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きまぐれな日々

このところ、全然コメントに返事ができなくてちょっと気になっていたので、今日は先月末に3日連続で公開した新自由主義批判のエントリに対するコメントをいくつかご紹介したい。

初めは、9月28日のエントリ「新自由主義が生み出した「負のスパイラル」」に2通いただいた、ぷーさんのコメント。2通を合わせて紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-459.html#comment2111
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-459.html#comment2112

アダム・スミスが市場原理を思いついたのは、大商人と政府が結託し、普通の人々の経済活動を疎外しているからでした。
また、アダム・スミスはすでに三面等価に気づいており、労働者の賃金は引き上げれば引き上げるほど良いと考えていました。
市場原理は、実は「原理」ではなく、中小零細市民を豊かにするための「手段」として構想されたものでした。

ところが、新古典派を名乗る連中は、市場原理を金科玉条に捕らえ、むしろ大資本の独占的な活動を奨励し、中小零細市民の衰退させる口実に使います。

スミスに帰れと喧伝する新古典派こそ、実はスミスの市場原理の対極にいる連中であり、自由主義経済への反逆者なのでした。

そんなものをありがたがっている日本の経済人はパァだし、政策として推し進めている政府はもっとパァです。

日本は自由主義経済をつづけていればよかったんです。
市場原理は、政府の介入によってその条件が整えられなければ機能しません。
民間に任せれば、競争は忌避され、情報は隠蔽され、消費者は愚民化します。
これでは市場原理など働かない。

”市場の失敗”のケースは高校教科書レベルの知識なのに、それが存在しないかのように振舞う経済人たちの厚顔に本当にうんざりする。

日本は自由主義経済に帰り、市場原理が働くよう、大企業の独占・寡占と戦うべきなのだ。
規制緩和は中小零細企業を後押しするためであり、規制は大企業を抑制するために行う。
賃金は高めに設定されなければならず、労働者の労働条件悪化には政府の権力が発動されなければならない。
自由貿易は拡大されなければならないが、ある国家に一定の不利益をもたらす場合には規制されて構わない。特に外国通貨での取引によって資本が流出する場合はそうだ。
こう言うことが「スミスに帰れ」と言うことなのだ。

新古典派にスミスの名を口にする資格はない。

(ぷーさんのコメント)

胸のすく新自由主義批判だ。そういえば、独占禁止法とは市場経済を守るための法律なのだが、これさえも新自由主義かぶれの馬鹿者に言わせれば「社会主義」ということになるのだろう(笑)。

空き瓶さんからは、「左派」ブログに対する批判のコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-459.html#comment2109

左派も劣化しているんですよ。
KYは実は左派のためにある言葉でしょ?

左派は、日本を良くしようとして、あるいは国民のためにと思って、声を嗄らしているが、国民の多くはそんな左派をバカにし笑っている。

参院選挙でも、自民党があまりにも頼りないから民主党が1人勝ちしただけで、共産党も、社民党も、9条ネットも惨憺たるありさま。
アベのボロ負けを笑っている自分たちのボロ負けに、きちんと向き合っているんですか?

都合の悪いコメントは削除ですか?それでは自民党のやっていることを肯定することになりますね。

小泉以降の自民党のみを批判しているブロガーの偽善性には反吐が出ます。
小泉以前の自民党は正常だったんですか?
そもそも、自民党は岸信介によって作られた政党と言っても過言じゃない。
これをドイツに当てはめれば、ヘスやゲーリングやレームやゲッベルスが厚顔無恥にも戦後、政党を結成しているようなものですよ。

このように、世界的常識とかけ離れたことを平気でやっているのが日本人ですよ。
こういう国民が、大政翼賛会に狂喜して加入し、喜んで戦争を行っていたんですよ。

つまり、国民そのものがオウムだったんですよ。

この国民の戦争責任が問われないことこそ、自民党なる本来ありうべからざる組織が存在している何よりの拠りしろでしょう?

小泉以降だけが悪い、などと言っているブロガーは自分の歴史認識を恥じるべきでしょう。

kojitakenさんの言うとおり、新自由主義の責任は中曽根に遡らなければなりません。
そこへの言及を行わないものは、小泉クラスの八百長詐欺師といえる。

(空き瓶さんのコメント)

日本における新自由主義政策は中曽根政権に遡らなければならないというのは、常識の範疇に属すると私は考えている。

コイズミ以前で、もっと厳しく批判されなければならない首相として、私は中曽根康弘と故小渕恵三の名をあげたいと思う。小渕氏は、アメリカの提示してくるグローバリゼーションを丸呑みしたばかりではなく、ネオコン的法律を次々と成立させた「A級戦犯」だ。前任の故橋本龍太郎内閣から小渕内閣にかけて急増した自殺者の数は、今も減らないが、それは小渕内閣以来続いた自民党内閣の経済政策のせいだ(小渕内閣成立前年の1997年に消費税率を上げた橋本内閣も重罪だと思うが)。

