きまぐれな日々

旧日本軍による性暴力をめぐるNHKの番組が放送直前に改変されたとして、取材を受けた市民団体がNHKなどに損害賠償を求めた訴訟で、最高裁は12日、200万円の支払いをNHK側に命じた二審・東京高裁判決を破棄、市民団体の請求をすべて退ける判決を言い渡し、市民団体側の逆転敗訴が確定した。
http://www.asahi.com/national/update/0612/TKY200806120208.html

やはり最高裁、予想通りやってくれたなという感想だ。番組を改変する圧力をかけたとされる安倍晋三と中川昭一、それにNHK上層部は、この判決に大いに満足しているだろう。

最高裁判決の2日前、「放送と人権等権利に関する委員会」が二審の判決についてのNHKニュースについて、「公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」との見解を発表したばかりだった。
http://www.asahi.com/national/update/0610/TKY200806100169.html

BRCは、高裁判決についてNHKが自分たちの解釈だけを伝え、「(番組編集への)介入が疑われた2人の政治家のコメントだけを放送した」点を、放送倫理違反と認定した。

上記朝日新聞の記事は、なぜか政治家の実名を出していないが、前述のようにもちろん安倍晋三と中川昭一である。この2人による番組改変の圧力があったことを最初に報じたのは朝日新聞であり、魚住昭が月刊「現代」でこの報道に間違いがなかったことを検証した。それにもかかわらずマスコミは、当事者の朝日新聞社を含めてこの2人を不問に付し、朝日は安倍と中川(昭)に屈服してしまった。以後、朝日の報道はすっかり腰が引けてしまい、この記事でも安倍と中川の実名さえ出せないていたらくだ。

最高裁判決について論じた13日付の朝日新聞社説も、目を覆いたくなるものだった。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080613.html#Edit1

この点(注:安倍晋三の発言を受けてNHKが番組を改変した件)について最高裁判決は具体的に触れていない。期待権を認めないという結論を出した以上、改変理由を判断する必要はないということだろう。

(朝日新聞 2008年6月13日付社説より)


こんな他人事みたいな書き方をして、悔しくないのか、いや恥ずかしくないのか。かろうじて安倍晋三の名前を社説に明記したくらいで意地を見せたつもりでいるのか。

朝日に限らず、主要紙の社説は、編集の自由が認められた意義ばかり強調して、安倍晋三や中川昭一の発言を受けてNHKが番組を改変したことをことさらに軽視している。読売・日経・産経の保守系3紙は言うに及ばず(この3紙は安倍の名前さえ出していない)、毎日新聞社説も朝日の社説と五十歩百歩だ。朝日同様、安倍の名前は出しているが、

NHKが政治家の意向をそんたくして番組内容を変えることもあるのではないかと疑われてもやむを得ない。

などと、いかにも腰の引けた表現だ。

今回も、いちばんまともだったのは東京新聞(中日新聞)の社説だ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008061302000113.html

 さらに重大なのはNHK幹部の政治との関係である。完成していた番組の内容を現場の抵抗を押し切って強引に変えたのは、安倍晋三内閣官房副長官(当時)など政治家の発言に配慮したからであると高裁判決が認定し、最高裁も覆してはいない。

 番組改変問題の本質はここだ。市民団体に対し訴訟で強く主張した「編集の自由」を、政治家の前では主張しなかったのである。

 最高裁も編集権の重要性を言いながら、高裁判決が「編集権の乱用または逸脱」と戒めた政治家への弱腰には触れていない。「NHK同様、政治家に遠慮した」と勘ぐられてもしかたあるまい。

 NHKは、予算案承認の権限を握る国会議員、特に与党議員に毅然(きぜん)たる姿勢をとってこなかった。加えて、古森重隆経営委員長は特定政治家のパーティーで挨拶(あいさつ)するなど、政治との間に緊張感を維持すべき報道機関の責任者としての自覚がまったくない。

 「報道の自由」の裏表使い分けをやめなければNHKに対する国民の信頼は回復しないだろう。

(東京新聞 2008年6月13日付社説より)


このくらいは書いてもらわなければ、ジャーナリズムの名が泣く。朝日や毎日の論説の劣化ぶりを見ていると、今後右翼政治家がますます増長して、「報道の自由」の名のもとにマスメディアをプロパガンダに悪用するようになるのではないかと恐れる。

ところで、NHKに番組改変の圧力をかけた安倍と中川(昭)は、このところ当ブログが標的にしている平沼赳夫と親しい政治家だ。その平沼が結成を考えている新党に、いの一番に参加すると予想されているのが城内実である。城内については、その歴史認識を指摘した下記のようなブログ記事もある。
http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20071202/p1

おそらく城内も、今回の最高裁判決に、安倍晋三や中川昭一同様、高笑いしていることだろう。そもそも城内はもと安倍晋三の腹心といわれた政治家だ。

城内を支持しているブロガーらは、今回の最高裁判決はスルーするのか? かつて、「木村剛さんも共謀罪反対」などと、言論の自由のためなら新自由主義者も容認する記事を書いた人間が、同様にクリティカルな性格を持つ今回の最高裁判決に沈黙するのは、ダブルスタンダードではないのか? そういうのを「知的不誠実」というのではないのか?

いわゆる「リベ平」ブログは、どこまで覚悟を持って記事を書いているのか、はなはだ疑問に感じる今日この頃である。


[参考記事]

「きまぐれな日々」より
「安倍晋三らの圧力によるNHK番組改変問題関連資料」
(2007年2月3日、東京高裁の二審判決直後の記事)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-244.html


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大地実さんから、表記集会の参加呼びかけがあったので紹介します。
趣旨に賛同します。私自身は参加できないと思いますが、できるだけ多くの方の参加をお願いします。

以下、大地実さんのメッセージの転記です。

     *   *   *

 首題の件の集会4月27日に開催する事になりました。

 ぜひ、ブロガーのみなさんにも同集会への参加を呼びかけていただけましたら、幸いです。

 極悪犯罪を防止するために、恥知らずで悪逆非道なる右翼のテロ事件の背後関係の徹底的な追求を強く要求しよう!!!


「民主主義を封殺するあらゆる暴力を許すな!
  長崎市長銃殺事件抗議 4・27集会」

日時:4月27日(金)午後6時30分開会(6時開場)
会場:総評会館2階203会議室
   (東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅、B3出口すぐ
    丸の内線淡路町駅、都営地下鉄新宿線小川町駅から3〜5分)
発言:呼びかけ人からの発言
参加費:500円
主催: 集会実行委員会

呼びかけ人:石坂啓(漫画家)、上原公子(国立市長)、内田雅敏(弁護士)、小倉利丸(ピープルズプラン研究所共同代表)、鎌田慧(ルポライター)、きくちゆみ(グローバルピースキャンペーン発起人)、斎藤貴男(ジャーナリスト)、佐高信(評論家)、高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)、富山洋子(日本消費者連盟代表)、西川重則(平和遺族会全国連絡会代表)、福山真劫(平和フォーラム事務局長)、森田ユリ(エンパワメント・センター)

 ※呼びかけ人は、とりあえず連絡がとれた方々です。基本的には、昨年の加藤代議士実家放火事件に関する共同アピールの運動を継承しています。

連絡先
03−5289−8222(平和フォーラム)
03−3221−4668(許すな!憲法改悪市民連絡会)
090−2302−4908(白石)
FAX:03−5289−8223


共同アピール 伊藤一長長崎市長銃殺事件

民主主義を銃撃するあらゆるテロを許すな!

