなかったのがかつての「象徴天皇」の言動に対する姿勢だった。もっとも、靖国の件で右翼が黙っていたのは、彼らにとって都合の悪い話だったからに違いなく、それ以前には右側による「天皇の政治利用」はしょっちゅう問題になっていたし、昭和天皇の発言自体が問題視されることもあった。しかし、天皇の名の下に軍部と政府が好き勝手をやって勝てるはずのない戦争に突っ込んでいった戦前への反省から、「天皇の政治利用」は戒められるのが普通だった。

今では、誰も彼もが天皇を政治利用しようとする。特に安倍晋三や産経新聞などの「右側」が今回の件で大騒ぎするのは、国民の間に「反中」の意識を広め、ナショナリズムの機運を高めようとする狙いがある。そして、産経新聞が小沢一郎を批判するのに、赤旗に掲載された志位委員長の批判を援用するに至っては、呆れるほかはない。

実は、裏ブログの方で、「政治は結果がすべて、現実を変えられない政党や政治家は無価値だ」と書いて、左側から大ブーイングを受けたのだが、現実は民主党がその気になれば憲法を改正できるところにまできているし、現に鳩山由紀夫首相が改憲を口にした。毎日新聞の「えらぼーと」への回答を見る限り、一昨年の参院選と今年の衆院選で増えた民主党議員にはリベラル派が多いように思うが、彼らには世論の動向に敏感だという特性もある。改憲が実現してしまえば、社民党や共産党は「結果を出せなかった」ことになるのだ。

どんな仕事であっても、結果で評価されるのが当たり前だが、政治家の場合、国民の生活にもろに影響するから、他のどの職業にも増して結果が重視される。アマチュアや、職業人でも経験の浅いうちはプロセスも重視されるが、国政にかかわる人たちともなれば、結果を出さなければ存在価値はない。そう繰り返し強調したい。国民が小泉純一郎にフリーハンドを与えた結果、暮らしがどうなったかを思い出せば明らかだろう。護憲にしたところで、社民党と共産党の勢力だけで護憲はできない。民主党のリベラル派を何とかしなければ、改憲など簡単に実現してしまうことを、世の護憲派は忘れてはならない。自ら民主党のリベラル派を「右」に追い込む言動をとるのは、国会での議席数から考えても自殺行為以外のなにものでもない。しかし、このことを左翼がどれくらい自覚しているかは大いに疑わしい。

それを考えれば、志位氏の主張がいかに正しくとも、やはり釈然としないものが残るのである。なお、共産党支持系ブログでも、『超左翼おじさんの挑戦』『BLOG BLUES』が、それぞれ独自の視点からエントリを公開し、後者が前者を批判しているが、両者の議論にまでは発展していないようだ。

私自身は、天皇制は必要とは思わないが、象徴天皇が存在することによって日本国の社会がうまく機能するのであれば、存続しても良いのではないかと思っている。逆に、天皇制はもう必要ない、という考えが国民の総意になった時には、憲法を改正して天皇制を廃止すれば良い。しかし、現時点では日本国憲法は国民より先を行っており、仮に「時代に合わなくなった部分や不自然な日本語表現を改める」という意図の改憲であっても、現在の政治勢力を考えた場合、国民の権利を制限する改正が加えられるのは確実だから、日本国憲法を現在のまま守るべきであるという立場に立っている。したがって象徴天皇制容認の立場であるから、天皇が海外の要人と会見することは、大いに続けるべしと考えている。そして、「1か月ルール」は、天皇の体調を配慮して守られるべきであるが、このルールを政治利用などしてはならないと考える次第である。いや、それだけの話なのに、これほど大騒ぎになって、年末のテレビの党首討論でも蒸し返されること自体、天皇の政治利用ではないか。それを言い出したら、ブログでこんな記事を書くのも天皇の政治利用になってしまうのかもしれないけれど。


↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。
FC2ブログランキング

昨日は情報量不足のエントリだったにもかかわらず、今年3番目となる多数のアクセスをいただき、読者の皆さまには感謝する次第だ。6月度累計でも、西松事件が騒がれた今年3月度に次いで、過去2番目に多い月間アクセス数となる見込みである。

だが、テレビが政局の話題で大騒ぎすればするほど、気が滅入ってしまう。先週金曜日のエントリにいただいたコメントで観潮楼さんが指摘した通り、今回の東国原・橋下騒動の本質は「争点から『脱改革・反貧困』を露骨に外す」ことにある。騒げば騒ぐほど彼らの狙いにはまってしまう。なんでこんなひどい政治になってしまったのかと思う時、「90年代の政治改革の失敗」という言葉が頭に浮かぶが、朝日新聞の一色清も星浩も、「政権交代のできる態勢ができたのは良かったのだが」という言い方しかしない。ブログで選挙制度をめぐって自民党と民主党が定数削減を競う動きを批判しても、結構コメントはいただくけれども、他のブログを見渡しても、共産党支持ブログ以外でこの件を積極的に取り上げようとするところは数えるほどしかない。政権交代が実現したって、カイカクが続いて格差拡大がますます進んでしまっては意味がないのである。ましてや、自民党内の麻生降ろしなど、本当にどうでも良い。昨日は塩崎恭久がテレビに露出していたが、愛媛1区の状況は必ずしも塩崎にとって芳しくないことを思い出した。自民党の党内政局は、自民党の政治家にとって売名の絶好のチャンスであり、それにブログまでもが手を貸してやることは何もない。

気の滅入る「政権交代」前夜とはいえ、それでも期待があるとすれば政権交代による「情報公開」の前進だろうか。1960年の日米安全保障条約改定時の核持ち込み密約について、村田良平・元外務事務次官が新聞各社の取材に対しその存在を認めたが、河村建夫官房長官は相変わらず密約の存在を否定する。記者団に質問を受けた河村氏は、「政府見解だからしょうがない。文書そのものがないことになっている。ないものは出せない」と投げやりに答えた。言外に「これは建前ですよ。皆さんおわかりでしょ。私の職務権限では『ある』とは言えないんですよ」と匂わせている、というより露骨に言っている。政権交代が目前になると官房長官の態度もこうなるんだな、と思わせる。民主党の岡田克也幹事長は、以前から「沖縄密約に限らず、政権交代をしたら情報公開を徹底する」と明言しているし、毎日新聞社説は「日本の安全保障政策の根幹にかかわる問題をいつまでも隠し続けているのは外交に対する国民の信頼を得るうえで大きなマイナスである」、朝日新聞社説も「国民に信頼される外交を育むためにも、もうほおかむりは許されない」と書くが(読売新聞は取り上げていないw)、それでも政府は認めない。この情報公開くらいは、政権交代が起きたら実行され、過去に岸信介や佐藤栄作らが行った犯罪的な密約が明らかにされて安倍晋三がダメージを受けることだろう。

政権交代が起きれば実現できることと、自民党と民主党の間の政権交代では永遠に実現できないことがある。後者を改めるためには、選挙制度を比例代表重視に改変するしかないと思うが、民主党支持ブログがこの件について議論さえしない現状では、みすみす民主党を「第二自民党」にしてしまうだけだろう。


↓ランキング参戦中です。クリックお願いします。
FC2ブログランキング