ただ、旧来自民党をよしとする意見の多くは、池田勇人や大平正芳ら「宏池会」系の、政治思想ではハト派、経済政策ではケインズ主義の「保守本流」を指しているのだと思う。また、「保守本流」をよしとする言論を「左派」というのは疑問だと思う(「保守左派」ではあると思う)。

9月29日のエントリ「「機会の平等」も「完全な市場」も存在しない」には、のとさんから、昨年出版された内橋克人氏の『悪夢のサイクル』を推薦するコメントをいただいた。

市場原理主義にについてより深く知りたい方は、
ぜひ内橋克人氏の”悪夢のサイクル”を読まれることをお薦めします。
市場原理主義批判のバイブルと言っていいぐらいです。
ネットで検索すれば書評がたくさん出てくるので詳しくは書かないけど、
これを読めば市場原理主義の愚かしさ、恐ろしさ、なぜ日本がこんな状態になってしまったのかがよくわかります。

ちなみに私がよく読ませていただいているブログでも紹介されています。
http://kihachin.net/klog/archives/2007/04/uchihashi.html
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/32e676821ebfe9974ae2edf995b1fe59

(のとさんのコメント)


内橋氏の著書は未読だが、同氏は信頼できる人だと思っているので、機会を見つけて是非読んでみたい。

他にも多くのコメントをお寄せいただいた。読者の皆さまには深く感謝を申し上げたい。

今後も、たまにはいただいたコメントでエントリを構成してみたいと思っている。


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ブログを開設してから10か月目になる。記事の総数は、書きかけで破棄したものや、いったん公開したのち削除したものも含めると、昨日の記事で250件に達した。

最近では、記事の公開からずいぶん経った頃に古い記事へのトラックバックやコメントをいただくことも多くなった。当ブログのアクセス数は、1日あたりせいぜい千数百件だが、最近はリピーターの方の訪問が増えており、そういう方はたいてい最新エントリの記事を読まれたら、他のブログに移動されていることと思う。私自身も、そういう行動パターンをとっている。

だから、古い記事へのコメントやトラックバックは、人の目には触れにくい。しかし、それらの中には、是非とも多くの人に読んでもらいたい文章が含まれていることがある。

たとえば、昨年8月9日付の記事 『国民が戦争を知っていた頃』に、公開後4ヶ月が経った昨年12月18日に、奈央さんからコメントをいただいた。

このコメントを埋もれさせてはいけない、と思ったので、翌12月19日付で 『なおも続くコメント特集?中国における日本軍』で、新たなエントリを起こして取り上げたところ、奈央さんご自身から追加のコメントを何件もお寄せいただいたばかりか、他の方からもコメントをいただいて記事を充実させることができ、感謝の気持ちでいっぱいになったものだった。

この記事の公開から、2か月近くが経過しようとしているが、今回再び、このコメント特集にさらなるコメントをお寄せいただいたので、ここに紹介したい。

コメントを下さったのは、菜花さんと仰る方である。以下菜花さんのコメントを引用する。

kojitaken さん、初めまして。よろしくお願いします。「非戦・ブログ・中国」で検索していてこちらの記事を拝読致しました。

私の父は、戦前に中国に渡り、その後戦争が始まったため、そのまま日中戦争に参加しました。私の場合父から直接話を繰り返し聞いたのですが、奈央さんと同じような話を、父の口から聞いております。

父の話からすると殺されたのはやはり軍人ではなく、民間人だったのだと思います。中国人や朝鮮人の人達に自分で大きな穴を掘らせ、その後その人達の手を後ろ手に縛り、目隠しをして並んで座らせ、命を請う人達や 既に腹を据えて静かに座る人達を、上官の命令で次々に日本刀で首を刎ね、その後その穴の中に残った胴体を日本兵が蹴り入れ埋めていったという話でした。

父自身は手を下した事はなかったと言いましたが、それがどこまで本当かは定かではありません。

その他にも当時の日本軍の沢山の残虐行為を聞いております。ですから、私は今現在の状況がとても危ない状況にあるように思えてなりません。また同じような事を、日本が起こそうとしているのではないかと。

TBを一つさせて頂きました。ご判断下さい。

(菜花さんのコメント)

ここに書かれているように、菜花さんはご自身もブログを開設されており、その記事を弊ブログにTBいただいた。

「こころの一人旅」? 『日本軍が 中国にしてきた事』(URLは下記)
http://blog.goo.ne.jp/kamifuusen_2006/e/f428efed167e19d83f98a55cc8088f04