 長崎市長が撃たれた。
 17日午後7時50分ごろ、伊藤一長長崎市長は選挙遊説からの帰り、選挙カーを降り事務所に向かう途中だった。市長は背後から暴漢に2発の銃弾を受け病院に搬送された。医師たちの懸命の治療も虚しく翌18日未明、核廃絶をたたかい続けた伊藤市長は帰らぬ人となった。
 私たちは核廃絶と平和運動の道半ばにして斃れた氏の無念を思う。心痛の極みにあるご家族には、おかけする言葉すらも今はない。氏のご冥福を心からお祈りする。
 その場で逮捕された実行犯、城尾哲弥の凶行の動機は私怨とも報道されている。しかし市政にたいする不満であることにはまちがいはない。政治家が政治活動のさ中に、衆人環視の路上で命を奪われたのだ。民主主義の最大の行為である選挙を銃撃したこの蛮行に私たちは満腔の怒りをもって断言する。
 民主主義を殺すな。
 長崎市で市長が撃たれたのは、これで二度目となった。昨年は加藤紘一元自民党幹事長宅が右翼によって放火された。その前には朝日新聞の阪神支局が銃撃され記者が殺された。この国に民主主義を脅かすテロが横行している。これを憂慮しつつ座視してはならない。それは、民主主義を踏みにじろうとする者たちに手を貸す結果にしかならないからだ。
 いまこそ精一杯の声をあげよう。
 みなが一人ひとり勇気をもって声をあげ、抗議の嵐を巻き起こそう。
  民主主義を封殺するあらゆるテロを許すな!


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17日に起きた暴力団員による伊藤一長(いとう・いっちょう)長崎市長射殺事件の謎は、深まる一方だ。

当初からずっと、マスコミは「犯人(山口組系水心会会長代行・城尾哲弥)の個人的恨みによる犯行」だとしている。
たとえば、下記朝日新聞の記事がその例だ。
http://www.asahi.com/special/070417a/SEB200704180035.html
(リンクが切れている場合は、下記まで)

この記事には、『県警は、動機に暴力団の組織的な背景はなく、同容疑者が市の対応に個人的な恨みを募らせて市長を狙ったとの見方を強めている。』 と書かれている。

しかし、上記朝日の記事より新しい、4月20日付の四国新聞によると、『城尾容疑者と市のトラブルは市長に報告させておらず、市幹部や市長の親族らは「(市長は容疑者と)面識はなく、個人的な恨みを持たれるはずはない」と証言している。』とのことだ。報道初期の段階で、マスコミがミスリードしたのではないかと、私は疑っている。

時事通信は、城尾容疑者と30年来のつき合いという松尾千秋弁護士の談話を報じている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070418-00000079-jij-soci
(リンクが切れている場合は下記まで)

ところが、この松尾という弁護士は、「日本会議」の長崎副会長で、「新しい歴史教科書をつくる会」の長崎県支部長なのだ。「日本会議」とは、加藤紘一代議士(自民党)の定義によれば、「日本最大規模の保守主義・民族主義系の政治・言論団体」(『テロルの真犯人』 169頁)とのことで、ひらたくいえば日本最大の右翼言論団体である。
下記URLのリンク先を見ていただければわかるが、石原慎太郎は日本会議の中央役員に名を連ねているし、安倍晋三は「日本会議国会議員懇談会」の副会長を務めている。安倍内閣は、「日本会議内閣」といえるとよく指摘される。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%FC%CB%DC%B2%F1%B5%C4

こう見てくると、最初に引用した朝日新聞が書いた「組織的背景はなく」というのが信じられなくなってくる。二番目に引用した四国新聞の記事の見出しは、「市長射殺に共犯者か」となっており、日本会議の関与はともかくとしても、かなりの程度、暴力団が組織的にかかわった犯行だったのではないかという疑いが濃厚だ。

ところで、『カナダde日本語』 経由で知ったのだが、犯人が所属していた暴力団・山口組系水心会は、ナント安倍晋三の非公式後援会として一部では有名な 「安晋会」 と関係があるのではないかとのことだ。これは、山岡俊介氏の「アクセス・ジャーナル」(4月19日)発の情報とのことで、山岡氏は、「週刊ポスト」 4月13日号の記事 『安倍首相秘書を襲った「右翼糾弾」に「複雑骨折」の暗部』 を元に取材し、「水心会」の名を記事中で挙げているのだそうだが、このサイトは有料であり、私は登録していないのでそれ以上の情報はわからない。「週刊ポスト」の現物は持っているが、同誌の記事中には「水心会」の名前は出てこない。

いくらなんでも、安倍晋三自身が長崎市長射殺事件に絡んでいたとまでは私も思わないが、伊藤市長を死に至らしめたものは何かということに関して、編集者・原田奈翁雄(はらだ・なおお)さんの評論文が 「四国新聞」(4月20日付) に掲載されているので、抜粋して紹介する。原田さんは1927年生まれ、筑摩書房で「展望」の編集長を務め、1980年には径書房を創業、95年に退職した。1989年には、「長崎市長への7300通の手紙」 を出版した。


長崎市長射殺事件の意味 憲法破り続けた結果 言論死守へ不断の対決を (編集者 原田奈翁雄)

(前略) 90年1月、本島市長は右翼の銃撃を受けて重傷を負った。
 事件は大きな衝撃だった。なんとか一命を、と祈った。だが、言論の自由とテロはせめぎ合いである。言論を守るためには、暴力と不断の対決を続けていくしかない。
 それから17年、いくつものテロが重なり、事態はさらに悪化しているといえる。それは、この間、日本国憲法第九条を立法、行政、司法が破り続けてきた事実と並行している。
 被爆の町の首長に対する度重なるテロ。私たちはどこかでいまだに暴力の効用を信じ、認めているのではないだろうか。米国は9・11テロに対して最大の暴力である戦争をもって応え、当時の日本の小泉首相は進んでそれを支持、自衛隊の派遣にまで至ったのである。
 戦争を容認する社会は暴力を容認している。そして、戦争を発動し得る者は政治権力以外には決してない。世界中の政府が交戦権を持つ限り、この地上からテロリズムを絶つことはできない。憲法九条だけが軍備の保有、政府の交戦権を認めず、戦争根絶の具体的な道を明確に示している。
(中略)
 核廃絶を強く求め続けた伊藤一長市長の良識と勇気に深い敬意と共感を抱いてきた私たちは、その死を心から悼みつつ、彼の、そして長崎、広島をはじめ、すべての戦争犠牲者たちの遺志を何としてでも実現する道を一歩一歩、歩もうとしているのである。あなたにも、ぜひともに歩んでいただきたい、と切望する。

(2007年4月20日付「四国新聞」より)

加藤紘一は、テロルの真犯人は「根無し草的に漂う現代人の心の隙間にこそ潜んでいる」と書いたが(『テロルの真犯人』 238頁)、そこまでしか書けないあたりが、自民党の政治家である加藤の限界だろう。

私ならこう書く。テロルの真犯人は、安倍晋三であり、小泉純一郎であり、石原慎太郎である。そして、彼らを支持する国民は、テロを支援しているも同然だ。むろん、彼らを打倒することのできない反対勢力(私も含む)にも重大な責任があると思う。


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これは、断じて私怨による犯行などではない。

今回の伊藤一長(いとう・いっちょう)長崎市長へのテロのニュースに接した時、30歳前後以上の人であれば誰しも、1990年1月に起きた本島等長崎市長(当時)に対する銃撃事件を想起したはずだ。