菜花さんのコメントやTBしていただいたブログの内容は、弊ブログの過去の記事 『国民が戦争を知っていた頃』で紹介した遠藤周作氏の小説や加藤紘一氏の支持者の言葉、それに、『なおも続くコメント特集?中国における日本軍』で紹介した奈央さんや眠り猫さんのコメントと符合する。

すなわち、中国において日本軍が「残虐行為」を働いたであろうことは、疑問の余地がほとんどない、と私は考える。

これは、決して自虐史観などではない。中国人と日本人が逆の立場だったら、同じようなことをやられたのではなかろうかとも思う。

こうした残虐行為は、戦争のなせるわざだろう。もちろん、だからといって殺した側の戦争犯罪が免責されるわけではないが、菜花さんがご自身のブログのコメント欄で書かれているように、上官に「殺せ」との命令を受けた兵士は、それに背くと自分自身の命が危ない状況に追い込まれていたのだろうと私も想像する。

だから、『問題は その決定をし、命令を下す側の方にあると思う』という菜花さんのご意見には、私も同意するし、「美しい国」などという空疎なキャッチフレーズで、日本を軍国主義国家に導こうとした安倍晋三は、まさにその側の人間であって、仮に今後、安倍の好戦的な政策のせいで、多くの人命が無為に失われてしまう事態が生じても、この男は何も感じないであろうと、私は確信している。

このような人物が首相になり、この国はいったいどうなるのだろうと夜も眠れない思いだったが、国民はこの男を支持せず、政権の終わりも近いとささやかれている現状は、日本にもまだ辛うじて民主主義の灯が残っているとの一縷の望みを感じさせるものだった。

このまま安倍政権を一気に終息させたいものだと、強く念じる。


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一昨日のエントリ「戦争反対の小さな声を集めよう」に、多くのコメントをいただきました。
今回は、いただいたコメントをそのまま紹介します。但し、明らかな誤変換や誤記は、当方で勝手に訂正させていただきました。

まず、朝空さんのコメント。

 06.12.18『信濃毎日新聞』より(抜粋)

 改憲が視野に入り、日本の枠組みが大きく変ろうとする中で、個人はどう状況に向き合うことができるのか。作家の辺見庸さんが東京都内で「個体と状況について」と題して講演し、変化する時代の奥底に潜むものは何かを論じた。
 「病気に倒れ、明日へつながる今日とは違う、『永遠の今』を自覚するようになった。内心の声に耳を澄まし、結晶体のような真の言葉を紡ぎ出したい。だが現実には、例えば『美しい国』といった“にせ金”のような言葉がはびこっている」
 「自衛隊の海外派兵も、教育基本法も憲法も、少し前は考えられなかったことが平気で行われて行く。ダメージを被ったのは言葉であり、言葉と分かち難く結び付いている記憶だ。テレビや新聞言語にしてもそうで、内奥の力を失い単なる手段と化した、雑草のような、クソのような言葉がまん延するのに、恐怖と戦慄(せんりつ)を感じる」
 …
 そこで忘れられていったのは、何だったのか。…
 「大元帥閣下(昭和天皇)がかかわった戦争を、私達はもっと想起すべきではないか。一部の軍国主義者に責任を押しつけ、天皇を無罪放免して自らの責任を無化したのが、戦後の日本人だった。主体的責任をあいまいにし、戦後六十年の節目で戦後にグッドバイと言えてしまう感覚が、この国の言説の根っこにある」
 (ナチス親衛隊に所属していたギュンター・グラスがそれを告白し、『恥辱』と表現していたことに触れ)
 「戦争責任を恥辱とする発想を、この国は結局作り得なかった。恥辱は社会の奥底に埋め込まれ、人が日常のルーティン(決まりきった仕事)を生きるうち、言葉はにせ金のようになった」
 ならば、この状況を個人がどう乗り越えていけるのか。辺見さんは人が「単独者」であり続けることだと語る。
 「(それは)自分の言葉に身体をかけて責任を持つ者だ。にせ金の言葉と対極にある自分の言葉を、へどもどしながらでも話す存在。その人が放つ光は、かすかな微光のようなものかもしれないが、それが単独者の崇高さだ。私も固い結晶体のような本物の言葉を、残りの生で命の限り紡いでいきたい」

2006.12.21 08:23 (朝空さんのコメント)

続いては、朝空さんからの2件目のコメント。

戦時下、南京で医者をしていた故人の息子に、次の話を聞いたことがある。「小学生の時、揚子江の河岸に日本の兵隊が立っていて、川を覗かせなかった。あとでこっそり見たら人の骸骨がゴロゴロしていた。虐殺みたいのは、やっぱりあったんだろうねえ…」
 彼の生まれは1935年なので、南京虐殺のものではないと思われるが。

 どこの旧制中学にも職業学校にも、戦時下に勤労動員や、教師の肩たたきで予科練などに入った次男、三男らの手記があるはずだ。同窓会のガリ版などの形で。
 私の地方でも「動員先の木曽川に、強制労働の朝鮮人だか中国人だかの死体が浮いていた」「逃げた中国人捕虜の山狩りがあった」などの記述が、同窓会の回顧録などの中に多々ある。
 彼らは、敗戦間近の勤労動員先の反乱についても記している。こき使う工場長や配属将校を、「万歳、万歳」と言って胴上げしながら、雪穴に投げ落とすのだ。「万歳」の行為だから厳罰にはできない。だが進学のための内申点は下げられた。下げられれば旧制高への進学は、事実上断たれたという。
 別の中学だが、反乱を起こし退学になった生徒が、その後も執拗に付きまとう当局によって赤紙となり、激戦の死地へ送られたという話を聞いたことがある。どこへ送れば死ぬだろう位、軍人や役人にはよく知れたことだったはずだ。彼らは、思惑通り戦死したという。
 敗戦間近に生徒達が動員先で反乱したという話は、たいてい今もタブーだが、全国の多くの学校であったようだ。敗戦間もない頃も、予科練などから帰った生徒が「この野郎」と教師をつるし上げた話は、どこにもある話と思う。この種の話は表の校史には現れず、仲間内の座談や手記の中に散見される。
 当時の彼らの、数十人の同窓生の手記を端からあたったことがあるが、戦争を懐かしむ者は皆無だった。
 この種の本能的な反乱の情念が、1970年頃まで続く学生運動の下地になったことは確かだ。私の知る旧制中学・新生高校の初期の自治会は、彼らの流れを汲む者達で構成されていた。彼らが発行した「生徒手帳」の巻頭には、消されつつある教育基本法が記されている。

2006.12.21 09:51 (朝空さんのコメント)

次は、朝空さんのコメントを受けての非戦さんのコメント。

朝空さんの大変貴重なコメントをいつも読ませていただいています。今回の、信濃毎日新聞からの辺見さんの講演の記事の引用も、朝空さんが聞かれた戦争中の話も、大変重みのある重要なことが含まれるコメントで、じっくり読ませていただきました。戦争に反対したものはただではおかない、という権力側の卑怯なやり方はやっぱり本当でしたね。刑務所に入れる、拷問する、激戦地、最前線に送るなど、権力側の意のまま。これからの生徒手帳には、偽造の新教育基本法の文面が載るのでしょうか。

2006.12.21 10:11 (非戦さんのコメント)

続いては、「あんち・アンチエイジング・メロディ」の管理人・メロディさんのコメント。

私の父は、戦争で直接間接に妻とこどもを亡くしていますし、自分もシベリアに抑留されています。外地で暮らしていて、たまたま東京大空襲の直後に東京に戻り、焼け野原を見て敗戦を確信したと言っていました。戦争で犠牲になるのはいつも庶民です.安倍政権を支持する若者はそのことをどう思っているのかいつも疑問です。

2006.12.21 10:24 (メロディさんのコメント)

非戦さんのコメントをさらに受けて、朝空さんから3件目のコメントをいただいた。

 ありがとうございます。頼まれ仕事と勇み足で掘り起こした田舎の歴史については、場違いでない限り、記してみたいと思います。

 田舎の学校や団体の通史を、幕末・明治の頃から何度か掘り起こして、気づいたことがある。それは誇張ではない、あの「タリバン」なみの精神主義・国家主義教育が席巻した、日露戦争期の中学教育だ。
 私の知る、当時できた中学の校地は、神社と同じ配置だった。正面玄関からは真っ直ぐに、拝殿ならぬ講堂に。その最奥には、宝物殿ならぬ御神影奉安殿が設置された。それを背に校長が、「国家の中堅たれ」の修身科の洗脳教育を、毎回授業として垂れた。全校生徒が相手だったはずだ。他の教師達も出席し「拝聴」したという。
 それは1903年?1911年のことだ。その頃学んだ生徒達が、日中・太平洋戦争期には文字通り社会の「中堅」になった。1896年生まれの「秀才」岸信介も、この時代に中学生だったはずだ。
 当時の救いは、やはり生徒の反乱が起きていることだ。隠されていても、当時の文書や手記をあたれば、原因も含めておおよそ見当はつく。間違いないのは、この校長の精神主義のスパルタ教育だ。生徒達の授業放棄などによって、この校長は丁重にお引取り戴くことになった。教師達も内心彼(と当時の教育)を嫌悪してしていたのは、当時の書類の端々からうかがうことができる。
 二代目は、大正期そのもののリベラルな校長だった。そしてこの時期に学校は伸びた。例えば、その後全国一となるほどのあるスポーツの基礎を作ったのは、間違いなく彼だった。
 注意すべきは、明治から昭和への「戦前」も、軍国的精神主義一本やりではなかったことだ。そして大抵、生徒の主体性を知る校長・教師が力を振るえる時代に、学校も生徒も伸びている。
 だが同窓生らのほとんどは今も、そこまで仔細に見ようとせず、たいがいは「教育勅語」を軸とする戦前教育の善さと思い込んでいる。史実をもって突きつければ、その時は分かる。だが、そのことを伝えられるのはほんの一握りで、それもいっときに過ぎない。