その本島さんは、もともとは自民党の県連幹部も務めた保守政治家であり、昭和天皇の戦争責任に言及する以前には、他の多くの政治家たちと同様、右翼や暴力団とのつき合いもあったとされている。しかし、長崎市長という立場や、クリスチャンとしての自らの信念が、あの13文字、「天皇に戦争責任はあると思う」を言わせたのだと思う。この一言が、当時60代後半の本島さんの人生を変えた。本島さんは、連日の右翼の街宣による激しい攻撃を受けても、自らの言葉を撤回することはなかった。そして、右翼の攻勢が弱まったかに見えた頃、凶弾を受けたのだ。

伊藤一長さんもまた元はといえば、「敵」の立場に回ってしまった本島さんを倒すために、自民党が擁立した政治家だった。しかし、長崎市長の職責は、そんな保守政治家にも「非核」や「平和」を訴えさせるようなものなのだろうと思う。
5年前に「戦術核の保有」はおろか「使用」まで憲法上問題ないとほざいた現首相・安倍晋三と伊藤さんでは、そのスタンスはかけ離れているどころか、真っ向から対立していると言っても過言ではあるまい。

既に多くの方が指摘されているように、犯人が犯行の動機を私怨によるものということを示そうとするかのような文書をテレビ朝日に送りつけたりしているのは、いかにもわざとらしい。今回の事件は、5年前にやはりテロに倒れた石井紘基さん(民主党代議士)のケースも連想させる。多くの方と同様、私も「私怨による犯行」というのは偽装だと直感した。犯人自身に私怨があったにしても、背後で犯人を操った者たちがいる。証拠を示すことなどもちろんできないが、この直感に間違いはない、そう書けと私の内心が命じているので、そのままここにそう書き記す。

これは、言論の自由に対する重大な挑戦なのだ。

安倍晋三は、予想通り事件の翌日、伊藤さんが死亡したあとになってようやく、「選挙期間中の凶行は民主主義への挑戦で断じて許すわけにはいかない」とコメントした。しかし、今回は新聞報道でも事故当日の安倍発言が批判されている。たとえば、共同通信の配信と思われる「四国新聞」の記事は、
『首相は日ごろ、口ぐせのように「自由、民主主義、基本的人権」 「日本人の生命と財産を守る」 と語っているが、重大事件を前にして、的確なタイミングでメッセージを発することはできなかった』 と指摘している。

記事はさらに以下のように続く。

 批判に対して首相は同日(18日)夜、記者団に 「まずは真相を究明することが私は正しいと思う」 と不快感を示し、「こういうことでお互い非難するのはやめた方がいい」 と強調した。
 首相は事件発生から約1時間後の17日午後8時50分ごろ内閣記者の要請を受けてコメントを発表。その後、事件の詳しい状況や市長が重篤であることなどが判明したのを受け、記者会側はさらに追加コメントを求めたが、首相側は対応しなかった。

(四国新聞 2007年4月19日付紙面より)

ナント、重大事件に対する「権力の頂点にいる者」のコメントとしてはあまりにお寒い内容に不満を感じた記者団が、わざわざ安倍に追加コメントを求めた、つまり挽回のチャンスを与えてやったのに、安倍はみすみすその機を逃した上、翌日になって逆切れしたのである。

安倍の頭が悪いことは重々承知のつもりだったが、ここまでひどいとは、開いた口がふさがらない。

四国新聞には、作家の保阪正康氏へのインタビューも出ている。かなり長いその記事の末尾の部分を引用して、今日の記事の結びとしたい。


 今後、憲法や防衛問題など、国論を二分するような政治課題が出てくることが予想される。その際に、テロ行為が国論の動向に影響を与えることも考えられる。
 安倍晋三首相はよく、「戦後レジーム」を口にするが、それは本来は、戦前のファシズムの負の遺産を清算し、それを教訓にして過去を克服するものでなくてはならないはずだ。
 しかし、首相が主張しているのは 「戦前レジーム」 への回帰のように聞こえる。それでは、戦前の暴力を総括し、乗り越えることはできないのではないか。
 事件の背景には、テロを許す時代の風潮が少しずつ広がっている気がしてならない。昭和前期という時代は、テロと戦争がない時はないというプロセスだった。そして、それは、ある日突然そうなったわけではない。暴力が積み重ねられ、言論が封殺された。テロなどの一つ一つの渦がそのうちに一つの大きな歴史の流れをつくっていった。
 いま、私たちに必要なのは、一つ一つの渦をよく注意して観察することだと思う。

(四国新聞 2007年4月19日付掲載の「保阪正康氏インタビュー」より)


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17年前の悪夢を思い出した人も多いだろう。

昭和天皇が死の床にあった1988年(昭和63年)12月7日、「天皇に戦争責任はあると思う」と発言した本島等長崎市長(当時)は、それから1年あまり経った1990年(平成2年)1月、右翼の凶弾を浴びた。

当ブログでは、昨年11月25日の記事 『「言論の自由」その1〜本島等さんの勇気』 を皮切りに、何度も本島さんのことをとりあげ、それをきっかけに「言論の自由」シリーズの記事を連載したこともある。

17年前の本島さんは一命を取りとめたが、昨日(4月17日)、長崎市内で山口組系暴力団員に銃撃された伊藤一長(いとう・いっちょう)市長(61)は、18日午前2時28分死去した。4選を目指す選挙期間中に起きた異常な事件だ。少なくとも私は前例を知らないし、社民党の福島瑞穂党首も「前代未聞だ」と言っている。

政治家へのテロというと、2002年には民主党の石井紘基議員がやはり暴力団員に刺殺された事件や、最近では加藤紘一議員の実家が放火され全焼した事件があった。

その加藤代議士は、さっそくこの件についてホームページでメッセージを発表している。
http://www.katokoichi.org/

以下引用する。


長崎市長銃撃について 平成19年4月17日

今日(平成19年4月17日)、午後8時前、長崎市長の伊藤一長さんが、背後から拳銃で撃たれました。
深刻な話です。どういう経緯かはまだわかりませんが、政治家が政治活動中(選挙活動)に後ろから問答無用で撃たれるということは、絶対にあってはならない許されないことです。
暗い事件です。
長崎市長が撃たれたと聞くと、平成2年に当事の本島等市長が銃撃されたことを想起し、政治テロとの思いがよぎりますが、そうかもしれないし、別の要因かもしれません。
そこは、冷静に見ないといけないと思います。
ただ、考え方の違う者に対しすぐ暴力を振るうことに対する怒りを、社会全体で共有しなければなりません。そうでないと、こういう事件が続発するでしょう。政治家や言論人が、言論活動を控えるようになってはなりません。しっかり発言できる社会を取り戻さなければならないのです。
この事件をどう捉えるか、国民が、メディアが、政治家が問われているのだと思います。
伊藤市長の一時も早い回復を、心からお祈りしております。

衆議院議員 加藤 紘一


日付や文章末尾の記述からわかるように、伊藤市長が銃撃を受けて間もない時間に発表されたメッセージだ。

一方、安倍晋三首相のこの事件を受けての最初の感想は、「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」というものだったそうだ。伊藤市長が亡くなった今日となっては、いくら安倍でももっとまともなコメントを発するものと思うが、普通ならまず口をついて出るはずの「法治国家ではあってはならないこと」 「言論の自由への挑戦で、断じて許されないこと」 などの言葉が自然に出てこないあたりが、いかにも安倍らしい。

安倍は、加藤紘一氏の実家が放火された時は、小泉純一郎内閣の官房長官だったが、コイズミともどもなかなかメッセージを出さなかった。
このことについては、昨年12月3日の当ブログの記事 『小泉純一郎と安倍晋三が発した言論の自由への「負のメッセージ」』でも取り上げたことがある。この記事に掲載した加藤紘一氏のメッセージを以下に再掲する。


放火事件当時の小泉首相、安倍官房長官のテロ行為に対する反応が遅かったのではないかとよく問われることがあります。実際、私にもなぜだったのかはわからない。けれどテロに対して、政府が一定の「沈黙」を置いたことである種の負のメッセージが広がったようにも思います。
 あの事件以降、テレビや新聞などの言論の場で積極的な発言をする人が少なくなったような気がします。実は、いま政治家だけではなく、評論家やジャーナリストのもとに脅迫の手紙が届くようになっているそうです。

(月刊「現代」 2007年1月号掲載 加藤紘一「反言論テロのシンボルとしての覚悟」より)


どんなに控えめな言い方をしたって、安倍晋三は「テロに鈍感な政治家」だと言わざるを得ないだろう。

繰り返し指摘されているように、安倍晋三は、暴力団との黒いつながりの噂が絶えない男だ。黒い人脈も祖父(岸信介)や父(安倍晋太郎)から「世襲」したのかもしれない。安倍の非公式後援会「安晋会」の理事だったエイチ・エス証券の野口英昭副社長が、ライブドア事件に絡んで沖縄で謎の死を遂げ、それが「自殺」として片づけられてしまったことは記憶に新しい。

東京都知事選で三選された石原慎太郎も、「テロに鈍感」どころか、テロを積極的に肯定するような発言をしたことがある。石原は、2003年に田中均・外務審議官(当時)の自宅に爆発物が仕掛けられた事件について、「当たり前の話だ」と言い放ったのだ。

安倍を国政の長に、そして石原を都政の長にいただくような社会だから、こんな異常な事件が起きるのだろうと思う。

最後に、朝日新聞記事に掲載された伊藤一長さんの市長時代の略歴を紹介したい。
http://www.asahi.com/national/update/0418/SEB200704180001.html


 伊藤市長は、同市初の戦後生まれの市長。原爆投下の2週間後に疎開先の山口県で生まれた。長崎市議、県議を経て、95年に本島等氏を破って初当選した。

 就任後は、被爆地の市長として国際会議などでも発言してきた。当選した年の11月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所での証言で、広島市長とともに「核兵器の使用は国際法に違反していることは明らか」と陳述。「違反とまでは言えない」との立場の外務省からは、文言をめぐって直前まで働きかけが続いたが、曲折の末、「違法」を明言した。

 02年8月には「原爆の日」の「平和宣言」で、同時多発テロ後の米国の核政策を「国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行している。こうした一連の独断的な行動を断じて許すことはできない」と述べ、初めて米国を名指しで批判した。

 05年5月、米ニューヨークの国連本部で開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の本会議場で発言。長崎の原爆で黒こげになった少年の写真を掲げ、「核兵器と人類は共存できない」と訴えた。

 今年3月、前年に続いて被爆地・長崎の反対の声を押し切り、米海軍のイージス艦が長崎港に入港。「核搭載の疑惑もある軍艦なので、残念の一言に尽きる」と語った。

 市役所内の裏金問題で自らの減給処分を決め、4月の市長選へ出馬を表明。不正に終止符を打つ構えを示した。

(asahi.com 2007年04月18日 03時48分)

伊藤市長のご冥福を、心からお祈り申し上げる。


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最近、読者の方々からのコメントで構成する記事を二件公開したが、私自身が書く記事よりよほどためになるコメントが多く寄せられていて、どうやって紹介していこうかと頭を悩ませる今日この頃だ。

今回は、辺見庸さんについて書いた『「言論の自由」その3〜「鵺のような全体主義」を超えるには』に寄せられたコメントから記事を構成したい。

まず、たびたび紹介させていただく朝空さんのコメントから。朝空さんの文章は、私の文章などよりよほど優れているので、できるだけ多くの方々に読んでいただきたいと、いつも強く念じている。

 たまたま切り抜いてあった『信濃毎日新聞』という地方紙の05年3月17日付けの切り抜きがあるので、抜粋する。共同配信の記事かも知れないが。執筆者は「辺見庸、作家」。

  「鬼畜」対「良民」なのか
  ―地下鉄サリンから10年―

 やけに風の強かった月曜のあの朝、私はいったい何にたまげたのだろう。十年後の今でも時折反芻(はんすう)するのは、糸の切れたマリオネットのように、ゆっくりと通路に崩れ落ちるサリン被害者たちのむごい姿では必ずしもない。倒れた人々を助けるでなく、まるで線路の枕木でも跨ぐようにしながら、一分でも職場に遅れまいと無表情で改札口を目指す圧倒的多数の通勤者たち。目蓋に焼きついているのは、彼ら彼女たちの異様なまでの「生真面目さ」なのである。
 あれは、しかし、真に人間的な真面目さだったのであろうか。口から泡を吐き苦しみ悶える被害者を眼の端に入れながら、なおも改札口に殺到する群れが、この国の民衆の原像であるとしたら、十年でそれはどう変貌したのか。サリンを撒いた加害者達と脇目も振らず職場に急いだ人々は、「鬼畜」対「良民」といった、後の裁判で語られたような単純な構図であったのか― 十年間、私は折りに触れて考えた。
 ……その朝、私はたまたま地下鉄日比谷線の神谷町駅構内にいた。……
 ……当初の現場にはマスコミが報じたような「パニック」などなかったのだ。不可思議な「秩序」のみが存在したのである。通勤者も、駅員も、遅れて駆け付けた記者らも、実に生真面目だった。ただし、それぞれの職分のみに。
 …… あの朝の生真面目さの隊列には、通勤者や記者らとともに、実のところサリン製造者や撒布者らも象徴的に連なるのではないか。加害者が決して尋常ならざる「反逆者」だったのではなく、大方の通勤者、記者、警察官同様に、心優しき「服従者」にすぎなかったのではないか。……そこには言葉の優れた意味で自由な「私」は一人としていなかったのである。……
 法廷でふと想い出した一節がある。「暗く陰惨な人間の歴史をふり返ってみると、反逆の名において犯されたよりもさらに多くの恐ろしい犯罪が服従の名において犯されていることがわかるであろう」。スタンレー・ミルグラムが『服従の心理 アイヒマン実験』
(岸田秀訳)で引用したC・スノーの言葉である。……
 ……ファシズムはかっての装いを一変して、あくまでも優しく道理にかなっているかのごとくに日々を振る舞っているのである。
(朝空さんのコメント)

たまたま、前の週末に辺見庸さんの「自分自身への審問」(毎日新聞社、2006年)を通して読んだが、朝空さんが紹介されたこの文章が収録されていた。恥を忍んで告白するが、ブログで辺見さんの文章を紹介していながら、標題の「自分自身への審問」が収録されている最終章しかそれまで読んでいなかったのである。
この本によると、サリン事件について書かれた記事は、確かに2005年3月19日、共同通信の配信となっている。

「鵺のような全体主義」は、辺見さんが描いたような、生真面目な大衆の沈黙が形成するのだろう。

意外な組み合わせだが、かつて、音楽評論家の吉田秀和が、朝日新聞の「音楽展望」で、当時朝日の名物記者だった本多勝一の、旧東独に関するルポルタージュを称賛した文章を書いたことがある。この時、吉田は確か本多の「市民的」な勇気を高く買っていたのではなかったかと思う(うろ覚えなので、あとでよく調べてみたい)。
私自身は、本多に見られる独裁志向の部分はまったく評価しないが、本多が「一人でも声をあげていこう」とする勇気のあるジャーナリストでもあったことについては高く買っている。