2006.12.21 11:30 (朝空さんのコメント)

どさくさに紛れて、私自身もコメントしました。メロディさんのコメントに触発されたものです。

私の母は大阪大空襲の頃まだ5歳。大阪のど真ん中に住んでいましたが、疎開先の豊中から、自宅のある大阪中心部の夜空が赤く燃えているのを見た記憶があるそうです。
東京大空襲(昭和20年3月10日)や大阪大空襲(同3月13日)に遭った人たちは、負けいくさを実感したことでしょう。
私が子供の頃、「毎日小学生新聞」をとってもらってましたが、3月になるとよく東京や大阪の大空襲の記事が載っていました。昔は、新聞社も平和の尊さを子どもたちに教えようとしていたのです。今の御用新聞と化してしまった姿とは大違いでした。

2006.12.21 19:42 (kojitakenのコメント)

「とむ丸の夢」の管理人・とむ丸さんからは、「なおも続くコメント特集?中国における日本軍」にコメントをいただいた。

何度も記事にしていますが、私の父が入営した連隊は2.26事件に参加し、その後満州に送られ、チチハルに駐屯して、いわゆる「討伐」に明け暮れています。「討伐」という言葉が使われても、これは紛れもなく「侵略戦争」でした。父から直接当時の戦争の話しを聞くことは皆無でしたが。
当時2.26事件参加兵達は、「死ね! 死ね!」といわれて最前線をかけずり回らなければならなかったという証言はたくさんあります。当然明日をも知れぬ命ともなると部隊の空気はすさみ、いざこざも絶えなかったとか。そうしたところに、たった1人、新兵が配属され、それは大変な経験をしたようです。そんな兵隊達も、考えてみれば、二十歳そこそこの若者ばかりです。
「国を守る」とかいう言葉が、いかにも崇高そうな衣を着てしゃしゃり出てきてます。が、目を転じて生の人間の姿を間近に見ていけば、そんなイデオロギーなんて何の価値もないことが分かります。

2006.12.21 20:09 (とむ丸さんのコメント)

続いては、「いわいわブレーク」の管理人・建つ三介さんのコメント。

>ギュンター・グラスがそれを告白し、『恥辱』と表現

今晩は、皆さん。
「ブリキの太鼓」は凄く好きです。どっしり迫ってくるし、笑いもある。凄い作家は自己批判も徹底してますね。

>長崎元市長の本島等さんの「天皇発言」
で思い出しましたが、被曝者の声を集めたCDが
ネットで聴けるんですよ。
僕、相互リンクしました。そのサイトと。
皆さんも、やられたら。
まだ聴いてないんですけど・・。
大事な証言を世界に・次代に繋げる事の
一助にと思いまして・・。

>天皇を無罪放免して自らの責任を無化したのが、戦後の日本人だった。主体的責任をあいまいにし、戦後六十年の節目で戦後にグッドバイと言えてしまう感覚が、この国の言説の根っこにある

野田正彰さんらの『鼎談』↓も同じ問題意識で貫かれていましたね。
http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/archives/2698180.html
日本人は侵略したという意識どころか、『殺した』ことさえ『受け止める』心を持っていないので『ココロが壊れていない』=戦争心身症に陥っていない、と野田氏は驚かれたそうです。で、研究を始めた、と。

ではまた。

2006.12.21 23:34 (建つ三介さんのコメント)

各所ですぐれたコメントをされるヤマボウシさんからも、コメントをいただいた。

わたしが中学生だった頃、中年以上の教師の中には軍隊経験のある人がまだいくらかはいました。そのうちの1人、体育教師(指導助手?)は雨の日の授業時間などに軍隊時代の話をしてくれました。体育教師にしては腹が出過ぎで精悍さに欠けたので、軍隊では少尉だったと言われてもにわかには信じ難かったのですが、いたって気の好い人物でした。
 そんな彼が語った話で唯一記憶に残るのが、中国人を処刑する方法です。捕虜と言ったかスパイと言ったか思い出せませんが、とにかく「チャンコロ」をまず直径3メートルだったか5メートルだったかの地面を掘った大穴の縁にひざまずかせるのだそうです。次に、首を下にうつむかせ、そこへ軍刀を振り下ろす……というのを、体育教師は教壇傍にあった1メートルの物差しを手に取って上段から振り下ろしながら語ったのです。
 当時のわたしは未だ南京大虐殺も知らず、「そういうものか」という程度の受け止め方しかしていませんでした。しかし後から考えると、それほどの「大穴」を掘ったということは、処刑されたのは1人や2人ではなかったことが想像できます。また、物差しを振り下ろすという動作で甦る記憶は彼にとって決して不快ではなかったのではないか(不快ならやるはずがない)ということが考えられます。今更ながら慄然とする思いです。
 風の便りでは、この体育教師は定年前に破廉恥事件を起こして退職し、まもなく死亡したとのことですが、今では確かめるすべもありません。