それはともかく、声をあげない従順な人たちが多いのが、日本の社会の特徴ではないかと思う。声をあげることを抑制して、黙っていた方が身のためだよ、などと言う人さえ珍しくないのだ。
一人一人が好き勝手に発言しているかに見えるフランスを報道記事で見ていて、いつもうらやましく思っている。

続いて、これも以前に取り上げさせていただいた奈央さんが、朝空さんのコメントを受けて、次のようにコメントされている。

私の従姉も地下鉄サリン事件に巻き込まれました。
あの被害者の方たちの痛々しい姿を今でも忘れることができません。
サリンに触れたため重態になり病院に搬送された駅員さん、消防隊員におんぶされ泣きながら地下鉄の駅の出口へ出た方、嘔吐していた人たち、横になって救助を待っていたさまざまな人たちを思い出します。
それと、辺見庸さんの観察眼やヌエという表現に対して唸らざるをえませんでした。
なぜ、サリンによるけが人を見ながら何もせず会社へ行くのだろう、これって昨年の福知山脱線衝突事故当時のJR職員たちといっしょじゃない?という印象を受けました。
また、ユダヤ人のホロコーストの教訓から学んだことを思わずにいられませんでした。
彼らは、権力者が間違っている行動をしている場合、従順であることより自分の考えを優先して権力者の意見や命令を無視してもよいと教えられています。
たぶん、日本では、考えられないことでしょう。
疑いはしても相手の顔色を気にして違う意見を述べること実行に移すことが難しいと思います。
そうならないようにせめて自分の心に正直でいたいと思います。
(奈央さんのコメント)

奈央さんが書かれるように、自分の心に正直になることは、とても大事なことだと、私も思う。

最後に、いつもコメントをいただいている非戦さんのコメントを紹介する。

辺見さんが目撃したサリン事件での平常の行動を保つ市民の姿には衝撃を受けました。
どうして、そんなに平静でいられるのかと。
それこそ鵺のような社会と市民の中に暮らしていかなければならないことが、辺見さんと同じく私も苦痛に感じます。
そういう人がいる中で、教育基本法改正反対!と言って国会の前で座り込みをしている人たちの前を、何の感情も持たず、または冷笑しとおりすぎていく人たちには、反対する人たちが単に邪魔な存在なのでしょうか?
権力にすがりつく人たちは、ファシズム国家になったとき(もうなっている)、国のために何でもするのでしょうか。やっぱり、国民のレベルにあった政権しかもてないのです。でも、そうならなにように、今、みんなが必死で抵抗して闘っているんだと思います。
(非戦さんのコメント)

確かに、皆が沈黙している社会には、私も慄然とするものを感じるが、辺見さんも「自分自身への審問」で書かれているように、違和感を感じている人間にさえ、知らず「鵺のような全体主義」に荷担している部分があることに、私などはよりいっそう慄然としてしまう。

それにしても、辺見さんの文章には、読者の心を深く抉るものがある。とても「共感した」などという生易しい言葉で表現できるものではない。そもそも、脳出血の後遺症と癌を同時に抱え、それでもなお発言を続けていくなどということが私に可能であるとはとても思えない。

これから、もっともっと多くの辺見さんの文章を読んでいかなければならないと強く思った。辺見庸に気づくのが遅すぎた、おのれの不明を恥じる次第である。


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12月2日の記事「天皇をも恐れない? 安倍晋三の取り巻きたち」に、印象的なコメントをいくつもいただいた。

ブログの記事本文を読んでいただく方でも、コメント欄まで目を通していただく方はそう多くないし、ましてや記事の公開後、かなり経ってからいただいたコメントは、なおのことほとんど読まれずに終わってしまうだろう。

それではあまりにもったいないと思うので、特に印象的なコメントをここに紹介することにする。

まず、おなじみの「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんからのコメントを紹介する。

Kojitakenさん、
赤尾敏氏のことばに、思いやりのあふれる人間的温かさを感じました。今の右翼には、こういった人情を重んじる人はいなくなってしまったかもしれませんね。

それにしても、kojitakenさんの『きまぐれな日々』には、貴重な昔の記事からの引用が次から次へと出てくるのには、感心します。ドラえもんの「なんでもポケット」でも持っているのでしょうか(笑)。
(美爾依さんからのコメント)

赤尾敏氏の言葉は、ふだん勇敢にネットウヨと闘っている美爾依さんの心をもとらえたようだ。私も、古い雑誌を読み返した時、これまで偏見を持っていた赤尾敏氏の言葉に、立場の違いを超えて胸を打たれてしまった。

続いては、このところよく当ブログに鋭いコメントをいただく朝空さんからのコメントを紹介する。

 この頃、「うちの雅子が…」と言って窮状を訴えた皇太子には共感するものがあった。妃の「病気」は確か「適応障害」だったが、本当は何が、どちらが適応障害なのだろうか。ちなみに弟夫婦は、皇太子とは対極なのだろう。
 天皇家を崇め、天皇家を讃えるが、歴史的に世の権力者ほど生身の彼らをないがしろにした者達はいなかったー。敗戦間もなく、そう言った者がいたが、それは今も変わっていない。欲しいのは精神的要素を含めた構造なのであって、人ではない。真っ当な感性ならば、能面のような者達に囲まれ叫び出したくなるのは、当然なのだ。
 だが国民の多くもマスコミも、内心気付いていながら沈黙したと感じている。気付いていればこそ、沈黙するのだろう。そして「男系」の神輿には、無批判に集まる。
 形を作ればおずおず付いてくる。百余年前の「教育勅語」の製作者らの胸の内も、基本法なるものの「改正」をめざす者達の腹の中も一緒だろう。
 ヒトよりもカタチ。仏造って魂入れず。この価値転倒から解放されるのは、仕組みの内側だろうが外側―強要される側だろうが変わらないはずだ。
(朝空さんからのコメント)

このコメントに対し、私ごときが贅言を費やす必要はないだろう。

元道さんには、この記事に3件のコメントをいただいており、いずれも印象深いものだが、非戦さんからこの記事にいただいたコメントの、「今、また戦前、戦中を懐かしむような政治家がゾンビのようにぞろぞろ出てきて、大手を振っているのでしょう」という一節に対して、下記のようにコメントされている。

彼ら(注:「戦前、戦中を懐かしむような政治家」)の日本のイメージって昭和恐慌以後の「おかしくなってしまった日本」なんですよねぇ。
マッカーサーが日本を占領している時、彼が念頭に置いていたのは「昭和恐慌以前の日本」「大正デモクラシー」の日本であって、決して「新しい日本」をつくろうとしたわけじゃない。
原敬の出現によって、日本は自力で言論による政治を自力で実現していたし、それ以前から言うべきことをガツンと言う人はガツンと言っていた。
憲法上は天皇の輔弼機関とされていても、そんなことお構い無しにガンガンやってましたね。
庶民だって、ストやら暴動やらしょっちゅうやってました。大相撲の力士すらストで怒りをぶちまけたことがある。
大日本帝国が実は今よりもずっと言いたいことを言えた社会だったことがあるってことは、右翼も左翼もごまかしていますね。
アベシンゾーとその取り巻きたちの日本観・日本人観はあらぬ思い込みを前提にしていると感じています。そしてこの国を更にあらぬ方向にもっていこうとしている。
そうとしか思えない。
(元道さんからのコメント)

コメント欄にいただいたコメントではないが、記事にいただいた「はてなブックマーク」の中に、北一輝が昭和天皇を「クラゲの研究者」と呼んで軽蔑していたことを指摘されていた方がいた。いたずらに昔を美化し過ぎたり、逆に昔を貶め過ぎたりする先入観を持たないよう自戒しなければならないかもしれない。