2006.12.22 02:05 (ヤマボウシさんのコメント)

朝空さんから、4件目のコメントをいただいた。

 私の父親は確か1944年春に33歳で「応召」となり、当時の北支(華北)に行った。その頃は内地勤務が一番よかったようで、北支はそれに次ぐ位のところだったはずだ。「死んで来い」は大抵南方(太平洋の島々や当時のビルマなど)だったろう。
 父から聞かされたのは、八路軍(中国共産党軍)との戦闘の様子だ。「我々の機関銃は重くておんぼろで、すぐ故障した。八路軍のは『チェッコ』と呼ばれるやつで、『タン、タン、タン』と軽い音を立てて、いつも突然撃ってきた」
 捕虜の扱いについては、次の話を聞いたことがある。
「捕虜の首を刀ではねるのは、新兵の役目だった。中々うまく斬れなくてなあ。ある時下手な斬り方をした奴は、返り血で顔が真っ赤になった」
 ジュネーブ条約もクソも無かったのだろう。
 私「父ちゃんはどうだった?」
 父「わしはもう歳だったから…」
 やらされない訳はないなと、その時は感じた。
 八路軍の捕虜の扱いについては、次のように言っていた。
「彼らは日本兵を捕虜にしても、また放してよこすのだ。そういうとこは寛大だったなあ。『戦陣訓』知ってたからかどうか、分からんが…」

2006.12.22 13:04 (朝空さんのコメント)

建つ三介さんからも2件目のコメントをいただいた。

今晩は。皆様。
>八路軍の捕虜の扱いについて・・「彼らは日本兵を捕虜にしても、・・寛大だったなあ

かなり前でうろ覚えですが、スメドレー「偉大な道」を読みました。朱・毛の軍隊を描いたルポを。
やはり規律は厳格に守られていたのですね。

90年代までは戦争体験者の方が多く残られていたので、「嘘」が制限されていたような気がしますが。でも、多くの証言が多くの若者に伝えられないまま、時だけ過ぎて、しかもバブル後のデフレの波が、苛立つ心ばかりを増幅させて、「神の国」発言まで出る始末。

あ、そうそう、小熊さんの分厚い本の書評をタマタマ見つけましたので、紹介させてくださいね。吉川勇一さんという方のHPからです。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/DokushoFun-Oguma-MinshutoAikoku.htm

「愛国」という言葉一つとっても意味が色々に使われているようで、頭がパンク気味です。この本ちょっと高くて買えませんが、読んでみたい気はします。

ではでは。

2006.12.22 22:29 (建つ三介さんのコメント)

最後に、以前の記事「天皇家と戦争と安倍晋三と」にいただいていながら、これまで取り上げずにきてしまってずっと気になっていた、「晴天とら日和」の管理人・とらちゃんのコメントをこれを機に取り上げて、今回のコメント特集の締めくくりとしたい。

こんばんわ!
2?3日前からパソコンの調子が悪くって1度で3回も送ってしまってるようです。すみませんが2回分削除お願いします。
すみませんでした。

父が遺した戦争のハナシは、終戦記念日に私のブログに書きました。
そりゃぁ?悲惨極まりないものであったと思う。戦友達が発した今際の際の言葉は、○○バンザイでもなく、○○で会おうでもなく、
「お母ちゃんに、」「お母ちゃんに遺言」と戦死したみなさんが、そう言ったそうです。
瀕死の重症を負った戦友を背負っていて。
「おい○○←父の名前、俺もう駄目だ。お母ちゃんに遺言」と言ってこと切れたという。
お酒を飲んでは戦友を偲んで泣いておりました。
父の口癖
母親の愛情に勝るものなし!
戦後のワシの人生はオマケや!
でした。
私に、
戦争は二度とするな!と言っておりました。
大空襲の時のハナシもおジイさん・おバァさんから聞いています。
勿論、そのハナシだけが総てではありません。
戦争になったら何でもアリです。
だから、戦争反対です。

長くなりました。ごめんなさい!
では、また、・・・・・

2006.12.05 17:39 (とらちゃんのコメント)