最後に、ブログ「ゆうやけnote」を運営されている、y.-Danuraさんのコメントを紹介する。

 こんにちは。kojitakenさん、お久しぶりです。今回の記事を拝読して、そうか、あれから18年も経ったのか、と思わず呟いてしまいました。あの朝、つまりは昭和天皇が亡くなった朝、私は父に電話したことを覚えております。そのことを思い出し、コメントさせていただきました。
その朝、戦争に行った経験のある父に、天皇についてのそれなりの感慨があるのではないかと思ったからです。たまたま父は、その日はまだテレビをつけていないということだったので、私が天皇の死を伝えたのです。父は電話口でだまって聞いていましたが、ただ一言こういいました。「それはお気の毒じゃな。じゃけんど、わしにはあまり関係ないことじゃけえ。もう仕事に行くで。電話、切るで。ほな」。
 その父が存命中に上京したことがあります。私が「靖国神社に行ってみますか(父の弟が戦死しています)」と訊くと、「いんや、あんなところに次郎(弟の名))や戦友はおりゃあせんで。みんな、自分の家の仏壇や墓で静かに眠とるがのう。わしゃ、ああいうところには行きとうないけえ。東京のざるそばでもごちそうしてくくれればええで」と、広島弁できっぱりと断りました。きっと赤紙一枚でかり出され、無惨な死を遂げた弟や戦友のことを思んばかってのことでしょう。
 その父も二年前に死にました。享年84歳でしたが、父は戦時中、中国の戦線で所属部隊が全滅という悲劇に遭遇しています。部隊に攻撃命令が発令されたとき、部隊長命の用事で同僚と二人、部隊に残されました。ところが、馬賊討伐に出陣した部隊(およそ50名)は全滅、残っていた二人だけが助かったのです。まさか、といった悲劇でした。以来、父は酒を断ち、宴席などでの乾杯時にただ口をつけるだけに徹しました。なぜ飲まないといわれても、酒に弱いからというだけで、戦争の話は絶対に持ち出さなかったそうです。祖母に訊いたところ、戦地に向かう前はかなりの酒豪で、その父が酒を断つということは祖母をして驚かされたということでした。
 父が死ぬ前に、何とか戦争の話を聞こうとしたのですが、父はとうとう、多くを語らず逝ってってしまいました。父の死後、軍隊で撮ったと思われる写真が数枚あることを知りました。機関銃部隊にいたということですが、機関銃の前で腹這いになっているもの、何人かの戦友と写ったもの(いずれも戦地中国でのものと思われる)だけでしたが、写真の父はいずれもにこやかに笑っていました。父のような戦争体験者もまた、多くいらっしゃることでしょう。
(y.-Danuraさんからのコメント)

この文章を読んで、私は言葉を失った。
戦争だけは、絶対に再び起こしてはいけない。日本を戦争のできる「美しい国」にしようとしている安倍晋三を政権の座から引きずり下ろさなければならない。
そして、安倍を批判する声をあげることを決して躊躇してはならないという意を、改めて強くする今日この頃である。


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当ブログは、安倍晋三と断固として闘う姿勢を鮮明にしている講談社を応援すると宣言している。

管理人の財布の都合もあるので(笑)、講談社発行の一般誌をすべて買い揃えるわけにはいかないが、月刊「現代」は、当面毎月買おうと思っている。

その「現代」の2007年1月号が発売されたので、買い求めた。
ここ数ヶ月連続で組まれていた安倍晋三批判の特集が掲載されていないのは残念だったが、魚住昭、鈴木邦男、溝口敦の三氏による「徹底討論・メディアは国家と戦っているか」(副題・「右傾化と言論の役割を問う」)と、自民党の加藤紘一代議士による「反言論テロのシンボルとしての覚悟」の2本は、期待にたがわず良い記事だった。

この中で、魚住さんと加藤代議士が、図らずも同じ指摘をしていたので、今日はこれを取り上げたい。

まず、魚住さんは座談会で以下のように発言されている。

 小泉首相の靖国神社参拝に疑問を呈していた加藤紘一衆議院議員の自宅兼事務所が放火された右翼による言論テロに対して、メディアの反応はたいへん鈍いものでした。また、この事件に対してなかなかメッセージを出さなかった政府に厳しく詰め寄ろうともしなかった。五輪誘致問題では、石原慎太郎東京都知事が、都のライバルだった福岡市の応援演説をおこなった姜尚中東大教授に向かって、「あやしげな外国人」と言い放ったけど、この発言を徹底批判しようともしなかった。
 いまメディアは権力を激しく追及しようという気概を失っているのではないか。
(中略)私がさらに危惧しているのは、政治の右傾化にともなって、メディア全体、あるいは記者たち自身の右傾化が進んでいるのではないかという点です。
 たとえば、加藤さん(注:加藤紘一代議士)への言論テロに対するメディアの反応の鈍さには、報じている記者たち自身に、どこかで右翼的な考え方を許容する素地ができているのではないかとすら感じた。政府がメッセージを出さないことに対して追及しないのは、逆に彼らがある種のメッセージを発していたのと同じことのように受け止められたんです。

(月刊「現代」 2007年1月号掲載「徹底討論・メディアは国家と戦っているか」における魚住昭氏の発言)

同じ号の「現代」に載った別記事で、加藤紘一代議士は次のように述べている。

放火事件当時の小泉首相、安倍官房長官のテロ行為に対する反応が遅かったのではないかとよく問われることがあります。実際、私にもなぜだったのかはわからない。けれどテロに対して、政府が一定の「沈黙」を置いたことである種の負のメッセージが広がったようにも思います。
 あの事件以降、テレビや新聞などの言論の場で積極的な発言をする人が少なくなったような気がします。実は、いま政治家だけではなく、評論家やジャーナリストのもとに脅迫の手紙が届くようになっているそうです。

(月刊「現代」 2007年1月号掲載 加藤紘一「反言論テロのシンボルとしての覚悟」より)

ジャーナリストの魚住さんや、ましてや政治家の加藤さんが雑誌の誌面では言いづらいだろうことをはっきりと書くと、「小泉純一郎や安倍晋三は、実質的に言論テロを容認しており、マスコミはそれを追認している」ということだ。

それに対して、小泉や安倍の政策に普段反対しながら、反テロの声を大きくあげないブロガーや国民もまた、テロを追認しているも同然だと私は考える。

それにしても、テロと戦うというのは、文章で書けばひとことだが、実際に行うのは大変なことだ。自らや肉親の生命を危険にさらさねばならないからだ。

以前にもブログで記事にしたことがあるが、「現代」1月号の座談会にも出席している溝口敦氏は、かつて「週刊現代」の取材に、次のように答えたことがある。

 私のような職業には(暴力テロに対する)『被害者の責任』というものがあると考えていて、たとえ自分や肉親が暴力にあっても、降参してはならないんです。降参すれば、相手に対して暴力の効果を認めたことになります。
(中略)
 加藤氏が今回の暴挙に対して降参しなかったのも『被害者の責任』を果たしてのことだと思いますが、残念なのは加藤氏をバックアップする言論が少ないことです。
靖国参拝をめぐって意見の相違があろうと、このような暴力には政治家はもっと怒りの声を挙げるべきです。
それがないのは、政治家が自己保身に走っているといわれても仕方がない。このままでは、日本はとんでもない暴力社会になるかもしれません。

(「週刊現代」 2006年9月9日号『「言論封殺テロ」を徹底追及しないメディアの大罪』より)

溝口氏は、自身が1990年に暴力団に襲われたことがあるばかりか、20今年1月には、「週刊現代」に連載していた記事が原因で、長男が山口組系の暴力団に路上で刺されている。それでも、言論テロには屈服しないという不屈の意志を貫いておられる。

加藤紘一代議士も、「現代」1月号で次のように述べている。

あの事件があって、私は図らずも、反言論テロのシンボルのようになりました。世の中で3本指に入るぐらいの言論を守る責任が与えられた。ここで私が口をつぐんでしまったら、日本中が静かにならざるを得なくなる。だから、これからも、発言はいままでと同じトーンで同じことを話し続けます。ここで姿勢を変えたりすれば、最後の砦がなくなってしまう。重大な任務を負ったと感じています。

(月刊「現代」 2007年1月号掲載 加藤紘一「反言論テロのシンボルとしての覚悟」より)

あっぱれな覚悟だと思う。

溝口氏や加藤氏は、命をかけて言論活動をしていると思う。彼らに比較すれば、匿名のブログで安倍の言論封殺に反対する声をあげることのリスクなど微々たるものだろう。
何回も何回も書くように、多くの国民、多くのブログがしつこくしつこく声をあげ続ける方が、下手に弾圧を恐れて沈黙するより、よっぽど権力にとってダメージとなるのだ。

安倍政権の言論封殺に対抗する声をあげ続けることをためらってはならないと思う。


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昨年(2005年)の総選挙報道はショッキングだった。選挙期間中、マスコミ、特に電波媒体が一斉に小泉を応援し、自民党を大勝に導いたからである。「朝日新聞」が、小泉の「刺客作戦」を社説で称賛したのにも驚いたが、それにもまして、それまで「反政府的」と見られていたTBSやテレビ朝日が、小泉の狙った、議論の「郵政民営化」への一本化を煽りに煽ったことが、選挙の帰趨を決定した。テレビ朝日の番組に出てくる田原総一朗と古舘伊知郎、それにTBSに出てくるみのもんたと岸井成格を、私は「四悪」と命名し、その時以来今にいたるまで蛇蝎のごとく嫌い続けている。自民党は現在、「郵政造反組」の議員たちの復党を狙っているが、これが実現すれば、議席の二重取りの詐欺行為というしかない。こんなものに協力したマスコミの罪は、限りなく重い。

こんなマスコミなんかに世論を誘導されてはたまったものではない、と思ったのが、私が政治ブログを開設するきっかけの一つになった。

ところで、私がもっとも信頼しているジャーナリストの一人が、魚住昭さんである。魚住さんについては、当ブログで何度も取り上げた。
私は読売新聞のナベツネこと渡邉恒雄会長が大嫌いである。それは、私が大のアンチジャイアンツであることに起因しているが、魚住さんは、「渡邉恒雄・メディアと権力」(講談社, 2000年)という本を書いた。この本は、ジャイアンツの金権補強がついに功を奏し、マスコミが待望していた「ON対決」の日本シリーズで、長島ジャイアンツが王ホークスを下した2000年に出版された。ナベツネの本性をあますところなく描いた名著である。この日本シリーズでジャイアンツが優勝を決めた日、私は魚住さんのこの本を最初から最後まで読み返し、「今に見ておれ、ナベツネめ」という思いを新たにしたものだ(笑)。今没落しているジャイアンツを見るにつけ、安倍自民党も同じ末路をたどるだろう、いやたどらせてみせるなどと思う今日この頃だ。

私が魚住さんにもっとも感心するのは、思考の柔軟さだ。自分が間違っていると思ったら、過去の自著を否定することも厭わない。たとえば、魚住さんには「特捜検察」(岩波新書、1997年)という、特捜検察を称揚した著書があるが、この本を出版した4年後には「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)を出版し、一転して特捜検察の暗部を暴いた。中道左派といえるスタンスも私と近く、共感を持って著書を読むことができる。

少し古いソースだが、その魚住さんが、「サイゾー」2005年11月号で、元「噂の真相」編集長の岡留康則さんと対談している。これは、「サイゾー」2006年10月号別冊「噂の闘論外伝 岡留安則 vs 12人の論客」に収録されている。この対談は、『"クリーンなタカ派" 安倍晋三をめぐる「NHK番組改編事件」の闇』と題されており(本シリーズの「その2」でも書いたように、安倍は「クリーンなタカ派」どころか「真っ黒な極右」だと私は考えているが)、この本論についてもいずれ当ブログで取り上げるつもりだ。しかし、「言論の自由」シリーズの最終回の今回は、「大マスコミが小泉の新自由主義を支持する理由」について二人が語っている部分を取り上げる。なお、「小泉の」となっているのは、対談が小泉政権時におこなわれたものだからである。

以下に対談記事を引用するが、引用部分の直前で、二人は2004年に「週刊文春」に掲載された田中真紀子氏の長女のプライバシーに関する記事について、田中氏の長女から雑誌の販売停止を求める仮処分が申請された件(東京地裁は同処分を認めたが、東京高裁がこれを取り消した)について論争している。岡留さんは「言論の自由」の観点から文春を擁護し、魚住さんは販売停止処分の取り消しは肯定しながらも、プライバシーを侵害した文春を批判している。以下の引用部分は、その論争に続く部分である。