多くのコメントをお寄せいただき、皆さまどうもありがとうございました。
今後も、コメントを適宜記事の本文に取り上げていきたいと思いますので、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。
2006.12.23 09:07 | コメント特集 | トラックバック(-) | コメント(3) | このエントリーを含むはてなブックマーク
今年8月6日、9日、15日と、広島・長崎の「原爆記念日」と「終戦記念日」の「きっこの日記」は、戦争特集だった。

8月6日の日記で、俳人・松尾あつゆきの連作俳句に肺腑(はいふ)を抉られ、8月9日の日記「カナダde日本語」の記事が紹介されてわがことのように喜んだことも忘れられないが、8月15日の日記は読者からのメール特集で、これもとても印象深いものだった。

1日あたりのアクセス数が「きっこの日記」の100分の1程度しかない弊ブログを「きっこの日記」と比較するのはおこがましい話だが、先日、長崎元市長の本島等さんの「天皇発言」を取り上げて以来、弊ブログにも、主に読者の方の親御様やお祖父様、お祖母様の世代の方から聞いた、戦争に関するコメントをいただくようになった。

このところ、何度もコメント特集を組んでいるが、紹介したいコメントはまだまだたくさんある。

12月19日の記事「なおも続くコメント特集?中国における日本軍」には、さらに奈央さんからのコメントの追加と、新たに眠り猫さんからコメントをいただいたので、記事を増補・改訂した。あとからいただいたコメントは、なかなか読者の目に届きにくいので、下記のリンク先を示す。是非ご参照いただきたいと思う。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-204.html
(上記をクリックすると、『なおも続くコメント特集?中国における日本軍』に飛びます)

それにしても思うのだが、ブログの特質はやはり「フロー」であって、読者からのアクセスはその日公開された新しい記事に集中し、古い記事のコメントツリーが活発になることがあって、それはそれで楽しいものだが、戦争に関するコメント記事のような貴重な記録はストックしておいて、独立したウェブページを設定するなど、参照しやすくする工夫をしたいものだと考えている。

よく、「南京大虐殺は幻だ」「三光作戦は中国のでっち上げだ」という批判が、右側から聞かれる。確かに、南京虐殺の犠牲者は30万人もいなかっただろう。しかし、残虐行為は確かに行われていた。仮に犠牲者が数千人、数百人であろうが、虐殺は虐殺なのだ。
また、「三光作戦」というのは、確かに中国側が日本軍の行為を批判して名づけたものだが、だからといって日本軍が何もしなかったわけではない。

読者の方々からいただくコメントは、これら、われわれの主張の傍証にもなるものだ。「戦争反対の小さな声」を集積して、安倍晋三の戦争推進政策に反対し続けていきたいと思う。


#本記事のタイトルは、眠り猫さんのブログ「平和のために小さな声を集めよう」のもじりです。眠り猫さん、どうもありがとうございます。


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『だっくくろっくではありません。kojitakenです。』で紹介した、『御用学者にだまされないために』のコメントツリーは、まだまだ続いている。

議論は、私などの参加の余地のない高いレベルに達しており、議論の当事者でもある建つ三介さんのブログ「いわいわブレーク」のエントリ『論争!「諭吉&丸山」と現代!』に、『御用学者にだまされないために』のすべてのコメントが、ブログ本文に掲載されている。引き続いての議論は「いわいわブレーク」で行いたい、とのことで、私もそれに異存はないが、その後なんと、私のブログの方に、以前にもお世話になったことのあるsonicさんからコメントをいただいた。

以下にsonicさんのコメントを紹介する。

福沢諭吉の「学問ノススメ」の巻頭言「天は人の上に人をつくらず、人の下に人を作らずと言へり」についてですが、東北史学の諸氏から、この台詞を福沢に伝えた秋田男爵家が安倍貞任の子孫であり、福沢の巻頭言は秋田家の伝承にある貞任の台詞「人の上に人を作るも、人の下に人をつくるも、これ人なり」を不確実に伝えたものだろうと指摘されています。(ただし、秋田男爵家が貞任の末裔だと言うのは意識の系譜であり、事実そうであるかどうかの証拠はありません。)
学問のススメの巻頭言ですが、福沢はこの言葉の本来の意味を考察しないまま、実学を重視する自身の立場を正当化するのに利用してしまったのだろうと思われます。
このことは、我が国における「実学の浅はかさ」をよく象徴していると私には思えます。
実学であること、役にたつものであることは、実はそれが真の知識ではないかもしれないことでもあります。有用さで学問を判断するのではなく、「有用さ」そのものを批判してこそ学問です。ところが実学は実学であるが故にそれを初めから放棄しています。
「有用さ」の判定はまさに権力に他なりません。有用さと言う観念自体がその時々の権威と権力を志向しているのです。
ですから、実学の雄たる慶応大学が御用学者を輩出しがちなのは少しも不思議なことではありません。要するに「慶応は建学に遡って、その程度のところなのだ」と言うことです。
ただ、慶応大学にも高く評価できるところがあります。慶応大学は、大学入試で蝦夷史を積極的にとりあげ、受験生に対して日本観・日本人観の脱構築を迫っていることがしばしばあるのです。
学長の鳥居氏が歴史や文化についてはクルクルパーも同然であることを考えれば、慶応にも気骨の学者は大勢いるのだと言ってよいと思います。
(sonicさんのコメント)

なんと、安倍貞任(あべのさだとう)にまでご登場願うことになってしまった。

安倍晋三の父、晋太郎が、安倍貞任の弟、宗任(むねとう)の末裔だと言っていたことについて、「AERA」(2006年3月20日号)に吉田司氏が記事を書かれている。当ブログのエントリ『安倍のもう一人の祖父は「平和主義者」だった』で、吉田さんの記事を紹介したところ、sonicさんから、故安倍晋太郎氏と安倍一族及び奥州とのかかわりについての、とても印象的なコメントをいただいたので、sonicさんのコメントを中心に据えた『安倍晋三は「安倍家の面汚し」』という記事を書いたことがある。

そのsonicさんから再びコメントをいただき、御用学者論に端を発した福沢諭吉論までもが安倍一族につながり、かつて当ブログの「売り」の一つだった安倍晋三の血脈に関する記事とも接点を持つことになろうとは想像しなかった。

こういうコメントをいただいた時が、ブログをやっていてもっともうれしい瞬間だ。

sonicさんには厚く御礼を申し上げたい。


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今日はブログの更新をお休みしようと思っていたのだが、「御用学者にだまされるな」のコメント特集として企画した「御用学者にだまされないために」のコメント欄が、さらに面白いコメントツリーになっているのに今頃気づいて驚いたので、急遽記事を書くことにした。

その前に、このコメント欄で、ブログ「billabong」の管理人・あずーるさんに私が「だっくくろっくさん」と呼ばれているのにビックリしたことをお伝えしたい。
「だっくくろっく」というのは、ブログの右上にある時計の愛称であって、私のHNは「kojitaken」である。時計の名前をHNと間違われるとはと、自分のことながら笑ってしまった。
ブログのデザインで、「AbEnd」その他のバナーや、「安倍晋三リンクリスト」を目立たせるために、プロフィール欄を下の方に置いた私が悪いのだが、「だっくくろっくさん」には、当ブログだけではなく、「カナダde日本語」のコメント欄でも、同ブログ管理人の美爾依さんにウケていたようだ。思わず「だっくくろっく」に改名しようかとも思ったが、著作権侵害のおそれがあるから、やめておくことにする(笑)。

ところで、そのコメント欄で展開されているのは、「慶応大学に御用学者が多い」という話から派生した福沢諭吉丸山真男に関する議論で、論争になりかかっているが、私にはこの件に関する知識が不足しているので、ただ興味深くコメントの記事を読むばかりだ。

とりあえず、とむ丸さん、朝空さん、建つ三介さんをはじめ、コメントを寄せていただいた方々にはお礼を申し上げたい。

さて、コメントの議論とは直接関係ないのだが、もともと私が最初の記事で取り上げた辺見庸さんについて少し述べたい。

辺見庸は、みんなが声をあげるのに唱和することを潔しとしない人だ。一人で考え、一人で行動する。それが辺見庸だ。
教育基本法の「改正」が成立した12月15日の今になって、従来風見鶏的態度をとってきた古舘伊知郎までもが、安倍政権が強行した教育基本法「改正」案の成立を批判するようになって初めて、毒々しい表現で「改正」を推進した議員たちをなじるようになったブログを一部に見かけるが、こういう付和雷同的な態度は、およそ辺見庸の態度とはかけ離れたものだろう。

私は、辺見さんの著書「自分自身への審問」を通して読み、辺見さんが内面から突き動かされる衝動によって行動し、発言していることを痛感した。こと教育基本法の問題に関しては、付和雷同的なブログには私は全く共感しない。安倍政権の人気は低下しており、今だったら誰でも安倍を批判できるからだ。

真に自分の力でものを考えたり行動したりするのは難しいものだ。辺見さんは、自著にサインする時、よく「独考独航」と書かれるそうだ。人間にとって一番大事なのは、自由なものの考え方を身につけることだ。大学というのは、本来そういう場であるべきだと私は思っている。

「独考独航」なんて簡単にできるものではないが、少なくともそれを目指す者が増えた時、「安倍晋三的なるもの」を克服することができるのではないだろうか。周りを見渡して、みんなが安倍を批判しているから私も批判しよう、というような態度では、「安倍晋三的なるもの」を真に克服することなどできないと思う。


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