大マスコミが小泉の新自由主義を支持する理由

岡留 ただ、今回「言論の自由」を声高に強く主張せざるを得ないのは、プライバシー権というのが、権力者にとって、一番都合のいい言葉になりつつある時代だからです。公明党が名誉毀損損害賠償の高額化に力を入れたり、憲法にプライバシー条項を入れようと躍起になっているのは、究極的には池田大作を守るためでしょう。でも、巨大宗教のドンてすらプライバシーは現行法で十分守られているし、裁判を通じて名誉回復だってできる。今、日本がどんどん新自由主義化しているなかで、そういう権力者についてのプライバシーは書いてはいけないという規制が強まっているのは、強者が保護される階級社会の固定化を狙っているとしか思えない。しかも、プライバシー権の保護を個人情報保護法と絡めたら、官報の役回りを果たす新聞は生き残れても、週刊誌などは生き残れませんよ。エロ系とかの社会的認知度の低い出版社では、既に発禁処分を受けているところもありますが、今回はそれがとうとう大手出版社の発行する週刊誌にまで波及したか、というショックを受けました。
魚住 そういう意味では、あの件で高裁が販売停止の仮処分をひっくり返したことはよかったと思います。その点についての危惧は、岡留さんたちと一緒ですから。一方で、メディア側がプライバシーを扱う時は慎重になるだろうし、慎重になるべきですよ。そうでなければ、一般の人は承服しないですよ。だって今、メディアの立場と、いわゆる普通の生活をしている人たちの立場って、すごくかけ離れているでしょう?
岡留 それは、おっしゃる通りです。
魚住 収入にしたって、ステータスにしたって、すごくかけ離れているし、しかもその溝は永久に埋まらないんじゃないかとすら思われているんだから。そこを無視した「表現の自由を守れ」論というのは、なんの効果もないと思うんです。第一、今のメディアって、反権力でもなんでもないんですよ。むしろ、全体状況としては、権力と一体化して、都合の悪い時だけ「表現の自由を守れ」と主張する。普段は権力と一体化しながら、都合の悪い時だけ「表現の自由」を持ち出していると、その理念は、一般には受け入れられなくなってしまいますよ。
岡留 それは個人情報保護法反対運動の時に、典型的に出ましたよね。あれだけメディアが大反対して運動としても一部では盛り上がったけど、一般の人たちからは、「メディアの連中は騒いでいるけど、普段やりすぎている面があるから、規制されてちょうどいいぐらいだ」と冷ややかに見られていた。それほどまでに、メディアと市民との感覚がズレている。
魚住 そこが一番の問題ですよ。結局、メディアの特権階層化というのが、ここ20〜30年の間に一気に進んだんでしょうね。戦前のメディアは、戦時体制で統廃合されるまでは、弾圧されて潰れたり、経営不振に見舞われたりして、要するに、エリート層が就くような安定した職業ではなかったわけです。ところが、1940年代の新聞の統廃合で大手メディア5紙と地方紙、ブロック紙ができることによって、メディアが我が世の存を謳歌した。それがすべて悪いことだとは思いませんが、その体制が戦後ずっと続いたがゆえに、メディアというのが、きわめて安定した、しかも高収入の産業になっちゃったわけです。それで、「メディアというのは、市民と共に権力に対峙する機関である」として共有されていた意識が、今や全く失われてしまった。
岡留 基本的に、新聞社全体としては反テロのイラク戦争も郵政民営化をはじめとする行革にも賛成の論理ですからね。要するに、自分たちは官僚同様に勝ち組だから、いい方針、改革だと思っている。僕も、結構年収が高かったから(笑)、税金でン千万頃位で持っていかれる時には「高いよ」と思ったし、それが高額所得者に有利な税制になって払う税金が少なくなると言われれば、政府案に与したくもなる(笑)。もっとも、そうなる前に、高額所得者の座を自ら捨てましたけど。僕は反自民で、政権交代派ですから(笑)。
魚住 「俺はこんなに一生懸命働いていて、能力もあって、エリートなのに、高い税金を取られるのはなぜだろう?」という意識が芽生えてきたところに、新自由主義の思想が入り込んでくるんです。「それはね、貧乏で能力のない奴らが遊んでいて、足を引っ張ってるからだよ」と。だから、大手メディアの本音は、新自由主義に則った小泉構造改革に賛成なんですよ。しかも、彼らは常に高級官僚を取材していますから、考え方も上からの目線になる。僕は会社を辞めて4〜5年して、初めてそのことがわかりましたからね。
岡留 気がつくのが遅いとしても、若手の記者に聞かせたい、いい話だなぁ(笑)。しかし、かつて政・官・財の三大権力にメディアを加えて四大権力と言われたけど、その頃はまだメディアが三大権力そのものをチェックする社会的機能や役回りがあった。しかし、今や完全にメディアを含めた四大権力が社会を支配する時代に入ってきた。怖い傾向ですね。

(「サイゾー」 2005年11月号掲載 岡留安則 vs 魚住昭 『"クリーンなタカ派" 安倍晋三をめぐる「NHK番組改編事件」の闇』より)

マスメディアが小泉、竹中、安倍らの新自由主義を支持する理由は、魚住さんが指摘される通りだろう。
マスメディアが権力と一体になってしまった現在、私たち一人一人が声をあげていくしかないのだと思う。


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「鵺(ぬえ)のような全体主義」という言葉を知ったのは、魚住昭さんの「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)のあとがきを読んだ時だった。
魚住さんは、次のように書かれている。

作家の辺見庸さんは、「今の日本は鵺のような全体主義に覆われ始めている」と喝破したが、法曹界の現状を取材してみて、私は辺見さんの指摘に深くうなずかざるを得なかった。
魚住昭「特捜検察の闇」=文藝春秋、2001年=あとがきより)

これを読んで以来、この「鵺のような全体主義」という言葉が、ずっと頭を離れなかった。
鵺とは何か。「鵺 - Wikipedia」 を見てみよう。

鵺(ぬえ)は日本の伝説の生物。鵼とも書く。『平家物語』に登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで、「ヒョーヒョー」という鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。一説には雷獣であるともいわれる。元来、鵺とはトラツグミの呼び名であり、この怪物はあくまで「鵺の声でなく得体の知れないもの」で名前はついていなかった。しかし現在ではこの怪物の名前が鵺だと思われ、そちらの方が有名である。
(「鵺 - Wikipedia」より)

「鵺のような全体主義」とは、何から生じたのかも不明な、得体の知れない全体主義、という意味だ。

魚住さんも書かれているように、この言葉を初めて用いられたのは辺見庸さんである。以前、月刊「現代」10月号に辺見さんが寄稿された記事を当ブログで紹介したことがある。辺見さんは、2004年3月に新潟で講演中に脳出血で倒れ、右半身に後遺症があるが、今年春に復帰されて、精力的な執筆や講演を行っておられる。

この記事を書くために、辺見さんについてちょっと調べていたら、10月13日付の毎日新聞夕刊に掲載された、辺見さんが小泉純一郎安倍晋三の前職および現職の首相を論じた記事が見つかった。
この記事を「kojitakenの日記」にアップしておいた。下記リンク先を参照いただきたい。

「辺見庸の小泉純一郎・安倍晋三論(ちょっと古い毎日新聞の記事)」(「kojitakenの日記」より)

この記事から、辺見さんの略歴を引用する。

作家。1944年、宮城県生まれ。早大卒。70年、共同通信社入社。78年に中国報道で日本新聞協会賞。「自動起床装置」(91年)で芥川賞、「もの食う人びと」(94年)で講談社ノンフィクション賞を受賞。96年に退社し、現在は近刊「自分自身への審問」の続編と、病前から書き続けている小説を執筆中。

ちなみに、魚住昭さんは同じ共同通信社に勤めていて、辺見さんと同じ1996年に退社し、以後フリージャーナリストとして活躍しているが、魚住さんは1951年生まれで、1975年に共同通信に入社しているから、年齢で7年、記者歴では5年後輩ということになる。

白状すると、私が辺見庸さんの本を読むようになったのは最近のことなので、辺見さんがいつから「鵺のような全体主義」という言葉を使われていたかは知らない。ネットで検索すると、1998年に朝日新聞社から刊行された「眼の探索」には既に出ているようだ。以下引用する。

私がいま感じているのは、いわば、鵺のような全体主義化である。そこには凛呼たるものが何もない。右も左も凛然としないことをもって、主体が消え、責任の所在が隠れ、満目ひたすら模糊とした風景のままに「いつのまにかそう成る」何かだ。その好個の例が新しい日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)だろう。ひと昔前ならば、この国挙げての大騒ぎに確実になったであろう新ガイドラインは、いま、鳴り物入りで「構築」されているのではなく、靄のようなものとして、人知れず「生成」されているようにも思われる。いつのまにかそうなり、巨大な輪郭が眼前にどーんと立ち上がるまで、われわれは生成しているものの貌の凄さに、過去にもそうだったように、はっきりと心づくことがないのかもしれない。

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マスメディアによるテーマの遠心分離が先かテーマの下克上が先か、あるいは両方があずかって主要テーマが見えない現在があるのか、わからない。ただ、蔓延する不安感やアパシーの主な発生源はその辺にあるのではないかという見当はつく。新ガイドラインや関連法案がほぼ無抵抗で登場できる空気にも、法体系を突き破り安保統帥権が屹立する無理無体を許している土壌にも、私たちの生活圏におけるテーマの拡散ないし転倒がありはしないか。マスメディアによる意味の蹂躪がありはしないか。はっきりしているのは、今日の危うい風景が、激しい議論の末に立ち現れたのではないこと。黙ってずるずると受け入れてしまったのだ。

辺見庸「眼の探索」=朝日新聞社、1998年=より)

8年前の辺見さんの予見は、日に日に現実のものになっていった。